2024年3月26日火曜日

NPB2024シーズン順位予想

 


 *2024/03/26、読売ジャイアンツのオドーア選手が急遽、契約解除。
 *よって、内容を訂正した。 

 いよいよNPBの開幕である。まずは恒例の順位予想から。

(1)セリーグ順位予想 

 1.阪神、2. 広島、3. 読売、4.ヤクルト、5.DeNA、6.中日 

 大雑把なランクづけとして、阪神がA、広島・読売 がB+、ヤクルトがB-、DeNA・中日がCである。 

 昨年日本一に輝いた阪神だが、オープン戦の成績は良くない。岡田監督を筆頭に気の緩みならば二連覇は難しかろうが、安定した投手力、中心選手の退団もなく、投打を総合した戦力は揺るがない。広島は西川龍馬が退団したが、発展途上の選手が多いので、攻撃陣の戦力については、昨年と同等だろう。先発投手陣が弱いので優勝はない。読売は熱心な補強を試みたが、新戦力は未知数。先発投手陣が安定しているので、昨年よりは順位を上げる。なお、読売については後述する。

 ヤクルトは昨年とほぼ同じ陣容。オスナ、サンタナは昨年より成績を落とす。DeNAはバウアー、今永昇太 の先発二本柱が抜けた。中日はベテランの補強で戦力アップを狙ったが、攻撃陣の柱が見当たらない。中田翔がどのくらい試合に出られるのか。いまの体型ならば、シーズン途中で故障する可能性が高い。 


(2)パリーグ順位予想 

 1.オリックス、 2. ソフトバンク、3. 楽天、4. ロッテ、 5. 西武、6. 日ハム 

 オリックス・ソフトバンクがランクA、楽天・ロッテ・西武がランクB、日ハムがランクCとなろう。 

 優勝争いはオリックスとソフトバンクの2球団に絞られる。どちらが優勝してもおかしくない。エース山本由伸が抜けたオリックスだが、生きのいい豊富な投手陣を擁するので、その穴は埋まる。この2チームの差は小さく、どちらが優勝してもおかしくないが、チームのバランスという観点において前者が後者を上まわるとみた。

 評価しにくいのがロッテ。スター選手不在で派手さがないが、クライマックス・シリーズ(CS)の常連である。楽天とロッテのどちらを3位にするかは非常に難しい選択である。 西武は山川穂高が抜けたその穴が埋まらないままだ。日ハムは一昨年が勝率.421、昨年が同.423と厳しい数字に終わっている。成長を見せている選手がいないわけではないが、チーム全体のパワーがいかにも不足している。

(3)読売「巨人軍」を考える 

 読売は主力選手の退団がなく、大幅な戦力補強をしたおかげで、昨年よりは戦力がアップしている。監督が阿部慎之助に替わり、新生「巨人」となるのか、興味深い。

(投手陣) 

 先発候補6人の名前(戸郷翔征、山崎伊織、グリフィン、メンデス、菅野智之、赤星優志)がスラスラ出てくるくらいだ。この先発陣はかなり強力である。 

 彼ら6人を除いて投手陣全体を見とおすと―― 

 ・新加入=【ケラー(阪神)、馬場皐輔(阪神)、高橋礼(ソフトバンク)、近藤大亮(オリックス)に即戦力の新人・西舘勇陽(中大)】

 ・既存戦力=【船迫大雅、バルドナード、中川皓太 、高梨雄平】、

 ・成長期待=【直江大輔、松井颯、菊池大稀、堀田賢慎、井上温大、横川凱、田中千晴、平内龍太】 

 ・復活もしくは停滞=【*大勢、高橋優貴、大江竜聖、今村信貴】 

 と多彩だ。(*大勢については、阿部監督がクローザーに指名した、という報道もあるので、既存戦力に変更してもいいが、復活するかどうかの判断を保留する。) 

 その中から先発予備としては、高橋礼、井上、平内あたりか。ブルペンについては、投手陣のベンチ登録数は概ね8(うち先発1)だから、7投手がリリーフ役となる。変則の高橋礼が先発という声もあるので、彼を除くと、勝ちパターンは、7回中川→8回バルドナード→9回大勢がほぼ固定。残り4枠がケラー、松井、西舘、菊池(高橋礼)か。田中千の調子が分からないのでベンチ外とした。 

 なお、トレード等による新加入選手はいわば、前の所属球団では余剰戦力と評価された者である。環境が変わって大化けする選手がいないとは言えないが、前年から始まった現役ドラフト制度で活躍したのは大竹耕太郎(ソフトバンク→阪神)、細川成也(DeNA→中日)の2選手にとどまった。確率からいえば2/12(17%) 、読売の移籍組のうち1選手が戦力になるか、ならないか、ということになる。

(野手陣) 

 野手新人の佐々木俊輔、泉口友太に注目が集まっている。とりわけ佐々木はオープン戦で打率4割超えの大活躍をした。走攻守そろった一番打者として期待されている。

 さて読売の外野陣は、ベテラン組(丸佳浩、長野久義、梶谷隆幸)、中堅組(オコエ瑠偉、重信慎之介、松原聖弥、オドーア)、若手組(萩尾匡也、岡田悠希、佐々木、浅野翔吾、*秋広優人)と分けられる。先発は3人だから、3/12すなわち残り9選手は控えか2軍落ちである。開幕先発は相手がサイドの青柳だから、丸(LF)、オドーア(RF)、梶谷、佐々木(CF)だろう。秋広は二軍に落ちたのでおそらく先発はない。(*秋広は内野手登録)

 内野は岡本和真(1B)、吉川尚輝(2B)、坂本勇人(3B)、門脇誠(SS)は不変だろうが、彼らの内の一人が故障欠場した場合、即座に非情事態に陥る。控えとしては、湯浅大、増田大輝、泉口、中山礼都、菊田拡和、増田陸。彼らとレギュラーとの力の差が大きすぎる。秋広は1Bしか守れない。日ハムから急遽トレードで獲得した郡拓也は才能あるユーティリティープレーヤーだが、打撃は期待できない。

 開幕戦先発オーダーは、相手先発投手=青柳晃洋(阪神)と確定しているので、左打者が優先される。

1.佐々木(CF) 

2.門脇(SS) 

3.坂本(3B) 

4.岡本(1B) 

5.丸(LF) 

6.大城(C) 

7.オドーア 梶谷(RB) 

8.吉川(2B) 

9.戸郷(P)


(阿部野球とは) 

 阿部新監督の野球はどうなるのか。筆者の感覚では阿部の現役時代のプレースタイルとは正反対の野球を目指そうとしているように感じる。攻撃面ではスピード重視の細かい野球、守備面では投手力に重きをおいた、要は1点を取り、1点を守りにいく、野球となるだろう。現役時代の阿部は捕手というポジションゆえに、どっしりと構えた強打長打の非凡な打者だった。その一方で、自身にない才能への憧憬の念もあるような気がする。一発ホームランではなく、ダイヤモンドを駆けまわるようなスピード感のあるアスリート・タイプに対する憧れであって、それは内外野手を問わない。それが彼の理想の野球ではないか。

 ところが、理想と現実を実態に即してみてみると、相当な開きがある。阿部は、佐々木、門脇、吉川、松原、重信といったスピードスターに期待をかけるが、彼らが必ずしも良い成績を残せるとは限らない。オープン戦と一軍公式戦では相手の本気度が違うし、分析・研究もされる。彼らが挫折したとき、丸、長野、梶谷といったベテラン勢の力を必要とする。阿部の理想とする野球と現実の乖離がはじまる。 

 今シーズンは球団創設90周年という節目にあたる。リーグ優勝が最低限のノルマとなろう。スピード派の若手が壁にぶち当たったとき、阿部の理想は崩壊し、昨シーズンと変わらない野球に戻ってしまう可能性が残る。いわゆる「原野球」への復帰である。阿部の理想が崩れた時、彼のメモリーに残っているのは、ノーアウト1、2塁でクリーンアップに犠牲バンドのサインを出したり、ブルペンの状況を無視して先発を早々に後退させるような「焦り」の野球、すなわち「原野球」となる。 

 筆者の予想では、オープン戦で躍動した攻撃陣の新戦力は、本戦では不発となるような気がする。新人佐々木も序盤で壁にぶつかる可能性が高い。門脇は昨年より成績を落とすだろう。けっきょくのところ、岡本、大城、坂本に、丸、長野、梶谷を加えた打線にもどる。オドーアが日本野球に早期に順応すれば、打線は昨シーズンのレベルを維持するだろう。投手陣は昨年より安定しているので、Bクラス落ちはない。 〔完〕

2024年3月19日火曜日

恵比寿ガーデンプレイス

 東京都写真美術館は恵比寿のガーデンプレイス内にある。






恵比寿映像祭2024

 東京都写真美術館3階で開催中の「恵比寿映像祭2024」。

木村伊兵衛写真展のチケットで見られます。

・Kim Insook(House to Home)




・「皿の裏側」(荒木悠)





・コミッションプロジェクト




木村伊兵衛写真展(東京都写真美術館)





  写真展「木村伊兵衛 没後50年 写真に生きる」(東京都写真美術館)に行ってきました。
 自分の中に、「写真なんて・・・」という思いを抱いていた時期がそう短くなくありました。そのような思い込みを粉砕したのが、この人の『パリ』という写真集でした。
 パリの下町の住人たちの、たとえば老人の皴、若くないマダムの怒りの表情、子供たちの屈託のない笑顔などなどが、一枚一枚の写真に切り取られていました。それらは1秒の1/60、1/100~といったシャッタースピードがとらえた瞬間なのかもしれませんが、むしろ被写体となった人物の人生を感じさせるものでした。被写体を人間に限定しなくとも、たとえば剝がれかけた古いポスター、壁のシミ・割れ目・朽ちた色彩等々から、パリというまちの歴史が伝わってくるように感じられました。そのことを換言すれば、写真は1秒のおよそ百分1くらいの瞬間をもって、普遍性を写し出すものなのだ、と悟ったように思います。
 木村伊兵衛は戦時中、日本帝国の戦争勝利に資するプロパガンダのリーダーだったことがわかっています。そのことをもって彼を批判し、彼の作品すべてを否定する立場もあるのでしょうが、筆者はそのような立場に与しません。彼が戦争推進の宣伝に従事したということは、兵士として戦地に赴いたことと変わらないと思います。当時の日本帝国国民の大多数がそのように行動することを自覚していたかどうかを問わず、強いられていたのだと思います。なにより大事なのは、侵略戦争とその敗戦をどう受け止め、いかに戦後を生きるかだったのだと思います。
 木村伊兵衛が戦時中の自己の職務を自己批判したのかどうか、しなかったからどうなのか――ということについて、筆者は関心をもちません。そのような問いに対する答えについては、木村の戦後の作品がすでに出しているように思えるからです。(本写真展は撮影禁止)

2024年3月16日土曜日

『アフター・リベラリズム 近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』

 ●イマニュエル・ウォーラステイン〔著〕 ●藤原書店(旧版) ●4800円+税 

 本書が書き上げられたのは、訳者である松岡利道の巻末解説によると、1992~1993年ころだという。その直後、アメリカ合衆国マイクロソフト社がコンピュータソフト「windws95」を発売した。以降、PC(パーソナル・コンピュータ)が普及し、インターネット時代に突入した。その翌年にはノキア社による電話機能付きPDA端末の発売が始まり、2007年のiPhone発売、2008年のAndroid端末発売が続き、スマートフォンが世界中に普及した。そしていま、 DX、AI等デジタル技術の高度化が日進月歩で進行中だ。1995年を境にして、世界は、単に通信技術が高度化したにとどまらず、大きく様変わりした。 

 しかしながら、著者(ウォーラステイン)はそのことを本書では予測していない。また、2019年に起きた新型コロナウイルス禍、2022年、ロシアによるウクライナ侵攻に始まり、いまなお終戦に至らないウクライナ戦争、そして2023年に突如として起きたパレスチナ・ガザ地区における、イスラエルによるパレスチナ人ジェノサイドも予見していない。だからといって、本書が価値のないものだと思うのは誤りである。ウォーラステインは予言者ではないし、本書も予言の書ではない。 

 著者(ウォーラステイン)は、フランス革命(1789)から始まり、1990年前後に幕を閉じた、世界史における一時代を総括し、それ以降から始まる新時代を展望しているのである。では、1789~1990とはどんな時代だったのか。

保守・リベラリズム・社会主義 

 著者(ウォーラステイン)は、1990年前後について、近代世界システムを支えたイデオロギーが終わりを遂げたときだという。

 1789年から1989年までの資本主義世界経済を、イデオロギー的に接合したのはリベラリズムであった(それから由来するのではなくて、相互関係にあるパートナーの科学主義と並んで)。その日時はたいへん明確である。フランス革命が、リベラリズムを重要なイデオロギー的選択肢として世界の政治舞台へ登場させたのである。1989年の共産主義の没落は、その退場を示すものである。(P147) 

 近代世界システムを支えたイデオロギーとはどのようなものなのだろうか。

  1789年(フランス革命)のスローガンが「自由、平等、友愛(博愛)」であることは、中学の歴史の教科書にもあるとおりである。1789年すなわち18世紀末から19世紀初頭に支配的であった西欧(アメリカ合衆国を含む)における思想状況を著者(ウォーラステイン)は、(1)保守、(2)リベラリズム、(3)社会主義、に大別する。以下、本書に従い、それぞれの概略を示す。 

(1)保守 

 保守とは市民革命の思想に逆行、敵対する勢力が信奉するイデオロギーである。この勢力は国王(王室)、貴族、平民、奴隷等を序列化した身分制度を保持し、王族・貴族による国家支配を継続しようとする。強権的国家、教会、複数の共同体の伝統・規範・道徳(私法)に依拠し、言論、移動、職業選択、信仰等の個人の自由を認めず、選挙、議会による政権の移動、行政の執行を認めない(例えば絶対王政)。 

(2)リベラリズム 

 リベラリズムは前出のフランス革命のスローガンのうちの個人(の自由)を絶対的価値とする。リベラリズムは保守が依拠するものすべてを否定する。保守が守りたい身分制度や規範を打破し、個人の自由への希求により理想的世界をつくりだそうとする。ただし、個人の自由が理想社会を創造するという楽観主義にとどまり、その限界には当時もいまも、リベラリズムを支持する勢力は気づいてはいない、あるいは気づかないふりをして無視している。 

(3)社会主義 

 社会主義は平等を第一義とする勢力のイデオロギーである。フランス革命時においてはマルクス主義はうまれていなかったけれど、ユートピア的平等社会を夢想する社会主義者は革命勢力のなかに含まれていた。彼らは、保守=右翼に対する左翼として一括されていた。その後、19世紀中葉(1848年マルクスの『共産党宣言』)から、産業革命と同時に階層化されたプロレタリアート(工場労働者)に着目したマルクス主義が台頭し、世界を揺るがす政治勢力に成長した。社会主義にはリベラリズムと多くの共通点をみいだせるが、前者は変革の急進性を指向するという運動論において後者と相容れなかった。 

 なお、いうまでもなく歴史はリニアに進行するものではない。市民革命ののちに王政復古があり、ふたたび市民の革命が起り、そののちに帝政が復活するといった具合にジグザグがみられることはしばしばである。されど、1789年から1989年まで、リベラリズムがほかのふたつのイデオロギーを駆逐して、支配的イデオロギーとして定着してきたことは論を待たない。 

3つのイデオロギーと国家 

 3つのイデオロギーのうち、リベラリズムが世界を主導したとはいえ、ほかの2つのそれが消滅したわけではない。それらは互いに反発し合いながらも一定の支持者を、たとえば、ある地域では、リベラル<保守<社会主義といった割合を維持してきたし、他の地域ではその反対というケースもあった。さらに近代主権国家という枠組みで見ると、1789~1989のあいだ、いわゆる民主主義国家といわれる国々では、政党が選挙によってそれぞれのイデオロギーを代表し、多数派が政権を握るのだが、それぞれのイデオロギーは互いに影響を与えつつ、接近と離反を繰り返してきた。また、どちらかが歩み寄る連合というかたちで政府を立ち上げることもある。その場合、リベラルのもとに保守か社会主義が歩み寄る場合が多くみられる。つまり3つのイデオロギーは融合を繰り返しつつ変容してきたが消滅したものはない。著者(ウォーラステイン)はいう。 

 それぞれ(社会主義・リベラリズム・保守)のイデオロギーが、いくぶんやっかいな国家主義を説明するために依拠する弁明は、疑いもなく、異なっていた。社会主義者にとって国家は、全体的な意志を履行した。保守主義者にとって国家は全体的な意志に対抗して伝統的な権利を保護した。リベラルにとって国家は、個人の権利の繁栄を認める条件を作り出した。しかしいずれの場合も、言葉では正確に反対のことを呼びかけているが、基本線は、国家は社会との関係で強化されるものだということである。(P134) 

 3つのイデオロギーが200年間にわたり共生できたのは、それぞれを信奉する人民が国家を越えられず、その枠組みで対立しつつ、国家の存亡という美名の下、忠誠を誓って妥協を繰り返してきたこと、国家の枠組みの中で棲み分けて来たからにほかならない。このことについては後述する。

3つのイデオロギーと基本的人権 

 保守・リベラリズム・社会主義の3つのイデオロギーは基本的人権をどう位置づけているのだろうか。 

 保守には、基本的人権は存在しない。リベラリズムはどうなのか。フランス革命のスローガンのひとつである友愛(博愛)は、基本的人権の尊重を言い換えたものではない。なによりも、リベラリズムを基本とした自由主義国家群(西欧、アメリカ合衆国ほか)において、その遵守が21世紀になって強く人民に意識され、社会的課題となって浮上しているくらいなのである。社会的性(ジェンダー)の自由、信仰の自由、言論・報道の自由、差別の撤廃といったテーマは、フランス革命から200年以上たった現代においても、全世界的規模に及ぶ解決すべき命題となっている。 

 一方、1917年のロシア革命および第二次世界大戦を経て形成された社会主義国家群(ソ連・東欧・アジアの一部)においても、基本的人権は一党独裁の下、著しく蔑ろにされてきた。社会主義(国家)こそが人権抑圧においては、それ以外の他の国家形態よりも過激であった。そのことを別言すれば、基本的人権は、前出の3つのイデオロギー(保守、リベラリズム、社会主義)が建前はともかく、結果的には社会的に未達成の命題であったといえる。保守にもリベラリズムにも社会主義にも、基本的人権を尊重するシステムは内在していない。 

20世紀を振り返る


(1)第一次世界大戦とロシア革命 

 20世紀初頭、欧州大戦(以下「WWⅠ」)の最中、ロシア革命が起きた。この革命が共産主義革命の、またその後建設されたソ連が社会主義国家としての要件を備えていたのかということについては疑問が残るわけで、著者(ウォーラステイン)は革命後のソ連のイデオロギーをレーニン主義と称している。

 WWⅠ後の支配的イデオロギーは、レーニン主義と、国際連盟をつくったアメリカ合衆国大統領ウイルソンの名にちなんだウイルソン主義という二つの潮流として形成されたという。ウイルソン主義は大国化したアメリカ合衆国を代表するリベラリズムの変種である。その理由は民族主義の容認だった。いや、容認であるどころか、それを推進した。中南米における植民地独立は19世紀初頭から始まっていた。そして WWⅠ後、ハプスブルク帝国、ロシア帝国、オスマン帝国、清帝国(王朝)が滅亡したことにより、東欧、中東、アジアの各地域において、独立の機運が醸成されていった。

 レーニン主義はレーニン死後、後継者であるスターリンによって、以後、アジア・アフリカにおける植民地独立運動へと引き継がれる。

(2)リベラリズムと社会主義の融合 

 リベラリズムが支配的であった西欧の支配層は、ロシア革命後、ロマノフ一族がボルシェビキによって惨殺された事実を目の当たりにして、プロレタリア革命の恐怖に慄いた。彼らはプロレタリアートと妥協する道、すなわち、社会民主主義(社民主義)への路線変更を余儀なくされた。以降、社民主義は平等(所得の再配分)にもとづく福祉国家として西欧、北米、日本に定着していく。 

(3)第二次世界大戦(WWⅡ)後の世界 

 WWⅠ後に起きた逆流現象がファシズム国家の台頭であった。ファシズムのイデオロギーについては著者(ウォーラステイン)は本書ではふれていない。筆者なりにファシズムを大雑把に定義するならば、保守と社会主義の融合といえると思う。民族、宗教(異教)、少数エリート支配という保守を土台としながら、ポピュリズム(みせかけの平等化)で人民を扇動しつつ、選挙・議会を否定し、人民の自由を暴力で抑圧する。 

 WWⅡが1945年に終わり、ファシズム国家群が消滅したあとには、社会主義(東)とリベラリズム(西)が「対立」する冷戦と、アジア・アフリカ(南)における植民地解放運動(戦争)の時代が到来した。

(4)冷戦の本質――米ソ合意にもとづく世界分割支配の完成 

 著者(ウォーラステイン)は東(ソ連)西(アメリカ合衆国)冷戦について、次のように書いている。 

 アメリカとソ連は、水面下では異なっているが、地表は同一物のような関係であった。表面上、アメリカとソ連はイデオロギー的な敵であり、1945年以来のみならず、1917年からずっと冷戦に縛り付けられていた。両者は歴史的現実をまったく異なって読解し、社会的な善についてはオールタナティブなヴィジョンを代表していた。二国の構造はまったく違い、ある側面では根本的に異なっていた。さらに両者は、このイデオロギー的断絶の深さを大変声高に宣言し、あらゆる国やグループにどちらか一方を選ぶように呼び掛けた。「中立主義は不道徳である」といったジョン・フォスター・ダレスの有名な宣言を思い出してほしい。ソ連のリーダーも同様の声明を発したのである。 

 それにもかかわらず、事実はまったく異なっていた。ヨーロッパでは、多かれ少なかれ、第二次世界大戦の終わりにソ連とアメリカの軍隊が出会ったところで、一本の線が引かれた。この線の東側はソ連の政治支配が予定された地域であった。アメリカとソ連の協定は、有名で非常に簡単なものだった。ソ連は、東欧地域内では思い通り振る舞うことができた(つまり衛星国家を造ることができたのである)。二つの実行条件、第一に、両地域はヨーロッパにおける絶対的な国家間平和を遵守し、他地域の政府を変えたり転覆したりする試みを控えること、第二に、ソ連は経済的再建に際して合衆国の援助を期待しないし獲得もしないことが決められていた。ソ連は可能なものはなんなりと東欧から獲得することができたし、アメリカはその財源を(莫大ではあったが無制限というわけではなく)西欧と日本につぎ込んだ。(P24~25) 

 東西冷戦はリベラリズム(アメリカ合衆国)と社会主義(ソ連)による分割支配の合意、すなわち、疑似的「対立構造」であった、ということだろう。この合意以降、ヨーロッパの平和は完全に維持され、西欧における共産主義反乱の恐れはまったくと言っていいほどなかった。西欧内に例外的に発生したギリシャの共産主義反乱にソ連は介入しなかったし、アメリカ合衆国も、東欧におけるソ連からの分離運動(ハンガリー革命、チェコスロバキアの「プラハの春」等)を支援することはなかった。ギリシャはソ連に、ハンガリーとチェコスロバキアは、アメリカ合衆国に見捨てられた。 

(5)第三世界における民族自決 

 西欧列強による植民地支配を終わらせるというプログラムの発案者はWWⅠ後に国際連盟を創設したウイルソンアメリカ合衆国大統領とソ連の指導者レーニンであった。 

 イデオロギーとしてのレーニン主義は、おそらくウイルソン主義とは二律背反をなすだろう。実際には、多くの点でレーニン主義はウイルソン主義の化身であった。第三世界のためのウイルソン主義のプログラムは、レーニンによってマルクス主義用語に翻訳された。そしてそれは反帝国主義と社会主義の建設という姿をとった。このことは明らかに、世界システムの周辺の政治過程を支配している人たちの、客観的な相違を反映するものだった。しかし現実のプログラムは同じ形をとっていた。まず第一に、(植民地ではこれまでにはじめて、またすでに独立した第三世界でははじめて現実に)主権を確立するような政治的変化である。次に、有効な国家官僚の創設、生産過程の改良(「工業化」)や社会的(とりわけ教育と健康における)インフラストラクチュアの創設などを含む経済的変化である。ウイルソン主義者とレーニン主義者がともに約束したことは、結論的には、豊かな国と貧しい国のギャップをなくす「キャッチアップ」であった。(P27~28) 

 第三世界の諸国は「ウイルソン=レーニン主義」に従って、まず独立した政治主権の確立に向かった、すなわち解放闘争(反植民地闘争)である。西欧列強はそれを阻止しようとして解放勢力を弾圧した。その弾圧の仕方は西欧列強諸国によって異なっていたが、第三世界諸国側の勝利に終わり、1955年にバンドン会議が開催され1960年代末には第三世界のほとんどいたるところで脱植民地化が達成された。つまり、1970年代、第三世界は、前出の第一段階である〈主権の確立〉が達成され、次の有効な国家官僚の創設、生産過程の改良(「工業化」)や社会的(とりわけ教育と健康における)インフラストラクチュアの創設などを含む経済的変化、すなわち第二段階に進むべきときがきていたのである。 

資本主義世界経済とコンドラチョフ波循環(A局面とB局面) 


(1)コンドラチョフ波循環とは何か 

 著者(ウォーラステイン)の政治経済思想のキーワードとなるのが、〈コンドラチョフ波〉である。一般にそれはつぎのとおり説明される。 

約50年の周期の循環。長期波動とも呼ばれる。ロシアの経済学者ニコライ・ドミートリエヴィチ・コンドラチエフによる1925年の研究でその存在が主張されたことから、シュンペーターによって「コンドラチェフの波」と呼ばれ、その要因としてシュンペーターは技術革新を挙げた。第1波の1780 - 1840年代は、紡績機、蒸気機関などの発明による産業革命、第2波の1840 - 1890年代は鉄鋼、鉄道建設、1890 - 1920年代の第3波は電気、化学、自動車の発達によると考えた。この循環の要因として、戦争の存在を挙げる説もある。その後の第4波がエレクトロニクス、原子力、航空宇宙、第5波がコンピューターを基盤としたデジタル技術、バイオテクノロジーとして、それが現在終わりに差し掛かっているといった見方や、現在も第4波が続いていて、これからライフサイエンス、人工知能、ロボットがけん引する第5波が来るといった見方がある。(Wikipedia) 

 著者(ウォーラステイン)いよる説明は以下のとおりである。 

 資本主義世界経済は、ある特定された地域における特定の種類の生産(相対的に独占的でそれゆえ高利潤の生産)の集中に基礎をおいた、階層的な分配を伴うシステムであり、それゆえにまたそれによって、資本の最大の蓄積の場所となるのである。この集中は国家組織の強化を可能にし、その結果として相対的な独占の存続を保障しようとする。しかし独占は本来壊れやすいために、不断に不連続で、限定的だが重要な集中センターの再配置が、近代世界システムの全史を通じて生じた。 

 変化のメカニズムは循環的なリズムを持っており、その内で二つのものが最も重要である。コンドラチョフ波循環は、ほぼ50年から60年の長さを持っている。そのA局面は、基本的に特定の重要な経済的独占が保護されうる長さを反映している。B局面は、独占の利益が組み尽くされてしまった生産を、地理的に再配置する期間であり、将来の新しい独占の支配をめぐる闘争の期間である。より長期的な覇権循環の内には、資本蓄積の拠点となることによって、それ以前の覇権強国の後継者になろうとする二つの主要な国家の闘争も含まれている。それは結局は、いわゆる三十年戦争に勝つほどの軍事力を持つことも含む長い過程である。いったん新しい覇権が設定されると、その維持のために大きな財力が必要であり、結局それは不可避的に現存の覇権強国の相対的な停滞と後継者争いにつながるのである。

 この緩やかだが確実に繰り返される、資本主義世界経済の再構築と中心部の再設定の仕方は、非常に効果的であった。この大強国の興隆と停滞は、多かれ少なかれ、企業の興隆と停滞と同じ種類の過程であった。つまり独占は長期に持続する。しかしそれは自らを維持するまさにその手段によって究極的に掘り崩される。それに続く「破産」は、メカニズムの清掃をして、ダイナミックな力が枯渇したこれら諸列強によるシステムを除去して、新しい血を持ったシステムに置き換えてきた。それはしばらく持続するが、しかしちょうど経済的独占と同じように、それを維持するための手段そのものによって掘り崩されるのである。

 システムは(それが物理的、生物的、社会的システムであれ)、すべてそのような最小の均衡を回復する循環的リズムに依存している。資本主義世界経済は強固な種類の史的システムであることを示してきた。それは今までにおよそ500年という、史的システムとしては長い期間、かなり元気よく繫栄してきた。しかしシステムは、循環的リズムのような1世紀に及ぶ趨勢を持っている。そしてこの趨勢は常に(あらゆるシステムが含んでいる)諸矛盾を激化させるものである。諸矛盾が先鋭化し、次第により大きな盛衰につながる地点というものがある。新しい科学の言葉では、このことは混沌(カオス)の始まりを意味し(それは決定論的方程式で説明可能なことが、急激に予測できないような分岐点〔バイファケーション〕に到達する。ここから新たなシステムの秩序が現れる。 

(中略) 

 ・・・わたしが明らかにしたいことは、覇者の循環はコンドラチョフ波循環よりずっと長いけれども、覇権循環の屈曲点はコンドラチョフ波循環の屈曲点(しかし、もちろんそのすべてではないにしても)と一致するということである。この場合、その屈曲点は1967年から73年頃である。(P47~50) 

(2)コンドラチョフ波B局面の通常の兆候 

 コンドラチョフ波B局面については先の引用にある通り、《独占の利益が組み尽くされてしまった生産を、地理的に再配置する期間であり、将来の新しい独占の支配をめぐる闘争の期間である》。そして、《それ以前の覇権強国の後継者になろうとする二つの主要な国家の闘争》が含まれる。さらに、《いったん新しい覇権が設定されると、その維持のために大きな財力が必要であり、結局それは不可避的に現存の覇権強国の相対的な停滞と後継者争いにつながる》のである。 

 著者(ウォーラステイン)はその兆候といえる現象を次のように列挙する。

〔生産における成長の減速〕 

  • 一人当たりの世界生産の減退、 
  • 活動中の賃金労働者の失業率の上昇、
  • 利潤の現場が生産的行為から金融操作による利得に相対的に移動したこと、 
  • 国家債務の上昇、 
  • 「より古い」産業の低賃金地帯への置き換え、
  • 軍事支出の上昇(その正当化は、現実にはまったく軍事的なものではなくて、むしろ循環に反作用する需要を創造するという意味でなされる。 
  • フォーマルな経済における実質賃金の下落 、
  • インフォーマル経済の拡大 、
  • 低コスト食料生産の減退 、
  • 地域間移民の「非合法化」の拡大 、

〔覇権の凋落が始まる兆候といえる現象〕 

  • 主要な「同盟」列強の経済力の増大 、
  • 通貨の不安定化 、
  • 新しい意思決定現場の興隆に伴う世界金融市場における権威の低下、
  • 覇権国の金融危機、世界の政治的権威の緊張の組織化(安定化)の衰退 、
  • 覇権権力維持に命を懸けようとする民衆の意志の衰弱 、

(3)新たなコンドラチョフ波のA局面 

 著者(ウォーラステイン)は1995年当時の状況とこれまで記述した現象に照合したうえで、1995年を通常の循環過程における入れ替え構造の生成の時期であると特定し、《1995年から5~10年以内の新たなコンドラチョフ波のA局面に入ると予想しうる。そしてその結果として、新たな独占的な一流の生産物に基盤をもち、新たな立地に集中した地域として、第一に日本、第二にEC(現在のEU)、第三にアメリカ合衆国を挙げ、アメリカ合衆国は徐々にゆっくりと崩れ、日本とECが覇権を握るであろう(P50)》と断言した。

 しかしながら、〝新たな独占的な一流の生産物に基盤をもち、新たな立地に集中した地域″は日本、ECではなく、停滞すると言われたアメリカ合衆国だった。〝新たな独占的な一流の生産物″とは言うまでもなく、インターネットに代表されるIT(デジタル)技術であり、その急速な発展に伴い、GAFAM(グーグル、アマゾン、フェイスブック/現メタ、マイクロソフト)等のIT企業が世界制覇を成し遂げ現在に至っている。その一方、著者(ウォーラステイン)が覇権を握る第一候補として挙げた日本は1991年のバブル経済崩壊後からアベノミクスといわれる誤った経済政策の舵取りの間、産業と社会におけるデジタル化に立ち遅れ、コンドラチョフ波B局面に入ったまま停滞から抜け出せずにいまある。 

1968年革命とそれ以降の世界 

 WWⅡ後、アメリカ合衆国はソ連と対立しつつ、戦争で荒廃した先進工業国家群(西欧、日本)を従属させる国力を有し、西欧、日本はアメリカ合衆国の下位の立場にあった。

 アメリカ合衆国のその地位が低下し始めたのが1970年だった。コンドラチョフ波B局面が始まるときに、西欧と日本が経済成長を達成して、生産力水準においてアメリカ合衆国に並びかつ追い越し始めるほどにまでなった。というよりはむしろ生産のグローバルな拡大自体が下降の主要な原因であったといえるだろう。(P29~30) 

 そのとき1968年革命が起きた。それはアメリカ合衆国、西欧、日本、中国にまで波及した。この革命を呼び起こしたもうひとつの要因はヴェトナム戦争であった。この戦争について著者(ウォーラステイン)は以下のとおり書いている。 

 ヴェトナム戦争が明らかにしたことは、アメリカは〔脱植民地化を〕要求するグループを認めないときでさえ自らのウイルソン的信条〔民族自決〕に従わなければならなかったということであり、それだけではなくアメリカがそれを認めなかったので、その代償は国内におけるアメリカ政府の正当性を弱めてしまったということであった。そして1968年の世界革命は、アメリカが構築してきたすべてのイデオロギー的合意――その中には防護盾としてのソ連 The Soviet Shild〔注〕 という予備カードを含む――を堀り崩してしまった。(P30)
〔筆者注〕shild(英語):盾、防御物の意

  日本における1968年革命を主導した党派のひとつである革命的共産主義者同盟は「反帝国主義(アメリカ合衆国)、反スターリン主義(ソ連)」をスローガンとしていた。そして彼らは、ソ連の代理人と彼らが見做した日本共産党および日本社会党をスターリン主義として批判した。フランスにおけるパリ五月革命においても、全学連(UNEF)や労働者団体である革命共産党連盟(LCR)などは、反スターリニズム(毛沢東主義、トロツキズム)を掲げて反政府運動を組織化していた。 

 1968年革命は、アメリカ合衆国・ソ連が1945年以降培ってきた世界秩序(世界分割統治)に対する抵抗を象徴する出来事だった。著者(ウォーラステイン)は1968年革命を反システム運動と規定し、フランス革命から始まり、1848年革命、1917年ロシア革命、二つの世界大戦、そして1989年(ソ連崩壊後)の東欧革命から1990年代におけるリベラリズムの限界を見とおしたように思える。 

 1968年革命は、政治的運動としては、局地的なものにすぎなかった。それは急激に燃え広がり、そしてそれから(3年以内に)消し止められた。その残り火は――多様で競い合う毛沢東主義まがいのセクトの形で――その後5年から10年は生き残ったが、1970年代の終わりまでにはこれらの集団は、すべて目につかない歴史の片隅に名を残すだけの存在になってしまった。それにも関わらず、1968年革命の地政学上の影響は決定的であった。というのも1968年の世界革命は、一時代の終わりを告げたからである。つまりリベラリズムが支配的な世界イデオロギーとしてでなく、絶えず合理的になり、そのゆえに科学的に正当であると主張できる唯一のイデオロギーとして、自動的に中心に収まる時代は終わったことが明らかになったからである。1968年の世界革命は、リベラリズムをそれが1815年から1848年の間にそうであった位置につまり多くのものの中で競い合う単なる一つの政治戦略という位置に押し戻した。この意味で保守主義も急進主義/社会主義もともに、1848年から1968年まで縛り付けられてきたリベラリズムの磁場の力から解放されたのである。(P396) 

 1815年とは、欧州各国がウィーン議定書(ウィーン会議)を承認し、君主制に基づく保守体制を確立した年である。欧州各国は、自由主義、ナショナリズムと対立することに合意した。また、1848年とは、欧州各国で反ウィーン体制に対する革命が起った年である。つまり1815~1848年のあいだは、欧州は君主制が復古し、リベラリズム、ナショナリズムが抑圧されたのである。1968年革命以降の世界は、ウィーン体制の時代と同様、 WWⅡ(1945)後からそれまで続いたリベラリズムが終わった時代になっていると言いたいようだ。 

 こうしてわたしたちは現在にまでたどり着いたのだが、現在わたしたちの前にあるのは暗黒時代であるとわたしは思う。この時代は1989年(1968年の延長線上に)象徴的に始まり、今後少なくとも25年から50年は続くだろう。(P398) 

 冒頭に示したように、本書が著わされたのが1990年代初めのことであるから、暗黒時代は2040年くらいまでは続くことになるのだろうか。〔完〕  

2024年3月15日金曜日

深夜の谷中



 

中平卓馬写真展(東京国立近代美術館)

 






竹橋



2024年3月10日日曜日

『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』

●白井聡〔著〕●講談社学術文庫 ●1265円

 本書は、ロシア革命の指導者レーニンの代表的著作物である『国家と革命』『何をなすべきか?』を読み込みながら、レーニンの革命論の本質に迫ることを意図したものである。ところが、著者(白井聡)の本意を離れて、プロレタリア革命の不可能性を証明する方向に論が進んでしまったように筆者には思える。
 その根拠は、著者(白井聡)がプロレタリアートが団結し、階級闘争を闘うことができない理由の論証を試みたことによる。

政治と経済の分離


 資本主義経済体制において、ブルジョアジーによるプロレタリアートにたいする搾取が隠蔽されてしまう主因について考えてみよう。近代国民国家では、市民社会と経済システムが分離しているからとされる。資本主義社会における市民は、フランス革命に代表される革命後に獲得された自由市民の権利――啓蒙主義が謳う自由、平等、基本的人権の尊重、議会制民主主義への参加という普遍的理念――の下におかれている。そのことゆえに、プロレタリアートとブルジョアジーが直接対決する機会を失っているのである。両者にあって、機会は均等に与えられているにもかかわらず、プロレタリアートがブルジョワジーよりも貧しい暮らしをしているのは、自己責任すなわち彼らが努力をしなかったから、能力が劣っていて人生の競争に負けた者だから、という風潮がそのことのわかりやすい表現になる。両者は「生来」、平等なのであるというわけである。
 著者は、政治と経済の分離からだと表現する。
「労働者階級の分断化傾向」とは、はたして本質的なものの直接的な現れなのか、それとも本質的なものが何らかの障害によって逸脱した非本来的な結果なのか。〔中略〕端的な結論を言えば、答えは前者である。すなわち資本制社会においては、プロレタリアートが団結することは根本的にできない。このことは資本制社会の構造から内在的に証明される。〔中略〕資本制社会では政治的支配と経済的支配が分離する。そのため、法治国家として現れる政治権力は〔中略〕形式的には中立な存在とされる。(P353~354)
 著者(白井聡)によれば、近代資本制では「労働力の商品化」の下、ブルジョアジーとプロレタリアートとの対立が和解不可能なものでありながら、前者は後者を暴力的に支配してはいない、つまり人格的支配ではない。そのことが近代資本制と古代奴隷制と異なる点となる。
 プロレタリアートはブルジョアジーの賃金奴隷でありながら、あくまでも身分的な奴隷ではない。商品化されたプロレタリアの労働力は「等価交換」される。つまり経済原理からすれば、労働力商品はあくまでも「公正」に扱われる。ただ実際には、マルクスが「剰余価値」の概念によって明るみに出したこの「公正」な「等価交換」の真只中において搾取がおこなわれている。
 ただし、労働争議というかたちで、プロレタリアートがスト権を行使し、それにたいしてブルジョアジーが暴力団等を使って排除しようとするようなケースは起こりえるのだが、そのような紛争は個別的であり、プロレタリア革命を呼び起こすようなパワーにはならない。

ブルジョア国家による公権力の行使


 次に、著者(白井聡)はブルジョア国家の内実を暴くことによって、プロレタリア革命の不可能性を説明する。ブルジョア国家は、ブルジョアジーとプロレタリアートが前出のとおり和解不可能でありながら、両者の直接対決を隠蔽・回避する仕組みを構造化しているからだという。
 ブルジョア国家は軍隊・警察・司法等の暴力装置を備え、また、それらを円滑に運営する官僚機構も常備している。それらは主に私有財産的法秩序の執行権力として機能する。窃盗、強盗、殺人等の犯罪を防止する、あるいは犯罪者を拘束することで市民社会の安寧が維持されると考えて不思議はない。しかし、前出の労働争議いおいて、労働者側の暴力が進行して、職場を占拠するような事態にいたると、資本側は、国家権力=警察を用いて排除することができる。工場、職場という私有財産を守るという名目で、資本側による労働者にたいする排除(警察による暴力)は法的に正当化される。資本家は直接的に労働者と対峙することなく、国家権力によって法的に守られる。21世紀、フランスの「黄色いベスト運動」と呼ばれる労働者集団による街頭請願デモが法規制を超えて暴力化したとき、警察機動隊が暴力的規制を行い、デモ隊を排除した。「黄色いベスト」というプロレタリア集団は、ブルジョアジーによって私的に規制・排除されるのではなく、国家権力によって排除される。
 ここまでの論点は特に目新しいものではない。マルクス・レーニン主義に関心を抱いた者ならば、みなわきまえているにちがいない。

ロシア革命成就の決定的要因


 プロレタリアートが団結することは根本的にできない、と著者(白井聡)が断言しながら、ではなぜ、ロシア革命が起き、プロレタリア独裁が達成できたのか。筆者は、本書において以下の言説のみに本書のレーニン論(ロシア革命論)に新しさを感じる。
 ロシア革命の勃発の要因を第一世界大戦下という歴史状況を抜きにして語ることはできないことは自明であるが、その成功の端的な要因は、戦時下の総動員体制にある。それはすなわち、労働者および農民という大衆が、総動員体制によって兵士という「特殊な力」へと大規模に編成されていたという状況である。レーニンが「帝国主義戦争を内乱へ」というテーゼによって企てたことは、このような形で現れた「特殊な力」を徹底的に利用することであった。言いかえれば、それは人類史上初めての総力戦によって未曽有の規模で組織された「特殊な力」を質的に転化させることによって、それを一挙に革命の原動力へと転換させてしまったことであった。(P385)
 帝政ロシアが第一世界大戦下にあったことがロシア革命勃発の要因の一つだとする説は、著者(白井聡)がいうように自明のことである。戦時下における民衆のますますの困窮、厭戦気分などがときのロシア皇帝にたいする強い反発となったとされる。困窮はパンを求め、厭戦は身近な人が戦死する悲しみとなって、ツアー体制に対抗する〈力〉を醸成した。そのことはこれまでのロシア革命論で言い尽くされた事柄である。
 著者(白井聡)の新しい視点は、総力戦体制が革命の〈力〉を引き出したとするその一点にある。革命の〈力〉を簡潔に表現すれば、人民の総武装がなされていたということだ。著者(白井聡)が〈力〉と抽象的に表現するその内実は、人民の総武装状況である。
 

前衛によるによる外部注入の必要性


 著者(白井聡)は、プロレタリアートの団結は不可能だと言い、ブルジョア国家においてはプロレタリアとブルジョアの直接対決は公権力により回避・調停・鎮圧されると断言した。
 レーニンもそう考えていたのではないか。民衆蜂起を予感したレーニンは、帝国主義戦争下、民衆の怒りが蜂起を現実化したとしても、その主体はプロレタリア階級ではなく、もちろんプロレタリア階級を含んでいたとしても、プロレタリアートとブルジョワジーとが和解不可能であるがゆえの蜂起だとは考えられれなかった。 革命前の1913年、ロシア総人口の66.7%を農民が占め、雇用労働者は17.0%にすぎなかったという統計がある。そのようなレーニンの現状認識が、『何をなすべきか?』の中核となる〝前衛による外部注入”を必要とする党と民衆との組織論となった。
 ロシア革命が成就されたのは――不可能性を可能ならしめたのは――総力戦体制という戦時体制だったと考えるほかない。ならば、総力戦体制という状況がなければ、プロレタリア革命は不可能であるという結論が導かれていいのだろうか。

レーニンの影響


 日本の「1968年革命」の最終局面(実年代は1970年以降)、日本の新左翼革命派は、革命運動の後退局面において、日本革命成就の条件を軍事〈=力〉と結論づけた。セクトの中には、武器調達や爆弾製造に進むもの、海外革命根拠地づくりを目指して日本を飛び出したもの、対立する党派を反革命集団と位置づけ、それを殲滅することが革命の第一歩だとして殺人を辞さない内ゲバ闘争に純化したもの――などが蠢動した。いずれもが軍事〈=力〉をプロレタリア革命の最重要事項と認識したことに変わりない。だが、やがて彼らは自壊の道に進んだ。
 「1968年革命」からおよそ半世紀前の帝政ロシアでは、日本の革命家が喉から手が出るほど欲しがった武器をブルジョア国家が民衆に供与した。革命家が熱望する〝全人民武装”がなんなく達成されたのである。レーニンにとって、千載一遇のチャンスっだった。
 著者(白井聡)がいうところの革命側の〈力〉は、前出のとおり、皮肉にもプロレタリアと対立するブルジョア国家によって、与えられたのだった。そしてその〈力〉を構成する者は、農民、労働者、商工業者の混成であり、彼らは国家が擁する暴力装置の中の最強部隊すなわち兵士という身分だった。
 ロシア革命は、秀逸な理論家であり、忠実なマルクス主義者であり、卓抜した戦略家でもあるレーニンが指導した革命である。ロシア革命をプロレタリア革命とよぶよりも、「レーニンの革命」とよぶほうがふさわしいような気がしてくる。未完のロシア革命ともいえようか。〔完〕

2024年3月7日木曜日

『危険社会 新しい近代への道』

●ウルリヒ・ベック〔著〕●ウニベルシタス叢書(法政大学出版会)●4700円+税 

 階級状況における危険への曝され方と危険状態における危険への曝され方とは決定的に異なる。図式的に言えばこうである。階級状況では存在が意識を決定したのに、危険状態では反対に意識(知識)が存在を決定するのである。(本書P81)

 「存在が意識を決定した」という文言はいうまでもでもなく、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』にある「生活が意識を決定する」を敷衍した表現である。ベックは、本書副題「新しい近代への道」を付し、資本主義国家における社会のありようの大雑把な歩みとして、19~20世紀初頭=階級社会、~20世紀中葉=福祉社会、そして20世紀末~21世紀に至る社会が危険社会だという認識を前提とし、〈前近代〉→〈単純な近代=産業社会〉→〈自己内省的近代=危険社会〉という対応関係を設定する。 

危険社会とはどのような社会なのか 

 危険社会とはなにか――社会の発展が生み出した産業社会のさまざまな矛盾の一つの表出である。たとえば、大気汚染、有害食品、無秩序な森林伐採等による自然環境破壊、地球温暖化による気候変動・異常気象、そして原子力発電所事故により発生する放射能汚染等である。本書が著わされた1986年にはチェルノブイリ原発事故(1986/4/26)が発生している。これらのリスクは社会内の階級、階層を問わないばかりか、国民国家の国境を超え、すべてのpeopleにふりかかる。危険は国民国家の社会内の集団、階層、階級にふりかかるものではないから、経済闘争、政治闘争の目標になりにくい。 

 21世紀(2011/3/11)に発生した福島第一原発事故を経験した日本人は、危険社会を切実に実感している。そして隣国は、日本政府が行った高濃度の放射性物質を含んだ 「汚染水」の海洋放出にたいして、抗議の声を上げている。いままさに、人類は危険社会に生きている。 

近代国家、福祉国家 

 近代国民国家は、市民社会と経済活動が分離している。18世紀後半から19世紀にかけて、アメリカ合衆国を含めた西欧においては、啓蒙主義、革命、共和国制(立憲君主制を含む)をほぼ達成した。それ以降形成された市民社会においては、市民(citoyen)は啓蒙主義が謳う自由、平等、基本的人権の尊重、議会制民主主義への参加という普遍的理念の下におかれている。ところが、経済的支配はブルジョワ( bourgeois)に独占されていて、市民の中の労働者(proletariat)は下層(階級)に押し込められている。ブルジョアもプロレタリアも市民として同等の権利をもち、普遍主義的基本的人権を保証されているとされながら、後者は実態的には二級市民である。 

 20世紀に入り二つの世界大戦を経た後、市民社会における階級格差を調整する福祉国家が誕生する。それを生み出したイデオロギーが社会民主主義である。国家の中枢に位置する政治は官僚機構を通じて、経済格差が暴力をともなう社会主義革命へと波及しないよう、所得の再配分、雇用確保、労働条件の改善等の社会政策を実施した。福祉国家とは介入国家のことでもある。 

個人化そして自己内省化 

 産業の高度化に伴い、福祉国家内の市民社会に変化が訪れる。ベックは旧西ドイツにおける最初の変化を個人化と呼んでいる。それまでの産業社会を円滑に運営してきた核家族(夫婦・親子・結婚制度等)、学校、職場、宗教、ジェンダーが見直されるようになっていったのだ。産業社会では男女が結婚して(核)家族をつくってきた。そして、夫(男性)が働き、妻(女性)が家事・子育てを行うという分業体制が一般的となっていた。 

 ところが、女性も仕事を続け自立し、離婚が増加したばかりか、そもそも結婚しないカップルのほうが当たり前となる。非婚社会では、生まれた子供の血縁としての父親と育ての父親は異なることが多くなる。母親も働いているから、父権は喪失する。労働環境にも劇的な変化が訪れようとしている。マイクロ・エレクトロニクスの発達により職場は解体され、在宅ワークが増加する。パートタイマー、派遣社員等の非正規社員が増加し、労働組合の役割はそれほど大きくなくなる。福祉国家の基礎となった共同体は社会変容に従って、なし崩し的に解体する。かくして、社会は個人化から自己内省化という未知の社会へと変わろうとしている。 

 われわれがいま生きている世界は、否定的な側面ではレーニン時代に似ており、肯定的な側面ではそれと似ていないという、全き不幸な状態にある。(『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む /講談社学術文庫/白井聡〔著〕)

 〝レーニンの時代”とは帝国主義国家同士が総力戦を戦っている時代である。世界がその時代に再帰していくことだけは阻止しなければならない。

 なお余談だが、日本で在宅ワークの普及をみたのは、21世紀のコロナ禍であったことを考えると、ベックが1980年代にすでにその普及を実感していたことは、日本とドイツの国情の違いに驚くばかりである。

科学・技術と危険社会 

 そもそも危険は産業の発展、科学・技術の「進歩」がもたらした副作用である。ところが、「進歩」を牽引してきた科学・技術(界)は、社会の変化に規定されない特別の世界として、独自の価値観・行動様式に基づいて運営されている。科学・技術(界)は、政治・官僚機構・社会の干渉を退け自律したままなのである。その思想とは、「科学・技術の進歩イコール社会の進歩」という予定調和説であり、政治・行政・社会もそのことを疑わず、介入することがなかった。

 いや、疑わなかったというよりも、「進歩する科学」という信仰を利用してきたともいえる。たとえば、食料品における有害物質の含有量は、安全基準という科学が決定したメルクマールによって、単一の食材ごとに定められている。ところが、人間はきわめて多種の食材を摂取する。ざっと1日3食に摂取する食材の品目を数えてみても、朝はパン、サラダ、タマゴ、ベーコン(ハム)、チーズ、コーヒーに砂糖にミルク、昼は、夜は・・・というわけで、食材のトータルな有害物質含有量は安全基準をゆうに超えた数値を記録することは明白である。個々の安全基準を超えない許容数値を定めても、総量すなわち複合的汚染を「科学」は指摘しない。 

 行政と「科学」は共犯関係にあり、行政は「科学」の無謬性(神の代替品)を利用してきた。「科学」が科学的でないことは産業社会にあって、至極当たり前なのである。「科学」側の反論もあろう。安全基準を設定してから数年経過したところで、病人も死者は出ていない、だから「科学」が決定した基準の安全性が証明されたのだと。しかし、これから数百年先の人類にどのような影響が出たのかをだれも確認することができない。「科学」の無謬性はこうして社会に定着してしまっている。

科学・技術というサブ政治 

 「科学」は批判の対象とならないことから、サブ政治化する。サブ政治とは聞きなれない言葉だが、「サブカルチャー」という概念をわれわれは熟知している。それは、〝社会の支配的、伝統的な文化に対し、その社会の中のある特定の集団だけがもつ文化的価値や行動様式"のことである。サブ政治も同様に、社会を支配する政治に対し、ある特定の集団(ここでは「科学」界)だけがもつ政治システムのことである。しかも、「科学」が上位であって、本来政治は下位にある。 

 ベックは、科学のなかでも医学界をサブ政治の典型的事例として挙げている。医学のなかで医療というサブ政治は、強固で他を寄せつけない。もろもろの新薬開発、感染症予防ワクチン、難病治療薬、病院制度、医療従事者、健康保険といった幅広い分野について、科学者、医師、看護師、医療技師、製薬会社、医療機器メーカー等、行政(官僚機構)、政治家が、横断的に協同関係を保持し活動している。近年では、それにマイクロ・エレクトロニクス業界、マスメディア、金融業の参入も顕著である。政治(立法府)・行政(官僚機構)が関与しないわではないが、決定のイニシアチブをもっていない。直近の新型コロナ禍における mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンの開発とその接種に係る社会の騒乱は記憶に新しいところである。政治も行政も科学的確信のないまま、それを許可せざるを得なかった。 

科学・技術を正常に戻す処方箋 

 「科学は進歩しなければならない」というテーゼがまちがっているわけではない。ベックが挙げた人工授精やクローン人間の製造というおぞましい「進歩事例」は、「科学の進歩」を意味しない。それは人間の邪悪な欲望の赴くままに科学を操作した行為にすぎない。科学の進歩を止めてはならない、というテーゼにかわりない。科学を正常に戻す処方箋が必要なのである。そのことについて、ベックは次のように書いている。 

 未来に逃避する人間遺伝学を現在に引き戻すには(中略)、サブ政治の影響力を一定範囲で育て法的にこれを保障すること(中略)。最も基本的なものは、強力かつ独立した司法、それからマスメディアの受け手としての強力かつ独立した大衆である。(中略)〔そして〕これを補完するものが必要となる。独占を行うものが等しく価値を認めるのは自己統制であるが、この自己統制は自己批判によって補完されなければならない。つまり、職業的専門家と企業による優位に対抗し苦労して勝ち取ったものは、制度的にこれが保障されなければならないのである。例えば、専門家の見解に対する対抗専門家の専門的見解、オルタナティブな職業活動、企業や職種内部において自分たちの活動がもたらしている危険について自由な議論ができること、懐疑主義の放逐などである。(中略)つまり批判すなわち進歩である。医学と医学が対決し、原子物理学と原子物理学が対決し、人間遺伝学と人間遺伝学が対決し、情報工学と情報工学が対立する。このような対決が存在し得て初めて、実験室の中で、われわれの将来がどのように扱われているかについて知ることが可能になる。そして評価もできるようになるのである。さまざまな形で批判ができるということは決して脅威でも何でもない。むしろかつては見逃されていた、あるいは現在も見逃されている誤りを前もって発見する可能性があるということである。(P457~458) 

 ベックの処方箋が、危険社会を克服するそれとしても有効だ、と筆者は確信する。〔完〕