2023年1月20日金曜日

比例代表とは何か― れいわ新選組「ローテーション」批判

(左)繰り上げ当選する大島九州男、(右)山本代表


 れいわ新選組水道橋博士参院議員辞任にともない、同党は1年ごとのローテーションで、大島九州男、長谷川うい子、辻恵、蓮池薫、よだかれんの5人を繰上げ当選することを公表した。れいわ新選組のこの発表について、ネット上では支持、不支持、批判、非難が多数寄せられたようだが、これらネット上の諸見解は、管見の限りだが、「ローテーション」問題の核心を突いていないように筆者には思える。


●比例代表制度とはなにか


 今回れいわ新選組が行おうとしている「ローテーション」は国政選挙で制度化されている比例代表制度の繰上げ当選に起因する。現行の参院選挙にて運用されている比例代表とはどんな制度なのかをみてみよう。 

(1)任期=6年。任期については選挙区と変わりない 

(2)投票の方法=有権者は、投票用紙にⓐ政党・政治団体の名前もしくはⓑ候補者の個人名、いずれかを書いて投票する 

(3)政党得票数=ⓐ+ⓑ 

(4)議席数の決定=得票数に応じて、各党へ議席数を配分するドント式〔注1〕)。 

(5)当選者の決定 

特定枠〔注2〕=党が特定枠を設定した場合は、各党の議席獲得数のなかで特定枠を上位として順に当選者が決まり、その他の候補者はⓑが多い順に当選者が決まる。 

特定枠を設けなければ、各党の議席獲得数のなかでⓑが多い候補者の順で当選者が決まる

〔注1〕ドント式=議席配分の計算方法で、各政党・政治団体が獲得した得票数を1から順に整数で割り、その答え(商)の大きい順に議席が配分される。例えば、6議席をめぐって3党で争う選挙で、A党が240票・B党が180票・C党が120票獲得した場合をみてみると、まず各党の得票を、1、2、3と整数で割っていく。A党は、1で割ると240、2で割ると120、3で割ると80。同じようにB党とC党についても割り算を行い、全体の答えの中で数が大きい順に1議席ずつ配分していく。この方法で6つの議席を配分すると、A党が3議席、B党が2議席、C党が1議席となる。 

〔注2〕特定枠=あらかじめ政党が決めた順位に従って優先的に当選者を決めるもの。

  ここで注目すべきは、参院選の場合、各党の獲得議席のなかで、どの候補者が当選するかは個人名の票が多い順に決まること。これを〈非拘束名簿式〉と呼ぶ。一方、衆院選の比例代表は当選者は政党が獲得した議席数のうち名簿上位から順に決定される。候補者名を書くと無効になってしまう。これを〈拘束名簿式〉と呼ぶ。 

 比例代表が参院選で採用されたのは1983年からであるが、そのときから2001年までは〈拘束式名簿比例代表制〉であったのだが、〈非拘束名簿式比例代表制〉にかわったのは2001年であり、2019年からは〈特定枠制度〉が新たに導入された。 

 

比例代表制度の〝悪用″--N党れいわ新選組の事例 

 

 比例代表制度の隙間を狙った選挙活動を最初に行ったのが、N党である。2019年7月の参院選で党首立花孝志が比例代表で当選をはたしたが、同年10月、参院埼玉県選挙区補欠選挙に立候補し参院議員を失職した。もちろんこれは意図的なもので、この失職にともない同党比例代表選挙次点の浜田聡が繰り上げ当選している。埼玉の補欠選挙で立花は落選したが、N党の議席は確保した。  

 N党の手法を模倣したのが、2022年7月の第26回参院選におけるれいわ新選組であった。当初、山本太郎代表は、東京選挙区には新宿区議会議員の依田花蓮を擁立すると発表したのだが、その直後に突如、山本自身が衆院議員を辞職し、参院選東京都選挙区から立候補すると表明した。これにより衆院選比例東京ブロック次点であった櫛渕万里が繰り上げ当選した。ここでれいわ新選組は衆参の違いはあるものの〝比例繰上げ当選"の旨味を味わった。  

 そして、同年7月の参院選本番では苦戦したものの、山本は当選を果たし、参院1議席を獲得することに成功した。参院選東京選挙区で山本ではなく依田花蓮が立候補していたらおそらく、依田は落選しただろう。山本は衆院の議席を櫛渕に「譲る」ことで1議席を維持し、かつ、参院議席を山本の鞍替えで1つ増やすことに成功した。〝比例繰り上げ当選"の旨味を二度、味わった。 

 山本太郎が立花孝志を真似たかどうかはわからないが、参院、衆院の違いはあるものの、比例代表における繰上げ当選を利用した辞任→繰上げで議席確保→鞍替え立候補で〝プラス1議席狙い″であることに変わりない。 

 

れいわ新選組の「ローテーション」を邪推する――博士の得票数は大島以下落選者5人の合計得票数に相当する?
 

 現行の参院選においては、選挙区・非拘束名簿式比例代表制を問わず、有権者の支持(投票数)を一定程度獲得した候補者が当選し議員として政治に携わることが原則だ。ただし「やむを得ない事情」により議員の職を続けられなくなった場合、比例代表の場合はその政党の立候補者の獲得票数順に当選者とする。議員を決める原則は、有権者の支持すなわち投票数であり、この原則が覆るのは「やむを得ない事情による場合」のみ。「やむを得ない事情」とは議員の死亡、そして、病気、家庭の事情等、議員本人が議員職を続けることを放棄した場合(辞職)の二つのケースしかない。 

  参院選比例で候補者の名前を敢えて書いた有権者は、その候補者に期待を寄せたと考えていい。れいわ新選組が「ローテーション」で繰上げ当選者とする各候補者の獲得票数をみると、大島九州男(28,123)、長谷川うい子(21,826)、辻恵(18,393)、蓮池薫(17,684)、よだかれん(14,821)であり、辞任した水道橋博士(117,794)と比べると著しく差がある。参院選の比例代表非拘束名簿式に従うと、大島が繰上げ当選になるのだが、得票数に差異がありすぎるため、大島を繰上げて国会議員とすることに疑問をもって不自然ではない。れいわ新選組内部およびその支持者のなかに、大島ひとりを繰上げ当選者とすることに納得がいかないという空気があっておかしくない。そこで執行部が考えついたのが「ローテーション」だったのではないか。もっとも落選5人分でも水道橋が獲得した12万票弱には達しないのだが。 

  ところが、今回の執行部の「ローテーション」という措置に対して、Twitterにおいて大島の支持者から、「執行部が大島を冷遇した」という意味の批判が寄せられている。 

 

衆院選の〈拘束名簿式〉と参院選の〈非拘束名簿式 

 

 前述のとおり、かつては参院選比例代表においても拘束名簿式が実施されていたし、衆院選では現在も非拘束名簿式が実施されている。そこで、拘束名簿式の名簿はいかにして作成されるのかを書いてみる。筆者はかつて「経済政党」だった自由民主党(以下「自民党」)の参院選を身近に体験したAさんからその実態の一部を聞いたことがあるので、その大筋をここで再現してみる。 

  Aさんは1991~2010年のあいだ、霞が関B省所管のCという公益法人に勤務していた。Cは国から10億、民間(業界団体)から20億の出捐金を受け設立された中規模の財団法人だ。当時の公益法人は各省庁がそれぞれ所管していた(現在は内閣府所管)。 

  AさんがC財団に入社した翌年、参院選があった。その選挙にB省D課が所管する業界の後押しを受け、B省出身のE氏が参院選比例で立候補することが決まった。そのときAさんを驚かせたが、C財団の職員2名(いずれも元B省退官職員)が職場を離れ、E氏の選挙対策準備室を手伝うことになったことだった。Aさんがつぎに驚いたのは、Aさんの職場に推薦人署名の紙が回ってきたことだった。Aさん本人、その家族、知人らの署名捺印がなかば強制的に求められたという。参院選比例代表名簿上位登載に必要な推薦人(支持者)数を確保するためだという。その当時は参院選比例代表は拘束名簿式で実施されていたのだ。 

  候補者E氏は霞が関の幹部という元職があるため、名簿下位にはならないらしいのだが、それでも推薦人数の確認が求められたわけだ。地方議会から成りあがった新人には、推薦人数ばかりか、年間獲得党員数、所属団体数およびその活動報告、後援会組織の実態、その他諸々の活動実績等を自民党参院選対策本部に提出しなければならないという。 

 

名簿順位決定が選挙の前哨戦 

 

 かつての自民党の比例名簿作成で注目すべきは、名簿順位を決定する指標が定量的であることだ。E氏のような省庁幹部で業界団体の支援を前提とした者の場合はそれほど厳格に取り扱われることがない、いわば例外的候補者なのかもしれないが、それでも推薦人数という定量的判断が働く。E氏と似たような候補者属性に「タレント候補」がいる。 

  かつての自民党における参院選比例名簿上位決定のメカニズムは競争にあった。選挙本番前に、党内で優位な順位を得るため、前哨戦を戦う。そのことは、同党が選挙に勝つことを至上命題として結成された政党だから、というほかない。その良し悪しは措いて、党内競争が党のエネルギーを生み、組織を強化し、選挙に勝つべく体制を構築してきた。選挙に勝つためには、手段を択ばなかったという面がなかったとは言えないが。 

 

自民党の変化とともに名簿作成方法に変化が 

 

 自民党の定量的比例名簿順位決定の原則が揺らいだのは、第二次安倍政権下のことだった。安倍(当時)首相が自民党をほぼ完全掌握したところで、さまざまなバックフラッシュが起きたわけだけれど、それを党外で誘導したのが戦前回帰勢力だった。その好例が杉田水脈議員の誕生だった。 

  故安倍元首相は2017年に自民党では実績のない維新から移籍してきた杉田水脈を比例中国ブロックにおける順位で優遇し、同ブロックの単独候補としては最上位(党内全候補者の中では17位)に登載した。衆院選の比例は〈拘束名簿方式〉だから名簿上位順に当選者が決まる。このことは、これまで「経済政党」だった自民党が、戦前回帰というイデオロギーを党是とする政党に変容したことの表象である。かつてAさんが体験した参院選比例選挙の前哨戦のような党内死闘がまったく消えてしまったとは言わないが、戦前回帰のアイコンとして杉田を活用しようとする意図が明らかである。こうした自民党の変容を見越した若手はこぞって、戦前回帰的言動を強め、戦前回帰イデオロギーを表に出して政治活動をするようになった。こうした傾向は安部暗殺後も変わっていない。 

 

●1年ごとの「ローテーション」はれいわ新選組にとってマイナス 

 

 冒頭のれいわ新選組の1年ごとの「ローテーション」による、参院議員製造方式の是非について筆者の見解を述べる。この手法を画期的な奇手奇策とみるか、選挙制度の隙間を狙った悪意ある議員乱造とみるか――その判断は、同党を支持するかしないかで分かれるのは自然なことなのだろう。が、筆者は、選挙ではれいわ新選組に投票するが、今回の「ローテーション」を認めない。その理由は、党執行部が議員に意図的「辞任」を党決定として誘導しているようにみえることがひとつ。もうひとつは、1年後に「辞任」することを前提とした者を有権者からの負託を受けた国会議員としてみなすのかということ。筆者はみなさない。加えて、〝れいわ新選組は、落選議員に「元参議院議員」の肩書きをつけさせるためにこういうことをやる″という批判にどう答えるか。曖昧な説明だと支持が増えることはない。つまり、れいわ新選組の支持者を増やすような決定ではない、党勢拡大にマイナスを及ぼす措置だと考える。 

 

迷走するれいわ新選組 

 

 れいわ新選組の迷走は先の党代表選挙でも際立っていた。代表選は、複雑な代表選のレギュレーションを省略して結果を示せば、1位:山本太郎、2位:古谷経衡、3位:大石あき子&くしぶち万里であった。ところが、最終的には代表に山本太郎が、共同代表に大石あき子&くしぶち万里がおさまった。代表選挙の結果を素直に読めば、代表に山本、共同代表に古谷以外には考えられないのだが、けっきょくのところ、古谷経衡を代表選に巻き込んだのは、話題づくりのためにすぎなかったのかというところで世間は納得した。古谷経衡はれいわ新選組のプロパー3人の引き立て役にすぎなかったわけだが、古谷経衡サイドからみれば、この代表選茶番劇を通じて、自身の知名度を高めること、および、彼の「保守主義」を世間にアピールすることができたわけだから、引き立て役でもじゅうぶん元を取った。 

  昨年の①山本太郎衆院議員辞任・参院選出馬、②代表選における古谷経衡を脇役に仕立てた茶番劇、そして年明け早々の③水道橋博士辞任に伴う「ローテーション」と、立て続けに繰り出した「奇手奇策」。これらは弱小政党ゆえの生き残り戦術だから仕方がないという考えもあろうが、このような策を弄しつづければ、有権者からの信頼をこれからも得ることは難しい。れいわ新選組がなにをやろうが、山本太郎を偏愛するマニア的支持者からは思考停止のまま支持されるのだろうが、選挙を戦うための組織拡大・強化には結びつかない。このままならば、山本太郎は辞任と立候補を繰り返すしかないだろう。参院選当選者を一人犠牲(辞任)にして、1年ごとの「ローテーション」で6人の元参院議員を乱造するつもりなのか。前者では山本の鮮度を失わせ寿命を縮める。「また、山本か」「ぜんぜん言うこと変わってない」「辞任と立候補の繰返しだからもう投票しない」という声を山本の耳は感知しないのか。後者については、「どうせ1年で辞任するだから、れいわには投票しない」「元参議院議員の肩書がほしいだけだろう」という声は、れいわ新選組執行部に届かないのか。 (完)

2023年1月7日土曜日

『永遠のファシズム』

  ●ウンベルト・エーコ〔著〕 ●岩波現代文庫 ●1020円(+税) 

 本題〈永遠のファシズム〉は、映画『薔薇の名前』の原作者として知られるウンベルト・エーコ(1932-2016)の、もはや古典となりつつある感のあるファシズム論である。長大な論文と思いきや、講演の文字おこしであり、紙数としては少量である。なお、本書にはほかに4編の小論が収録されている。
 講演は1995年4月25日、ヨーロッパ解放記念行事として、米国コロンビア大学イタリア語学科の学生・教職員に向けて英語で行われた(本書序より)。第二次世界大戦(以下「WWⅡ」)で欧州を解放したアメリカで行われた講演なだけに、アメリカ=民主主義の盟主という気遣いが講演中、しばしば表出されている。啓蒙主義的観点から、母国イタリアで起こったファシズムを論じている点が特徴的であるが、このことについては後述する。
 WWⅡが欧州人にとっていかに過酷な体験であったかを感じさせる一方で、欧州人の一人であるエーコにとっての矜持と救いは、母国イタリアはファシズムを生みだし、それに統治された苦い経験を持っていながら、レジスタンス(パルチザン)をもっていたことではないだろうか。イタリア・ナチスドイツ・日本帝国は三国で枢軸国を形成し、防共協定を結んでいた。ドイツ・日本にはレジスタンス運動が起きなかった。

ナチズムとファシズム 

 エーコはファシズムを定義する前に、ほぼ同時期にドイツで台頭し欧州各所に波及したナチズムとそれを比較する。エーコはナチズムについて次のように言う。

 (ヒトラーの著作である)『我が闘争』は完璧な政治綱領です。ナチズムは、人種差別とアーリア主義の理論を備え、「退廃芸術(Entartete Kunst)」を正確に規定し、潜在的意志と超人( Übermensch)の哲学を有していました。ナチズムは明確に反キリスト教思想であり、あらたな異教思想でしたが、それは、スターリンの(ソヴィエト・マルクス主義の公式見解である)「弁証法的唯物論(Diamat)」が明らかに唯物論的無神論であったのと同じことです。仮に全体主義が、あらゆる個人の行動を国家とそのイデオロギーに従属させる体制を意味するものなら、ナチズムとスターリニズムは全体主義体制だったということになります。
 (それに対して)ファシズムはたしかに独裁体制でしたが、その穏健さからいっても、またイデオロギーの思想的脆弱さからいっても、完全に全体主義的ではありませんでした。一般に考えられているのとは反対に、イタリア・ファシズムは固有の哲学をもっていませんでした。『トレッカー百科事典』にムッソリーニ が寄せた「ファシズム」の項目はジョヴァンニ・ジェンティーレによって執筆された、もしくはかれから基本的に着想を得たものですが、そこに反映された「絶対的倫理国家」という後期ヘーゲル的概念は、ムッソリーニがついに完璧に実現することがなかったものです。ムッソリーニにはいかなる哲学もありませんでした。あったのは修辞だけです。〔後略〕(本書P37~39)》 

 ナチズムの人種差別とアーリア主義を代表するのがユダヤ人問題であることは言うまでもないだろう。WWⅡにおいてドイツと同盟関係にあったファシズム政権下のイタリアにおけるユダヤ人の扱いについては、ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン』第10章「西ヨーロッパ ーー フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、イタリア -- からの移送」において詳述している。同書によると、イタリアにおけるユダヤ人に対する拉致、収容、死の収容所への移送についてはきわめてナチスに非協力的で、ユダヤ人の多くが保護され、拉致・収容所への移送を免れたとある。その理由についてアーレントは、以下のように書いている。

 (ユダヤ人の)同化はイタリアでは事実となっていたのである。イタリアには5万人を越えぬ土着のユダヤ人の共同体があり、彼らの歴史ははるかローマ帝国の時代までさかのぼるものだった。(中略)イタリアでは(ユダヤ人を差別しないことは)古い文明国民のすべてに行きわたったほとんど無意識的な人間味の所産だったのである。(『エルサレムのアイヒマン』/みすず書房版/P248~249)

 ファシズム政権下のイタリアにおいて、ユダヤ人差別が政治的にあったとはいえ、国民レベルでは皆無とはいえないものの、ないに等しかったことは注目に値する。
 エーコはまた、キリスト教に係るナチズムとファシズムの相違を指摘する。前者が反キリスト教的であったのにに対し、ムッソリーニは当初、行動的無神論者だったものの、後に教会と政教協定(コンコルダート)をむすんだ。そればかりか、ファシスト隊旗に祝福をあたえる司祭たちに好感をいだくようになり、演説のなかで、きまって、神の名を引き合いに出し、自分を「神の摂理が遣わした男」とよぶようになった、とエーコは言っている。ナチズムとファシズムの相違を頭の中に入れておくことは重要である。  

ナチズム以上に世界に影響を与えたファシズム 

 イタリア・ファシズムが、ヨーロッパの一国家を支配した最初の右翼独裁政権であり、次いで現れた類似の運動すべて、ムッソリーニ体制のなかに一種の共通する原型を見出すことになった。(中略)その新体制こそ、共産主義の脅威に対する代案となる穏健な革命を提供しうる興味深い社会変革を成し遂げつつあるのだと、ヨーロッパ自由主義諸国のリーダーたちを納得させたのは、イタリア・ファシズムなのです。(本書P39~40)

 なるほど、イタリア・ファシズム運動はイギリスに登場し、ラトビア、エストニア、リトアニア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、ユーゴスラビア、スペイン、ポルトガル、ノルウェー、さらには南米へと波及した(本書P39~40)。モーズリー率いるファシズムがイギリスに登場したのは1932年、彼がドイツとイタリアを訪問した後の同年10月、「イギリス・ファシスト同盟」(BUF)を名のったところからである。日本の1932年前後といえば、昭和維新の時代、「五・一五事件」「二・二六事件」などが勃発したまさに軍国ファシズムの到来を告げる時代だった。極東日本帝国にもファシズムの嵐が押し寄せていた。

ファシズムとは何か 

 ファシズムとは《いかなる精髄もなく、単独の本質さえない、ファジーな全体主義(本書P40)》だとエーコはいう。ファシズムは一枚岩のイデオロギーではなく、むしろ多様な政治・哲学思想のコラージュであり、矛盾の集合体。君主制と革命、国王の軍隊とムッソリーニの私兵、教会にあたえられた特権と、暴力を奨励する国家教育、絶対的統制と自由市場 -- これらが共存可能な状況であると。
 そればかりではない。ファシスト党は、革命の新秩序を標榜して誕生しながら、その資金源となったのは、反革命を期待するもっとも保守的な地主たちであり、初期のファシズムは共和主義を唱えながら、その後20年間にわたって、王家に忠誠を誓うことで生き延びた。1936年、ムッソリーニがエチオピア帝国の併合を宣言すると、この征服により、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王(サヴォイア家)が帝位を兼ねると(イタリア植民地帝国)、「帝国の建国者(イタリア語: Fondatore dell'Impero、フォンダトーレ・デッリンペーロ)」という名誉称号をサヴォイア家から与えられた。サヴォイア家の指導下にあった軍の掌握にも努め、大元帥(帝国元帥首席)に国王・皇帝ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と共同就任して統帥権を獲得した。 

永遠のファシズム14項目 

 エーコはファシズムの曖昧さ、多元性を指摘し、その典型的特徴を列挙する。それを「原ファシズム(Ur-Fascismo)」もしくは本題ともなっている、「永遠のファシズム(fascismo eterno)」と名づけ、14項目に整理する。これがよく知られる「ファシズム14項目」である。筆者としては、後者はやや抒情的表現に思えるので、前者の「原ファシズム(Ur-Fascismo)」のほうが適正のように思える。
 14の特徴とは、①伝統崇拝、②非合理主義、③行動重視、④批判の否定、⑤余所者排斥、⑥欲求不満層への呼びかけ、⑦ナショナリズム、⑧敵の力を把握する能力の欠如、⑨反平和主義、⑩エリート主義(弱者蔑視)、⑪英雄主義(死の賛美)、⑫マチズモ(男らしさ重視)、⑬ポピュリズム、⑭貧弱な語彙と平易な構文(総合的で批判的な思考の道具の制限) である。これらの項目の詳細が本書の肝であるから、本書を読んでいただきたい。 

日本帝国とファシズム 

 日本においては、明治維新から始まった、帝国主義的侵略戦争の時代(とりわけ、1930年代から1945年まで続いた、アジア太平洋戦争敗戦にいたるまでの期間)、天皇を頂点とする日本帝国政府が国民の自由を奪い、それに抵抗する勢力を暴力で抑圧し、国民を戦場に送り込んでいた。この時代の国家体制については、軍国主義、軍国ファシズム、天皇制ファシズム等と呼ばれている。軍国主義という名称は、連合国の盟主としてナチスドイツ、イタリア、日本帝国に勝利したアメリカがナチスドイツと日本帝国の国家形態に冠した名称である。日本帝国が犯した戦争の罪は軍国主義者が負うべきであるとして、軍事法廷でその者たちを処刑した。確かに日本帝国は軍事力で隣国に侵入し、そこの富を収奪し日本帝国の国富とした。また、軍事力にものを言わせて、他国との交渉を優位に進めようと図り、交渉が行き詰まると戦争で決着をつけようとした。まさに軍国主義である。国民の福祉、生活向上を顧みることなく、国富を軍事につぎ込んだ。いまで言う専軍国家だった。
 日本帝国と実際に戦った連合国からみれば、日本帝国は軍国主義の国家なのだろうが、日本の戦前・戦中の国家体制、なかんずく1930年代から1945年の敗戦までの期間のそれは、天皇制ファシズム国家と呼ぶほうがふさわしい。明治維新政府が建国時に掲げたスローガン、富国強兵は尖端的科学技術の高度化という裏付けがなければなしえないのだが、軍隊、生産現場、学校とあらゆる生活過程において、国民は天皇を頂点とする神話的伝統を崇拝させられ、それに殉ずる死の賛美を伴う非合理主義に支配されていた。国民は天皇の名の下、周辺国の諸民族を蔑む排外主義的価値観を身に着け、他民族を奴隷化した。日本帝国の性格は、エーコの「永遠のファシズム14項目」のほぼすべてにあてはまっていた。 

ファシズムは復活するか 

 講演の終わり近く、エーコは、アメリカ大統領ルーズベルトの演説「あえて言う。アメリカ民主主義が活力ある進展をつづけ、日夜、平和的手段をもとめ、わが国民の環境を改善する歩みを停止するようなことがあれば、ファシズム勢力がわが国にはびこることになるだろう」(1938年11月4日)(本書P61)を引用した。ルーズベルト大統領は、WWⅡでナチズム・ファシズム勢力と戦い勝利した自国アメリカを賛美するよりも、それらが再び台頭する可能性・危険性を予言していたのである。"アメリカが歩みを停止するならば"と。
 その日(1938年)から今日まで、アメリカはいとまなく戦争を続けた。その大義は自由と民主主義を守るためだった。果たしてそうだったのだろうか。そしていま、欧州の東、ウクライナ戦争のさなかにある。この戦争の当事者ロシアは、ウクライナにはびこるナチズムと戦うことを大義とし、ウクライナは祖国防衛の戦いを強いられている。そしてアメリカは、ウクライナ、そして世界の自由と民主主義を守るため、ウクライナへの軍事協力・軍事援助を惜しまない。アメリカはこの戦争の間接的戦争当事国である。
 そのアメリカ国内では、21世紀、トランプの登場により、国内は深刻な分断状態に陥り、トランプ支持者の価値観は前出の「14項目」にほぼ重なる。陰謀論が跋扈し、人種差別、性差別は激化し、あたかも中世のような道徳観念が復活し、支持者を集めている。
 日本も似たようなものとなった。ネット言語空間には他者に対する誹謗中傷が絶えることなく溢れ、陰謀論、極右・歴史修正主義、事実捏造、人種差別、女性蔑視等の投稿が垂れ流されている。政府は国民生活に目を向けることがない。政府・与党政治家は縁故主義、増税、軍備拡大等に一直線だ。アメリカ同様、「14項目」に重なる政治、社会状況に陥っている。アメリカ、日本ばかりか、欧州はじめ世界中がファシズムへの道を歩み始めようとしているかのようだ。
 エーコが「14項目」を挙げた思想的根拠は、18世紀啓蒙主義的価値観にあることは、前出の②非合理主義のところで述べた以下の言説から明らかである。 

 伝統主義思想家は、テクノロジーを伝統的精神価値の否定であるとして拒否するのがふつうです。(中略)近代世界の拒絶が、資本主義的生活形態の断罪というかたちで擬装されていたわけですが、その主眼は1789年もしくは明らかに1776年精神の拒絶にあったのです。(本書P50)。 

 1789年がフランス革命を、1776年がアメリカ独立宣言を指すことは明らかである。エーコのファシズム批判は、18世紀啓蒙主義に基づくものだが、啓蒙主義思想が欧州を席巻してからおよそ1世紀半後の20世紀初頭、ファシズムという反啓蒙主義思想が台頭した。世界はそれを世界規模の戦争という大きな犠牲を伴いつつ消し去ったと思いきや、1世紀ほど後のこんにち、ファシズムが再び復活する気配が色濃い。まさに"永遠のファシズム” であるかのように。
 ファシズムの台頭を止められるのは、いまを生きるわれわれしかいない。われわれがファシズムを止めなければ、ファシズムが永遠の命をもちつづけることになってしまう。(完)