2016年7月13日水曜日

鳥越俊太郎を支持する

役者がそろった都知事選

ジャーナリストの鳥越俊太郎が東京都知事への立候補を正式に表明した。ご承知のとおり、舛添要一辞任後の同選挙の立候補者については混迷を極めていた。保守陣営(自民公明)からは自民党国会議員の小池百合子が自公の推薦を受けずに出馬を表明、与党側はこれを公認せず、原発推進派の元建設官僚・増田寛也を公認した。

一方、反自公陣営からは宇都宮健児が出馬を表明していたのだが、そこに、先述のとおり鳥越が宇都宮をかぶせるようにして出馬を表明、それを受けて、参院選から継続中の野党共闘の流れを受け、民進・共産等が鳥越を急きょ公認した。

結局のところ、与野党双方がそれぞれ2名の候補者を出すという異例の展開で選挙戦を迎える。その間、タレントの石田純一、古賀茂明が「反与党的立場」から出馬を表明しながら、すぐ撤回するというハプニングもあった。

反安部の流れを持続し実現せよ

鳥越の出馬については批判がある。その第一は国政を地方自治に持ち込むなというもの。第二は健康状態。第三は都政に無知、政策がない云々。これらの批判は筆者から見れば、批判に値しない。なぜならば、鳥越の出馬は「東京都知事」の地位に限定されていないからだ。鳥越の危機感は参院選与党(安倍政権=自公)勝利にある。安倍政権が準備しているのは、憲法改正、安保法制の強化、福祉切捨て、格差拡大、対米追従の日本だ。先の参院選の結果は、国民がそのことに無自覚なまま、安倍を容認したことになる。

鳥越の危機感は筆者のそれ。参院選前、野党も“安倍にそこまでは”という自覚の下、やっと一人区における野党共闘を実現させた。そして都知事選、この期に及んで、都知事選を東京の自治に限定する都知事候補は政治センスがなさすぎる。それほどまでに「地方自治」にこだわるのならば、都知事ではなく区議会選挙にでも出馬したほうがいい。野党共闘は、最重要選挙区である沖縄、福島で与党候補に勝利した。流れをつかみかけた野党陣営が都知事選においても共闘を継続するのは政治における常道といえる。鳥越公認を野合だとか、政策協定がないと批判するのは、ある種の原理主義。流れを渡せば、都民、国民が損をするのだから。

宇都宮陣営が仕掛ける野党共闘妨害工作

宇都宮健児が頑なに鳥越批判を繰り返し、野党共闘の流れに水をさしている。宇都宮の出馬によって喜んでいるのは、分裂選挙を余儀なくされ、二流のタマである増田を擁立した自公だ。鳥越VS〈小池・増田〉ならば、増田に勝ち目はない。ところが、野党側も分裂してくれたので、増田に勝ち目が出てきた。宇都宮は猪瀬辞任後の都知事選においても細川護熙の出馬に与せず、舛添の勝利に間接的に貢献した。そして宇都宮は再び、自公のアシストを繰り返した。

がん患者に希望を与える鳥越出馬

次に鳥越の健康問題である。筆者は、鳥越が「がん患者だから政治がダメというのはおかしい」という意味の発言をした。筆者は鳥越の言葉に共感する。がん患者は病気に苦しむと同時に、社会の差別にも苦しんでいるという。鳥越ががんを乗り越え、しかも、余命を都政改革、反安部政治のために燃焼させようというのならば、それこそが多くのがん患者の励みとなろう。それをロマン主義と笑うのは勝手だが、筆者は鳥越にエールを送りたいし、勝ってもらいたいと願っている。

政治家選びに重要なのは候補者の人間性、感性の見極め

出馬表明のさい、鳥越は具体的に政策を語らなかったとの批判がある。だが待てよ、先の参院選において、一国の首相すら、政策を語らなかったではないか。安倍が語ったのは「アベノミクスの推進」だけではなかったか。しかも、そのアベノミックスだってなんの成果も上がっていない。大事な年金を損失させ、格差を拡大し、自らが公約した消費税率のアップすら取下げたではないか。沖縄出身でありながら、基地問題を語らなかったタレント候補はどうなのだ(彼女は当選したらしいが)。

政治家に必要なのは、実態のない言葉(政策らしきウソ)ではない。有権者が見抜かなければならないのは、候補者のもつ人間性、感性、センス、たとえば弱者に対する配慮などだと思う。その配慮とは、「福祉重視」「待機児童の解消」「特養老人ホームの増築」「公営住宅建設」という政策の具体性(言葉)とは異なる次元のものだ。投票行動の構造的分析は困難かもしれないが、有権者が、立候補者が弱者に真に寄り添っているか否かを見極め、そのことを投票の指標とするならば、日本はちがった国家になっていたように思う。

※拙Blog投稿後の夜、宇都宮陣営が都知事選立候補の取下げを表明。同陣営による野党共闘妨害工作は終焉した。

2016年7月7日木曜日

神楽坂~東京大神宮

神楽坂

にぎやかですな。

地下鉄の駅を出るとすぐにあるイベント&物販スペース




クラフトビールが飲めるパブ

東京大神宮~七夕祭り開催中(縁結びの御利益があるとか)
偶然通りかかった東京大神宮



2016年7月4日月曜日

母の日・父の日など

5月(母の日)、6月(父の日)、7月(家内の誕生日)、8月(小生のそれ)と、行事が続くので娘夫婦がそれらをまとめて一回にして祝ってくれた。

車で高尾山のふもとまでいって、ケーブルカーで山頂付近へ。

そこから徒歩で山頂を目指そうとしたしたところ雷雨。

ケーブルカーの駅舎に避難して登頂を諦めた。

下山後、「うかい竹亭」にて晩御飯。

ホタル観賞のイベント付きである。










2016年7月3日日曜日

NICOがやってきてから5年

白猫のNICOが拙宅に来てから5年がたった。

先にサビのZAZIEがきたのち、家内が血眼になって2匹目を連れてきた。

理由はわからない。

ZAZIEがメスでNICOがオス。

バランス感覚か?

2匹とものちに手術を受けた。

来た当時は数日物陰に隠れていたのだが、次第に慣れ、いまでは超甘えん坊になってしまった。


2016年6月25日土曜日

英国、EUを離脱!

まったく、なんてことしてくれるんだ、というのが率直な感想。英国国内に断絶と分断を招き、世界経済を混乱に陥れたキャメロンの責任は極めて大きい。

そもそもリーダーとしての資質を欠き、不人気なキャメロン。失地回復、求心力アップを図って大博打(国民投票)を打った。だが、EU残留か離脱かの国民投票は、いまの時期、絶対にやってはいけない「政治的選択」の一つだった。Leave(離脱)、Remain(残留)のどちらに決まっても、悪い結果をもたらすことは明らかだった。

「キャメロンの国民投票」をポーカーにたとえるなら、自分の手は10の3カード、ここで勝負と全財産を張り込んで、「勝負」!と開けてみたら、相手はJの3カード。僅差だが負けは負け。キャメロンの保身のための大博打で世界中が大混乱だ。

英国人にも言いたい、もう少し理性をと。そして筆者が学んだ教訓――「国民投票」という手段の恐ろしさの実感――こいつは、極めて危ない手段なんだなと。

さて、EU=グローバリズムという論調が幅をきかせているみたいだけど、EUはむしろ経済のブロック化であって、いわゆるグローバリズムとは違う。渡航の自由、関税なし、統一通貨・・・は、EU域内の加盟国とその国民に限られた特権だ。小国が群生する欧州が、米国、ロシア、中国といった大国と経済的に合い渉る手段の一つだった。もちろん、戦争に明け暮れた欧州の歴史を終らせたいという理想主義も含まれていた。

EU離脱を促したのが「移民問題」だという。だが、英国は世界中に植民地を保有していた、「大英帝国」の歴史をもっている。英国は、自国及び保有する植民地の労働力確保するため、世界中から人間を強制的に移入してきた。植民地先住民は自由意志ではなく、奴隷として、強制的に英国及びその植民地に移送されたのだ。それだけではない。英国は自国の戦争のため、植民地の先住者を兵士として徴用してきた。それなのにいまさら、EU内から移民が流入したからといって、彼らを敵視する資格があるのだろうか。

英国で起きている格差の拡大は、それこそグローバリズムがその主犯であって、EU域内の渡航の自由の結果ではない。英国は米国に倣い、新自由主義、市場原理主義を掲げて福祉を切り捨て、民営化と金融資本主義の肥大化により、富裕層と貧困層が二極化した。貧困層は、自分の仕事を移民に取られたように感じるのかもしれないが、移民が行っている仕事は、もともと英国内の最下層が担っていた。グローバリズムの進行に従い、それまで厚く形成されていた中間層が崩壊、下層に転落した前中間層が職を求めようとしたら、移民が既にその職に就いていた、というわけだ。

新自由主義、市場原理主義を「よし」としたなら、社会の格差発生を覚悟して当然。「出来のいい」人間が富を独占することが新自由主義の鉄則なのだから。敗者には目もくれないのが新自由主義だ。それだけではない。コストを下げるのが市場原理。労働力ももちろんコストの一つ。だから、近年の英国は、東欧、南欧、アラブ、アフリカから、低賃金で働かせられる移民を歓迎してきたではないか。市場原理主義は「痛み」を伴うどころではない、人間を使い捨てることを「よし」とする経済システムであり、それを「よし」とするイデオロギーなのだ。

資本主義経済が社会に格差を生むことは19世紀にすでに広く認識されていた。西欧の先進資本主義国家はそこで社会民主主義を選択し、富の再配分に重きをなしてきた。労働者(組合)の政治参加を容認し、彼らの利益を社会に反映させる仕組みを取りいれてきた。福祉国家建設を第一としてきた。

このたびの英国のEU離脱が社民主義への復帰を掲げたものならば、筆者は大いに賛同しえた。ところが実際は、それと真反対――離脱主義者の政治理念は孤立主義、排外主義のように思える。「見えない敵」を見ようとする努力を怠り、人種、宗教といった、「見える」ものに対し、安直に敵意を向ける風潮が社会に蔓延する危険性を予感させる。それはヒトラーの「ユダヤ人」排除の思想と通底する。

英国のEU離脱の選択は、社会の格差をいま以上に広げ、より深刻な断絶と暴力を英国内に加速的に蔓延させる契機となるだろう。

2016年6月24日金曜日

ベトナムからお客様

ベトナム人留学生のカーさんが、拙宅にやってきた。東大で土壌の研究をしているという。




2016年6月16日木曜日

Chama Chama , La Cuji (根津)

Chama Chama(イタリアン)



Modern Jazz Bar La Cuji



2016年6月13日月曜日

Zazieがやってきてから5年もたった。

2011年の大地震のあと、家内が猫をどこからか連れてきた。

寝耳に水のできごとであった。

「動物は無理」と、常日頃から話していた。

動物がきらいではないが、負担が大きいと感じていたから。

メリットもデメリットもあるよと。

だが、すでに猫がいる。

もはや、選択の余地はなかった。

しこうして、これまで、猫との同居が続いている。

猫はもちろん可愛い。

猫の本も買って読んだ。

命を預かった以上、そのことは「好き、嫌い」を超えた状況なのだから。

猫を連れてきた家内は、すでに猫に関心を失っている。



2016年6月10日金曜日

『日本会議の研究』

●菅野完〔著〕 ●扶桑社新書 ●800円+税

本書を読み進めるうち、背筋が凍るような戦慄が走った。日本の政治(家)はここまで劣化してしまったのかと。それを推し進めてしまったのは社会の、いや私たち自身の劣化なのではないのかと。

誠に示唆多き書である。本題に研究とあるが、おかたい研究書ではない。きわめて今日的な、かつ、スリリングな書である。とりわけ、日本会議の黒幕ともいうべき幹部の正体を突き止める部分(最終章「淵源」)は、推理小説を読み進めているうち、犯人が特定されるかのような興奮に満ち満ちている。そのような意味においても、本書の一読をお薦めする。

日本会議についての印象

本書を読む以前、日本会議についての筆者の認識がきわめて甘かったことを告白する。その名称、すなわち「ニホンカイギ」という漠としたそれから受けた印象は、日本の保守勢力のゆるやかな結合組織というもののように思えた。著者(菅野完)も、日本会議のとある集会を評して、次のように書いている。

(集会に集まったグループについて)一口に「保守系」といっても、動員対象となった各教団は、それぞれ掲げる政策目標も運動への温度差も違う。(略)全ての教団が従来の「保守」や「右翼」といった範疇に入るわけではない。そんな多種多様な人々が「なんとなく保守っぽい」という極めて曖昧な共通項だけでゆるやかに同居しているのが「日本会議」だともいえる。(P130)

著者(菅野完)が強調する日本会議の世俗性

著者(菅野完)は、“日本会議には多くの宗教団体が参加している。しかしそれは決して「カルトによる支配」でも「宗教団体の陰謀」でもない。日本会議について知るためには、そうした幼稚で拙速な陰謀論的総括と誤解を排す必要がある。そうした認識を捨てたうえで、まずは、日本会議が辿ってきた歴史を振り返ってみよう」(P38)と書いている。

その一方、あるメディアは、日本会議をカルト集団と特定した。本書を読む以前、その規定を信じていなかったのだが、本書を読むと、著者(菅野完)が日本会議はカルトではないと強調するのとは裏腹に、それはまさしく、カルト集団以外のなにものでもなかった。その理由については後述する。

戦後70年目にして初めてイデオロギー政党となった自民党

さて、戦後71年間、自民党は、細川政権(1993-1994)、民主党政権(2009-2012)の短期間を除いて、ほぼ政権の座を維持してきた。

自民党の組織基盤については、宗教団体を別格として、小選挙区の場合、地元後援会(地縁者、縁故者等)を中核とし、地元への利益還元を候補者に託してきた。一方、大選挙区の場合は、事業者団体が自民党候補者を業界あげて応援するという構図であった。事業者団体のなかで大規模なものの代表としては、農協(中央組織JA)、建設業団体が挙げられる。また、小規模なそれとしては、理髪業組合、中小不動産業者団体などが身近な存在だ。数ある業界団体がそれぞれ政治連盟を組織し、たとえば参院選挙比例代表の場合は署名を集めるなどして、それぞれの業界団体が推薦する候補者の名簿上位順を上げる努力をしてきた。業界団体の支援を受けた候補者が当選した暁には、業法(規制法)を関係省庁の担当部署に整備させ、新規参入者排除等の業界利益を業者のためにはかってきた。筆者の記憶にすぎないが、こうした選挙における自民党と支持母体の関係は、西暦2010年前後までは盤石だったような気がする。

こうしたいわゆる政-官-財のトライアングルが今日まったくなくなったとはいわない。だが、構造改革、経済のグローバル化及び新自由主義の台頭等により、その関係は以前ほどではなくなった。加えて、数を頼んでいた中小事業者団体構成者の高齢化、事業者数の減少といった、事業者団体の弱体化もある。

日本会議を考える場合、このような自民党を巡る集票構造の変化を理解しておく必要がある。日本会議が自民党に接近できた背景には、業者団体の衰退及び経済的結び付きの弱化を見逃せない。経済的結び付きにおいては、イデオロギーは関係しない。あくまでも経済上のギブ・アンド・テークの関係が優先される。

いずれにしても、これまで自民党にとっての支持団体(=圧力団体)のはずの中小規模の事業者団体が衰退してしまった結果、自民党は新しい支持団体を必要とした。その中の一つとして日本会議が大いなる台頭を見せ今日に至った。自民党は戦後70年の経過をもって、初めてイデオロギー政党になった。

成長の家開祖・谷口雅春の『愛国聖典』

安倍政権の閣僚のうち公明党を除く自民党の閣僚のほとんどが日本会議に名を連ねていることから見ても、自民党が日本会議のイデオロギーの影響下にあることは間違いない。では日本会議のイデオロギーとはなにかといえば、「生長の家」開祖(「生長の家」では総裁と呼ぶらしいが)、谷口雅春(1893-1985)の教えということになる。谷口の教えを絶対的に信仰し実践することと換言してもいい。

なお、本書において再三注意喚起が促されていることだが、日本会議は現存する宗教法人生長の家(谷口雅宣会長)とは一線を画しており、著者(菅野完)は日本会議を「生長の家原理主義」集団と規定する。

〈日本会議〉と〈宗教法人生長の家〉の違いについての詳細は本書を読んでいただきたいのだが、端的に言えば、前出のとおり、日本会議は開祖谷口雅春の教えを一言一句忠実に守り、実践するというところにある。

谷口雅春の代表的著作『生命の實相』には、過激なカルト的傾向は認められない。しかし、Wikipediaによると、“谷口雅春はアジア・太平洋戦争期に急速に右傾。国家主義・全体主義・皇国史観・感謝の教えを説いた。こうした教えを記述した雅春の著作は、信徒間で「愛国聖典」と呼ばれた。「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど、教団を挙げて戦争に協力した。なお当時の信者には、高級軍人の家族が多くいた。”とある。

1970年前後、新左翼学生運動(全共闘運動)が隆盛を極めた時代、それに対抗して「民族派」と呼ばれる学生組織がいくつか結成されたのだが、「成長の家」の若き信徒がその中核を担っていたことはあまり知られていない。そして彼らは、新左翼各派と激しい暴力闘争を繰り広げた。このことは、本書に詳しく書かれている。

現在の日本会議の指導者は、当時、長崎大学園紛争において、左翼各派と闘争を繰り広げ、学園秩序を回復することに成功した、生長の家信徒の民族派学生組織の幹部であったことが本書に明らかにされている。日本会議の幹部は、左翼学生組織との闘争を経験する中で、谷口雅春の『愛国聖典』を忠実に受け継ぎ、それを今日まで運動の原点としてきたのではないだろか。

日本会議が目指すのは、日本国憲法を廃し、明治維新後の1889年に公布された大日本帝国憲法や「教育勅語」へと回帰することだ。そのことは、日本国民が先の戦争で300万人以上の犠牲者を出して手に入れた、▽国民主権、▽基本的人権の尊重、▽平和主義――等の理念の否定であり、▽言論の自由、▽信仰の自由――等の否定にもつながる。本書P221には、自民党政調会長・稲田朋美が生長の家の聖典『生命の實相』を掲げる写真がある。もはや、日本の政治(家)は、このような危険水域に達してしまったようだ。

日本会議は〈世俗的集団〉なのか〈カルト集団〉なのか

著者(菅野完)は、本書の後半、日本会議に係る自身の考察について自問自答しつつ、以下のとおりの回答を示す。

ここで、本書の問題意識について改めて触れておこう。
「安倍政権の反動ぶりも、路上で巻き起こるヘイトの嵐も、『社会全体の右傾化』によってもたらされたものではなく、実はごくごく一握りの一部の人々が長年にわたって続けてきた『市民運動』の結実なのではないか?」(P220)

以下、本書においては、著者(菅野完)の回答の実証のための記述が続く。そして、次のような結論に至る。

彼ら(日本会議)の運動がスタートしたのは、70年安保の時代。
あのころからすでに50年近くの歳月が流れた。にもかかわらず彼らはいまだに当時の同志の紐帯を維持し、その輪を広げている。彼らは敵であった左翼学生運動がその後、内ゲバや離合集散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿をとどめていないのと対照的だ。なぜそんなことが可能なのか?彼らの一体感はどこから生まれるのか?なぜ彼らは同志の紐帯を維持し続けられるのか?(P236)

と書きつつ、日本会議の成長の秘密について、彼らが左翼勢力のノウハウを学び、世俗的に成長を遂げたこと――その事務能力の高さと継続性――にあることを強調する。日本会議とは市民運動だと。

(日本会議の)個々の構成員は高齢でそのくせ考えが幼稚でかつ多種多様かもしれぬが、これを束ねる(日本会議の)事務方は、極めて優秀だ。この事務方の優秀さが、自民党の背中を押し改憲の道へ突き進ませているものの正体なのだろう。(P132)

繰り返せば、日本会議とは、70年安保闘争における長崎大学園紛争の最中、右派学生活動家であった数人の学生が左派勢力に勝利して以来、生長の家原理主義者としておよそ半世紀にわたって、保守的「市民運動」を継続し、あまたの保守勢力を持ち前の事務能力の高さで束ね、今日、自民党を乗っ取るくらいの勢力に成長した――とする著者(菅野完)の解析はおそらく、そのとおりなのだろう。

だが、著者(菅野完)は、前出の本書最終章「淵源」において、日本会議が半世紀近く、彼らなりの市民運動を継続し得た〈秘密〉を明らかにする。その〈秘密〉をここで明かすわけにはいかないが、日本会議の幹部の紐帯こそが、日本会議が〈カルト集団〉である所以にほかならない。

著者(菅野完)はことさら、日本会議の世俗性を強調しながら、最終章において、その幹部たちが個人崇拝と神秘体験を肯定し、それを基盤として結束する〈カルト集団〉であることを苦労の末、明らかにしてしまう。さてかかる矛盾の指摘は、筆者の誤読の結果であろうか――

2016年6月7日火曜日

桐の花

スポーツクラブに通う道、桐の花が咲いていた。(田端)



2016年6月1日水曜日

居酒屋『大喜里』さんへ

またまた、谷根千のお隣、日暮里へ。JR日暮里駅近くの居酒屋「大喜里」さんへ。

オリジナルの麦焼酎をお土産にいただきました。





こちらがお土産

2016年5月27日金曜日

MIYAKE ISSEY展

ファッションデザイナー、三宅一生の仕事を集成した「MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事」を見た。

三宅一生はパリコレで大成功した日本人デザイナーの一人。同展は1970年から現在までの彼の仕事の足跡を集めたもの。

およそ半世紀に渉る創作活動を限られたスペースの展示場で再現するわけだから、展示物の選択は、キュレーターの主観性に委ねられることは仕方がない。今回の展示は、近作に重点が置かれているような印象を受ける。同展だけを見た若い観客は、三宅一生について、ITを駆使したファッションデザイナーであるかのような印象を持つかもしれない。

本展示は、三宅一生の「現在」のデザインの在り方を出発点として、過去のそれに遡っているのであって、過去から「現在」に向かった道筋は失われている。存命の作家の仕事を展示する宿命として、ましてやファッションデザイナーという「今日性」の維持が絶対条件の立場を尊重するがゆえ、この展開は致し方ない。

だがそうなればなるほど、三宅一生の独自の世界観は何なのか、表現のコアはどこにあるのかが必然的に希薄になる。

展示の出発点が横尾忠則の「タトゥー」のジャンプスーツ。そして現在に近づくと、「プリーツ」を結節点として、関口光太郎のコラボから、タブレット、リサイクル(ポリエステル)に象徴されるIT(情報技術)処理的デザインのイメージに変化する。出発点の横尾忠則は、1970年当時のデザイン界のリーダー的存在だった。三宅一生は、横尾のデザインに寄り添うことからスタートした。それが、三宅一生の出発点であり、それ以降、時代の主流に寄り添うことに注力した。本展示会は、三宅一生の過剰な時代性依拠の態度を透けて見せる。

作風の変化、時代の影響を否定しない。それを被らない作家はいないだろう。だが、それは創作の原点、世界観、存在の根源性があってのものだ。

三宅一生とは、まずその時代の主流に寄り添い、さらに、その時代その時代、彼が抱えた多数の無名スタッフのパワーを吸い取って、「MIYAKE ISSEY」というブランドであり続けた、いやこれからもあり続けようとしている。前出のコラボレイターとしてここに記名した作家は氷山の一角。三宅一生は、その意味において、優秀なディレクターであって、作家ではない。



国立新美術館 東京


見終わった後は、近くのミッドタウンにてランチとお茶して帰宅。


2016年5月25日水曜日

舛添問題の裏側

湯河原の私邸への行き来に公用車を使用した疑惑に端を発した舛添要一東京都知事の政治資金不正使用問題。連日、TVが舛添バッシングに明け暮れている。

舛添を推薦した政権与党(自民・公明)の責任重大

思えば2014年2月投票の東京都知事選、舛添は自民党・公明党等(政権与党)の推薦を受け同年1月に立候補を表明した。舛添の主たる対立候補者は細川護熙元総理大臣及び宇都宮健児弁護士の2人。この選挙は、それまで都知事だった猪瀬直樹が裏金受領問題で辞任したことによる。舛添は、自公によると、元都知事の石原慎太郎、猪瀬に比して、カネにクリーンな人物という触れ込みだった。猪瀬は石原時代の副知事。石原~猪瀬と続いた東京都知事の職はカネまみれだったから、都民はとにかくクリーンな候補者を望んでいた。

2014年都知事選、政権与党(自公)は舛添を推薦し支援した

ところで舛添の政治家としてのスタートは、自民党の国会議員からだったのだが、自民党が政権の座を降りるや否や同党を離党し(除名)、新党を結成して反自民の立場をとった。筆者は、そんな舛添が自民党の推薦を受けて都知事候補となったことに違和感を覚えていたから、もちろん舛添には投票しなかった。

このたびの舛添攻撃の主たるネタは、舛添が自民党を離党して新党を結成してから都知事に当選するまで(2010-2013)の政治資金問題の使途であって、現職(都知事)のものではない。

自公は舛添=クリーンという不当表示を都民に謝罪せよ

とまれ舛添という政治家は、自民党を離党(除名)しながら、その自民党の推薦を受けて都知事に立候補したわけで、かなり怪しい政治姿勢の持ち主である。そんな舛添を除名した自民党があえて彼を都知事候補に祭り上げたのは、舛添がTVメディアに頻繁に登場するタレントとして知名度が高かったから。

おそらく、自民党及び御用メディアは、舛添が「クリーン」ではなく、政治資金を不正に使用していたことを知っていたはず。にもかかわらず、「クリーン」なイメージを舛添に付加して、善良でナイーブ(うぶ)な東京都民(有権者)を騙し、都知事に当選させたことになる。この所業は自民党及び御用メディアによる不当表示行為であり、今日、舛添の「悪事」が明確になりつつあるのだから、まずもって、自民党・公明党及び御用メディアが2014年当時の都知事選挙時における自らの不当表示行為について都民に謝罪することが筋である。

舛添攻撃は安倍政権及び電通の危機の目くらまし

舛添攻撃はなぜ、いまTVメディアによって集中的に行われているのか。その理由の第一は、政権の躓きにある。アベノミックスの失敗(株安、家計収入減等)、消費税率アップ問題、不透明なTPP交渉過程、貧困問題に代表される社会福祉政策の不備等の諸問題が山積していて、その解決の糸口がない。加えて、沖縄の基地問題も米軍関係者の犯罪によって、安倍政権を追い詰めつつある。

第二に、パナマ文書公開で明らかになったように、日本の富裕層による合法的脱税が明らかになり、重ねて(第三に)、日本国民に対する洗脳司令塔=電通の五輪招致不正送金問題がある。

第四に、オバマの広島訪問による、日本全体の反戦、反核意識の高まりも指摘できる。この意識が高まれば、安保問題(集団的自衛権行使容認等)見直しの動きを加速させ、憲法改正の動きを大幅に後退させるエネルギーに転化する可能性を秘めている。

いうなれば、この5月・6月は安倍政権最大の危機であり、7月の参院選で自公が大幅に議席を減ずる可能性も高まる。このことは、安倍政権及び洗脳司令塔(電通)にとって、最大の危機の到来とも換言できる。そこで、諸々の政治課題を隠蔽し、国民の目をくらます生贄、ガス抜きの対象として、舛添要一が選ばれた可能性は極めて高い。メディアを舛添攻撃に集中させ、政権批判をメディアから遠ざける効果を期待しているのだ。サミット開催に至れば、サミット報道を政権の宣伝に使う算段である。

そればかりではない。舛添は、東京都における巨大利権(2020東京五輪)において、組織委員(森喜朗=電通)と、ことごとく対立しているともいわれている。だから第五の要因として、東京五輪プロジェクトにおける阻害物=舛添「外し」が企てられた可能性も否定できない。

舛添バッシングは単一の要因からではなく、いくつかの要因が複合化した結果であり、それだけに強力な攻撃力となってメディア総動員で行われている。筆者は舛添に同情はしない。筆者は、前出のとおり、彼が2014年の東京都知事選に自公推薦で立候補した時点で、怪しいとにらんでいたからだ。それゆえ、ひるがえって考えるならば、いまのメディアの舛添攻撃はリンチ(私刑)に等しい。2014年、都知事選に舛添が立候補した時点で、彼の政治家としての本性をまともにメディアが報道していれば、都民は正しい選択ができた。

舛添を担いだ自民党・公明党も「知らなかった」では、すまされない。メディアは、当時の推薦者である自公をまずもって追求すべきであり、同時に、メディア自身が反省をしなければいけない。そのことを忘却して舛添攻撃に現を抜かすのであれば、筆者はケチな政治屋・舛添要一よりも、彼に一斉攻撃を仕掛けるメディアの方に恐怖を覚える。

2016年5月24日火曜日

天王寺(谷中)

 天王寺の庭はたいして広くないけれど、四季折々、さまざまな表情を見せてくれる。




2016年5月11日水曜日

谷根千の隣の日暮里へ

ジム友の一人が東日暮里に転居し、その周辺の居酒屋さんを開拓していた。

その中の一つ、『いな葉』に行ってみた。

日本酒の品ぞろえもなかなかのもの、料理も旨い。