本書副題に「異形の~」とあるが、筆者はアベノミクスを異業と称するより、「異常な」もしくは「狂気の」としたほうがよいと思っている。もちろん、アベノミクスは現時点(2018/06/24)において失敗したと判断している。その理由等は、直前の拙Blogの書評を通じて書いたので繰り返さない。
アベノミクスに係るファクトの集積
本書について、著者(軽部謙介)が「はじめに」において“この報告(本書のこと※筆者註)はアベノミクスへの評価を真正面から論じていない…したがって賛成か反対かの評論を期待している読者は肩透かしを食うだろう。(Pⅱ)と記している。ではなにを主眼にしているのかというと、“この時代に生きたジャーナリストとして、「何があったのか」というファクトの集積を記録しようと試みた”ものだという。
要するに、安倍晋三という政治家が権力を掌握したことを受け、安倍の周辺に位置する者たちの蠢きを記録した書であると別言できる。周辺に位置する者とは、リフレ派経済学者、中央官庁、日銀、自民党国会議員だ。
アベノミクスはリフレ派の経済理論の盲目的実践
アベノミクスが安倍自身の発案なのか彼のブレーンによるものなのかはわからない。だが、安倍がリフレ派とよばれる経済学者が提唱するデフレ脱却策に強い影響を受けたことだけは疑いようがない。リフレ派とは、デフレはマネーの現象だという米国シカゴ学派の経済学者、ミルトン・フリードマンに追随する経済学者グループの呼称だ。大雑把にいえばマネーを大量に市場に流せばデフレは解消されるという論理。
民主党から政権を奪って発足した安部政権は、その主たる政策を、▽金融政策(第一の矢)、▽財政政策、▽規制緩和(第三の矢)の「三本の矢」とネーミングして、日本再生のスローガンとしたことは既知のとおりだ。
アベノミクス推進官僚は日本の「アイヒマン」
本書は、(1)民主党政権末期から始まった安倍の政策づくり、(2)安倍政権誕生=アベノミクスの誕生、(3)異次元緩和とGPIF改革――までが記されている。民主党政権の末期、自民党に政権が移行することを見越した省庁(経済産業省、財務省、官邸=内閣府、日本銀行、厚生労働省年金局等)の動きから、安倍政権の代名詞ともいえるアベノミクスが走り出すまでの動きを事細かに追ったもの。官僚と呼ばれる中央官庁の国家公務員が政治(家)と巧みにリンクしながら省益及びその権力拡大を追求する姿ともいえる。それはあくまでも「動き」であって、「思考」「論理」のプロセスではない。
政権周辺(霞が関)において、国家公務員がアベノミクスの中身について真剣に議論した様子がうかがえない。それなりの議論が交わされたのかもしれないが、彼らの思考・行動原理はアベノミクスを所与の政策として容認しつつ、それを通じて省益の実現をいかに図るかに注力しているようにしかみえない。
民主党政権下で疎んじられていた官僚が安倍政権誕生によって息を吹き返し、彼らなりに“生きがい”“仕事”を見出し、新政権に忠誠を尽くそうとしたとも受け止められる。そのうえで省益確保、権限増大を謀ったのだ。そんな官僚の姿を描写したこんな記述もある。
26日の組閣、27日の各省官房長会議などを通じて、霞が関官僚たちは安倍政権の本気度、仕事の速さを感じた。もともと自民党とは親和性が高いだけに、真面目な官僚たちの中には日本経済を立て直せるかもしれないと内心の昂ぶりを感じた者も少なくなかった。(P117)
中味を問うことなく、政権に忠誠を誓って全力を注ぐ21世紀の日本の官僚(の怖さ)は、アジア太平洋戦争(総力戦)を所与のものとして突き進んだ戦前の軍人・官僚に通じる。また、第二次大戦中、ナチスの将校たちがユダヤ人虐殺の意味を問うことなく、虐殺の合理的推進に注力した姿とも重なる。
ハンナ・アーレントはその著書『イエルサレムのアイヒマン』のなかで次のように書いている。“彼(アイヒマン)は愚かではなかった。完全な無思想性―――これは愚かさとは決して同じではない―――、それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。このことが〈陳腐〉であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してもアイヒマンから悪魔的な底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない”と。
財務省、経産省、官邸(内閣府)のせめぎ合いは、わが国の戦前に起きた昭和維新における皇統派と統制派の暗闘を彷彿とさせる。日本の官僚の無思想性がアベノミクスに群がり、日本を亡ぼす。
アベノミクスが当初掲げたデフレ脱却目標=2年以内に物価上昇率2%達成は、先述のとおり達成されていない。海外の複数の先進国が金融緩和からその出口にむけて準備を進めているに反し、わが国だけはいまだ、「異次元緩和」を続けている。
株価はGPIFの介入及び日銀のETF買い(第三の矢)により高値を維持している。しかしその内実については、本書において次のように記されている。
“初期の円安を演出したのはたしかに政策的効果だろう。それで株価が上昇したが、誰が株を買っていたのか。明らかに外国人機関投資家だ。外資の買い越しで上がった。しかし、彼らは必ず売り抜ける。そのときに買い支える人が必要になる。それを官邸にささやく人がいたのだろう――。
つまりGPIFは外資が売ろうとしていた日本株を買い支える役割を負わされる。アベノミクスを支えるために公的年金が材料にされるというわけだ。
GPIF改革は結局株価を上げたいからだろう――。
「国民の貴重な財産をばくちに使おうというのか」…(P218)
アベノミクス犯罪者リスト
アベノミクスから撤退すれば株価大暴落がみえている。出口なし。リフレ派の単純なデフレ脱却理論に飛びついてマネーを大量に市場に流しつつ、GPIFや日銀をつかって株式市場を操作してつくりだした偽りの「景気回復」。アベノミクスは近々に破綻し、生活者を奈落の底に突き落とすだろう。そのとき、本書に書き記された国家公務員、学者、政治家等の名前は、犯罪記録に等しく後世に受け継がれる。本書の価値はその一点に尽きる。