●フランツ・カフカ〔著〕 ●白水uブックス ●900円+税
旅行者がとある流刑地を訪れ、囚人の処刑を見学することになる。判事にして処刑執行人は将校一人。彼はは処刑方法を考案した先代の司令官の忠実な部下として、司令官交代後もその職を全うしている。
処刑には、「ベッド」「馬鍬」「製図屋」によって構成された奇妙な処刑機械が使われている。囚人はベッドに縛り付けられ、製図屋によって製作された判決文を馬鍬によって、体に印刷され、出血多量もしくはショックで命を落とす仕掛けになっている。この処刑機械には、印刷されるときの大量の出血が散乱しないような、あるいは、囚人が苦痛で大声を出さないような仕掛けなどが完備されている。
さて、いよいよ処刑執行に及ぶのだが、囚人を機械に取り付けて機械を回し始めたところで故障してしまう。執行人の将校は、故障は新任の司令官がこの奇妙な機械を使った処刑執行を中止したがっているため、老朽化した部品の交換が行えなくなったためだと、旅行者に告白し始める。将校は、旅行者に向かって、新しい司令官にこの奇妙な機械を使用する処刑が正しい行為であることを伝えるよう懇願し始める。
懇願された旅行者は、自分は旅行者すなわち、よそ者であるから、処刑の問題に関与できないこと、司令官と関わるのは負担であることなどの理由を挙げて、将校の申し出を拒否する。
そんなやり取りをしているうち、将校は不意に新しい図面を取り出し機械に挿入し、処刑機械にかけられている囚人を解放し、自らをその機械にかけ、自らを処刑しようとする。今度は、機械は円滑に動き出し、将校は処刑機械にかけられて命を落とす。
荒唐無稽な話だ。もちろん、そんな流刑地など存在しないし、旅行者が訪れることなどあり得ない。
この小説には、旅行者、将校、囚人、兵士の4人の登場人物しか出てこない(後半部分に村の住人が多少登場するが・・・)。詳しい風景描写もないが、この流刑地はおそらく荒涼とした離島のように思える。設定、出来事、結末は不条理であり、現実と幻想(夢)が入り混じった世界のように思える。あり得ない話なのだが、権力の源泉を示す寓話のように思えなくもない。
重要なのは結末で、囚人と死刑執行人が入れ替わるという転倒だ。この結末には、傍観者であるはずの旅行者が一役買っているものの、一切登場しない新任の司令官の存在が最も大きな役割を果たしている。
将校は、新任の司令官が従来の処刑機械を使った処刑の廃絶はもちろん、執行者である自分の解任を目指しているに違いないと、認識している。
旅行者は、在地の権力者(新任の司令官)と、処刑方法という重い問題で関わりあうことを恐れている。二人にとっては、いまここにいる相手方よりも、不在である新任の司令官との関係が重要だと認識している点で共通している。将校と旅行者は、新しい司令官が行うかもしれないという権力の行使に、共に恐怖を抱いている。
人間の行動は、暴力・軍事力といった強制力に従うこともあるだろうが、人々の心の中に生ずる幻想的な力――関係性――に拠ることもある。権力は暴力による強制~従属をもつこともあろうが、人々の抱く観念(たとえば恐怖)によって、人々の心の中に醸成されるものではないか。
新しい司令官は、処刑執行人である将校に処刑の禁止を命じた事実はない。にもかかわらず、将校は、新しい司令官が自分を辞めさせ、これまで続けてきた機械による処刑を禁止させるに「違いない」という脅迫観念によって自らの行動を選択する。その結果は、なんとも理不尽な、囚人に代わって自分を処刑機械にかけてしまうという行動だった。
旅行者は、将校の懇願によって新しい司令官と係わり合いをもつことを恐れている。もちろん、旅行者は新しい司令官に会ったことはない。にもかかわらず、新しい司令官が自分を拘束したり尋問したりする可能性を危惧し、将校の申し出を拒絶する。この拒絶が将校、自らの処刑という行動を惹起せしめる。
4人の登場人物のうち、兵士はだれにも関わらない。将校の部下だから将校と上下関係にあるのだが、兵士は機械に不器用に関与して将校に怒られたり、旅行者を警戒したり、解放された囚人と戯れたりもする。兵士だけが、処刑という制度、新しい司令官、将校、旅行者、囚人に対して、まったく関与しない存在になっている。
将校と囚人は当事者同士、そして、旅行者は傍観者でありながら、当事者に実態的に関与する。ところが、兵士は、3人とは実態的に、また、新任の司令官には観念的に、関わらない点で非存在である。兵士はだから、筋書きに関与せず、現れたり消えたりする演劇における道化に似ている。非存在の兵士の存在が、非現実性を強調し、小説のかもし出す荒涼感を強く読む者に与える。