2013年3月21日木曜日

桜が咲いた


3月19日、気温が上がり、界隈の桜が咲き始めたと聞いて、上野方面に散歩にでかけた。

上野公園
同東照宮
同東照宮
同東照宮
寛永寺
寛永寺
寛永寺幼稚園のコブシ
上野中学
 

2013年3月17日日曜日

Zazieは手術前より体重が増えた。


先月末に手術したZazieでしたが、今月9日に抜糸をし、13日には包帯を取り、いまではすっかり元気になりました。

包帯をとった後の数日はなんだかよそよそしく、警戒心が強かったのですが、時間の経過とともに、もとに戻りました。

動物の回復力の強さに改めてに感心した次第です。

そんなわけで、3月は体重測定を見合わせていたのですが、Zazieが2.9㎏、Nicoが6.0㎏で、Zazieは手術前より0.6㎏増となりました。反対にNicoが0.1㎏の減。

 
 
Nicoは変わらず元気。よく食べ、よく遊び、そしてよく寝る。


2013年3月12日火曜日

Remember 3.11(2013)

東日本大震災から昨日で2年が経過したことになる。筆者は2011、12年にそれぞれ1度ずつ、被災地を訪問した。そのとき、被害規模の大きさ、復興の困難さを実感したが、いまTV映像に映し出される被災地の情況は、あまり、そのころと変わっていないように見える。復興は大幅に遅れているのだ。

さらに深刻なのは、福島第一原発事故だろう。事故は終息どころか、その情況はますます深刻の度を増している。

いまさら悔やんでも始まらないが、あの民主党が昨年末の総選挙の時、「脱原発」を闘争方針に掲げたため、選挙民は「民主党憎し」の一念で、脱原発・反原発・卒原発を掲げた政党に投票をしなかった。原発は選挙の争点から遠のき、戦後、原発推進を一貫して続けてきた、換言すれば、福島原発事故の責任者であるはずの自民党が、総選挙によって免罪され信任されてしまった。民主党が犯した過ちの深さはいまさらながら、恐ろしいものがある。

3・11直後、原発事故の原因が原子力事業を中心とした、産・官・学にメディアを加えた4極の利権構造にあることは国民的合意事項だった。「原子力ムラ」という言葉すら市民権を得ていたくらいだ。しかるに、当時の民主党内主流派、すなわち、松下政経塾派に菅グループを加えた反小沢・鳩山グループの連続的失政が国民の民主党離れを加速させ、反原発の国民的合意さえも崩壊させてしまった。民主党には投票しない、だから、民主党が掲げる反原発にも賛同しない・・・という投票のフォーミュラーが確立してしまったのだ。そのため、反原発(=卒原発)を党是とした小沢グループがそのあおりをうけ、選挙に敗北する結果となって、今日に至っている。反原発の政治的核が不在なままなのだ。

“覆水盆に返らず”の諺のとおり、政治の世界では、変わってしまった潮目を元に戻すことは不可能だ。そのことは、「戦後ゼネスト闘争」「60年安保闘争」「70年安保闘争」といった戦後政治の局面変化を思い出せば、容易に想像がつく。日本国民が「反原発」で結束することは、おそらく筆者の存命中にはない。だが、それがもしあるとしたら、いやあってはならないのだが、どこかの原発が再び事故を起こすときだけだろう。だが、そのときは、日本はもう「終わっている」。

さて、いまのままの状態が続けば、近い将来、日本は増え続ける放射能汚染水を海に流すことで海洋汚染国となり、「除染」という名の放射能の国土内外の移動を続けることで、深刻な放射能汚染国家となるばかりか汚染輸出国となって、近隣諸国はもちろんのこと、世界中から非難を浴び続けるだろう。その被害は、現在の中国の大気汚染よりも深刻であり、悲惨なものとなろう。いまの日本人はそのことを想像しないし、理解しない。日本は広島・長崎に米国により原子爆弾を落とされ、そこから復興した自信が過信となり、放射能の汚染に鈍感になってしまったようだ。しかし、このたびの福島の放射能事故は、広島・長崎の放射能汚染よりも長期的かつ広範囲に及ぶものであることを忘れてはいけない。

3.11を忘れない、ということは、広島・長崎・福島という放射能事故の悲惨さを忘れない、ということを意味する。そして、それは沖縄とも通じているのであり、「戦争」「戦後」「米国」とも無縁ではない。

いまさら“反米愛国”を唱えようとは思わないが、福島原発事故は、地震、津波といった自然災害とは一線を画すもの――戦後の日本と米国の特殊な関係に直結した問題なのだ。それは、戦後日本の成り立ちと深くかかわっているのであり、原発問題を掘り下げれば、日本国の権力の源泉にたどりつく。

筆者の直感では、“アベノミクス”はいずれ化けの皮が剥がれ、旧態依然とした自民党の土建政治が明るみに出る。産・官・学・メディアの利益共有と利益誘導を旨とする自民党政治が国民生活を困窮に導く。やがて、国民の側から、「政権交代」が渇望されるだろう。だがそのとき、政権交代を主導するのが「ヒトラー」であってはならない。だから、「ヒトラー」の出現を阻止するための準備だけはいま、しておこう。

2013年3月3日日曜日

巨大カエルが出現

一昨日(1日)の夕方、外出しようとしたら、拙宅マンションの1階ピロティに異物を発見。

近づいて確認したら、茶色の大ガエルだった。

たまたま通りかかった同じマンションの住人の話だと、よくあることだというが、小生は初体験。

近づいても怖がらないで悠然としている。

春がきたことを知らせにきたかのようだ。

不思議なことに、外食後、帰ろうとしたら外は大雨。

雨を知らせたかったのかな。

タイルと同色の保護色に変身か?

Zazie、手術、入院、退院

先月末(28日)、Zazieが近くの動物病院において避妊手術を受け、同日、入院。

あくる日( 今月1日)に退院した。

退院したとはいえ、全身を包帯で覆われ、なんとも痛々しい。

麻酔も効いていて、よたよたしていた。

餌を食べるのでひと安心

寝ている姿も痛々しい

2013年2月25日月曜日

梅は咲いたが・・・

近所の梅が咲いてきた。

 
 
@Yanaka

2013年2月17日日曜日

IOCの世俗性を評価する――レスリング、五輪競技除外問題

国際オリンピック委員会(IOC)は12日、スイス・ローザンヌで開いた理事会で、昨夏のロンドン五輪で実施した26競技のうち、レスリングを除外することを決めた。レスリングは次回2016年リオデジャネイロ五輪(ブラジル)では実施されるが、東京都が招致を目指す20年五輪からは行われない公算が大きくなった。

IOCは、夏季五輪の26の「中核競技」を、20年五輪から25に減らす方針を決めていた。中核競技から外れると、IOCが五輪活性化のために進める実施競技入れ替えの対象となる。 20年五輪では25の中核競技に加え、ゴルフと7人制ラグビーも実施される。IOCは5月の理事会で、さらに追加する候補として、野球・ソフトボール、空手、スカッシュなどにレスリングを加えた8競技を検討し、いくつかに絞る。9月の総会で、このうちの1競技を実際に採用するかどうかを決めるが、今回外れたレスリングがすぐに復活する可能性は低い。 レスリングは、近代五輪最初の大会だった1896年アテネ五輪から男子が実施されている伝統ある競技。2004年のアテネ五輪から採用された女子では、55キロ級の吉田沙保里、63キロ級の伊調馨の両選手(ともにALSOK)がロンドン五輪で3連覇を達成するなど日本がメダルを量産してきた。

〈中核競技〉 2007年のIOC総会で導入が決まった制度で、選ばれた競技は組織の腐敗などがない限りは除外されず、優先的に五輪で実施される。実施競技の上限は28。中核競技以外にも、大会ごとの追加枠で採用される「その他の競技」がある。(朝日新聞)

日本人の驚き

レスリングが五輪競技から除外される可能性が高まったという報道は、日本中に驚きを与えた。日本・本家の柔道の不振をよそに、レスリングは「日本のお家芸」と呼ばれてきた。優秀な成績をおさめてきた吉田沙保里が、国民栄誉賞を得たくらいだ。日本が金メダルを期待できる競技が五輪から外れるとは――という驚きが一つ。そして二つ目の驚きは、レスリングという競技は古代ギリシアに起源をもつ五輪の原点にも等しいもの――という確信の崩壊だ。

IOCの「怪しさ」

そもそものところ、五輪の競技種目を決定するIOCという団体の正体がわからない。手っ取り早く言えば、五輪を運営するIOCそのものの実態が日本人には見えていない。会長がいて理事がいて、各国の代表がいて・・・という当たり前の組織のようではあるが、会長、理事の選出方法にも透明性がない。筆者からみれば、西欧の貴族気取りの名士の集まりのようだ。彼らは己の名誉欲と金銭欲を、IOCを舞台にして満たしているようにさえ見える。そんな「偏見」を抱くのは筆者だけではないようで、今回のレスリング除外については、旧ソ連圏・東欧、イスラム圏からも抗議の声が上がったという。五輪のレスリングでは、西欧各国によるメダル獲得は少なく、反対に旧ソ連圏、東欧、イスラムのそれが多いという。日本もその仲間だ。

報道によると、IOCが五輪競技の採用を決定する条件はいくつかの事項の調査結果によるという。チケットの売上枚数、インターネットのアクセス数、TVの視聴率などがあるらしい。レスリングはルールがわかりにくく、世界的なレベルではTV視聴率も低く、また、若者からの支持もないという。古代オリンピックの象徴的競技であるレスリングは、IOCが実施した調査結果からすると、マイナーな競技になりつつあるというわけだ。換言すれば、レスリングの五輪除外には合理的根拠があるということになる。五輪に係る伝統的価値や象徴的価値は意に介さないというわけだ。

頭と四肢――西欧の身体思想

さて、はなはだ回り道的なアプローチであるものの、西欧の視点からスポーツとは何かを問うことも悪いことではなかろう。スポーツの原基は、身体の概念を探ることに代替できる。E・H・カントーロヴィッチ著の『王の二つの身体』によれば、団体は人間の身体に譬えられる。神秘体、有機体の思想だ。そこでは、キリストが頭(かしら)であって、教会は四肢(からだ)に当たる。その概念は王権に昇華し、王が頭であって、国(臣民)は四肢となる。いずれの場合でも、頭(かしら)と四肢(からだ)の間には明確な優劣の序列があり、四肢は頭に劣後する。

一方、日本人の身体に関する考え方はどうなのだろうか。いま、そのことについて明記した書物が思い浮かばないものの、たとえば、「心技体の充実」という言葉が象徴するように、心と体は対等な関係にあるような気がする。この言葉は、日本人が大好きな言葉の一つだ。日本人には、心もしくは頭(かしら)を上位として、四肢を貶めるような考え方はないような気がする。

さらに、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」の諺から類推すると、火を涼しく感じる四肢のほうが心頭(かしら)よりも上位にあるかのようなイメージを感じる。 つまり、日本人にとっては、スポーツは頭と四肢が一体化した表現であり、頭(精神)と四肢(肉体)が共振する聖なるものとして尊ばれる。一方、西欧では、スポーツは四肢の躍動であり、頭(かしら)とは分離されたものと位置づけられる。だから、スポーツが占める位置は、エンターテインメント以上ではない。

ここで博学な人々からは「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という名言をもって、筆者の立論に異議を唱えられることだろう。だが、この異議には、『Wikipedia』を参考にして、反証しておこう。

以下、『Wikipedia』からの引用である。
orandum est, ut sit mens sana in corpore sano――この一節は、古代ローマ時代の風刺詩人、弁護士である、デキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis)が『風刺詩集』第10編第356行に残したものとしてよく知られている。・・・英訳は(A sound mind in a sound body) と訳され、「身体が健全ならば精神も自ずと健全になる」という意味の慣用句として定着している。しかし、これは本来誤用であり、ユウェナリスの主張とは全く違うものである。 そもそも『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ挙げ、いずれも身の破滅に繋がるので願い事はするべきではないと戒めている詩である。
ユウェナリスはこの詩の中で、もし祈るとすれば「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」(It is to be prayed that the mind be sound in a sound body) と語っており、これが大本の出典である。 以上の背景から、単に「健やかな身体と健やかな魂を願うべき」、つまり願い事には慎ましく心身の健康だけを祈るべきだという意味で紹介されることがあるが、それも厳密には誤りである。健全な精神については数行に渡って詳細に記述されており、ユウェナリスがローマ市民に対し誘惑に打ち克つ勇敢な精神を強く求めていたことが窺える。
 その後しばらくは本来の正しい意味で使われていたが、近世になって世界規模の大戦が始まると状況は一変する。ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄し、軍国主義を推し進めた。
その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなった。このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ業界を始めとする体育会系分野において深く根付いている。
現在は冷戦も終わり軍国主義を掲げる必要がなくなったことや、解釈によっては身体障害者への差別用語にもなりかねないことから、多くの国では身体と精神の密接な関係とバランスを表す言葉として使われている。

ここで明確なように、頭よりも四肢の優位を喧伝してきたのは、西欧では異端のナチズムであり、平和よりも相手を殺戮することを優先する軍隊であり、その思想をそっくり持ち込んだ、日本の体育会系団体等だ。

IOCの世俗性は評価できる

前出のとおり、IOCという団体には怪しさが漂う。報道では、五輪競技として「生き残る」ためには、IOCに対するロビー活動が必要だという。ロビー活動とは、言い換えれば、不正のことだ。それは、公式・正式な議場における代議員の審議を経て決定される正当な結論を、ロビーという非公式な場で覆す行為にほかならない。そこでは、賄賂等の受け渡しという利益誘導が潜んでいておかしくない。直接の金銭の受け渡しはなくとも、政界、財界、宗教界等の権力者の恫喝や便利供与も代議員にあっておかしくない。IOCにはそれが必要だという。ますます、怪しいではない。

だが、そういう政治性が物事の決定には必要なことのほうが現実なのかもしれない。IOCは怪しいが、しかし、少なくとも、世俗的だ。IOCは、五輪競技の決定を、マーケッティング的な手法に求め、しかも、ロビー活動の影響という現実的要素に委ねている。

このたびの「レスリング外し」から明確なように、IOCは古代ギリシアのオリンピアの祭典という神話・伝説に立脚しない。一方、事実上、ナチス政府が開催した五輪ベルリン大会は、五輪というイベントを通じて、「アーリア民族=ドイツ人」の力の誇示という疑似的な宗教性が潤色されていた。「民族の祭典」とは、そういうことだ。

いまのIOCは、五輪=スポーツをナチスのような宗教性・民族主義・排外主義から分断しようと努めている。そういう意味で、筆者はIOCに好感をもつ。日本人は、金メダルが取れる種目を失おうとしていることで、いろいろな想像をめぐらしているが、それはたぶん、見当違いだ。イスラム圏からの抗議もおそらく、見当違いだ。

IOCは非政治的傾向を強めつつあり、非宗教的であり、脱民族主義的であり、脱国家主義的であり、それは商業主義に帰着する。けっこうなことではないか。五輪=スポーツを政治利用したナチスに比べれば、彼らのほうがましであり、これからも商業主義を求めてほしいものだ。

IOCは、五輪=スポーツをエンターテインメントとして理解し、その高度化に向けて努力している。これを機に、日本人は、スポーツはあくまでも世俗的であらねばならないことを改めて認識し直す必要がある。

2013年2月13日水曜日

桜宮高校、生徒自殺問題に進展

大阪市立桜宮高校生徒が運動部顧問から暴力を受け自殺した問題について、事態が動いた。その動きをまとめると以下のとおりになる。

(1)この問題を調査する外部監察チームは、「顧問の行為は『暴力』で、男子生徒を自殺に追い込んだ要因の1つ」と認める報告書を、大阪市教育委員会に提出した。

(2)報告を受けた同市教育委員会は12日、この顧問の処分を協議し、懲戒免職にする方針を固めた。

(3)市教育委員会は12日、桜宮高校の改革担当顧問を新たに設置し、前全日本女子バレーボール代表監督・柳本晶一さん(61)を迎えることを決定した。市教委は、柳本さんがかつての体罰指導から指導方法を変え、低迷していた全日本女子チームを2度のオリンピックに導いた実績から顧問就任を依頼したという。

筆者は、この問題に係る橋下徹大阪市長(以下、肩書等略)の方針を支持してきた。先の入試中止措置については内容が折衷的で気に入らなかったが、外部監察チームの報告及び顧問の処分並びに改革担当顧問の設置等の措置については満足している。もちろん、これらの措置は市教育委員会の名の下に行われてきたものだが、橋下が圧力をかけなければ、教育委員会はここまで動かなかったはずだ。

なによりなのは、生徒の自殺が、顧問の暴力によるものであることが調査結果により明らかになったことだ。生徒の死をかけた告発が功を奏したことになる。そして、そのことが、日本のスポーツ界にはびこっていた暴力を根絶する方向に社会を動かしていった。そのことがなかったならば、女子柔道トップチームにおける暴力問題も明るみには出てこなかっただろう。

残された課題は、処分された顧問が法によって裁かれるか否かであろう。筆者の希望は、もちろん、警察・検察・司法が顧問の暴力を法の下に裁くことだ。そうなれば、自殺した生徒の魂も浮かばれるであろうし、残された遺族の気持ちも少しは楽になるのではないか。

逆に気になったのは、市教育委員会が桜宮高校の入試を中止したときに生起した、「橋下批判」の嵐であった。筆者は、繰り返しになるが、橋下の政治姿勢を容認するものではない。「維新の会」も支持しない。だが、個別この桜宮高校生徒自殺事件に関しては、橋下が大阪市教育委員会にかけた圧力は正解であった。こういう高校を廃校にすることは間違っていない。

そればかりではない。生徒が顧問に「殺された」に等しい教育環境(=桜宮高校)に新入生を迎え入れるべきではない(入試中止)。そんなことに、議論の余地がないはずだ。にもかかわらず、そういう当たり前の措置を大阪市教育委員会は積極的にはとろとしなかった。そして、マスコミ、同校在校生の一部、同校保護者の一部等は、事態の深刻さを自覚しようとしないばかりか、入試強行(連続性)を訴えた。

加えて、反橋下陣営は、〔入試中止=受験生が可哀そう〕という、訳のわからない感情論で同校改革の流れを阻止しようとした。橋下を「暴君」と評した言論人もいたという。彼らは、橋下はこの事件を売名行為として利用としている、と批判したそうだが、まったく見当違いだ。反橋下陣営が、「入試中止」を政治的に利用しようとしたのだ。

桜宮高校に内在している暴力は、日本のスポーツ界全体に内在している悪しき暴力主義以外のなにものでもない。それは、「伝統」「根性」「精神力」「愛の鞭」「指導」という美辞麗句に名を変えて、スポーツをする若者を苦しめ続けてきたのだ。だから、橋下は、桜宮高校を潰そうとした。橋下は積極的に“悪しき日本”と対峙しようとした。そういう意味で、橋下の政治的センスは鋭い。凡庸な、名ばかり「改革派」ならば、そこまではしない。だから、橋下は油断ならない存在なのだ。

2013年2月12日火曜日

東京・五輪招致に反対する



先般、アート系のイベントに行ったとき、入場受付カウンターにこのバッチが無料で配布されていた。

東京にオリンピックを、というのが国民の総意のように報道されているが、そうは思えない。

東日本大地震並みの大地震再来に対する不安、収束できない福島原発事故の影響、そしてなによりも、3.11被災地の復興もままならない。

打つべき手の優先順位が狂っている。

そんな気がする。

2013年2月10日日曜日

Re Cafe

谷根千 にはカフェ、レストラン等の飲食店や美容院が多い。

最近のものはみな、オシャレで現代的だ。

ヨーロッパにあっておかしくないような店もある。

Re Cafeは谷中銀座商店街から路地を一歩入ったところにある。

店内では古着、雑貨等が品揃いされていて、一台の小テーブルでお茶も飲める。
店内
同上

@Yanaka

2013年2月6日水曜日

最近の猫たちの動向

Zazieは夜中の3時と5時ころに騒ぎ出すようになった。うるさい。
ますます人なれしてきたNico
同上
同上

2013年2月1日金曜日

五輪東京誘致を撤回せよ――相次ぐスポーツ不祥事の発覚

ロンドン五輪代表を含むトップ選手15人から暴力行為とパワーハラスメントを告発された柔道女子日本代表の園田隆二監督(39)が1日、全日本柔道連盟(全柔連)に進退伺を提出した。このことで、日本のトップチームにも暴力が横行していることが明らかになった。というよりも、マスメディアを含む関係者はすでにこのことを認識していたのだと推測する。知っていても、書かない、言わない、問題にしない、というのが日本のスポーツ関連メディア業界の際立った特徴である。

自殺者を出した大阪市立桜宮高校をはじめとする高校の運動部、柔道五輪金メダリストの内柴正人による、セクハラ犯罪を筆頭とする大学の体育会、そして、このたびの柔道日本代表チームというトップカテゴリーに至るまで、日本のスポーツ界は「指導者」による暴行、パワハラ、セクハラ、が横溢しているではないか。

先に当コラムで書いた通り、日本のスポーツ界を犯罪天国にしてしまったのは、指導能力をもたない者が「指導者」となったことによる。指導能力よりも選手としての実績がものを言い、指導理論よりも精神論と根性論が先行している。そのため、日本のスポーツ界では「指導者」がもっとも安易な指導方法として暴力を用いることになってしまった。

日本のスポーツ界においては、監督・コーチ(以下、「指導者」という。)と選手の関係をいえば圧倒的に前者が優位にある。選手が独立した事業主として指導者と接するプロ契約選手以外の場合(日本ではアマチュアスポーツと言われるのだが。)には、そのことがきわめて顕著となる。

日本のアマチュアスポーツは、建前上、教育の一環となっているから、必ずしも運動能力ばかりが選手の優劣を決めるとは限らない。品行・言動、キャプテンシー、練習への取り組み姿勢・・・が勘案され、指導者はレギュラーを決める。スポーツをするために高校・大学に入った生徒・学生にとって、レギュラーか控えかは、最も重要な決定事項である。

たとえば、あのバカ騒ぎで有名な甲子園大会の場合、ベンチ入りとそれ以外とでは、待遇、評価、世間の目において、天と地ほどの差がある。さらに、控えとレギュラーとでも同様の開きがある。野球をするために野球強豪校に入学した高校生にとっては、甲子園大会に行けるかどうかは重大問題であり、さらに甲子園で実際にプレーするか否かは、将来にかかわる。それを決めるのが「指導者」であり、「指導者」しか決められない。だから、選手にとって「指導者」は絶対的存在となってしまう。「指導者」の権力の源泉はそこにある。だから部員たちは「指導者」がふりかざす不条理な暴力に屈せざるを得ない。「指導者」に異議を唱えれば、その部員の居場所はない。野球ができなくなった野球特待生は必然的に転校、退学を余儀なくされる。

高校経営者も野球が強ければ、その方法は問わない。甲子園大会に導く「指導者」に全幅の信頼をおく。保護者、地域社会、メディアも同じ考え方にある。だから、高校野球部員に不祥事が多発しても、その根源を暴こうとしない。「強ければそれでいい」のである。

下は野球のリトルリーグ、上は日本代表トップチームに至るまで、「体罰」「しごき」「暴行」「セクハラ」「パワハラ」がまかりとおっているのが日本のスポーツ界の現状である。こうした実態を直視するならば、日本のスポーツ界は以下の決断をすべきであろう。

(1)石原~猪瀬が引っ張る五輪東京誘致運動の即刻撤回

(2)指導者ライセンス制度の創設

(3)すべてのスポーツ団体を対象とした実態調査の実施

(4)暴力指導者永久追放

(5)体罰、暴力、パワハラ、セクハラのあったスポーツ団体の解散

(6)トップアスリートによる暴力追放啓蒙活動の実施

(1)については、日本が世界的スポーツの祭典を開催する資格のないことをとにかく、いま自覚する契機とするためである。この期に及んで、日本のスポーツ界が美しいとは言えまい。青少年の範とするとも言えまい。五輪で浮かれることよりも、その汚れを落とすことをいま最優先とすべきなのである。

(2)については、霞が関の権益とならないよう、民間主導によるライセンス制度が望ましい。スポーツを科学する学部・学科・研究機関の設置も急がれる。

(3)~(5)は一体の事業で、調査による実態解明から処分に至る過程である。処分の結果として、日本のスポーツ界が一時停滞、弱体化しても仕方がない。

(6)については、今日、元読売ジャイアンツの桑田真澄氏の「体罰不要論」の発言が際立っているが、桑田氏だけでなく、トップアスリートのすべてが、反暴力キャンペーンに参加してもらいたい。

日本のスポーツ界は歪んでいる。高校生の課外活動であるスポーツが完全にエンターテインメントの有力コンテンツに成長したことから、そのことは始まっている。このことは何度も繰り返し書いた。勝利至上主義のメダルの表裏にあるスポーツ美談、裏話、アマチュアリズムを含めて、スポーツがメディアによってもてはやされ、歪められ、次第にその本来性を喪失している。高校生の課外活動がプロスポーツよりも高い付加価値がつけられ、消費されていく。そのことによる内部の腐敗の深化には目をつぶり、隠ぺいする。やがてその歪みが、強い地震のような衝撃となって社会内に噴出する。スポーツ高校生の自殺、パワハラ、セクハラ、暴力の恒常化である。何度も繰り返すが、この歪みは、無知な「指導者」、社会の勝利至上主義の共謀により、メディアによるエンターテインメント化によって増幅されているのである。この連鎖を断ち切ることができなければ、いずれ日本のスポーツ業界は滅びるにちがいない、いや、一度、滅びたほうがいい。

2月がスタート

2013年も、あっというまに一カ月が過ぎて、はや2月。 きょうは暖かい。

猫の体重測定をしたので書いておく。

Zazieが2.3㎏で先月からなんと400gの減、

Nicoが6.1㎏で先月から変化なし。

Zazieが減りすぎでちょっと心配。

肩、背中に乗りたがるようになったZazie
Nicoは、日に日に、飼い主に接近してくるようになった。

2013年1月22日火曜日

橋下の負けだ

大阪市立桜宮高校でバスケットボール部主将だった2年の男子生徒が顧問教諭の体罰を受け、自殺した事件で、市教委は21日、臨時の教育委員会議を開き、今春の体育系2科(体育科80人、スポーツ健康科学科40人、定員計120人)の募集を中止し、同じ定員を普通科に振り替えて募集することを決めた。ただ、選抜時期や入試科目は従来の体育系2科と同じ内容とし、受験生に配慮する。

教育委員会決定はきわめて折衷的

この決定は橋下徹大阪市長(以下、肩書略)が描いた桜宮高校改革の第一歩だと評価できるが、きわめて折衷的なところが不満だ。同校の入試はスポーツ関連学科=前期選抜と、後期選抜の普通科(160人)を予定していた。このうち前期選抜の体育系2科を普通科としたものの、新たに普通科とした前期選抜分については、入試科目を体育系2科と同じ国語、数学、英語、運動能力、運動技能の5つとし、入学後のカリキュラムについても、スポーツに特色のある内容とする。通学区域も体育系2科と同じ大阪府内全域とする。つまり、体育系2学科の試験は実施されないが、普通科に看板を架け替えただけにすぎない。橋下もマスメディアがヒステリックに叫ぶ「受験生が可哀そう」の合唱に抗しきれなかったようだ。

生徒有志の市役所内会見の発言に呆れはてる

試験中止のTV報道番組の中に同校の生徒数名が、橋下に対する不満、批判を公衆の面前で行っていたシーンが流れた。市長会見の直前に運動部の主将を務めた8人の生徒が市役所内で記者会見を開き、入試中止の決定に反対を表明した。発言内容は断片的で正確には把握できないのだが、「なぜ高校生の私たちがこんなにもつらい思いをしないといけないのかわかりません」「体育科をなくしたからといって、クラブ活動のなかで体罰がなくなるとか、そういうことにつながらないと思う」「いま1つしかない一瞬のことが、を全部潰されているようにしか思えない」……というものであった。

筆者はこの生徒たちの浅はかさ、薄っぺらさに唖然とした。この生徒たちの橋下批判の映像は、首から上がカットされていて、発言も部分的で全貌はつかめない。もちろん、彼らの発言が公式文書として配布された様子もない。

この映像を流したTV番組のコメンテーターの尾木氏は、学校側や一部保護者の入れ知恵ではないか、と批判した。おそらく、そのとおりであろう。会見した生徒たちの発言からは、学校側が体罰自殺をどう反省し、生徒に教えてきたのか、疑問を感ぜざるを得ない。尾木氏は「これが生徒のすべての声とは受け止められない。なぜこんな会見をやらせたのか。誰がやらせたのか。とんでもない。(会見をやるなら)生徒会長や部長が出るとか、生徒会長名で声明を出すべきです」と怒った。まったくそのとおりだ。

その背景として、尾木氏はこうも付け加えた。「この学校は体育科がメインで、強くなければいけない使命を背負っている。進学重点校の体育版です。橋下市長はそれがゆがんで出てきたと捉えた。校長の言うことを聞かない。校長の権限が及ばず、私物化されている。これは高校教育全体の構造で、全国の高校が自己点検すべき中身が含まれているんです。桜宮高設置のあり方を見直し変えていく第一歩です」

繰り返しになるが、筆者はこの映像を見て驚いた、というよりも、この生徒たちのことをアホかと思った。同胞の自死をわがこととすることのできない未熟さに呆れてしまった。この映像によって、桜宮高校の教育が根本的に間違っていることが確信できた。やはり、橋下が言うように、桜宮高校は廃校にしなければいけない。

体罰は学校、教師(顧問)、保護者、生徒の容認事項

桜宮高校の運動関連学科に生徒を通わせている親及び通学している生徒たちは、生徒たちが3年間スポーツに専念し、優秀な成績をおさめて学校推薦で有名大学(の体育会)に入学することを目論んでいるとしか思えない。彼らが望んでいるのは顧問に叩かれようが蹴られようが我慢して、スポーツ大会で優勝することなのではないか。そんなおり、その暴力に追い詰められた一人の生徒が自殺した。

正常な教師、生徒、保護者が過半を超える高校ならば、生徒の自殺の原因について真剣に考え、二度と起こらないような再発防止の方策を構築するよう努めるだろう。その原因が顧問の恒常的暴力であることがほぼ明らかならば、生徒指導のあり方を根本から改めようと努めるだろう。校内に横行する不条理な暴力が一掃されるまで、新しく生徒を受け入れること(入試)を控えるだろう。恒常的に暴力を加えていることが明らかな顧問(教師)にはそれ相応の処分が必要だと考えるであろうし、そのことを見逃していた校長以下の管理者も処分されて当然だと考えるだろう。

ところが、管見の限りだが、この事件に係る桜宮高校の総括的見解が聞こえてこない。今後の教育方針の転換の内容も聞こえない。当事者である顧問及びその管理者である校長の反省の弁も聞こえない。教育委員会というノッペラボウの教育官僚の事務的会見のみがTV映像に流れるばかりだ。橋下が入試中止と発言したことにより、マスメディアは生徒の自殺問題から、橋下批判に報道内容の舵を切ってしまった。なんと不幸なことなのか。

校長、顧問は自ら教育現場から身を引け

暴力顧問、校長が教育者の端くれならば、そして一人の人間であるならば、自身が行ってきた生徒に対する恒常的暴力=虐待を反省し、教育の現場から自ら離れるのが人の道というものではないか。

2013年1月20日日曜日

谷中の路地の雪蛇

 
 
雪が降ってから一週間近く経つが、溶けない雪の蛇

@Yanaka

改めて巳年

諏方神社
根津のBar.Hidamariでいただいた御年賀の手ぬぐい
同上
谷中の路地の雪だるまならぬ雪蛇。なかなか溶けないぞ
13年前に中国・雲南省の麗江でゲットした木製の皿。

2013年1月18日金曜日

ガンバレ、橋下

筆者は橋下徹大阪市長(以下、肩書略)が嫌いだ。当コラムにおいて幾度となく批判してきた。だが、このたびの大阪市立桜宮高校バスケ部生徒自殺事件に関しては、橋下の発言を全面的に支持する。

自殺した生徒の命を無駄にしないため、桜宮高校をせめて廃校にせよ

橋下の発言については報道が断片的でわかりにくいのだが、筆者なりに解釈すると以下のとおりとなる。

(一)桜宮高校の廃校を目指すこと。

(二)同校のスポーツ関連学科の廃止を早期に実施すること。

(三)今年度の同校スポーツ関連学部の試験を中止すること。

(四)同校における人事異動を年度内に行うこと。

(五)上記(三)及び(四)が教育委員会において年度内に実施されなかった場合、次年度、同校における関連予算を執行停止すること。

橋下発言は項数ごとに段階を追っていて、(一)(二)の実現が年度内はもちろんのこと、短期的に実現するとは思っていないような節がある。早期に実現すべきは(三)(四)であり、その実施の武器として、(五)を持ち出したのだろう。というのも、地方自治体における教育については教育委員会に実施権限があり、首長といえども簡単には踏み込めないからだ。首長と教育委員会が教育問題で対立した場合、首長は教育委員会に対して予算執行権限で対抗する以外にない。

さて、バスケ部生徒自殺問題の原因については前回の当コラムで詳述したとおりだ。自殺のあった桜宮高校の体育関連学科というのは、スポーツ関連の教育を目的としたものではない。同校の場合、

(A)体育系学科に優秀なスポーツ選手を集め、

(B)それらの生徒を課外活動である体育系部活動に所属させ、

(C)彼らを顧問が暴力を使って練習させ強化し、 

(D)各スポーツ大会において優秀な成績を上げさせ、

(E)同校の知名度を高め、

(F)さらに受験生を増やし、

(G)かつ、大学に用意されたスポーツ選手枠を通じて有名大学進学率を高め、

・・・

というメカニズムを構築しているのだ。簡単に言えば、同校の体育系の部活動、たとえばバスケット部、バレー部等が高校生の大会で優秀な成績を上げることによって、桜宮高校は大阪市内有名校として君臨していることになる。

桜宮高校が体育関連学科の名の下に入学させた生徒は、同校が各スポーツ大会で優勝するためにただひたすら部活に励むことになる。もちろん入学した生徒全員がそうだとは言わない。スポーツ全般を学び、体育系大学に進学したい、という志望をもった生徒もいるだろう。ただ、問題はそんなところにあるのではない。同校において、体育系部活動の顧問の恒常的暴力(断じて体罰ではない)によって生徒が自殺に追い込まれた原因を真剣に求めるのならば、この高校に特設された体育系学科の主たる目的が、全国レベルで行われる各競技大会において優勝するために活用されてきた実態に着目することこそが重要なのだ。

体育系学科の目的は、スポーツを科学することにあるのではないのか。優秀な競技者を生むことよりも、そのよき指導者を育成することのほうに力点は置かれるべきではないのか。さらに社会科学的分野においては、現代社会におけるスポーツの意味を問うことではないのか。体育系学科に課せられた、この2つの本来的課題に取り組む教育が実施されていたならば、顧問の暴力が同校において起こり得るはずがない。もちろん、それによる生徒の自殺が起こるはずもない。

ならば、若い尊い生命を賭して告発された同校の悪しき体質を一掃するためには、今年度の入学試験(体育系学科)を中止すべきだ。新年度の人事の一新(=校長、体育系学科責任者、暴力顧問の辞任等)ももちろんであり、最低限の措置となる。入学試験の中止は大きな社会的混乱を生起するという懸念は無用だ。というのは、わが国において、1969年、当時、新左翼系学生運動の活発化の影響により、東京大学、東京教育大学(現・筑波大学)の2校の入試が中止になったことがあったが、それによる大きな社会的混乱は生じていないからだ。当時、マスメディアもそれによって誘導された世論も、入試中止に賛成した。もちろん、両校の体育系部活動(体育会)に影響はあったであろうが、そんなことに社会は関心を示さなかった。当然である。

高校生スポーツ・イベントの巨大化が問題の根源に

さて、大阪市立桜宮高校バスケ部生徒自殺問題における行政措置としては、前出の5項目を(五)から(一)へと順次実施していく、という道筋が見えてきた。次は、この問題をわが日本国の高校生スポーツの実態上の問題として解決する道筋を構築することにある。それこそが、若い命の犠牲に償い、かつ、報いるための唯一の道だろう。

いま、わが国おいてスポーツは大きな産業に成長している。スポーツ用具製造業者、ユニフォーム等を製造するアパレス業者、食料品・飲料品業者、製薬業者、メディア業者・・・オフィシャルサプライヤーを含めれば、全業界がスポーツと無縁ではない。しかもそれは全世界に及ぶ。そのことによって、スポーツイベントは大きな意味を持ってきた。それぞれのスポーツごとに世界大会が開催される。頂点はサッカーワールドカップであり、世界陸上、ワールドベースボールクラシック・・・と、各国、各都市が世界大会誘致に血眼になっている。その頂点の1つがオリンピック(五輪)ということになる。

スポーツの巨大産業化は、それが有するエンターテインメント(娯楽)性にある。スポーツは面白い。このことに議論の余地はない。世界規模で巨大なエンターテインメント・コンテンツに成長したのが現代スポーツなのだ。だから、アマチュアもプロも関係はない。一昔前、五輪ではアマチュア精神が遵守されていたことがあったが、いまはアスリートがプロなのかアマなのか、だれも気に留めない。国民的人気を誇るフィギュアスケートの浅田真央がプロなのかアマなのかを判別することすら不可能だろう。

エンターテインメントとしてのスポーツは今日、それぞれがカテゴリー化を成し遂げて、さらに拡大を遂げている。男女の別、地域の別、年齢の別、社会的属性の別・・・だ。細かくは体重別というのもある。オーバーオールであれば世界王者は一人しか存在し得ないが、それをクラス(体重別)に分ければ、複数のチャンピオンが生まれることになり、世界タイトル戦という興行は複数にのぼる。

日本では、社会的属性別のスポーツコンテンツが有力なものとして成長している。そこでは昔懐かしいアマチュア精神の純粋性が尊ばれる。大学野球の早慶戦、大学ラグビーの早明戦、実業団野球=都市対抗などが有名だが、学生スポーツの、しかも、なかで異常な人気を誇っているのが高校野球の「甲子園大会」だ。

そしてさらに、その影響を受けて、わが国では高校生スポーツの人気が異常に高くなっている。野球の母国米国ではハイスクールベースボールの注目度は低い。米国で人気があるのはカレッジフットボール等くらいではないか。

高校生スポーツはもちろん、繰り返しになるが、一般の部活動の枠を越えている。全国レベルで活躍できる高校生たちは、その実態においてプロフェッショナルと同等だ。もちろん報酬は得ていないが、高校三年間、そのスポーツに集中できる境遇というのは、少なくとも、プロ的であることはまちがいない。

高校生スポーツを巨大なエンターテインメント=イベントに高めたのは、メディアの力にほかならない。甲子園大会の巨大化は、NHKと朝日・毎日の二大新聞の力に負っている。その成功を模範として、読売・日テレが高校サッカーを、毎日・TBSが高校ラグビーを、フジ・産経が高校バレーを巨大化させようとしている。自殺した大阪市立桜宮高校の生徒は野球、サッカー、ラグビー、バレーよりはマイナーなバスケットをやっていたそうだが、同校はバスケの強豪校であり続けるため、暴力顧問をなんと、18年間も在籍させていた。こうして、メディアが高校生スポーツを悪戯に礼賛することによって、高校生の課外活動にすぎなかった運動部のスポーツはことさらゆがみを増していくことになる。

それだけではない。少子高齢化により生徒数が減少して危機感を抱くようになった学校経営者が、経営戦略として、スポーツ強化という方策を打ち出した。このことはすでに何度も書いたので繰り返さないが、大阪市立桜宮高校バスケ部生徒の自殺の原因もそこにある。

桜宮高校は公立高校であるが、生徒が集まらなければ廃校も選択肢としてまるでないわけではない。また、スポーツ有名校として大阪、関西で君臨することによって、そこに配属された教師も悪くない待遇を得ることができる。生徒に暴力を振るってでも、スポーツ大会で優秀な成績を上げれば、指導者(コーチ)としての評価が高まる。その証拠に、この暴力顧問教師がバスケットボール日本代表の年齢別チームのコーチに抜擢されているくらいなのだ。ここに倒錯も極まれるというものだ。また前出のとおり、スポーツ有名大学への推薦枠も増えていくため、同校の有名大学進学率も高まる。

 最後に、繰り返して言う。日本のスポーツ界は時代錯誤にある。運動能力を高めるために必要な心身のトレーニング技術を磨くことはなおざりで、選手を暴力で支配する指導者を優遇している。この事件を踏まえ、高名なスポーツ関係者が、「体罰」の非合理性を説くようになった。けっこうな傾向だ。彼らスポーツ成功者の発言こそが説得力を持つ。

体育系学科創設の目的そしてその教育内容は、スポーツを科学すること、及び、スポーツを社会科学として研究・分析すること等ではないのか。そして、結果として、それがよきスポーツ指導者の育成につながるのではないのか。もちろん、実技の向上も必要だ。

大阪市の教育委員会が教育の原点に返ろうとする意志をもっているのならば、さらに歪んだ高校スポーツのあり方を是正しようと思うのならば、大阪市立桜宮高校の廃校もしくは体育系学科の廃止を急ぐよう努めるべきだ。

また、高校を受験しようとする中学三年生が心配なのは理解できる。だが、桜宮高校の入学試験が中止になることによって、一人の高校生の死について深く考える機会を得たと受け止めてほしい。

マスメディアは、入試中止を迫る橋下の発言を「教育への介入」だと歪めてはいけない。今回の問題に限定だが、橋下の側に理はある。

2013年1月15日火曜日

雪(1月14日)

 
昨日、東京地方は突然、降雪に見舞われた。
 
降り始めて1時間もしないうちに、雪はみるみるつもり、あたりを銀世界に変えた。
 
交通機関は運休となり、まちから人が消えた。
 
とんだ三連休最終日(成人の日)であった。(写真は谷中霊園)
 
 
 


雪だ(1月14日)

東京地方に突然雪が。あっというまに積もった(谷中霊園)
同上
谷中天王寺
同上
墓標も積雪
同上

2013年1月11日金曜日

責任は橋下大阪市長と「甲子園」――大阪バスケ部生徒自殺事件

大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が、所属するバスケットボール部顧問の男性教諭(47)から「体罰」を受けた翌日に自殺した。筆者は、この問題の責任は、大阪市行政のトップにある橋下市長(以下、肩書略)及び「甲子園」を筆頭とする歪んだ高校スポーツを礼賛するマスコミ(そして、それに靡く社会風潮)にあるものと考える。

まず橋下――
彼は、大阪市行政改革の目玉の1つとして、教育改革を前面に打ち出していた。にもかかわらず、今回の事件の発覚により、彼の大阪市における教育改革が一向に実績を上げていないことが明らかになった。橋下は、国歌を歌わない教師に厳罰を処することに熱心である一方、生徒に恒常的に暴力をふるう部活顧問の教師の存在を簡単に見逃しているのである。国政(=日本維新の会)の活動に没頭して、肝心の市政が手抜きになっている。橋下の教育改革がまやかしであることは、このことをもって、明らかではないか。

彼の教育改革は偏向したものであって、彼の独自のイデオロギーに毒されている。橋下はまずもって大阪市の高校生が安心して課外部活動に励める環境を教育現場において、実現すべきなのである。橋下が市教育委員会を批判することはできない。橋下は市長なのであるから、教育委員会のトップでもある。橋下は市長として、暴力が日常的に横行するような高校をまずもって一掃すべきである。

橋下とつるんだマスコミは、この件に関する橋下の責任を追及しない。おかしいではないか。報道によると、暴行を加えた顧問は公立高校に勤務しながら18年間も異動していないという。公立高校の教育現場にあって、教師が18年間も異動せず、一つの高校にとどまるとは、常識では考えられない。教員人事に係る基本が蔑にされているのが、大阪市の教育現場なのである。そんなことにも気づかない大阪市上層部は情けない、もちろん、市長失格である。しかも、桜宮高校における顧問による暴行事件はこれが最初ではなかったという。大阪市のトップとして、橋下は責任を感じなければいけない。大阪市民は、「維新の会」などどうでもいいのである。なによりも、大阪市の市政(その一つである教育=高校のあり方)を糺すことが、市長の責任なのではないのか。  

橋下と共犯のマスコミ――
次に、今回の事件の報道のあり方の問題を指摘する。この事件を「体罰」という抽象的領域に導こうとする報道姿勢である。自殺の原因は「体罰」によるものではない。この高校生の自殺は、「体罰」もしくは「指導」という名を借りた恒常的暴力によるものである。なぜならば、スポーツの指導において、暴力の力で技術や体力が向上することはないからである。人々を動かすのは“恐怖=暴力”か“打算=利害関係”のどちらかだ、という極論が跋扈するわが日本国であるが、この二つが一時的に人々を動かすことはあっても、それによって築かれた規律はいずれ破綻する。今回の事件がその良き例である。体罰=暴力がスポーツ能力を向上させることはないにもかかわらず、そして、それにより若い尊い命を失ってもまだ、マスコミや一部のスポーツ関係者は、暴力による指導=体罰の有効性を声高に叫んでいる。なんと、愚かなことであろうか。暴力顧問が行った「指導」はいままさにここに破綻しているではないか。

重要なのは、技術、人格において優れたスポーツ指導者をすべての高校が擁することである。スポーツ指導の最低限の知識・経験を有する者が同校の部活指導者として配されていたならば、このような悲劇は防げた。

体罰による「指導」があったならば、その被害者は直ちに警察に駆け込むことである。ところが、この一見簡単そうに見える逃避行為が実はなかなか難しい。とりわけ、桜宮高校のようなスポーツ有名高校においては、スポーツ特待生という境遇の生徒が少なからず存在するからである。自殺した生徒が特待生であったかどうかは不明であるが、スポーツ有名校の場合、全国からすぐれたスポーツ選手を集めてくる。彼らは課外活動である体育系部活動の枠を越えた運動部に属し、ただひたすら高校の名前を全国に売るため、練習を重ね、試合に勝つことだけを義務付けられる。「スポーツをする=試合に勝つ」ためだけに高校に入った彼らには、顧問や先輩に暴行されようとも、所属する体育系部活から逃げ出すことができない。部活を辞めることは、すなわち学校を辞めることを意味するからである。

今回の生徒の場合はバスケット部に属していたというから、その頂点を争う大会はインタハイ(全国高校総合体育大会)になるのだが、インタハイの規模をはるかに超えているのが、高校野球の甲子園大会である。インタハイ、野球の甲子園大会、サッカーの国立、ラグビーの花園・・・と高校生のスポーツは、学校経営のみならず、マスメディアの有力な収入源となっている。これらの大会で優勝するために行われる指導(練習)が、通常の高校生の課外活動の領域をはるかに超えたものであることを知りながら、政治家、教育行政関係者(公務員)、教育の現場(教師)、知識人、マスメディアは、その弊害について真剣に取り上げてこなかった。彼らは、高校教育の枠を越えた生徒集め(スカウティング)、指導(練習)の実態について批判をしてこなかった。スポーツ有名校の顧問たちが勝つために行う生徒に対する暴行を黙認してきた。管見の限りだが、日本の高校スポーツのあり方を批判したスポーツ関係者は、ブラジル出身のサッカー評論家・セルジオ越後氏以外に知らない。

というわけで、スポーツが得意な若い命を追い込んで失わせてしまった第一の責任は、大阪市の教育改革に真剣に取り組んでこなかった橋下大阪市長にある。そして、第二の責任は、勝利至上主義の歪んだ高校スポーツのあり方を批判してこなかったマスコミにある。橋下を支持する大阪市民も共犯である。さらにいえば、甲子園大会等の異常な高校スポーツの現状を熱心に支持する日本国民にも、その責任の一端はある。若い尊い命の犠牲から、大阪市民、日本国民が反省し学ぶべき点は少なくない。

2013年1月3日木曜日

正月2日

寺もいかにも、正月らしい
庭に不思議な像。仏像か
@Yanaka

正月2日

不忍池にて開催されている骨董市に出かける。
骨董市では、掛け軸、湯呑み、木製フォークをゲット
寛永寺を通って帰宅

謹賀新年

正月2日、不忍池~上野桜木~谷中霊園 を散策
霊園の中、こんな看板を発見
「谷中の猫」が有名になる反面、猫の悲劇も増えているのだ。当方も、以後、霊園内猫の写真の公開を自粛する。

@yanaka

2013年1月1日火曜日

Happy New Year 2013

新年あけましておめでとうございます。

まずは猫たちの体重測定記録から。

Zazieは2.7㎏、Nicoは6.1㎏で、前者が0.1㎏、後者が0.2㎏の増量。

正月早々、頭が痛いNico
正月なんか関係ないZazie