2014年8月22日金曜日

「STAP細胞」問題は終わったのか

あれほど人々の注目を集めた「STAP細胞」騒動も、マスメディアの世界では終息した感が強い。いまではこの問題を取り上げるメディアは皆無に近い。もちろん終息の主因は、キーパーソンだった笹井芳樹の自殺にある。笹井の死後、メディアは、笹井はもちろん、小保方晴子に対する追及を封印した。笹井の自殺は世界的頭脳の損失として惜しまれ、あたかも聖人のごとく崇められ、この問題に対し自死をもって終息を宣言した。

笹井の自殺後、不自然な遺書の公開があり、また、笹井の家族が家族宛の遺書の一部を公開した。どちらの内容も、問題発生の根源に触れるものでない。むしろ、笹井の死があたかもそれを追求したメディアが原因であるかのようなニュアンスを伝えるものだった。乱暴に言えば、笹井はメディアが殺した――というニュアンスを伝えるかのような。

“死者を鞭打たない”というのは、奥ゆかしい規律かもしれない。ましてや、笹井は自らの命をもって償ったという解釈もできる。だから、「STAP細胞」問題は終わったと。

筆者を含めて人々がこの問題に対して急速に興味を失ったのは、人々がそう思うとおりのことがこの問題の真相であることを確信したからだろう。単刀直入に言えば、この問題の張本人は、小保方晴子と笹井芳樹であるということ。

二人は炎のごとく、「STAP細胞」という二人の共同の幻想に取りつかれ、破滅への道を走った。かつて小保方が「STAP細胞」の再現実験に復帰するとき、「自分の子供に会いに行く気分」という意味の発言をしたが、まさに彼女が言ったとおり、「STAP細胞」は笹井と小保方の愛の結晶だった。

笹井が共同の幻想から覚めた時、彼はどうしようもないジレンマに追い込まれていることを自覚した。あの割烹着イベントの発表が終わった後、ネットを中心に「STAP細胞」に関する疑惑が指摘され始め、ふと現実世界に戻ったとき、引き裂かれた自分の立ち位置に絶望した。

論文不正・研究不正の責任を小保方一人に負わせれば、彼女を裏切ることになる。彼は会見で、自分は実験には関与していない、と暗に小保方一人に不正の責任を取らせる立場を明言していた。

だがまてよ、小保方が笹井の無責任さに逆上し、笹井の不正への関与を世間にばらせば、笹井の立場は小保方以上に悪くなる。そればかりではない。小保方の愛を裏切ることになる。笹井は気丈に会見では「自分は関係ない」と主張してみたものの、内心はヒヤヒヤだったのかもしれない。

その一方、笹井が自ら不正への関与を認めれば、彼の研究者としての立場はゼロどころか、学界からの追放は免れない。ノーベル賞候補といわれるまで実績を積み重ねた笹井が、小保方の論文不正、実験不正に手を貸したとなれば、破滅である。

自殺は無念の死である。この問題を機に、研究者としてではなく、ほかの道で生きていこうと考えられるような者には、けして死の誘惑は訪れない。小保方との愛、研究者としての将来――そのどちらも得ていたいという傲慢な我執にとらわれたとき、そして、そのどちらの道も閉ざされたことを悟ったとき、死の誘惑に勝てなかった。

笹井の自殺の原因をなしたのが、『NHKスペシャル-STAP細胞 不正の深層』(以降「Nスぺ」と略記)だったという主張は間違っていない。笹井は、「Nスぺ」をみたとき、観念したのだと思う。つまり、「Nスぺ」が誹謗中傷ではなく、この問題の真相を突いていたから。「もはや言い逃れはできない」というのが笹井の心境だったと想像できる。

同番組の中で笹井と小保方のメール交換を男女の声優が代読したシーンがあった。あれはひどい、という意見もあったようだが、NHKは笹井と小保方の関係について、事実をつかんでいたからこそ、番組で再現できたのだろう。二人の関係を濃密に反映したメールのうち、二人の関係者に配慮して、もっともあたりさわりにないものを選んで。

メディアが不正を追及することは当然である。ただし、きちんとした取材、証拠という裏付けをとったうえでの話。NHKが推測や思い付きで、あれほどの内容を放映するはずがない。NHKは、訴訟に備えられるだけの裏付けをもっていたと考える方が自然である。小保方(弁護団)が放送後、NHKを訴えていないことがその根拠となる。さらに言えば、NHK以外のメディアは、それほどの取材も証拠集めもせず、ただ騒いでいたにすぎないということになる。NHK以外のメディアの追及には平然としていた笹井が、NHKには敏感に反応したのではないか。「Nスぺ」がこの問題の核心を突いたからこそ、当事者にショックを与えたのではないか。

不正を働いた者が、メディアによって真実を明らかにされ、逃げ場がなくなって自殺した――これは誠に残念な結果である。本来ならば、笹井と小保方を雇用していた理研が真相を明らかにし、迅速に二人を処分していたならば、少なくとも自殺者を出すことはなかった。少なくとも、NHKがこのような番組を制作する必要もなかった。

この問題を当事者の一人が自殺したことで終わらせてはいけない。「STAP細胞」に係る発想、実験、実験データ、論文執筆に至る全過程において、何があったのか、まさに不正の深層ならぬ真相を明らかにすることが理研に課せられた課題である。そしてなによりも、もう一人の当事者が、すべてを包み隠さず、その真実を語ることが期待される。