2015年5月6日水曜日

村上春樹インタビュー(共同通信配信)―No.2

ブランドと地名

村上は作品中、固有名詞(商品名、人物名等)を散りばめることで、読者を引き込む技巧を駆使する。たとえば、近作の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(以下「色彩を持たない~」と略記)では、日本の高級車、レクサスがしばしば出てくる。レクサスは確かに“今”の日本、すなわちこの小説が書かれた状況における断片的事象を象徴する記号として有効だろう。ただし、レクサスがブランド価値を喪失しない限りの有効性である。レクサスが「トロイの木馬」の「木馬」のように、永遠にその名を留める“モノ”になるとは思えない。村上の利用する固有名詞の有効期限、賞味期限は、神話的時間単位と比べるまでもなく短い。

地名もしばしば活用される。『色彩をもたない~』では北欧フィンランドのあまり知られていない町が舞台の一つとなる。村上はこの地を冥界にたとえる。

「だから(※つくる=前掲書の主人公が)行く場所はフィンランドでなくてはいけない。アメリカでは異界という感じがしてこない。フィンランドもさらに北のほうに行くという感じが大事なんです」

ここでつくるは、クロという女性に再会する。この箇所を村上は、「もちろんクロは生きているのですが、でもイメージとしては死んだ人、あちらの世界に行ってしまった人なんですね。(略)クロもある意味では死者のほうに退いているわけです」と説明する。

村上は現存する地、フィンランド北部の町から冥界のイメージを受け取り、さらに、そこで暮らす女性(クロ)との16年ぶりの再会を死者との再会とイメージする。このようなイメージの連鎖が村上作品の一般形である。先述したように、村上作品では、登場人物が時空を超越し、彼岸と此岸、人間界と動物界等を自由に越境する。

注目すべきは、村上の冥界の地の選択である。『色彩をもたない~』において村上が冥界に選んだ地は、北欧フィンランドのさらに北にある。そこには死臭、腐敗した肉片、飢餓といった負のイメージは抱かれない。村上の冥界はあくまでも清浄、無菌な「北欧風イメージ」である。冥界の住人であり死者であるクロからは、生活臭、汗、気忙しさといった要素が注意深く消去され、クロには豊かで静謐な自然の中、質素だが豊かな暮らしぶりが保証されているかのように描かれる。そこでは現実の生は昇華し、あたかも聖化されていて、現実界に虚無的姿勢をとる読者にとって理想郷である。

神話は生の人間の営み

神話にあって死者との再会の地が美しいところとは限らない。過酷な自然、獰猛な怪獣や蛮族等によって行く手を阻まれることもある。そればかりではない。神話では、日常における人々の営み――裏切り、欺瞞、愛憎、失意、恋愛、失恋、家族崩壊、喪失、姦計、不倫、謀略等が入り乱れる。神話の英雄たちはそれらを乗り越え、あるいは逆にそれらを駆使して、逆境を乗り越える。神話が個人の物語と重なるのは、そのような人間の現実界を織り込んでいるからである。

村上は、神話と称して、冥界・異界を“超都会化”する。そこで、都市生活者の一部=村上文学の愛読者=現実生活に対して虚無的な態度をとろうとする生活者から、強い共感を得る。人間界の諸々を捨象して、清浄・無菌な世界を冥界・異界とするのは、村上がそのような読者の切望に敏感に迎合するからである。

繰り返すが、村上のいう<神話>とは、都会の中で、実生活に虚無的な者によって理想化された世界の再現の物語にすぎない。