2015年2月3日火曜日

「死」を政治利用する政権

 ISIS(イスラム国)による日本人人質事件は、拘束されていたGがYに続き惨殺されるという最悪の結果に終わった。この結末を受けて日本の首相ABは、ISISへの復讐を宣言するという異例の対応をみせた。日本はISISに対し、事実上、宣戦布告をした。と同時に戦闘を目的とした自衛隊海外派兵の法制化も時間の問題である。ABは人質事件を契機として、臨戦態勢・戦時体制への整備を目論んでいる。いずれ日本の政治・経済・文化は総力戦体制へと再構築される可能性が高まった。

人質事件の謎

この事件には不可解な部分があまりにも多く残されている。直近の拙blogにて書いたことを繰り返すが、▽そもそも先に殺害されたYのシリアへの渡航の目的は何だったのか、▽彼の活動の資金を支えた日本の勢力はどんな組織なのか。そして、▽GのISIS支配地域への渡航の目的がYを救出するということだったというのは何を意味するのか、▽YとGがISISに拘束されていることは、ISISが二人を拘束している動画をネットに投稿する前(12月3日)に日本政府は知っていた、▽しかし、日本政府はISISの身代金要求をつっぱねた、▽交渉どころか、AB首相は、逆にヨルダン、エジプト、イスラエルを訪問し、有志連合のISIS壊滅作戦に支援を約束した。

日本政府は人質の惨殺を予期できた

日本政府は、人質事件が一般に公開される前にISISと交渉を行っていたが、AB中東訪問を前にしてISISとの交渉を打ち切り、YとGがISIS側に殺害されることを予知しながら、有志連合支援の演説を行ったことになる。それを受けて、ISISは人質殺害予告の動画を公開したことになる。このような経緯は、TV番組に出演したアラブ研究者が、次のような意味の発言をしていることからうかがい知れる――ISISが動画をネットに投稿した人質はすべて殺害されている――換言すれば、“ISISが人質の動画等をネットに投稿した段階で、その人質の命は救えない”ということだ。そして今回もそのとおりの結果となってしまった。

日本政府がこんな単純な「法則」を知らないわけがない。にもかかわらず、政府関係者は深刻な顔をして人質救済に全力を上げているかのようなふりをしていた。YとGの命は我々日本人が知らない時点ですでに日本政府によって見捨てられていたのにもかかわらず・・・

今後、すべての日本人は、ISIS等にとらえられた時点で死を覚悟しなければならなくなった。「テロに屈しない」「テロとの戦いを継続する」というABのために、日本国民は命を削らなければならなくなったのだ。

人命を政治利用する日本政府

ISISの手口は残酷なものだ。人質をとったあと、身代金交渉が不調に終われば、人質の命は次のステージに利用される。今回の場合は、日本政府、ヨルダン政府への揺さぶりであり、併せて、彼らの存在を世界にPRするということだった。そしてISISは、日本政府の救済の演技及び御用メディアの電波・活字の垂れ流しのおかげで、じゅうぶんな宣伝効果を上げることができた。

ABも二人の命を利用するという意味において、ISISと選ぶところがない。ABはみずからを「テロと勇ましく戦う英雄」に高めようと図った。正義のためには死をも乗り越えるというわけだ。こうしてABは有志連合(=米国、英国、フランス、イスラエル)から、優等生のレッテルを貼られることに成功した。

犠牲者を有志連合に差し出した日本政府

ABの政治センスはイラク戦争で自衛隊を派遣したK元首相にそっくりだ。大量破壊兵器があるというイラク戦争の大義は虚構だったことが戦争終結後に明らかになった。にもかかわらず、K元首相及び日本政府は、米国のイラク進攻及びイラク自衛隊派兵についてきちんとした検証をしていない。今回も有志連合の意向にそって資金援助をし、日本人人質の命を差し出して、有志連合に迎合してみせた。人質二人の命は、軍事行動に参加しない日本のせめてものエクスキューズというわけか。

「ブーツオンザグラウンド」「ショーザフラッグ」そして「ゲットザガン」へ

米国の日本に対する要求は、「ブーツオンザグラウンド」から「ショーザフラッグ」へ、そしていよいよ、「ゲットザガン」(自衛隊の戦闘参加)へとエスカレートする。今回の人質事件は残念ながらその露払いのようなものとなった。日本人が「敵国」に殺害されることについて、日本国民はどのような反応を見せるのか。前出のとおり、ABは「罪を償わせる」と復讐戦を宣言した。メディアはGを人道主義者、有能なジャーナリストだと喧伝し、「復讐」に正当性を与える。こうして、日本は開戦に向かってひた走ることになる。いや、すでに宣戦布告はなされたのだ。

アラブ世界の不安定化は米国(イスラエル)がつくりだしたもの

今回の事件をどう受け止めるかについては、現在のアラブ情勢をどう考えるかという根本の認識に係る。ABを筆頭に日本政府は米国(イスラエル)にならって、現在のアラブ情勢を「好ましい状態」だと考えている。ブッシュ父の第一次イラク戦争以前、アラブ世界は、イラクはフセイン政権、シリアはアサド政権の下、安定状態にあった。このことはイスラエル(米国)にとって、脅威であった。イスラエルを取り囲むシリア、イラクが安定して軍事力を増強すれば、親米のヨルダン、エジプトにも影響を与える。近い将来イスラム教を基本とする反米意識がアラブ世界に興隆し、イスラエルは完全に包囲される。

アラブのイスラム原理化の潮流に抗するため、米国はイスラエルの脅威であったイラクに侵攻し、フセイン政権を打倒した。そしてイラクは混乱状態に陥り、国力を弱体化させた。その副産物として、米国傀儡の新イラク政権に抗するグループがシリアに逃れ、シリアのアサド政権を打倒しようとする過激派に変質していった。それがISISの源流である。こうした流動化の結果、シリア、イラクは混乱状態に陥り、かつての国力を喪失していく。

一方、北アフリカでは、イラク戦争後、「アラブの春」とともにイスラム同胞団を与党とするモルシ政権がエジプトに誕生した。イラク戦争、シリア内戦で不安定化に成功した米国(イスラエル)だが、イスラエルと国境を接するエジプトにおいて、イスラム原理が支配するエジプトが出現する気配に恐怖した米国(イスラエル)は、すぐさま、軍事クーデターによってモルシ政権を倒した。マグリブ(北アフリカ)においては、リビアが戦乱状態に陥り、カダフィ政権時の国力を失っている。

アラブの不安定化維持が米国(イスラエル)の狙い

米国の「テロとの戦い」つまりISIS対策は、ISISの壊滅を目的としているようにみえて、ISISのような不安定要因を完全排除する戦略はとらない。米国(イスラエル)にとって忌避すべき状態は、アラブ・マグリブがイスラム原理において安定することだからだ。

こうしたアラブの現状について、日本国民はどのように考えればいいのか。有志連合に積極的に与し、前出のように「ブーツオンザグラウンド」から「ショーザフラッグ」を経て、いよいよ「アベゴッツヒズガン」(自衛隊の戦闘参加)を受け入れるのか。

日本はアラブ民族主義に同調すべき

筆者は、日本はアラブにおいて中立を維持すべきだと考える。そうすれば、ISIS等の脅威は地勢上、日本に及ばない。そもそもアラブ世界の不安定化は米国(イスラエル)の目論見であって、アラブ民族がすすんで招いたものではない。なによりもアラブの民族自決が優先されるべきなのだ。さらに言えば、イスラエル建国を日本は認めるべきではない。反米、反イスラエルの立場は、ISISの蛮行を容認することになるのか。それも違う。米国(イスラエル)のアラブ不安定化が排除されれば、ISIS等の過激集団はアラブ人の手によって排除されるだろう。

そうした日本の立場が反米を意味するのか――という問いには、日本は戦後70年のいま、GHQ支配を終わらせるべきだと返答したい。第二次世界大戦後、日本と同じ敗戦国のドイツはかつての敵国フランスと和解してECをつくりあげ、米国に抗する勢力を築き上げた。ECは米国、ロシアと並ぶ第三極の政治勢力として世界に君臨している。日本が戦後進むべき道はアジア地域との連帯であったはずだ。当然、アジアとは中東を含む。