2015年7月26日日曜日

『沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉』

●堤未果 ●集英社新書 ●740円+税


副題〈逃げ切れ!日本の医療〉が示すように、本書は『沈みゆく大国アメリカ』の姉妹(後)編に当たる。前編では、アメリカ版国民皆保険「オバマケア」の本質を暴きつつ、同国の強欲資本主義、暴力的コーポラティズムの実体をリポートした。「オバマケア」のまやかし・欠陥、そして同法案が作成されたメカニズムの分析を通じて、アメリカの医療崩壊の実態が示された戦慄の書であった。

“国民皆保険”と謳われた「オバマケア」だが、実は医薬品業界、保険業界、ウオール街の利潤追求の具であり、それを実現させるのが業界と政界を結ぶ「回転ドア」といわれる構造だ。そこでは業界の便を図る法律が、業界が政府に送り込んだ官僚(米国は日本の公務員制度とは異なり、多くの場合辣腕弁護士である。)の手により作成される。法案の本質は美辞麗句で彩られた政治的スローガンによって隠蔽され、議会で承認される。法案成立後、すなわち業界が目的を達成した後、彼らは政府を離れ、高額のサラリーでグローバル企業に重役として就職する。

健康保険制度とは社会保障

本書(後編)はそれを受けて、日本の保険制度の破壊をめざして市場進出を狙うアメリカの政財一体化した進出戦略及びそれに同調する日本政府の動向を明らかにしている。著者(堤未果)は本書を通じて読者に注意を喚起し、何度も警鐘を鳴らす。加えて、あるべき医療体制の日本における成功事例、予防医療を具体的に挙げることにより、健康保険制度とは何か、社会保障とは何か、医療とは何か、福祉とは何か、国家とは何か、生命とは何か――について問う。健康保険制度とは社会保障なのだと。

このような本書の組み立てからすると、帯にある「あなたは盲腸手術に200万円払えますか?」という広告コピーはいただけない。日本の皆保険制度がアメリカの強欲資本主義とそれに手を貸す現政権に破壊されればそうなることは間違いないし、本を売るためにはショッキングな広告コピーが必要なことはわかる。だが著者(堤未果)の意図は、具体から普遍――「知らない、わからない」から「知る、否定する、概念化する」――への上向であるからだ。

「無知は弱さになる」
本書の前編である『沈みゆく大国 アメリカ』の取材中、ニューヨークの貧困地域で出会った内科医のドン医師に、同じセリフを言われたことを思い出した。
〈気をつけてください。どんなに素晴らしいものを持っていても、その価値に気づかなければ隙を作ることになる。そしてそれを狙っている連中がいたら、簡単にかすめとられてしまう。この国でたくさんの者が、大切なものを、当たり前の暮らしを、合法的に奪われてしまったように〉(P33)
“素晴らしいもの”とは日本の国民皆保険制度のことであり、“それを狙っている連中”とはアメリカの強欲資本主義であり、それに手を貸す日本政府であり、アメリカ型資本主義に追随したい日本の大企業のこと。そして、“気をつけなければいけない”のは日本国民(生活者)だ。「だが実際、私たち日本人は、自分の住んでいる国や地域の制度について、どれだけ知っているのだろうか?」(P33)と、著者(堤未果)は危惧する。

強欲資本主義が人々を欺く手口

アメリカの強欲資本主義とそれに追随したい日本政府・日本企業は、社会保障=セーフティーネットの破壊とその商品化を実現するため、どのような手を使ってくるのか――筆者(堤未果)によると、それは、▽アメリカからの直接的外圧(MOSS協議、日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話等)、▽国内的には、経済財政諮問会議(という超法規的執行機関)によるたとえば「戦略特区」、規制緩和(新薬スピード承認等)、▽TPP(環太平洋パートナーシップ)及びTiSA(新サービス貿易協定)といった国際協定――を挙げる。もちろん日本政府による「後期高齢者医療制度」に代表される直接的な社会福祉制度の破壊、切捨てもある。

強欲資本主義先進国のアメリカでは、法案を数千ページという膨大な文書に仕上げ(誰も読まない)、「本質」を隠蔽する手口が横行しているという。前出のオバマケアがその好例で、同法案は3000ページを超えていた。膨大な分量の文書の内部に、保険会社、医薬品業者が実際に儲けられる仕組みをこっそりしのばせておいて、「国民皆保険」「貧しい人にも手厚い保険制度」といった謳い文句だけを政治家に声高に叫ばせるという手口だ。日本でも安保法制が10件の法案を一本にまとめて国会審議され強行採決されたケースも、アメリカの手口に近いかもしれない。

人気の(医療)ウエブサイトを広告料等の投入で買収し、そこに提灯記事を書かせるもの、TVで人気の芸能人、コメディアンに支持を表明させるもの、連続TVドラマで“刷り込む”手口も一般化している。もちろん、アカデミズムを抱き込む手口は常套手段。専門家が推奨することで国民の「理解を深める」という建前だが、「専門家」は概ね政府の代弁者というわけだ。日本の場合、安保法制ではアカデミズムが率先して「違憲」を表明したわけで、アメリカに比べれば、日本のアカデミズムのほうが健全かもしれない。

“普遍的問い”として答えよ
最速で高齢化する日本の行く末を、同じ高齢社会問題を抱える世界中がじっとみつめる経済成長という旗を振りながら、医療を「商品」にし、使い捨て市場となるのか。
世界一素晴らしい皆保険制度と憲法25条の精神を全力で守り、胸をはって輸出してゆくのか。
それは単なる医療という一つの制度の話ではなく、人間にとって、いのちとは何か、どうやって向き合ってゆくのかという、普遍的な問いになるだろう。
「マネーゲーム」ではなく、私たち自身の手で選ぶのだ。(P212)
本書の結びにあるとおり、TPP、安保法制、新国立問題、アベノミックス・・・と、われわれのもとに横たわるさまざまな社会問題及び変化を、“普遍的な問い”として受け止め、態度決定することこそがわれわれ一人ひとりに求められている。


憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   
    国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。