日本国民がこの件について検証すべき項目は以下のとおり。
(1)ISISによって人質にとられ殺害されたYとGのシリア入国の目的
(2)ISISがYとGを人質にとり、二人の身代金をGの家族(=日本政府)に要求してきているさなか、日本の首相ABは中東を訪問し、ヨルダン、エジプトに2億ドルの支援を約束し、イスラエルとの友好を強調した。なぜ人質に配慮しなかったのか。
(3)日本政府は事件の対策本部をトルコにではなく、なぜヨルダンに置いたのか。
(4)ISISと日本政府は、YとGがネット上に動画投稿される前に、どのような交渉を行ったのか(交渉内容)
なぞに満ちた二人の渡航目的
(1)については拙Blogで何度も書いていること。Yはシリア渡航前、民間軍事会社を設立し、いくつかの国を旅行している。スポンサーがいなければ、できないことだ。日本国内に出資者が必ずいるはずだ。マスメディアがYについて報道しないのは極めて不自然ではないか。Yについては報道規制が引かれていると考えた方が自然だ。
Gについては、内乱状態にある国の子供や女性を撮影する人道主義的フリーカメラマン(ジャーナリスト)だという。そのGが内戦下のシリアに入国した目的がYの救出だという。このこともよくわからない。二人は人質に取られる前から関係があったというが、友情から救出という筋立ては「ハリウッド映画」でもやらない。リアリティーがなさすぎる。G一人でYをISISから救出できる可能性はゼロに等しい。もしもGがYを救出できることを確信していたとしたら、GとISISのあいだに事前に合意が形成されていたはずだ。GはISISと接触したのち、何かの理由によりその合意が崩れ、GはISIS側の怒りを買った可能性も否定できない。Gのシリア入国は、Yよりも謎に満ちている。
ヨルダンとISISは因縁の関係
(2)(3)(4)は関連している。日本の首相ABは日本人二人がISISに人質に取られていることを知りながら、ISISと厳しく対立するヨルダン支援を約束した。ISISとヨルダンの因縁について、東京新聞(1月30日朝刊)の記事を要約して紹介しておく。
ヨルダンの国王(ハシム家)はイスラム教の聖地メッカの太守(シャリーフ)を務め、預言者ムハンマドの血統を引く。一方のISISの指導者アブバクル・バグダディは自らカリフを名乗った。つまり、ヨルダンとISISはカリフ継承をめぐって対立する関係にある。
それだけではない。
ISISの源流「タウヒードとジハード集団」の創設者アブムサブ・ザルカウイはヨルダン人だった。ザルカウイは2006年にイラクで米国の空爆によって死亡している。ISISが日本人Yを殺害した後、身代金2億ドル要求から、ヨルダンに拘束されているリシャウィ死刑囚との交換を要求したのも、ISISがヨルダン国内で「ヨルダン王政打倒」「カリフ制樹立」を掲げ武装闘争を企図している背景がある。2005年にリシャウエイ死刑囚らがアンマン(ヨルダンの首都)で行ったホテル爆破はその一環であった。
ヨルダンはアラブの中で最も親英米の国家の一つ。イスラエルとはエジプトに次いで平和条約を結んでいる。有志連合に参加しテロ対策にも熱心だ。ヨルダン国王のアブドラは英陸軍士官学校を卒業している。
ISISがヨルダン政府に対して日本人Gとリシャウエイ死刑囚の交換を要求したのは、ヨルダン国民を多数殺傷した自爆犯と非イスラム教徒との交換という、ヨルダン政府にとって屈辱的な難問をつきつけ、ヨルダン国王の権威失墜を狙ったもの。
日本の首相ABがヨルダン、エジプト、イスラエルを訪問したこと、そして2億ドルの支援を約束したことは、ISISを刺激するに十分すぎる。日本人二人が人質にとられている状況で、相手を刺激する必要があったのだろうか。ヨルダンがISISと妥協する条件は皆無である。日本政府が本気で日本人二人を救出する可能性を探るのならば、本部をヨルダンではなく、ISISと地勢的に近く、ISISと「クルド人対策」で親和性の高いトルコに置くという選択はあった。
「戦い」には冷静な守りが必要な時もある
日本の首相ABは、これらの疑問に対して、「テロリストと妥協はしない」「テロと戦う」を勇ましく強調するばかり。戦争や暴力を観念としてとらえる「武闘派」にありがちな傾向だ。このようなABの観念的非妥協主義に対し、TVに出ていたイスラム研究者が秀逸な論評を加えていたので紹介しておく。そのコメントの要旨は以下のとおり
――テロは悪である、テロリストと戦う、テロリストに妥協しない、は一般論として正しい。しかし、戦う場合、相手にアドバンテージがあるときは冷静な態度が必要だ。いたずらに刺激することは被害を大きくする場合もある――
筆者もこの見解に全面的に同意する。つまりサッカーにたとえれば、相手がボールをもっているときは守備をする必要があるということ。先のサッカーアジア杯で日本代表(FIFAランキング54位)がUAE代表(同80位)に準々決勝で負けた(PK戦)ように、戦力差があっても相手ボールのときに守備をしなければ失点する。日本の首相ABの中東外交と「テロとの戦い」は、人質を取られている状況を考慮しない「非妥協的なもの」だった。つまり日本人を結果的に死に至らしめた。失政であり、同朋の見殺しである。YとGという海外にいる日本人を守るべき役割を担う日本政府が、敢えて、民間人である日本人二人を死に至らしめた。そのことを野党は国会で追及すべきなのだ。
日本人惨殺は日本政府にとって既定路線か
さて、二人の死はABのエラーの結果なのか――は疑問だ。ABは日本人人質を救うことよりも、惨殺されることをむしろ望んでいた節がある。今回のAB中東訪問において、日本は有志連合の戦闘(空爆等)に参加せず、カネで済ました。この措置は、第一次イラク戦争と同様であった。「武闘派」ABは「カネで済ます日本」というイメージを打破するため、ISISに日本人も惨殺されたのだという事実を示そうとした。つまり、ISISとの人質変換交渉をすべて打ち切り、ISIS側の選択を人質惨殺に狭めたのではないか。YとGは日本の首相ABの観念的暴力主義の犠牲となったと考えられる。
YとGの人質事件は、日本が交渉を打ち切った結果、ISISの本来のターゲット(ISISにとっての宿敵)ヨルダンに向けられる展開となった。このことは、米国・英国らの有志連合にとっても都合がよい。ヨルダンがアラブ(の民心)から離反すればするほど、イスラエルの安全が一層確保されるからだ。かくして、日本(AB首相)、英国・米国・イスラエル・ヨルダン・エジプトは、ISISの日本人人質惨殺事件を契機として、結束を強めたことになる。
ABは日本国内において、この事件を有効に活用することができた。ABの手法を「ショック・ドクトリン」になぞらえる識者もいるくらいだが、そのとおりだ。ABは自衛隊海外派兵の法制化、憲法改正を具体化し、国内を臨戦・総力戦体制に再構築し、左派、親アラブ派等の弾圧を図るだろう。辺野古移転(沖縄基地問題)についても強制執行をする。秘密保護法に反対するメディアの一部を黙らせ、いま以上の統制を行い、ほぼメディアの抵抗勢力を一掃しつつある。日米軍事同盟を強化し、米軍とともに「紛争地域」に自衛隊が軍事行動を展開する日も近くなる。
そういう観点に立つならば、YとGの死は“むだ”ではなかったのかもしれないが、この事件を契機として、近い将来、日本人の無数の死体が世界各地に転がることになりそうだ。