ジェームスさんとカラオケ納め
2021年12月31日金曜日
2021年12月24日金曜日
2021年12月16日木曜日
2021年12月11日土曜日
中国の「民主主義サミット」批判と日本共産党
2021年12月10日金曜日
労働者に敵対する芳野友子連合会長
連合が日共を排除する理由はなにか
連合が日共を排除するのは、①労農派↔講座派の対立まで遡るのか、それとも、②反共を任じて総評に反旗を翻した同盟のDNAを引き摺るためか。いやいや、③大企業の利益擁護を第一として、全労働者の抵抗・団結を阻害する自公補完集団である故なのか。③だとするならば、立民・共産の共闘は自公政権にとってプラスではないから、日共排除は連合の一丁目一番地の「政策」に違いない。立民に圧力をかけて、「おまえら余計なことしないで、おとなしくしとれ」ということになる。
立民議員が恐れているのは、連合の支援なしで落選してしまうこと。立民議員が気楽な野党業の職を失えば、莫大な議員報酬を失うしテレビにも出られなくなる。いわば野良犬である。立民が連合のいいなりで、飼い犬みたいな存在だとすれば、健全な野党とは言えない。
芳野友子は反共・旧同盟系労組出身
芳野友子の出身母体は全金労だ。同労組は六産別の一つで、反共・労使協調路線を掲げたナショナルセンターである旧同盟を構成した労働組合の一つ。そこから成り上がったのなら、筋金入りの反共主義者かもしれない。
旧同盟の労働者観は階級としてのプロレタリアを否定し、会社という家族のなか、社長(経営者)は親、使用人(労働者)は子という戦前の労使観で貫かれている。この労使構造は日本帝国における、天皇が親で臣民は赤子(せきし)という国家像を企業像に置き換えたにすぎない。
立憲左派排除、新民主党結党を指示か
芳野友子が描く日本の政治の構図としては、立憲内左派を排除して立憲右派・中間派と国民を合併させて「新民主党」とし、野党共闘を白紙にして、日本共産党、れいわ新選組を排除し、「新民主党」と維新を協調関係にもっていき、小選挙区で自公が安定的に勝ち続ける政治状況をつくり上げること。ちょっと前の「女帝の党」の再現だろう。なお、連合の支援で「新民主党」議員の議席はこれまでどおり確保される。
維新と連携して大政翼賛体制へまっしぐら
このような政治状況は、言うまでもなく、治安維持法なき大政翼賛体制であり、労使関係においては、労働三法を改正なしで骨抜きにする労働運動の全否定だ。芳野友子は労働者のストライキを自主規制させ、時間外手当等の賃金削減を労働者に弾圧なしで容認させ、非正規労働者を増やして景気次第で自由にクビにする強権的労使関係を合法的に推進する、いわば、「円満」な労使関係を経団連等に差し出すつもりだ。いや、もうすでに差し出していて、さらに強化するつもりかもしれない。その見返りは、連合に加盟している労働者を「勝ち組」として経営者様に守っていただくこと。
そして芳野友子は、政府の「新しい資本主義」のメンバーに名を連ねた。労働者を資本の側に売り渡すためでなくてなんであろう。おそろしいデストピアが、すぐそこまできているような気がする。
2021年12月3日金曜日
消えたDH論争 日本シリーズ覇者はヤクルト
2021NPB(日本プロ野球)日本シリーズはヤクルトが4勝2敗でオリックスを撃破し、日本一に輝いた。昨年、一昨年の日本シリーズは読売巨人がソフトバンクに2年連続で1勝もできずに敗退したことに比べ、今年の6試合はともに接戦で、中身の濃い試合ばかりだった。シリーズの詳細はメディア等で報じられた後なのでここでは書かない。注目すべきは、昨年議論されたDH論争が影を潜めたことだ。9人制のセ・リーグの覇者ヤクルトがDH制を採用するオリックスに勝ったのだから、昨年のDH論争の虚しさが確認されたようなものだ。
昨年、DH論争が沸き上がったのは、読売巨人が2年連続でソフトバンクに負たからだ。そしてその責任追及から逃れるため、敗軍の将・原があたかもDH制度がないから自軍が負けたかのようにメディアを誘導したからだ。こんな簡単な偽りのロジックに乗っかったスポーツメディアのあほさ加減についてはここでは書かない。筆者はMLBのア・リーグとナ・リーグのワールドシリーズの勝敗データを挙げて拙Blogで反論したのだが、メディアでは原の誘導に乗せられて、まじめにセ・リーグでもDH制採用をと声高に叫んでいたことを覚えている。
では、なぜ、読売巨人がソフトバンクに2年連続0勝4敗で撃破されたのか――その答えは簡単で、当時のソフトバンクが読売巨人より断然強かったからだ。ソフトバンクの強さの秘密はDH制度ではなく、優秀な選手がそれぞれ、実力の頂点に差し掛かる時期だったからだ。千賀、和田、竹田、モイネロ、森、石川、甲斐、松田、周東、今宮、柳田、中村、グラシアル、デスパイネ、牧原、・・・2021シーズンではソフトバンクの選手のうち何人かが故障し、同じく衰退期にさしかかり、Bクラスに沈んだ。そうそう連覇はできない。昭和の時代の読売巨人の9連覇はドラフトなしで、しかも他球団が球団経営に熱心でない時代だったから可能だった。それだけの話。
セ・リーグが9人制、パ・リーグが10人(DH)制の変則ルールの野球は奇妙なスポーツだ。サッカーもコロナ禍、交代要員が従来の3人から5人に変更されたり、延長戦に限り4人になったりの変更はあるが、少なくとも世界大会では統一のルールの下で運営されている。野球の世界大会ではDH制が一般的で、管見のかぎりだが、9人制が採用された国際大会はないはずだ。時代はDH制に傾いているのだから、NPBもいまさらMLBの真似をしないで、DH制に統一したほうがいいと筆者は思う。もっとも、投手が打席に入る9人制はそれなりの面白さがある、という野球通がいることは確か。筆者はその差異を楽しむほどの野球ファンではないので、このままでもかまわないし統一でも構わない、というのが本音である。
2021年11月30日火曜日
『フランスの誘惑 近代日本精神史試論』
●渡邊一民 ●岩波書店 ●2913円+税
本書は、明治維新から現代(1960年代中葉)に至るまでの日本とフランスの交流をたどりつつ、近代日本の精神史に論言したもの。本書では、ゴンクール、ヴィオリスといった日本を訪れたフランス人について論じた章も設けられているが、やはり、フランスを訪れた日本人についての論及が質量ともに前者を上回っている。
ドイツからフランスへ
明治維新政府は富国強兵を第一義とし、就中、専軍・帝国主義国家を目指していたため、近代国家のモデルとしては、フランス共和国ではなくドイツ帝国であった。しかし、日清・日露戦争後、日本の精神史に転換が訪れる。国民が欧州の文化・芸術に対して強い関心を持つようになってきたのである。
ヨーロッパ精神の象徴としてのフランス
20世紀に入ると、第一次世界大戦後、ロシア革命の成功もあり、その影響が日本にも及ぶようになる。そうした状況変化に同期するかのように、フランスに留学する日本の学生、研究者、知識人が増加していく。第一次世界大戦後の戦勝国日本は戦後景気に沸き、一方、フランスは戦禍をまともに受けたため、円高、フラン安という条件も重なり、留学しやすい環境にあったこともその一因である。かくしてフランスは、ヨーロッパ精神を代表する知的先進国として、日本の文学者、画家、音楽家、社会主義者・共産主義者らが競って同国に留学・遊学しはじめた。フランスに出向いた知識人のなかには国費等の援助を受けた者もいれば、私費の者もいた。留学先で高等教育を受ける者もいれば、いわば放浪に近いかたちで滞在した者もいた。
フランスが第一次世界大戦から復興し始めるのは、1920年代からであり、その象徴が現代装飾工芸美術万国博覧会(1925年開催。通称「アールデコ」といわれた。)だった。以降フランスは、経済的にも文化的にも絶頂期を迎え、繁栄を謳歌し、アプレゲールと呼ばれる戦後世代の芸術家たちの活躍も目を引いた。
このように日本人留学生には恵まれた環境がフランス国内に醸成され、彼等は、フランス文化すなわちヨーロッパ精神と純粋に格闘することができた。その影響は日本国内のアカデミアにも反映され、《東京帝国大学仏蘭西文学科では・・・大正になってから震災までわずか九人を卒業させたのにすぎなかったにもかかわらず、二五年には渡邊一夫、伊吹武彦ら六名という創設以来の画期的人数の卒業生を出し、以後二六年には市原豊太、杉捷夫、川口篤ら九名、二七年には七名、二八年には小林秀雄、今日出海、三好達治、中島健蔵、平岡昇、淀野隆三ら一三名、二九年には佐藤正影、飯島正ら十四名と、まさに仏文科隆盛時代が現出する。(P89)》と筆者は説明する。日本の文学界は東京帝国大学仏蘭西文学科によって担われていた感がある。
フランスの凋落と日本回帰
1920年代の栄光のフランスが凋落する契機となったのが世界恐慌だった。フランスにその影響が及んだのは他国よりやや遅れて1931年からだった。商店の破産、工場閉鎖、パリを代表する繁華街にあるキャバレー、レストラン、カフェは閑古鳥が鳴き、パリの街は様変わりした。そればかりではない。東の隣国ドイツではナチスが台頭し、その波がフランスにも及ぶようになってくる。フランス国内にも極右政党が反政府(社民政権)を煽るような活動をはじめる。それに対抗して、「反ファシズム統一戦線」の旗の下、社会党・共産党が共闘する人民戦線内閣が結成される。また、西の隣国スペインでは、共和国政府がイタリア・ドイツのファシズム勢力に援助されたフランコ将軍率いる軍事勢力により、版図を二分されるまで追い込まれていく。フランスは共和国側を支持し、フランスのみならず各国から義勇兵がスペインでフランコ軍と戦った。しかし、ファシズム勢力は衰えるどころか勢いを増し、1938年にはナチス・ドイツがオーストリアを併合し、チェコ⁼スロバキアに迫る勢いをみせてくる。1939年、フランスはイギリスとともにドイツに宣戦を布告するがドイツ軍の優位が続き、1940年6月14日、ドイツはフランスの首都パリに入城をはたし、ボルドーに逃れていたフランス政府は22日に降服、休戦条約を締結するに至る。
日本への帰国によって始まった古代日本への回帰
第二次世界大戦前より、フランスに滞在していた日本人留学生らは日本政府による帰国命令に従い、ほぼ一斉に日本に帰国する。この間の日本の知識人が受けた衝撃は計り知れないものがあったようで、そのあたりについて、本書では横光利一の小説『旅愁』をつうじて、フランスに滞在した日本人知識層の変化を克明に論じている。日本人知識層の変化とは、彼らが日本に帰国した途端に極端な日本古代への回帰意識にとらわれたことだった。
パリ陥落、ヨーロッパ精神の象徴であるフランスの落日により日本に強制的に帰国させられた彼等の前に、日本古代がよみがえり、日本の伝統、日本人の遺伝子、祖先二千年の歴史―—天皇が立ち現れたのである。
明治維新以降における日本の欧化は、西欧諸国がなしとげた近代化とは異なる。日本には、欧州が18世紀に経験した啓蒙主義は生まれてこなかったし、自由市民による暴力革命も起きなかった。維新政府は、先述した通り、専軍・帝国主義国家づくりを短兵急に成し遂げたいという国家目標に突き進んでいたわけで、その限りにおいて、維新後の日本が摂取したのはヨーロッパ精神というよりも、産業、技術であった。そこから疎外された日本の知識人は、国家目標から自ら身を引き、フランスに留学・遊学し、ヨーロッパと格闘したわけだが、その果てに、ナチス・ドイツ(ファシズム)の手になるパリ陥落を契機として挫折する。そして日本に帰還後、古代日本に目覚めてしまったのである。1930年代のパリを舞台とした著者による横光利一に係る論及こそ、本書の白眉である。
2021年11月21日日曜日
2021年11月19日金曜日
まだまだ続く、大谷翔平の冒険
大谷翔平がMLBのMVPに満票で選出された。シーズン当初、筆者は拙Blogにおいて、大谷のシーズンを通しての「二刀流」は難しい旨のニュアンスをにじませた予想を立てたが、まちがっていた。2021シーズンの投打の実績はすばらしいものであった。大谷にはこの先、1年でも永く、現役を続けてほしいものだ。
気になるのは、所属するエンゼルスの成績だ。アメリカン・リーグ西地区(5球団)中4位とふるわなかった。アリーグ15球団の成績としては、チーム打率.245(6位)、本塁打数190(11位)、打点691(7位)、防御率4.67(12位)、勝利数77(10位)、セーブ39(8位)と低迷している。大谷の個人成績の偉大さと比べれば、とてつもなく劣っている。
大谷の「二刀流」だけが原因ではないが、彼の活躍がチームを活性化するまでには至らなかった。エンゼルスの試合をすべてチェックしたわけではないけれど、チームとしての、▽まとまり、▽リズム、▽つながり、▽落ち着きが、大谷の「二刀流」によって阻害されているような気がしてならない。このあたり、大谷というよりも、「二刀流」という変則体制をチームメイトが理解し、慣れることが課題となろう。
大谷の本塁打数が前半戦に比べ、後半戦で少なくなったのも気がかりの一つだ。オールスターゲーム前に行われる本塁打競争で打撃フォームを崩したという分析もあるが、それよりも、ポストシーズン出場を目指す他球団が勝負に気を遣う後半戦では、大谷へのマークが厳しくなったからだろう。
2022シーズン、だれもが気遣う事項は、①ケガの心配、②極端な内角攻めを含めた厳しいマーク、③蓄積疲労、④外野守備による負担増―—だろう。MLBの各球団、各選手が2年連続で大谷にしてやられるわけにはいくまいと、前半戦から、大谷に対して気合を入れてくるだろう。
1903年に始まったMLBベースボールが長年にわたって築き上げた投打分業スタイルが正常なのか、それとも大谷がその常識を一人で覆し続けるのか、いわば、「大谷の後ろに大谷なし、大谷の前に大谷なし」という歴史をつくり続けるのか。
「二刀流」が可能な選手が勝負に有効なのかどうかについての結論は、筆者においてはまだ出せないままだ。
2021年11月14日日曜日
2021年11月13日土曜日
2021年11月12日金曜日
もうどうでもいいやの森保ジャパン
サッカー日本代表がアウエーでベトナムに辛勝したという。すでに2敗していてカタール行きに黄色信号が灯ったのちの2連勝だから、まずまずと喜びたいところだが、筆者は森安ジャパンが発足して以来、日本代表になんの興味も感じなくなってしまった。
その理由については、ロシア大会における代表監督に係るゴタゴタにまで遡る。すなわちハリルホジッチが代表監督を解任されたところから、日本サッカー協会に対する不信を禁じ得なくなってしまった。そのことは当該Blogに書いたので繰り返さない。
代表監督が日本人でなければならないわけはないし、外国人でなければならないわけでもない。すぐれた監督を国籍を問わず、選任すればいい。しかし、わが邦の狭隘なスポーツ文化の価値基準は、日本人か外国人かという、非理性的な二者択一へと関係者、サポーター、メディア等を追い込み、これまた狭隘なナショナリズム、ポピュリズムの勝利で終わる。
筆者の判断では、日本人の指導者人材において、W杯で勝ち進むだけの実力を備えた者は、いまのところいない。残念ながらそれが現実である。なぜそう判断できるのかと言えば、サッカー選手においては、海外組が増加し、けして一流のリーグではないものの、レギュラーを張れる者が増えてきたその一方、海外において指導者として活躍できる人材は皆無に等しい。前日本代表監督の西野がタイ代表監督として招聘されたが、成果が上がらず、解任されている。本田圭佑がカンボジア代表監督になったが、指導者の能力とは関係のない、別次元の監督就任であった。
これまで筆者は、外国人代表監督を興味をもって眺めていた。彼等の「言葉」の力に驚かされた。それはスポーツを超えた「日本人論」「日本文化論」のようにさえ感じた。トルシエのスポーツメディアに対する悪意ある挑発は、ある意味で、そのあり方への強烈な皮肉であった。オシムはレーニンを引用して、組織論、日本人論を語った。ジーコやザッケローニは金満日本において、巧みに立ち振る舞うさまを習得して、そこからカネを引き出すことに成功した。ハリルホジッチはその両方に失敗して、あえなく玉砕してしまった。
外国人監督のある者は、サッカーを介して、日本のシステムを批判し、自己流を貫こうとし、それを忌避した者は、無風のまま、そこそこの成績を残して消えた。前者は緊張を与え、後者は安穏たる国際交流を果たし、ともに去っていったのである。
森安にはなにがあるのか、空虚がある(笑)。なにもない。テンプレートのコメント、根拠なき選手起用、戦略なき用兵・・・日本サッカーの頂点とされる日本代表にはいま、サッカーをやるもの、見るもの、その双方のあいだいにおける緊張関係を失った。彼のサッカーからは、新しさ、魅力、進歩、革命、革新、ありとあらゆる領域におけるアドヴァンスが感じられない。それは森安が日本人だからではない、能力、資質の問題なのである。日本代表が爆発しなければ、日本サッカーは衰退し消滅する。Jリーグが日本サッカーをリードするほど、わが邦のサッカー文化は成熟していない。
2021年11月6日土曜日
2021NPB順位確定(その2)パリーグ編
2021のNPB(日本プロ野球)、パリーグの順位である。
〈パリーグ〉
1オリックス(70勝55敗18引分、勝率.560、打率.247、防御率3.31
2ロッテ(67勝57敗19引分、勝率.540、打率.239、防御率3.67
3楽天(66勝62敗15引分、勝率.516、打率.243、防御率3.40
4ソフトバンク(60勝62敗21引分、勝率.492、打率.247、防御率3.25
5日本ハム(55勝68敗20引分、勝率.447、打率.231、防御率3.32
6西武(55勝70敗、18引分、勝率.440、打率.239、防御率3.94
筆者の開幕前の予想
1. ソフトバンク、2.楽天、3.ロッテ、4.西武、5.オリックス、6.日本ハム
であったから、こちらも外れた。楽天、ロッテをAクラスにあげていたのがせめてもの救いか。
主力の故障と高齢化――ソフトバンクBクラス転落の主因
ソフトバンクのBクラス転落は考えもつかなかった。順位表でわかるように、チーム打率はオリックスと同率ではあるが1位、防御率も1位である。投打のバランスは数字上、最も良い。なぜ4位なのか。
ソフトバンクは選手層が厚いと思われるのだが、それでも、エースの千賀滉大、先発ローテーションの一角・東浜巨、クローザーの森唯斗、中継ぎのリバン・モイネロ、打撃陣では、ジュリスベル・グラシアル、周東佑京といった主力選手に故障が相次いだことが、成績を落とした主因だろう。加えて、松田宣浩、アルフレド・デスパイネ、ウラディミール・バレンティンらベテラン陣の不振も重なった。主軸が活躍しないと勝負所で勝てないし、チームも波に乗れない、ほかのチームにプレッシャーをかけられない――といった勝負の綾があるのかもしれない。4年連続で日本一となったあとの2021シーズン、選手・監督のモチベーションが上がらなかった可能性も高い。
オリックス中嶋監督、指導力を証明
オリックス優勝の立役者は2020シーズン途中からチームを率いた中嶋監督である。現役時代、コーチ時代を含めて印象にない野球人であるが、セリーグの高津監督(ヤクルト)と同様、最下位チームを優勝に導いたのだから、指導者としての実力の証明としてはじゅうぶんすぎる。
このチームは投の山本、打の吉田正という日本球界を代表する選手を擁していた。2021はその山本がリーグ最多勝の18勝、高卒2年目の宮城が13勝、田嶋と山﨑福がキャリアハイの8勝を挙げた。野手陣も前出の吉田正が.339で2年連続首位打者及び.429で初の最高出塁率、杉本が32本塁打で初の本塁打王を獲得するなど、山本、吉田正はもちろん、それ以外の選手の才能が一気に花開いた感がある。オリックスはFAや前MLB選手といった派手な補強をしていない。むしろ、育成型の球団である。2022以降、このチームがどのような姿になっていくか注視していきたい。
2021年11月5日金曜日
2021NPB順位確定(その1)セリーグ編
2021のNPB(日本プロ野球)のペナントレースは予想を超えた結果となって幕を閉じた。セパ両リーグで昨シーズン最下位球団が優勝をさらったのである。第1回目はセリーグから。まずは順位を見てみよう。
〈順位表〉
1ヤクルト(73勝52敗18引分、勝率.584、打率.254、防御率3.48)
2阪神(77勝56敗10引分、勝率.579、打率.247、防御率3.30)
3読売(61勝62敗20引分、勝率.496、打率.242、防御率3.63)
4広島(63勝68敗12引分、勝率.481、打率.264、防御率3.81)
5中日(55勝71敗17引分、勝率.437、打率.237、防御率3.22)
6 DeNA(54勝73敗、16引分勝率 .425、打率.258、防御率4.15)
筆者の開幕前の予想
1.読売、2.阪神、3.DeNa、4.中日、5.広島、6.ヤクルト、であったから、まったく外れた。以下、弁明を書く。
順位予想の手順
(一)既存戦力
順位予想に係る確定要素としては、まず既存戦力の見極めがある。既存戦力をみるには、前シーズンの実績があり、新たに台頭する戦力の予測が加わる。前者はわかりやすく、前シーズンに活躍した選手は次のシーズンも活躍すると見なしがちである。だから、前シーズン上位の球団はそのままスライドしがちである。一方、後者を予想するのは難しい。どの選手が力をつけて公式戦に参入するのか。6球団に目を向けるのはそうとうの労力を要す。
(二)新規加入戦力
新規加入戦力としては、新人と移籍がある。新人は難しい。2021は新人豊作の年で、新人王候補が目白押しである。シーズン前、これほどの新人の活躍を予想することはできなかった。それに比べれば、移籍はわかりやすい。入団した選手の力量と移籍したそれとを比べれば、球団の戦力アップ、ダウンの判断は容易である。
(三)補強が実を結ばなかった読売
たとえば筆者がセリーグ首位と予想した読売の場合、新人を除いた新戦力としては、FA=井納翔一:5試合 0勝1敗 防御率14.40、同=梶谷隆幸:61試合 64安打4本塁打23打点11盗塁 打率.282、MLBからシーズン途中=山口俊:14試合 2勝8敗 防御率3.56、日ハムからシーズン途中=中田翔:30試合 12安打3本塁打7打点 打率.150、MLBから新入団=テームズ:1試合 0安打 打率.000、同=スモーク:34試合 31安打7本塁打14打点 打率.272、ヤクルトからトレード=広岡大志:75試合 17安打3本塁打9打点2盗塁 打率.175、AAAからシーズン途中=ハイネマン:10試合 4安打0本塁打2打点0盗塁 打率.160。
これだけ新戦力を集めた読売なのだから、首位で終わって当然である。ところが、期待され入団した外国人2選手がシーズン途中で退団、怪我のためとはいえ、テームズがわずか1試合しか出場できなかったのは大誤算。FA移籍してきたDeNAの2選手も戦力にならなかったし、シーズン途中の補強も実を結ばなかった。難しいものだ。
既存戦力の底上げにも失敗した。昨年より実力を上げた既存戦力は松原ただ一人。野手の坂本、丸、大城、ウイラー、吉川も成績を落とした。投手陣も先発陣では、菅野以下成績を落としたし、ブルペンもシーズンをとおして安定しなかった。しかも、読売はチーム打率でリーグ5位、防御率で同4位であった。これだけ数字を落としながらCS出場を果たしたのは奇跡に近い。
ヤクルトの躍進
反対に最下位からリーグ優勝したヤクルトの場合は、攻撃面における外国人2選手の活躍がチームを引っ張った。中村捕手の打撃開眼、トップバッター塩見の成長、脅威の8番打者・西浦、チームリーダー・青木の健闘、不動の四番に成長した村上――と、攻撃の破壊力は昨シーズンを大幅に上回った。驚異的な成長を見せたのは投手陣である。中継ぎ陣の成長、抑えのマクガフがシーズンを通して安定して活躍した。ここまでたて立て直した監督・コーチに敬意を表する。
残念な阪神
阪神はチャンスを逃した。2位に甘んじたのは、9回延長なしの「コロナ禍ルール」である。Jリーグが採用している勝点制度(勝3点、引分1点、負0点)ならば、阪神は問題なく優勝していた。不運というほかない(ヤクルト=73勝×3+18引分×1=237、阪神=77×3+10引分×1=241)。筆者は、勝者をリスペクトする立場から、NPBも勝点制度を採用すべきだと考える。
第49回衆議院議員総選挙を総括する
野党共闘は誤りである
今回の総選挙、就中、野党共闘を次のように総括する。野党共闘は間違っていたと。なぜならば、立憲民主党は安易な足し算選挙を選んだからである。まわりも、そうけしかけた。立憲の、いや日本の左派の他力主義である。民主党が下野(2012.11)して以来、同党は自力再生、地域における票の掘り起こし、党員獲得・・・当たり前の政治活動を怠り、連合頼みの党運営、選挙運動しかしてこなかった。幹部が当選すればそれでよし、気楽な野党業に勤しんできた。
これまでの国政選挙においては、日本共産党(以下「日共」)が独自候補を立ててきた。選挙が終わって票を集計すると、当選した自公よりも立憲と日共を合わせた票の方が多い。小選挙区で勝つには野党共闘しかない。だれでもそう思う。野党共闘の原理はこの単純な足し算主義である。筆者もそう思って、日共主導の人民戦線を支持した。しかし、この足し算選挙路線が誤りだった。
日本共産党とはいかなる政治勢力なのか
日本の左派系文化人・言論人は日共を見誤っている。彼らはスターリニズム政党である。維新がナチ党に例えられるように、日共はスターリンが率いたソ連共産党に例えられる。管見の限りだが、前出の左派系文化人・言論人の中で日共を批判したのは、中島岳志の次の発言だけだと思われる。
小選挙区で共産党が議席を獲得するためには、共産党のあり方もさらに変わる必要があります。もっと候補者の個性が見えなければ、浮動票は集まりません。従来の<比例の票起こし>のための選挙区での戦いを大きく変え、党内に残っているパターナリズムを払しょくする必要があります。きわめて控えめな批判だが、間違っていない。そのパターナリズム(父権主義)こそが同党のエリート主義、官僚主義、密室的党運営の根源にある。ところで、左派系言論人の前官僚・前川喜平は、有権者をつぎのように罵倒した。《政治家には言えないから僕が言うが、日本の有権者はかなり愚かだ》。有権者(大衆)はほんとうに愚かなのか、いまさら吉本隆明の「大衆の原像」をもち出すつもりはないけれど、有権者の日共アレルギーは健全な拒否反応かもしれない。立憲の安易な足し算選挙路線を批判し、お灸を据えたと考えられないか。
日共のパターナリズムの淵源
前出の中島の発言にある日共のパターナリズムとはどんなものか。それはロシアマルクス主義の「唯物(タダモノ)論」に平和と民主主義の二段階革命論を接合した修正主義である。日共内ではその修正主義をいかにも「普遍的」に理論化した者が〈父〉として君臨する。敗戦直後においては、非転向獄中組の精神性が加わって幹部の無謬性が高じ、神格化されるにいたった。日共はその後、路線上の紆余曲折を経ながらも、その頂点に立ち続けた宮本顕治は同党の家父長として最高指導者の座に居座り続けた。現下の日共幹部は「ミヤケンの子供たち(かなり年のいった)」にすぎない。
日共の体質に内在する封建遺制については、かつて新左翼により、批判され尽くされたのだか、安倍政権の長期化と日本の右傾化が強まることにシンクロして、日共は「健全な市民政党」として、左派系内部で評価を高めた。白井聡、内田樹、適菜収といった、体制批判論者ですら、日共批判は時代遅れ、不当な中傷、右派によるフェイクニュースとして退けられ、封印された。日共こそが日本の救世主であるかのように。野党共闘を推進した左派系言論人たちは、日共の甘言に弄され、同党の本質を見誤っているのである。
来年に控える参院選をどう闘うべきなのか
左派系言論人と日共が合作した「日本を取り戻す」ための政権奪取戦略が市民(=野党)共闘だったが、これは頓挫した。来年の参院選で野党共闘を継続することはけっこうなことである。再チャレンジしてもかまわない。だが、結果はあまり期待できないものに終わるだろう。もちろんこの先何があるかわからないけれど、一年弱で状況を一変させることは考えにくい。
永田町を離れ、現場で汗を流せ
旧民主党の下野から今日までは、野党にとってというよりも、国民にとって「失われた10年」である。旧民主党の瓦解は、風頼み、連合頼み、百合子頼み、そして今回は日共頼みと右往左往した旧民主党の議員たちの体質に起因する。彼等の仕事場は永田町であり、彼等はその住民である。
彼等の本来の仕事場は、地域、職場、高校、大学であり、彼等の本来の仕事は、そこで活動するありとあらゆる反ファシズム運動に携わる人々との共闘のための組織拠点を構築することである。連合の組合員の中にもベースアップにしか興味をもたない者ばかりではないはずだ。地球温暖化対策、ジェンダー問題、夫婦別姓問題、反入管、自民党のモリカケ・サクラ、甘利・河合夫妻問題、新型コロナ対策への怒り・・・等々、良心に基づく政治を希求する人々が少なからずいるはずだ。彼等と共闘するべく汗をかくべきなのだ。
極右維新を警戒せよ
維新の大幅議席増については、ツイッター情報によると、在阪のテレビ局による維新偏重報道の影響が大きいという。吉本興行の芸人をコメンテーターに起用して、徹底して、吉村知事を応援。吉村は、コロナ禍を乗り切った英雄として扱われているといわれている。維新が府政・市政を担って以来の病床数減、病院閉鎖は大きく取り上げられない。
そればかりではない。大阪人の反東京、反中央意識は根強い。また、大阪人の金銭感覚が庶民から大企業まで、新自由主義とみごなまでに融合してしまったことは不幸である。たとえば、大阪人が支持する萬田銀次郎(漫画『難波金融伝・ミナミの帝王』の主人公)の金貸し哲学は、貸した金は地獄の底まで取り立てる、という徹底した借り手の自己責任論に帰着する。〈貸し〉〈借り〉〈トイチの高金利〉は、緊縮に通底している。なお、『難波金融伝・ミナミの帝王』は超B級映画制作会社の伝説のVシネマが、竹内力主演で映画化し大ヒット、テレビシリーズも人気を博した。テレビシリーズでは、俳優時代の山本太郎が銀次郎の舎弟役で出演している。これまでのような、立憲の曖昧な福祉策では、大阪人のエートスに食い込むことはこれからさきも、かなり、やっかいかもしれない。
維新という政党は謎だらけ
維新が大阪ばかりでなく、比例全国区で議席を増やしたことは、大阪人のエートスでは説明つかない。報道では、立憲が日共と組んで左傾化したことで、有権者が離れたから、との理由付けがされている。たしかに戦後日本の選挙の歴史をみると、中道右派が一定程度、議席を得ることは珍しくなかった。古くは社会党から右へスピンした民社党、その反対の新自由クラブ、20世紀末には、自民からやや左へ流れた新党さきがけ、日本新党などが存在感を示した。維新もそうなのかというと、筆者の感覚的受け止めとしては、どうもこれまでの中道政党とは性格を異にしているように思われる。
その第一は、維新が徹底して極右ポピュリズムから出発し、それに徹していることである。いわば、日本版ナチ党である。ナチはドイツ、ミュンヘンを地盤とし、維新は大阪である。また、これまでの党のように、左右どちらかから真ん中によるという政治力学が働いていない。
第二は、維新の資金の出どころがわからないこと。冷戦下なら、左から右はCIAだったけど、それはないだろう。維新の資金力は、これまでの日本の中道政党のそれをはるかにか上回っているのである。
第三は、マスメディアを実態上、支配していること。先述したように、関西圏のテレビ局は、維新に完全支配されている。全国レベルでは、橋下徹が宣伝媒体として、テレビに出まくることで、維新の政治的主張が全国的に行き渡る仕組みが構築されている。加えて今回は、コロナ禍を吉村大阪知事が政治利用した。
このような党は、かつて日本の政党史には例がないものの、維新の議席数は41であり、今回選挙が上限かもしれない。しかし、維新がこの先の国政選挙で議席数を着実に増やすとなると、憲法改正が現実のものとなる。憲法改正はアメリカのジャパン・ハンドラーの日程にすでに上がっているという(孫崎享)。自衛隊を海外に派兵するためには、憲法改正が必要であり、アメリカ軍の代わりに世界の「紛争地域」に自衛隊を派兵することが、アメリカにとっての合理性である。日本は変わらない、どころではない、憲法改正を機に、とんでもない方向に変わるのである。
2:3:5の壁を突破せよ
日本の有権者の分布比率は、革新2、保守3、無党派5とされている。だから小選挙区では、革新はなかなか勝てない。今回の野党共闘で革新2に無党派の一部がプラスされて勝った選挙区もあったし、大阪のように維新という第三勢力が自公という保守に代替されたところもあった。そのなかにあって、維新=ファシズムと、日共=スターリニズムの暗黒の政治勢力が表の顔として、両極に顕在化してきた。そして、今回総選挙では、局部的に両極に引っ張られたものの、全体の構造に変化は起きなかった。つまり総体として、革新=2に変化はなかったのである。革新が票の積み増しに相も変わらず失敗し続けているのである。
今後、無党派層は棄権という眠りから、目覚めるのだろうか。無党派層を目覚めさせるのは、憲法改正阻止、反ファシズム、反新自由主義といった、あたりまえの政策を掲げて(日共も掲げている政策なのだが)、ここが重要なのだが、透明で非官僚的体質の政党が地道な努力を続ける以外の方法はないのである。
2021年10月29日金曜日
2021年10月19日火曜日
『ニュー・アソシエーショニスト宣言』
●柄谷行人〔著〕 ●作品社 ●2400円+税
エンゲルス以降の「マルクス主義」における史的唯物論は、一般に次のように説明される。それは「生産様式」から、つまり、誰が生産手段を所有するかという観点から、社会構成体の歴史的段階を見るものとされる。先ず原始的な共産主義があり、それが階級社会に転化する。資本制生産の段階では、生産手段をもつ資本家とそれをもたないプロレタリアという階級関係があり、階級闘争があるということになる。
柄谷は、それだけでは、信用をふくむ資本制経済の体系を理解することなどできないとして、マルクスの『資本論』を史的唯物論とは異なる見方をしたものと理解する。つまり、マルクスは商品交換から始めて、貨幣、資本、そして信用体系にいたる資本主義システムの全体を解明しようとしたと。その際、マルクスは国家をカッコに入れて、純粋に資本制経済のメカニズムをとらえようとした。
自分と同じような観点から、『資本論』を読んだのが宇野弘蔵だ、と柄谷はいう。すなわち、資本制経済の原理を純粋に解明する著作として『資本論』を読んだ、つまり、イギリスの経済を通して、「純粋資本主義」の原理(原理論)を見ようとしたと。
宇野は、その一方で、国家がとる経済政策によって、資本主義の歴史的段階を区別しようとした。具体的には、イギリスは〈重商主義的→自由主義的→帝国主義的〉と呼ぶべき経済政策をとってきた。宇野は、それが資本主義の歴史的段階だといった(段階論)。そして、現状の資本主義経済について、それがどのような状況にあるかを現状分析として措定した。
しかし、宇野のこのような考え方は、その内部で、つまり、鈴木鴻一郎や岩田弘によって批判された。資本主義は、本来、一国だけで考えられるものではない、ゆえに「世界資本主義」という観点が必要だと。柄谷は、その通りだと思ったが、それをどう考えたらいいのかわからなかったという。ただ、このことがずっと気になっていたと。
柄谷は、この疑問がのちの柄谷自身が創出した、「交換様式」という着想に結びついたと述懐している。柄谷が岩田らの宇野経済学批判をあらためて考えるようになったのは、20世紀末になってからだという。柄谷の交換様式の着想が1960年代末に起きた、ブント内における宇野弘蔵の三段階論をめぐる論争だったことは興味深いものがある。
理念(統整的理念)は義務として外からやってくる
では柄谷が創出した交換様式とはなにか。柄谷はそれを歯医者で治療中、身動きできない状態にあったときに、ふと思いついたという。ここが本書の肝だと思われるので、長いが引用する。
昔から、カントの「義務に従うことが自由だ」という命題が、難問としてありました。義務は他律的で自由は自律的ですから、背反します。これをどう考えたらいいかわからない。(中略)通常は、義務と自由は両立しません。しかし、私はふと思った。「それに従うことが自由であるような」義務が一つある、そして一つしかない。それは「自由であれ」という義務です。逆にいうと、「自由であれ」という至上命令がなければ、自由はありえない。
カントの場合、自由とは自発的という意味です。スピノザは、自由(自発性)はない、人の意志は多重的な原因によって決定されている、ところが、それがあまりに複雑なので、自由(自発性)と思い込んでいるだけだ、といいました。彼の見方はまちがっていません。カントもそれを認めた上で、こう考えたのです。確かに、人間に自由はない。が、やはり自由はある。ただ自由であれという義務に従うときにのみ、それがある。そう考えれば、謎はない、と・・・(略)
人間には自由はない、自由だと思うのはイデオロギーでしかない。確かにそうですが、それだけでは足りません。積極的なものが出てこない。「自由であれ」という命令があるからこそ、自由が生じる。問題は、では、その命令は、どこから来るのかということです。カントはそれを、神の命令ではなく、理性の奥に内在する道徳法則だと考えました。が、そうではない。それは人間の理性に内在するものでもない、それはやはり「外から」来るのです。しかし、それを「神」という必要はない。私は、交換様式からそのことを説明できると考えました。(略)
あらためていうと、理念(統整的理念)は義務としてやってくる。それはたんなる観念ではなくて、反復強迫的なものである。ヘーゲルは、理念はカントがいうのとは違って、現実的であると、いいかえれば、歴史的な現実においてあるといった。しかし、別の意味で、カントのいう理念もリアルなのです。歴史的現実を通して迫ってくるのだから。(P32~33)
史的唯物論を交換様式の観点から再構築する
このような積極的な倫理性を裏づける論理として、交換様式を、逆説的にいえば、史的唯物論を、交換様式の観点から再構築することが柄谷のNAMの原理として措定される。では、交換様式とはなんなのか、となるのだが、それを説明する前に、柄谷が前出の史的唯物論について、《それは歴史を経済的下部構造から見るもの》という一般的な説明をしりぞける論理に着目すると、わかりやすくなる。よって以下、引用する。
史的唯物論では、歴史を経済的下部構造から見ます。そして、それが生産様式(生産関係)です。国家、宗教、哲学などは政治的・観念的上部構造であり、経済的下部構造によって規定されるということになる。しかし、そうすると・・・理論的に多くの困難が生じます。そこで、観念的上部構造の相対的自立性を唱え、そのあげく、経済的下部構造を事実上無視するようになる。それに対して、私は交換様式を、経済的下部構造と見なす。その意味では、私は断乎として「経済決定論」者なのです。
交換様式が経済的下部構造だとすると、観念的上部構造がそれによって規定されていることははっきりわかります。(P34~35)
交換様式A、B、CそしてD
いよいよ、交換様式の説明に入る。以下は柄谷の交換様式(原文)に多少の補足説明を加えたものである。
・交換様式A
史的唯物論では、前資本主義社会を「生産力と生産関係」という観点から説明しようとすると、うまくいかない。たとえば氏族社会に関しては、何もいえない。たんに未開で、生産力が低いというほかない。氏族社会の性格は、この社会が今もって模範的と見える性格は互酬交換という交換様式であり、これは原始の遊動民の時代にはなく、彼らが定住した後に生まれたものである。互酬とは人あるいは集団が相互に有形・無形のものを、特定の期待感や義務感をもって、与え、返礼しあうことによって成立しているものが多い。人間の行為の多くは相互的行為、あるいは一種の交換ということができる。物の交換以外の互酬交換の例としては首長制がある。首長は権力をもつけれども、その役割が果たさなければ辞めさせられたり殺されたりする。互酬交換を交換様式Aという。
・交換様式B
交換様式Bとは、支配-保護という関係である。支配する側は、被支配者を保護する義務がある。そして、被支配者は自発的に服従する。ここに国家権力の秘密がある。国家の「力」はたんに武力によるものではなく、自発的な服従にもとづいている。
・交換様式C
その次が商品交換Cである。これが優位に立つのは、近代のブルジョア社会段階である。ここで柄谷が力を入れて注意喚起するのは、社会構成体が、このような複数の交換様式の接合としてある点である。たとえばブルジョア社会では交換様式Cが支配的であるが、AやBが消えてしまうわけではないということ。Bは近代国家として残り、Aは「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)としてネーションとして残る。だから、近代では資本-共同体(ネーション)-国家(ステイト)となる。
・交換様式D
交換様式Dとは、具体的にいえば、古代に帝国が成立した時点で普遍宗教としてあらわれたものであり、交換様式A・B・Cの複合体に対抗して、抑圧された原遊動性が回帰したものである。マルクスは、共産主義は「氏族社会の高次元における回復」だといった。その言い方を借りれば、Dは交換様式Aの高次元の回復である。したがって、それは、古代に帝国が成立した時点、つまりBが決定的に支配的となった時点で、普遍宗教としてあらわれた。それはまた、資本制経済(C)が決定的に優位になった時点で、共産主義という理念であらわれたわけである。
ここで注意しなければならないのは、たとえば、資本主義社会を中世や共同体のロマン主義的な回復によって乗り越えることはできないということ。それはファシズムになってしまうだけである。だから、Aの回復は‶高次元での回復″でなければならない。交換様式Dとはそのようなものでる。
あらためていうと、交換様式DはBやCを超克するものだが、人が積極的に、意識的に構成するようなものではない、カント的にいえば、それは構成的理念ではなく、統整的理念である。つまり、人間の願望・意志によって綿密に計画されるようなものというより、逆にそれに反して‶向こうから″(強迫的に)到来するものだということ。したがって、それは歴史的には最初、普遍宗教として出てきた。つけ加えれば、普遍宗教はたんなる観念ではなく、広い意味で経済的な交換様式に根ざしている。DはAの高次元の回帰であり、このようなAの「回帰」を、フロイトの「抑圧されたものの回帰」という見方によって説明できると。つまり、定住以前の人類がもっていた「原遊動性」は定住以後に抑圧されたが、それが反復強迫的に回帰したと。
交換様式Dと普遍宗教
交換様式Dが普遍宗教としてあらわれたとはどういうことか。この問いは当然、だれもがもつ疑問である。そのことについて柄谷は次のように説明する。
普遍宗教(たとえば原始キリスト教)は、呪術などの原始宗教とは異なる。その違いは交換様式からみると、明らかである。呪術は、神に贈与して、そのお返しを強いる(たとえば、お賽銭⇔幸運)。これは交換様式Aである。
ところが、交換様式Dは普遍宗教としてあらわれた。それは人間の願望や計画ではなく、神の意志として到来した。もしそれが人間の祈願によるものならば、それは呪術(神強制)と同じである。もちろん、今日「世界宗教」といわれている宗教も、事実上、祈願=神強制にもとづいていて、人間が考え作った制度を神の考えとして強制しているが、柄谷が普遍宗教と呼ぶのは、そのような考えを拒否することであり、いいかえれば、普遍宗教は、AやBやCを斥けるDとしてあらわれたということになる。
キリスト教は普遍宗教として出現しながら拡大するうちに、ローマ帝国の国教になってしまったが、その根底にあるDが消えてしまうことはなった。それがのちに、千年王国や異端の運動としてあらわれた。19世紀前半でも、ヨーロッパの社会主義運動はほとんどすべて、千年王国のような宗教的社会運動の伝統に根ざしていた。
マルクス主義運動も事実上、宗教的であった。マルクス主義の理論では、最初に原始共産社会があり、それが階級社会に転落し、資本主義の後に、共産主義社会が到来することになっている。実は、これは聖書のエデンの園、失楽園、楽園回帰という神話(物語)と同形である。だから、マルクス主義者はそれをいわないようにしている。そのかわりに、歴史を生産力の発展と生産関係の変化から説明しようとする。実際には、人を動かすのは宗教的な原理あるいは終末論なのだが、だからこそ、あえて宗教的なものを否定し、経済的な観点をとろうとしてきた。
本書の構成
NAMの運動は、資本ー共同体ー国家の外に出るものである、ということになる。運動の具体的な構想と実践については本書を参照されたい。
本書の構成としては、①柄谷行人が2000年頃に開始した、NAM(New Associationist Movement(ニュー・アソシエ―ショニスト運動)を回顧・検証・再考する書下ろし(2011~2018年執筆)と、②運動開始時期に書かれた、〔NAM(運動)の原理〕〔NAM(運動)結成のために〕が付録としてついている。アソーシエショニスト(Associationist)とは聞きなれない言葉であるが、辞書的には連合主義者と訳されるようだが、柄谷はその訳をきらって、アソーシエショニストと英語のまま使用するといっている。
この時期(2021.2に刊行)、過去のNAM(運動)とNAM(宣言/Manifesto)を併せて出版した意図は、《コロナ禍、日本社会を含めた世界全体が未経験の困難に直面していることにより、アソーシエショニスト運動が見直されているのではないか、すなわち、前出の通り、未来の社会は「向こうからくる」》からと柄谷はいう。具体的には、《生産、流通、金融などの現在の諸システムの問題点が浮き上がり、自給自足や地域通貨をはじめとする地域ネットワークの重要性に気づきはじめてきたから》だとも。《困難とともに、新たなアソーシエーションの可能性が向こうからやってきた》というわけである。
2021年10月17日日曜日
2021年10月15日金曜日
『1932年の大日本帝国 あるフランス人記者の記録』
●アンドレ・ヴィオリス〔著〕 ●草思社 ●2600円+税
副題にあるとおり、アンドレ・ヴィオリスというフランス人ジャーナリストが1932年(昭7)の日本に滞在した記録である。ヴィオリスは「第一次上海事変」(1932.1.28)の最中に上海に滞在していて、日本軍と中国軍のあいだで繰り広げられた激しい戦闘を体験した直後、本邦にやってきた。
本書から、新たな歴史的事実が得られたわけではないのだが、日本で刊行されている近現代史の研究書等とは異なる視点から、日本(人)が破滅へと向かう過程が鮮明に読み取れるのが不思議である。その過程から、後世の者である筆者は、悲しみのような、不思議な感慨を覚えずにはいられなかった。そして、なによりも本書の貴重なところは、当時の日本軍のトップ、政治家、裁判官、事業者、社会主義者、国家社会主義者、極右愛国者といった、日本社会の各層の生の姿が再現されたところにある。歴史とはすなわち、人間の生の記録であることをあらためて思い知らされる。
ヴィオリスは日本の産業・経済・政治(家)・軍事(軍人)・都市問題・成金(資本家)・労働者・農民・人口問題などに対して、インタビュー取材とは別に彼女なりの分析を加えている。世界をまたにかけた百戦錬磨のジャーナリストの視線は、当時の日本に対してすぐれて批判的である。今日でも、‶世界は日本をどう見ているのか″という、外国人の言説に従った日本批判が行われることが少なくない。またその一方で、外国人の日本批判を嫌悪する傾向もなくはない。しかし、「日本」というものを常に相対化していくという意味において、外国人の日本批判をおろそかにしてはならない。そのことを本書から学ぶことができる。
興味深いのは、日本の議会(国会)について取材を重ねると同時に、独自のルートから情報を入手し、先入観にとらわれない見解を書きつけている点である。本邦では1925年には衆議院議員選挙についての男子普通選挙法が成立し、1924~32年にかけては〈憲政の常道〉の名のもとに、衆議院の多数派に基礎をおく政党内閣が実現したといわれている。しかしながら、天皇を統治権の総攬者とする帝国憲法の基本原理のもと、制度上も、衆議院に対する貴族院の原則的対等性、天皇(の勅令)による立法制度、予算審議権に対する制約、さらには統帥権独立の原則や、枢密院・重臣・元老などの存在によって制約をうけ、帝国議会の中心的地位を占めることはできなかった。日本の議会は「天皇」を超えるものではなかったのである。ヴィオリスは前出の通り、当時(明治憲法下)の日本の議会制度の構造的欠陥を踏まえつつ、政党の腐敗と堕落に鋭いメスを入れている。ヴィオリスを信じるならば、1930年代の日本が議会制民主主義国家であったなど、夢思わぬことである。軍部の独走を許した主因がそこにあった。
2021年9月28日火曜日
[原郷から幻境へ、そして現況は?]
GENKYO 横尾忠則[原郷から幻境へ、そして現況は?](東京都現代美術館)をみてきました。
「天才ハ 忘レタ コロニィ ヤッテ 狂ぅ」だそうです。最大級の横尾忠則展。お見逃しなく。
Y字路の作品多数あります。