2021年11月5日金曜日

第49回衆議院議員総選挙を総括する

2021/10/31、第49回衆議院議員総選挙が行われた。当該選挙の焦点は野党共闘であった。立憲、共産、社民、れいわの左派系野党が候補者調整を行い、小選挙で与党を上回る票の獲得を目指した。ところが、結果は与党の勝利に加え、極右政党である維新が議席数を大幅に伸ばし、立憲は後退した。立憲民主党党首・枝野幸男は選挙結果を受け、引責辞任した。

野党共闘は誤りである

 今回の総選挙、就中、野党共闘を次のように総括する。野党共闘は間違っていたと。なぜならば、立憲民主党は安易な足し算選挙を選んだからである。まわりも、そうけしかけた。立憲の、いや日本の左派の他力主義である。民主党が下野(2012.11)して以来、同党は自力再生、地域における票の掘り起こし、党員獲得・・・当たり前の政治活動を怠り、連合頼みの党運営、選挙運動しかしてこなかった。幹部が当選すればそれでよし、気楽な野党業に勤しんできた。
 これまでの国政選挙においては、日本共産党(以下「日共」)が独自候補を立ててきた。選挙が終わって票を集計すると、当選した自公よりも立憲と日共を合わせた票の方が多い。小選挙区で勝つには野党共闘しかない。だれでもそう思う。野党共闘の原理はこの単純な足し算主義である。筆者もそう思って、日共主導の人民戦線を支持した。しかし、この足し算選挙路線が誤りだった。

日本共産党とはいかなる政治勢力なのか

 日本の左派系文化人・言論人は日共を見誤っている。彼らはスターリニズム政党である。維新がナチ党に例えられるように、日共はスターリンが率いたソ連共産党に例えられる。管見の限りだが、前出の左派系文化人・言論人の中で日共を批判したのは、中島岳志の次の発言だけだと思われる。

小選挙区で共産党が議席を獲得するためには、共産党のあり方もさらに変わる必要があります。もっと候補者の個性が見えなければ、浮動票は集まりません。従来の<比例の票起こし>のための選挙区での戦いを大きく変え、党内に残っているパターナリズムを払しょくする必要があります。
 きわめて控えめな批判だが、間違っていない。そのパターナリズム(父権主義)こそが同党のエリート主義、官僚主義、密室的党運営の根源にある。ところで、左派系言論人の前官僚・前川喜平は、有権者をつぎのように罵倒した。《政治家には言えないから僕が言うが、日本の有権者はかなり愚かだ》。有権者(大衆)はほんとうに愚かなのか、いまさら吉本隆明の「大衆の原像」をもち出すつもりはないけれど、有権者の日共アレルギーは健全な拒否反応かもしれない。立憲の安易な足し算選挙路線を批判し、お灸を据えたと考えられないか。

日共のパターナリズムの淵源

 前出の中島の発言にある日共のパターナリズムとはどんなものか。それはロシアマルクス主義の「唯物(タダモノ)論」に平和と民主主義の二段階革命論を接合した修正主義である。日共内ではその修正主義をいかにも「普遍的」に理論化した者が〈父〉として君臨する。敗戦直後においては、非転向獄中組の精神性が加わって幹部の無謬性が高じ、神格化されるにいたった。日共はその後、路線上の紆余曲折を経ながらも、その頂点に立ち続けた宮本顕治は同党の家父長として最高指導者の座に居座り続けた。現下の日共幹部は「ミヤケンの子供たち(かなり年のいった)」にすぎない。
 日共の体質に内在する封建遺制については、かつて新左翼により、批判され尽くされたのだか、安倍政権の長期化と日本の右傾化が強まることにシンクロして、日共は「健全な市民政党」として、左派系内部で評価を高めた。白井聡、内田樹、適菜収といった、体制批判論者ですら、日共批判は時代遅れ、不当な中傷、右派によるフェイクニュースとして退けられ、封印された。日共こそが日本の救世主であるかのように。野党共闘を推進した左派系言論人たちは、日共の甘言に弄され、同党の本質を見誤っているのである。

来年に控える参院選をどう闘うべきなのか

 左派系言論人と日共が合作した「日本を取り戻す」ための政権奪取戦略が市民(=野党)共闘だったが、これは頓挫した。来年の参院選で野党共闘を継続することはけっこうなことである。再チャレンジしてもかまわない。だが、結果はあまり期待できないものに終わるだろう。もちろんこの先何があるかわからないけれど、一年弱で状況を一変させることは考えにくい。

永田町を離れ、現場で汗を流せ

 旧民主党の下野から今日までは、野党にとってというよりも、国民にとって「失われた10年」である。旧民主党の瓦解は、風頼み、連合頼み、百合子頼み、そして今回は日共頼みと右往左往した旧民主党の議員たちの体質に起因する。彼等の仕事場は永田町であり、彼等はその住民である。
 彼等の本来の仕事場は、地域、職場、高校、大学であり、彼等の本来の仕事は、そこで活動するありとあらゆる反ファシズム運動に携わる人々との共闘のための組織拠点を構築することである。連合の組合員の中にもベースアップにしか興味をもたない者ばかりではないはずだ。地球温暖化対策、ジェンダー問題、夫婦別姓問題、反入管、自民党のモリカケ・サクラ、甘利・河合夫妻問題、新型コロナ対策への怒り・・・等々、良心に基づく政治を希求する人々が少なからずいるはずだ。彼等と共闘するべく汗をかくべきなのだ。

極右維新を警戒せよ

 維新の大幅議席増については、ツイッター情報によると、在阪のテレビ局による維新偏重報道の影響が大きいという。吉本興行の芸人をコメンテーターに起用して、徹底して、吉村知事を応援。吉村は、コロナ禍を乗り切った英雄として扱われているといわれている。維新が府政・市政を担って以来の病床数減、病院閉鎖は大きく取り上げられない。
 そればかりではない。大阪人の反東京、反中央意識は根強い。また、大阪人の金銭感覚が庶民から大企業まで、新自由主義とみごなまでに融合してしまったことは不幸である。たとえば、大阪人が支持する萬田銀次郎(漫画『難波金融伝・ミナミの帝王』の主人公)の金貸し哲学は、貸した金は地獄の底まで取り立てる、という徹底した借り手の自己責任論に帰着する。〈貸し〉〈借り〉〈トイチの高金利〉は、緊縮に通底している。なお、『難波金融伝・ミナミの帝王』は超B級映画制作会社の伝説のVシネマが、竹内力主演で映画化し大ヒット、テレビシリーズも人気を博した。テレビシリーズでは、俳優時代の山本太郎が銀次郎の舎弟役で出演している。これまでのような、立憲の曖昧な福祉策では、大阪人のエートスに食い込むことはこれからさきも、かなり、やっかいかもしれない。

維新という政党は謎だらけ

 維新が大阪ばかりでなく、比例全国区で議席を増やしたことは、大阪人のエートスでは説明つかない。報道では、立憲が日共と組んで左傾化したことで、有権者が離れたから、との理由付けがされている。たしかに戦後日本の選挙の歴史をみると、中道右派が一定程度、議席を得ることは珍しくなかった。古くは社会党から右へスピンした民社党、その反対の新自由クラブ、20世紀末には、自民からやや左へ流れた新党さきがけ、日本新党などが存在感を示した。維新もそうなのかというと、筆者の感覚的受け止めとしては、どうもこれまでの中道政党とは性格を異にしているように思われる。
 その第一は、維新が徹底して極右ポピュリズムから出発し、それに徹していることである。いわば、日本版ナチ党である。ナチはドイツ、ミュンヘンを地盤とし、維新は大阪である。また、これまでの党のように、左右どちらかから真ん中によるという政治力学が働いていない。
 第二は、維新の資金の出どころがわからないこと。冷戦下なら、左から右はCIAだったけど、それはないだろう。維新の資金力は、これまでの日本の中道政党のそれをはるかにか上回っているのである。
 第三は、マスメディアを実態上、支配していること。先述したように、関西圏のテレビ局は、維新に完全支配されている。全国レベルでは、橋下徹が宣伝媒体として、テレビに出まくることで、維新の政治的主張が全国的に行き渡る仕組みが構築されている。加えて今回は、コロナ禍を吉村大阪知事が政治利用した。
 このような党は、かつて日本の政党史には例がないものの、維新の議席数は41であり、今回選挙が上限かもしれない。しかし、維新がこの先の国政選挙で議席数を着実に増やすとなると、憲法改正が現実のものとなる。憲法改正はアメリカのジャパン・ハンドラーの日程にすでに上がっているという(孫崎享)。自衛隊を海外に派兵するためには、憲法改正が必要であり、アメリカ軍の代わりに世界の「紛争地域」に自衛隊を派兵することが、アメリカにとっての合理性である。日本は変わらない、どころではない、憲法改正を機に、とんでもない方向に変わるのである。

2:3:5の壁を突破せよ

 日本の有権者の分布比率は、革新2、保守3、無党派5とされている。だから小選挙区では、革新はなかなか勝てない。今回の野党共闘で革新2に無党派の一部がプラスされて勝った選挙区もあったし、大阪のように維新という第三勢力が自公という保守に代替されたところもあった。そのなかにあって、維新=ファシズムと、日共=スターリニズムの暗黒の政治勢力が表の顔として、両極に顕在化してきた。そして、今回総選挙では、局部的に両極に引っ張られたものの、全体の構造に変化は起きなかった。つまり総体として、革新=2に変化はなかったのである。革新が票の積み増しに相も変わらず失敗し続けているのである。
 今後、無党派層は棄権という眠りから、目覚めるのだろうか。無党派層を目覚めさせるのは、憲法改正阻止、反ファシズム、反新自由主義といった、あたりまえの政策を掲げて(日共も掲げている政策なのだが)、ここが重要なのだが、透明で非官僚的体質の政党が地道な努力を続ける以外の方法はないのである。