2006年8月17日木曜日

『神風連とその時代』

●渡辺京二〔著〕●洋泉社MC新書●1700円+税

「神風連」とは周囲から嘲笑を込めて冠せられた戯称で、正式には敬神党という。明治9年、熊本で太田黒伴雄らを首謀者として維新政府の廃刀例等に抗議し、わずか100余名で挙兵したものの鎮圧され、その多くが戦死もしくは自害した。本書はその思想、指導者、参加者、時代背景について詳述したもの。誠に示唆多き書である。

神風連が維新初期に起きた士族の反乱と一線を画する所以は、彼らが宗教的秘密結社であった点である。彼らは決起を「うけい」という神の意志に委ねている。また、彼らのスローガンの1つに、「神事は本、人事は末」というのもある。

敬神党の指導者は林櫻園という神秘的思想家で、決起の前(明治3年)に他界している。神風連の思想的特徴としては概ね尊皇攘夷であり、明治政府が取り入れた欧化政策に悉く反発した。決起の表向きの動機は廃刀例であったことは先述したが、彼らにとって刀剣とは、神国日本の象徴であり、刀は武士の魂というよりも、古代天皇制共同体と今(維新期)を結びつける媒介であった。

著者(渡辺京二)は、神風連の乱を文明の衝突と認識する。維新政府は天皇中心の西欧的近代国家を志向したが、神風連は、天皇を教祖にして治者として崇める、原始共同体を夢想した。

彼らは、維新政府が進める欧化政策に対して、民衆の基層にある神をもちだし、古代天皇制原始ユートピア社会の誕生を志向した。といっても彼らに国家だとか共同体とかいった認識はなかった。ただ、欧風が進めば日本古来の神が死滅し、日本人の根本原理が廃絶されると考えた。ゆえに、決起に勝ち敗け、成功・不成功といった相対的政治的意向は無視された。決起=死であり、それが思想表現=殉教であった。

神風連の乱以降、維新政府から昭和の軍国主義政府成立まで、彼らは純粋な国粋主義者として顕彰されてきた。また、戦後にあっては、狂信的ファシスト集団として扱われてきたため、神風連の実像及び思想的独自性が歪曲されて世に伝えられてきた傾向を否定できない。本書をもって初めて、維新当時、日本に文明の衝突があったことが明らかにされたとも言える。

著者(渡辺京二)はその衝突が昭和初期の「2.26事件」で再び繰り返された、と指摘する。基層ナショナリズム、土俗的共同性、宗教的神秘主義が西欧的近代主義を真に超克する基盤であり得るのかどうか、また、今日の世界におけるタリバンらのイスラム原理主義と米国化(西欧化)との対立する現実を見るとき、わが維新期における「文明の衝突」について突き詰めて思考することは、けして無駄ではない。