2011年11月28日月曜日
2011年11月18日金曜日
「巨人軍」崩壊こそが日本プロ野球近代化の一里塚
読売ジャイアンツの清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM=61)が、渡辺恒雄球団会長(85)を「コンプライアンス(法令順守)違反」「球団を私物化」と会見して批判した。その後、渡辺会長が、反論する談話を発表。さらに清武代表兼GMが再反論を発表し、両者泥仕合の様相を呈している。ところが、日本シリーズ開幕中の騒動ということで、当事者の読売に非難が集中しはじめ、清武GM、渡辺会長の双方が自制、本件は一時沈静化したものの、11月18日、読売球団が清武GMの解任を発表し、騒動が再燃しようとしている。
◎清武GMの渡辺会長批判はピント外れ
筆者は菅野ドラフト指名問題について「コンプライアンス違反」という観点から読売及び東海大学野球部(原貢顧問)を批判してきた。ちょうどそのとき、読売内部から、コンプライアンス違反の告発が出てきたことに驚きを覚えた。
泥仕合の外形は、成功体験にしがみつく老いたトップ(渡辺会長)と、それに反発する頭でっかちの若手管理職との対立のようにみえる。これまで、読売グループ内部には、頑迷で権力をもった老トップを諌めるような気骨ある者は皆無だったのだが、ちょっと経営学をかじった次世代管理職が蛮勇をふるって、老トップに反旗を翻したのか。告発の大義は、いま世間がもっとも関心を寄せる「コンプライアンス(法令順守)」という言葉。「コンプライアンス違反」だと主張すれば、老いぼれトップを蹴落とせる、そうすれば、巨人球団の、次は読売新聞の・・・トップに、と、思ったかどうかはわからない。
しかし、清武GM側が主張するところの渡辺会長の「コンプライアンス違反」という指摘は見当違い。記者会見を開いて告発するに値しない。本件は、評論家諸氏が指摘するように、読売内部のガバナンス(企業統治力)の崩壊であって、司法や第三者委員会等が介入するようなコンプライアンス違反の問題ではない。
それでも、清武GMの記者会見は、一点突破全面展開の決意が滲み出ていた。笑えるのは、前出のとおり、その大義がピント外れのこと。さはさりながら、筆者は本件について、読売ジャイアンツの崩壊を象徴する出来事と解釈し、日本プロ野球の改革の端緒だという意味で、清武GMによる自爆的渡辺会長批判を支持したい。
◎新聞、テレビを武器に権力を乱用するナベツネ(渡辺恒雄)
報道にあるとおり、告発された渡辺会長は、読売巨人軍の球団の会長だが、球団の代表権はない。しかし、球団の親会社・読売新聞社の社主、すなわち、読売グループの事実上のトップである。子会社である球団代表にすぎない清武GMとは格が違う。読売新聞といえば、創業者正力松太郎が戦後、米国CIAのエージェントを務めていたことがよく知られている。今日でも、読売新聞の論調は、米国の利益を誘導するものと理解されている。
米国CIAの後ろ盾がなくとも、同紙は日本最大の発行部数を誇り、そのうえ、テレビ局もその傘下においている巨大メディア。そんな第4の権力に好んで敵対しようと思う者は少ない。そのため、そのトップ・渡辺会長は、日本の政治家等に強い影響力をもっているといわれている。しかも、彼はプロ野球に関心が強く、これまで、日本プロ野球に強い影響力を行使してきた。圧倒的な巨人軍人気を背景としてセリーグ5球団は、事実上、渡辺の支配下にあった。パリーグには直接影響力は及ばないものの、前出のとおり、全国紙及びTVキー局を有する巨大メディア業の読売を好んで敵に回す者はいない。メディア業界のライバルである朝日新聞、毎日新聞は読売に対して一見辛口の批評をするものの、同業者を叩かないという日本の業界常識に則り、読売に対して本質的批判を加えてこなかった。朝日・毎日等に限らず、マスメディアを本質的に批判する者は、この日本国には存在しない。
◎巨人軍は読売新聞の拡販手段
渡辺会長が構想するプロ野球ビジネスは、日本プロ野球の生みの親・正力松太郎がつくりあげたビジネスモデルを引き継ぐもの。その正体は、新聞の拡販の道具としてプロ野球を利用することだった。正力がつくりあげた日本のプロ野球とは、球界の盟主として強い巨人軍を君臨させ、巨人軍が勝ち続けることで全国に巨人ファンを量産することだった。常勝巨人軍が巨人ファンを増大させ、その挙句、読売新聞及び報知新聞の販売拡大が成就する。一昔前まで、読売新聞の定期購読契約の切り札は、入手困難といわれる巨人戦チケットだったことはよく知られている。さらに、テレビの普及とともに、放映権ビジネスが巨額の富を読売グループにもたらした。巨人軍を除くセリーグ5球団は、巨人人気を高める付属物にすぎない。野球は相手がなければ成立しない娯楽だから。
渡辺会長ほど、日本プロ野球を愛する者はいない――と称賛されることがある。だが、渡辺が愛したのは、巨人一極集中という、正力がつくりあげた歪んだプロ野球にすぎない。その証拠に、日本プロ野球において、渡辺は巨人弱体化に直結する制度・ルールには終始反対の姿勢を貫いた。その代表がドラフト制度で、その事例として、「空白の一日・江川事件」を挙げれば十分だろう。江川問題で世間の顰蹙を買った読売はその後、自由枠制度の創設などでドラフト制度に反発を続けた。自由枠制度も批判にさらされると、談合に近い逆指名=単独指名により、何人もの優秀なアマチュア選手を巨人に入団させてきた。それが揺らいだのが、今年のドラフトにおける日ハムによる菅野指名だった。そういう意味で、日本プロ野球――読売巨人軍一極集中の日本プロ野球界にコンプライアンスはない。このたびの清武GMの渡辺会長批判=「清武の乱」が、読売主導の日本プロ野球界全体を「コンプライアンス違反」として告発したのならば、それは意義ある志高い行動だと評価できるのだが、今回はそれとかけ離れた読売内部のコーチ人事に係る告発だったことが残念である。
◎「清武の乱」を日本プロ野球近代化の第一歩に
「清武の乱」について、評価できる点を挙げておこう。その第一は、GM制度とは何かの問題提起である。清武GMが本来のGM業務を全うしていたかどうかは別として、会長がチーム人事を直接行うのであれば、GM職は不要である。だから、巨人球団の代表権をもたない会長職にある渡辺は、巨人球団の取締役会等を開催し、清武のGM業務の評価を行うことが先決だった。その場において、巨人軍の2011年シーズンを検証し、清武をGM職にとどめ置くのか否かを決定し、GM職を継続させるのであれば、①清武の2012シーズンの構想の提出をまち、それを承認するかどうかを機関決定する方向、②清武に2012シーズンを一任する方向――の択一を機関決定すべきだった。
筆者の想像では、渡辺にはいずれの選択肢も思い浮かぶはずもなく、“俺が決める”として、「岡崎ヘッドコーチ解任」「江川助監督」を清武GM抜きで決めてしまったのだと思う。このような独断専行は職権乱用にあたる。一般の企業であれば、職務規程、業務規程、役員業務規程等に違反するケースとなろう。そのレベルにおいて清武が渡辺の蛮行を、「コンプライアンス違反」と告発したのならば、間違ってはいないが、文科省の会議室を使って、同業者が日本シリーズを戦っているタイミングに、記者を集めて、告発するような内容ではない。
読売巨人球団が代表権をもつ者をGM職に任命したのならば、その業務内容を規定し、清武がその業務を全うできなかったと判断したのならば、清武の上司にあたる桃井球団オーナーが清武を解任するか、もしくは、清武に対して2012シーズンの業績アップを約束させて、GM職を続けさせる以外、選択の余地はない。清武をGM職に留めたまま、その権限を剥奪し、規定した業務をさせないのであれば、いわゆる、「飼い殺し」という処遇に該当する。そもそも、巨人球団にGMの職務を規定したものがあるのかどうか。メジャーリーグ球団の外形を模しただけではないのか。
◎巨人球団の崩壊こそ、日本プロ野球近代化の近道
GM職のあり方を検討しあうことは、日本プロ野球球団にとって有益なことであることはまちがいない。だが、日本プロ野球近代化を短期間に達成するには、読売巨人球団が内部崩壊し、世の中に残存する読売巨人軍幻想が消滅することのほうが効果的である。正力松太郎がつくった巨人軍一極集中の歪んだ日本プロ野球の姿を正常化するには、人々がなによりも、プロ野球を志すアマチュア選手諸君が巨人球団内部の非近代性に気づき、そこを最高位だと思わないことが重要だ。続いて、現役プロ野球選手がFA権を取得したとき、第一の選択肢として、巨人球団を目指さないことだ。もちろん、巨人に入団したいという選手がいてもいい。巨人はあくまでも12分の1であり、相対的な対象であることが重要だと思う。
ドラフト制度創設以来、巨人からの指名でなかったため、大学に進学したり、ノンプロ野球球団に入団したり、浪人したりしたアマチュア選手が何人もいた。そういう事例が少なからず発生していたということは、スポーツ界にあってはならない不幸な出来事だと筆者は思う。筆者はそのような事例の根絶を願う。才能ある若いアマチュア選手には、プロ球団に一日も早く入団してもらいたい。そこで才能を磨き、高いパフォーマンスをできるだけ多くの野球ファンに見せて楽しませてほしい。田中(楽天)、ダルビッシュ(日ハム)、斉藤祐(日ハム)といった若手投手は、巨人の所属するセリーグではなく、パリーグで活躍し、多くのファンの強い支持を得ているではないか。彼らは「巨人軍幻想」をもたず、ドラフト制度の趣旨を理解し、日本プロ野球全体の健全な発展のためにドラフト制度を遵守し、プロとして精進・努力し、野球ファンを魅了している。
パリーグの若手3投手の潔さに比べて、2011シーズン、巨人で活躍した3選手――単独指名で入団した沢村(2011新人王候補)、他球団からの指名を拒否して逃げ回った長野(同セリーグ首位打者)、同じく自由枠で入団した内海(同最多勝)には薄汚さがついてまわる。読売の3選手は、プロ野球のスタート時点でスポーツマンシップを汚してしまった。彼らには、ルール遵守やフェアプレー精神という言葉が似合わない。エゴイズムしかない。だが、もちろん、彼らに罪はない。彼らも、巨人幻想という読売がつくりだした犯罪の犠牲者なのだから。
◎清武GMの渡辺会長批判はピント外れ
筆者は菅野ドラフト指名問題について「コンプライアンス違反」という観点から読売及び東海大学野球部(原貢顧問)を批判してきた。ちょうどそのとき、読売内部から、コンプライアンス違反の告発が出てきたことに驚きを覚えた。
泥仕合の外形は、成功体験にしがみつく老いたトップ(渡辺会長)と、それに反発する頭でっかちの若手管理職との対立のようにみえる。これまで、読売グループ内部には、頑迷で権力をもった老トップを諌めるような気骨ある者は皆無だったのだが、ちょっと経営学をかじった次世代管理職が蛮勇をふるって、老トップに反旗を翻したのか。告発の大義は、いま世間がもっとも関心を寄せる「コンプライアンス(法令順守)」という言葉。「コンプライアンス違反」だと主張すれば、老いぼれトップを蹴落とせる、そうすれば、巨人球団の、次は読売新聞の・・・トップに、と、思ったかどうかはわからない。
しかし、清武GM側が主張するところの渡辺会長の「コンプライアンス違反」という指摘は見当違い。記者会見を開いて告発するに値しない。本件は、評論家諸氏が指摘するように、読売内部のガバナンス(企業統治力)の崩壊であって、司法や第三者委員会等が介入するようなコンプライアンス違反の問題ではない。
それでも、清武GMの記者会見は、一点突破全面展開の決意が滲み出ていた。笑えるのは、前出のとおり、その大義がピント外れのこと。さはさりながら、筆者は本件について、読売ジャイアンツの崩壊を象徴する出来事と解釈し、日本プロ野球の改革の端緒だという意味で、清武GMによる自爆的渡辺会長批判を支持したい。
◎新聞、テレビを武器に権力を乱用するナベツネ(渡辺恒雄)
報道にあるとおり、告発された渡辺会長は、読売巨人軍の球団の会長だが、球団の代表権はない。しかし、球団の親会社・読売新聞社の社主、すなわち、読売グループの事実上のトップである。子会社である球団代表にすぎない清武GMとは格が違う。読売新聞といえば、創業者正力松太郎が戦後、米国CIAのエージェントを務めていたことがよく知られている。今日でも、読売新聞の論調は、米国の利益を誘導するものと理解されている。
米国CIAの後ろ盾がなくとも、同紙は日本最大の発行部数を誇り、そのうえ、テレビ局もその傘下においている巨大メディア。そんな第4の権力に好んで敵対しようと思う者は少ない。そのため、そのトップ・渡辺会長は、日本の政治家等に強い影響力をもっているといわれている。しかも、彼はプロ野球に関心が強く、これまで、日本プロ野球に強い影響力を行使してきた。圧倒的な巨人軍人気を背景としてセリーグ5球団は、事実上、渡辺の支配下にあった。パリーグには直接影響力は及ばないものの、前出のとおり、全国紙及びTVキー局を有する巨大メディア業の読売を好んで敵に回す者はいない。メディア業界のライバルである朝日新聞、毎日新聞は読売に対して一見辛口の批評をするものの、同業者を叩かないという日本の業界常識に則り、読売に対して本質的批判を加えてこなかった。朝日・毎日等に限らず、マスメディアを本質的に批判する者は、この日本国には存在しない。
◎巨人軍は読売新聞の拡販手段
渡辺会長が構想するプロ野球ビジネスは、日本プロ野球の生みの親・正力松太郎がつくりあげたビジネスモデルを引き継ぐもの。その正体は、新聞の拡販の道具としてプロ野球を利用することだった。正力がつくりあげた日本のプロ野球とは、球界の盟主として強い巨人軍を君臨させ、巨人軍が勝ち続けることで全国に巨人ファンを量産することだった。常勝巨人軍が巨人ファンを増大させ、その挙句、読売新聞及び報知新聞の販売拡大が成就する。一昔前まで、読売新聞の定期購読契約の切り札は、入手困難といわれる巨人戦チケットだったことはよく知られている。さらに、テレビの普及とともに、放映権ビジネスが巨額の富を読売グループにもたらした。巨人軍を除くセリーグ5球団は、巨人人気を高める付属物にすぎない。野球は相手がなければ成立しない娯楽だから。
渡辺会長ほど、日本プロ野球を愛する者はいない――と称賛されることがある。だが、渡辺が愛したのは、巨人一極集中という、正力がつくりあげた歪んだプロ野球にすぎない。その証拠に、日本プロ野球において、渡辺は巨人弱体化に直結する制度・ルールには終始反対の姿勢を貫いた。その代表がドラフト制度で、その事例として、「空白の一日・江川事件」を挙げれば十分だろう。江川問題で世間の顰蹙を買った読売はその後、自由枠制度の創設などでドラフト制度に反発を続けた。自由枠制度も批判にさらされると、談合に近い逆指名=単独指名により、何人もの優秀なアマチュア選手を巨人に入団させてきた。それが揺らいだのが、今年のドラフトにおける日ハムによる菅野指名だった。そういう意味で、日本プロ野球――読売巨人軍一極集中の日本プロ野球界にコンプライアンスはない。このたびの清武GMの渡辺会長批判=「清武の乱」が、読売主導の日本プロ野球界全体を「コンプライアンス違反」として告発したのならば、それは意義ある志高い行動だと評価できるのだが、今回はそれとかけ離れた読売内部のコーチ人事に係る告発だったことが残念である。
◎「清武の乱」を日本プロ野球近代化の第一歩に
「清武の乱」について、評価できる点を挙げておこう。その第一は、GM制度とは何かの問題提起である。清武GMが本来のGM業務を全うしていたかどうかは別として、会長がチーム人事を直接行うのであれば、GM職は不要である。だから、巨人球団の代表権をもたない会長職にある渡辺は、巨人球団の取締役会等を開催し、清武のGM業務の評価を行うことが先決だった。その場において、巨人軍の2011年シーズンを検証し、清武をGM職にとどめ置くのか否かを決定し、GM職を継続させるのであれば、①清武の2012シーズンの構想の提出をまち、それを承認するかどうかを機関決定する方向、②清武に2012シーズンを一任する方向――の択一を機関決定すべきだった。
筆者の想像では、渡辺にはいずれの選択肢も思い浮かぶはずもなく、“俺が決める”として、「岡崎ヘッドコーチ解任」「江川助監督」を清武GM抜きで決めてしまったのだと思う。このような独断専行は職権乱用にあたる。一般の企業であれば、職務規程、業務規程、役員業務規程等に違反するケースとなろう。そのレベルにおいて清武が渡辺の蛮行を、「コンプライアンス違反」と告発したのならば、間違ってはいないが、文科省の会議室を使って、同業者が日本シリーズを戦っているタイミングに、記者を集めて、告発するような内容ではない。
読売巨人球団が代表権をもつ者をGM職に任命したのならば、その業務内容を規定し、清武がその業務を全うできなかったと判断したのならば、清武の上司にあたる桃井球団オーナーが清武を解任するか、もしくは、清武に対して2012シーズンの業績アップを約束させて、GM職を続けさせる以外、選択の余地はない。清武をGM職に留めたまま、その権限を剥奪し、規定した業務をさせないのであれば、いわゆる、「飼い殺し」という処遇に該当する。そもそも、巨人球団にGMの職務を規定したものがあるのかどうか。メジャーリーグ球団の外形を模しただけではないのか。
◎巨人球団の崩壊こそ、日本プロ野球近代化の近道
GM職のあり方を検討しあうことは、日本プロ野球球団にとって有益なことであることはまちがいない。だが、日本プロ野球近代化を短期間に達成するには、読売巨人球団が内部崩壊し、世の中に残存する読売巨人軍幻想が消滅することのほうが効果的である。正力松太郎がつくった巨人軍一極集中の歪んだ日本プロ野球の姿を正常化するには、人々がなによりも、プロ野球を志すアマチュア選手諸君が巨人球団内部の非近代性に気づき、そこを最高位だと思わないことが重要だ。続いて、現役プロ野球選手がFA権を取得したとき、第一の選択肢として、巨人球団を目指さないことだ。もちろん、巨人に入団したいという選手がいてもいい。巨人はあくまでも12分の1であり、相対的な対象であることが重要だと思う。
ドラフト制度創設以来、巨人からの指名でなかったため、大学に進学したり、ノンプロ野球球団に入団したり、浪人したりしたアマチュア選手が何人もいた。そういう事例が少なからず発生していたということは、スポーツ界にあってはならない不幸な出来事だと筆者は思う。筆者はそのような事例の根絶を願う。才能ある若いアマチュア選手には、プロ球団に一日も早く入団してもらいたい。そこで才能を磨き、高いパフォーマンスをできるだけ多くの野球ファンに見せて楽しませてほしい。田中(楽天)、ダルビッシュ(日ハム)、斉藤祐(日ハム)といった若手投手は、巨人の所属するセリーグではなく、パリーグで活躍し、多くのファンの強い支持を得ているではないか。彼らは「巨人軍幻想」をもたず、ドラフト制度の趣旨を理解し、日本プロ野球全体の健全な発展のためにドラフト制度を遵守し、プロとして精進・努力し、野球ファンを魅了している。
パリーグの若手3投手の潔さに比べて、2011シーズン、巨人で活躍した3選手――単独指名で入団した沢村(2011新人王候補)、他球団からの指名を拒否して逃げ回った長野(同セリーグ首位打者)、同じく自由枠で入団した内海(同最多勝)には薄汚さがついてまわる。読売の3選手は、プロ野球のスタート時点でスポーツマンシップを汚してしまった。彼らには、ルール遵守やフェアプレー精神という言葉が似合わない。エゴイズムしかない。だが、もちろん、彼らに罪はない。彼らも、巨人幻想という読売がつくりだした犯罪の犠牲者なのだから。
2011年11月13日日曜日
2011年11月9日水曜日
2011年11月7日月曜日
2011年11月6日日曜日
菅野よ、正義か利権か
5日、セパ両リーグのCSファイナルシリーズを見比べた。パリーグはソフトバンクが西武を退け、日本シリーズ進出を決めた。この試合は、杉内(ソフトバンク)、涌井(西武)の両エースの力投が光った。結果はソフトバンクの勝利で終わったけれど、両エースがそれぞれ一球の投げ間違いで失点をくらい、ともに涙して降板する劇的な展開をみせた。一方のセリーグは、中日が先制し、そのまま盛り上がりもなく中日の楽勝で終わった。
たった1試合でリーグの実力差を云々できないけれど、リーグを象徴する試合内容だったと筆者は解釈している。この試合で力投した杉内、涌井に加えて、ダルビッシュ(日ハム)、田中(楽天)、 ホールトン (ソフトバンク)、 和田(同)、攝津(同)、ケッペル(日ハム)、唐川(ロッテ)らの実力派先発投手をそろえるパリーグ。一方のセリーグにはパリーグほどの投手は見当たらない。明らかにパリーグの投手陣のほうがセリーグを上回っている。
さて、報道によると、日本ハムからドラフト1位指名を受け、決断が注目される東海大・菅野智之投手(22)に、来年のドラフトで読売入りするため、東海大大学院進学という“抜け道説”が浮上しているという。
ある夕刊紙は、菅野の「決断」の「方向性」について以下のように報じている。
この夕刊紙は、菅野が読売に入団することが前提であり、日ハムのドラフト1位指名は、前提を覆す異常行動だと断言しているに等しい。先の当コラムで書いたけれど、「プロ野球志望届」を提出した学生選手は、ドラフト会議においてあらゆる球団から指名される可能性を承知しているものと判断できる。全球団に指名の権利があることは、ドラフト制度が保証している。
また、先にも書いた通り、ドラフト会議で指名する前に、プロ球団は学生選手と交渉することは禁止されている。このことは学生野球連盟が自ら規定していることだ。学生野球選手及び関係者が特定の球団と特別な関係をもつことも、同規定によって禁止されている。
ところが、夕刊紙の報道によると、東海大学野球部顧問の原貢なる人物が、堂々と、規定を遵守した日ハムを批判(激怒)し、かつ、自らが学生野球規定に反していることに恥じることがない。しかも、マスメディアがそのことで原貢を批判することもない。
そればかりではない。2度にわたってドラフト破りを敢行して読売に強行入団した長野について、「正道」と称賛する。これまで、日本のマスメディアは、コンプライアンスに違反した者をヒステリックに弾劾してきた。しかし、ドラフト制度を無視し、希望球団に入団するまで1位指名球団との交渉を拒否し続け、「単独指名」を獲得するようなドラフト破り選手を、「正道」と評価する。
菅野がアスリートとして、プロで野球をすることを希望するのならば(読売に入団することを希望するのではなく)、前出のとおり、涌井、田中、ダルビッシュ(はMLBへ移籍か)、杉内、和田(ソフトバンク)らの好投手がそろう実力のあるパリーグ(すなわち日ハム)に入り、彼らと力を競ってもらいたいものだ。
打撃部門においても、パリーグには、統一球導入の影響を受けずに48本の本塁打を放った 中村(西武)、25本の本塁打を放ち、攻守走の三拍子がそろった松田(ソフトバンク)、打率338で首位打者になった内川 (ソフトバンク)、319の 糸井(日ハム)、 312の後藤がいる。
一方のセリーグは、投手部門でパリーグのエース級投手ほどの印象を残した投手はいない。打撃部門では、本塁打トップは31本のバレンティン(ヤクルト)で、以下、ラミレス (読売)、 畠山(ヤクルト)と20本台にとどまっている。打率にいたっては、トップ長野(読売)が316の低率。以下、 マートン(阪神)311、宮本(ヤクルト)302、鳥谷(阪神)300と、3割打者が4人しかいない。
くりかえすが、菅野投手が真に野球選手として、自らの実力を磨きたいと思うのならば、いま現在においては、パリーグの日ハムに入団し、田中(楽天)を筆頭とするパの他球団の実力派エースクラスと勝負をしてもらいたい。
スポーツというものは不思議なもので、人間の力では左右できない流れがあると筆者は思っている。いま現在そしてここ数年は、セリーグよりもパリーグのほうに実力のある選手が集まっているし、野球の質が高い。菅野投手がセリーグの球団(=読売)ではなく、パリーグの球団(=日ハム)から1位指名を受けたのは、人知の及ばぬ流れに従ったものだと筆者は解釈している。運命というのならば、それでいい。野球の神様が、菅野に対して、実力のあるリーグに所属して、さらに自らの実力を磨きなさいと、命じたのだ。
そればかりではない。野球の神様は、日本のプロ野球に内在する、歪んだ「巨人人気」を糺すよう、菅野投手に託したようにも思える。有名選手の単独指名に走る読売、学生野球連盟の規定を守らず、不正を強いる学生野球(東海大学野球部)のボス、そして、ドラフト制度破壊(コンプライアンス無視)に沈黙するスポーツマスメディア――彼ら利権の亡者に鉄槌を加えられるのは、菅野自身の決断だけだ。
菅野がドラフト制度を遵守し、日ハムと交渉し入団すれば、野球界の正義が守られる。菅野が読売並びに読売と通じた、学生野球部の恥部及びマスメディアに屈してしまえば、日本プロ野球から正義が遠のく。菅野よ、どうする、正義か利権か。
たった1試合でリーグの実力差を云々できないけれど、リーグを象徴する試合内容だったと筆者は解釈している。この試合で力投した杉内、涌井に加えて、ダルビッシュ(日ハム)、田中(楽天)、 ホールトン (ソフトバンク)、 和田(同)、攝津(同)、ケッペル(日ハム)、唐川(ロッテ)らの実力派先発投手をそろえるパリーグ。一方のセリーグにはパリーグほどの投手は見当たらない。明らかにパリーグの投手陣のほうがセリーグを上回っている。
さて、報道によると、日本ハムからドラフト1位指名を受け、決断が注目される東海大・菅野智之投手(22)に、来年のドラフトで読売入りするため、東海大大学院進学という“抜け道説”が浮上しているという。
ある夕刊紙は、菅野の「決断」の「方向性」について以下のように報じている。
※(東海大学大学院進学という)ウルトラCなどと呼ばれる方法で巨人入りしても、ろくな結果にはならない。邪道はファンの反感を買うだけ。過去に実例がある。空白の1日事件の江川卓氏と、密約説の桑田真澄氏の例を見れば一目瞭然だ。
江川氏は法大卒業後、一浪したあげくドラフトの空白の一日を突いて巨人と電撃契約。球界を揺るがす大事件に発展し、最終的に小林繁氏(故人)との前代未聞の交換トレードが行われた。
桑田氏の場合は、ドラフト前にプロ入りを拒否して早大進学宣言。しかし、実際は巨人の単独1位指名で入団した。
この2人が入団時のダーティーイメージをぬぐうのに、どれだけ苦労したことか。菅野が伯父の巨人・原辰徳監督(53)と「一緒にプレーしたい」という夢を実現するため日本ハム入りを拒否するのは問題ない。ただ、大学院進学という小手先で来年のドラフトを待つのは、江川氏や桑田氏と同列の邪道だろう。
巨人には“正道”を歩んだいいお手本がいる。昨季新人王、2年目の今季は首位打者になった長野久義外野手(26)だ。日大卒業時に「巨人以外には行きません」と宣言。今回の菅野と同様に、日本ハムが敢然と指名したが、初志貫徹の長野は社会人野球のホンダ入りした。2年後に今度はロッテが指名したものの、再び入団拒否。3度目の正直で巨人の単独1位指名を受けた。
菅野も巨人入りに固執するならば、長野のように堂々と社会人野球入りすべき。大学球界よりワンランク上の世界で2年間実力を磨き、再チャンスを待てばいい。
大学院進学は、あいさつなしの電撃指名に激怒した祖父・原貢氏(76)=東海大系列校野球部顧問=の発案ともいわれる。かわいい孫のため、1年でも早く希望をかなえる苦肉の策なのだろう。ルール違反ではないし心情的にも分かるが、野球人としては感心しない対応策だ。
息子の原監督同様、孫も爽やかなイメージのスターに育てたいなら、抜け道のイメージがついて回る方法はタブー。日本ハムを拒否し、次のチャンスを待つ決断をするのなら、社会人野球をアドバイスしてはどうか。
一昨年の長野、昨年の澤村拓一投手(23)に続き、今年も菅野を一本釣りしようとした巨人に立ちはだかった日本ハムに対し、世論は「よくぞやってくれた。ドラフトを守った」と拍手喝采した。それが世論なのだから。(夕刊フジ編集委員・江尻良文)
この夕刊紙は、菅野が読売に入団することが前提であり、日ハムのドラフト1位指名は、前提を覆す異常行動だと断言しているに等しい。先の当コラムで書いたけれど、「プロ野球志望届」を提出した学生選手は、ドラフト会議においてあらゆる球団から指名される可能性を承知しているものと判断できる。全球団に指名の権利があることは、ドラフト制度が保証している。
また、先にも書いた通り、ドラフト会議で指名する前に、プロ球団は学生選手と交渉することは禁止されている。このことは学生野球連盟が自ら規定していることだ。学生野球選手及び関係者が特定の球団と特別な関係をもつことも、同規定によって禁止されている。
ところが、夕刊紙の報道によると、東海大学野球部顧問の原貢なる人物が、堂々と、規定を遵守した日ハムを批判(激怒)し、かつ、自らが学生野球規定に反していることに恥じることがない。しかも、マスメディアがそのことで原貢を批判することもない。
そればかりではない。2度にわたってドラフト破りを敢行して読売に強行入団した長野について、「正道」と称賛する。これまで、日本のマスメディアは、コンプライアンスに違反した者をヒステリックに弾劾してきた。しかし、ドラフト制度を無視し、希望球団に入団するまで1位指名球団との交渉を拒否し続け、「単独指名」を獲得するようなドラフト破り選手を、「正道」と評価する。
菅野がアスリートとして、プロで野球をすることを希望するのならば(読売に入団することを希望するのではなく)、前出のとおり、涌井、田中、ダルビッシュ(はMLBへ移籍か)、杉内、和田(ソフトバンク)らの好投手がそろう実力のあるパリーグ(すなわち日ハム)に入り、彼らと力を競ってもらいたいものだ。
打撃部門においても、パリーグには、統一球導入の影響を受けずに48本の本塁打を放った 中村(西武)、25本の本塁打を放ち、攻守走の三拍子がそろった松田(ソフトバンク)、打率338で首位打者になった内川 (ソフトバンク)、319の 糸井(日ハム)、 312の後藤がいる。
一方のセリーグは、投手部門でパリーグのエース級投手ほどの印象を残した投手はいない。打撃部門では、本塁打トップは31本のバレンティン(ヤクルト)で、以下、ラミレス (読売)、 畠山(ヤクルト)と20本台にとどまっている。打率にいたっては、トップ長野(読売)が316の低率。以下、 マートン(阪神)311、宮本(ヤクルト)302、鳥谷(阪神)300と、3割打者が4人しかいない。
くりかえすが、菅野投手が真に野球選手として、自らの実力を磨きたいと思うのならば、いま現在においては、パリーグの日ハムに入団し、田中(楽天)を筆頭とするパの他球団の実力派エースクラスと勝負をしてもらいたい。
スポーツというものは不思議なもので、人間の力では左右できない流れがあると筆者は思っている。いま現在そしてここ数年は、セリーグよりもパリーグのほうに実力のある選手が集まっているし、野球の質が高い。菅野投手がセリーグの球団(=読売)ではなく、パリーグの球団(=日ハム)から1位指名を受けたのは、人知の及ばぬ流れに従ったものだと筆者は解釈している。運命というのならば、それでいい。野球の神様が、菅野に対して、実力のあるリーグに所属して、さらに自らの実力を磨きなさいと、命じたのだ。
そればかりではない。野球の神様は、日本のプロ野球に内在する、歪んだ「巨人人気」を糺すよう、菅野投手に託したようにも思える。有名選手の単独指名に走る読売、学生野球連盟の規定を守らず、不正を強いる学生野球(東海大学野球部)のボス、そして、ドラフト制度破壊(コンプライアンス無視)に沈黙するスポーツマスメディア――彼ら利権の亡者に鉄槌を加えられるのは、菅野自身の決断だけだ。
菅野がドラフト制度を遵守し、日ハムと交渉し入団すれば、野球界の正義が守られる。菅野が読売並びに読売と通じた、学生野球部の恥部及びマスメディアに屈してしまえば、日本プロ野球から正義が遠のく。菅野よ、どうする、正義か利権か。
2011年11月2日水曜日
規定を遵守した日ハムが批判されるいわれはない
今日のドラフト制度の問題点を整理するうえで見過ごせない規定を紹介する。「大学野球部員のプロ野球団との関係についての規定」(以下「プロ野球団との関係規定」と略記)だ。これは日本学生野球連盟が特別に定めたもので、大学野球選手(アマチュア側)がプロ野球球団との関係をより明確にすることを目的としている。ここにおける《関係》とは、プロ契約についてだと考えてさしつかえない。以下、重要な個所を引用する。
ポイントを整理しておこう。
第1条第6項の規定は、学生選手からの、「逆指名」の禁止。
第2条の規定は、プロ野球球団との「事前交渉」の禁止。
第4条は、きわめて出来の悪い規定で曖昧。世間とは何か、疑惑とは何かが不明。であるが、この文言が間違っているわけではない。
このたびの東海大学菅野投手の場合、伯父にあたる原辰徳がプロ野球読売ジャイアンツの監督をしており、その監督の父親(菅野投手の祖父)原貢が東海大学野球部監督を務めた人物。貢は学生野球全体に強い影響力をもっているばかりか、読売と親しい関係を築いているといわれている。
というわけで、第4条の規定を素直に読めば、原ファミリーは東海大学公式野球部を基盤として、プロ野球球団の読売ジャイアンツと強い関係をすでに築いていることになる。すなわち、原ファミリーの存在自体が、プロ野球団との関係規定に違反している。
であるから、原貢を筆頭とする東海大学野球部関係者が、ドラフト会議で菅野投手を指名した日ハム球団に対し、「事前に(指名の)挨拶がない」と批判してはいけない。事前の挨拶は、プロ野球団との関係規定第2条に違反しているからだ。かりに、これまで、ドラフト会議前にプロ球団側が、学生選手、その親族、所属野球部監督・コーチ等関係者に「挨拶」をしていたとしたら、明らかにプロ野球団との関係規定に反する。ドラフト会議終了(厳密には学生野球の公式戦終了)まで、プロ野球球団側は、学生選手及びその関係者に接触してはいけないのだ。
菅野投手自身はどうなのか。伯父がプロ野球球団の監督であることは、仕方のないことで、どうしようもない。さはさりながら、プロ野球団との関係規定第4条をこれまた素直に読めば、“世間の疑惑を招くことのないように注意しなければならない”わけで、親族であればあるほど、親族のいる特定の球団と関係のあるような疑惑を招くことのないよう、菅野投手、そして周辺者は注意しなければいけないことになる。菅野投手の場合、管見の限り、自身が読売ジャイアンツに入団したいとか、監督である伯父のもとで野球がしたいと発言していない。このことは、プロ野球団との関係規定を遵守する、立派な態度だと評価できる。
問題の第一は、前出のとおり、原貢を筆頭とする東海大学野球部関係者なのだ。彼らは、前出のとおり「挨拶なしの日ハム批判」をしているくらいだから、プロ野球団との関係規定を無視し、ドラフト破りを画策しようとする張本人たちだと考えられる。彼らのような、有望な大学野球選手を利権とするを輩を排除することがドラフト制度遵守の第一歩となる。
問題の第二は、繰り返しになるが、スポーツマスコミの報道の在り方だ。ドラフト制度を遵守しようという気がスポーツマスコミにあるのならば、学生選手が特定のプロ球団と特定の関係が生じないよう、報道に配慮すべきだ。読売というプロ球団の監督を伯父に持つ学生選手は、それでなくとも、特定のプロ球団と関係があるかのように思われて不思議ではない。つまり、伯父~甥という自然の関係だけで、世間は疑惑をもってしまう。親族という関係であっても、規定は規定だ。親族ならば規定を外すというのは、法治国家ではない。「アラブの春」で打倒された独裁政権は、国家が生み出す利権をファミリーで分け合っていた。そのことが国民の怒りを買ったといわれている。親族優遇は、民主主義破壊の一歩なのだ。
法制度(ドラフト会議)を円滑に運営するには、親族、学閥、男女差、出身地・・・等による例外をつくらないことだ。だから、菅野投手の場合、読売との関係を強調するような報道は控えるべきだった。「親族」が報道されればされるほど、菅野投手は苦しい立場に追い込まれる。菅野投手には、プロ野球団との関係規定第2条が重くのしかかっていたと推察する。
読売側には、スポーツマスコミを介して、親族であるがゆえに「単独指名」が許容されるかのような誘導を行った気配がうかがえる。規定よりも親族であることのほうが優先されるという独善であり、民主主義破壊の第一歩だ。読売というマスメディア業界の一員が率先して、法制度(規定)を無視し、さらに、ほぼすべてのマスメディア業界がそれに追随した。これが日本のメディアの現在の荒廃した風景だ。
前出のとおり、菅野投手周辺が、指名した日ハムに対して、「事前挨拶がない」と批判したという報道が繰り返された。だが、日ハムのほうが規定を遵守し、ドラフト会議前に菅野投手側と接触しなかっただけの話だ。だから、「挨拶云々」は指名を拒否する条件にならないばかりか、かりに読売が「挨拶」を行っていたとしたら、それこそがプロ野球団との関係規定に違反する。そのことについて、スポーツメディアは指摘しようとはしない。
ドラフト会議会場において、日ハム菅野指名に大きな拍手がわきおこり、さらに読売がくじを外したとき、さらに大きな拍手と歓声がわいたという。筆者は、このことを、日ハムのコンプライアンス遵守に対する人々の支持のあらわれだと解釈する。
第1条 以下の各項に該当するものは、大学野球部員としての資格を失う。
従って、在学中に学校を代表するチームに加わって、試合をすることはできない。以下プロ野球団とは国内だ けではなく、外国のプロ野球団をも含む。
(1)当該年度のプロ野球新人選択会議(以下ドラフトという)で交渉権確定以前に、プロ野球団と正式に契約を結んだもの。
(2)ドラフト以前に、正式の契約でなくとも、書類により、本人もしくは代理人等がプロ野球団に入団の約束をしたもの。
(3)いかなる名目であっても、プロ野球団またはその関係者より直接、間接を問わず金品を受けたもの。親権者が受けた場合も含む。
(4)正式入団契約以前に、プロ野球団のコーチを受けたり、練習または試合に参加したもの。
(5)プロ野球志望届提出以前に、プロ野球団のテストを受けたもの。
(6)特定のプロ野球団に入団する旨を表示したもの。
第2条 当該年度、所属する大学野球連盟に登録された野球部員は、プロ野球志望届けを提出し、当該連盟の公式戦が終了するまでは、一切プロ野球団との交渉を持ってはならない。
第3条 野球部員は、プロ野球団との交渉を希望する場合、または入団テストを受けようとする場合は、それ以前に所属する大学野球連盟に、別に定める様式により「プロ野球志望届」を提出しなければならない。当該連盟は「プロ野球志望届」を受理後、受理月日を速やかに全日本大学野球連盟へ報告し、報告を受けた全日本大学野球連盟は、即日ホームページにその連盟名、学校名、氏名を掲載、届け出がなされたことを公示する。
(2)この「プロ野球志望届」は当該年度の、9月1日から10月13日までに各地区大学野球連盟に提出するこ ととする。ただし、日本野球機構傘下の球団以外のプロ野球団と入団交渉を受けたり、テストを受ける場合は、10月14日以降もプロ野球志望届を所属連盟に提出してからでなければならない。
(3)なお、野球部員が「プロ野球志望届」を提出したあと、プロ野球団と交渉したり、入団テストを受けることができるのは所属大学野球連盟に提出した翌日以降とする。但し当該連盟の公式戦が終了していない場合は公式戦が終了した翌日以降とする。
(注)プロ野球志望届を所属連盟に提出しない野球部員は、当該年度のドラフトでプロ野球団から指名を受けることはできない。
第4条 部長、監督、コーチ、野球部員は、学生野球の本義にてらし、特にプロ野球団との関係については、世間の疑惑を招くことのないように注意しなければならない。
第5条 (略)
ポイントを整理しておこう。
第1条第6項の規定は、学生選手からの、「逆指名」の禁止。
第2条の規定は、プロ野球球団との「事前交渉」の禁止。
第4条は、きわめて出来の悪い規定で曖昧。世間とは何か、疑惑とは何かが不明。であるが、この文言が間違っているわけではない。
このたびの東海大学菅野投手の場合、伯父にあたる原辰徳がプロ野球読売ジャイアンツの監督をしており、その監督の父親(菅野投手の祖父)原貢が東海大学野球部監督を務めた人物。貢は学生野球全体に強い影響力をもっているばかりか、読売と親しい関係を築いているといわれている。
というわけで、第4条の規定を素直に読めば、原ファミリーは東海大学公式野球部を基盤として、プロ野球球団の読売ジャイアンツと強い関係をすでに築いていることになる。すなわち、原ファミリーの存在自体が、プロ野球団との関係規定に違反している。
であるから、原貢を筆頭とする東海大学野球部関係者が、ドラフト会議で菅野投手を指名した日ハム球団に対し、「事前に(指名の)挨拶がない」と批判してはいけない。事前の挨拶は、プロ野球団との関係規定第2条に違反しているからだ。かりに、これまで、ドラフト会議前にプロ球団側が、学生選手、その親族、所属野球部監督・コーチ等関係者に「挨拶」をしていたとしたら、明らかにプロ野球団との関係規定に反する。ドラフト会議終了(厳密には学生野球の公式戦終了)まで、プロ野球球団側は、学生選手及びその関係者に接触してはいけないのだ。
菅野投手自身はどうなのか。伯父がプロ野球球団の監督であることは、仕方のないことで、どうしようもない。さはさりながら、プロ野球団との関係規定第4条をこれまた素直に読めば、“世間の疑惑を招くことのないように注意しなければならない”わけで、親族であればあるほど、親族のいる特定の球団と関係のあるような疑惑を招くことのないよう、菅野投手、そして周辺者は注意しなければいけないことになる。菅野投手の場合、管見の限り、自身が読売ジャイアンツに入団したいとか、監督である伯父のもとで野球がしたいと発言していない。このことは、プロ野球団との関係規定を遵守する、立派な態度だと評価できる。
問題の第一は、前出のとおり、原貢を筆頭とする東海大学野球部関係者なのだ。彼らは、前出のとおり「挨拶なしの日ハム批判」をしているくらいだから、プロ野球団との関係規定を無視し、ドラフト破りを画策しようとする張本人たちだと考えられる。彼らのような、有望な大学野球選手を利権とするを輩を排除することがドラフト制度遵守の第一歩となる。
問題の第二は、繰り返しになるが、スポーツマスコミの報道の在り方だ。ドラフト制度を遵守しようという気がスポーツマスコミにあるのならば、学生選手が特定のプロ球団と特定の関係が生じないよう、報道に配慮すべきだ。読売というプロ球団の監督を伯父に持つ学生選手は、それでなくとも、特定のプロ球団と関係があるかのように思われて不思議ではない。つまり、伯父~甥という自然の関係だけで、世間は疑惑をもってしまう。親族という関係であっても、規定は規定だ。親族ならば規定を外すというのは、法治国家ではない。「アラブの春」で打倒された独裁政権は、国家が生み出す利権をファミリーで分け合っていた。そのことが国民の怒りを買ったといわれている。親族優遇は、民主主義破壊の一歩なのだ。
法制度(ドラフト会議)を円滑に運営するには、親族、学閥、男女差、出身地・・・等による例外をつくらないことだ。だから、菅野投手の場合、読売との関係を強調するような報道は控えるべきだった。「親族」が報道されればされるほど、菅野投手は苦しい立場に追い込まれる。菅野投手には、プロ野球団との関係規定第2条が重くのしかかっていたと推察する。
読売側には、スポーツマスコミを介して、親族であるがゆえに「単独指名」が許容されるかのような誘導を行った気配がうかがえる。規定よりも親族であることのほうが優先されるという独善であり、民主主義破壊の第一歩だ。読売というマスメディア業界の一員が率先して、法制度(規定)を無視し、さらに、ほぼすべてのマスメディア業界がそれに追随した。これが日本のメディアの現在の荒廃した風景だ。
前出のとおり、菅野投手周辺が、指名した日ハムに対して、「事前挨拶がない」と批判したという報道が繰り返された。だが、日ハムのほうが規定を遵守し、ドラフト会議前に菅野投手側と接触しなかっただけの話だ。だから、「挨拶云々」は指名を拒否する条件にならないばかりか、かりに読売が「挨拶」を行っていたとしたら、それこそがプロ野球団との関係規定に違反する。そのことについて、スポーツメディアは指摘しようとはしない。
ドラフト会議会場において、日ハム菅野指名に大きな拍手がわきおこり、さらに読売がくじを外したとき、さらに大きな拍手と歓声がわいたという。筆者は、このことを、日ハムのコンプライアンス遵守に対する人々の支持のあらわれだと解釈する。
2011年11月1日火曜日
2011年10月31日月曜日
「プロ野球志望届」を出しながら交渉拒否は法令違反
コンプライアンスは通常、「法令違反」と訳されるが、法律違反でなければコンプライアンス違反に係らないかと言えば、そうではない。このことについては、直前の当コラムに書いた。コンプライアンスとは、法令はもちろんのこと、諸規定(倫理規定を含む)、共同体の約束事、マナー等を遵守することだ。ドラフト会議とは、プロ野球界とプロ野球を志す学生アマチュア選手との間に構築された約束事だ。同制度は契約金の高騰を防止すること、特定球団に戦力が偏らないこと等を目的としたもので、きわめて合理的だ。
◎ドラフト制度の必要性
プロ野球は日本人に最も愛されている娯楽の1つであり、社会の関心も高い。地域にプロ野球球団をもつことは地域の人の夢の1つであり、実現すれば、その地域の活性化につながる。それは経済効果にとどまらない。だから、筆者はできるだけ多くのプロ野球球団が日本に存在すべきだと思っている。日本の人口1億2千万人超に比して現在の12という球団数は少なすぎる。
いま衰退期にあるという日本のプロ野球だが、衰退から飛躍へとベクトルを変換するためには、少なくとも、現状の12球団から8球団ほど増設し20球団体制で臨むべきだと思っている。地域でいえば、東北、北関東、甲信越、東海、中国・四国、沖縄等にプロ球団があっていい。
球団を増設するためには、初期投資、運営経費等を抑制した合理的球団経営が求められる。そのような観点に立つ時、ドラフト制度は新人契約金の高騰を防止する面で、必要不可欠な制度として機能する。さらに、各球団の戦力均等化が担保され、リーグ戦の白熱化がプロ野球ファンの拡大に直結する効果も期待できる。
◎「巨人」の復活は日本のプロ野球の「死」
そう考えないプロ野球経営者もいる。彼らは、かつての日本のプロ野球、すなわち、「巨人軍」人気に全面的に依拠し、日本中の野球ファン=巨人ファンであったことを理想とする者たちだ。彼らは、“巨人軍は永遠に不滅です”と信じている。
スポーツマスコミ経営者も同様だ。彼らの発行するスポーツ新聞が全国的規模で売上を伸ばすためには、全国の野球ファンが巨人ファンであることほど好都合なことはない。北は北海道から南は沖縄まで、巨人ブランドが浸透していれば、これほどシンプルなマーケティングはない。巨人が勝てば、全国規模で新聞部数が増大する。新聞に限らない。テレビ局、雑誌社も同様だ。
しかし、野球に限らず、スポーツの魅力は内容だ。戦力、情報、人気が一極集中したままであれば、そのようなコンテンツは腐敗する。同じ球団が9年連続して日本一であり続ければ、勝負とは呼べない。実際、近年のプロ野球界の推移を振り返ると、その人気が、他のスポーツに奪われていく過程そのものだった。プロ野球人気を侵食したスポーツは、どれも力の拮抗した者たちが真剣に競う内容をもったものだった。たとえば、米国のMLB(大リーグ野球)、世界のサッカー、米国のNBA(バスケットボール)、フィギアスケート、陸上競技、格闘技・・・それらの台頭と進出によって、日本プロ野球は人気に陰りをみせた。とりわけ、1995年、日本のプロ野球選手・野茂英雄がMLBで活躍したことがその契機となったと言って過言でない。野茂がドジャースの投手として、MLBで活躍をはじめ、MLBのライブ映像が日本に届けられるようになってきてからというもの、日本のプロ野球の貧困さに日本の野球ファンが気づき始めた。加えて、2002年日韓W杯が開催され、日本のスポーツファンがサッカーの魅力に覚醒して以来、日本プロ野球、とりわけ、“巨人一極集中”は一気に衰退へと向かっていった。
◎それでも野球は日本で一番の人気スポーツ
もちろん、それでも、日本のスポーツ界におけるプロ野球の地位は依然トップであり、スポーツ界の王者であることに変わりない。だから、人々はドラフト会議の結果にこうまで注目する。一人の新人選手の入団交渉権の行方について、世間が騒然とするようなスポーツはほかにない。
であるからこそ、日本の野球人には、コンプライアンスが求められる。前出のとおり、ドラフトは法的規制ではないが、野球界おける新人契約に係る倫理規定と言える。法外な契約金で新人を金満球団が独占できないよう、学生野球界とプロ野球界が倫理的に取り決めた規制とも換言できる。
学生野球選手は、プロ野球入りを希望する者すべてがその旨を学生野球連盟に申請する(「プロ野球志望届」)。学生野球連盟は申請を受け付け、それを公示し、プロ野球球団は順番にその中の意中の選手に対して(交渉権)を指名する。指名が重複すれば抽選だ。これほどシンプルで公正な制度がほかにあろうか。しかも、選手は指名を拒否することができる。その場合は、どことも交渉しないことを意味するので、プロ野球球団に入ることはなくなる。先に出した「プロ野球志望届」に拘束されない。このことについては後ほど、触れる。
このたび、学生野球界の逸材・菅野投手に対して、1位指名をしたのが日本ハムと読売。抽選の結果、日ハムが交渉権を獲得した。何の不思議もない。ドラフト制度のあたりまえの進捗だ。ところが、菅野の伯父にあたる者がたまたま読売の監督だったことから、菅野が読売に単独指名されることが自然であるかのような空気づくりが、事前にスポーツマスコミの間で醸成されていた。伯父のいる球団に甥が入団するのが「当たり前」であるかのように。
◎ドラフト破りに介在する学生野球部のボス
筆者は直前の当コラムにおいて、甥が、たまたま伯父が監督を務める球団に入団することのほうが不自然であることを書いた。よって、そのことについては繰り返さない。ただ繰り返しておきたいのは、菅野を無抽選で単独指名したい球団があり、菅野を特定球団に入団させたい大学野球部があることだ。大学野球部(体育会)においては、暴力体質とともに、その悪しき伝統となっているのがコネ・学閥だ。先輩・後輩の関係による利権確保だ。学閥は就職、転職等の決定に重要な要素となっていることも少なくない。さらにそのことが深化して、利権につながる。このたびのドラフト会議においては、東海大学野球部が指名球団である日ハムと指名された菅野の間に介在し、野球界、すなわち、プロ~アマ(学生野球)が共同して構築したドラフト制度の円滑な推進を阻害しようとしているようにみえる。
ドラフト会議は、プロ球団と学生アマ選手の交渉について、公正さと経済合理性を担保するための制度だ。それは法外な裏金等の授受を排除するためのルールでもある。だから、選手と球団との間に不健全な第三者の介在も自動的に排除される。
ドラフト制度がなく、学生選手とプロ球団が直接入団交渉をすることになれば、一個人(学生選手)が複数の大企業組織(プロ野球球団)とあい渉らなければならなくなる。学生選手側が代理人として弁護士を立てることもできる。また、所属する野球部の監督等が代理人として登場することもできる。もし、後者のようなケースが頻発すれば、そこに裏金のような不透明な金銭のやり取りが発生する可能性を排除できない。ドラフト制度という合理的仕組み(=規制)は、入団交渉における不透明性を自動的に排除できる。
野球人(プロ球団、学生選手、学生球団=学生・社会人野球部等)すべてが、ドラフト制度を遵守することが、野球界のコンプライアンスの確立につながる。また、スポーツマスコミは、野球人のうちのどこかの部分がドラフト無視の行動を示した場合、あるいは、抜け道をさがすような行動を見せた場合、違反者に対し、批判を加えなければいけない。少なくとも、スポーツマスコミはドラフト当事者に対し、中立であらねばならない。
◎「プロ野球志望届」を無視する学生選手こそ「法令違反者」
菅野が今後進むべき道(選択肢)は1つしかない。ドラフト会議で指名権を得た日ハム球団と交渉し、妥当な条件であるならば、プロ野球(日ハム入団)に進むことだ。海外プロ野球、国内社会人球団等への入団もないことはないだろうが、菅野は学生野球連盟に対して、「プロ野球志望届」を提出している。であるから、志望届をホゴにするような選択は不正にほかならない。学生選手が堂々と、プロ・学生球界共同で構築した制度を無視するというのはいかがなものか。「プロ野球志望届」というのは、それほどまでに軽い提出書類なのか。「プロ野球志望届」を提出していながら、ドラフト終了後、プロ球団と交渉しない場合、法令違反にならないのか。
日本プロ野球機構はこれまで、「プロ野球志望届」を提出しながら、ドラフト会議終了後にプロ野球に入団しなかった学生選手に抗議していない。プロ側は、「志望届」をホゴにした学生選手をとがめるようなことはなかった。また、日本のマスメディアもその件を追及していない。「法令違反者」を批判しない日本のマスメディアとは一体全体、どのような価値観・倫理観をもっているのか。一人の政治家の事務的ミスを「法令違反」にでっちあげ、検察審議会までつかって起訴に追い込んだ日本のマスメディアが、「プロ志望届」を無視する学生選手に寛容な理由が知りたい。
◎ドラフト制度の必要性
プロ野球は日本人に最も愛されている娯楽の1つであり、社会の関心も高い。地域にプロ野球球団をもつことは地域の人の夢の1つであり、実現すれば、その地域の活性化につながる。それは経済効果にとどまらない。だから、筆者はできるだけ多くのプロ野球球団が日本に存在すべきだと思っている。日本の人口1億2千万人超に比して現在の12という球団数は少なすぎる。
いま衰退期にあるという日本のプロ野球だが、衰退から飛躍へとベクトルを変換するためには、少なくとも、現状の12球団から8球団ほど増設し20球団体制で臨むべきだと思っている。地域でいえば、東北、北関東、甲信越、東海、中国・四国、沖縄等にプロ球団があっていい。
球団を増設するためには、初期投資、運営経費等を抑制した合理的球団経営が求められる。そのような観点に立つ時、ドラフト制度は新人契約金の高騰を防止する面で、必要不可欠な制度として機能する。さらに、各球団の戦力均等化が担保され、リーグ戦の白熱化がプロ野球ファンの拡大に直結する効果も期待できる。
◎「巨人」の復活は日本のプロ野球の「死」
そう考えないプロ野球経営者もいる。彼らは、かつての日本のプロ野球、すなわち、「巨人軍」人気に全面的に依拠し、日本中の野球ファン=巨人ファンであったことを理想とする者たちだ。彼らは、“巨人軍は永遠に不滅です”と信じている。
スポーツマスコミ経営者も同様だ。彼らの発行するスポーツ新聞が全国的規模で売上を伸ばすためには、全国の野球ファンが巨人ファンであることほど好都合なことはない。北は北海道から南は沖縄まで、巨人ブランドが浸透していれば、これほどシンプルなマーケティングはない。巨人が勝てば、全国規模で新聞部数が増大する。新聞に限らない。テレビ局、雑誌社も同様だ。
しかし、野球に限らず、スポーツの魅力は内容だ。戦力、情報、人気が一極集中したままであれば、そのようなコンテンツは腐敗する。同じ球団が9年連続して日本一であり続ければ、勝負とは呼べない。実際、近年のプロ野球界の推移を振り返ると、その人気が、他のスポーツに奪われていく過程そのものだった。プロ野球人気を侵食したスポーツは、どれも力の拮抗した者たちが真剣に競う内容をもったものだった。たとえば、米国のMLB(大リーグ野球)、世界のサッカー、米国のNBA(バスケットボール)、フィギアスケート、陸上競技、格闘技・・・それらの台頭と進出によって、日本プロ野球は人気に陰りをみせた。とりわけ、1995年、日本のプロ野球選手・野茂英雄がMLBで活躍したことがその契機となったと言って過言でない。野茂がドジャースの投手として、MLBで活躍をはじめ、MLBのライブ映像が日本に届けられるようになってきてからというもの、日本のプロ野球の貧困さに日本の野球ファンが気づき始めた。加えて、2002年日韓W杯が開催され、日本のスポーツファンがサッカーの魅力に覚醒して以来、日本プロ野球、とりわけ、“巨人一極集中”は一気に衰退へと向かっていった。
◎それでも野球は日本で一番の人気スポーツ
もちろん、それでも、日本のスポーツ界におけるプロ野球の地位は依然トップであり、スポーツ界の王者であることに変わりない。だから、人々はドラフト会議の結果にこうまで注目する。一人の新人選手の入団交渉権の行方について、世間が騒然とするようなスポーツはほかにない。
であるからこそ、日本の野球人には、コンプライアンスが求められる。前出のとおり、ドラフトは法的規制ではないが、野球界おける新人契約に係る倫理規定と言える。法外な契約金で新人を金満球団が独占できないよう、学生野球界とプロ野球界が倫理的に取り決めた規制とも換言できる。
学生野球選手は、プロ野球入りを希望する者すべてがその旨を学生野球連盟に申請する(「プロ野球志望届」)。学生野球連盟は申請を受け付け、それを公示し、プロ野球球団は順番にその中の意中の選手に対して(交渉権)を指名する。指名が重複すれば抽選だ。これほどシンプルで公正な制度がほかにあろうか。しかも、選手は指名を拒否することができる。その場合は、どことも交渉しないことを意味するので、プロ野球球団に入ることはなくなる。先に出した「プロ野球志望届」に拘束されない。このことについては後ほど、触れる。
このたび、学生野球界の逸材・菅野投手に対して、1位指名をしたのが日本ハムと読売。抽選の結果、日ハムが交渉権を獲得した。何の不思議もない。ドラフト制度のあたりまえの進捗だ。ところが、菅野の伯父にあたる者がたまたま読売の監督だったことから、菅野が読売に単独指名されることが自然であるかのような空気づくりが、事前にスポーツマスコミの間で醸成されていた。伯父のいる球団に甥が入団するのが「当たり前」であるかのように。
◎ドラフト破りに介在する学生野球部のボス
筆者は直前の当コラムにおいて、甥が、たまたま伯父が監督を務める球団に入団することのほうが不自然であることを書いた。よって、そのことについては繰り返さない。ただ繰り返しておきたいのは、菅野を無抽選で単独指名したい球団があり、菅野を特定球団に入団させたい大学野球部があることだ。大学野球部(体育会)においては、暴力体質とともに、その悪しき伝統となっているのがコネ・学閥だ。先輩・後輩の関係による利権確保だ。学閥は就職、転職等の決定に重要な要素となっていることも少なくない。さらにそのことが深化して、利権につながる。このたびのドラフト会議においては、東海大学野球部が指名球団である日ハムと指名された菅野の間に介在し、野球界、すなわち、プロ~アマ(学生野球)が共同して構築したドラフト制度の円滑な推進を阻害しようとしているようにみえる。
ドラフト会議は、プロ球団と学生アマ選手の交渉について、公正さと経済合理性を担保するための制度だ。それは法外な裏金等の授受を排除するためのルールでもある。だから、選手と球団との間に不健全な第三者の介在も自動的に排除される。
ドラフト制度がなく、学生選手とプロ球団が直接入団交渉をすることになれば、一個人(学生選手)が複数の大企業組織(プロ野球球団)とあい渉らなければならなくなる。学生選手側が代理人として弁護士を立てることもできる。また、所属する野球部の監督等が代理人として登場することもできる。もし、後者のようなケースが頻発すれば、そこに裏金のような不透明な金銭のやり取りが発生する可能性を排除できない。ドラフト制度という合理的仕組み(=規制)は、入団交渉における不透明性を自動的に排除できる。
野球人(プロ球団、学生選手、学生球団=学生・社会人野球部等)すべてが、ドラフト制度を遵守することが、野球界のコンプライアンスの確立につながる。また、スポーツマスコミは、野球人のうちのどこかの部分がドラフト無視の行動を示した場合、あるいは、抜け道をさがすような行動を見せた場合、違反者に対し、批判を加えなければいけない。少なくとも、スポーツマスコミはドラフト当事者に対し、中立であらねばならない。
◎「プロ野球志望届」を無視する学生選手こそ「法令違反者」
菅野が今後進むべき道(選択肢)は1つしかない。ドラフト会議で指名権を得た日ハム球団と交渉し、妥当な条件であるならば、プロ野球(日ハム入団)に進むことだ。海外プロ野球、国内社会人球団等への入団もないことはないだろうが、菅野は学生野球連盟に対して、「プロ野球志望届」を提出している。であるから、志望届をホゴにするような選択は不正にほかならない。学生選手が堂々と、プロ・学生球界共同で構築した制度を無視するというのはいかがなものか。「プロ野球志望届」というのは、それほどまでに軽い提出書類なのか。「プロ野球志望届」を提出していながら、ドラフト終了後、プロ球団と交渉しない場合、法令違反にならないのか。
日本プロ野球機構はこれまで、「プロ野球志望届」を提出しながら、ドラフト会議終了後にプロ野球に入団しなかった学生選手に抗議していない。プロ側は、「志望届」をホゴにした学生選手をとがめるようなことはなかった。また、日本のマスメディアもその件を追及していない。「法令違反者」を批判しない日本のマスメディアとは一体全体、どのような価値観・倫理観をもっているのか。一人の政治家の事務的ミスを「法令違反」にでっちあげ、検察審議会までつかって起訴に追い込んだ日本のマスメディアが、「プロ志望届」を無視する学生選手に寛容な理由が知りたい。
2011年10月28日金曜日
スポーツマスコミの大罪―日ハム菅野指名は快挙
プロ野球のドラフト会議に係るマスメディア、とりわけ、スポーツマスコミの報道ぶりについては、ただただ呆れるばかりだ。
今年のドラフトの目玉の一人が、最速157キロを誇る大型右腕、菅野智之投手(東海大)。菅野は読売ジャイアンツ原監督の甥にあたるという。そんな血縁関係から、菅野は読売の単独指名間違いないという報道がなされていた。ドラフトの目玉を読売が単独指名をするのが当然だという空気づくりだ。なぜならば、菅野は監督の甥だから・・・
こんなバカな話はない。一般社会において、子が父親のライバル会社に就職することは珍しくない。おじ~甥の関係ならばなおさらだ。そもそも、子の立場からすれば、父やおじといった存在は鬱陶しい。あたりまえに成長した子供ならば、就職のとき、肉親のいない職場を選ぶことのほうが普通だろう。
逆に、自力で就職できない出来の悪い子供の場合、コネ(縁故)入社がある。あるいは、父親が世襲を目指す場合、子供の意思を無視して、自分の経営する会社に強制的に子供を就職させることもある。なによりも、コネや世襲というのは一般的ではない場合なのだ。
“菅野読売入り”を一般常識であるかのように書いてきたスポーツ記者諸氏は、自らのおじ等の肉親がいることをもって、いまのスポーツマスコミ会社に入社したのだろうか。繰り返すが、一般社会において、伯父が管理職(監督)を務める企業(球団)に甥である新人(選手)が入社(団)することのほうがよほど、不自然なのだ。
そればかりではない。原が読売の監督でいる期間は、せいぜい2012シーズンまでだろう。たまたま菅野がドラフト会議にかかった2011年シーズンとその翌シーズン、原は読売の監督を務めるにすぎない。しかも、2011シーズン、原監督はペナント優勝を逃し、リーグ3位という不本意な成績に終わっている。原は読売の監督の座を更迭されても不思議ではなかったのだが、なぜか、読売フロントは原を留任させた。憶測・邪推にすぎないけれど、菅野を単独指名するため、伯父の原に監督を続けさせた可能性すら否定できない。
読売はこれまで、ドラフト会議制度を事実上、形骸化させてきた。江川問題を持ち出すまでもなく、2011年シーズン、新人投手ながら11勝11敗、防御率2.03と大活躍した沢村拓一は2010年のドラフト会議で読売の単独指名を受けている。沢村の場合、ドラフトに際しては複数のメジャー球団からメジャー契約でのオファーもあり、巨人以外から指名された場合はアメリカでのプロ入りを選択していた可能性もあったといわれている。つまり、沢村は読売以外に指名された場合、指名球団との交渉を拒否して、アメリカへ行くぞ、という脅しを11球団にかけたのだ。せっかく1位の交渉権を得ても、選手が交渉を拒否するのであれば指名する意味がない、と他球団に思わせたのだ。もちろん、そう報道したのが、スポーツマスメディアだった。スポーツメディアは、読売の沢村単独指名の地ならしをした。
2011年シーズン、セリーグの首位打者となった長野久義の場合は、ドラフト破りに近い。2006年シーズン、長野(日本大学)は、春季は12試合出場、打率.489、主将を務めた秋季は13試合出場、打率.404の好成績をおさめ、2季連続首位打者(高須洋介・青山学院大学以来2人目)を獲得、ベストナインにも満票選出された。強肩・俊足を兼ね備え、プロの注目を浴びることとなり、同年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから4巡目指名を受けたが、巨人への入団を熱望していたことから入団を拒否した。
長野は2007年に本田技研工業へ入社。ノンプロチームHondaでも大活躍をし、大会最優秀選手に選出された。2008年、ドラフト会議で巨人以外に指名された場合はプロ入りせず会社に残留する意志を固めていたといわれていたが、巨人以外でも入団するとの情報を得ていた千葉ロッテマリーンズが2巡目で“強行”指名。ところが、長野は当日のボビー・バレンタインとの面会を拒否し、入団拒否を明らかにした。翌日にロッテ球団側に直接入団拒否を申し入れ、球団側も了承。Honda残留が決定し、2009年のドラフトで巨人の指名を待つこととなった。
2009年2月、巨人は長野にドラフト1位指名する方針を公表。長野は、Hondaにおいて、第80回都市対抗野球大会で打率.579の活躍で首位打者を獲得。チームを13年ぶりの優勝に導いた。2009年10月、ドラフト会議で巨人から確約通り単独1位で指名、交渉権が確定した。他球団は長野1位指名を行わなかった。
長野は、読売入団までなんと3年間、ノンプロチームで道草を食った。2006年、2008年の長野の交渉拒否を目の当たりにした読売以外の球団は、前出のとおり、長野の轍を踏まぬよう、2010年ドラフトにおいて、沢村の読売単独指名を許容した。
読売入団に固執する選手も選手だけれど、他の11球団の読売に対する弱気、遠慮がドラフトを形骸化させている。2009年ドラフトで読売が長野の1位指名を表明したとしても、他の11球団のうち、長野を必要とする球団が敢然と長野を1位指名すればよかった。抽選の結果、読売以外の他球団に交渉権が決まった場合、長野はプロ野球界入りを拒否できただろうか。大学卒業から4年間、ノンプロチームHonda(本田技研)の選手でいられただろうか。
もちろん、そうすることの弊害はある。長野という才能のある野球選手を大学卒業後4年間もノンプロチームに塩漬けにしていいのかという問題だ。また、長野の交渉権を獲得した北海道日ハム、千葉ロッテは、1位交渉権という最大の補強の機会を失っている。新人選手、プロ野球球団双方にとって、ドラフトのミスマッチに伴う損失は計り知れないほど大きいように思える。
しかし、2008年ドラフト会議で長野を獲得できなかった千葉ロッテの場合、2009年パリーグ5位、2010年同3位(日本一)、2011年同6位という結果になっている。長野がロッテに入団していたら、2009年シーズンからプレーしたわけだが、長野不在の2010年にクライマックスシリーズを制しているくらいだから、不在の影響は少なかったようにも思われる。
同様に、2006年ドラフトで長野を獲得できなかった北海道日ハムの場合、2007年シーズンは同1位、2008年同3位、2009年同1位、2010年同4位、2011年同2位という成績だ。
2009年ドラフトで長野を獲得した読売の場合、長野が入団した2010年シーズンは同1位だが、長野が首位打者を獲得し活躍した2011年は3位に順位を落とした。つまり、有望な新人を獲得することはチーム力アップの必要条件だが、獲得できなかったからといって、即座に成績に反映するとも限らない。これがチームスポーツの不思議なところだ。
結論を言えば、日本プロ野球が新人選手交渉権の公正さ及び経済合理性を担保するため、ドラフト制度を続けるつもりならば、各球団は補強すべき選手については、選手側の交渉拒否を恐れず、断固として上位指名を敢行すべきなのだ。
ドラフト会議がライブ中継される時代だ。球団は、指名権重複(抽選)や選手側の交渉拒否の事前情報を恐れてはいけない。指名重複の結果に基づく抽選は、それ自体がドラマであり、ファンサービスにほかならない。また、球団の逃げ腰に乗じて、選手側が交渉拒否の事前情報をリークするような不透明さを許せば、ドラフトは事実上形骸化し、人気球団に有望・有名選手が自ずと偏る傾向を助長してしまう。
さらに、スポーツメディアは「巨人」のドラフト形骸化戦略を援助する予断に満ち満ちた報道を中止すべきだ。読売はかつての「巨人」一極集中プロ野球の復活を夢見ている。だがもはや、全国区人気の「巨人」中心という構図の復活はあり得ない。21世紀の日本プロ野球は、それぞれの地域に根差した地域のための球団と、その地域のファンとともにある。全国津々浦々が「巨人」を応援するなどという不自然なスポーツ文化は、もうあり得ない。おらが国のおらがチームを応援する。
このたびの北海道日ハムの菅野1位指名は快挙だ。読売のドラフト破りの横暴を許さないため、換言すれば、「読売単独指名」を恒常化させないため、今後、各球団もこれに倣ってほしい。
また、プロを目指す若き野球選手も、「巨人」という幻想に迷って、自らの進路を誤ってほしくない。いまのプロ野球を代表する選手のうち、いったい何人が読売ジャイアンツに所属しているか数えてみればいい。野球において、日本代表チームを編成したとき、代表に呼ばれる読売の選手は、投手ならば内海、沢村、野手ならば、長野、阿部くらいだろう。読売ジャイアンでは、選手は育たない。
繰り返すが、スポーツメディアは、読売単独指名を助長する意図的報道を行ってはいけない。かりに、「読売以外にはいかない、指名されても交渉しない」と発言する選手がいたならば、その発言をもって、その選手を批判すべきだ。コンプライアンスは「法令遵守」と訳されるが、法律に触れないからと言って、約束事、ルール、倫理(規定)等を無視することは許されない。もちろん、海外への挑戦は自由であるから、それは除外する。海外志向の新人は、あらかじめ「自分は海外でやりたい」と表明すればいい。そうすれば、全球団がその選手を指名から除外することができる。「読売以外なら海外」というのは、ドラフト精神(倫理)に反する。
今年は計72選手が指名を受けた。指名された全選手の今後の活躍を祈念する。
今年のドラフトの目玉の一人が、最速157キロを誇る大型右腕、菅野智之投手(東海大)。菅野は読売ジャイアンツ原監督の甥にあたるという。そんな血縁関係から、菅野は読売の単独指名間違いないという報道がなされていた。ドラフトの目玉を読売が単独指名をするのが当然だという空気づくりだ。なぜならば、菅野は監督の甥だから・・・
こんなバカな話はない。一般社会において、子が父親のライバル会社に就職することは珍しくない。おじ~甥の関係ならばなおさらだ。そもそも、子の立場からすれば、父やおじといった存在は鬱陶しい。あたりまえに成長した子供ならば、就職のとき、肉親のいない職場を選ぶことのほうが普通だろう。
逆に、自力で就職できない出来の悪い子供の場合、コネ(縁故)入社がある。あるいは、父親が世襲を目指す場合、子供の意思を無視して、自分の経営する会社に強制的に子供を就職させることもある。なによりも、コネや世襲というのは一般的ではない場合なのだ。
“菅野読売入り”を一般常識であるかのように書いてきたスポーツ記者諸氏は、自らのおじ等の肉親がいることをもって、いまのスポーツマスコミ会社に入社したのだろうか。繰り返すが、一般社会において、伯父が管理職(監督)を務める企業(球団)に甥である新人(選手)が入社(団)することのほうがよほど、不自然なのだ。
そればかりではない。原が読売の監督でいる期間は、せいぜい2012シーズンまでだろう。たまたま菅野がドラフト会議にかかった2011年シーズンとその翌シーズン、原は読売の監督を務めるにすぎない。しかも、2011シーズン、原監督はペナント優勝を逃し、リーグ3位という不本意な成績に終わっている。原は読売の監督の座を更迭されても不思議ではなかったのだが、なぜか、読売フロントは原を留任させた。憶測・邪推にすぎないけれど、菅野を単独指名するため、伯父の原に監督を続けさせた可能性すら否定できない。
読売はこれまで、ドラフト会議制度を事実上、形骸化させてきた。江川問題を持ち出すまでもなく、2011年シーズン、新人投手ながら11勝11敗、防御率2.03と大活躍した沢村拓一は2010年のドラフト会議で読売の単独指名を受けている。沢村の場合、ドラフトに際しては複数のメジャー球団からメジャー契約でのオファーもあり、巨人以外から指名された場合はアメリカでのプロ入りを選択していた可能性もあったといわれている。つまり、沢村は読売以外に指名された場合、指名球団との交渉を拒否して、アメリカへ行くぞ、という脅しを11球団にかけたのだ。せっかく1位の交渉権を得ても、選手が交渉を拒否するのであれば指名する意味がない、と他球団に思わせたのだ。もちろん、そう報道したのが、スポーツマスメディアだった。スポーツメディアは、読売の沢村単独指名の地ならしをした。
2011年シーズン、セリーグの首位打者となった長野久義の場合は、ドラフト破りに近い。2006年シーズン、長野(日本大学)は、春季は12試合出場、打率.489、主将を務めた秋季は13試合出場、打率.404の好成績をおさめ、2季連続首位打者(高須洋介・青山学院大学以来2人目)を獲得、ベストナインにも満票選出された。強肩・俊足を兼ね備え、プロの注目を浴びることとなり、同年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから4巡目指名を受けたが、巨人への入団を熱望していたことから入団を拒否した。
長野は2007年に本田技研工業へ入社。ノンプロチームHondaでも大活躍をし、大会最優秀選手に選出された。2008年、ドラフト会議で巨人以外に指名された場合はプロ入りせず会社に残留する意志を固めていたといわれていたが、巨人以外でも入団するとの情報を得ていた千葉ロッテマリーンズが2巡目で“強行”指名。ところが、長野は当日のボビー・バレンタインとの面会を拒否し、入団拒否を明らかにした。翌日にロッテ球団側に直接入団拒否を申し入れ、球団側も了承。Honda残留が決定し、2009年のドラフトで巨人の指名を待つこととなった。
2009年2月、巨人は長野にドラフト1位指名する方針を公表。長野は、Hondaにおいて、第80回都市対抗野球大会で打率.579の活躍で首位打者を獲得。チームを13年ぶりの優勝に導いた。2009年10月、ドラフト会議で巨人から確約通り単独1位で指名、交渉権が確定した。他球団は長野1位指名を行わなかった。
長野は、読売入団までなんと3年間、ノンプロチームで道草を食った。2006年、2008年の長野の交渉拒否を目の当たりにした読売以外の球団は、前出のとおり、長野の轍を踏まぬよう、2010年ドラフトにおいて、沢村の読売単独指名を許容した。
読売入団に固執する選手も選手だけれど、他の11球団の読売に対する弱気、遠慮がドラフトを形骸化させている。2009年ドラフトで読売が長野の1位指名を表明したとしても、他の11球団のうち、長野を必要とする球団が敢然と長野を1位指名すればよかった。抽選の結果、読売以外の他球団に交渉権が決まった場合、長野はプロ野球界入りを拒否できただろうか。大学卒業から4年間、ノンプロチームHonda(本田技研)の選手でいられただろうか。
もちろん、そうすることの弊害はある。長野という才能のある野球選手を大学卒業後4年間もノンプロチームに塩漬けにしていいのかという問題だ。また、長野の交渉権を獲得した北海道日ハム、千葉ロッテは、1位交渉権という最大の補強の機会を失っている。新人選手、プロ野球球団双方にとって、ドラフトのミスマッチに伴う損失は計り知れないほど大きいように思える。
しかし、2008年ドラフト会議で長野を獲得できなかった千葉ロッテの場合、2009年パリーグ5位、2010年同3位(日本一)、2011年同6位という結果になっている。長野がロッテに入団していたら、2009年シーズンからプレーしたわけだが、長野不在の2010年にクライマックスシリーズを制しているくらいだから、不在の影響は少なかったようにも思われる。
同様に、2006年ドラフトで長野を獲得できなかった北海道日ハムの場合、2007年シーズンは同1位、2008年同3位、2009年同1位、2010年同4位、2011年同2位という成績だ。
2009年ドラフトで長野を獲得した読売の場合、長野が入団した2010年シーズンは同1位だが、長野が首位打者を獲得し活躍した2011年は3位に順位を落とした。つまり、有望な新人を獲得することはチーム力アップの必要条件だが、獲得できなかったからといって、即座に成績に反映するとも限らない。これがチームスポーツの不思議なところだ。
結論を言えば、日本プロ野球が新人選手交渉権の公正さ及び経済合理性を担保するため、ドラフト制度を続けるつもりならば、各球団は補強すべき選手については、選手側の交渉拒否を恐れず、断固として上位指名を敢行すべきなのだ。
ドラフト会議がライブ中継される時代だ。球団は、指名権重複(抽選)や選手側の交渉拒否の事前情報を恐れてはいけない。指名重複の結果に基づく抽選は、それ自体がドラマであり、ファンサービスにほかならない。また、球団の逃げ腰に乗じて、選手側が交渉拒否の事前情報をリークするような不透明さを許せば、ドラフトは事実上形骸化し、人気球団に有望・有名選手が自ずと偏る傾向を助長してしまう。
さらに、スポーツメディアは「巨人」のドラフト形骸化戦略を援助する予断に満ち満ちた報道を中止すべきだ。読売はかつての「巨人」一極集中プロ野球の復活を夢見ている。だがもはや、全国区人気の「巨人」中心という構図の復活はあり得ない。21世紀の日本プロ野球は、それぞれの地域に根差した地域のための球団と、その地域のファンとともにある。全国津々浦々が「巨人」を応援するなどという不自然なスポーツ文化は、もうあり得ない。おらが国のおらがチームを応援する。
このたびの北海道日ハムの菅野1位指名は快挙だ。読売のドラフト破りの横暴を許さないため、換言すれば、「読売単独指名」を恒常化させないため、今後、各球団もこれに倣ってほしい。
また、プロを目指す若き野球選手も、「巨人」という幻想に迷って、自らの進路を誤ってほしくない。いまのプロ野球を代表する選手のうち、いったい何人が読売ジャイアンツに所属しているか数えてみればいい。野球において、日本代表チームを編成したとき、代表に呼ばれる読売の選手は、投手ならば内海、沢村、野手ならば、長野、阿部くらいだろう。読売ジャイアンでは、選手は育たない。
繰り返すが、スポーツメディアは、読売単独指名を助長する意図的報道を行ってはいけない。かりに、「読売以外にはいかない、指名されても交渉しない」と発言する選手がいたならば、その発言をもって、その選手を批判すべきだ。コンプライアンスは「法令遵守」と訳されるが、法律に触れないからと言って、約束事、ルール、倫理(規定)等を無視することは許されない。もちろん、海外への挑戦は自由であるから、それは除外する。海外志向の新人は、あらかじめ「自分は海外でやりたい」と表明すればいい。そうすれば、全球団がその選手を指名から除外することができる。「読売以外なら海外」というのは、ドラフト精神(倫理)に反する。
今年は計72選手が指名を受けた。指名された全選手の今後の活躍を祈念する。
2011年10月26日水曜日
猫たちの近況
気温が低くなった今日この頃、二匹の猫は互いにくっついて寝ることが多くなったようにも思えたのだが、それぞれ、離れて寝ねていることも多い。寝る場所も一定ではない。
猫は一日の大半を寝て過ごすが、起きているときは、互いにポジションどりで争っていることが多い。一匹が高いところを占拠すると(たとえば、デスクの上とか)、その一方がそこを取ろうとする。そして、じゃれ合う。
追いかけっこをくりかえすことも多い。この行動は狩りの練習だと思われる。CATVの動物専門番組でライオン、ヒョウといった大型のネコ科動物の特集をやっていたのを偶然、見たのだが、彼らの行動がわが家の猫のそれと大差のないことを確認した。
猫はペットでありながら、獣性・野性を失っていない。
2011年10月19日水曜日
『原発の深い闇2』
●別冊宝島 ●宝島社 ●980円
日本は利権国家だといわれる。日本国における利権の構造の特徴はいくつかある。たとえば、人々の生存に必須な部門において、より強固な利権が関係者によって築かれている場合が多いことを挙げることができる。生存に係る部門というのは、農業(食糧)、エネルギー、医療、年金、公共施設…等々のことをいう。
また、利権は政~官~財の結びつきによって守られ、さらに、第四の権力と呼ばれるマスメディア業界の関与が近年顕著なことも特徴だ。たとえば、斜陽産業といわれる農業(食糧)の場合、利権の主体は農業協同組合、行政(農水省、地方自治体)、政治(国政、首長、地方議会)で、この三者が共同で他の参入を妨害する一方、“素朴な農民(業)を守ろう”という「世論」を形成するマスメディア業界が、前出の三者を援護するという構図になっている。マスメディア業界が「第4の権力」と言われる所以だ。
そればかりではない。利権は弱者救済、正義、良心、合理性等に基づく「政策」の化粧を施されて温存される。農業の新規参入を阻んできたのが、“素朴な日本の農民(業)を守ろう”という「良心」であったことは前出のとおりだ。
利権の構造については、近年、表面的にはメスが入れられているかのようにも見える。▽郵政民営化、▽年金改革、▽公共事業に係る契約の透明化等が図られたようにみえる。だが、改革とは名ばかりで、既得権が温存されていることが多い。
そして、原発利権である。
原発利権には、電力会社、ゼネコン、地元建設業、原発メーカー、行政(経産省、文科省、地方自治体、警察)、司法、政治(国政、首長、地方議会)、地域社会、マスメディア業界、芸能界、文化人、労働団体、学界までも関与した。原発利権は、日本のすべての業態が群がっているという意味において、格別のスケールを誇る。しかも、原発(建設から稼働まで)が有する反社会性、反道徳性、非人間性、危険性等が良心的研究者・ジャーナリスト等から指摘されながら、大手マスメディア業界はそれを無視し、電力会社の出稿する広告宣伝費の前に沈黙した。こうした原発利権に群がる集団をいつしか世間は「原発マフィア」と呼ぶようになった。
3.11は、原発の矛盾を公にした(はずである)。人々はその危険性を認識した(はずである)。「はずである」のだが、事故発生後7か月にして、原発の非人間性、危険性の認識は薄れてきているように思える。けれど、人々の関心が原発から遠ざかることを非難できない。というのも、原発マフィアは、マスメディア業界を使って、情報隠ぺい、情報操作、情報偽装等あらゆる手段を通じて、人々の意識を「安全宣言」の方向性に誘導しているからだ。日本における3.11以降の状況について、本書はナチの宣伝大臣ゲッペルスの言葉「充分に大きな嘘をくりかえせ」を引用する。3.11以降、日本に宣伝大臣がいるわけではない。なんとなく、それとなく、原発の「安全性」が空気となる。日本の権力構造の不可解さだ。
その間、原発事故を契機として、市民活動家を前歴とする菅直人は彼なりの良心に基づき、原発の危険性を真摯に受け止めたように思える。彼は次々と脱原発に向けて政策の舵を切り始めた。ところが、いつのまにか形成された“反菅”の空気に押し出されるように、菅直人は総理大臣の職を追われた。
菅に代わって総理大臣の座に就いた野田佳彦は、内向きには「脱原発」を掲げながら、国際公約として「原発推進」を宣言した。経産省は高まる東電解体、発送電分離の世論をかわしつつ、その利権をすべて温存することに成功した。経産省傘下にある原発関連の公益法人等はすべて無傷なままだ。
原発安全を保証してきた原子力学界からの真の反省の声は聞こえない。ばかりか、「笑っていれば放射能は逃げていく」と被災住民に説いている「学者」がいる。
マスメディア業界は、脱原発を政治信条とする新任の経産相のクビをとばした。
原発マフィアの構成員には、3.11はなかったかのようだ。彼らは「彼らに降りかかった3.11」を切り抜けようと躍起になっているばかりか、その利権を守り、さらにより強固にする計画を作成し実行しつつある。日本国民の生命を犠牲にして。
さて、本書の編集コンセプトは、前号から継続して、3.11以前及び3.11以降に継続して行われている原発マフィアたちの悪行をタブーなしで暴露する内容となっている。本書から、原発マフィアが、3.11以降も自らの悪行を反省したり自己批判したりする気配がないことをうかがい知ることができる。
本書の目玉の1つは、古賀茂明、小出裕章、広瀬隆の三氏の登場ではないか。古賀は、3.11以降ではあるが、現役経産省官僚の立場から政府の事故処理、原発政策を批判し、経産省を辞めている。小出、広瀬は3.11以前から反原発、脱原発の立場を掲げてきた。三者の原発行政批判は信頼できる。
もう1つの目玉は、本書掲載の原発マフィアに関する各種データだ。▽電力会社に取り込まれた大手新聞社幹部社員の実名一覧及び原発学者の実名一覧、▽原子力等関連の公益法人、独立行政法人の役員・総資産等の一覧、▽電力関連会社から敦賀市(原発立地)への寄附金一覧――等も興味深い。なかで驚異的なのが、巻末の▽「全国原発立地」電源三法交付金公開一覧だ。
『原発の深い闇』は1~2号を通じて、「闇」の実相を暴露し、人々を啓蒙した。もちろん、その功績は称えられるべきだ。ならば次のミッションは、原発マフィアの息の根を止める方法を明らかにすることではないか。啓蒙から、反原発、脱原発の運動論、組織論に踏み込めれば・・・原発の深い闇を払う、闇を光に変える、という意味において、次号(3)に期待したい。
日本は利権国家だといわれる。日本国における利権の構造の特徴はいくつかある。たとえば、人々の生存に必須な部門において、より強固な利権が関係者によって築かれている場合が多いことを挙げることができる。生存に係る部門というのは、農業(食糧)、エネルギー、医療、年金、公共施設…等々のことをいう。
また、利権は政~官~財の結びつきによって守られ、さらに、第四の権力と呼ばれるマスメディア業界の関与が近年顕著なことも特徴だ。たとえば、斜陽産業といわれる農業(食糧)の場合、利権の主体は農業協同組合、行政(農水省、地方自治体)、政治(国政、首長、地方議会)で、この三者が共同で他の参入を妨害する一方、“素朴な農民(業)を守ろう”という「世論」を形成するマスメディア業界が、前出の三者を援護するという構図になっている。マスメディア業界が「第4の権力」と言われる所以だ。
そればかりではない。利権は弱者救済、正義、良心、合理性等に基づく「政策」の化粧を施されて温存される。農業の新規参入を阻んできたのが、“素朴な日本の農民(業)を守ろう”という「良心」であったことは前出のとおりだ。
利権の構造については、近年、表面的にはメスが入れられているかのようにも見える。▽郵政民営化、▽年金改革、▽公共事業に係る契約の透明化等が図られたようにみえる。だが、改革とは名ばかりで、既得権が温存されていることが多い。
そして、原発利権である。
原発利権には、電力会社、ゼネコン、地元建設業、原発メーカー、行政(経産省、文科省、地方自治体、警察)、司法、政治(国政、首長、地方議会)、地域社会、マスメディア業界、芸能界、文化人、労働団体、学界までも関与した。原発利権は、日本のすべての業態が群がっているという意味において、格別のスケールを誇る。しかも、原発(建設から稼働まで)が有する反社会性、反道徳性、非人間性、危険性等が良心的研究者・ジャーナリスト等から指摘されながら、大手マスメディア業界はそれを無視し、電力会社の出稿する広告宣伝費の前に沈黙した。こうした原発利権に群がる集団をいつしか世間は「原発マフィア」と呼ぶようになった。
3.11は、原発の矛盾を公にした(はずである)。人々はその危険性を認識した(はずである)。「はずである」のだが、事故発生後7か月にして、原発の非人間性、危険性の認識は薄れてきているように思える。けれど、人々の関心が原発から遠ざかることを非難できない。というのも、原発マフィアは、マスメディア業界を使って、情報隠ぺい、情報操作、情報偽装等あらゆる手段を通じて、人々の意識を「安全宣言」の方向性に誘導しているからだ。日本における3.11以降の状況について、本書はナチの宣伝大臣ゲッペルスの言葉「充分に大きな嘘をくりかえせ」を引用する。3.11以降、日本に宣伝大臣がいるわけではない。なんとなく、それとなく、原発の「安全性」が空気となる。日本の権力構造の不可解さだ。
その間、原発事故を契機として、市民活動家を前歴とする菅直人は彼なりの良心に基づき、原発の危険性を真摯に受け止めたように思える。彼は次々と脱原発に向けて政策の舵を切り始めた。ところが、いつのまにか形成された“反菅”の空気に押し出されるように、菅直人は総理大臣の職を追われた。
菅に代わって総理大臣の座に就いた野田佳彦は、内向きには「脱原発」を掲げながら、国際公約として「原発推進」を宣言した。経産省は高まる東電解体、発送電分離の世論をかわしつつ、その利権をすべて温存することに成功した。経産省傘下にある原発関連の公益法人等はすべて無傷なままだ。
原発安全を保証してきた原子力学界からの真の反省の声は聞こえない。ばかりか、「笑っていれば放射能は逃げていく」と被災住民に説いている「学者」がいる。
マスメディア業界は、脱原発を政治信条とする新任の経産相のクビをとばした。
原発マフィアの構成員には、3.11はなかったかのようだ。彼らは「彼らに降りかかった3.11」を切り抜けようと躍起になっているばかりか、その利権を守り、さらにより強固にする計画を作成し実行しつつある。日本国民の生命を犠牲にして。
さて、本書の編集コンセプトは、前号から継続して、3.11以前及び3.11以降に継続して行われている原発マフィアたちの悪行をタブーなしで暴露する内容となっている。本書から、原発マフィアが、3.11以降も自らの悪行を反省したり自己批判したりする気配がないことをうかがい知ることができる。
本書の目玉の1つは、古賀茂明、小出裕章、広瀬隆の三氏の登場ではないか。古賀は、3.11以降ではあるが、現役経産省官僚の立場から政府の事故処理、原発政策を批判し、経産省を辞めている。小出、広瀬は3.11以前から反原発、脱原発の立場を掲げてきた。三者の原発行政批判は信頼できる。
もう1つの目玉は、本書掲載の原発マフィアに関する各種データだ。▽電力会社に取り込まれた大手新聞社幹部社員の実名一覧及び原発学者の実名一覧、▽原子力等関連の公益法人、独立行政法人の役員・総資産等の一覧、▽電力関連会社から敦賀市(原発立地)への寄附金一覧――等も興味深い。なかで驚異的なのが、巻末の▽「全国原発立地」電源三法交付金公開一覧だ。
『原発の深い闇』は1~2号を通じて、「闇」の実相を暴露し、人々を啓蒙した。もちろん、その功績は称えられるべきだ。ならば次のミッションは、原発マフィアの息の根を止める方法を明らかにすることではないか。啓蒙から、反原発、脱原発の運動論、組織論に踏み込めれば・・・原発の深い闇を払う、闇を光に変える、という意味において、次号(3)に期待したい。
2011年10月7日金曜日
「陸山会事件」の本質
「陸山会事件」の本質は何か――小沢一郎という政治家の活動を公判によって縛ることだ。ではだれが小沢一郎の政治活動を縛りたいのか――財界・官僚・マスコミという評価が一般的だ。いずれにしても、既存の権益を守ろうとする反小沢勢力であることは間違いない。カレル・ヴァン ウォルフレンに合わせて言えば、複数のアドミニストレーター(管理者)ということになる。ここでは、便宜上、それを反小沢派管理者と表現する。もっとも、一部には、小沢を権力の座につかせまいとするのは、米国(CIA)だという説もあるが。
小沢の政策のなかで、反小沢派管理者がもっとも反発しているもの1つの具体例を挙げれば――とりわけ、日本の大手マスコミが最も恐れているのは――メディアにおけるクロスオーナーシップの排除ではないか。このことは田中龍作(フリージャーナリスト)も指摘している。民主党が政権をとったとき、原口総務大臣(当時)がクロスオーナーシップの排除にふれたが、大手マスコミは完全無視を決め込み、当時の総務大臣の革新的政策を黙殺した。原口(当時大臣)の後ろ盾となっていたのが小沢一郎だった。
メディアにおけるクロスオーナーシップの排除とはいうまでもなく、新聞、ラジオ、テレビ等のマスメディアを単独のオーナーが所有することを排除することだ。米国ではすでにクロスオーナーシップ排除の原則が法制度化されているが、日本では実現せず、大新聞~テレビが完全に系列化されているし、ラジオもそれに近い。さらに、地方局も中央の大新聞系のキー局に系列化されている。新聞とテレビの関係について具体的に記述すれば、関東の場合、読売新聞~日本TV、朝日新聞~テレビ朝日、毎日新聞~TBS、産経新聞~フジテレビ、日経新聞~テレビ東京といった具合だ。
マスメディアが民意形成に与える影響力が大きなことは言うまでもない。報道によって、世論が形成される。日本ではとりわけ新聞、テレビの影響が大きく、NHKと民間併せて6つのキー局がテレビ番組を独占しているから、それらが同じ内容の情報を流せば、視聴者の洗脳は容易である。加えて、朝夕に世帯ごとに配布される新聞におなじ記事が掲載されていれば、ほかの情報を入手できない生活者は、テレビ・新聞の報道を世の中でおこった事実だと理解するほかない。
それだけではない。新聞・テレビのニュースは、記者クラブ制度を情報源(基盤)として制作されるため、すべてのメディアがほぼ同じニュースを流すことになる。記者クラブには協定が結ばれていて、談合によって、情報が伝達される仕組みになっている。日本のメディア事情というのは、資本、情報の質の両面において、民間5社とNHKになる6社の独占状態にある。
民間5社に対し、クロスオーナーシップ排除の原則が適用されたならば、必然的にテレビと新聞は競合するから、それぞれに積極的情報選択を促し、情報の内容に変化が起こることが期待できる。競合は必然的に、記者クラブ制度を崩壊させるから、政府がインターネットを通じて政策等を発表すれば、人々は新聞テレビを介さずに、ほぼリアルタイムにそれらを入手することができる。新聞とテレビは競合し、さらにインターネットとも競合するから、それぞれのメディアがそれぞれの特徴に合った内容の「ニュース」を報道するようになる。その結果、民意は多様化する。そればかりではない。政府がマスメディアを利用して国民を洗脳することがまずできなくなる。
結果として、安価で便利なインターネットがマスコミュニケーションの有力なツールとなることが予想される。筆者の予想に反して、人々がインターネットに信頼を置かず、これまでの新聞、ラジオ、テレビに期待するのであれば、新聞社、ラジオ局、テレビ局はいままでどおりの繁栄を続けるだろうし、期待されなければ市場から消えていく。インターネット通信の報道には許認可制度がないから、無数の「局」が乱立する。もちろん、そのなかでいいものだけが生き残る。
さて、「陸山会事件」である。これが裁判になる根拠はない。水谷建設による違法献金もなければ、そのことの虚偽記載もない。単に事務上の虚偽記載(ミス)があったとして、一人の政治家の政治活動を長期間にわたって拘束する「事件」ではない。修正もしくは罰金刑程度の微罪である。
政治資金規正法に違反してしまう政治家(事務所)は多い。規制が多すぎて、適法に事務を行うことが難しいからだ。そこが検察の目のつけ所となる。一般に、政治家がその権限を利用して不正なカネを得ていると考えるのは、大衆の自然の意識の流れだ。長期にわたる自民党政権下の日本にはそのような政治風土があったし、いまもあるかもしれない。“政治とは汚れたものだ”という空気に乗って、検察は自らにとって不利益となる政治家を政治資金規正法でひっぱり、政治活動を制限させてきた。しかも、そのことにより、検察は存在意義を示し、世論の支持を得ることすらできた。検察こそが正義だと。検察は、国民にとって利益をもたらすが自らには不利益となる政治家を抹殺することによって、国民から拍手喝さいを受けるのである。なんというパラドックスであろうか。
政治とカネをヒステリックに追及してきたのがマスメディアだ。マスメディアは検察の権威に乗って、「悪い政治家」を叩く。そのことによって、彼らもまた「正義」だと称賛を受ける。マスメディアに楯突くやつは「ペン」が許さぬ、という自己の権力化を成し遂げてもきた。
「陸山会事件」は、検察・マスメディアvs.小沢一郎の闘いとなった。検察・マスメディアは反小沢派管理者の代理人である。小沢一郎がメディアにおけるクロスオーナーシップ排除を掲げているため、マスメディアは露骨に「小沢つぶし」に走った。マスメディアは、このたびの「検察審議会」の強制起訴を、「市民感覚」とまで表現した。これはポピュリズムを通り越して、ファシズムを称賛したようなものだ。「検察審議会」の暴挙は、小沢一郎を公判に縛り付け、その政治活動を事実上、抑制する意図をもったものであることは明らかだ。にもかかわらず、マスメディアはそれを称賛した。検察審議会の正体を知りながら、それを報道しない。
検察・マスメディアvs.小沢一郎の闘いは、前者の勝利で終わってしまう可能性がみえている。そのことは、小沢が有罪になることを意味しない。小沢の秘書の公判を含め、「陸山会事件」の決着がつくころには、民主党は政権の座についていないであろうし、よしんば政権にあったとしても、名前は民主党であっても、小沢一郎が掲げた「民主党」とは異なる政党だからだ。
そればかりではない。小沢一郎の健康も気になるところだ。民主党政権発足後に起こった、検察の捜査、起訴猶予、検察審議会の強制起訴という一連の流れが、小沢の心身を傷つけたことは明白ではないか。加えて、自身の公判の前に行われた秘書に対する暗黒裁判の結果が小沢の心身に一層の打撃を加えたことであろう。そのことこそ、検察・マスメディアが企図したものにほかならない。
小沢一郎が権力を掌握することはほぼ不可能になったようにみえる。小沢一郎という政治家が、反小沢派管理者のテロによって倒されたように筆者には思える。
小沢の政策のなかで、反小沢派管理者がもっとも反発しているもの1つの具体例を挙げれば――とりわけ、日本の大手マスコミが最も恐れているのは――メディアにおけるクロスオーナーシップの排除ではないか。このことは田中龍作(フリージャーナリスト)も指摘している。民主党が政権をとったとき、原口総務大臣(当時)がクロスオーナーシップの排除にふれたが、大手マスコミは完全無視を決め込み、当時の総務大臣の革新的政策を黙殺した。原口(当時大臣)の後ろ盾となっていたのが小沢一郎だった。
メディアにおけるクロスオーナーシップの排除とはいうまでもなく、新聞、ラジオ、テレビ等のマスメディアを単独のオーナーが所有することを排除することだ。米国ではすでにクロスオーナーシップ排除の原則が法制度化されているが、日本では実現せず、大新聞~テレビが完全に系列化されているし、ラジオもそれに近い。さらに、地方局も中央の大新聞系のキー局に系列化されている。新聞とテレビの関係について具体的に記述すれば、関東の場合、読売新聞~日本TV、朝日新聞~テレビ朝日、毎日新聞~TBS、産経新聞~フジテレビ、日経新聞~テレビ東京といった具合だ。
マスメディアが民意形成に与える影響力が大きなことは言うまでもない。報道によって、世論が形成される。日本ではとりわけ新聞、テレビの影響が大きく、NHKと民間併せて6つのキー局がテレビ番組を独占しているから、それらが同じ内容の情報を流せば、視聴者の洗脳は容易である。加えて、朝夕に世帯ごとに配布される新聞におなじ記事が掲載されていれば、ほかの情報を入手できない生活者は、テレビ・新聞の報道を世の中でおこった事実だと理解するほかない。
それだけではない。新聞・テレビのニュースは、記者クラブ制度を情報源(基盤)として制作されるため、すべてのメディアがほぼ同じニュースを流すことになる。記者クラブには協定が結ばれていて、談合によって、情報が伝達される仕組みになっている。日本のメディア事情というのは、資本、情報の質の両面において、民間5社とNHKになる6社の独占状態にある。
民間5社に対し、クロスオーナーシップ排除の原則が適用されたならば、必然的にテレビと新聞は競合するから、それぞれに積極的情報選択を促し、情報の内容に変化が起こることが期待できる。競合は必然的に、記者クラブ制度を崩壊させるから、政府がインターネットを通じて政策等を発表すれば、人々は新聞テレビを介さずに、ほぼリアルタイムにそれらを入手することができる。新聞とテレビは競合し、さらにインターネットとも競合するから、それぞれのメディアがそれぞれの特徴に合った内容の「ニュース」を報道するようになる。その結果、民意は多様化する。そればかりではない。政府がマスメディアを利用して国民を洗脳することがまずできなくなる。
結果として、安価で便利なインターネットがマスコミュニケーションの有力なツールとなることが予想される。筆者の予想に反して、人々がインターネットに信頼を置かず、これまでの新聞、ラジオ、テレビに期待するのであれば、新聞社、ラジオ局、テレビ局はいままでどおりの繁栄を続けるだろうし、期待されなければ市場から消えていく。インターネット通信の報道には許認可制度がないから、無数の「局」が乱立する。もちろん、そのなかでいいものだけが生き残る。
さて、「陸山会事件」である。これが裁判になる根拠はない。水谷建設による違法献金もなければ、そのことの虚偽記載もない。単に事務上の虚偽記載(ミス)があったとして、一人の政治家の政治活動を長期間にわたって拘束する「事件」ではない。修正もしくは罰金刑程度の微罪である。
政治資金規正法に違反してしまう政治家(事務所)は多い。規制が多すぎて、適法に事務を行うことが難しいからだ。そこが検察の目のつけ所となる。一般に、政治家がその権限を利用して不正なカネを得ていると考えるのは、大衆の自然の意識の流れだ。長期にわたる自民党政権下の日本にはそのような政治風土があったし、いまもあるかもしれない。“政治とは汚れたものだ”という空気に乗って、検察は自らにとって不利益となる政治家を政治資金規正法でひっぱり、政治活動を制限させてきた。しかも、そのことにより、検察は存在意義を示し、世論の支持を得ることすらできた。検察こそが正義だと。検察は、国民にとって利益をもたらすが自らには不利益となる政治家を抹殺することによって、国民から拍手喝さいを受けるのである。なんというパラドックスであろうか。
政治とカネをヒステリックに追及してきたのがマスメディアだ。マスメディアは検察の権威に乗って、「悪い政治家」を叩く。そのことによって、彼らもまた「正義」だと称賛を受ける。マスメディアに楯突くやつは「ペン」が許さぬ、という自己の権力化を成し遂げてもきた。
「陸山会事件」は、検察・マスメディアvs.小沢一郎の闘いとなった。検察・マスメディアは反小沢派管理者の代理人である。小沢一郎がメディアにおけるクロスオーナーシップ排除を掲げているため、マスメディアは露骨に「小沢つぶし」に走った。マスメディアは、このたびの「検察審議会」の強制起訴を、「市民感覚」とまで表現した。これはポピュリズムを通り越して、ファシズムを称賛したようなものだ。「検察審議会」の暴挙は、小沢一郎を公判に縛り付け、その政治活動を事実上、抑制する意図をもったものであることは明らかだ。にもかかわらず、マスメディアはそれを称賛した。検察審議会の正体を知りながら、それを報道しない。
検察・マスメディアvs.小沢一郎の闘いは、前者の勝利で終わってしまう可能性がみえている。そのことは、小沢が有罪になることを意味しない。小沢の秘書の公判を含め、「陸山会事件」の決着がつくころには、民主党は政権の座についていないであろうし、よしんば政権にあったとしても、名前は民主党であっても、小沢一郎が掲げた「民主党」とは異なる政党だからだ。
そればかりではない。小沢一郎の健康も気になるところだ。民主党政権発足後に起こった、検察の捜査、起訴猶予、検察審議会の強制起訴という一連の流れが、小沢の心身を傷つけたことは明白ではないか。加えて、自身の公判の前に行われた秘書に対する暗黒裁判の結果が小沢の心身に一層の打撃を加えたことであろう。そのことこそ、検察・マスメディアが企図したものにほかならない。
小沢一郎が権力を掌握することはほぼ不可能になったようにみえる。小沢一郎という政治家が、反小沢派管理者のテロによって倒されたように筆者には思える。
2011年10月6日木曜日
2011年10月5日水曜日
大円寺(文京・向丘)
拙宅からブラブラと本郷方面を目指してあるいている途中、向丘(文京区)にて、赤い山門の寺を見かけた。
前を歩く若いカップルが数組、その中に吸い込まれていくように入っていく。
もしかしたら有名な寺なのかということで見学したのが、大円寺である。
帰宅後、ネット検索したところ、文京区の観光名所にもなっていることを知った。
この寺の見どころ等の詳細については、「ぞえぞえねっと」あたりがわかりやすい。
さて、大円寺の墓地が「無量壽」で、この季節、墓地内には、ヒガンバナ、ヒマワリ、ホウキグサ等が無秩序に咲き乱れていて、ちょっと不思議な雰囲気。
この界隈には数多くの寺があることが判明。
谷中ほどの風情はないけれど、特徴のある地域ではある。
2011年10月3日月曜日
季節の変わり目
これまで順調だった二匹の猫たちだが、ここのところ異変が続いている。
9月30日、Zazieが何かを飲み込んだらしく、家人が獣医に急いで連れて行き、レントゲンをとった。
結果は何も写っていなかったという。
数時間口をくちゃくちゃと鳴らしていたので、異物を口に入れたことは間違いない。
体重は2.2㌔と1月で0.2㌔増えたが、獣医の話では痩せているという。
一方のNicoであるが、今朝、食べた餌を全部吐いてしまった。
それでも、元気で走り回っていたので、あまり心配はしなかった。
1時間後、腹がすいたらしく、餌をねだったので、あげてしまった。
体重は3.4㌔でやはり、0.2㌔の微増であるが、去勢後の猫用のダイエットフードを与えているので、仕方がない。
ここのところ気温が下がってきたので、猫たちは抱かれたり、くっついたりして寝ることが多くなった。
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