2021年11月30日火曜日

『フランスの誘惑 近代日本精神史試論』

 ●渡邊一民 ●岩波書店 ●2913円+税

本書は、明治維新から現代(1960年代中葉)に至るまでの日本とフランスの交流をたどりつつ、近代日本の精神史に論言したもの。本書では、ゴンクール、ヴィオリスといった日本を訪れたフランス人について論じた章も設けられているが、やはり、フランスを訪れた日本人についての論及が質量ともに前者を上回っている。

ドイツからフランスへ

明治維新政府は富国強兵を第一義とし、就中、専軍・帝国主義国家を目指していたため、近代国家のモデルとしては、フランス共和国ではなくドイツ帝国であった。しかし、日清・日露戦争後、日本の精神史に転換が訪れる。国民が欧州の文化・芸術に対して強い関心を持つようになってきたのである。

ヨーロッパ精神の象徴としてのフランス

20世紀に入ると、第一次世界大戦後、ロシア革命の成功もあり、その影響が日本にも及ぶようになる。そうした状況変化に同期するかのように、フランスに留学する日本の学生、研究者、知識人が増加していく。第一次世界大戦後の戦勝国日本は戦後景気に沸き、一方、フランスは戦禍をまともに受けたため、円高、フラン安という条件も重なり、留学しやすい環境にあったこともその一因である。かくしてフランスは、ヨーロッパ精神を代表する知的先進国として、日本の文学者、画家、音楽家、社会主義者・共産主義者らが競って同国に留学・遊学しはじめた。フランスに出向いた知識人のなかには国費等の援助を受けた者もいれば、私費の者もいた。留学先で高等教育を受ける者もいれば、いわば放浪に近いかたちで滞在した者もいた。

フランスが第一次世界大戦から復興し始めるのは、1920年代からであり、その象徴が現代装飾工芸美術万国博覧会(1925年開催。通称「アールデコ」といわれた。)だった。以降フランスは、経済的にも文化的にも絶頂期を迎え、繁栄を謳歌し、アプレゲールと呼ばれる戦後世代の芸術家たちの活躍も目を引いた。

このように日本人留学生には恵まれた環境がフランス国内に醸成され、彼等は、フランス文化すなわちヨーロッパ精神と純粋に格闘することができた。その影響は日本国内のアカデミアにも反映され、《東京帝国大学仏蘭西文学科では・・・大正になってから震災までわずか九人を卒業させたのにすぎなかったにもかかわらず、二五年には渡邊一夫、伊吹武彦ら六名という創設以来の画期的人数の卒業生を出し、以後二六年には市原豊太、杉捷夫、川口篤ら九名、二七年には七名、二八年には小林秀雄、今日出海、三好達治、中島健蔵、平岡昇、淀野隆三ら一三名、二九年には佐藤正影、飯島正ら十四名と、まさに仏文科隆盛時代が現出する。(P89)》と筆者は説明する。日本の文学界は東京帝国大学仏蘭西文学科によって担われていた感がある。

フランスの凋落と日本回帰

1920年代の栄光のフランスが凋落する契機となったのが世界恐慌だった。フランスにその影響が及んだのは他国よりやや遅れて1931年からだった。商店の破産、工場閉鎖、パリを代表する繁華街にあるキャバレー、レストラン、カフェは閑古鳥が鳴き、パリの街は様変わりした。そればかりではない。東の隣国ドイツではナチスが台頭し、その波がフランスにも及ぶようになってくる。フランス国内にも極右政党が反政府(社民政権)を煽るような活動をはじめる。それに対抗して、「反ファシズム統一戦線」の旗の下、社会党・共産党が共闘する人民戦線内閣が結成される。また、西の隣国スペインでは、共和国政府がイタリア・ドイツのファシズム勢力に援助されたフランコ将軍率いる軍事勢力により、版図を二分されるまで追い込まれていく。フランスは共和国側を支持し、フランスのみならず各国から義勇兵がスペインでフランコ軍と戦った。しかし、ファシズム勢力は衰えるどころか勢いを増し、1938年にはナチス・ドイツがオーストリアを併合し、チェコ⁼スロバキアに迫る勢いをみせてくる。1939年、フランスはイギリスとともにドイツに宣戦を布告するがドイツ軍の優位が続き、1940年6月14日、ドイツはフランスの首都パリに入城をはたし、ボルドーに逃れていたフランス政府は22日に降服、休戦条約を締結するに至る。

日本への帰国によって始まった古代日本への回帰

第二次世界大戦前より、フランスに滞在していた日本人留学生らは日本政府による帰国命令に従い、ほぼ一斉に日本に帰国する。この間の日本の知識人が受けた衝撃は計り知れないものがあったようで、そのあたりについて、本書では横光利一の小説『旅愁』をつうじて、フランスに滞在した日本人知識層の変化を克明に論じている。日本人知識層の変化とは、彼らが日本に帰国した途端に極端な日本古代への回帰意識にとらわれたことだった。

パリ陥落、ヨーロッパ精神の象徴であるフランスの落日により日本に強制的に帰国させられた彼等の前に、日本古代がよみがえり、日本の伝統、日本人の遺伝子、祖先二千年の歴史―—天皇が立ち現れたのである。

明治維新以降における日本の欧化は、西欧諸国がなしとげた近代化とは異なる。日本には、欧州が18世紀に経験した啓蒙主義は生まれてこなかったし、自由市民による暴力革命も起きなかった。維新政府は、先述した通り、専軍・帝国主義国家づくりを短兵急に成し遂げたいという国家目標に突き進んでいたわけで、その限りにおいて、維新後の日本が摂取したのはヨーロッパ精神というよりも、産業、技術であった。そこから疎外された日本の知識人は、国家目標から自ら身を引き、フランスに留学・遊学し、ヨーロッパと格闘したわけだが、その果てに、ナチス・ドイツ(ファシズム)の手になるパリ陥落を契機として挫折する。そして日本に帰還後、古代日本に目覚めてしまったのである。1930年代のパリを舞台とした著者による横光利一に係る論及こそ、本書の白眉である。