2025年9月26日金曜日

映画『シビル・ウオー アメリカ最後の日』

 ●アレックス・ガーランド〔監督〕●アレックス・ガーランド〔脚本〕 ● A24、 エンターテインメント・フィルム・ディストリビューターズ/amazon prim video〔配給〕

 

シビル・ウオーとは内戦のことだ。近未来、アメリカ合衆国が深刻な内戦に陥った状態から映画は始まる。テキサス州とカリフォルニア州が合体した西部同盟(以下「WF」と略記)が連邦政府に反旗をひるがえした。この映画のひとつの特長は、内戦が起きた原因――たとえば、リベラルと保守の分断・対立、あるいは宗教的なそれといったもの――をまったく説明しないことにある。WFを構成するテキサス州の知事グレッグ・アボットは共和党所属である一方、カリフォルニア州知事のギャビン・ニューサム は民主党所属だ。2024年大統領選でもテキサスはトランプが、カリフォルニアはハリスがおさえた。内戦勃発について、この映画はイデオロギー的対立に求めない。内戦の主因を語らないから、その不気味さがより強調され、見る側に強い恐怖を与える。 

あらすじをおさえておこう。 

内戦を報道しようと、リー・スミス(ベテランの戦場フォトジャーナリスト)、ジョエル(行動派ジャーナリスト)、サミー(経験豊富な老ジャーナリスト)の3人が最後の戦場となるであろうワシントンD.C(以下「DC」と略記)に向かう。その途中、リー・スミスが暴徒と警官とのもみあいに巻きこまれ棍棒で殴られた若い戦場フォトジャーナリスト志望のジェシーを救う。ジェシーは、リー・スミスを尊敬し、彼女のような戦場フォトジャーナリストを目指していると打ち明け、3人との同行を願う。ジョエルとサミーは反対するが、リー・スミスはなぜかジェシーに惹かれ、同行を許す。 

4人を乗せた車がDCを目指す道のりは、アメリカ映画の伝統であるロード・ムービーを踏襲しているような感があるのだが、内戦とかけ離れた内戦前の日常があるかと思えば、遠距離を隔てた敵を射止めようとする両軍のスナイパー同士の打ち合いに巻きこまれる。なんとか、そこから逃れたあと、得体の知れない虐殺者軍団によって殺戮された民間人多数の死骸の山を見ることになる。軍団に捉えられ処刑寸前の3人を救ったのは老いたサミーだったが、彼は軍団の銃撃をうけ死んでしまう。 

リー・スミス、ジョエル、ジェニーの3人はサミーの遺体を載せたまま、DC近郊のWFのキャンプにたどりつく。そこで、WFがDCを制圧したという情報をえる。サミーを埋葬したのち、3人は大統領を取材するため、DCに進入する。DCでは政府軍の残党が激しく最後の抵抗を見せるが、WFの軍勢に押され降伏し、精鋭部隊がホワイトハウスに突入する。ホワイトハウスでも大統領護衛官の抵抗を受けるが、隠れていた大統領を追い詰める。兵士の後に続いた3人は、大統領がWF兵士に取り囲まれ、銃殺される直前、この映画のクライマックスが訪れる。そのシーンは映画を見てのお楽しみ。 

シビル・ウオー(内戦)すなわち同じアメリカ人同士で繰り広げられる殺し合いという設定が、戦争の残酷さと無意味さをより強調する。そのなかで命を賭して戦場の実相を伝える戦争ジャーナリストの勇気が際立つ。若いジェシーが経験を積むごとに成長を見せる姿は頼もしさを感じさせる。次世代という希望を象徴するかのように。 

しかし、この映画は内戦という不条理な戦争を戦うリアルな兵士の「姿」を描かない。兵士は高性能の重火器を弄び、戦車や装甲車を乱暴に乗り回し、敵を殺戮することに喜びを感じるサディスト――戦闘をTVゲームやゲームアプリを楽しむ享楽者――勇敢に戦う自分の姿をカメラに収めてもらって優越感を感じようとする目立ちたがり屋――のようだ。戦争、戦闘、兵士、犠牲者…の映像は、恐ろしいほど虚無的だ。 

この映画は、けっきょくのところ、内戦における戦闘場面は舞台装置、兵士や虐殺者軍団は勇気あるジャーナリストの引き立て役、ライフル、機関銃、戦車…は小道具である。傷ついた兵士の苦悶の表情や兵士の死の瞬間は、戦場フォトジャーナリストの恰好の被写体にすぎない。

戦場ジャーナリストだけが英雄扱いされる謂れはない。内戦、聖戦、対外戦争、兵士、ジャーナリスト、フォトジャーナリスト、巻き添えの生活者――戦争に大義はない。ましてその犠牲者に序列があってはないらない、と筆者は思う。〔完〕