2014年7月15日火曜日

W杯ブラジル大会閉幕

ドイツの強さは総合力

サッカーW杯ブラジル大会がドイツの優勝をもって終了した。北中南米開催のW杯で欧州勢が優勝したのはドイツが初めてのこと。しかも、セミファイナルでブラジルを、ファイナルでアルゼンチンを退けての栄冠であるから価値が高い。

ドイツ優勝の要因はいくつかあろう。才能のある若手がまさに旬の勢いで本大会に臨んだこと。GKの鉄壁の守備。高い組織力と規律、そしてフィジカルの強さ。戦術の巧みさ、選手層の厚さ等々・・・列挙すればきりがない。

いわゆる総合力が勝り、攻守のバランスがとれていたことだろう。言い古された言辞ではあるが、勝った方が強いわけであって、2014年時点において、ドイツが世界で一番サッカーの強い国である。

日本の“実力”は、出場国中、下から数えて1番目か2番目

本大会の総括はすでにスポーツメディアでなされていて、それに付け加えるものはない。ただ、はっきりしたのは、日本の実力のなさ。日本の力は、本大会出場国(32か国)中、下から数えて一番目か二番目という事実。もちろんこれは結果論を含んでの評価だが。

世界サッカーの進化のスピードは、日本が思う以上に早かった。前回南アフリカ大会終了からの4年間、日本はその変化についていけなかった。日本サッカーの関係者が、本田圭佑がまき散らした毒素に染まり、謙虚さを失い、自信過剰になり天狗になっていた。この事実を真摯に受け止めなければならない。

日本の話題はサポーターのゴミ拾いのみ、というさびしさ

思えば、開幕戦のブラジル-クロアチア戦は、日本人の主審が裁いた。さっそうと登場した日本人主審だったが、ブラジルのFWのダイブに騙されてPK判定をしてしまい、世界中から非難を受けた。

グループリーグ(GL)C組の日本は1分け2敗の勝ち点1で同組最下位に沈み、日本代表は早々と日本に帰国した。

本大会における日本がらみの話題と言えば、日本人サポーターのゴミ拾いという寂しいもの。選手も審判もだめで、ゴミ拾いの日本人が称賛されるという珍現象だけが開催国メディアの注目を集めた。

日本サッカーのガラパゴス化

日本人の主審がブラジル選手のダイブに簡単に騙されたのは、日本人主審のミスという次元の問題ではない。日本人の審判団が仕事をするJリーグに問題の根源がある。つまり、Jリーグのガラパゴス化である。日本のトップカテゴリーであるJリーグは、世界サッカーの潮流とは無関係に、独自の進化を遂げている。主審の判定基準で言えば、接触プレーに著しく厳しい。タックルで倒されれば(ボールに向かったものでも)、倒れた側に必ずファウルが与えられる。正当なショルダーチャージでも(選手が倒れれば)、倒された側にファウルが与えられる。

激しい当たりにはすぐイエローが出され、選手は退場を恐れて激しいプレーを控えるようになる。そればかりではない。日本のサッカー風土がお嬢様サッカー風のパス主体の試合を好むところから、激しいチャージを行う選手は、審判、ファン、メディア、選手間で嫌われる。その結果、Jリーグの選手は球際の競り合いに極端に弱い。この現象は、JリーグクラブがACLで勝てなくなったことで実証されている。

お嬢様サッカーはアマチュアの少年サッカー、中高大の学校クラブ活動でじっくりと醸成される。お嬢様サッカーは、プロのクラブのユースチームでも、指導者が同じような指導方法なので、是正されない。フィジカルの強さよりも、ボール捌きが器用で上手な選手がレギュラーになり、おとなしく闘争心のない試合を10代で繰り返す。

強いフィジカル、闘争心をもった代表選手が必要

本大会に日本代表に選ばれた選手をみると、似たようなタイプの選手ばかり。これはザッケローニが選んだのか広告代理店が選んだのか定かではないが、戦い方の幅を感じさせない選手ばかり。そしてその共通点は、みなフィジカルが弱いこと。

サッカーは格闘技的要素もあるが、相手を倒すことにフィジカル強化の目的があるわけではない。拙コラムで何度も繰り返すように、(相手との)競り合い、走りあい、ボールの奪い合い――に必要なフィジカルを身につければいいのであって、筋肉をつけて大きくなればいいというものではない。大型化が必要なのはゴールキーパー(GK)とセンターバック(CB)。この2つのポジションは、身長が高いほうが有利だが、それ以外のポジションは必ずしも大型であればいいというわけではない。

フィジカルの強さを実効性の高いものとするのは、強い精神力・闘争心である。本大会において世界の代表選手は、その点ではるかに日本を凌いでいた。日本代表選手は、精神力・闘争心で世界に引けを取っていた。今後の日本代表の強化ポイントは、フィジカル強化、精神力・闘争心の鍛錬となろう。簡潔に言えば、W杯という舞台は戦いの場であるということだ。「自分たちのサッカー」をなんて寝言を言っていたのでは勝てないということだ。

We will play our own brand of football.(自分たちのサッカーをするだけ)

このことは拙コラムですでに書いたことだけれど、「自分たちのサッカーをする」という言い回しは、We will play our own brand of football.の日本語訳であって、この言い回しは外国人選手・監督等が試合前のインタビュー等に答えるときの常套句の一つにすぎない。この言い方に深い意味はない。日本人選手の間では「がんばります」が意味をもたない常套句の一つとして定着していたし、「最善を尽くします」と言うのもあった。だが近年、これらの常套句が陳腐化してきたので、気の利いた言い方の一つとして、「自分たちのサッカーをするだけ」が流行りだした。

しかし、いかにもばかげているのは、この空疎な常套句が、日本のサッカーの方向性を決定してしまったことだ。日本は攻撃的サッカーで勝たなければいけないと。このカラクリについては、すでに拙コラムで繰り返し書いてきた。

本大会を見ると、強豪国は相手次第で多様な戦略・戦術・選手起用を試行してきたことがわかる。そして、最後には、もっとも攻守のバランスのとれたチーム(ドイツ)が勝ち残った。勝負事というのは、そういうものだ。サッカーに「勝利の方程式」があるわけではない。いまの日本人のサッカーの実力で「自分たちのサッカー」で相手に勝ち切れるほど、世界は甘くない。相手によって、やり方はいろいろある。W杯においてなによりも大切なのは、監督・選手が、勝ち抜くために必要な選択を重ね、それを実行することにある。

守りを蔑ろにしたチームは上には行けない。筆者が今大会もっとも印象に残ったチームは、日本と同じC組で退場者を出しながら日本と引分け、最終戦、コートジボワールを追加時間のPKで退けGLを勝ち抜けたギリシャである。