ロシアにおける「対ナチス戦勝記念日」。プーチンは局面の転換を意味するような演説をしなかった。メディアが予測した「勝利宣言」なし、「戦争宣言」なし、「核を含む大量破壊兵器の使用予告」なし。今回の軍事侵攻が米国(NATO)、ウクライナ側によりもたらされたものだ、という従前のロジックを繰り返しただけだった。 さて、近代の戦争では局面を転換する戦闘が必ずあった。WWllにおける連合軍のノルマンジー上陸作戦の成功が名高い。アジア太平洋戦争では日本海軍が米海軍に負けたミッドウェー海戦。日露戦争における旅順攻囲戦(日本軍勝利)を入れてもいいかもしれない。
その反対に、戦況が膠着状態に陥ったまま、停戦を迎えたものとしては、WWlにおける西部戦線塹壕戦が名高い。独⇔英仏両軍が互いに塹壕に立てこもり、双方が攻撃と防御を延々と繰り返し、戦闘は開戦(1914)から終戦(1918)まで続いた。両軍どちらも軍事的優位を得られぬまま、独は国内事情〔注〕により講和に応じた。WWlにおけるドイツは「戦闘に勝って、戦争に負けた」といわれたという。「相撲に勝って、勝負に負けた」みたいだが。
〔注〕国内事情;ドイツ革命のこと。1918年11月3日のキール軍港の水兵の反乱に端を発した大衆的蜂起と、その帰結としてドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が廃位され、帝政ドイツが打倒された革命である。ドイツでは11月革命ともいう。なお、ドイツ帝国はその影響で敗戦に及んだが、ドイツ革命は頓挫し、ワイマール共和国というブルジョア民主国家の成立で終わった。
塹壕戦には勝者も敗者もいない。主要な戦場となった仏北部ソンム河畔における4カ月半にわたった激しい塹壕戦「ソンムの戦い」は、最も凄惨な会戦の一つといわれ、戦死者は1日で5万7千人を数え、結局、双方合わせて40万人超の犠牲者を出した。戦場跡では悲惨な戦いの記憶が、今も語り継がれているという。
そして現代のウクライナである。ロシアとしては、マウリポリの巨大製鉄所に立て篭もるアゾフ連隊(ネオナチ、白人至上主義者で構成)を殲滅して勝利宣言をし、講和に持ち込むというシナリオがあったかもしれないが、戦局がそれを許さないようだ。報道では、6月には米国(NATO)による各種高性能武器がウクライナに到達し、ウクライナの反転攻勢が「期待」されるという。いま(5月)が天王山である。ウクライナ軍がロシア軍に圧倒され敗北を決定的にするのか、逆にもちこたえれば、6月以降、ウクライナ軍が新型兵器を駆使して反撃し、ロシア軍は国境まで押し戻されるかもしれない。そうなれば、ウクライナ、ロシア双方の軍隊がウクライナ東部・南部で展望のない戦闘を繰り返すという膠着状態が複数年単位で継続する。犠牲者はさらに増え続けるだろう。
ウクライナ戦争が終結する唯一の道がある。100年前のWWlの塹壕戦の終わり方の再現である。すなわち、ロシアの国内事情による、ロシアからの講和要請である。ロシア国民の不満、すなわち、「反プーチン革命」である。プーチンに政治的危機が及べば、ロシアは撤退せざるを得ない。
もちろん、WWlにおける独敗戦の要因は複合的であり、国内政治以外にも、スペイン風邪、飢饉、国民の厭戦気分等を併せ考えなければならない。それらを総合して「革命」というかたちに結晶したと考えれば、いまのロシアに起こっても不思議はない。スペイン風邪→新型コロナ、米国(NATO)等による経済制裁という、似たような条件がないわけではない。