体重はZazieが2.8㎏で前月より0.5㎏の増、
Nicoは5.5㎏で同じく0.2㎏の増加だ。
ここ2カ月の体重減少傾向に歯止めがかかった。
二匹とも1歳を超えたので、落ち着きが出てきたような気がする。
大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国法学者のみから成り立っているのでもなく、まったく純粋に理性的判断からでもなく、動揺して疑惑や不安に傾きがちな人類の子供から成り立っている。(上巻:P240)
民衆の圧倒的多数は、冷静な熟度よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的要素を持ち、女性的な態度をとる。しかしこの感情は複雑でなく、非常に単純で閉鎖的である。この場合繊細さは存在せず、肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽かであり、決して半分はそうで半分は違うとか、あるいは一部分はそうだがなどということはない。(上巻:P241)
・・・宣伝は、鈍感な人々に間断なく興味ある変化を供給してやることではなく、確信させるため、しかも大衆に確信させるためのものである。しかしこれは、大衆の鈍重さのために、一つのことについて知識を持とうという気になるまでに、いつも一定の時間を要する。最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、けっきょく覚えさせることができるのである。変更のたびごとに、宣伝によってもたらされるべきものの内容を決して変えてはならず、むしろけっきょくはいつも同じことをいわねばならない。だからスローガンはもちろん種々の方面から説明されねばならないが、しかし考察の最後はすべていつも、新しいスローガン自体にもどらなければならない。そのようであってこそ宣伝は統一的であり、まとまりのある効果をおよぼすことができ、また、効果がおよぶのである。(上巻:P243)
信念は知識よりも動揺させることがむずかしく、愛情は尊敬よりも変化をこうむることが少なく、怨恨は嫌悪よりも永続的である。この地上でもっとも巨大な革命の原動力は、どんな時代でも、大衆を支配している科学的認識にあるというよりは、むしろかれらを鼓舞している熱狂、また往々かれらをかり立てるヒステリーの中にあった。(上巻:P439)
大衆への影響を考えること、少数の点に集中すること、同一のことを絶えずくりかえすこと、教義のテキストを疑いのない主張の形式にまで自己に確信をもちまた自負心をもって要約すること、普及には最大の堅忍をもち、影響の期待に忍耐をもつこと・・・(上巻:P474)一方、国家論、社会・経済矛盾の究明、共産主義に対する所見については、まったく荒唐無稽かつ空想的で漫画的だ。ヒトラーがアーリア人=ゲルマン人の優位性を証明もなしに掲げ、アーリア人=ゲルマン人による純潔民族国家を理想としてドイツ国民に訴えたわけだけれど、そんなことは歴史的にも生物学的にも成立しない。ヒトラーは社会不安、経済不安、ロシア革命、ドイツ国内の共産主義勢力の膨張の主因をユダヤ人の陰謀だと一元化して喧伝し、議会主義=共産主義=国際主義=平和主義をユダヤ人による世界征服の手段だと単純化した。いまにして思えば、きわめて乱暴な決めつけだ。そもそも当のヒトラーは、自らが導き出した、ユダヤ人=諸悪の本源説を本気で信じていたのだろうか。
概してどんな時代でも、ほんとうに偉大な民衆の指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある。民衆の闘志の傾注が集中的であればあるほど、ますます運動の磁石的吸引力は大きくなり、打撃の重さも大きくなるのである。いろいろの敵を認識することは、弱い不安定な性格のものにとっては、自己の正当を簡単に疑わせるきっかけだけをつくりやすいから、別々にいる敵でさえもただ一つの範疇に属していると思わせることが、偉大な指導者の独創性に属しているのである。(上巻:P161~162)
・・・マルクシズムは、人間生活のあらゆる領域で、人格のいちじるしい重要性を排除し、それを大衆の数におきかえようとして、ユダヤ人がもちこんだ正真正銘の試みのあらわれである。政治的には議会主義的政治形式がそれに応じたものであり、われわれはそれが地方自治体の最も小さい胚細胞から始まって、全ドイツの最高の統治にいたるまで、有害な作用を及ぼしているのを見る。(下巻:P102)
最良の憲法と国家形式は、民族共同体の最良の頭脳をもった人物を、最も自然に確実に、指導的重要性と指導的影響力をもった地位につけるものである。(下巻:P105)
組織の本質には最高の精神的指導者に、数多くの非常に感激しやすい大衆がつかえるときにのみ、成立しうるということがある。(下巻:P113)
この(国家社会主義ドイツ労働者党)運動が今日のわが議会主義的腐敗の世界の中で、ますますその闘争のもっとも深い本質を自覚し、自己を人種と人物の価値の純正な権化と感じ取り、またそれによって秩序づけられるならば、運動はほとんど数学的規則性に基いていつかその闘争を勝利させるだろう。……人種的堕落の時代に自国の最善の人種的要素の保護に没頭した国家は、いつか地上の支配者となるに違いない。(下巻:P404)橋下大阪市長がヒトラー並みの指導者であるとは思わないし、狂信的人種主義者、反ユダヤ主義者ではないことは言うまでもない。だが、石原東京都知事、小泉元首相を含め、今日、大衆的人気を博している政治家たちは、マスメディアを利用した大衆操作の技術をヒトラーに学んでいるような気がしてならない。ヒトラーに学んでいないまでも、彼らは無意識のうちに、ヒトラー的なものを引きずっている。「郵政民営化」「尖閣列島は東京都が守る」「大阪都構想」「維新の会」といった、彼らが掲げる勇ましい現状否定の政治的言語は、ヒトラーが採用した敵の一元化、単純化と類似するものだ。彼らは“決められない議会”“責任をとらない既存政党の政治家”、その背後に潜む官僚に代わって、“精神的指導者”的姿勢を誇示する。彼らの独善的政治言語・姿勢が、複雑な説明を排してマスメディアによって垂れ流されるとき、日本人の政治に対する思考過程は劣化し、損なわれていく。この一連の流れを「ハシズム」というのならば、それは誤りではない。