2012年4月30日月曜日

八重桜も散っていく

寛永寺の八重桜が散って、地面をピンクに染めた。






2012年4月29日日曜日

『わが闘争 上下』

 ●アドルフ・ヒトラー  ●角川文庫  ●上800円、下705円(+税)


ヒトラーという人物の詳細については、ここでは割愛する。本書をいま読み直す意味は、話題の大阪市長・橋下徹の思想の中にヒトラーの影響があるのかないのかを探るためだ。橋下大阪市長の強引とも思われる政治手法は、彼を支持しない勢力から「ハシズム」と呼ばれ、その言動、選挙運動、行政手法、独裁肯定の姿勢等がヒトラーと類似すると指摘される。ところが、橋下大阪市長は関西圏のみならず、広く日本中から支持を得ている。

ヒトラーの率いる国家社会主義ドイツ労働者党の台頭は、第一次世界大戦で帝政ドイツが敗戦国となり、旧体制=帝政が倒れ、1919年、新生・ワイマール共和国が成立(革命成就)した後からだった。

そのときのドイツの状況を大雑把に振り返れば以下のとおりになる――ドイツ=ワイマール共和国は、戦勝国側から求められた巨額の賠償請求支払、そして、戦災による生産施設等の損壊により、経済力が著しく低下し、失業者があふれていた。しかも、ロシア革命の成功により、ドイツ国内に共産主義革命勢力が膨張し、ストライキの頻発や治安悪化が進み、社会不安は増大するばかりだった。そんな中、ワイマール共和国の議会は機能不全に陥り、有効な施策が見いだせないまま、時間ばかりを浪費していた。いわゆる、議会が“何も決められない”状況に陥っていた。政治家は敗戦国ドイツの荒廃した状況について、なんら責任をとろとしなかった。そのため民衆は、議会と既存政党に絶望感を抱いていた――と。

橋下氏が大阪府知事選挙(2008年2月就任)に、そして、その後の大阪市長選(2011年11月就任)に勝利したときのわが日本の状況は、ワイマール共和国下のドイツに似ていないわけではない。二大政党制導入の「成果」により、戦後一貫して政権を担当してきた自民党政権が倒れ、新たに民主党政権が誕生した(革命成就)。

にもかかわらず、民主党政権は自民党と変わらないどころか、既存権益確保に奔走し続けている。2011年3月11日、大地震、大津波、福島第一原発事故が起こり、およそ2万人の人命が失われた。福島原発事故により、日本中の原発の安全性が疑問視されるようになり、日本各地の原子力発電所は運転を停止した。日本人は放射能汚染及び電力不足という、深刻な不安に日々、晒されることになった。

3.11前、2009年9月のリーマンショック以降、日本経済は不況の見舞われ、失業率上昇の改善はみられず、非正規労働者の増加も止められないままだ。それに大震災が加わった。今日の日本人は、もちろん、ワイマール共和国下のドイツ人の生活と比較すれば豊かには違いないけれど、不安に苛まれているという状況は似ている。

しかも、政権奪取後の参院選で敗北した民主党は参院で少数与党となり、議会(国会)はいわゆる「ねじれ国会」に陥り、“何も決められない”状況に陥ってしまった。政権与党の民主党、野党の自民党等は、議会(=国会)で膠着状態に陥り、日本人の多くは、既存政党に対する失望感を強く抱くようになってしまった。

話題の橋下大阪市長は、中央(国政)ではなく地方(大阪府・大阪市)において、既存政党が大勢を占める地方議会の“何も決められない”状況を批判し、強引ともいえる「改革路線」を掲げて首長に当選した。次いで大阪維新の会(=新党)を結党し、政治基盤を固めつつある。

ヒトラーは、青年時代、彼が過ごしたウィーン(ハプスブルク帝国の首都)の議会に強く失望し、第一世界大戦にドイツ軍兵士として参戦した。彼は敗戦後のドイツ=ワイマール共和国下のミュンヘンにおいて、ワイマール共和国議会=既存政党を批判し、国家社会主義ドイツ労働者党=新党に大衆の支持を集めることに成功した。(※国家社会主義ドイツ労働者党は厳密には、ヒトラーが結党した新党ではないが、ヒトラー参加前の同党は、少人数がサロン的に集まる小グループであって、地方政治にすら影響を及ぼすことはなかった。)

そればかりではない。前出のとおり、ヒトラーはドイツ国内で膨張する共産主義勢力と暴力的に対峙し、共産主義勢力と闘争をすることにより、ドイツ国内の反共的気分を抱く人々の支持を集めた。橋下市長も、大阪府・大阪市の職員組合に対峙することにおいて、反組合的気分を抱く大阪市民の支持を得た。この場合、大阪府・市の職員組合が共産主義者であるか否かは問われない。

さて、本書である。読了後の第一印象は、なんと“奇怪な書”であろうか――という一語に尽きる。ヒトラーが狂人であったかどうかの研究結果は出ていないようだが、本書に散見されるバランスを欠いた言説が不気味だ。ヒトラーの政治技術、政党組織、大衆扇動・組織化についての論述は極めて理路整然としていて、今日の専門家も舌を巻くような鋭さがある。

大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国法学者のみから成り立っているのでもなく、まったく純粋に理性的判断からでもなく、動揺して疑惑や不安に傾きがちな人類の子供から成り立っている。(上巻:P240)
民衆の圧倒的多数は、冷静な熟度よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的要素を持ち、女性的な態度をとる。しかしこの感情は複雑でなく、非常に単純で閉鎖的である。この場合繊細さは存在せず、肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽かであり、決して半分はそうで半分は違うとか、あるいは一部分はそうだがなどということはない。(上巻:P241)
・・・宣伝は、鈍感な人々に間断なく興味ある変化を供給してやることではなく、確信させるため、しかも大衆に確信させるためのものである。しかしこれは、大衆の鈍重さのために、一つのことについて知識を持とうという気になるまでに、いつも一定の時間を要する。最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、けっきょく覚えさせることができるのである。変更のたびごとに、宣伝によってもたらされるべきものの内容を決して変えてはならず、むしろけっきょくはいつも同じことをいわねばならない。だからスローガンはもちろん種々の方面から説明されねばならないが、しかし考察の最後はすべていつも、新しいスローガン自体にもどらなければならない。そのようであってこそ宣伝は統一的であり、まとまりのある効果をおよぼすことができ、また、効果がおよぶのである。(上巻:P243)
信念は知識よりも動揺させることがむずかしく、愛情は尊敬よりも変化をこうむることが少なく、怨恨は嫌悪よりも永続的である。この地上でもっとも巨大な革命の原動力は、どんな時代でも、大衆を支配している科学的認識にあるというよりは、むしろかれらを鼓舞している熱狂、また往々かれらをかり立てるヒステリーの中にあった。(上巻:P439)
大衆への影響を考えること、少数の点に集中すること、同一のことを絶えずくりかえすこと、教義のテキストを疑いのない主張の形式にまで自己に確信をもちまた自負心をもって要約すること、普及には最大の堅忍をもち、影響の期待に忍耐をもつこと・・・(上巻:P474)
一方、国家論、社会・経済矛盾の究明、共産主義に対する所見については、まったく荒唐無稽かつ空想的で漫画的だ。ヒトラーがアーリア人=ゲルマン人の優位性を証明もなしに掲げ、アーリア人=ゲルマン人による純潔民族国家を理想としてドイツ国民に訴えたわけだけれど、そんなことは歴史的にも生物学的にも成立しない。ヒトラーは社会不安、経済不安、ロシア革命、ドイツ国内の共産主義勢力の膨張の主因をユダヤ人の陰謀だと一元化して喧伝し、議会主義=共産主義=国際主義=平和主義をユダヤ人による世界征服の手段だと単純化した。いまにして思えば、きわめて乱暴な決めつけだ。そもそも当のヒトラーは、自らが導き出した、ユダヤ人=諸悪の本源説を本気で信じていたのだろうか。
概してどんな時代でも、ほんとうに偉大な民衆の指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある。民衆の闘志の傾注が集中的であればあるほど、ますます運動の磁石的吸引力は大きくなり、打撃の重さも大きくなるのである。いろいろの敵を認識することは、弱い不安定な性格のものにとっては、自己の正当を簡単に疑わせるきっかけだけをつくりやすいから、別々にいる敵でさえもただ一つの範疇に属していると思わせることが、偉大な指導者の独創性に属しているのである。(上巻:P161~162)
・・・マルクシズムは、人間生活のあらゆる領域で、人格のいちじるしい重要性を排除し、それを大衆の数におきかえようとして、ユダヤ人がもちこんだ正真正銘の試みのあらわれである。政治的には議会主義的政治形式がそれに応じたものであり、われわれはそれが地方自治体の最も小さい胚細胞から始まって、全ドイツの最高の統治にいたるまで、有害な作用を及ぼしているのを見る。(下巻:P102)
最良の憲法と国家形式は、民族共同体の最良の頭脳をもった人物を、最も自然に確実に、指導的重要性と指導的影響力をもった地位につけるものである。(下巻:P105)
組織の本質には最高の精神的指導者に、数多くの非常に感激しやすい大衆がつかえるときにのみ、成立しうるということがある。(下巻:P113)
この(国家社会主義ドイツ労働者党)運動が今日のわが議会主義的腐敗の世界の中で、ますますその闘争のもっとも深い本質を自覚し、自己を人種と人物の価値の純正な権化と感じ取り、またそれによって秩序づけられるならば、運動はほとんど数学的規則性に基いていつかその闘争を勝利させるだろう。……人種的堕落の時代に自国の最善の人種的要素の保護に没頭した国家は、いつか地上の支配者となるに違いない。(下巻:P404)
橋下大阪市長がヒトラー並みの指導者であるとは思わないし、狂信的人種主義者、反ユダヤ主義者ではないことは言うまでもない。だが、石原東京都知事、小泉元首相を含め、今日、大衆的人気を博している政治家たちは、マスメディアを利用した大衆操作の技術をヒトラーに学んでいるような気がしてならない。ヒトラーに学んでいないまでも、彼らは無意識のうちに、ヒトラー的なものを引きずっている。「郵政民営化」「尖閣列島は東京都が守る」「大阪都構想」「維新の会」といった、彼らが掲げる勇ましい現状否定の政治的言語は、ヒトラーが採用した敵の一元化、単純化と類似するものだ。彼らは“決められない議会”“責任をとらない既存政党の政治家”、その背後に潜む官僚に代わって、“精神的指導者”的姿勢を誇示する。彼らの独善的政治言語・姿勢が、複雑な説明を排してマスメディアによって垂れ流されるとき、日本人の政治に対する思考過程は劣化し、損なわれていく。この一連の流れを「ハシズム」というのならば、それは誤りではない。

2012年4月18日水曜日

猫ひろしの国籍変更は、限りなく不純

“猫ひろし”という日本人のお笑い芸人が、国籍をカンボジアに変更して、マラソン競技の五輪代表を目指している。一部には、カンボジアの代表権を得たという報道もあったようだが、マラソン選手の五輪出場を認可する立場にある国際陸上競技連盟は、国籍を変更した選手の国際大会出場に条件を設けており、猫はそれらをクリアしていないという見解を示したという。猫が五輪出場の代表権を得られる最後の可能性は、「国際陸連理事会による特例承認」が得られるかどうかだというが、国際陸連によると、この規定は戦争や亡命などの特殊な事情でやむなく自国を離れた場合を想定していて、国際陸連の担当者は「われわれが知る限り、猫は(単に)国籍を変えただけで、特例には当てはまらない」と明言したという。

この段階で、猫がマラソン競技のカンボジア代表として、ロンドン五輪に出場する可能性は限りなく低くなったように思える。そもそも、猫が目指している五輪出場にどういう意味や意義があるのかが、よくわからない。筆者の推測にすぎないが、このような仕掛け=企画は、テレビ局もしくは芸能プロダクションによるものだと思う。

スポーツ選手の国籍変更はグローバルにみて、珍しくない。日本においても、ブラジル人だったラモス瑠偉が1989年に日本国籍を取得。W杯米国大会(1994)出場を目指してアジア予選に臨んだが、「ドーハの悲劇」で予選敗退し、W杯出場を果たせなかったことは記憶に新しい。

以下、ラモスの例に倣い、呂比須ワグナーが1997年に日本へ帰化し、日本とブラジルの二重国籍者となり、W杯フランス大会(1998)に日本代表として出場した。また、現在、名古屋グランパス所属の三都主アレサンドロは、日本の明徳義塾高等学校留学を経て、2001年、ブラジル国籍から日本国籍へ帰化。日韓大会(2002)及びドイツ大会(2006)の日本代表に選ばれている。先の南アフリカ大会(2010)では、闘莉王が日本代表に選ばれている。田中マルクス闘莉王は、日系人の父親と、イタリア系ブラジル人の母親を持ち、日本の渋谷幕張高校留学を経て、2003年に日本国籍を取得。現在も、名古屋グランパスで活躍中だ。

二重国籍の呂比須ワグナーを除いて、ラモス瑠偉、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王の3人は、生活の基盤を日本に置き、日本人と変わらない生活をしているように思える。もちろん、日本語をしゃべっている。将来、彼らがブラジルに戻るのかどうかはわからないが、いまのところ、彼らはW杯出場のためだけで国籍を変更したようには思えない。

一方の猫の場合、生活基盤はカンボジアにはなく、彼がカンボジア語を話すのかどうかはわからないが、彼の生計は、日本における芸能活動が基盤になっているように見える。猫のカンボジアへの国籍変更は、五輪出場に限定したものだと筆者も推測する。猫は、五輪出場というネタで、いまも、そしてこれからも、日本の芸能界で生きていこうとしている。「国籍」を弄ぶとはこのことだ。

猫のマラソン記録は、もちろん、日本における代表記録に遠く及ばない。だから、レベルの低いカンボジア国籍を得た。猫の目的は、先述したように、彼がカンボジアではなく、日本の芸能界で、「五輪ネタ」で生きていくためだ。

その一方、日本では、地方公務員生活を送りながら、五輪代表権を得ようとして得られなかった、川内優輝というランナーを知っている。川内は猫のこのたびの試みについてコメントしていないが、内心では、猫の不自然さに怒りを覚えているのではないか。芸能ネタのために国籍を変更し、五輪出場を果たそうという猫の、いや、猫を利用しようとする芸能プロ、その上にいるテレビ局の――不純さを軽蔑しているのではないか。筆者が川内の立場であったら、猫をめぐるこのたびの「国籍変更企画」を軽蔑する。

さて、五輪のスポーツにおける意味や意義を改めて問うてみよう。記録、実力を競うという位相では、五輪はスポーツにおける最高レベルの大会ではない。国別に出場選手が制限された五輪では、レベルの高い国に所属する選手は、国内予選で敗退すれば出場できないからだ。この間隙を縫って国籍変更を企んだのが、このたびの猫のカンボジア国籍取得であった。このことは、ブラジル国籍から日本国籍に変更した前出の4人についても同じことのように、一見すると、見える。

日本国籍に帰化したラモスら4人がサッカー最強国の1つである祖国ブラジルの代表選手となって、W杯に出場できる可能性は限りなく低かった。だから、彼らは日本に国籍変更をしたのかというと、実はそうではないように筆者には思える。ラモスを除く3人がW杯日本代表に選ばれたのは結果だった。国籍変更をしても、日本代表がアジア予選で敗退してしまえば、それまでであった。W杯に出られなくても、彼らは日本において、日本人のサッカー選手として、サッカー人生を続けていっただろう。ラモスが、いままさに、そうであるように・・・

猫ひろしを五輪に出場させない旨の判断をくだしたと言われる国際陸上競技連盟の判断は正当だ。彼らはスポーツの団体であって、芸能人のネタを助成する団体ではない。

最後に、カンボジア人は猫のことをどう考えるのだろうか。世界最貧国の1つであるといわれるカンボジアでは、だれが五輪代表になろうと関心を示さないかもしれない。

では、こう考えてみたらどうだろうか。アジア太平洋戦争敗戦後の日本が五輪出場を果たしたのが、第15回ヘルシンキ大会(フィンランド) <1952年7月19日~8月3>だった。そのとき、レスリングの「フリー・バンタム級」の石井庄八選手が唯一の金メダルを獲得。「フジヤマのトビウオ」という異名をとった、33回も世界記録を更新して期待された水泳の古橋廣之進選手は400メートル自由形決勝で無念の8位。

敗戦により焦土と化した日本国であったが、敗戦から7年後の五輪で、日本人選手が大活躍をしたのである。そのことが、すべての日本人に勇気と誇りを与えたはずだ。もしかりにも、どこかの外国人が日本国籍に帰化して、ヘルシンキ大会に出場したとしたら、日本人はどんな思いを抱いたであろうか。

カンボジアは第二次大戦終結後も、内戦に明け暮れた悲劇の国であり、いま復興の途上にある。彼らは彼らなりの方法で国づくりに励んでいる。五輪参加も、かつて日本がそうであったように、国づくりのプログラムの一部である可能性が高い。カンボジアのマラソン競技のレベルは低いけれど、カンボジア人が国家を代表するマラソン選手として、ロンドンの街中を疾走するならば、その姿を通じて、カンボジア国民が勇気を得ることは大いにあり得る。その姿が「猫ひろし」であっていいはずがない。

2012年4月16日月曜日

百花繚乱






@Yanaka

落花、枝にかえらず





@Yanaka

2012年4月4日水曜日






@Yanaka

寛永寺の桜




2012年4月1日日曜日

Zazie, Nico(4月)

Nicoは5.3㎏(先月は5.5㎏)、Zazieは2.3㎏(同2.7㎏)。体重が二匹とも、先月より減少してしまった。

1歳を迎えようとしているNicoはもとより、やんちゃだったZazieも、だんだんと落ち着きをみせてきた。

二匹がいま最も興味を示しているのが、窓から認められる鳥たちの動向だ。

カラス、鳩、そしてオナガ、ムクドリなどの活発な鳴き声に反応し、鳥がベランダに近づくと身構え、鳥の鳴き声を真似してみせる。

このような行動は、猫の持って生まれた本能なのだろう。

2012年3月16日金曜日

吉本隆明さん死去

心よりご冥福をお祈りします。

なによりも、もっとも影響を受けた思想家の一人でした。

関係の絶対性、擬制の終焉、大衆の原像、<自立>、生活過程と幻想過程、共同幻想・・・吉本さんが発信した多くのキーワードが、「考える」きっかえを与えてくれたような気がします。

そういう意味で、吉本さんは私自身にとって、カリスマでしたし、私は日本にあまた存在する「吉本信奉者」の一人でした。

吉本さんは拙宅近くに住んでいたことがあり、その後の転居先もそう遠くないところのようでした。
その著作の1つに、拙宅界隈をテーマにしたものもありました。
だから、巨人というよりも、身近な人のように感じられました。

吉本隆明さんが引用した芥川龍之介の詩――

汝と住むべくは下町の 
水どろは青き溝づたい
汝が洗湯の往き来には 
昼もなきづる蚊を聞かむ

吉本さんと芥川は、東京の下町で生活したという体験で共通します。

2012年3月11日日曜日

We Remember 3.11.

東日本大震災発生からはや1年が経った。

この間、二度ほど被災地を訪問した。

訪問において、被害は想像以上に大きく、被災地の現状は厳しいもののように、私の目にはうつった。

TVが1つの「希望」を報道するに反し、被災地の実際の痛ましい景観は、99の「絶望」を示しているように思えた。

1つの「希望」を伝えることが悪いとは思わないが、

「絶望」が99あるのならば、それこそが被災地の現実であり、

被災地の外にいる人々に伝えることのすべてではないのか。

報道とは、被災地の「絶望」が99から98、97、96…やがて、0に収束するまでを伝えることではないのか。

被災地を舞台にした「物語」はいらない。

被災地の「実情」だけをわたしは知りたい。


@Yuriage, Natori(Feb.4.2012)

2012年3月1日木曜日

ZazieとNico(3月)

きょうから3月。猫の様子を記録しておこう。

Zazieは、体重が2.7㎏、Nicoが5.5㎏。Zazieが変化なしで、Nicoが微増である。

Nicoが微増を続けると肥満になってしまうので対策を考えたい。




2012年2月29日水曜日

雪が降る



@Yanaka

閏日に雪とは、

珍しい。

生涯、忘れにくい2月29日となろう。

2月の雪の日と言えば、1036年(昭和11年)の「2.26事件」のあった26日だろうか。

齋藤史のうた2首

暴力のかくうつくしき世にすみてひねもすうたうわが子守うた

革命を持たざる国に生まれ来て風雨ほどほどに有りて終るか




2012年2月26日日曜日

谷中霊園で、

猫にあった。

最近、霊園内で猫に出くわすことはあまりない。

寒いからだろう。

二匹の猫とも、人間を怖がらない。

このあたりで、餌をもらっているに違いない。


@Yanaka

ちょっと、近所をお散歩

○寛永寺境内



○上野公園

2012年2月23日木曜日

猫と話す


最近、白猫のNicoとの会話が可能になった。

Nicoの語彙としては概ね、遊びたい、ブラシをしてほしい、ドア(窓)を開けて、餌がほしい、くらいだが、通じる。

残念ながら、Nicoはこちらの言葉がわからないので、厳密には会話ではないのかもしれないが、

悪くない傾向である。

一方の、Zazieはあまり鳴かないが、表情が豊かである。

2012年2月8日水曜日

東北被災地から戻りました。

復興はまだまだ、という印象が強い。

たとえば、昨年7月以来の再訪の地、石巻・門脇地区の場合、

雪がうっすら積もっていて、季節は幾度か変わったことを認識できるものの、

復旧、復興のかけらすらうかがえない。

被災地の一日も早い復旧・復興を祈念するばかり。

◆石巻漁港


◆雄勝


◆閖上

2012年2月1日水曜日

ZazieとNico(2月)




二匹の猫は相変わらず仲が良かったり、取っ組み合いをしたりと活発。

体重は、Zazieが2.7㎏、Nicoが5.2㎏。

Zazieが100gの微減、Nicoが100gの微増となった。

餌の消化具合については、目視では変化がない。

成長が止まったのかな。

2012年1月30日月曜日

『オウム真理教の精神史  ロマン主義・全体主義・原理主義』

●大田俊寛 ●春秋社 ●2300円(+税)

2011年大晦日の深夜、オウム真理教元幹部、平田信容疑者(46)が突然出頭したというニュースが流れた。平田容疑者は、1995年2月の目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件などで特別手配されたまま、16年半も逃亡したことになる。平田容疑者の逮捕によって、忘れかけていたオウム事件の記憶が呼び起こされた。

オウム真理教の一連の事件についてはわからないことが多く、オウム真理教の核心をついた本が読みたいと常々思っていた。そんなとき、本書の刊行を耳にした。それだけに、期待は大きかったのだが、期待は裏切られた。このことは後述する。

さて、本書は、オウム真理教とは何だったのか、という問いに対する回答である。著者(大田俊寛)は、それを「ロマン主義的で全体主義的で原理主義的なカルトである」とする。いかにも簡潔な回答だが、そもそもカルトとは、“ロマン主義的で全体主義的で原理主義的なもの”なのではないか。

著者(大田俊寛)が使用するロマン主義、全体主義、原理主義とはどういうものなのかは、本書を読んでいただければわかることなので、ここでは詳述しない。なお、著者(大田俊寛)が本書で使用する原理論は、終末論的世界観と換言したほうがわかりやすい。

著者(大田俊寛)は、“ロマン主義、全体主義、原理主義という思想的潮流が発生し、社会に対して大きな影響を振るうようになったのは、近代という時代の構造、より具体的に言えば、国家が此岸の世界における主権性を獲得し、宗教や信仰に関わる事柄が「個人の内面」という私的な領域に追いやられるという構造そのものに起因していると考えることができる。”と説明する。

この説明は、カルト教団全般についてのものであって、オウム真理教に限ったものではない。たとえば、日本近代の黎明期に起きた「神風連(敬神党)の乱(1876)」、アジア太平洋戦争直前、青年将校による「2.26事件(1936)」、戦後の共産党による「血のメーデー事件(1952)」、高度成長期の三島由紀夫と盾の会による「自衛隊市ヶ谷駐屯地突入事件(1970)」、「連合赤軍事件(1971~1972)」など、みな、ロマン主義的、全体主義的、原理主義的なカルト教団・党派等が起こした事件である。だが、オウム真理教はそれらと異なっている、同質性よりも、異質性のほうが勝っている。オウム真理教の特殊性の説明がほしい。

それだけではない。オウム真理教が実際の国家権力(日本)に対して軍事的に対峙した経緯を振り返ると、小規模な同志の粛清から端を発し(オウムの場合は、真島照之死亡事件。連合赤軍の場合は、早岐やす子と向山茂徳を印旛沼にて殺害した事件。)、その死の隠蔽から軍事的エスカレートが始まっているという脈略で言えば、前出の「リンチ殺人事件」「浅間山荘事件」を起こした「連合赤軍」と近似した精神的傾向が認められるように思える。すなわち、オウム真理教が示した思想的潮流の説明を“近代の構造”に求めるよりも、閉ざされた人間集団が醸成する権力構造が引き起こす混沌した精神状況、すなわち、スターリン主義的病理に求めたほうが当たっているように思える。

著者(大田俊寛)は、本書最終章(5章)の最終単元において、オウム真理教の特殊性について簡単に触れている。このことは、推測だが、本書の展開がオウム真理教の一般的説明に終始しすぎたことに対する、著者(大田俊寛)反省の念からではないか。

…世界中に存在する多くの「カルト」を見渡してみても、オウムほど活発で過激な行動に出たものはきわめて稀であり、そのような宗教がなぜ日本に出現したのかということは、問われて良い事柄である。(P279)
“問われて良い事柄”ではなく、このことこそ“問われなければならい事柄”である。そして、前出のとおり、オウム真理教の核心的問題とは、オウムの特殊性の解明にある。著者(大田俊寛)は、この“問い”に対して、以下のとおり回答する。

最初に仏教と葬儀の問題について。(略)第二に、都市の巨大化の問題について。(略)最後に、天皇制の問題について。
はたしてそうなのだろうか。この“問い”に係る著者(大田俊寛)の説明があまりにも不十分であるがため、読む者は靴の上から足を掻くような焦燥感を覚えつつ、本書を読了することになる。先述した期待外れとは、このことを指す。

なお、本書とは関係のないことだが、蛇足ながら、筆者が抱くオウムへの関心を最後に書いておく。それを一言で言えば、オウムが誕生し、拡大し、サリン散布に代表されるような大規模テロを敢行するまでの世俗的な要件である。

第一は、資金の流れ。
今日でも、既存の宗教法人におけるカネの流れは不透明なところが多いと言われる。オウムが、地方とはいえ、広大な土地を取得し、大規模な施設を建設できたのは、新興のカルト教団では得られなかった資金をオウムであるがゆえに調達し得たからだろうと思う。出家信者の財産収奪や宗教関連の物品販売だけで、賄えたのだろうか。

第二は、ロシアとの接点。
この件については、本書にも簡単に触れられている(P260~)。本書によると、オウムがロシアから入手した武器は、自動小銃のAK-74、生物化学兵器関連製品(防毒マスク、防護服、検知器等)、ヘリコプター(ミル17)、洗脳用LSD、もちろん、武器製造ノウハウ伝授、武器使用を可能とする軍事訓練も受けていたという。オウムがのちにテロに使用したサリンの製造技術も、ロシア経由であった可能性が高い。

1990年代初頭のロシアはソ連崩壊から間もない時期に当たり、混乱状態にあったらしい。近年のハリウッド映画にしばしば描かれているように、旧ソ連軍の大量破壊兵器(ミサイル、核爆弾、生物兵器等)を世界中に売りさばいているのは、“ロシアンマフィア”の仕業であり、オウム真理教もそのような集団と取引を行っていたことが推測される。

オウムがロシアで布教活動中、武器販売を専門とする闇組織と接触し、武器調達に至ったのか、そもそも、オウムのロシア進出は武器調達が目的だったのかも定かでない。また、両者の仲介者はだれなのか、という疑問も残ったままである。

第三は、日本の公安当局とオウムの関係。
前出のように、大量な資金がオウム真理教に還流し、それを使って、彼らは大規模な不動産を取得し、ロシアから、大量の武器や高額なヘリコプターを調達した。日本の当局がオウムの一連の不自然な動きを察知できなかったのだろうか。オウムが宗教法人であるがゆえに、当局が捜査(介入)を躊躇ったのではないか。

第四は、ロシア以外の海外勢力の影。
1995年3月、警察庁長官國松孝次が狙撃され重傷を負った事件は未解決なまま、2010年3月に殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えている。なお、現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。この事件では、オウム真理教の信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)が取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年5月に詳細に供述していたが、証拠品捜索の為にダイバーを投入しても銃が発見されないなど、供述に矛盾点が多いとして立件は見送られた。

なお、当時、オウムに対する当局の対応は、いかにも後手後手であった。「地下鉄サリン事件(1995年3月)」の前に起こった「松本サリン事件(1994年6月)」では、警察は、被害者である第一通報者・河野義行氏を重要参考人として取り調べを行った。また、マスコミによる報道が過熱の一途を辿り、事実上、マスコミによる冤罪が確定してしまった。捜査当局とマスコミ共作による、「でっち上げ」が常套化したのは、松本サリン事件からかもしれない。

最後に忘れてならないのが、オウム真理教幹部の一人・村井秀夫に対する、テロ殺人事件である。事件は、1995年4月23日午後8時35分、教団東京総本部ビル前において、村井が、犯人によって刃物で殺害された。その様子はTVニュースで繰り返し放映され、日本中に衝撃を与えた。実行犯は昼頃より事件現場に待ち伏せており、計画的犯行であることが伺えた。実行犯は事件後直ちに逮捕された。

『ウイッキペディア』には興味深い引用があるので、以下、ペーストする。

事件直後の上祐史浩外報部長(当時)のTV番組内での証言によれば、村井は死ぬ間際に「ユダにやられた」と話したという。後の2000年2月の週刊プレイボーイ上のインタビューでは上祐は、「彼(村井)は刺殺される直前に、オウム真理教の事件その他はユダヤの陰謀であると言おうとしていた、そんな気配がある」「ユダヤ叩きというのは、僕にはどういう意味なんかよくわからない」が、「彼はあの直前に、テレビに出演してユダヤ叩きをやろう、という計画を立てていた」「刺殺される数時間前に彼から私の方に「ユダヤ叩きをやりますよ。今から戻ります」という電話があった」「彼はその直後に刺殺された」、と述べている。また、事件当日、「オウム出版の編集部に彼が「ユダヤの陰謀関係の本を集めてくれ」と依頼していたという事実もある」。また、事件直前に出演したTBSテレビNEWS23で、筑紫哲也の「阪神大震災が地震兵器で起きたとすれば、それを使ったのは誰ですか。米軍ですか?」の問いに対して、「米軍と特定するには条件が足りないが、かなりの力を持っている団体と思う」と答えている。

殺害された村井が、「ユダヤ叩き」をやろうとしていた、というのは誠に奇妙なことだといわねばならない。

これらは、もちろん、本書が解明しようとした、“オウムとは何だったのか”という設問とは位相が異なるけれど、オウムの実態解明には、これまた、避けてとおれない事柄のように思える。

※著者(大田俊寛)が本書にて、若干触れている宗教学者・中沢新一批判については、稿を改めることとする。

2012年1月20日金曜日

ポスティング制度に罪はない。

日ハム・ダルビッシュ有投手(25)がポスティング制度を利用して、MLBレンジャーズへの入団を決めた。契約金額は6年6000万ドル(約45億円)で、06年にレッドソックスと6年契約した松坂投手の5200万ドルを上回り、日本人過去最高額となった。彼がMLBで長く活躍することを祈っている。

なお、ポスティングに伴う入札額は、松坂(西武ライオンズ)=5111万1111ドル11セント、ダルビッシュ(日ハム)=5170万3411ドル00セント。両者とも約40億円で、入札額に大きな開きはない。

その一方、西武・中島裕之内野手(29)を250万ドル(約1億9250万円)で落札したヤンキースは控え扱い。しかも6年間も球団の保有権下に置くという条件を提示して、破談に至った。また、首位打者3度を誇るヤクルト・青木宣親外野手(30)は、中島と同じ250万ドルでブルワーズに落札され2年契約を結んだ。青木の場合は、独占交渉権獲得後、米国に呼びつけられ、事実上の“入団テスト”をやらされてから、ようやく正式オファーが出されるという異例の扱い。しかも、年俸は、米紙報道によると1年目100万ドル(7700万円)、2年目125万ドル(9600万円)と低額。ヤクルト時代の年俸3億3000万円と比較すると、1/3以下だ。

中島、青木の2選手の契約が不調・低調だったことから、日本プロ野球(NPB)関係者からポスティングへの批判がわき起きている。野球評論家のなかには、「中島、青木への評価は、日本プロ野球76年の歴史にとってあまりに寂しい。実績ある選手が入札制度のもと、これほどなめられるのを見ていられない」と怒りをあらわにする者もいるし、日本プロ野球組織の加藤良三コミッショナー(70)に対して、ポスティングの撤廃もしくは凍結を通告してほしい、と訴える者もいる。これらの引用は、日本のプロ野球関係者・ファンが抱く、ポスティング制度への批判・不満の最大公約数だともいえる。

だが、筆者は、このたびのポスティングの結果はきわめて妥当なものだと思っている。その根拠は、NPBの野手選手がMLBで活躍できていないことだ。

これまでMLB入りした野手の日本人プレイヤーは、イチロー、松井秀喜、福留孝介、松井稼頭央、井口資仁、岩村明憲、城島健司、新庄剛志、田口壮、中村紀洋、西岡剛の11選手。彼らの成績を詳しくは書かないが、なかで際立った活躍をみせたのがイチローで、次いで松井秀喜の2選手に限られる。MLB入りしてすぐケガをしてしまった西岡の評価はくだせないとは言うものの、筆者の主観では2012シーズン以降の彼の活躍は難しいとみる。つまり、イチロー、松井(秀)以外の9人の日本人野手は、MLBでは並かそれ以下。MLBの各球団は、日本人の野手選手に対して、入札額を日本の球団に支払ってまで契約をする価値を見いだせないのではないか。

日本プロ野球のレベルは、米国3A<NPB<MLBというのが妥当なところ。NPBの一流野手は、3Aの一流よりいまは上かもしれないが、フィジカル、将来性で劣ることがこれまでの成績が証明している。ならば、MLBとしては、マイナーから上がってきた米国の選手と契約したほうがコストは安いし、成長も期待できる。日本人の一流野手や将来性があまり期待できない日本人投手の場合、ポスティング制度を使って入団させても、契約金はおさえたいと考えることに合理性がある。

そればかりではない。MLB側の日本人選手受け入れは、野球の成績以外の経済効果を期待してのこと――という側面を否定できない。日本企業のサプライヤー契約、日本人観光客の増加、グッズ市場の拡大といったところか。

しかし、野球の成績以外の経済効果は時の経過とともに薄らいでいくし、なによりも、入団した日本人選手が活躍しなければ色あせたものになってしまう。日本人選手を入団させる場合、実力面=戦力効果は多少期待薄でも、入札金額の回収は入団時における諸々の経済効果によって可能だし、ある程度の利益は見込める、だが、高額の複数年契約はリスクが高いので避けたい、というのがMLB側の本音ではないか。

ポスティング制度は、MLB入りを希望するNPB側が任意に仕掛けるものだ。NPBに属する日本人選手とNPB球団の合意に基づかなければ成立しない。NPB球団は入札額を得られるし、選手もNPBでは実現不可能な高額契約金を得られるか、そのチャンスを手に入れることができる。一方、仕掛けられたMLBとしては、入札に応じる権利はあるが、義務はない。きわめて合理的な制度(システム)ではないか。

繰り返すが、NPBの球団には入札額、NPBの選手にはNPBでは手にできない契約金(を得られる機会)が実現できる。傍がとやかく言うことではないし、ポスティングを廃止もしくは凍結するというのは、一獲千金の道を塞ぐ愚行だ。もちろん、NPBのコミッショナーが規制するような話ではない。それこそ、球団と選手の勝手というものだ。

ポスティング制度が廃止・凍結されれば、選手はFA権を得られるまで待つしかない。NPBのFA制度の場合、大雑把に言えば、高校卒業選手で8年間、大学卒業・社会人で7年間、NPBでプレーしなければ権利取得できない。それが短いのか長いのかは別の議論が必要。

結論を急げば、現行、ドラフト制度を形骸化するような、事実上の選手の逆指名を許すのであれば、FA権取得年限は短すぎる。逆に、ドラフトで指名された選手が――交渉権を得た球団の提示契約内容が合理的であることを前提とするが――すべからく指名球団に入団するのであれば、現行のFA権取得年限は長すぎるので短くすべきだ。

NPBは、ドラフト制度を厳格に作動させ、その一方で、トレードやFA制度を活用し、選手の流動性を高めることが必要だ。もちろん、MLBとNPBの行き来も、自由度をより高めるべきだ。ポスティング廃止など、とんでもない。

2012年1月16日月曜日

大学入試センターを解体せよ

大学入試センター試験において、地理歴史と公民で問題配布ミスなどのトラブルが相次いだ。事実上の学歴社会、卒業大学名格差社会である日本において、試験を運営する大学入試センターの責任は重い。

報道によると、トラブルは大きく分けて2つで、1つは試験官が地歴と公民の2冊を配布するのに時間がかかるなどしたため開始が遅れ、終了時間を繰り下げたケース。もう1つは、2冊配布する必要があるのに、地歴のみを配布、その後誤りに気づいて公民を配ったケース。少なくとも全国58会場の計4565人の受験生に影響が出たといわれている。運営側の不手際によるトラブルとしては過去最悪規模。今後の調査で影響人数がさらに拡大する可能性もあるという。

センター試験の必要性については、筆者はおおいに疑問を持っている。大学入試センターの存在「意義」は、文科省の天下り先確保ではないかとさえ思っている。が、この問題には、今回は触れない。

さて、大学入学試験で思い出されるのは、昨年、某国立大学の受験において、受験者が試験場にて、携帯電話を使用して問題の解答をウエブサイトに求めた「事件」ではないか。携帯電話を使用したカンニングが発覚したのち、大学側は偽計業務妨害の被害届を警察に提出した。そして、新聞・テレビが大騒ぎをして、未成年者である予備校生が「犯人」として警察に「逮捕」され、「事件」は「解決」をみた。

筆者は、この「事件」の大学側の対応、すなわち、カンニングを偽計業務妨害で警察に被害届を提出した大学当局の行為を、当該大学が自ら定めた「入学試験実施規程」等に反するのではないか、という疑念を抱いていたが、大学当局が規程類を公開していないので、実際のところはわからないままだ。当時、マスコミも、大学の試験実施に関する管理ミスを追及しなかったので、「事件」の真相は不明なまま。

常識的に考えて、管理・監視体制が厳重な試験会場において、受験者が長時間にわたり、携帯電話でメールを打ち続けることが発覚しないというのは考えにくい。そんなことができたのは、試験管理者・監督者が居眠りでもしていて、この受験生の異常な行動を発見できなかったからに違いない。大学当局は、警察に「事件」として届け出て、受験者を逮捕させるのではなく、大学当局自らの管理・監視の怠慢をこそ反省すべきだった。

そして、今回のセンター試験のミスの多発である。これは受験生の不正行為ではなく、センター試験管理者・運営者のミス以外のなにものでもないから、いかなる抗弁も許されない。センター試験の責任者は、引責辞任をしてもらいたい。また、文科省大臣は被害者に謝罪をし、センター試験の責任者を免職処分にすべきである。その論拠は、メール・カンニングをした受験者は警察に逮捕までされたのであるから、それに相当する責任の取り方がセンター試験の責任者に求めらるのが当然だと考えられるからである。

ミスの原因はなんだろうか。筆者の憶測・推測にすぎないが、今日多くの大学において、派遣社員によって、大学入学試験が実施されていることと無関係ではないような気がする。このことは、派遣社員の実施能力が劣ることを意味しない。今年のセンター試験が派遣社員によって実施されたかどうか確認していないが、もしそうであるならば、同センターの試験実施責任者が、派遣社員に対し、十分な訓練を行っていないことがミス発生の主因だと推測できる。派遣社員に試験実施事務を円滑に行わせるためには、事前に十分な説明及び実施訓練を施さなければならない。にもかかわらず、試験実施費用を節減したいがため、同センターが派遣会社と試験本番当日に限り派遣契約を交わしたことも考えられる。当日契約では、試験運営事務実施者(=派遣社員)が試験実施の詳細を理解できないまま、本番を迎えてしまい、ミスを犯すことになる。

派遣社員を活用することは、さまざまな状況に鑑み、それを規制することはできない。だが、センター試験の重要度を考慮するならば、より慎重かつより厳格な試験実施が求められるはずだ。同センターが試験を満足に実施できないのならば、ほかの実施機関にセンター試験実施事務を委託する方法もある。試験実施に限り、予備校等を活用することも検討に値する。