2014年5月4日日曜日

小保方劇場、出し物は『オセロ』ならぬ“オセロゲーム”

東京新聞が以下の通り報じた。以下引用する。
STAP細胞の論文問題で、小保方晴子氏の不正を認定した理化学研究所調査委員会の委員の論文に、画像の切り貼りなど加工の疑いが指摘されていることが一日、分かった。理研は、本格的な調査が必要かどうかを判断するための予備調査を始めた。
調査委では、委員長だった石井俊輔上席研究員の論文に画像の切り貼りが見つかり、石井氏は「不正ではない」としたが委員長を辞任している。
新たに指摘があった調査委員は、理研の古関明彦グループディレクターと真貝洋一主任研究員、東京医科歯科大の田賀哲也教授。
二〇〇三~一一年に発表された論文のうち、古関氏が責任著者を務めた四本や、石井氏と真貝氏の共著の一本、田賀氏が責任著者である二本の計七本に指摘があった。DNAを分離する電気泳動という実験の画像の切り貼りや、細胞の写真の使い回しがあるのではという内容で、理研は田賀氏の論文を除く五本を予備調査の対象とした。古関氏は取材に「指摘の部分は、理研に報告している。現段階で個人的なコメントは差し控えたい」と回答した。(東京新聞/5月2日朝刊)
オセロゲームというのがある。シロとクロがプレーヤーの一手一手でめまぐるしく反転するあれだ。理研を舞台とした小保方劇場はまさしく、その様相を呈してきた。先日、小保方の論文不正を調査し、不正ありと判定した「研究論文の疑義に関する調査委員会」委員長の石井俊輔の論文不正が明るみに出て石井は同委員会委員長を辞任したばかり。それに次いで、今度は同委員の面々が小保方と同様、実験画像の切り貼りや使い回しをしていたのだ。つまり、小保方がクロ、理研の調査委員会はいかにもシロの集団だったのだが、このことにより、委員会もクロに反転してしまったのだ。つまり、小保方劇場出演者全員がほぼクロである。

これは困った。演劇といのは一般に善人と悪人があって、最後に善が勝つという物語で構成されているものなのだが、全員が悪人ならば物語は成立しない。小保方劇場は当初、小保方=善、理研=善で開幕し、第二幕は論文不正の発覚により、小保方=悪、理研=善でドタバタがあり、この第三幕で小保方=悪、理研=悪という結末に至った。

もっとも筆者は最初から小保方=クロ、理研=クロの立場を貫いてきたので驚いてはいない。が、それにしても理解に苦しむのが調査委員会の面面の精神構造だ。小保方の論文不正は日本中いや世界中が注目した問題。その調査委員を拝するということは、世界中の注目を浴びる。このことは火を見るより明らかではないか。自分の過去を振りかえってみて、自分に非がある可能性を自覚できれば、調査委員会に名を連ねるリスクを避けるのが普通だろう。“もし自分の不正がばれた”ならば、その反動の大きさは計り知れない…なのに…である。

ここからは推測だが、小保方も理研の調査委員会の面々も、あるいは先に論文不正を咎められたノーベル賞の山中伸弥も含めて、論文に掲載する画像に係る故意の加工は一般的行為であって、「不正」ではないとされていたのではないか。“そんなことは当たり前”という「常識」がまかり通っていたのではないか。拙Blogで何度も書いたことだけれど、小保方が「不正はない」と繰り返してきた根拠には、論文における画像等の加工等は「私だけでなく、諸先輩のだれもがやってきたこと」という確信があるのではないか。だから、「なんで私だけが不正と咎められるのですか」という論理に行き着くのではないか。

それにしても笑わせるのは、理研の野依良治理事長の言いぐさである。野依はかつて理研調査委員会の調査結果発表の記者会見で小保方を「未熟な研究者」と切って捨てた。小保方だけに論文不正の責任があるかのように小保方を断罪した。野依の断罪は、理研に非が及ばぬよう、理研に内在する不正の流れが明るみに出ぬよう、小保方でくい止めたいという願望からだろう。だがそうはいかなかった、理研の幹部が、しかも小保方をクロと判定した委員会の委員の多くが、小保方と同様の手口で論文作成において不正を行っていたのだ。もはや理研の組織的腐敗は明らかだ。小保方論文不正問題とは、理研という組織風土が生みだしたもの。「小保方」は、理研という腐った土壌に開いた、ドギツイ毒茸にほかならない。

こうなれば、小保方の不正よりも、理研の幹部たちの不正のほうが「罪」は重い。よって野依良治は一日も早く理事長職を辞任することだ。野依の辞任を出発点として、理研解体へと進むことが日本の科学研究分野を正常化する近道となる。