2015年5月31日日曜日

『宗教学』(ブックガイドシリーズ 基本の30冊)

●大田俊寛〔著〕 ●人文書院 ●1900円+税

広大な領域をもつ宗教学

宗教学が扱う範囲は広大である。その範囲を思いつくままに列挙すると、▽宗教の起源をあきらかにしようとする試み、▽特定の宗教の教義を解釈・深化しようとする試み(神学)、▽宗教を克服しようとする哲学的試み、▽宗教から社会の在り方を探ろうとする試み、▽特定の宗教を実体験することを通じて、その教義・秘儀を明らかにすると同時に、その信者の心的構造を明らかにしようとする試み…等々が思い浮かぶ。

西欧においては、キリスト教の成立から19世紀まで、彼らの思想哲学を極論すれば、神(宗教)との係わりに規定され展開されてきた。青年ヘーゲル派の登場によって、「神は人間がつくった」という命題がくだされながら、いまだ神は死んでいない。人間の誕生と同時に宗教が成立したと考えるならば、宗教(神)の否定が試みられてからわずか200年しか経過していないことになる。21世紀の今日といえども、世界はいまだ宗教の支配下にある。

今日なお絶大な影響力をもつ宗教

20世紀末には、冷戦後の世界(国際政治)を考える文明論として、世界をそれぞれの宗教を指標に区分し、それぞれが互いに衝突しあう情況にあると解釈する試みが提起され、多くの支持者を集めた。(『文明の衝突』/サミュエル・P・ハンチントン著/1996)。ハンチントンによると、世界で生起している(あるいはこれから生起する)紛争は、それぞれの文明の境界(フォルト・ライン)において、異なった文明同士が衝突する結果だという。その真偽は別として、21世紀の今日、現代人が被る宗教の影響力は衰えたとはいえない。

わが国では、1995年、新宗教の一つ、オウム真理教が猛毒サリンを使用した無差別テロを敢行し、死傷者6千人を超える事件を起こした。また今日、国際的事件の多くが一見すると宗教的な様相を呈していて、中東に根拠を置くIS(イスラミック・ステイト)と自称する暴力集団の動向が報じられない日はない。

そのような状況の中での本書の刊行である。宗教を問い考えることは、古めかしい教養主義ではない。また、前出のハンチントンのような粗雑な世界情勢理解(=間違った「宗教文明論」)に足元をすくわれないためにも、宗教について本源的に接近する必要性が高まっている。

オウム真理教をとらえなおす契機

“ブックガイドシリーズ”とあるように、本書の役割は宗教学を勉強するための基礎文献の紹介にある。30冊という冊数が多いのか少ないかはわからないが、著者(大田俊寛)の選定は概ね適正だと思われる。一方、先述した世界情勢からすれば、イスラム教関連が少ないという批判もあるかもしれない。なかんずく、スンニ派とシーア派との「対立」の根源について知りたいという要望のほうが今日的かもしれない。が、そうした要望は、個別の著作物を当たればいいことだろう。

それもそうなのだが、著者(大田俊寛)の宗教学の今日的展開は、オウム真理教の暴発を契機としている。そのことは、本書の帯に、“オウム真理教事件の蹉跌を越えて、宗教について体系的に思考するための30冊”とあることからもうかがいしれる。著者(大田俊寛)の立場は、その著書『オウム真理教の精神史 ロマン主義、全体主義、原理主義』のタイトル付けで明白なように、オウム真理教の爆発の根源をロマン主義、全体主義、原理主義から解き明かそうと努めていた。

それゆえ、本書においては、前半よりも後半=第5部「個人心理と宗教」、第6部「シャーマニズムの水脈」、第7部「人格改造による全体主義的コミューンの水脈」、第8部「新興宗教・カルトの問題」(合計15冊)の解説に熱が入っているような気もする。第5部から第8部までに収められている書名・著者は以下のとおり。

〔個人心理と宗教―5冊〕
・フリードリヒ・シュライアマハー『宗教について』(1799)
・ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(1901-1902)
・アンリ・エレンベルガー『無意識の発見』(1970)
・ラルフ・アリソン『「私」が私でない人たち』(1980)
・E・キュブラー・ロス『死ぬ瞬間』(1969)
〔シャーマニズムの水脈―3冊〕
・ミリチア・エリアーデ『シャーマニズム』(1951)
・I・M・ルイス『エクスタシーの人類学』(1971)
・上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(1990)
〔人格改造による全体主義的コミューンの水脈―3冊〕
・ハナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)
・チャールズ・リンドホルム『カリスマ』(1992)
・米本和広『洗脳の楽園』(1997)
〔新興宗教・カルトの問題―3冊〕
・横山茂雄『聖別された肉体』(1990)
・小川忠『原理主義とは何か』(2003)
・大田俊寛『オウム真理教の精神史』(2011)
※(  )内は原著刊行年

シュライアマハーから始まったニューエイジ思想

一覧で明白なように、これらの書物は、シュライアマハーを除くと、現代に書かれた宗教論である。キリスト教から解放された世俗国家(国民国家)が立脚する合理主義が行き詰まりをみせた、ポストモダンといわれる今日の情況と宗教が分離できないことの証左でもある。逆にいうと、現代の宗教(カルトを含む)は、シュライアマハーを原基として奇妙な発展をみせた。著者(大田俊寛)は、シュライアマハーの宗教論を次のように要約する。

敬虔な宗教感情を、ロマン主義の世界観によって洗練させることにより、旧来のキリスト教思想の超克を試みるだけではなく、「宗教を侮蔑する教養人」すなわち、近代の啓蒙主義者に対抗しようとした・・・(本書137P)

シュライアマハーは既存宗教(経典/聖書等、教会、宗教団体、理性が解説する自然宗教…)を全否定し、直観による宇宙との接触が真の宗教だとした。著者(大田俊寛)はシュライアマハーについてこう論ずる。

『宗教について』という著作は、魅力的な筆致によって広く人気を集めると同時に、フリードリッヒ・シェリングのロマン主義哲学、カール・グスタフ・ユングの宗教心理学等、後代の諸思想にも大きな影響を及ぼしていった。
(略)
しかしながら、同書の刊行から200年以上が経過し、その後の宗教状況を見てきたわれわれには、彼の思想を無反省に肯定することは難しい。というのは、彼の宗教論は、欧米のニューエイジ思想や日本の精神世界論、さらには数々の「カルト」的宗教運動の源流の一つとなったのではないかと考えられるからである。(本書P142)

シュライアマハーから今日のニューエイジ思想・カルト的宗教に至る過程を大雑把に辿れば、その筆頭として、ブラヴァツキーが著した『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』を挙げなければなるまい。この書は1888年にドイツで刊行されたもので、19世紀半ばに発表されたダーウインの『進化論』を借用した、霊性進化(注;この言語は大田俊寛の造語)を基礎とした荒唐無稽の新宗教である。やがて神智学はシュタイナーにより発展的に継承され、人智学として成立を見る。さらにこの流れはアリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。

ニューエイジ思想の拡散と日本における成長

(一)オウム真理教と中沢新一

ドイツ敗戦により鎮圧されたはずの新宗教であったが、ドイツに戦勝したアメリカにおいて、それはニューエイジ思想として開花する。ニューエイジ思想は非常に広範囲な精神運動なので、明確に定義することはかなりむずかしいのだが、その特徴を列挙すると、▽反キリスト教を基本とすること、▽グル(導師、尊師、大師等ともいわれる)を頂点とした階層的コミューンを形成する場合が多いこと、▽教義に終末論を取り入れていること、▽グルは信者に修行を命じ、信者はシャーマン(グルが代行)による脱魂・憑依(イニシエーション)体験・神秘体験を通じ、あるいは、ヒンドゥー教・チベット仏教におけるヨーガ、日本仏教における禅等による瞑想を通じ、超自我的境地の獲得が目指されること、▽私有財産の否定・放棄、自然崇拝(エコロジー志向、自然農法の励行)、多神教優越主義、反機械文明、性の解放、家族制度の否定等の運動と一体化している場合も多い。

オウム真理教が隆盛を極めた1990年代、その信者の奇妙な修行の様子が、TVメディア等により幅広く報道されたことは記憶に新しい。その映像を思い出していただければ、ニューエイジ運動のおおよそのイメージはつかめるはずだ。つまり、オウム真理教も、ニューエイジ思想の日本への移入と密接に関連して、生成・発展・暴発したカルトの代表的存在であった。

日本のニューエイジ思想の流布に熱心だった宗教学者の一人が中沢新一である。著者(大田俊寛)は、当時、麻原彰晃を「本物の宗教家」として称揚した中沢新一、島田裕巳、山折哲雄らの宗教学者に対する批判をいまなお続けているが、とりわけ中沢については本書において、次のように論じている。

チベット密教の修業を自ら実践した宗教学者の中沢新一は、81年に『虹の階梯』を公刊した。彼はこの書物で、「心の本性」に到達するためのチベット密教の段階的な瞑想法を概説し、特にその修業においては、グルへの絶対的な帰依が必要であることを強調した。また、「ポワ」と呼ばれる身体技法に習熟すると、自分の意識を体外に離脱させ、生死を超えた境地から世界を眺めることができるばかりか、生前のカルマに応じて次の転生に向かう死者の魂を、より高い世界に引き上げることさえ可能になると論じたのである。(本書P231)

著者(大田俊寛)は本書においては、中沢、島田、山折らの批判を控えているが、中沢の『虹の階梯』の内容は、オウム真理教の尊師、麻原彰晃が信者に説いた内容とほぼ同じである。極論するならば、中沢新一と麻原彰晃は同一の宗教的実践を説いていたことになる。中沢はニューアカデミズム(ニューアカ)の新進思想家としてメディアを通じて彼の読者に向かって、また、麻原は彼を慕う信者たちに向かって、と、その対象は異なっていたけれど。このことから、1980年代~1990年代の日本の思想界・宗教界はニューエイジ思想を十分許容していたことがわかる。

(二)オウム真理教は「本物」だったのか

同じくオウム真理教を支持した山折哲雄の場合は、中沢新一とは位相が異なる。山折は1992年、雑誌における麻原との対談において、当時、熊本県などの地元民と軋轢があったオウム真理教が法廷闘争を行っているとき、「・・・宗教集団としては、最後まで世俗間の法律は無視するという手もあると思うのですよ」と、オウム真理教側への支持を明らかにした。

山折がオウム真理教に対して抱いたシンパシーは例外的なものではない。オウム真理教幹部だった上祐史浩、教団幹部・村井秀夫を殺害した徐史浩、司会役の鈴木邦夫による鼎談『終わらないオウム』(鹿砦社)において、鈴木は、オウム真理教を取り上げたTV番組『朝まで生テレビ!』について、次のように語っている。

鈴木 ・・・『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でやった「激論 宗教と若者」(91年)でのオウムと幸福の科学との対決とかもすごかったですね。あれでオウムはすばらしいと思った人たちもいたし、ぼくもそれを見てオウムは本物だと思いました。そのオウムに熱狂していく過程を知らずに今の結果だけを見れば、なんであんなバカらしいものにかぶれるのだろうと思うだけですよね。(『終わらないオウム』P102)

宗教は元来が革命的、反体制的

「オウムは本物だと思った」というのは、実に的をえた表現である。つまり何が本物なのかといえば、宗教がもつ非妥協性、否定性においてである。本書においては、村上重良が著した『ほんみち不敬事件 天皇制と対決した民衆宗教』が紹介されている。詳しくは本書を参照してほしいが、“ほんみち”とは、天皇を「唐人」と称して批判した、天理教原理派のこと。1925年に天理教から分派し、国家神道と厳しく対立したため、治安当局から弾圧を受けた。


今日の宗教は新旧を問わず、教義の過激性はともかく概ね体制内化していて、ビジネスに熱心なものが多い。しかし、宗教が現世の苦難からの救済を求める側面をもつ以上、苦難の元凶である体制の変革を目指すのは必然である。原始キリスト教は、当時支配者の宗教であったユダヤ教を批判・対立するところから出発しているし、西欧キリスト教における宗教改革は、それまで、カトリックの基盤をなしていた教会制度の抜本変革を求める運動であった。

現代においても、体制変革を目指した教団は数多い。1978年には、アメリカの宗教団体「人民寺院」がガイアナで信者の集団自殺事件を起こしたし、1993年には、同じくアメリカの宗教団体「ブランチ・ダビディアン」が治安当局と銃撃戦・火災事件を起こした挙句、信者多数が死亡している。

宗教が、現世よりも来世における幸福を期待する以上、生と死の区分は相対的である。自然崇拝が度を越せば、私有財産や現行の法制度を認めない教義が成立する余地は十分すぎるほどある。さらに、終末論的世界観が教義に備わっていれば、教団が最終戦争(ハルマゲドン)を準備し、実行に及ぶ可能性は高い。集団自殺、最終戦争、テロリズム等が信仰の名の下に実践される確率は低くない。

宗教指導者のカリスマ性は革命的エネルギーによって担保される。そして、そのエネルギーは信者以外にも感受され得る。当時、麻原をはじめとするオウム真理教幹部を、テレビ映像を通じて「本物」だと直感した鈴木邦夫や、オウム真理教を教団として認めた複数の宗教学者を責めることはできない。そのことが、教団の存在根拠なのであるのだから。

オウム真理教と宗教学者の責任

麻原を支持した宗教学者(前出の中沢新一、島田裕巳、山折哲雄ら)の非は、サリン事件後、自らがオウム真理教を容認した事実を封印したことにある。つまり、彼らは、麻原及びオウム真理教に対しシンパシーを表明しながら、事件後、そのことを「なかったこと」にしようと画策したか、沈黙した。つまり宗教学者として、オウム真理教を思想的に総括することを怠った。管見の限りだが、著者(大田俊寛)の批判に対し、中沢、島田、山折らは答えていない。

中沢、島田、山折らの宗教学者や鈴木のような政治団体指導者が、宗教家・麻原の本気度を認めたことは誤りでもなんでもない。「地下鉄サリン事件」を予期できなかったのは、宗教学者の責任ではない。日本の治安を預かる警察当局ですら、オウム真理教の体質を見誤り、その暴走を止められなかったではないか。そればかりか、「地下鉄サリン事件」の前にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」では、被害者宅の隣人を誤認逮捕するという失態を演じ、あやうく冤罪を犯しそうになったではないか。

宗教学の課題

日本の宗教学は、著者(大田俊寛)の登場によって、学問としての要件をようやく整えつつある、といっていいすぎではない。先述のとおり、それくらい、日本の宗教学は混迷状態にあった。しかも、今日の世界情勢は、宗教を外すことはできないものの、宗教対立に還元できるものでもない。宗教学が背負う課題は、とびぬけて大きい。