2018年5月23日水曜日

テロリストの心理をみたーー日大アメフト加害部員会見

6日のアメリカンフットボール定期戦で、関学大QBを「殺人タックル」で負傷させた日大3年のDL宮川泰介選手(20)が22日に都内で会見した。内田正人前監督(62)と井上奨コーチ(30)の指示で反則したなど経緯を説明した。関学大QBと家族らには18日に謝罪したが「フットボールは続けるつもりはない」とも話した。

やっぱりあれは「テロ」だった

会見をテレビで見た。その結果を書けば、先の拙Blogで書いたことが間違っていなかったこと――あのプレーが「テロ」だったということが確信にかわった。換言すれば、テロ実行者の心境、心理状態が手に取るようにわかったということだ。

テロを実行する者の背景は一つではない、いろいろな要素がある。宗教やイデオロギーを使った洗脳、復讐心、金銭的欲求…なかでも、テロ以外の選択肢を奪う、精神的追い詰めはテロを実行させるための常套手段だ。

組幹部が若い組員に向かって、「タマをとってこい」と迫る場面がわかりやすい。映画等でよく見かけるシーンだ。ほぼ極限の縦社会である反社会的勢力組織にあって、若い組員に選択肢はない。若い組員は常日頃から、精神的、経済的等諸々にわたって「組」という縦型組織にからめとられている。若い組員はテロ命令を拒否する選択肢はない。それが縦組織の特性だ。反社会的勢力組織では、そのようなテロ実行者を「鉄砲玉」と呼ぶらしい。「鉄砲玉」に選ばれるのは若く純真で功を焦る者だろう。若いから組への貢献度は低い。早く幹部に昇進したい。武闘派と呼ばれたい。タマを取れば…そうして、彼は組織にとって絶好の実行者に仕上がっていく。

大学体育会は異常集団

日本の大学スポーツ、いわゆる体育会は先の拙Blogで書いたとおり、典型的な縦社会であり、映画で描かれた反社会的勢力組織と似ているように思われる。体育会に所属する学生はフィジカル・エリートだ。「スポーツ特待生」と呼ばれる制度で大学に入学できる。彼らは全国の高校の部活動経験者や付属高校からスカウトされる。普通の大学入試を受験・合格した者が大学からスポーツを始めて体育会に入部するケースが皆無とはいわないが、それらの者はレギュラーにはなれない場合がほとんどだ。

具体的な事例を紹介しよう。埼玉の某高校ラグビー強豪校を卒業したA君は、スポーツ特待生制度で大学のラグビー強豪校D大学に入学した。身長180センチ超、体重80キロ近くの大型ナンバー・エイトとして前途有望だった。ところが、A君は練習中に膝を痛めラグビー継続が不可能となったその途端、除籍となった。この事例がD大学特有なものか大学全般であり得る事例なのかわからない。だが、極めて残酷な話であることは間違いない。

大学スポーツの実態は、全国からフィジカル・エリートをスポーツ特待生として集め、監督・OB→コーチ→先輩→後輩という絶対的縦組織で運営される異常集団。特待生がケガ等で運動を続けられなくなると、除籍処分で大学を追われる。

大学体育会は大学本体の「外人部隊」「傭兵」

大学スポーツの歪さが明るみに出たのが、今回の日大アメフト事件だ。この事件から、体育会の監督、コーチと部員の関係及び大学と体育会・学生(部員)との関係も明らかになった。体育会は大学の知名度、イメージアップの使命を受け、勝利至上主義のもと、部員を非人間的に扱い追い込んでいく。

しかしながら、前出のとおり、部員が運動を続けられなくなれば除籍として切られ、このたびのように、部が不祥事を起こせば、大学と体育会は別組織として切られていく。大学にとって体育会とは、その本体とはうまく切断された組織、いってみれば、本体とはなれた、「外人部隊」「傭兵」のような存在なのかもしれない。

体育会の「裏」を報道しなかったマスメディア

そればかりではない。大学スポーツの異常な成長・発展を見過ごしてきたのはマスメディアだ。むかしから野球の早慶戦、ラグビーの早明戦、アメフトの甲子園ボウル等が名勝負として注目され、テレビの優良コンテンツとなるに従い、メディアは学生スポーツの歪みや問題点を指摘することを控えた。メディアはその裏側に目をつぶり、表の学生スポーツを讃えた。若き血燃ゆる、ひたむき、純粋、ノーサイド後の友情、人生の良きライバル…しらじらしい装飾語で飾り立ててきた。この構造は、高校生の甲子園野球も同じだ。スポーツと学業が両立している大学もあるだろうが、筆者の想像では、その数はあまり多くない。

先の拙Blogにおいて、今日の日本のスポーツ界には、アジア・太平洋戦争時に日本が完成させた〈総力戦=戦争学〉と、それを貫徹するための〈組織論=封建遺制(絶対的上下関係)〉が残存どころか主流であった。このたびの事件がその改善の契機となればいいのだが、期待できない。