2022年5月14日土曜日

50年前の吉本隆明『南島論』を読み返す

沖縄本土復帰が政治課題として突出したいまから50年前、平林さんご指摘の通り、新左翼各派は沖縄解放、沖縄奪還という闘争方針をめぐって対立を深め、自派の正当性を証明しようと無意味なゲバルト闘争に明け暮れていた。そんななか、吉本隆明は『南島論』を掲げて両者の論争に割って入った。吉本は次のようにいう。 

琉球、沖縄の問題は、たんに米軍基地が存在して、土地の連中(注1)が迷惑しているとか、また基地の存在なしには経済的に成り立たない部分が多数存在するというようなことでもないし、また本土復帰なんていうことをいって、それで終わるということでもありません。本来的にいえば、彼らが彼ら自身(注2)で本土中心あるいはいってみれば天皇制統一国家中心に描かれてきた本土の歴史というものを、根柢から突き崩すだけの問題意識と、それから主要テーマの研究と学問と思想とをひっさげて、本土と一体になるのでしたら、それなりの意味あいがあるとおもうんですけど、そういうことをぬきにして本土に復帰したってどうっていうことはないわけです。つまり〈行くも地獄帰るも地獄〉というやつで、どっちにしたってあまりいいことはないにきまっています。復帰したとかんがえたとしても、本土からみると、ひとつの僻地とか辺境とか離れ島とか、そういうい意味あいのイメージしか持ちえないということなんです。(「宗教としての天皇制」『敗北の構造 吉本隆明講演集』弓立社版P21~22)
(注1)(注2)ともに沖縄住民のこと 

沖縄の歴史、および、当時も今も変わらない沖縄のおかれた情況に鑑みれば、吉本の発言は沖縄住民に対していかにも礼を失したものいいである。しかしながらこの50年間、沖縄の情況は 吉本のいうとおり〈行くも地獄帰るも地獄〉であった。観光客の目からすれば、インフラ整備が進み、こぎれいなリゾートホテルが立ち並ぶ南海の楽園のようにみえても、本土との経済格差は縮まる気配がない。もちろん、辺野古に代表される米軍基地問題は縮小よりも拡大に向かっている。そんな沖縄の人々に対して、《本土中心あるいはいってみれば天皇制統一国家中心に描かれてきた本土の歴史というものを、根柢から突き崩すだけの問題意識と、それから主要テーマの研究と学問と思想とをひっさげ》ることにどのような有効性があるのか――50年前のこの文言に新たに直面した筆者の戸惑いは大きい。吉本の無礼な沖縄住民に投げかけた発言のなかにこそ、日本革命の失ってはいけない視座があったことがあらためて直感されたのである。以下、〈南島論〉を大雑把にではあるが、読み返してみた。

(一)家族・親族・国家 

吉本の日本革命論は「南島論」へと展開する。吉本は南島の家族・親族・国家について論究し、南島の親族関係について、伊藤幹治の「八重山群島における兄弟姉妹を中心とした親族関係」から、沖縄の親族関係が父系・母系ではなく、双系であるという結論を援用し、かつ、親族関係の展開の過程で国家的な共同体へと転化する契機として兄弟姉妹関係の機軸を重要視する。父から長男という父系ではなく、母から長女でもなく、そのどちらもありうる双系。そして、兄弟姉妹関係というのは性的タブーであり、性的関係は禁忌とされるものの、親子よりは遠く、その関係は経済的、あるいは、契約的な関係に代替されて発展していくと考えれば、家族集団からの逸脱の始まりと考えていい。〔後述〕 

もう一つの国家成立の概念として、〈グラフト国家=接ぎ木国家〉を提示する。これはある共同体が発展して統一国家に至るという一元的発展だけではなく、複数の共同体(部族国家、氏族国家)が並立する中、そこに横あいからやってきた勢力によって統一国家ができあがる可能性を説明したものだ。つまり、われわれが抱く国家観念というのは、人民が長い歴史をもってそこに住み着き、いろいろな風俗、習慣を強固に持ち、その共同性が上へ上へ展開進化し、高度に洗練されていって統一国家を成立せしめるものだと無意識に思いがちだが、そうとは限らないということだ。日本における天皇制権力の種族的出自についても、騎馬民族説、北九州説、南中国・東南アジア説などが挙げられていて、断定できない段階にあるとされる。以上ふたつの要素から、いうまでもなく、「万世一系」「紀元二千六百年」「紀元節」などというものは、後年のつくり話、神話にすぎない。

(二)祖先崇拝・祖霊信仰と〈來迎神信仰〉 

次なる視点は、南島、本土を含めた宗教性の観念である。それは①祖先崇拝・祖霊信仰、②來迎神信仰の二つに大別される。①の特徴は、宗教性の観念が家族の共同性から逸脱しないこと。②は共同宗教であるということ。先述の通り、家族集団の共同性を逸脱したときに、共同体、あるいは国家の成立の契機が考えらえる。そして、この二つの軸は南島、本土の宗教に差異はない。 

さて、②の共同宗教は、〈宗教→法→国家〉への展開から考えるならば、宗教自体が権力となることを意味する。そういうものと、①の祖霊信仰との錯合がもっとも適切に現れてくるのが日本本土でいえば近代国家における天皇制、あるいは天皇における世襲祭儀(大嘗祭)である。いまわれわれの住む日本国は、ここから一歩も出ていない。 

(三)天皇即位儀礼大嘗祭の構造 

大嘗祭とは皇太子が新天皇になるための通過儀礼である。天皇となるためには、天皇霊を引き継ぐことが必須とされる。まさに祖霊信仰そのものなのだけれど、そこに共同宗教としての、つまり権力、宗教的威力の継承という要素がなければ意味がない。大嘗祭は秘儀とされ、その内容は不明であるが、民俗学者・折口信夫が『大嘗祭の本義』を著わし、新天皇が女性として稲霊と同衾する(真床追衾)という大胆な仮説を唱えたことが知られている。

吉本の解釈は、南島におけるノロと呼ばれる巫女の継承の儀式、それから13~14世紀ころに成立した琉球王国によって制度化されてきた聞得大君(キコエノオオキミ)という最高の巫女の継承の儀式と、天皇の世襲大嘗祭とは〈指向性変容〉(注3)の関係にあるとする。

(注3)指向性変容:吉本の造語で、身近なことについてなら、起こってくる事象をわりあい包括してとらえることができやすいが、身近でないところの問題の場合には、こぼれおちてくる事象があり、その事象はまったく偶発的な〈事実〉としてしか存在しないかのようにみえてしまうという矛盾のあいだの〈距離感〉、〈誤差〉というものをはっきりさせるための概念。関係の構造を把握することのなかで、あらゆる歴史的段階というものは、あらゆる地域的空間に、そしてあらゆる地域的空間というものはあらゆる歴史的な段階に、あるいは、あらゆる世界的な共時性というものは、あらゆる世界的な特殊性というものに、相互転換することができるという。この場合には、天皇の世襲儀礼である大嘗祭は、南島におけるノロの継承儀式及び聞得大君の継承儀礼と同じ構造としてみることができるということになる。 

この先、吉本は大嘗祭と南島の巫女の継承儀礼における宗教的権威の継承の仕方の同一性と差異性および本土の田の神などのそれについて比較詳論するのだが、その内容については省略する。

結論としていえるのは、南島の巫女の世襲儀式と天皇の世襲儀式とが同根であることになる。具体的には、▽天皇制というのは政治的権力、象徴的権力、社会的権力であると同時に、宗教的権力であること。▽宗教的権力である天皇制の問題の実体を解明する鍵が、沖縄における聞得大君の就任儀式にみる宗教的威力の継承の仕方から解明することができるとすれば、その意味もまた大きいということ。▽換言すれば、本土の歴史上であらゆる意味での最高権力の成り立ち方を解明する鍵のひとつが南島にあるということ。▽聞得大君の就任儀礼は南島では〈聞得大君の御新下り(オアラオリ)〉といい、その構造は天皇位の世襲大嘗祭とよく似たというかほぼ同じ構造であるということ。そして、▽聞得大君の神性(御託宣)によって、その兄弟が実際には政治権力を行使するという権力構造があったこと。 

(四)なぜ聞得大君の世襲儀礼を研究することが革命的なのか 

吉本は、南島の聞得大君の世襲儀礼と天皇の世襲大嘗祭が同根であるということをふまえ、それを研究することが、沖縄~本土を貫通する(宗教的)権力による支配構造、すなわち天皇制を覆す鍵であり、沖縄と本土の真の一体化を果すことにつながるのだという。 

聞得大君の継承儀礼にみる宗教的威力・イデオロギー的威力のふき込み方と、天皇の世襲大嘗祭の威力のふき込み方とは殆ど同じものだといえます。こういうふうにいうことは一つの意義があるのです。なぜならば、沖縄は本土の支配に甘ったれており、その裏がえしとして沖縄の人たちは、自分たちが見捨てられた後進地域だという一種の劣等感をもっているのが否定できない現状だとすれば、日本国家における千数百年保持してきた天皇位の世襲大嘗祭の構造と、沖縄の聞得大君の継承祭儀の威力のふき込み方が全く同根であるということの認識は、この沖縄と本土との歪んだ関係づけの仕方を消滅させる意義をもってくるのです。そのことをはっきりさせれば、本土の支配者が〈あいつらは片田舎の県民にすぎない、甘ったれているんだ〉といういい方に対して一つの爆撃となりえるし、沖縄の人たちがいわれない劣等感をもっている現状に対して、それを爆撃するという意義もあると思います。わたしの問題意識からすれば、沖縄の住民が日本人であるということは、申すまでもない前提になっています。だから、現在何が問題かというと、その前提全部を含めて、統一国家として歴史的に固持してきた千数百年という本土中心にみた日本国家の浅さを、根柢的にくずす仕方が、南島にもとめられるということだと考えます。(「南島の継承祭儀について」前掲書P96) 

南島論が日本革命論でなくてなんであろうか。