毒が溜まった
先の拙Blogにて「小保方劇場閉幕、以降、このことに言及しない」と宣言しておきながら、前言を撤回する。その理由は、16日、小保方晴子の新型万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の共著者で理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長の笹井芳樹(52)の記者会見をLIVE中継で見てしまったからだ。TV映像で笹井とメディア関係者とのやりとりを見聞きしているうちに身体中に毒が充満し、その毒をどうしても吐かないではいられなくなったからだ。笹井の登場によって、「小保方劇場」第二幕が上がった。
ヒール笹井の登場
笹井はいわば「ヒール」。小保方の上司にあたり、小保方と情を通じていたとされている。にもかかわらず、理研の論文不正問題調査結果で笹井はシロ、小保方はクロ。小保方の「単独犯」と判定された。調査結果公表後、笹井は姿を消し、小保方を擁護するような発言を一切しなかった。そのため、笹井は世間から、上司でありながら部下(小保方)に責任をなすりつけ、姿をくらませた卑劣な男として評価されていた。そんな男が会見するのだから、世間の注目が集まって当然だ。
保身のため小保方を裏切った笹井
会見は退屈だった。質問者も回答者も核心に迫らない。会見において笹井にメディアが尋ねるべきポイントは以下の2点、それ以外はどうでもよかった。その2点とは、(一)笹井は理研の調査結果を受けいれるのか否か、(二)なぜ、論文不正が起きたのか――に尽きる。
(一)で笹井が「受けいれる」と明言するのならば、それは小保方に対する裏切りを意味する。つまり、“自分は理研において保身する、小保方さん、サヨウナラ”というわけだ。笹井と小保方がどのような感情で結ばれていたのか、例えば肉体関係まであったのかどうかまでは筆者はわからない。ただ十分言えるのは、(A)先輩研究者と若手研究者同士、師弟的及び同志的絆で結ばれていたか、あるいは、(B)互いに利用しあう打算的関係だったか――のどちらかだ。(A)(B)どちらでも、それが男女の関係に移行することは大いにあり得る。
もちろん、会見で笹井が小保方との私的関係を明言するはずもなく、うやむやな答弁で終始しただろうから、そんな質問は時間の無駄だという見方もある。だが、このたびの理研の不祥事の根幹には、小保方が理研でユニットリーダーの地位を得、海外の研究雑誌に不正論文を発表してしまった主因の一つとして、笹井と小保方の間の緊密な関係という事項があったことだけはまちがいないのだから、少なくとも、このたびの論文不正問題を注視する世間の目を代表して、メディアはそのことをこの会見で笹井にぶつける義務があった。
笹井は会見において、筆者が掲げたような直接的質問形式に対してではないが、小保方について言及した。笹井の心情を意訳すれば、“君は研究者として未熟である。幹部の僕は理研で生き残る、論文不正のすべての責任を君にとってもらう”ということが一つ。笹井のこのような態度は、日本のエリート特有のものだ。保身と責任転嫁で一貫している。部下の成果はわがものとし、部下の失敗は部下のものとする――という姿勢だ。このような姿は、上司に部下とともに呼び出された部長が「お前のことは俺が守る」と言いながら、上司に詰問されるなり「そんなことは知りません」と言って責任を部下にかぶせるlotoのCMそのものではないか。
しかし、笹井はそれだけに終始したわけではない。彼は“STAP細胞は有力な仮説として存在する”と言い続けた。そうすることで、“間接的に小保方を擁護する”姿勢を滲ませた。だが、そう言い続けることは、小保方のみならず自身を弁護し続ける最良の言説である。笹井はそのことをよく知っている。まったくもって、煮ても焼いても食えない男だ。
笹井と小保方――あまりにも悲惨な男女関係の結末
論文不正は研究者にとって罪だ。その責任はとらねばならない。その一方で、笹井と小保方が理研という組織内部で交わした男女の関係性という面で見れば、これほどの悲劇を大衆に晒した場面をしらない。会見中継とは無慈悲なものだ。一組の男女のあまりにも残酷な結末がメディアを通じて世間に晒された。男女間の結末が、しかも芸能人でなく一般人の関係が、全国に中継配信されたのだ。このような異常な状況がこれまでにあっただろうか、筆者の記憶にはない。笹井と小保方の関係が(A)なのか(B)なのかはわからない、(A)でも(B)でもないかもしれないにしても、“哀れ”という言葉以外が見つからない。
責任回避に終始した笹井
第二点目の「論文不正が起きた」主因について――この論点については、すでに理研の野依理事長が「いくつかの複合的な要因が重なって、本件のような問題が発生してしまった」という意味の答弁をしており、その通りだと思う。笹井もこの複合的要因について会見で詳しく述べているので繰り返さないが、彼が展開する論旨を大雑把に言えば、STAP細胞論文の主要な実験とデータ収集等は若山研で終わっており、自分(笹井)はそれについて疑義をはさむことができなかった――ということに尽きる。つまり、笹井に言わせれば、問題は若山と小保方がコンビを組んでいた時期に仕組まれた、と言ったのだ。
この笹井の認識は、理研の調査委員会の調査結果とシンクロする。これもまた世間の常識から見れば、奇怪というほかない。調査委員会(笹井も同様だが)は、小保方を管理する者はシロ(建前上は、「責任はある」という表現だったが)、小保方はプレーヤーだからクロという認識で一致している。
このような主張が通るならば、理研は管理者を高給で雇用する必要はなくなる。理研は管理者=功労者という位置づけなのか。不祥事において当事者のクロは当たり前だが、管理者に管理責任が生じないという業務規程ならば、理事長以下全員がプレーヤー(ユニットリーダー)というフラットな組織で十分だ。プレーヤーが研究成果に応じて給与を決定するシステムでいい。理研には同類の法人及び官庁と似たような職制が構築されていて、管理者がその責任の度合いに応じて高額給与を受け取る給与規程が具備されているはずだ。笹井のように自分に管理責任はないという「逃げ」が許されるのならば、理研は笹井の給与の管理分に該当する額を削るべきだ。本件を契機に、笹井を管理職から外し、プレーヤーに戻したらいい。併せて、理研の組織をプレーヤー型に改組し、スリム化すればいい。
当たり前の民間企業ならば、管理者は「責任は俺がとるから、お前ら、思いっきりやれ」と言って、若手を前線に送り出すのではないのか。若手はそんな管理者の意気に感じて成長し、力をつけていくのではないのか。
論文不正の主因は理研幹部が小保方に情を働かせたこと
さて、本件の主因について、実のところ筆者は、まったく別次元の因子を考えている。まず理研が小保方を採用したことに始まり、若山との共同研究に起用し、彼女をユニットリーダーに抜擢し、さらに、一度不採用になった『Naitur』論文を笹井が手直しをして再投稿し、それが採用されるまでに至った過程で、小保方の不正をだれも指摘できなかった要因ということになる。換言すれば、その全過程で理研に客観的・科学的知見が働かなかった理由ということになる。このことは、理研という優秀な、頭脳明晰な研究者の集団の内部で、いかにも不自然な話なのだが、次のような観点に立てばその謎は解ける。つまり、理研内部の関係者すべてが、小保方という若い女性の魅力に情が働いていたと。
そのように考えるならば、すべて辻褄が合う。笹井は、小保方を採用したのは人事委員会及び前任者だと会見で話していたから、その採用責任者も含め、理研内部が小保方という若い女性研究者を前にして、正常な判断が働かなくなったのだ。理研の管理職にある幹部研究者が、小保方の前でのぼせ上っていたのだ。それくらい、小保方に魅力があったかどうかはわからない。が、理研が不正を発見できずにこのような不祥事を起こしてしまった要因は、複合的なものである以上、まったくそのとおりで、複合的な要因の、しかも大きなそれは、小保方に対して小保方の上司たちが情を働かせたことで説明できる。
科学の問題というよりも人間の問題
つまり、こういうことだ。理研は、科学者、研究者の聖域ではないということ。理研に生じる問題は、ほかの、たとえば営利追求組織で起こることと同じレベルなのだ。男女関係、嫉妬、足の引っ張り合い、派閥争い・・・不正まで。そのことは官庁、警察組織、企業、教育機関、軍隊・・・と変わらない。そう考えれば、理研における小保方の不正は、組織(人間集団)において惹起する問題の一つに過ぎないとも言える。(だから仕方がないというわけではない。)
不正が起こる背景を男女関係にのみに還元することはよろしくない。だが、複合的要因を科学や研究上の技術という領域に絞って考えるのも正しくない。“Love is Blind”というではないか。小保方を採用した者を含め、若山も笹井も小保方を巡る理研の幹部級研究者すべてが小保方に対し、Blindの状態だったのだ。このことは結果において、認めざるを得まい。
小保方はクロ、理研は解体
ここまでいささかシニックに、敢えて本件について斜に構えてコメントしてきたが、今回の論文不正事件の本質は、理研という適正な競争を伴わない、税金によって運営される巨大組織が必然的に孕む問題と、すべての組織に共通する問題の二面が絡み合っていることだ。
繰り返せば、競争を伴わない組織には恣意性が働き、それが人事も研究内容も左右するということだ。恣意性とは本件においては男女関係、すなわち情だ。それが(笹井の表現を借りれば)研究を俯瞰する立場の目を曇らせ、客観性を失わせてしまったのだ。この先の笹井の選択は理研を辞めることだ。あの会見で笹井を信頼する者は理研内には存在しないだろう。研究者はロボットではない。笹井は一人の女性を公衆の面前で裏切るという重い十字架を、事件のあった理研という「聖域」で背負って行くつもりか。
そのことと同じように、理研という適正な競争を伴わない組織では、この先、新たな「小保方事件」が発生することは間違いなかろう。小保方もクロ、理研もクロなのだ。本件を機に、小保方ほか理研幹部は理研を辞し、その後、理研は解体へと向かうのが筋というものだ。