2016年11月30日水曜日

低すぎる主審の力量――Jリーグチャンピオンシップ

<Jリーグチャンピオンシップ:鹿島0-1浦和>◇決勝第1戦◇29日◇カシマ

浦和がアウエーゴールをPKで得て先勝。優位に立った。試合内容を一言でいえば、「つまらない」。その主因は、ホームの鹿島がアウエーゴールを怖がって、「得意」とする守備的サッカーに持ち込もうとする消極策にあった。

Jリーグの問題点――チャンピオンシップという愚かな制度

試合内容とは離れてしまうが、日本プロサッカーの最高峰に君臨するJ1リーグが抱える二つの問題点を指摘しておきたい。第一は、チャンピオンシップ(CS)という制度。このことは拙Blogで何度も指摘してきた。Jリーグは昨年、今年をもって廃止するとのことだが、当然だ。そもそも採用すべきではなかった。

ポストシーズンは広大な北米大陸が舞台でこそ意味を持つ

ポストシーズンという制度は、管見の限りだが、アメリカMLBが広めたものではないか。アメリカの国土は日本の25倍の広さを持ち、人口もおよそ3倍だ。MLBにはカナダも参加しているから、北米大陸のスケールは、日本と比較にならない。

だから、リーグとは別に「地区」という概念を基礎とした制度に有効性がある。「地区」の勝者が競い合うポストシーズンという短期決戦がコンテンツとして生きてくる。一方の日本で「地区」といえばせいぜい「東西」くらい。実際に東西を基軸にJ1リーグ18チームを分けてみても、地区の勝者同士が優勝カップを争うことにリアリティはない。

そこでJリーグ(事務局)が無理くりつくったのが現行制度。前後期それぞれの優勝者に年間勝点を絡ませたものだが、今季は前期優勝の鹿島が年間勝点で3位となったため、年間最多勝点及び後期優勝の浦和が1位、そこに年間勝点2位の川崎が2位となって、鹿島と戦って負けたため、浦和―鹿島が決勝(ホーム&アウエー)となった。

CSはマラソンの後に短距離走をさせるようなもの

かくも不自然な制度はいわば、マラソンの後に短距離競争で優勝者を決めるようなもの。マラソンでトップが浦和、2位が川崎、3位が鹿島。次の短距離走で川崎と鹿島が争って鹿島が勝ち、その鹿島が浦和と短距離走を2回やるという具合だ。こんなバカバカしい制度をよくつくったものだと感心するが、メディアもサポーターも真面目である。「真の勝者はどこだ」なんてキャッチフレーズで煽っている。

リーグ戦というのは、勝負の偶発性を排除するため、各チーム総当たり2回戦(ホーム&アウエー)で実力を競うもの。そこで勝ったものが「真の勝者」である。前後期制度であれば、スタートダッシュに成功したところが前期優勝者となってしまう。その反対に、前期を捨てて、後期に勝負をかけるようなチームが後期優勝を果たすような弊害は、年間リーグ戦制度ならば排除できる。

日本では低調なカップ戦

サッカーでは、短期戦のおもしろさも楽しめる。実力よりも偶発性を楽しむもの。いわゆる「下剋上」の醍醐味だ。トップリーグのチームが下部リーグに苦杯をなめることもある。それがカップ戦である。

日本サッカー界にもカップ戦はある。Jリーグが運営するのが、J1限定のJリーグカップ(ルヴァン杯)。そして日本サッカー協会が運営するのが天皇杯で、これは完全な一発勝負。前者は代表選手が抜けた期間に試合が行われる。後者はJリーグ終幕後に日本中のサッカーチームが参加するものだが、J1チームでは、選手・監督等の契約事務が終了した後の試合になるため、緊張感はない。元旦に決勝戦が行われる、いわば「年中行事」「季語」「縁起物」のような意味あいが濃い。天皇杯優勝者が日本最強クラブだと信じているサッカーファン、関係者は、おそらくごく少数だろう。

ACLも低調

アジアのクラブチームが短期で争うACLもある。だが、これが全く日本では盛り上がらない。日本におけるACLは、欧州のチャンピオンリーグのような価値をもっていない。その理由はまた別の機会に述べたい。

かくしてJリーグでは「チャンピオンシップ」という超短期戦が始まったのだが、サッカーファンも選手も関係者も、これまで述べたごとく、制度自体の欠陥を容認できなくなり、今年で終了する。浦和-鹿島の視聴率は、わずか7.3%だったという。

主審が下手すぎる

第二の問題点は、主審の力量の低さ。浦和の決勝点となったPKは誤審である。リプレー映像で確認しても、あれがファウルならサッカーにならない。接触で倒れればファウルがもらえるのならば、日本サッカーは確実に弱くなる。日本代表監督のハリルホジッチが“デュエル”を強調しても、リーグで軟弱なサッカーが容認されているようなら、選手は強くならない。誤審はPKばかりではない。アドバンテージで流すべきところを止める。イエローの基準があいまい。「最強決定」の試合でこれでは、日本サッカーは向上しない。

下手な審判は一線を退いてもらうしかない

“サッカー(スポーツ)に誤審はつきもの”だとか“審判は絶対”…という言説が日本のスポーツ界では「常識」のように語られ、審判批判は非常識だとされる。だがこれは誤りまたは誤解である。判定が覆らないだけの話である。

下手な審判は、適正な評価の下、処分されなければならない。処分内容を公表するかしないかは別問題。下手な審判は退いてもらうしかない。しかし、評価を行う機関の適正さが担保されていなければ意味がない。元審判が現役審判を仲間内で評価するのならば、それは機能しない。審判の技量を向上させる制度構築が必要となる。

微妙な判定については、メディアがリプレー映像を積極的に流してほしい。スタジアム、TV中継、スポーツニュース、スポーツ特番、インターネット…そこで検証されるべきである。

拙Blogにおいて既に書いたが、W杯アジア最終予選で日本代表に有利となる誤審を中継するTV局がリプレー映像を流さなかった。日本有利の誤審は2試合続いたのだが、2試合の中継がそれをパスした。一方、日本不利の判定だったUAE戦では、繰り返しリプレー映像が流された。これが日本のスポーツメディアの放送コード。あきれてるばかりだ。

そればかりではない。日本サッカー協会が、スタジアムでのリプレー映像の放映を中止するよう要請したという。協会が審判技術を信用していないあらわれである。協会は、技術の高い審判を養成する自信もない。

TV中継解説者は応援団か幇間では情けない

最後に、メディアの問題に改めて触れておく。この試合、民放のTV中継で観戦したのだが、そのときの解説者は2名。別に1名のCSアンバサダーとやらがが登場していた。筆者が彼らの解説を聞く限り、彼らの言説は、応援団もしくは誉め役のそれであって、試合及びプレーに係る技術、戦術等の専門的指摘ではない。「○○選手に入れば期待が持てる」「うまいですね」…と彼らが力説するも、両チームともPK以外の得点なし。守備がいいから点が入らない、ではサッカーにならない。

0-0のスコアレスドローが緊張した、いい試合なのか。この試合では、両チームの攻撃陣が精神的にも肉体的にも委縮していた。真の解説者ならば、相手の守備をどう破るのか――自分が監督ならどんな指示を出すのか、自分が選手ならどんなプレーをするのか――視聴者が専門家から聞きたいことは、専門的言説である。「うまい」「期待する」「いい試合」「緊迫してます」なんてのは、解説ではない。「盛り上げ役」でギャラをもらうというのは、虫が良すぎる。