2010年10月4日月曜日

自転車

@Nezu

2010年10月3日日曜日

諏訪台散策(その3)

諏方神社を抜けてJR日暮里駅方面に下る。





2010年10月2日土曜日

赤い門の寺

@Yanaka

諏訪台散策(その2)--諏方神社

諏訪台に鎮座するのが諏方神社。すわの「わ」を「訪」でなくて「方」と書くところが特徴。









2010年10月1日金曜日

初音の森


@Yanaka

諏訪台散策(その1)

養福寺(諏訪台通り)



古民家(諏訪台通り)



富士見坂






諏訪台とは、JR日暮里駅の西側(山手線の内側)の高台のこと。

中国は覇権主義・帝国主義の警戒すべき国家

昨日の国会において、尖閣問題に関する愚かな質問を繰り返し行った自民党議員に係る批判は、前日の当コラムで書いたとおり。ところで、その愚かな自民党議員が、自民党・影の内閣の「外務大臣」だというから、驚きを通り越して、呆れてしまった。自民党が「終わった」ことは、何度も当コラムに書いたので繰り返さないが、それにしても酷すぎる「人事」というほかない。

さて、日本も中国も、尖閣に関しては、不退転の決意で覇権を主張することが明確になった。日本・中国は、お互い「善意の隣人」ではなく、「あたりまえの隣人」であることが明確になった。このことは、日中両国民にとって、悪くない。お互い、油断大敵、戸締りだけは、きちんとしておかなければいけないということだ。

仕掛けたのは日本だ。まずもって、日本は尖閣において国内法を執行しようとしたが、中国はそれを断固として受け入れなかった。日本は国内法で中国人を検挙し、その後、国内法(検察判断)の特別措置で、中国人犯罪者を釈放した。ここまでのところ、日本の筋は通っている。騒いでいるのは、自民党、与党の一部、そして、マスコミに巣くっている過激な民族主義者だけだ。繰り返すが、いまのところ、日本政府の措置に問題はない。

このたびの事案によって、日本側が尖閣の領有をあからさまに主張もしくは実行すれば、中国が武力行使も辞さないということが明確になった。このことは、日本の安全保障にとって、「大きな成果」だと呼べる。

中国が民主主義体制の国家ではないことは明白だ。第二次世界作戦後、中国がその覇権を求めて参戦した主な戦争としては、朝鮮戦争(1950)、チベット動乱(1956~)、中印戦争(1959)、中越戦争(1979)を挙げることができる。また、1947年の内モンゴル併合、1955年の新疆ウイグル自治区の創設(東トルキスタン併合)なども、中国の領土拡張に伴う「内乱」である。そればかりではない。1989年、民主化を求める中国民衆に対して、中国共産党政府は、非武装の民衆を多数虐殺した(天安門事件)。

これらの戦争・弾圧は中国共産党・一党独裁の下で行われた。現在の中国が、マルクス・レーニン主義に基づく共産主義体制の国家でなく、さらに、計画経済に基づく社会主義経済体制の国家でないことも明らかだけれど、かといって、人民の参政権を認め、基本的人権を遵守する、民主主義体制の国家でもない。いわんや、武力をもたない平和協調路線の国家でもない。中国共産党の基本路線は、結党以来、いくつかの修正が行われたものの、一党独裁=反民主主義、覇権主義・帝国主義・膨張主義で一貫している。中国は現在、戦争こそ行っていないが、そのいくつかの周辺国との間で、尖閣と似たような領土問題をいくつも抱えている。

中国が遠い将来、平和と民主主義の国家に変容するかどうかは定かでないが、21世紀初頭においては、一党独裁・覇権主義・帝国主義・膨張主義の国家であり続けることだけははっきりしている。その隣国・周辺国である日本・韓国・モンゴル・ベトナム・東南アジア諸国、インド等々は、中国の脅威に対して、共同でその動向を注視しなければならない。

日本は、日中親善をこれまで以上に促進し、経済における互恵的パートナーであり続けることに異論はないものの、中国の覇権主義・帝国主義・膨張主義に対する警戒を怠ってはならない。

2010年9月30日木曜日

尖閣は日本領土、だから検察判断しかないではないか

東シナ海の尖閣諸島沖で中国漁船と石垣海上保安部(沖縄県石垣市)の巡視船が衝突した事件で、那覇地検は24日、同保安部が公務執行妨害の疑いで逮捕した中国人船長、せん其雄(せん・きゆう、せんは憺のつくり)容疑者(41)を処分保留のまま釈放した。

同地検の鈴木亨次席検事は24日の記者会見で、巡視船側の被害が軽微だったことなどに加え「わが国国民への影響と今後の日中関係を考慮すると、これ以上、身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当でないと判断した」と説明した。

このような検察の措置について、日本国内の一部「民族主義者」(自民党及び与党の一部を含む)が政府批判を繰り返している。愚かである。彼らの批判内容は、「政府」が中国側の圧力に屈して、中国人船長を釈放したにもかかわらず、その判断・結果責任を検察に委ね、官邸、外務省はこの事案から逃げ、応対しなかったことを指摘しているようだ。検察に下駄を預けた、と。

日本と中国の関係を考慮すれば、中国人船長を釈放する以外の選択肢はない。しかし、釈放の判断について、官邸・外務省が関与したことが明らかになれば、尖閣に係る領土問題が日中間に存在することを政府が認めたことになってしまうのである。

日本は中国人船長を国内法で逮捕した。このことは、尖閣に日本の法律が施行されていること=尖閣が日本の領土であること、の主張である。ところが、それを認めない中国側が、日本政府に政治的(不当な)圧力をかけてきた。そのことの延長線上に起る最悪の事態は、日中間の武力衝突である。しかし、そのような事態はなんとしても回避しなければならない。

日本政府の筋論は、日本の国内法をあくまでも尖閣で実現することである。政府の介入があったかどうかというのは、ナイーブ(うぶ)な議論である。国内法の番人は検察であって、首相、外務大臣・・・ではないのだから。

繰り返すが、釈放は、「検察の判断」以外ない。 中国人船長の釈放に、首相や官房長官の介入がありました、なんて馬鹿なことをどうして、中国側に示す必要があるのだろうか。政府介入を公的に認めれば、尖閣に領土問題が存在することを日本政府が認めたことになる。それは絶対に避けたい。

尖閣という日本の領土で起った犯罪は、日本の法律で裁く。中国人船長の処分保留→釈放は、あくまでも、国内法の執行機関である検察の判断で決定されるのであって、首相や外相が関与するべき事項ではない。そんな当たり前のことが、どうして、国会で議論になるのであろうか。自民党の某議員は、「政府」の検察介入を認めろと、国会で繰り返し迫っている。愚かな日本の「民族主義者」のほうが、中国を結果的に利そうとしている。質問に立った自民党の議員は、議員である資格がない。

谷中の細道





@Yanaka

謎の小道






言問通りの××寺の境内から、谷中方面に抜ける小道。深夜に歩くと、カフカの『城』の気分。

2010年9月29日水曜日

小鉢

@Yanaka

Rue des Arts

谷中から上野公園方面に抜ける小道。









2010年9月22日水曜日

2010年9月21日火曜日

心無い報道

犯罪被害者を貶めるような、心無い報道が絶えない。このたびの押尾裁判においても、被害者女性が暴力団と関係があったとか、MDMAを自ら服用したというような事項が、弁護側から明らかにされたというし、ある有名ブログが、亡くなった女性の死は当然だというような論調の駄文を掲載した。

どのような属性の人間であっても、犯罪被害という不条理な死は、受け入れがたいものだし、受け入れてはならない。と同時に、人の命はいかなる状況にあっても、助けなければいけない。暴力団の抗争で重傷を負った構成員であっても、医者はもちろん、まわりにいる人間は、その命を助けなければならない。暴力団構成員、麻薬常習者、詐欺師、諸々の犯罪者、あるいは、その他諸々の職業にある者・・・であっても、そうである。殺人犯であっても、その者が死に瀕しているならば、救命しなければいけない。

押尾裁判の被害女性が自らの意思でMDMAを服用したからといって、遺棄致死罪が適用されないわけはない。彼女は犯罪を犯したのかもしれないが、彼女が生きていたならば、薬物使用者という犯罪者から、更生した可能性が高い。どんな属性の者であっても、その者が生命の危機に瀕していたならば、保護責任者は救命に最善を尽くさなければいけない。また、社会は、それを怠った者を糾弾しなければいけない。保護責任者遺棄(致死)罪は、このような根本原理に基づき、刑法に規定されているはずだ。

このたびの裁判において、弁護側は、被害者女性が自ら持ってきたMDMAを自らの意思で服用し、死亡に至ったことを傍証するため、彼女と暴力団との関係や、薬物使用の前歴を裁判で取り上げたという。だが、このような情報は明らかにネガティブキャンペーンであり、被害者女性のイメージダウンを狙ったものだ。

芸能人と薬物をやるような人間、堅気でない人間、水商売の人間――は、死んで当然、助けられなくって当然、押尾被告を非難する立場にない・・・というような意見を、平気でブログに公開するような者が、日本の言論界に存在するし、また、そのような暴論を掲載してしまうブログ編集責任者が後を絶たない。

上野公園(その2)





2010年9月20日月曜日

しみぬき

@Nezu

2010年9月19日日曜日

上野公園

夏の終りの公園。
いつのまにか、こんなものが・・・







2010年9月17日金曜日

保護責任者遺棄か

合成麻薬MDMAを一緒に服用して容体が急変した女性を放置して死なせたとして、保護責任者遺棄致死など4罪に問われた元俳優、押尾学被告(32)の裁判員裁判で、東京地裁(山口裕之裁判長)は17日、懲役2年6月(求刑・懲役6年)の判決を言い渡した。

判決を大雑把に評せば、保護責任者遺棄致死罪は認められず、保護責任者遺棄までが認定されたことになる。「疑わしきは被告人の利益に」という原則が拡大解釈されたように思う。芸能人だからとりわけ、罪を重くしてはならない、という自己抑制が裁判員に働いたかもしれない。そういう意味では、当該裁判の冒頭において、弁護側が「被告が芸能人であることで、報道に左右されずに…云々」の異例の申し入れ――陽動作戦が、功を奏した。

検察側、弁護側の対立ポイントはいくつかあるが、救命可能性が低かった、と証言した弁護側の医師の証言が決め手だったように思う。MDMAを服用した女性が亡くなった時間を知る立場にあるのは、押尾被告だけ。現代医学をもってしても、本件では、死亡時間を特定できなかった。押尾被告は、心臓マッサージ等の救命措置を行ったというが、119番通報をせずに、携帯電話を使って、マネージャーや知人等を現場に呼び寄せ、証拠隠滅、口裏あわせ等を行い、119番通報をしたのは、事件が起きてからおよそ3時間後だった。

裁判長は、押尾被告の証言のほとんどを信用できないと断定し、しかも、押尾被告の知人、友人等の証言から、押尾被告がろくでもない卑劣漢であることが、白日の下にさらされた。当該裁判を通じて、押尾被告の人間的欠陥や社会常識の欠如は証明できても、被告本人の「女性は急死だった」という主張を覆すだけの証拠がない。遺棄致死である疑いが極めて濃いが、検察側には、それを証明する決め手がなかった。

死亡した女性及びそのご家族に同情する。女性が薬物常習者で暴力団と関係があったということは、当該事件には何の関係もないといって過言ではない。重要なのは、容態に異変を生じた人間の傍らにいた人間が、119番通報をしなかったことだ。心臓マッサージ等の救命措置を施したというが、それも自分が薬物を飲んで事件を起こしたことの発覚を恐れてのことだ。

110番通報をすれば事件が発覚する、こりゃやばい、なんとかせにゃ、ということで、自己流救命措置を女性に施し、なんとか容態が持ち直すよう望んだ、ところが、回復の様子が見られず、焦った被告は容態が悪化する女性を放置して、マネージャー、友人等に携帯電話をかけまくった。弁護側・被告本人がまずもって行ったと主張する「救命措置」とは、発覚を恐れ、自分の手で事態の打開を図ろうとした結果であって、いわば、隠蔽工作の一環だった――と筆者はいまもって推測する。

夏の終りの路地

@Yanaka

訃報

昨晩、K叔父が亡くなったという知らせが届いた。

想定外だった。

11日に見舞ったときは意識もしっかりしていて、当分だいじょうぶだと安心していたからだ。

人の命の行方というものは、まったくわからないものだ。

2010年9月16日木曜日

2010年9月15日水曜日

小沢、完敗

う~む。民主党代表選挙の結果は、菅の圧勝。小沢が制するといわれていた国会議員票でも僅かながら、菅が小沢を上回った。筆者の予想は外れた。

革命後に訪れる反革命勢力が、革命を成功させたエネルギーを凌駕したわけだ。小沢一郎がこのまま蟄居すれば、民主党のこの先にあるものといえば、フランス革命(テルミドールのクーデター)後のブリュメールの18日(ナポレオンの帝政復活)、ロシア革命後のスターリン独裁と同じように、権力を掌握した保守的で陰湿な反革命勢力による弾圧の始まりだ。

負けた小沢一郎に期待するのは、彼が永続革命を継続することだ。もちろん、急ぐ必要はない。しばらく党内に潜伏し、自身の勢力の立て直しを図る時間も必要だろうし、党外に協力者を求める時間も必要だろう。また、この先においては、小沢一郎自身が首班を務める必要はない。小沢の意志を理解する第二世代、第三世代に永続革命を託せばいい。

今回の敗北をもって小沢が官僚独裁国家=日本の改造を諦めれば、日本の発展、成長は見込めない。菅が目指す政治は、「政治ショー」にすぎない。彼を有名にした「薬害問題」の二番煎じ、三番煎じがこの先、続くだけだろう。菅は、「ヒューマニズム」の化粧を施した弱者救済の「政治ショー」の主役を務め続けるため、官僚という悪魔に魂を売り渡したのだ。菅の演ずる「政治ショー」は小泉と同じ、ただ、演目が異なるだけ。

行政の実務的部分=ドロを被るべき部分は官僚に「まる投げ」し、その代わり、官僚の既得権益を保証し、「おいしい」ところ、「きれいな」ところ、大衆の「ヒューマニズムに訴える」ところだけを自分の「政治的成果」として、メディアに宣伝させる。失態が起きれば官僚を批判するが、官僚制度の改革には手をつけない。こっそりと、増税を行い、人々の暮らしは苦しくなり、格差社会はより、強固なものになる。それでも、大衆の痛みを感じることなく、首相の座に居座り続けようと、菅は考えているに違いない。

菅の政治姿勢を端的に表しているのが予算である。従来型の手法で官僚に予算案をつくらせ、みせかけの事業仕分けで、盲腸くらいを除去し、霞ヶ関の本丸には手をつけない。メディア受けするような、弱者、病者、高齢者等を救済するような法案をバンバンつくって国会を通し、点数を稼いでいく。菅には政治資金に係る大きなスキャンダルはおそらくないだろうから、メディアも野党も、追及するネタがない。その結果、菅政権を静観せざるを得ない。参院で「ねじれる」ような、対立軸も見出せまい。

なんとなく、平穏無事な安定した政治が続くというわけか、日本の首相が長持ちして、海外から笑われなくてすむ、というわけか。そういう物言いが、大手を振ってメディアを通じて世間にまかりとおることこそが、お笑いそのものなのだと思うが。

そうこうしているうちに、日本各所の劣化が進み、日本という病者の治療が困難になる。

だれもいない植物園

平日の植物園。

夏の終わりは、きれいな花が咲くいているわけでもなく、訪れる人は少ない。









2010年9月13日月曜日

叔父を見舞う

先日(11日)、癌で入院しているK叔父を見舞った。筆者は、この叔父に対して、筆者の親戚のなかで、最も親しさを感じている。その理由は、筆者の父母の兄弟姉妹の中で、筆者と唯一、まともな会話が成立した相手だからだ。それ以外の親戚が悪人であるわけもなく、もちろん善人なのだけれど、みな説教くさくて、うっとうしさが先にたった。

K叔父は戦後、東京都庁に就職し、組合運動に熱中した。日本の産別組合の中では、もっとも組織力があるといわれた自治労の専従で、社会主義協会(向坂派)の同盟員だった可能性が高い。向坂派は、かつての日本社会党の最左派といわれていた。しかし、日本の組合幹部は党派を問わず、その実態は労働貴族に変わりがない。

組合大会で全国を飛び回ることが多かったようで、出張の帰り、とりわけ、K叔父が若かったころは、筆者の家に泊まることが多かった。筆者の母はK叔父の姉に当たる。

家には友人を連れてくることが多く、酒を飲んで酔っ払い、軍歌、寮歌、労働歌などを歌った。筆者が大きくなってからは、筆者も酒宴に加わり、ときに、社会主義協会についての論争となった。筆者はK叔父を「スターリニスト」と呼び、K叔父は筆者を「極左冒険主義」と呼んだ。でも、論争は遊戯に等しく、なれあいで、本当に相手をやつけるつもりがない。K叔父は甥の生意気な成長を喜び、若かれしころの筆者は、知識のひけらかしで満足した。論争は結局のところ、「代々木が悪い」という落としどころで決着したものだ。

やがて、K叔父はなぜかわからないが、組合運動から足を洗い、都心で喫茶店を始めた。喫茶店の開店祝いに出かけた記憶があるが、開店からあまり時間のたたないうち、店をやめたことを母から聞いた。組合運動を止めた理由も喫茶店を閉めた理由も聞いていないが、聞くだけ野暮というものだ。

その後、中国専門の旅行社の役員、東京都の外郭団体等の顧問等をしていたようだが、数年前、癌を発病し、治療に専念した。治療はT大病院だったような気がするが、訪れた入院先は、K叔父の自宅(東京都A市)近くのA病院だった。

筆者がK叔父に親しみを感じるのは、左翼だったからではない。筆者の古いアルバムに、幼いころの筆者と、若いときのK叔父、そして、若い女性の3人が写っている写真がある。セピア色に変色しているが、女性は、K叔父にはもったいないくらいの美女だ。でも、その女性は、K叔父の奥さんではない、別の女性なのだ。

「この人、だれだっけ」と、筆者が母に聞いた。そのとき、母は「○○さんよ」と答えた。でも、いまに至っては、その名前を思い出せないし、筆者の母はすでに他界している。K叔父が結婚を意識して姉である筆者の母に紹介した女性なのか、ただの友達なのか定かではないが、筆者は、こんな美人とつきあうことができたK叔父をなお、尊敬してやまない。

2010年9月11日土曜日

正常な社会観と人間性の欠如

昨年8月、合成麻薬MDMAを一緒にのんで死亡した飲食店従業員田中香織さんを救命しなかったとして保護責任者遺棄致死罪などに問われた元俳優押尾学押尾被告(32)の裁判員裁判は、10日の検察側証人の救命救急医師の証言で、ほぼ山を越えた。

救急医は、MDMAを服用して異常が発生した場合、死亡まで数十分かかるものと考えられ、すぐに救急車を呼べば、「田中さんは若く、心臓に原因がないので、病院に運ばれた後でも百パーセント近く、9割方助けられたと思う」と、さらに、「「正常な社会観を持っていれば、救急車を呼ぶはず」と押尾被告を切り捨てたという。

この日証言した田中さんの両親は、かねがね事実が知りたい--と、押尾被告に事件と正直に向き合うことを訴えてきたという。だが、押尾被告は一貫して「無実」を主張し、裁判で争う姿勢を崩さなかった。田中さんの死亡時刻や経緯には依然、周囲の証言と食い違いがある。しかし、ここまでの証言では、押尾被告が嘘をついている可能性が高いことがわかってきた。

そればかりではない。元マネージャー、友人・知人らの証言によれば、救急車を呼べという忠告を押尾被告が再三無視したこと、田中さんの死後、押尾被告が隠蔽工作を図ろうとした様子が明らかにされた。押尾被告は元マネージャーに、「一生面倒を見るから、オレの身代わりになるよう」懇願したともいう。

筆者は、この証言だけでも、押尾被告の「人間性の欠如」について、恐怖に近いものを感じた。傍らで知人の女性が危篤状態――生死の境を彷徨っている――にもかかわらず、マネージャーや知人に携帯電話をかけまくり、救急車を呼ばず、女性の死後、自分が「無罪」になるための姦計をめぐらしていた可能性が高い。身代わりの強要、証拠隠滅、口裏あわせ…といった工作に腐心した。警察に逮捕され、留置された後も反省をすることなく、自分は「救命に尽力した」と白を切り続ける。押尾被告という男は、いったい何者なのだ、悪魔か、それとも人間の皮を被ったモンスターか…

裁判の進行とともに、押尾被告の嘘が次々とばれていく。押尾被告の罪状は保護責任者遺棄致死罪などになっているけれど、殺人に匹敵するくらいその罪は重いように思える。しかも、いまだに反省、悔恨、謝罪の様子は見受けられない。

押尾被告が裁判に臨む姿勢は、人の道から大きく外れているように見える。一部のメディアの報道では、押尾被告の人脈には、自民党の現職の大物議員の息子、民主党の元国会議員、パチンコ業界のフィクサー等がいるとされている。押尾被告は、その人脈に名を連ねている「大物たち」の力によって、裁判で争えば無実が得られるという確信があるのだろうか。

押尾被告の弁護団は、「報道に判断を左右されないように…」と、裁判員に対して、異例の要請を行ったようだが、その心配はまったくなさそうだ。明白な証言・証拠が積み重なれば、「報道に左右される」余地は生じない。押尾被告の嘘を信じ、異例の要請を裁判員に対して行った弁護団の意図は、いったいどこにあったのだろうか。弁護団も押尾被告と一心同体、人の道から外れた、モンスターなのだろうか。弁護団が押尾被告を信じた、その理由が知りたい。