学生時代の友人の忘年会(宮益坂「おまかせ亭」)
2015年12月18日金曜日
2015年12月13日日曜日
2015年12月11日金曜日
Jack Atherton
2015年12月9日水曜日
2015年12月4日金曜日
2015年12月2日水曜日
2015年11月27日金曜日
2015年11月22日日曜日
野球「プレミア12」は詐欺もしくは景表法違反(不当表示)である
「野球世界一決定戦」という勇ましい謳い文句で開催された野球「プレミア12」が閉幕した。優勝は韓国、日本代表(侍ジャパン)は第3位で終わった。
代表とは名ばかり、日本・韓国・台湾以外は、マイナー選手の寄せ集め
この大会を先般イングランドで行われたラグビーW杯や、いまアジア予選が行われているサッカーW杯と混同して日本代表に声援を送った野球ファンも多かったようだ。少なくとも、マスメディアの扱いは、サッカー、ラグビーといった人気スポーツ以外のW杯(世界大会)よりも大きかったように思う。
しかし、参加チームの内実は各国代表とは名ばかり。まず、日本を含めて米国メジャーリーグ(MLB)に属している選手は参加していない。日本人選手の場合、田中将大、岩隈久志(青木宣親、上原浩治、ダルビッシュ優は故障中)が不参加だった。アメリカチームはAA、AAA所属のいわゆるマイナーの選手ばかり。中南米もアメリカのマイナー所属、自国リーグ及びウインターリーグの選手ばかり。最悪なのが、日本と3位を争ったメキシコチームで、土壇場まで選手が集まらず、不参加を表明しようとしたところその筋から圧力がかかり、急遽、米国籍でメキシコにゆかりのある選手をメキシコ代表に仕立て上げての参加だったという。
このような現象は、W杯と名の付くスポーツ大会では絶対に起こりえない。かりにも、サッカーW杯にイタリアチームがセリエB、セリエC所属の選手で構成されたチームを「イタリア代表」として送り込んできたら、世界中から非難が湧きあがるだろうし、そんなことはイタリアサッカー協会が絶対にしない。多くのスポーツのW杯及び世界大会では、予選を経るか、参加するため条件となる出場資格記録というハードルがある。こうした手段によって、「W杯」「世界一」の権威が保持される。
野球の世界化を阻むMLB
「プレミア12」の参加資格は世界ランキングを基準とするというが、野球の世界ランキングを決定するメカニズムが整備されていない。ランクづけをするには、各国が最強チームを編成して送り込んだ大会や強化試合を重ねなければ成り立たない。だが、MLBがそうしたメカニズムを阻害し続けている。彼らはアメリカの最強チーム決定戦を「ワールドシリーズ」と勝手に銘打っていて、MLBに所属するチームにしか参加資格を認めていない。加えて、アメリカ以外で行われる世界的大会を事実上、無視している。アメリカ(MLB)は、MLB選手をそうした大会に参加させないという手段を通じて、MLB=世界最強という地位を手放そうとしない。
こんなことはいまさら説明しなくても世界の常識となっていて、今回の「プレミア12」もマイナー大会の一つにすぎないことは、野球に少しでも興味がある人ならば誰もが承知している。
不当表示がまかりとおる日本のマスメディア業界
ところが、日本及び台湾の東アジアにおいて、「プレミア12」があたかも、野球世界一を決定する大会であるかのように喧伝され、開催され、入場料をとって興行されたのだ。
「プレミア12」は日本の大手広告代理店が仕込んだ興行(=商品)だ。彼らはそれを、メディア(TV、大新聞等)を使って誇大宣伝(不当表示)し、スポンサー及び野球ファンに販売した。景表法(景品表示法/不当景品類及び不当表示防止法)においては、商品を不当に表示して消費者に誤認を与えるような商品提供側の表示(チラシ、パンフレット、新聞雑誌広告、テレビコマーシャル…セールストーク)を厳しく規制している。
「プレミア12」の場合、この大会(興行)はまずもって、「世界一」を決めるものではない。参加する各国代表は厳選された代表選手ではないからだ。マイナーリーグに所属する選手で構成された代表チームは、その国を代表しない。たとえば、サッカー日本代表がJ2、J3の所属選手だったらどうなのか。もちろん、サッカーの場合であっても、日本代表が日本国内で行う親善試合の場合、「プレミア12」と同じ手口が使われている。日本代表は海外組を含めたほぼベストメンバーのチーム構成だが、相手になる「○○代表」の選手は欧州リーグの控え選手や自国リーグの選手ばかりで構成されていて、各国のトップリーグに所属する選手は、クラブが許可しないので日本に来ない。そんな代表チームではあるが、下のカテゴリーの選手で構成された選手の代表チームが来日したという話は聞いたことがない。「プレミア12」の実情がいかに酷いものか、日本代表サッカーの親善試合も悪質だが、「プレミア12」はそれに輪をかけて悪質である。
「プレミア12」に意義があるとしたら、せいぜい野球の視野を広げる程度
筆者は、「プレミア12」のような国際大会が全く無意味だとは思わない。野球を通じて国際親善を図ることはまちがいではないし、野球の視野を広げるためにも、あるいは選手に経験を積ませるという意味からも必要だろう。ただし、▽MLB選手が不参加であること、▽選手の強化を目的とした大会であること、▽もちろん「世界一」を決めるような大会ではないこと等――の実情を説明して大会を開き、チケットを売り、TV放送等のメディアを駆使するのならばそれでいい。
不当表示を喧伝する不愉快なタレントの存在
しかし前述のとおり、メディアは「プレミア12」が世界最強決定戦のようにしか報道しない。これは明らかに、「不当な顧客誘引の禁止」に抵触する。テレビ報道では、アイドルタレントがリポーター役をしていて、そのタレントが逐一、「プレミア12」を称賛するセリフを連発していた。まずもってその存在が不愉快であるばかりか、そのタレントの発する「プレミア12」礼賛のセリフこそが不当表示の連発にまちがいなく該当する。大会を盛り上げるという名分のもと、不当表示の宣伝係というピエロを哀れに思う。
日本の敗退の責任は無能監督=小久保にある
日本、韓国、台湾の野球熱は同地域独特のものだ。アジアの野球先進国である日本に対して異常な関心を示している。台湾の場合は日本に対するリスペクトを伴い、一方、韓国の場合は敵対心となって表れる。だから、「プレミア12」に参加した、事実上の開催国である日本、そして韓国、台湾は、それなりに熱心に大会に臨んだであろう。しかし、それ以外の北中米、南米、欧州はチームを構成した選手の力量不足は明らかだった。だから日本が決勝トーナメントに進むのは予見できたし、決勝トーナメントが日本で開催される日程をみれば、日本優勝は半ば仕組まれた筋書きだった。
ところが、運命の悪戯のように、日本は準決勝で韓国に逆転負けを屈した。この敗戦については既に野球評論家、野球ファンから、小久保裕紀代表監督批判となって表れ、その分析もなされている。筆者なりに端的に敗因を言えば、「侍ジャパン(日本代表)――選手は精鋭、監督はド素人」となる。
小久保裕紀は青山学院大学卒業後、プロ野球、福岡ダイエー、読売、福岡ソフトバンクで選手として活躍後、2012年に引退、野球解説者を経て2013年10月、野球日本代表監督に就任している。監督としての経験は、2013年、初陣である日本―チャイニーズタイペイしかない。この経歴からわかるように、指揮官としての経験は「ない」に等しい。
監督経験のない小久保がなぜ代表監督に就任したのか
小久保の代表監督就任も奇妙な話である。たとえば、サッカーの日本代表監督を決定する場合、日本のスポーツメディアでは侃々諤々、議論される。直近では、ブラジルW杯で惨敗したザッケローニ退任後、「監督候補」として、ベンゲル、ピエルサ、フェリペ、ラウドルップ・・・が挙がり、アギーレに決定したと思ったら「八百長疑惑」が浮上し解任、そしてハリルホジッチに決まりいまに至っていることは記憶に新しい。いずれの「候補者」も指揮官として実績のある者ばかり。たとえば、いまサッカー日本代表チームのゲームキャプテン長谷部誠が現役引退後、いきなり日本代表監督に就任するなんてことはまず、あり得ない。小久保も長谷部も現役時代はキャプテンシーをもった人材であることは同様だが、監督としての経験は必要である。すくなくとも2~3シーズン、リーグ戦の経験を積まなければ、監督業は成り立たない。
ところが、野球日本代表では、小久保は適材だと判断され、その就任にあたって議論はされなかったのである。このことが不思議でなくてなんであろう。
ど素人ぶりを発揮した、韓国戦の観念的投手交代
小久保の経験値のなさは、事実上の優勝決定戦である韓国戦で露呈してしまう。韓国戦の投手交代失敗である。好投していた大谷翔平(85球)を7回に降板させ、則本昴大を投入、8回に好投したその則本を9回に続投させ韓国打線につかまり、松井裕樹、増井浩俊を投入して傷口を広げ逆転を食らったのである。
この投手起用にはいくつかのポイントがある。まず、侍ジャパンがセットアッパーの専門職を選んでいないこと。つまり、シーズン中の先発投手を第二先発もしくはセットアッパーとして起用するという方針が正しいのかそうでないのか。
第二点目は、侍ジャパンに信頼できるクローザーがいなかったこと。日本プロ野球における今シーズン優勝チームのクローザーは、パリーグのソフトバンクがサファテ、ヤクルトがバーネットと外国人投手。最多セーブはセがバーネットと呉昇垣が41セーブで外国人2人が受賞。パリーグはサファテ(41)。次に増井が続く。そんななか、侍ジャパンのクローザーとしては、セリーグから山﨑康晃(新人)、澤村拓一(クローザー転向1年目)、パリーグからは前出の増井、松井裕樹が選ばれたが、増井は、本来はセットアッパーが本職で、クローザーは2014シーズンから務めるようになった。松井はプロ2年目。つまり、日本人投手のなかで修羅場をくぐって優秀な成績をおさめたクローザーは実際には一人もいない。本来ならば、読売の澤村が切り札にならなければいけなかったのだが、小久保監督の信頼にこたえられるような内容ではなかったようだ。
敗戦後、小久保監督は、「大谷は7回まで、残り2イニングは則本でいくと最初から決めていた」と発言したようだが、この発言こそが無能の証明である。説明するまでもないことだが、野球に限らず、勝負事には波というものがある。流れともいう。大谷が85球で身体に異常がないならば、シーズンオフのいま、この試合が彼にとって最後の試合となるのだから、85球は制限となるような球数ではない。球の走りが悪いとは思えなかった。当然、完封勝ちを狙わせればよかった。「則本で行く」というのは自分の信念どおり采配した、という自己弁護、つまり信念を貫いたという自負なのかもしれないが、観念的で勝負師としての閃きがない。
投手の役割分担は「経験知」の集積の結果
もう一つ、角度を変えた見方としては、なぜ、スターター・セットアッパー・クローザーという分業がアメリカで確立されたかを小久保は真剣に考えていないことだ。野球の流れからすると、投手は立ち上がりが不安定。ところがそれを乗り切ると、80~100球程度、すんなりいくことが多い。相手打者の無意識の緩みもあるのだろうか。それが流れとなって試合が進行する。ところが終盤、100球近くになると相手打者の危機意識の高まり、投手の握力低下、身体疲労等を要因として、打ち込まれることがある。そこでセットアッパーというポジションが経験上、確立された。ただし、限定1イニング(=8回)まで。3つのアウトが限界で「イニングまたぎ」は、説明しにくいが、成功しないケースが多い。
そして、クローザーである。クローザーの役割は、1イニング=3つのアウトをなにがなんでもとりにいける特性(タレント)をもった投手の仕事である。こうして、先発―中継ぎ―抑えが固定化されるようになった。それこそ「経験知」が確立したシステムなのだ。
日本では、先発―中継ぎ―抑えのシステムは形としては確立しつつあるが、本質的には理解されていない。まだまだ、「先発完投」がいいという野球解説者が多い。今回、侍ジャパンが則本をセットアッパーで成功させられたのは短期戦でしかも、相手のレベルが低かったから。則本が「イニングまたぎ」で韓国に打ち込まれたのは、韓国のレベルが他チームに比べて高かったから。そのあたりの分析が、素人監督の小久保にはできなかった。
選手選考は監督の仕事であり、中継ぎ専門職を選ばなかった責任は小久保にある。さらに、日本球界の現状において、信頼できるクローザーを外国人に負っている現実も直視しなければいけない。日本の投手は質が高いといわれながら、クローザーとして何シーズンも務められる人材はいないのである。佐々木主浩はMLBに行って引退してしまったし、上原もMLBで野球生活を終えそうな雰囲気だ。松井、澤村、山﨑の成長に期待したい。
小久保は代表監督を辞し、一から監督業の勉強に励むがいい
小久保は今回の敗戦を機に、代表監督の座を辞し、監督業を一から勉強しなおしてほしい。代表チームが選手育成の場でないことと同様、監督養成機関でもない。小久保は日本のマイナーリーグで監督業の修業を積んで改めて、代表監督に挑戦してもらいたい。日本球界には、小久保以上の能力を持った監督経験者はいくらでもいる。選手と同様、監督にも競争が必要である。
代表とは名ばかり、日本・韓国・台湾以外は、マイナー選手の寄せ集め
この大会を先般イングランドで行われたラグビーW杯や、いまアジア予選が行われているサッカーW杯と混同して日本代表に声援を送った野球ファンも多かったようだ。少なくとも、マスメディアの扱いは、サッカー、ラグビーといった人気スポーツ以外のW杯(世界大会)よりも大きかったように思う。
しかし、参加チームの内実は各国代表とは名ばかり。まず、日本を含めて米国メジャーリーグ(MLB)に属している選手は参加していない。日本人選手の場合、田中将大、岩隈久志(青木宣親、上原浩治、ダルビッシュ優は故障中)が不参加だった。アメリカチームはAA、AAA所属のいわゆるマイナーの選手ばかり。中南米もアメリカのマイナー所属、自国リーグ及びウインターリーグの選手ばかり。最悪なのが、日本と3位を争ったメキシコチームで、土壇場まで選手が集まらず、不参加を表明しようとしたところその筋から圧力がかかり、急遽、米国籍でメキシコにゆかりのある選手をメキシコ代表に仕立て上げての参加だったという。
このような現象は、W杯と名の付くスポーツ大会では絶対に起こりえない。かりにも、サッカーW杯にイタリアチームがセリエB、セリエC所属の選手で構成されたチームを「イタリア代表」として送り込んできたら、世界中から非難が湧きあがるだろうし、そんなことはイタリアサッカー協会が絶対にしない。多くのスポーツのW杯及び世界大会では、予選を経るか、参加するため条件となる出場資格記録というハードルがある。こうした手段によって、「W杯」「世界一」の権威が保持される。
野球の世界化を阻むMLB
「プレミア12」の参加資格は世界ランキングを基準とするというが、野球の世界ランキングを決定するメカニズムが整備されていない。ランクづけをするには、各国が最強チームを編成して送り込んだ大会や強化試合を重ねなければ成り立たない。だが、MLBがそうしたメカニズムを阻害し続けている。彼らはアメリカの最強チーム決定戦を「ワールドシリーズ」と勝手に銘打っていて、MLBに所属するチームにしか参加資格を認めていない。加えて、アメリカ以外で行われる世界的大会を事実上、無視している。アメリカ(MLB)は、MLB選手をそうした大会に参加させないという手段を通じて、MLB=世界最強という地位を手放そうとしない。
こんなことはいまさら説明しなくても世界の常識となっていて、今回の「プレミア12」もマイナー大会の一つにすぎないことは、野球に少しでも興味がある人ならば誰もが承知している。
不当表示がまかりとおる日本のマスメディア業界
ところが、日本及び台湾の東アジアにおいて、「プレミア12」があたかも、野球世界一を決定する大会であるかのように喧伝され、開催され、入場料をとって興行されたのだ。
「プレミア12」は日本の大手広告代理店が仕込んだ興行(=商品)だ。彼らはそれを、メディア(TV、大新聞等)を使って誇大宣伝(不当表示)し、スポンサー及び野球ファンに販売した。景表法(景品表示法/不当景品類及び不当表示防止法)においては、商品を不当に表示して消費者に誤認を与えるような商品提供側の表示(チラシ、パンフレット、新聞雑誌広告、テレビコマーシャル…セールストーク)を厳しく規制している。
「プレミア12」の場合、この大会(興行)はまずもって、「世界一」を決めるものではない。参加する各国代表は厳選された代表選手ではないからだ。マイナーリーグに所属する選手で構成された代表チームは、その国を代表しない。たとえば、サッカー日本代表がJ2、J3の所属選手だったらどうなのか。もちろん、サッカーの場合であっても、日本代表が日本国内で行う親善試合の場合、「プレミア12」と同じ手口が使われている。日本代表は海外組を含めたほぼベストメンバーのチーム構成だが、相手になる「○○代表」の選手は欧州リーグの控え選手や自国リーグの選手ばかりで構成されていて、各国のトップリーグに所属する選手は、クラブが許可しないので日本に来ない。そんな代表チームではあるが、下のカテゴリーの選手で構成された選手の代表チームが来日したという話は聞いたことがない。「プレミア12」の実情がいかに酷いものか、日本代表サッカーの親善試合も悪質だが、「プレミア12」はそれに輪をかけて悪質である。
「プレミア12」に意義があるとしたら、せいぜい野球の視野を広げる程度
筆者は、「プレミア12」のような国際大会が全く無意味だとは思わない。野球を通じて国際親善を図ることはまちがいではないし、野球の視野を広げるためにも、あるいは選手に経験を積ませるという意味からも必要だろう。ただし、▽MLB選手が不参加であること、▽選手の強化を目的とした大会であること、▽もちろん「世界一」を決めるような大会ではないこと等――の実情を説明して大会を開き、チケットを売り、TV放送等のメディアを駆使するのならばそれでいい。
不当表示を喧伝する不愉快なタレントの存在
しかし前述のとおり、メディアは「プレミア12」が世界最強決定戦のようにしか報道しない。これは明らかに、「不当な顧客誘引の禁止」に抵触する。テレビ報道では、アイドルタレントがリポーター役をしていて、そのタレントが逐一、「プレミア12」を称賛するセリフを連発していた。まずもってその存在が不愉快であるばかりか、そのタレントの発する「プレミア12」礼賛のセリフこそが不当表示の連発にまちがいなく該当する。大会を盛り上げるという名分のもと、不当表示の宣伝係というピエロを哀れに思う。
日本の敗退の責任は無能監督=小久保にある
日本、韓国、台湾の野球熱は同地域独特のものだ。アジアの野球先進国である日本に対して異常な関心を示している。台湾の場合は日本に対するリスペクトを伴い、一方、韓国の場合は敵対心となって表れる。だから、「プレミア12」に参加した、事実上の開催国である日本、そして韓国、台湾は、それなりに熱心に大会に臨んだであろう。しかし、それ以外の北中米、南米、欧州はチームを構成した選手の力量不足は明らかだった。だから日本が決勝トーナメントに進むのは予見できたし、決勝トーナメントが日本で開催される日程をみれば、日本優勝は半ば仕組まれた筋書きだった。
ところが、運命の悪戯のように、日本は準決勝で韓国に逆転負けを屈した。この敗戦については既に野球評論家、野球ファンから、小久保裕紀代表監督批判となって表れ、その分析もなされている。筆者なりに端的に敗因を言えば、「侍ジャパン(日本代表)――選手は精鋭、監督はド素人」となる。
小久保裕紀は青山学院大学卒業後、プロ野球、福岡ダイエー、読売、福岡ソフトバンクで選手として活躍後、2012年に引退、野球解説者を経て2013年10月、野球日本代表監督に就任している。監督としての経験は、2013年、初陣である日本―チャイニーズタイペイしかない。この経歴からわかるように、指揮官としての経験は「ない」に等しい。
監督経験のない小久保がなぜ代表監督に就任したのか
小久保の代表監督就任も奇妙な話である。たとえば、サッカーの日本代表監督を決定する場合、日本のスポーツメディアでは侃々諤々、議論される。直近では、ブラジルW杯で惨敗したザッケローニ退任後、「監督候補」として、ベンゲル、ピエルサ、フェリペ、ラウドルップ・・・が挙がり、アギーレに決定したと思ったら「八百長疑惑」が浮上し解任、そしてハリルホジッチに決まりいまに至っていることは記憶に新しい。いずれの「候補者」も指揮官として実績のある者ばかり。たとえば、いまサッカー日本代表チームのゲームキャプテン長谷部誠が現役引退後、いきなり日本代表監督に就任するなんてことはまず、あり得ない。小久保も長谷部も現役時代はキャプテンシーをもった人材であることは同様だが、監督としての経験は必要である。すくなくとも2~3シーズン、リーグ戦の経験を積まなければ、監督業は成り立たない。
ところが、野球日本代表では、小久保は適材だと判断され、その就任にあたって議論はされなかったのである。このことが不思議でなくてなんであろう。
ど素人ぶりを発揮した、韓国戦の観念的投手交代
小久保の経験値のなさは、事実上の優勝決定戦である韓国戦で露呈してしまう。韓国戦の投手交代失敗である。好投していた大谷翔平(85球)を7回に降板させ、則本昴大を投入、8回に好投したその則本を9回に続投させ韓国打線につかまり、松井裕樹、増井浩俊を投入して傷口を広げ逆転を食らったのである。
この投手起用にはいくつかのポイントがある。まず、侍ジャパンがセットアッパーの専門職を選んでいないこと。つまり、シーズン中の先発投手を第二先発もしくはセットアッパーとして起用するという方針が正しいのかそうでないのか。
第二点目は、侍ジャパンに信頼できるクローザーがいなかったこと。日本プロ野球における今シーズン優勝チームのクローザーは、パリーグのソフトバンクがサファテ、ヤクルトがバーネットと外国人投手。最多セーブはセがバーネットと呉昇垣が41セーブで外国人2人が受賞。パリーグはサファテ(41)。次に増井が続く。そんななか、侍ジャパンのクローザーとしては、セリーグから山﨑康晃(新人)、澤村拓一(クローザー転向1年目)、パリーグからは前出の増井、松井裕樹が選ばれたが、増井は、本来はセットアッパーが本職で、クローザーは2014シーズンから務めるようになった。松井はプロ2年目。つまり、日本人投手のなかで修羅場をくぐって優秀な成績をおさめたクローザーは実際には一人もいない。本来ならば、読売の澤村が切り札にならなければいけなかったのだが、小久保監督の信頼にこたえられるような内容ではなかったようだ。
敗戦後、小久保監督は、「大谷は7回まで、残り2イニングは則本でいくと最初から決めていた」と発言したようだが、この発言こそが無能の証明である。説明するまでもないことだが、野球に限らず、勝負事には波というものがある。流れともいう。大谷が85球で身体に異常がないならば、シーズンオフのいま、この試合が彼にとって最後の試合となるのだから、85球は制限となるような球数ではない。球の走りが悪いとは思えなかった。当然、完封勝ちを狙わせればよかった。「則本で行く」というのは自分の信念どおり采配した、という自己弁護、つまり信念を貫いたという自負なのかもしれないが、観念的で勝負師としての閃きがない。
投手の役割分担は「経験知」の集積の結果
もう一つ、角度を変えた見方としては、なぜ、スターター・セットアッパー・クローザーという分業がアメリカで確立されたかを小久保は真剣に考えていないことだ。野球の流れからすると、投手は立ち上がりが不安定。ところがそれを乗り切ると、80~100球程度、すんなりいくことが多い。相手打者の無意識の緩みもあるのだろうか。それが流れとなって試合が進行する。ところが終盤、100球近くになると相手打者の危機意識の高まり、投手の握力低下、身体疲労等を要因として、打ち込まれることがある。そこでセットアッパーというポジションが経験上、確立された。ただし、限定1イニング(=8回)まで。3つのアウトが限界で「イニングまたぎ」は、説明しにくいが、成功しないケースが多い。
そして、クローザーである。クローザーの役割は、1イニング=3つのアウトをなにがなんでもとりにいける特性(タレント)をもった投手の仕事である。こうして、先発―中継ぎ―抑えが固定化されるようになった。それこそ「経験知」が確立したシステムなのだ。
日本では、先発―中継ぎ―抑えのシステムは形としては確立しつつあるが、本質的には理解されていない。まだまだ、「先発完投」がいいという野球解説者が多い。今回、侍ジャパンが則本をセットアッパーで成功させられたのは短期戦でしかも、相手のレベルが低かったから。則本が「イニングまたぎ」で韓国に打ち込まれたのは、韓国のレベルが他チームに比べて高かったから。そのあたりの分析が、素人監督の小久保にはできなかった。
選手選考は監督の仕事であり、中継ぎ専門職を選ばなかった責任は小久保にある。さらに、日本球界の現状において、信頼できるクローザーを外国人に負っている現実も直視しなければいけない。日本の投手は質が高いといわれながら、クローザーとして何シーズンも務められる人材はいないのである。佐々木主浩はMLBに行って引退してしまったし、上原もMLBで野球生活を終えそうな雰囲気だ。松井、澤村、山﨑の成長に期待したい。
小久保は代表監督を辞し、一から監督業の勉強に励むがいい
小久保は今回の敗戦を機に、代表監督の座を辞し、監督業を一から勉強しなおしてほしい。代表チームが選手育成の場でないことと同様、監督養成機関でもない。小久保は日本のマイナーリーグで監督業の修業を積んで改めて、代表監督に挑戦してもらいたい。日本球界には、小久保以上の能力を持った監督経験者はいくらでもいる。選手と同様、監督にも競争が必要である。
2015年11月20日金曜日
2015年10月25日日曜日
読売「巨人軍」の黒い霧
野球賭博問題でプロ野球球団の読売が揺れている。プロ野球機構の調査によると、読売球団所属の3選手が野球賭博常習者であることが判明した。
賭博発覚は、白昼堂々賭け金取立人の登場という不気味さ
報道で知る限りだが、この事件にはいくつかの疑問点がある。その第一は、賭博発覚の不自然さ。不自然というよりも、不気味といったほうがいいかもしれない。報道によると、賭博の胴元の関係者と思しき者が、福田投手の賭け金未払い分の取り立てのため、わざわざジャイアンツ球場までやってきたという。この手口は、闇金融業者等が利息未払い及び元金未返済の借り手に対してプレッシャーをかけるため、借り手の職場に押しかけるものと似ている。
普通のサラリーマンの場合、世間体を考えると、自分が借金をしていることを外部に知られたくないし、それを返済できな事態はもっと知られたくない。その筋の貸し手である金融業者等は、借り手の“知られたくない心理”を利用して、わざわざ借り手の職場に出向き、返済を促す。貸し手も非常識的手段を用いるわけだから、覚悟のうえの行為、つまり、合法的金融業者というよりも、反社会的勢力に属する者であると考えてもいい。いまのところメディアは、福田投手のところへ取り立てに来た者については報道を控えている。その理由は定かではない。
さて、賭博は胴元が機能してはじめて「業」として成り立つ。単一の「胴元」と多数の「賭ける者」という、組織的関係が構築されてはじめて「業」として拡大する。その反対のケースとしては、賭け麻雀や賭けゴルフといった、当事者同士で賭け金をやりとりするケース。この場合は、レートを異常に高くしなければうまみはない。加えていうならば、組織的非合法の賭博において、素人が胴元になるケースは稀である。
そんな賭博の構造を踏まえて、今回の取立人の存在を推測してみよう。一説には、“口封じ”だという。それもおおいに考えられる。福田投手はじめとするプロ野球界の賭博関与者に対し、「この先、なにもしゃべるな」という警告を与えたという。つまり、賭博行為の発覚については覚悟のうえの「取り立て」ということになる。別言すれば敢えて、プロ野球界に賭博が常態化していることを、非合法の胴元が積極的に明らかにしたことになる。そんなことができるのは、「反社」勢力以外に考えられない。
賭博関与の3選手がみな投手だったのは偶然か
第二点目は、読売球団の野球賭博常習者が3人とも投手だったこと。3選手が野球賭博に入り込んだのは、同じポジション同士で仲が良かったから、という推測も成り立つ。だが筆者は、投手というポジションの特殊性に注目している。なかんずく、中継ぎ投手というポジションは、ほかのどこよりも八百長に関与しやすい。福田、笠原は中継ぎ投手として一軍での実績があるのだが、彼らのような中継ぎ投手が勝負所で登板して四球を連発、塁が埋まったところで長打を食らえば、試合は決まってしまう。つまり、読売の負けを決定するにはもってこいのポジションなのだ。観戦者からは、コントロールに苦しんでストライクを取りに行き、長打を食らったように見えるから、その投手が八百長に関与したとは思わない。
松本竜の場合は先発型のようだが、一軍戦力にはなっていない。八百長を仕組む側が、松本竜の将来性を買って、八百長の実践者として育成しようとしたという推測も成り立つ。中継ぎ投手は登板機会が多いから、八百長を仕組む側にとって、八百長機会も多い分、都合がいい存在だ。しかも、前述のように、単独で勝負を決められる機会が多い。
同じ投手であっても、先発投手の場合は中5~6日の登板間隔のうえ、先発して八百長による負けが続けば目立つ。さらに負けが込めば、ローテーションから外される。先発投手は八百長を仕組む側からすれば、適当なポジションではない。
野手の場合は、八百長の使命を帯びた単一の選手が打席に立ってチャンスにわざと三振しても、後続打者が試合を決めるヒットを打てば、八百長は成立しない。試合を決めるタイムリーエラーを犯すことも、確率的にみて極めて低い。野手に八百長を仕組ませても、野球というスポーツではその成立は難しい。
賭博関与者がセリーグ最強球団の一つ、読売「巨人軍」所属だった理由
三点目は、賭博関与者が読売の選手だったこと。読売は戦力的に見て、セリーグでは最強球団の一つ。毎シーズン、優勝候補に挙げられている。八百長を仕組む側から、つまり胴元の立場からすれば、強いチームが負けた方が潤う。
賭ける側は、堅く稼ごうとするから、読売の勝利に大金をつぎ込む。そこで読売が負ければ、逆ばりしていた側に大金が転がり込む。たとえば、伝統の一戦といわれる読売―阪神の場合、今シーズンの対戦成績は16勝9敗と、読売が阪神に大きく勝ち越している。しかも、読売のホーム・東京ドームでは圧倒的に強い。東京ドームで行われる読売―阪神を賭博の対象にしたとすると、読売勝利の確率は8割を超える。賭ける側は、堅く見込んで、読売の勝利に大金を賭ける。そこで、八百長を仕組んで読売が負ければ、阪神勝利に賭けた側は大金を得るという筋書きだ。
八百長はなかったのか、あったのか、あるいは・・・
▽疑惑の取立人、▽賭博関与者が全員投手、▽賭博関与者が読売「巨人軍」という、強豪チームに所属、という3点から推測すると、読売球団の選手が野球賭博をしていたという段階にとどまらず、八百長を??あるいは関与?た可?性を否?できない。なかったとしても、八百長を企てようとしたことが????か。もちろん、これは推論の域を脱しないし、証拠もないので確言することは憚れる。
筆者のような邪推や疑惑を抱かれないためにも、読売球団は外部の調査機関を立ち上げ、徹底的に調査を行うことが必要だ。また、メディア及び広告代理店側はプロ野球という、彼らにとって都合の良いコンテンツを傷つけない配慮をするよりも、独自取材で深層究明を図ってもらいたい。この問題をうやむやにすれば、プロ野球界及びメディア、広告代理店業界は、将来に禍根を残す。
賭博発覚は、白昼堂々賭け金取立人の登場という不気味さ
報道で知る限りだが、この事件にはいくつかの疑問点がある。その第一は、賭博発覚の不自然さ。不自然というよりも、不気味といったほうがいいかもしれない。報道によると、賭博の胴元の関係者と思しき者が、福田投手の賭け金未払い分の取り立てのため、わざわざジャイアンツ球場までやってきたという。この手口は、闇金融業者等が利息未払い及び元金未返済の借り手に対してプレッシャーをかけるため、借り手の職場に押しかけるものと似ている。
普通のサラリーマンの場合、世間体を考えると、自分が借金をしていることを外部に知られたくないし、それを返済できな事態はもっと知られたくない。その筋の貸し手である金融業者等は、借り手の“知られたくない心理”を利用して、わざわざ借り手の職場に出向き、返済を促す。貸し手も非常識的手段を用いるわけだから、覚悟のうえの行為、つまり、合法的金融業者というよりも、反社会的勢力に属する者であると考えてもいい。いまのところメディアは、福田投手のところへ取り立てに来た者については報道を控えている。その理由は定かではない。
さて、賭博は胴元が機能してはじめて「業」として成り立つ。単一の「胴元」と多数の「賭ける者」という、組織的関係が構築されてはじめて「業」として拡大する。その反対のケースとしては、賭け麻雀や賭けゴルフといった、当事者同士で賭け金をやりとりするケース。この場合は、レートを異常に高くしなければうまみはない。加えていうならば、組織的非合法の賭博において、素人が胴元になるケースは稀である。
そんな賭博の構造を踏まえて、今回の取立人の存在を推測してみよう。一説には、“口封じ”だという。それもおおいに考えられる。福田投手はじめとするプロ野球界の賭博関与者に対し、「この先、なにもしゃべるな」という警告を与えたという。つまり、賭博行為の発覚については覚悟のうえの「取り立て」ということになる。別言すれば敢えて、プロ野球界に賭博が常態化していることを、非合法の胴元が積極的に明らかにしたことになる。そんなことができるのは、「反社」勢力以外に考えられない。
賭博関与の3選手がみな投手だったのは偶然か
第二点目は、読売球団の野球賭博常習者が3人とも投手だったこと。3選手が野球賭博に入り込んだのは、同じポジション同士で仲が良かったから、という推測も成り立つ。だが筆者は、投手というポジションの特殊性に注目している。なかんずく、中継ぎ投手というポジションは、ほかのどこよりも八百長に関与しやすい。福田、笠原は中継ぎ投手として一軍での実績があるのだが、彼らのような中継ぎ投手が勝負所で登板して四球を連発、塁が埋まったところで長打を食らえば、試合は決まってしまう。つまり、読売の負けを決定するにはもってこいのポジションなのだ。観戦者からは、コントロールに苦しんでストライクを取りに行き、長打を食らったように見えるから、その投手が八百長に関与したとは思わない。
松本竜の場合は先発型のようだが、一軍戦力にはなっていない。八百長を仕組む側が、松本竜の将来性を買って、八百長の実践者として育成しようとしたという推測も成り立つ。中継ぎ投手は登板機会が多いから、八百長を仕組む側にとって、八百長機会も多い分、都合がいい存在だ。しかも、前述のように、単独で勝負を決められる機会が多い。
同じ投手であっても、先発投手の場合は中5~6日の登板間隔のうえ、先発して八百長による負けが続けば目立つ。さらに負けが込めば、ローテーションから外される。先発投手は八百長を仕組む側からすれば、適当なポジションではない。
野手の場合は、八百長の使命を帯びた単一の選手が打席に立ってチャンスにわざと三振しても、後続打者が試合を決めるヒットを打てば、八百長は成立しない。試合を決めるタイムリーエラーを犯すことも、確率的にみて極めて低い。野手に八百長を仕組ませても、野球というスポーツではその成立は難しい。
賭博関与者がセリーグ最強球団の一つ、読売「巨人軍」所属だった理由
三点目は、賭博関与者が読売の選手だったこと。読売は戦力的に見て、セリーグでは最強球団の一つ。毎シーズン、優勝候補に挙げられている。八百長を仕組む側から、つまり胴元の立場からすれば、強いチームが負けた方が潤う。
賭ける側は、堅く稼ごうとするから、読売の勝利に大金をつぎ込む。そこで読売が負ければ、逆ばりしていた側に大金が転がり込む。たとえば、伝統の一戦といわれる読売―阪神の場合、今シーズンの対戦成績は16勝9敗と、読売が阪神に大きく勝ち越している。しかも、読売のホーム・東京ドームでは圧倒的に強い。東京ドームで行われる読売―阪神を賭博の対象にしたとすると、読売勝利の確率は8割を超える。賭ける側は、堅く見込んで、読売の勝利に大金を賭ける。そこで、八百長を仕組んで読売が負ければ、阪神勝利に賭けた側は大金を得るという筋書きだ。
八百長はなかったのか、あったのか、あるいは・・・
▽疑惑の取立人、▽賭博関与者が全員投手、▽賭博関与者が読売「巨人軍」という、強豪チームに所属、という3点から推測すると、読売球団の選手が野球賭博をしていたという段階にとどまらず、八百長を??あるいは関与?た可?性を否?できない。なかったとしても、八百長を企てようとしたことが????か。もちろん、これは推論の域を脱しないし、証拠もないので確言することは憚れる。
筆者のような邪推や疑惑を抱かれないためにも、読売球団は外部の調査機関を立ち上げ、徹底的に調査を行うことが必要だ。また、メディア及び広告代理店側はプロ野球という、彼らにとって都合の良いコンテンツを傷つけない配慮をするよりも、独自取材で深層究明を図ってもらいたい。この問題をうやむやにすれば、プロ野球界及びメディア、広告代理店業界は、将来に禍根を残す。
2015年10月8日木曜日
2015年9月16日水曜日
上野公園内の許されざる景観
2015年9月9日水曜日
戦火にある国の代表に勝って、なにが嬉しい
2018年ロシアW杯アジア2次予選
▽E組第3戦 アフガニスタン0―日本6
▽9月8日、イラン・テヘラン アザディスタジアム
シリア、アフガニスタン、カンボジアと同組という悲劇
サッカー日本代表がアフガニスタンと中立国テヘラン(アフガニスタンのホーム試合)で戦い、6-0で勝利した。日本と同組のこのアフガニスタン及びいずれ対戦するシリアは戦乱に明け暮れる国家。国情を鑑みるならば、代表チームを組織することさえ困難であろう。いわんや強化はとんでもない。同情すべき相手に圧勝したからといって喜べる状況ではない。いままさに、シリアでは難民が西欧を目指して流出し、その過程で多くの人命が不条理な死を遂げている。日本と同組にシリア、アフガニスタンが入ってしまったのは籤の偶然とはいえ、やりきれない。
日本代表選手・監督の年収が国家予算の3%弱?
ちなみにアフガニスタンの国家予算のコア予算(同国政府の国庫を通る資金の流れ。援助均等を含まない)は26憶2,543万ドル(約3,413億円。1ドル=130円で換算)。先に日本(埼玉スタジアム)と対戦したカンボジアは世界の最貧国の一つといわれる。20世紀中葉~末期にかけて戦争に巻き込まれ、国内は疲弊した。同国の2015年度総予算は約39億ドル(約5,070億円。同率換算)。
日本代表選手及び代表監督等の年俸はいくらになるかわからないが、ネット情報によると、本田圭佑が約3億円、香川真司が3.4億円、長友佑都が1.7億円、ハリルホジッチ監督が2.7億円・・・年収となると、CM契約料等が加算され、各選手とも倍以上になるらしい。 ざっくり、日本代表選手25選手及びハリルホジッチ監督の一人当たり総年収を3億円と仮定すると、日本チームを構成する選手・監督の年収は78億円程度と推定できる。この額はアフガニスタンのコア予算の2.3%、カンボジアの総国家予算の1.5%程度に当たる。たかだか日本代表のサッカーチームを構成する選手・監督の年収が、対戦相手国の国家予算の1.5%~3%弱に達するという驚愕の事実をどう受け止めたらよいのだろうか。
戦火にある国の代表にリスペクトを―日本のメディアとサポーターの頭の構造は大丈夫?
日本代表は、同組のシンガポールを除いた3チームに比べて、恵まれすぎた環境にある。選手は西欧及び日本という平和な国家でサッカーに専心でき、前出のとおり高い報酬を受け、なに不自由のない生活をしている。そんな日本代表が、アジアの戦乱に明け暮れている(た)国の代表と試合をして、辛勝だ、圧勝だ、と騒いでいる。そんなマスメディア、代表サポーターの頭の構造を心配してしまう。
日本代表選手がカンボジア、アフガニスタンと対戦して、その結果について不調、復調を論ずるのは愚かな批評的姿勢だ。香川、本田、岡崎らの攻撃陣がよい得点をしたとか、守備陣が完封したとか判断すべきでない。勝利して当たり前の相手。得点して当たり前の相手。
サッカーは何があるかわからない、といわれるが、戦火にある国、貧困にあえぐ国家代表との試合は、対等な条件下の試合だと考えてはいけない。心と身体に深い傷を負った相手(人間)との戦いだと心得るべきだ。日本代表はどのように試合をしたらいいのか。それこそ、粛々とサッカーをすればいい。勝って奢らず、勝った相手国の国情に心を寄せ、そんな中でチームをつくり、スタジアムに現れた相手を心底リスペクトすればよい。
シリア戦の結果を日本のメディアはどのように伝えるつもりか
アフガニスタン戦では、得点した日本選手が派手なガッツポーズをしなかったことはせめてもの救いであった。しかるに今朝、日本の新聞やテレビの報道を眺めてみると、日本代表の復活だとか復調だとか、圧勝とやらの試合結果が“ど派手”に伝えられるばかり。日本のスポーツメディアをこれほど、愚かだと感じた日はない。日本のスポーツメディアは狂っている。国家がいままさに溶解しつつあるシリアとの試合結果を、彼らはどう受け止め、どう報道するつもりだろうか。
▽E組第3戦 アフガニスタン0―日本6
▽9月8日、イラン・テヘラン アザディスタジアム
シリア、アフガニスタン、カンボジアと同組という悲劇
サッカー日本代表がアフガニスタンと中立国テヘラン(アフガニスタンのホーム試合)で戦い、6-0で勝利した。日本と同組のこのアフガニスタン及びいずれ対戦するシリアは戦乱に明け暮れる国家。国情を鑑みるならば、代表チームを組織することさえ困難であろう。いわんや強化はとんでもない。同情すべき相手に圧勝したからといって喜べる状況ではない。いままさに、シリアでは難民が西欧を目指して流出し、その過程で多くの人命が不条理な死を遂げている。日本と同組にシリア、アフガニスタンが入ってしまったのは籤の偶然とはいえ、やりきれない。
日本代表選手・監督の年収が国家予算の3%弱?
ちなみにアフガニスタンの国家予算のコア予算(同国政府の国庫を通る資金の流れ。援助均等を含まない)は26憶2,543万ドル(約3,413億円。1ドル=130円で換算)。先に日本(埼玉スタジアム)と対戦したカンボジアは世界の最貧国の一つといわれる。20世紀中葉~末期にかけて戦争に巻き込まれ、国内は疲弊した。同国の2015年度総予算は約39億ドル(約5,070億円。同率換算)。
日本代表選手及び代表監督等の年俸はいくらになるかわからないが、ネット情報によると、本田圭佑が約3億円、香川真司が3.4億円、長友佑都が1.7億円、ハリルホジッチ監督が2.7億円・・・年収となると、CM契約料等が加算され、各選手とも倍以上になるらしい。 ざっくり、日本代表選手25選手及びハリルホジッチ監督の一人当たり総年収を3億円と仮定すると、日本チームを構成する選手・監督の年収は78億円程度と推定できる。この額はアフガニスタンのコア予算の2.3%、カンボジアの総国家予算の1.5%程度に当たる。たかだか日本代表のサッカーチームを構成する選手・監督の年収が、対戦相手国の国家予算の1.5%~3%弱に達するという驚愕の事実をどう受け止めたらよいのだろうか。
戦火にある国の代表にリスペクトを―日本のメディアとサポーターの頭の構造は大丈夫?
日本代表は、同組のシンガポールを除いた3チームに比べて、恵まれすぎた環境にある。選手は西欧及び日本という平和な国家でサッカーに専心でき、前出のとおり高い報酬を受け、なに不自由のない生活をしている。そんな日本代表が、アジアの戦乱に明け暮れている(た)国の代表と試合をして、辛勝だ、圧勝だ、と騒いでいる。そんなマスメディア、代表サポーターの頭の構造を心配してしまう。
日本代表選手がカンボジア、アフガニスタンと対戦して、その結果について不調、復調を論ずるのは愚かな批評的姿勢だ。香川、本田、岡崎らの攻撃陣がよい得点をしたとか、守備陣が完封したとか判断すべきでない。勝利して当たり前の相手。得点して当たり前の相手。
サッカーは何があるかわからない、といわれるが、戦火にある国、貧困にあえぐ国家代表との試合は、対等な条件下の試合だと考えてはいけない。心と身体に深い傷を負った相手(人間)との戦いだと心得るべきだ。日本代表はどのように試合をしたらいいのか。それこそ、粛々とサッカーをすればいい。勝って奢らず、勝った相手国の国情に心を寄せ、そんな中でチームをつくり、スタジアムに現れた相手を心底リスペクトすればよい。
シリア戦の結果を日本のメディアはどのように伝えるつもりか
アフガニスタン戦では、得点した日本選手が派手なガッツポーズをしなかったことはせめてもの救いであった。しかるに今朝、日本の新聞やテレビの報道を眺めてみると、日本代表の復活だとか復調だとか、圧勝とやらの試合結果が“ど派手”に伝えられるばかり。日本のスポーツメディアをこれほど、愚かだと感じた日はない。日本のスポーツメディアは狂っている。国家がいままさに溶解しつつあるシリアとの試合結果を、彼らはどう受け止め、どう報道するつもりだろうか。
2015年9月4日金曜日
2015年9月2日水曜日
当事者、武藤、永井、佐野は速やかに盗作を認めベルギー側に謝罪を
東京五輪大会組織委員会(会長・森喜朗元首相)は1日、五輪公式エンブレムの使用を中止し、今後新たなデザインを公募して制定し直すと発表した。エンブレムは7月24日に発表されたが、デザインがベルギーの劇場のロゴと似ているなどとして訴訟が起こされているほか、作者が手がけたこれまでの仕事に「引き写し」「模倣」があるとの指摘が相次ぎ、組織委は「このままでは国民の理解が得られない」(武藤敏郎事務総長)と判断したという。
武藤事務総長は、「一般(素人のおろかな)国民が騒ぐから使用中止」と説明
組織委員会の会見をTV中継で見ていて驚いた。組織委員会の武藤敏郎事務総長は、▽佐野に盗作はなかった、▽デザインのプロの世界では、佐野の作品は盗作ではなくじゅうぶん容認される、ただし、▽一般国民の支持が得られない(バカな国民が大騒ぎする)から、▽佐野の要請を受けて使用を中止した――といい抜けたのだ。
会見に集まったマスメディア業界の住人達は、武藤の傲慢な説明に怒らず、はいそうですかと聞き流した。武藤も武藤だが、メディアもメディアである。五輪で潤うマスメディア業界、彼らには組織委員会を本気で批判することはできない。考えてみれば、このたびの盗作追及はマスメディアではなく、ネットユーザーの手によるものだった。もはや、この日本国においては、正義はネットにしか存在し得ない。
佐野の盗作は、数々の状況証拠から明らか
盗作問題の経緯は省略する。はっきりしているのは、使用中止を加速させたのが、公式エンブレム審査委員代表・永井一正による審査過程の公表からだったこと。それによると、コンペの審査結果では、佐野の原案が一席に入ったものの商標権登録調査の結果、類似のものがあるため登録できなかったらしい。そこで、審査委員会(=組織委員会事務局)が原案に修正を加え、修正された作品を一席にしたらしい。
ところが、原案を公表したとたん、これまた、2013年に東京で開かれた『ヤン・チョヒルト展』のポスターに似ている、との指摘があった。加えて、佐野が作成したエンブレムの展開例のパネルが明らかに盗作であることが発覚した。つまるところ、五輪エンブレムに係る佐野のデザインのどこにも、オリジナル性が認められないというわけだ。
武藤はデザイン業界の伏魔殿(審査委員会)にエンブレム審査を丸投げ
組織委員会事務総長の武藤は役所という特殊な環境で純粋培養された人間。だから、デザイン業界のことはわからない。そこで、エンブレムの決定については、五輪公式エンブレム審査委員会に丸投げしたようだ。しかし武藤が丸投げした先は、デザイン界の伏魔殿のような閉鎖的利権集団。そこで「佐野でいきましょう」という合意がなされ、今回の盗作問題の発端をなした。
永井の詭弁「コンセプト論」を丸呑みした武藤
審査委員代表の永井一正は、佐野の盗作疑惑を一貫して否定し、佐野を擁護してきた。永井の佐野擁護のロジックは、「コンセプトが違えば、表現が似ていても容認される」というもの。実は、1日の会見でも武藤はたびたび、この永井の詭弁論理を繰り返し引用していた。永井の詭弁論理を組織委員会事務局、すなわち、事務総長である武藤が信じ込んでしまったことが、今回の混乱の発端である。永井は、デザインの世界では無意識に同じようなデザインが出てくることがあり、それを否定してしまえば人材は育たないという意味で、この論理を振り回している。
武藤もそれを信じ込んだのだが、無意識による一致が許されるのはデザイン学校等のデザイン学習の場まで。デザインを学ぶ学生が無意識で起こした作品が、先人の有名な作品と類似した結果になったとしよう。デザイン科の教授等、デザインを教える側は、その結果において学生を責めることはない。むしろ誉めることもある。ただし、その作品は学生の作品として永久にとどめられ、コンクールやコンペに出展することは憚れる。
このことは何度も書くが、デザインを含めた表現行為においては、オリジナルこそが保護される。偶然、似てしまった作品は、先人の作品の存在を認めた時点で反故にされる。あたりまえではないか。
表現の世界において、先人の作品をリスペクトするという原則が貫かれれば、著作権は何の問題もなく保護される。一方の商標権には商標登録という制度があり、登録された作品は万人に開示されるから、著作権よりはわかりやすい。著作権には登録制度がない。だから佐野のように、先人の作品をコピペする輩が跋扈する。悪意ある作品の類似である。これを盗作と言う。武藤をトップとする東京五輪組織委員会事務局は、商標権さえクリアすれば問題は起こらないと早合点したのではないか。
このたびの五輪公式エンブレム作品は、デザイン科の学生の作品とは全く異なる世界に属している。公式エンブレムを使用するには、スポンサーが組織委員会に尋常でない金銭を納める。自分の作品を盗まれた側にとって、盗作を媒介にして数億円が取引される現実は容認し難い。
今回のトラブルは、プロフェッショナルな世界に、アマチュアの世界でしか通用しない永井の詭弁論理を適合させようとした、組織委員会事務局(=武藤事務総長)に責任がある。
佐野の恨み辛みは自業自得
佐野は今回の件で書面によるコメントを提出し、会見には現れなかった。「STAP細胞」問題の小保方も「STAP細胞はありまーす」と絶叫した会見を一度開いたきり、雲隠れした。佐野も小保方も、逃亡を旨とする点で同類のようだ。
さて、佐野の置かれた状況は、テレビの刑事番組によくある、状況証拠は揃っているが容疑者本人は犯行を否認しています――といったところか。前出のベルギーのデザイナーが、エンブレムデザインの使用中止が決まっても、提訴は取下げないと発言しているようなので、盗作か否かはベルギーの法廷で決着することになる。たいへん結構なことだ。ベルギーで有罪ならば、その証拠は日本でもアメリカでも、世界中どこでも認定されるらしいので、佐野の盗作疑惑はそこで決着がつく。
悲しいのは佐野のコメントである。そこには、マスメディア、ネットへの恨み辛みであふれていたが、係る事態は、そもそも疑惑発覚後、会見を開かず雲隠れした佐野自らが引き起こしたもの。佐野に適正な広報(代理人)がついていたならば避けられた。
尋常でないのが、佐野の自分が被害者であることを強調する文面。佐野がメディアやネットの追及を受けるのは、論理的な説明がなされないことに人々が苛立っているから。「盗作は絶対にしていない」といいながら、次々と佐野の盗作作品が明るみに出る。そのことを佐野はメディアやネットの問題だという。追及を終わらせるのは、追求から逃れ背を向けるのではなく、追及に真正面から対峙し、まじめに答えることだった。
武藤、永井、佐野の三者は速やかに盗作を認めベルギー側に謝罪を
佐野の盗作が法廷で認められるのは、佐野がベルギーのデザインを認知していたうえで、それを盗用した具体的証拠が示されることだという。たとえば、ベルギーサイドが、ベルギーの劇場のロゴが描かれた佐野のデザインブック等を証拠として提出することなどが考えられる。しかし、佐野が盗作を否定している現状では、事実上不可能だ。佐野の盗作の立証はできないのだから、ベルギーサイドは敗訴する――だれが考えても勝てない裁判をなぜ、ベルギー側は起こすのか――となろう。
ところがどっこい、である、佐野がたびたびにわたって盗作を繰り返していた事実があり、そのうえで佐野が劇場のデザインを知る立場にあったことが立証されれば、裁判所が佐野を「クロと判断する」可能性があるという。この2つは簡単に立証できる。前者については、有り余るほどの事例がある。後者については、佐野が、画像SNSであるピンタレスト等のネット画像をしばしば検索していたことは知られている。つまり、佐野には、ベルギーの裁判所でデザイン盗用の判決が下りる可能性が十二分にあるということだ。換言すれば、ベルギー側にとっては、勝つ見込みのない裁判ではなく、勝てる可能性が十二分にある裁判闘争というわけだ。
日本の五輪組織委員会は責任問題をうやむやにしようと図っているが、世界を舞台にすると日本的幕引きは通用しないのかもしれない。
筆者は、裁判の結果が判明する前に、武藤敏郎事務総長、永井一正五輪公式エンブレム審査委員代表、そして佐野研一郎の三者が、盗作を認めベルギー側に謝罪することが望ましいと考える。
武藤事務総長は、「一般(素人のおろかな)国民が騒ぐから使用中止」と説明
組織委員会の会見をTV中継で見ていて驚いた。組織委員会の武藤敏郎事務総長は、▽佐野に盗作はなかった、▽デザインのプロの世界では、佐野の作品は盗作ではなくじゅうぶん容認される、ただし、▽一般国民の支持が得られない(バカな国民が大騒ぎする)から、▽佐野の要請を受けて使用を中止した――といい抜けたのだ。
会見に集まったマスメディア業界の住人達は、武藤の傲慢な説明に怒らず、はいそうですかと聞き流した。武藤も武藤だが、メディアもメディアである。五輪で潤うマスメディア業界、彼らには組織委員会を本気で批判することはできない。考えてみれば、このたびの盗作追及はマスメディアではなく、ネットユーザーの手によるものだった。もはや、この日本国においては、正義はネットにしか存在し得ない。
佐野の盗作は、数々の状況証拠から明らか
盗作問題の経緯は省略する。はっきりしているのは、使用中止を加速させたのが、公式エンブレム審査委員代表・永井一正による審査過程の公表からだったこと。それによると、コンペの審査結果では、佐野の原案が一席に入ったものの商標権登録調査の結果、類似のものがあるため登録できなかったらしい。そこで、審査委員会(=組織委員会事務局)が原案に修正を加え、修正された作品を一席にしたらしい。
ところが、原案を公表したとたん、これまた、2013年に東京で開かれた『ヤン・チョヒルト展』のポスターに似ている、との指摘があった。加えて、佐野が作成したエンブレムの展開例のパネルが明らかに盗作であることが発覚した。つまるところ、五輪エンブレムに係る佐野のデザインのどこにも、オリジナル性が認められないというわけだ。
武藤はデザイン業界の伏魔殿(審査委員会)にエンブレム審査を丸投げ
組織委員会事務総長の武藤は役所という特殊な環境で純粋培養された人間。だから、デザイン業界のことはわからない。そこで、エンブレムの決定については、五輪公式エンブレム審査委員会に丸投げしたようだ。しかし武藤が丸投げした先は、デザイン界の伏魔殿のような閉鎖的利権集団。そこで「佐野でいきましょう」という合意がなされ、今回の盗作問題の発端をなした。
審査委員会はデザイン業界の伏魔殿 |
永井の詭弁「コンセプト論」を丸呑みした武藤
審査委員代表の永井一正は、佐野の盗作疑惑を一貫して否定し、佐野を擁護してきた。永井の佐野擁護のロジックは、「コンセプトが違えば、表現が似ていても容認される」というもの。実は、1日の会見でも武藤はたびたび、この永井の詭弁論理を繰り返し引用していた。永井の詭弁論理を組織委員会事務局、すなわち、事務総長である武藤が信じ込んでしまったことが、今回の混乱の発端である。永井は、デザインの世界では無意識に同じようなデザインが出てくることがあり、それを否定してしまえば人材は育たないという意味で、この論理を振り回している。
武藤もそれを信じ込んだのだが、無意識による一致が許されるのはデザイン学校等のデザイン学習の場まで。デザインを学ぶ学生が無意識で起こした作品が、先人の有名な作品と類似した結果になったとしよう。デザイン科の教授等、デザインを教える側は、その結果において学生を責めることはない。むしろ誉めることもある。ただし、その作品は学生の作品として永久にとどめられ、コンクールやコンペに出展することは憚れる。
このことは何度も書くが、デザインを含めた表現行為においては、オリジナルこそが保護される。偶然、似てしまった作品は、先人の作品の存在を認めた時点で反故にされる。あたりまえではないか。
表現の世界において、先人の作品をリスペクトするという原則が貫かれれば、著作権は何の問題もなく保護される。一方の商標権には商標登録という制度があり、登録された作品は万人に開示されるから、著作権よりはわかりやすい。著作権には登録制度がない。だから佐野のように、先人の作品をコピペする輩が跋扈する。悪意ある作品の類似である。これを盗作と言う。武藤をトップとする東京五輪組織委員会事務局は、商標権さえクリアすれば問題は起こらないと早合点したのではないか。
このたびの五輪公式エンブレム作品は、デザイン科の学生の作品とは全く異なる世界に属している。公式エンブレムを使用するには、スポンサーが組織委員会に尋常でない金銭を納める。自分の作品を盗まれた側にとって、盗作を媒介にして数億円が取引される現実は容認し難い。
今回のトラブルは、プロフェッショナルな世界に、アマチュアの世界でしか通用しない永井の詭弁論理を適合させようとした、組織委員会事務局(=武藤事務総長)に責任がある。
佐野の恨み辛みは自業自得
佐野は今回の件で書面によるコメントを提出し、会見には現れなかった。「STAP細胞」問題の小保方も「STAP細胞はありまーす」と絶叫した会見を一度開いたきり、雲隠れした。佐野も小保方も、逃亡を旨とする点で同類のようだ。
さて、佐野の置かれた状況は、テレビの刑事番組によくある、状況証拠は揃っているが容疑者本人は犯行を否認しています――といったところか。前出のベルギーのデザイナーが、エンブレムデザインの使用中止が決まっても、提訴は取下げないと発言しているようなので、盗作か否かはベルギーの法廷で決着することになる。たいへん結構なことだ。ベルギーで有罪ならば、その証拠は日本でもアメリカでも、世界中どこでも認定されるらしいので、佐野の盗作疑惑はそこで決着がつく。
悲しいのは佐野のコメントである。そこには、マスメディア、ネットへの恨み辛みであふれていたが、係る事態は、そもそも疑惑発覚後、会見を開かず雲隠れした佐野自らが引き起こしたもの。佐野に適正な広報(代理人)がついていたならば避けられた。
尋常でないのが、佐野の自分が被害者であることを強調する文面。佐野がメディアやネットの追及を受けるのは、論理的な説明がなされないことに人々が苛立っているから。「盗作は絶対にしていない」といいながら、次々と佐野の盗作作品が明るみに出る。そのことを佐野はメディアやネットの問題だという。追及を終わらせるのは、追求から逃れ背を向けるのではなく、追及に真正面から対峙し、まじめに答えることだった。
武藤、永井、佐野の三者は速やかに盗作を認めベルギー側に謝罪を
佐野の盗作が法廷で認められるのは、佐野がベルギーのデザインを認知していたうえで、それを盗用した具体的証拠が示されることだという。たとえば、ベルギーサイドが、ベルギーの劇場のロゴが描かれた佐野のデザインブック等を証拠として提出することなどが考えられる。しかし、佐野が盗作を否定している現状では、事実上不可能だ。佐野の盗作の立証はできないのだから、ベルギーサイドは敗訴する――だれが考えても勝てない裁判をなぜ、ベルギー側は起こすのか――となろう。
ところがどっこい、である、佐野がたびたびにわたって盗作を繰り返していた事実があり、そのうえで佐野が劇場のデザインを知る立場にあったことが立証されれば、裁判所が佐野を「クロと判断する」可能性があるという。この2つは簡単に立証できる。前者については、有り余るほどの事例がある。後者については、佐野が、画像SNSであるピンタレスト等のネット画像をしばしば検索していたことは知られている。つまり、佐野には、ベルギーの裁判所でデザイン盗用の判決が下りる可能性が十二分にあるということだ。換言すれば、ベルギー側にとっては、勝つ見込みのない裁判ではなく、勝てる可能性が十二分にある裁判闘争というわけだ。
日本の五輪組織委員会は責任問題をうやむやにしようと図っているが、世界を舞台にすると日本的幕引きは通用しないのかもしれない。
筆者は、裁判の結果が判明する前に、武藤敏郎事務総長、永井一正五輪公式エンブレム審査委員代表、そして佐野研一郎の三者が、盗作を認めベルギー側に謝罪することが望ましいと考える。
『戦後史の正体 1945-2012』
●孫崎亨〔著〕 ●創元社 ●1500円+税
誠に示唆多き書である。著者(孫崎亨)及び矢部宏治(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』等の著者)らの仕事はもっと評価されるべきであり、彼らの立論について、活発に議論されるべきだと思う。しかるに、彼らの仕事がマスメディア及び歴史学会等から遠ざけられるのは、彼らの立論のなかにこそ、わが国の戦後史の真実が隠されているからだと考えた方がいい。そのことは本書を一読すれば、万人が納得するところだろう。
また、日本国憲法を無視し、国民の反対を顧みず、なぜ安部内閣が安保法制(集団的自衛権の行使容認等)を強硬に推し進めようとするのか、その解は本書にあるようにも思われる。この状況のいま(2015.09)こそ、一読の機会だと思い本書を取り上げた次第である。
わが国の戦後史は米国に対する「自主路線」と「追随路線」のせめぎあい
本書の主意は、著者(孫崎亨)の以下の言説に尽くされている――“この本では、米国に対する「自主路線」と「追随路線」のせめぎあいという観点から、日本の戦後史をふり返っています”(P182)。
さて、この書きぶりに違和を覚える人は少なくないかもしれない。日本はサンフランシスコ講和条約締結により米国の占領支配から独立し、平和憲法の下、民主的選挙で選ばれた多数議員を擁する政党が政権を担当してきた。米国との協調はあっても、国民の選択の結果として、米国との関係を築いてきたではないか――と。
確かに日本の指導者である総理大臣は、選挙で多数を占めた政党の党首であり、対米関係といえども、日本国民の選択(投票)の結果のように思える。しかし、その総理大臣及び日本外交のキーマンが、米国の対日政策の都合により首をすげかえられていたとしたら、どうなのだろうか。本書は日本の戦後史の総理大臣等の交代に無視できない規則性があることを明らかにする。その規則性とは何かといえば、前出の「自主路線」と「追随路線」に対応する関係性にほかならない。
著者(孫崎亨)は本書終章(「おわりに」P367-368)において、戦後の日本の首相等について、次のような分類を示している。
(1)自主派(積極的に現状を変えようとし米国に働きかけた人たち)
自主派、一部抵抗派の政治家は「政治とカネ」で東京地検特捜部の手で葬られる
この分類から多くの人が気付くことは、自主派及び一部抵抗派の政治家の失脚理由が「政治とカネ」にまつわるスキャンダルで失脚するという規則性であろう。彼らは東京地検特捜部の追及を受け、起訴、不起訴、有罪、無罪の違いはあるが、結果的には政治生命を失っている。
なお、芦田は裁判で無罪、小沢は検察不起訴、強制起訴後、裁判で無罪だった。これらのスキャンダルに共通するのは、検察がマスメディアにリークし大騒ぎになり、政治家が世論に追い詰められた形で政治生命を絶たれるケースだ。またその逆のケースとしは田中角栄の場合で、雑誌がスキャンダルを報じてから検察が動き、起訴・有罪にもっていかれている。
東京地検特捜部のルーツはGHQの下僕、「隠匿蔵物資事件捜査部」
その検察であるが、本書によると、“検察は米国と密接な関係を持っていて、とりわけ特捜部はGHQの管理下でスタートした「隠匿蔵物資事件捜査部」を前身とし…その任務は、敗戦直後に旧日本軍関係者が隠した「お宝」をGHQに差しだすことだった”(P80)という。なんのことはない、検察特捜部とは、敗者(日本軍)を裏切り、戦勝国(米国)に忠誠を誓って戦勝国の言いなりに忠実に仕事をこなしてきた、進駐軍の下僕だった。
東京地検特捜部と米国との深い繋がり
東京地検特捜部と米国とのつながりを示す事例として、本書は(検察の)布施健という人物を紹介している。
地検特捜部に同調するマスメディアの動き
検察特捜部とシンクロして、自主路線派政治家の失脚に手を貸してきたのがマスメディア。敗戦直後は新聞、近年はテレビの影響が大きいが、メディア・パートナー・シップ制度が堅持されている日本では、メディア総体の大本である新聞社を見ておけば事足りる。
(1)芦田首相失脚の火をつけた読売・朝日
そればかりではない。本書では、日本の原発について、1950年代、被爆国日本の原子力発電所建設推進を図ったのは米国の意向を反映したもので、その推進役の一人が読売新聞社主である正力松太郎であったこと、及び、正力の懐刀として尽力したのが、柴田秀利という読売新聞のGHQ担当記者であったこと――を明らかにしている。正力は戦後、CIAのコードネームをもち、米国のために働き続けた人物であることが近年明らかになっている。また、著者(孫崎亨)は、柴田及び彼の不審死について次のように書いている。
60年安保闘争における新聞の不可解な変節
1960年、日本の世論を二分した「安保反対運動」が起こった。そのときの大新聞の不審な動きについて、著者(孫崎亨)がユニークな指摘をしている。60年安保条約改定の是非及び反対運動を担った日本の左翼陣営の動向等についてはここでは触れない。当時、安保条約改定に反対する運動として、100万人を超える国民がデモに参加し世の中は騒然としたが、条約は自動延長され、岸政権は崩壊した――という事実が残っている。さて、その裏側は?
(1)岸信介は自主路線派だった?
その前に、やや横道にそれるようだが、本書では岸信介について、かなり複雑な分析を試みている。著者(孫崎亨)の「岸信介論」を簡単にみておこう。
岸信介はいま現在の日本の首相、安倍晋三の祖父。安部の言動は、当然祖父・岸と比較されることが多い。岸の一般的評価といえば、戦前は満洲国で暗躍、開戦時の大臣であり戦時中の物資動員の責任者、戦後(1945年5月)、A級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨プリズンに拘置・・・拘置所内で極刑を覚悟していた岸だったが、冷戦の激化とともに公職復帰し、CIAから多額の資金援助を受け日本の政界に復帰を果たす。「政界の妖怪」ともいわれ、その波乱万丈の人生とともに謎の多い人物である――といったところか。
岸は前出のとおり米国(CIA)の支援を受けて首相の座に上り詰める。1957年に渡米し、当時米国大統領だったアイゼンハウアーの信任を受け、同年、安保条約の改定に取り組む。岸は同条約の改定、在日米軍の大幅撤退と併せて、不平等条約ともいえる日米行政協定(今日、日米地位協定として存続)を二段階に分けて改定を試みる「二段階論」の方針を明らかにした。ところが、である。
(2)安保反対→「岸打倒」→「暴力を排し、議会主義を守れ」(7社共同宣言)
安保闘争をめぐるマスメディアの動きは、先述した米国従属派の流れとぴったりシンクロする。新聞のとった基本的立場(社説)は、闘争が盛り上がるにつれ、安保条約反対の立場を後退させ、デモに対して批判的立場を貫くようになる。と同時に岸内閣退陣を求めるようになっていく。そして安保闘争のピークである6月17日に、きわめて異例な「7社共同宣言」が出される。この宣言は東京に本拠をもつ新聞7紙(朝日、読売、毎日、産経、東京、東京タイムズ、日本経済)が、「暴力を排し議会主義を守れ」という表題のもと、急進的学生運動、市民運動を批判する内容であった。当時、大新聞に対する幻想はいまよりずっと強く、新聞は市民の見方だという認識が強かった。その新聞がデモを批判したのだから、反安保の運動は沈静化に向かわざるを得なかった。「7社共同宣言」について著者(孫崎亨)は次のように書いている。
米国の対日政策は、米国の国益に資することで不変
では米国の対日政策とは何なのかということになる。その具体的内容は時代時代で変わっているものの、一貫しているのは、“米国の国益に資する”という一語で完結できる。米国の日本に対する姿勢とは、米国の国益にかなうよう日本をコントロールするということ以外はない。その詳細は本書に詳しいが、大雑把に整理しておこう。
太平洋戦争に勝った米国が最初に取った日本政策は、無条件降伏した日本の完全なる武装解除であり、以降の占領軍(アメリカ人)の安全確保だった。この目的は、天皇による日本国民に対する「戦争終結宣言(8.15「玉音放送」)」をもって、ほぼ完璧に全うされた。日本の無条件降伏以降、今日に至るまで、日本国民による米軍に対する武装反乱、ゲリラ戦等は確認されていない。
次のステップ(1945-1947)は、戦争犯罪人の処罰、日本の生産拠点の破壊、反軍国主義及び民主主義の移入であり、それを象徴するのが、第9条を挿入した日本国憲法の強要である。米国は、日本が米国に対抗する勢力になることをけして望んでいない。日本の軍事及び経済等の分野において、米国の脅威になるような日本の「自主性」を米国は一貫して望んでいない。そのことが、戦後から今日まで継続する、米国の日本に対する基本スタンスだ。
しかし、冷戦の激化(1947-)から、米国は日本を共産主義の脅威に対する防波堤として位置付ける。戦争犯罪者の公職復帰、日本の再軍備化、米軍による日本国内基地(沖縄、本土を問わず)の永年使用がこの時期に定められ、今日まで継続している。米軍(米兵及びその家族)は日米行政協定(後に地位協定に改名)により、治外法権化されている。
1950年には、原子力の平和利用が前出の正力松太郎及び中曽根康弘によって推進される。原発の受け入れも、原発開発者であり輸出国である米国の国益だとみなしていい。
日本国内における米軍駐留の永年化と関連するのが、米国(から見た西太平洋)の安全保障の基本的認識だ。冷戦期、日本は共産主義(ソ連、中国、北朝鮮)の脅威に対する防波堤であったが、冷戦終結後は、「対中国」「対テロとの戦い」へと目的が変わってきた。しかし、日本に米軍が常駐し、国内の基地を米軍が米国の目的のために自由に使用している状況は冷戦期となんら変わらない。近年、米国は中国と緊密な外交関係を築いているが、米国にとって脅威なのは、日本が米国の意図に反して中国と必要以上に接近することだ。つまりアメリカにとっての西太平洋で中・日が連合して米国に対抗する勢力となることを米国はもっとも恐れている。
米国の国益確保のため、日本における基地問題、原発問題、対中国問題において米国の意に反する政治姿勢を示した日本の政治家は、米国の意を受けた日本の検察及びマスメディアによって、葬られる。加えて、経済分野では、日本による、「米国債売却」についても、米国は神経をとがらせている。
安保法制と米国
今日(2015)、日本人の最重要課題の一つが安保法制問題であり、関連する基地問題(普天間基地辺野古移転問題)、加えて、原発問題であり、それらに対する反対運動が日本各所で展開されている。
一般には、安保法制を仕掛けた張本人は安倍晋三だと思われているが、筆者は、それが安倍晋三の政治信条の帰結だとは考えない。安倍晋三にとって、同法案の内容は、不満の残るものだと推測する。安保法制は米国の要請に安倍晋三がやむなく応じたものであろう。もし、安倍がそれに応じなければ、安倍晋三は首相でいられない。
安倍晋三の理想とする「日本国」の姿とは、アジア太平洋戦争敗戦前の「日本帝国」だろう。彼の理想は、敗戦後、日本がやむなく受容した平和憲法を廃棄し自主憲法を制定すること、そして、米軍の指揮のもとにある自衛隊ではなく、「安部の軍隊」として、安部が自由に使える軍隊の創設を夢想しているに違いない。しかし、米国(軍)は自主性ある日本(軍)の存在を望まない。
これまで米国は、日本国内に米軍基地を永年存続させ、費用負担を日本に求めることで満足していた。それは日本の軍事的突出を警戒するところから、やや片務的関係をよしとしていたからだろう。だがここにきて、米国が軍事おける人的、財政的負担に耐え切れなくなり、片務的関係の清算に乗り出したということだ。それが、9条を変えない集団的自衛権の行使容認という、超法規的安保法案にほかならない。それは、まともな憲法学者が「イエス」と容認できるような内容ではない。
米国の対日工作構造
本書は、戦後の米国による対日工作の実態について、政治家、外交官と少数のジャーナリストをクローズアアップしたものだ。もちろん、それ以外の分野――行政、司法、学界、法曹界、メディア業界、文化・芸術・サブカルチャー等――においても対日工作があった(ある)と想像するに難くない。むしろ、日本の権力機構の各所に米国の意向を組むシステムがビルトインされていると考えた方が自然だ。
そのような前提に立った時、今日の安部に対する個人攻撃、及び、安部批判は危うい側面がある。安部が極右的自主性という本領を発揮すれば、米国により、総理大臣の座から引きずり降ろされる。安部もまた、ぎりぎりのところに位置しているのである。
〔注〕
参謀第2部(G2)
GHQの情報(インテリジェンス)担当部局。三鷹事件や下山事件など、占領中に続発した怪事件に関与したともいわれる。反共姿勢をとる吉田茂を支持、リベラル派の多かった民生局(GS)との路線闘争に勝利した。
民生局(GS)
「非軍事化」と「民主化」を中心とする日本の戦後改革を推進。社会主義的思想の持ち主が多く、統制経済や労働組合の育成などの社会実験を行ったが、冷戦の始まりとともに占領政策においても反共路線が優勢となり、1948年以降、急速に力を失った。
誠に示唆多き書である。著者(孫崎亨)及び矢部宏治(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』等の著者)らの仕事はもっと評価されるべきであり、彼らの立論について、活発に議論されるべきだと思う。しかるに、彼らの仕事がマスメディア及び歴史学会等から遠ざけられるのは、彼らの立論のなかにこそ、わが国の戦後史の真実が隠されているからだと考えた方がいい。そのことは本書を一読すれば、万人が納得するところだろう。
また、日本国憲法を無視し、国民の反対を顧みず、なぜ安部内閣が安保法制(集団的自衛権の行使容認等)を強硬に推し進めようとするのか、その解は本書にあるようにも思われる。この状況のいま(2015.09)こそ、一読の機会だと思い本書を取り上げた次第である。
わが国の戦後史は米国に対する「自主路線」と「追随路線」のせめぎあい
本書の主意は、著者(孫崎亨)の以下の言説に尽くされている――“この本では、米国に対する「自主路線」と「追随路線」のせめぎあいという観点から、日本の戦後史をふり返っています”(P182)。
さて、この書きぶりに違和を覚える人は少なくないかもしれない。日本はサンフランシスコ講和条約締結により米国の占領支配から独立し、平和憲法の下、民主的選挙で選ばれた多数議員を擁する政党が政権を担当してきた。米国との協調はあっても、国民の選択の結果として、米国との関係を築いてきたではないか――と。
確かに日本の指導者である総理大臣は、選挙で多数を占めた政党の党首であり、対米関係といえども、日本国民の選択(投票)の結果のように思える。しかし、その総理大臣及び日本外交のキーマンが、米国の対日政策の都合により首をすげかえられていたとしたら、どうなのだろうか。本書は日本の戦後史の総理大臣等の交代に無視できない規則性があることを明らかにする。その規則性とは何かといえば、前出の「自主路線」と「追随路線」に対応する関係性にほかならない。
著者(孫崎亨)は本書終章(「おわりに」P367-368)において、戦後の日本の首相等について、次のような分類を示している。
(1)自主派(積極的に現状を変えようとし米国に働きかけた人たち)
- 重光葵(降伏直後の軍事植民地政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
- 石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
- 芦田均(外相時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)
- 岸信介(従属色の強い旧安保条約を改定。さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しを行おうと試みる)
- 鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)
- 佐藤栄作(ベトナム戦争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)
- 田中角栄(米国の強い反対を押し切って、日中国交回復を実現)
- 福田赳夫(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒でない外交を展開)
- 宮沢喜一(基本的には対米協調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)
- 細川護熙(「樋口レポート」の作成を指示。「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)
- 鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)
- 吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
- 池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)
- 三木武夫(米国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)
- 中曽根康弘(安全保障面では「日本は不沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台をつくる)
- 小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣、経済では郵政民営化など制度の米国化推進)
- 他、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦
- 鈴木善幸(米国からの防衛費増額要請を拒否。米国との軍事協力は行わないと明言)
- 竹下登(金融面では協力。その一方、安全保障面では米国が世界規模で自衛隊が協力するよう要請してきたことに抵抗)
- 橋本龍太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求。「米国債を大幅に売りたい」発言)
- 福田康夫(アフガンへの陸上自衛隊の大規模派遣要求を拒否。破綻寸前の米金融会社への巨額融資に消極姿勢)
自主派、一部抵抗派の政治家は「政治とカネ」で東京地検特捜部の手で葬られる
この分類から多くの人が気付くことは、自主派及び一部抵抗派の政治家の失脚理由が「政治とカネ」にまつわるスキャンダルで失脚するという規則性であろう。彼らは東京地検特捜部の追及を受け、起訴、不起訴、有罪、無罪の違いはあるが、結果的には政治生命を失っている。
- 在日米軍の「有事駐留」を主張した芦田均首相――「昭和電工事件」
- 米国に先がけて中国との国交を回復した田中角栄首相――「ロッキード事件」
- 自衛隊の軍事協力について米側と路線対立した竹下登首相――「リクルート事件」
- 金融政策などで独自路線、中国に接近した橋本龍太郎首相――「日歯連事件」
- 自主路線を強調した細川護熙首相――「佐川急便事件」
- 鳩山由紀夫首相の時代、在日米軍は第七艦隊だけでよい発言し中国に接近した小沢一郎民主党幹事長――西松建設事件、「陸山会事件」
- 普天間基地移転で県外を主張した鳩山由紀夫首相――実母からの資金提供に係る脱税疑惑等
- 原発再稼働に消極的だった小渕優子経産相――政治資金規正法違反
なお、芦田は裁判で無罪、小沢は検察不起訴、強制起訴後、裁判で無罪だった。これらのスキャンダルに共通するのは、検察がマスメディアにリークし大騒ぎになり、政治家が世論に追い詰められた形で政治生命を絶たれるケースだ。またその逆のケースとしは田中角栄の場合で、雑誌がスキャンダルを報じてから検察が動き、起訴・有罪にもっていかれている。
東京地検特捜部のルーツはGHQの下僕、「隠匿蔵物資事件捜査部」
その検察であるが、本書によると、“検察は米国と密接な関係を持っていて、とりわけ特捜部はGHQの管理下でスタートした「隠匿蔵物資事件捜査部」を前身とし…その任務は、敗戦直後に旧日本軍関係者が隠した「お宝」をGHQに差しだすことだった”(P80)という。なんのことはない、検察特捜部とは、敗者(日本軍)を裏切り、戦勝国(米国)に忠誠を誓って戦勝国の言いなりに忠実に仕事をこなしてきた、進駐軍の下僕だった。
東京地検特捜部と米国との深い繋がり
東京地検特捜部と米国とのつながりを示す事例として、本書は(検察の)布施健という人物を紹介している。
彼(布施健)は戦前、ゾルゲ事件の担当検事として有名でした。私(孫崎亨)はこの事件が1941年9月に発覚し、対米戦争の回避を模索していた近衛内閣が崩壊する一因となった裏には、米国の工作があったと考えています。ゾルゲと親交のあった尾崎秀実は上海でアグネス・スメドレーと親交を結びますが、このスメドレーは1941年に米国国内で、対日戦争の呼びかけを行っていました。
いずれにせよ、G2〔注〕のウィロビーはゾルゲ事件の報告書をまとめて陸軍省に送っていますから、ウィロビーと布施には密接な関係があります。さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆する下山事件(国鉄総裁轢死事件)の主任検事でもあります。そして田中角栄前首相が逮捕されたロッキード事件のときは検事総長でした。ゾルゲ事件といい、下山事件といい、ロッキード事件といい、いずれも闇の世界での米国の関与がささやかれている事件です。そのすべてに布施健は関わっています。
他にも東京地検特捜部のエリートのなかには、米国とのかかわりが深い人物がいます。
ロッキード事件で米国の嘱託尋問を担当した堀田力氏は、在米日本大使館で一等書記官として勤務していました。
また、元民主党代表の小沢一郎氏とその秘書たちを対象にした「小沢事件(当初、西松建設事件、のちに陸山会事件)を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も、在米日本大使館に一等書記官として勤務しています。(P85)
地検特捜部に同調するマスメディアの動き
検察特捜部とシンクロして、自主路線派政治家の失脚に手を貸してきたのがマスメディア。敗戦直後は新聞、近年はテレビの影響が大きいが、メディア・パートナー・シップ制度が堅持されている日本では、メディア総体の大本である新聞社を見ておけば事足りる。
(1)芦田首相失脚の火をつけた読売・朝日
1948年2月、退陣を表明した片山首相は、後継に芦田を指名しました。しかしそれを吉田派が「政権のたらいまわしだ」と非難し、歩調をあわせるように読売新聞、朝日新聞が芦田首相の誕生に激しく反対します。(略)・・・こうした波乱のなか、1948年3月10日に成立した芦田内閣は、わずか3カ月後に大スキャンダルにまきこまれます。昭和電工事件です。(略)実はこの事件には、GHQが深く関与していました。ウィロビーは次のように書いています。「これ〔昭電事件〕を摘発したのは、主として他ならぬG2であった。被告日野原の陳述によれば、金品の贈賄は日本の政界ばかりでなく、占領軍にも及んでおり、GS(民生局)〔注〕が主な対象だった」(『知られざる日本占領』)(2)原発推進に暗躍した読売新聞(正力松太郎社主、柴田秀利GHQ担当記者)
民生局(GS)と参謀第2部(G2)は対立していました。これはマッカーサー自身が認めています。G2のウィロビーと吉田茂がきわめて近いことはすでにみてきたとおりです。
昭電事件とは、「G2(参謀第2部)-吉田茂―読売新聞・朝日新聞」対「GS(民生局)-芦田均-リベラル勢力」という戦いだったのです。(P77-78)
そればかりではない。本書では、日本の原発について、1950年代、被爆国日本の原子力発電所建設推進を図ったのは米国の意向を反映したもので、その推進役の一人が読売新聞社主である正力松太郎であったこと、及び、正力の懐刀として尽力したのが、柴田秀利という読売新聞のGHQ担当記者であったこと――を明らかにしている。正力は戦後、CIAのコードネームをもち、米国のために働き続けた人物であることが近年明らかになっている。また、著者(孫崎亨)は、柴田及び彼の不審死について次のように書いている。
柴田氏は、1985年11月、自叙伝を出版しました。占領下から約40年間、米国との密接な関係を活かして、日本の政財界とさまざまな交流をもった人物でした。彼は自叙伝出版の翌年、10月にゴルフに招待されているといって米国に出かけ、11月にフロリダでゴルフ中に死んでいます。(P177)
60年安保闘争における新聞の不可解な変節
1960年、日本の世論を二分した「安保反対運動」が起こった。そのときの大新聞の不審な動きについて、著者(孫崎亨)がユニークな指摘をしている。60年安保条約改定の是非及び反対運動を担った日本の左翼陣営の動向等についてはここでは触れない。当時、安保条約改定に反対する運動として、100万人を超える国民がデモに参加し世の中は騒然としたが、条約は自動延長され、岸政権は崩壊した――という事実が残っている。さて、その裏側は?
(1)岸信介は自主路線派だった?
その前に、やや横道にそれるようだが、本書では岸信介について、かなり複雑な分析を試みている。著者(孫崎亨)の「岸信介論」を簡単にみておこう。
岸信介はいま現在の日本の首相、安倍晋三の祖父。安部の言動は、当然祖父・岸と比較されることが多い。岸の一般的評価といえば、戦前は満洲国で暗躍、開戦時の大臣であり戦時中の物資動員の責任者、戦後(1945年5月)、A級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨プリズンに拘置・・・拘置所内で極刑を覚悟していた岸だったが、冷戦の激化とともに公職復帰し、CIAから多額の資金援助を受け日本の政界に復帰を果たす。「政界の妖怪」ともいわれ、その波乱万丈の人生とともに謎の多い人物である――といったところか。
岸は前出のとおり米国(CIA)の支援を受けて首相の座に上り詰める。1957年に渡米し、当時米国大統領だったアイゼンハウアーの信任を受け、同年、安保条約の改定に取り組む。岸は同条約の改定、在日米軍の大幅撤退と併せて、不平等条約ともいえる日米行政協定(今日、日米地位協定として存続)を二段階に分けて改定を試みる「二段階論」の方針を明らかにした。ところが、である。
…池田勇人(国務大臣、副首相級)、河野一郎(総務会長)、三木武夫(経済企画庁長官)という実力者たちが、そろって「同時大幅改訂」を主張したのでした。「同時大幅改訂」は、現実問題としては実現不可能な話でした。その一方、反安保闘争は学生運動を中心に国民的運動に発展する。6月15日には女子学生が警官隊との衝突で死亡する事件が起きた。その学生運動に資金援助をしたのが財界であり、CIAだったともいう。“岸政権つぶし”と“学生運動の激化”の関係について、著者(孫崎亨)は以下のように推論する。
では、なぜ池田勇人、河野一郎、三木武夫は「同時大幅改訂」を主張したのでしょうか。池田勇人は岸首相のあと、首相になっています。その後、彼は行政協定(新安保条約の締結以後は「地位協定」)を改定する動きをしたでしょうか。まったくしていません。したがって池田勇人が「同時大幅改訂」をのべたのは、難題をふっかけ、岸政権つぶしを意図していたからだと見ることができます。(P198)
ということだと思います。(P206)
- 岸首相の自主独立路線に危惧を持った米軍及びCIA関係者が、工作を行って岸政権を倒そうとした
- ところが岸の党内基盤および官界の掌握力は強く、政権内部から切り崩すという通常の手段が通じなかった
- そこで経済同友会などから資金提供をして、独裁国に対してよくもちいられる反政府デモの手法を使うことになった
- ところが6月15日のデモで女子東大生が死亡し、安保闘争が爆発的に盛り上がったため、岸首相の退陣の見通しが立ったこともあり、翌16日からデモを抑えこむ方向で動いた
(2)安保反対→「岸打倒」→「暴力を排し、議会主義を守れ」(7社共同宣言)
安保闘争をめぐるマスメディアの動きは、先述した米国従属派の流れとぴったりシンクロする。新聞のとった基本的立場(社説)は、闘争が盛り上がるにつれ、安保条約反対の立場を後退させ、デモに対して批判的立場を貫くようになる。と同時に岸内閣退陣を求めるようになっていく。そして安保闘争のピークである6月17日に、きわめて異例な「7社共同宣言」が出される。この宣言は東京に本拠をもつ新聞7紙(朝日、読売、毎日、産経、東京、東京タイムズ、日本経済)が、「暴力を排し議会主義を守れ」という表題のもと、急進的学生運動、市民運動を批判する内容であった。当時、大新聞に対する幻想はいまよりずっと強く、新聞は市民の見方だという認識が強かった。その新聞がデモを批判したのだから、反安保の運動は沈静化に向かわざるを得なかった。「7社共同宣言」について著者(孫崎亨)は次のように書いている。
朝日新聞の論説主幹、笠信太朗がこの宣言を書いた中心人物です。笠信太朗はつぎのような経歴の持ち主です。
①朝日新聞ヨーロッパ特派員としてドイツにわたる。1943年10月スイスへ移動、ベルンに滞在し、その地に滞在していたアメリカの情報機関のOSS(アメリカ戦略情報局、CIAの前身)の欧州総局長だったアレン・ダレス(安保闘争時のCIA長官で、ダレス国務長官の弟)と協力して、対米終戦工作を行う
②戦後は1948年2月に帰国。同年5月論説委員、同年12月東京本社論説主幹
米国が冷戦後、日本を「共産主義に対する防波堤」にしようというときに、東京にもどり、その年から1962年まで14年間、朝日新聞の論説主幹をつとめています。帰国当時は占領下で検閲もあります。米国との関係が密接でなければ、こうしたポストにはつけません。事実、CIA長官アレン・ダレスの伝記を書いた有馬哲夫・早稲田大学教授は、①のベルンで展開された対米終戦工作で日本人とアレン・ダレスのあいだで築かれたチャネルは、「のちにアレンがCIA副長官、次いで長官になったときに大きな役割をはたした」と書いています。(『アレン・ダレス』講談社)ここまでくれば、マスメディア(大新聞)の正体は明らかであり、彼らが米国の対日工作の主要な手段(世論誘導、政治家失脚)であることにだれも異論はないだろう。朝日も読売も変わりがないのである。
シャラーの『日米関係とは何だったのか』も見てみましょう。
「マッカーサー駐日大使は日本の新聞の主筆たちに対し、大統領の訪日に対する妨害は共産主義にとっての勝利であると見なすと警告した」
「(CIAは)友好的な、あるいはCIAの支配下にある報道機関に、安保反対者を批判させ、アメリカとの結び付きの重要性を強調させた」
「三大新聞では政治報道陣の異動により、池田や安全保障条約に対する批判が姿を消した。7月4日の毎日新聞は『アメリカの援助が日本経済を支える』という見出しで、『日本の奇跡的な戦後の復興を可能にした巨大なアメリカの援助を忘れない』とのべた」
これを見れば、朝日の笠信太朗など、各新聞の主筆や論説主幹たちが、マッカーサー駐日大使やCIAの意向をうけ、途中から安保反対者を批判する側にまわったと見てよいと思います。(P209-210)
米国の対日政策は、米国の国益に資することで不変
では米国の対日政策とは何なのかということになる。その具体的内容は時代時代で変わっているものの、一貫しているのは、“米国の国益に資する”という一語で完結できる。米国の日本に対する姿勢とは、米国の国益にかなうよう日本をコントロールするということ以外はない。その詳細は本書に詳しいが、大雑把に整理しておこう。
太平洋戦争に勝った米国が最初に取った日本政策は、無条件降伏した日本の完全なる武装解除であり、以降の占領軍(アメリカ人)の安全確保だった。この目的は、天皇による日本国民に対する「戦争終結宣言(8.15「玉音放送」)」をもって、ほぼ完璧に全うされた。日本の無条件降伏以降、今日に至るまで、日本国民による米軍に対する武装反乱、ゲリラ戦等は確認されていない。
次のステップ(1945-1947)は、戦争犯罪人の処罰、日本の生産拠点の破壊、反軍国主義及び民主主義の移入であり、それを象徴するのが、第9条を挿入した日本国憲法の強要である。米国は、日本が米国に対抗する勢力になることをけして望んでいない。日本の軍事及び経済等の分野において、米国の脅威になるような日本の「自主性」を米国は一貫して望んでいない。そのことが、戦後から今日まで継続する、米国の日本に対する基本スタンスだ。
しかし、冷戦の激化(1947-)から、米国は日本を共産主義の脅威に対する防波堤として位置付ける。戦争犯罪者の公職復帰、日本の再軍備化、米軍による日本国内基地(沖縄、本土を問わず)の永年使用がこの時期に定められ、今日まで継続している。米軍(米兵及びその家族)は日米行政協定(後に地位協定に改名)により、治外法権化されている。
1950年には、原子力の平和利用が前出の正力松太郎及び中曽根康弘によって推進される。原発の受け入れも、原発開発者であり輸出国である米国の国益だとみなしていい。
日本国内における米軍駐留の永年化と関連するのが、米国(から見た西太平洋)の安全保障の基本的認識だ。冷戦期、日本は共産主義(ソ連、中国、北朝鮮)の脅威に対する防波堤であったが、冷戦終結後は、「対中国」「対テロとの戦い」へと目的が変わってきた。しかし、日本に米軍が常駐し、国内の基地を米軍が米国の目的のために自由に使用している状況は冷戦期となんら変わらない。近年、米国は中国と緊密な外交関係を築いているが、米国にとって脅威なのは、日本が米国の意図に反して中国と必要以上に接近することだ。つまりアメリカにとっての西太平洋で中・日が連合して米国に対抗する勢力となることを米国はもっとも恐れている。
米国の国益確保のため、日本における基地問題、原発問題、対中国問題において米国の意に反する政治姿勢を示した日本の政治家は、米国の意を受けた日本の検察及びマスメディアによって、葬られる。加えて、経済分野では、日本による、「米国債売却」についても、米国は神経をとがらせている。
安保法制と米国
今日(2015)、日本人の最重要課題の一つが安保法制問題であり、関連する基地問題(普天間基地辺野古移転問題)、加えて、原発問題であり、それらに対する反対運動が日本各所で展開されている。
一般には、安保法制を仕掛けた張本人は安倍晋三だと思われているが、筆者は、それが安倍晋三の政治信条の帰結だとは考えない。安倍晋三にとって、同法案の内容は、不満の残るものだと推測する。安保法制は米国の要請に安倍晋三がやむなく応じたものであろう。もし、安倍がそれに応じなければ、安倍晋三は首相でいられない。
安倍晋三の理想とする「日本国」の姿とは、アジア太平洋戦争敗戦前の「日本帝国」だろう。彼の理想は、敗戦後、日本がやむなく受容した平和憲法を廃棄し自主憲法を制定すること、そして、米軍の指揮のもとにある自衛隊ではなく、「安部の軍隊」として、安部が自由に使える軍隊の創設を夢想しているに違いない。しかし、米国(軍)は自主性ある日本(軍)の存在を望まない。
これまで米国は、日本国内に米軍基地を永年存続させ、費用負担を日本に求めることで満足していた。それは日本の軍事的突出を警戒するところから、やや片務的関係をよしとしていたからだろう。だがここにきて、米国が軍事おける人的、財政的負担に耐え切れなくなり、片務的関係の清算に乗り出したということだ。それが、9条を変えない集団的自衛権の行使容認という、超法規的安保法案にほかならない。それは、まともな憲法学者が「イエス」と容認できるような内容ではない。
米国の対日工作構造
本書は、戦後の米国による対日工作の実態について、政治家、外交官と少数のジャーナリストをクローズアアップしたものだ。もちろん、それ以外の分野――行政、司法、学界、法曹界、メディア業界、文化・芸術・サブカルチャー等――においても対日工作があった(ある)と想像するに難くない。むしろ、日本の権力機構の各所に米国の意向を組むシステムがビルトインされていると考えた方が自然だ。
そのような前提に立った時、今日の安部に対する個人攻撃、及び、安部批判は危うい側面がある。安部が極右的自主性という本領を発揮すれば、米国により、総理大臣の座から引きずり降ろされる。安部もまた、ぎりぎりのところに位置しているのである。
〔注〕
参謀第2部(G2)
GHQの情報(インテリジェンス)担当部局。三鷹事件や下山事件など、占領中に続発した怪事件に関与したともいわれる。反共姿勢をとる吉田茂を支持、リベラル派の多かった民生局(GS)との路線闘争に勝利した。
民生局(GS)
「非軍事化」と「民主化」を中心とする日本の戦後改革を推進。社会主義的思想の持ち主が多く、統制経済や労働組合の育成などの社会実験を行ったが、冷戦の始まりとともに占領政策においても反共路線が優勢となり、1948年以降、急速に力を失った。
2015年9月1日火曜日
2015年8月21日金曜日
汚れたエンブレム
東京オリンピック・エンブレムに係る盗作疑惑については、これをデザインした佐野研二郎に相次いで盗作疑惑が噴出したため、「佐野クロ説」が有力視しされてきた。管見の限りだが、日本人弁護士の数人が、佐野の著作権侵害を断言している。
佐野を追い込んだのはマスメディアではなくネットだった
本件は、▽その火付け役がネットユーザーであったこと(マスメディアは当初、オリンピック主管当局及び広告代理店に配慮して疑惑報道を控えた)、▽当事者(佐野)が、この期に及んでもシラを切り続けていること――の2点において、あの「STAP細胞」問題に酷似している。
佐野を厳しく追い込んだのは、マスメディアではなく、ネットユーザーだった。彼らが佐野の複数の過去作品における盗作を実証した。「STAP細胞」においても、小保方の不正を発見し、関連する情報を集約し、疑惑を追及したのはネットユーザーだった。
佐野の盗作「実績」は、いまのところ、①サントリーのキャンペーンのトートバッグにおける複数のデザインの盗作、②ローリングストーンズの公式Tシャツの盗作(ピレリ・ラグレーンのアルバムのジャケット裏の写真を反転)、③東山動植物園のシンボルマークの盗作(コスタリカ国立博物館のそれと酷似)――の3件が固いところだが、ほかにも何件か盗作を窺わせるような作品がある。
盗作をクライアントに納品した広告代理店の責任
佐野が盗作に及んだ情報ソースとして、写真共有SNSのピンタレストが浮上している。つまり、佐野はピンタレストに投稿された世界中のデザインソースをそのままコピーペーストするかあるいはアレンジして、自分のデザインとして広告代理店に納品し、代理店はクライアントからその代金を収納し、代理店手数料をピンはねしたうえで佐野にデザイン料を支払っていたことになる。浅学な筆者は佐野が高名なデザイナーであることを騒動が始まって初めて知ったのだが、それにしてもあくどい商法だ。佐野及び佐野を起用した大手広告代理店は詐欺にも等しい行為を働いていた。高名なデザイナーと大手広告代理店が共謀して高いデザイン料金を大企業からせしめていた。
マスメディアに散見される佐野への援護射撃
さて、この件に関する議論については混乱もある。佐野の盗作疑惑を和らげようとする間接的援護射撃だ。
(一)「デザインが悪い」説
代表的なものが、「佐野のデザインが凡庸でつまらない」という「デザインが悪い説」。この見解はマスメディアでは主流になっている。その特徴は言うまでもなく、佐野の盗作については追及せず、「デザインが悪いから引っ込めろ」と、佐野のデザイン能力及びこれを採用した組織委に対して強硬姿勢を見せる。一見すると筋が通っているかのようだが、盗作については触れない。つまり、盗作容認を代表する見解だ。
(二)偶然説
二番目は「偶然説」。“デザインというのは、デザイナーがこれまで見てきたものが頭に入っていて、それが盗作を意図しなくても自然に出てしまうことがある”だから本件も“著作権侵害に当たらない”という見解。もしくは、“単純な、たとえばアルファベット2文字程度の組合せならば、類似のものが出てきて当然”という見解。これらに共通すのは、“真似する意図がなかった場合、類似のものが出てきても真似された側は文句を言えない”という論理になる。つまり、盗作(と自ら言わない限り)すべてOKの暴論だ。
この暴論が通るならば、著作権保護は無意味化される。真似する意図がなかったと強弁すれば、模倣、二番煎じ、三番煎じ・・・がすべて許されることになる。もちろん偶然の一致がないことはない。人間のデザイン感覚は既存のあらゆる情報に規定されているから、その結果として、類似、近似のデザインが作成されることを否定しない。その場合どう処理したらいいのかと言えば、先のものを優先すべきなのだ。つまり、既にあるものに優先権が与えられるということ。本件の場合は、佐野が偶然ベルギーの劇場に近似したデザインを起こしたと仮定するならば、後発の佐野は、ベルギーのデザインの存在を知ったところで、自作を取下げればよかった。ただそれだけの話だ。
ところが佐野はこともあろうに類似を否定し、似ていないし、デザインに係るロジカル、哲学、発想が異なると強弁した。この問題をこじらせた発端だ。
デザインは外形(形、色)であって、その創作過程や考え方が云々されるものではない。たとえば、ある者が、Aを(先が尖っているから)上昇を示す形象とイメージした――と主張したとしよう。また別の者は、Aをものごとの始まり(アルファベットの最初の文字だから)をイメージしたと主張したとしよう。両者のAに関する考え方は全く異なるが、もちろん結果は同じでAはAだ。両者の考え方や発想は異なっていても、結果としてのデザインは同一なのだ。本件の場合は、ベルギーの劇場のシンボルマークがA、佐野の東京オリンピック・エンブレムはĀ程度。これを盗作と言う。盗作と言われないためには、佐野は後発として先人をリスペクトし、自己の作品にとどめ、公的に使用することを控えればよかった。それをしなかったのは、佐野が盗作したからだ。オリンピック組織委員、IOCという権威を利用して、ベルギー側を力でねじ伏せようと図った疑いがもたれる。
(三)佐野の「人格者説」
三番目の見解は、“佐野さんは盗作するようなデザイナーではない”というもの。佐野に盗作の事実が次々と発覚するに及んでまったく、通用しなくなったが、当初はこの説がまことしやかに囁かれた。この見解の是非については、論ずるまでもないので割愛する。
(四)審査委員責任論
四番目は、“コンペで佐野のデザインを採用した審査委員が悪い”という「審査委員責任論」。前出の(一)に近い。このたびの疑惑問題を発端にして、佐野と審査委員諸氏の相関図が作成された。それによると、審査委員と参加デザイナーがもちまわりでデザイン賞を獲得している実態が暴露された。オリンピック・エンブレムのコンペにもその構造が貫かれているという。いわば、日本のデザイン業界の癒着構造があからさまに暴露されたのである。
確かにそのとおりで、このたびの盗作疑惑には、選んだ側に咎が及ばないというわけにはいかない。盗作も問題だが、デザイン業界内部の閉じられた関係、すなわち仲間内の誉め合いについては、大いなる議論を必要とする。そこにはデザイン界における重鎮の権威化があり、有力とされるデザイナーの創作力の劣化があり、PCを駆使したコピペ問題がある。業界的には、大手広告代理店~有力デザイナーの系列化が進み、デザイナーの権威性、名前で商売を円滑に進めようとする広告代理店の営業姿勢(魂胆)が見え隠れする。
佐野の盗作疑惑に問題を絞りこめ
ただし、「審査委員責任論」は筆者からみれば、盗作問題の副次的効果、副次的産物のように思える。たとえて言うならば、本丸落城を目の前にしながら、まわりの雑魚を追い回すようなもの。雑魚にかまけて、追い詰めた大将を逃しかねない。つまり、本丸である佐野を落とせば、デザイン業界の腐敗(構造)も寄生虫も一掃できる。問題を佐野の盗作疑惑に絞り込み、引き続き、佐野が働いた盗作のサンプルを示し、かつ、佐野のまわり(職場=事務所)が盗作を常套的に行う環境であったことを示し、併せて、佐野がベルギーの劇場のシンボルマークを知り得る環境にあったことを示すことで、佐野の盗作=著作権侵害を実証する方向性が肝要だ。その方向性と事実の積み重ねが、佐野のオリンピック・エンブレムの盗作に係る状況証拠となり得る。それこそが、佐野の盗作を断罪する正義の遂行となる。
ベルギーの裁判所がどのような判断を示すかわからない。佐野に盗作の意図があったと、裁判所は判断しないかもしれない。だが、佐野の著作権侵害を裁判所が認めなかったとしても、ネットユーザーがこれまで行ってきた疑惑解明のための努力は無駄ではない。
佐野を追い込んだのはマスメディアではなくネットだった
本件は、▽その火付け役がネットユーザーであったこと(マスメディアは当初、オリンピック主管当局及び広告代理店に配慮して疑惑報道を控えた)、▽当事者(佐野)が、この期に及んでもシラを切り続けていること――の2点において、あの「STAP細胞」問題に酷似している。
佐野を厳しく追い込んだのは、マスメディアではなく、ネットユーザーだった。彼らが佐野の複数の過去作品における盗作を実証した。「STAP細胞」においても、小保方の不正を発見し、関連する情報を集約し、疑惑を追及したのはネットユーザーだった。
佐野の盗作「実績」は、いまのところ、①サントリーのキャンペーンのトートバッグにおける複数のデザインの盗作、②ローリングストーンズの公式Tシャツの盗作(ピレリ・ラグレーンのアルバムのジャケット裏の写真を反転)、③東山動植物園のシンボルマークの盗作(コスタリカ国立博物館のそれと酷似)――の3件が固いところだが、ほかにも何件か盗作を窺わせるような作品がある。
盗作をクライアントに納品した広告代理店の責任
佐野が盗作に及んだ情報ソースとして、写真共有SNSのピンタレストが浮上している。つまり、佐野はピンタレストに投稿された世界中のデザインソースをそのままコピーペーストするかあるいはアレンジして、自分のデザインとして広告代理店に納品し、代理店はクライアントからその代金を収納し、代理店手数料をピンはねしたうえで佐野にデザイン料を支払っていたことになる。浅学な筆者は佐野が高名なデザイナーであることを騒動が始まって初めて知ったのだが、それにしてもあくどい商法だ。佐野及び佐野を起用した大手広告代理店は詐欺にも等しい行為を働いていた。高名なデザイナーと大手広告代理店が共謀して高いデザイン料金を大企業からせしめていた。
マスメディアに散見される佐野への援護射撃
さて、この件に関する議論については混乱もある。佐野の盗作疑惑を和らげようとする間接的援護射撃だ。
(一)「デザインが悪い」説
代表的なものが、「佐野のデザインが凡庸でつまらない」という「デザインが悪い説」。この見解はマスメディアでは主流になっている。その特徴は言うまでもなく、佐野の盗作については追及せず、「デザインが悪いから引っ込めろ」と、佐野のデザイン能力及びこれを採用した組織委に対して強硬姿勢を見せる。一見すると筋が通っているかのようだが、盗作については触れない。つまり、盗作容認を代表する見解だ。
(二)偶然説
二番目は「偶然説」。“デザインというのは、デザイナーがこれまで見てきたものが頭に入っていて、それが盗作を意図しなくても自然に出てしまうことがある”だから本件も“著作権侵害に当たらない”という見解。もしくは、“単純な、たとえばアルファベット2文字程度の組合せならば、類似のものが出てきて当然”という見解。これらに共通すのは、“真似する意図がなかった場合、類似のものが出てきても真似された側は文句を言えない”という論理になる。つまり、盗作(と自ら言わない限り)すべてOKの暴論だ。
この暴論が通るならば、著作権保護は無意味化される。真似する意図がなかったと強弁すれば、模倣、二番煎じ、三番煎じ・・・がすべて許されることになる。もちろん偶然の一致がないことはない。人間のデザイン感覚は既存のあらゆる情報に規定されているから、その結果として、類似、近似のデザインが作成されることを否定しない。その場合どう処理したらいいのかと言えば、先のものを優先すべきなのだ。つまり、既にあるものに優先権が与えられるということ。本件の場合は、佐野が偶然ベルギーの劇場に近似したデザインを起こしたと仮定するならば、後発の佐野は、ベルギーのデザインの存在を知ったところで、自作を取下げればよかった。ただそれだけの話だ。
ところが佐野はこともあろうに類似を否定し、似ていないし、デザインに係るロジカル、哲学、発想が異なると強弁した。この問題をこじらせた発端だ。
デザインは外形(形、色)であって、その創作過程や考え方が云々されるものではない。たとえば、ある者が、Aを(先が尖っているから)上昇を示す形象とイメージした――と主張したとしよう。また別の者は、Aをものごとの始まり(アルファベットの最初の文字だから)をイメージしたと主張したとしよう。両者のAに関する考え方は全く異なるが、もちろん結果は同じでAはAだ。両者の考え方や発想は異なっていても、結果としてのデザインは同一なのだ。本件の場合は、ベルギーの劇場のシンボルマークがA、佐野の東京オリンピック・エンブレムはĀ程度。これを盗作と言う。盗作と言われないためには、佐野は後発として先人をリスペクトし、自己の作品にとどめ、公的に使用することを控えればよかった。それをしなかったのは、佐野が盗作したからだ。オリンピック組織委員、IOCという権威を利用して、ベルギー側を力でねじ伏せようと図った疑いがもたれる。
(三)佐野の「人格者説」
三番目の見解は、“佐野さんは盗作するようなデザイナーではない”というもの。佐野に盗作の事実が次々と発覚するに及んでまったく、通用しなくなったが、当初はこの説がまことしやかに囁かれた。この見解の是非については、論ずるまでもないので割愛する。
(四)審査委員責任論
四番目は、“コンペで佐野のデザインを採用した審査委員が悪い”という「審査委員責任論」。前出の(一)に近い。このたびの疑惑問題を発端にして、佐野と審査委員諸氏の相関図が作成された。それによると、審査委員と参加デザイナーがもちまわりでデザイン賞を獲得している実態が暴露された。オリンピック・エンブレムのコンペにもその構造が貫かれているという。いわば、日本のデザイン業界の癒着構造があからさまに暴露されたのである。
確かにそのとおりで、このたびの盗作疑惑には、選んだ側に咎が及ばないというわけにはいかない。盗作も問題だが、デザイン業界内部の閉じられた関係、すなわち仲間内の誉め合いについては、大いなる議論を必要とする。そこにはデザイン界における重鎮の権威化があり、有力とされるデザイナーの創作力の劣化があり、PCを駆使したコピペ問題がある。業界的には、大手広告代理店~有力デザイナーの系列化が進み、デザイナーの権威性、名前で商売を円滑に進めようとする広告代理店の営業姿勢(魂胆)が見え隠れする。
佐野の盗作疑惑に問題を絞りこめ
ただし、「審査委員責任論」は筆者からみれば、盗作問題の副次的効果、副次的産物のように思える。たとえて言うならば、本丸落城を目の前にしながら、まわりの雑魚を追い回すようなもの。雑魚にかまけて、追い詰めた大将を逃しかねない。つまり、本丸である佐野を落とせば、デザイン業界の腐敗(構造)も寄生虫も一掃できる。問題を佐野の盗作疑惑に絞り込み、引き続き、佐野が働いた盗作のサンプルを示し、かつ、佐野のまわり(職場=事務所)が盗作を常套的に行う環境であったことを示し、併せて、佐野がベルギーの劇場のシンボルマークを知り得る環境にあったことを示すことで、佐野の盗作=著作権侵害を実証する方向性が肝要だ。その方向性と事実の積み重ねが、佐野のオリンピック・エンブレムの盗作に係る状況証拠となり得る。それこそが、佐野の盗作を断罪する正義の遂行となる。
ベルギーの裁判所がどのような判断を示すかわからない。佐野に盗作の意図があったと、裁判所は判断しないかもしれない。だが、佐野の著作権侵害を裁判所が認めなかったとしても、ネットユーザーがこれまで行ってきた疑惑解明のための努力は無駄ではない。
2015年8月11日火曜日
東京五輪公式エンブレム盗作の根拠
2020年東京五輪の公式エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴの盗作であると、ベルギーのデザイナーから抗議が出された。JOC、大会組織委員会などは「問題ない」との見解を示したものの、劇場ロゴのデザイナー側は使用停止を求め、強硬な姿勢を取っている。このことを受け、制作者のアートディレクター、佐野研二郎(43)は、会見を開き、盗作を否定した。
佐野の会見のポイントは以下のとおり。
佐野の説明は説明になっていない。デザインのオリジナル性は、創作過程、創作方法、創作意図、デザイナーの哲学、精神性の説明で証明されるものではない。あくまでも、図案、図式等の最終形態(=作品)が似ているか似ていないか、見る者に誤認を与えるか与えないか――に尽きる。
商業デザインの場合、商標権登録により、先にデザインした側の権利が保護される。今回の場合、ベルギー側が商標権登録を行っていないようなので、商標権侵害の争いではなく、著作権の争いになる。著作権は、作品のオリジナル性の保護であるが、商標権登録という照合すべき客観的基準がないため、“シロ・クロ”の判定が難しい。著作権侵害を訴える側が、侵害したとする相手に盗用の事実性があったことを証明しなければならないからだ。今回の場合だと、佐野がベルギーのデザインを盗んだ事実性を証明する証拠を、ベルギー側が提出しなければならない。
本件の場合は、佐野に盗用の意図があったことは、容易に証明できる。その根拠の一つは、佐野自身が先の会見において、“ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。さらに決定的なのは、「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説した”ことに求められる。
佐野の発言は、結果として類似する可能性を予期しながら、テーマがちがえば類似は許される――という認識をもっていることを自ら認めたことになる。換言すれば、佐野は酷似する可能性を承知しながら、テーマ性の差異をもって著作権侵害を免れるという認識をもっていたことを図らずも吐露したわけである。
第二点目は、盗作したとされる側に、過去、他作品をしばしば盗作していた事実が認められるか否かに求められる。それが証明できれば、今回も盗作したと見做される可能性が高くなる。本件の場合、佐野がしばしば盗作をしていた事実はネット上の資料で確認できる。これだけでも、佐野が東京オリンピック・エンブレムを盗作したと見做されるのではないか。
この係争の結果について、弁護士・裁判官でもない筆者が断言できるはずもないが、作品が似てしまった以上、後発の者は先人をリスペクトすべきである。佐野に盗作の意志がよしんばなかったとしても、先人の創造性を尊重して、後発の自作を引っ込めることが筋である。そうでなければ、常套的に日本の意匠をパクる某国を日本が非難することができなくなる。日本もパクるじゃないかと――
なによりも、似ているものを似ていないと強弁する佐野の姿勢が筆者には理解できない。考え方が違えば、類似・模倣作品が横行してもいいのか。デザインは外見で情報・事物等を弁別することが第一の機能であり使命なのではないのか。そんなことは、デザイン創作のイロハのイ、当たり前ではないのか。創作においては、なによりもオリジナルが尊重されるべきではないのか。盗作を疑われるのは、なによりも、オリジナルが(先に)存在しているからではないのか。
会見において、「似ているものを似ていない」と強弁する佐野は、「ないものをある」と強弁し続けた、「STAP細胞」の小保方晴子の姿に、それこそ酷似しているではないか。
佐野の会見のポイントは以下のとおり。
- 東京の「T」を模した五輪エンブレムの図案を作るにあたり、「ディド」と「ボドニ」と呼ばれるフォント(書体)を参考にしたこと。
- 「力強さと繊細さが両立している書体で、このニュアンスを生かせないかと発想が始まった」とし、これに1964年東京大会のエンブレムをイメージさせる大きな円を組み合わせたのが、今回のデザインだとしたこと。
- ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。
- 「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説したこと。
- エンブレムを構成する丸や四角などの図形を組み合わせると、AからZまでのアルファベットや数字が表現できることを公表し、五輪関連グッズなどへの応用性の高さをアピールし、海外作品については全く知らないとしたこと。
- 「制作時に参考にしたことはありません」と断言したこと。
佐野の説明は説明になっていない。デザインのオリジナル性は、創作過程、創作方法、創作意図、デザイナーの哲学、精神性の説明で証明されるものではない。あくまでも、図案、図式等の最終形態(=作品)が似ているか似ていないか、見る者に誤認を与えるか与えないか――に尽きる。
商業デザインの場合、商標権登録により、先にデザインした側の権利が保護される。今回の場合、ベルギー側が商標権登録を行っていないようなので、商標権侵害の争いではなく、著作権の争いになる。著作権は、作品のオリジナル性の保護であるが、商標権登録という照合すべき客観的基準がないため、“シロ・クロ”の判定が難しい。著作権侵害を訴える側が、侵害したとする相手に盗用の事実性があったことを証明しなければならないからだ。今回の場合だと、佐野がベルギーのデザインを盗んだ事実性を証明する証拠を、ベルギー側が提出しなければならない。
本件の場合は、佐野に盗用の意図があったことは、容易に証明できる。その根拠の一つは、佐野自身が先の会見において、“ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。さらに決定的なのは、「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説した”ことに求められる。
佐野の発言は、結果として類似する可能性を予期しながら、テーマがちがえば類似は許される――という認識をもっていることを自ら認めたことになる。換言すれば、佐野は酷似する可能性を承知しながら、テーマ性の差異をもって著作権侵害を免れるという認識をもっていたことを図らずも吐露したわけである。
第二点目は、盗作したとされる側に、過去、他作品をしばしば盗作していた事実が認められるか否かに求められる。それが証明できれば、今回も盗作したと見做される可能性が高くなる。本件の場合、佐野がしばしば盗作をしていた事実はネット上の資料で確認できる。これだけでも、佐野が東京オリンピック・エンブレムを盗作したと見做されるのではないか。
この係争の結果について、弁護士・裁判官でもない筆者が断言できるはずもないが、作品が似てしまった以上、後発の者は先人をリスペクトすべきである。佐野に盗作の意志がよしんばなかったとしても、先人の創造性を尊重して、後発の自作を引っ込めることが筋である。そうでなければ、常套的に日本の意匠をパクる某国を日本が非難することができなくなる。日本もパクるじゃないかと――
なによりも、似ているものを似ていないと強弁する佐野の姿勢が筆者には理解できない。考え方が違えば、類似・模倣作品が横行してもいいのか。デザインは外見で情報・事物等を弁別することが第一の機能であり使命なのではないのか。そんなことは、デザイン創作のイロハのイ、当たり前ではないのか。創作においては、なによりもオリジナルが尊重されるべきではないのか。盗作を疑われるのは、なによりも、オリジナルが(先に)存在しているからではないのか。
会見において、「似ているものを似ていない」と強弁する佐野は、「ないものをある」と強弁し続けた、「STAP細胞」の小保方晴子の姿に、それこそ酷似しているではないか。
2015年8月10日月曜日
『奥浩平 青春の墓標』
●レッド・アーカイヴズ刊行会〔編集〕●社会評論社 ●2300円+税
本書第1部、『「青春の墓標」ある学生活動家の愛と死/奥浩平〔著〕』(以下、「遺稿集」と略記)については、筆者にとって再読に当たる。高校生のころ、2学年先に大学に入っていた兄の書棚にクロカン(黒田寛一)の著作物と並んでいた同書を手にした記憶がある。文芸春秋から1965年10月に刊行されたらしい。本書は、第2部に「奥浩平を読む」という時代考証的な内容を追加した構成になっている。
当時の若者に強い影響を与えた“青春の書”
高校時代の筆者は、遺稿集をほとんど理解していなかった。だが、奥浩平が都立高校生だったという筆者との共通点があり、親近感を感じたものだった。その一方で、高校時代から政治運動(60年安保闘争)に積極的に参加した奥浩平には違和感もあった。当時、筆者の高校にも、社研に巣食う反戦高協等の高校生活動家がいたが、筆者は毛嫌いしていた。
とは言え、読後から大学入学時まで、セイシュンノボヒョウ、オクコウヘイ、ナカハラモトコ、マルガクドウ、チュウカクハ、カクマルハ・・・といった固有名詞があたかも符牒のように記憶に留まり、内部で固化していったことを覚えている。そしてその反動のごとく、〈奥浩平〉と〈中原素子〉という一対の男女の存在だけはゆらゆらと幻想のように内部に漂い続けていた。
結局のところ、同書は、高校生だった筆者に、“大学に入ったらオクコウヘイのようになってもいいのかな”という漠然とした感覚を与えたことは確かである。換言すれば、大学に入ったら「学生活動家」になる――という漠然とした選択肢を植え付けたことになる。遺稿集は筆者を含めた奥浩平の死後の世代に対し、多大な影響を与えたことだけは間違いない。
再読後の感想――気恥ずかしさが第一に
再読し始めた時、不思議な感覚が筆者を捉えた。その第一は気恥ずかしさ。とっくの昔に廃棄したはずの自分の日記を読み返しているかのようないやな感覚である。
第二は驚き。遺稿集の中に初期マルクス(『経済学=哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』等)に係る論文やアジビラ等のボリュームが意外に多いこと。60年代、初期マルクスの再評価が世界中で起こったのだが、奥浩平はその時代にリアルタイムで立ち会いつつ、思想形成をしていたのだ。初読では、論文・アジビラについては、高校生で浅学の筆者の理解を超えていたため、読み飛ばしていたのだろう。
第三は、奥浩平と中原素子の関係が明確になったこと。初読のときの最大の疑問は、実際のところ中原素子は奥浩平のことをどう思っていたのかということだった。遺稿集はもちろん、奥浩平の一方的な(中原素子への)思いしか収録されていないし、管見の限りだが、刊行後に中原素子が奥浩平について発言していないはず。
奥は中原にとって、高校時代のただの友達
遺稿集に綴られた奥浩平の中原素子への思いだけを読む限りでは、高校時代から恋愛関係にあった2人であったが、奥浩平は横浜市大入学後革共同中核派に属し、中原素子は早稲田大学入学後、革マル派に属す。両派がイデオロギー的に対立し、暴力的に対峙するに及び、あたかも2人はロミオとジュリエットのごとく引き裂かれた、という悲恋物語が成立する余地はまだあったのである。つまり、奥浩平の自殺は、イデオロギー的対立により恋人との恋愛関係を清算せざるを得なくなり、苦悩の挙句自殺したのではないかと。
ところが、本書第2部「奥浩平を読む」に収録された、同時代人座談会「奧浩平の今」において、奥浩平と中原素子の2人をよく知る川口顕という人物が、奥と中原の関係について次のように証言している。
奧浩平と中原素子の関係を邪推するなら以下のとおりである。二人は高校時代(~1962)、互いに好意を感じ合う友人関係にあった。卒業後、中原素子は早大一文に進学(1962)し、奥は浪人(同年)する。このころの男女は成熟度に差異があり、女性の方が早熟である場合が多い。
奥浩平より1年早く大学に入った中原素子は、文字通り「高校時代」を卒業し、新しい世界に足を踏み入れていった。進歩的な中原素子がマルクス主義学生同盟山本派(=革マル派)のシンパになるのは必然であるが、同盟員になるほどではなかった。そのころ、早大一文は革マル派の暴力的な一元的支配下にあったからである。ただし、高校卒業後1年目ということで、二人は高校時代の延長で交際を続けてもいた。
1963年4月~、中原素子に一年遅れて大学(横浜市大)に進学した奥浩平は学生運動家として活動を始め、マル学同中核派に加盟する。この年の7月、マル学同の決定的分裂を象徴する、「7.2早大事件」が起きる。それまでも対立を内包していたマル学同だったが、この日、早稲田大学構内において、マル学同全国委員会(中核派)・社学同・社青同解放派の三派とマル学同山本派(革マル派)との間で暴力的闘争を展開するに至る。この事件を契機に、二人の関係は急激に冷え始めたように遺稿集からはうかがえる。
しかし、中原素子が奥浩平を「拒絶」しはじめたのが、マル学同の分裂・対立というイデオロギー的契機に求められるのかというと、どうもそうではないらしい。大学2年生の中原には奥浩平の高校時代と変わらぬ子供じみた態度、思考回路、言動に不満を覚えた可能性がある。観念的には、すなわち、マルクス関連の読書量の増大化に応じて、難解な哲学的、革命的言語を獲得した奥浩平ではあったが、それだけで中原素子(女性)が奥浩平(男性)になびくとは限らない。中原素子は奥浩平の幼さに辟易し、男として見切ったのではないか。奥浩平は中原素子の変節を、「早大事件」を契機とした、中原素子が革マル派に入れあげた結果だと勘違いしたのではないか。
奧浩平――革命的ロマン主義者の系譜
奥浩平はなぜ自殺したのか。このことに本書は貴重なヒントを与えてくれる。奥浩平の自殺について、前掲の座談会の出席者で奥浩平の学生運動の同志だった斉藤政明が次のように述べている。
奥の自殺と〈母〉の不在
最後に、筆者が「発見」した奥浩平の短い生涯を貫く最重要のテーマとして、「母の不在」の問題を挙げておく。この「発見」は筆者のオリジナルではなく、本書第2部に収録されている、『幻想の奥浩平(川口顕〔著〕)』で指摘されているもの。川口の「奥浩平論」は、奥を知るうえでかなり重要だと思われるので、相当の分量になるが書き抜いておく。
(注1)大浦圭子:
1960年に自殺した目黒区立第六中学校の下級生。圭子は美術の特異な才能に恵まれた早熟な少女だったという。圭子の死後、奥浩平はクリスチャンであるその母親としばしば、対話及び文通をした。奥浩平は圭子の死を契機として、教会に通い始めたという。
(注2)紳平氏:
本書第1部、『「青春の墓標」ある学生活動家の愛と死/奥浩平〔著〕』(以下、「遺稿集」と略記)については、筆者にとって再読に当たる。高校生のころ、2学年先に大学に入っていた兄の書棚にクロカン(黒田寛一)の著作物と並んでいた同書を手にした記憶がある。文芸春秋から1965年10月に刊行されたらしい。本書は、第2部に「奥浩平を読む」という時代考証的な内容を追加した構成になっている。
当時の若者に強い影響を与えた“青春の書”
高校時代の筆者は、遺稿集をほとんど理解していなかった。だが、奥浩平が都立高校生だったという筆者との共通点があり、親近感を感じたものだった。その一方で、高校時代から政治運動(60年安保闘争)に積極的に参加した奥浩平には違和感もあった。当時、筆者の高校にも、社研に巣食う反戦高協等の高校生活動家がいたが、筆者は毛嫌いしていた。
とは言え、読後から大学入学時まで、セイシュンノボヒョウ、オクコウヘイ、ナカハラモトコ、マルガクドウ、チュウカクハ、カクマルハ・・・といった固有名詞があたかも符牒のように記憶に留まり、内部で固化していったことを覚えている。そしてその反動のごとく、〈奥浩平〉と〈中原素子〉という一対の男女の存在だけはゆらゆらと幻想のように内部に漂い続けていた。
結局のところ、同書は、高校生だった筆者に、“大学に入ったらオクコウヘイのようになってもいいのかな”という漠然とした感覚を与えたことは確かである。換言すれば、大学に入ったら「学生活動家」になる――という漠然とした選択肢を植え付けたことになる。遺稿集は筆者を含めた奥浩平の死後の世代に対し、多大な影響を与えたことだけは間違いない。
再読後の感想――気恥ずかしさが第一に
再読し始めた時、不思議な感覚が筆者を捉えた。その第一は気恥ずかしさ。とっくの昔に廃棄したはずの自分の日記を読み返しているかのようないやな感覚である。
第二は驚き。遺稿集の中に初期マルクス(『経済学=哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』等)に係る論文やアジビラ等のボリュームが意外に多いこと。60年代、初期マルクスの再評価が世界中で起こったのだが、奥浩平はその時代にリアルタイムで立ち会いつつ、思想形成をしていたのだ。初読では、論文・アジビラについては、高校生で浅学の筆者の理解を超えていたため、読み飛ばしていたのだろう。
第三は、奥浩平と中原素子の関係が明確になったこと。初読のときの最大の疑問は、実際のところ中原素子は奥浩平のことをどう思っていたのかということだった。遺稿集はもちろん、奥浩平の一方的な(中原素子への)思いしか収録されていないし、管見の限りだが、刊行後に中原素子が奥浩平について発言していないはず。
奥は中原にとって、高校時代のただの友達
遺稿集に綴られた奥浩平の中原素子への思いだけを読む限りでは、高校時代から恋愛関係にあった2人であったが、奥浩平は横浜市大入学後革共同中核派に属し、中原素子は早稲田大学入学後、革マル派に属す。両派がイデオロギー的に対立し、暴力的に対峙するに及び、あたかも2人はロミオとジュリエットのごとく引き裂かれた、という悲恋物語が成立する余地はまだあったのである。つまり、奥浩平の自殺は、イデオロギー的対立により恋人との恋愛関係を清算せざるを得なくなり、苦悩の挙句自殺したのではないかと。
ところが、本書第2部「奥浩平を読む」に収録された、同時代人座談会「奧浩平の今」において、奥浩平と中原素子の2人をよく知る川口顕という人物が、奥と中原の関係について次のように証言している。
・・・『幻想の奥浩平』(川口顕別稿)で書いたけど、中原素子はまったく恋心も、恋愛感情も、そういう対象としてすら奥のことを見てなかったんですよ。単に青山高校の社研の仲間というそれだけの付き合いで、まあ手ぐらい握らせたことはあるかもしれないけど、恋人としての、キスをしたこともたぶん無いだろうし、ましてセックスは無いわけですね。恋人関係を成立させるものは彼女の方にまったくないですよ。(P367)この証言を信じる限り、奥浩平にとっての中原素子はそれこそ幻想であり、2人の悲恋は、実際には成立していないことになる。遺稿集に頻繁に現れる〈中原素子〉という存在は、極論すれば奥浩平の創造であり想像のようなのだ。
奧浩平と中原素子の関係を邪推するなら以下のとおりである。二人は高校時代(~1962)、互いに好意を感じ合う友人関係にあった。卒業後、中原素子は早大一文に進学(1962)し、奥は浪人(同年)する。このころの男女は成熟度に差異があり、女性の方が早熟である場合が多い。
奥浩平より1年早く大学に入った中原素子は、文字通り「高校時代」を卒業し、新しい世界に足を踏み入れていった。進歩的な中原素子がマルクス主義学生同盟山本派(=革マル派)のシンパになるのは必然であるが、同盟員になるほどではなかった。そのころ、早大一文は革マル派の暴力的な一元的支配下にあったからである。ただし、高校卒業後1年目ということで、二人は高校時代の延長で交際を続けてもいた。
1963年4月~、中原素子に一年遅れて大学(横浜市大)に進学した奥浩平は学生運動家として活動を始め、マル学同中核派に加盟する。この年の7月、マル学同の決定的分裂を象徴する、「7.2早大事件」が起きる。それまでも対立を内包していたマル学同だったが、この日、早稲田大学構内において、マル学同全国委員会(中核派)・社学同・社青同解放派の三派とマル学同山本派(革マル派)との間で暴力的闘争を展開するに至る。この事件を契機に、二人の関係は急激に冷え始めたように遺稿集からはうかがえる。
しかし、中原素子が奥浩平を「拒絶」しはじめたのが、マル学同の分裂・対立というイデオロギー的契機に求められるのかというと、どうもそうではないらしい。大学2年生の中原には奥浩平の高校時代と変わらぬ子供じみた態度、思考回路、言動に不満を覚えた可能性がある。観念的には、すなわち、マルクス関連の読書量の増大化に応じて、難解な哲学的、革命的言語を獲得した奥浩平ではあったが、それだけで中原素子(女性)が奥浩平(男性)になびくとは限らない。中原素子は奥浩平の幼さに辟易し、男として見切ったのではないか。奥浩平は中原素子の変節を、「早大事件」を契機とした、中原素子が革マル派に入れあげた結果だと勘違いしたのではないか。
奧浩平――革命的ロマン主義者の系譜
奥浩平はなぜ自殺したのか。このことに本書は貴重なヒントを与えてくれる。奥浩平の自殺について、前掲の座談会の出席者で奥浩平の学生運動の同志だった斉藤政明が次のように述べている。
・・・奧浩平には死にたいということがずうーとあって・・・例えばの話ですけど、・・・原口統三の『二十歳のエチュード』だとか藤村操の『巌頭之感』に感じた死への思い、高校時代に読んで、そういう思いというのが奥君にもあったのかなあ、と。(P364)奧浩平が『チボー家のジャック』『人知れず微笑まん』を愛読していたことも遺稿集から認められる。前者の小説の主人公、ジャック・チボーは、第一次世界大戦に反対するため、死を覚悟して飛行機に乗って反戦ビラを捲き、撃ち落とされる。この死に方は自死である。また、後者は、60年安保闘争において官憲により虐殺された樺美智子の遺稿集である。原口統三、藤村操、樺美智子、そしてフィックションではあるがジャック・チボー・・・彼らは「革命的ロマンチスト」の系列に属す。革命的というのは、マルクス主義者であることだけを意味しない。その列に奥浩平を加えることに筆者は違和を感じない。
奥の自殺と〈母〉の不在
最後に、筆者が「発見」した奥浩平の短い生涯を貫く最重要のテーマとして、「母の不在」の問題を挙げておく。この「発見」は筆者のオリジナルではなく、本書第2部に収録されている、『幻想の奥浩平(川口顕〔著〕)』で指摘されているもの。川口の「奥浩平論」は、奥を知るうえでかなり重要だと思われるので、相当の分量になるが書き抜いておく。
そのままで一冊の本になるようなノートが奥浩平の遺書であった。母や父にも、同志たちにも言い残した言葉はない。60年から65年までの苦悩と苦闘が凝縮したノート。それが遺書である。そう思って「遺稿集」の書き出しを見ると「大浦圭子(注1)の母への手紙」には次のような「決意」が書かれている。「圭子さんの自殺を正しいと考えた時、僕はもっと以前に死んでいるべきだと思いました。もっと以前に死ぬべきだったとのにこれまで生きてきたからには一刻も早く死ぬべきだと思いました」川口顕の見立てについて、あれこれ付言する必要はなかろう。同時に巷間言われるように、中原素子が奧浩平にとって、不在の母の代替だったという仮説も成り立つかもしれない。いずれにしても、奧浩平の〈自死〉と〈母〉の不在とは、けして無関係なものでない。
(略)
奧浩平はそれから5年間生きた。そして、ノート=遺書のとおり自死を決行した。長い遺書の冒頭に、あたかも判決文のように「主文」があったのである。
しかし、「もっと以前に死ぬべきであった」とは何のことだろうか。最期の5年間を第二の人生とすれば、第一の人生に何があったのだろうか。ノートに書かれていない「もっと以前に」とは何であろう。饒舌な奥浩平がノートに書かなかったことがネガポジのように反転しながら、背後にある「死ぬべき」理由をさし示しているように、私には思えた。
(略)
奥のノート・・・は遺書であると同時に、「報告書」、「最良の息子」として生き抜いたレポートではないかと感じた。では、誰に読んでもらうために?
その答えは紳平氏(注2)の「まえがきにかえて」「あとがき」にある、と私は思った。
母との9歳からの別離、11年をへて家族の和解と合流の時をむかえて、浩平は母の郷里を訪ねた。東京から帰ってきての浩平は「ほとんど反応らしきものを見せようとせず……内心の衝撃を表さなかった」「よほどつらい気持ちを抱いたからだろう」。
私はここに二度目の決定的な、回復不能な「失恋」が隠されていると思う。しかし、母への思慕の情を募らせながら、「遺書」は恨みを残していない。「報告書」でありながら「どれだけ努力して美しくいきられるか」「どれだけ強くいきられるか」をやりきった浩平をみてください、やりきった浩平をほめてください、という悲歌が鳴り響いているように思うのだ。(P383~385)
(注1)大浦圭子:
1960年に自殺した目黒区立第六中学校の下級生。圭子は美術の特異な才能に恵まれた早熟な少女だったという。圭子の死後、奥浩平はクリスチャンであるその母親としばしば、対話及び文通をした。奥浩平は圭子の死を契機として、教会に通い始めたという。
(注2)紳平氏:
浩平の長兄(奥紳平)で遺稿集の企画・編集を行った。
浩平には父母、姉と紳平を含めて2人の兄がいた。戦時中、埼玉の山村に疎開。戦後東京に引上げたが、浩平の父母は別居。姉と次兄と共に母の実家(茨城県那珂湊市)にて暮らすも、父母の正式離婚により、兄2人とともに父に引取られ東京で暮らす。その後、母が戻り一家団欒の生活が再開されるも、短期間のうちに破綻。浩平は父と二人暮らしをすることになる。奥浩平の短い人生に、母親の不在、再会、不在という複雑な家庭環境が影響を及ぼした可能性は否定できない。
2015年8月3日月曜日
誕生日(千駄木・トラットリアNOBI)
2015年8月1日土曜日
2015年7月28日火曜日
2015年7月26日日曜日
『沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉』
●堤未果 ●集英社新書 ●740円+税
副題〈逃げ切れ!日本の医療〉が示すように、本書は『沈みゆく大国アメリカ』の姉妹(後)編に当たる。前編では、アメリカ版国民皆保険「オバマケア」の本質を暴きつつ、同国の強欲資本主義、暴力的コーポラティズムの実体をリポートした。「オバマケア」のまやかし・欠陥、そして同法案が作成されたメカニズムの分析を通じて、アメリカの医療崩壊の実態が示された戦慄の書であった。
“国民皆保険”と謳われた「オバマケア」だが、実は医薬品業界、保険業界、ウオール街の利潤追求の具であり、それを実現させるのが業界と政界を結ぶ「回転ドア」といわれる構造だ。そこでは業界の便を図る法律が、業界が政府に送り込んだ官僚(米国は日本の公務員制度とは異なり、多くの場合辣腕弁護士である。)の手により作成される。法案の本質は美辞麗句で彩られた政治的スローガンによって隠蔽され、議会で承認される。法案成立後、すなわち業界が目的を達成した後、彼らは政府を離れ、高額のサラリーでグローバル企業に重役として就職する。
健康保険制度とは社会保障
本書(後編)はそれを受けて、日本の保険制度の破壊をめざして市場進出を狙うアメリカの政財一体化した進出戦略及びそれに同調する日本政府の動向を明らかにしている。著者(堤未果)は本書を通じて読者に注意を喚起し、何度も警鐘を鳴らす。加えて、あるべき医療体制の日本における成功事例、予防医療を具体的に挙げることにより、健康保険制度とは何か、社会保障とは何か、医療とは何か、福祉とは何か、国家とは何か、生命とは何か――について問う。健康保険制度とは社会保障なのだと。
このような本書の組み立てからすると、帯にある「あなたは盲腸手術に200万円払えますか?」という広告コピーはいただけない。日本の皆保険制度がアメリカの強欲資本主義とそれに手を貸す現政権に破壊されればそうなることは間違いないし、本を売るためにはショッキングな広告コピーが必要なことはわかる。だが著者(堤未果)の意図は、具体から普遍――「知らない、わからない」から「知る、否定する、概念化する」――への上向であるからだ。
「無知は弱さになる」
強欲資本主義が人々を欺く手口
アメリカの強欲資本主義とそれに追随したい日本政府・日本企業は、社会保障=セーフティーネットの破壊とその商品化を実現するため、どのような手を使ってくるのか――筆者(堤未果)によると、それは、▽アメリカからの直接的外圧(MOSS協議、日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話等)、▽国内的には、経済財政諮問会議(という超法規的執行機関)によるたとえば「戦略特区」、規制緩和(新薬スピード承認等)、▽TPP(環太平洋パートナーシップ)及びTiSA(新サービス貿易協定)といった国際協定――を挙げる。もちろん日本政府による「後期高齢者医療制度」に代表される直接的な社会福祉制度の破壊、切捨てもある。
強欲資本主義先進国のアメリカでは、法案を数千ページという膨大な文書に仕上げ(誰も読まない)、「本質」を隠蔽する手口が横行しているという。前出のオバマケアがその好例で、同法案は3000ページを超えていた。膨大な分量の文書の内部に、保険会社、医薬品業者が実際に儲けられる仕組みをこっそりしのばせておいて、「国民皆保険」「貧しい人にも手厚い保険制度」といった謳い文句だけを政治家に声高に叫ばせるという手口だ。日本でも安保法制が10件の法案を一本にまとめて国会審議され強行採決されたケースも、アメリカの手口に近いかもしれない。
人気の(医療)ウエブサイトを広告料等の投入で買収し、そこに提灯記事を書かせるもの、TVで人気の芸能人、コメディアンに支持を表明させるもの、連続TVドラマで“刷り込む”手口も一般化している。もちろん、アカデミズムを抱き込む手口は常套手段。専門家が推奨することで国民の「理解を深める」という建前だが、「専門家」は概ね政府の代弁者というわけだ。日本の場合、安保法制ではアカデミズムが率先して「違憲」を表明したわけで、アメリカに比べれば、日本のアカデミズムのほうが健全かもしれない。
“普遍的問い”として答えよ
憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
副題〈逃げ切れ!日本の医療〉が示すように、本書は『沈みゆく大国アメリカ』の姉妹(後)編に当たる。前編では、アメリカ版国民皆保険「オバマケア」の本質を暴きつつ、同国の強欲資本主義、暴力的コーポラティズムの実体をリポートした。「オバマケア」のまやかし・欠陥、そして同法案が作成されたメカニズムの分析を通じて、アメリカの医療崩壊の実態が示された戦慄の書であった。
“国民皆保険”と謳われた「オバマケア」だが、実は医薬品業界、保険業界、ウオール街の利潤追求の具であり、それを実現させるのが業界と政界を結ぶ「回転ドア」といわれる構造だ。そこでは業界の便を図る法律が、業界が政府に送り込んだ官僚(米国は日本の公務員制度とは異なり、多くの場合辣腕弁護士である。)の手により作成される。法案の本質は美辞麗句で彩られた政治的スローガンによって隠蔽され、議会で承認される。法案成立後、すなわち業界が目的を達成した後、彼らは政府を離れ、高額のサラリーでグローバル企業に重役として就職する。
健康保険制度とは社会保障
本書(後編)はそれを受けて、日本の保険制度の破壊をめざして市場進出を狙うアメリカの政財一体化した進出戦略及びそれに同調する日本政府の動向を明らかにしている。著者(堤未果)は本書を通じて読者に注意を喚起し、何度も警鐘を鳴らす。加えて、あるべき医療体制の日本における成功事例、予防医療を具体的に挙げることにより、健康保険制度とは何か、社会保障とは何か、医療とは何か、福祉とは何か、国家とは何か、生命とは何か――について問う。健康保険制度とは社会保障なのだと。
このような本書の組み立てからすると、帯にある「あなたは盲腸手術に200万円払えますか?」という広告コピーはいただけない。日本の皆保険制度がアメリカの強欲資本主義とそれに手を貸す現政権に破壊されればそうなることは間違いないし、本を売るためにはショッキングな広告コピーが必要なことはわかる。だが著者(堤未果)の意図は、具体から普遍――「知らない、わからない」から「知る、否定する、概念化する」――への上向であるからだ。
「無知は弱さになる」
本書の前編である『沈みゆく大国 アメリカ』の取材中、ニューヨークの貧困地域で出会った内科医のドン医師に、同じセリフを言われたことを思い出した。“素晴らしいもの”とは日本の国民皆保険制度のことであり、“それを狙っている連中”とはアメリカの強欲資本主義であり、それに手を貸す日本政府であり、アメリカ型資本主義に追随したい日本の大企業のこと。そして、“気をつけなければいけない”のは日本国民(生活者)だ。「だが実際、私たち日本人は、自分の住んでいる国や地域の制度について、どれだけ知っているのだろうか?」(P33)と、著者(堤未果)は危惧する。
〈気をつけてください。どんなに素晴らしいものを持っていても、その価値に気づかなければ隙を作ることになる。そしてそれを狙っている連中がいたら、簡単にかすめとられてしまう。この国でたくさんの者が、大切なものを、当たり前の暮らしを、合法的に奪われてしまったように〉(P33)
強欲資本主義が人々を欺く手口
アメリカの強欲資本主義とそれに追随したい日本政府・日本企業は、社会保障=セーフティーネットの破壊とその商品化を実現するため、どのような手を使ってくるのか――筆者(堤未果)によると、それは、▽アメリカからの直接的外圧(MOSS協議、日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話等)、▽国内的には、経済財政諮問会議(という超法規的執行機関)によるたとえば「戦略特区」、規制緩和(新薬スピード承認等)、▽TPP(環太平洋パートナーシップ)及びTiSA(新サービス貿易協定)といった国際協定――を挙げる。もちろん日本政府による「後期高齢者医療制度」に代表される直接的な社会福祉制度の破壊、切捨てもある。
強欲資本主義先進国のアメリカでは、法案を数千ページという膨大な文書に仕上げ(誰も読まない)、「本質」を隠蔽する手口が横行しているという。前出のオバマケアがその好例で、同法案は3000ページを超えていた。膨大な分量の文書の内部に、保険会社、医薬品業者が実際に儲けられる仕組みをこっそりしのばせておいて、「国民皆保険」「貧しい人にも手厚い保険制度」といった謳い文句だけを政治家に声高に叫ばせるという手口だ。日本でも安保法制が10件の法案を一本にまとめて国会審議され強行採決されたケースも、アメリカの手口に近いかもしれない。
人気の(医療)ウエブサイトを広告料等の投入で買収し、そこに提灯記事を書かせるもの、TVで人気の芸能人、コメディアンに支持を表明させるもの、連続TVドラマで“刷り込む”手口も一般化している。もちろん、アカデミズムを抱き込む手口は常套手段。専門家が推奨することで国民の「理解を深める」という建前だが、「専門家」は概ね政府の代弁者というわけだ。日本の場合、安保法制ではアカデミズムが率先して「違憲」を表明したわけで、アメリカに比べれば、日本のアカデミズムのほうが健全かもしれない。
“普遍的問い”として答えよ
最速で高齢化する日本の行く末を、同じ高齢社会問題を抱える世界中がじっとみつめる経済成長という旗を振りながら、医療を「商品」にし、使い捨て市場となるのか。本書の結びにあるとおり、TPP、安保法制、新国立問題、アベノミックス・・・と、われわれのもとに横たわるさまざまな社会問題及び変化を、“普遍的な問い”として受け止め、態度決定することこそがわれわれ一人ひとりに求められている。
世界一素晴らしい皆保険制度と憲法25条の精神を全力で守り、胸をはって輸出してゆくのか。
それは単なる医療という一つの制度の話ではなく、人間にとって、いのちとは何か、どうやって向き合ってゆくのかという、普遍的な問いになるだろう。
「マネーゲーム」ではなく、私たち自身の手で選ぶのだ。(P212)
憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
2015年7月22日水曜日
新国立問題、騒ぐだけではなく、責任追及がメディアの使命
安倍総理大臣が東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとなる新しい国立競技場(以下、「新国立」と略記)について、「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで計画を見直すと決断した」と述べ、計画を見直す方針を表明した。これにより、迷走を続けた「新国立」問題は、いちおうの決着がついた。
新国立問題は安保法制衆院強行採決のめくらまし
迷走の経緯等については既に多くの報道があるので、ここでは繰り返さない。予算を大幅に超える建設費問題、工事が周辺環境に与える、景観上、衛生上等の悪影響、デザインの良し悪し、建設後の景観及び周辺環境に与える悪影響、維持管理費問題…と、誰が見ても現在の計画は無謀であった。それが見直されるのだから万々歳なのだが、白紙見直しには政権側の謀略も隠されている。
政権が白紙化を発表した背景には、安保法制強行採決による支持率低下の波及への懸念があった、という説がある。筆者もその説に反対ではない。アベノミックスの悪影響により家計を圧迫されている生活者の立場からすれば、へんてこりんなデザインの競技場に無駄な税金を使われたくない、という情念が働いて当然である。「新国立」問題は、「安保法制憲法違反」、「国会強行採決」によって、「あれ、安倍政権、なんかへんだぞ」と感じ始めた大衆の「反安部意識」を増幅するに十分すぎる素材である。だれだってあの奇妙なデザインには嫌悪感を抱くし、そこに血税を注ぎ込むというのは納得がいかない。
そればかりではない。支持率低下防止というよりも、大衆が抱いた安保法制への関心を「新国立」問題に逸らす意図がうかがえた。「めくらまし」である。そのことを実証するように、新聞、TVは一斉に、「新国立」叩きを、堰を切ったように始めた。人々は安保法制に疑問を抱き、政府与党の強行採決に怒りを感じた。その怒りの矛先を「新国立」問題に向けさせるためだ。怒りが怒りを呼ぶのではなく、怒りを「安保法制問題」から「新国立」に振り替えようというのが、安倍政権の意図のようだ。
良心的建築家及び市民運動団体が「新国立」に異議を唱え始めたのは、いまから2年以上も前のことだった。そのとき、マスメディアは彼らの異議申し立てを無視し続けた。しかるに、この期に及んで、マスメディアが「安藤叩き」「森喜朗叩き」「JSC叩き」を足並みそろえて始めたことの裏側になにかがある――と、想像することは自然である。この事例から、日本のマスメディアが権力の走狗、大衆操作の具となり下がったことを確認できる。
ハディド案の「新国立」は女性性器
マスメディアは報じないが、このたび白紙化された「新国立」のデザインは、女性性器をモチーフにしたものである。このことは、SNS上では常識になっていた。空から見た「新国立」の完成予想図(パース)は、神宮の森(陰毛)に女陰がぽっかりと口を開けている風景である。国際コンペに臨んだイラク出身、英国在住の女性建築家、ザハ・ハディドはおそらく、落選覚悟で遊んだのだろう。それが異議異論なく、当選してしまったのだ。今回の混乱の発端はそこにある。
「新国立」のデザインに係る混乱ぶり
ハディド案決定の裏側――専門家は「アンビルト」をなぜ選んだのか
さて、「新国立」のデザイン決定に関与したメンバーは以下のとおり。
審査委員 11名 (役職は当時)
★の3名は、有識者会議メンバーでもある。
◎有識者審査委員
(施設建築)
委員長;安藤忠雄 ★建築WG座長(建築家)
委員 ;鈴木博之・建築計画・建築史(青山学院大学教授)
委員 ;岸井隆幸・都市計画(日本大学教授)
委員 ;内藤廣・建築計画・景観(前東京大学副長)
委員 ;安岡正人・環境・建築設備(東京大学名誉教授)
(スポーツ利用)
委員 ;小倉純二 ★スポーツWG座長(日本サッカー協会長)
(文化利用)
委員 ;都倉俊一 ★文化WG座長(日本音楽著作権協会長)
◎日本国以外の籍を有する建築家審査委員
委員 ;リチャード・ロジャース・イギリス(建築家)
委員 ;ノーマン・フォスター・イギリス(建築家)
◎主催者
委員 ;河野一郎(日本スポーツ振興センター理事長)
◎実現可能性を確認する専門アドバイザー
;和田章・建築構造※技術調査員と兼任
技術調査員
総括管理 - 和田章(東京工業大学) ※審査委員の専門アドバイザーと兼任
建築分野 - 【構造】三井和男(日本大学)
建築設備 - 【メカニカル】藤田聡(東京電機大学)、【空調】川瀬貴晴(千葉大学、建築設備技術者協会会長)、【音響】坂本慎一(東京大学)
施工・品質分野 - 野口貴文(東京大学)
都市計画分野 - 関口太一(都市計画設計研究所)
積算分野 - 木本健二(芝浦工業大学)
事業計画分野 - 東洋一(日本総合研究所)
建築法規分野 - 【防災計画】河野守(東京理科大学)
ハディド案をおしたのが、安藤忠雄と、戸倉俊一だったという。専門家である安藤が「このデザインは東京、日本の輝かしい未来を象徴する」と発言したかどうか知らないが、おそらくそのような表向きの趣旨に従ってデザインが決定されたはずだ。
不可解な専門家の沈黙
このメンバー表を見ると、委員、技術調査員、アドバイザーを含め、日本の建築学会、建築界における超一流の頭脳が集結しているではないか。彼らがなぜ、ハディドのデザインがかくも高額になることを予想できなかったのか。真剣に検討したのかどうかおおいに疑問が残る。
デザインの良し悪しには主観性による。安藤忠雄がいいというのならば、折れることも構わない。だが、建築の専門家ならば当初の予算設定に疑問をはさむ余地は十二分にあったはずだ。今回の白紙撤回により浪費された経費は、彼らが個人資産で負担すべきだ。安藤忠雄が決定機関の委員長として会見を開いたが、自らの責任を明らかにしなかったし、謝罪もしていない。メディアも責任追求しない。この無責任体制はなんなのか。
予算無限大はゼネコンからのキックバック目当てか?
それだけではない。迷走を続けた同案の建設費の見通しは、見積漏れが何か所もあることがわかっている。つまり、メディアに流れた1300億、3000億超、2520億という予算額もいい加減な数字だったということ。さらに建築技術的諸問題点、廃棄物処理問題(物流問題)、建設技術者・労働者、建設機材、同物流車両等に係る確保が難航することが、否、不可能であることもわかっている。まさに、ハディド案は、事実上アンビルト(ザハの別名が「アンビルトの女王」であることは有名。)の代物だったのだ。
エジプトのピラミッド等に代表される古代の建築物はそのスケールの大きさにより、現代人を圧倒する。現代人が、クレーン等の建設機材をもたない古代人がなぜあんな勇壮な建築物をつくりあげたのか不思議に思う。その答えの一つに、“古代には予算も工期もなかったから”というのがある。ハディド案もそれに近い。オリンピックなんだから、カネはいくらでもつぎ込める――というのが、同案を決定した委員たちの本音なのだろう。それが証拠に、組織委員会長の森喜朗は、「国がなんで2600億円くらいだせなかったのか」と、同案白紙決定に不満を漏らしている。同案が「森喜朗古墳」と揶揄される所以である。
安藤忠雄、森喜朗に代表される「新国立」関係者たちは、予算がかさめば、ゼネコンからのキックバックもそれだけ大きくなると踏んだのではないか。森は、「白紙、見直し」が決まった直後のインタビューにおいて、「もともとあのデザインは嫌いだった」と述べている。これが森の本音である。彼らにとって、デザインはどうでもよい。彼らの関心は、“高い施工費、高いキックバック”――選考に当たって彼らの頭のなかを支配していたのは、このこと以外になかったのではないか。
騒ぐだけでなく責任追及がメディアの使命
ハディド案を白紙撤回したことにより、およそ100億円が消えるという。この責任はだれが負うのだ。安倍政権は、「新国立」問題を安保法制強行採決のめくらましに使い、マスメディアはその片棒を担いでいる。ならば、安倍政権打倒を目指す大衆は、「新国立」の不祥事を徹底追及し、スキャンダル化し、責任者を追及し、関与者の悪事を暴くことで、安保法制強行採決と併せて、ダブルパンチとして浴びせるしかない。めくらましを逆手にとって、安倍政権に二重の苦痛を与えることだ。
新国立問題は安保法制衆院強行採決のめくらまし
迷走の経緯等については既に多くの報道があるので、ここでは繰り返さない。予算を大幅に超える建設費問題、工事が周辺環境に与える、景観上、衛生上等の悪影響、デザインの良し悪し、建設後の景観及び周辺環境に与える悪影響、維持管理費問題…と、誰が見ても現在の計画は無謀であった。それが見直されるのだから万々歳なのだが、白紙見直しには政権側の謀略も隠されている。
政権が白紙化を発表した背景には、安保法制強行採決による支持率低下の波及への懸念があった、という説がある。筆者もその説に反対ではない。アベノミックスの悪影響により家計を圧迫されている生活者の立場からすれば、へんてこりんなデザインの競技場に無駄な税金を使われたくない、という情念が働いて当然である。「新国立」問題は、「安保法制憲法違反」、「国会強行採決」によって、「あれ、安倍政権、なんかへんだぞ」と感じ始めた大衆の「反安部意識」を増幅するに十分すぎる素材である。だれだってあの奇妙なデザインには嫌悪感を抱くし、そこに血税を注ぎ込むというのは納得がいかない。
そればかりではない。支持率低下防止というよりも、大衆が抱いた安保法制への関心を「新国立」問題に逸らす意図がうかがえた。「めくらまし」である。そのことを実証するように、新聞、TVは一斉に、「新国立」叩きを、堰を切ったように始めた。人々は安保法制に疑問を抱き、政府与党の強行採決に怒りを感じた。その怒りの矛先を「新国立」問題に向けさせるためだ。怒りが怒りを呼ぶのではなく、怒りを「安保法制問題」から「新国立」に振り替えようというのが、安倍政権の意図のようだ。
良心的建築家及び市民運動団体が「新国立」に異議を唱え始めたのは、いまから2年以上も前のことだった。そのとき、マスメディアは彼らの異議申し立てを無視し続けた。しかるに、この期に及んで、マスメディアが「安藤叩き」「森喜朗叩き」「JSC叩き」を足並みそろえて始めたことの裏側になにかがある――と、想像することは自然である。この事例から、日本のマスメディアが権力の走狗、大衆操作の具となり下がったことを確認できる。
ハディド案の「新国立」は女性性器
マスメディアは報じないが、このたび白紙化された「新国立」のデザインは、女性性器をモチーフにしたものである。このことは、SNS上では常識になっていた。空から見た「新国立」の完成予想図(パース)は、神宮の森(陰毛)に女陰がぽっかりと口を開けている風景である。国際コンペに臨んだイラク出身、英国在住の女性建築家、ザハ・ハディドはおそらく、落選覚悟で遊んだのだろう。それが異議異論なく、当選してしまったのだ。今回の混乱の発端はそこにある。
「新国立」のデザインに係る混乱ぶり
- このたび白紙化されたデザインは2012年11月、建築家の安藤忠雄氏が委員長を務めた審査委員会が、建設費を1300億円とする想定のもと、前出のザハ・ハディドの作品を最優秀賞に選んだもの。
- そのことを受けて、建築家、環境保護市民団体等が同案に対する反対を表明し、反対運動を展開し始めた。
- ハディドのデザインを忠実に再現した場合、費用が想定の2倍を超える3000億円に上ることが分かり、去年5月にまとまった基本設計では、当初のデザインと比べ、延べ床面積を25%程度縮小するなどして1625億円まで費用を圧縮した。
- ところが、費用圧縮は不可能との検証結果が出て、結局費用が3000億円を超えるとともに、工期も間に合わないことが分かった。
- ハディドのデザインを換骨奪胎する修正案(開閉式の屋根の設置を、東京オリンピック・パラリンピックの終了後に先送りする等)が再提出され、2520億円になることが決まった。
- 安保法制衆院強行採決後、同修正案は白紙撤回となった。
ハディド案決定の裏側――専門家は「アンビルト」をなぜ選んだのか
さて、「新国立」のデザイン決定に関与したメンバーは以下のとおり。
審査委員 11名 (役職は当時)
★の3名は、有識者会議メンバーでもある。
◎有識者審査委員
(施設建築)
委員長;安藤忠雄 ★建築WG座長(建築家)
委員 ;鈴木博之・建築計画・建築史(青山学院大学教授)
委員 ;岸井隆幸・都市計画(日本大学教授)
委員 ;内藤廣・建築計画・景観(前東京大学副長)
委員 ;安岡正人・環境・建築設備(東京大学名誉教授)
(スポーツ利用)
委員 ;小倉純二 ★スポーツWG座長(日本サッカー協会長)
(文化利用)
委員 ;都倉俊一 ★文化WG座長(日本音楽著作権協会長)
◎日本国以外の籍を有する建築家審査委員
委員 ;リチャード・ロジャース・イギリス(建築家)
委員 ;ノーマン・フォスター・イギリス(建築家)
◎主催者
委員 ;河野一郎(日本スポーツ振興センター理事長)
◎実現可能性を確認する専門アドバイザー
;和田章・建築構造※技術調査員と兼任
技術調査員
総括管理 - 和田章(東京工業大学) ※審査委員の専門アドバイザーと兼任
建築分野 - 【構造】三井和男(日本大学)
建築設備 - 【メカニカル】藤田聡(東京電機大学)、【空調】川瀬貴晴(千葉大学、建築設備技術者協会会長)、【音響】坂本慎一(東京大学)
施工・品質分野 - 野口貴文(東京大学)
都市計画分野 - 関口太一(都市計画設計研究所)
積算分野 - 木本健二(芝浦工業大学)
事業計画分野 - 東洋一(日本総合研究所)
建築法規分野 - 【防災計画】河野守(東京理科大学)
ハディド案をおしたのが、安藤忠雄と、戸倉俊一だったという。専門家である安藤が「このデザインは東京、日本の輝かしい未来を象徴する」と発言したかどうか知らないが、おそらくそのような表向きの趣旨に従ってデザインが決定されたはずだ。
不可解な専門家の沈黙
このメンバー表を見ると、委員、技術調査員、アドバイザーを含め、日本の建築学会、建築界における超一流の頭脳が集結しているではないか。彼らがなぜ、ハディドのデザインがかくも高額になることを予想できなかったのか。真剣に検討したのかどうかおおいに疑問が残る。
デザインの良し悪しには主観性による。安藤忠雄がいいというのならば、折れることも構わない。だが、建築の専門家ならば当初の予算設定に疑問をはさむ余地は十二分にあったはずだ。今回の白紙撤回により浪費された経費は、彼らが個人資産で負担すべきだ。安藤忠雄が決定機関の委員長として会見を開いたが、自らの責任を明らかにしなかったし、謝罪もしていない。メディアも責任追求しない。この無責任体制はなんなのか。
予算無限大はゼネコンからのキックバック目当てか?
それだけではない。迷走を続けた同案の建設費の見通しは、見積漏れが何か所もあることがわかっている。つまり、メディアに流れた1300億、3000億超、2520億という予算額もいい加減な数字だったということ。さらに建築技術的諸問題点、廃棄物処理問題(物流問題)、建設技術者・労働者、建設機材、同物流車両等に係る確保が難航することが、否、不可能であることもわかっている。まさに、ハディド案は、事実上アンビルト(ザハの別名が「アンビルトの女王」であることは有名。)の代物だったのだ。
エジプトのピラミッド等に代表される古代の建築物はそのスケールの大きさにより、現代人を圧倒する。現代人が、クレーン等の建設機材をもたない古代人がなぜあんな勇壮な建築物をつくりあげたのか不思議に思う。その答えの一つに、“古代には予算も工期もなかったから”というのがある。ハディド案もそれに近い。オリンピックなんだから、カネはいくらでもつぎ込める――というのが、同案を決定した委員たちの本音なのだろう。それが証拠に、組織委員会長の森喜朗は、「国がなんで2600億円くらいだせなかったのか」と、同案白紙決定に不満を漏らしている。同案が「森喜朗古墳」と揶揄される所以である。
安藤忠雄、森喜朗に代表される「新国立」関係者たちは、予算がかさめば、ゼネコンからのキックバックもそれだけ大きくなると踏んだのではないか。森は、「白紙、見直し」が決まった直後のインタビューにおいて、「もともとあのデザインは嫌いだった」と述べている。これが森の本音である。彼らにとって、デザインはどうでもよい。彼らの関心は、“高い施工費、高いキックバック”――選考に当たって彼らの頭のなかを支配していたのは、このこと以外になかったのではないか。
騒ぐだけでなく責任追及がメディアの使命
ハディド案を白紙撤回したことにより、およそ100億円が消えるという。この責任はだれが負うのだ。安倍政権は、「新国立」問題を安保法制強行採決のめくらましに使い、マスメディアはその片棒を担いでいる。ならば、安倍政権打倒を目指す大衆は、「新国立」の不祥事を徹底追及し、スキャンダル化し、責任者を追及し、関与者の悪事を暴くことで、安保法制強行採決と併せて、ダブルパンチとして浴びせるしかない。めくらましを逆手にとって、安倍政権に二重の苦痛を与えることだ。
2015年7月15日水曜日
理想のボディより、強い体づくりを目指せ
健康ブームのなか、パーソナルトレーニングに特化したスポーツクラブR社が話題になっている。報道によると、このスポーツクラブの謳い文句は、入会金5万円、コース基本料金29万8千円(2か月・16回)で理想のボディを約束するというもの。
会員募集方法に特徴があり、有名人を起用したTVCMに集中して、年間70億円、販売管理費の約3割をそれに投入しているという。会員が受けられるサービスは、専属トレーナーによる筋トレ個人指導および食事指導である。
R社の指導方法はボディビルダーの調整法に近いかもしれない
R社の指導方法については、「ボディビルダーの大会前の調整と似ている」というネット上の指摘がある。筆者もその指摘に全面的に同意する。
ボディビルダーは大会出場から逆算して年間スケジュールを立てる。大会終了を起点として、その後のおよそ半年間は体を大きくする、いわゆるバルクアップに励む。バルクアップ期は体重増と並行して過酷なウエートトレーニングを重ね、体重増及び筋量増を目指す。この時期、例えば、65キロ以下クラスに出場すると定めた選手は75~80キロ程度まで体重をあげる。
バルクアップを終えると、体内の脂肪の除去にとりかかる。減量だ。減量期間は、炭水化物、糖類を極度に制限し、高タンパク質食材を摂取する。大会3月前くらいには、出場予定階級の体重制限を下回る見通しが立っていないといけない。
減量期において、もっとも難しいのが体重減に伴う筋量減の防止である。体重減とともにパワーは必然的に落ちる。たとえば、バルクアップ中ならば、ベンチプレス100キロを上げていた者でも、減量期には難しくなる。それを防止するのが、高蛋白質食材の大量摂取及び精神力である。バルクアップ期の重さを上げきれるか諦めるかで、体の仕上がり具合が変わってくる。
なお、ここではバルクアップ~減量の年2分割調整法を紹介したが、プチ増量、プチ減量を数回繰り返すような調整法もある。
筋トレにおいては、筋肉の形が鮮明に出るような特別なトレーニング方法、マシーン活用があり、ポージング(大会規定のポーズ及び選手オリジナルのフリー)の訓練も必要となる。また、専用サプリメントの摂取も大切である。こうして、大会直前に制限体重ぎりぎりに仕上げて、大会に臨む。大会入賞者の体脂肪率は概ね5%前後が一般的だ。
R社に入会する者は、筋トレの経験がないか、もしくは、それを休止していて、しかも体内脂肪比率(体脂肪率)の高い人だろう。そのような状態の者が入会後、筋トレ及び食事制限によるメニューを一気に実践にうつすことになる。ということは、R社の指導法は、一般人の体の状態をボディビルダーのバルクアップした状態にアナロジーし、そこから2か月間で減量を迫るものと考えていい。入会者は筋トレよりも、脂肪・糖質制限の食事制限により、体重を落とす。筋トレだけで脂肪を除去することはかなり難しい。体脂肪が高い者でも、もともと筋肉のある者なら、この食事制限により、筋肉の形が見え始め、体の外形的変化が認められるようになる。
体重減しても、筋量増は難しい
体重70キロの者が、R社の作成した筋トレメニューに従った場合、たとえばベンチプレス70キロの記録を、2か月後、体重65キロに落としたうえで、ベンチプレス80キロを記録できるのか、というと、おそらく、そうなっていない。体重減とともに脂肪が減り、筋肉の形が見えてきただけで、筋力アップにつながっていないと考えられるからだ。筋トレ経験の少ない人は、体重減とともに、パワーも減ずるのが一般的。つまり、体重減とともに筋量、筋パワーとも減少している可能性のほうが高い。
結論を言えば、R社のメニューに従った2か月間のトレーニング等では体脂肪は減少できても、筋量アップは見込めないだろう。
「理想のボディ」というのが謳い文句のようだが、人間の筋肉は、2カ月間ではそうそう強化できない。それができるのならば、だれもがボディビル大会で優勝できるし、パワーリフティング大会で勝てる。
トレーニングの目的は外形ではなく、強い体をつくること
筋トレ及び食事制限で理想のボディを手に入れようと努力することは大切なことだし、その試みを否定しない。ただし、どんなトレーニングでも、その目的は強い体をつくること。筋肉増とその強化が健康増進に直結することは医学的に証明済みなのだから、外形上の変化より、筋量増をメルクマールとしたトレーニング成果を追求したいものである。
「ローマは一日にしてならず」――筆者の経験では、強靭な体をつくるには、数年単位の筋トレの積み重ねが必要。たった、2か月で体の外形がある程度変わったくらいで、強い体づくりができたなんて、まちがっても思わないほうがいい。
会員募集方法に特徴があり、有名人を起用したTVCMに集中して、年間70億円、販売管理費の約3割をそれに投入しているという。会員が受けられるサービスは、専属トレーナーによる筋トレ個人指導および食事指導である。
R社の指導方法はボディビルダーの調整法に近いかもしれない
R社の指導方法については、「ボディビルダーの大会前の調整と似ている」というネット上の指摘がある。筆者もその指摘に全面的に同意する。
ボディビルダーは大会出場から逆算して年間スケジュールを立てる。大会終了を起点として、その後のおよそ半年間は体を大きくする、いわゆるバルクアップに励む。バルクアップ期は体重増と並行して過酷なウエートトレーニングを重ね、体重増及び筋量増を目指す。この時期、例えば、65キロ以下クラスに出場すると定めた選手は75~80キロ程度まで体重をあげる。
バルクアップを終えると、体内の脂肪の除去にとりかかる。減量だ。減量期間は、炭水化物、糖類を極度に制限し、高タンパク質食材を摂取する。大会3月前くらいには、出場予定階級の体重制限を下回る見通しが立っていないといけない。
減量期において、もっとも難しいのが体重減に伴う筋量減の防止である。体重減とともにパワーは必然的に落ちる。たとえば、バルクアップ中ならば、ベンチプレス100キロを上げていた者でも、減量期には難しくなる。それを防止するのが、高蛋白質食材の大量摂取及び精神力である。バルクアップ期の重さを上げきれるか諦めるかで、体の仕上がり具合が変わってくる。
なお、ここではバルクアップ~減量の年2分割調整法を紹介したが、プチ増量、プチ減量を数回繰り返すような調整法もある。
筋トレにおいては、筋肉の形が鮮明に出るような特別なトレーニング方法、マシーン活用があり、ポージング(大会規定のポーズ及び選手オリジナルのフリー)の訓練も必要となる。また、専用サプリメントの摂取も大切である。こうして、大会直前に制限体重ぎりぎりに仕上げて、大会に臨む。大会入賞者の体脂肪率は概ね5%前後が一般的だ。
R社に入会する者は、筋トレの経験がないか、もしくは、それを休止していて、しかも体内脂肪比率(体脂肪率)の高い人だろう。そのような状態の者が入会後、筋トレ及び食事制限によるメニューを一気に実践にうつすことになる。ということは、R社の指導法は、一般人の体の状態をボディビルダーのバルクアップした状態にアナロジーし、そこから2か月間で減量を迫るものと考えていい。入会者は筋トレよりも、脂肪・糖質制限の食事制限により、体重を落とす。筋トレだけで脂肪を除去することはかなり難しい。体脂肪が高い者でも、もともと筋肉のある者なら、この食事制限により、筋肉の形が見え始め、体の外形的変化が認められるようになる。
体重減しても、筋量増は難しい
体重70キロの者が、R社の作成した筋トレメニューに従った場合、たとえばベンチプレス70キロの記録を、2か月後、体重65キロに落としたうえで、ベンチプレス80キロを記録できるのか、というと、おそらく、そうなっていない。体重減とともに脂肪が減り、筋肉の形が見えてきただけで、筋力アップにつながっていないと考えられるからだ。筋トレ経験の少ない人は、体重減とともに、パワーも減ずるのが一般的。つまり、体重減とともに筋量、筋パワーとも減少している可能性のほうが高い。
結論を言えば、R社のメニューに従った2か月間のトレーニング等では体脂肪は減少できても、筋量アップは見込めないだろう。
「理想のボディ」というのが謳い文句のようだが、人間の筋肉は、2カ月間ではそうそう強化できない。それができるのならば、だれもがボディビル大会で優勝できるし、パワーリフティング大会で勝てる。
トレーニングの目的は外形ではなく、強い体をつくること
筋トレ及び食事制限で理想のボディを手に入れようと努力することは大切なことだし、その試みを否定しない。ただし、どんなトレーニングでも、その目的は強い体をつくること。筋肉増とその強化が健康増進に直結することは医学的に証明済みなのだから、外形上の変化より、筋量増をメルクマールとしたトレーニング成果を追求したいものである。
「ローマは一日にしてならず」――筆者の経験では、強靭な体をつくるには、数年単位の筋トレの積み重ねが必要。たった、2か月で体の外形がある程度変わったくらいで、強い体づくりができたなんて、まちがっても思わないほうがいい。
2015年7月12日日曜日
『経済学からなにを学ぶか』
●伊藤誠〔著〕 ●平凡社新書 ●880円+税
本書は副題「その500年の歩み」とあるように、重商主義から重農主義(ケネー)、古典派経済学(スミス、リカード)、歴史学派、制度学派、新古典派経済学、そしてマルクス主義経済といった経済学について、歴史的、網羅的に解説したもの。たいへんわかりやすく、「新自由主義」に対抗する社会主義再生の道筋を示そうとした書といえる。
「新自由主義」はオーストリア学派(限界効用学派)の一部を継承するもの
いまの日本社会を支配する経済倫理が「新自由主義」と呼ばれる経済学に依っていることは否定しょうがない。それはネオ・リベラリズム、市場原理主義、フリー・マーケット・システムと呼ばれることもある。
この潮流が形成されたのはそう古いことではない。ソ連の崩壊(1991)の直前、欧州を代表する社会民主主義国家イギリスのサッチャー政権(首相在任期間1979-1990)及びケインズ経済の本家本元アメリカのレーガン政権(大統領在任期間1981-1989)においてほぼ同時的に推し進められた。
本書においては、「新自由主義」は、社会主義、社会民主主義に徹底して反対したオーストリア学派(限界効用学派)の流れをくむ思想であり、新古典派の一部を継承するものだと位置づけている。
オーストリア学派(限界効用学派)はウィーン学派とも呼ばれ、ウィーン大学教授C・メンガー(1840ー1921)の著書『国民経済学原理』を発端とし、第二世代のE・フォン・ベーム=パヴェㇽク(1851ー1914)、フォン・ヴィーザー(1851ー1926)を経て、第三世代L・E・フォン・ミーゼス(1881ー1973)やF・A・フォン・ハイエク(1890ー1992)へと至る。この学派について本書は以下のように整理している。
ミクロ経済主体の選択行為における限界効用の役割を重視し価格理論を提示展開する「限界効用逓減の法則」や「帰属理論」からは、消費者主権の発想が認められるものの、今日の「新自由主義」とは直結しない。今日の流れを形成したのは、同学派第二世代のベーム=パヴェㇽクが1896年、限界効用学派の観点から、マルクス価値論及び剰余価値論への批判を行ったことからだ。これに続き、第三世代のミーゼスとハイエクが1920ー1930年代にソ連型集権的計画経済の合理的存立可能性をめぐり、社会主義経済計算論争をしかけた。
「新自由主義」とシカゴ学派
「新自由主義」の経済学は、「1973年以降の資本主義経済のインフレ恐慌、スタグフレーション(物価高騰をともなう不況)としての高失業とインフレの並存、ついで、高度情報技術による資本主義経済の再編過程に支配的潮流となった(P173)」という側面もある。だが、その最大の特徴の一つは、ケインズ経済に従って政策化された「ニューディール政策」に代表される国家による市場への関与を排除するところである。そのことは、ミルトン・フリードマン(1912-2006)の代表的著作『資本主義と自由』に詳しい。フリードマンの主張を大雑把に言えば、市場原理主義であり、経済、文化、社会における国家の排除であり、完全な自己責任主義となる。なお、フリードマンについては後述する。
アメリカ(シカゴ学派)による世界経済支配の完成
本書の導きから今日優勢な「新自由主義」が世界的に経済学及び経済倫理の主流となった根拠を推量すると、人々がソ連崩壊を契機として、自然発生的に社会主義経済を忌避し、「新自由主義」を選び取った結果のように思えなくもない。はたしてそうだろうか。
今日の「新自由主義」は、アメリカの世界経済支配戦略に基づき、周到に進められてきたものだ。アメリカはその経済支配が及ばなかった旧社会主義国家群(南米、ロシア、東欧、アジア)及び福祉政策を重視する西側諸国に対し、CIA等を使って政治的関与を深め、アメリカが主唱する「新自由主義」に基づく経済政策を支持する政権を誕生させてきた。
親米政権誕生後には、経済顧問団を当該国に送り込み、また、IMF等の国際金融機関により経済的支配を強めることにより、「新自由主義」を徹底した。
アメリカが送り込んだ経済顧問や、国際的金融機関の官僚たちはシカゴボーイズと呼ばれた。彼らは「新自由主義」の頭首でシカゴ大学教授ミルトン・フリードマンの下で経済学を学んだシカゴ学派の若き秀才たちだった。アメリカは、南米、アジア、旧社会主義圏、西側福祉国家を「新自由主義化」することに成功し、いまもって世界はその流れの中にある。
アメリカはそのことと並行して、自国における福祉国家的政策を切り捨て、ケインズ型マクロ経済学に基づく国家による市場への関与に係る制度・政策を一掃した。その経緯、詳細については、『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)に詳しい。
日本では、「ロン、ヤス」と呼びあったレーガン米国大統領と親密だった中曽根康弘政権(首相在任期間/1982-1987)の時代の国鉄、電電公社、専売公社の民営化達成を皮切りに、橋本龍太郎政権(首相在任期間/1996‐1998)の時代、「フリー、フェア、グローバル」を標語とした「日本版金融ビッグバン」と呼ばれた金融改革が実行され、続いて小泉純一郎政権(首相在任期間/2001‐2006)の時代の「構造改革」によって「新自由主義」経済政策が定着した。
こう振り返ってみると、「新自由主義」は経済学なのか、それとも資本主義を延命させるイデオロギーなのか――と、その判断に迷うことだろう。筆者はもちろん、後者だと確信しているが。
アメリカは、ソ連(社会主義経済)崩壊後の世界経済支配の経済原理として、「新自由主義」を掲げ実践してきた。その実践の対象は、第一に旧東側及びアジアであり、第二に自国(アメリカ)を含む先進資本主義諸国である。アメリカは前者に対して、剥き出しの資本主義である競争原理、市場原理の経済活動を強要し、労働者大衆が社会主義国家時代に既に享受していたセーフティーナットを簒奪した。後者においても、後期資本主義社会にビルトインされていた社会保障等の福祉制度、労働組合組織といった労働者大衆の既得権を、構造改革、規制緩和の名の下に簒奪していった。その結果が、今日の資本主義先進国における格差拡大、雇用問題、自然荒廃、福祉打切り等となって表れている。
その原動力となったのが、前出のアメリカ・シカゴ大学教授、ミルトン・フリードマンであり、彼の忠実なる学徒、シカゴボーイズである。今日の「新自由主義」をオーストリア学派から現実的に架橋したのは、シカゴ学派にほかならない。本書がシカゴ学派にまったく触れていないことに不満が残る。
本書は副題「その500年の歩み」とあるように、重商主義から重農主義(ケネー)、古典派経済学(スミス、リカード)、歴史学派、制度学派、新古典派経済学、そしてマルクス主義経済といった経済学について、歴史的、網羅的に解説したもの。たいへんわかりやすく、「新自由主義」に対抗する社会主義再生の道筋を示そうとした書といえる。
「新自由主義」はオーストリア学派(限界効用学派)の一部を継承するもの
いまの日本社会を支配する経済倫理が「新自由主義」と呼ばれる経済学に依っていることは否定しょうがない。それはネオ・リベラリズム、市場原理主義、フリー・マーケット・システムと呼ばれることもある。
この潮流が形成されたのはそう古いことではない。ソ連の崩壊(1991)の直前、欧州を代表する社会民主主義国家イギリスのサッチャー政権(首相在任期間1979-1990)及びケインズ経済の本家本元アメリカのレーガン政権(大統領在任期間1981-1989)においてほぼ同時的に推し進められた。
本書においては、「新自由主義」は、社会主義、社会民主主義に徹底して反対したオーストリア学派(限界効用学派)の流れをくむ思想であり、新古典派の一部を継承するものだと位置づけている。
・・・広くみれば、新古典派ミクロ価格理論にも、社会主義の可能性を容認し擁護する一面を有していた一般的均衡学派や、生産手段の私有制にもとづく資本主義を前提しつつ、労働組合運動を許容して、社会民主主義による福祉国家を志向する一面を有するケンブリッジ学派の伝統を含んでいた。それにもかかわらず、いまや社会主義や社会民主主義に反対していたハイエク的なオーストリア学派の伝統のみが、狭く選びとられて「新自由主義」の理論的基礎とされた傾向が目につく。(P175)
オーストリア学派(限界効用学派)はウィーン学派とも呼ばれ、ウィーン大学教授C・メンガー(1840ー1921)の著書『国民経済学原理』を発端とし、第二世代のE・フォン・ベーム=パヴェㇽク(1851ー1914)、フォン・ヴィーザー(1851ー1926)を経て、第三世代L・E・フォン・ミーゼス(1881ー1973)やF・A・フォン・ハイエク(1890ー1992)へと至る。この学派について本書は以下のように整理している。
・・・まず人間の欲望充足に直接役立つ低次財(消費財)について、同じ財を追加的にえてゆくと、その欲望充足に与える満足度(効用)は低下してゆくとする「限界効用逓減の法則」が前提とされた。その前提からまた、限られた予算制約(所得)のもとで、多様な消費財を選択してゆくと、最終的な支出単位について各財からえられる満足度としての「限界効用均等化の法則」が成り立つさいに、主観的満足度が最大化されるはずであるとみなされた。
経済主体としての各個人がそれぞれに有する財やサービスを手放して、市場で他の消費財と交換し入手してゆくさいの主観的満足度も、こうした限界効用の逓減と均等化の法則にしたがう。そのような個人としての経済主体の所有し供給する財やサービスと、それへの需要としての限界効用をめぐる選択行為をつうじ、消費財の相互交換比率ないし相対価格は体系的に決定される。
こうして消費財についての受給均衡的な価格体系が与えられれば、それらへの生産への貢献度に応じて、高次財(生産財)についても、相対価格が与えられ、帰属してゆく。これが生産財についての交換価値の帰属理論といわれた(P135-136)
ミクロ経済主体の選択行為における限界効用の役割を重視し価格理論を提示展開する「限界効用逓減の法則」や「帰属理論」からは、消費者主権の発想が認められるものの、今日の「新自由主義」とは直結しない。今日の流れを形成したのは、同学派第二世代のベーム=パヴェㇽクが1896年、限界効用学派の観点から、マルクス価値論及び剰余価値論への批判を行ったことからだ。これに続き、第三世代のミーゼスとハイエクが1920ー1930年代にソ連型集権的計画経済の合理的存立可能性をめぐり、社会主義経済計算論争をしかけた。
・・・この学派が新古典派のなかで、とくにマルクス学派との対抗関係を重視し、方法論的個人主義により経済生活の社会的統御に反発する特徴をよく示している。(P139-140)
ハイエクは・・・競争をつうじ各個人主体が言語化されず一般化もされないような「暗黙知」を発見しつつ、新技術、新製品、さらには社会経済上の諸制度や組織を自生的に産みだす作用にあると、強調するようになった(D・ラヴォア(1985)西部忠(1996))。
それは、I・カーズナー(1930-)やラヴォアら、現代オーストリア学派といわれる一連の理論家たちが、市場を知識の発見、イノベーション(技術などの革新)の自主的創出過程とみなし、それによって、ソ連崩壊や新自由主義の意義を説く傾向に継承されている。(P144-145)
「新自由主義」とシカゴ学派
「新自由主義」の経済学は、「1973年以降の資本主義経済のインフレ恐慌、スタグフレーション(物価高騰をともなう不況)としての高失業とインフレの並存、ついで、高度情報技術による資本主義経済の再編過程に支配的潮流となった(P173)」という側面もある。だが、その最大の特徴の一つは、ケインズ経済に従って政策化された「ニューディール政策」に代表される国家による市場への関与を排除するところである。そのことは、ミルトン・フリードマン(1912-2006)の代表的著作『資本主義と自由』に詳しい。フリードマンの主張を大雑把に言えば、市場原理主義であり、経済、文化、社会における国家の排除であり、完全な自己責任主義となる。なお、フリードマンについては後述する。
アメリカ(シカゴ学派)による世界経済支配の完成
本書の導きから今日優勢な「新自由主義」が世界的に経済学及び経済倫理の主流となった根拠を推量すると、人々がソ連崩壊を契機として、自然発生的に社会主義経済を忌避し、「新自由主義」を選び取った結果のように思えなくもない。はたしてそうだろうか。
今日の「新自由主義」は、アメリカの世界経済支配戦略に基づき、周到に進められてきたものだ。アメリカはその経済支配が及ばなかった旧社会主義国家群(南米、ロシア、東欧、アジア)及び福祉政策を重視する西側諸国に対し、CIA等を使って政治的関与を深め、アメリカが主唱する「新自由主義」に基づく経済政策を支持する政権を誕生させてきた。
親米政権誕生後には、経済顧問団を当該国に送り込み、また、IMF等の国際金融機関により経済的支配を強めることにより、「新自由主義」を徹底した。
アメリカが送り込んだ経済顧問や、国際的金融機関の官僚たちはシカゴボーイズと呼ばれた。彼らは「新自由主義」の頭首でシカゴ大学教授ミルトン・フリードマンの下で経済学を学んだシカゴ学派の若き秀才たちだった。アメリカは、南米、アジア、旧社会主義圏、西側福祉国家を「新自由主義化」することに成功し、いまもって世界はその流れの中にある。
アメリカはそのことと並行して、自国における福祉国家的政策を切り捨て、ケインズ型マクロ経済学に基づく国家による市場への関与に係る制度・政策を一掃した。その経緯、詳細については、『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)に詳しい。
日本では、「ロン、ヤス」と呼びあったレーガン米国大統領と親密だった中曽根康弘政権(首相在任期間/1982-1987)の時代の国鉄、電電公社、専売公社の民営化達成を皮切りに、橋本龍太郎政権(首相在任期間/1996‐1998)の時代、「フリー、フェア、グローバル」を標語とした「日本版金融ビッグバン」と呼ばれた金融改革が実行され、続いて小泉純一郎政権(首相在任期間/2001‐2006)の時代の「構造改革」によって「新自由主義」経済政策が定着した。
こう振り返ってみると、「新自由主義」は経済学なのか、それとも資本主義を延命させるイデオロギーなのか――と、その判断に迷うことだろう。筆者はもちろん、後者だと確信しているが。
アメリカは、ソ連(社会主義経済)崩壊後の世界経済支配の経済原理として、「新自由主義」を掲げ実践してきた。その実践の対象は、第一に旧東側及びアジアであり、第二に自国(アメリカ)を含む先進資本主義諸国である。アメリカは前者に対して、剥き出しの資本主義である競争原理、市場原理の経済活動を強要し、労働者大衆が社会主義国家時代に既に享受していたセーフティーナットを簒奪した。後者においても、後期資本主義社会にビルトインされていた社会保障等の福祉制度、労働組合組織といった労働者大衆の既得権を、構造改革、規制緩和の名の下に簒奪していった。その結果が、今日の資本主義先進国における格差拡大、雇用問題、自然荒廃、福祉打切り等となって表れている。
その原動力となったのが、前出のアメリカ・シカゴ大学教授、ミルトン・フリードマンであり、彼の忠実なる学徒、シカゴボーイズである。今日の「新自由主義」をオーストリア学派から現実的に架橋したのは、シカゴ学派にほかならない。本書がシカゴ学派にまったく触れていないことに不満が残る。
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