今回の自民党大勝総選挙結果については、サッカーのオウンゴールに譬えられる場合が多い。民主党の自滅、第三極の準備不足等が自力のある自民党に有利に働いたという譬えだ。しかし、サッカーでいうならば、相手チームの選手がことごとくレッドカードで退場していなくなり、自民党がやすやすとゴールを量産して大勝した試合展開に最も近いものがある。
その一方、一票の格差の違憲状態が改善されずに総選挙が敢行されたことは、この選挙自体に正当性が認められないわけであり、無効ではないのか。つまり、正式なルールに基づかない試合なのだから、オウンゴールもレッドカードもない。そのことが第一。
とはいえ、総選挙は行われ、野田民主は大敗し、自民党が再登場した。国民がいやがる増税を「決断」することが大政治家の力量であると盲信した野田。彼がだれにどのように洗脳されたかはわからないが愚かだ。彼は自分のことを正直の上にバカがつく者だと自己規定したが、正直がつかないバカそのもの。マニフェストを破った大ウソは証明済みなのだから、野田が正直だと思う国民は皆無だ。
自民党大勝により国民が警戒すべきは、改憲の流れだ。安倍自民党は参院選までは「改憲」を表に出さず、インフレ誘導策によってミニバブルを引き起こす。その結果、株価、地価等が高騰し、それをマスメディアが経済の回復だと誤報すれば、国民はこれで何度、騙されたことになるのだろうか。経済の実態において実需に向かわない余剰マネーがインフレ誘導策で行き場を失い、資産投機に走りだしたのにすぎないのに。
そんな「アベノミックス(ミニバブル誘発政策)」を国民が支持し、参院選で自民党が単独過半数を得れば、改憲は具体的な日程にのぼる。維新、みんな、民主の一部(旧自民及び旧日本新党の残党)も当然、改憲になびいているから、改憲は国会内において現実の流れとなる。日本の改憲、すなわち国防軍改名、集団的自衛権の発動の現実化によって、日本の軍事力膨張を目の当たりにすれば、それを危惧する東アジア各国の緊張は一気に高まる。日中間の軍事衝突もあり得る。それでも有権者は、投票行動を規定する価値観において、「経済回復」を最優先順位とするのだろうか。
自民党はすべての原発の再稼働及び新設をも辞さないかまえだ。核燃料のゴミの再処理及び貯蔵問題の具体策もない。もちろん安全基準も国際水準以下のまま。福島、被災地は見捨てられたままとなる。
さて、今回の総選挙における最大の変移は、選挙運動におけるインターネット活用の是非が現実化したことではないか。マスメディアは、その合法化によって選挙広告掲載料、選挙CM放映料等の減収が予想されるところから、この件については熱心には報じない。
しかし、立候補予定者にとっては、媒体料金、印刷料金、郵送費用等が大幅に節減できるところから、ネット活用の合法化は強い願いとなっている。有権者にとっても、選挙運動中の立候補者の約束が簡易に比較閲覧でき、かつ保存可能なところから、当選後の変貌さえもチェック可能だ。 ネットユーザーが選挙に関心を示せば、棄権者が減少するかもしれない。つまり、有権者の投票意識が変わり、投票行動を変える可能性もある。そのことは当然、政党支持率に変化を生じさせるだろう。そればかりではない。選挙運動をネットに限定した立候補者が現れる可能性もあり、ネット活用が日本の選挙そのものを変える。ネット解禁こそ急務でなくて、なんであろうか。
2012年12月23日日曜日
2012年12月21日金曜日
有権者は民主党を許さなかった
◎世論調査どおりの結果に終わった総選挙
総選挙は自民党の圧勝で終わった。事前に各報道機関等が行った「獲得議席予想」等と称する調査結果どおりだった。2000人程度を母数とした調査が国家規模の選挙の結果を十分予想し得るのである。統計学とはこういうものなのだな、と改めて感心した次第。“世論調査ほどいい加減なものはない”という一部の識者の断言は根拠がないことが証明された。
事前の選挙調査結果を大雑把にまとめれば、以下のとおりだった――▽およそ4割が「支持政党なし、もしくは投票先未定」、▽支持政党の1位は自民党だが、他党(民主、第三極・・・) と大差つかず、▽第三極といわれた新党はドングリの背比べ、▽卒原発=反原発を前面に出した日本未来の党は支持率が伸びず・・・であった。
◎「支持政党なし」「未定」は棄権 に
実際の総選挙の結果もそのとおりとなった。まず、棄権が約4割。これは事前調査における「支持政党なし、未定」にそっくり該当する。比例区の議席獲得結果は、事前調査の支持率の比率を概ね反映した結果に。つまり、自民党の獲得議席は57(民主党30)にとどまった。ところが、小選挙区では自民党237で民主党30を天文学的に上回った。選挙区自民党の固定的支持層が自民党に投票し、その数がその他の政党を上回った結果である。
棄権の4割は、民主党には絶対に投票しないかわりに、ほかの政党にも入れる気がしない、よって投票に行かないと決めった層ではなかったか。
◎有権者は「民主党憎し」の思いを晴らす
今回の総選挙は、有権者が自民党を支持したというよりも、民主党憎し、民主党だけは許せない、民主党に裏切られた恨みを晴らす・・・という有権者の意思表示以外のなにものでもなかった。「民主党憎し」の投票行動としては、消極的意志表示として「棄権」であり、積極的なそれとしては第三極等への投票となったが、後者はすべて死に票で終わった。
投票は政策を見極めてといわれるが、小党乱立の今回のような状況では、政策が入り組んで提示されたため、有権者にとって選択が難しい。たとえば、自民党の経済優先については是とするが、原発推進は困るとか、維新は官僚体制打破のスローガンは是だが、憲法改正は困る…といった具合だ。
このような状況では、支持政党をもたない無党派層は、最終的な価値判断として、「民主党憎し」のみが拠り所なり、民主党は固定的支持母体である労組組織を獲得したにとどまり惨敗した。
◎小鳩は泥船を脱した
総選挙の敗北を予期した民主党創設者・鳩山由紀夫元首相及び小沢一郎元幹事長(以下、「小鳩」と略記)は、沈みゆく野田民主党の下を離れ、大敗北の惨状からいち早く逃亡した。当然である。
自民党から政権奪取に成功した民主党であったが、その立役者であった小鳩はともにマスコミの報道テロで党内主流から追放をうけ、民主党は旧日本新党(細川派=松下政経塾派)にのっとられた形となっていた。このたびの、野田の「自爆テロ解散」の敢行も細川の示唆であるとの噂もあった。
小沢は日本未来の党へと緊急避難し、鳩山は政界引退をした。二人の政治家としての前途ははなはだ暗いが、少なくとも、惨敗の汚名を着ることだけは免れた。賢明な選択だと思う。
◎大勝・安倍自民は暫定政権
大勝した自民党だが、勝負は来年夏の参院選だという説が流れていて、筆者もその通りだと思う。今回の選挙は、前出のとおり、有権者が「民主党消滅」に向けて鉄槌を下したもの。自民党を積極支持したわけではない。有権者はこの先、およそ半年間の自民党の政権運営や政治行動を見届けたうえで答えを出す。その間、民主党はおそらく解体しており、乱立した小党の整理も進む。
しかし、いずれかの第三極が与党・自民党の対抗馬となって成長するには時間が足りない。参院選で自民党独走を阻止するためには、投票日に、およそ4割を占める棄権=無党派層が非自民のいずれかに投票する以外に方法がない。それが<自民党>vs<○○党>という二大政党制の構造を確立する唯一の方法である。
総選挙は自民党の圧勝で終わった。事前に各報道機関等が行った「獲得議席予想」等と称する調査結果どおりだった。2000人程度を母数とした調査が国家規模の選挙の結果を十分予想し得るのである。統計学とはこういうものなのだな、と改めて感心した次第。“世論調査ほどいい加減なものはない”という一部の識者の断言は根拠がないことが証明された。
事前の選挙調査結果を大雑把にまとめれば、以下のとおりだった――▽およそ4割が「支持政党なし、もしくは投票先未定」、▽支持政党の1位は自民党だが、他党(民主、第三極・・・) と大差つかず、▽第三極といわれた新党はドングリの背比べ、▽卒原発=反原発を前面に出した日本未来の党は支持率が伸びず・・・であった。
◎「支持政党なし」「未定」は棄権 に
実際の総選挙の結果もそのとおりとなった。まず、棄権が約4割。これは事前調査における「支持政党なし、未定」にそっくり該当する。比例区の議席獲得結果は、事前調査の支持率の比率を概ね反映した結果に。つまり、自民党の獲得議席は57(民主党30)にとどまった。ところが、小選挙区では自民党237で民主党30を天文学的に上回った。選挙区自民党の固定的支持層が自民党に投票し、その数がその他の政党を上回った結果である。
棄権の4割は、民主党には絶対に投票しないかわりに、ほかの政党にも入れる気がしない、よって投票に行かないと決めった層ではなかったか。
◎有権者は「民主党憎し」の思いを晴らす
今回の総選挙は、有権者が自民党を支持したというよりも、民主党憎し、民主党だけは許せない、民主党に裏切られた恨みを晴らす・・・という有権者の意思表示以外のなにものでもなかった。「民主党憎し」の投票行動としては、消極的意志表示として「棄権」であり、積極的なそれとしては第三極等への投票となったが、後者はすべて死に票で終わった。
投票は政策を見極めてといわれるが、小党乱立の今回のような状況では、政策が入り組んで提示されたため、有権者にとって選択が難しい。たとえば、自民党の経済優先については是とするが、原発推進は困るとか、維新は官僚体制打破のスローガンは是だが、憲法改正は困る…といった具合だ。
このような状況では、支持政党をもたない無党派層は、最終的な価値判断として、「民主党憎し」のみが拠り所なり、民主党は固定的支持母体である労組組織を獲得したにとどまり惨敗した。
◎小鳩は泥船を脱した
総選挙の敗北を予期した民主党創設者・鳩山由紀夫元首相及び小沢一郎元幹事長(以下、「小鳩」と略記)は、沈みゆく野田民主党の下を離れ、大敗北の惨状からいち早く逃亡した。当然である。
自民党から政権奪取に成功した民主党であったが、その立役者であった小鳩はともにマスコミの報道テロで党内主流から追放をうけ、民主党は旧日本新党(細川派=松下政経塾派)にのっとられた形となっていた。このたびの、野田の「自爆テロ解散」の敢行も細川の示唆であるとの噂もあった。
小沢は日本未来の党へと緊急避難し、鳩山は政界引退をした。二人の政治家としての前途ははなはだ暗いが、少なくとも、惨敗の汚名を着ることだけは免れた。賢明な選択だと思う。
◎大勝・安倍自民は暫定政権
大勝した自民党だが、勝負は来年夏の参院選だという説が流れていて、筆者もその通りだと思う。今回の選挙は、前出のとおり、有権者が「民主党消滅」に向けて鉄槌を下したもの。自民党を積極支持したわけではない。有権者はこの先、およそ半年間の自民党の政権運営や政治行動を見届けたうえで答えを出す。その間、民主党はおそらく解体しており、乱立した小党の整理も進む。
しかし、いずれかの第三極が与党・自民党の対抗馬となって成長するには時間が足りない。参院選で自民党独走を阻止するためには、投票日に、およそ4割を占める棄権=無党派層が非自民のいずれかに投票する以外に方法がない。それが<自民党>vs<○○党>という二大政党制の構造を確立する唯一の方法である。
2012年12月14日金曜日
大谷の日ハム入団は密約だ
日本ハムからドラフト1位指名された花巻東・大谷翔平投手(18)が9日、メジャー希望から一転して入団することを正式に表明した。この日、岩手・奥州市内のホテルで栗山英樹監督(51)ら球団側に伝えた。その後に会見に臨み、日本ハムの投手と打者の二刀流での育成方針、交渉過程で示された資料が心変わりする理由になったと説明。騒動に巻き込んだ周囲に謝罪しながらも「1年目からしっかり活躍できるように頑張っていきたいと思います」と所信表明した。
将来的にあこがれであるメジャーを目指す強い気持ちは現在でも変わらず、日本球界を経由して、挑戦することも明言。「やっぱり最終的にはメジャーリーグ(MLB)に行ってみたいと思いますし、自分のあこがれている場所。それにいたるまでの道として、新しく、ファイターズさんから新しく道を教えてもらったという形」とし、レベルアップして米球界入りをする青写真も披露した。Nikkansports.com
[2012年12月9日21時52分]
大谷の「心変わり」は江川の「空白の一日」に匹敵する犯罪的ドラフト破り
筆者は大谷の日ハム入団を知って驚いた。このようなことは、絶対にあってはならないと思った。日本プロ野球ドラフト史上、江川の「空白の一日」に匹敵する最大の汚点の1つではないのか。
大谷は2012年ドラフト会議開催前、早々とMLB行きを意思表示し、日本のプロ野球球団の指名を拒否していた。大谷本人が正式に拒否したものとは言えなかったのかもしれないが、報道では、大谷が日本球団からドラフト指名を受けても、日本の球団には絶対に入らないと伝えられていた。ところが、日ハムの指名を受けてから、数回の入団交渉を経て、日ハム入りを正式に受諾した。これが密約の結果でなくて、なんであろうか。
日ハム、花巻東高校の悪質な「連携プレイ」
このような「絵」を描いたのは、大谷本人ではなく、おそらく、日ハム球団及び花巻東高校野球部関係者だろう。あまりにも露骨な「連携プレイ」ではないか。MLB行きを明言した大谷の意思を尊重した日ハムを除く日本の球団は彼の1位指名を避けた。交渉権を獲得しても、入団交渉に応じてもらえないのならば、1位指名権の無駄打ちに終わる。2012年ドラフトには有望な選手が複数いるから、入団可能性の高い選手を求めたのだ。プロ球団としては当然の選択である。
ところが、日ハムは大谷を指名して、無抽選で単独指名権を得た。そして、日ハムは「独自」に作成した「資料」とやらを駆使して、大谷の説得に成功したと報道された。茶番である。その「資料」とやらには、米国以外のアマチュア選手が自国プロ球界を経ずに直接、MLBに挑戦するデメリットが説明されていたという。
地に落ちた日ハムのドラフト戦略
これまで、確かに、日ハムのドラフト戦略は正当性があった。昨年ドラフトにおける菅野指名は称賛されたものだ。“その年、一番の選手を指名する”という筋は通している。だが、だからといって、日ハムと大谷の間に密約がなかったは言えない。そもそも、大谷が何の考えもなく、MLB行きを公言したとは思えない。自分の大事な進路なのだ。日本球界を経ずに米国に挑戦するメリットとデメリットを検証したはずである。米国生活の不自由さ、言葉の問題…いろいろな困難は承知の上だろう。ドラフトを前にして、大谷はただ、将来の夢を無邪気に語ったとでもいうつもりか。
花巻東高校が教育機関ならば、学生に適切な進路指導をする義務がある。
日ハムが作成した「資料」で、日本球界を経ることのメリットに気が付くということは絶対にあり得ない。大谷を擁した高校がまっとうな教育機関ならば、大谷の進路について適切なアドバイスをしなければいけない立場にある。日ハムの資料など見なくとも、大谷にとってベストだと思われる進路指導をして当たり前ではないか。筆者が茶番だと速断した根拠は、この「資料」の存在である。怪しいではないか。
繰り返すが、花巻東高校の指導者たちは、米国での競争と生活がバラ色だと大谷に説明したのか。一人の高校生が米国で暮らし、そこで競争をしながらメジャーリーガーを目指すことの困難さを説明しなかったのか。逆に、その困難さを克服することが、大谷にとって人間的成長の機会だと説明することもできなかったのか。筆者は取材をする立場でないので、すべては憶測、推測の域を出ないのだが、マスメディアならば、今回の「大谷事件」の真実を解明することができるはずだ。
被害者が存在しない「犯罪」
さて、大谷が日本球界に「就職」したことで被害者がいるとしたら、大谷を獲得できなかった11球団だけだろう。それも被害者とはいえないくらいの軽微の被害である。指名が重なれば抽選なのだから、獲得できない確率の方が高い。
逆に、得をした者は多い。まず、日ハム球団。逸材の大谷を無抽選で獲得できた。大谷の登板で集客が増える。ダルビッシュ並に成長すれば、ポスティングでMLBに高額で売却できる。さらに、ドラフト戦略の一貫性を称賛され、有効な「資料」作成という企業イメージアップのおまけがついた。
日本の野球ファンも、何シーズンかは大谷の投球が楽しめる。スポーツマスコミも話題の新人がいて大助かりだ。前出のとおり、近い将来、MLB挑戦で話題沸騰すること間違いなし。
大谷自身も日本で実績を積めば、日ハムならば、短い年限ですんなり、MLBに行くことが可能だ。MLBも、日本球界における実績を確認してから獲得できるメリットがある。米国で彼をつぶしてしまったら一大事。一人前になってから獲得しても遅くない。大谷の密約が気に入らず、怒っているのは筆者だけのよう。正義とやらは、どこへ消えたのだ。
将来的にあこがれであるメジャーを目指す強い気持ちは現在でも変わらず、日本球界を経由して、挑戦することも明言。「やっぱり最終的にはメジャーリーグ(MLB)に行ってみたいと思いますし、自分のあこがれている場所。それにいたるまでの道として、新しく、ファイターズさんから新しく道を教えてもらったという形」とし、レベルアップして米球界入りをする青写真も披露した。Nikkansports.com
[2012年12月9日21時52分]
大谷の「心変わり」は江川の「空白の一日」に匹敵する犯罪的ドラフト破り
筆者は大谷の日ハム入団を知って驚いた。このようなことは、絶対にあってはならないと思った。日本プロ野球ドラフト史上、江川の「空白の一日」に匹敵する最大の汚点の1つではないのか。
大谷は2012年ドラフト会議開催前、早々とMLB行きを意思表示し、日本のプロ野球球団の指名を拒否していた。大谷本人が正式に拒否したものとは言えなかったのかもしれないが、報道では、大谷が日本球団からドラフト指名を受けても、日本の球団には絶対に入らないと伝えられていた。ところが、日ハムの指名を受けてから、数回の入団交渉を経て、日ハム入りを正式に受諾した。これが密約の結果でなくて、なんであろうか。
日ハム、花巻東高校の悪質な「連携プレイ」
このような「絵」を描いたのは、大谷本人ではなく、おそらく、日ハム球団及び花巻東高校野球部関係者だろう。あまりにも露骨な「連携プレイ」ではないか。MLB行きを明言した大谷の意思を尊重した日ハムを除く日本の球団は彼の1位指名を避けた。交渉権を獲得しても、入団交渉に応じてもらえないのならば、1位指名権の無駄打ちに終わる。2012年ドラフトには有望な選手が複数いるから、入団可能性の高い選手を求めたのだ。プロ球団としては当然の選択である。
ところが、日ハムは大谷を指名して、無抽選で単独指名権を得た。そして、日ハムは「独自」に作成した「資料」とやらを駆使して、大谷の説得に成功したと報道された。茶番である。その「資料」とやらには、米国以外のアマチュア選手が自国プロ球界を経ずに直接、MLBに挑戦するデメリットが説明されていたという。
地に落ちた日ハムのドラフト戦略
これまで、確かに、日ハムのドラフト戦略は正当性があった。昨年ドラフトにおける菅野指名は称賛されたものだ。“その年、一番の選手を指名する”という筋は通している。だが、だからといって、日ハムと大谷の間に密約がなかったは言えない。そもそも、大谷が何の考えもなく、MLB行きを公言したとは思えない。自分の大事な進路なのだ。日本球界を経ずに米国に挑戦するメリットとデメリットを検証したはずである。米国生活の不自由さ、言葉の問題…いろいろな困難は承知の上だろう。ドラフトを前にして、大谷はただ、将来の夢を無邪気に語ったとでもいうつもりか。
花巻東高校が教育機関ならば、学生に適切な進路指導をする義務がある。
日ハムが作成した「資料」で、日本球界を経ることのメリットに気が付くということは絶対にあり得ない。大谷を擁した高校がまっとうな教育機関ならば、大谷の進路について適切なアドバイスをしなければいけない立場にある。日ハムの資料など見なくとも、大谷にとってベストだと思われる進路指導をして当たり前ではないか。筆者が茶番だと速断した根拠は、この「資料」の存在である。怪しいではないか。
繰り返すが、花巻東高校の指導者たちは、米国での競争と生活がバラ色だと大谷に説明したのか。一人の高校生が米国で暮らし、そこで競争をしながらメジャーリーガーを目指すことの困難さを説明しなかったのか。逆に、その困難さを克服することが、大谷にとって人間的成長の機会だと説明することもできなかったのか。筆者は取材をする立場でないので、すべては憶測、推測の域を出ないのだが、マスメディアならば、今回の「大谷事件」の真実を解明することができるはずだ。
被害者が存在しない「犯罪」
さて、大谷が日本球界に「就職」したことで被害者がいるとしたら、大谷を獲得できなかった11球団だけだろう。それも被害者とはいえないくらいの軽微の被害である。指名が重なれば抽選なのだから、獲得できない確率の方が高い。
逆に、得をした者は多い。まず、日ハム球団。逸材の大谷を無抽選で獲得できた。大谷の登板で集客が増える。ダルビッシュ並に成長すれば、ポスティングでMLBに高額で売却できる。さらに、ドラフト戦略の一貫性を称賛され、有効な「資料」作成という企業イメージアップのおまけがついた。
日本の野球ファンも、何シーズンかは大谷の投球が楽しめる。スポーツマスコミも話題の新人がいて大助かりだ。前出のとおり、近い将来、MLB挑戦で話題沸騰すること間違いなし。
大谷自身も日本で実績を積めば、日ハムならば、短い年限ですんなり、MLBに行くことが可能だ。MLBも、日本球界における実績を確認してから獲得できるメリットがある。米国で彼をつぶしてしまったら一大事。一人前になってから獲得しても遅くない。大谷の密約が気に入らず、怒っているのは筆者だけのよう。正義とやらは、どこへ消えたのだ。
2012年12月2日日曜日
沈黙を破った佐野眞一
橋下徹大阪市長(以下、肩書、敬称略)に係る『週刊朝日』の連載中止問題について、これまで沈黙を続けてきた筆者の佐野眞一氏(以下、敬称略)が、管見の限りだが、初めて騒動についてコメントした。
佐野は『東京新聞』朝刊の「こちら特報部」の取材に応じ、「橋下という人物を看過していたら、大変なことになる。あたかも第二次大戦前夜のようなきな臭さを感じた」と、「橋下連載」の動機を語った。
また、橋下の振る舞いについて、1930年代のドイツを想起したとし、「ワイマール憲法下で小党が乱立し、閉塞状況が続く。そこにヒトラーが登場する。彼は聖職者や教師、哲学者らを“いい思いをしている連中”とやり玉に挙げ、求心力を高めた。その手法は現在の橋下と似ている」とも評した。
だが、橋下の政治手法がヒトラーと似ている点はそれだけではない。橋下とヒトラーの共通点は、マスメディアを巧妙に利用する点である。ヒトラーはメディアを自由に駆使し、自らの主張を大衆に浸透させた。一方、結果において佐野の「橋下連載」は、橋下に逆利用され、彼の株を上げてしまった。佐野の「橋下連載」は、彼が意図した橋下攻撃の志と真逆の展開をみせて終息した。
そのことはともかくとして、佐野が橋下に感じた危うさは、筆者の感触と変わらない。筆者も、橋下はヒトラーの政治手法を意識して真似ているか無意識のうちにヒトラー的要素を踏襲しているのかは定かではないが、ヒトラーの縮小的再来だという感覚を共有する。もちろん、橋下は、ヒトラーの才能・狂気の度合いとは相当劣るものの。
佐野の「反橋下」の意思及び週刊誌連載の企ては、ごく自然なものだ。だが、なぜ、ナニワの「小型ヒトラー」の反撃を許してしまったのか、また、結果において、佐野及び『週刊朝日』は、いともたやすく橋下に完敗してしまったのか。
『東京新聞』の取材に答えたコメント内容から、その理由は以下の3点に要約できる。
(一)「差別」について記述や表現に慎重さを欠いたこと
(二)週刊誌編集者が付した「血脈」「DNA」といった見出しの不適切性
(三)タイトルである「ハシシタ」が被差別部落を想起させるものであること
(※一と重複するが、それがタイトルであったことの重大性)
佐野によれば、(二)(三)は週刊誌の編集者がやったことで自分は印刷後に知った、という意味の説明をしている。しかし、佐野は(三)について、週刊誌の編集部がやったこととはいえ、それでも「ハシシタ」というタイトルについては深く反省をしており、「(略)関西の地名で『ハシシタ』が被差別部落を示唆するケースがあることを知った。読者の方からも(タイトルが)部落を想起させるという指摘を受け、差別される側の気持ちに思慮が至らなかったことに、胸を突かれる思いがした」と語った。
ここまでのところを大雑把に整理すれば、佐野の橋下攻撃の志については、多くの反橋下派の思いと共通する。しかし、表現者・佐野の創作を週刊誌という商品にしたところ、差別を助長、強調する欠陥品として仕上がって世に出てしまったということになる。このミスは、作者である佐野のものとは言えない。『週刊朝日』の編集者が素人だったために起こったことである。表現者は作品の質を問われることはあっても、出版物(=商品)に係るトラブルについては、編集者がその責を負うのが出版界のルールだからである。今回のトラブルは、佐野の説明を全面的に信ずるならば、週刊誌の編集者の力量不足に起因する。
さて、もう1つ重大な問題がある。「ナニワの小型ヒトラー」橋下の言動、思想、哲学、政策・・・を問う方法として、橋下のルーツ(親族、生育環境等)を洗い出し公表する必要があるのかどうか――についてである。
佐野の作品では、その手法は定番であるという。たとえば、ソフトバンク創業者の孫正義氏(以下、敬称略)の評伝『あんぽん』では、孫が在日韓国人(現在は日本国籍を取得)であり、孫の一族、ルーツを、韓国取材を重ねて描いているという。そのことに孫が文句をつけたことはないし、社会問題化してもいない。佐野も、人物の評伝を描く際、生育環境にこだわることは当然として、「人間は社会的な生きものであり、文化的な環境や歴史的背景はその人物の性格や思考に必ず影響している。まして公党の代表であれば、その言動や思想がどういう経緯で形成されたのかを知ることは極めて大切だ」と説明している。
本件では、橋下の人間性、思想性が形成された背景には、差別問題があるということになる。佐野はこう言っている。
ここで『東京新聞』の記者は、紙面に“差別と解放運動、アウトローの実父、首長に上り「戦後民主主義の脅威」になった息子。その相関関係に世相を映そうという狙いだったのか”と記事を結び、佐野の「橋下連載」の方法を推測しつつ佐野を擁護しようとする。
結論を言えば、佐野の方法は橋下の政治思想の解明につながらない。なぜならば、橋下は思想の力によって大衆に影響を及ぼすような思想的政治家ではないからである。橋下の思想形成の核を社会(親族、育成環境等)に当たっても、そこからは何も出てこない。なぜならば、橋下を「ナニワの小型ヒトラー」にしたのは、ただただ、日本のマスメディアの力によるからである。日本のマスメディアは、橋下の政策的なあいまいさ、一貫性のなさ、思いつき、並びに大阪府政及び大阪市政の実績等々といった政治的現実を吟味しようとしない。日本のマスメディアは、彼のダーウイン主義的優生思想や、経済政策を検証しようともしない。橋下の経済政策は、彼のブレーンである竹中平蔵の自由市場主義(新市場主義)そのものである。竹下の経済政策は彼が仕えた小泉政権において、日本社会を格差社会に導いた犯罪的なものである。にもかかわらず、日本のマスメディアは、橋下の政治的、政策的本質を問おうとしない。
換言すれば、日本のマスメディアは、それまで、橋下を玩具として弄んでいたのである。彼らにしてみれば、橋下は視聴率や販売部数を稼げる子役だった。橋下には何をやっても許される、と思っていたことだろう。“俺達が橋下を有名にしてやっているのだから”と思っていたことだろう。
ところが、橋下は日本のマスメディアが気づかないうちに次第にその力を増し、もはやマスメディアが制御できない怪物にまで成長していた。そのことをマスメディアは自覚していない。ヒトラーが台頭したことをドイツの当時のメディアも知らなかったように。
佐野は自らが信ずる方法によって、橋下という怪物を解明しようとした。ところが、彼に仕事を持ち込んだ『週刊朝日』というメディアは、大新聞の余剰人員の受け皿だった。日本のマスメディア出身でしかも本社の出世レースに敗北して子会社にふきだまった週刊誌編集者たちは、あいかわらず、橋下を玩具として弄ぶことで販売部数が稼げると目論んだ。ワルノリである。だから、「ハシシタ」「DNA」「奴の本性」といった、下品な見出しがつけられたのだろう。素人週刊誌編集者たちは、同和問題に係る表現コードすら忘却したのである。結果、玩具と思っていた橋下から猛反撃を受け、週刊誌側は全面降伏した。日本のマスメディアが「ナニワの小型ヒトラー」に大敗北を屈したのである。
ただ、思想形成の本質を問う方法として、佐野の方法は有効なのかどうか――という問題は残ったままである。カントが歯痛もちだったから、あのような晦渋な哲学ができあがったという「カント論」もある。貧困家庭で親に学歴がなくとも、親が教育熱心であれば、その子供が学者や思想家になることは珍しいことではない。親族に犯罪者がいること等で、警察官、検事、弁護士を志す者も少なからずいる。 そのような環境の者がすべからく、「小型ヒトラー」に成長するわけではない。
ただこれだけは言える、という面がある。評伝や人物伝においては、対象となる人物の環境が尋常でないほど面白さは増すという法則である。筆者の近辺に、“俺の祖父は満州浪人で馬賊だった”と自称するアウトロー気取りの男がいる。日本には「平家の落ち武者」を出自とする村がいくらでもある。そのようなことからわかるように、人間には、自らの出自をことさらいたずらに神秘化することによって、自らの人間的価値を上げたいという欲求が内在しているものなのである。
大物政治家、大物経済人ならば、その労苦を強調し、そこから這い上がった成功伝をつくりたいと思うのは当然である。佐野のようなキャリアの作家ならば、そのあたりは、取材者(=評伝の対象者)と阿吽の呼吸で分かり合えているはずである。しかし、佐野が仕事着手の始動において、正気を逸していた面がうかがえる。佐野は東京新聞紙面で、「自分らしくもないというか、社会的な使命感が働いた仕事だった」と、本音を明かしている。老練の仕事師が陥った対象への過剰な反応である。
ただ、佐野の以下のコメントは日本のマスメディアに対する警鐘として、ここに書き写すだけの価値があると筆者は信ずる。
佐野は『東京新聞』朝刊の「こちら特報部」の取材に応じ、「橋下という人物を看過していたら、大変なことになる。あたかも第二次大戦前夜のようなきな臭さを感じた」と、「橋下連載」の動機を語った。
また、橋下の振る舞いについて、1930年代のドイツを想起したとし、「ワイマール憲法下で小党が乱立し、閉塞状況が続く。そこにヒトラーが登場する。彼は聖職者や教師、哲学者らを“いい思いをしている連中”とやり玉に挙げ、求心力を高めた。その手法は現在の橋下と似ている」とも評した。
だが、橋下の政治手法がヒトラーと似ている点はそれだけではない。橋下とヒトラーの共通点は、マスメディアを巧妙に利用する点である。ヒトラーはメディアを自由に駆使し、自らの主張を大衆に浸透させた。一方、結果において佐野の「橋下連載」は、橋下に逆利用され、彼の株を上げてしまった。佐野の「橋下連載」は、彼が意図した橋下攻撃の志と真逆の展開をみせて終息した。
そのことはともかくとして、佐野が橋下に感じた危うさは、筆者の感触と変わらない。筆者も、橋下はヒトラーの政治手法を意識して真似ているか無意識のうちにヒトラー的要素を踏襲しているのかは定かではないが、ヒトラーの縮小的再来だという感覚を共有する。もちろん、橋下は、ヒトラーの才能・狂気の度合いとは相当劣るものの。
佐野の「反橋下」の意思及び週刊誌連載の企ては、ごく自然なものだ。だが、なぜ、ナニワの「小型ヒトラー」の反撃を許してしまったのか、また、結果において、佐野及び『週刊朝日』は、いともたやすく橋下に完敗してしまったのか。
『東京新聞』の取材に答えたコメント内容から、その理由は以下の3点に要約できる。
(一)「差別」について記述や表現に慎重さを欠いたこと
(二)週刊誌編集者が付した「血脈」「DNA」といった見出しの不適切性
(三)タイトルである「ハシシタ」が被差別部落を想起させるものであること
(※一と重複するが、それがタイトルであったことの重大性)
佐野によれば、(二)(三)は週刊誌の編集者がやったことで自分は印刷後に知った、という意味の説明をしている。しかし、佐野は(三)について、週刊誌の編集部がやったこととはいえ、それでも「ハシシタ」というタイトルについては深く反省をしており、「(略)関西の地名で『ハシシタ』が被差別部落を示唆するケースがあることを知った。読者の方からも(タイトルが)部落を想起させるという指摘を受け、差別される側の気持ちに思慮が至らなかったことに、胸を突かれる思いがした」と語った。
ここまでのところを大雑把に整理すれば、佐野の橋下攻撃の志については、多くの反橋下派の思いと共通する。しかし、表現者・佐野の創作を週刊誌という商品にしたところ、差別を助長、強調する欠陥品として仕上がって世に出てしまったということになる。このミスは、作者である佐野のものとは言えない。『週刊朝日』の編集者が素人だったために起こったことである。表現者は作品の質を問われることはあっても、出版物(=商品)に係るトラブルについては、編集者がその責を負うのが出版界のルールだからである。今回のトラブルは、佐野の説明を全面的に信ずるならば、週刊誌の編集者の力量不足に起因する。
さて、もう1つ重大な問題がある。「ナニワの小型ヒトラー」橋下の言動、思想、哲学、政策・・・を問う方法として、橋下のルーツ(親族、生育環境等)を洗い出し公表する必要があるのかどうか――についてである。
佐野の作品では、その手法は定番であるという。たとえば、ソフトバンク創業者の孫正義氏(以下、敬称略)の評伝『あんぽん』では、孫が在日韓国人(現在は日本国籍を取得)であり、孫の一族、ルーツを、韓国取材を重ねて描いているという。そのことに孫が文句をつけたことはないし、社会問題化してもいない。佐野も、人物の評伝を描く際、生育環境にこだわることは当然として、「人間は社会的な生きものであり、文化的な環境や歴史的背景はその人物の性格や思考に必ず影響している。まして公党の代表であれば、その言動や思想がどういう経緯で形成されたのかを知ることは極めて大切だ」と説明している。
本件では、橋下の人間性、思想性が形成された背景には、差別問題があるということになる。佐野はこう言っている。
「(橋下の)実父が生きた部落では、解放運動が強い力を持っている。そこでは徹底した平等主義が貫かれる。しかし、その環境を背負っている橋下の思想は逆。『力のない奴は生きている価値がない』という過剰な競争主義だ。文楽をめぐる対応が典型だ。その違いを探ることは、おそらく現代社会の病巣を描くことにつながる」
ここで『東京新聞』の記者は、紙面に“差別と解放運動、アウトローの実父、首長に上り「戦後民主主義の脅威」になった息子。その相関関係に世相を映そうという狙いだったのか”と記事を結び、佐野の「橋下連載」の方法を推測しつつ佐野を擁護しようとする。
結論を言えば、佐野の方法は橋下の政治思想の解明につながらない。なぜならば、橋下は思想の力によって大衆に影響を及ぼすような思想的政治家ではないからである。橋下の思想形成の核を社会(親族、育成環境等)に当たっても、そこからは何も出てこない。なぜならば、橋下を「ナニワの小型ヒトラー」にしたのは、ただただ、日本のマスメディアの力によるからである。日本のマスメディアは、橋下の政策的なあいまいさ、一貫性のなさ、思いつき、並びに大阪府政及び大阪市政の実績等々といった政治的現実を吟味しようとしない。日本のマスメディアは、彼のダーウイン主義的優生思想や、経済政策を検証しようともしない。橋下の経済政策は、彼のブレーンである竹中平蔵の自由市場主義(新市場主義)そのものである。竹下の経済政策は彼が仕えた小泉政権において、日本社会を格差社会に導いた犯罪的なものである。にもかかわらず、日本のマスメディアは、橋下の政治的、政策的本質を問おうとしない。
換言すれば、日本のマスメディアは、それまで、橋下を玩具として弄んでいたのである。彼らにしてみれば、橋下は視聴率や販売部数を稼げる子役だった。橋下には何をやっても許される、と思っていたことだろう。“俺達が橋下を有名にしてやっているのだから”と思っていたことだろう。
ところが、橋下は日本のマスメディアが気づかないうちに次第にその力を増し、もはやマスメディアが制御できない怪物にまで成長していた。そのことをマスメディアは自覚していない。ヒトラーが台頭したことをドイツの当時のメディアも知らなかったように。
佐野は自らが信ずる方法によって、橋下という怪物を解明しようとした。ところが、彼に仕事を持ち込んだ『週刊朝日』というメディアは、大新聞の余剰人員の受け皿だった。日本のマスメディア出身でしかも本社の出世レースに敗北して子会社にふきだまった週刊誌編集者たちは、あいかわらず、橋下を玩具として弄ぶことで販売部数が稼げると目論んだ。ワルノリである。だから、「ハシシタ」「DNA」「奴の本性」といった、下品な見出しがつけられたのだろう。素人週刊誌編集者たちは、同和問題に係る表現コードすら忘却したのである。結果、玩具と思っていた橋下から猛反撃を受け、週刊誌側は全面降伏した。日本のマスメディアが「ナニワの小型ヒトラー」に大敗北を屈したのである。
ただ、思想形成の本質を問う方法として、佐野の方法は有効なのかどうか――という問題は残ったままである。カントが歯痛もちだったから、あのような晦渋な哲学ができあがったという「カント論」もある。貧困家庭で親に学歴がなくとも、親が教育熱心であれば、その子供が学者や思想家になることは珍しいことではない。親族に犯罪者がいること等で、警察官、検事、弁護士を志す者も少なからずいる。 そのような環境の者がすべからく、「小型ヒトラー」に成長するわけではない。
ただこれだけは言える、という面がある。評伝や人物伝においては、対象となる人物の環境が尋常でないほど面白さは増すという法則である。筆者の近辺に、“俺の祖父は満州浪人で馬賊だった”と自称するアウトロー気取りの男がいる。日本には「平家の落ち武者」を出自とする村がいくらでもある。そのようなことからわかるように、人間には、自らの出自をことさらいたずらに神秘化することによって、自らの人間的価値を上げたいという欲求が内在しているものなのである。
大物政治家、大物経済人ならば、その労苦を強調し、そこから這い上がった成功伝をつくりたいと思うのは当然である。佐野のようなキャリアの作家ならば、そのあたりは、取材者(=評伝の対象者)と阿吽の呼吸で分かり合えているはずである。しかし、佐野が仕事着手の始動において、正気を逸していた面がうかがえる。佐野は東京新聞紙面で、「自分らしくもないというか、社会的な使命感が働いた仕事だった」と、本音を明かしている。老練の仕事師が陥った対象への過剰な反応である。
ただ、佐野の以下のコメントは日本のマスメディアに対する警鐘として、ここに書き写すだけの価値があると筆者は信ずる。
「橋下を出せば、視聴率が取れるというメディア。長引くこの不況を脱して、カネもうけができればよいという橋下。そこには共通項がある。ただ、その風潮の行方の恐ろしさについては、ほとんど語られていない」
Zazie, Nico(12月)
早いもので、もう12月。
恒例の猫の体重測定がきてしまった。
今月のZazieは2.6㎏で前月比±0、
Nicoは5.9㎏で同+100g。
体重推移から判断するに、二匹とも成長期は終わったのではないか。
恒例の猫の体重測定がきてしまった。
今月のZazieは2.6㎏で前月比±0、
Nicoは5.9㎏で同+100g。
体重推移から判断するに、二匹とも成長期は終わったのではないか。
2012年11月27日火曜日
2012年11月11日日曜日
2012年11月6日火曜日
中国から来た青年の話
先般、家人の中国関係の取引先の青年・章(ジャン)君と二度ほど食事をした。台州の出身だという。章君とカタコトの英語と漢字の筆談を交わしたところ、彼の曽祖父・祖父は地主・資本家であったため、毛沢東の文化大革命の渦中、投獄・財産没収の憂き目にあったということが判明した。章君は、筆者が紙に書いた「造反有理」の文字に×を付けた。
筆者は、文化革命があった当時の中国については、厳格なプロレタリア国家だと思っていた。だから、文化大革命が起きた理由を理解できなかった。毛沢東が革命を成功させたのが1949年、文化大革命の勃発が1960年代後半であった。文化大革命は、毛沢東率いる中国共産党による革命から10年超しか経っていなかった時点で起きた。筆者を含め多くの日本人は、中国がソ連・東欧と並ぶ巨大な労働者国家だと思っていた。
文化大革命当時、章君の家は富裕層(地主・資本家)に属し、道教関連の蔵書がたくさんあったが、それも革命勢力によって焼失させられたという。ということは、文化大革命当時の中国は、かなり貧富の差があったわけであり、旧勢力=地主・資本家層が温存されていたことがわかった。毛沢東が進めようとした革命後の革命、すなわち永続革命は、広大な中国社会に温存された旧勢力を一掃することだったのだろうか。
章君のような話を聞くと、多くの日本人は、文化大革命で被害を受けた旧勢力=地主・資本家層に同情したくなるのだが、地主・資本家層は、共産主義革命前はもちろんのこと、その直後まで、農民・労働者を暴力的に支配し、搾取を続けていた。中国共産党による革命の大義は、圧政に苦しむ農民・労働者を解放することにあった。ところが、1949年に権力奪取に成功した中国共産党であったが、全国的解放が一気に成し遂げられたわけではなかった。広大な中国のことだから、旧勢力が温存された地域も多かったのだろう。毛沢東は、温存された旧勢力の巻き返しを恐れ、革命の革命を続行しようとした。そのことが、造反有理が意味する根本思想なのだ。
台州は上海に近く、浙江省の省都・杭州から車で1時間もかからないところ。文化大革命が進められた1960年代後半、そんな都市部においても、権力の完全な移行は成し遂げられていなかったのだ。
しかし、文化大革命は頓挫し、天安門事件の大弾圧を経て、旧勢力の利益を代表する勢力が一気に台頭し、中国は巨大な官僚独裁資本主義国家に変容を遂げ、今日まで、いびつな経済的発展を遂げてきた。
さて、そんな章君は弱冠28歳の普通の青年だ。骨董品の買い付けを仕事にしている。彼が言うには、台湾・日本には中国の古い部分が色濃く残されているのだと。今日の巨大な官僚資本主義国家・中国は、文化大革命で喪失した自らの文化遺産を、日本や台湾に求めて、買い戻そうとしているわけだ。
章君は大学卒業後、友人と会社を興し、働き通しだったという。その後、いま勤務している会社の社長に見出され、骨董品バイヤーという職についたのだが、彼はそのことを喜んではいるものの、いずれ転職もしくは独立を目指しているようだ。
そのことをもって、中国の若者には夢がある、と速断してはならない。彼は恵まれた若者の一人にすぎない。たとえば、尖閣をめぐる問題で、仕事がみつからない多くの中国の若者が官制デモに参加し、「愛国無罪」に守られ、日本資本の小売業や工場を破壊した。彼らは日ごろの鬱憤を晴らし、中国政府は民衆のガス抜きを計る。その「主役たち」と筆者が出会う可能性は、今現在、限りなくゼロに近い。
将来に希望を抱く恵まれた章君には申し訳ないが――そして、筆者の勝手な希望的推測にすぎないが――いずれ近い将来、中国に新たな権力闘争が起こる可能性は低くないと思いたい。官制デモに参加した底辺層の民衆が造反有理を掲げる日が必ずや来ると思いたい。天安門事件が起きたのが1989年(23年前)。あの事件による数千といわれる犠牲者の鎮魂は、終わっていないのだから。
筆者は、文化革命があった当時の中国については、厳格なプロレタリア国家だと思っていた。だから、文化大革命が起きた理由を理解できなかった。毛沢東が革命を成功させたのが1949年、文化大革命の勃発が1960年代後半であった。文化大革命は、毛沢東率いる中国共産党による革命から10年超しか経っていなかった時点で起きた。筆者を含め多くの日本人は、中国がソ連・東欧と並ぶ巨大な労働者国家だと思っていた。
文化大革命当時、章君の家は富裕層(地主・資本家)に属し、道教関連の蔵書がたくさんあったが、それも革命勢力によって焼失させられたという。ということは、文化大革命当時の中国は、かなり貧富の差があったわけであり、旧勢力=地主・資本家層が温存されていたことがわかった。毛沢東が進めようとした革命後の革命、すなわち永続革命は、広大な中国社会に温存された旧勢力を一掃することだったのだろうか。
章君のような話を聞くと、多くの日本人は、文化大革命で被害を受けた旧勢力=地主・資本家層に同情したくなるのだが、地主・資本家層は、共産主義革命前はもちろんのこと、その直後まで、農民・労働者を暴力的に支配し、搾取を続けていた。中国共産党による革命の大義は、圧政に苦しむ農民・労働者を解放することにあった。ところが、1949年に権力奪取に成功した中国共産党であったが、全国的解放が一気に成し遂げられたわけではなかった。広大な中国のことだから、旧勢力が温存された地域も多かったのだろう。毛沢東は、温存された旧勢力の巻き返しを恐れ、革命の革命を続行しようとした。そのことが、造反有理が意味する根本思想なのだ。
台州は上海に近く、浙江省の省都・杭州から車で1時間もかからないところ。文化大革命が進められた1960年代後半、そんな都市部においても、権力の完全な移行は成し遂げられていなかったのだ。
しかし、文化大革命は頓挫し、天安門事件の大弾圧を経て、旧勢力の利益を代表する勢力が一気に台頭し、中国は巨大な官僚独裁資本主義国家に変容を遂げ、今日まで、いびつな経済的発展を遂げてきた。
さて、そんな章君は弱冠28歳の普通の青年だ。骨董品の買い付けを仕事にしている。彼が言うには、台湾・日本には中国の古い部分が色濃く残されているのだと。今日の巨大な官僚資本主義国家・中国は、文化大革命で喪失した自らの文化遺産を、日本や台湾に求めて、買い戻そうとしているわけだ。
章君は大学卒業後、友人と会社を興し、働き通しだったという。その後、いま勤務している会社の社長に見出され、骨董品バイヤーという職についたのだが、彼はそのことを喜んではいるものの、いずれ転職もしくは独立を目指しているようだ。
そのことをもって、中国の若者には夢がある、と速断してはならない。彼は恵まれた若者の一人にすぎない。たとえば、尖閣をめぐる問題で、仕事がみつからない多くの中国の若者が官制デモに参加し、「愛国無罪」に守られ、日本資本の小売業や工場を破壊した。彼らは日ごろの鬱憤を晴らし、中国政府は民衆のガス抜きを計る。その「主役たち」と筆者が出会う可能性は、今現在、限りなくゼロに近い。
将来に希望を抱く恵まれた章君には申し訳ないが――そして、筆者の勝手な希望的推測にすぎないが――いずれ近い将来、中国に新たな権力闘争が起こる可能性は低くないと思いたい。官制デモに参加した底辺層の民衆が造反有理を掲げる日が必ずや来ると思いたい。天安門事件が起きたのが1989年(23年前)。あの事件による数千といわれる犠牲者の鎮魂は、終わっていないのだから。
2012年11月2日金曜日
2012年10月28日日曜日
ドラフト信仰から目覚めよ
日本プロ野球(NPB)の新人選択会議(ドラフト2012)が25日、東京で行われた。注目の藤浪晋太郎投手(大阪桐蔭)は阪神が、大学球界NO.1右腕の東浜巨投手(亜大)はソフトバンクが、それぞれ競合の末、交渉権を獲得した。1年浪人した菅野智之投手(東海大)は巨人が単独指名、大リーグ挑戦を表明している大谷翔平投手(花巻東)は日本ハムが指名した。
今年のドラフトの注目点は、以下のとおりであった。
(1)甲子園で活躍した藤波投手の交渉権を獲得するのはどこか。
(2)神宮のエース・東浜投手の交渉権を獲得するのはどこか。
(3)昨年、日ハムの指名を拒否した菅野投手を読売以外の球団が指名するのかどうか。
(4)米国メジャーリーグ入りを希望する高校生・大谷投手を指名する球団があるのか。
クリーンな藤波、東浜に拍手
(1)及び(2)については、複数の球団が指名をし、抽選の結果、藤波が阪神、東浜がソフトバンクと、両者納得の結果を得たような気がする。ドラフト前に、どこの球団から指名されても交渉に応じる姿勢を明らかにしていた2人の人気者に拍手を送りたい。天は、善なる心を持つ者に祝福を与えるものだ。
ドラフト破り菅野を「祝福」するマスメディア
一方、(3)については、読売が単独指名で交渉権を獲得し、指名の挨拶に出向いた原監督が用意した背番号付(19番)の読売のユニフォームを菅野にきせるところがTVに報道された。まるで、入団会見のようだ。スポーツジャーナリズムのみならず、マスメディアまでもが、菅野の読売単独指名を祝福するような報道をしていたことに筆者は驚きを覚えた。
菅野の場合、単純に言って、ルール違反、“ドラフト破り”だ。菅野はドラフト前に読売以外の球団から指名を受ければ米国行きだと牽制までした。そんな菅野の頑なな姿勢を前にして、読売以外の球団も菅野指名を控えた。
▽アマチュア野球の建前さえも崩して、浪人・菅野を野球部に抱え込んだ東海大学、▽東海大学と読売の不健全な関係を疑問視もせず、伯父~甥の親族愛という虚構を盾にして、読売・菅野の強引な一本釣りを美談に歪曲したマスメディア、▽他球団を黙らせた読売――の3者は、ドラフトの健全な運営を妨害・阻害するルール違反者ではないのか。
日ハムのドラフト方針を媒介にドラフトを再考する
さて、浪人して1年間迂回して一本釣りという読売のドラフト戦略の犯罪性に対する糾弾はこのくらいにする。話題を転換して、日ハムの大谷指名を媒介にして、ドラフトというものを改めて考え直してみることにする。
筆者の推論では、日ハムは、日ハムを除くすべての日本のプロ野球関係者(プロ球団経営者、スポーツジャーナリズムはもちろんのこと、われわれファンを含めて)とはまったく位相を異にした視点でドラフトを位置づけているように思える。日ハムのドラフト戦略をみると、われわれのドラフト信仰の払拭を促しているにようにさえ思えてくる。
日ハム、菅野、大谷と2年連続で「強行」指名を敢行
日ハムは2011年ドラフト会議において、読売を“逆指名”していた菅野を「強行」指名し、今年は前出のとおり、米国球界入りを表明していた大谷を「強行」指名した。ここで“強行”に敢えてカギカッコを付けたのは、それがマスメディアの強い思い込みの表象であって、日ハムがドラフトについて遵法の精神で取り組んでいる、と、筆者は考えるが故だ。
前出のとおり、日ハムは昨年、菅野の指名権を得たものの、入団交渉に失敗している。そして、本年も大谷の指名権を獲得したものの、入団に至る可能性は極めて低い(と筆者は考える)。その根拠は、仮に大谷が日ハムの説得に応じて前言の米国行きを翻すようなことになれば、それこそ、“日ハムとの密約”と評されても仕方がないからだ。そんなリスクを負う愚者はいない。大谷が日ハムの交渉に応じることは不可能なのだ。となると、日ハムは2年続けて、ドラフト1位指名を無駄遣いしたことになる。2年連続して、1位指名を空振りすることを承知で、なぜ、日ハムは今年も大谷を指名したのか。この空振りは球団強化のマイナスではないのか。
プロ志望届を提出した、その年の一番の選手を指名する
日ハムのドラフトに係る方針は、栗山監督が明言しているように、その年の最も優秀なアマチュア選手(※日本の場合、ドラフトにかかる高校生・大学生・社会人が純粋なアマチュア選手だとは言えないのだが、とりあえず、表向き、野球を職業としていないという意味)を指名することだという。この方針がぶれることはないとのことだ。だから、アマチュア選手側が抱える思惑――たとえば、読売以外は入団交渉に応じないであるとか、米国野球界入りを希望する等の事前の意思表明――を、日ハムは無視する。
ドラフト制度は、プロ野球志望届を提出した者を指名することなのだから、たとえば、菅野、大谷がその届を出した以上、プロ球団側から指名を受ける立場にあり、ドラフト会議終了後、交渉権を得たプロ球団が志望届を出した者と交渉することは自然である。だから、マスメディアが特定の選手について、「強行」指名という表現を用いることのほうが誤りとなる。ドラフト制度が、選手と球団の事前の密約や、両者の特定の思惑に基づき運営されることを排除する以上、日ハムの指名は強行でもなんでもない。むしろ、菅野、大谷のほうが、プロ野球志望届を提出しながら、公正なドラフト制度に則らずに特定の思惑の下に行動した、もしくは行動しようとしている“違反者”と見なされるべきなのだ。しかるに、日本のマスメディアは、ドラフト制度に則り行動するプロ球団=日ハムの指名を「強行」と異状であるかのように表現し、日ハムを、不自然な行動をしている者と見なすよう、世間を誘導しようとしている。
1位指名の空振りは補強にとってマイナスか
客観的に見れば、日ハムのドラフト制度に対する方針と行動は筋が通っていて、公正であり、チーム強化のベストの方針であることは理解できる。だが、その結果として、日本のマスメディアに守られたルール違反者から交渉拒否を受け続け、1位指名権を無駄遣いすることのマイナス面はどうなのだろうか。2011年、2012年と2年連続の空振りが、球団弱体化につながるのかどうか。次にそのことを検証してみよう。
今の段階で、日ハムが2年連続で1位指名選手から袖にされたことがマイナスかどうかを判断することは困難だ。だが、日ハムのチーム力低下に直結する可能性がないとはいえない。というのも、たとえば、読売の場合、今季優勝した主力選手の入団履歴を調べてみると、1位指名の威力を無視することは難しい。
具体例を挙げておこう。高橋由伸野手の読売入団の経緯を『ウィキペディア』より以下、引用する。
内海哲也投手の場合、同じく『ウィキペディア』によると、ドラフトでは複数球団による1位指名での争奪戦が確実視されていたが、祖父の内海五十雄が巨人の野手だったこともあり、ドラフト直前に巨人以外からの指名は拒否することを表明した。そのため、2000年ドラフト会議では、巨人が単独で3位以降で指名することが想定されたが、オリックス・ブルーウェーブが1位指名した。指名直後に仰木彬から電話を受けるなどしたため、一時はオリックス入団に傾いたが、高校時代にバッテリーを組んでいた李景一が巨人から8位で指名されたことで再び拒否の姿勢を固め、最終的には東京ガスへ進んだ。2003年、3年越しの願いが叶って自由獲得枠で巨人に入団。自由枠制度というのは当時、ドラフト形骸化を画策した読売が創設させた制度でいまはない。内海は言うまでもなく、ドラフト破りで読売入団した前歴の持ち主である。
また、長野久義野手も日大卒業後の2006年ドラフトで日ハムの指名を拒否し、社会人野球Hondaに入団、2008年ドラフトではロッテの指名を拒否し、Hondaに残留。2009年ドラフトで読売が単独指名を果たし、読売に入団した、これまたドラフト破りの前歴をもつ。
沢村拓一投手は、2010年ドラフト前に「読売以外なら海外」と宣言して、読売の単独指名を勝ち取った、これまた、事実上のドラフト破り選手。主力選手のうち、まともにドラフト入団したのは、2006年の高校生ドラフトにて堂上直倫のハズレ1位で指名した坂本勇人野手くらい。
つまり読売の現在の主力選手構成について大雑把に言えば、▽読売主導によりドラフト制度を形骸化した「逆指名」「自由枠」で「合法的」に獲得した選手、▽事前の「読売以外ならば入団拒否」宣言により、単独指名で読売入団に成功した選手、▽FAで入団してきた選手、--で構成されていると言って過言でない。読売の今季リーグ制覇は、戦力的にみると、逆指名、自由枠入団のベテラン選手、事実上のドラフト破り選手、FA枠入団の選手による混成軍だと分析できる。
高橋、阿部、内海、長野、沢村と、ドラフト破りによる戦力補強の威力はすさまじい。だが逆に言えば、この先、高橋、阿部、内海が加齢により力の低下が確実に予測されるところから、読売が既存の保有の選手の底上げをしない限り、チーム力は落ちることは確実だ。ならば、日ハムの場合、1位指名を2年連続で、しかも、この先も含めて、指名拒否にあいつづけるというのは、相当の戦力ダウンに直結すると判断できるように思う。
アマチュアNO1を入団させなければ――という呪縛
日ハムのドラフト方針は前出のとおり、「アマチュアNO1選手を指名する」だが、読売のドラフト方針は、「アマチュアNO1選手を手段を択ばず入団させろ」だ。
これは一見同一に見えるがまったく逆のドラフト戦略だ。詳しいデータを無視して直感的に言えば、ドラフトとは、日ハムの場合、複数ある戦力アップ方策の1つなのだが、読売の場合、戦力アップの唯一・至上の手段なのだ。
近年、FA制度が創設されたため、読売の戦力アップはドラフトとFAの2つに増えたが、旧弊に依拠して読売はそれでも、ドラフトに全力投球なままなのだ。だから、読売はなりふりかまわず、マスメディアを使って世論誘導してまで、アマチュアNO1選手をとりにいく。過去においては、逆指名・自由枠の創設(その裏で破格の契約金提示)、それができなくなった近年では、入団拒否、浪人(社会人野球入団等を含む)による、単独指名による事実上のドラフト形骸化を敢行してまでもだ。
読売をはじめとして、球界はドラフト信仰から目覚めよ
ドラフト関連記事はよく売れる、というのがスポーツメディアの常識らしい。確かに、そこに人間ドラマがなくはない。希望と現実の隔たり、くじという偶然性による将来決定、人間関係(先輩、後輩、親族)、選手の夢、願望、欲望・・・それが錯綜するドラフト会議がつまらないものだとは言えまい。
しかし、プロ球団における戦力アップはドラフトによるアマチュアNO1の獲得に限られるものではない。もちろん、アマチュアNO1は逸材であろうし、マスメディアに騒がれるだけの知名度があり、――いや、マスメディアが祭り上げる虚像のNO1かもしれないのであり、マスメディアがつくりあげる知名度なのだが、――そうした逸材を補強することは人気商売のプロ球団には財産になることを否定しない。
しかし、繰り返しになるが、それだけが補強手段のすべてではない。日ハムは、2010年ドラフトにおいて「ハンカチ王子」を1位指名で獲得したものの、彼は今季、伸び悩んだ。来季以降、「ハンカチ王子」の巻き返しもなくはないのだろうが、アマチュアNO1すなわち甲子園、神宮等のスター選手が必ず戦力になるとは限らない。そうした知名度のあるスター以外にも、優れた選手はいる。新人に限ることもない。トレードもあれば、球団に余剰的資金があればFAもある。
それだけではない。筆者の直感では、日本の野球人口に比して、プロ球団12というチーム数は少なすぎる。二軍を含めた24球団でもしかり。だから、才能を発揮する前に契約解除に至る選手も多い。そうした人材を再発掘するトライアウトの広汎な活用も重要となる。チーム強化の方策の中のドラフトはその入口の1つの制度であり、優勝な選手の指名権を引き当てれば補強が完了したというものではない。
ドラフトに係った逸材を1位指名することにキュウキュウとし、▽広汎なリクルーティング、▽育成システムの強化、▽トレード、▽FA制度の活用、▽トライアウト、▽海外無名選手の発掘・・・そしてなによりも、既存戦力の底上げといった方策を怠れば、チーム力アップにつながらない。読売を筆頭とする日本の球団の多くが、なによりもマスメディア及びファンが、ドラフト信仰、ドラフト1位指名神話におかされている間は、ドラフト制度の健全な運営すらままならない。
日ハムのように育成をコンセプトとしたチーム運営を図る球団が日本に出現したことで、日本球界に希望が見いだせるようになった。読売が続けるドラフトに係る悪弊を取り除き、選手育成で球団経営を健全化させる生き方がしめされようとしている。FAで高額年俸の選手を退団させ、若い低額の年俸の選手で勝てば、球団経営は親会社に依存しなくても、自立できる可能性が高まる。ドラフトは契約金の上限が定められた球団からみれば合理的な制度だ。それを遵法に徹して使いこなすことが今後、日本球界の健全経営の方策の一つとなろう。
読売が頑なにドラフト信仰におかされ続けるのは勝手だが、少なくとも、スポーツジャーナリズム、マスメディア、野球ファンよ、ドラフト神話、1位指名信仰から目覚めたほうがいい。
日本シリーズは因縁の対決に
今年の日本シリーズは図らずも、読売VS日ハムの因縁の対決となった。このことは昨年のドラフトで菅野指名に絡んだものだけを意味しない。読売がドラフト信仰を頑なに持ち続け、アマNO1選手の指名=入団に手段を択ばない球団である一方、日ハムは、それを強化の一方策として相対化する球団だからだ。
また読売は、FAに積極的投資を惜しまないのだが、日ハムはダルビッシュをメジャーに売り飛ばしながら、既存戦力の底上げでリーグ優勝を果たした。かたや、潤沢な資金で選手漁りをするする読売、かたや、育成型で健全経営を目指す日ハム――どちらが日本一になるのか、興味は尽きない。
今年のドラフトの注目点は、以下のとおりであった。
(1)甲子園で活躍した藤波投手の交渉権を獲得するのはどこか。
(2)神宮のエース・東浜投手の交渉権を獲得するのはどこか。
(3)昨年、日ハムの指名を拒否した菅野投手を読売以外の球団が指名するのかどうか。
(4)米国メジャーリーグ入りを希望する高校生・大谷投手を指名する球団があるのか。
クリーンな藤波、東浜に拍手
(1)及び(2)については、複数の球団が指名をし、抽選の結果、藤波が阪神、東浜がソフトバンクと、両者納得の結果を得たような気がする。ドラフト前に、どこの球団から指名されても交渉に応じる姿勢を明らかにしていた2人の人気者に拍手を送りたい。天は、善なる心を持つ者に祝福を与えるものだ。
ドラフト破り菅野を「祝福」するマスメディア
一方、(3)については、読売が単独指名で交渉権を獲得し、指名の挨拶に出向いた原監督が用意した背番号付(19番)の読売のユニフォームを菅野にきせるところがTVに報道された。まるで、入団会見のようだ。スポーツジャーナリズムのみならず、マスメディアまでもが、菅野の読売単独指名を祝福するような報道をしていたことに筆者は驚きを覚えた。
菅野の場合、単純に言って、ルール違反、“ドラフト破り”だ。菅野はドラフト前に読売以外の球団から指名を受ければ米国行きだと牽制までした。そんな菅野の頑なな姿勢を前にして、読売以外の球団も菅野指名を控えた。
▽アマチュア野球の建前さえも崩して、浪人・菅野を野球部に抱え込んだ東海大学、▽東海大学と読売の不健全な関係を疑問視もせず、伯父~甥の親族愛という虚構を盾にして、読売・菅野の強引な一本釣りを美談に歪曲したマスメディア、▽他球団を黙らせた読売――の3者は、ドラフトの健全な運営を妨害・阻害するルール違反者ではないのか。
日ハムのドラフト方針を媒介にドラフトを再考する
さて、浪人して1年間迂回して一本釣りという読売のドラフト戦略の犯罪性に対する糾弾はこのくらいにする。話題を転換して、日ハムの大谷指名を媒介にして、ドラフトというものを改めて考え直してみることにする。
筆者の推論では、日ハムは、日ハムを除くすべての日本のプロ野球関係者(プロ球団経営者、スポーツジャーナリズムはもちろんのこと、われわれファンを含めて)とはまったく位相を異にした視点でドラフトを位置づけているように思える。日ハムのドラフト戦略をみると、われわれのドラフト信仰の払拭を促しているにようにさえ思えてくる。
日ハム、菅野、大谷と2年連続で「強行」指名を敢行
日ハムは2011年ドラフト会議において、読売を“逆指名”していた菅野を「強行」指名し、今年は前出のとおり、米国球界入りを表明していた大谷を「強行」指名した。ここで“強行”に敢えてカギカッコを付けたのは、それがマスメディアの強い思い込みの表象であって、日ハムがドラフトについて遵法の精神で取り組んでいる、と、筆者は考えるが故だ。
前出のとおり、日ハムは昨年、菅野の指名権を得たものの、入団交渉に失敗している。そして、本年も大谷の指名権を獲得したものの、入団に至る可能性は極めて低い(と筆者は考える)。その根拠は、仮に大谷が日ハムの説得に応じて前言の米国行きを翻すようなことになれば、それこそ、“日ハムとの密約”と評されても仕方がないからだ。そんなリスクを負う愚者はいない。大谷が日ハムの交渉に応じることは不可能なのだ。となると、日ハムは2年続けて、ドラフト1位指名を無駄遣いしたことになる。2年連続して、1位指名を空振りすることを承知で、なぜ、日ハムは今年も大谷を指名したのか。この空振りは球団強化のマイナスではないのか。
プロ志望届を提出した、その年の一番の選手を指名する
日ハムのドラフトに係る方針は、栗山監督が明言しているように、その年の最も優秀なアマチュア選手(※日本の場合、ドラフトにかかる高校生・大学生・社会人が純粋なアマチュア選手だとは言えないのだが、とりあえず、表向き、野球を職業としていないという意味)を指名することだという。この方針がぶれることはないとのことだ。だから、アマチュア選手側が抱える思惑――たとえば、読売以外は入団交渉に応じないであるとか、米国野球界入りを希望する等の事前の意思表明――を、日ハムは無視する。
ドラフト制度は、プロ野球志望届を提出した者を指名することなのだから、たとえば、菅野、大谷がその届を出した以上、プロ球団側から指名を受ける立場にあり、ドラフト会議終了後、交渉権を得たプロ球団が志望届を出した者と交渉することは自然である。だから、マスメディアが特定の選手について、「強行」指名という表現を用いることのほうが誤りとなる。ドラフト制度が、選手と球団の事前の密約や、両者の特定の思惑に基づき運営されることを排除する以上、日ハムの指名は強行でもなんでもない。むしろ、菅野、大谷のほうが、プロ野球志望届を提出しながら、公正なドラフト制度に則らずに特定の思惑の下に行動した、もしくは行動しようとしている“違反者”と見なされるべきなのだ。しかるに、日本のマスメディアは、ドラフト制度に則り行動するプロ球団=日ハムの指名を「強行」と異状であるかのように表現し、日ハムを、不自然な行動をしている者と見なすよう、世間を誘導しようとしている。
1位指名の空振りは補強にとってマイナスか
客観的に見れば、日ハムのドラフト制度に対する方針と行動は筋が通っていて、公正であり、チーム強化のベストの方針であることは理解できる。だが、その結果として、日本のマスメディアに守られたルール違反者から交渉拒否を受け続け、1位指名権を無駄遣いすることのマイナス面はどうなのだろうか。2011年、2012年と2年連続の空振りが、球団弱体化につながるのかどうか。次にそのことを検証してみよう。
今の段階で、日ハムが2年連続で1位指名選手から袖にされたことがマイナスかどうかを判断することは困難だ。だが、日ハムのチーム力低下に直結する可能性がないとはいえない。というのも、たとえば、読売の場合、今季優勝した主力選手の入団履歴を調べてみると、1位指名の威力を無視することは難しい。
具体例を挙げておこう。高橋由伸野手の読売入団の経緯を『ウィキペディア』より以下、引用する。
1997年ドラフトにおいて、中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズ、広島東洋カープを除く9球団の激しい争奪戦が繰り広げられる。高橋の出身地である千葉の千葉ロッテマリーンズファンが「高橋君にロッテへの逆指名入団を」と署名運動を繰り広げ、数万人の署名を集めたりもしたが、高橋本人は志望球団をヤクルトスワローズ、西武ライオンズ、読売ジャイアンツの3球団に絞る。ただ本人に「慶大野球部のように伸び伸びとしたチームがいい」との意向があったため、逆指名会見直前には読売新聞グループ傘下であるスポーツ報知を含めたいずれのマスコミも「ヤクルトスワローズに逆指名入団間違いなし」と報じていたが、本人の意思を超越した、周囲を巻き込みながらの壮絶な争奪戦が展開された結果、巨人を1位で逆指名入団する。会見では笑顔が一切見られず、目には涙を浮かべていたこともあり、巨人逆指名に至るまでの経過についても終始マスコミに取り沙汰されていた。2012年3月には朝日新聞の取材により入団時の契約金が最高標準額を大幅に超える6億5千万円であったことが発覚している。阿部慎之介捕手は、2000年ドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団した選手。逆指名制度は読売がドラフト形骸化を図って創設したもの。いまはもちろん廃止されている。
内海哲也投手の場合、同じく『ウィキペディア』によると、ドラフトでは複数球団による1位指名での争奪戦が確実視されていたが、祖父の内海五十雄が巨人の野手だったこともあり、ドラフト直前に巨人以外からの指名は拒否することを表明した。そのため、2000年ドラフト会議では、巨人が単独で3位以降で指名することが想定されたが、オリックス・ブルーウェーブが1位指名した。指名直後に仰木彬から電話を受けるなどしたため、一時はオリックス入団に傾いたが、高校時代にバッテリーを組んでいた李景一が巨人から8位で指名されたことで再び拒否の姿勢を固め、最終的には東京ガスへ進んだ。2003年、3年越しの願いが叶って自由獲得枠で巨人に入団。自由枠制度というのは当時、ドラフト形骸化を画策した読売が創設させた制度でいまはない。内海は言うまでもなく、ドラフト破りで読売入団した前歴の持ち主である。
また、長野久義野手も日大卒業後の2006年ドラフトで日ハムの指名を拒否し、社会人野球Hondaに入団、2008年ドラフトではロッテの指名を拒否し、Hondaに残留。2009年ドラフトで読売が単独指名を果たし、読売に入団した、これまたドラフト破りの前歴をもつ。
沢村拓一投手は、2010年ドラフト前に「読売以外なら海外」と宣言して、読売の単独指名を勝ち取った、これまた、事実上のドラフト破り選手。主力選手のうち、まともにドラフト入団したのは、2006年の高校生ドラフトにて堂上直倫のハズレ1位で指名した坂本勇人野手くらい。
つまり読売の現在の主力選手構成について大雑把に言えば、▽読売主導によりドラフト制度を形骸化した「逆指名」「自由枠」で「合法的」に獲得した選手、▽事前の「読売以外ならば入団拒否」宣言により、単独指名で読売入団に成功した選手、▽FAで入団してきた選手、--で構成されていると言って過言でない。読売の今季リーグ制覇は、戦力的にみると、逆指名、自由枠入団のベテラン選手、事実上のドラフト破り選手、FA枠入団の選手による混成軍だと分析できる。
高橋、阿部、内海、長野、沢村と、ドラフト破りによる戦力補強の威力はすさまじい。だが逆に言えば、この先、高橋、阿部、内海が加齢により力の低下が確実に予測されるところから、読売が既存の保有の選手の底上げをしない限り、チーム力は落ちることは確実だ。ならば、日ハムの場合、1位指名を2年連続で、しかも、この先も含めて、指名拒否にあいつづけるというのは、相当の戦力ダウンに直結すると判断できるように思う。
アマチュアNO1を入団させなければ――という呪縛
日ハムのドラフト方針は前出のとおり、「アマチュアNO1選手を指名する」だが、読売のドラフト方針は、「アマチュアNO1選手を手段を択ばず入団させろ」だ。
これは一見同一に見えるがまったく逆のドラフト戦略だ。詳しいデータを無視して直感的に言えば、ドラフトとは、日ハムの場合、複数ある戦力アップ方策の1つなのだが、読売の場合、戦力アップの唯一・至上の手段なのだ。
近年、FA制度が創設されたため、読売の戦力アップはドラフトとFAの2つに増えたが、旧弊に依拠して読売はそれでも、ドラフトに全力投球なままなのだ。だから、読売はなりふりかまわず、マスメディアを使って世論誘導してまで、アマチュアNO1選手をとりにいく。過去においては、逆指名・自由枠の創設(その裏で破格の契約金提示)、それができなくなった近年では、入団拒否、浪人(社会人野球入団等を含む)による、単独指名による事実上のドラフト形骸化を敢行してまでもだ。
読売をはじめとして、球界はドラフト信仰から目覚めよ
ドラフト関連記事はよく売れる、というのがスポーツメディアの常識らしい。確かに、そこに人間ドラマがなくはない。希望と現実の隔たり、くじという偶然性による将来決定、人間関係(先輩、後輩、親族)、選手の夢、願望、欲望・・・それが錯綜するドラフト会議がつまらないものだとは言えまい。
しかし、プロ球団における戦力アップはドラフトによるアマチュアNO1の獲得に限られるものではない。もちろん、アマチュアNO1は逸材であろうし、マスメディアに騒がれるだけの知名度があり、――いや、マスメディアが祭り上げる虚像のNO1かもしれないのであり、マスメディアがつくりあげる知名度なのだが、――そうした逸材を補強することは人気商売のプロ球団には財産になることを否定しない。
しかし、繰り返しになるが、それだけが補強手段のすべてではない。日ハムは、2010年ドラフトにおいて「ハンカチ王子」を1位指名で獲得したものの、彼は今季、伸び悩んだ。来季以降、「ハンカチ王子」の巻き返しもなくはないのだろうが、アマチュアNO1すなわち甲子園、神宮等のスター選手が必ず戦力になるとは限らない。そうした知名度のあるスター以外にも、優れた選手はいる。新人に限ることもない。トレードもあれば、球団に余剰的資金があればFAもある。
それだけではない。筆者の直感では、日本の野球人口に比して、プロ球団12というチーム数は少なすぎる。二軍を含めた24球団でもしかり。だから、才能を発揮する前に契約解除に至る選手も多い。そうした人材を再発掘するトライアウトの広汎な活用も重要となる。チーム強化の方策の中のドラフトはその入口の1つの制度であり、優勝な選手の指名権を引き当てれば補強が完了したというものではない。
ドラフトに係った逸材を1位指名することにキュウキュウとし、▽広汎なリクルーティング、▽育成システムの強化、▽トレード、▽FA制度の活用、▽トライアウト、▽海外無名選手の発掘・・・そしてなによりも、既存戦力の底上げといった方策を怠れば、チーム力アップにつながらない。読売を筆頭とする日本の球団の多くが、なによりもマスメディア及びファンが、ドラフト信仰、ドラフト1位指名神話におかされている間は、ドラフト制度の健全な運営すらままならない。
日ハムのように育成をコンセプトとしたチーム運営を図る球団が日本に出現したことで、日本球界に希望が見いだせるようになった。読売が続けるドラフトに係る悪弊を取り除き、選手育成で球団経営を健全化させる生き方がしめされようとしている。FAで高額年俸の選手を退団させ、若い低額の年俸の選手で勝てば、球団経営は親会社に依存しなくても、自立できる可能性が高まる。ドラフトは契約金の上限が定められた球団からみれば合理的な制度だ。それを遵法に徹して使いこなすことが今後、日本球界の健全経営の方策の一つとなろう。
読売が頑なにドラフト信仰におかされ続けるのは勝手だが、少なくとも、スポーツジャーナリズム、マスメディア、野球ファンよ、ドラフト神話、1位指名信仰から目覚めたほうがいい。
日本シリーズは因縁の対決に
今年の日本シリーズは図らずも、読売VS日ハムの因縁の対決となった。このことは昨年のドラフトで菅野指名に絡んだものだけを意味しない。読売がドラフト信仰を頑なに持ち続け、アマNO1選手の指名=入団に手段を択ばない球団である一方、日ハムは、それを強化の一方策として相対化する球団だからだ。
また読売は、FAに積極的投資を惜しまないのだが、日ハムはダルビッシュをメジャーに売り飛ばしながら、既存戦力の底上げでリーグ優勝を果たした。かたや、潤沢な資金で選手漁りをするする読売、かたや、育成型で健全経営を目指す日ハム――どちらが日本一になるのか、興味は尽きない。
2012年10月23日火曜日
橋下の朝日再攻撃は、自身と維新の会の断末魔のあがき
橋下大阪市長vs朝日新聞グループ(『週刊朝日」』及び『朝日新聞』。以下、「朝日」」と略記)の抗争は、「朝日」側が謝罪文を出し、週刊誌の連載を中止することを宣言して終息するかにみえた。ところが、22~23日のツイッタ―において、橋下が“「朝日」の謝罪の仕方が悪い”というような意味の発言で問題を蒸し返し、再び「朝日」攻撃に打って出た。
繰り返すが、『週刊朝日』が連載として掲載した記事内容については、これまで、橋下本人が自身の街頭演説などにおいて、「けっこう、けだらけ…」発言等として大筋で認めてきたもの。いまさら、誹謗中傷、人権等々で非難するにあたらない。それでも橋下は「朝日」に猛抗議し「朝日」に対し取材拒否宣言をした。これを受けた「朝日」側は謝罪声明を週刊誌及び新聞に掲載し、連載も中止した。
橋下がそれでも「朝日」を許そうとしなかった背景には、この間の「朝日」との一連の喧嘩が大衆の支持をそれほど受けていないことを地方遊説で実感したためではないか。TV報道によると、橋下が維新の会として行った最初の地方遊説の地・九州各所における彼の人気は、直前に訪れた小泉進次郎に遠く及ばなかったという。維新の会を支持する層は、地元大阪もしくは東京といった大都市居住の人びとで、理性的というよりも感情的に状況判断をするような層なのではないか。維新の会が掲げる「維新八策」といった政策は地方から支持される内容ではない。橋下が掲げる「小さな政府」「自助の精神」は、政府の補助金や公共事業で食いつないでいる地方においては理解されにくい。地方において後援会組織や労組をもたない維新の会が、国政で勢力拡大を図るための足場を築くのはそう簡単ではない。「地方」が維新の会のアキレス腱なのである。
「朝日」との抗争とその勝利がそれほど浸透していない現実を理解した橋下は、この問題が尻つぼみで終われば、賞味期限切れまで打つ手が何もない。橋下及び維新の会の政治生命を延命させるためには、「朝日」イビリで社会の関心を引っ張るしかない。橋下の「朝日」叩きは、彼と維新の会の断末魔のあがきとも言える。
繰り返すが、『週刊朝日』が連載として掲載した記事内容については、これまで、橋下本人が自身の街頭演説などにおいて、「けっこう、けだらけ…」発言等として大筋で認めてきたもの。いまさら、誹謗中傷、人権等々で非難するにあたらない。それでも橋下は「朝日」に猛抗議し「朝日」に対し取材拒否宣言をした。これを受けた「朝日」側は謝罪声明を週刊誌及び新聞に掲載し、連載も中止した。
橋下がそれでも「朝日」を許そうとしなかった背景には、この間の「朝日」との一連の喧嘩が大衆の支持をそれほど受けていないことを地方遊説で実感したためではないか。TV報道によると、橋下が維新の会として行った最初の地方遊説の地・九州各所における彼の人気は、直前に訪れた小泉進次郎に遠く及ばなかったという。維新の会を支持する層は、地元大阪もしくは東京といった大都市居住の人びとで、理性的というよりも感情的に状況判断をするような層なのではないか。維新の会が掲げる「維新八策」といった政策は地方から支持される内容ではない。橋下が掲げる「小さな政府」「自助の精神」は、政府の補助金や公共事業で食いつないでいる地方においては理解されにくい。地方において後援会組織や労組をもたない維新の会が、国政で勢力拡大を図るための足場を築くのはそう簡単ではない。「地方」が維新の会のアキレス腱なのである。
「朝日」との抗争とその勝利がそれほど浸透していない現実を理解した橋下は、この問題が尻つぼみで終われば、賞味期限切れまで打つ手が何もない。橋下及び維新の会の政治生命を延命させるためには、「朝日」イビリで社会の関心を引っ張るしかない。橋下の「朝日」叩きは、彼と維新の会の断末魔のあがきとも言える。
2012年10月21日日曜日
佐野眞一よ、沈黙せずに橋下に反撃せよ
橋下徹大阪市長(以下、肩書省略)は、朝日新聞出版が『週刊朝日』で連載を開始した「ハシシタ 奴の本性」の打ち切りを発表したことについて、19日夜、ツイッターに「これでノーサイド」と投稿した。これにて、橋下vs朝日の抗争は、橋下の全面勝利で終息した。
あっという間の事態終息である。拍子抜け、朝日側の覚悟の無さが情けない。橋下に対し、手段を問わず追い込むつもりなら、もっと書けと言いたくなる。こんな根性なしの週刊誌・『週刊朝日』は廃刊がふさわしい。所詮は親会社朝日新聞の子会社、新聞社の余剰人材の受け入れ先に過ぎないことが露呈した。
橋下と「朝日」の抗争は表面上終息したのだが、問題は残されている。連載の主筆であるノンフィクション作家の佐野眞一の立場である。佐野の作家としての評価はこの場では論じない。それはともかくとして、この連載を進めるに当たり、取材、表現の方向性を決めたのが佐野である可能性が高い。少なくとも佐野は、橋下側からの反論、同和問題について発生する紛争については覚悟していたはずである。覚悟のうえの取材と連載だったはずである。もちろん、連載のタイトルや「DNA」等の表現は週刊誌の編集者が考えたのであろうが、橋下の家系、親族を洗い出し、その周辺情報を取材し、そのことをもって橋下の政治手法を批判するという連載のコンセプトは、そのことが正しいかどうかは別として、佐野が主導した可能性が高い。ならば、作家・佐野眞一は沈黙してはならない。連載の主筆として、橋下の攻撃に反撃する義務がある。
「ノンフィクション」といえども、それはあくまでも虚構であり、創作である。現存する著名人の実名を使用しながら、そこに作家が想像やイメージを加えることにより、実像以上の人間性・人間力・ドラマ性を描くことで小説として成立する。この連載が“ハシシタ”として開始されたのは、そのことにより、読む側に小説=虚構性を暗示したとも考えられる。
この手の作品で有名なのが、『三島由紀夫-剣と寒紅』(福島次郎[著])ではないか。本題がしめす通り、この作品は三島由紀夫を実名にした小説で、作者の福島は自称“三島の恋人”である。福島は作品内に三島との同性愛の交情シーンを赤裸々に描いている。そのことで、三島の家族から抗議を受けた。福島が三島の「恋人」だったのかどうかは詳らかではない。がともかく、そのことは三島の研究者に譲るとして、この手の小説が世に刊行されることは珍しいことではない。
また、次元は異なるが、中上健二は自らの出自を路地(同和地区)として明らかにして、小説を書き続けた。そのことが彼の作品に翳りを与え、読む側にロマン主義的インパクトを与えたことも否定できない。 しかしながら、虚構性を全面的に出した小説という形式ならば、換言すれば、佐野が橋下を素材にした小説を書くのならば、『週刊朝日』という媒体の連載という形式は適当ではない。週刊誌は新聞に準ずるメディアであり、こうしたメディアの場合、小説は「新聞小説」「週刊誌小説」として記事とは明確に分離されて扱われるのが既存のルールであるからである。このたびの『週刊朝日』の連載は小説扱いではなく、情報として、NEWSとして、もしくは政治的キャンペーンとして扱われているのである。
朝日に完全勝利した橋下は、前出のとおり、ツイッターに勝利宣言(ノーダイド)し、自らが率いる維新の会の全国遊説に出かけて行った。結局のところ、「朝日」の“ハシシタネガティブキャンペーン”は、先の当コラムに書いたように、これまた、橋下応援歌で終わってしまった。橋下の朝日に対する完全勝利は、橋下及び維新の会の政策の良否とは関わりなく、その支持率を上げることだろう。橋下及び維新の会の台頭を危惧する筆者としては誠に残念な結果である。
あっという間の事態終息である。拍子抜け、朝日側の覚悟の無さが情けない。橋下に対し、手段を問わず追い込むつもりなら、もっと書けと言いたくなる。こんな根性なしの週刊誌・『週刊朝日』は廃刊がふさわしい。所詮は親会社朝日新聞の子会社、新聞社の余剰人材の受け入れ先に過ぎないことが露呈した。
橋下と「朝日」の抗争は表面上終息したのだが、問題は残されている。連載の主筆であるノンフィクション作家の佐野眞一の立場である。佐野の作家としての評価はこの場では論じない。それはともかくとして、この連載を進めるに当たり、取材、表現の方向性を決めたのが佐野である可能性が高い。少なくとも佐野は、橋下側からの反論、同和問題について発生する紛争については覚悟していたはずである。覚悟のうえの取材と連載だったはずである。もちろん、連載のタイトルや「DNA」等の表現は週刊誌の編集者が考えたのであろうが、橋下の家系、親族を洗い出し、その周辺情報を取材し、そのことをもって橋下の政治手法を批判するという連載のコンセプトは、そのことが正しいかどうかは別として、佐野が主導した可能性が高い。ならば、作家・佐野眞一は沈黙してはならない。連載の主筆として、橋下の攻撃に反撃する義務がある。
「ノンフィクション」といえども、それはあくまでも虚構であり、創作である。現存する著名人の実名を使用しながら、そこに作家が想像やイメージを加えることにより、実像以上の人間性・人間力・ドラマ性を描くことで小説として成立する。この連載が“ハシシタ”として開始されたのは、そのことにより、読む側に小説=虚構性を暗示したとも考えられる。
この手の作品で有名なのが、『三島由紀夫-剣と寒紅』(福島次郎[著])ではないか。本題がしめす通り、この作品は三島由紀夫を実名にした小説で、作者の福島は自称“三島の恋人”である。福島は作品内に三島との同性愛の交情シーンを赤裸々に描いている。そのことで、三島の家族から抗議を受けた。福島が三島の「恋人」だったのかどうかは詳らかではない。がともかく、そのことは三島の研究者に譲るとして、この手の小説が世に刊行されることは珍しいことではない。
また、次元は異なるが、中上健二は自らの出自を路地(同和地区)として明らかにして、小説を書き続けた。そのことが彼の作品に翳りを与え、読む側にロマン主義的インパクトを与えたことも否定できない。 しかしながら、虚構性を全面的に出した小説という形式ならば、換言すれば、佐野が橋下を素材にした小説を書くのならば、『週刊朝日』という媒体の連載という形式は適当ではない。週刊誌は新聞に準ずるメディアであり、こうしたメディアの場合、小説は「新聞小説」「週刊誌小説」として記事とは明確に分離されて扱われるのが既存のルールであるからである。このたびの『週刊朝日』の連載は小説扱いではなく、情報として、NEWSとして、もしくは政治的キャンペーンとして扱われているのである。
朝日に完全勝利した橋下は、前出のとおり、ツイッターに勝利宣言(ノーダイド)し、自らが率いる維新の会の全国遊説に出かけて行った。結局のところ、「朝日」の“ハシシタネガティブキャンペーン”は、先の当コラムに書いたように、これまた、橋下応援歌で終わってしまった。橋下の朝日に対する完全勝利は、橋下及び維新の会の政策の良否とは関わりなく、その支持率を上げることだろう。橋下及び維新の会の台頭を危惧する筆者としては誠に残念な結果である。
2012年10月19日金曜日
橋下vs朝日 その抗争の核心
このたび突如勃発した橋下大阪市長(以下、肩書略)と『週刊朝日』の抗争については、幾つかの重要な問題が複層的に内在しているのでまずもって、それを整理しておこう。問題点は次のとおりである。
(一)なぜ、橋下が『週刊朝日』に噛みついたのか
(二)『週刊朝日』の記事による橋下攻撃は正当か
(三)マスコミ報道では洗い出せない橋下の本質について
以下、それぞれについて論じる。
なぜ、橋下は朝日に噛みついたのか
橋下が『週刊朝日』の記事にこの時期、噛みついた理由は、橋下が率いる日本維新の会の凋落傾向に歯止めをかけるためである。というのも、このたび『週刊朝日』が報じた内容は、大筋において、橋下自身が自らの演説で触れていたりして、すでに本人が認めているものであり、しかも、他の週刊誌、ネット等が報道したものばかりだからである。目新しい情報はない。
もちろん、『週刊朝日』の表現(見出し、レイアウトデザイン等を含めた)はどぎついものがあり、インパクトがなくはない。橋下批判としては、内容・表現においてきわめて品がない。橋下も品がないが、『週刊朝日』はそれよりも下劣である。そうであっても、報道の内容(情報の質)においては、橋下が許容できない範囲ではなかった。にもかかわらず、彼が大声でこの週刊誌に噛みついたのは、相手が「文春」や「新潮」ではなく、「朝日」であったからである。これ幸いとばかり、橋下は「朝日」に噛みついた。彼一流のパフォーマンスである。
橋下の手法は、既存政党、公務員、大手組合、大学教授・左翼等知識人、大手メディア(なかんずく『朝日新聞』)、大企業といった既存の権威を罵倒し批判することで、下積みの庶民の支持を獲得するというもの。この手法は、ナチス(ヒトラー)と同一である。ヒトラーも、知識人・労働組合(共産主義者・社会民主主義者)、大新聞、金融業者等を激しく攻撃し、それらを「ユダヤ人」という幻想に集約して大衆をまとめあげた。橋下も同じように、「朝日」という「高級ブランド」を相手にそれを攻撃し、大衆の支持を得ようとしている。
橋下にとってこのたびの『週刊朝日』のどぎつい橋下攻撃は、支持率低下からの反撃の好材料にほかならなかった。このことで、売上の心もとない『週刊朝日』の販売冊数が上がり、併せて、橋下=維新の会の支持率が上がれば、被害者はいないどころか、双方に益が出るというもの。
『週刊朝日』の報道の正当性
このたびの『週刊朝日』に限らず、『週刊文春』等が行ってきた橋下批判の手法は誤りであるばかりか、やってはいけないことである。橋下の父親や親族が同和系暴力団であった等のその出自に触れることで彼を攻撃することは、ましてや、DNAを持ち出すこと等は、橋下が批判したとおり、血脈主義、人種決定論と変わりない。大雑把に言えば、父親・親族に殺人犯がいれば、その子供は殺人犯になる――という論理に近い。「DNA」が人格を決定するという論理に科学的根拠がない。
そればかりではない。現行のマスメディアのルールでは、同和地区を特定するような記述は行わないのが一般的である。『週刊朝日』はそのルールにも反している。朝日側が謝罪文を出したそうだが、朝日新聞出版及び100%出資の朝日新聞の役員・社員は糾弾されてしかるべきであり、彼らには厳しい同和教育が必要である。
橋下の本質
このたびの『週刊朝日』に限らず、大新聞系、大手出版社系を問わず、複数の週刊誌が依拠している橋下批判の方法論は、彼の出自を表に出すことで彼の「危険性」を強調しようとするもの。暴力団、同和、両親の離婚、アウトサイダーに属する親族たち・・・と。
しかし、橋下というのは、以前、当該コラム(7.22)にて橋下を批判したところでも明らかにしたように、そうした劣悪な環境を自身が克服したところに根拠を置いているのであって、それを隠そうとするところにあるのではない。どころか、彼の出自の複雑さ、暗さを「売り」にしているのである。
橋下は、その劣悪な環境(母子家庭、貧困、同和地区、犯罪歴をもつ親族)を克服して今日の地位に登り詰め、更に上(総理大臣)を目指そうというのである。ならば、彼の出自が暗くおどろおどろしく、かつ、複雑極まりなく、犯罪や暴力団や同和の影がちらつけばちらつくほど、その暗部が深ければ深いほど、しかもそのことを大手メディアが報道すればするほど、大衆はそこにロマンを抱き、ロマン主義的英雄像を浮き彫りにするのである。
橋下による自身の「売り込み戦略」とは、貧困や犯罪に彩られた複雑な出自を伴いつつ、それを乗り越えて法律という正義を操る者=弁護士(※法律が正義か弁護士が正義を操るかは議論の余地があるが)になり、さらに政治家を目指し、成功しつつある――という自画像を大衆に安売りすることにある。
彼を支持する層は、いまの日本の社会・経済情勢において疎外された(=下層に甘んじ、もちろん、弁護士や政治家になれなかった)人々が主流であり、橋下が敵視する管理者(既存政党、公務員、大手組合=正規社員、大手メディア、学者・知識人・・・)に対してとる攻撃的姿勢、品のない罵詈雑言に拍手を送る者にほかならない。橋下の支持層は、管理者=エスタブリッシュメントと相反する人々である。彼らにとって橋下は、エスタブリッシュメントを出自としない“俺たちの仲間”なのである。
だから、再三述べるとおり、これまで、『週刊文春』等の大手出版社系週刊誌が行ってきた彼の“恵まれない境遇”を暴く「橋下批判」は、橋下の応援歌にすぎなかった。
このたびの『週刊朝日』も同様であるが、ただ一点異なっているのは、前出のとおり、彼の見かけ上の「天敵」である“朝日ブランド”が仕掛けてくれた「橋下」批判であり、賞味期限切れの彼と維新の会にとっては、朝日の仕掛けこそがビッグチャンスの到来だったのである。橋下がこの機を逃すはずがない。
シンプルにいえば、橋下の出自に基づいた批判はよろしくない。朝日も文春も新潮も含め、この手の批判はやめたほうがいい。だからといって、橋下の政治手法については断固として批判・批評を緩めてはならない。彼は危険な思想をもった政治家であることに変わりないからである。
(一)なぜ、橋下が『週刊朝日』に噛みついたのか
(二)『週刊朝日』の記事による橋下攻撃は正当か
(三)マスコミ報道では洗い出せない橋下の本質について
以下、それぞれについて論じる。
なぜ、橋下は朝日に噛みついたのか
橋下が『週刊朝日』の記事にこの時期、噛みついた理由は、橋下が率いる日本維新の会の凋落傾向に歯止めをかけるためである。というのも、このたび『週刊朝日』が報じた内容は、大筋において、橋下自身が自らの演説で触れていたりして、すでに本人が認めているものであり、しかも、他の週刊誌、ネット等が報道したものばかりだからである。目新しい情報はない。
もちろん、『週刊朝日』の表現(見出し、レイアウトデザイン等を含めた)はどぎついものがあり、インパクトがなくはない。橋下批判としては、内容・表現においてきわめて品がない。橋下も品がないが、『週刊朝日』はそれよりも下劣である。そうであっても、報道の内容(情報の質)においては、橋下が許容できない範囲ではなかった。にもかかわらず、彼が大声でこの週刊誌に噛みついたのは、相手が「文春」や「新潮」ではなく、「朝日」であったからである。これ幸いとばかり、橋下は「朝日」に噛みついた。彼一流のパフォーマンスである。
橋下の手法は、既存政党、公務員、大手組合、大学教授・左翼等知識人、大手メディア(なかんずく『朝日新聞』)、大企業といった既存の権威を罵倒し批判することで、下積みの庶民の支持を獲得するというもの。この手法は、ナチス(ヒトラー)と同一である。ヒトラーも、知識人・労働組合(共産主義者・社会民主主義者)、大新聞、金融業者等を激しく攻撃し、それらを「ユダヤ人」という幻想に集約して大衆をまとめあげた。橋下も同じように、「朝日」という「高級ブランド」を相手にそれを攻撃し、大衆の支持を得ようとしている。
橋下にとってこのたびの『週刊朝日』のどぎつい橋下攻撃は、支持率低下からの反撃の好材料にほかならなかった。このことで、売上の心もとない『週刊朝日』の販売冊数が上がり、併せて、橋下=維新の会の支持率が上がれば、被害者はいないどころか、双方に益が出るというもの。
『週刊朝日』の報道の正当性
このたびの『週刊朝日』に限らず、『週刊文春』等が行ってきた橋下批判の手法は誤りであるばかりか、やってはいけないことである。橋下の父親や親族が同和系暴力団であった等のその出自に触れることで彼を攻撃することは、ましてや、DNAを持ち出すこと等は、橋下が批判したとおり、血脈主義、人種決定論と変わりない。大雑把に言えば、父親・親族に殺人犯がいれば、その子供は殺人犯になる――という論理に近い。「DNA」が人格を決定するという論理に科学的根拠がない。
そればかりではない。現行のマスメディアのルールでは、同和地区を特定するような記述は行わないのが一般的である。『週刊朝日』はそのルールにも反している。朝日側が謝罪文を出したそうだが、朝日新聞出版及び100%出資の朝日新聞の役員・社員は糾弾されてしかるべきであり、彼らには厳しい同和教育が必要である。
橋下の本質
このたびの『週刊朝日』に限らず、大新聞系、大手出版社系を問わず、複数の週刊誌が依拠している橋下批判の方法論は、彼の出自を表に出すことで彼の「危険性」を強調しようとするもの。暴力団、同和、両親の離婚、アウトサイダーに属する親族たち・・・と。
しかし、橋下というのは、以前、当該コラム(7.22)にて橋下を批判したところでも明らかにしたように、そうした劣悪な環境を自身が克服したところに根拠を置いているのであって、それを隠そうとするところにあるのではない。どころか、彼の出自の複雑さ、暗さを「売り」にしているのである。
橋下は、その劣悪な環境(母子家庭、貧困、同和地区、犯罪歴をもつ親族)を克服して今日の地位に登り詰め、更に上(総理大臣)を目指そうというのである。ならば、彼の出自が暗くおどろおどろしく、かつ、複雑極まりなく、犯罪や暴力団や同和の影がちらつけばちらつくほど、その暗部が深ければ深いほど、しかもそのことを大手メディアが報道すればするほど、大衆はそこにロマンを抱き、ロマン主義的英雄像を浮き彫りにするのである。
橋下による自身の「売り込み戦略」とは、貧困や犯罪に彩られた複雑な出自を伴いつつ、それを乗り越えて法律という正義を操る者=弁護士(※法律が正義か弁護士が正義を操るかは議論の余地があるが)になり、さらに政治家を目指し、成功しつつある――という自画像を大衆に安売りすることにある。
彼を支持する層は、いまの日本の社会・経済情勢において疎外された(=下層に甘んじ、もちろん、弁護士や政治家になれなかった)人々が主流であり、橋下が敵視する管理者(既存政党、公務員、大手組合=正規社員、大手メディア、学者・知識人・・・)に対してとる攻撃的姿勢、品のない罵詈雑言に拍手を送る者にほかならない。橋下の支持層は、管理者=エスタブリッシュメントと相反する人々である。彼らにとって橋下は、エスタブリッシュメントを出自としない“俺たちの仲間”なのである。
だから、再三述べるとおり、これまで、『週刊文春』等の大手出版社系週刊誌が行ってきた彼の“恵まれない境遇”を暴く「橋下批判」は、橋下の応援歌にすぎなかった。
このたびの『週刊朝日』も同様であるが、ただ一点異なっているのは、前出のとおり、彼の見かけ上の「天敵」である“朝日ブランド”が仕掛けてくれた「橋下」批判であり、賞味期限切れの彼と維新の会にとっては、朝日の仕掛けこそがビッグチャンスの到来だったのである。橋下がこの機を逃すはずがない。
シンプルにいえば、橋下の出自に基づいた批判はよろしくない。朝日も文春も新潮も含め、この手の批判はやめたほうがいい。だからといって、橋下の政治手法については断固として批判・批評を緩めてはならない。彼は危険な思想をもった政治家であることに変わりないからである。
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