2018年5月16日水曜日

日大アメフト選手、試合中に「テロ」 続発する日本スポーツ界不祥事

 学生アメリカンフットボール、関学―日大の定期戦中、とんでもない事件が起きた。関学のQBがパスを投げた数秒後に、日大のDLに背後からのタックルを受け重傷を負った。事件の映像を見ると、白昼、公開の試合中、日大DLが関学QBに仕掛けた「テロ」という表現が相応しい。日大側に弁解の余地はない。

審判も名門校に忖度か

この試合の審判は、「テロリスト」に対して、一回目の反則では通常のファウルで試合を再開。お咎めなしだ。この「テロリスト」、試合に出続けた結果、もちろん反省もせず悪質な「ファウル」を重ね、その後に、関学の選手に対してパンチを振るい、やっと退場となった。

なんと三度も「テロ」を敢行した挙句の退場処分。審判は、最初の「テロ」で同選手を一発退場すべきだった。あるいは没収試合でもよかった。明らかにこの日大選手は確信犯。加えて、報道にあるとおり、「監督の指示」である可能性も濃厚である。

日大はアメリカンフットボールの名門・強豪校であり、昨年の学生チャンピオン。審判は被害を受けた関学よりも、「日大」というブランドに忖度して、適格な判断を下せなかった可能性が高い。審判も失格である。

続発するスポーツ界の不祥事

さて、今年(2018)に入ってから、スポーツ界の不祥事が相次いでいる。思いつくままに列記してみよう。
  1. カヌー選手によるライバル選手に対する禁止薬物混入事件(1月)
  2. 日馬富士、貴ノ岩暴行事件で略式起訴後、罰金50万円の略式命令(同)
  3. 女子レスリング、伊調馨選手パワハラ事件(3月)
  4. 貴乃花部屋の貴公俊による、付き人暴行事件(3月)
  5. サッカー日本代表、ハリルホジッチ監督電撃解任(4月)
  6. サッカーJ1ジュビロ磐田のギレルメ選手、試合中に暴行事件起こす(5月)
そして、今回のアメフト日大選手の関学QBへの「テロ」事件だ。なんと5か月半に7件もの大事件が続発している。2の日馬富士暴行事件は2017に起きているので除外したとしても、月に1回以上のハイペースである。

一方的に相手の抹殺を図る

ギレルメの一件は、激高・興奮した者による単純な暴力事件だが、そのほかの事件の内容は極めて深刻である。年明けに起きた、カヌー界におけるライバル選手に対する禁止薬物混入事件が最近のスポーツ界の悪質さをよく象徴している。アスリートならば、自分が強くなりたいという誘惑にかられ、ドーピングに走る。このことはもちろん許されることではないが、理解できなくもない。

ところが、この事件では、自分を傷つけることなく、ライバルをドーピング違反で潰すという手段に出た。このことは、これまでの常識や最低限の約束事が崩壊してきたことを象徴する。日本のスポーツ界において、とても重要なものが失われるとともに、何かが崩れたのだ。

今回の日大の「テロ」も薬物混入事件に似ている。無防備な者をターゲットにして、意図的に怪我をさせる、すなわち、自分を傷つけることなく、相手の抹殺を図ろうと。

弱い立場、現場の者が「上」から攻撃を受ける

相撲界の不祥事では、ターゲットは常に弱者(番付下位の者)となる。レスリングの伊調馨は史上最強の女子選手だが、マットを離れれば、弱い立場の現場の人間にとどまる。ハリルホジッチも日本サッカー協会という組織からしてみれば、「お雇い外国人」にすぎない。

無防備な者が、薬物混入や違法タックルといった「テロ」を受ける。また、弱い立場の者、現場の者が、協会幹部、監督、役員、コーチ、先輩といった「上」の立場の者から暴行やハラスメントを受ける。公正であるスポーツ界の実態は、ダーティーで封建遺制が残った、近代以前の閉鎖社会であることが見て取れる。

日本のスポーツ界を支配する〈戦争学〉

それだけではない。日本のスポーツ界には、いきすぎた勝利至上主義が色濃く残っている。アジア太平洋戦争敗戦後、日本社会における民主化が進行した一方で、社会の諸機構、各階層において、戦時総力戦体制の遺構が温存された。なかでもスポーツ界は、近代化、民主化が最も遅れた。

日本のスポーツ界は、戦後復興の国民精神のシンボルとして五輪、世界大会等におけるメダル獲得が最優先され、60年代には「しごき」と呼ばれる野蛮な指導方法が称賛されていたくらいだ。学生スポーツ界(体育会)では、先輩後輩の封建遺制が残存され、現役が負ければ、OBらから懲罰、体罰が課せられるのが当りまえだった。それらは、勝利のためだと許容されてきた。〈戦争学〉の支配である。

そればかりではない。高校大学を問わず、生徒学生集めの手段として、学生スポーツが利用されている。甲子園の野球名門校となれば、当該高校のブランド価値が高まり、生徒が集まりやすくなる。学校経営にプラスとなる。こうして、問答無用の勝利主義が許容され、学生スポーツは戦時総力戦体制が手厚く温存されるようになった。学生スポーツ(体育会)において育まれた勝利至上主義は、〈戦争学〉として体系化され、「勝利ためには手段を択ばず」が常態化される。

その体質は学生から社会人、スポーツ団体へと持続的に受け継がれ、スポーツ各組織内に学閥が形成されるに至る。学閥が派閥争い、権力闘争、ポスト争奪の組織単位として抗争を繰り返す。前出の不祥事における、サッカー(JFA)、レスリング(同協会)の事件は、派閥争いが投影されたものである。

人間の価値を決めるメダル、代表といった肩書

選手のあいだでは、ただのスポーツ経験者→五輪出場選手→メダル獲得者(銅→銀→金)のヒエラルキーが固定化され、競技生活終了後の生活水準を決定するに至っている。サッカーでは、元代表かそうでないかといった具合である。

引退後のアスリートの人間的価値は、組織マネジメント力、指導力、スポーツコメンテーターとしての実力、批評力、取材力といった専門性ではなく、前歴が決定する。

メディアはスポーツ界の歪みを批判できず

かくも歪んだスポーツ界を醸成したのは、メディアがその体質を批判しないことが主因である。スポーツが重要なコンテンツとなった今日のエンタメ業界、とりわけテレビは、スポーツ界の歪んだ体質の批判を控えた。大相撲界がその典型で、相撲ジャーナリストたちは、相撲部屋内の暴力体質を批判せず傍観してきた。「甲子園」、代表サッカー、このたびの学生アメリカンフットボールもしかり。「名門」日本大学アメフト部内の暴力体質も批判されることがなかった。

アメフト「名門校」の「テロ行為」を容認してはならない

事件後、雲隠れしている日大アメフト部監督
〈戦争学〉に支配された日本のスポーツ界。このたびの日本大学アメフト部に対する処分としては、廃部が望ましい。「テロ」の指示を出した監督及びそれを実行した学生は、アメフト界から永久追放されるべきだ。報道によると、日大の当該監督及び選手から、関学の被害選手に対して、謝罪もないという(5月16日現在)。日大側に反省の態度はないとみていい。日大の態度こそ、〈戦争学〉の体系に則った態度である。勝つためには、何をやってもいいのだと。また、英雄は組織をあげて守らなければならないのだと。