2018年5月25日金曜日

嘘は罪――日大、内田・井上・司会のお粗末会見

日本大アメリカンフットボール(以下「アメフト」と略記)部の内田正人前監督(62)=19日付で辞任(以下「内田」と略記)と井上奨(つとむ)コーチ(29)=(以下「井上」と略記)が23日、東京都内で緊急記者会見した。

この会見において内田・井上は、先に会見した宮川泰介選手(20)=(以下「当該選手」と略記)の“悪質タックルは、監督・コーチの指示だった”とする発言を改めて否定した。

内田は暫定的に大学の常務理事職を停止し、日大が設置した第三者委員会の調査結果に進退を委ねる考えを示した。井上はコーチ職の辞意を表明した。

内田・井上は”指示”を否定

内田・井上の会見はひどいものだった。日大広報部職員の横柄な司会ぶりが話題となってしまったが、本質は、内田・井上が当該選手に“非合法プレーの指示をしたのかしなかったか”の一点に尽きる。筆者は、日大が会見を行った目的について、内田・井上が当該選手の発言を否定すること、当該選手が勝手にケガを負わせたのだ――という主張をするためだけのものだったと解している。

「関学QBを潰せ」が意味するもの

筆者はメディア及びアメフト関係者の多くが評するように、この事件は、内田・井上の指示により引き起こされたものと思っている。そこでキーワードなっているのが、「関学クォターバック(以下「QB」と略記)を潰せ」という言葉だ。当該選手は「潰せ」について、文字通りQBにケガを負わすことだと解釈し実行したと会見で明らかにした。

ところが、内田・井上はそれを、“QBをつかまえろ(おそらく「QBサック」のこと。このプレーについては後述する)の意味”もしくは、“それくらいの闘志をもってプレーしろ”という意味の指示だったと弁明している。この内田・井上の弁明は嘘であろう。その根拠を以下に示す。

QBサック(潰せ)はDLにとって当りまえのプレー

アメフトに関心をもったことのある人には迷惑かもしれないが、この競技の概要から説明する。第一の特徴は攻撃と守備が交互にわかれること。野球と同じだ。第二は、勝負は陣取りで、要は相手陣(エンドゾーン)にボールを運べば得点となる。ラグビーに似ている。

次に大雑把な陣形について。攻撃側は最前線にオフェンシブ・ライン(ラインマン)と呼ばれる屈強な選手を並べて進撃を図る。攻撃開始は、ラインがスナップしたボールを攻撃の司令塔であるQBが受け取った瞬間に開始される。ボールを保持したQBはそのとき瞬時にランプレー、パスプレー等を選択して実行する。プレーの選択は、攻撃側コーチからのサインをQBが受け取り、ハドルと呼ばれる数秒間の攻撃開始前の打ち合わせで全員に通達する。QBが司令塔と呼ばれる所以だ。

一方、守備側は前線にディフェンシブ・ライン(DL)とラインバッカ―(LB)を並べて相手の前進を阻む。日大の当該選手はご承知のようにDLだ。守備側(DL等)にとって最重要プレーの一つは、攻撃側のラインマンをかわして、QBがパスをする前につかまえて倒すこと。これができれば、守備の大殊勲となる。これをQBサックという。その際にQBがボールをこぼし、DLがそれを確保すれば攻守が入れ替わる。ターン・オーバーと呼ぶビッグ・プレーだ。

日本代表クラスの当該選手がコーチの指示を誤って解釈するわけがない

日大の当該選手は高校からアメフトを始め、しかも進学して最強校の一つである日大のレギュラークラスにして、日本代表に選ばれる実力者だ。そのくらいの選手に対して、コーチが「QBを潰してこい(=QBサックをしてこい)」もしくは(=QBをつぶすくらいの闘志をもって闘ってこい)といった凡庸な指示を出すはずがない。DLならばだれだって、QBサックを狙うのはあたりまえ。DLならばだれだって、隙あらばQBに強烈なタックルをかまして病院送りにするくらいの闘志をもって試合に出る。一方のQBはすべからく、相手ディフェンスがQBサックを狙ってくることを承知している。だから常にケガをしないよう、細心の注意を払ってプレーをする。それがコンタクトスポーツの一丁目一番地だ。

刑事訴追に備えた内田・井上発言

日大の会見で井上は、「潰してこい」と指示を出したことを認めている。そのうえで、それを一般的な意味での“QBサック”もしくは“闘志喚起”の指示だったと弁明している。筆者は既に述べたとおり、井上の指示は、“非合法的に関学QBにケガを負わせろ”の指示だったと思っている。前出のとおり、当該選手は優秀なDLなのだ。その選手がコーチの指示を勝手に解釈して、あのようなプレーに走ることは考えられない。日大側は、あくまでも当該選手が指示を誤って解釈し、非合法プレーに勝手に走ったと主張しようとする。この主張は、自己保身であり、明らかに、刑事訴追に備えていると推測できる。

当該選手は傷害罪の実行犯、内田・井上はその共謀共同正犯か

今後、司直の捜査で事件の全容が解明されたとすると、次のような犯罪に当たると思われる。

  1. タックルをした日大選手には傷害罪
  2. 指示したとされる内田・井上には共謀共同正犯が成立し同じく傷害罪

監督・コーチVS.学生選手という立場からすると、共謀共同正犯にあたる内田・井上のほうが重罪となる可能性が高い。また、内田・井上が会見で虚偽発言を繰り返したとなれば、心証は悪くなる。

指示の根拠となるのが、悪質なファウルの後、内田が当該選手をベンチに下げなかったこと。そのプレーを容認しており、事前の共謀を推認させる間接証拠となりうる。また、日大アメフト部員の証言、関学との試合後の囲み記者会見での「(当該選手は)よくやったよ」「違法云々」発言なども有力な証拠となるのではないか。

日大がこの先、内田・井上を守ろうとすればするほど、事態は日大にとって悪くなる。

2018年5月23日水曜日

テロリストの心理をみたーー日大アメフト加害部員会見

6日のアメリカンフットボール定期戦で、関学大QBを「殺人タックル」で負傷させた日大3年のDL宮川泰介選手(20)が22日に都内で会見した。内田正人前監督(62)と井上奨コーチ(30)の指示で反則したなど経緯を説明した。関学大QBと家族らには18日に謝罪したが「フットボールは続けるつもりはない」とも話した。

やっぱりあれは「テロ」だった

会見をテレビで見た。その結果を書けば、先の拙Blogで書いたことが間違っていなかったこと――あのプレーが「テロ」だったということが確信にかわった。換言すれば、テロ実行者の心境、心理状態が手に取るようにわかったということだ。

テロを実行する者の背景は一つではない、いろいろな要素がある。宗教やイデオロギーを使った洗脳、復讐心、金銭的欲求…なかでも、テロ以外の選択肢を奪う、精神的追い詰めはテロを実行させるための常套手段だ。

組幹部が若い組員に向かって、「タマをとってこい」と迫る場面がわかりやすい。映画等でよく見かけるシーンだ。ほぼ極限の縦社会である反社会的勢力組織にあって、若い組員に選択肢はない。若い組員は常日頃から、精神的、経済的等諸々にわたって「組」という縦型組織にからめとられている。若い組員はテロ命令を拒否する選択肢はない。それが縦組織の特性だ。反社会的勢力組織では、そのようなテロ実行者を「鉄砲玉」と呼ぶらしい。「鉄砲玉」に選ばれるのは若く純真で功を焦る者だろう。若いから組への貢献度は低い。早く幹部に昇進したい。武闘派と呼ばれたい。タマを取れば…そうして、彼は組織にとって絶好の実行者に仕上がっていく。

大学体育会は異常集団

日本の大学スポーツ、いわゆる体育会は先の拙Blogで書いたとおり、典型的な縦社会であり、映画で描かれた反社会的勢力組織と似ているように思われる。体育会に所属する学生はフィジカル・エリートだ。「スポーツ特待生」と呼ばれる制度で大学に入学できる。彼らは全国の高校の部活動経験者や付属高校からスカウトされる。普通の大学入試を受験・合格した者が大学からスポーツを始めて体育会に入部するケースが皆無とはいわないが、それらの者はレギュラーにはなれない場合がほとんどだ。

具体的な事例を紹介しよう。埼玉の某高校ラグビー強豪校を卒業したA君は、スポーツ特待生制度で大学のラグビー強豪校D大学に入学した。身長180センチ超、体重80キロ近くの大型ナンバー・エイトとして前途有望だった。ところが、A君は練習中に膝を痛めラグビー継続が不可能となったその途端、除籍となった。この事例がD大学特有なものか大学全般であり得る事例なのかわからない。だが、極めて残酷な話であることは間違いない。

大学スポーツの実態は、全国からフィジカル・エリートをスポーツ特待生として集め、監督・OB→コーチ→先輩→後輩という絶対的縦組織で運営される異常集団。特待生がケガ等で運動を続けられなくなると、除籍処分で大学を追われる。

大学体育会は大学本体の「外人部隊」「傭兵」

大学スポーツの歪さが明るみに出たのが、今回の日大アメフト事件だ。この事件から、体育会の監督、コーチと部員の関係及び大学と体育会・学生(部員)との関係も明らかになった。体育会は大学の知名度、イメージアップの使命を受け、勝利至上主義のもと、部員を非人間的に扱い追い込んでいく。

しかしながら、前出のとおり、部員が運動を続けられなくなれば除籍として切られ、このたびのように、部が不祥事を起こせば、大学と体育会は別組織として切られていく。大学にとって体育会とは、その本体とはうまく切断された組織、いってみれば、本体とはなれた、「外人部隊」「傭兵」のような存在なのかもしれない。

体育会の「裏」を報道しなかったマスメディア

そればかりではない。大学スポーツの異常な成長・発展を見過ごしてきたのはマスメディアだ。むかしから野球の早慶戦、ラグビーの早明戦、アメフトの甲子園ボウル等が名勝負として注目され、テレビの優良コンテンツとなるに従い、メディアは学生スポーツの歪みや問題点を指摘することを控えた。メディアはその裏側に目をつぶり、表の学生スポーツを讃えた。若き血燃ゆる、ひたむき、純粋、ノーサイド後の友情、人生の良きライバル…しらじらしい装飾語で飾り立ててきた。この構造は、高校生の甲子園野球も同じだ。スポーツと学業が両立している大学もあるだろうが、筆者の想像では、その数はあまり多くない。

先の拙Blogにおいて、今日の日本のスポーツ界には、アジア・太平洋戦争時に日本が完成させた〈総力戦=戦争学〉と、それを貫徹するための〈組織論=封建遺制(絶対的上下関係)〉が残存どころか主流であった。このたびの事件がその改善の契機となればいいのだが、期待できない。

2018年5月20日日曜日

Big MOUTH Three(ビッグ・マウス・スリー)――西野ジャパンはポンコツの寄せ集め

サッカーW杯ロシア大会に出場する日本代表選手が概ね決定されたようだ。今月30日に行われる親善試合ガーナ戦に日本代表として招集された27選手は以下のとおり。
※( )内は所属チームと年齢(2018.05.20現在)

(GK)
川島永嗣(メッス、35)、東口順昭(G大阪、32)、中村航輔(柏、23)
(DF)
長友佑都(ガラタサライ、31)、槙野智章(浦和、31)、吉田麻也(サウサンプトン、29)、
酒井宏樹(マルセイユ、28)、酒井高徳(ハンブルガーSV、27)、昌子源(鹿島、25才)、遠藤航(浦和、25)、植田直通(鹿島、23)
(MF)
長谷部誠(フランクフルト、34)、青山敏弘(広島、32)、本田圭佑(パチューカ、31)、乾貴士(エイバル、29)、香川真司(ドルトムント、29)、山口蛍(C大阪、27)、原口元気(デュッセルドルフ、27)、宇佐美貴史(デュッセルドルフ、26)、柴崎岳(ヘタフェ、25)、大島僚太(川崎F、25)、三竿健斗(鹿島、22)、井手口陽介(クルトゥラル・レオネサ、21)
(FW)
岡崎慎司(レスター、32)、大迫勇也(ブレーメン、 28)、武藤嘉紀(マインツ、25)、浅野拓磨(シュツットガルト、23)

西野ジャパンは忖度代表

(本番では23名に絞り込まれるわけだが)27選手を見た限りにおいて、ロシア大会出場の日本代表に期待するものは何もない。ハリルホジッチの突然の解任のあと、代わって監督に就任した西野朗のビジョンが見えてこない。推測でいえば、協会(JFA)幹部、Jリーグ、テレビ、広告代理店、スポンサーに対する忖度、気づかいの結果にすぎない。拙Blogで書いた通り、西野ジャパン(日本代表)に期待はない。こんなにも関心の薄れたW杯は過去にない。

中島翔哉の選外が最大のサプライズ

最大の驚きは、今シーズン、ポルトガル・リーグで大活躍した中島翔哉(23才)の落選だ。彼はポルトガル一部のポルティモネンセSCにおいて、リーグ戦29試合に出場(29試合でスタメン、21試合にフル出場)し、10得点12アシストという好成績で終えた。今シーズン、メキシコで大活躍したといわれる本田圭佑は29試合出場して10得点、7アシストであるから、中島のほうがチーム貢献度は高い。

ではなぜ中島が選外になったのかといえば、西野ジャパンが本田、岡崎、香川のいわゆる「ビッグスリー」を固定メンバーとする絶対方針があるため、ポジションが重なる中島に代表メンバーに入る余地がないからだ。西野は「ビッグスリー」を代表に入れるために監督に就任したようなもの。中島には悲しいかな、スポンサーがついていない。もう一つの理由として考えらえるのが、西野ジャパンの年功序列体質ではないか。中島はまだ若いと。

「ビッグスリー」の「口害」

相変わらずの本田のビッグマウスには閉口する。香川の力んだ「演説」も聞き苦しい。筆者が納得できないのは、彼らが主軸だったブラジル大会(2014)の日本代表の成績は、退場者で一人少なくなったギリシアとスコアレスドローで引き分けた勝点1のみ。勝利なき惨敗だったこと。あれから4年も経ったロシア大会、彼らを攻撃の主力に据えてブラジル大会以上の成績を残せるのか…「ビッグスリー」が4年前より心技体において向上したとはとても思えないどころか、まちがいなく退歩している。

ロシア大会は、ブラジルの失敗の総括から導かれた戦略・戦術で臨むべきものであり、代表選考はその表出のはずだった。しかし、急場しのぎの代行=西野にそれを求めても無駄なこと。喜んでいるのは当たり前のサッカーファンではなく、スポンサー、テレビ、広告代理店、そしてナイーブ(うぶ)な代表サポーターばかり。ああつまらない。

オオフジツボ、ストリート・ライブ

谷中、千駄木「よみせ通り」商店街にて、オオフジツボがストリート・ライブ・コンサートを行った。

ビアパブイシイの主催である。


『「昔は良かった」と言うけれど』

●大倉幸宏〔著〕 ●新評論 ●2000円(税別)

誠に示唆多き書だ。派手な論理展開や難解な言説を用いることなく、適正な資料の積み重ねによって、今日跋扈する暴論を吹き飛ばしてみせる。あるいは固定概念を覆してみせる。日本人の多くが本書を読めば、戦前回帰を望む政治勢力が進めている洗脳計画を回避することができる。

よって、筆者は日本人の多くが本書を読むことを期待する。本書を読んでもなお、戦前の日本のほうがいま(戦後)より良かった、とする人は真っ当な判断力の働かない、まことに残念な人というほかない。

戦前社会の荒廃ぶり

結論をいえば、戦後の日本人の道徳は戦前に比べて著しく改善しているし、公衆マナー、モラルも向上している。たとえば、電車内で化粧する女性の姿――これは戦前にもみられた光景であり、戦後(近年)になって出現したものではない。席を譲らない若者、騒ぎまわる子ども・・・といったモラル欠如の光景はいま(戦後)よりも戦前のほうがひどかった。

もらい児殺人の横行

幼児虐待もいまに始まったことではない。子どもの虐待は戦後増加したものではなく、戦前にも頻発していた。驚くべきは、事情があって育児できない子どもを譲り受ける「もらい児」が戦前では一般化していて、事情がある家庭から裕福な家もしくは子宝に恵まれない家庭に引取られていた。そこで発生するのが「もらい子殺人」と呼ばれる残虐極まりない犯罪の横行であった(P145~)。

その手口は、子どもを必要としない親から子ども譲り受けると同時に養育費を受け取り、その後に殺してしまうというもの。なかにはこれを生業にして大勢の子ども(その後の捜査で200人にわたっていた)を殺していた者さえいた。

託児療院経営者、集落等が組織的に「もらい子殺人」に関与した事例が報道されており、ある集落では200~300人の「もらい子」が養育費受け取り後に殺害されていた。これらは1910年代から1930年代にまで常態化していたようだ。

人口調整を目的とした嬰児殺し

そればかりではない。ある村落では、数十年にわたり、いわゆる「口べらし」と呼ばれる人口調整の手段として嬰児が殺害されており、子どもの白骨死体50体が発見された事件が当時の新聞に報道されている。

前出の児童虐待は戦前多発しており、戦後(今日)以上に社会問題化していた。家庭内虐待、学校に行かせず働かせる。働かせ口としてはサーカスの曲芸、もの売り、飲食店の給仕、丁稚奉公もあった。最悪なのは、路上における物乞い、身体の障害を見世物にするといった人権無視もあった。

戦前の日本は軍事偏重、福祉切捨ての差別社会

これら戦前の子ども虐待は一個人、一家族の問題ではない。もちろん、マナー、道徳といった範疇を超えたもので、国家の社会政策、福祉政策、貧困対策等の欠陥の反映だ。その主因は、戦前の日本が明治維新以来国是としてきた「富国強兵」による軍事偏重にあった。

戦前の日本人の心が美しかったとか、人情が厚かったとか、心が温かったという言説は社会一般として成り立たない。戦前にもそのような日本人がいたと同様に、戦後にもそのような人がいるだけの話だ。公衆道徳、マナーに関して言えば、戦前に比していま(戦後)のほうが著しく改善・洗練化されている。基本的人権、社会福祉に関しては、戦前の日本ではないがしろにされ、多くの日本国民は貧困、差別に苦しめられていた。

教育基本法を骨抜きにしたい戦前回帰勢力の台頭

ではなぜ、戦前の美化が喧伝され、戦前のネガティブな情報がいま現在の社会において、共有化されないのだろうか。そのことは、前述と重複するが、戦前の政治体制に回帰したい政治勢力が、宣伝・洗脳攻勢をしかけているからであり、メディアがその勢力と一体化しているからだ。

彼らは戦後日本人の「劣化」を叫び、その原因を戦後教育のあり方に求め、それを担ってきた教師の組合である「ニッキョウソ」の敵視に向かう。〔戦後日本人の劣化=ニッキョウソ〕という論理なき宣伝を国民に展開する。

この手口はナチスのものと同様だ。ナチスはワイマール共和国成立後の社会の混乱と不安の主因を「ユダヤ人」に一元化して国民に喧伝することで大衆の支持を集めた。すべて「ユダヤ人」が悪い、という単純なメッセージで人心を掌握した。いまの日本において、戦前回帰を求める政治勢力も前出のとおり、日本人の「劣化」を「ニッキョウソ」に一元化しようとする。戦後の民主教育の根幹をなしてきた教育基本法を骨抜きにしようと謀る。彼らは精緻な論理性をもたない。民主主義教育の成果もしくは不十分性に係る検証もない。いまの日本人は劣化している、ニッキョウソが悪い、と情緒的、声高に叫ぶばかりなのだ。繰り返すが、戦前の日本人の道徳、倫理観、マナーはいま(戦後)よりも劣っていたにもかかわらず。

教育勅語は考えない「教育」を望む戦前回帰勢力の拠り所

戦前回帰を目論む勢力が教育において美化するのが教育勅語だ。それに関して、本書にまことに興味深い記述があるので紹介しておく。著者(大倉幸宏)は、大正後期に小学校で修身の授業を受けていたある女性が、当時の授業の様子について回想した小文を事例とする。その回想によると、当時の小学生は教育勅語の内容はまったく理解せずにただただ暗記、暗唱していたにすぎないというもの。教育勅語は、小4になると児童が見ないで書かないといけなくなるのだそうで、自習のときに、半紙を載せて写したのがばれて「日本人ともあろう者がお勅語の上に紙を載せて書くとは何事です!」とひどく叱られた子のエピソードも添えられている。著者(大倉幸宏)はこう続ける。
難しい漢語が並んだ教育勅語は、子どもが簡単に理解できるものではありませんでした。また、教育勅語が書かれた教科書を大切に扱うことが要求されたため、子どもたちにとって教育勅語は、ただ神聖なものであるというイメージだけが刷り込まれていきました。教える側も、その取り扱いには苦心していたようです。(P210)
筆者には、戦前の社会において、教育勅語が教育効果を上げたとは思えない。もし効果があったとするならば、それを集団で暗唱する集団行動に政治的意味があったのではないかとも。あるいは著者(大倉幸宏)の指摘のとおり、天皇(の言葉)を神聖化、神秘化する効果があったのではないかと。

教育勅語(暗唱)の身体的教育効果

では、政治体制が変わったいま(戦後)、なぜ、教育勅語が見直されるのか。それは、ものごとを考えない教育を望む勢力にとって都合が良いツールだからだろう。前出のように教育勅語は中身の理解よりも、それを暗記暗唱することの強制――身体性に重きが置かれていた。教育とは思考力の鍛錬にあるのだが、思考よりも暗唱、いわれたことを素直に考えずに励む行動が美化されたのではないか。それが戦前教育の基本だった。教育勅語を暗記せよといわれれば、素直に実行する子どもをつくること。国家のいうことは、それがどんなものか検証することよりも、黙って従うことが教育の役割だと認識する勢力にとって、教育勅語はなんとしても復活させたいツールのようだ。教育勅語は戦後教育を破壊したい勢力のシンボル的存在にちがいない。

大新聞に求められる戦前社会の実相の共有化

本書の基本となっているのは、戦前の新聞記事等の報道資料だ。「昔はよかった」という根拠なき政治的言説や風潮は、大新聞がみずから蓄積してきた、戦前の記事を広く社会に紹介することで是正可能だ。新聞みずからが過去に取材・報道した記事を広く社会と共有することで、誤った戦前美化の言説は否定できる。フリーのライターができる仕事を人材豊富な大新聞社にできないはずがない。新聞がそのことを放棄していることに合点がいかない。

2018年5月16日水曜日

日大アメフト選手、試合中に「テロ」 続発する日本スポーツ界不祥事

 学生アメリカンフットボール、関学―日大の定期戦中、とんでもない事件が起きた。関学のQBがパスを投げた数秒後に、日大のDLに背後からのタックルを受け重傷を負った。事件の映像を見ると、白昼、公開の試合中、日大DLが関学QBに仕掛けた「テロ」という表現が相応しい。日大側に弁解の余地はない。

審判も名門校に忖度か

この試合の審判は、「テロリスト」に対して、一回目の反則では通常のファウルで試合を再開。お咎めなしだ。この「テロリスト」、試合に出続けた結果、もちろん反省もせず悪質な「ファウル」を重ね、その後に、関学の選手に対してパンチを振るい、やっと退場となった。

なんと三度も「テロ」を敢行した挙句の退場処分。審判は、最初の「テロ」で同選手を一発退場すべきだった。あるいは没収試合でもよかった。明らかにこの日大選手は確信犯。加えて、報道にあるとおり、「監督の指示」である可能性も濃厚である。

日大はアメリカンフットボールの名門・強豪校であり、昨年の学生チャンピオン。審判は被害を受けた関学よりも、「日大」というブランドに忖度して、適格な判断を下せなかった可能性が高い。審判も失格である。

続発するスポーツ界の不祥事

さて、今年(2018)に入ってから、スポーツ界の不祥事が相次いでいる。思いつくままに列記してみよう。
  1. カヌー選手によるライバル選手に対する禁止薬物混入事件(1月)
  2. 日馬富士、貴ノ岩暴行事件で略式起訴後、罰金50万円の略式命令(同)
  3. 女子レスリング、伊調馨選手パワハラ事件(3月)
  4. 貴乃花部屋の貴公俊による、付き人暴行事件(3月)
  5. サッカー日本代表、ハリルホジッチ監督電撃解任(4月)
  6. サッカーJ1ジュビロ磐田のギレルメ選手、試合中に暴行事件起こす(5月)
そして、今回のアメフト日大選手の関学QBへの「テロ」事件だ。なんと5か月半に7件もの大事件が続発している。2の日馬富士暴行事件は2017に起きているので除外したとしても、月に1回以上のハイペースである。

一方的に相手の抹殺を図る

ギレルメの一件は、激高・興奮した者による単純な暴力事件だが、そのほかの事件の内容は極めて深刻である。年明けに起きた、カヌー界におけるライバル選手に対する禁止薬物混入事件が最近のスポーツ界の悪質さをよく象徴している。アスリートならば、自分が強くなりたいという誘惑にかられ、ドーピングに走る。このことはもちろん許されることではないが、理解できなくもない。

ところが、この事件では、自分を傷つけることなく、ライバルをドーピング違反で潰すという手段に出た。このことは、これまでの常識や最低限の約束事が崩壊してきたことを象徴する。日本のスポーツ界において、とても重要なものが失われるとともに、何かが崩れたのだ。

今回の日大の「テロ」も薬物混入事件に似ている。無防備な者をターゲットにして、意図的に怪我をさせる、すなわち、自分を傷つけることなく、相手の抹殺を図ろうと。

弱い立場、現場の者が「上」から攻撃を受ける

相撲界の不祥事では、ターゲットは常に弱者(番付下位の者)となる。レスリングの伊調馨は史上最強の女子選手だが、マットを離れれば、弱い立場の現場の人間にとどまる。ハリルホジッチも日本サッカー協会という組織からしてみれば、「お雇い外国人」にすぎない。

無防備な者が、薬物混入や違法タックルといった「テロ」を受ける。また、弱い立場の者、現場の者が、協会幹部、監督、役員、コーチ、先輩といった「上」の立場の者から暴行やハラスメントを受ける。公正であるスポーツ界の実態は、ダーティーで封建遺制が残った、近代以前の閉鎖社会であることが見て取れる。

日本のスポーツ界を支配する〈戦争学〉

それだけではない。日本のスポーツ界には、いきすぎた勝利至上主義が色濃く残っている。アジア太平洋戦争敗戦後、日本社会における民主化が進行した一方で、社会の諸機構、各階層において、戦時総力戦体制の遺構が温存された。なかでもスポーツ界は、近代化、民主化が最も遅れた。

日本のスポーツ界は、戦後復興の国民精神のシンボルとして五輪、世界大会等におけるメダル獲得が最優先され、60年代には「しごき」と呼ばれる野蛮な指導方法が称賛されていたくらいだ。学生スポーツ界(体育会)では、先輩後輩の封建遺制が残存され、現役が負ければ、OBらから懲罰、体罰が課せられるのが当りまえだった。それらは、勝利のためだと許容されてきた。〈戦争学〉の支配である。

そればかりではない。高校大学を問わず、生徒学生集めの手段として、学生スポーツが利用されている。甲子園の野球名門校となれば、当該高校のブランド価値が高まり、生徒が集まりやすくなる。学校経営にプラスとなる。こうして、問答無用の勝利主義が許容され、学生スポーツは戦時総力戦体制が手厚く温存されるようになった。学生スポーツ(体育会)において育まれた勝利至上主義は、〈戦争学〉として体系化され、「勝利ためには手段を択ばず」が常態化される。

その体質は学生から社会人、スポーツ団体へと持続的に受け継がれ、スポーツ各組織内に学閥が形成されるに至る。学閥が派閥争い、権力闘争、ポスト争奪の組織単位として抗争を繰り返す。前出の不祥事における、サッカー(JFA)、レスリング(同協会)の事件は、派閥争いが投影されたものである。

人間の価値を決めるメダル、代表といった肩書

選手のあいだでは、ただのスポーツ経験者→五輪出場選手→メダル獲得者(銅→銀→金)のヒエラルキーが固定化され、競技生活終了後の生活水準を決定するに至っている。サッカーでは、元代表かそうでないかといった具合である。

引退後のアスリートの人間的価値は、組織マネジメント力、指導力、スポーツコメンテーターとしての実力、批評力、取材力といった専門性ではなく、前歴が決定する。

メディアはスポーツ界の歪みを批判できず

かくも歪んだスポーツ界を醸成したのは、メディアがその体質を批判しないことが主因である。スポーツが重要なコンテンツとなった今日のエンタメ業界、とりわけテレビは、スポーツ界の歪んだ体質の批判を控えた。大相撲界がその典型で、相撲ジャーナリストたちは、相撲部屋内の暴力体質を批判せず傍観してきた。「甲子園」、代表サッカー、このたびの学生アメリカンフットボールもしかり。「名門」日本大学アメフト部内の暴力体質も批判されることがなかった。

アメフト「名門校」の「テロ行為」を容認してはならない

事件後、雲隠れしている日大アメフト部監督
〈戦争学〉に支配された日本のスポーツ界。このたびの日本大学アメフト部に対する処分としては、廃部が望ましい。「テロ」の指示を出した監督及びそれを実行した学生は、アメフト界から永久追放されるべきだ。報道によると、日大の当該監督及び選手から、関学の被害選手に対して、謝罪もないという(5月16日現在)。日大側に反省の態度はないとみていい。日大の態度こそ、〈戦争学〉の体系に則った態度である。勝つためには、何をやってもいいのだと。また、英雄は組織をあげて守らなければならないのだと。

2018年5月13日日曜日

『「愛国」という名の亡国論』

●窪田順生〔著〕 ●さくら舎 ●1500円(税別)

今日、テレビには、日本が世界の中で極めて優秀な国だとふれまわる、“日本礼賛番組”があふれているという。『Youは何しに日本へ?』『世界ナゼそこに?日本人 知られざる波乱万丈伝』『世界の日本人妻は見た!』『世界!ニッポン行きたい人応援団』『和風総本家』『たけしのニッポンのミカタ』『世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団』『cool japan 発掘!かっこいいニッポン』・・・


日本礼賛番組の構造

スポーツ中継、映画、ニュース以外のテレビを見ない筆者なので、上記の番組がどんなものか判断しかねる。ただ、タイトル及び本書の番組説明を読むことで、これらの番組内容について概ね理解できる。外国人が日本の良いところ、優れたところに感嘆したり驚愕したりすることで、見る側(日本人)に快感を覚えさせる企画だろう。

多くの視聴者は、番組に紹介された日本の事業者、日本人技術者(職人)、日本人そのもの、日本の自然から社会に至るまでの優秀さを確認するとともに、それらが日本人(自分たち)の代表だと錯覚する。そして、その一員である自分も優秀だと納得する。

スポーツも同様だ。先の平昌冬季五輪における日本のテレビのフィーバーぶりも日本礼賛番組と同じ構造にある。フィギュアスケートの羽生結弦やスピードスケートの小平奈緒らが金メダルを取れば、彼ら彼女らは自分たちの代表だと多くの日本人は確信する。サッカー日本代表はまさにその名称からして、「自分たちの代表」にほかならない。だから「絶対に負けられない戦い…」というヒステリックでおよそ不可能な謳い文句がテレビで絶叫されても、当然だと思ってしまう。

こうした現象は、素朴な愛国心、自国民愛なのだから、目くじら立てて批判する対象ではないという見方が大勢だろう。五輪やサッカーで自国を熱烈に応援したからといって、戦前の軍国ファシズムの心情とは一致しないと。自分たちの「代表」を応援して何が悪いのだと。はたしてそうなのだろうか、それについては後述する。

朝日新聞論

本書はマスメディアの愛国報道について、その現状及び歴史の分析を通じて、そこに潜む危険性を指摘する。後半の〔第5章:「反日」と「愛国」は表裏一体〕〔第6章:戦前から「愛国」が抱える闇〕にかけては、「朝日新聞論」ともいうべき内容となっている。

著者(窪田順生)によると、戦後の朝日新聞においては、「愛国」と「反日」の報道は表裏一体の関係にあり、「反日」報道が増加すると、その次に「愛国」報道がバランスをとるかのように増加するという。そして、このバランス報道は、朝日の社是(綱領)であるところの、「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す」にあるという。

朝日新聞が社是とする「中正」とは、偏向しないくらいの意味だとも思えるが、筆者(窪田順生)によれば、それは二重人格であり、ダブルスタンダードであり、社会に大きな混乱を招くもとだという。火をつけて騒ぐだけ騒いだ後にしれっとした顔でそれを消すのが朝日新聞なのだと。

「優生学」が日本礼賛報道の本質に

そればかりではない。本書は朝日新聞における今日の日本礼賛報道のルーツを探りだす。著者(窪田順生)によると、朝日新聞における「日本が世界一報道」の定型をつくりだしたのは、下村宏(下村海南)という元台湾総督府民政長官であるという。下村は、同職を退任後、朝日に副社長として向かい入れられた(1921、大正4)。

下村は当時における国際通で、朝日の副社長という肩書を使って、講演やラジオ番組で世界における日本の位置を大衆にわかりやすく説明して回ったという。ところが、下村の日本と世界の関係を計る思想的基軸は、優生学に基づくものであった。彼は日本人が世界で最も優れた人種であることを願ったうえで、日本人が「優れている」と下村が判断した技術、事象、統計等を、客観的検証を欠いたまま大衆にふれまわったようだ。

優生学の根本は、「優れていないもの」の排除・抹殺だ。身体的、精神的に「欠陥」があると国が認識すれば、「優れていない者」は社会から除外されてしまう。今日、世界(他国民)より「優れたかのような日本(人)」が相次いで報道される裏側には、戦前に日本で望ましいとされた似非科学=優生学の復古の兆候が見て取れる。

戦後、朝日新聞は生まれ変わったと思われるかもしれない。だが、日本の至る所に戦前のシステムが残存したと同様に、優生学的価値基準が朝日の中に残存したと考えていい。今日、朝日が中正の名の下で「日本礼賛」と「反日」の報道を繰り返すことから、そのことは明らかだ。「日本イイネ」の蔓延に慣らされているうちにそれが洗脳の完了へと至り、思わぬ方向へと日本を進めることになる。

2018年5月10日木曜日

高桑常寿写真展(5/10~16)

「高桑常寿写真展 アフリカ・ミュージシャンの肖像2018」のオープニングパーティーに行ってきました。

アフリカ民族音楽の演奏などあり、盛り上がりました。

高桑常寿さん







2018年5月9日水曜日

NPB、30試合を消化

大谷翔平の「二刀流」の成功、イチローのアドバイザー就任(事実上の現役引退?)と、ここのところアメリカ・メジャーリーグ(以下「MLB」と略記)の「ビッグニュース」が日本の野球界を席巻している今日この頃。

大谷の評価はまだ早い

前者については、いまは評価する時期でないと筆者は考える。いまのところ大谷の挑戦は順風満帆のように見えるが、シーズンは長い。広大な北米を戦場とするMLB、大谷が順調なままシーズンを終えるとは考えにくい。過労、体調不良、故障がないことを祈っているが、筆者の予感では、大谷の「二刀流」挑戦はシーズン半ばで頓挫する。

イチローの身柄は来年日本開催試合まで凍結か

後者については、MLBが来年予定している日本開催試合(マリナーズVsアスレチックス)にイチローを利用しようという目論見が見え隠れする。マリナーズ及びMLBは、彼を興行的成功のための担保としたようだ。

イチローは現段階では戦力外だが、来年、日本に選手として凱旋すれば、MLBの日本開催は興行的に成功する。だから彼に引退してもらっては困るし、他球団(NPBのどこか)と契約してもらっても困る。イチローにとっては、マイナーに落とされる屈辱を回避できるし、今シーズン、マリナーズに故障者が出れば、選手復帰も可能となる。現役引退は来年日本開催のMLBの試合となれば、イチローのプライドも満たされる。

セリーグ順位は筆者の予想どおり

 さて、日本プロ野球(以下「NPB」と略記)は各チームとも概ね、30試合を消化した。この段階で今シーズンの行方が読み通せるというのが球界の常識となっている。5月8日時点のセリーグ順位を見ると、①広島、②阪神、③読売、④DeNA、⑤中日、⑥ヤクルトとなっていて、筆者が開幕前に予想した順位とぴたりと一致する。このままの順位で行ってもらいたいものだ。

想定外は読売の岡本和真、吉川尚輝、小林誠司の打撃の好調ぶり。岡本が打率3割以上を維持しているのは驚きだ。吉川、小林はここにきて下降傾向にあるが、岡本は好調を維持している。

この好調ぶりの主因は、他球団の岡本対策の誤りにある、と筆者は考える。開き気味の岡本に対して、相手投手が遅い変化球(スライダー、カーブ等)を真ん中から外角高めに投じて打たれているケースを散見する。岡本は速球が苦手で、とりわけインハイ、インローはほぼ打てない。そのかわり、遅い変化球の高めは多少外側でも強引に叩いて、ヒットするパワーがある。彼は、読売から日ハムに移籍した大田泰示に似たタイプ。

パリーグ、楽天最下位とは想定外

パリーグはまるで予想外の展開。①西武、②ソフトバンク、③日ハム、④オリックス、⑤ロッテ、⑥楽天で、しかも楽天は勝率2割5分8厘、と驚きの低率だ。

筆者の予想は、楽天2位だった。楽天には頑張ってもらいたい。首位西武だが、エースの菊池雄星が故障して黄色信号が灯った。筆者の予想では西武の弱点は先発投手陣だったから、菊池の故障は痛いだろう。


イギリスからお客様

娘のイギリスの友達が婚約者を連れて来日。

拙宅に遊びに来てくれた。

彼の仕事はシェフとのことで、日本料理に興味津々。



2018年5月5日土曜日

ジャックと谷根千

今宵はイングランドのミュージシャン(ドラマー)、Jackを谷根千にご案内。

根津の路地にて

REN(根津)

オーナーご夫妻と記念写真

2018年5月1日火曜日

ハリル解任の深層

サッカー日本代表監督を解任されたバヒド・ハリルホジッチ氏(以下「ハリル」と略記)が27日、都内の日本記者クラブで会見した。この会見で解任のすべてが明らかになったわけではないが、ハリルの発言及びJFAに忖度する必要のない良心的ジャーナリストの記事から、解任劇の真相らしきものがうかがえるに至った。

続出するスポーツ団体(公益財団法人)の不祥事と同類

今回の解任騒動というのは、ここのところ続出しているスポーツ団体の不祥事と変わらない。パワハラ、セクハラ、金銭トラブル、権力闘争・・・その多くが公益財団法人でありながら、情報公開は不十分なまま。公益法人の認可を行う内閣府にはそれら団体の資質を見抜く力や管理する力もないことを実証している。内閣府から認可権を剥奪して、新たな委員会を設置したほうが良かろう。

ハリル解任の3つの因子

さて、JFAがハリルを解任するに至った因子は一つではない。複合的ではあるが、どれも純粋スポーツ的見地からではない。もちろんサッカー日本代表強化のためのものでもない。

その因子は(一)JFA内の権力闘争、(二)代表選手の一部が解任をJFAに申し入れたこと、(三)は(二)と関連するが、前出のハリル解任を望んだ代表選手と代表スポンサーとが、ハリル解任で利害を一にしたこと――と要約できる。田嶋幸三JFA会長(以下「田嶋」と略記)は先の解任発表会見で、“解任理由は監督と選手とのコミュニケーション不足”と説明したが、ハリルは会見で、そのことをきっぱりと否定している。

ハリルをロシアに行かせたくなかった田嶋

(一)については、サッカージャーナリスト宇都宮徹壱氏(以下「宇都宮」と略記)のコラム「ハリルが去り、われわれに残されたもの」に詳しいので、そちらを参照してほしい。

宇都宮の見解を大雑把に抽出すると、ハリルを代表監督に招聘した霜田正浩(当時)技術委員長(以下「霜田」と略記)は、田嶋と会長選挙(2016年1月)の座を争った原博美(当時)専務理事(以下「原」と略記)の片腕だった。つまり、ハリルは、原―霜田ラインが決めた代表監督であり、田嶋の政敵が執行した人事だった。

かりに、ハリルがロシアW杯でベスト16入りを果たしたとしたら、田嶋の政敵、原―霜田の執行の正しさが証明され、田嶋は選挙に勝ったものの、会長の正当性は継続しない。田嶋にしてみれば、絶対にハリルをロシアに行かせるわけにいかなかったのだ。

ハリルを更迭せず、日本代表がW杯で惨敗したらどうなるのか。当然、現会長である田嶋の責任が問われることになる。なぜ、ハリルをW杯前に代えなかったのかと。田嶋の立場としては、ハリルで勝っても負けても、せっかく得たJFA会長の座は怪しいものとなる。

ではなぜ、田嶋はハリルをせっせと解任しなかったのか、土壇場での解任に至ったのか。それはハリルがW杯アジア予選を勝ち抜いた実績があり、しかも、ハリルが会見で反論したように、最近の日本代表チームにおける監督(ハリル)と選手の関係が概ね、良好だったからだろう。つまり、ハリルを解任する決定的理由が見つからなかったのだ。

ハリル解任を決定づけたベルギー遠征

ところが、昨年12月のE1における韓国戦惨敗、今年3月ベルギー遠征におけるマリとの引分、ウクライナ戦の負けが状況を変えた。この間の代表戦は試合内容が最悪に近く、加えて、マリ、ウクライナがW杯予選敗退国だったことも重かった。予選敗退国に負けたのだから、本戦で勝てるわけがないと。ここで田嶋はハリル解任の決断に至ったと推測できる。

反ハリル派代表選手、スポンサーからも解任の圧力が?

それだけではない。ベルギー遠征前から、田嶋の耳にはハリル解任の内外から圧力は感じていたはずだ。代表選手とスポンサー契約を結んでいる大企業、代表戦視聴率を気にするテレビ等が大手広告代理店を介してJFAに圧力をかけていたはずだ。それらの声が最大ボリュームとなったのは、前出のベルギー遠征の第二試合、ウクライナ戦ではなかったか。この試合で先発したある選手(以下「H」と略記)が、反ハリル派の頭目とされる。そのHが低調な動きで途中交代したことを記憶している方も多いと思う。つまり多くのスポンサー契約を抱えるHが、ハリルにより、ロシアW杯代表選手から外される可能性が高まったのだ。もう一人、JFAの有力スポンサーであるA社と契約している選手(以下「K」と略記)も、ハリルの構想外だったから、KはHと同調した可能性が高い。

監督と一体のはずの技術委員長が後釜とは呆れてものもいえない

状況は煮詰まっていたが、それだけでハリルを解任することはできない。ポストハリルをだれが務めるのか?田嶋がハリル解任を決断できたのは、西野朗技術委員長(以下「西野」と略記)から、代表監督就任の了承を得たからだろう。これもまた、田嶋にとって好都合だった。西野がロシアで結果を出せば、功績はハリルを解任した自分と現場の西野が共有すればいい。負ければその責任は前任のハリルと西野が負えばいいことになる。西野は技術委員長在籍中、ハリルとあまり交流がなかったという。これも奇怪な話で、本来ならば、技術委員長(西野)と監督(ハリル)は一体であって、ハリルが辞めるならば西野も辞めるのが筋。西野がハリルの後を引き継ぐのは、西野の技術委員長としての瑕疵を放免することになる。

このたびのハリル解任は権力闘争とスポンサー対策の結果である。ハリルと西野の新旧代表監督は、田嶋の権力欲の犠牲者にほかならない。この解任騒動によって、田嶋は日本代表がロシアで勝とうが負けようが、しばらくの間、JFA会長の座を安定的に維持できる。ハリルを追い出した田嶋のおかげで、本来ならばW杯代表メンバーから外された可能性が高いH及びKのロシア行きも確約された。代表スポンサー、テレビ、大手代理店からもその功績が認められることとなろう。

西野はたとえ、ロシアで結果を出せなくとも、期間が短かったという言い訳がたち、責任論は噴出しない。本人のやる気次第では、次のW杯まで代表監督の座が約束される。日本サッカー界における邪魔者はハリルただ一人だった。

ハリル解任のアシストをした多数のサッカージャーナリスト

ハリルを代表監督から外すには、JFA会長、代表選手、スポンサー、テレビ、大手広告代理店といったステークホルダーの圧力だけでは実現しない。彼らの意思を、メディアを介して大声で叫び続けたサッカー解説者(元代表選手)、同コメンテーター、同ライターらの存在を忘れてはならない。彼らは、表向きサッカー戦略及び戦術の面でハリルを批判したかのようにみえるが、すべて見せかけである。プロのサッカージャーナリストならば、日本が惨敗したブラジル大会(2014)以前の「自分たちのサッカー」に戻ってみたところで、ロシアで勝てる可能性は低いと考えるのが自然だろう。

ハリルの会見の後を受けて、醜悪な発言でハリル再批判を行ったのは田嶋であったが、JFAの太鼓持ちのサッカージャーナリストも同様に、ヒステリックに「ハリルでは勝てない」を繰り返すばかり。ならば、「西野で勝てる」根拠を示してもらいたいものだ。

加えて、解任騒動前から、ハリルと選手との「コミュニケーション不足」を記事にしたサッカーライターも多かった。彼らは取材で得た情報ではなく、JFA及び代表選手の一部がリークした話を記事にした可能性が高い。

ハリル解任の不自然さを冷静に伝えた少数のライターの存在が救い

前出の宇都宮を筆頭に、少数ながらハリル解任の不自然さを記事にしたサッカージャーナリストがいたことが救いである。熱烈な代表サポーター及びナイーブ(うぶ)な代表ファンがいまいちど、彼らの記事を読みかえし、彼らが展開したJFA批判に同調してくれれば、日本代表のガラパゴス化は回避できる。