2015年2月22日日曜日

「STAP細胞」問題――最後の感想

既に誰も関心を払わなくなった「STAP細胞」問題。これまで数回にわたって拙Blogにて取り上げてきた問題だけに、事実上幕引きとなったところで、筆者の感想を書き残しておく。

理研は2月10日、関係者の処分を発表した。小保方晴子は、「懲戒解雇相当」とされたが、すでに退職しており、実質的な処分はない。規定に基づく懲戒処分は、理研元発生・再生科学総合研究センター(CDB)の竹市雅俊元センター長(現特別顧問)のみ。譴責(けんせき)で、自主的に給料10分の1を3カ月返納する。

野依良治理事長など経営陣の処分や責任については、経営責任は、給与の自主返納と改革への行動計画の遂行で果たしているとして、不問に付された。論文の共著者の若山照彦については出勤停止相当、丹羽仁史は厳重注意とした。故・笹井芳樹についてはなんの発表もない。

その一方、理研の元研究員、石川智久は1月26日、小保方晴子がES細胞を盗んだとして、窃盗容疑で兵庫県警に告発状を提出した。告発状によると、小保方が名声や安定した収入を得るため、STAP論文共著者の若山照彦の研究室からES細胞を無断で盗み出したなどとしている。石川智久は、「真面目にコツコツと研究をしている研究者の怒りを含めて、代表して刑事告発をするに至った」としている。警察が告発状を受理すれば一連の論文不正問題に捜査機関が介入することになるが、2月22日現在、受理したという報道はない。

2月22日現在、「STAP細胞」問題について、これ以上の進展の情報はない。この問題の真相解明を関係者がだれも望まないという状況が肯定されようとしている。世界を驚かせた論文・研究不正がフェイドアウトしてしまう。当事者の一人、小保方は真相を語らない、笹井は鬼籍に入った。不正の舞台となった理研は、小保方に対して研究費の刑事告訴や研究費返還請求を検討しているというが、「検討する」とは役所用語で「何もしない」を意味するのは常識。つまり、「STAP細胞」問題について理研は真相解明を放棄し、形式的で実効性のない「処分」でお茶を濁し、事実上の幕引きを図った。

メディアの責任――ノーベル賞の権威に屈するマスメディア

『ノーベル殺人事件』(原題:「Nobels testament」、製作:2012年、製作国:スウェーデン、監督:ペーテル・フリント、脚本:ペニッラ・オリェルンド)という映画がある。ストーリーは、ノーベル賞受賞パーティーで選考委員長と受賞者(医学生理学賞)の先端医療科学者がテロにあい殺傷される事件を偶然目撃した記者が、事件の真相に迫ろうと取材を進めるうち、ノーベル賞の裏に潜む巨大な闇の世界を知ることなり、命を狙われるというもの。

この映画にリアリティーを与えているのは登場人物の属性にある。テロの標的となったのはイスラエル人のES細胞研究者とノーベル賞選考を行うカロリンスカ研究所の選考委員長。選考委員長の座を狙うライバルが足の引っ張り合いを演じる場面もある。ノーベル賞受賞によって莫大な利益を目論む製薬会社の役員もいる。実験データの捏造もある。美貌で非情な女性CIAの殺し屋も出てくる。テロはイスラム過激派だという捜査当局の予断もあった。

もちろんこの映画はフィクションであり、実際のノーベル賞がこの映画のとおりだというわけではない。というよりも、むしろ映画というフィクションを媒介として、ノーベル賞を絶対的な権威的存在から解体し、相対化している。ノーベル賞にあっておかしくない資本との癒着(利権)をジャーナリストが追及する筋立てにして、ジャーナリズムはいかなる権威にも屈せず、権威の裏にある不正(実験データの捏造等)、利権追及、資本との癒着等を暴く使命を帯びていることを強調している。

ノーベル賞を主催するスウエーデンにおいて、ノーベル賞の闇を暴く筋立ての映画がつくられということは、この国の映画がきわめて健全なジャーナリズム精神をもっていることの証左にほかならない。

日本はどうだろうか。日本のマスメディアにあっては、ノーベル賞はまずもって絶対的権威であり、批判、疑義をはさむ余地がない。日本人が受賞しようものなら、メディアはお祭り騒ぎ。朝から晩まで「ノーベル賞狂想曲」を奏でまくる。受賞者は神のごとく崇められ、一挙手一投足が報道され、受賞者の家族では足りず、親族、担任の教師、友人等々がTVに引っ張り出される。

そういえば、「STAP細胞」問題の舞台となった理研理事長はノーベル賞受賞者だった。それゆえ、理研理事長の責任はメディアで追及されることがないのかもしれない。メディアの現場レベルでは理事長責任を追及する声が上がっても、幹部がその声を抹殺してしまえばそれまで。理研理事長の責任を追及する紙面、画面(映像)は世に出てこない。こうして、「STAP細胞」問題は小保方晴子「単独犯」で幕引きされてしまう可能性が高い。

小保方弁護団の責任――理研と示談か

犠牲者までを出した、日本の科学史上最悪の不正事件の混乱の主因は、不正を行った小保方晴子が弁護団を結成して法廷闘争をちらつかせて理研を恫喝した点に求められるような気がする。脛に傷持つ理研も法廷闘争だけは回避しようと、小保方弁護団とほぼ協調して、真相隠蔽に尽力したのではないか。

その結果が、今回の「処分」ではないのか。理研が小保方を退職させた後に、「処分」を発表する――という日程調整が両者の間にあり、そのとおりに進んだ――と疑っていい。両者は、「STAP細胞」があるかないか――という論点にマスメディアを誘導し(あるいはメディアに指令をだした者がいるかもしれない)、再現・検証実験という形で時間を稼ぎ、その間に物的証拠となる実験試料等を処分し隠蔽工作を終わらせ、処分を延期することで、小保方晴子の真相解明に基づく実質的処分を回避する。と同時に、理研理事長以下理研幹部に処分が及ぶことも回避する。

法廷に持ち込まれれば、小保方も理研も無傷ではおれない。法廷でこの事件の全容が明かされれば、共倒れなのだ。小保方弁護団は、真相解明を回避することで理研に示談を求め、理研はそれに応じたという筋書きもなくはない。

筆者は、「STAP細胞」問題には前出の映画『ノーベル殺人事件』と似たような、科学界と資本及び国家権力との癒着が隠されていると思っている。理研幹部と小保方は途中まで同じ船に乗っていた、ところが予期せぬ不正発覚により、理研幹部は小保方一人を残して船を降り、それに同情した笹井芳樹は自裁し、小保方一人が漂流した可能性を否定できない、が、残念ながらそれを証明するものがない。

2015年2月15日日曜日

『沈みゆく大国アメリカ』

●堤 未果[著]   ●集英社新書    ●720円(+税)

映画『ジャッキー・コーガン』(原題: Killing Them Softly/2012年公開/アンドリュー・ドミニク監督・脚本)の終わり近くにこんなシーンがあった。ブラッド・ピット演ずるクールな殺し屋コーガンは、大統領選の演説がテレビで流される中、アメリカ独立の父といわれるトマス・ジェファーソンを散々罵倒した挙句、「アメリカは国家じゃない。ビジネスだ」と吐き捨てた。

まさにそのとおり。著者(堤未果)はそのことを伝えるべく、『ルポ貧困大国アメリカ』『ルポ貧困大陸アメリカⅡ』『(株)貧困大国アメリカ』を世に送り本書に至る。今回はオバマケアにまつわるアメリカの医療崩壊を特集した内容になっている。

オバマケアとはなにか

富める者も貧しき者もすべて健康保険に入れる(国民皆保険制度)とうたわれるオバマケアにどんな問題があるのか、そもそもオバマケアとは、いかなる制度なのだろうか。

そのことに触れる前に、アメリカの健康保険制度について概観しておこう。アメリカの公的保険制度には、65歳以上の高齢者と障害者・末期腎疾患者のための「メディケア」、最低所得者のための「メディケイド」がある。このうち州と国が費用を折半する「メディケイド」の受給条件は、国の決めた貧困ライン以下の住民が対象だ。それ以外のいわゆる中流以上の国民は民間保険会社が売り出している保険商品に加入するか、産別組合が運営する健康保険や雇用主を通じた民間保険に加入していた。

ところが、リーマンショック以降、1930年代大恐慌以来の不況を迎えたアメリカは、想像を絶する貧困大国と化した。エマニュエル・サイズ教授(カリフォルニア大学)とガブリエル・ザックマン教授(ロンドン大学)の調査によると、アメリカでは資産2000万ドル(約20億円)以上の上位0.1%が、国全体の富の20%を所有するに至った。全体の富の8割を占める中流以下の国民の富はわずか17%。労働人口の3人に1人が職に就けず、6人に1人が貧困ライン以下の生活をするなか、年間150万人の国民が自己破産者となっていく。日本のような国民皆保険制度がないアメリカでは、医療分野にも市場原理が支配するため、一度の病気で多額の借金を抱えるか破産するケースが多く、国民の3人に1人は医療費請求が支払えないでいるという。保険に加入していても保険会社が保険金給付をしぶったり、必要な治療を拒否するケースが多い。驚くべきことに医療破産者の8割を保険加入者が占めている。そこで医療保険改革法(通称「オバマケア」)がオバマ大統領の肝いりで法制化された。

オバマケアの要点は以下のとおり。

・国民全員加入義務(無保険者は罰金)
・フルタイム従業員50人以上の企業はオバマケア条件を満たす保険提供義務
・企業が保険を提供しない場合は従業員1人につき罰金
・企業保険がない人は政府が設立した保険販売所で保険を買う。
・収入が貧困レベルの4倍までなら保険購入補助金が出る。
・低所得者層はメディケイドに加入(自己負担ゼロの公的医療)。メディケイドの条件を大枠に緩和
・全米の州はメディケイド枠を拡大
・個人の非課税医療費口座に2500ドルの上限をつける(前には上限なし)
・保険は予防医療、妊婦医療、小児医療、薬物中毒カウンセリングなど政府が義務化した10項目が入っていないと違法
・26歳以下の子供は親の保険に入れる
・保険会社が既往症での加入拒否や、病気になってからの途中解約は違法
・保険会社の保険金支払上限は廃止
・保険加入者の最大自己負担の上限は6350ドル(個人)、12700ドル(4人家族)とする。
・2018年から10200ドル(個人)、27500ドル(4人家族)の保険は40%課税
・財源は高齢者医療保険削減と増税21項目、製薬、保険会社及び医療機器メーカーへの増税
・高齢者の保険料は若者の3倍までとする(裏→つまり若者の保険料が高くなる)。
・性別で保険料を変えてはいけない。(P21)

要点を一読する限り、大変素晴らしい法制度のようにみえるのだが・・・

オバマケアの落とし穴

本書から、オバマケアの欠陥を示す事例をいくつか紹介しよう。

・従来加入していた保険がオバマケアの条件を満たしていない場合、従来保険は廃止され、強制的にオバマケアの条件を満たした保険を買換えなければならなくなる。その際、同様の内容を満たす保険は従来のものより保険会社により高額に設定されている。本書の事例だと、ほぼ2倍だという。オバマケアには政府補助金支給が盛り込まれているが、年間所得が受給条件を上回っている家族が多いため、補助金をもらえない。さらに無保険となれば、罰金が課される。

・オバマケアは既往症や病気を理由にした加入拒否を違法にしたが、多くの保険会社は代わりに、薬を値段ごとに7つのグループに分け、患者の自己負担率を定額制から一定率負担制に切りかえていた。このやり方だと、HIVやがんのような高額な薬ほど患者の自己負担率は重くなる。政府が薬価交渉権を持たないアメリカでは、薬は製薬会社の言い値で売られ、おそろしく値段が高い。

・オバマケアが、フルタイム従業員50人以上の企業に対し、オバマケア条件を満たす保険提供義務を課したため、企業側は従業員に対してフルタイムからパートタイムへと雇用条件を切り替えた。それだけではない。企業が従業員のためのオバマケア保険に入らず罰金の納入を選んだほうが人件費を削減できることが試算されたため、企業は従業員の保険加入を拒否しだした。その結果、企業保険もなくオバマケア保険の自己負担も払えない無保険者を生み出すことになった。

・しかも、オバマケアの実施により企業側が労働コストの上昇を恐れ、正規労働者を排してパートタイマー化やリストラを強めた結果、これまで加入者数を切り札にして条件のいい共同保険(組合保険)に加入できた正規労働者(=組合員)が、これまでより高い保険を買わされる方向に追い込まれた。組合保険は政府からの補助金が出ないのだ。組合が共同で買う医療保険から、加入者がオバマケア保険に取られてしまえば組合の存在意義は消滅してしまう。アメリカの労働組合組織率は著しく低下している。

・オバマケアによると、低所得者層は従来通りメディケイドに加入(自己負担ゼロの公的医療)し、メディケイドの条件を大枠に緩和するとした。ところが、実際にはメディケイド患者を診る病院がない。米国内科学会のデータによると、メディケイド患者は民間保険の加入者より13%死亡率が高いという。最大の理由は、国からの治療費支払い率がメディケイドは民間保険の6割と低く、メディケイド患者を診れば診るほど、医師や病院は赤字になってしまうからだ。

オバマケアの制度上の欠陥についてはこれくらいにしよう。詳しくは本書を読んでほしい。

アメリカという国家崩壊の構造――見えない「回転ドア」

ではなぜ、このような欠陥をもつ制度が法制化されてしまったのだろうか。それこそが前出の“アメリカとは国家ではなくビジネス”と言われる土壌であり、著者(堤未果)が多用する「(目に見えない)回転ドア」と言われるシステムにほかならない。

日本の場合、その権力の源泉は“財政官の鉄の三角形”と称される。言うまでもなく、財とは資本=産業界、政は政治家、官は行政(官僚組織)を指す。アメリカの場合は、日本のような役割分担がなく、財(=資本=大企業)の一元的支配が特徴的だ。ウォール街(金融業者)やグローバル企業の切れ者たち――その多くは弁護士なのだが――が、政府内に入り込み、所属する産業に有利な法案を作成する。そして、無事法律ができた暁には政府から退出し、業界に戻る。もちろん戻った後の報酬は数倍、数十倍に跳ね上がる。政治家の役割とは、業界が仕掛けるロビイ活動を受けて議会で法案に賛成する役割を「演じる」にすぎない。ロビイ活動を受けるとは、すなわち政治献金等を受け取ることを意味する。

アメリカの「民主主義」の真髄は「二大政党制」にあると信じる日本人は少なくないが、もちろん幻想だ。本書が取り上げるアメリカの国民皆医療保険制度=オバマケアについては、日本では自己責任を重んずる共和党が反対し、セーフティネットを重視する民主党が推進していると報じられることが一般的だ。ところが、本書を読めば、そのことの虚構がはっきりとわかる。本書の結論にもなるが、オバマケアは国民のためではなく、保険会社、製薬会社等の営利を追求した制度なのだ。

彼ら(グローバル企業)がリスクマネジメントとして、大統領選という投資の場では、常にルーレットの赤と黒の両方に、巨額のチップをおく・・・(P83)

オバマケアにおいて「回転ドア」を潜り抜けたのは全米最大の保険会社ウェルポイント社の社員だったリズ・フォウラーという人物だ。

2001年。・・・リズ・フォウラーの最初の任務は、ドアをくぐって医療関係法管轄の上院金融委員会にもぐりこみ、メディケア処方薬法改正の設計に関わることだった。同法は2年後に成立し、政府からメディケアの薬価交渉権を奪い、処方薬部分に民間保険会社が入り込む隙間を作ることに成功する。仕事を終えて政府を去ったフォウラーには、ウェルポイント社のロビイング部門副社長の席が与えられた。数年後、前回よりはるかに規模が大きい任務を果たすため、フォウラーは再び回転ドアをくぐると、今度は上院金融委員会の、マックス・ボーカー委員長直属の部下となる。
(オバマケア)法案の骨子を設計するために。
彼女は手始めに医療・保険会社にとって最大の障害である〈単一支払い医療制度(シングルペイヤー)〉案を、法案から丁重に取り除いた。日本やカナダのようなこの方式を入れられたら最後、医療・製薬業界が巨大利益を得られるビジネスモデルが一気に崩れてしまう。法案骨子が完成すると、フォウラーを次に保健福祉省副長官に栄転し、オバマケアにおける保険会社と加入者側それぞれの利益調整業務を任される。・・・(P150-152)
フォウラーが元の業界へと続く回転ドアを再びくぐった後、彼女は最大手製薬会社の一つであるジョンソン&ジョンソン社の政府・政策担当重役の椅子に就いたという。もちろん、こうしたケースはフォウラーに限られたものではない。「現在ワシントンに1万7,800人いるロビイストの4割が医療・製薬業界を担当しているという。国会議員535人につき、13人のロビイストが、常時貼りついて圧力をかけるのだ。」(P154)

オバマケアという欠陥商品を国民に強制的に売りつけて利益を得るのは、保険会社、製薬会社、ウォール街(投資銀行)だ。オバマケアにおいてオバマ大統領が用いた手法は、フードスタンプを大量発行してウオールマート、ファストフード業界、加工食品企業とカード手数料が入るウォール街の投資銀行を太らせたものと同一だ。貧者を救うという美名の下につくられた法制度が、実は国民の税金を一部業界に自動的に還流するシステムになっている。

アメリカ国家崩壊の歴史

アメリカが国家ではなくビジネスに変容した転換点は、規制緩和大統領、レーガン政権下から始まったことはよく知られている。アメリカでは1933年、大恐慌の反省を込めて、銀行と投資・保険を分離する〈グラス・スティーガル法〉が成立した。ところが半世紀後、レーガンは銀行法をゆるめ、〈独占禁止法〉を骨抜きにした。もはや中小企業は必要ない、業界は数社で独占したほうが無駄なコストも競争もない状態でもっとも効率よく利益をあげられる。各業界の寡占化が加速しだした。そして1999年、世界最大の投資銀行ゴールドマン・サックスからホワイトハウス入りしたルービン財務長官と後任のサマーズ財務長官によって後押しされたクリントン大統領は、ついに〈グラス・スティーガル法〉の廃止を意味する〈金融近代化法〉に署名した。そして、リーマンショックへの破滅へと向かう。

クリントン後に大統領に就任したブッシュJrは言論統制、公教育、自治体、労働組合の解体に邁進した。そして9.11を追い風として、ブッシュJrは〈愛国者法〉〈国防受給法〉などの言論統制を可能にする法律を成立させる。

規制緩和、コストカット、競争強化、民営化、構造改革といったかけ声により、軍事・教育・農業・金融・食品等の公共性の強い分野がグローバル企業の手に落ちていく。そして、ついに本書のとおり国民の命に係わる健康保険、医療、製薬等が企業の手に落ちた。こうした動きと並行して、前出のとおり言論統制が強化され、組合がつぶされ、正規労働者が減らされ、非正規労働者(派遣労働者)の増加を経て、とうとうパートタイム国家になりつつある。

最後に筆者(堤未果)は「次なるゲームのステージは日本」と警鐘を鳴らす。

2015年2月7日土曜日

メディアは日本人人質事件について詳細な検証を行う義務がある

ISISによる日本人人質事件に関する報道が一段落し、潮目が引いたように忘却されようとしている。おそらくこの事件はメディアにおいて検証されることはない。もちろん政府は情報開示しないだろうから、時の流れとともにことの真相は闇に葬られる。

日本国民がこの件について検証すべき項目は以下のとおり。

(1)ISISによって人質にとられ殺害されたYとGのシリア入国の目的
(2)ISISがYとGを人質にとり、二人の身代金をGの家族(=日本政府)に要求してきているさなか、日本の首相ABは中東を訪問し、ヨルダン、エジプトに2億ドルの支援を約束し、イスラエルとの友好を強調した。なぜ人質に配慮しなかったのか。
(3)日本政府は事件の対策本部をトルコにではなく、なぜヨルダンに置いたのか。
(4)ISISと日本政府は、YとGがネット上に動画投稿される前に、どのような交渉を行ったのか(交渉内容)

なぞに満ちた二人の渡航目的

(1)については拙Blogで何度も書いていること。Yはシリア渡航前、民間軍事会社を設立し、いくつかの国を旅行している。スポンサーがいなければ、できないことだ。日本国内に出資者が必ずいるはずだ。マスメディアがYについて報道しないのは極めて不自然ではないか。Yについては報道規制が引かれていると考えた方が自然だ。

Gについては、内乱状態にある国の子供や女性を撮影する人道主義的フリーカメラマン(ジャーナリスト)だという。そのGが内戦下のシリアに入国した目的がYの救出だという。このこともよくわからない。二人は人質に取られる前から関係があったというが、友情から救出という筋立ては「ハリウッド映画」でもやらない。リアリティーがなさすぎる。G一人でYをISISから救出できる可能性はゼロに等しい。もしもGがYを救出できることを確信していたとしたら、GとISISのあいだに事前に合意が形成されていたはずだ。GはISISと接触したのち、何かの理由によりその合意が崩れ、GはISIS側の怒りを買った可能性も否定できない。Gのシリア入国は、Yよりも謎に満ちている。

ヨルダンとISISは因縁の関係

(2)(3)(4)は関連している。日本の首相ABは日本人二人がISISに人質に取られていることを知りながら、ISISと厳しく対立するヨルダン支援を約束した。ISISとヨルダンの因縁について、東京新聞(1月30日朝刊)の記事を要約して紹介しておく。

ヨルダンの国王(ハシム家)はイスラム教の聖地メッカの太守(シャリーフ)を務め、預言者ムハンマドの血統を引く。一方のISISの指導者アブバクル・バグダディは自らカリフを名乗った。つまり、ヨルダンとISISはカリフ継承をめぐって対立する関係にある。
それだけではない。
ISISの源流「タウヒードとジハード集団」の創設者アブムサブ・ザルカウイはヨルダン人だった。ザルカウイは2006年にイラクで米国の空爆によって死亡している。ISISが日本人Yを殺害した後、身代金2億ドル要求から、ヨルダンに拘束されているリシャウィ死刑囚との交換を要求したのも、ISISがヨルダン国内で「ヨルダン王政打倒」「カリフ制樹立」を掲げ武装闘争を企図している背景がある。2005年にリシャウエイ死刑囚らがアンマン(ヨルダンの首都)で行ったホテル爆破はその一環であった。
ヨルダンはアラブの中で最も親英米の国家の一つ。イスラエルとはエジプトに次いで平和条約を結んでいる。有志連合に参加しテロ対策にも熱心だ。ヨルダン国王のアブドラは英陸軍士官学校を卒業している。
ISISがヨルダン政府に対して日本人Gとリシャウエイ死刑囚の交換を要求したのは、ヨルダン国民を多数殺傷した自爆犯と非イスラム教徒との交換という、ヨルダン政府にとって屈辱的な難問をつきつけ、ヨルダン国王の権威失墜を狙ったもの。

日本の首相ABがヨルダン、エジプト、イスラエルを訪問したこと、そして2億ドルの支援を約束したことは、ISISを刺激するに十分すぎる。日本人二人が人質にとられている状況で、相手を刺激する必要があったのだろうか。ヨルダンがISISと妥協する条件は皆無である。日本政府が本気で日本人二人を救出する可能性を探るのならば、本部をヨルダンではなく、ISISと地勢的に近く、ISISと「クルド人対策」で親和性の高いトルコに置くという選択はあった。

「戦い」には冷静な守りが必要な時もある

日本の首相ABは、これらの疑問に対して、「テロリストと妥協はしない」「テロと戦う」を勇ましく強調するばかり。戦争や暴力を観念としてとらえる「武闘派」にありがちな傾向だ。このようなABの観念的非妥協主義に対し、TVに出ていたイスラム研究者が秀逸な論評を加えていたので紹介しておく。そのコメントの要旨は以下のとおり

――テロは悪である、テロリストと戦う、テロリストに妥協しない、は一般論として正しい。しかし、戦う場合、相手にアドバンテージがあるときは冷静な態度が必要だ。いたずらに刺激することは被害を大きくする場合もある――

筆者もこの見解に全面的に同意する。つまりサッカーにたとえれば、相手がボールをもっているときは守備をする必要があるということ。先のサッカーアジア杯で日本代表(FIFAランキング54位)がUAE代表(同80位)に準々決勝で負けた(PK戦)ように、戦力差があっても相手ボールのときに守備をしなければ失点する。日本の首相ABの中東外交と「テロとの戦い」は、人質を取られている状況を考慮しない「非妥協的なもの」だった。つまり日本人を結果的に死に至らしめた。失政であり、同朋の見殺しである。YとGという海外にいる日本人を守るべき役割を担う日本政府が、敢えて、民間人である日本人二人を死に至らしめた。そのことを野党は国会で追及すべきなのだ。

日本人惨殺は日本政府にとって既定路線か

さて、二人の死はABのエラーの結果なのか――は疑問だ。ABは日本人人質を救うことよりも、惨殺されることをむしろ望んでいた節がある。今回のAB中東訪問において、日本は有志連合の戦闘(空爆等)に参加せず、カネで済ました。この措置は、第一次イラク戦争と同様であった。「武闘派」ABは「カネで済ます日本」というイメージを打破するため、ISISに日本人も惨殺されたのだという事実を示そうとした。つまり、ISISとの人質変換交渉をすべて打ち切り、ISIS側の選択を人質惨殺に狭めたのではないか。YとGは日本の首相ABの観念的暴力主義の犠牲となったと考えられる。

YとGの人質事件は、日本が交渉を打ち切った結果、ISISの本来のターゲット(ISISにとっての宿敵)ヨルダンに向けられる展開となった。このことは、米国・英国らの有志連合にとっても都合がよい。ヨルダンがアラブ(の民心)から離反すればするほど、イスラエルの安全が一層確保されるからだ。かくして、日本(AB首相)、英国・米国・イスラエル・ヨルダン・エジプトは、ISISの日本人人質惨殺事件を契機として、結束を強めたことになる。

ABは日本国内において、この事件を有効に活用することができた。ABの手法を「ショック・ドクトリン」になぞらえる識者もいるくらいだが、そのとおりだ。ABは自衛隊海外派兵の法制化、憲法改正を具体化し、国内を臨戦・総力戦体制に再構築し、左派、親アラブ派等の弾圧を図るだろう。辺野古移転(沖縄基地問題)についても強制執行をする。秘密保護法に反対するメディアの一部を黙らせ、いま以上の統制を行い、ほぼメディアの抵抗勢力を一掃しつつある。日米軍事同盟を強化し、米軍とともに「紛争地域」に自衛隊が軍事行動を展開する日も近くなる。

そういう観点に立つならば、YとGの死は“むだ”ではなかったのかもしれないが、この事件を契機として、近い将来、日本人の無数の死体が世界各地に転がることになりそうだ。

2015年2月5日木曜日

神ぐう(焼き鳥)~Hidamari(根津)

地下鉄「湯島駅」から数分、黒門小学校の裏にある「神ぐう」という焼き鳥屋に行ってきた。

なかなか美味い。


湯島から根津で飲み直し(Nacasa-Hidamari)

24時間女装のGeorgeさん(Hidamari)


2015年2月3日火曜日

「死」を政治利用する政権

 ISIS(イスラム国)による日本人人質事件は、拘束されていたGがYに続き惨殺されるという最悪の結果に終わった。この結末を受けて日本の首相ABは、ISISへの復讐を宣言するという異例の対応をみせた。日本はISISに対し、事実上、宣戦布告をした。と同時に戦闘を目的とした自衛隊海外派兵の法制化も時間の問題である。ABは人質事件を契機として、臨戦態勢・戦時体制への整備を目論んでいる。いずれ日本の政治・経済・文化は総力戦体制へと再構築される可能性が高まった。

人質事件の謎

この事件には不可解な部分があまりにも多く残されている。直近の拙blogにて書いたことを繰り返すが、▽そもそも先に殺害されたYのシリアへの渡航の目的は何だったのか、▽彼の活動の資金を支えた日本の勢力はどんな組織なのか。そして、▽GのISIS支配地域への渡航の目的がYを救出するということだったというのは何を意味するのか、▽YとGがISISに拘束されていることは、ISISが二人を拘束している動画をネットに投稿する前(12月3日)に日本政府は知っていた、▽しかし、日本政府はISISの身代金要求をつっぱねた、▽交渉どころか、AB首相は、逆にヨルダン、エジプト、イスラエルを訪問し、有志連合のISIS壊滅作戦に支援を約束した。

日本政府は人質の惨殺を予期できた

日本政府は、人質事件が一般に公開される前にISISと交渉を行っていたが、AB中東訪問を前にしてISISとの交渉を打ち切り、YとGがISIS側に殺害されることを予知しながら、有志連合支援の演説を行ったことになる。それを受けて、ISISは人質殺害予告の動画を公開したことになる。このような経緯は、TV番組に出演したアラブ研究者が、次のような意味の発言をしていることからうかがい知れる――ISISが動画をネットに投稿した人質はすべて殺害されている――換言すれば、“ISISが人質の動画等をネットに投稿した段階で、その人質の命は救えない”ということだ。そして今回もそのとおりの結果となってしまった。

日本政府がこんな単純な「法則」を知らないわけがない。にもかかわらず、政府関係者は深刻な顔をして人質救済に全力を上げているかのようなふりをしていた。YとGの命は我々日本人が知らない時点ですでに日本政府によって見捨てられていたのにもかかわらず・・・

今後、すべての日本人は、ISIS等にとらえられた時点で死を覚悟しなければならなくなった。「テロに屈しない」「テロとの戦いを継続する」というABのために、日本国民は命を削らなければならなくなったのだ。

人命を政治利用する日本政府

ISISの手口は残酷なものだ。人質をとったあと、身代金交渉が不調に終われば、人質の命は次のステージに利用される。今回の場合は、日本政府、ヨルダン政府への揺さぶりであり、併せて、彼らの存在を世界にPRするということだった。そしてISISは、日本政府の救済の演技及び御用メディアの電波・活字の垂れ流しのおかげで、じゅうぶんな宣伝効果を上げることができた。

ABも二人の命を利用するという意味において、ISISと選ぶところがない。ABはみずからを「テロと勇ましく戦う英雄」に高めようと図った。正義のためには死をも乗り越えるというわけだ。こうしてABは有志連合(=米国、英国、フランス、イスラエル)から、優等生のレッテルを貼られることに成功した。

犠牲者を有志連合に差し出した日本政府

ABの政治センスはイラク戦争で自衛隊を派遣したK元首相にそっくりだ。大量破壊兵器があるというイラク戦争の大義は虚構だったことが戦争終結後に明らかになった。にもかかわらず、K元首相及び日本政府は、米国のイラク進攻及びイラク自衛隊派兵についてきちんとした検証をしていない。今回も有志連合の意向にそって資金援助をし、日本人人質の命を差し出して、有志連合に迎合してみせた。人質二人の命は、軍事行動に参加しない日本のせめてものエクスキューズというわけか。

「ブーツオンザグラウンド」「ショーザフラッグ」そして「ゲットザガン」へ

米国の日本に対する要求は、「ブーツオンザグラウンド」から「ショーザフラッグ」へ、そしていよいよ、「ゲットザガン」(自衛隊の戦闘参加)へとエスカレートする。今回の人質事件は残念ながらその露払いのようなものとなった。日本人が「敵国」に殺害されることについて、日本国民はどのような反応を見せるのか。前出のとおり、ABは「罪を償わせる」と復讐戦を宣言した。メディアはGを人道主義者、有能なジャーナリストだと喧伝し、「復讐」に正当性を与える。こうして、日本は開戦に向かってひた走ることになる。いや、すでに宣戦布告はなされたのだ。

アラブ世界の不安定化は米国(イスラエル)がつくりだしたもの

今回の事件をどう受け止めるかについては、現在のアラブ情勢をどう考えるかという根本の認識に係る。ABを筆頭に日本政府は米国(イスラエル)にならって、現在のアラブ情勢を「好ましい状態」だと考えている。ブッシュ父の第一次イラク戦争以前、アラブ世界は、イラクはフセイン政権、シリアはアサド政権の下、安定状態にあった。このことはイスラエル(米国)にとって、脅威であった。イスラエルを取り囲むシリア、イラクが安定して軍事力を増強すれば、親米のヨルダン、エジプトにも影響を与える。近い将来イスラム教を基本とする反米意識がアラブ世界に興隆し、イスラエルは完全に包囲される。

アラブのイスラム原理化の潮流に抗するため、米国はイスラエルの脅威であったイラクに侵攻し、フセイン政権を打倒した。そしてイラクは混乱状態に陥り、国力を弱体化させた。その副産物として、米国傀儡の新イラク政権に抗するグループがシリアに逃れ、シリアのアサド政権を打倒しようとする過激派に変質していった。それがISISの源流である。こうした流動化の結果、シリア、イラクは混乱状態に陥り、かつての国力を喪失していく。

一方、北アフリカでは、イラク戦争後、「アラブの春」とともにイスラム同胞団を与党とするモルシ政権がエジプトに誕生した。イラク戦争、シリア内戦で不安定化に成功した米国(イスラエル)だが、イスラエルと国境を接するエジプトにおいて、イスラム原理が支配するエジプトが出現する気配に恐怖した米国(イスラエル)は、すぐさま、軍事クーデターによってモルシ政権を倒した。マグリブ(北アフリカ)においては、リビアが戦乱状態に陥り、カダフィ政権時の国力を失っている。

アラブの不安定化維持が米国(イスラエル)の狙い

米国の「テロとの戦い」つまりISIS対策は、ISISの壊滅を目的としているようにみえて、ISISのような不安定要因を完全排除する戦略はとらない。米国(イスラエル)にとって忌避すべき状態は、アラブ・マグリブがイスラム原理において安定することだからだ。

こうしたアラブの現状について、日本国民はどのように考えればいいのか。有志連合に積極的に与し、前出のように「ブーツオンザグラウンド」から「ショーザフラッグ」を経て、いよいよ「アベゴッツヒズガン」(自衛隊の戦闘参加)を受け入れるのか。

日本はアラブ民族主義に同調すべき

筆者は、日本はアラブにおいて中立を維持すべきだと考える。そうすれば、ISIS等の脅威は地勢上、日本に及ばない。そもそもアラブ世界の不安定化は米国(イスラエル)の目論見であって、アラブ民族がすすんで招いたものではない。なによりもアラブの民族自決が優先されるべきなのだ。さらに言えば、イスラエル建国を日本は認めるべきではない。反米、反イスラエルの立場は、ISISの蛮行を容認することになるのか。それも違う。米国(イスラエル)のアラブ不安定化が排除されれば、ISIS等の過激集団はアラブ人の手によって排除されるだろう。

そうした日本の立場が反米を意味するのか――という問いには、日本は戦後70年のいま、GHQ支配を終わらせるべきだと返答したい。第二次世界大戦後、日本と同じ敗戦国のドイツはかつての敵国フランスと和解してECをつくりあげ、米国に抗する勢力を築き上げた。ECは米国、ロシアと並ぶ第三極の政治勢力として世界に君臨している。日本が戦後進むべき道はアジア地域との連帯であったはずだ。当然、アジアとは中東を含む。

2月の猫

2月に入った。いつもどおり、猫たちの体重測定を記しておく。

Zazieが4.5kg(前月比200g増)、Nicoが6.6kg(同500g増)となった。