通っているスポーツクラブがおよそ1月間、休館となっているため、東京体育館のスポーツクラブに行った。ココを紹介してくれたのは、インストラクターのN氏。かつて、ここで鍛えていたらしい。
料金は2時間450円とリーズナブル。広い。フリーウエイトは、ベンチが3台、スミスマシーンが2台。ダンベルベンチも3箇所くらいあったように思う。マシーンも多種多様。
朝10時に入館、N氏の指導で、あっという間に2時間が過ぎた。自宅からはドアートゥードアで40分あまり。家に戻ったのが1時少し前。手ごろかも・・・
2010年1月20日水曜日
民主党の危機か民主主義の危機か
2010年1月17日は後世、“歴史に残る日”となるだろう。日本の民主主義が、検察・右翼・マスコミの3者によって蹂躙された日として。
政権奪取後初めて開催された民主党の党大会会場周辺は、異様な雰囲気に包まれた。会場となった日比谷公会堂周辺には右翼が結集し、「小沢止めろ」の怒号が飛び交っていた。もちろん、大会直前、小沢幹事長の秘書(うち、現国会議員を含む)3人が検察により逮捕されている。テレビ、新聞、週刊誌等のマスコミは検察リーク情報を駆使して、反小沢キャンペーンを連日のように繰り広げている。
検察側が政権与党の幹事長の秘書を逮捕した理由は明確ではなく、「自殺の恐れあり」「証拠隠滅の恐れあり」と報じられているにすぎない。検察、右翼、マスコミが一体化した反小沢、反民主に対するネガティブキャンペーンの理由ははっきりしないままだ。
筆者は、前回の当コラムにおいて、小沢の師匠・田中角栄がロッキード事件で失脚したことと、今日小沢が検察テロの標的となっていることをアナロジーした。しかし、今回の小沢問題は、角栄の場合に比べればそれほどのものではない。冷戦時代、角栄がユーラシア大陸規模で展開しようとした経済圏構想が、アメリカ・イスラエルと厳しく対立するという、いかにも大きなスケールを伴ったもったものであった一方、小沢問題はドメスティックな権力闘争だとも推測できる。では、小沢と検察の対立の軸はなんなのか――
一説には、検察=霞ヶ関であり、民主党が繰り広げる「霞ヶ関改革」を検察が何としても阻止するためだというもの。狙いは今年行われる参院選挙だという。だが、参院選投票日(7月)はまだまだ先だ。国会開催直前という時期ではあるが、ここで秘書逮捕の騒ぎが起こっても、参院選投票日のころには裁判で結審している可能性もあり、せいぜい政治資金規正法の記載漏れ程度の微罪であって、小沢側に収賄があったことを立証するにいたるまい。
検察が、通常国会開催直前を狙って小沢に対してテロを敢行した理由は、おそらく、参院選ではない。しかも、大量の右翼が民主党大会に押し寄せたということは、参院選よりも本国会に具体的ターゲットが絞られている、と筆者は見ている。
本国会の焦点は平成22年度予算だが、民主党の予算案に対して右翼が異を唱える理由は見当たらない。本国会に上程される法案のうち、検察・右翼が異を唱えるものがあるとしたら、筆者の憶測では、「外国人参政権問題」ではないか。同法案は、古い言葉で言えば、「国体明徴」に係る問題だ。日本の右側に位置する人々(検察幹部を含む)の国家観を大雑把に言えば、天皇制の下の単一民族国家であり、「異民族」が日本の国籍をもたずに政治に与することを排除しようとしている。一方、政府民主党は同法案を政府立法で国会に提出しており、その積極的推進者が小沢一郎その人だ。そして、小沢及び民主党本部に実弾が何者かによって複数回、送りつけられている。
検察に直結する「霞ヶ関改革」として、検察側が阻止したいのは、民主党が予定している政務官・副大臣の増員構想ではなかろうか。民主党は民間登用も含め、人事面での「霞が関改革」を徐々に進めており、いずれ、次官職の廃止に至るだろう。この流れはどうしても、阻止したいのではないか。
マスコミはどうか――今国会には係らないが、民主党が進めようとしている「クロスオーナーシップ禁止問題」がマスコミ側を刺激している。原口一博総務相が2010年1月14日、新聞社が放送局を支配する「クロスオーナーシップ」を禁止する法律を制定したいという考えを明らかにした。原口総務相は、「プレス(新聞)と放送が密接に結びついて言論を一色にしてしまえば、多様性や批判が生まれない」と、いかにもまっとうな意見を述べた。
民主党は、新聞の支配の下で放送が営業を行っている日本のマスコミ業界の現状を大改革しようとしている。いまのテレビ局は新聞社系列におかれていて、放送(テレビ)における経営及び報道に係る独自性は失われている。「クロスオーナーシップ」を禁止する法律が制定されたならば、現在のマスコミの息の根は完全に止まってしまう。だから、マスコミも民主党にストップをかけたい勢力の1つだ。更に、民主党が省庁に組織されている「記者クラブ」の廃止を目指していることも併せて、マスコミは完全に“反民主”だ。マスコミはだから、検察のリークに積極的に応じて、小沢=民主党に対するネガティブキャンペーンに尽力している、と推定できる。
検察側による“小沢テロ”の背景は以上の憶測・推測にとどまらないかもしれない。国民が選挙により政権交代を果たしても、それに対する抵抗勢力の懐は深い。しかし、検察・右翼・マスコミが一体となってテロ攻撃を仕掛けたとしても、7月の参院選において、国民が民主党に投票すれば、それまでだ。
参院選は意地でも、民主党に投票しようではないか。
政権奪取後初めて開催された民主党の党大会会場周辺は、異様な雰囲気に包まれた。会場となった日比谷公会堂周辺には右翼が結集し、「小沢止めろ」の怒号が飛び交っていた。もちろん、大会直前、小沢幹事長の秘書(うち、現国会議員を含む)3人が検察により逮捕されている。テレビ、新聞、週刊誌等のマスコミは検察リーク情報を駆使して、反小沢キャンペーンを連日のように繰り広げている。
検察側が政権与党の幹事長の秘書を逮捕した理由は明確ではなく、「自殺の恐れあり」「証拠隠滅の恐れあり」と報じられているにすぎない。検察、右翼、マスコミが一体化した反小沢、反民主に対するネガティブキャンペーンの理由ははっきりしないままだ。
筆者は、前回の当コラムにおいて、小沢の師匠・田中角栄がロッキード事件で失脚したことと、今日小沢が検察テロの標的となっていることをアナロジーした。しかし、今回の小沢問題は、角栄の場合に比べればそれほどのものではない。冷戦時代、角栄がユーラシア大陸規模で展開しようとした経済圏構想が、アメリカ・イスラエルと厳しく対立するという、いかにも大きなスケールを伴ったもったものであった一方、小沢問題はドメスティックな権力闘争だとも推測できる。では、小沢と検察の対立の軸はなんなのか――
一説には、検察=霞ヶ関であり、民主党が繰り広げる「霞ヶ関改革」を検察が何としても阻止するためだというもの。狙いは今年行われる参院選挙だという。だが、参院選投票日(7月)はまだまだ先だ。国会開催直前という時期ではあるが、ここで秘書逮捕の騒ぎが起こっても、参院選投票日のころには裁判で結審している可能性もあり、せいぜい政治資金規正法の記載漏れ程度の微罪であって、小沢側に収賄があったことを立証するにいたるまい。
検察が、通常国会開催直前を狙って小沢に対してテロを敢行した理由は、おそらく、参院選ではない。しかも、大量の右翼が民主党大会に押し寄せたということは、参院選よりも本国会に具体的ターゲットが絞られている、と筆者は見ている。
本国会の焦点は平成22年度予算だが、民主党の予算案に対して右翼が異を唱える理由は見当たらない。本国会に上程される法案のうち、検察・右翼が異を唱えるものがあるとしたら、筆者の憶測では、「外国人参政権問題」ではないか。同法案は、古い言葉で言えば、「国体明徴」に係る問題だ。日本の右側に位置する人々(検察幹部を含む)の国家観を大雑把に言えば、天皇制の下の単一民族国家であり、「異民族」が日本の国籍をもたずに政治に与することを排除しようとしている。一方、政府民主党は同法案を政府立法で国会に提出しており、その積極的推進者が小沢一郎その人だ。そして、小沢及び民主党本部に実弾が何者かによって複数回、送りつけられている。
検察に直結する「霞ヶ関改革」として、検察側が阻止したいのは、民主党が予定している政務官・副大臣の増員構想ではなかろうか。民主党は民間登用も含め、人事面での「霞が関改革」を徐々に進めており、いずれ、次官職の廃止に至るだろう。この流れはどうしても、阻止したいのではないか。
マスコミはどうか――今国会には係らないが、民主党が進めようとしている「クロスオーナーシップ禁止問題」がマスコミ側を刺激している。原口一博総務相が2010年1月14日、新聞社が放送局を支配する「クロスオーナーシップ」を禁止する法律を制定したいという考えを明らかにした。原口総務相は、「プレス(新聞)と放送が密接に結びついて言論を一色にしてしまえば、多様性や批判が生まれない」と、いかにもまっとうな意見を述べた。
民主党は、新聞の支配の下で放送が営業を行っている日本のマスコミ業界の現状を大改革しようとしている。いまのテレビ局は新聞社系列におかれていて、放送(テレビ)における経営及び報道に係る独自性は失われている。「クロスオーナーシップ」を禁止する法律が制定されたならば、現在のマスコミの息の根は完全に止まってしまう。だから、マスコミも民主党にストップをかけたい勢力の1つだ。更に、民主党が省庁に組織されている「記者クラブ」の廃止を目指していることも併せて、マスコミは完全に“反民主”だ。マスコミはだから、検察のリークに積極的に応じて、小沢=民主党に対するネガティブキャンペーンに尽力している、と推定できる。
検察側による“小沢テロ”の背景は以上の憶測・推測にとどまらないかもしれない。国民が選挙により政権交代を果たしても、それに対する抵抗勢力の懐は深い。しかし、検察・右翼・マスコミが一体となってテロ攻撃を仕掛けたとしても、7月の参院選において、国民が民主党に投票すれば、それまでだ。
参院選は意地でも、民主党に投票しようではないか。
2010年1月17日日曜日
2010年1月16日土曜日
『日本海と出雲世界(「海と列島文化」第2巻)』
●森浩一ほか[著] ●小学館 ●6627円(税込)
□東アジア・日本列島の中の出雲世界
本題の「日本海と出雲世界」とは、現在の日本の地理的区分に合わせると、概ね「山陰地方」「日本海西地域」に該当する。東端を北陸若狭、西端長戸・石見によって区分される地域であり、主要な島嶼部として、隠岐を含む。
律令国家成立後の古代日本列島の勢力図について、出雲を基点として俯瞰すると、東上して越、その北側に蝦夷、西下して北九州、そして、海路を使い瀬戸内海を通って吉備、畿内(大和)がある。もちろん陸路あるいは琵琶湖水系を介した内陸水路を南下して畿内(大和)に至る経路も利用された。
アジア大陸、東シナ海、日本海を挟んで、北(中国北東部)に粛慎、靺鞨、狄と呼ばれた北方ツングース族(彼らが建国した渤海、女真の勢力)が――、また、西に朝鮮系の百済、新羅、高句麗、伽耶の勢力が――、そして、大国中国の王朝勢力が――、位置していた。この圏域は、中でも朝鮮の諸勢力との関係が密で、例えば、本書第3章「3.中世西日本海地域と対外交流」(高橋公明[著])」によると、周防の大内氏はその出自を百済国王聖明王に求めていたという。
「出雲世界」は、日本列島においては、海路(日本海)を利用することにより、越及び北九州勢力と密接な関係を築いていたし、「出雲世界」の歴史は地勢上の特性に規定され、隣接勢力からの直接的・間接的影響を受けていたと同時に、出雲も各地域に影響を及ぼしていた。
外交における同地域の役割の変化は、律令国家が道路(街道)整備に注力し、海路に依存した物流体系から、陸上交通を含んだ複合的物流体系に再編成したことから始まった。中世初期(AD6~7世紀)に至ると、瀬戸内海(広島)に勢力を築いた平氏が列島西部の海上覇権を握り、海外からの外交使節の受入れと海外貿易利権を獲得した。以来、朝鮮、大陸から来訪する使節団の受入れ口が畿内に近接する瀬戸内海沿岸都市に移動した。
□ミステリアス出雲
古代出雲勢力の実態については、わからないところが多い。たとえば、荒神谷遺跡がその代表例である。昭和58年(1983年)、出雲の東に位置する斐川町の谷あいから、大量の銅剣、銅矛、銅鐸が出土したのである。きっかけは、広域農道(出雲ロマン街道)建設にともなう遺跡分布調査。調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)をひろったことがきっかけとなり、これらの発見に至ったという。
遺跡の南側に『三宝荒神』が祭られていることから荒神谷遺跡と命名され、翌昭和59年谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣(どうけん)が出土した。遺跡は『出雲国風土記』記載の出雲郡(いずものこほり)の神名火山(かんなびやま)に比定されている仏経山の北東3kmに位置する斐川町神庭(かんば)西谷にある。銅剣が埋納されていたのは、小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面で、昭和60年には、その時点からわずか7m離れて銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土した。
銅剣・銅矛・銅鐸の製造年代は特定されていないが、弥生前期(AD1世紀前後)のものとの鑑定意見もあり、AD1~3世紀には存在したと推定されている邪馬台国(卑弥呼)よりも、出雲勢力のほうが古いかもしれない。
邪馬台国「北九州説」「畿内説」の特定はともかくとして、邪馬台国に拮抗もしくは優越する勢力が出雲にあった可能性は極めて高く、荒神谷遺跡は、北九州、畿内勢力に先立ち、出雲に強大な統治集団が存在していたことを確認できる考古学的発見であるものの、その一方、この統治集団の勢力範囲や統治の実態を推測できるものではないだけに、出雲の謎はますます深まった。
□出雲と神話
古代出雲が「海」と深く関わりをもっていたことは言うまでもない。たとえば、2009年11月27日付け朝日新聞朝刊にこんな記事が掲載されている。
■出雲人の旧暦では10月10日は物音を立てぬ決まりだ。年に一度、八百万の神々を迎える神事の日、神迎えする道沿いの民家のあかりも消える。今年は11月26日、出雲大社の神職が、日がとっぷりと暮れた浜辺で、かがり火を前に祝詞を読みあげた。氏子ら数千人が神籬(ひもろぎ)と呼ばれる台座に神々がのりうつるのを息をひそめて見守る。
「おーおー」。神職が神籬(ひもろぎ)を白い布で覆いながら朗々と警蹕(けいひつ)と呼ばれる声を発し、出雲神社へ神々を導く。
(以下、写真説明文:天照大神が、出雲を治める大国主命に使者を遣わし「国譲り」を求めたとされる稲佐の浜に向って神職が祝詞を奏上し、神々を迎えた)■
この新聞記事は、今日の出雲において、海に向って神を招きよせる神事が行われていることを示している。出雲では神はどこからやってくるのかといえば、山からではなく海からなのである。
出雲の神話で名高いのは、第一に、「国引き」の物語である。「国引き」を行った神=オミヅヌノ命は巨人神で、新羅から国引きをしている。
第二は「国造り」の神話である。「国造り」の主役はオホナムチ神で、オホナムチ神はほかに3つの名前(大国主神、葦原色許男神、八千矛神)をもっている。オホナムチは開墾、耕作を体現するという。この神は日本の古代神話の主人公としては、もっとも大衆的知名度がある。畿内にもその足跡をとどめるところから、出雲が畿内勢力に包含されて以降、記紀神話等に描かれたものと思われる。いずれにしても、オホナムチ神のエピソードの数々は、黒潮を媒介とした南海文化圏とのつながりが認められる。
現在、出雲大社は島根半島の端に位置し日本海に面しているが、弥生時代、現在の島根半島は島であり、出雲大社が島に位置していたことは、同地域と海との結びつきを象徴する。さらに、出雲大社御神体は何かという謎がいまなお解けていないなか、本書では、七宝の筥(ほこ)とする説、巨大鰒(変じて大蛇)という説の2つを紹介しているが、このことも海との関連を証している。
さて、本書のような地域史を扱う記述は困難さを伴う。時代の進行とともに、対象とする地域内(の各勢力)に盛衰があるからだ。「出雲」は、古代日本列島において重要なエリアであったが、中枢権力が畿内地方に収斂するに従って、列島内における政治・経済に果たす役割は低下していく。それと同時に、出雲を含む同地域の歴史的記述、すなわち、“出雲世界”は多元性を帯びざるを得なくなる。本題にある“出雲世界”という概念は普遍性をもっていない。中世以降、同地域は、出雲世界というよりも日本海西地域として、地方的特性が顕著になっていくのであり、いまなお、その延長線上にある。
□東アジア・日本列島の中の出雲世界
本題の「日本海と出雲世界」とは、現在の日本の地理的区分に合わせると、概ね「山陰地方」「日本海西地域」に該当する。東端を北陸若狭、西端長戸・石見によって区分される地域であり、主要な島嶼部として、隠岐を含む。
律令国家成立後の古代日本列島の勢力図について、出雲を基点として俯瞰すると、東上して越、その北側に蝦夷、西下して北九州、そして、海路を使い瀬戸内海を通って吉備、畿内(大和)がある。もちろん陸路あるいは琵琶湖水系を介した内陸水路を南下して畿内(大和)に至る経路も利用された。
アジア大陸、東シナ海、日本海を挟んで、北(中国北東部)に粛慎、靺鞨、狄と呼ばれた北方ツングース族(彼らが建国した渤海、女真の勢力)が――、また、西に朝鮮系の百済、新羅、高句麗、伽耶の勢力が――、そして、大国中国の王朝勢力が――、位置していた。この圏域は、中でも朝鮮の諸勢力との関係が密で、例えば、本書第3章「3.中世西日本海地域と対外交流」(高橋公明[著])」によると、周防の大内氏はその出自を百済国王聖明王に求めていたという。
「出雲世界」は、日本列島においては、海路(日本海)を利用することにより、越及び北九州勢力と密接な関係を築いていたし、「出雲世界」の歴史は地勢上の特性に規定され、隣接勢力からの直接的・間接的影響を受けていたと同時に、出雲も各地域に影響を及ぼしていた。
外交における同地域の役割の変化は、律令国家が道路(街道)整備に注力し、海路に依存した物流体系から、陸上交通を含んだ複合的物流体系に再編成したことから始まった。中世初期(AD6~7世紀)に至ると、瀬戸内海(広島)に勢力を築いた平氏が列島西部の海上覇権を握り、海外からの外交使節の受入れと海外貿易利権を獲得した。以来、朝鮮、大陸から来訪する使節団の受入れ口が畿内に近接する瀬戸内海沿岸都市に移動した。
□ミステリアス出雲
古代出雲勢力の実態については、わからないところが多い。たとえば、荒神谷遺跡がその代表例である。昭和58年(1983年)、出雲の東に位置する斐川町の谷あいから、大量の銅剣、銅矛、銅鐸が出土したのである。きっかけは、広域農道(出雲ロマン街道)建設にともなう遺跡分布調査。調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)をひろったことがきっかけとなり、これらの発見に至ったという。
遺跡の南側に『三宝荒神』が祭られていることから荒神谷遺跡と命名され、翌昭和59年谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣(どうけん)が出土した。遺跡は『出雲国風土記』記載の出雲郡(いずものこほり)の神名火山(かんなびやま)に比定されている仏経山の北東3kmに位置する斐川町神庭(かんば)西谷にある。銅剣が埋納されていたのは、小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面で、昭和60年には、その時点からわずか7m離れて銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土した。
銅剣・銅矛・銅鐸の製造年代は特定されていないが、弥生前期(AD1世紀前後)のものとの鑑定意見もあり、AD1~3世紀には存在したと推定されている邪馬台国(卑弥呼)よりも、出雲勢力のほうが古いかもしれない。
邪馬台国「北九州説」「畿内説」の特定はともかくとして、邪馬台国に拮抗もしくは優越する勢力が出雲にあった可能性は極めて高く、荒神谷遺跡は、北九州、畿内勢力に先立ち、出雲に強大な統治集団が存在していたことを確認できる考古学的発見であるものの、その一方、この統治集団の勢力範囲や統治の実態を推測できるものではないだけに、出雲の謎はますます深まった。
□出雲と神話
古代出雲が「海」と深く関わりをもっていたことは言うまでもない。たとえば、2009年11月27日付け朝日新聞朝刊にこんな記事が掲載されている。
■出雲人の旧暦では10月10日は物音を立てぬ決まりだ。年に一度、八百万の神々を迎える神事の日、神迎えする道沿いの民家のあかりも消える。今年は11月26日、出雲大社の神職が、日がとっぷりと暮れた浜辺で、かがり火を前に祝詞を読みあげた。氏子ら数千人が神籬(ひもろぎ)と呼ばれる台座に神々がのりうつるのを息をひそめて見守る。
「おーおー」。神職が神籬(ひもろぎ)を白い布で覆いながら朗々と警蹕(けいひつ)と呼ばれる声を発し、出雲神社へ神々を導く。
(以下、写真説明文:天照大神が、出雲を治める大国主命に使者を遣わし「国譲り」を求めたとされる稲佐の浜に向って神職が祝詞を奏上し、神々を迎えた)■
この新聞記事は、今日の出雲において、海に向って神を招きよせる神事が行われていることを示している。出雲では神はどこからやってくるのかといえば、山からではなく海からなのである。
出雲の神話で名高いのは、第一に、「国引き」の物語である。「国引き」を行った神=オミヅヌノ命は巨人神で、新羅から国引きをしている。
第二は「国造り」の神話である。「国造り」の主役はオホナムチ神で、オホナムチ神はほかに3つの名前(大国主神、葦原色許男神、八千矛神)をもっている。オホナムチは開墾、耕作を体現するという。この神は日本の古代神話の主人公としては、もっとも大衆的知名度がある。畿内にもその足跡をとどめるところから、出雲が畿内勢力に包含されて以降、記紀神話等に描かれたものと思われる。いずれにしても、オホナムチ神のエピソードの数々は、黒潮を媒介とした南海文化圏とのつながりが認められる。
現在、出雲大社は島根半島の端に位置し日本海に面しているが、弥生時代、現在の島根半島は島であり、出雲大社が島に位置していたことは、同地域と海との結びつきを象徴する。さらに、出雲大社御神体は何かという謎がいまなお解けていないなか、本書では、七宝の筥(ほこ)とする説、巨大鰒(変じて大蛇)という説の2つを紹介しているが、このことも海との関連を証している。
さて、本書のような地域史を扱う記述は困難さを伴う。時代の進行とともに、対象とする地域内(の各勢力)に盛衰があるからだ。「出雲」は、古代日本列島において重要なエリアであったが、中枢権力が畿内地方に収斂するに従って、列島内における政治・経済に果たす役割は低下していく。それと同時に、出雲を含む同地域の歴史的記述、すなわち、“出雲世界”は多元性を帯びざるを得なくなる。本題にある“出雲世界”という概念は普遍性をもっていない。中世以降、同地域は、出雲世界というよりも日本海西地域として、地方的特性が顕著になっていくのであり、いまなお、その延長線上にある。
2010年1月15日金曜日
最近の読書
昨年末、『日本海と出雲世界-海と列島文化(第二巻)』を読了したものの、BOOK(感想文)にはまとめていない。次いで、『エクリチュールと差異(上)』(デリダ著)も読了したが、こちらも、筆者の読解能力を越えるものなので、BOOKにはおさめていない。さて、そんな中、絓秀実の『吉本隆明の時代』『1968年』の2冊を購入した。
最近、“1968”と付された題名の本が目に付く。筆者はこの記号に弱くて、小熊英二の大著『1968』、鹿島茂著の『吉本隆明1968』を購読し、2冊とも既にBOOKに感想を書いた。
考えてみれば、鹿島茂の『吉本隆明1968』は、絓の上記2冊の本題を併せたものとなっている。なんとも、はや。絓の著作物としては、『レフト・アローン』を兄から借りて読んだことがあるが、BOOKには入れていない。
吉本隆明が団塊の世代に対して与えた影響は、限りなく大きい。1960年代における吉本隆明の登場は、“知の転換”と呼ぶにふさわしいものであった。日本にマルクス主義が輸入されて以来、日本の「左翼」は「史的唯物論」を自動的階級移行論と読み間違え、「科学的社会主義」として信仰した。吉本は、そのことをきっちりと批判し、かつ、新旧前衛党に胚胎するスターリン主義批判を行った。そればかりではない。彼は批評する者(知識人)の倫理的態度についても、自他に厳しく問うた。それらのことについては、特記されてしかるべきである。
そもそも前衛党=日本共産党批判から出発した1960年代の新左翼運動だったが、1968年を境に大きくパラダイム転換をした。以降の新左翼・全共闘運動の迷走に絶望して、吉本のスターリン主義批判を借用しつつ、全共闘・新左翼運動から離脱した人も多かったであろう。そのような意味で、当時は吉本隆明をカリスマ(偶像)化する傾向もあった。しかし、そんな時代から40年余りが経過した今日、吉本の影響について改めて考え直す必要があるかもしれない。
最近、“1968”と付された題名の本が目に付く。筆者はこの記号に弱くて、小熊英二の大著『1968』、鹿島茂著の『吉本隆明1968』を購読し、2冊とも既にBOOKに感想を書いた。
考えてみれば、鹿島茂の『吉本隆明1968』は、絓の上記2冊の本題を併せたものとなっている。なんとも、はや。絓の著作物としては、『レフト・アローン』を兄から借りて読んだことがあるが、BOOKには入れていない。
吉本隆明が団塊の世代に対して与えた影響は、限りなく大きい。1960年代における吉本隆明の登場は、“知の転換”と呼ぶにふさわしいものであった。日本にマルクス主義が輸入されて以来、日本の「左翼」は「史的唯物論」を自動的階級移行論と読み間違え、「科学的社会主義」として信仰した。吉本は、そのことをきっちりと批判し、かつ、新旧前衛党に胚胎するスターリン主義批判を行った。そればかりではない。彼は批評する者(知識人)の倫理的態度についても、自他に厳しく問うた。それらのことについては、特記されてしかるべきである。
そもそも前衛党=日本共産党批判から出発した1960年代の新左翼運動だったが、1968年を境に大きくパラダイム転換をした。以降の新左翼・全共闘運動の迷走に絶望して、吉本のスターリン主義批判を借用しつつ、全共闘・新左翼運動から離脱した人も多かったであろう。そのような意味で、当時は吉本隆明をカリスマ(偶像)化する傾向もあった。しかし、そんな時代から40年余りが経過した今日、吉本の影響について改めて考え直す必要があるかもしれない。
2010年1月14日木曜日
「反共」は死語ではない ?
ここのところの鳩山首相&小沢幹事長(以下「小鳩」と略記。)に対する検察とマスコミの動向はかなり、ヒステリックなものとなっている。検察とマスコミの動きは、30年前の田中角栄をターゲットにした攻撃に近いものに発展していく予感がする。“角栄バッシング”のとき、筆者を含めて世間の多くの人々は、“角栄攻撃”の実態についてわからなかったし、いまもわからないままだ。ただ、あのとき筆者は、“角栄は悪いやつだ”と思ったのだが、果たして本当にそうだったのか。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の田中角栄の項目を読むと、角栄が総理大臣の時代(1972~1974)に行った、すなわち東西冷戦の時代の外交のうち、以下の3点が注目される。1つは有名な訪中による、「日中国交回復」、2番目は、訪ソ(ソヴィエト連邦・当時)におけるシベリア開発の促進、そして最後は、日本外交として画期的なイスラエル不支持(アラブ支持)である。このとき中東ではイスラエルとアラブ側とで第4次中東戦争が戦われていた。角栄はイスラエル不支持に加えて、米国石油メジャーからの原油輸入に依存しない原油調達を模索していたらしい。Wikipediaでは、角栄のこの決定が、米国(石油資本及びイスラエルロビー)の怒りを買い、後の金脈・ロッキード疑獄に発展した、という“陰謀説”を紹介している。
角栄に対する攻撃は、自称ジャーナリスト・TTが口火を切り、やがて全マスコミもその流れに乗った。当時、およそ無名だったTTが結果的には、角栄を追い詰めたヒーローとなり、「ジャーナリスト」として確固たる地位を築いた。
しかし、角栄が首相になったとき、マスコミは「いま太閤」「コンピュータ付ブルドーザー」との仇名を付けて絶賛した。角栄の政策の下、少なくとも日本経済は順調だった。ところが、前出の「イスラエル不支持、アラブ支持」へと角栄が日本外交の舵を切った後、流れが変わったのである。角栄の政治手法に問題がないとは言わないし、彼の「ゲンナマ作戦」が適正だとも思わないが、内政上これといった失政のないまま、彼は失脚へと追い詰められていったのである。だから、“陰謀説”にはかなり信憑性があり、筆者は、角栄を追い詰めたのはTTの背後に控える巨大な闇の力に違いない、と信じる者の一人である。
70年代の角栄の愛弟子がいまの民主党幹事長の小沢一郎である。小沢がマスコミから不当な攻撃を受け続けているのは、よく知られている。しかしながら、その確たる理由は明らかではない。闇将軍、二重権力、豪腕、売国奴、独裁者・・・といったイメージ的形容詞が並ぶのだが、その実態を伝える客観的なデータや事実の記述や証言は存在しない。小沢が、○○を脅した、怒鳴った、切った・・・といった表現がマスコミに踊るが、脅された者、怒鳴られた者、切られた者からの証言が表に出たことは管見の限りないのである。
筆者が信じている“陰謀説”の仕掛人は、もちろん、日本の検察の背後の勢力を指す。70年代つまり冷戦下、角栄は米国の意に反し、東側の大国である中国、ソ連に急接近し、さらに、中東において親アラブ政策を選択し、石油メージャーと対立した。このことが米国の反感を買ったと推測するほうが自然であり、角栄失脚にCIA等が動いた可能性は十分あり得る。
さて、21世紀、冷戦終了から20年以上が経過したいま、小鳩体制を米国側から見たとき、どのような評価がなされているのであろうか。その結論を出す前に、角栄と小鳩の中間に位置した細川政権のことを思い出してみたい。細川政権はいまからおよそ16年前の1993年8月、自民党政権に代わって誕生したものの、わずか263日の短命で終わった、反自民政権である。角栄退陣から19年後、細川内閣は国民の期待を担って誕生しながら、あっという間に消滅した。その細川政権の外交を端的に表現した言葉が「『No』といえる日本」であった。これは1989年、当時ソニー会長の盛田昭夫と石原慎太郎(自民党政治家・当時)の共著により刊行されたもの。詳しい内容は省略するが、日本が米国の隷属から脱し、独立、自立した国家としてやっていこうというものであった。
もちろん、日本の自立・独立の志向は、米国にとって望ましくない傾向である。当時も今も、東アジアにおける脅威はロシア(当時ソ連)、中国、北朝鮮であり、それらに日本が加われば、同地域において米国が最も憂慮すべき事態の1つが生じた、ということになる。今日、米国はユーラシア大陸に限れば、イラク、アフガニスタン、イラン、北朝鮮で問題を抱えており、それに日本が加わらないまでも、米国にとって手ごわい交渉相手となれば、米国の世界戦略にとってプラスになることはない。日米間の「協議」「調整」に費やす時間と手間は、米国にとってやっかいな因子となる。もちろん、日本の自立的傾向が即座に日米対立、日米戦争に至るわけではないが、いずれ、日本が「No」と言い出すことは目に見えている。
角栄は「田中金脈」から「ロッキード事件」で失脚し、細川は「佐川急便事件」で政治生命を絶たれた。いずれも、政治家とカネの事件として報道され、国民的支持を失ったのである。そして、いま、小鳩である。両者とも「政治資金規正法」の事務的な微罪で秘書が検察に調べられている。
小鳩の外交は反米的なものではないが、地球温暖化対策では、米国を無視してCО2削減25%を打ち出し、いま、普天間問題で米国と距離を置こうとしている。さらに佐藤政権下の核持込密約が表面化し、これまでの日本と米国の外交のあり方の不透明性が日本国民の前に明らかにされようとしている。いまの流れは、山頂の湧き水のように、極めて小さなものに過ぎないが、いずれ日米関係を揺るがす大河に至るはずである。
エマニエル・トッド著の『帝国以後』にあるとおり、米国=「超大国」は幻想であり、小鳩がその幻想に規定されない政治家であることは明白である。米国への従属を外交姿勢とした自民党政権=小泉・安部・麻生とは一線を画している。
自称ジャーナリスト・TTが小鳩攻撃により、一部週刊誌で復活をしているが、今の世の中では週刊誌の影響力は当時に比して格段低下している。インターネットを見れば、もっと刺激的な「情報」が行き来している。40年前とは状況が違っているし、政治家もそれなりに学習を積んでいて、大金が絡んだスキャンダルを引き起こすことはない。だから、かつて、日本の検察がマスコミを効果的に利用して角栄や細川を葬った、「検察モデル」を使っても、小鳩は打ち落とすのは難しい。このたびの、小沢の金脈問題も検察側の無理筋という見方もある。検察・マスコミの小鳩攻撃では、鳩山内閣の支持率を多少下げることはできたとしても、小鳩の進退を極めさせるまでに至っていない。
ここで気になるのは、小沢一郎が「親中国」の政治家であることだ。日本の検察の延長線上に、「反共(反共産党)」を標榜する勢力が内在すると考えることは憶測にとどまるまい。いまさら、ロシア・中国・北朝鮮が共産主義国家だとはだれも思っていないかもしれないが、旧社会主義国家に顔を向けた政治家が――たとえば、田中角栄、金丸信、加藤紘一、田中真紀子、鈴木宗男といった面々の失脚の現実を踏まえるならば――日本の最高権力を奪取することは、なんとしても、日本の検察が阻止する、と考えて不自然ではないのかもしれない。となれば、小沢の失脚の可能性の高いことは、現代史が証するところなのであろうか。日本の政治のあり方は、日本国民の投票ではなく検察が決める、のであろうか。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の田中角栄の項目を読むと、角栄が総理大臣の時代(1972~1974)に行った、すなわち東西冷戦の時代の外交のうち、以下の3点が注目される。1つは有名な訪中による、「日中国交回復」、2番目は、訪ソ(ソヴィエト連邦・当時)におけるシベリア開発の促進、そして最後は、日本外交として画期的なイスラエル不支持(アラブ支持)である。このとき中東ではイスラエルとアラブ側とで第4次中東戦争が戦われていた。角栄はイスラエル不支持に加えて、米国石油メジャーからの原油輸入に依存しない原油調達を模索していたらしい。Wikipediaでは、角栄のこの決定が、米国(石油資本及びイスラエルロビー)の怒りを買い、後の金脈・ロッキード疑獄に発展した、という“陰謀説”を紹介している。
角栄に対する攻撃は、自称ジャーナリスト・TTが口火を切り、やがて全マスコミもその流れに乗った。当時、およそ無名だったTTが結果的には、角栄を追い詰めたヒーローとなり、「ジャーナリスト」として確固たる地位を築いた。
しかし、角栄が首相になったとき、マスコミは「いま太閤」「コンピュータ付ブルドーザー」との仇名を付けて絶賛した。角栄の政策の下、少なくとも日本経済は順調だった。ところが、前出の「イスラエル不支持、アラブ支持」へと角栄が日本外交の舵を切った後、流れが変わったのである。角栄の政治手法に問題がないとは言わないし、彼の「ゲンナマ作戦」が適正だとも思わないが、内政上これといった失政のないまま、彼は失脚へと追い詰められていったのである。だから、“陰謀説”にはかなり信憑性があり、筆者は、角栄を追い詰めたのはTTの背後に控える巨大な闇の力に違いない、と信じる者の一人である。
70年代の角栄の愛弟子がいまの民主党幹事長の小沢一郎である。小沢がマスコミから不当な攻撃を受け続けているのは、よく知られている。しかしながら、その確たる理由は明らかではない。闇将軍、二重権力、豪腕、売国奴、独裁者・・・といったイメージ的形容詞が並ぶのだが、その実態を伝える客観的なデータや事実の記述や証言は存在しない。小沢が、○○を脅した、怒鳴った、切った・・・といった表現がマスコミに踊るが、脅された者、怒鳴られた者、切られた者からの証言が表に出たことは管見の限りないのである。
筆者が信じている“陰謀説”の仕掛人は、もちろん、日本の検察の背後の勢力を指す。70年代つまり冷戦下、角栄は米国の意に反し、東側の大国である中国、ソ連に急接近し、さらに、中東において親アラブ政策を選択し、石油メージャーと対立した。このことが米国の反感を買ったと推測するほうが自然であり、角栄失脚にCIA等が動いた可能性は十分あり得る。
さて、21世紀、冷戦終了から20年以上が経過したいま、小鳩体制を米国側から見たとき、どのような評価がなされているのであろうか。その結論を出す前に、角栄と小鳩の中間に位置した細川政権のことを思い出してみたい。細川政権はいまからおよそ16年前の1993年8月、自民党政権に代わって誕生したものの、わずか263日の短命で終わった、反自民政権である。角栄退陣から19年後、細川内閣は国民の期待を担って誕生しながら、あっという間に消滅した。その細川政権の外交を端的に表現した言葉が「『No』といえる日本」であった。これは1989年、当時ソニー会長の盛田昭夫と石原慎太郎(自民党政治家・当時)の共著により刊行されたもの。詳しい内容は省略するが、日本が米国の隷属から脱し、独立、自立した国家としてやっていこうというものであった。
もちろん、日本の自立・独立の志向は、米国にとって望ましくない傾向である。当時も今も、東アジアにおける脅威はロシア(当時ソ連)、中国、北朝鮮であり、それらに日本が加われば、同地域において米国が最も憂慮すべき事態の1つが生じた、ということになる。今日、米国はユーラシア大陸に限れば、イラク、アフガニスタン、イラン、北朝鮮で問題を抱えており、それに日本が加わらないまでも、米国にとって手ごわい交渉相手となれば、米国の世界戦略にとってプラスになることはない。日米間の「協議」「調整」に費やす時間と手間は、米国にとってやっかいな因子となる。もちろん、日本の自立的傾向が即座に日米対立、日米戦争に至るわけではないが、いずれ、日本が「No」と言い出すことは目に見えている。
角栄は「田中金脈」から「ロッキード事件」で失脚し、細川は「佐川急便事件」で政治生命を絶たれた。いずれも、政治家とカネの事件として報道され、国民的支持を失ったのである。そして、いま、小鳩である。両者とも「政治資金規正法」の事務的な微罪で秘書が検察に調べられている。
小鳩の外交は反米的なものではないが、地球温暖化対策では、米国を無視してCО2削減25%を打ち出し、いま、普天間問題で米国と距離を置こうとしている。さらに佐藤政権下の核持込密約が表面化し、これまでの日本と米国の外交のあり方の不透明性が日本国民の前に明らかにされようとしている。いまの流れは、山頂の湧き水のように、極めて小さなものに過ぎないが、いずれ日米関係を揺るがす大河に至るはずである。
エマニエル・トッド著の『帝国以後』にあるとおり、米国=「超大国」は幻想であり、小鳩がその幻想に規定されない政治家であることは明白である。米国への従属を外交姿勢とした自民党政権=小泉・安部・麻生とは一線を画している。
自称ジャーナリスト・TTが小鳩攻撃により、一部週刊誌で復活をしているが、今の世の中では週刊誌の影響力は当時に比して格段低下している。インターネットを見れば、もっと刺激的な「情報」が行き来している。40年前とは状況が違っているし、政治家もそれなりに学習を積んでいて、大金が絡んだスキャンダルを引き起こすことはない。だから、かつて、日本の検察がマスコミを効果的に利用して角栄や細川を葬った、「検察モデル」を使っても、小鳩は打ち落とすのは難しい。このたびの、小沢の金脈問題も検察側の無理筋という見方もある。検察・マスコミの小鳩攻撃では、鳩山内閣の支持率を多少下げることはできたとしても、小鳩の進退を極めさせるまでに至っていない。
ここで気になるのは、小沢一郎が「親中国」の政治家であることだ。日本の検察の延長線上に、「反共(反共産党)」を標榜する勢力が内在すると考えることは憶測にとどまるまい。いまさら、ロシア・中国・北朝鮮が共産主義国家だとはだれも思っていないかもしれないが、旧社会主義国家に顔を向けた政治家が――たとえば、田中角栄、金丸信、加藤紘一、田中真紀子、鈴木宗男といった面々の失脚の現実を踏まえるならば――日本の最高権力を奪取することは、なんとしても、日本の検察が阻止する、と考えて不自然ではないのかもしれない。となれば、小沢の失脚の可能性の高いことは、現代史が証するところなのであろうか。日本の政治のあり方は、日本国民の投票ではなく検察が決める、のであろうか。
2010年1月12日火曜日
2010年1月9日土曜日
2010年1月7日木曜日
A Happy New Year 2010
ナポリの下町
昨日、イタリアから帰国しました。
今回の最大の「収穫」の一つは、ナポリです。
ナポリというと、「ナポリを見てから死ね」というフレーズが浮かびます。
南イタリアの港町、カンツォーネが流れ、海の食材に恵まれた、風光明媚な都市だと。
さてさて、そんなナポリはどこにあるのでしょうか。
街中ゴミだらけ、路上では偽ブランド品を売るアフリカ系の人々、中央駅近くのガルバルディ広場では、闇の携帯電話等を売りさばく、怪しげな男たちが道行く人々に声をかけてまわります。
狭い路地をバイク、車が歩行者すれすれで走りぬける、車は信号無視で走りまわる、補修もされずに、廃屋のようにうち捨てられた落書きだらけの教会、聖堂・・・
朽ちた建物の石材が路上に落下するため、ロープがはられ、警察官が非常線をはる騒ぎにも遭遇しました。
下町の狭い路地に建てられた古い住宅は、暗く、人が住めるのかと思うくらいのものも少なくありません。
そんなカオスのような都市がナポリなのでしょうか。
もちろん、サンタルチア地区は高級住宅街があり、高級ブランドの店が集積したガレリアもあります。
けっきょく、そんなナポリがとても魅力的でした。
詳しい旅行記は、別のブログで近々公開の予定です。
昨日、イタリアから帰国しました。
今回の最大の「収穫」の一つは、ナポリです。
ナポリというと、「ナポリを見てから死ね」というフレーズが浮かびます。
南イタリアの港町、カンツォーネが流れ、海の食材に恵まれた、風光明媚な都市だと。
さてさて、そんなナポリはどこにあるのでしょうか。
街中ゴミだらけ、路上では偽ブランド品を売るアフリカ系の人々、中央駅近くのガルバルディ広場では、闇の携帯電話等を売りさばく、怪しげな男たちが道行く人々に声をかけてまわります。
狭い路地をバイク、車が歩行者すれすれで走りぬける、車は信号無視で走りまわる、補修もされずに、廃屋のようにうち捨てられた落書きだらけの教会、聖堂・・・
朽ちた建物の石材が路上に落下するため、ロープがはられ、警察官が非常線をはる騒ぎにも遭遇しました。
下町の狭い路地に建てられた古い住宅は、暗く、人が住めるのかと思うくらいのものも少なくありません。
そんなカオスのような都市がナポリなのでしょうか。
もちろん、サンタルチア地区は高級住宅街があり、高級ブランドの店が集積したガレリアもあります。
けっきょく、そんなナポリがとても魅力的でした。
詳しい旅行記は、別のブログで近々公開の予定です。
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