2025年4月29日火曜日

Lotas Osteria(池之端)

 娘の誕生日



2025年4月26日土曜日

Vocal House Nami




つまらないNPB


NPB(日本プロ野球)は各球団とも(2025/4/26時点で)、開幕から20試合ほどを消化した。筆者の印象としては、両リーグとも、レベルダウンしているように思える。 

〔セリーグ〕 

セリーグは、上位(広島・阪神・読売)と下位(中日・ヤクルト・ DeNA)の実力差がはっきりしていて、早くも興味が薄れた。中日は小笠原、マルチネス(先発・抑えの主力)がチームを去り、その穴を埋める新戦力不在で2025シーズンを迎えてしまった。課題だった打線強化は何シーズンも打つ手なしで、解消されないまま。ドラフト、育成、トレードといったチーム強化をおろそかにしてきた球団だけに、現在の4位は健闘に値するが、いずれ最下位に沈むだろう。 

ヤクルトも投手陣強化という課題が解消されていない。先発・中継ぎ・抑えのどれも弱すぎる。中日どうよう、強化プランがないまま、数シーズンを重ねている。 

昨年日本一に輝いた DeNAも、投打に好材料が見あたらない。他の下位球団同様、新戦力の台頭が見られない。MLBをクビになった筒香、超ベテランの宮崎が主力をはるようではこの先も暗い。  

読売は菅野がMLBに移籍し、戸郷が絶不調、グリフィンが体調不良と先発3投手を欠きながら、先発再編成でなんとか3位にとどまっている。再編成されたローテーションは〔井上・石川・〇・山崎・赤星・〇)の4枚で、埋め切れていない2枚を田中等およびブルペン・デェイで賄っている。DeNA 投手陣が火の車である状況に鑑みれば、同球団から整理された石川が序盤の読売の救世主になっているのはなんとも皮肉というほかない。

打者陣は丸を欠き、坂本が限界に近づくという、これまた大ピンチにもかかわらず、岡本・吉川・甲斐が絶好調で下位チームから白星を奪っている。甲斐の獲得が攻撃陣にプラスとなったことはうれしい誤算かもしれない。ここにきて2年目の泉口、昨シーズン移籍してきた若林と、新戦力の台頭があり、好材料がそろいつつある。

とはいえ、読売の打力はつながりに欠け、先行されると反撃能力が低いので大勢・マルチネスを使いあぐねてしまう。現状の3位は善戦と言っていいい。前出の戸郷、グリフィン、丸はいずれ復帰するから、読売が優勝の一番手であることはまちがいない。 

現在トップの広島は中継ぎ・抑えに不安が残るし、打撃陣に破壊力ある選手が不在なまま。阪神も絶対的抑えが不在で、しかも野手の控えが手薄。好調の近本・中野の1・2番コンビのうちどちらかを欠けば、戦力がガタ落ちする可能性が高い。 

ところで、二塁・遊撃にいい選手が育たないのがNPBの特徴なのか。少年野球から、運動能力の高い子供が投手というポジションに集中するからだろうか。 

〔パリーグ〕

ソフトバンクが故障者続出で開幕ダッシュに失敗したばかりか、現在最下位とは予想外。昨年不振だったオリックスは、今シーズンは昨年の故障者が続々と復帰するといった好材料に恵まれ、トップにいるのは不思議ではない。ただし、このチームの弱点は抑えの不在。 

ソフトバンクの独走予想が覆り、6チームの勝率に大きな差はなくダンゴ状態だ。混戦とはいえ、日ハム、楽天、ロッテ、西武が優勝争いに絡む確率は低い。この4チームがCS出場争いを繰り広げ、日ハムが勝ちあがる程度が興味の対象となるくらい、話題が少ない。 

NPBがなぜ つまらいないか

セリーグはなぜ、いまだにローカル・ルールの9人制を続けているのだろうか。MLBで大谷が二刀流(昨年、今年は打者専任だが)の道が可能なのは、DH制度があるからだ。それだけではない。ツーアウトの得点チャンスで投手の打順、興ざめである。なかにはそこで投手がヒットを打つシーンもなくはないが、およそ奇跡に近い。

言うまでもなく、国際試合はすべて10人野球。NPBの集客数は落ちていないどころか上がっているようだが、MLB人気(大谷ほか日本人選手の活躍)という外在的要因だ。死球や走塁といった危険から投手を護るという観点からも、10人制に切り替えるべきだ。 

球団数が増えないことについては、何度も書いた。コミッショナーに権限がなく、12球団オーナーのギルド体質による独占だ。合理的改革を進める気概がなく、野球を面白くしようという意欲がない。12球団のうち、およそ半分の球団が強化戦略を欠いた状態だ。本社の宣伝媒体でよしとする現状維持の消極的経営体質から脱却できていない。

具体的には、セリーグで最悪なのが中日とヤクルト。パリーグでは西武と、監督交代でお茶を濁しているだけの楽天。三分の一が腐ったまま、プロ野球として観客から料金をとっている。日本の野球ファンはそれで良しとしているのだから仕方がないが、MLBのマイナーリーグとして生きていこうという選択なら、どうしようもない。 〔完〕 

2025年4月24日木曜日

俳号からみえてくるもの

  Lさんは、中国から日本にやってきて東京の大学院で学んでいる女性で、妻の知り合いである。そんなLさんを妻が「俳句の会」に誘った。彼女は入会に乗り気で、俳号を決めたと妻にメールしてきたという。そのメールを見た妻は驚嘆してそれを私に見せた。Lさんは、古代中国の思想家の言説のキーワードである漢字二文字を俳号に選んだようだ。その意味するところは、真(まこと)の道を極める知のあり方を説いたもの。妻は絶賛した。Lさんの教養の高さに驚いたのだ。  

それを見た私は、一言「なじまない」と妻に言ったところで言い争いとなった。私は「有名な俳人の俳号を調べたらなじまない理由がわかるよ」と答えて、この話は終わった。妻はもちろん、俳号を調べるわけがない。Lさんの教養の高さに敬服しまくっているからだ。 

私が「なじまない」と言った根拠を示そう。俳号というのは、おおむね自分を小さく見せる、あるいは、さりげなく付する傾向があると直感したからだ。 

私は江戸期の三大俳人の俳号について調べてみた。私は俳句の専門家でもなければ、日本文学史にも疎い。だからWikipediaを頼りにした。 

まずは松尾芭蕉。「芭蕉」を俳号に選んだのは、門人から芭蕉の株をもらったことに由来するという。 

小林一茶はどうだろうか。なぜ「一茶」を俳号に選んだかについては、管見の限り不明だが、作品の傾向から推察するところ、取るに足りない自分、弱いものに寄り添おうとする小さい自分の象徴として、「一(服)の茶」もしくは「一つかみの茶葉」という意味を込めて「一茶」としたのではないかと想像してみた。 

最後は与謝蕪村である。まず予備知識として、蕪村の「蕪」は一般には「カブ(ラ)」を指すが、「荒れ地に雑草が茂る様子」「みだれる、乱雑な様子」をも意味する。

ここで、Wikipediaである。与謝蕪村は漢籍から俳号をとっていた。前出のLさんと共通する。陶淵明の有名な『帰去来辞』だ。 Wikipedia には『帰去来辞』のどこから取ったのか書いていないし、ほかのサイトを当たってみたが説明をみつけることができなかった。以下の叙述は私の推測にすぎないのだが、あの有名な冒頭の節が思い浮かんだ。 

帰去来兮。田園将蕪、胡不帰。 

既自以心爲形役、奚惆悵而独悲。 

悟已往之不諌、知来者之可追。 

実迷途其未遠、覺今是而昨非。 

(書き下し文) 

帰(かへ)りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。 

既に自ら心を以て形の役(えき)と爲(な)す、奚(なん)ぞ惆悵(ちうちやう)として独り悲しまん。 

已往(いわう)の諌(いさ)められざるを悟り、来者の追ふ可きを知る。 

実(まこと)に途(みち)に迷ふこと其れ未だ遠からずして、今の是(ぜ)にして昨(さく)の非なるを覺る。 

(現代語訳) 

さあ家に帰ろう。田園は(手入れをしないので草で)荒れようとしている。なぜ帰らないのか(今こそ帰るべきだ)。 

これまで、すでに自分の(尊い)心を肉体の奴隷としてきたのだから(=役人となって心を悩ましてきたのだから)、どうして失望してひとり嘆き悲しむことがあろうか。 

すでに過ぎ去ったことは諌める方法がないのを悟り、将来のことは追いかけられるのを知っている。 

本当に道に迷った(=間違った方向へ行った)としても、まだ遠く(へは行って)はいなかった。今(役人を辞めて帰るの)が正しい生き方で、昨日まで(の生き方)は間違っていたことを悟ったのである。 

与謝蕪村も、陶淵明とおなじく、権力や地位にしがみつく生き方を否定して、蕪村(荒れ果てた村)に帰る決意をかためた。そのことは俳人として、権威、出世、高い冠位…を否定して滔々と生きることを意味する。俳号「蕪村」にはそんな思いが込められているのではないか。 

近代俳人を見てみよう。正岡子規の俳号「子規」はホトトギスのこと。鳴いて血を吐くこの鳥と結核で喀血する自身を重ね合わせた。正岡子規も、文学博士、売れっ子作家、知識人という知的上昇過程を断念し、俳人という小さき者であろうとする自己を鳴いて血を吐くホトトギスにたとえたのだ。 

さらに時代を進めると、意外にも本名をもじって俳号にする傾向が顕著となる。以下、左が本名で右が俳号だ。 

河東 秉五郎(へいごろう)→河東碧梧桐 

高浜 清→高浜虚子 

山口 新比古(ちかひこ)→山口誓子 *誓(チカフ)子(コ) 

髙橋 行雄(たかはし ・ゆきお)→鷹羽 狩行(たかは・しゅぎょう)*タカハ・シユ行=ギョウ) 

俳号を本名のもじりとする意識の深層には、俳諧・短歌を「第二芸術」と規定した日本文学の混迷的情況と共通するものがあったにちがいないが、ここではそれを論じない。 

(結論) 

俳句は方法的には、散文の強みである論理性・写実性を排し、最短で直感を強烈に押し出すという形式をもった韻文(詩)である。心情的には、江戸の粋・軽妙、洒脱の精神が底流に流れていて、俳人が名乗る俳号にその傾向がにじみ出ている。俳句を芸術の域に高めたといわれる江戸期の三大俳人にしても、自身の俳号に権威にたいする否定性を隠したし、近現代にもそれが受け継がれた。しかし、俳句のこの底流にある傾向には陥穽も潜む。反知性主義だ。コトバ遊び、語呂合わせでハット思わせる技巧に走れば、それまでである。 

私はLさんにむかって、「その俳号はおかしい」とか「俳句の精神にあわない」とかいうつもりはない。Lさんは外国人であり、日本に長く住んでいるわけではない。日本の伝統文化を学ぼうという心意気をリスペクトする。俳号を古代中国の賢人の哲学から選んだ知性は、俳句という日本の伝統文化への敬意の表れだと理解する。Lさんが、俳句という日本文化の特異性を一日も早く理解してくれれば幸いである。〔完〕  

2025年4月22日火曜日

躑躅(東田端)






 

2025年3月30日日曜日

現代陶器のすすめ

 お花見の後、大倉集古館に寄るも休館中。

その近くの菊池寛実美 智美術館にて、現代陶器を鑑賞する。










休館中の大倉集古館


都心再開発地区の花見

 六本木~赤坂にかけての花見。

情緒はないが清潔ではある。











2025年3月28日金曜日

2025年3月25日火曜日

バスク観光

 3月13日から21日まで、バスク地方(フランス~スペイン)を観光してきました。






2025年2月28日金曜日

漂流、夜の根津


 

『近代天皇像の形成』

 ●安丸良夫〔著〕 ●岩波書店 ●2400円(税込) 

 本書は、近代天皇制を考えるうえで、まさに必読の書のひとつだといえよう。幕末、ペリー来航を奇禍として、盤石だった幕藩体制の崩壊が始まるなか、超越的権威としてせり上がるように登場する〈天皇像〉を析出する著者(安丸良夫氏/以下「安丸」と略記)の筆致に思わず興奮を覚えた。 

実際の天皇(像) 

 本題には天皇像とあるが、実体としての天皇を描出した箇所はきわめて少ない。そのような観点からすると、おなじく近代天皇制の成立過程を詳論した、これまた名著のひとつである『天皇の肖像』(多木浩二〔著〕)とは対極的である。 安丸が本書で描きだした実際の天皇の像(姿)を以下に引用する。

…岩倉によって、不世出の英王であり王政復古の大業はすべてその判断によっているとされた天皇は、実際には白く化粧し画き眉をした十五歳の少年であり、まだなんの政治的識見や判断力をもっていなかったということである(天皇は、翌年正月十五日に元服し、童服を脱いで成人の印にオハグロをつけた)。現実の天皇がそのような存在であること、天皇の意思とされていることは政治的実権を掌握しようとしている人びとの意思にほかならないことは、誰でも知っていた。(本書P165~166) 

 この引用箇所の背景について補足する。岩倉とは岩倉具視のこと。王政復古の大号令が発せられた1867(慶応3)年、天皇(睦仁/むつひと。明治天皇)〔註1〕 の面前で第15代将軍徳川慶喜を朝議に参加させるべきか否かの会議(小御所会議)が開かれ、そこで大激論が戦わせられたときの天皇の姿の描出である。この会議では越前藩主松平慶永や土佐藩前藩主山内豊信は、慶喜の参加を強く主張した。慶喜を朝議に参加させれば、旧幕府を含めた雄藩連合政権の方向へすすみ、日本は、西欧諸国の立憲制度の形式を模した公議政体論の理論的枠組みとなったはずだった。ところが、岩倉具視ら一部公卿と薩摩藩は徳川氏排除を主張し、天皇の権威を高く掲げた絶対主義的政権の完成を主張した。この席で、岩倉・薩摩藩に怒った山内が「幼冲ノ天子ヲ擁シテ権柄ヲ竊取セン」と非難したところ、岩倉が、天皇は「不世出ノ英材」であり、王政復古の大業は「悉ク宸断ニ出ヅ」と山内を叱りとばしたシーンにあったという。白く化粧し画き眉をした十五歳の少年を不世出の英材と断じることはあまりにも無理があるはずだが、この会議は御所のすべての門を西郷隆盛(薩摩藩)が指揮する軍隊が固めていたというから、岩倉らは絶対主義的政権樹立をはなから成立させるつもりだったのである。
 実際の天皇の姿を描出した資料としては、イギリス公使ハリー・パークスに従って天皇に謁見する機会をもった外交官アーネスト・サトウの回顧録の記述がある。 

天皇はまだ伝統的世界のなかにある不活発な君主という印象をあたえている。白く化粧をし、謁見者に直接は言葉をかけず、天皇の言葉は介添え役(山階宮)が述べるという、間接的な方法による伝統的謁見であった。(『天皇の肖像』からの再引用/同書P9) 

 アーネスト・サトウが天皇に謁見したのは、1869年(明治2年)1月5日だったから、前出の小御所会議の2年後になる。元服した後も不活発な天皇であったことはまちがいない。 

〔註1〕明治天皇(1852年11月3日~ 1912年7月30日)。在位は1867年2月13日〈慶応3年1月9日〉~ 1912年〈明治45年〉7月30日)。 

 安丸は、併せて、幕末、尊王思想を標榜して幕府打倒を目指した志士たちの天皇観を以下のとおり紹介している。 

明治維新が、天皇を「玉」と呼び、「玉を抱く」「玉を奪ふ」などの露骨な隠語で、天皇を権謀術数の手段とした志士たちによって遂行されたことは〔遠山、1972、202頁〕、よく知られている。近代天皇制は、18世紀末以来の尊王論や国体論の発展を背景にもちながらも、直接にはこうした権力政治の渦中から成立した。むきだしの権謀術策性のゆえにこそ、誰も表向きには反対できない超越的権威としての天皇が前面へ押しだされ、権威にみちた中心がつくりだされなければならなかったのである。(本書P164) 

 この引用箇所こそが、安丸の明治維新論もしくは近代天皇像形成論の核心にあたる。明治維新とは、辺境諸藩および公家らが共謀し、徳川家とそれを支持する旧主派諸藩による日本支配を武力によって倒したクーデターあるいは革命にほかならない。幼い天皇を神話と祖霊崇拝等を駆使した呪術的手法により、徳川幕府の権威に対抗するばかりか、それを凌ぐ超越的権威に高めたのは、いまに思えば、マジックとしかいいようがない。近代化にむけた国家統治のイデオロギーとして、▽旧幕府を含めた雄藩連合政権体制か、▽絶対天皇制か、という二択しかもちえなかったことは日本の近代化における不幸のはじまりである。儒学・国学によって構築された絶対天皇制(論)は、西欧の17世紀からはじまる絶対王政を打倒し、自由を希求する市民革命のイデオロギーを醸成できなかったのである。

近代天皇制と国民国家 

 安丸は、明治維新国家と西欧国民国家成立の共通性を認め、おおむねの次のように評している。その共通性とは国民国家という共同体を成立させる幻想のことをいう。国民国家は、きわめて旧いとされる伝統に国民的アイデンティティのよりどころを求めて、伝統の名によって当該社会を統合していく民族的活力をひきだそうとするところに由来する。
 その伝統とは、歴史を国民国家の課題にひきよせて作られた構築物にすぎないのだが、作為性はほとんど無意識のうちに隠蔽されて、歴史は現在を照らしだすための鏡となり、それが〈発明された伝統(E・ホブズボーム)〉にあたるということ。そして発明された伝統は19世紀中葉以降の西欧における国民国家統合の実現と同期していること。
 そればかりではない。黒船来航は、日本が「世界システム」(ウォーラ―スティン)に組み込まれようとする大転換期を象徴する事柄であり、「世界システム」および前出の国民国家統合の実現という世界史的同時性が、明治維新と近代天皇制成立の背景にあることはおさえておく必要があろう。

近代天皇制はいつ成立したのか 

 本書が近代天皇〈像〉の成立を論じたものであるから、天皇および天皇像がその後、どのように展開したかについては埒外であることはいうまでもないが、その一方で、尊王派勢力が暴力革命によって維新政府を樹立したことをもってただちに近代天皇〈制〉が成立したと考えることもできないのである。
 加えて、幕府派と尊王派の抗争は権力内における内部対立であるから、その外部にある民衆・生活者が後者によって擬制的につくられた天皇像を一気に受容するわけでもない。民衆・生活者が尊王派が提起した超越的権威である天皇像をなんの媒介もなく受けいれるはずもない。つまり、権力闘争における一方のイデオロギーのアイコンが、権力とは無関係にある人民に浸透した過程をたどってこそ、近代天皇像の成立とするべきだという立場もあろう。
 維新政府が人民にむけて天皇像のプレゼンテーションを行った経緯については、前出の『天皇の肖像』に詳しく描かれていることはすでに述べたとおりであり、詳しくは同書をあたられたい。ここでその代表的なものを挙げるならば、行幸、錦絵、肖像画、写真(御真影)、メディア、行政指導、教育等の利用があった。維新政府がこれらを駆使して、天皇の具体像を与え、しだいに人民の側に天皇のイメージが定着するようになる。しかし、こうした視覚的・観念的天皇像の強要には限界がある。人民・生活者が天皇を強烈にイメージするようになったきっかけは、徴兵制と対外戦争だったのではないかと筆者は考える。
 近代天皇制の成立(1868)から崩壊(1945)の期間は77年間であり、3人の天皇が(明治、大正、昭和の各天皇)が在位した。その間、日本帝国は日本史上特記すべき対外戦争として、日清戦争(1894)、日露戦争(1904)、日中戦争(1937~1945)、太平洋戦争(1941~1945)を戦った。〔註2〕 

〔註2〕第一次大戦、シベリア出兵も小規模な対外戦争である。また、日中戦争と太平洋戦争を一括りにしてアジア・太平洋戦争とも呼ばれる。

 これらの戦争を機に、日本帝国は台湾、韓国、中国北東部(満州)、インドシナ、南洋諸島へと版図を広げたのだが、維新から16年後の日清戦争が果たした近代天皇像成立への影響もしくは関与を筆者は疑うことができない。
 日本帝国軍の歴史は、戊辰戦争〔註3〕に勝利した板垣退助による御親兵の創設構想から発した。板垣らは、明治2年5月(1869年6月)、旧幕側外国人将校、旧伝習隊・沼間守一らを土佐藩・迅衝隊の軍事顧問に採用してフランス式練兵を模倣し、さらに国民皆兵を断行するため、明治3年12月24日(1871年2月13日)、全国に先駆けて「人民平均の理」を布告し、四民平等に国防の任に帰する事を宣した。維新政府は富国強兵を国策に掲げ、明治4年(1871年)2月には長州藩出身の大村益次郎の指揮で明治天皇の親衛を名目に薩摩、長州、土佐藩の兵からなるフランス式兵制の御親兵6,000人を創設。常備軍として廃藩置県を行うための軍事的実力を確保した。この御親兵が近衛師団の前身にあたる。
 その一方で維新政府は、廃藩置県・廃刀令で武士階級を消滅させた後、明治6年(1873年)に徴兵令を施行する。 士族反乱、西南戦争等の内乱鎮圧を経て、徴兵制度の施行に伴い国民軍としての体裁を整えていった。その後、陸軍省が創設され、明治11年(1878年)に参謀本部が独立する。 

〔註3〕戊辰戦争(慶応4年・明治元年〈1868年〉~ 明治2年〈1869年〉)は、王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩等を中核とする新政府軍と、旧江戸幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)が戦った日本近代史上最大の内戦。名称の由来は、慶応4年・明治元年の干支が戊辰であることからきている。 

 ここで注目すべきキーワードともいえるのが、「人民平均の理」であり四民平等に国防の任に帰する旨の宣である。 日清戦争は徴兵令施行から21年後に起きた。対外戦争が人民平等の下に犠牲を伴い戦われ、アジアの大国である清国に勝利したことで、超越的権威としての天皇像が人民に内面化され、国民は真に天皇の下に包摂されたのではないか。維新政府は対外戦争を国民皆兵という施策のもとで軍事国家化を成し遂げ、新たな天皇像=軍神として天皇を祀り上げることにより、そのことをもって、「全国民平均」に君臨することができた。日清戦争開始から勝利の瞬間こそが、近代天皇制成立であり、全国民平均的に軍神としての近代天皇像が成立した瞬間だと筆者は考える。
 その副作用は、アジア人蔑視、排外主義、帝国主義であり、日清戦争からアジア・太平洋戦争敗戦までの戦争の時代において天皇がはたした役割については、本書の枠外ではあるものの、近代天皇像を変化するものとしてとらえ、かつ、対外戦争と関連して論ずる必要があると、筆者は考える。

現代天皇制について 

 安丸は本書「第9章 コメントと展望」において、今日の天皇制について論じ、天皇制が国民国家の編成原理として存在し続けていることを指摘する。そして、その中で、天皇制が政治とは一定の距離をとった儀礼的な儀式のもとで、誰もが否定してはならない権威と中心を演出して、それを拒否する者は「良民」ではない、少なくとも疑わしい存在と判定されるのだという選別=差別の原理をつくりだしている――という。こうした選別=差別の原理としての天皇制は、穢れへの神経症的恐怖とでもいうべき極端な浄・不浄観によって構成されている神道儀礼と固く結びついていること、天皇家の人びとが、誠実・生まじめ・幸福などを模範的に体現し、さまざまの人間的苦悩を押しかくして清浄人間を演じなければならぬこと、支配層もまた、政治の毒をあびない「天空にさん然と輝く太陽のごとき」存在として天皇制を位置づけようとしていること――の危うさを指摘する。
 近年強まる他者にむけた差別・排除の傾向の中心に天皇制があり続けていることの安丸による別言であろう。〔完〕 

2025年2月21日金曜日

梅満開

 列島を大寒波が襲っている今日この頃、

東京の梅は満開である。




2025年2月18日火曜日

『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』

 ●橘 玲〔著〕 ●文春新書 ●1900円+税 

 ビッグ・テックと呼ばれる巨大IT企業がアメリカのみならず世界経済を牽引するようになった。それら企業の創業者たちは巨額な富を築いている。彼らは20世紀の億万長者とは趣を異にしている。彼らの成功への道筋には汗のにおいがしない。彼らはギフテッドと呼ばれる理数系の天才たちで、彼らの知能が巨額の富と直結しているからだ。20世紀の億万長者たちの成功への道のりが労苦のそれであったとするならば、ビッグ・テックの成功者たちのそれは、知能そのものとなっている。その知能と成功が彼らを万能感に浸らせているように思える。 

 ビッグ・テックの成功者の中から、テック・ライト(テック右派)と呼ばれるグループが形成された。トランプ新政権に入閣したイーロン・マスクがそれを代表する。彼らのイデオロギー(思想)の第一の特徴は、自由を最重要視することだ。その結果として、経済活動に係る政府の関与をよしとしないのみならず、個人の生活、表現、行動において、政府に規制されることを望まない。このような傾向は、米国の建国以来培われてきたイデオロギーであるリバータリアニズム(それを信奉する者をリバタリアンという)と酷似している。そこから、テック・ライトの別称として、本題にあるテクノ・リバタリアンという呼称があたえられるようになった。なお、リバータリアニズムとトランプ主義については、拙note(https://note.com/tokyoriki/n/n59277b6ec4fa) を参照のこと。 

 テック・ライトとトランプの接近が表に出始めたのは、2024年の米国大統領選挙からだった。彼らの狙いは、バイデン政権が行ってきたテック関連産業における規制をトランプ新政権誕生により撤廃もしくは緩和されることを期待したからだ、と報道されるようになった。 

 しかし、彼らとトランプの蜜月関係は、2022年のイーロン・マスクによるツイッター買収からはじまっていたようだ。ツイッターの創業者ジャック・ドーシーはトランプと一線を画し、トランプのアカウントを凍結した。とはいえ、バイデンの民主党政権がビッグ・テックと一線を画していたというわけではない。以下の記述は主に、「偽情報・ディープフェイク もう一つの大統領選(内田聖子〔著〕『地平2025年1月号』/以下「前掲書」という)のリポートに拠る。 

 内田によると、ツイッター社が2020年に民主党政権に投じたロビー資金は90万9,431ドル(約1億2,000万円)で、共和党にはわずか1万4,137ドル(約190万円)にすぎなかった。つまり、簡単にいえば、イーロン・マスクが買収する前のツイッター社は民主党よりだったということにすぎない。民主党政権時代のFBIや移民・関税執行局(ICE)などの連邦機関はビッグ・テックの監視技術を購入することで移民や市民の監視を進めていたのである。2020年当時、テック・ライトという党派性をもったグループが形成される以前は、テック企業と政府の結びつきについては、それほど報道されていなかった、と別言できる。この緩やかな流れが急変したのが2024年の大統領選挙中であり、以降、強く社会が認識するようになったと言える。

 そのさなか、Facebook、Instagram、X(旧ツイッター)、You Tube、Tic Tokなどは、それまで公表してきた選挙の公正性に関するポリシー、たとえば、「政治や選挙に関連する暴力を助長するコンテンツを特に禁止する」「生成AIで作成されたコンテンツにはその旨をラベル付けする」という措置を翻していく。そして、(民主党政権下における)SNS上の言論規制、政府の非効率性、経済活動に係る規制を攻撃するようになる。彼らの狙いは、「自由」を建前とした、たとえば自動運転自動車の安全性に係る規制の撤廃であり、NASA廃止による宇宙開発事業の民営化である。イーロン・マスクはテスラという自動運転自動車の実用化のための研究開発を進めているし、宇宙開発事業にも手を出している。NASAが解体されれば、その事業を概ね自社が受け継ぐことができる。 

 〈建前の自由〉と〈本音の利権獲得〉が米国の大衆の目には映りにくい。米国のマジョリティーにとっての民主党(政権)は、1930年代のニューディール政策以来、大きな政府という刻印が押された存在であり、連邦政府を通じて、自分たちの税金が貧困者(働かない怠け者)に配られていると思い込んでいるからだ。トランプ2.0発足からすぐ、イーロン・マスクは政府効率化省(Department of Government Efficiency, DOGE)のトップに就任し、連邦政府機関の解体を進めている。このことは、米国のマジョリティーにとっては拍手喝采の快挙に見える。 

 テック・ライトの狙いは彼らが率いるテック企業による利益の最大化にとどまらない。本書に詳述されているように、彼らは議会(立法)・司法・行政という権力の分散化を非効率として退け、①有能な独裁者(dictator)による執政、②自由な経済活動による経済活性化、③頭の悪い大衆を管理するためのコンピューターの高度な技術開発の完成――による経済発展と安定した社会の構築を目指す。 

彼ら(テック・ライト)は民主主義を否定し、その代替として、心理学や神経科学とAIを組み合わせるかたちで、「マインドハッキング」「サイコグラフィックス」「デジタルコカイン」などの用語で言われるような、人間の意志決定の操作を目的とする研究開発、実装を日々進めている。AI/アルゴリズムを使ったプロファイリング、ターゲッティング等による人々の「部族化」は、特定の政治傾向の過激化・極端化をもたらし、異なる意見を聴く寛容性をますます困難にしている。すでに米国では、政党や党派などによる意見の極端化・分極化に加えて、愛着や強い支持、そして別の集団への感情的な敵対心が高まる「感情的分極化(affective polarization)が生じていると指摘されている。(前掲書P37~38)

 トランプとテック・ライトが目指す近未来社会がどれほど恐ろしいかは想像に難くない。リバタリアンはトランプ政権の下、完全な自由の実現を目指すとしながら、実は完全に自由が奪われたデストピアを構築しようとしているのである。米国のマジョリティーがそのことに気がつくのかどうか不安だが、日本に暮らす者は、米国すなわちトランプの真似だけはしないよう、日本政府を監視し続ける必要がある。 〔完〕

2025年2月14日金曜日

北浦和公園

 JR北浦和駅から至近の同公園は広い。

1970年代に埼玉大学の移転跡地につくられたという。



写真右にあるのが近代美術館


日本を含めた各国のアーチストの美術展が開催されている。