2016年2月19日金曜日

丸山発言は米国隷属と国粋主義が同居する「新保守主義」の不満の噴出

自民党の丸山和也法務部会長は17日参議院憲法審査会でオバマ大統領を引き合いに出し、「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」などと人種差別的な発言をした上で、発想の転換を求めるたとえ話として「日本が米国の51番目の州になれば、『日本州』出身者が大統領になる可能性が出てくる」などと話した。これらの発言は審査会の席上「暴言だ」と指摘され、丸山議員は国会内で緊急会見、発言を撤回した。

丸山発言は既に語られてきた俗論

あきれた話である。だが、このような言説は丸山のオリジナルではない。「奴隷云々」はオバマが大統領になる前後から、アメリカでは古典的人種差別主義者の間で語られていた。アメリカにはいまなお、KKKに代表される白人至上主義者、アーリア人至上主義者が存在する。オバマは彼らに暗殺されるのではないかという噂が絶えなかった。

「日本がアメリカの51番目の州」という言説もかなり前から世界中で語られていたもの。戦後、日本は米国の外交方針に盲目的に追従し続けてきた結果、自主外交を主張する勢力からこのように、揶揄されてきた。

この二つの言説は、まったく結びつかない「与太話」にすぎないのだが、なぜか丸山はこれらを強引に結びつけ、「未来は予測できない」という結論に結びつけた。むろん、この二つは「未来は不確定」という自明の論理を証明する事例としてはまるでそぐわない。にもかかわらず、憲法審査会という公式の場で丸山が発言した裏側には(推測するに)、彼がかねてより、この二つの言説を気に入っていた可能性がある。どこかで引用して持論の一部として展開したいと。それが、なんと憲法審査会の場だったというわけだ。

安倍政権=新保守主義が抱える二律背反

丸山の心理状態は巷間説明されるように、現在の安倍政権及びそれを支持する新保守主義者の倒錯したそれに対応する。本来の保守の神髄は、「日本会議」に代表されるような国粋主義。だから、米国に代表される外国勢力の存在を認めたくない。そのことは人種差別、排外主義となって表出する。ヘイトスピーチがまさしくそれだ。丸山の場合は、その矛先が米国のアフリカ系大統領=奴隷という表現で表出されたわけだ。

もう一つ、保守主義を突き詰めれば、日本の自主独立、米国隷属からの脱却がテーマとなる。保守の理想は、明治維新(1868)からアジア太平洋戦争敗戦(1945)までの日本。第一次大戦で疲弊した欧州列強に代わって日本帝国主義が世界をリードしたかのように見える時代である。その脈絡から、憲法改正(自主憲法制定)、日米安保破棄(米軍の撤退、米軍基地の奪還)、原爆保有…の道筋が描かれる。

ところが、現政権に限らず日本の政権はすべからく、米国に隷属することで政権維持が担保される。それゆえ、日本の保守は米国隷属となる。そのことが「米国の51番目の州」発言の裏側にある。

1945年以降の日本は、国土内の米軍基地の自由使用が容認され、原爆保有は認めないが原発建設及び原発(再)稼働が推進され、米軍が危なくなったら自衛隊は集団的自衛権行使に基づいて助けに来いよ、となってしまう。米国の容認する範囲、米国の国益に叶う範囲における日本の軍事大国化であり、米国のための自衛隊強化である。

丸山発言は米国隷属と国粋主義が同居する「新保守」の不満の噴出

米国隷属と国粋主義の二律背反状態が、新保守の現政権及び現政権支持者の不満であり、丸山はその心情を図らずも荒唐無稽な発言で吐露してしまったのではないか。

丸山は倒錯的で非常識だが正直である。矛盾に耐えられず、抱え込んだ不満を〈人種差別〉と〈対米隷属〉という二つの発射台から世間に噴射させてしまったのではないか。その非論理性こそが、日本における新保守主義の現実を示している。安倍政権の矛盾は新保守主義の矛盾であり、属米的・国粋(排外)主義という矛盾である。

〈国粋〉のベクトルは自主憲法制定、全体主義、治安維持法の復活、基本的人権の制限、言論弾圧へと向かい、加えて〈排外主義〉となって、嫌韓、嫌中、嫌アジア…へと先鋭化する。一方の〈属米〉は日米行政協定の固定化、原発再稼働及び原発建設推進、米軍による米軍基地永年自由使用、集団的自衛権行使容認、自衛隊海外派兵、米軍の援軍として武力行使…へと米国主導で拡大する。この道が亡国へのそれでなくてなんであろうか。