昨年末、『日本海と出雲世界-海と列島文化(第二巻)』を読了したものの、BOOK(感想文)にはまとめていない。次いで、『エクリチュールと差異(上)』(デリダ著)も読了したが、こちらも、筆者の読解能力を越えるものなので、BOOKにはおさめていない。さて、そんな中、絓秀実の『吉本隆明の時代』『1968年』の2冊を購入した。
最近、“1968”と付された題名の本が目に付く。筆者はこの記号に弱くて、小熊英二の大著『1968』、鹿島茂著の『吉本隆明1968』を購読し、2冊とも既にBOOKに感想を書いた。
考えてみれば、鹿島茂の『吉本隆明1968』は、絓の上記2冊の本題を併せたものとなっている。なんとも、はや。絓の著作物としては、『レフト・アローン』を兄から借りて読んだことがあるが、BOOKには入れていない。
吉本隆明が団塊の世代に対して与えた影響は、限りなく大きい。1960年代における吉本隆明の登場は、“知の転換”と呼ぶにふさわしいものであった。日本にマルクス主義が輸入されて以来、日本の「左翼」は「史的唯物論」を自動的階級移行論と読み間違え、「科学的社会主義」として信仰した。吉本は、そのことをきっちりと批判し、かつ、新旧前衛党に胚胎するスターリン主義批判を行った。そればかりではない。彼は批評する者(知識人)の倫理的態度についても、自他に厳しく問うた。それらのことについては、特記されてしかるべきである。
そもそも前衛党=日本共産党批判から出発した1960年代の新左翼運動だったが、1968年を境に大きくパラダイム転換をした。以降の新左翼・全共闘運動の迷走に絶望して、吉本のスターリン主義批判を借用しつつ、全共闘・新左翼運動から離脱した人も多かったであろう。そのような意味で、当時は吉本隆明をカリスマ(偶像)化する傾向もあった。しかし、そんな時代から40年余りが経過した今日、吉本の影響について改めて考え直す必要があるかもしれない。