日本野球機構(NPB)が「統一球問題」で不祥事を起こした。“飛ぶボール”から“飛ばないボール”、そして今シーズンから、再び“飛ぶボール”に逆戻りをしたのだ。そのことを、NPBは選手にもファンにも告知しなかった。むしろ、秘密にしていたようだ。
ところが、先般、選手会から使用球に関する質問が正式にあり、隠し切れなくなって、とうとう6月12日、加藤良三NPBコミッショナーが会見を開き、変更を認めた。この 問題の核心は、①変更した事実を隠したこと、②さらに、変更を隠蔽するよう指示したトップが、隠蔽の罪を部下に負わせようとしたこと――の2点にある。
公式球の仕様を変えることは、そのことを事前に告知しておれば、問題にするに値しない。プロサッカーにおいても、公式球の変更は少なくない。最近では、日韓W杯から導入された無回転シュートが可能なボールの導入や、ぶれておちるシュートが可能になったボールへの変更が記憶に新しい。NPBと異なるのは、公式球への変更について、現場もファンも事前に知っていて、その対策を十分にしていたことだ。だから、ファンは新しい公式球がもたらすスリルを楽しむことができた。現場も十分な対策という技術向上が果たせた。そこが今回のNPBの姿勢と著しく異なる点だ。
加藤コミッショナーは「知らなかった」と事務局内の意志の疎通を欠いたことは認めたが、責任については「不祥事ではない」と突っぱねた。その姿は惨め極まりない。加藤コミッショナーは、聞けば国家公務員上がりだという。日本の役人特有の自己保身、責任逃れの体質を丸出しにしている。しかも、告知しなかった責任を部下(事務局長)に負わせようとしている。“この問題に私は関与していない、報告も受けていない、関係ない、部下が勝手に・・・”という、逃げの姿勢を記者会見で露わにした。TV映像の態度から、この人の人品の卑しさがにじみ出ていた。
報道によると、NPBは公式試合で使用する公式球のすべてに、加藤良三コミッショナーの名前を入れているという。いわば、コミッショナー自身が、公式球として認める判をついたようなものではないか。それでも、自分は知らない、というつもりなのか。
さらに言えば、プロ野球にいくらか関心のある人ならば、今シーズンはホームランが多いな、と感じていたのではないか。スポーツ番組でも使用球の変更の疑惑については、しばしば話題になっていた。昨シーズンの1試合当たりのホームラン数を今シーズンのそれと比較してみれば、使用球が変わったことは容易に想像がつく。それをコミッショナー自身が「知らなかった」というのならば、そもそもプロ野球そのものを「知らない」か、もしくは「見ていない」のではないのか。
なんでこんな人物をプロ野球業界はトップに迎え入れたのだろうか、と不思議に思わずにいられない。プロ野球に限らず、プロスポーツ業界というのは、結果責任を厳しく問われる世界ではないか。打てない打者、打たれる投手は給料が下がり、トレードされ、それでも成績低迷が続けば解雇される。勝てない監督はくびになる。言い訳は許されない。その潔さに、ファンは喝采を送る。スポーツの競技の内容以外の「人事」にも、ファンは関心を寄せる。プロ野球の監督は、チーム成績低迷に係る言い訳は一切しない(中にはコーチに責任をとらせる者もいるようだが)、概ね、自身の責任をまっとうし、それでもだめならば、シーズン途中であっても辞める。ファンは、その姿に男の美学、ロマンを感じとる。それがファンというものだ。それが、スポーツの広がりのある文化というものだ。
今回のNPB加藤良三コミッショナーの態度は、プロ野球選手及びその指導者が示してきた潔さと、真逆のものだ。醜悪な自己保身、責任逃れ、言い訳、開き直り・・・おそらく、日本プロ野球史上、最悪、最低の出来事だ。こんな最低男をコミッショナーに仰ぐなんて、プロ野球の現場にとって、悲劇にほかならない。社会がこういう態度を許してしまえば、スポーツマンシップを子供に教える立場がないではないか。