2015年1月25日日曜日

写真集ができた

娘が、筆者のモロッコ旅行の写真を本にしてくれた。

我ながらなかなかの出来だ。

いつもPC上で見ている写真が紙になると、価値観が変わる。

ありがとう。






2015年1月23日金曜日

モーリのクリエイションクラブ展「神々のマスク」

不思議な展覧会である。


全国の美術、芸術とは無縁の人々が、部活動というかたちで創作した手づくりのマスク・100点余が集まった。

マスク、すなわち神である。

コラボレーション美学(国籍、性別、年齢を問わず、イキイキ活動する人々から生まれた美しい世界)と呼ばれるこの活動は、毛利臣男が提唱し、広げているもの。

毛利臣男はイッセイミヤケのファッションデザイナーおよびファッションショー演出を担当した後、モーリス・ヴェジャール、パリオペラ座のバレエ衣装等、世界のデザイン界で活躍するアーチスト。

その活動はいわゆるジャンルを越えている。

日本では猿之助の「ヤマトタケル」の舞台衣装を手掛けたことでよく知られている。

筆者は彼が三宅一生のところで仕事をしているときに出会った。

さて、展覧会の印象。マスクはそれぞれ個性的で、個別的であるが、どうやら地域ごとに似通っている。

唐津のもの、山口のもので、アイデンティティーを感じる。さらに神としての同一性も感じられる。

このことは人が神を外化するときに、無意識の集合性として表象する結果なのか。

そこに日本人の基層の神が潜んでいるのかもしれない。

なにやらユングのようだ。








毛利臣男



この展覧会はさらなる発展が期待される。

世界を見渡せば、独特のマスク文化をもつメキシコが、そして、アフリカ・マリ共和国のドゴン族の仮面のダンス、チベット仏教の仮面劇(筆者はインド北部のラダック地方で見たことがある)も思い浮かぶ。

ラダック地方の仮面ダンス(筆者撮影)
ユーラシア、アフリカ、アメリカ大陸とのマスクの共演・・・が

2015年1月16日金曜日

猫は寒がりである

筆者が就寝すると、猫は筆者のベッドにやってきて、脚元で眠ろうとする。

 猫が二匹とも狭いベッドに上がるとなると、窮屈で眠れない。

いつのまにか無意識のうちに猫たちを払いのけているようだ。

それでも、二匹は筆者の脚元を避け、二匹くっついて筆者のベッドの上で寝る。

人間の体温が伝播していて暖かいに違いない。






2015年1月5日月曜日

初詣は諏方神社

諏方神社は谷根千のうちの谷中地区(台東区)の氏神の一つである。

現住所は西日暮里(荒川区)になっている。

 諏訪でなく諏方と書かれた理由については定かではない。

 神社の格式としては文京区の根津神社に劣るが、

立地は諏訪台と呼ばれる高台にあり、眺望もよく、古い本殿の鄙びた趣きが良い味を出している。





2015年1月2日金曜日

Happy New Year 2015

あけましておめでとうございます。

ひどい2014年がやっと終わった。

今年はいいことがあるといいな。

というわけで、新年は猫の体重測定から。

Zazieが4.3㎏(前月比+100g)、Nicoが6.1kg(同-100g)。

誤差の範囲だろう。

寒いので2匹ともくっついてくるし、布団の中に入ったり乗ったりでたいへん。


Zazie

Nico

2014年12月29日月曜日

小保方晴子が生涯背負うこととなった「STAP細胞」の汚点

●「STAP細胞」の再現に失敗

日本中を騒がせた「STAP細胞」問題が終わろうとしている。12月19日、理研は「STAP現象の検証結果」を公表し、STAP細胞の存在が確認できなかったと結論づけた。この検証実験は、実験総括責任者として相澤慎一特任顧問の下、研究実施責任者に多細胞システム形成研究センターの丹羽仁史チームリーダーを充てたものと、小保方晴子の独自のものとが並行して行われた。検証結果は、そのどちらにおいても「STAP細胞」の再現には至らなかった。

●「STAP細胞」はES細胞の混入

12月25日、理研は「研究論文に関する調査報告書」(研究論文に関する調査委員会・委員長 桂 勲)を公表した。同委員会は「STAP細胞」や万能性の証拠とされたマウスなどが、すべてES細胞が混入したものだった可能性が高いと結論付けた。

だが、混入が意図的だったかどうかは「培養器具の不注意な操作による混入の可能性も考えられる。決定的な判断は困難」とし、混入した者を特定しなかった。同委員会によると、特定に至らなかった理由は、混入者を特定できなかったことだという。

作製した「STAP細胞」やマウスなどについて、調査委は「ES細胞の混入があった場合、当事者は小保方晴子氏と若山照彦氏しかいないように見える」と分析。だが実験が行われた若山の研究室は「多くの人が夜中に入ることが可能だった」ことから、「必ずしもそうとは言い切れない」と判断したという。また、調査の過程で小保方の研究室の冷凍庫からES細胞が見つかったが、これについて小保方、若山は知らないと回答。故意または過失による混入を全面的に否定したため、誰が混入したかは特定できないと結論付けた。

小保方が会見において「200回以上作製に成功した」とした発言は何だったのか。

●調査結果はNスぺ『STAP細胞 不正の深層』のとおり

理研の二つの調査結果は、なんのことはない、7月27日に放映された、「NHKスペシャル/『STAP細胞 不正の深層』」のとおりではないか。この番組が放映された直後に、笹井芳樹は自殺した。おそらく笹井はこの番組を見て観念したことが確認できた。

犠牲者(自殺者)を出し、日本の科学史に大きな汚点を残した「STAP細胞」問題の解決に要した時間とカネはいわゆる浪費である。いわんや人命の喪失は悲惨ともいえる。理研がすばやく処分をくだせば、このような無駄なカネも時間も命も損失しなかったのだ。

●小保方(弁護団)の立て籠もり作戦が悲劇を誘発

そもそもは小保方が弁護士を立てて立て籠もり、訴訟をちらつかして理研を恫喝したのがことの始まりである。小保方(弁護団)の罪は重い。小保方はすでに理研を退職している。理研がこの先、処分を発表したとしても当事者の小保方は理研にいないし、論文共著者で共同実験者の若山も外部の人間である。笹井はすでの他界している。理研の処分は実効性がない。ならば、小保方弁護団は小保方を守ったのだろうか。実効的処分を免れたのだから、少なくとも小保方を守ったと言える。

だが、はたしてそうなのだろうか。日本の科学史に汚点を残すような大事件の真相を隠蔽し、自殺者を出し、当事者を放免することが「守った」ことになるのだろうか。当事者の小保方は不正、捏造、偽証を償うことなく、この先も生きていくことになる。その人生は逃亡者のそれである。小保方は「STAP細胞」という罪障を背負って生き続けるのである。小保方を隠し続けた弁護団の作戦は、小保方のこの先における人生の汚点を消すことに失敗している。小保方は、不正、捏造の罪を償って再出発すべきだった。過而不改是謂過矣(過ちて改めざる、是を過ちと謂う。)

●当事者としての反省をみせない理研

小保方が「STAP細胞」の汚名を一生背負い続ける反面、理化学研究所にはどんな罰もくだらない。12月19日の「STAP現象の検証結果」を説明した実験総括責任者の相澤慎一は会見中、「科学者として・・・」を何度も連発していた。この期に及んで「科学者として云々」とは笑わせる。真っ当な科学者倫理をもった者が理研にいたのならば、こんな醜態をあらわすはずもない。理研の研究者に科学者倫理が徹底していなかったから、愚かな不正や捏造や偽証が続いたのではなかったのか。ありもしない「万能細胞」とやらを、若い女性研究員に割烹着を着せてメディアに発信したのは理研ではなかったのか。偉そうに「科学者として・・・」を連発するこの理研幹部に憐れみを感じた。

丹羽仁史も同類である。確かこの男、かつて会見において、「STAP細胞は存在する」という意味の発言をした記憶がある。筆者の記憶違いだろうか。丹羽にも反省は感じられない。

●不正の当事者特定こそが科学者倫理再構築の糸口

「研究論文に関する調査報告書」の調査委員長・桂勲の発言と態度も感心しない。桂は理研関係者ではないが、(自分たちは科学者であって)犯人捜しの役割をもたない――という意味の発言していた。犯人捜しは岡っ引きの仕事であって、科学者であるわれわれは、そんな(不浄な)仕事はしないんだ――という意識が表情にありありと浮かんでいた。

現状、少なくとも理研のような研究所において、純粋科学研究は存在しえない。科学は資本に密接している、いや、隷属しているといったほうがいい。先人たちのように、研究者が純粋に科学に向き合った時代とは違う。この委員会の長である桂に課せられたのは、研究論文に関する調査報告であって、不正、捏造の実行者(犯人)をあげることではない――という主張は間違いではないように思える。だが、本件、すなわち「STAP細胞」問題に限れば、実行者を特定し、その動機を解明することこそが、科学者倫理再構築の道筋だった。なぜ、実行者たちは科学者倫理を逸脱忘却し、不正、捏造へと暴走したのか。その切迫した心情と背景が解明できれば、理研という組織の問題点、研究者及び研究受託の現状と課題が明らかになったはずだ。少なくともその糸口くらいはつかめたかもしれない。岡っ引きの仕事こそが、理研において失われた科学者倫理を再生する契機となったかもしれない。

桂は調査の入り口を間違え、出口ではすでにネットやテレビ番組(NHK)において指摘されていた、「不正・捏造」を追認するにとどまった。残念というか期待外れである。一流の「科学者」が集まった調査委員会の仕事としてはお粗末すぎる。

●マスメディアの「STAP細胞」報道は誤報ではないのか

理研が「STAP細胞」作製実験に成功したと発表したとき、マスメディア、とりわけテレビは割烹着姿の小保方と漫画が描かれた実験室を一斉に報道した。「リケジョ」という新語まで流行らせた。この報道はいわゆる誤報ではないのか。メディアが誤報を訂正・謝罪した話は聞いていない。この問題の初期の一連の報道は、朝日新聞の従軍慰安婦報道や原発事故の吉田調書報道と変わらないように筆者には思える。

2014年12月26日金曜日

代ゼミグッズ

廃校が噂される予備校の代々木ゼミナール

そこに勤務していた友人が、代ゼミグッズをくれました。

働いている人はリストラされるから、大変だろう。


2014年12月17日水曜日

忘年会(その2)

ジム友と忘年会。

谷中の「ひょうたん池」はいつも、ユニークな肴が出てきます。



ゲソ入りさつま揚げのクリスマス仕様


定番の肉豆腐は一口キムチ入り

2014年12月13日土曜日

忘年会

学生時代の友人と例年恒例の忘年会。

今年は上野の粋酔という日本酒の専門店。

話題の獺祭も一口、飲んでみました。





二次会は行き当たりばったりで入った居酒屋(店名は失念)

懐かしいハムカツなんかがありました。


2014年12月9日火曜日

NOBIにてジビエ料理を食す

昨晩は、身内のお祝い事で、NOBI(千駄木・イタリアン)にて夕食会。

ジビエの季節とあって、メーンはウサギとイノの肉。

なかなか美味。








2014年12月6日土曜日

Happy Tea Life

何年か前、筆者の仕事を手伝ってくれたIさん姉妹が紅茶店(h.m.c)を開き、

最近、川崎(駅から徒歩5分)に店を移したので行ってきた。

Iさんは手作りケーキ、紅茶、紅茶染めグッズ等を販売し、

妹さんはやはり手作りのアクセサリーを販売している。






2014年12月3日水曜日

12月の猫

早いもので2014年も一か月を切ってしまった。

振り返ってみてもこれといった劇的変化はない。

まあ、一年で状況が変化することもないのはあたりまえで、毎年、こんな感じで年を越していたのだ。

さて、今月の猫である。

Zazieが4.2kg(前月比-100g)、Nicoが6.2kg(同+200g)。

毎月、このあたりで微動である。

おおむね健康なのだろう。



2014年11月19日水曜日

ハッピーリタイアメント

旧友のSさんが、自身の誕生日・11月13日をもって定年退職した。

ハッピーバースデー、ハッピーリタイアメント、そして筆者夫婦の結婚記念日を祝し、

ちょっと遅れて19日、SさんとパートナーのMさんを夕食にお招きした。



2014年11月17日月曜日

モロッコ観光旅行

11月7日から15日まで、北アフリカのモロッコに行ってきました。

モロッコは世界の観光地、フリーWi-Fiがどこでも使えて、FB利用者にとってはとても便利なところ。

アフリカと侮ってはいけません。

旅行の写真等は近いうちにHPに掲載するつもり。

ハッサン二世モスク(カサブランカ)

ウダイヤのカスバ

シャウエン



2014年11月7日金曜日

「革マル派」の幽霊が昼日中、国会を彷徨った

衆院予算委員会は30日、安倍晋三首相らが出席して「政治とカネ」問題などの集中審議を行った。そのなかで質問に立った民主党の枝野幸男幹事長が行った質問に対し安倍は、枝野自身の政治資金収支報告書の記載漏れに加え、左翼過激派「革マル派」が浸透している団体からの献金問題を引き合いに大反撃したという。

安倍:「殺人や強盗や窃盗や盗聴を行った革マル派活動家が影響力を行使しうる、指導的立場に浸透しているとみられる団体から、枝野氏は約800万円の献金を受けていた」
枝野:「私は、首相も社会的な存在として認める連合(日本労働組合総連合会)加盟の産別とはお付き合いをしているが、そうした所の中にいろんな方がいる…」

安倍が言うところの“革マル派が浸透している団体”というのは旧国鉄の労働組合であった国鉄動力車労働組合(動労)のこと。動労委員長だった松崎明(故人)が革マル派の幹部。民営化後のJRでは全日本鉄道労働組合総連合会(鉄道労連、のちJR総連)を結成、民営化された新会社における労働運動で主導権を握った。全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)は、日本労働組合総連合会(連合)の加盟団体である。

革マルとは革命的共産主義者同盟(革共同)革命的マルクス主義派の略。革共同は新左翼として結成の後、同派と中核派に分裂、1960年代後半から70年代、両派は互いに死者を出す内ゲバを繰り広げた。内ゲバはその後収束したものの、両派の対立はそのまま今日まで持ち越されている。

JR関連の労働組合について、革マル派と関係のある労働組合だとする規定はまちがってはいないが、同労組員全員が革マル派だというわけではないし、革マル派の思想が完全に浸透しているわけでもない。そもそも革マル派が日本社会に与える政治的影響力はゼロに等しい。連合の加盟団体を名指しで、「殺人・・・云々」と国会で発言するのは、いかがなものかとは思う。

さて、過去、殺人、強盗等を行った団体」という表現は、日本共産党もそうだし、戦前、6.15、2.26事件を引き起こした団体(民族派団体、日本帝国軍隊の一部等)にも当てはまる。さらには、戦前・戦中、共産主義者、社会主義者、民主主義者を弾圧し、獄中でリンチ殺害した特高警察もそうだ。プロレタリア作家の小林多喜二の殺害について、Wikipediaは以下のとおり記している。

新聞報道によると、2月20日正午頃別の共産党員1名と赤坂福吉町の芸妓屋街で街頭連絡中だった多喜二は築地署小林特高課員に追跡され約20分にわたって逃げ回り、溜池の電車通りで格闘の上取押さえられそのまま築地署に連行された。最初は小林多喜二であることを頑強に否認していたが、同署水谷特高主任が取調べた結果自白した。築地署長は、「短時間の調べでは自供しないと判断して外部からの材料を集めてから取調べようと一旦5時半留置場に入れたが間もなく苦悶を始め7時半にはほとんど重体になったので前田病院に入院させる処置を取り、築地署としては何の手落ちもなかった」との説明を行なっている。なお、小林死亡時の責任者は特高警察部長だった安倍源基で、その部下であった中川、特高課長の毛利基(戦後、埼玉県警幹部)、警部山県為三(戦後、スエヒロを経営)の3人が直接手を下している。
警察当局は翌21日に「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。死に顔は日本共産党の機関紙『赤旗』(せっき)が掲載した他、同い歳で同志の岡本唐貴により油絵で描き残され、千田是也が製作したデスマスクも小樽文学館に現存している。

日本近代史において、権力側が思想犯として共産党員、反戦運動家等を拉致、拘留し、多喜二のように惨殺した総件数については調べていないが、その件数は革マル派が行ったそれとどちらが多いのであろうか。

そもそも、安倍晋三が今日政治的影響力を失った革マル派を国会で持ち出す意図に疑問をもつべきなのだ。いまなぜ、革マル派なのかといえば、前の拙Blobに書いた通り、安倍による「サヨク」脅威論による、人心誘導作戦にほかならない。

自民党議員や同党の大臣に「政治とカネ」の疑惑が巻き起こり、国会で問題にされると、野党議員を革マル派に結びつけて、自陣の攻撃をかわすという卑劣な防御作戦にすぎない。そもそも、安倍が問題視した枝野の献金は違法なのか。枝野が国会で追及した自民党国会議員の疑惑については、政治資金規正法に違反している可能性がある。安倍が問題視した枝野の件と、枝野が問題視した自民党議員の件とは、まったく異質な次元の問題だ。そこをきちんと整理すれば、安倍の意図がいかに姑息なものかわかってくる。

繰り返すが、安倍の政治手法は、ヒットラーのそれと同じだ。民主党、社民党等の野党は「サヨク」だから悪だ、という決めつけから始まる。「サヨク」は殺人、強盗をやってきた、革マル派は恐ろしい、彼らは日本国民の敵だ、それとくっついている民主党=枝野は日本国民の敵だ・・・

安倍が決めつけている悪の権化=サヨクのところに、「ユダヤ人」と入れれば、ヒットラーの演説と寸分変わらなくなる。善悪の単純化した対立構造をつくりあげ、大衆を「善」に向けて誘導する。「悪」の脅威について、メディアを使って拡声する。「悪」は「ユダヤ人」、サヨク、革マル派、中共・・・と代替可能なのだ。

政治的影響力という意味では幽霊にも等しい革マル派が、なんと安倍によって呼び出され、昼日中、国会を彷徨った。昔の名前でなんとやら、いかにも時代錯誤な光景ではないか。

日本国民は、真の敵を見誤ってはならない。もちろん真の敵とは、幽霊・革マル派ではなく、安倍晋三その人だ。

2014年11月2日日曜日

異常な朝日新聞攻撃から透けて見える安倍晋三の頭の中

安倍晋三が国会において、朝日新聞に係る異常な発言を繰り返した。10月29日に自民党本部で行われた側近議員との昼食会で、安倍が「これで『撃ち方やめ』になればいい」などと述べた、という報道が発端だった。この発言については、朝日新聞のほか、共同通信、毎日新聞、日経新聞、産経新聞が報じたのだが、この点について、枝野幸男が10月30日の衆院予算委員会で確認すると、なぜか安倍は朝日新聞だけを持ち出して「これは捏造です」と断言したという。

それだけではない。安倍は05年の「NHK改変問題」を唐突に持ち出した。これは05年に朝日新聞が、NHKのいわゆる従軍慰安婦問題を扱った番組の放送前日に安倍と中川昭一元財務相(故人)がNHK幹部と面会して放送内容に圧力をかけたなどと報じた問題だという。

安倍は、「ですから、かつて朝日新聞は、私が中川昭一さんとともに、放送内容を変えさせたという記事を書いた。しかし、中川昭一さんは、その番組が放送される前に(NHK側に)会ってすらいないことが明らかになった。私が呼びつけて、そう指示したということも、そうではないということが明らかになった。これはまさに『捏造』ですよね。こういう捏造が起こったかということが問題。それはまさに(朝日新聞が)安倍晋三を攻撃しようという意志があって記事を書くから、こういうことになる」と続けたという。

安倍が理想とするのは維新から敗戦までのおよそ80年間の日本

こうした安部の異常発言から、安倍の頭の中が透けて見える。安倍は「大日本帝国」の幻想にとりつかれているようだ。安倍の世界観とはすなわち、日本を悪くした、もしくは悪くするのは、「サヨク」であり、「サヨク」が日本国をいたずらに貶めているのだと。その「サヨク」の象徴的存在が「朝日新聞」であり、「アサヒ」と「サヨク」の台頭は、日本がアジア太平洋戦争に敗北したことに起因すると考えているようだ。

安倍が理想とし、取り戻したい「日本国」とは、明治維新(1868年)からアジア太平洋戦争終結(1945年)までのおよそ、“80年間”だと思われる。なお、真珠湾攻撃の開戦(1941年)から終戦(1945)までの日本の国家体制を総力戦体制と呼び、それまでの国家体制との異質性を強調する考え方もあるが、本稿ではそのことを問わない。

その間、日本帝国は日清戦争及び日露戦争に勝利し、朝鮮併合を行い、第一次世界大戦において戦勝国となった。当時の日本は強国として軍事的にアジアに君臨し、満洲国建国に代表される大東亜共栄圏構想の下、アジア各地を侵略し続けた挙句、前出のとおり、1945年、米国の軍事力に国土を廃墟と化され無条件降伏した。

安部はこの“80年間”の日本を「取り戻す」ことを自身の使命と考えている。安倍が考える日本の美風とは、明治維新後日本の擬似的伝統として偽装された家族、故郷(自然)、神に行き着く。その装置として、靖国に代表される神社及び神と、神に守られた強力な軍(兵士)がある。

安部が靖国に参拝したがるのは、選挙対策としてつながっている神道(政治連盟)、遺族会(政治連盟)との関係だけではない。前出のとおり安倍が「取り戻したい」日本は、日本が強国として世界のイニシアチブをとった“80年間”に日本がもっていた皇軍と皇軍に兵士を供給し続けた家族(母)、そしてそれらを育んだ日本の「美しい自然」ということになる。

戦前の思想が300万人超の戦死者を出した

しかし、安倍が「取り戻したい」日本は、1945年にほぼ壊滅した。アジア太平洋戦争だけでも、日本人の戦死者は300万を超えている。沖縄地上戦、広島・長崎への原爆投下、大都市部への無差別大空襲、シベリア抑留・・・と、悲惨な戦争結果を列記するだけで胸が痛む。つまり、安倍が「取り戻したがっている」日本の“80年間”とは、国家の破滅を用意した年月だった。だから言うまでもなく、安倍が理想とする思想(世界観、倫理・道徳、国家観、家族観、宗教観、自然観、戦争観・・・)は歴史的事実として、国を破滅に導く。安倍の思想は、安倍が言うところの日本を悪くする「サヨク」の思想どころではない。日本を滅ぼす絶対に戻ってはいけない“80年間”なのだ。

蛇足ながら言っておくと、安倍が敵視する朝日新聞は、安倍が理想とする“80年間”において、一貫して開戦の論陣を張り続け、戦中は大本営発表という誤報を国民に垂れ流し続けた体制翼賛メディアだった。

安倍の朝日新聞攻撃はヒットラーの「ユダヤ人」攻撃に酷似

そもそも、安倍が敵視する「アサヒ」も「サヨク」も、いまの日本に存在しない。まったく存在しないわけではないが、政治的影響力は皆無に近い。朝日新聞が「進歩的」だった時代はずっと昔に終わっている。安倍は存在しない「サヨク」をお化けのように怖がってみせて、攻撃の対象とする。ワイマール共和国にヒットラーが攻撃対象とした「ユダヤ人」は実在するユダヤ人ではないのと同じことだ。幻想の敵をつくって理屈抜きで攻撃する手法こそ、ファシズムの常套手段にほかならない。大衆は単純化された敵に反応しやすい。

安倍がヒステリックに朝日攻撃をするシーンをTV映像で眺めていると、その姿は、ユダヤ人を執拗に攻撃する、ヒットラーの姿に見事に重なっていた。ヒットラーの演説の論理構造は単純で、ユダヤ人がドイツを悪くしている、もしくは悪くする――というワンフレーズに要約できる。第一次大戦後のドイツにおけるインフレ、混乱、不道徳・・・そして戦争の敗因までもが「ユダヤ人」に起因するという主張で一貫していた。ユダヤ人の下に共産党、社会主義者、社民主義者がいて、彼らを応援する新聞(メディア)があるという具合だ。安倍も「サヨク」が悪の権化であり、彼らに乗っ取られたメディア(朝日新聞等)が安倍自身を攻撃し、日本国民を貶め、韓国、中国に日本国を売ろうとしている、と主張する。

安倍の思想と日本の極右勢力との親和性は、当然高い。日本の極右勢力はもちろん「サヨク」を敵視し、嫌韓、謙中であり、あの“80年間”に創作された日本の擬似的伝統――神、家族、自然を信奉している。

安倍は歴史修正主義者である。政治家としての安倍の念願が日本の国連常任理事国入りであることもよく知られている。この安倍の願望こそが、“80年間”への回帰願望をよく象徴する。安倍の願望は、日本が軍事的プレゼンスをもって国際関係を主導するまでに至った1930年代の日本の復活だ。しかし考えてみれば、そのときの日本の指導者の傲慢と無知が、日本を破滅させたのだ。

安倍はアジア太平洋戦争の敗戦の痛みを知らない。敗戦を経験していなから、軍事力(戦争)を観念としてとらえ、安易に軍事力を信奉する。安倍は戦争の結果を想像する能力に欠けている。だから安倍は、平和主義(憲法第9条)に縛られることなく、日本が世界を領導できる地位に高めるため、軍事力を背景とした国家体制を構築することを夢想してしまう。それが宰相として歴史に名を残すことだという勘違いができてしまう。

安倍政権が日本を滅ぼす

さて、安倍の経済政策(アベノミクス)は、すでに破たんしている。円安誘導で国内物価は上がり、生活者の収入は上がらず、金利は低い。年金に頼る高齢者にとって消費税率のアップは生活を困窮させる。その一方で大企業は減税され、円安誘導は株価を一時的に押し上げ、1%が優遇される。だがこれもモルヒネにすぎない。

1%(大企業、資産家等)は優遇され、99%(生活者)は苦境に追い込まれる。これがアベノミクスの正体だ。モルヒネがきかなくなれば株価も下がり、日本経済は漂流するしかない。安部の復古主義と誤った経済政策を止めなければ、日本はそれこそ最暗黒の歴史を繰り返すことになる。

2014年11月1日土曜日

11月の猫

11月だ。寒くはないが、もちろん暖かくもない。

猫の近況を報告しておく。

Zazieが4.3㎏で前月比-500g、Nicoが5.9㎏で同-200g。

二匹とも体重が減った。

Zazie

Nico

2014年10月29日水曜日

千駄木「NOBI」(イタリアン)

千駄木の路地にあるイタリアン。

ハウスワインの赤は安くておいしい

生ハム三種盛り合わせも美味

2014年10月28日火曜日

ザハ・ハディド

東京オペラシティにて、ザハ・ハディドさんのデザイン展が開催されている。

新国立競技場のデザインに採用されたデザイナーだ。

ところが、選考過程の不透明性、建物が及ぼす周辺環境への悪影響や周辺景観との不調和性、

加えて建設及びメンテコスト等の非経済性に係る異議が続出している。

ザハさんのデザインについては個人の好みが働くが、国立競技場がある神宮外苑周辺にはそぐわない。

この人の作品はアジアでは中国、香港、韓国等にあって、日本にない。

そのあたり、日本の国威発揚として採用が決まったのならば、選考する側の考え違いだろう。





見終わった後、パブへ。

2014年10月23日木曜日

谷中「ひょうたん池」(居酒屋)

ジム友と谷中で。

ちょっとおしゃれな肴でした。

柿とタコの味噌和え

イチジクと生ハム

2014年10月21日火曜日

小渕優子は原発推進派によって「消された」のか

小渕優子経済産業相と松島みどり法相が20日、閣僚を辞任した。小渕優子は不適切な政治資金問題、松島みどりは地元選挙区で「うちわ」を配布した問題の責任を取った。松島の「うちわ問題」はさておき、小渕優子の政治資金問題については、不自然な印象が拭えない。

第二次安倍内閣が発足したのが9月3日。その後、9月18日に『赤旗新聞』が、9月23日に『日刊ゲンダイ』が、そして、10月16日発売の『週刊新潮(10月23日号)』が小渕優子のスキャンダルを報じた。以降、同誌の発刊を契機として、日本の全メディアが小渕優子の政治資金問題をスキャンダルとして大々的に一斉報道し始めた。各メディアの論調はそろって、“政治とカネ”という醜聞仕立てであった。

同誌の内容を大雑把にいうと、小渕優子関連の2つの政治団体が平成22年と23年、選挙区の後援会員らのために「観劇会」を東京の劇場で開催した際、劇場側に支払った費用が、参加した後援会員らから集めた会費を2年とも約1300万円上回っていることが15日、両団体の政治資金収支報告書からわかったというもの。

だが、小渕優子の2つの政治団体(小淵優子後援会と自由民主党群馬県ふるさと振興支部)の収支報告書」の公表日付は不明だが、少なくとも、『赤旗新聞』掲載の直前ではない。群馬県のホームページに掲載された政治資金収支報告書の最新の公表日は、平成25年11月25日であって、それ以降の更新はない。総務省のホームページの定期公表も平成25年11月29日が最後(平成24年分)になっている。 

いったいなぜ、いまになって小渕優子の政治資金収支報告書が問題視されたのだろうか。小渕優子が経産相に就任した本年9月3日から、『週刊新潮』がスキャンダルを報じた10月15日のあいだにいったい、なにがあったのだろうか。

日本のメディアは一切報じていないが、『ロイター』は10月17日に小渕優子経産相(当時)の動きとして、以下のとおり伝えていた。

[東京 17日 ロイター] - 小渕優子経済産業相は17日夕、電気事業連合会の八木誠会長(関西電力)と会い、老朽原子炉7基の廃炉判断を早期に示すよう要請した。「来年4月から7月に運転延長を申請する必要がある炉7基の取り扱いの考え方を早期に示していただきたい」と述べた。
八木会長は小渕経産相との会談後、記者団に対し、「取り扱いは各社の経営判断。それぞれの会社で検討していただきたい」と述べた。判断を示す期限についての質問に八木会長は「できるだけ早く示すようにしたい」と答えた。
対象の7基は、古い順に日本原子力発電の敦賀1号、関電美浜1・2号、中国電力島根1号、関電高浜1号、九州電力玄海1号、高浜2号。
八木氏は関電の対象4基について「検討を進めているが、現時点で決めたものはない」と話した。同氏は、今後、廃炉の際の財務面への影響を緩和するために、国に会計制度の見直しを求めたいとの考えを示した。
原発の運転期間に関する現行ルールは、運転期間を原則40年に制限しながらも、原子力規制委員会の認可を条件に20年間を上限に1回だけ運転延長が認められる。
すでに40年超の4基を含め、2016年7月時点で40年を超える7基を運転延長させるには、来年4月から7月までに規制委に申請する必要がある。その際、事業者は原子炉の劣化状況などを調べる「特別点検」を実施し、規制委の認可を得る必要がある。
小渕氏との会談に先立って行われて電事連の定例会見で八木氏は、特別点検には「数カ月はかかる」と述べた。(浜田健太郎)

また、10月21日の『東京新聞(朝刊)』は署名入り記事で以下のとおり報じている。

電力政策停滞も 再生エネ、原発…経産相の課題山積

小渕優子経済産業相が辞任し、後任に宮沢洋一氏が就く。(略)経産相が抱えるエネルギー政策の課題は多い。中でも太陽光発電を中心とする再生可能エネルギーを増やす議論は小渕氏が重視してようやく動きだした感があり、経産相の交代で政策が停滞する懸念がある。(略)経産省、電力会社ともに原発の再稼働を重視し、再生エネルギーを増やす対策を怠っていたが、9月3日に就任した小渕氏は電力各社の判断が妥当かどうかを専門家に検証してもらう部会を設置。背景には「電力会社の説明は本当なのかと疑った小渕氏の鶴の一声があった」(経産省関係者)という。中長期的な再生エネの拡大策も含めて議論は始まったばかりだが、経産相の交代で腰が折られる恐れもある。(吉田通夫)

小渕優子の後任には、宮澤洋一が決まったが、宮澤洋一はWikipediaによると、東京電力株を大量に保有しているというし、前出の『東京新聞』も、原発再稼働推進派として報じている。

『ロイター』及び『東京新聞』の報道からうかがえるのは、小渕優子は経産相に就任してから、原発エネルギー問題について、何かをしようとしたことだけは確かである。小渕優子は少なくとも、原発再稼働を検証抜きに推進するような政治家ではなかった。

安倍首相は、平成26年10月16日(現地時間)、第10回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合等に出席するためイタリアを訪問し17日まで滞在した。つまり安倍が日本にいない間に、『週刊新潮』の小渕バッシング報道が始まり、その勢いは日本の全メディアによって燎原の火のごとく日本中に燃え広がったのである。この騒ぎを異国で知った安倍は急きょ予定を変更し帰国、事態収拾にあたったようだ。

つまり、小渕を任命した安部が不在の間に小渕バッシングは仕組まれ、安倍は小渕の首を切るために急きょ帰国したといえる。このことが意味するのは、小渕優子のスキャンダルに安倍は関与していないということ。安部の思惑とは異なるところで小渕優子の解任は準備され、そして実行されたものと推定できる。

総理大臣である安部を無視して大臣の首を挿げ替えることができるのはだれなのか。もちろんそれができるのは(小渕優子を経産省から追い出すことができるのは)、官・産の原発推進派であり、日本のマスメディアが後押しした結果にほかならない。

今回の小渕優子スキャンダルの発覚は、安部にまったくメリットがないわけではない。第二次安部内閣には、江頭聡徳防衛相、塩崎恭久厚労相、西川公也農水相の3つのスキャンダルがまだ控えている。さらにヘイトスピーチで知られる在特会との関係を疑われる閣僚が(女性閣僚を含めて)数人いる。同会との関係は、国際的スキャンダルに発展しかねない。

ここで、女性2大臣を切れば、世間も納得し、閣僚スキャンダル・ドミノの類焼を免れる目も出てくる。世間が注目する「女性」をあくまでも利用し尽くそうという魂胆である。国民が関心を失えば、野党の追及も迫力が薄れる。小渕優子だけではインパクトが低いので、ついでに、朝日新聞出身の松島みどりも切っておこうというわけか。残念ながら、日本国民は、権力の陰謀にナイーブ(うぶ)であり、メディアの扇動に乗りやすい。

2014年10月17日金曜日

アギーレの歴史的采配―日本ブラジルに惨敗

サッカー日本代表がシンガポールにおいてブラジル代表に0-4で惨敗した。日本の4失点は相手のエース、ネイマールにすべて奪われたもの。ネイマールをマークしてほかの選手に点を取られたのならばわからないでもないが、相手のエースに思うようにやられたとはみっともない。それにしてもお粗末な日本代表だった。北京で宿敵アルゼンチンと戦ったブラジル、一方日本はホームで格下ジャマイカと戦った。その両者がシンガポールにやってきたのだから、コンディションの面では日本に分があったはず。それでも歯が立たないのだから、日本は相当弱い。試合後の選手のコメントは、「収穫」やら「経験」やら「課題」やら。この大敗のあと、御託を並べている暇はない。闘争心をもって真剣に闘わなければ、日本はますます弱くなる。敗者のメンタリティーを醸成してはいけない。

日本サッカー界についに訪れた人材払底のサイクル

W杯ブラジル大会後の日本代表の試合ぶりを見ていて感じるのは、先のW杯で明らかになった世界との差ばかりではない。「パスサッカーからフィジカル重視」といったトレンドを論じるよりも、いま、日本人フットボーラーのなかに人材払底現象が見受けられることだ。ついに恐れていた事態がやってきた。ロシア大会に希望をつなぐ才能、資質を感じさせる選手が見当たらないのだ。

モチベーションを失ったブラジル組

第一に、ブラジル大会代表レギュラークラス(海外組=FW本田、FW香川/ブラジル戦では故障によりベンチ外、DF長友、GK川島、国内組=DF森重)がモチベーションを完全に失っていること。海外組には欧州からの移動という疲労もある。だから、ブラジル戦を休ませたのだろう。ジャマイカ戦でも短い時間の出場にとどまったFW柿谷(ブラジルでは控え)も、代表サッカーにおけるモチベーションを失っている。ブラジル大会に選ばれたことで満足したのか。そんな中、唯一闘う姿勢を貫いているのがFW岡崎だ。

学生アルバイト(武藤)に代表を奪われるJリーガーの無力

第二は、前出のいわば「過去の人」を追い抜くだけの新戦力が育っていないこと。そのことを象徴するのが「今売り出し中」のFW武藤だ。武藤は大学在学中という。Jリーグのトップクラスが学生アルバイトとは情けない。Jの選手はいったい何をしているのだ。学生アルバイトが代表に選出される現状を「プロ」が許しているとは論外。

それとも学生とは名ばかりで、勉学の方はサッカーで免除されているのか。もしそうならば、武藤が通っている大学にも問題がある。文武両道とは聞こえはいいが、大学生とプロサッカー選手の二足の草鞋をはくことは、世界のサッカー界ではまず、あり得ない。もっと言えば、この現状を異常だと思わないメディアがそもそも異常だ。大学生がアルバイトでJリーガーとしてやっていける日本のサッカー界のレベルとは・・・

たとえば、前出のブラジルのネイマールは武藤と同年齢だという。ネイマールはブラジル代表のキャプテンをはっているのだが、彼が大学生であることはおよそ考えつかない。プロフェッショナルスポーツのアスリートは年齢も学歴も関係ない。その分野でとにかく一流であることだ。だから武藤が大学生でバイトでサッカーをやっていることを非難するのではない。学生とプロサッカー選手を両立できる日本のプロサッカー界が不思議なだけなのだ。世界のサッカーリーグはそんなに甘くはないだろう。ましてやブラジル代表とバルセロナのレギュラーと、大学生を両立できるはずがない。

武藤が代表で「輝いている」現実が、日本のサッカーの最高峰リーグであるJリーグの低レベルを象徴している。だから、武藤に続く、MF柴崎、MF森岡、FW小林、DF塩谷のレベルも押して知るべし。

アギーレのここまでの功績は、日本代表が弱いことを白日の下に晒したこと

それにしてもアギーレは正直な人物のようだ。かつての代表監督ではできないような選手起用を行った。アギーレは、ブラジル戦に臨むにあたって、移動でコンディションの悪い海外組主力を思い切って外した。その結果明らかになったことは、いや、アギーレが明らかにしたことは、先述のとおりの日本代表の惨状にほかならない。アギーレは、日本のサッカーファン、いや日本代表に期待する日本国民に対して、日本代表のレベルの低さを明らかにした。日本のみなさま、日本のサッカーの実力はこの程度ですよ、過剰な期待をされては困りますよ、世界レベルとは、こんなにも開きがありますよ――というわけだ。これまでの代表監督は、サッカー協会、広告代理店(TVメディア)、スポンサーの手前、この事実を隠し続けてきた。

「岡崎中心」の日本代表をつくるしかない

では、ここまで弱体化した日本代表をどう再建したらいいのか。これはかなり難しい課題とはいえ、アジア杯は目前に迫り、そこで結果を出さなければ先に進まない。

奇策、奇手はない。現状の駒のなかで最強チームをつくるしかない。まず考えられるのは、前出のとおり、フィジカル的に強く、好調を維持し、しかも高いモチベーションをも維持しているFW岡崎を攻撃の中心、というよりも、チームの中心とするしかない。彼の闘争心、諦めない姿勢、運動量の多さをもって、チームを引っ張るしかない。岡崎の性格にキャプテンシーが備わっているか否かについては、会ったことがないのでわからないが、いま日本代表に必要なものすべてもっているのが岡崎であることだけは間違いない。

アジア相手ならば高さのあるハーフナーも武器になるはず

戦術的には、岡崎をワントップとするかサイドにおくかが第一の選択。筆者の見方では、アギーレが4-3-3を貫くと仮定するならば、ワントップに長身FWハーフナーをおいて、高さを武器としたい。長身選手が少ないアジア相手ならば、ハーフナーの高さは機能する。アギーレはハーフナーを招集しながら使わなかった。このことは疑問として残る。

本田はイタリアで結果を出しているのでそのまま右。岡崎は左となる。アンカーは「守備の職人」と言われる細貝で鉄板。

問題は細貝の前の列。どうもここが人材難のようだ。柴崎、森岡、田中、小林には情熱が感じられない。彼らに頑張ってもらうか、新たな戦力を探すしかないのだが、決め手となる選手はいない。強いて挙げれば、米本拓司(FC東京)か。

香川がこのポジションで真価を発揮するとも思えないので、香川は4-2-3-1に変化するまで控えになる。

SBは左が長友、右が内田。内田が代表引退ならば酒井高で仕方がない。酒井高のクロスの精度は大いに問題だが。

日本最大の弱点CBは、カテゴリーにこだわらず若手に切り替えろ

SBは森重、鈴木、水本らをそろそろ見切る必要がある。年功序列を排して、A代表に西野貴治(G大阪)、岩波拓也(神戸)、植田直通(鹿島)らを早く合流させたほうがいい。U21、U23、五輪といったカテゴリーにこだわりすぎるのは、日本サッカーの悪弊である。ブラジル戦の経験を彼らにこそ積ませたかった。

ブラジル戦で明らかになった日本代表の惨状。ここから立ち直るには、ディスパレートな精神力をもった選手を代表にできるだけ多く呼ぶ以外にない。

2014年10月5日日曜日

テレビ映画『ヒットラー』

昨日偶然だが、CATVでTV映画『ヒットラー』(原題:Hitler: The Rise of Evil、2003年、カナダ・CBCとアメリカ合衆国・CBSの制作)を見た。このTV映画がどこまでヒットラー及びナチズムの真実を伝えるものなのかは検証できないものの、事実だと仮定したうえで現代日本の情況と突き合わせてみると、今日の日本の危機が見えてきた。日本がファシズム到来に差し掛かっている現実に改めて驚愕した。

ヒットラーの演説はヘイト・スピーチで始まった

第一次大戦に従軍して負傷してドイツに戻ったヒットラー。彼が最初に接触した政治団体がドイツ労働者党であった。同党は後年、ヒットラーが党首に就任し国家社会主義ドイツ労働者党(以下「ナチ党」と略記)に改名された。ヒットラーが入党した当時、同党は数十人の愛国主義者党員で構成されていたにすぎなかった。

ヒットラーが同党の集会で最初に行った演説が、いまで言うところの“ヘイト・スピーチ”。演説といっても、小さなビアホールで開かれたもので、聴衆も十数人程度のものだったのだが。そこでヒットラーはドイツの純潔とユダヤ人及びユダヤ人に操られたとする共産主義者、社会主義者、社民主義者の排斥を訴えた。

ヒットラーの演説会は回を重ねていくうちに聴衆を集め、支持者を増やしていく。演説の内容はともかく、その訴求力は尋常でなく、彼は政治家として存在感を増していく。ヒットラーの排外主義と愛国主義は、敗戦とベルサイユ条約の巨額補償で疲弊したドイツ経済の下で呻吟する労働者、若者といった底辺層と、ドイツ経済の復興利権を独占しようと企む富裕層(ブルジュアジー)の支持を集めた。経済的に相反する底辺層と富裕層がヒットラーを支持したということは、日本の安倍政権(アベノミクス)が底辺層と富裕層に支持されている実態と重なり合う。

ヒットラーに抵抗した新聞人は収容所で処刑された

ヒットラーの台頭に危機を覚える知識人、言論人は少なくなかった。映画ではヒットラーに生命をかけて抵抗した新聞人(フリッツ・ゲルリッヒ)が主役である。ゲルリッヒはヒットラーが石油利権で英国と通じていたスキャンダルを暴いたところでナチ党に強制収容所に送られ、処刑される。

また、ヒットラーが反逆罪で収監されていたときに執筆した自伝『わが闘争』は、ヒットラーの台頭に利権を求めて近づいた穏健派出版人が請負わされる。ヒットラーに近づきすぎ、その狂気に危険を察した出版人は、妻をヒットラーに奪われ、英国に脱出する。ヒットラーが言論界、出版界をコントロールしていく様子は鬼気迫るものがある。

今日の日本では朝日新聞が「従軍慰安婦誤報問題」で謝罪をし、安倍政権にひれ伏した。併せて、朝日新聞OBの大学人が就職先の大学を追われる大事件が起きているが、メディアはその危機を伝えようとしない。右翼系週刊誌・月刊誌が排外主義を喧伝し、書店も排外主義者の著作物であふれている。TVメディアは事実上、安倍批判を自粛している。

メディア業界にあっては、公共放送の責任者は排外主義者が安部政権の意向で就任した。大手広告代理店は安倍政権の利益を代表する編成をTV局に強いている。新聞メディアの社主は安倍政権に従順な者で占められ、批判記事は掲載しない。右翼系出版社は「左翼叩き」「赤狩り」に地道を上げ、朝日新聞を血祭りに上げていて、そこを地盤にした排外主義的「知識人」が戦前の日本帝国主義を賛美し、嫌韓、嫌中を煽っている。産業界は大企業優遇政策実現のために、無批判的に安倍政権に大規模な政治資金を提供することを決めている。

全権委任法で憲法、議会を無力化

ヒットラーの権力奪取の過程は、順風満帆ではなかった。反逆罪で短期だが収監されたこともあった。また、議会、憲法、大統領(ヒンデンブルク)に代表される伝統的権力とも衝突を繰り返した。盟友関係にあった突撃隊との内ゲバ(粛清)も経験している。ヒットラーはその都度、陰謀(国会議事堂放火事件等)、議場退出による議会麻痺戦術等を駆使し、決められない政治(=議会)の無力を国民に訴求しつつ、「全権委任法」を国会で承認させたところで映画は終わる。ヒットラーの「全権委任法」は、憲法を無視し議会の議論を経ずに閣議決定で政策を進める安倍政権の政治手法と近似する。

ヘイト・スピーチ、排外主義、言論弾圧、陰謀・謀略、憲法・議会の無視(全権委任法)等と並べてみると、いまの日本がワイマル共和国下のヒットラーの政治手法を繰り返していることに気づく。また、ナチスの台頭とシンクロしてドイツの野党勢力が衰退していくことも同じような現象だ。

表は合法、裏は非合法の安部政権の二重の顔

だが、ヒットラーと安倍政権はまるで同じというわけではない。安倍は民主党政権の自壊から合法的に政権をとっている。民主党政権をワイマル共和国にアナロジーする見方もないわけではないが、ヒットラーのように暴力的に血みどろの権力闘争を繰り広げて権力奪取をしたわけではない。そこが違いであり、それゆえの怖さなのだ。

一見して民主的、合法的、非暴力的ファシズムであり、自身に熱狂的支持を伴わない、静的なファシズム支配の進行だ。しかし裏側では、ネットメディアにより周知された事実として、安倍及び現政権の中枢は排外主義勢力と地下水脈で親密な関係がある。合法領域では、安倍政権を支持する野党の一部には排外主義者、植民地主義者、軍国主義者が結集して、外側から安倍政権を支えようとしている。

日本が敗戦を犠牲にして獲得した平和主義と民主主義は、いま大きな危機にある。

2014年10月3日金曜日

『存在論的政治――反乱・主体化・階級闘争』

●市田良彦〔著〕 ●航思社 ●4200円+税

本書の副題「反乱・主体化・階級闘争」から連想されるような、マルクス革命論の再解釈ではなく、主に「1968年革命」以降、ヨーロッパにおいて花開いたポストモダニズムの共産主義思想に係る論考によって構成されている。

著者(市田良彦)はフランスにおいて、「マルチチュード」という思想誌の編集委員を務めていたとのこと。雑誌名“マルチチュード”とはいうまでもなく、ポストモダンの共産主義者の代表格、アントニオ・ネグリが提唱した革命主体の名称であり、同名の書物もある。著者(市田良彦)はネグリには強い影響を受けているようで、本書にはネグリ論が数本おさめられている。

ところで、マルクス主義を通過した者であるならば、本題にある〈存在〉と〈政治〉という言葉から、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』の以下のような言説を連想するのではないか。

意識(Bewusstsein)とは決して意識的存在(das bewusste Sein)以外のものではありえず、そして人間の存在とはかれらの現実的な生活過程である。(P32)
*     *
意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する。(P33)
*     *
意識ははじめからすでに一つの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるあるほかない。(P38)
*    *
もし幾百万のプロレタリアがかれらの生活関係に決して満足を感じないならば、またもしかれらの『存在』(Sein)がかれらの〔・・・〕現実において、そして実践的唯物論者すなわち共産主義者にとって大切なのは、現存する世界を革命し、既成の事物を攻撃し変更することである。(P59)
〔岩波文庫版〕

復習の意味で、マルクスのこれらの言説をとりあえず頭に入れておこう。さて、存在論的政治とはなんなのか――本書の帯にも書き抜かれている「まえがき」から引用する。

存在論的政治。すなわち、我々の生のあり方全般を深く拘束すると同時に、種別的にひとつの政治であることを手放さない政治。それは、生そのものを哲学的に考察すればことさら主題化しなくてすむ政治ではない。問題はつまり、文化や文明や経済や歴史、その他なんらかの人間的事象に置き換えれば「本質」を見極めることのできる「現象」ではない。もちろん、政治はいつでも表層的なものだ。・・・存在論的政治とは、現在の私にとって、この表層と深層が分岐する地点において生じる問題の名前にほかならない。それは、存在論的に「深い」次元が決定するような政治のあり方を指すわけではないのである。(P1~2)
(略)
存在論的政治は、積極的に日和見主義なのである。実践的には何も決定されていない、という原理から出発して、決定の方向を「世界」――生であれ経済であれ構造であれ――に対しそのつど問おうとする。どれだけ持続するのか分からない「世界の今」の傾向に寄り添おうとする。方向-傾向の特殊な「形態」を、表層と深層のあいだ、分岐点そのものに取らせる「歴史」を見ようとする。下部からの決定力が政治に特定の枠のなかにとどまらせることを許さないから、存在論的政治は固有の歴史をもつのだ。本書はこの歴史のなかにあるかぎりでの現在――主として1968年にはじまる――についても語ろうとするだろう。政治について「本質」から「歴史」へと視点を移動させ、「歴史」的分岐点を表層と深層のあいだに見定め、そこに「実践」を定位させることもまた、存在論的政治は求めている。(P4)
(略)
存在論的政治は、万人の救済と転生を信じる一個の狂気である。(P6)

著者(市田良彦)の立場は明確である。「フォイエルバッハは宗教的本質を人間的本質に解消させる。しかし人間的本質はなにも個々の個人に内在する抽象体ではない。その現実においてそれは社会的諸関係の総和(ensemble)である」(前掲書/P237)、「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。たいせつなのはそれを変更することである。」(同/P238)。

存在論的政治とは――下部が上部を決定するという「決定論」を排したうえでだが――マルクスの言葉を言い換えたようなもののように感じる。

2014年10月1日水曜日

10月の猫

御嶽山の大噴火、大型台風の接近と、今月も波乱含みのスタート。

アベノミックスの失敗も明確になってきた今日このごろ、それでも安倍政権の支持率は低下しないのか。

不気味なのは、ファシズム到来の予兆・前兆。

若者が調子に乗って「右傾化」を楽しんでいるうち、それを利用する悪い大人がとんでもない日本国をつくりあげることになる。

排外主義、差別主義に浮かれているうちに、自分の居場所がなくなるのだ。

さて、今月の猫。

Zazieが4.8㎏(前月比400増)、Nicoが6.1(±0)。

Zazie

Nico