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谷中霊園、天王寺参道 |
2020年3月21日土曜日
2020年3月20日金曜日
2020年3月19日木曜日
2020年3月15日日曜日
2020 日本プロ野球(NPB)順位予想
新型コロナウイルスの影響で先が見えない世界のプロスポーツ界ーー東京五輪の開催すら危ぶまれている。日本プロ野球(NPB)も開幕が遅れ、開催日すら決まっていない。開幕したとしても、交流戦、オールスターゲーム、CSが流れる可能性もある。そのような状況で順位予想といっても、あまり意味がないかもしれないのだが、例年どおりの日程を遅れながらも消化したと仮定して、順位予想をたててみよう。
筆者の2019予想は大外れ
筆者の昨シーズンの予想は、
〈パリーグ〉
1.日本ハム、2.楽天、3.ソフトバンク、4.西武、5.オリックス、6.ロッテ
〈セリーグ〉
1.広島、2.読売、3.阪神、4.DeNA、5.ヤクルト、6.中日
であったのだが、実際の順位は、次のとおりだった。
〈パリーグ〉
1. 西武、2.ソフトバンク、3.楽天、4.ロッテ、5.日ハム、6.オリックス
〈セリーグ〉
1.読売、2.DeNA、3.阪神、4.広島、5.中日、6.ヤクルト
パ、セともまったく外れた。CSでパリーグはソフトバンクが勝ち上がり、セリーグはペナントを制した読売が順当に勝った。日本シリーズはソフトバンクが読売を退け、日本一に輝いた。
2020シーズン順位予想
〈パリーグ〉
1.ソフトバンク、2.楽天、3.西武、4.日ハム、5.ロッテ、6. オリックス
〈セリーグ〉
1. 広島、2. DeNA、3.読売、4.中日、5.阪神、6.ヤクルト
ソフトバンクが強い
パリーグのソフトバンク優勝については、万人に異論がないところだと思う。戦力的に見て群を抜いている。昨シーズン、不出来だった柳田が復帰。2020の春、東京五輪予選で出遅れていたキューバ勢が、開幕が後ろにずれたことにより、間に合うという幸運にも恵まれた。
2位以下は難しい。楽天、西武、日ハム、ロッテはほぼ互角。絶対エース的存在の則本を擁する楽天が優位とみた。最下位候補のオリックスは才能のある選手が投打に散見するが、監督が悪すぎる。いわゆる「動きすぎ」の采配傾向が顕著で、走塁死が多い。盗塁、ヒットエンドランは成功すれば気持ちがいいし、監督の名采配として評価されるが、リスクも高い。現監督には、その見極めができていない。
セリーグは混戦模様、広島が抜けだす
セリーグのチームの選手層を比較すると、だれが見ても、読売の打撃陣については文句なくリーグナンバーワンとみるはず。とはいえ、弱点がないわけではない――内野陣(一塁、二塁)に不安が残る。プロ野球における一塁と三塁は攻撃の中心選手が担うポジション。読売の黄金時代を支えたONは一塁、三塁でそれぞれ不動だった。
三塁を岡本で固定すると、一塁がいない。オープン戦ではベテランの中島が先発しているが、シーズンを通して出られるとは思えない。捕手登録の大城、外野登録の陽、三塁とかけもちで岡本の3選手が中島のバックアップとなるのか。チームの顔となる岡本は、三塁で固定したいところだろう。
二塁は吉川尚がレギュラーに一番近いが、故障のリスクが拭えない。山本、若林、田中俊、増田では心もとない。
それでも、たとえば、1.吉川尚(二)、2.坂本(遊)、3.丸(中)、4.岡本(三)、5.亀井(左)、6.パーラ(右)、7.大城(捕)、8.中島(一)、9.(投手)もしくは、1.亀井(左)、2.坂本(遊)、3.丸(中)、4.岡本(三)、5.パーラ(右)、6.大城(一)、7.田中俊(二)、8.小林(捕手)、9.(投手)といった打順は強力である。
先発投手は駒不足
問題は先発投手陣で、菅野(11勝)-サンチェス(実績なし)-田口(0勝/3勝は中継ぎの成績)-高橋(5勝)-戸郷(1勝)-桜井(8勝)(鍬原、今村(3勝)、メルセデス/8勝/故障中)と並べてみても計算が立たない。
※( )内は2019先発勝利数。合計39勝
投球フォームを改造した菅野だが、昨年と同程度の成績で終わる。昨年、新人ながら5勝をあげた高橋だが、新人で左腕のチェンジアップ投手の翌年の成績は下がることが多い。戸郷、桜井は才能のある右腕だが、オープン戦では調子が上がっていない。韓国リーグからやってきたサンチェスは未知数。走者を背負ってのセット&クイックの制球力に不安が残る。早期に克服すれば5勝は上げられる。田口には、2017年の13勝程度の期待がかかるが、期待のしすぎというもの。
となると、2020は、菅野(10勝)、サンチェス(5勝)、高橋(2勝)、戸郷(2勝)、桜井(4勝)、田口(5勝)、メルセデス(6勝)程度となり(合計34勝)、山口俊(15勝)が抜けた穴は埋まらないことはもちろんのこと、昨年より勝ち星は減る。
その反対に、リリーフは戦力がアップした。デラロサ、ビレイラのダブルストッパーはリーグナンバーワン。大竹、中川、澤村、高木京と、セットアッパー陣の駒は豊富。ビハインドゲームでは、鍵谷、古川、藤岡、宮國、田原と実績のある投手が控えている。
ではなぜ3位に順位を落としたかといえば、先発投手陣のコマが揃っていないことに尽きる。高橋が左ひじの違和感を訴えているというから、今年の成績はもっと下がる可能性もある。
広島、DeNAは戦力が微増
読売より上位にランクづけした広島、DeNAも万全ではないが、広島は菊池が残留し田中も復帰するので、戦力ダウンを免れた。DeNAは筒香の抜けた穴をオースチン、倉本、佐野、梶谷らが埋める活躍をする可能性が高い。阪神は相変わらずの貧打線、中日は、投手陣、とりわけセットアッパー、クローザーが定まらない、バレンティンが抜けたヤクルトの3球団のBクラスは必至だ。
読売が戦力ダウンし、広島、DeNAが戦力をややアップしたと思われるので、順位を入れ替えた。
筆者の2019予想は大外れ
筆者の昨シーズンの予想は、
〈パリーグ〉
1.日本ハム、2.楽天、3.ソフトバンク、4.西武、5.オリックス、6.ロッテ
〈セリーグ〉
1.広島、2.読売、3.阪神、4.DeNA、5.ヤクルト、6.中日
であったのだが、実際の順位は、次のとおりだった。
〈パリーグ〉
1. 西武、2.ソフトバンク、3.楽天、4.ロッテ、5.日ハム、6.オリックス
〈セリーグ〉
1.読売、2.DeNA、3.阪神、4.広島、5.中日、6.ヤクルト
パ、セともまったく外れた。CSでパリーグはソフトバンクが勝ち上がり、セリーグはペナントを制した読売が順当に勝った。日本シリーズはソフトバンクが読売を退け、日本一に輝いた。
2020シーズン順位予想
〈パリーグ〉
1.ソフトバンク、2.楽天、3.西武、4.日ハム、5.ロッテ、6. オリックス
〈セリーグ〉
1. 広島、2. DeNA、3.読売、4.中日、5.阪神、6.ヤクルト
ソフトバンクが強い
パリーグのソフトバンク優勝については、万人に異論がないところだと思う。戦力的に見て群を抜いている。昨シーズン、不出来だった柳田が復帰。2020の春、東京五輪予選で出遅れていたキューバ勢が、開幕が後ろにずれたことにより、間に合うという幸運にも恵まれた。
2位以下は難しい。楽天、西武、日ハム、ロッテはほぼ互角。絶対エース的存在の則本を擁する楽天が優位とみた。最下位候補のオリックスは才能のある選手が投打に散見するが、監督が悪すぎる。いわゆる「動きすぎ」の采配傾向が顕著で、走塁死が多い。盗塁、ヒットエンドランは成功すれば気持ちがいいし、監督の名采配として評価されるが、リスクも高い。現監督には、その見極めができていない。
セリーグは混戦模様、広島が抜けだす
セリーグのチームの選手層を比較すると、だれが見ても、読売の打撃陣については文句なくリーグナンバーワンとみるはず。とはいえ、弱点がないわけではない――内野陣(一塁、二塁)に不安が残る。プロ野球における一塁と三塁は攻撃の中心選手が担うポジション。読売の黄金時代を支えたONは一塁、三塁でそれぞれ不動だった。
三塁を岡本で固定すると、一塁がいない。オープン戦ではベテランの中島が先発しているが、シーズンを通して出られるとは思えない。捕手登録の大城、外野登録の陽、三塁とかけもちで岡本の3選手が中島のバックアップとなるのか。チームの顔となる岡本は、三塁で固定したいところだろう。
二塁は吉川尚がレギュラーに一番近いが、故障のリスクが拭えない。山本、若林、田中俊、増田では心もとない。
それでも、たとえば、1.吉川尚(二)、2.坂本(遊)、3.丸(中)、4.岡本(三)、5.亀井(左)、6.パーラ(右)、7.大城(捕)、8.中島(一)、9.(投手)もしくは、1.亀井(左)、2.坂本(遊)、3.丸(中)、4.岡本(三)、5.パーラ(右)、6.大城(一)、7.田中俊(二)、8.小林(捕手)、9.(投手)といった打順は強力である。
先発投手は駒不足
問題は先発投手陣で、菅野(11勝)-サンチェス(実績なし)-田口(0勝/3勝は中継ぎの成績)-高橋(5勝)-戸郷(1勝)-桜井(8勝)(鍬原、今村(3勝)、メルセデス/8勝/故障中)と並べてみても計算が立たない。
※( )内は2019先発勝利数。合計39勝
投球フォームを改造した菅野だが、昨年と同程度の成績で終わる。昨年、新人ながら5勝をあげた高橋だが、新人で左腕のチェンジアップ投手の翌年の成績は下がることが多い。戸郷、桜井は才能のある右腕だが、オープン戦では調子が上がっていない。韓国リーグからやってきたサンチェスは未知数。走者を背負ってのセット&クイックの制球力に不安が残る。早期に克服すれば5勝は上げられる。田口には、2017年の13勝程度の期待がかかるが、期待のしすぎというもの。
となると、2020は、菅野(10勝)、サンチェス(5勝)、高橋(2勝)、戸郷(2勝)、桜井(4勝)、田口(5勝)、メルセデス(6勝)程度となり(合計34勝)、山口俊(15勝)が抜けた穴は埋まらないことはもちろんのこと、昨年より勝ち星は減る。
その反対に、リリーフは戦力がアップした。デラロサ、ビレイラのダブルストッパーはリーグナンバーワン。大竹、中川、澤村、高木京と、セットアッパー陣の駒は豊富。ビハインドゲームでは、鍵谷、古川、藤岡、宮國、田原と実績のある投手が控えている。
ではなぜ3位に順位を落としたかといえば、先発投手陣のコマが揃っていないことに尽きる。高橋が左ひじの違和感を訴えているというから、今年の成績はもっと下がる可能性もある。
広島、DeNAは戦力が微増
読売より上位にランクづけした広島、DeNAも万全ではないが、広島は菊池が残留し田中も復帰するので、戦力ダウンを免れた。DeNAは筒香の抜けた穴をオースチン、倉本、佐野、梶谷らが埋める活躍をする可能性が高い。阪神は相変わらずの貧打線、中日は、投手陣、とりわけセットアッパー、クローザーが定まらない、バレンティンが抜けたヤクルトの3球団のBクラスは必至だ。
読売が戦力ダウンし、広島、DeNAが戦力をややアップしたと思われるので、順位を入れ替えた。
2020年3月12日木曜日
2020年3月11日水曜日
新型コロナウイルス考
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世界に広まる新型コロナウイルス感染 |
未知なるものを前にすれば、「科学的発言」すら相対的である
いまのところ、COVID-19の正体はつかめていない。よって、防御法、治療法は確定していない。いまできるのは、PCR検査実施による感染者の発見、感染者の積極的隔離、重症者(肺炎症状)に対する点滴、呼吸器等といった入院治療ーーである。HIV治療薬の投与が有効であるという事例が報道されたが、決定打ではない。
各国の対応もまちまちである。日本はPCR検査の実施に消極的で、感染者数は世界レベルで見ると低い。発症元の中国(武漢)と地政的、経済的に近く、中国からの観光客が多数訪れる日本(514人)が、中国から遠隔の地であるイタリア(917人)より感染者数が少ないことに違和感を覚えるが、統計上はそのとおりなのである。(2020/03/11現在)
COVID-19の脅威についても定かではない。不顕性感染者が圧倒的に多いことから、恐れる必要はないという説もあるし、30代の発症者が重篤化した事例をもって、警戒を強めよという説もある。また、死亡率はインフルエンザより低い、といういま時点のデータをもって、過度な反応を戒める専門家もいれば、今の段階では死亡率は確定できないとする専門家もいる。
COVID-19に対するシニシズム(冷笑主義)の台頭
COVID-19はインフルより怖くない――との主観に基づき、「コロナ騒ぎ」を冷笑する文科系「知識人」も台頭している。彼らの論拠は概ね、死亡率の低さである。筆者は未知の感染症の恐ろしさは死亡する人の数の多寡ではないと考える。言うまでもなく、世界で、そして日本で、毎日、たくさんの人が亡くなっていて、その原因は特定できるし、また、説明がつく。自然死、疾病、事故、自殺、事件・・・だと。
一方、未知の感染症の場合、先が見えない恐怖がある。このたびのCOVID-19の場合も、先述の通り、その特性、治療法、防御策がわからないという点で共通する。過去、「スペイン風邪」の流行で、日本人約39万人が死亡した事例がある。COVID-19が「スペイン風邪」より弱いと確言する論拠はいまのところ、見つかっていない。
それゆえに、生活者は政府及び感染症専門家に期待をするし、その施策、情報、発言に敏感になって当然である。冷笑主義者は、COVID-19の死も、インフルエンザの死も、交通事故の死も、死に変わらんじゃないかーーと発言するが、そういう発言は現時点では有害だと思う。未知のウイルスは、時間経過に伴う変異が予想されるからだ。
COVID-19に対する基本的態度
現時点における筆者のCOVID-19についての立場を端的に言えば、シニカルにもならないし、いたずらに恐れることもない、となる。注視したいのは次の点である。
- 日本政府のトップ及び厚労省は未知の感染症にどれほどの対処能力があるかの見極め、
- COVID-19の恐怖を盾にして、政府がそれを政治利用するかどうか、
- 生活者がいかなる行動をその中で選択していくか
今後、いま以上にこれらについて最大限の関心を払っていきたいと思う。また、睡眠、栄養を十分とり、免疫力を高め、感染しても重症化しないような体力をつけるよう、心がけるつもりである。
2020年3月10日火曜日
2020年3月8日日曜日
和気清麻呂、猪、そして盲目の人
偶然通りかかった神社、入口周辺に猪の絵が飾られていた。百人一首の読み札に描かれた、あの画風だ。縁起を読むと、清麻呂が朝敵に囲まれて窮地に陥ったとき、猪が彼を助けたことを顕彰してこの神社を建立したとあった。狛犬ならぬ、コマ猪が控えている。本殿に向かおうとしたとき、私を背後から呼び止める声がした。その男性は「自分はどこにいるのか」というような意味の問いを私に発した。驚いた私だが、その人が白杖こそ持っていなかったものの、目が不自由であることを理解した。年齢は60代後半~70代くらいか。小柄できちんとした身なりだった。
「わたしたちは、舞台の横にいて、こちらが正殿です」とその人を正殿の方向に導いた。するとその人は正殿に進み、やおら祝詞をあげ出した。意味はわからなかったが、その声は澄んでいてとても力強かった。祝詞が終わったあと、私はその人と一緒に境内を歩くことにした。「ここに大きな猪の像があります」と像を叩くと、その人は猪の尻尾、後脚、胴体…頭部、耳、そして鼻先を丁寧に撫で回し、満足したように笑った。次は清麻呂の像である。それは台座の上にたてられていたため、その人の背丈では清麻呂の足からすねくらいまでしか届かなかったが、その人は確認するように撫でた。
さほど広くない庭に出て、「向かいに、猪のぬいぐるみや玩具が集められた小屋がありますが」といったところが、その人は興味を示さなかったのでベンチに座った。
「私は出張で東京から来たもので、近くのホテルに泊まっていて、これから仕事です」と改めて挨拶をした。するとその人は私に何度も礼をいい、私の上腕から肩、背中を触り、「なにかスポーツをしてはりますか」と尋ねたので、「筋トレを」と返すと、「よろしーな」と笑った。「そろそろホテルに帰ります」というと、「ホントにええモノを見させてくれはって・・・」と何度も頭を下げた。いいモノを「見た」というその人の言葉が私の胸を刺した。
その人と別れ正殿の方に戻ろうと歩き出してふと、気がついた。「あの人、目が見えないのだ、帰りは大丈夫かな」と振り返った。が、その人の姿はなかった、あれ、どこにいったのかなと戻って見回したがいない。
ホテルに戻る道すがら、そういえば、あの人、私に声をかけてきたときも、足音とか気配がゼンゼンしなかったなーーあの人の顔、神社の前に飾られていた、和気清麻呂の絵と似てたなーーと、不安のような、困惑のような感情が私を包んだ。
以来、その神社は「和気清麻呂神社」と私の中で記憶されていたのだが、Facebookへ の投稿を機会に、〈護王神社〉と訂正され、足腰の守護神であるという情報も付け加わった。
(写真は護王神社HPより転載)
2020年3月7日土曜日
2020年3月6日金曜日
旧因州池田家表門に係る珍説
谷中から上野公園にかけて散歩中、知らない人(男性)に声をかけられた。主語と述語が合わない言説だった。想像すると、日本が戦争に負けたこと、米国に占領されたこと、その後も米国に隷属したままであること――となるかもしれない。
話し方は論理的ではなかったが、まったく正しい。最後に、東博前にある黒い門(写真)はどこにあったのか、という質問を私にぶつけてきたので、「寛永寺かな」と答えると、「帝国ホテルだ」という。それはないだろうと思ったので帰宅して調べたら、大名屋敷の門で何度か移転しているが、帝国ホテルという記録はなかった。私も誤答したので大きなことは言えない。
もしかしたら、記録にはないが、帝国ホテルにあった可能性を否定できない(笑)
2020年3月4日水曜日
2020年2月21日金曜日
『追想にあらず 1969年からのメッセージ』
●三浦俊一〔編著〕 ●講談社エディトリアル ●1800円+税
本書は、日本共産党(以下「日共」と略記)に代わる前衛党を目指した新左翼党派、共産主義者同盟(Bund/以下「ブント」と略記。1958年結党)の幹部による、1960年代後半から1970年代における同党派の活動等に係る記述だ。
ブント結党に関する経緯及びその後の展開等については本書にまとめられているのでここでは詳しくは触れないものの、60年安保闘争を担った全学連主流派による学生運動を理論的に指導した党派であったことを強調しておきたい。同党派はいわば、日本の新左翼運動の老舗的存在だった。なお、結党時のブントを第1次ブントと呼ぶ。
ブント(共産主義者同盟)と革命的共産主義者同盟
ブントの政治党派としての特徴は、厳格な前衛党というイメージから遠く、ブントを自称する大学、職場、地域における集団がそれぞれ独自に理論武装を行い、それぞれが独自に運動を展開するところにあった。
一方、60年安保闘争時、ブントに並ぶ反日共系党派として、革命的共産主義者同盟(以下「革共同」と略記。1957年結党)が存在した。革共同はブントと異なり、唯一強固な前衛党の実現を党是としており、結党以来一貫して内ゲバを他党派に向けて仕掛けた集団である。革共同のあり方が、新左翼運動衰退の主因の一つだった。
60年安保闘争終息後、ブントの幹部たちの多くが革共同に入党し、ブントは事実上、革命運動の主役から退いた。60年安保闘争終息後におけるブントの後退と革共同の台頭は、今日における日本の新左翼運動消滅の素因の一つであるのだが、このことについては後述する。なお、革共同は1962年に革共同全国委員会(以下「中核派」と略記)と革共同革命的マルクス主義派(以下「革マル派」と略記)に分裂して今日に至っている。
「じゅっぱち」とブントの復活
前出のとおり、60年安保闘争終息後、学生運動の主役の座から退いたブントだったが、60年代中葉の日韓闘争等を通じて次第に勢力を回復した。1966年、三派系全学連(ブント、中核派、社青同解放派)を結成し、新左翼運動再生の契機となった第1次(10.8)羽田闘争(1967/10/08)により一気に党勢を盛り返すに至った。このとき大同団結したブントを第2次ブントと呼ぶ。
日本の新左翼革命運動を記したとある書では、三派系全学連が担った10.8第1次羽田闘争(「じゅっぱち・はねだ」)から翌年の10.21国際反戦デー(1968/10/21)までの一連の街頭闘争を輝かしい戦果を上げた“激動期”と特記している。
「じゅっぱち」において学生デモ隊は初めて、党派ごとのシンボルカラーを塗装した工事用ヘルメットを装着し、角材(ゲバ棒と呼ばれた)と投石で機動隊と対峙した。それまで、学生を中心としたデモは警察機動隊の暴力的規制を受け、デモ参加学生の多数が負傷した。つまり、「じゅっぱち」における新左翼学生が行った武装は自衛だった。
新左翼革命運動高揚の象徴――佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争
前出の“激動期”のハイライトともいうべきなのが、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争だった。エンタープライズとは米軍の巨大原子力空母の名称で、佐世保入港の目的は当時激化していたベトナム戦争における米軍支援だった。テレビでは、巨大な影のようなエンタープライズ号の不気味な映像と、放水を浴び、機動隊に警棒で殴られる若者(学生、反戦青年委員会のデモ隊)の凄惨な映像が繰り返し、重なるように放映された。
佐世保市民はもちろんのこと、テレビをみた全国の生活者大衆は、巨大な原子力空母の影に怯え、学生たちの献身的な寄港阻止運動に心を動かされた。佐世保市民は全国から集まった学生、青年労働者にカンパを惜しまなかった。それは、素朴な反戦の思いからだった。
戦争の記憶と新左翼革命運動
1968年というと、アジア太平洋戦争敗戦(1945年)から23年しかたっていない。ほぼ四半世紀というと、いかにも長い年月のように思えるかもしれないが、それはほんの数年前のことのようなのだということが、年齢を重ねればわかる。25年前のことは、それこそ、はっきりと記憶に残っているものなのだ。
佐世保における新左翼の若者による阻止闘争は、アメリカ軍に身内を殺され、空襲で家を焼かれた生活者大衆の生々しい戦争体験の記憶と重なっていた。1968年当時、「〇〇は、戦死した△△の生まれ変わりだね」という会話が日本の家庭の多くで、しばしば交わされていた。その会話の中心には、セピア色した軍服姿の青年の遺影があった。大学生ほどに成長したわが孫、わが子、わが甥っ子等と、若き軍服姿の青年の遺影を見比べたうえでの祖父、祖母、父、母、叔父、叔母の言葉だった。かくいう筆者も、サイパンで戦死した父の弟・五郎の「生まれかわり」だった。「似てねぇ」というのが当時の筆者の偽らざる心情だったのだが…
1969年――新左翼革命運動の転換点
新左翼学生運動は、1968年をもって力を失った。翌年(1969年)の1月、東大安田講堂封鎖解除(落城)から始まり、4.28沖縄闘争における破防法発動、全共闘運動の拠点だった大学への機動隊導入とロックアウトが相次ぎ、新左翼各派が「決戦」と位置付けた11月の羽田闘争も封じ込められた。新左翼各派は権力に暴力的(軍事的)に敗北した。
さて、本書副題が「1969年からのメッセージ」とあるように、ここからが本書である。権力側による反革命攻勢によって封じ込められたブントは、1969年、同党派内の関西ブントと呼ばれるグループが赤軍派を名乗って旗上げしたことで事実上、空中分解した。そのさなかで起こったのが、赤軍派によるブント議長らに対するリンチを発端とした幹部の死だった(7.6事件)。この事件については、本書寄稿者の多数がその経緯、背景等に触れている。
7.6事件後に結党した赤軍派は、▽ハイジャックを実行し、ピョンヤンにいまなお留め置かれている「よど号グループ」、▽アラブを拠点に海外武装闘争に参じた「日本赤軍」、▽京浜安保共闘と合体して「あさま山荘」銃撃戦、同志リンチ殺人を行った「連合赤軍」などに分派し、暴力闘争を展開したものの、警察権力により各派幹部の大半が逮捕・起訴・入獄したことにより活動停止に追い込まれた。また、赤軍派が分派した後の第2次ブントもRG派、戦旗派、情況派、叛旗派などに分解し、ブントは再び衰退期に突入し、1990年代に実態上、消滅したと思われる。
自己批判、反省、悔恨、懺悔
本書は、よど号グループ(小西隆裕、若林盛亮ほか)、日本赤軍(重信房子、足立正生)、赤軍派を立ち上げた幹部(高原浩之、三浦俊一ほか)による当時の回想及び現状認識に関する寄稿で構成されている。自己批判、反省、悔恨等々に満ちた内容だ。いま思えば、あるいは当時を知らない若者にしてみれば、たかが学生運動の活動家がいったいどうして武装、軍事、革命戦争を切実な闘争課題として思い込むに至ったのか、理解に苦しむだろう。まして、仲間同士がリンチ殺人を犯したのかと。
もちろんそれは、学生活動家の観念の無限の上向があったからだ。現実の生活実感を媒介しない空理空論(過渡期世界論→組織された暴力→前段階蜂起→世界一国同時革命→〈世界赤軍vs世界白軍全面戦争〉…)を弄んだからだ。そして組織内において、自己と他者が決意主義によって互いを追い込み追い込まれ、実行に至ったからだ。
武装の拡張が闘争の「勝利」をもたらすという思い込み
軍事路線の原点は、「じゅっぱち」「エンタープライズ寄港反対闘争」などの「武装闘争」による成功体験にある。そのことは赤軍派に限らず、武装闘争を競った新左翼各派に共通している。新左翼運動がほぼ1年間(激動期)、大衆的支持を得たのは、もちろん武装による勝利ではなかった。先述したとおり、生活者の素朴な反戦の記憶からの支持だった。にもかかわらず、新左翼はそれを「武装闘争」による勝利と錯誤した。
1969年を契機として、新左翼学生運動の「武装闘争」は機動隊暴力の強化と破防法等の法的規制により封じ込められた。また、権力側からのメディア規制も強まった(「過激派キャンペーン」など)。その一方、封じ込まれた側の新左翼党派は、1968年までの政治的勝利が武装にあったと誤信し、後退を食い止める方策は唯一「武装」の強化だと確信してしまった。ゲバ棒、投石から火炎瓶へ。さらに銃の奪取、爆弾使用へとエスカレートすれば、革命が成就するという論理だ。また、国内闘争から海外革命基地建設(キューバ、パレスチナ、北朝鮮)への空間的飛躍も夢想された。武装により勝利したというブントを筆頭とした新左翼の「成功体験」が、その武装に自縄自縛され、そこから逃れられなかった。そして無謀にも、M作戦(資金調達)、交番、銃砲店襲撃(銃の入手)、ハイジャック、パレスチナ解放勢力との共闘…と、武装をエスカレートし、逆に権力の圧倒的武力の前に屈した。
無謬の前衛党建設ーーブントは革共同との党派闘争に負けていた
それだけではない。ブントの分裂=赤軍派の分派は、革命成功の手段である前衛党建設をめぐる新左翼内論争に負けた結果でもあった。それは、60年安保闘争後のブントと革共同の確執に端を発していた。なかで革マル派は、唯一にして無謬の前衛政党建設のためには、いかなる他党派の存在も容認しないという姿勢を堅持していた。それが中核派との分裂を招いたばかりか、凄惨な内ゲバの正当化論理を新左翼に持ち込んでしまった。革マル派は、自党に敵対する他の新旧左翼党派は反革命であり、それらを暴力(テロ、リンチ)で消滅させることが革命遂行に必須だという論理を新左翼内に持ち込み実践した。
もとより牧歌的なブントの体質は、大学、地域内党派闘争における革マル派との党派闘争の際に弱点となった。ロシア革命成功は、レーニン率いる鉄の規律を有したボルシェビキの存在なくして語れない。ブントは党建設において革マル派にしばしば論破されてきた。強固な前衛党を媒介しない武装闘争ではプロレタリア革命はできない、と野合的ブント体質を革マル派に突かれると、弱かった。
その反動ともいえるのが、前出の「7.6事件」――党内闘争=リンチによる同志殺害だった。赤軍派はブントの弱さを克服すべく、赤軍兵士という規律を課そうとした。その究極的失敗が、連合赤軍によるリンチ殺害事件にほかならない。連合赤軍リーダーの一人、森恒夫が山岳アジトで「兵士」に命じた「自己の共産主義化」は、革マル派教祖の黒田寛一の「プロレタリア的人間自覚の論理」を素朴に単純化した「人間論」のように思える。このように、ブント赤軍派は、密教化した小集団として実体的かつ観念的に閉じこもり、仲間内でただただ軍事と戦争を夢想するインテリ集団と化していき、挙句、自壊した。
赤軍派、オウム真理教、大日本帝国
筆者は、本書に収められた赤軍派幹部たちの寄稿に失望した。その理由は、彼らが過ちを犯した者だからではない。彼らが現状をいかに認識しているかを開示する記述のなかに、オウム真理教の一連の武装闘争について、一切触れていないことに不信感を抱いたのだ。1969年に開始された赤軍派による武装闘争=革命戦争の夢想は、そのおよそ四半世紀を経た1995年、オウム教団による地下鉄サリン無差別テロによって、いっそう洗練された形で、無差別殺人として、蘇った。
オウム教団と赤軍派のイデオロギーはもちろん、異なるのだが…さて、1969年からおよそ四半世紀前、日本帝国は天皇制ファシズムの下、アジア太平洋戦争を戦っていた。日本帝国は、赤軍派をも、オウム真理教をも、その規模において圧倒的に凌ぐ国家による正真正銘の軍事力の行使、世界大戦だった。
日本帝国の軍隊は、天皇の名の下に、下級兵士を殴り銃殺するという不条理な暴力で服従させ、戦地の市民、農民の殺戮を強いた。オウム教団も信徒をリンチで殺し、弁護士一家ほかの市民を殺傷し、地下鉄内でサリンを撒いた。日本帝国(天皇信仰)、赤軍派(マルクス=レーニン主義)、オウム教団(オウム真理教経典)の三者は、依拠する思想はそれぞれ異なるばかりか、国家、党派、教団と組織の規模やその形成のあり方はまったく異なるものの、なりふりかまわぬ暴力、武装、軍事への盲信という意味で選ぶところがない。
本書寄稿者の一人が、革命後のソ連におけるレーニン、スターリンによる反革命派粛清や、カンボジア革命政府(ポルポト派)による大虐殺にふれる記述があった。それはそれで正しい歴史把握だと思われるが、日本の近現代史に即して考えることができたならば、赤軍派とオウム真理教との同一性、親近性にふれることは必須だった。加えて、オウム真理教の指導者(教祖)である麻原彰晃と、赤軍派リーダーである塩見孝也、田宮高麿、森恒夫らの人間性・性格などの比較も必要だった。
本書寄稿者がそれらを無視したのは、日本における1969年から今日(2020年)までの半世紀を総括するうえにおいて、彼らが日本の現実を一切見てこなかったことの証左のように思える。彼らがオウムに触れなかったのは、本書編集サイドから寄稿のポイントが事前に示されたことにより、必然的にネグレクトせざるを得なかった可能性が高い。ならば、本書編集者にも、わが国の1969年から今日までの半世紀を総括する視座が狭かった、といわざるを得ない。
階級闘争の勝利者
米国トランプ大統領(政権)を鋭く批判した『NOでは足りない――トランプ・ショックに対処する方法』(ナオミ・クライン著/岩波書店)において、クラインは次のような引用を示している。
億万長者ウォーレン・バフィットがいっている階級闘争とは――ソ連・東欧(社会主義国家群)の消滅を意味するものではなく――先進資本主義国家内の革命勢力に勝利したことを指す。それはいうまでもなく、新自由主義(経済理論なのかイデオロギーなのかよくわからないが)の勝利宣言であり、それまで先進資本主義国内にビルトインされていた社会民主主義的装置や政策を削除したことを含む、勝利宣言だ。
階級闘争に勝利したは富裕層が支配する今日の世界は、世界規模での弊害や諸矛盾を顕在化させている。ならば、革命的左派は富裕層が信奉する新自由主義を覆すべく、それに代わる新たな世界観、世界像を早急に提示しなければならない。
本書は、日本共産党(以下「日共」と略記)に代わる前衛党を目指した新左翼党派、共産主義者同盟(Bund/以下「ブント」と略記。1958年結党)の幹部による、1960年代後半から1970年代における同党派の活動等に係る記述だ。
ブント結党に関する経緯及びその後の展開等については本書にまとめられているのでここでは詳しくは触れないものの、60年安保闘争を担った全学連主流派による学生運動を理論的に指導した党派であったことを強調しておきたい。同党派はいわば、日本の新左翼運動の老舗的存在だった。なお、結党時のブントを第1次ブントと呼ぶ。
ブント(共産主義者同盟)と革命的共産主義者同盟
ブントの政治党派としての特徴は、厳格な前衛党というイメージから遠く、ブントを自称する大学、職場、地域における集団がそれぞれ独自に理論武装を行い、それぞれが独自に運動を展開するところにあった。
一方、60年安保闘争時、ブントに並ぶ反日共系党派として、革命的共産主義者同盟(以下「革共同」と略記。1957年結党)が存在した。革共同はブントと異なり、唯一強固な前衛党の実現を党是としており、結党以来一貫して内ゲバを他党派に向けて仕掛けた集団である。革共同のあり方が、新左翼運動衰退の主因の一つだった。
60年安保闘争終息後、ブントの幹部たちの多くが革共同に入党し、ブントは事実上、革命運動の主役から退いた。60年安保闘争終息後におけるブントの後退と革共同の台頭は、今日における日本の新左翼運動消滅の素因の一つであるのだが、このことについては後述する。なお、革共同は1962年に革共同全国委員会(以下「中核派」と略記)と革共同革命的マルクス主義派(以下「革マル派」と略記)に分裂して今日に至っている。
「じゅっぱち」とブントの復活
前出のとおり、60年安保闘争終息後、学生運動の主役の座から退いたブントだったが、60年代中葉の日韓闘争等を通じて次第に勢力を回復した。1966年、三派系全学連(ブント、中核派、社青同解放派)を結成し、新左翼運動再生の契機となった第1次(10.8)羽田闘争(1967/10/08)により一気に党勢を盛り返すに至った。このとき大同団結したブントを第2次ブントと呼ぶ。
日本の新左翼革命運動を記したとある書では、三派系全学連が担った10.8第1次羽田闘争(「じゅっぱち・はねだ」)から翌年の10.21国際反戦デー(1968/10/21)までの一連の街頭闘争を輝かしい戦果を上げた“激動期”と特記している。
「じゅっぱち」において学生デモ隊は初めて、党派ごとのシンボルカラーを塗装した工事用ヘルメットを装着し、角材(ゲバ棒と呼ばれた)と投石で機動隊と対峙した。それまで、学生を中心としたデモは警察機動隊の暴力的規制を受け、デモ参加学生の多数が負傷した。つまり、「じゅっぱち」における新左翼学生が行った武装は自衛だった。
新左翼革命運動高揚の象徴――佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争
前出の“激動期”のハイライトともいうべきなのが、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争だった。エンタープライズとは米軍の巨大原子力空母の名称で、佐世保入港の目的は当時激化していたベトナム戦争における米軍支援だった。テレビでは、巨大な影のようなエンタープライズ号の不気味な映像と、放水を浴び、機動隊に警棒で殴られる若者(学生、反戦青年委員会のデモ隊)の凄惨な映像が繰り返し、重なるように放映された。
佐世保市民はもちろんのこと、テレビをみた全国の生活者大衆は、巨大な原子力空母の影に怯え、学生たちの献身的な寄港阻止運動に心を動かされた。佐世保市民は全国から集まった学生、青年労働者にカンパを惜しまなかった。それは、素朴な反戦の思いからだった。
戦争の記憶と新左翼革命運動
1968年というと、アジア太平洋戦争敗戦(1945年)から23年しかたっていない。ほぼ四半世紀というと、いかにも長い年月のように思えるかもしれないが、それはほんの数年前のことのようなのだということが、年齢を重ねればわかる。25年前のことは、それこそ、はっきりと記憶に残っているものなのだ。
佐世保における新左翼の若者による阻止闘争は、アメリカ軍に身内を殺され、空襲で家を焼かれた生活者大衆の生々しい戦争体験の記憶と重なっていた。1968年当時、「〇〇は、戦死した△△の生まれ変わりだね」という会話が日本の家庭の多くで、しばしば交わされていた。その会話の中心には、セピア色した軍服姿の青年の遺影があった。大学生ほどに成長したわが孫、わが子、わが甥っ子等と、若き軍服姿の青年の遺影を見比べたうえでの祖父、祖母、父、母、叔父、叔母の言葉だった。かくいう筆者も、サイパンで戦死した父の弟・五郎の「生まれかわり」だった。「似てねぇ」というのが当時の筆者の偽らざる心情だったのだが…
1969年――新左翼革命運動の転換点
新左翼学生運動は、1968年をもって力を失った。翌年(1969年)の1月、東大安田講堂封鎖解除(落城)から始まり、4.28沖縄闘争における破防法発動、全共闘運動の拠点だった大学への機動隊導入とロックアウトが相次ぎ、新左翼各派が「決戦」と位置付けた11月の羽田闘争も封じ込められた。新左翼各派は権力に暴力的(軍事的)に敗北した。
さて、本書副題が「1969年からのメッセージ」とあるように、ここからが本書である。権力側による反革命攻勢によって封じ込められたブントは、1969年、同党派内の関西ブントと呼ばれるグループが赤軍派を名乗って旗上げしたことで事実上、空中分解した。そのさなかで起こったのが、赤軍派によるブント議長らに対するリンチを発端とした幹部の死だった(7.6事件)。この事件については、本書寄稿者の多数がその経緯、背景等に触れている。
7.6事件後に結党した赤軍派は、▽ハイジャックを実行し、ピョンヤンにいまなお留め置かれている「よど号グループ」、▽アラブを拠点に海外武装闘争に参じた「日本赤軍」、▽京浜安保共闘と合体して「あさま山荘」銃撃戦、同志リンチ殺人を行った「連合赤軍」などに分派し、暴力闘争を展開したものの、警察権力により各派幹部の大半が逮捕・起訴・入獄したことにより活動停止に追い込まれた。また、赤軍派が分派した後の第2次ブントもRG派、戦旗派、情況派、叛旗派などに分解し、ブントは再び衰退期に突入し、1990年代に実態上、消滅したと思われる。
自己批判、反省、悔恨、懺悔
本書は、よど号グループ(小西隆裕、若林盛亮ほか)、日本赤軍(重信房子、足立正生)、赤軍派を立ち上げた幹部(高原浩之、三浦俊一ほか)による当時の回想及び現状認識に関する寄稿で構成されている。自己批判、反省、悔恨等々に満ちた内容だ。いま思えば、あるいは当時を知らない若者にしてみれば、たかが学生運動の活動家がいったいどうして武装、軍事、革命戦争を切実な闘争課題として思い込むに至ったのか、理解に苦しむだろう。まして、仲間同士がリンチ殺人を犯したのかと。
もちろんそれは、学生活動家の観念の無限の上向があったからだ。現実の生活実感を媒介しない空理空論(過渡期世界論→組織された暴力→前段階蜂起→世界一国同時革命→〈世界赤軍vs世界白軍全面戦争〉…)を弄んだからだ。そして組織内において、自己と他者が決意主義によって互いを追い込み追い込まれ、実行に至ったからだ。
武装の拡張が闘争の「勝利」をもたらすという思い込み
軍事路線の原点は、「じゅっぱち」「エンタープライズ寄港反対闘争」などの「武装闘争」による成功体験にある。そのことは赤軍派に限らず、武装闘争を競った新左翼各派に共通している。新左翼運動がほぼ1年間(激動期)、大衆的支持を得たのは、もちろん武装による勝利ではなかった。先述したとおり、生活者の素朴な反戦の記憶からの支持だった。にもかかわらず、新左翼はそれを「武装闘争」による勝利と錯誤した。
1969年を契機として、新左翼学生運動の「武装闘争」は機動隊暴力の強化と破防法等の法的規制により封じ込められた。また、権力側からのメディア規制も強まった(「過激派キャンペーン」など)。その一方、封じ込まれた側の新左翼党派は、1968年までの政治的勝利が武装にあったと誤信し、後退を食い止める方策は唯一「武装」の強化だと確信してしまった。ゲバ棒、投石から火炎瓶へ。さらに銃の奪取、爆弾使用へとエスカレートすれば、革命が成就するという論理だ。また、国内闘争から海外革命基地建設(キューバ、パレスチナ、北朝鮮)への空間的飛躍も夢想された。武装により勝利したというブントを筆頭とした新左翼の「成功体験」が、その武装に自縄自縛され、そこから逃れられなかった。そして無謀にも、M作戦(資金調達)、交番、銃砲店襲撃(銃の入手)、ハイジャック、パレスチナ解放勢力との共闘…と、武装をエスカレートし、逆に権力の圧倒的武力の前に屈した。
無謬の前衛党建設ーーブントは革共同との党派闘争に負けていた
それだけではない。ブントの分裂=赤軍派の分派は、革命成功の手段である前衛党建設をめぐる新左翼内論争に負けた結果でもあった。それは、60年安保闘争後のブントと革共同の確執に端を発していた。なかで革マル派は、唯一にして無謬の前衛政党建設のためには、いかなる他党派の存在も容認しないという姿勢を堅持していた。それが中核派との分裂を招いたばかりか、凄惨な内ゲバの正当化論理を新左翼に持ち込んでしまった。革マル派は、自党に敵対する他の新旧左翼党派は反革命であり、それらを暴力(テロ、リンチ)で消滅させることが革命遂行に必須だという論理を新左翼内に持ち込み実践した。
もとより牧歌的なブントの体質は、大学、地域内党派闘争における革マル派との党派闘争の際に弱点となった。ロシア革命成功は、レーニン率いる鉄の規律を有したボルシェビキの存在なくして語れない。ブントは党建設において革マル派にしばしば論破されてきた。強固な前衛党を媒介しない武装闘争ではプロレタリア革命はできない、と野合的ブント体質を革マル派に突かれると、弱かった。
その反動ともいえるのが、前出の「7.6事件」――党内闘争=リンチによる同志殺害だった。赤軍派はブントの弱さを克服すべく、赤軍兵士という規律を課そうとした。その究極的失敗が、連合赤軍によるリンチ殺害事件にほかならない。連合赤軍リーダーの一人、森恒夫が山岳アジトで「兵士」に命じた「自己の共産主義化」は、革マル派教祖の黒田寛一の「プロレタリア的人間自覚の論理」を素朴に単純化した「人間論」のように思える。このように、ブント赤軍派は、密教化した小集団として実体的かつ観念的に閉じこもり、仲間内でただただ軍事と戦争を夢想するインテリ集団と化していき、挙句、自壊した。
赤軍派、オウム真理教、大日本帝国
筆者は、本書に収められた赤軍派幹部たちの寄稿に失望した。その理由は、彼らが過ちを犯した者だからではない。彼らが現状をいかに認識しているかを開示する記述のなかに、オウム真理教の一連の武装闘争について、一切触れていないことに不信感を抱いたのだ。1969年に開始された赤軍派による武装闘争=革命戦争の夢想は、そのおよそ四半世紀を経た1995年、オウム教団による地下鉄サリン無差別テロによって、いっそう洗練された形で、無差別殺人として、蘇った。
オウム教団と赤軍派のイデオロギーはもちろん、異なるのだが…さて、1969年からおよそ四半世紀前、日本帝国は天皇制ファシズムの下、アジア太平洋戦争を戦っていた。日本帝国は、赤軍派をも、オウム真理教をも、その規模において圧倒的に凌ぐ国家による正真正銘の軍事力の行使、世界大戦だった。
日本帝国の軍隊は、天皇の名の下に、下級兵士を殴り銃殺するという不条理な暴力で服従させ、戦地の市民、農民の殺戮を強いた。オウム教団も信徒をリンチで殺し、弁護士一家ほかの市民を殺傷し、地下鉄内でサリンを撒いた。日本帝国(天皇信仰)、赤軍派(マルクス=レーニン主義)、オウム教団(オウム真理教経典)の三者は、依拠する思想はそれぞれ異なるばかりか、国家、党派、教団と組織の規模やその形成のあり方はまったく異なるものの、なりふりかまわぬ暴力、武装、軍事への盲信という意味で選ぶところがない。
本書寄稿者の一人が、革命後のソ連におけるレーニン、スターリンによる反革命派粛清や、カンボジア革命政府(ポルポト派)による大虐殺にふれる記述があった。それはそれで正しい歴史把握だと思われるが、日本の近現代史に即して考えることができたならば、赤軍派とオウム真理教との同一性、親近性にふれることは必須だった。加えて、オウム真理教の指導者(教祖)である麻原彰晃と、赤軍派リーダーである塩見孝也、田宮高麿、森恒夫らの人間性・性格などの比較も必要だった。
本書寄稿者がそれらを無視したのは、日本における1969年から今日(2020年)までの半世紀を総括するうえにおいて、彼らが日本の現実を一切見てこなかったことの証左のように思える。彼らがオウムに触れなかったのは、本書編集サイドから寄稿のポイントが事前に示されたことにより、必然的にネグレクトせざるを得なかった可能性が高い。ならば、本書編集者にも、わが国の1969年から今日までの半世紀を総括する視座が狭かった、といわざるを得ない。
階級闘争の勝利者
米国トランプ大統領(政権)を鋭く批判した『NOでは足りない――トランプ・ショックに対処する方法』(ナオミ・クライン著/岩波書店)において、クラインは次のような引用を示している。
アメリカの億万長者ウォーレン・バフィットは数年前、CNNの取材に応えていみじくも(略)「この20年間続いてきた階級闘争で勝ったのは、私の階級だ…富裕層が勝ったのだ」。(同書P97-98)日本の革命的左派が今日消滅したのは、本書がいみじくも示しているように、無謀な軍事至上主義に陥り自滅した赤軍派に代表される新左翼各派の失敗に帰せられることは否定しようがない。しかしそれだけではない。1960年代後半から世界規模で始まった革命的左派の異議申し立てに対し、富裕層は1980年代から一気に反革命を強化し、結果、“階級闘争に勝った”のだ。
億万長者ウォーレン・バフィットがいっている階級闘争とは――ソ連・東欧(社会主義国家群)の消滅を意味するものではなく――先進資本主義国家内の革命勢力に勝利したことを指す。それはいうまでもなく、新自由主義(経済理論なのかイデオロギーなのかよくわからないが)の勝利宣言であり、それまで先進資本主義国内にビルトインされていた社会民主主義的装置や政策を削除したことを含む、勝利宣言だ。
階級闘争に勝利したは富裕層が支配する今日の世界は、世界規模での弊害や諸矛盾を顕在化させている。ならば、革命的左派は富裕層が信奉する新自由主義を覆すべく、それに代わる新たな世界観、世界像を早急に提示しなければならない。
2020年2月9日日曜日
本田の挑戦を阻むブラジルの壁
ここのところ停滞気味だった日本サッカー界だったが、久々にビッグニュースが飛び込んできた。本田圭佑がブラジルの名門ボタフォゴ(リオデジャネイロ)へ正式入団したという。「本田ボタフォゴ入団」の噂は以前から伝えられていたが、本田に冠されたニックネームは「エア・オファー」だったから信じなかった。筆者にとって「正式に」という報道は大事件だった。ブラジルで大歓迎を受けたというから、おそらくカリオカ(リオデジャネイロ人)の間でもビッグニュースなのだろう。わがチームの再建を本田に託したというわけだ。まずは、本田のブラジルでの成功を祈りたい。
ブラジルサッカー界が懐く、3つの本田への不信感
カリオカの本田に対する熱狂的歓迎ぶりの一方、ブラジルのサッカー専門家の間では、本田の成功を危ぶむ声が強い。Web Sportivaによると、①直前、本田がオランダリーグのフィテッセをわずか4試合出場しただけで退団したことに対する不信感、②本田が昨年、マンチェスター・ユナイテッドやミランにTwitterを通して逆オファーしたことが、笑い話のように伝えられているということ、③本田がカンボジアの代表監督(正式ではないが)を兼任していることと、オーストリアではクラブチームを経営していたこと。これらのことは、本田がサッカーに全力で取り組んでいないという評価につながっているという。
以上の3点はきわめて当然であり、本田がプロのサッカー選手として真剣に試合に臨むつもりがあるのか、とだれしも思う。本田は、現役サッカー選手というよりも、スキャンダラスな人物であり、経営者・指導者だと評価されている。
本田を阻むブラジルの5つの壁
本田がこれからブラジルでプレーするに際し、待ち受ける困難性について推測してみよう。第一の壁は、相手選手から厳しいマークを受けることだ。サッカー王国を自負するブラジル選手が、鳴り物入りでやってきた東洋人に自由にプレーさせるとは思えない。イエロー覚悟で潰しにかかるのではないか。ブラジルに限らず、南米サッカーの基盤は強力な守備力である。堅く厳しい守備をいかに突破するかが逆に、ブラジルサッカー選手の攻撃力のレベルを上げてきた。もちろんその逆もある。守備力と攻撃力の相互性だ。華麗なサンバのリズムのような…というブラジルサッカーに対するイメージは幻想に近い。筆者は、本田のスピードでブラジルの守備陣を突破できる確率は低いように思う。
第二の壁は、周囲からの強いプレッシャーだ。本田が順調に滑り出せばそれは杞憂にすぎないが、壁にぶつかればメディア、サポーターから情け容赦ないブーイングを浴びる。極論だが、生命の保証もない。
第三の壁は、ブラジルの熱帯・亜熱帯気候と国土の広さだ。広いロシアでプレーした経験のある本田だから、ブラジルくらいOKだと考えがちだが、彼はすでに33才。厳しい気候のもとでの長距離移動は過酷だろう。ちなみに、2018年シーズンのブラジル選手権(リーグ)は全国26州・1連邦直轄地のうち、9つの州にある20チームが2試合総当たりで勝点を競った。
第四の壁は、言語。ブラジルはポルトガル語の国で欧州に比べると英語は一般的でない。オランダ、ロシア、イタリア、メキシコ、オーストラリアといろいろな言語圏でプレーした経験を持つ本田だから、言語の壁は高くないのかもしれないけれど、不安要素であることに変わりない。
第五の壁は、本田のフィジカル。これは前出の気候・風土及びブラジルの治安の悪さ、言語等からくる精神的疲弊を含んだ総合的な壁とも言える。コンディションを上げるのにどれだけの時間を要するのだろうか。
本田の挑戦を揶揄する気持ちはない。成功してもらいたい。だが筆者の予想では、彼のブラジルでの挑戦は不発に終わるように思う。
ブラジルサッカー界が懐く、3つの本田への不信感
カリオカの本田に対する熱狂的歓迎ぶりの一方、ブラジルのサッカー専門家の間では、本田の成功を危ぶむ声が強い。Web Sportivaによると、①直前、本田がオランダリーグのフィテッセをわずか4試合出場しただけで退団したことに対する不信感、②本田が昨年、マンチェスター・ユナイテッドやミランにTwitterを通して逆オファーしたことが、笑い話のように伝えられているということ、③本田がカンボジアの代表監督(正式ではないが)を兼任していることと、オーストリアではクラブチームを経営していたこと。これらのことは、本田がサッカーに全力で取り組んでいないという評価につながっているという。
以上の3点はきわめて当然であり、本田がプロのサッカー選手として真剣に試合に臨むつもりがあるのか、とだれしも思う。本田は、現役サッカー選手というよりも、スキャンダラスな人物であり、経営者・指導者だと評価されている。
本田を阻むブラジルの5つの壁
本田がこれからブラジルでプレーするに際し、待ち受ける困難性について推測してみよう。第一の壁は、相手選手から厳しいマークを受けることだ。サッカー王国を自負するブラジル選手が、鳴り物入りでやってきた東洋人に自由にプレーさせるとは思えない。イエロー覚悟で潰しにかかるのではないか。ブラジルに限らず、南米サッカーの基盤は強力な守備力である。堅く厳しい守備をいかに突破するかが逆に、ブラジルサッカー選手の攻撃力のレベルを上げてきた。もちろんその逆もある。守備力と攻撃力の相互性だ。華麗なサンバのリズムのような…というブラジルサッカーに対するイメージは幻想に近い。筆者は、本田のスピードでブラジルの守備陣を突破できる確率は低いように思う。
第二の壁は、周囲からの強いプレッシャーだ。本田が順調に滑り出せばそれは杞憂にすぎないが、壁にぶつかればメディア、サポーターから情け容赦ないブーイングを浴びる。極論だが、生命の保証もない。
第三の壁は、ブラジルの熱帯・亜熱帯気候と国土の広さだ。広いロシアでプレーした経験のある本田だから、ブラジルくらいOKだと考えがちだが、彼はすでに33才。厳しい気候のもとでの長距離移動は過酷だろう。ちなみに、2018年シーズンのブラジル選手権(リーグ)は全国26州・1連邦直轄地のうち、9つの州にある20チームが2試合総当たりで勝点を競った。
第四の壁は、言語。ブラジルはポルトガル語の国で欧州に比べると英語は一般的でない。オランダ、ロシア、イタリア、メキシコ、オーストラリアといろいろな言語圏でプレーした経験を持つ本田だから、言語の壁は高くないのかもしれないけれど、不安要素であることに変わりない。
第五の壁は、本田のフィジカル。これは前出の気候・風土及びブラジルの治安の悪さ、言語等からくる精神的疲弊を含んだ総合的な壁とも言える。コンディションを上げるのにどれだけの時間を要するのだろうか。
本田の挑戦を揶揄する気持ちはない。成功してもらいたい。だが筆者の予想では、彼のブラジルでの挑戦は不発に終わるように思う。
2020年2月7日金曜日
2020年1月31日金曜日
アジアからも取り残された森保ジャパン
田嶋幸三(日本サッカー協会/JFA)会長と森保一(サッカー五輪監督兼日本A代表監督)の続投が正式に決まった。JFAの技術委員長などの主要人事にも変化はみられなかった。
驚くに当たらない結果ではあるものの、これで日本サッカーの進化の道は閉ざされた。この先、日本サッカーのガラパゴス化が一段と進む。
ガラパゴス化する森保ジャパン
2019年1月のAFCアジア杯準優勝から本年1月のAFC・U23アジア選手権タイ大会グループリーグ敗退に至る1年間を振り返ってみれば、日本サッカーの現体制が世界のサッカートレンドから外れ、弱体化してゆくプロセスをたどっていることに疑いようがない。にもかかわらず、JFAは体制を維持した。
本年夏の東京五輪は日本ホームの大会だから、タイで開催されたU23大会よりはましな成績をおさめるだろう。その結果、おそらく森保が五輪以降もA代表監督であり続けることはあり得る。そうなれば、日本がW杯カタール大会アジア地区最終予選は厳しい結果となり、もはや手遅れとなる可能性を否定できない。田嶋を筆頭とするJFA幹部の頭の中には、いまの日本の代表サッカーの危機の認識は薄く、自分たちの権力維持だけが充満している。カタールに行けなくなれば、日本における代表サッカー人気はもちろんのこと、Jリーグにも悪い影響を与える。
U23タイ大会から見えたもの
U23アジア選手権タイ大会のベスト4は韓国(優勝)、サウジアラビア(準優勝)、オーストラリア(3位決定戦勝者)、ウズベキスタン(同敗者)であった。ベスト4に残ったチームに共通するサッカーは、①堅守、②速攻、③ロングボール(パス)の多様、④ミドルシュート、ロングシュート、⑤デュアルの強さ、⑥強いフィジカル――を備えていたところだった。これらは、W杯ロシア大会直前で代表監督を解任されたハリルホジッチが常々口にしていたものだし、かつ、これらの要素はかつてオシムが“世界のサッカートレンド”として指摘したものであって、特段新しいものではない。
アジア杯、W杯といった短期決戦(代表サッカー)でよい成績をおさめるためには、これらに焦点を当てて磨き上げなければ勝ち抜けない。代表サッカーの成功は、これら要素を満たす資質をもった選手で構成された代表チームを短期間で醸成させなければならない。そのうえ、試合間隔の短い大会におけるコンディション調整などにも気を配る必要がある。
楽しみな韓国、ウズベキスタン
U23アジア選手権タイ大会で成功した前出の4チームは、精度は低いもののこのような要素をもっていた。優勝した韓国は成長が期待できるタレンティブな選手で構成されていた。そればかりか、アジアでは群を抜いたデュアルの強さとスピードがあった。長身のCFWを積極的に起用し、経験を積ませようとしていた。かれらが五輪を経験し、現在の韓国A代表と融合してW杯カタール大会予選を戦っていくことになる。韓国代表はより強力な戦力を保持することになる。
準決勝で韓国に負けて決勝進出を逃したオーストラリアは大会を通じて物足りなさを感じさせたものの、元来のフィジカルの強さがW杯アジア予選では武器になる。日本が苦手とするタイプなので、注意すべき存在であることに変わりない。
3位決定戦でオーストラリアに負けて五輪出場を逃したウズベキスタンは未完成ながら、堅守速攻を持ち味とするモダンサッカーを身に着けた良いチームだった。韓国同様、現在のA代表と融合したとき、日本を脅かす存在になる。
評価が難しいサウジアラビア
決勝で韓国に負けたサウジアラビアは不思議なチームだった。強いCBを柱とした守備の固さが目立ったが、攻撃のポイントをつかむ集中力は驚異的だ。AFCアジア杯で日本を苦しめたサウジアラビアA代表とそっくりなチームだったことに驚いた。よくわからないチームである。
瀬戸際の日本、イラン
U23タイ大会で日本同様予選敗退したチームとしては、日本と予選同組(死のBグループ)だったアジア杯優勝国のカタールがあり、同じく死のCグループで韓国、ウズベキスタンに退けられたイランがある。アジアのサッカー界はいま流動的であり、この先、絶対的な強さを維持できるのは韓国だけだろう。
筆者のアジアのランク付けは、▽ランクA=韓国、カタール、サウジアラビア、▽ランクB=オーストラリア、ウズベキスタン、日本、イラン、▽ランクC=イラク、UAE、ヨルダン、タイ、シリア、中国・・・と続く。W杯カタール大会アジア最終予選の組合せは現在のところもちろん不明だが、アジア枠は4.5はわかっている。前回と同じレギュレーションであれば、開催国枠のカタールを除いた2グループの2位以内であることが望ましい。大陸間プレーオフにもちこまれると厄介である。日本のライバルは前出のランクA及びBの韓国、イラン、サウジアラビア、オーストラリア、ウズベキスタンであることは確実だが、イラク、シリア、UAEなどの中東勢にアウエーで取りこぼしをすると、グループ2位に入ることは難しくなる。
結論はあい変わらず、繰り返しになるが、森保を早期に更迭しないと、日本はカタールに行けなくなる。
驚くに当たらない結果ではあるものの、これで日本サッカーの進化の道は閉ざされた。この先、日本サッカーのガラパゴス化が一段と進む。
ガラパゴス化する森保ジャパン
2019年1月のAFCアジア杯準優勝から本年1月のAFC・U23アジア選手権タイ大会グループリーグ敗退に至る1年間を振り返ってみれば、日本サッカーの現体制が世界のサッカートレンドから外れ、弱体化してゆくプロセスをたどっていることに疑いようがない。にもかかわらず、JFAは体制を維持した。
本年夏の東京五輪は日本ホームの大会だから、タイで開催されたU23大会よりはましな成績をおさめるだろう。その結果、おそらく森保が五輪以降もA代表監督であり続けることはあり得る。そうなれば、日本がW杯カタール大会アジア地区最終予選は厳しい結果となり、もはや手遅れとなる可能性を否定できない。田嶋を筆頭とするJFA幹部の頭の中には、いまの日本の代表サッカーの危機の認識は薄く、自分たちの権力維持だけが充満している。カタールに行けなくなれば、日本における代表サッカー人気はもちろんのこと、Jリーグにも悪い影響を与える。
U23タイ大会から見えたもの
U23アジア選手権タイ大会のベスト4は韓国(優勝)、サウジアラビア(準優勝)、オーストラリア(3位決定戦勝者)、ウズベキスタン(同敗者)であった。ベスト4に残ったチームに共通するサッカーは、①堅守、②速攻、③ロングボール(パス)の多様、④ミドルシュート、ロングシュート、⑤デュアルの強さ、⑥強いフィジカル――を備えていたところだった。これらは、W杯ロシア大会直前で代表監督を解任されたハリルホジッチが常々口にしていたものだし、かつ、これらの要素はかつてオシムが“世界のサッカートレンド”として指摘したものであって、特段新しいものではない。
アジア杯、W杯といった短期決戦(代表サッカー)でよい成績をおさめるためには、これらに焦点を当てて磨き上げなければ勝ち抜けない。代表サッカーの成功は、これら要素を満たす資質をもった選手で構成された代表チームを短期間で醸成させなければならない。そのうえ、試合間隔の短い大会におけるコンディション調整などにも気を配る必要がある。
楽しみな韓国、ウズベキスタン
U23アジア選手権タイ大会で成功した前出の4チームは、精度は低いもののこのような要素をもっていた。優勝した韓国は成長が期待できるタレンティブな選手で構成されていた。そればかりか、アジアでは群を抜いたデュアルの強さとスピードがあった。長身のCFWを積極的に起用し、経験を積ませようとしていた。かれらが五輪を経験し、現在の韓国A代表と融合してW杯カタール大会予選を戦っていくことになる。韓国代表はより強力な戦力を保持することになる。
準決勝で韓国に負けて決勝進出を逃したオーストラリアは大会を通じて物足りなさを感じさせたものの、元来のフィジカルの強さがW杯アジア予選では武器になる。日本が苦手とするタイプなので、注意すべき存在であることに変わりない。
3位決定戦でオーストラリアに負けて五輪出場を逃したウズベキスタンは未完成ながら、堅守速攻を持ち味とするモダンサッカーを身に着けた良いチームだった。韓国同様、現在のA代表と融合したとき、日本を脅かす存在になる。
評価が難しいサウジアラビア
決勝で韓国に負けたサウジアラビアは不思議なチームだった。強いCBを柱とした守備の固さが目立ったが、攻撃のポイントをつかむ集中力は驚異的だ。AFCアジア杯で日本を苦しめたサウジアラビアA代表とそっくりなチームだったことに驚いた。よくわからないチームである。
瀬戸際の日本、イラン
U23タイ大会で日本同様予選敗退したチームとしては、日本と予選同組(死のBグループ)だったアジア杯優勝国のカタールがあり、同じく死のCグループで韓国、ウズベキスタンに退けられたイランがある。アジアのサッカー界はいま流動的であり、この先、絶対的な強さを維持できるのは韓国だけだろう。
筆者のアジアのランク付けは、▽ランクA=韓国、カタール、サウジアラビア、▽ランクB=オーストラリア、ウズベキスタン、日本、イラン、▽ランクC=イラク、UAE、ヨルダン、タイ、シリア、中国・・・と続く。W杯カタール大会アジア最終予選の組合せは現在のところもちろん不明だが、アジア枠は4.5はわかっている。前回と同じレギュレーションであれば、開催国枠のカタールを除いた2グループの2位以内であることが望ましい。大陸間プレーオフにもちこまれると厄介である。日本のライバルは前出のランクA及びBの韓国、イラン、サウジアラビア、オーストラリア、ウズベキスタンであることは確実だが、イラク、シリア、UAEなどの中東勢にアウエーで取りこぼしをすると、グループ2位に入ることは難しくなる。
結論はあい変わらず、繰り返しになるが、森保を早期に更迭しないと、日本はカタールに行けなくなる。
2020年1月17日金曜日
U-23の予選敗退の深刻さ
AFC U-23大会のグループステージが終わった。日本は勝点1(0勝2敗1分)の最下位。驚きの結果である。メディア及び代表サポーターから、森保(A代表・五輪代表兼任監督)解任の声がわきあがってきたが、拙Blogで森保解任を書き続けてきた筆者にしてみれば、時すでに遅しの感がある。昨年12月のジャマイカ戦の大勝(9-0)は何だったのか、というよりも、あの親善試合の無意味さがいみじくも立証されたわけだ。そんな中、JFA・田嶋の会長再任が事実上決まったという。「安部の続投よりも深刻だ」というTwitter投稿者の悲鳴に大いに共感する今日この頃。なお、JFAの問題点については後述する。
敗因はいくつかあるが代表監督の力不足が主因
さて、AFC U-23大会である。日本のグループリーグ敗退の要因を整理すると、①いわゆる「死の組」に入ったこと、②高温多湿の気候、③中2日の強行日程、④招集された選手のモチベーション不足(日本は五輪出場権を持っていることなど)、⑤海外組を招集できないため国内組(食野のみ海外組)のみの選手構成だったこと、⑥その日本人選手はJリーグが終わったオフシーズン中であり、コンディションが上がらなかったこと、⑦主審の不可解判定(VAR)、――といったところが挙げられよう。だが、最大の要因はこのカテゴリーの代表監督であり、かつ、A代表の監督でもある森保の力不足であり、それを承知で兼任監督に据え置くJFA(田嶋会長)の体質にある。
日本は「死のグループ」だった
各グループリーグの順位と結果を見ておこう。
(A組)
☆1.オーストラリア(5)
☆2.タイ(4)
3.イラク(3)
4.バーレーン(2)
(B組)
☆1.サウジアラビア(7)
☆2.シリア(4)
3.カタール(3)
4.日本(1)
(C組)
☆1.韓国(9)
☆2.ウズベキスタン(4)
3.イラン(4) *ゴールディファレンス
4.中国(0)
(D組)
1.UAE(4)
2.ヨルダン(4)
3.ベトナム(2)
4.北朝鮮(0)
組合せをみると、日本のメディアは一切取り上げなかったが、日本が振り分けられたB組と、韓国が振り分けられたC組がいわゆる「死のグループ」であった。B組は、▽昨年1月に開催されたアジア杯優勝国で2022 W杯開催国のカタール、▽同大会ベスト8進出をかけた戦いで日本を苦しめたサウジアラビア、▽高さとフィジカルの強さをストロングポイントにする、ヨーロッパ・ゲルマン系フットボールを彷彿とさせるシリア――と難敵が揃った。とはいえ、開催前の予想では、カタール、サウジアラビアとは悪くてもドロー、戦乱の国・シリアには勝つもの、と筆者を含めてだれもが思っていた。最低でも勝点5で同組2位以内は確実と思われた。なお、もう一つの「死のグループ」であるC組に編入された韓国は、いずれも難敵のウズベキスタン、イラン、中国に勝利している。
アジアサッカー界はいままさに下剋上の世界
近年におけるアジアの強豪といえば、概ね、韓国・日本・オーストラリア・イランであったが、それに次回W杯開催国のカタールが割込み、サウジアラビアも力をつけてきた。その結果、U-23のカテゴリーでは、先のアジア杯の優勝国・準優勝国のカタール、日本がグループリーグで敗退し、同大会グループステージ最下位だったシリアが日本に勝ってベスト8入りした。前出の強豪国イランもグループステージで敗退している。
これらの現象はU-23というカテゴリーゆえの結果なのだろうか。筆者はもちろん、そうは思わない。1年前のアジア杯を思い出せばわかるとおり、日本はラウンド16のサウジアラビア戦、準準決勝のベトナム戦は辛勝だった。いずれも「フットボールで負けて勝負に勝った」という内容だった。準決勝のイラン戦も危険な試合だった。つまり、日本サッカーの実力は、A代表の公式戦においては、アジア各国との差は大きくはなかったと筆者にはみえた。
オールジャパンの自惚れと錯誤
昨年のアジア杯は、2018年W杯ロシア大会でベスト16入りを果たし、ベスト8を賭けた強豪ベルギー戦で善戦したことをもって、日本サッカーが世界レベルだという日本サッカー界の錯誤のもとに船出した不幸の反映だった。JFA会長の田嶋はW杯で結果を出した代表監督の西野の手腕を評価し、オール・ジャパンという極めて危険な代表チームづくりに着手し、五輪・A代表兼任監督として森保を指名した。もちろん、コーチ、スタッフも日本人である。
筆者は拙Blogで何度も書いてきたけれど、日本人代表監督が外国人のそれと比較して優れている点は唯一、日本語力だけなのである。岡田、西野が日本人監督としてW杯でグループリーグ突破の実績を残した基層には、それまで外国人監督が代表チームを鍛えあげてきた過去があることを忘れてはならない。本番前、外国人監督と日本人代表選手等の間に軋轢や意思疎通を欠いた状況が発生して、チーム内に不協和音が出始めることはあり得る。そこで日本人監督が起用され、そのことを日本語力によって修復し、代表チームに一体感を構築することができることも大いにあり得る。それをもって、日本人監督でアジア及び世界と戦えると短絡思考した田嶋の責任は重い。
ブランド力が消えればどうなるか
日本代表がいかなるカテゴリーにおいても一定の成績を上げなければならない理由は、「強豪」というブランドの維持が必要だからである。日本は強いというブランド力は、対戦相手に無言のプレッシャーを与える。さらに、試合を裁く審判団にもブランド力で日本優位な判定を導くこともある。
B組最終試合の日本―カタール戦では不可解な判定が二つあったことは記憶に新しい。主審はマレーシア人だから、「アラブの笛」ではない(ものの、このマレーシア人主審がイスラム教徒であることは否定できないが)。筆者の勝手な想像だが、彼は「日本は五輪出場権をもっていて、しかも、グループリーグ敗退が決まっている。だから、この試合は消化試合でしょ、一方のカタールはベスト8がかかっているのだから、カタールに勝たしてあげたい」という心理が働いた可能性もある。
それだけではない。日本はグループリーグ3試合を通じて5失点したのだが、うち、3失点が微妙な判定で、主審がVAR判定を受け入れた結果のペナルティーで2失点。3戦目の失点はVAR判定を主審が受け入れれば失点は取り消された可能性もありながら、主審がそれを無視した結果だった。つまり、この大会において、日本は明らかに不利な判定に泣かされたのである。
審判団が日本に不利な判定をしたことの理由は、圧力によるものではない、と筆者は推測する。サウジアラビア戦、シリア戦を通じて、日本人選手は、見えないところで悪質なファウルを犯すチームだというイメージが審判団に植え付けられた結果なのである。<日本人選手=見えないところで悪質なファウルを犯す>という汚いイメージがVAR導入によって審判団に強く共有されてしまったのである。もちろん、そのことは日本の守備陣の弱さ、実力不足、技術不足であって、それ以外ではない。VARが日本の実像をあぶりだしただけの話なのである。
選手のモチベーション不足は監督の責任
AFCアジアU-23大会に臨んだ日本チームは明らかに準備不足だった。他国が五輪出場を目指して調整してきたことに比べれば、コンディション調整不足、闘争心不足は明らかだった。さらにコンディションが上げにくい状況があった(冒頭の要因②~⑥)。しかし、それらはいずれも大会前にわかっていたことなのだから、それなりの手は打てた。だが、森保が対策を講じなかっただけである。
五輪チームのあるべき姿はこのたびの代表選手に加えて、
DF:冨安健洋(ボローニャ/イタリア)、板倉滉(フローニンゲン/オランダ)、
MF:中山雄太(ズヴォレ/オランダ)、三好康児(アントワープ/ベルギー)
FW:堂安律(PSV/オランダ)、久保建英(マジョルカ/スペイン)、前田大然(マリティモ/ポルトガル)ーーらに、オーバーエイジ枠3選手が加わっての選考になる。
本大会に招集された選手たちが健闘しても五輪代表に選ばれる可能性は(ポジションによってかわるものの)、概ね低いと考えて間違いなかろう。しかも、五輪出場枠はすでに得ている。そんな状況で闘争心がわくのだろうか――という想像は難しくない。そんなことはない、と否定するのならば、では一体このぶざまな敗戦は何なのだろうと非難されて当然である。むしろ、自分たちは期待されていない、所詮Bチームなんだから、と開き直ってほしいくらいである。しかし、その開き直りは(もちろんそう思う選手は絶無だと思うが)、取り返しがつかないくらい重大な暗い影を日本サッカー界に落とす。下のカテゴリーで予選敗退した結果は、日本は強くないという記憶として、アジア各国の若い代表選手を媒介として伝播し、A代表のアジア予選に悪い影響を与える。代表監督は、公式大会はもちろんのこと、親善試合においても勝が求められる。与えられた駒(選手)で勝利を求める努力を払わなければならない。
そればかりではない。代表監督の凡庸なメディア対応や態度は、相手に見くびられやすい。いまの代表監督である森保に、記者会見で日本を脱出したゴーン元日産会長のベイルート会見のように熱弁を振るえとはいわないが、監督のカリスマ性は自国選手、メディア、対戦相手に威圧感を与え、そのことが勝負においてマイナスに働くことはない。
田嶋に残されたカードは「アンジ・ポステコグルー」くらいか
東京五輪、W杯カタール大会アジア予選を控える日本代表が窮地に追い込まれたいま、現状打開の方策があるのだろうか。おそらく田嶋会長は狭隘なナショナリズムに犯されたまま、オール・ジャパン体制を崩さないだろう。だが、森保が五輪で惨敗した場合はどうなるのか。日本=森保が停滞しているあいだいに、アジアは急速に力をつけ、確実に進歩していくのである。
田嶋は海外の専門的代表監督を新たに呼ぶことができない。だからオール・ジャパンを掲げたのである。田嶋のカードには岡田や西野しかないのだが、この2人が代表監督の誘いを断った場合、ジーコを筆頭とした、過去にJリーグのクラブ監督経験者を代表監督に招致する可能性もある。なかで有力なのが、昨年、横浜Fマリノスを率いてJ1優勝に導いたアンジ・ポステコグルーが思い浮かぶ。彼は2013~2018までオーストラリア代表監督の経験があり、マリノス優勝の手腕は日本サッカー界でも評価が高い。森保に比べれば、ポステコグルーのほうが日本代表の立て直しに期待が持てるが、安易な人選であることは否めない。ジーコの失敗は素人でもわかるから、それはない。
敗因はいくつかあるが代表監督の力不足が主因
さて、AFC U-23大会である。日本のグループリーグ敗退の要因を整理すると、①いわゆる「死の組」に入ったこと、②高温多湿の気候、③中2日の強行日程、④招集された選手のモチベーション不足(日本は五輪出場権を持っていることなど)、⑤海外組を招集できないため国内組(食野のみ海外組)のみの選手構成だったこと、⑥その日本人選手はJリーグが終わったオフシーズン中であり、コンディションが上がらなかったこと、⑦主審の不可解判定(VAR)、――といったところが挙げられよう。だが、最大の要因はこのカテゴリーの代表監督であり、かつ、A代表の監督でもある森保の力不足であり、それを承知で兼任監督に据え置くJFA(田嶋会長)の体質にある。
日本は「死のグループ」だった
各グループリーグの順位と結果を見ておこう。
(A組)
☆1.オーストラリア(5)
☆2.タイ(4)
3.イラク(3)
4.バーレーン(2)
(B組)
☆1.サウジアラビア(7)
☆2.シリア(4)
3.カタール(3)
4.日本(1)
(C組)
☆1.韓国(9)
☆2.ウズベキスタン(4)
3.イラン(4) *ゴールディファレンス
4.中国(0)
(D組)
1.UAE(4)
2.ヨルダン(4)
3.ベトナム(2)
4.北朝鮮(0)
組合せをみると、日本のメディアは一切取り上げなかったが、日本が振り分けられたB組と、韓国が振り分けられたC組がいわゆる「死のグループ」であった。B組は、▽昨年1月に開催されたアジア杯優勝国で2022 W杯開催国のカタール、▽同大会ベスト8進出をかけた戦いで日本を苦しめたサウジアラビア、▽高さとフィジカルの強さをストロングポイントにする、ヨーロッパ・ゲルマン系フットボールを彷彿とさせるシリア――と難敵が揃った。とはいえ、開催前の予想では、カタール、サウジアラビアとは悪くてもドロー、戦乱の国・シリアには勝つもの、と筆者を含めてだれもが思っていた。最低でも勝点5で同組2位以内は確実と思われた。なお、もう一つの「死のグループ」であるC組に編入された韓国は、いずれも難敵のウズベキスタン、イラン、中国に勝利している。
アジアサッカー界はいままさに下剋上の世界
近年におけるアジアの強豪といえば、概ね、韓国・日本・オーストラリア・イランであったが、それに次回W杯開催国のカタールが割込み、サウジアラビアも力をつけてきた。その結果、U-23のカテゴリーでは、先のアジア杯の優勝国・準優勝国のカタール、日本がグループリーグで敗退し、同大会グループステージ最下位だったシリアが日本に勝ってベスト8入りした。前出の強豪国イランもグループステージで敗退している。
これらの現象はU-23というカテゴリーゆえの結果なのだろうか。筆者はもちろん、そうは思わない。1年前のアジア杯を思い出せばわかるとおり、日本はラウンド16のサウジアラビア戦、準準決勝のベトナム戦は辛勝だった。いずれも「フットボールで負けて勝負に勝った」という内容だった。準決勝のイラン戦も危険な試合だった。つまり、日本サッカーの実力は、A代表の公式戦においては、アジア各国との差は大きくはなかったと筆者にはみえた。
オールジャパンの自惚れと錯誤
昨年のアジア杯は、2018年W杯ロシア大会でベスト16入りを果たし、ベスト8を賭けた強豪ベルギー戦で善戦したことをもって、日本サッカーが世界レベルだという日本サッカー界の錯誤のもとに船出した不幸の反映だった。JFA会長の田嶋はW杯で結果を出した代表監督の西野の手腕を評価し、オール・ジャパンという極めて危険な代表チームづくりに着手し、五輪・A代表兼任監督として森保を指名した。もちろん、コーチ、スタッフも日本人である。
筆者は拙Blogで何度も書いてきたけれど、日本人代表監督が外国人のそれと比較して優れている点は唯一、日本語力だけなのである。岡田、西野が日本人監督としてW杯でグループリーグ突破の実績を残した基層には、それまで外国人監督が代表チームを鍛えあげてきた過去があることを忘れてはならない。本番前、外国人監督と日本人代表選手等の間に軋轢や意思疎通を欠いた状況が発生して、チーム内に不協和音が出始めることはあり得る。そこで日本人監督が起用され、そのことを日本語力によって修復し、代表チームに一体感を構築することができることも大いにあり得る。それをもって、日本人監督でアジア及び世界と戦えると短絡思考した田嶋の責任は重い。
ブランド力が消えればどうなるか
日本代表がいかなるカテゴリーにおいても一定の成績を上げなければならない理由は、「強豪」というブランドの維持が必要だからである。日本は強いというブランド力は、対戦相手に無言のプレッシャーを与える。さらに、試合を裁く審判団にもブランド力で日本優位な判定を導くこともある。
B組最終試合の日本―カタール戦では不可解な判定が二つあったことは記憶に新しい。主審はマレーシア人だから、「アラブの笛」ではない(ものの、このマレーシア人主審がイスラム教徒であることは否定できないが)。筆者の勝手な想像だが、彼は「日本は五輪出場権をもっていて、しかも、グループリーグ敗退が決まっている。だから、この試合は消化試合でしょ、一方のカタールはベスト8がかかっているのだから、カタールに勝たしてあげたい」という心理が働いた可能性もある。
それだけではない。日本はグループリーグ3試合を通じて5失点したのだが、うち、3失点が微妙な判定で、主審がVAR判定を受け入れた結果のペナルティーで2失点。3戦目の失点はVAR判定を主審が受け入れれば失点は取り消された可能性もありながら、主審がそれを無視した結果だった。つまり、この大会において、日本は明らかに不利な判定に泣かされたのである。
審判団が日本に不利な判定をしたことの理由は、圧力によるものではない、と筆者は推測する。サウジアラビア戦、シリア戦を通じて、日本人選手は、見えないところで悪質なファウルを犯すチームだというイメージが審判団に植え付けられた結果なのである。<日本人選手=見えないところで悪質なファウルを犯す>という汚いイメージがVAR導入によって審判団に強く共有されてしまったのである。もちろん、そのことは日本の守備陣の弱さ、実力不足、技術不足であって、それ以外ではない。VARが日本の実像をあぶりだしただけの話なのである。
選手のモチベーション不足は監督の責任
AFCアジアU-23大会に臨んだ日本チームは明らかに準備不足だった。他国が五輪出場を目指して調整してきたことに比べれば、コンディション調整不足、闘争心不足は明らかだった。さらにコンディションが上げにくい状況があった(冒頭の要因②~⑥)。しかし、それらはいずれも大会前にわかっていたことなのだから、それなりの手は打てた。だが、森保が対策を講じなかっただけである。
五輪チームのあるべき姿はこのたびの代表選手に加えて、
DF:冨安健洋(ボローニャ/イタリア)、板倉滉(フローニンゲン/オランダ)、
MF:中山雄太(ズヴォレ/オランダ)、三好康児(アントワープ/ベルギー)
FW:堂安律(PSV/オランダ)、久保建英(マジョルカ/スペイン)、前田大然(マリティモ/ポルトガル)ーーらに、オーバーエイジ枠3選手が加わっての選考になる。
本大会に招集された選手たちが健闘しても五輪代表に選ばれる可能性は(ポジションによってかわるものの)、概ね低いと考えて間違いなかろう。しかも、五輪出場枠はすでに得ている。そんな状況で闘争心がわくのだろうか――という想像は難しくない。そんなことはない、と否定するのならば、では一体このぶざまな敗戦は何なのだろうと非難されて当然である。むしろ、自分たちは期待されていない、所詮Bチームなんだから、と開き直ってほしいくらいである。しかし、その開き直りは(もちろんそう思う選手は絶無だと思うが)、取り返しがつかないくらい重大な暗い影を日本サッカー界に落とす。下のカテゴリーで予選敗退した結果は、日本は強くないという記憶として、アジア各国の若い代表選手を媒介として伝播し、A代表のアジア予選に悪い影響を与える。代表監督は、公式大会はもちろんのこと、親善試合においても勝が求められる。与えられた駒(選手)で勝利を求める努力を払わなければならない。
そればかりではない。代表監督の凡庸なメディア対応や態度は、相手に見くびられやすい。いまの代表監督である森保に、記者会見で日本を脱出したゴーン元日産会長のベイルート会見のように熱弁を振るえとはいわないが、監督のカリスマ性は自国選手、メディア、対戦相手に威圧感を与え、そのことが勝負においてマイナスに働くことはない。
田嶋に残されたカードは「アンジ・ポステコグルー」くらいか
東京五輪、W杯カタール大会アジア予選を控える日本代表が窮地に追い込まれたいま、現状打開の方策があるのだろうか。おそらく田嶋会長は狭隘なナショナリズムに犯されたまま、オール・ジャパン体制を崩さないだろう。だが、森保が五輪で惨敗した場合はどうなるのか。日本=森保が停滞しているあいだいに、アジアは急速に力をつけ、確実に進歩していくのである。
田嶋は海外の専門的代表監督を新たに呼ぶことができない。だからオール・ジャパンを掲げたのである。田嶋のカードには岡田や西野しかないのだが、この2人が代表監督の誘いを断った場合、ジーコを筆頭とした、過去にJリーグのクラブ監督経験者を代表監督に招致する可能性もある。なかで有力なのが、昨年、横浜Fマリノスを率いてJ1優勝に導いたアンジ・ポステコグルーが思い浮かぶ。彼は2013~2018までオーストラリア代表監督の経験があり、マリノス優勝の手腕は日本サッカー界でも評価が高い。森保に比べれば、ポステコグルーのほうが日本代表の立て直しに期待が持てるが、安易な人選であることは否めない。ジーコの失敗は素人でもわかるから、それはない。
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