小保方はクロ、しかも「単独犯」――理研最終調査結果
新型万能細胞「STAP細胞」の論文問題で、理化学研究所(神戸)は最終調査結果を発表し、そのなかで小保方晴子研究ユニットリーダー(30)が論文を捏造、改ざんしたと断じた。理研は小保方をクロと断定したわけだが、小保方以外の3人の調査対象者(笹井芳樹、若山照彦、丹羽仁史=以下論文共著者)に研究不正は認められなかったと結論付けたが、うち、山梨大学の若山照彦教授と理研発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長については、データの確認などを怠ったとして「責任は重大」とした。「責任は重大」という調査結果の文言は、3人の行為が同研究所の定めるなにがしかの規程のどの部分に該当し、それが処分対象になるものなのかならないものなのかについては報道されていないのでわからない。責任は重大だけど、処分には当たらないよ、という解釈でいいのだろうか。しかも、STAP細胞論文の共著者で、理研において同研究で小保方にもっとも近い位置にいる丹羽仁史の責任が免責されているのは不可解極まる。
理研は小保方の不正の動機を明らかにせよ
そればかりではない。不祥事に係る最終調査結果を発表する場合、不祥事を起こした本人が調査結果に納得していることが一般的だ。調査結果を受容し、その結果に基づいて今後行われる処分に潔く従います、というのが筋だ。そこに反省の気持ちが見られれば、処分が軽微に及ぶことも多々あろう。当事者が若く未熟である場合、再起の機会を与えることを滲ませる処分もあるだろう。その度合いを斟酌するのは、当事者の動機次第というものだ。今回の場合、小保方はなんのために捏造をしたのか、それこそが調査の肝に当たる。小保方は、理研の記者会見を受けて、理研に不服申し立てをするという。小保方は反省していない。理研と争うつもりだ。これには驚いた。(この件については後述する。)
今回の最終調査結果では、画像のすり替えや等、論文を構成する部材にばかり焦点が当たっていて、小保方の精神性――不正や捏造に至った精神の現象性について触れていない。理研の調査委員会は小保方にヒアリング調査をしたというが、ヒアリングをしたのならば、そのことを通して、小保方の具体的反論や論文作成の過程が明らかになったはずだ。調査委員はそれを受けて、小保方に非のある部分を示し、小保方に指導をし、反省を促すべきではなかったのか。小保方の精神性をスルーして調査が進んだのはなぜなのだろうか。そもそも、小保方が反省をしないというのは小保方のどのような精神構造からなのか。
問われるべきは理研の体質
理研は小保方の「単独犯」で幕引きを図ろうとしているようにみえる。しかし、理研には税金が投入されている。一人の「未熟な研究者」が論文を捏造して世間を騒がせて申し訳ない、ですまされる問題ではない。理研においては、小保方のような「未熟な研究者」が自由気ままに研究を続け、その輩に税金を使って給与を払い続けているのではないか。小保方の件は世間に知られたけれど、われわれが知らない「未熟な研究者」による捏造や無駄な研究がほかにもたくさんあるのではないか。この先、理研から第二第三の小保方が出てくる可能性は皆無なのか――そう考えて当然だろう。本件を契機として、理研の管理責任こそが問われなければならない。 再発防止策が求められる。
もっとも同調査結果は小保方の論文に不正があったかどうかを判定するものだから、再発防止や組織管理の問題については触れない、という観点は正しい。ならば、なおのこと、理研のあり方を糺す第三者機関による理研解体作業に着手しなければならない。理研の中に、「未熟な研究者」を野放しにする体質が内在しているのではないか。「未熟な研究者」の研究結果を検証する科学的能力が不足しているのではないか・・・本件を契機として、理研の問題点をさまざまな角度から問う、理研解体のための調査委員会設置が望まれよう。
理研は税金の無駄遣い機関
さて、ネオリベラリストの経済学者ミルトン・フリードマンが生きていてこの問題を知ったならば、理研不要論を声高に唱えたことだろう。フリードマンらの市場原理主義の視点からすれば、政府が科学研究に税金を投入することは悪なのだから。
フリードマンはその著『資本主義と自由』のなかですぐさま廃止すべき政府の政策・制度として、▽農産品の買い取り保証価格(バリティ価格)制度、▽輸入関税または輸出制限、▽家賃統制、全面的な物価・賃金統制、▽法定の最低賃金や価格上限、▽細部にわたる産業規制、▽連邦通信委員会によるラジオとテレビの規制、▽現行の社会保障制度、▽事業・職業の免許制度、▽公営住宅、▽平時の徴兵制、▽国立公園、▽営利目的での郵便事業の法的廃止、▽公有公営の有料道路――を挙げている。
税金が投入された政府機関には自由な競争原理が働かない。理研はその典型だ。今回のように、「未熟な研究者」(小保方)が勝手気ままに不正を行えたのは、理研という政府が税金を投じた研究機関だからだ。そこでは正しい競争が行われないから、大きな研究成果を期待することは難しい。ミルトン・フリードマンならば、理研という存在にすぐさま廃止すべき政府の機関を見たに違いない。研究成果を促進するのは、自由な競争原理が働く民間の研究機関においてだ、と断じただろう。
小保方側の提訴で理研に裁判費用が
筆者は市場原理主義者ではないけれど、このたびの理研の不祥事の報道を見聞きするたびに、フリードマンに賛同したくなってくる。その気持ちさらに強くさせたのが、理研の最終報告の直後、クロと断じられた小保方が、理研の見解に「とても承服できません」と憤り、2日には「論文の撤回に同意したことは一度もなく、取り下げるつもりはない」とのコメントを出し、週明けに理研に不服申し立てをする意向で、8~9日を念頭に会見を開く予定でいるという報道があったことだ。
つまり、小保方は理研を相手取り、訴訟をおこす構えなのだ。小保方が訴訟をするとなると、理研もそれに応じて弁護士を立てることになる。その金はどこから出るのかといえば、理事長のポケットからではなかろう。当然、税金の一部が訴訟費用に充てられる。おいおい、たいした研究成果もあげていない、しかも不祥事を起こした研究所が、こんどは訴訟費用なんかで税金を使うのかよ、というのが庶民の正直な気持ちだ。
民主党政権下の「事業仕訳け」は正しかった
理研といえば、2009年、当時の民主党政権が行った「事業仕分け」において、事業仕分けチームが科学技術に係る予算の減額の判定を下したことについて、ノーベル賞を受賞した高名な科学者たちが一斉に批判したことが思い出される。
理研理事長であるノーベル賞受賞科学者・野依良治は、事業仕分け結果について、まず、日本は先進国と比べて、科学技術関連予算が格段に少ないこと、そして、米国で博士号を取る人が中国の20分の1、韓国の6分の1しかいない現状などを説明し、「10年後、各国に巨大な科学国際人脈ができ、そこからリーダーが生まれる。日本は取り残される可能性がある」と指摘。「(事業仕分けは)誇りを持って未来の国際社会で日本が生きていくという観点を持っているのか。将来、歴史の法廷に立つ覚悟でやっているのかと問いたい」と疑問を呈した。
当時、事業仕分けチームが行った科学技術予算の減額は、科学技術の発展を否定する観点から行われたものではない。彼らが目指したのは、たとえば、独立行政法人の理研が明らかに無駄な予算を獲得し、それを浪費している実態に、また、この独法が科学技術の発展に資する活動を行わず、関連する企業と癒着し、公正さを欠く契約等により研究資材等を購入している実態にメスを入れたかったのだ。
当時、理研のスパコン開発は利権がらみ。それだけではない。理研は関係官庁から天下り官僚を受入れ、関連機関、団体、企業と特命随意契約を交わして、入札もなく理化学器械等を買い漁っているような「研究所」だった。しかも、そこの研究者にいたっては、研究成果が出なくとも追い出されることはなく、欧米の研究所のように、研究者が厳しい競争にさらされることがない。つまり、理研に就職しさえすれば、たいした研究成果をあげなくても、放り出されることはないような「研究機関」なのだ。理事長の野依良治は当時、「歴史の法廷」という言葉を吐いた。今回の不祥事を前にして、「歴史の法廷」に立つのは、「未熟な研究者」小保方晴子及び「その無能な管理者」野依良治の両名なのだ。