誠に示唆多き書だ。派手な論理展開や難解な言説を用いることなく、適正な資料の積み重ねによって、今日跋扈する暴論を吹き飛ばしてみせる。あるいは固定概念を覆してみせる。日本人の多くが本書を読めば、戦前回帰を望む政治勢力が進めている洗脳計画を回避することができる。
よって、筆者は日本人の多くが本書を読むことを期待する。本書を読んでもなお、戦前の日本のほうがいま(戦後)より良かった、とする人は真っ当な判断力の働かない、まことに残念な人というほかない。
戦前社会の荒廃ぶり
結論をいえば、戦後の日本人の道徳は戦前に比べて著しく改善しているし、公衆マナー、モラルも向上している。たとえば、電車内で化粧する女性の姿――これは戦前にもみられた光景であり、戦後(近年)になって出現したものではない。席を譲らない若者、騒ぎまわる子ども・・・といったモラル欠如の光景はいま(戦後)よりも戦前のほうがひどかった。
もらい児殺人の横行
幼児虐待もいまに始まったことではない。子どもの虐待は戦後増加したものではなく、戦前にも頻発していた。驚くべきは、事情があって育児できない子どもを譲り受ける「もらい児」が戦前では一般化していて、事情がある家庭から裕福な家もしくは子宝に恵まれない家庭に引取られていた。そこで発生するのが「もらい子殺人」と呼ばれる残虐極まりない犯罪の横行であった(P145~)。
その手口は、子どもを必要としない親から子ども譲り受けると同時に養育費を受け取り、その後に殺してしまうというもの。なかにはこれを生業にして大勢の子ども(その後の捜査で200人にわたっていた)を殺していた者さえいた。
託児療院経営者、集落等が組織的に「もらい子殺人」に関与した事例が報道されており、ある集落では200~300人の「もらい子」が養育費受け取り後に殺害されていた。これらは1910年代から1930年代にまで常態化していたようだ。
人口調整を目的とした嬰児殺し
そればかりではない。ある村落では、数十年にわたり、いわゆる「口べらし」と呼ばれる人口調整の手段として嬰児が殺害されており、子どもの白骨死体50体が発見された事件が当時の新聞に報道されている。
前出の児童虐待は戦前多発しており、戦後(今日)以上に社会問題化していた。家庭内虐待、学校に行かせず働かせる。働かせ口としてはサーカスの曲芸、もの売り、飲食店の給仕、丁稚奉公もあった。最悪なのは、路上における物乞い、身体の障害を見世物にするといった人権無視もあった。
戦前の日本は軍事偏重、福祉切捨ての差別社会
これら戦前の子ども虐待は一個人、一家族の問題ではない。もちろん、マナー、道徳といった範疇を超えたもので、国家の社会政策、福祉政策、貧困対策等の欠陥の反映だ。その主因は、戦前の日本が明治維新以来国是としてきた「富国強兵」による軍事偏重にあった。
戦前の日本人の心が美しかったとか、人情が厚かったとか、心が温かったという言説は社会一般として成り立たない。戦前にもそのような日本人がいたと同様に、戦後にもそのような人がいるだけの話だ。公衆道徳、マナーに関して言えば、戦前に比していま(戦後)のほうが著しく改善・洗練化されている。基本的人権、社会福祉に関しては、戦前の日本ではないがしろにされ、多くの日本国民は貧困、差別に苦しめられていた。
教育基本法を骨抜きにしたい戦前回帰勢力の台頭
ではなぜ、戦前の美化が喧伝され、戦前のネガティブな情報がいま現在の社会において、共有化されないのだろうか。そのことは、前述と重複するが、戦前の政治体制に回帰したい政治勢力が、宣伝・洗脳攻勢をしかけているからであり、メディアがその勢力と一体化しているからだ。
彼らは戦後日本人の「劣化」を叫び、その原因を戦後教育のあり方に求め、それを担ってきた教師の組合である「ニッキョウソ」の敵視に向かう。〔戦後日本人の劣化=ニッキョウソ〕という論理なき宣伝を国民に展開する。
この手口はナチスのものと同様だ。ナチスはワイマール共和国成立後の社会の混乱と不安の主因を「ユダヤ人」に一元化して国民に喧伝することで大衆の支持を集めた。すべて「ユダヤ人」が悪い、という単純なメッセージで人心を掌握した。いまの日本において、戦前回帰を求める政治勢力も前出のとおり、日本人の「劣化」を「ニッキョウソ」に一元化しようとする。戦後の民主教育の根幹をなしてきた教育基本法を骨抜きにしようと謀る。彼らは精緻な論理性をもたない。民主主義教育の成果もしくは不十分性に係る検証もない。いまの日本人は劣化している、ニッキョウソが悪い、と情緒的、声高に叫ぶばかりなのだ。繰り返すが、戦前の日本人の道徳、倫理観、マナーはいま(戦後)よりも劣っていたにもかかわらず。
教育勅語は考えない「教育」を望む戦前回帰勢力の拠り所
戦前回帰を目論む勢力が教育において美化するのが教育勅語だ。それに関して、本書にまことに興味深い記述があるので紹介しておく。著者(大倉幸宏)は、大正後期に小学校で修身の授業を受けていたある女性が、当時の授業の様子について回想した小文を事例とする。その回想によると、当時の小学生は教育勅語の内容はまったく理解せずにただただ暗記、暗唱していたにすぎないというもの。教育勅語は、小4になると児童が見ないで書かないといけなくなるのだそうで、自習のときに、半紙を載せて写したのがばれて「日本人ともあろう者がお勅語の上に紙を載せて書くとは何事です!」とひどく叱られた子のエピソードも添えられている。著者(大倉幸宏)はこう続ける。
難しい漢語が並んだ教育勅語は、子どもが簡単に理解できるものではありませんでした。また、教育勅語が書かれた教科書を大切に扱うことが要求されたため、子どもたちにとって教育勅語は、ただ神聖なものであるというイメージだけが刷り込まれていきました。教える側も、その取り扱いには苦心していたようです。(P210)筆者には、戦前の社会において、教育勅語が教育効果を上げたとは思えない。もし効果があったとするならば、それを集団で暗唱する集団行動に政治的意味があったのではないかとも。あるいは著者(大倉幸宏)の指摘のとおり、天皇(の言葉)を神聖化、神秘化する効果があったのではないかと。
教育勅語(暗唱)の身体的教育効果
では、政治体制が変わったいま(戦後)、なぜ、教育勅語が見直されるのか。それは、ものごとを考えない教育を望む勢力にとって都合が良いツールだからだろう。前出のように教育勅語は中身の理解よりも、それを暗記暗唱することの強制――身体性に重きが置かれていた。教育とは思考力の鍛錬にあるのだが、思考よりも暗唱、いわれたことを素直に考えずに励む行動が美化されたのではないか。それが戦前教育の基本だった。教育勅語を暗記せよといわれれば、素直に実行する子どもをつくること。国家のいうことは、それがどんなものか検証することよりも、黙って従うことが教育の役割だと認識する勢力にとって、教育勅語はなんとしても復活させたいツールのようだ。教育勅語は戦後教育を破壊したい勢力のシンボル的存在にちがいない。
大新聞に求められる戦前社会の実相の共有化
本書の基本となっているのは、戦前の新聞記事等の報道資料だ。「昔はよかった」という根拠なき政治的言説や風潮は、大新聞がみずから蓄積してきた、戦前の記事を広く社会に紹介することで是正可能だ。新聞みずからが過去に取材・報道した記事を広く社会と共有することで、誤った戦前美化の言説は否定できる。フリーのライターができる仕事を人材豊富な大新聞社にできないはずがない。新聞がそのことを放棄していることに合点がいかない。