写真展「木村伊兵衛 没後50年 写真に生きる」(東京都写真美術館)に行ってきました。
自分の中に、「写真なんて・・・」という思いを抱いていた時期がそう短くなくありました。そのような思い込みを粉砕したのが、この人の『パリ』という写真集でした。
パリの下町の住人たちの、たとえば老人の皴、若くないマダムの怒りの表情、子供たちの屈託のない笑顔などなどが、一枚一枚の写真に切り取られていました。それらは1秒の1/60、1/100~といったシャッタースピードがとらえた瞬間なのかもしれませんが、むしろ被写体となった人物の人生を感じさせるものでした。被写体を人間に限定しなくとも、たとえば剝がれかけた古いポスター、壁のシミ・割れ目・朽ちた色彩等々から、パリというまちの歴史が伝わってくるように感じられました。そのことを換言すれば、写真は1秒のおよそ百分1くらいの瞬間をもって、普遍性を写し出すものなのだ、と悟ったように思います。
木村伊兵衛は戦時中、日本帝国の戦争勝利に資するプロパガンダのリーダーだったことがわかっています。そのことをもって彼を批判し、彼の作品すべてを否定する立場もあるのでしょうが、筆者はそのような立場に与しません。彼が戦争推進の宣伝に従事したということは、兵士として戦地に赴いたことと変わらないと思います。当時の日本帝国国民の大多数がそのように行動することを自覚していたかどうかを問わず、強いられていたのだと思います。なにより大事なのは、侵略戦争とその敗戦をどう受け止め、いかに戦後を生きるかだったのだと思います。
木村伊兵衛が戦時中の自己の職務を自己批判したのかどうか、しなかったからどうなのか――ということについて、筆者は関心をもちません。そのような問いに対する答えについては、木村の戦後の作品がすでに出しているように思えるからです。(本写真展は撮影禁止)