2022年9月2日金曜日

旧統一教会問題を考える〔緊急投稿〕

旧統一教会と選挙 

 予告を変更して、旧統一教会に関する補論を急遽、書くことにした。そのきっかけとなったのが、お読みになった方も多いと思われるが、『東京新聞 論壇時評(2022/08/29夕刊)』に掲載された中島岳志の『旧統一教会と自民党/ 固定票と「悪魔の取引」』という小論である。同小論は、両者の関係に対する簡潔にして的確な批判となっているが、納得しかねる部分もある。以下、中島の時評の要約およびそれに対する筆者の批判を展開する。 なお予告した「洗脳」は後日、まとまり次第、掲載する。

〔一〕中島の時評の要約 

 安倍政権を支持する固定票とは、▽日本会議、神道政治連盟等に代表される戦前回帰勢力票、▽後援会、町内会等の草の根保守層票、▽自公政権下、権益を享受する経済等諸団体構成員票、そして、▽旧統一教会信者票である。なお、公明党との共闘による創価学会員票は、自公連立政権維持のための間接的基盤として寄与している。

安倍政権が仕組んだ「固定票、低投票率」選挙 

 中島は鈴木エイト〔著〕の(『日本を壊した安倍政権』/扶桑社)を援用しつつ、第二次安倍政権において旧統一教会と自民党の関係が深められたことを、また、中北浩爾〔著〕の(『自民党-「一強」の実像』/中公新書)を援用しつつ、安倍政権がかつての小泉政権による無党派層重視の選挙戦術から、固定票を積み上げる戦術に転換したことを明らかにしている。
 安倍政権は争点を明確にした選挙を行わなかった。総選挙の場合には〝なんとなく解散″を続けた。小泉政権が衝撃的ワンイッシュー「郵政解散」で大勝した選挙戦スタイルと際立った対比を見せてきた。その結果、安倍政権における国政選挙はきまって低投票率であり、投票率が低いぶん、固定票で上回る与党が勝つというパターンを繰り返してきた。そしてこのパターンは、現政権(岸田)にも引き継がれようとしている。
 安倍政権下の選挙における旧統一教会と自民党との関係は、旧統一教会の組織票依存だけにとどまらず、選挙運動を支える人員などを旧統一教会が無償で提供することで、より深まっていった。安倍政権下、それまで長年にわたり文科省が申請を拒んできた旧統一教会の宗教法人名の変更を自民党幹部議員である下村博文(文科大臣)のもと、一転して許可した。このような相互関係を前出の鈴木エイトが「悪魔の取引」と表現したことが本文中に紹介され、この小論のサブタイトルに付されている。 

旧統一教会票が参院選比例代表選挙でプレゼンスを発揮 

 安部政権下の参院選においても、与党がマニュフェストを明示せず選挙を戦ってきたことは、総選挙と変わらないが、それだけにとどまらない。中島は、三春充希〔著〕の『武器としての世論調査/ちくま新書』を援用し、参議院選挙における旧統一教会の介入戦略を紹介している。重要な個所なので、全文を書き抜く。 

三春は、旧統一教会の有権者を8万3千人程度と推計する。参議員の比例代表選挙で1議席を獲得するためには百万票程度が必要となる。しかし、獲得議席がどの候補者のものとなるかは、個人名が記された票の数によって決まる。「自民党の場合、その際に必要となる票は12万票程度であるため、旧統一教会の票を誰に乗せるかは、自民党の各派閥の中でどのように議席が分配されるかということに関わってくる」。つまり、旧統一教会のプレゼンス(存在)を最大化することができるのが、参議院比例代表選挙の「非拘束式名簿」なのだ。旧統一教会はこの方法を通じて、実質的な教団の組織内議員を与党の中に送り込み、政治的影響力を行使してきたと見られる。

〔二〕中島の時評を批判する 

 中島は、《旧統一教会と自民党の蜜月を生み出した背景には、低投票率と選挙制度のあり方がある。有権者もまた、この問題にかかわってきた当事者であることを、自覚しなければならない。》と結んだ。筆者は中島のこの結びに納得することができない。 

マスメディアが政権監視を怠った罪 

 直近の岸田政権下の参院選において、同政権は原発再稼働、原発新増設について、投票日前に発表しなかった。選挙民からすれば、かくも重大な政策転換は、選挙前に政権(与党)が公表すべきだと考えて当然である。なぜこのような詐欺まがいの政権運営が平然となされるのかといえば、マスメディアが選挙前、各政党が掲げる政策を国民に伝えていないからである。政権放送があるからそれでいいというのであれば、マスメディアの用をなさない。政権与党が政策を公表しなかったから、報道できなかったという言い訳はひとまず通用するかもしれない。がしかし、マスメディアは、政権与党が選挙前に重大な政策転換を公表しなかったことを選挙後に厳しく追求する責務があるはずだが、それもしない。
 岸田政権も安倍政権が遂行してきた、選挙を盛り上げずに固定票(組織戦)で勝ち抜く選挙戦術を受け継いでいる。自公政権の欺瞞的選挙(戦)が長期間にわたり許されてきた、あるいはこの先も続きそうな主因は、マスメディアが政権与党と癒着しているからにほかならない。安倍政権時代、政府自民党は政治焦点をぼかしたまま解散・総選挙を行いながら、マスメディアはそのことを批判せず、黙認し続けてきた。岸田政権でもその状況は変わりそうもない。安倍政権が低投票率と現行の参院選挙の制度的欠陥を使って長期政権を維持できたのは、有権者の無自覚・無関心もあるかもしれないが、マスメディアが政権監視を怠ってきたからである。前者よりも後者のほうがはるかに罪が重い。

自民の低投票率・固定票選挙戦術に無抵抗な左派(野党)

 安倍政権下の低投票・固定票選挙を許容してきたもう一つが左派野党(立憲・国民・社民・れいわ)の無為無策である。とりわけ、旧民主党の流れをくむ立憲と国民の責任は重い。安倍政権が戦前回帰勢力、創価学会・旧統一教会等宗教団体、経済団体等の固定票を固めて低投票選挙へと転換したことを見抜けず、あいかわらず、民主党が政権奪取した2009年の総選挙勝利の成功体験にしがみついてきた。民主党政権が短命に終わった原因を彼らがどのように検証したかしらないが、自民党は2009年の敗北を彼らなりに総括し、手を打った。その一つが固定票(組織票)固めである。固定票固めに目途がついたところで、いかに低投票率の選挙に持ち込むかを思案したに違いない。その結果、選挙前にはマニュフェストを公表しないこと、マスメディアを抑え込み、無党派層を眠らせておくことであった。そして、固定票を固めるためなら、前出の通り、「悪魔」とも手を握ったのである。 

無策 旧民主党の罪 

 自民から民主、民主から自民という政権交代時、自民党の総括はともかくとして、政権を奪われた民主党は無為無策であった。確実な固定票であるはずの連合を右派(旧同盟)に切り崩されたまま放置した。無党派層だけれども、自公政権に抵抗する意識をもった市民団体などに対する働きかけも放棄した。民主党が放棄した市民運動が既成政党の援助を受けず、独力で自公勢力を撃破した事例が、先の杉並区長選における岸本聡子の当選であった。
 同党地方支部組織、地域支援組織の強化・拡大に汗をかこうとする党員は皆無であったのではないか。そもそも党員がいないに等しいのではないか。民主党支持の岩盤層とは、55年体制下に「革新」意識を醸成した、化石のよう高齢者層だけとなった。しかも、民主党は彼らをも裏切るような分裂を繰り返した。そしていま、立憲と国民に分裂し、後者はかつての革新の衣装を脱ぎ捨て、前者も泉党代表の下、後者と差別化できない様相を呈してきている。
 実態上、野党第二党である共産も、頭打ち状態である。党員数の拡大もなされず、『赤旗』購読者(シンパ)数も増えない。日本共産党については後述する。


  連合と旧統一教会の接点は「反共主義」 

 労働者の組織であるはずの連合も、芳野友子(1966~)会長の下、右傾化がはなはだしい。芳野の反共主義のルーツといわれる、芳野が学んだ、富士政治大学校に注目したい。

芳野連合会長が学んだ富士政治大学校と旧統一教会 
 富士政治大学校(1969年設立)は、日本の私塾・養成学校、民社・同盟系の研修機関である。 創立者は民社党第2代委員長西村栄一。西村は「1970年代の政界の激動に備えるためには、なんとしても若い活動家層を育成しておかねばならない」との理念から創立に取り組み、1969年8月、西村が集めた基金を中心にして財団法人富士社会教育センターが設立された。同年10月、労働組合員向けの研修機関として富士政治大学校が開設された。民社党初代委員長で当時常任顧問西尾末広が最高顧問に就任した。神奈川県座間市議会議員の松橋淳郎によれば、「一説によると、同学校は、昭和40年代共産主義やファシズムに対して、アメリカ中央情報局(CIA)の支援を受けて創立したとも言われている」という(Wikipediaより引用)。そもそも、民社党自体がCIAの資金で結党されたともいわれている。 

富士政治大学校の運営母体の第二代理事長・松下正寿は旧統一教会擁護者 
 同校が旧統一教会と関係が深いことが今日、報道されるようになった。両者を結びつけるキーマンが、前出の富士社会教育センターの第二代理事長及び市民大学講座学長(1969年)を務めた松下正寿(1901~ 1986)である。松下と旧統一教会の関係については、以下の通り。 松下は――

  • 1969年、旧統一教会関連の市民大学講座学長に就任 
  • 参議院議員時代の1973年、世界基督教統一神霊協会教祖の文鮮明に助言を求めるため面会。以来、旧統一教会の思想や運動に深く関わりを持つようになり、元筑波大学学長の福田信之と共に、旧統一教会に重用された。 
  • 1974年、旧統一教会が中心になって設立された世界平和教授アカデミーの会長に就任。
  • 1975年、世界日報論説委員に就任。 
  • 1979年6月、世界日報社から、監訳を務めたフレデリック・ソンターク著『文鮮明と旧統一教会 その人と運動をさぐる』を刊行。同年7月、ソウル・ロッテホテルにおける国際学術会議で韓国語によるスピーチを行った。
  • 1983年5月、日韓トンネル研究会が設立。松下は設立総会で呼びかけ人代表として挨拶を述べた。1985年には「国際ハイウェイ・日韓トンネルの構想は国際文化財団の創設者である文鮮明先生のものである。我々は先ずこの素晴らしい構想に対して感謝しよう」と書き記した。 
  • 1984年、文鮮明の人物像や理念を紹介した『文鮮明 人と思想』を上梓。 
  • 1987年1月16日に旧統一教会本部において正寿の昇華追悼式が挙行された。 (Wikipediaより引用) 

『ドキュメント異端』 

 学者である松下が旧統一教会に取り込まれ、教団の学界等への浸透に利用されていったか、あるいは進んで浸透に貢献しようとしたかは別として、その実態が以下の報道により明らかである。 

 元立教大学総長で安倍晋三の祖父・岸信介氏の特使や民社党の参議院議員も務めた松下正寿氏のインタビューでは、統一協会による浸透工作がキリスト教界・学術/教育界にどのように及んでいたかを明らかにした。そのなかに統一協会の関連組織である学術団体「世界平和教授アカデミー」が設立された経緯がクリスチャン新聞編の『ドキュメント異端』に書かれている。以下、その引用である。 

世界平和教授アカデミーという組織がある。公称2000人の学者を会員に擁し、毎年、「世界平和国際会議」「学際研究会議」を開催、「科学の統一に関する国際会議」に参加者を派遣するほか、研究会やシンポジウムを開き、季刊誌『知識』等を発行している。現在、米国、英国、西独、韓国に同様の学会があるという。
この学術団体、実は旧統一教会と深い関係があるのだ。その最大の財源である国際文化財団は文鮮明が創立したもので旧統一教会の資金によって運営されており、久保木修巳旧統一教会会長が日本での会長を兼務している。東京麹町にある事務局の職員12人は、松下正寿同アカデミー会長(元立教大学総長)の話によれば、全員が旧統一教会員。事務局でも「全員ではないがだいたいそう」だという。このアカデミー創立の経緯を見ると、1970年代初頭、文鮮明の提唱によって「日韓教授親善セミナー」及び「科学の統一に関する国際会議」が開始されたことに端を発する。それが発展して組織化され、1974年、134人の学者が発起人となって正式に世界平和教授アカデミーとして発足したのである。
旧統一教会と密接な関連を持つ世界平和教授アカデミーの会長で、同じく市民大学講座学長でもある松下正寿氏は、元立教大学総長、祖父の代からの聖公会の会員である。現在(1981年当時)民社党顧問であり、1968年から一期、自民、民社推薦で参議院議員を務めたこともある。熱心な反共主義者で、旧統一教会の積極的な擁護者としても知られ、旧統一教会のしおり(入会案内)には「旧統一教会こそ、世界の進みつつある破滅から人類を救う、唯一の存在であると信じている」と、熱い推薦文を寄せている。(web『ゆるねとにゅーす』) 

 芳野が富士政治大学校において松下正寿の教えを受けたわけではない。松下が旧統一教会と密接な関係をもって活動していたのは半世紀前のことである。とはいえ、芳野の共産党アレルギー、同党排除の姿勢は国際勝共連合を政治部門に擁した旧統一教会の影響を受けた富士政治大学校で学んだ経験からくるものだと推測できる。 

れいわ新選組の現状と課題 

 れいわがこの先、どのような組織づくりを目指すのか見えないのだが、結党(2019)3年では現状が精いっぱいであろう。れいわについての懸念は、山本太郎の個人商店のままで、彼が選挙に出る以外に票を獲得する方策がうかがえないことである。 

山本太郎の政治(選挙)活動を振り返る

  • 2012年12月1日、第46回衆議院議員総選挙への出馬と政治団体「新党 今はひとり」の立ち上げを表明。東京8区から無所属(日本未来の党・社会民主党支持)で立候補。主に反原発、反TPP等を訴え、71,028票を獲得するも次点で落選。 
  • 2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から無所属で立候補、666,684票を獲得し4位で初当選 
  • 2014年3月19日、脱原発勢力を結集させる国政政党を作ることを目的に「新党ひとりひとり」へ名称変更。 
  • 2014年、政党要件を失っていた生活の党に入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めさせた。 
  • 2019年4月10日、夏の参議院議員選挙に向けて同月下旬に自由党を離党する一方、新たに政治団体「れいわ新選組」を設立。 
  • 2019年7月、第25回参議院議員通常選挙に比例区より立候補、比例区の全候補者で最多となる991,756票 の個人名票を得るも落選(山本以外の候補者2人が「特定枠」で優先して当選したため)。「れいわ新選組」の得票率が4.6%であったことから、政党要件を満たし、「れいわ新選組」の党代表となる。 

山本の街頭演説の動画がSNSで大量にリツイートされる など、SNS上での選挙戦略も含めその勢い は「社会現象化」し、「れいわフィーバー」、「れいわ旋風」 などとメディアで評され、選挙後には、自身は議席を失ったものの「れいわ新選組」は”躍進”と複数の記事で報じられ、複数の野党から連携を持ちかけられるなど、注目される存在となった。 

  • 2020年7月5日執行の東京都知事選に立候補するも落選(得票数は657,277票、得票率10.7%) 
  • 2021年9月、衆院議員選比例東京ブロックからの立候補を表明、投開票の結果、れいわ新選組が比例東京ブロックで1議席を獲得したため、衆議院議員に初当選(※れいわ新選組の獲得票数3,605,925票) 
  • 2022年4月15日、衆議院議員を辞職 
  • 2022年7月 参議院議員選挙に東京選挙区よりれいわ新選組公認で出馬、565,925票(9.0%)を得て当選 

山本太郎は賞味期限切れか 

 山本太郎の得票数推移を東京選挙区というが同一条件で比較してみる。2013年参院選無所属で当選した666,684票(当選)をピークとし、2020年都知事選(落選)で657,277票で約1万弱の減、2022参院選東京選挙区で565,925票(当選)で1万票弱の減、2013年選挙からは10万票近くの減となっている。
 その山本太郎であるが、2022年参院選に出馬するため、2021年に当選した衆議院議員の職を辞した。れいわ新選組からしてみれば、山本が現職でなく応援にまわっただけの選挙では勝てないという算段であろう。山本太郎が当選するか落選するかの緊張感を伴った選挙でなければ、党が埋没するという判断が働いたとみていい。山本太郎が自分の選挙区と仲間の選挙区をまわることで有権者に党の存在を喚起させ、そのうえで、当落の緊張感をバックに、選挙戦を盛り上げていくという手法である。
 歴史が浅く人材・資金も乏しい小党としてはほかに選択肢がないのであるが、この手法にも陰りが見えてきた。山本太郎自身の獲得票数の減少傾向である。れいわの山本頼りの手法が賞味期限切れに近づいてきたということを意味しないだろうか。山本が選挙に出なければ選挙に勝てない、という現実が近づいてきていると同時に、山本自身の選挙も安定的ではなくなってきたように見える。かりに、いま、国葬反対をもって解散総選挙になったとしたならば、れいわは、山本抜きで総選挙を戦わなければならなくなる。そのとき、再び、山本が参議院議員を辞して総選挙に出馬するという選択はもうできまい。禁じ手だったのだ。そんなことを繰り返せば、れいわという政党はどのような政治を目指すのかがますます、見えなくなる。選挙のたびに山本が出馬するという悲喜劇を繰り返せば、有権者の反発は免れまい。山本抜きのれいわ新選組が、解散・総選挙に向けて、どれだけの立候補者をラインアップできるのか、そして、山本太郎不在の選挙を戦えるのか。 

おわりに 

 筆者は当該Blog等においてしばしば、固定票(組織票)選挙に対する野党側の無策を指摘してきた。野党、とりわけ旧民主党は組織づくりを放棄し、政権奪取を諦めたような選挙を繰り返してきた。政権を奪い返そうと自民党が「悪魔」と手を結び、政権党であり続けようとしてきたおよそ10年間、旧民主党、共産党はなにもしなかった。彼らがしてきたのはせいぜい、55年体制の残りカスを頼りに、限られた幹部の当選に尽力してきたにすぎない。
 一方、旧統一教会の影響を受けた反共塾、富士政治大学校は芳野というゴリゴリの反共主義者を育て上げ、労働者団体のトップに押し上げた。同大学校で「反共主義」を叩きこまれた芳野は、野党共闘粉砕の盟主として、その仕事をいま、やりとげている。
 「反共」のターゲットとされてきたエセ共産党、日本共産党に期待するものはなにもない。党内エリートが年功で指導者双六で上がっていく官僚主義政党は、この世から消えてほしい。旧民主党左派のはずだった立憲民主党はいずれ、国民民主党とともに与党化し政治戦線から消えるだろう。残るは、れいわ新選組だけなのである。旧統一教会問題を契機として、れいわ新選組が一日も早く、地域、労働の現場、市民運動の現場へと党勢を拡大する方向に舵を切ることを願ってやまない。(この項終わり) 

2022年8月26日金曜日

旧統一教会問題を考える〔第一部〕

 世界平和統一家庭連合 (旧統一教会及びその政治団体である国際勝共連合等関連団体。以下「旧統一教会」という。)に関する報道が連日、メディアを賑わせている。多くの日本人は、日本人信者の多額の献金等が韓国の教団本部に還流することにより、教祖一族が私腹を肥やしていることをーーまた、彼らの政治活動に使われることを知り、素朴なナショナリズムを刺激され、大いに義憤を感じていると思われる。韓国がアダムで日本がイブという旧統一教会の教義に基づく日本(人)蔑視、とりわけ、合同結婚式で日本人女性がかの国で下流といわれる男性と結婚させられ、傷ついて帰国したなどという報道に接すると、義憤のボルテージはさらに高まって、〝旧統一教会憎し″の感情が日本中に充満しつつある。

 筆者はいまだ、旧統一教会問題の全体像を見通せる地点に到達していない。マスメディア(東京新聞「こちら特報部」など)及びインターネットに掲載されている関連記事などを参考として読みつつ、その全体像に迫ろうと情報収集を続けている。
 そんな中、筆者なりの視点として、①日本人の宗教観、②洗脳ーーという二本を柱として、なにかまとまりそうな段階にたどりついた。拙稿は論考途上のものであって、その後の状況次第では変更もありうる。よって、断片的メモとして読みとばしていただけれと思う次第である。

〔第一部〕旧統一教会と日本人の宗教観

 日本の旧統一教会信者はなぜ、教団が提供する壺、絵画、印鑑等を法外の価格で購入してしまうのか。あるいは、多額の献金をするのか、その理由を求めるための前提を整理する。 

旧統一教会はなぜ、日本(人)を集金ターゲットに定めたのか 

 旧統一教会はその勢力を世界に広げているが、彼らが回収する献金額は日本からがダントツでトップであるということ、換言すれば、日本以外の地域 (その本貫地である韓国を含めて)においては、信者を獲得することはできても、カネは獲得できていないと報道されている。日本人が元来ナイーブ(うぶ)な国民(性善説、他人を疑わない善良さ)なので、教団の口車に乗せられやすいのか。
 その一方で、教団の献金獲得ノウハウ(洗脳技術)がCIA~KCIA伝授のものなので、それに日本人信者が抗しきれない、という説もある。だがそれほど彼らの洗脳技術が強力なものならば、世界中の人間を洗脳することができるはずだし、世界中からより多額の献金が集まるはずなのだが、日本以外ではその洗脳技術とやらが効果を発揮していないように見える。日本以外の国では、彼らの洗脳技術が功を奏しない、つまり、日本人が洗脳されやすいファクターXがあるのかどうか。
 いや、教団が洗脳技術を日本以外の地域では意図的に用いない、という推論もあり得る。つまり、教団は日本を戦略的に集金地域と定めた、という推論である。その根拠は、前出のアダム国=韓国、イブ国=日本という旧統一教会の教義に求められる。日本は韓国に貢ぐ使命を帯びているということの立証として、つまり教義の正当性を立証するため、日本を戦略的に集金地域として定め、信者を集金活動に集中させたと言えるかもしれない。日本から多額の献金が集まっている事実をつきつけ、旧統一教会の教義は正しいでしょう、世界中の(日本人信者も含めた)信者に、イブ国の実在を証明してみせた、という見方も成り立つ。 

霊感商法

 一般に、市場におけるモノの値段は決まっていない。買う側がその価値を認めれば、たとえば、女子高生の着古した制服を信じられない価格で買う人もいる。違法ではない。買う側と売る側に合意が成立していれば、価格は統制されない。だから、鑑定価値、市場価値がない壺や印鑑、絵画を何億円で売ろうと買おうと自由である。霊感商法の違法性を証明することはだから、そう簡単ではない。要はそこにどのような説明がなされていたかに係る。
 たとえば、「これを買えばご先祖様の霊が慰められますよ」というくらいのセールストークであれば、それが違法だと証明することは難しい。「先祖の霊」の存在、非存在をだれも確認できない。先祖がそのような感情を抱くかも同様に確認できない。買う側がそれを信じるかぎり、自由な取引になる。似たような事例は無数にある。印刷で複製された一見美しい、無名の外国人作家(その人物が実在していることが前提)の作品 を5万円くらいのお手頃値段で販売している業者はあまた存在する。買う側が気に入ればそれまで。骨董屋にいけば、一見、高名な作家の贋作がおいてある。店主がなにもいわないかぎり、客が気に入れば店頭の価格で売っても問題はない。
 旧統一教会が霊感商法で世間を騒がせたのは1980年代のことであった。以来、対策弁護団の奮闘もあり、2018年6月8日に消費者契約法改正案が成立し、「消費者は事業者が消費者契約の締結について勧誘をするに際し、当該消費者に対して霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げるにより困惑し、それによって当該消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示をしたときは、これを取り消すことができる」(法第4条第3項第6号)ようになった。これは霊感商法が禁止されたわけではなく、霊感商法について消費者は消費者契約を取り消すことができると規定されたにすぎない(取消権の期限は法7条により、追認をすることができる時から1年以内又は該消費者契約の締結の時から5年以内)とされた。(同法施行は2019年6月15日)
 繰り返せば、上記のような状況において、宗教団体等が勧めてきた霊感商品の契約を取り消すことができる、つまり、状況によっては、商品の返品⇔返金が可能となったにとどまる。だから前出のように「これを買えばご先祖様の霊が慰められますよ」というくらいのセールストークが禁止されたわけではない。神社で「破魔矢」が売られているが、その効用が証明されないからといって、販売禁止にいたるわけではない。 

献金と違法集金 

 近年、旧統一教会による霊感商法は減少しているとの報道がある。世間の警戒感が強まったからだろう。教団は路線を変更し、「物販」から「献金」に切り替えたようだ。献金の違法性の立証はさらに難しいのだが、教団の献金の一部が返金された事例もある。
 このケースは、妻が夫に内緒で、旧統一教会に1億円を献金していたとして、夫が妻(正確には裁判を契機として離婚が成立していたので元夫、元妻であるが)を訴えた裁判で、東京地裁は旧統一教会の不法行為を認定し、約3400万円の支払い(夫への返金)を命じたというもの。判決は「被告(旧統一教会)においては、組織的活動として、これまで、信者の財産状態を把握した上で、特に壮婦(献金した妻)の場合、献金によって夫を救い、夫の家系を救うことこそが信者の使命であるとして、夫や他の家族の金を拠出するように指示をし、夫の財産を夫の意思に反して内緒で献金する等の名目で交付させていたと言うことができる」と教団の計画性を認定し、「被告(旧統一教会)においては、専業主婦である妻が行った献金等について、その原資が原告(夫)の財産であり、原告の意思に反して出捐(寄付)されたことを認識していたと認められるから、上記出捐について、組織的な不法行為として原告に対して存在賠償責任を追うべきである」とつけくわえた。
 旧統一教会が献金を強要したわけではないが、①献金者(妻)の家族(夫)の財産状況等を把握していたこと(→計画性)と、②夫に内緒で夫の財産を献金させたこと(→夫の不同意)の二点がポイント。判決は、旧統一教会にたいし、献金されたうちの何割かを夫に返金させたにすぎない。夫が資産家であることを調べ上げて、妻に夫に内緒で献金を仕向けたことが明らかだから、教団が受け取った妻からの献金を夫に(一部)返しなさいよ、と裁判所が命じたものだ。安部を暗殺した男性の母親が全財産を献金してしまったというが、献金を法的には止められない。献金する者が納得のうえならば、金額の上限も下限もない。そこでこの問題の原点ともいえる洗脳の問題が立ちあがるが、そのことについては第二部で詳述する。

日本における、あるプロテスタント教会の実態 

 筆者の知人の一人に東京・下町の教会の牧師さんがいる。彼は国際基督教大学を卒業後、有名な公益法人に就職して、定年近くで退職、牧師の道を選び、現在の教会に赴任した。その教会は日本基督教団に属する。日本基督教団は公会主義、つまり、いかなるキリスト教の教派にも属さないキリスト教無教派の理念、理想を旨とする。日本基督教団は公会主義を継承する唯一の団体でもある。
 プロテスタントの教会の維持はたいへんだが、信者に献金を強要することはない。建物も設備も老朽化しているがそのままだ。もちろん、宗教グッズを売ることもない。信者やその周囲の人からの献金で運営しているが、おそらく持ち出しだろう。サラリーマン時代の貯えと退職金で賄っているのだと思う。本部からの資金援助という話は聞いたことがない。カトリックは金持ちで、余裕があると聞いたことがあるが、それでも信者から財産を奪うような献金をしているという話を聞いたことがない。 

Donation,Charity、利他 

 キリスト教にかぎらず、献金は英語ではcontribution、donationという。それと似た概念にcharity=慈善(行為)がある。charityは、慈愛、思いやり、聖書に説かれたキリスト教的愛、同胞愛、博愛、慈善の心、寛容、寛大さも意味する。たとえば、She donates to her  favorite charity every month.(彼女は気に入った慈善(事業)に毎月献金をする)と使われる。つまり、献金は自分のためではなく、困っている他者に向けた行為であって、祖先の霊を鎮めるためだとか、自分のいまの困難さを取り除くためなどで行うものではない。いまの自分を救済する方法は唯一、神を信じること、祈ることだ。
 教会に献金箱がおいてあるが、日本の神社にある賽銭箱とは異なる。献金箱に入れられたカネは教会を媒介して、貧者等にまわる。もちろん教会の建立、再建、保全のために献金が使われることがあるが、それで献金者が救われることにはならない。教会という公共物(信者=他者が使うための施設であり神の家)を維持するための行為である。キリスト教とて時代とともに変節し、権力者が「聖者」になるために多額の献金をしたり教会や聖堂を寄進するようになった。カトリックの総本山バチカンが、マネーロンダリングとして利用されているという報道もある。しかし、キリスト教の献金の本来のあり方は、利他の精神にある。仏教も利他の精神を基盤とする宗教である。 

賽銭が意味するもの 

 日本土着の原始宗教を母体として発展した神社神道はどうなのか。日本人は新年になると神社に参拝する。子供のころは神社で七五三という通過儀礼を行う。受験等の合格祈願も神社でする。神前の結婚式を挙げる者も多い。観光旅行やまちあるきの途上、通りすがりの神社に参拝することもしばしばである。その際、神社の賽銭箱に小銭を投げいれ、自分と家族の今年一年の健康、幸せを祈る。
 その賽銭であるが、賽銭とは祈願成就のお礼として、神や仏に奉納する金銭のことだった。貨幣経済が発展していなかった近代以前は、金銭ではなく幣帛・米などを供えた。「賽」は「神から福を受けたのに感謝して祭る」の意味。「祭る・祀る」の語義は「飲食物などを供えたりして儀式を行い、神を招き、慰めたり祈願したりする」ことだという。だから神社で賽銭を投げて神に祈るのは、神から恩恵を受けるための前払いの儀式なのだ。本来は、神様のおかげでいいことがありました、ありがとうございました、とお礼の意味で賽銭を投げたのであるが、こんにち、あとさきが逆転し定着してしまった。そのため、祈願成就の「お礼」が標準的であった「賽」が遠のき、「お礼参り」といわれて、特別な儀礼に逆転してしまった。あとさきはともかく、賽銭は利他でなく、「利自」つまり自己を利する願いの代償であることは変わらない。賽銭に投げいれる金額が大きければ、それだけ自己を(神が)利してくれる確率が高まると考えられるようになった。
 旧統一教会はおそらく、日本人特有の祈りと賽銭の関係を理解していたのだろう。日本人にとっての献金=賽銭は、自己の願いとその成就を神に頼み込む日常的な行為(儀式)である。だからこそ、日本人信者は、教団による献金の要請に応じ続け、破綻の泥沼にはまりやすかった。だからといって、日本人信者にたいして、「自己責任」と切り捨てるわけではない。日本人の信仰のあり方を旧統一教会が巧みに付け込んだという仮説を立ててみたい。 

日本人の祖霊信仰と旧統一教会 

 日本では、故人の葬式を終えたのち、初七日・四十九日、一周忌、三回忌、七回忌と法要を重ねる。その後、おおむね三十三回忌を迎えると、「弔い上げ」といって、法要を打ち切る。以降、死者の供養は仏教的要素を離れ、「故人の霊」から「先祖の霊」となる。これを祖霊という。祖霊は、先祖の霊として、家の屋敷内や近くの山などに祀られ、その家を守護し、繁栄をもたらす神として敬われる。先祖の霊は「ホトケ様」「カミ様」「ご先祖様」と呼ばれるようになる。しかし、仏式で死者を弔ってから三十三回忌以降に、祖霊信仰へと変容するわけではない。死後、すでに故人の霊は祖霊として遺族に意識されている。仏式の法事と日本の土着宗教である祖霊信仰は、遺族等の内面で同時並行していると考えられる。
 祖霊信仰のポイント、すなわち、日本人の死後の理想は、死後、先祖の霊となり現世の者から祀られ、敬われたいというところにある。もちろん自分が死んだあと、残してきた家族などに繫栄や安全を齎す使命を帯びているとはいえ、子孫が自分を崇めてくれることに重きがおかれているのであり、死後に係る利他と利自(己)はトレードオフの関係にある。
 故人を見送った側においては、残された側が祖霊に少なからず瑕疵を与えているのであれば、祖霊からの恩恵を受けられないと考える。お盆、正月において現世に降りてくる祖霊を迎え入れ、酒や御馳走で歓待する。祖霊がもてなしに満足し、喜んで帰っていただければ、自分たちに途切れることなく幸いが齎されると考える。このような現世の者と祖霊との関係の儀式化がお盆や正月の家族など小さな単位で行われる宗教行事であり、やや広い関係(共同体)の内部で行われるのが、神社(氏神)における祭礼であり、明治維新以降は、国家神道へと拡大した。いずれも、祖霊から繁栄・安全(時に戦争勝利)を期待するものであることに変わりない。前者では神社の賽銭箱に小銭を投げ入れ、後者では資産家・国家までが神社を保護し、なにがしかの寄進、寄附、献灯等を行っている。

旧統一教会の献金勧誘トーク

 旧統一教会が信者にたいして献金を募るときの勧誘トークは概ねこんなものであろう。

〔事例1〕入信から2年、今度は三男の自殺で精神的に不安定な状態に陥っていたというAさん。それを知った教会の関係者はAさんにこう話したといいます。
 (元信者のAさん)「息子さんの霊が降りてこられて『自分の生命保険のお金を献金してくれ』と言われてましたと。心身ともに弱っていますよね。だから言われる一言一言を信じてしまいました」。
 冷静な判断がつかなかったAさんは言われるがまま、三男の生命保険金から1200万円を献金したといいます。
 (元信者のAさん)「(旧旧統一教会では)お金は俗世界のものと最初からうたっていますので、生きている人間にいろんな災いが起きるということを折に触れて説く」。
 このほかにも、ネックレスや壺などを購入させられ、計3000万円近い金額を旧統一教会に献金したといいます。(ABC/関西ニュース) 

〔事例2〕きっかけは当時小学生だった息子の野球少年団。同じ団に所属する母親に誘われ、風水関係の即売会に出かけたことだった。「あなたの家系には女の人の失敗がある」。店長を名乗る人物にこう指摘され、300万円の「水晶」の購入を促された。「人生の曲がり角。今この時を逃しては駄目」「先祖が地獄で苦しんでいる」。説得を受けること5時間ほど。「もともと家系図とかに興味があった。先祖を助けられるのは私しかいないと思った」。ためらいつつも保険の解約金を充てた。
 その半年ほど後、「世話係」とされる人から「生まれ直すため」などとして380万円の献金を求められた。一度は断ったが、今度は「子孫に災いがかかる」などと畳みかけられた。「何としても自分がやらなきゃ、と思ったんでしょうね」。当時38歳だったことにちなむ380万円の請求を受け入れ、まず100万円を支払った。残額は月10万円ずつ支払い続けた。(岐阜新聞Web) 

 2例を挙げたにすぎないが、〈息子さんの(自殺の)霊が〉〈家系〉〈先祖が地獄で〉〈先祖を助ける〉〈子孫に災いが〉といった語彙に気づく。旧統一教会の霊感商法や献金要請のトークは、日本人固有の祖霊信仰に付け込んだものだと推測できる。 
 なお、日本のその他もろもろの新旧宗教の実態についても調べなければいけないが、今回は前出の日本基督団のみとした。旧統一教会に近い事例としては、明覚寺(本覚寺)グループによる「霊視商法」が名高い。明覚寺には解散命令が出た。

〝騙される者が悪い”は解決策にならない 

 日本人は、生きる者と死んだ者が交流し合うことを通じて、前者は後者がもつ超越的パワーにより、幸福、繁栄、無病息災……が齎されることを願う。そのために、カネ・モノを献上し、後者にたいして、祈願成就のお礼をする。このことを非科学的だと非難することはできない。日本人の信仰が利他ではないから野蛮だと批判することもできない。自然宗教は、自然に抗う人間の営みから紡ぎ出されたものなのだから。また、日本人が啓蒙思想を通過していないから、〈祖霊〉というインチキトークに騙されるのだ、という批判もあり得るかもしれないが、筆者はそのような近代的批判に与したくない。
 旧統一教会の勧誘にのってしまう者は不幸な、あるいは、疎外された者である。そのような者に手を差し伸べられる社会が形成されない限り、霊感商法や詐欺まがいの献金を社会から一掃することは困難だろう。(第一部/完) 

※                  ※

 第二部は『閉ざされた言語空間』(江藤淳)及び『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン)を検討図書として用い、洗脳について考える。これら二書は国家・国民規模の洗脳の実態を詳述したものである。不可視の、そして、自覚なき洗脳の実態を知るところから、洗脳問題へのアプローチを開始する所存である。

〔追記〕第二部は『洗脳』(その1)(その2)の構成で note に投稿(2022/11/20)


2022年8月23日火曜日

夜のすずらん通り

 コロナ禍、人通りが絶えた。

土曜の夜9時過ぎだというのに。

千駄木

2022年8月15日月曜日

『現代思想入門』

●千葉雅也〔著〕 ●講談社現代文庫 ●900円+税 

 はじめに断っておくと、拙稿は書評のレベルにない。現代思想の初心者である筆者が本書をテキストとして読みながらノートをとったものにすぎない。以下、本書のなかから主に、デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ラカン、レヴィナスに係るノートを公開する。

  さて、本書の構成は次のとおりである。
第一章から第三章まで:デリダ、ドゥルーズ、フーコーの解説、第四章:ニーチェ、フロイト、マルクス、第五章:ラカン、ルジャンドル、第六章:「現代思想のつくり方」と題され、ドゥルーズからレヴィナスを介して、ポスト・ポスト構造主義への展開の序章のような内容となり、マラブー、メイヤスらの解説がつく。第七章:ポスト・ポスト構造主義(ハーマン、ラリュエル)の解説。そのあとに「現代思想の読み方」という付録がつき、おわりに「秩序と逸脱」で締めくくられる。
 著者(千葉雅也)がデリダ(1930 - 2004) 、ドゥルーズ(1925 - 1995年) 、フーコー(1926 - 1984)から解説を始めたのは、この3人が現代思想の出発点だと認識するからだろう。そこで提示されたキーワードが脱構築である。脱構築とは、《二項対立のどちらをとるべきか、では捉えられない具体性に向き合うもの(P32》と定義される。また、脱構築とは「二項対立を揺さぶる」こととも別言される。
 脱構築を最初に提唱したのはデリダで、差異は同一性と対立するといい、同一性はものごとの固定的な定義であり、差異は定義に当てはまらないようなズレや変化を重視することとした。著者(千葉雅也)はデリダの態度を〈概念の脱構築〉と、以下、ドゥルーズを〈存在の脱構築〉、フーコーを〈社会の脱構築〉と、それぞれ名づけ解説する。 

(一)デリダ 

差異の哲学 

 《ポスト構造主義=現代思想とは「差異の哲学」である(P35)》。差異とは同一性と対立し、物事を「これはこういうものである」とする固定的定義、すなわち同一性に対して、逆に、必ずしも定義に当てはまらないようなズレや変化を重視する思考である。この思考方法はドゥルーズに引き継がれ深化された。同一性と差異は二項対立であるが、この二項対立において差異を強調し、ひとつの定まった状態ではなく、ズレや変化が大事だというのが現代思想の大方針となる。さらに脱構築について、デリダは、脱構築によって全部を破壊しろと言っているわけではなく、それは「介入」であるという。
 著者(千葉雅也)は、《「仮固定的」な状態とその脱構築が繰り返されていくようなイメージ(P36~37)》として、デリダの世界観を捉えてほしいという。著者(千葉雅也)がいう「仮固定」とは、物事には一定の状態をとるという面もあるが、その一定の状態は絶対ではなく、仮のものだというところから著者(千葉雅也)が名づけた概念である。脱構築は現代思想においてはさらに徹底され、「同一性と差異の二項対立も脱構築する」ことが必要だという。 

 それはつまり、とにかく差異が大事だと言うだけではなく、物事には一定の状態をとるという面もあるということです。ただし、その一定の状態は絶対ではなく、仮のものです。ここで「仮固定的」な同一性と差異のあいだのリズミカルな行き来が現代思想の本当の醍醐味である、ということになるでしょう。(P37) 

(二)ドゥルーズ 

Avs.非Aという二項対立の脱構築 

 ドゥルーズ=存在の脱構築に入る前に「排中律」にふれておこう。通常の認識では、AとBがバラバラに、区別して存在すると捉えられる。Bとは非Aである。アリストテレスの『論理学』では、「選択肢Aと非Aを前にして、Aと非Aが同時にあるという第三の可能性はない」とされ、これを「排中律の法則」という。BとはAではないもの、区別されて存在するというのは対立関係にある。しかし、《ドゥルーズの見方では、ものごとは多方向に超複雑に関係しあっている。その関係性が「リゾーム」と呼ばれるものでした。つまり、Avs.非Aという二項対立を超えて=脱構築して関係し合っているということで、その意味で、リゾーム的に物事を見るのは「存在の脱構築」だと言える(P110)》という。 

(三)フーコーの権力論 

規律訓練=自己監視する心の誕生 

 フーコーの権力論は、①王様がいた時代→②近代→③現代という三段階で考えられている。そして近代化の最も重要な時期を17~18世紀におく。この時代の前は、王の権力行使はみせしめ、拷問(残酷な刑罰)を与えて見世物にしたりして、王の権威を示威するものだった。それゆえ、犯罪や逸脱は権力に見つからなければいい、ということになる。
 それにたいして、前出のとおり、17~18世紀を通して権力のあり方が規律訓練へと移行する。権力というと一般には、支配(能動)と被支配=隷属(受動)という二項対立でとらえられているが、フーコーは支配される側が、受け身ではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造があるということを明らかにする。権力とは上から押しつけられるだけでなく、下からそれを支える構造もあるということだ。権力とは上と下が絡まり合いながら複雑な循環運動として作用している、つまり権力とは「無数の力関係」であると。
 またフーコーは、「正常」と「異常」の脱構築を進め、「近代」が隔離すなわち精神病棟・監獄の誕生から、自らが権力に馴致していく規律訓練(しつけ・監視)により、支配者が不可視化されることを明らかにする。そうなってしまうと、権力による一方的な支配から脱することはできないのではないか、そこから脱するにはどうしたらいいのかという素朴な疑問がわいてくる。その問いに対して、《権力構造、あるいは「統治のシステム」の外を考えること。秩序の外部への「逃走線」を引く(ドゥルーズ)ことが重要(P87》だ、と著者(千葉雅也)はいう。単なる二項対立的構図での抵抗運動では、逃走線を引くことになるどころか、むしろシステムに囚われたままになる、という解を与える。 

生政治 

 個人に働きかける権力の技術を規律訓練とするならば、大規模な集団、人口として被支配者を扱う統治が18世紀を通して成立する。こちらの権力の側面を「生政治」とよぶ。《生政治は内面の問題ではなく、即物的なレベル、たとえば、出生率をどうするかとか、人口密度を考えて都市をいかに設計するかとか、そういうレベルで人々に働きかける統治の仕方(P98)》をいう。著者(千葉雅也)は規律訓練と生政治のちがいについて、新型コロナをめぐる社会のありようを例に出して次のように説明する。 

「感染拡大を抑えるために、出歩くのを控えましょう」といった心がけを訴えるのが規律訓練で、「そうは言ったって出歩くやつはいるんだから、とにかく物理的に病気が悪くならないようにするために、ワクチン接種をできるかぎり一律にやろう」というのが生政治です。(P99) 

(四)ラカン 

精神分析による人間の定義~人間は過剰な動物である 

 人間は他の動物と比較すると、本能的必要性以上のこと、多様なことを行う。本能とは「第一の自然」であり、人間はそれを「第二の自然」であるところの制度によって変形する。人間はそもそも過剰であり、まとまっていない認知のエネルギーをなんとか制限し、整流していく。そのことが人間の発達過程である。自由に流動する認知を精神分析では、本能と区別して「欲動」という。この欲動の可塑性が人間性だという。可塑性とは、そもそもは固体が外力を受けたときにおこるひずみは、ある限界までは外力を除くと、もとの状態に復する(つまり弾性である)のだが、その限界(=弾性限界)を超える力がかかると、この内部からの応力は急激に減少してしまい、永久的な変形をさせることが可能となることをいう。つまり、欲動により人間がもとに戻らなくなる状態を可塑性と表現する。
 逸脱による再形成とも別言できる。欲動のレベルによって成立するすべての対象との接続を精神分析では「倒錯」と呼ぶ。つまり、人間のやっていることはすべてが倒錯的なのだということができる。それを、正常と異常=逸脱という二項対立を脱構築するという。本能的傾向と欲動の可塑性のダブルシステムを考える(ジャン・ラプランシャン)ということになる。 

ラカンの発達論 

(1)母の不在と死の欲動(享楽) 

 ラカンの発達論である。現代思想を考えるうえで避けて通れない箇所なので、やや詳しく紹介する。
 子供は当初、まだ自己が独立しておらず、母と一体的な状態にある。いわゆる母子一体の状態。ここでいう母とは、その存在なしでは生き延びられない他者という意味。ところがその存在はつねに自分のそばにいてくれるわけではなく、自分を置いて台所やトイレに行ってしまったりする。子供はそのような分離を少しずつ経験する。そうすると、ひじょうに不安な状態に耐えなければならない。母の欠如を穴のようなものだとすると、まさに心にひとつの穴が空く。精神分析的には、母が必ずしもそばにいてくれないということが最初にして最大の疎外となる。疎外とは理想的な状態から弾き出されることことをいう。母がいたりいなかったりすることが子供にとって、根本的な不安を引き起こすが、それは母なる偶然性のためだ、という。
 母が消え強烈な不安で緊張するが、その後母が戻ってきて抱かれ乳をくれる。それは極端なマイナスからプラスへの逆転で不安が大きいほど、引き換えに途方もない快が得られる。第一の快は緊張が解けて弛緩すること、すなわち安心である。第二の快は偶然に振り回され、死ぬかもしれないギリギリのところを安全地帯へ戻ってくるというスリル。これは不快と快が入り混じったようなもので、第一の快より根本的なものである。第一の快の定義が「快楽」であり、第二のほうはむしろ、死を求めているようですらあるわけで、フロイトのいう「死の欲動」という概念があてはまる。ラカンはこれを「享楽」と呼んだ。
 子供は不可欠なものを呼び寄せる最初のアクションであるところの、泣き叫び(母を呼ぶ)をする。これは生命維持のためであり、欲望の根源である。子供は成長とともにおもちゃなどで遊ぶことになるが、そういった対象には、母の代理物という面がある。いわゆる母との関係の変奏としての展開である。成長してからの欲望には、かつて母との関係において安心・安全(=快楽)を求めながら、不安が突如解消される激しい喜び(=享楽)を味わったことの残響がある。

(2)父の介入 去勢 

 母と子の密接な二人の世界を邪魔するのが父(概念的にいえば第三者)である。母子の一体化を邪魔=禁止する、父は第三者的な外部すなわち「社会的なもの」を導入する人物となる。このことを通じて、子は自分以外の誰か=第三者との関わりのために母がいなくなってしまう、つまり、母がその誰かによって自分から奪われる、という「感じ」が成立してくる。父=第三者は、母を自分から奪う、憎むべき存在であり、母を奪い返さなければならないということになる。これがいわゆる「父殺し」の物語であり、以上のプロセスを精神分析では「エディプス・コンプレックス」と呼ぶ。また、こうした父の介入を、精神分析では「去勢」と呼ぶ。「客観世界は思い通りにはならない、だからもう母子一体には戻れない」という決定的な喪失を引き受けさせることが去勢である。 

(3)欠如の哲学 

 母の欠如を埋めようとするのが人生である。しかしそれは決して埋められない。絶対的な安心・安全はありえない。根本的な欠如を埋めようとすることがラカンにおける「欲望」であり、その意味でラカンには「欠如の哲学」がある。自分が欲しているものの背後には幼少期の根本的な疎外との複雑なつながりがある。これを手に入れなければと思う特別な対象や社会的地位などのことをラカンの用語で「対象a」という。人は対象aを求め続ける。

(4)ラカンの三つ組の概念 想像界・象徴界・現実界 

 第一の「想像界」とはイメージの領域、第二の「象徴界」は言語(あるいは記号)の領域で、この二つが合わさって認識を成り立たせる。第三の「現実界」は、イメージでも言語でも捉えられない、つまり認識から逃れる領域をいう。これはカントの『純粋理性批判』における感性(→想像界)、悟性(→象徴界)、理性(→現実界)に対応しているようにみえる。
 人間の発達では、まずイメージの世界が形成される。生まれたばかりの赤ん坊は対象を十分区別できず、すべての領域が曖昧でぼんやりつながっている。そこから言語が介入する。言語が行うのは「分ける」こと、名前を与え、イメージのつながりを切断し、制限する。その過程で、子供は自分自身の姿を初めてみることになる。それも鏡によってである。そのひとまとまりのイメージを自分のものとして引けるようになる。このことをラカンは「鏡像段階」と呼ぶ。自己イメージはつねに外から与えられるというのがラカンの重要な教えである。そして前出の「去勢」によって、想像界に対し、象徴界が優位になる。混乱したつながりの世界が言語によって区切られ、区切りの方から世界を見るようになる。象徴界の優位とは、世界が客観化されること、原初のあの幸福と不安がダイナミックに渦巻いていた享楽を禁止することを意味する。
 意味以前的にそこにあるだけというのが三番目の現実界である。それは成長する前の、あの原初の時、刺激の嵐にさらされ、母の気まぐれに振り回されていた不安の時、不安ゆえの享楽の時をいう。それが認識の向こう側にずっとある。
 人は本当に欲しかったもの、「本当のもの」を求め続けている。本当のもの=何か=対象aを得ても、「本当のもの」はまた遠ざかる。対象aを転々とすることで到達できない「本当のもの」=Xの周りをめぐることになる。このXが、イメージにも言語にもできない「いわく言いがたいアレ」としての現実界、原初の享楽である。この捉えられないXというのは二項対立を逃れる何か、グレーで、いわく言いがたいものである。 

(5)否定神学 

 日本の現代思想では、いわく言いがたいXに牽引される構造を「否定神学的」という言い方をする。否定神学とは、「神とは何々である」と積極的に特徴づけるのではなく、神を「神は何々ではないし、何々でもなく…」と決して捉えられない絶対的なものして無限に遠いものとして否定的定義するような神学のこと。まさにそうした神の定義と、このXのあり方は似ている。我々は否定神学的なXを負い続けて失敗することを繰り返して生きている。 

(6)「いわく言いがたいアレ」と現代思想 

 カントにおいては、前出の通り、否定神学的なXは「物自体」に相当する。繰り返せば、人間が経験しているのは現象であり、現象は感覚的なインプットと概念の組み合わせでできていて、その向こう側に本当の物自体があるのだが、物自体にはアクセスできない、という図式を『純粋理性批判』で提示した。これがラカンの三つの界と対応する。カントが現象と呼んでいるのは想像界と象徴界の組み合わせ。人間はイメージ(感性)と言語(悟性)によって世界を現象として捉えている。しかし、その向こう側に現実界(物自体)があり、それにはアクセスできない。にもかかわらず、それにアクセスしようと思っては失敗し続ける。
 フーコーは、このような近代的人間のあり方を『言葉と物』で示した。それによると、近代以前にはまず、神が無限の存在であり、神がつくった世界は総て隈なく秩序的であって、人間はそのなかに含まれていた。人間は有限であり、有限にできることをやるしかなかった。しかしそれ以降、有限性の意味が変わる。神と比べて人間が有限なのではなく、人間自身に限界があるために世界には見えないところがある、という自己分析的な思考が立ち上がる。人間にわかっていることの背後には何か見えないもの、暗いものがあって人間はそこに向かって突き進んでいくのだ、というような人間像になっていく。

(7)〈否定神学システム〉と〈否定神学批判〉 

 ラカンにおける、現実界が認識から逃れ続けるということが、否定神学システムの一番明らかな例である。そしていかに否定神学システムから逃れるかという考察を、「否定神学批判」と呼ぶことがある。これが日本現代思想の特徴である。捉えられない「本当のもの」=Xについては、デリダ、ドゥルーズの哲学にもあったし、同時にそこから離れる運動も彼らにはあった。人間はなんとかそれを捉えるために新たな二項対立を設定して、またとり逃し……というように生きていく。 

(五)レヴィナス  

ハイデガーの存在論批判と「他者の哲学」 

 レヴィナスは「他者の哲学」と呼ばれ、ハイデガー存在論を仮想敵として出発した。ハイデガーは物事がただ「ある」という、その「存在そのもの」をいかに思考するかという、極端に基礎的で、きわめて展開が難しい問題に集中した哲学者であった。
 レヴィナスは、ハイデガーの存在論の極端な抽象性にたいして、そこには他者が排除されていると抵抗する。その論拠は、すべて「ただある」という根本的な共通地平にすべての存在者が載せられてしまうことによって、抽象的な意味での共同性のなかにすべてが回収されてしまうと考えたからだ。
 ユダヤ人であるレヴィナスは、ハイデガーが一時期ナチに加担したという事実をふまえ、ハイデガー存在論、ひいては西洋哲学史の道行き全体が帯びているある種の危険性を(ユダヤ人であるがゆえに)哲学的に告発しようとする。レヴィナスは、ハイデガーの存在論を「存在論的ファシズム」とみなした。レヴィナスは超抽象的なレベルにおける政治性を考えたとも言える。存在論という極端な抽象性に抵抗する、ラディカルな意味での他者性というところから、ハイデガー批判を開始したことになる。 

「無限」であるような他者を超越論的次元におく 

 存在論は哲学の極みである。存在することそれ自体を考えるところまで極まったら、それ以上の根本はないと考えるのがふつうである。だがレヴィナスは、前出の通り、そこでなお、他者が排除されているという。レヴィナスは、存在から始めるのではなく、他者との向き合い、他者との距離から総てを始め直さなければならないという立場をとる。レヴィナスは「無限」であるような、他者を超越論的な次元に置く〔後述〕。これはひとつの極端化〔後述〕である。他者を「無限」と捉え、そして存在の地平を「全体性」と捉える。これはひじょうに強力な二項対立である。この論に対してはデリダから脱構築的介入があったようだが、ここではその論争を省略する。
 レヴィナスはその後、「存在するとは別の仕方で」というキーワードを提出する。フランス語では「Autrement qu’ être」、英語では「Otherwise than being」である。『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』という著作のタイトルである。
 存在という抽象的な全体性の地平から、なお外れるような他者――ドゥルーズ的に言えば、存在の全体性から逃走線を引くこと――を考えたとき、その他者はいったいどのように「ある」のかが問われる。それはもはや「ある」とは言えない。なぜなら、「ある」と言ってしまったら、ただちに存在論に引き戻されるからだ。
 そこで、言葉に無理をさせる必要が出てくる。「ある」というのは我々にとって根本的であるが、さらにそこから外れるものをかろうじてすくいとるために、存在するとは「別の仕方で」「別様に」というふうに、もはや副詞でしか言えないことを言おうとする。

(六)現代思想のつくり方 

 著者(千葉雅也)は現代思想をつくる四つの原則として、①他者性の原則、②超越論性の原則、③極端化の原則、④反常識の原則――を挙げている。

①他者性
:現代思想において新しい仕事が登場するときは、まず、その時点で前提となっている前の思想、先行する大きな理論あるいはシステムにおいて何らかの他者性が排除されている、取りこぼされているということを発見することから始まるという。〔前出〕
②超越論性の原則
:超越論的なものとはカントの概念(『純粋理性批判』)で、人間がものを認識し思考するときの前提として、人間の精神にはあるシステム、いわば、OS〔注1〕があり、それによって情報処理しているということを論じた。このOSをカントは「超越論的」と形容した。このことを踏まえて、何かある事柄を成り立たせている前提をシステマティックに想定するとき、それを超越論的と呼ぶ。〔前出〕 

〔注1〕 【Operating System】  / 基本ソフトのこと。OSとは、ソフトウェアの種類の一つで、機器の基本的な管理や制御のための機能や、多くのソフトウェアが共通して利用する基本的な機能などを実装した、システム全体を管理するソフトウェアである)

③極端化の原則
:現代思想ではしばしば、新たな主張をとにかく極端まで推し進める。排除されていた他者性が極端化した状態として新たな超越論的レベルを設定する。
④反常識の原則
:③において、ある種の他者性を極端化することで、常識的な世界観とはぶつかるような、いささか受け入れにくい帰結が出てくる。しかし、それこそが実は常識の世界の背後にある、というかむしろ常識の世界はその反常識によって支えられているのだ、反常識的なものが超越論的な前提としてあるのだ、という転倒に至る。 

(七)ポスト・ポスト構造主義

 マラブー(1959~)、メイヤスー(1967~)、ハーマン(1968~ )、ラリュエル(1937~ )を取り上げている。21世紀に入ってからの、西洋におけるポスト・ポスト構造主義は、ポスト構造主義的な同一性と差異の二項対立をさらに脱構築するというかたちで展開するものだという。 

おわりに 

 著者(千葉雅也)が現代思想について考えてきたことは、「秩序と逸脱」というテーマであり、本書は入門書であると同時に、その二極のドラマとして現代思想を描き直した研究書でもあるという。秩序を小馬鹿にした「冷笑系」でもなく、相対主義でもない。逸脱とは芸術的に生きることと通底するとも。そのような逸脱に向かう著者(千葉雅也)の資質というか、生き方に共感を感じる者は筆者を含め、少なくないと思われる。(了)

2022年7月30日土曜日

『国体と天皇の二つの身体 未完の日本国家物語』

 ●長崎浩〔著〕 ●月曜社 ●3000円+税 

◆天皇の「身体」とはなにか 

 本題について違和感をもった。「身体」である。「二つの身体」を本題に入れたのは、著者(長崎浩)が本書にて触れているカントーロヴィッチの『王の二つの身体』に引っ張られた結果であろう。筆者が受けた違和感は、筆者自身がこれまで天皇の身体性というものを認識したことがなかったという経験に根差している。戦後生まれの筆者は、昭和、平成、令和という年号に基づく時代区分から必然的に3人の天皇を知っている。そしてその姿は、おおむねテレビ映像という平面に構成された「身体」であり続けている。
 天皇が民衆に見える存在となったのは、多木浩二がいうように、 明治維新から始まった。天皇の可視化は、近代化の産物である写真技術(御真影)によるところが大きい。戦後、テレビの普及により、御真影は画面上の動画に変わったが、それでも強権的もしくは権威的「身体性」を国民に迫るものではない。著者(長崎浩)がカントーロヴィッチを取り上げたのは、天皇が明治維新権力により、二重の性格(立憲君主としての位置づけと、もうひとつ、「神聖にしておかすべからず」という現人神の位置づけ)を帯びていたということを意味する以外のなにものをも意味しない。多木浩二は次のように書いている。 

 旧幕藩時代には、天皇/将軍という二重の権力構造をどう理解するかが、堀景山、熊沢蕃山、本居宣長等々のさまざまな学者、イデオーローグを悩ました。天皇が真の主権者で、将軍はたんにその代理人にすぎないという、合理化された意見は幕末にならないとでてこない。
 しかし、江戸時代の権力論の内容や変遷がどうあろうとも、封建時代の天皇は、概括的には藤田省三氏のいうように「将軍によって権威たらしめられ将軍の必要によって随時その制限をこうむる『消極的権威』にすぎず、明治の変革とはこの「封建的権威が、受動的に名目上のものにせよ、権力主体にすりかわった」事件であったと考えるのが妥当であろう。だから天皇親政をスローガンにして維新を実行した当の革命家たちにとっても、封建的権威にとってかわり、にわかに権力主体になった天皇はあまりにも未知数のものだった。まして一般のひとびとには、明治になったばかりのころの天皇は、はっきりと見えない存在だった。(中略)
 事実、封建時代には、民衆の現実生活に天皇が権力として入りこむ余地はなかった。民衆にとってみれば、天皇の存在は知っていても、なんら直接の関係はもたない存在であった(『天皇の肖像』 P3~5 多木浩二〔著〕 以降「前掲書①」と表記)。  

 維新の革命家たちは、自らが担いだ天皇を民衆にいかに権威づけるかに腐心した。天皇の可視化なくして維新の成就はあり得なかったともいえるくらいだ。維新直後の天皇について、多木浩二は前掲書において、イギリス公使ハリー・パークスに従って天皇に謁見する機会をもった外交官アーネスト・サトウの回顧録の記述を紹介している。 

 天皇はまだ伝統的世界のなかにある不活発な君主という印象をあたえている。白く化粧をし、謁見者に直接は言葉をかけず、天皇の言葉は介添え役(山階宮)が述べるという、間接的な方法による伝統的謁見であった。(前掲書①P8) 

 白く化粧をして外国の要人と直接会話を交わさない不活発な天皇の身体は、西欧の王の身体に比して、はなはだ異質であったにちがいない、と筆者は理解する。維新政府が日本の統治を進めるに平行して、天皇は改造を施されていく。また、自らも変身したであろう。併せて、維新政府は民衆に対して天皇を権威づけるため、できるかぎりの工作を施した。その結果、維新政府にとって都合のいい天皇像が次第に形成されていったのである。 

明治天皇の「御真影」
 多木はその具体例として、まずは▽天皇の東幸(京都から東京へ天皇が居を移す際の行列を民衆に見せつける演出)からはじまり、▽全国巡幸の開始、▽皇室祭祀の新設(近代の皇室祭祀は13にのぼるが、うち、新嘗祭と伊勢神宮の祭典を皇室祭祀に加えた神嘗祭を除いた11の祭祀は維新後に創案された新しい儀礼)、▽朝儀に参列する臣下の服装の西欧化、▽官僚の勅任、奏任、判任の別を設け官僚を身分に構成し、官僚が支配機構上の職能としてではなく、天皇制国家の階層化における中軸とすることーーなどをつうじて、天皇の可視的な権力と実務的それが徐々に形成されていく。
 注意すべきは、維新後の天皇は、古代的権威と欧化近代化による権威という、矛盾した権威の合成体として形成されて行っているという点である。そして、明治20年を過ぎると、全国巡幸が終わり、御真影の下付が始められる。生身の天皇を写真が代替するという時代に突入したことになる。
 維新政府の民衆工作について詳論するのは別の機会にして、本書に戻ろう。繰り返しになるけれど、天皇と一口にいうが、古代、封建時代、明治維新後において、天皇はまったく異なる存在であったということである。とりわけ、明治維新以降の天皇はさまざまな加工、脚色がほどこされたものであったことだけは、最低限、おさえておきたい。 

◆明治国家の変質 

 本書の目指すところは、戦前昭和に生起した、〈明治維新国家〉と〈天皇〉の関係の変質についての論考、いわゆる、〈昭和維新論〉である。維新政府が担ぎ権威づけた天皇と、維新政府の実務的権力行使のバランスが、戦前昭和(1930年前後)からくずれはじめる。そもそも維新政府は、憲法に基づく立憲君主制を建前としながら、現人神天皇を超越的権威に冠する宗教国家として民衆統治をはたすという、矛盾した二重の性格の国家をつくりだそうとした。その矛盾が1930年代、世界恐慌、ボルシェヴィキの台頭、東北飢饉等により発生した社会不安を背景にして、〈昭和維新(革命)〉を呼び寄せた。そのとき、①天皇は、②昭和維新推進勢力は、③体制維持勢力は、そして④民衆は――どう動いたのか。本書は①②③に言及しているが、④の民衆(国民)の動向には触れていない。
 著者(長崎浩)は、その解明の手掛かりとして、本題にも使われた『王の二つの身体』(カントーロヴィッチ)、『愚管抄』(慈円)、神皇正統記(北畠親房)、『玉葉』(九条兼実)、そしてフーコーの権力論を参照しつつ、揺れ動く天皇像を描いていく。しかしながら、著者(長崎浩)の試みは、筆者の受け止めでは、空回りの感が強い。カントーロヴィッチは西欧キリスト教の強い影響下における王権を神学の立場で扱ったものであり、慈円、北畠親房、九条兼実が論じた天皇は、二重権力下で生起した天皇と相反する勢力による天皇の扱い方および天皇が示した行動に主眼がおかれている。明治国家は著者(長崎浩)が本書の中で繰り返しているように、天皇が国家の最高法規である憲法に二重性を帯びたまま規定されているという、きわめて変則的近代主権国家における天皇である。両者には状況に開きがありすぎる。
 もう一つ気になったのは、天皇が古代末をもって国家統合の権威の象徴から退き、江戸期までの長きにわたって日本の政治、社会に微小な影響しか与えてこなかったにもかかわらず、なぜ江戸末期になって、維新(復古的革命)のシンボルにせり上がってきたのか、そのことの説明がない点である。さらに著者(長崎浩)の天皇観は、記紀神話と万世一系の血統の継続性のみに依拠している感がある。日本帝国が世界戦争に突き進む中、国民はなぜ、「天皇陛下万歳」を叫んで無謀な戦闘で無益な死を選んだのか。本書の天皇論・国体論に欠けているのは、明治国家成立以降における、天皇と国民の関係の解明である。 

◆明治国家は憲法で天皇をどう規定したか 

 以下に本書に関わる大日本帝国憲法の条文を示す。 

  第1章 天皇 

第一条  大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 

第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス 

第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス 

第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ 

第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ 

第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス 

(略)

第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 

第十二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム 

第十三条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス 

第十四条
 1 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム 

第2章(略) 

第3章 帝国議会 

第三十三条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス 

第三十四条 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス 

第三十五条 衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス 

 〔筆者注1〕選挙権を持ったのは直接国税を15円以上納める25歳以上の男子にしか認められておらず、これが後の 普通選挙運動につながっていくこととなる。のちに、納税額と投票権付与年齢の引き下げが行われ、1925年には普通選挙法が制定され男子普通選挙が実現した。男女平等の普通選挙が実現するのは、戦後、現在の日本国憲法に改正される直前になってからである。 

(略)

第三十八条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス 

(略)

第4章 国務大臣及枢密顧問 

第五十五条
 1 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ其ノ責ニ任ス
 2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅(しょうちょく)ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス 

第五十六条 樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ應ヘ重要ノ國務ヲ審議ス 

(略)

第5章  司法(略) 

第6章 会計(略) 

第7章 補足

第七十三条
 1 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

 2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス 

第七十七条 

 1 皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス
 2 皇室典範ヲ以テ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス

(略)

   第1章天皇において、天皇が日本国を統治する者であると明らかに規定されている。加えて、議会の立法権は限定的であり、しかも、枢密顧問の介入が規定されている。天皇について諸々の細則のようなものを規定した皇室典範の改正は議会の議を経ることがない。大日本帝国憲法とは、そこに規定されていない権力、すなわち天皇の名のもとに国家を恣意的に運営できる権力の源泉が隠された法規なのである。
 著者(長崎浩)は第三条について次のように書いている。 

 「天皇は神聖にして侵すべからず」。・・・はもともと西洋君主国の憲法から引き写したものであった。(中略)そしてそのいずれの場合も、この規定は君主の無答責(法的無責任)をうたう条項なのである。「天皇は神様だ」などという「頓馬な寝言ではない」とは里見〔筆者注2〕の戦後の発言である。実際、明治国家の設計者たちの意図でも、「君主は固より法律を敬重せざるべからざる而して法律は君主を責問する力を有せず」(伊藤博文『帝国憲法義解』)とされた。また、「帝室は政治社外のものなり」(福沢諭吉「帝室論」)と、天皇を政治から遠ざける保証になるはずのものだった。統治などという神聖ならざる政治の実際(国家権力、政体)は政府と議会がこれを行う。憲法のこの理念からいえば、日本国家も西欧の立憲君主国家と同類のものとして定着するはずであった。実際、昭和に入っても天皇は政治の累が及ぶことを回避せんとする勢力が、政党はもとより政府でも重臣や宮中の天皇側近においてもなお力を失っていなかった。(本書P296) 
〔筆者注1〕里見:里見岸雄。本書「第2章 天皇とプロレタリア」において、著者(長崎浩)は里見ついて詳述している。万世一系の天皇を戴く君主制が我が国の国体なり、とする国体論の持ち主。著書に『天皇とプロレタリア』などがある。 

 はたしてそうなのだろうか。明治維新からおよそ70年が経過した昭和に入ったところで、それまで憲法が定めた天皇と国政の関係に保たれていたバランスに変化が生じてくる。なぜか著者(長崎浩)は、続けて次のように書いている。 

 ・・・時代は大都市の大衆社会である。それこそ天皇が「宮中賢所のなお奥深く、ただ斎きただ祈りてましまし」というわけにはいかなくなる。とりわけ、昭和天皇の皇太子時代、欧州外遊からの帰国歓迎式典が決定的だった。加えて、即位礼における大衆的熱狂が演出され、昭和天皇は今や「国民と共に」にあるのだと宣明するに至る。そして、昭和10年の機関説排除運動を契機にして、記紀神話にもとづく神権天皇として天皇の神聖を解釈することがとめどなく浸透していく。加えて、明治憲法体制の抜け穴というべき陸海軍統帥権の独立である。これももともとは軍隊の政治不関与と抱き合わせることにより、天皇を政治から遠ざける保証たるべきものであっただろう。だが、統帥権を天皇への兵の直参と見なせば、そこに昭和維新の青年将校のモデルが生きる。軍人勅諭は天皇その人の署名により兵士たちに下されたものであり、それ以降兵は天皇との排他的な共同思想によって教育されてきたのだ。この観念が肥大化し、現人神信仰と相まって、ついには憲法体制を食い破ることになった。ボリシェヴィキの脅威の下に、逆説的にもかえって、五・一五そして二・二六の蹶起がその転機になる。(本書P297) 

◆帝国議会の実態 

 明治維新政府が発足(1868年)し、明治憲法をつくり交付してからおよそ30年余りは、天皇は政治の外におかれ、重鎮と議会が日本の政治をリードしたかのようにみえる。明治国家は立憲君主制であり、限定された選挙民によってではあるが、選挙によって選ばれた議員によって議会が運営されていた。また、国務大臣に天皇を輔弼する責を与えているし、枢密顧問が必要な情報を天皇に上申する仕組みも擁していた。つまり、天皇の専制、独走、判断ミス等を防止する装置が憲法にビルトインされていたようにも解釈できる。では、実際のところ帝国議会はどのように運営されていたのであろうか。1932年の議会の実態をみてみよう。 

 日本の議会は、年に何度か開かれることはあるが、年間をつうじて三か月を超えることはめったにない。しかし、ちょうど臨時議会が開かれたばかりだった。
 「いや、なに、三月二十日から二十五日までの五日間だけですよ。これまでの戦費と今後の戦費について投票したり、承認したりするだけですからね。」と、ある日本人がいった。
 「でも、開院式と閉院式をやるんだから、三日しか議論している暇がないじゃないか。」と他の日本人がいった。
 「それだけありゃあ、議会の仕事には十分だろうよ。」と三人目がつけ加えた。
 こうした調子で話されるのを聞くのは、これがはじめてではなかった。議会のことが話題にのぼるたびに、嘲笑、あきらめ、軽蔑の表情が見られることに気づいていた。それとも、私の会う人がみな野党の支持者だったのだろうか。
 「とくにそういうわけではありませんよ。」と数年間フランスに滞在したことのある立派なジャーナリストが答えてくれた。「じつは、ここ日本では議会政治が危機に瀕しておりましてね、なかなか立ちなおれそうもないんですよ・・・。」(『1932年の大日本帝国 あるフランス人記者の記録』 P85~86 アンドレ・ヴィオリス〔著〕 以降「前掲書②」と表記)。

 1932年に日本に滞在したアンドレ・ヴィオリス(フランス人ジャーナリスト)が日本の議会について取材し書き上げた原稿の一部である。ヴィオリスは続いて、明治維新から1932年時点における日本の国内政治について説明を受ける。その内容を要約すると、以下のようになる。
 藩閥である薩摩と長州は、最初は新しい構想に抵抗していたが、手を結んで領地と特権を放棄し、そのかわりに長いあいだ元老会議で主導権を握った。元老とは、知識と近代化の努力という点で万人が認める人々で、大臣や行政官の上に立ち、多くの有能な役人に指示を出していたが、この元老からなる諮問会議をつうじて、天皇が国を統治しはじめた。日本でもっとも重要な政治家の一人である伊藤博文は、欧州滞在中にドイツの政治体制に強い感銘を受けた。イギリスやフランスの体制よりも日本人のメンタリティーに近いと思ったからだ。こうして、ドイツをお手本とした多くの草案を経て憲法が練りあげられた。新憲法では天皇は陸海軍の最高指揮官として平和と戦争をつかさどる者でありつづけていたが、同時に行政府の長でもあり、大臣を任命・解任し、内閣と枢密院の助けを得て統治していた。天皇は立法全体に対して拒否権を有し、議会ではなく天皇だけが閣僚を辞めさせることができた。1925年(大正14年)に選挙改革がおこなわれ、大勢の有権者に普通選挙権が与えられた。しかし、議会の不信任案によって閣僚が辞任する仕組みは、けっしてつくられなかった。奇妙な矛盾であり、これが政治的アンバランスの原因の一つとなっている。
 すこしだけ筆者が補足するならば、維新の革命家たちは倒幕に成功したものの、いくつかの大規模な反政府運動を経験している。その最大のものが「西南の役」(1877)である。倒幕に参加した西郷隆盛が維新政府に不満を抱く士族を糾合し、反乱を起こしたのだが、政府軍に討伐された。
 以降、維新政府に反抗する者は武力闘争を諦め、言論闘争に転じた。それが、自由民権運動である。同運動は、藩閥政府による専制政治を批判し、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約の撤廃、言論の自由や集会の自由の保障などの要求を掲げ、明治23年(1890年)の帝国議会開設ころまで続いた。維新政府は憲法を制定し、帝国議会を開設することにより、自由民権運動を展開していた反政府勢力を議会内に吸収することにより、反政府運動を鎮静化することに成功した。その結果、前出のとおり、日本帝国は天皇と議会の奇妙なバランスのもとに運営されることにあいなった。しかしながら、この奇妙なバランスが戦前昭和(1930年前後)から崩れ始めるのである。
 ヴィオリスは前出のジャーナリストの進言に従い、帝国議会を傍聴する。以下はそのときのレポートである。 

帝国議会

 代議士の席はすべて埋まっている。450人から500人ほどで、20人ほどの和服の人々を除けば、一様に暗いヨーロッパ風の背広を着て、おなじ形のネクタイを締めている。
 傍聴席も、ほとんど男性でいっぱいだ。かろうじて4、5人の女性の顔を認めることができるが、おそらく大臣の妻なのだろう。(中略)
 すごい騒ぎだ。叫び声、笑い声、にぎりこぶしを突き上げて放たれる興奮した野次。ヨーロッパの日本人のあの控えめな沈黙。丁重な礼儀作法は、どこへいったのだろうか。私の下では、髪を黒くなでつけた多数の頭が波打つように揺れ、ざわついているが、ざっと見たかぎり、日本の議員はヨーロッパの議員よりもはるかに禿げている人が少ないことに気づく。
 演壇に立っているのは野党の代議士だ。軍事費のことで激しく攻撃している。私の右側で熱烈な拍手喝采を送っているのは、野党、民政党の党員だ。左側では、与党、政友会の人々から、それにおとらぬすさまじい抗議が沸き上がる。ついで高橋(是清)大蔵大臣が演壇に立つと、すぐさま拍手と抗議が逆転する。しかし騒ぎはますます激しさを増してゆく。高橋蔵相は戦おうとするが、しだいにサンタクロースのような大きな白ひげのなかに隠れてしまう。かろうじて、ときどき大きな丸めがねから、気の弱そうな二つの光がきらめくのが見えるだけだ。とうとう自分の姿をくらましてしまったかのように思われる。
 やや落ち着きをとりもどしたのち、ふたたび荒れだした。猿のような小男が演壇の階段をよじのぼってきたのだ。野党屈指の手ごわい論者だそうだ。奇妙なしかめっ面を浮かべ、癲癇にかかったような動作をまじえながら、金切り声で、めんくらうほど饒舌に話す。・・・日本の聖なる伝統を破った内閣を手厳しく非難しているのだ。
 芹沢外務大臣は背筋をぴんとのばし、腕組みをしてすわり、鷲鼻の貴族的な顔から、ひどく用心深そうな視線を投げながら聞いている。荒木将軍は目に皮肉そうなしわをよせ、きわめて蒙古(モンゴル)的な、にたっとした笑いをこれみよがしに浮かべている。
 質問者が最後の跳躍を終え、尾長猿のようなしかめっ面を見せて姿を消すと、犬養首相がゆっくりと階段をのぼってくる。悲壮なまでにひ弱な老人で、とても背が低いので、くぼんで黒ずんだ象牙色の細長い顔は、じかに演壇の上にのっているようにみえる。弱弱しい声で反論し、大臣たちを擁護する・・・
 この最初の言葉が終わるか終わらないかのうちに、みないっせいに騒ぎだし、とどろき、轟轟たる嵐となる。議会が耳をつんざくようなけたたましい集団的狂気にとりつかれたかのようだ。(前掲書②P89~90) 

 たまたまヴィオリスが傍聴した帝国議会がこのとおりであって、ふだんはもっと議論を尽くしているのだ、あるいは、ヨーロッパ人のヴィオリスの日本人に係る記述は人種的偏見に満ちていて、日本語もよくわからない、だから議会が混乱しているようにみえたのではないか、という反論も可能だろう。だが、議会傍聴後、ヴィオリスは、一人の良識ある同僚(ジャーナリスト)から日本の選挙の不正の実態、民政党・政友会の二大政党が権力欲を戦わせるだけとなったこと、有力議員のスキャンダル、反社会的勢力からの賄賂の受け取りなどについて聞かされる。そしてその同僚はヴィオリスに日本の危機について説明する。 

 「この国(1932年の日本)では、議会は、国民の世論も利益も代表していないとみなされています。かつてはほかにも政党がありましたが、消滅してしまいました。民政党と政友会がかわるがわる活用し、濫用しているような財源を、どの政党ももっていないからです。たとえば、ある時期には社会主義がこの国で大きく進歩しましたが、もう議会には社会民主党の代議士は3人、労農党の代議士は2人しかいません。
 自分の義務を果たさない、あるいは果たすのを忘れている代議士と、自分の権利を自覚していない有権者。これが日本の議会政治の結果です。民衆の心は議会から離れてしまいました。これが、日本においてファシズム運動が急速に、また驚異的な成功を収めたおもな理由の一つです。ファシズム運動の最初の行動は、議会を一掃することだといわれていますからね。」(前掲書②P94~95) 

 この指摘が1932年であることに驚く。まったくもって「いま」(2022年)と変わらないではないか。〝歴史は繰り返す”という凡庸な言説のとおり、いま、「新しいファシズム運動」が急速に日本社会を覆いつくそうとしているように思える。昭和維新が軍部の青年将校を中心とした天皇を頂点に仰ぐ維新=革命運動であったのに反し、いまのそれは、実態がつかみにくい地下に潜ったカルト集団によって準備され、政権与党及び社会に浸透しようとしているという違いはあるものの。

◆昭和元年(1926年)という終わりの始まり 

 著者(長崎浩)が力説する、日本帝国のアンバランス状態はいかにして生じたのだろうか。以下に示したのは、明治維新国家の中枢を担った、それこそ教科書に出てくるような維新の元勲(革命家)が亡くなった暦年である。不慮の死を遂げた者が含まれているが、その死も晩年に近いと考えていい者も含まれる。 

(京都出身)
岩倉具視(1825年- 1883年)、西園寺公望(1849年 - 1940年)三条実美(1837年- 1891年)
(薩摩出身)
大久保利通(1830年- 1878年)、松方正義(1835年- 1924年)、黒田清隆(1840年-1900年)
(長州出身)
木戸孝允(1833年- 1877年)、井上馨(1836年‐1915年)、山縣有朋(1838年- 1922年)、伊藤博文(1841年- 1909年)、桂太郎(1848年- 1913年)
(土佐出身)
板垣退助(1837年‐1919年)、後藤象二郎(1838年 - 1897年)
(肥前出身)
副島種臣(1828年 - 1905年)、大隈重信(1838年- 1922年)
(その他)
福沢諭吉(1835年 -1901年) 

 維新の元勲たちはおおむね、1920年代には既に世を去っている。〈昭和維新〉といわれる年号の昭和は西暦1926年から始まる。昭和の始まりは元勲亡き時代、すなわち世代的に見るならば、維新の〝終わりの始まり”である。先に引用したように、《時代は大都市の大衆社会である。・・・とりわけ、昭和天皇の皇太子時代、欧州外遊からの帰国歓迎式典が決定的だった。加えて、即位礼における大衆的熱狂が演出され、昭和天皇は今や「国民と共に」にあるのだと宣明するに至る。そして、昭和10年の機関説排除運動を契機にして、記紀神話にもとづく神権天皇として天皇の神聖を解釈することがとめどなく浸透して》いったのである。
 天皇機関説排撃では、主唱者である美濃部達吉(貴族院の勅選議員)は不敬罪の疑いにより取り調べを受け(起訴猶予)、貴族院議員を辞職した。美濃部の著書である『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本国憲法ノ基本主義』の3冊は、出版法違反として発禁処分となった。
  当時の岡田内閣は、「統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりと為すがごときは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆るものなり」とし、「所謂天皇機関説は、神聖なる我が国体に悖り、その本義を愆るの甚しきものにして厳に之を芟除(さんじょ)せざるべからず。」とする国体明徴声明を発表して天皇機関説を公式に排除、その教授をも禁じたのである。
 多木浩二が前掲書①で詳述したように、維新政府は天皇の神聖(神性)を国民大衆にできるかぎりの手段を講じて浸透を図った。たとえばその「成果」として二つの勅語を挙げることができる。昭和維新に蹶起した青年将校の世代、例えば磯部浅一は、1905年/明治38年生まれである。彼らは、幼年期から教育勅語(1890年/明治23年に発表)によって育てられ、成人近くになると軍人勅語(1882年/明治15年に発表)を身に着けた。その結果、青年将校が抱いた「君側の奸」の一掃の論理、また、「天皇の赤子」として天皇に直接つながろうとする意志が醸成された。
 蹶起した青年将校の心情は、国民の心情でもあった。それが、冒頭の章において、筆者が「日本兵はなぜ、天皇陛下万歳と叫んで死を選んだのか」という問いの答えでもある。残念なことに天皇に直接つながりたいという民衆の純粋な意志は、維新の元勲がこの世を去ってしまった戦前昭和においては、大陸侵略から世界制覇という展望なき野望にとり憑かれた軍部革新官僚に利用され踏みにじられた。そして無謀な「一点突破全面展開」的な対米戦争決断へと日本(国民)を追い込んでいった。
 さてそのとき(昭和)天皇は、いったいどんなことを考えていたのだろうか。開戦に前向きだったという説と、立憲君主として、臣下が決めたことを覆すことはできない、と発言したという説がある。そのどちらにしても、明治憲法というのは、天皇と政治家・官僚・軍部の関係を曖昧に規定していたということの証左である。天皇を憲法に規定することの難しさ、危険性を後世に伝えるよき事例と受け止めたい。(了)

・参照文献
『天皇の肖像』(多木浩二著)岩波新書
『王の二つの身体 中世政治神学研究』(E・H・カントーロヴィッチ著)ちくま学芸文庫
『1932年の大日本帝国 あるフランス人記者の記録』(アンドレ・ヴィオリス著)草思社

2022年7月21日木曜日

妻の誕生日

 千駄木のイタリアンの名店「NOBI」さんにて。











2022年7月8日金曜日

れいわ新選組の経済政策を検証する

れいわ新選組は積極財政  

 れいわ新選組(以下「れい新」と略記)の経済政策は積極財政(歳入における)だという。れい新の経済ブレーン・長谷川うい子(同党政策研究機関事務局長)によると、財源は国債発行だ。(『鮫島タイムズ  (https://www.youtube.com/watch?v=DEOoh3nPhq0)』)。長谷川によると、国債をどれくらい発行するかはバランスが重要だという以外、具体的な金額は示されていない。
 今般の参院選東京選挙区に立候補した、れい新党首・山本太郎は、街頭演説で具体的な金額を示している。

で、実際に私、26兆円の通貨発行だけじゃないです、やりたいのは。1年間の予算にプラスして、もう100兆円の通貨発行を行いたいんです。1年間の予算100兆円プラスもう100兆円の通貨発行。それくらいやっても問題ない。さっき言ったでしょ。2020年度には120兆円の通貨発行が行われたよ。それでも何もなかったって。当たり前ですよ。当然のことです。安定的に数年にわたってそれをやっていきながら、徹底的にこの国を底上げしていくってことを本気でやらなきゃ。中途半端にやっても、これ救われません。25年この国を衰退させたという政治の、政治が行ってきたこの国の破壊に対して、しっかりとそれをやり直さなきゃいけないってことなんですね。 

 れい新は年間予算プラス100兆円だというから、表1の2022年度一般会計当初予算107.6兆円(うち、公債金36.9兆円)に当てはめてみると、れい新の国家予算は歳入207.6兆円となり、公債金、すなわち借金が136.9兆円という規模及び構成になるようにみえるが、

表1

今般の参院選街頭演説において、れい新党首・山本太郎は「消費税廃止」を会場ごとに訴えている。つまり、表1の消費税分21.6兆円はなくなる。かりに、れい新が政権を担当して山本の言う通り当初予算を2022年度規模で組んだとすると、その歳入内訳は所得税20.4兆円、法人税13.3兆円、消費税0円、その他税収9.9兆円、その他収入5.4兆円、公債金合計136.9兆円(36.9兆円(実績)+100兆円(新規))となり、歳入総額は=185.9兆円になる。歳入総額に占める公債金割合は73.6%である。
 公債金136.9兆円は、コロナショックで過去最大を更新した2020年度新規国債発行額108.5兆の1.3倍に達する。れい新は、消費税を廃止すれば景気が良くなって所得税、法人税の収入が上がるから、公債費割合が大きくなることはない、というかもしれないが、予算としてはこのように組まざるを得ない。(※補正の国債発行の可能性は無視)

表2

表3(財務省資料)

 日本の国債発行推移を見てみよう。日本は積極財政をとらなかったのかといえば、そうではない。表3上のとおり、巨額の国債残高が積みあがっており、対GDP比は先進国中、群を抜いている(表3下)。日本は世界に先駆けて、積極財政を推進してきたのである。表2でもわかる通り、自公政権下の2020年度はなんと100兆円を突破しているのであって、長谷川がいう〝積極財政推進はれい新だけ″という主張は嘘である。
 しかも党首山本太郎が街頭演説で示した「プラス100兆円」という金額は、山本自身が認めているように、2020年度の自公政権における発行額とほぼ同額であって、日本においては実績がある。つまり、れい新がカネを刷って庶民に回せという主張は、国債をどこにどう使うかを問うているのであって、ことさら100兆円という数字を大げさに言うことではない。しかし、消費税分の歳入がなくなることを併せ考慮するならば、非常時の財政出動に匹敵する国債発行ではある。

円安による悪性インフレの進行

 今般、生活者を苦しめているのが悪性インフレである。参院選後には多数の生活必需品の値上げが控えているというから、生活は今後ますます苦しくなるだろう。悪性インフレの要因は複合的なものだろうが、一つは日本経済の停滞、衰退が顕現化し、これまで比較的安定した通貨として買われ保持されてきた日本円に対する信認が崩れ、円売りが加速していること。二つ目は、アメリカ、EU、西欧諸国がインフレ抑制のために利上げに踏み切ったことが挙げられている。そのため、金利の高いアメリカドル、ユーロが買われ、日本円が売られるからだという。ならば日本も利上げをすればいいと思うのだが、それができない。日本の自公政権はマイナス、ゼロ金利で金を借りやすくし、経済を活性化するつもりだったのだが、その目論見はいまのところ成果を上げていない。
 一方、世界の先進国は積極的財政出動と低金利政策の後遺症として、急激なインフレに悩まされているのだが、各国は所得も向上しているため、大きな社会不安には陥っていない。そこで、米国はじめEU、欧州各国は金利を上げた。この金利差が各国の円売り圧力を強め、日本円は暴落した。その結果、日本はいま、悪性インフレ、賃金伸び悩み、社会保険料等負担増、消費税率10%という生活者への重圧が重なり、一部の輸出企業の業績が上がるだけで、それ以外の企業、小売業、生活者の困窮が著しくなっている。 れい新はそのうちの消費税負担を除去し、その代わりに国債発行残高を増やすのだという。

国債残高の積み上がりにより金利を上げられない日本

 日本が円安基調に歯止めをかけ、悪性インフレを阻止するためには、金利を各国並みに上げて、円安を抑えるべきなのだが、金利を上げれば発行した国債の金利も上がるため、日銀に溜まった国債の返済額も天文学的数字に膨らむ。つまり出口なしの状態がいまの日本経済というわけだ。 積極的財政出動と異次元金融緩和は国債を媒介として、関連していることがわかる。そのことを無視して、冒頭のれい新(長谷川うい子)が主張する、〝世界標準の財政出動″という経済政策は、一周遅れのトップランナーのように筆者にはみえる。カネを刷ってゼロ金利で市中に放出すれば、その反動が起きておかしくない。つまり、大型財政出動と低金利策は非常時(コロナ禍、戦時など)に出動すべきいわば禁じ手だ。禁じ手を常態化するという経済政策は筆者には異常にうつる。 

日本政府の誤算

 2022年1月 の内閣府による財政収支試算(「中長期の経済財政に関する試算」)によれば、「成長実現ケース」では、消費者物価上昇率が2025年度以降、2%程度で推移し、名目長期金利は27年度に1.0%となり、29年度には2.2%になるとされている。つまり、日銀の物価目標が達成されれば、長期金利は2%を超えると、政府の公式の見通しで認められているわけだ。だから、日銀としては、もはや物価高に陥った事態に対応せざるを得ない局面に来ている。このことは、大規模緩和政策からの出口問題として、これまでも市場関係者やエコノミスト、学者の間では議論されてきた。ところがどうだろうか、日銀は出口問題は時期尚早として、取り上げようとしない。日銀としては、もっとゆっくりした出口戦略を取る予定だったのだろう。この半年程度の間に起こったアメリカの急激な利上げは、想定外のものだったのだろうか。米国との金利差拡大で引き起こされた急激な円安に対処するために、金利を引き上げる必要が急に起きてしまったのだ。 

れい新は日本政府と同じ運命をたどるのか

 円安に対応しようとしても、動きようがない状態に陥ってしまっているのが日本政府の実情だ。円安が望ましくないことを重々承知しながら、それへの対処ができない。景気への配慮というより、自分自身の問題があるので低金利から脱却できない。したがって日本国民は、円安による通貨価値の低下と、それによる物価高騰という事態に耐えなければならない。
 では、れい新の経済政策はどうなのか。

  • れい新がこの先、積極財政が世界の傾向だとして、それをとり続けることを主張するのは正しいのだろうか。
  • 消費税廃止、国債発行増というれい新のシナリオは、国債残高をますます積み上げ、低金利政策から脱したくても脱せないジレンマを継続するか、加速するかのように思える。
  • れい新の経済政策は、これまでの日本経済(政策)の手詰まり状態による悪性インフレを克服する手段を持ち合わせているのだろうか。
  • 消費税廃止と大型財政出動による庶民救済という幻想を振りまくだけならば、それはアジ演説にすぎないのではないだろうか。
                                        (了)

2022年7月1日金曜日

選挙とマーケティング

 「AIDMAの法則」 

 白井聡が選挙について、堀内勇作の研究である「コンジョイント分析」(マーケティング理論)を援用して自民党の常勝について書いていたので、筆者も選挙とマーケティングにふれてみようと思う。
 両者の関係に係るマーケティング理論の古典として、「AIDMAの法則」が挙げられよう。ご存じの方が多いと思うが説明する。同法則は、ヒトがモノを購入する段階を規定したもの。そのことを順に示すと、Attention→Interesting→Desir→Memory→Actionとなり、その頭文字をとって「AIDMAの法則」と名付けられた。日本語ではA=知名、I=理解、D=確信、M=記憶、A=行為と訳されることが一般的だ。
 消費者が商品を購入するとき、その商品の名前を知っていること、良さなどについて理解していること、購入を確信すること、記憶していること――が購入行動に結びつくということになる。マーケッターは、これら各段階において有効な手段(メディア選択)の実施をクライアント(メーカーなど)に促す。知名に有効なのはいうまでもなくマス広告(テレビ、ラジオ、全国紙、雑誌など)であり、理解・確信・記憶においてはカタログ、リーフレット、活字メディアにおける編集タイアップ広告、テレビならばインフォマーシャルがある。行為の段階では、売場におけるPOP、ディスプレイなどが有効とされる。モノを売るには、これらを総合的に実施すること、すなわち、メディアミックスの立案が、販売にもっとも効果を発揮する。高額なテレビ広告(知名)だけやっても、販売に結びつかないことのほうが多い。
 ところが、20世紀まではそのとおりだったのだが、今般、インターネットの普及とネット通販の活況により、メディアミックスに変化が起きた。AIDMAがディバイスの画面で完結してしまうこともあり、売る側の広告料負担の節約につながりつつある。ネットでの購買行動のプロセスモデルにおいてAIDMAに対比されるのが、日本の広告代理店(電通等)によりAISAS(エーサス、アイサス)が提唱された。Attention、Interest、Search(検索)、Action(行為)、Share(共有、商品評価をネット上で共有しあう)であるが、いずれにしても、広告代理店は、広告収入の減少に悩まされている。 

選挙と「AIDMAの法則」 

 選挙の場合、その活動(運動)については公職選挙法による規制がある。候補者個人がマスメディア(テレビ等)を利用して選挙広告を行うことは制限されている(政見放送のみ)。そのため知名(A)については、宣伝カーによる候補者の名前の連呼、人が集まるところにおける街頭演説等、イベント、電話作戦等に注力せざるを得ない。そのため、政党が候補者選定に有効だろうと考えだしたのが、芸能人、スポーツ選手といった知名度の高い人物を候補者に立てる方式である。海外事例としては、米国共和党から大統領選に出馬し当選したドナルド・レーガンは、ハリウッドの映画俳優であった。同じくアーノルド・シュワルツェネッガーはカルフォルニア州知事になった。ウクライナ大統領のゼレンスキーの前職はコメディアンだという。もちろん、彼らが有名人だから当選したとは言い切れない。筆者が思いつく海外事例はこれくらいだが、日本の政界において、前職が芸能人、スポーツ選手の国会議員がどれくらいるのか、見当もつかないくらい多数に上る。
 だがしかし、知名度があれば当選するというものでもない。なによりもメディアミックスが重要なのであって、知名度が高いから必ずしも購買にむすびつくわけではないのと同じことである。理解・確信・記憶がなければ当選は難しい。ところが、冒頭の堀内の「コンジョイント分析」によると、有権者は投票のさい、候補者の政策を考慮に入れないという。 つまり、I(理解)、D(確信)、M(記憶)に対応する政策訴求は、日本の有権者には無視されているのである。

3:2:5の法則(日本の国政選挙の実態) 

 ここで、日本の国政選挙の実態をあらためて確認しておこう。直近の第49回(2021.10.31投票日)総選挙の場合、投票率43.01%、465議席中、与党である自民(261)・公明(32)・維新(41)・国民(11)の合計議席数は345。一方の野党である立民(96)、共産(10)、れ新(3)、社民(1)で合計110にとどまった。与野党の議席数比率はおよそ3:1である。
 得票数をみる。まず、この国の有権者数は1億562万2,758人。投票率は55.93%であった。政党別にみると、
〔与党〕
 自民(小選挙区=2,762万6,157票/48.08%、比例=1,991万4,883票/34.66%)、公明(小選挙区=87万2,931票/1.52%、比例=711万4,282票/12.38%)、維新(小選挙区=480万2,793票/8.36%、比例=805万830票/14.01%)、国民(小選挙区=124万6,812票/2.17%、比例=259万3,375票/4.51%)。
〔野党〕
 立民(小選挙区=1,721万5,621票/29.96%、比例=1,149万2,115票/20.00%)、共産(小選挙区=263万9,708票/4.59%、比例=416万6076票/7.25%)、れ新(小選挙区=24万8,280票/0.43%、比例=221万5,648票/3.86%)、社民(小選挙区=31万3,193票/0.55%、比例=101万8,588票/1.77%)となっている。
 政党別の獲得投票数をみると、小選挙区では、自民が26%、公明が0.8%、維新が4.5%、国民が1.1%であるから、与党合計32.4%となる。一方の野党合計は、立民は16.3%、共産は2.5%、れ新は0.2%、社民は0.3%であるから、19.3%となる。すなわち、与党32.4%、野党19.3%、棄権・その他が48.3%となる。
 比例はどうだったのか。自民は18.8%、公明は6.7%、維新は7.6%、国民は2.4%であるから与党合計は35.5%となり、一方の野党は、立民が10.9%、共産が3.9%、れい新が2.1%、社民が0.9%であるから、17.8%となる。すなわち、与党32.4%、野党19.3%、その他及び棄権が48.3%となる。
 簡単な集計だが、巷間いわれている与党、野党、棄権の割合=3:2:5という定率はまちがっていない。この定率に慣れてしまうと大変だから指摘しておくと、マーケティングの世界、すなわち商品を売る市場競争において、ターゲットの7割がその商品を買わない(選挙の場合は野党に投票する・棄権する)とするならば、そのメーカーは倒産しておかしくない。だが国政選挙では3割獲得で国政を担当できるのである。これが日本の国政選挙における最大の問題点である。 

ブランドロイヤリティ

 選挙結果を左右するのが政策でなく、知名度は重要だが決定的ではない。ということは、組織票が選挙結果を左右する最重要の要因となる。その組織票は積極的な支持層の選挙権行使であるが、浮動票の存在がないわけではない。有権者の半数を占める棄権層だが、なにかのきっかけで投票場に足を運ぶこともある。前出のとおり、浮動票を獲得するために有効性があると思われたマニフェスト(政策)は、日本では無視に近いことが判明した。政策に無頓着な有権者がどの政党を選ぶかの決定的要素として、マーケティングにおけるブランドロイヤリティを考慮する必要があるかもしれない。選挙と政党ブランドロイヤリティの関係を分析した研究があるのかどうかわからないので、ここから先は推測の域を出ないのだが。
 ブランドロイヤリティでは、ファン心理(疑似恋愛感情)が代表的である。海外高級ブランド信仰(それを身に着けることによって他者に対して差別意識が生じたり、自己承認欲求が満たされる)、権力者に対する奴隷的隷属意識、帰属意識・・・それらが混然一体となって、現政権支持に傾くことがあり得るかもしれない。政権与党はTV露出度が高い。海外の政治家とどうどうと相渉っている。日本人の外国人コンプレックスの裏返しとして、現政権支持に傾くかもしれない。在任中、日本を壊したと評される元首相が高い支持を集めていたことは記憶に新しい。政権与党を批判する野党は「似非インテリ」だという反知性主義の横溢も今日の傾向である。 

与党常勝の決定的要因 

 野党が選挙で手抜きをしているようにはみえない。候補者の知名度、政策(マニフェスト)、選挙期間中の選挙戦術など見直すところがないわけではないのだろうが、与党と大差はないようにみえる。ブランド(政党)ロイヤリティにおいては明らかに不利だが、政権与党の失政もめだつ。そんななか、それでも、今回参院選の選挙予想は与党圧勝という。なにが勝敗を分けているのかといえば、組織の「あるなし」に行き着いてしまうように筆者には思える。有権者1億562万余りの30%を固める組織があるかないかーー国政選挙の勝敗はそこに係っているとしか考えようがない。与党常勝の主因は、野党が積極的支持層(組織)を固めていないからという結論に達する。選挙になってから、死に物狂いで頑張っても当選は約束されない。ましてや、有権者が阿保だ、愚民だと非難しても、票は集まらない。(了) 

2022年6月26日日曜日

日本昔ばなし 第一話「饅頭をたべる」、第二話「フラクション」

 

 
(第一話)饅頭をたべる

 これからする話は、この国の20世紀後半、西日本の小さな自治体のできごとだ。業界紙で働いていた筆者が、地域振興活動家を自称するとある人物から聞いたもの。そのころ日本各地では公共事業にまつわる談合が問題になっていた。入札予定価格が建設業者に漏れていたり、それぞれの業者が輪番で受注できるよう入札価格が調整されていたり、特定の業者が受注できるよう「天の声」が役所と業者にくだったりと、かなり脱法的行為が自治体と業者のあいだで横行していた。なぜそのような談合構造が構築されたのか、公共事業に縁の遠い多くの都会人には理解できなかった。もちろん、筆者も別世界のことだと思っていた。そんなわけで、この話は何年たっても忘れようがない。そういう世界があるのかと。いまはコンプライアンス順守やコンフィデンシャル・アグリーメントが当たり前の世の中になったので、まさか当時のようなことはあるまい、談合、情報漏洩などは絶滅したと思うので、日本昔ばなしとして聞いてほしい。

談合と饅頭

 過疎に悩む小さな自治体が地域活性化の方策に悩んでいた。当時、まちおこしイベントによる地域振興が流行していて、日本中の自治体職員はその企画に頭を悩ませていた。自治体職員、青年会議所有志、農協関係者・・・が終業後、だれかれとなく集まり、知恵を絞る毎日が続いた。そんなとき、深夜にも及ぶ会議室、諸々の事務費、休憩時間のお茶などを無料で提供してくれるのが、地元の有力な土建業者、建設業者だった。役所の職員も入るから、アルコールはご法度。会議のあいま、おやつに饅頭がきまってだされるのが常だった。
 熱心な会議が毎日が続く中、役所の職員と業者のあいだの壁は取り払われ、親密度が増して本音で話せる関係ができてくる。
 さて、深夜の有志の会議、企画は煮詰まっても、その壁となるのが予算である。立派なアイデアも予算不足のため頓挫してしまう。そんなとき、場所を提供してくれている業者が助け舟をだす。イベントにかかる予算の不足分は協賛(カネ)する、警備等の「ヒト」もだす、テント、客席づくりといった「モノ」までも業者が無料で提供してくれる。みなで苦労して出したアイデアが現実のものとなりそうだ。イベントが開催されれば絶対に話題を呼ぶ、新聞、テレビも取材にくる・・・
 そんなころをみはからって、業者が役所の職員にささやく、〝あの工事だけどさ″・・・と。役人は断れない。みなで煮詰めたイベントが実現間近なのだから。こうして役人どうし、業者との癒着を確認する隠語として、「キミ、饅頭たべた」が定着する。そう、いつも出されるあの饅頭である。「饅頭食べた」と答えれば、贈収賄関係が成立したことを意味する。「食べた」のが自分一人でないことを知って安心するのである。「饅頭」を食べてしまった役人は善意からである。イベントの成功、まちの活性化、明るい未来を夢想したのである。饅頭を出した業者だって、イベント開催に尽力したのである。それくらいの見返りがあっていい。 

毒饅頭

 「饅頭」はもちろん政界にも隠語として通用するようになるのだが、さすが政界においては「毒饅頭」と過激度を増した表現に変容した。自民党の有力議員が「毒饅頭」と発言して、当時話題をさらったものだ。賄賂を贈るほうは、政治家に対し、自分に有利になるよう関係者に便宜を図るよう尽力してもらうことを期待する。また、地位を保証してもらったりもする。また、賄賂(カネ)を渡さなくとも、裏から政治家を応援したり協力をすることもある。その関係の成立を、「毒饅頭」と表現したわけだ。まさに「饅頭怖い」というオチがついた。 

地域社会の小さな富の奪い合い

 地方自治体(行政)は住民ときわめて密接な関係にある。彼らが住まうまち(共同体)には生活者どうしの利害の対立があり、調整を要することがあり、権益の独占、すなわち、利権がつきものとなる。残念なことだけれど、それが政治・行政の意思決定の核となることもある。小さな共同体の中のささやかな富の奪い合いだ。奪い合う自由を放置すれば、強者(資産家、事業者等)が有利な立場にあるから、かれらが政治家や役人を動かして富と権力を独占するか、強者同士で分けあってしまう。そして、下層の公務員、労働者、無産者は富の恩恵にあずかれない。そればかりではない。小さな富の奪い合いの過程においては、権力者側が見えない罠を張り巡らす。この国の有権者は、前出の昔ばなしのように、権力側と見えない糸でつながっている。糸の先には生活の保障があり、それと引き換えに投票箱に結ばれている。自分の職、いい仕事、出世、もちろん収入(生活)が権力側と投票という糸でつながっている。糸でつながっていない生活者は、政治に無関心であり、かれらの関心事は日常のささやかな充実である。その占める割合は、この国の有権者のほぼ5割を占めていて、大都会にいけばいくほど、その比率は高くなる。

(第二話)フラクション 

1950年代末、谷川雁らが組織したサークル村

 政治や行政が投票と結びついていると感じにくい大都会の無党派層を利益誘導なしで組織化することはできないのだろうか。これからする話も、すでに昔ばなしの感が拭えないけれど、有効かもしれないので参考にしてもらえればいい。

組織づくりの基本

 組織づくりの伝統的手法として思い浮かぶのが、フラクションである。フラクションとは小さな断片という意味で、政党が有権者を利益誘導ではなく、市民の関心事に焦点を当て、数人単位の勉強会などを開催して集まってもらことから始まる。資金力のない政治組織が組織づくりを行うときの「はじめの一歩」と考えていい。小さな政党が政治活動を始める時、フラクションの結成のない組織づくりはあり得なかった。
 参院選たけなわのいま(2022.6.26)、棄権しないでください、投票しましょう、という呼びかけが大きくなるが、これほど無駄なものはない。いわんや、政治家がこの期に及んで、声を大にして自分、自党への投票呼び掛けに精を出しているのが哀れでならない。ほかにやることがないから仕方がないのだけれど、賢明な姿には見えない。
 いやしくも政治家を志し、政党という看板を世に掲げたならば、党員、シンパ、賛同者を自力で増やすしかないのである。常日頃から、有権者に向けて政策を訴え、権力側を批判し、それにかわるビジョンを示さなければならない。選挙になってから、熱を上げても遅すぎる。
 有権者すべてを党員とそのシンパに組織化することは不可能。そんなことはわかりきっている。だからといって、常日頃なにもせず、投票間近になって有権者に接近したのでは遅すぎる。日ごろから、党の核となる者を育て、要所に配し、読書会、勉強会、討論会、研究会等を組織的に開催し、その輪を広げなければ、支持層の拡充はない。
 日本共産党は戦前から、職場、大学等でフラクション(支部組織)を育ててきた。その後、1960年代~1970年代、新左翼各派は左翼反対派として、経済学、哲学、社会学、国際政治論、地政学・・・あるいはまた、演劇、映画、文学、音楽・・をテーマとした、フラクションを開催してきた。遡れば、1950年代末には「サークル村」があった。かくして、それらが実を結び、1960年代後半には、左翼反対派は急成長をはたした。

NC(ナショナルセンター)だってまだ使える 

 各所に分散していたフラクションが育ち、そこから地域連絡会が張り巡らされ、市区町村から都道府県、そして全国に規模拡大する。
 終戦直後から1970年代までにわたって先人が育て上げてきたのが、職場ならば今日の日本労働組合総連合会 (連合)であり、学生ならば全日本学生自治会総連合(全学連)である。いわゆるナショナル・センター(NC)だ。いまどちらもかつての求心力を失い、政治的影響力を消失しつつあるが、それは受け継ぐべき者がしっかり受け継がず、成長させる努力を怠り、先人が築き上げた遺産を食いつぶしてしまったからだ。
 政党の看板を掲げた以上、組織づくりが必須となる。労働者、学生のNCは弱体化したとはいえ、なくなったわけではない。連合は立民と国民にとられているからあきらめるのか。左翼反対派として介入すべきである。介入の方法は、NC内に「細胞」を侵入させ、増殖させる手法である。「細胞」が増殖すれば、あたりまえだけれど、政治勢力として拡大、成長する。左翼反対派なら、そこに着手しなければ、政権交代など夢の夢である。選挙だけが戦いの場だと規定するのは誤りである。日常があり、選挙があり、選挙結果を受け反省し、日ごと成長するのが政党である。盆踊りの選挙パフォーマンスで、無関心派、無党派層を獲得しようなんて、あまりにムシが良すぎる。(了)  

2022年6月24日金曜日

完全、ノーノーは今季、なぜ続出するのか

 今シーズンのNPBは完全試合(パーフェクト)、無安打・無得点(ノーヒット・ノーラン)が両リーグを通じて多発している。シーズン半ばにして、完全の佐々木(ロッテ)を筆頭に、記録に残らな準完全が大野(中日)の二人。ノーノーは山本(オリックス)、今永(DeNA)、東浜(ソフトバンク)と3人である。打高投低といわれる野球界の昨今の傾向からすると、信じがたい感がある。

当然、その理由をたずねなければなるまい。しかるに、筆者においては、野球解説者諸氏の見解を管見の限り聞く範囲において、明快な回答を得るに至っていない。そこで筆者の見解を披歴する次第である。

その答えは単純にして明快、主審の縦ゾーンのストライク判定が低めに広くなったからである。ルールでは、打者がヒッティングに入った状態において、縦方向の上限:肩の上部とユニフォームの ズボンの上部との中間点に引いた水平のライン、縦方向の下限:膝頭の下部のライン、と定められている。(下図参照)

今シーズン、主審はこの規定通りにストライク判定をしている。以前はどうだったのかというと、縦ゾーンの低めに辛く、投手に不利な状況が続いていた。MLBはその低めがさらに甘く、打者がフライボール革命を起こし、低めを克服しようと努力している。NPBでは永らく、ダウンスイングがよしとされ、高めを叩く打法が推奨されてきた。投手側はそれに対してチェンジアップ、スプリット、ナックルカーブ等、縦の変化に生き残り策を見出し、縦方向におけるストライクゾーンぎりぎりからさらに低めに変化する球種を多投するようになった。今シーズンは更に、縦方向の低めが広くなったため、投手有利へと変異したことになる。しかし、MLBでも同じようなものだけれど、NPBの場合は主審の個性にバラツキがあること。だから、主審次第で、1試合に10本近くのホームランが飛び出すような打撃戦もある。

筆者の見解としては、ルール通りにストライク判定することがあたりまえであって、観客に忖度する必要はない。今季、審判団が規定順守に切り替えたことは英断である。コミッショナー、メディア、ファンも審判団の英断を支持し、へんな圧力を加えないことを望む。たとえば、投壊にあえぐ読売あたりから、打者有利のストライクゾーンに戻せというような圧力がかからないとも限らない。投手はさらに低めのストライクをうまく使える投球に磨きをかけるように、打者は打者で、低めに広くなったストライクゾーンを克服するための技術向上に、それぞれ、はげんでもらいたいものである。(了)

2022年6月22日水曜日

杉並区長選を鳥瞰する(地域と政治)

 東京・杉並区長選は、野党共闘(立民、共産、れいわ、社民等)が成立して、盛り上がりを見せた。結果は野党統一候補の岸本聡子が、四選を目指した田中良 (現職・無所属)を僅差で破り初当選を果たした。負けた田中は無所属だが、実態上は自民・公明等の国政与党の支援を受けていた。
 筆者は杉並区民ではないし、同区の情況を把握していないが、拙Blog前投稿で示したとおり、高円寺の再開発事業計画に関心をもっていた。この選挙結果がその行方を左右するといわれているところから、再開発計画の凍結・見直しを表明していた岸本の勝利に安堵している。少なくとも、以降4年間は再開発が進まないだろう。 

(一)岸本の勝因は投票率アップ

 岸本の勝因は、新聞報道(東京新聞/2022/6/22朝刊/ フリーライター・畠山理仁の話) によると、投票率アップだという。東京の区長選の投票率はおおむね低率で、杉並の場合も、前々回(2014年)が28.79%、前回(2018年)が32.02%、今回が37.52%であるから、低いレベルにある。それでも今回選挙で、過去2回を5~10ポイント上回ったことに注目していい。
 筆者には、投票率がなぜ上がったのかわからないし、その票がどのように流れたかもわからない。よって、以降は推論になるのだが、岸本当選の要因として、①女性候補、②野党共闘ネットワークの精力的な選挙活動、③岸本が再開発計画みなおし、凍結を表明したこと――を挙げる。①については、岸本が女性であること以上に、候補者として「タマがよかった」ことだろう。②については、当然のことながら票が拡散しないのだから勝因となる。その伏線は、昨年衆院選東京8区(杉並区)において、自民党元幹事長・石原伸晃を立民の吉田晴美が破ったことである。この勝利は、同ネットワークの運動の成果であり、その流れが今回選挙にも持ち越された。さて、筆者としては、③が投票率のアップにつながり、その票が岸本に流れたと信じたい。そう確言するためには、投票行動の調査分析が必要だが、たとえば、松本哉の「再開発反対デモ」などが効いた可能性もあり得る。 

(二)国政選挙につながるか 

 岸本の勝利は、野党共闘にとって「大きな勝利」なのか、それとも「ささやかな二勝目」なのか――岸本新区長 の考え方は、れいわ新選組の政治信条に近いという。新自由主義が進める公共の叩き売りを象徴する水道民営化の弊害をいちはやく指摘し、利権政治を否定し、ひとにやさしい政治を目指すという主張はその範疇にある。
 しかしながら、岸本はれいわが探し出して担いだ候補者ではない。岸本が区長選に出馬するにあたっては、2022年1月、児童館統廃合やJR駅周辺の道路拡幅事業などの田中良杉並区長(当時)の区政運営に批判的な区民らが、市民団体「住民思いの杉並区長をつくる会」を結成。同年4月10日、同団体は任期満了に伴う杉並区長選挙に岸本を擁立することを決定し、岸本は同月に杉並区に移り住んだという(『東京新聞web』2022年4月26日) 。岸本を発見し、彼女を区長選に引きずり込んだのは、既成国政政党である立民、共産、れいわではなく、市民団体だった。 
 岸本の政治信条と近いというれいわ新選組の政治活動、選挙運動は、野党共闘ネットワークとは同質なのだろうか、両者はおなじような政治体なのだろうか――筆者はこう考える。 同ネットワークは、杉並という地域で地道に活動を継続してきた市民団体であり、選挙になると、市民生活に脅威を与えるような候補者に批判的立場にある候補者を応援し、前出の石原伸晃落選という成功事例をつくりだした。今回の杉並区長選では、その組織力とネットワークが駆動し、既成国政政党がそれにのっかり、新区長誕生に行き着いたと。  

(三)杉並における革新の伝統

 れいわ新選組の選挙運動は、党首・山本太郎を前面に出し、インターネット(SNS、YouTube、Blog等)及び街頭演説を駆使したスタイルが目立つ。資金不足という面があるのかもしれないが、れいわの選挙は空中戦である。一方、東京8区における前回衆院選及び今回杉並区長選で勝利した杉並区野党共闘ネットワークの選挙運動は、杉並というかつての革新の牙城を根拠地とした陣地戦である。両者の政治体は、筆者には異質に見える。
 両者のちがいは、戦後の住民運動を経験してきた杉並の実績に起因する。杉並には革新の伝統があり、れいわにはそれがない。革新における、老舗(杉並)と新規参入者(れいわ新選組)のちがいである。
 杉並は日本における原水爆禁止運動発祥の地である。このことは同区の革新の伝統をもっともよく表す。1954年3月、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験に反対する署名運動が杉並で始まった。同年5月、「水爆禁止署名運動杉並協議会」が結成され、組織的な運動へと発展する。そして8月には「原水爆禁止署名運動全国協議会」が結成され、運動は全国へ波及する。1955年には、原水爆禁止日本協議会(略称/原水協) が結成される。杉並区郷土博物館には、同運動に関する常設展示場がある。また、高度成長期にあった昭和40年代、公害や環境汚染が問題になっていたころ、杉並清掃工場の建設をめぐり、建設を推進する東京都に対し、同区高井戸地域の住民が反対運動を展開している。この紛争は当時、「東京ごみ戦争」といわれた(すぎなみ学倶楽部/ https://www.suginamigaku.org ) 。杉並にはかつて、東京都と「戦争」をした歴史がある。

(四)れいわ新選組の政治目標と選挙 

 れいわ新選組の現時点における政治目標は、野党第一党を目指すことだという(『鮫島タイムズ』鮫島浩/you Tube)。それには、立民、共産を後退させて、自らが自民・公明・国民・維新と単独で闘える情況を創出することだという。党首であり同党のアイコンである山本太郎が今回参院選・東京選挙区に立候補したことは、そのことを象徴すると。  
 鮫島の指摘が正しいとするならば、杉並区長選における岸本の勝利は、れいわ新選組の政治目標の達成ではなかろう。れいわは、野党共闘に積極的ではないはずだから。繰り返すが、杉並区長選の勝利は、杉並に根づいた革新ネットワークのそれであり、革新的土壌が根づいた杉並において、両者が融合し、無党派層を岸本に引き寄せた。換言すれば、れいわ新選組を含めた既成政党(立民・共産・社民)には、無党派層を自陣に引き寄せる力量がないということである。 

(五)与党の選挙の闘いかた 

 杉並で2連敗を屈した自・公・維新・国民だが、彼らの選挙戦のスタイルを大雑把におさえておこう。自民は、傘下の県連、地方議員を動員して業界団体、各議員後援会、町内会、宗教団体、日本会議・・・といった組織をフル活用して集票する。参院選比例ならば、広域にはられた業界団体、宗教団体の組織票は強力だ。さらに、与党というメリット(税制改正、各種優遇措置、特定事業指定等々)を「政策」という名目で法制化して、大ぴらに利益誘導することができる。マスメディアの不作為の応援もある。公明の強みは創価学会票だ。さらに、維新の大阪圏地域票、国民には連合右派の応援がある。与党が手ごわいのは、選挙に勝つための装置を長年にわたってつくり上げてきたところにある。戦後、日本の選挙民は与党に投票することが生活の安定に直結するという確信を抱いてきた。しかし、近年、その確信はおおいに揺らいでいるはずなのだが、野党側にはそれを組織化することができていない。

(六)野党の現況における組織実体

 れいわ新選組は歴史が浅い。地域にも広域にも根が張られてはいないのだから、いまのところ「山本太郎」頼みなのは仕方がない。しかし、立民は政党としての歴史を重ねている。にもかかわらず、縮小傾向に歯止めがかからない連合左派頼りである。共産もしかり。これまた先細りの党員と彼らが売りさばいた機関紙『赤旗』の読者頼みという状態である。野党が選挙に勝てないのは、陣地戦を戦うための根拠地(地域組織)の構築に失敗したからであり、それに取り組もうとしなかったからである。れいわを除く野党は、党幹部が選挙に勝てればいい(議員になること)、という認識のまま、できあがった組織に安住してきたのである。いわゆる、気楽な「野党業」だ。
 れいわ新選組には、立民、共産の「野党業」でいい、という姿勢を感じない。そこに魅力がある。しかし私見にすぎないのだけれど、れいわが陣地戦を戦う力量を蓄えるには、すなわち、地域に根差した組織づくりが実を結ぶには、21世紀の中葉に至るくらいの時間を要するようにも思える。
 〝ローマも選挙も、一日してならず”というわけ。(了)

2022年6月14日火曜日

東京・杉並区高円寺再開発計画

 杉並区長選。東京の東半分で右往左往している筆者には遠いところ。同区について承知しているのは、Facebookの「友達」であるYoshikiyoの投稿に限られている。Yoshikiyoは高円寺で音楽スタジオを経営する傍ら、「きれいなところをきれいにする」というボランティア活動に精を出したり、高円寺活性化のための音楽イベント開催やまち歩きマップづくりなどに自主的に取り組んでいる、若き地域振興リーダーの一人である。 

Yosihikiyoは区長選公示前から、自分の生活拠点である高円寺再開発計画に関心を示し、彼の基本姿勢として、再開発計画の凍結、見直しを公表していた。ところが、ここのところ、区長選及び再開発計画に係る投稿を封印したかのように沈黙を貫いている。その理由は不明である。 

まちづくり(再開発等)とは「政治」そのもの

一般論であるが、再開発等によるまちづくりとは行政の一環だと考えがちだが、実は政治の原点というか、「政治」そのものといっていい。今般、都内各所で立ち上ろうとしている再開発計画といえば、土地利用制度の規制緩和に基づく、道路拡幅、建物の高層化・不燃化の実現である。東京東半分では、立石(葛飾区)の再開発が、また、都心では神宮の森再開発が議論になっている。もちろん愚生は、その両方ともに反対する。

さて、拙Blogのテーマである区長選をひかえた高円寺を筆者が訪れたのは、四半世紀を超えた大昔のこと、密集した飲み屋街にある沖縄料理店で飲んだのが最後だから、現況を把握していないので誤った認識かもしれないけれど、活気のある下町という印象であった。そんな高円寺に、何十年前かに策定された道路拡幅計画をタネにした再開発計画が復活したのだ。 

前出のまちづくり(再開発事業等)が「政治」そのものという根拠は、それが住民の利害の衝突を調整する必要があるからだ。行政は計画推進に係る事務の専任者であって、計画の実施は政治の判断にゆだねられる。

計画内の住民してみれば、再開発後、地権者である自分の不動産(資産)価格が上昇することが見込まれる。そればかりではなく、再開発事業の場合、再開発事業組合員には、地権者としてタネ地を所有するデベロッパーが入るケースが多く、デベロッパーが分譲する高層マンション等に地権者として自動的に入居できる。商売をやっていれば、地上階に新しい店が開店できるばかりか、等価交換で上階に居室をもらえる可能性も高い。計画地区外の住民でも、近接していれば不動産価格は上昇するから、資産価値は膨らむ。そんなわけで、計画にもろ手を挙げて賛成する住民は少なくない。

その一方、再開発事業地区に係らない住民にとっては、それまで培ってきたまちの付加価値が損なわれてしまうという立場で反対にまわることも多い。美しい景観を阻害するという反対理由も多い。高円寺の場合、ここはいわゆる昭和の「中央線文化」のど真ん中。ふるきよき高円寺を守りたい、という主張も台頭しているらしい。彼らにしてみれば、「古本屋」「ジャズ喫茶」「人情酒場」はまちの「三種の神器」である。

再開発事業と防災

 再開発推進派の「最終兵器」は「防災」である。路地にそって無秩序に建てこんだ木密住宅群、商店街、飲食街は地震、火災のとき大惨事を引き起こす可能性が高い。安全、命を守るまちづくりのために再開発は必要だと主張されると、反論がむずかしい。防災と伝統的建築物保護の両立を図る制度がないわけではない。伝統的建造物群保存地区(略称「伝建(デンケン)」である。デンケンは、文化財保護法第143条第1項または第2項の規定により、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値が高いもの、およびこれと一体をなしてその価値を形成している環境を保存するため、市町村が地域地区として都市計画もしくは条例で定めることができる。しかしながら、「デンケン」が適用されるのは、たとえば京都なら、産寧坂、祇園新橋あたりで、デンケンがかぶせられるためのハードルは相当高い。同じ京都でも、ふつうの町屋(まちや)の保存には適用された実績がない。いわんや高円寺の繁華街、商店街、住宅群には係らない。

つまり、高円寺のまちづくりの方向性は、政治(区議会選挙、区長選挙等)により、意思決定されることが、当然のことながら求められる。投票は、まちづくりに関する重要な住民の意思の反映の機会である。

杉並区長選と高円寺再開発 

高円寺再開発の実施云々が、杉並区長選の争点の一つになっているかどうか、報道をよむかぎり、筆者にはわからない。ただ、あの「素人の乱」『世界マヌケ反乱の手引き』で柄谷行人が支持を表明した、高円寺在住の松本哉のBlogには、次のように書かれている。

 みなさん、一大事、一大事。驚天動地のニュースが舞い込んで来た。なんと謎のカオス感が最大のウリの高円寺に再開発計画があるということだ。あろうことか高円寺北口の主要商店街を潰して大通りを通してしまうという。う〜ん、ゴチャゴチャして意味不明の店が大量にある感じの高円寺の良さを全く理解していないような、こんなバカな計画があるだろうか! なに考えてんだか、まったく〜

とあり、松本はさっそく、再開発反対デモを組織・敢行したようだ。 続いて、松本は同Blogにおいて、高円寺の魅力を次のように書いている。

 さて、開発するしない以前に、行政の側は高円寺の良さを考えたことがあるんだろうか。高円寺好きの人たちが口を揃えていうのがやはり、この現代版昭和の世界のようなゴチャゴチャした、いい意味のカオス感。これがなくなったら高円寺でもなんでもない。今、日本中の駅前などで商店街が滅んで消えて行く中、いまだに高円寺一帯は商店街だらけ。しかも、一本や二本の商店街だけじゃなく無数の商店街があり、特に北口に至ってはほぼ商店街だけで街が成り立っている。そこがいい。地方から来る人たちなんかはみんな「いまだに商店街が賑わってるなんてすごすぎる!」と驚きまくっている。さらには、商店街だらけということは小規模店舗だらけということなので、無数の個人商店がある。すると中には、完全に謎の店や、どう考えても採算あってなさそうな店、高円寺から他の街に引っ越した瞬間に倒産しそうな店などなど、訳のわからない店が大量にある。そういう店はさすがにどんどん潰れたりもするけど、同時にどんどん新しく謎の店ができたりするところもすごい。そのおかげで、どんな人生送ってんだかわからないような謎の人物もウロウロしているのも高円寺の面白いところ。
 そして、訳のわからない若者がのさばってる街かというと、実はそうでもなく、最強の老人たちもやたら生き生きしてるところも高円寺の恐るべきところ。街中が商店街で個人商店だらけなので、人と人の距離感がやたら近いので、そんなオッサンやおばちゃん達もそんな謎の若い奴らと渡り合いながら妙に生き生きしている。
 

松本の言説を補足するものはなにもない。高円寺は、筆者が沖縄料理店で飲んだ四半世紀前と変わらない魅力をいまなお保っているようだ。再開発でのっぺりとした、どこにでもあるようなまちに変貌したら、高円寺をめざしていた周辺の消費者ばかりか、海外旅行者も寄り付くまい。住民にとっても、いっとき、資産価値が上がったとしてもそれは未実現利益(含み益)であり、固定資産税等が高くなるだけだ。再開発により魅力を失った高円寺は、まちの発展の契機を永遠に失う可能性がある。元に戻りたくても、戻れないのである。

積み残した、防災のまちづくりという課題にこたえる方策については、いますぐに思いつかないかもしれないが、無謀な再開発計画を凍結・見直しするにしくはない。防災・減災にはソフト面の施策が有効である、という研究を積み重ねる余地は残されているのだから。筆者は杉並区長選に投票することは不可能だけれど、高円寺再開発事業計画を凍結・見直しする候補者に勝ってほしいと、心から願っている。(了)

2022年5月31日火曜日

『新編 現代の君主』

 ●アントニオ・グラムシ〔著〕●上村忠男〔編訳〕●ちくま学芸文庫●1500円+税 

 本書は、イタリアのマルクス主義者、アントニオ・グラムシ(1891-1937)が、ムッソリーニ(ファシズム政権)により投獄されているあいだ、獄中にて書き残した「ノート」を集成したものである。
 グラムシが投獄されたのは1926年、ロシア革命から10年も経過していない。共産主義革命の勢いがヨーロッパを西進する中、革命後のソ連の動向、就中、レーニン亡き後におけるソ連の革命戦略定立をめぐる混迷を反映した言説も見受けられ、全編、緊張感にあふれている。〔後述〕
 本書に集成されたグラムシの記述の大部は、イタリア・マルクス主義研究の先駆者である、ラブリオーラ、クローチェ、ジェンティーレ及びフランスの革命的サンディカリスト、ソレルの言説を踏まえ、主に彼らに対する批判から持論を展開する構成になっている。そのため、彼らの思想を理解していないとわかりにくいのだが、本書の編訳者であり、巻末解説の執筆者である上村忠男の補足・訳注・解説が浅学の筆者には助けになった。それなくして本書の理解は不可能であった。
 なお、本題は〝現代の君主″であるが、 テーマは多岐にわたり、全編が君主論で貫通しているわけではない。よって、筆者が関心を示した部分に絞ってその感想とした。

人間とはなにか 

 Ⅰ章における「人間とはなにか」「構造と上部構造―その歴史的ブロック」「哲学・宗教・常識・政治」が本書のガイストである。その冒頭は文字通り、人間とはなにか、ではじまっている。グラムシの回答は以下の通り。

「人間の本性」とは「社会的諸関係の総体」であるというのが、かくては最も満足のできる答えである。なぜなら、この答えは、生成の観念、人間は生成する存在であって、社会的諸関係の変化に応じてたえず変化していくという観念をふくんでいるからであり、「人間一般」なるものを否定しているからである。じじつ、社会的諸関係は相手をたがいに前提しあっているさまざまな人間集団によって表現される。そして、その統一性は、弁証法的なものであって、形式的なものではない。(P21) 

 この回答はマルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』そのものである。そして、《まさしく歴史に「生成」という意味があたえられ、それが、統一性から出発することはしないが、それ自体のうちに可能な統一性の根拠をもっている「不一致の一致」というように把握されるならば、人間の本性は「歴史」である(そして、この意味において歴史イコール精神であるとすれば、人間の本性は精神である)ということもできる。だから「人間の本性」は個別的な人間のうちにはだれのうちにもみいだすことはできず、人間の歴史全体のうちにみいだすことができるのであって(したがって、「類」という語がもちいられることには、この語自体は自然主義的性格のものであるが、それなりの意味がある)》と続く。 

構造と上部構造 

 この単元を読む前に、マルクスの『経済学批判』の 序言(以下「序言」という)を頭に入れておくことが必要である。 

〔A〕人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
(略)
〔B〕社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が徐々にせよ、急激にせよ、くつがえる。
 このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常にくべつしなければならない。
(略)
〔C〕一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。 

(岩波文庫『マルクス経済学批判』/武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦〔訳〕。便宜上、抜き出し箇所を順にABCの符号を付した。) 

 マルクスのこの言説は、とりわけ20世紀における日本のマルクス主義運動において多くの論争を巻き起こしたし、革命的左翼各派における路線の違いを生じさせる主因ともなった。
 たとえば〔A〕については、上部構造は構造に規定されるのであるから、資本主義システムにおける文化・芸術は反革命的であり、その価値を一切認めないという、ブルジョア文化否定を党是とする党派を存在せしめた。同様に、プロレタリア革命(政治=上部構造)は経済=構造により規定されるという思い込みにより、経済決定論がうまれた。
 また〔B〕については、資本主義システムはいずれ矛盾をきたし、上部構造である政治、宗教、芸術、哲学は破綻するのだから、政治的変革はその危機におよんで画策することが正しい選択であるという、危機論型革命論をうんだ。
 〔C〕についても同様に、資本主義システムが終了する、つまり革命の時期は、物質的諸条件が現存しているか、それができはじめている場合にかぎって発生するということを根拠にして「待機論」をうんだ。
 グラムシはどのように「序言」を読んだのであろうか。グラムシはまずもって、《人間はイデオロギーの場において構造の諸矛盾を意識する》と解し、認識論的な意義をもつ主張だと、そして、《ヘゲモニーという理論的ー実践的原理は、認識論的意義をもつ》ものであるとした。ここでいうヘゲモニーとは、レーニンがロシア革命に際し、ロシア内における圧倒的少数派であるプロレタリアが、知識人、農民、小規模商工業者、兵士といった、それ以外の各層の者をプロレタリア側の主導のもとにおいた、ということを意味する。 

 イリイッチ(レーニン)は、政治の理論と実践を前進させたかぎりにおいて、(哲学としての)哲学をも(実際上)前進させたといってよい。ヘゲモニー装置の実現は、新しいイデオロギーの地盤をつくりだし、意識と認識方法の改革をひきおこすという意味では、ひとつの認識上のできごと、ひとつの哲学的なできごとである。(中略)新しい世界観に適合した新しい道徳を導入することに成功したとき、この世界観の導入も完了する。すなわち、ひとつの全面的な哲学的改革がもたらされるのである。(P28) 

 もうひとつは、構造と上部構造が〔歴史的ブロック〕を形成しているという考え方である。

 上部構造の複雑で不調和な(矛盾した)総体は生産の社会的諸関係の総体を反映している。ここからみちびきだされるのは、(個々のイデオロギーではなくて)ひとつの全体的なイデオロギー体系のみが構造の矛盾を合理的に反映しており、実践の反転〔※〕のための客観的諸条件がどのようなものであるかをあるがままに表現しているということである。イデオロギーの点で100パーセント等質的な社会集団〔※※〕が形成されたならば、このことは、この反転のための前提が100パーセント存在するということ、すなわち、「理性的なもの」が現に行為的に現実的なものであるということを意味している。この論証は、構造と上部構造とが必然的な相互関係(まさに現実的な弁証法的過程であるところの相互関係)にあるということに依拠している。(P29) 
※構造の反転については、編訳者である上村忠男が巻末解説で詳論している。それによると、《グラムシの関心が、上部構造が構造とのあいだに取り結んでいる関係が被規定的な反映の関係であるということよりむしろ、このことを踏まえたうえで、人間主体による実践的活動を介しての上部構造から構造への能動的な反作用の可能性のほうにむけられていることがうかがわれる。いわれるところの「実践の反転」ないしは「反転する実践」の可能性である。(P400~401)》
 ※※=社会階級のこと。検閲を考慮していいかえたもの(訳者注) 

現代の君主 

 本題の君主論である。ここでグラムシは、マキャヴェッリの『君主論』についてまさに論じているのであるが、そのことはさておき、現代の君主について、Ⅱ章〔現代の君主〕及びⅣ章〔「非政治的な」党形態について〕においてさらに扱い、それぞれ次のように定義している。 

 現代の君主、神話としての君主は、実在の人物、具体的な個人ではありえない。それはひとつの有機体でのみありうる。それはひとつの複合的な社会要素であって、それまで行動のうちにあらわれて部分ごとに自己を主張していた集合的意志がひとつのまとまった具体的な形姿をとりはじめたものなのである。この有機体は、歴史の発展によってすでにあたえられている。政党がそれである。政党というのは、普遍的かつ全体的なものとになろうとめざしている集合的意志のもろもろの萌芽がそこに要約されている最初の細胞なのだ。(P74)  

 ・・・『新君主論』の主役は、現代においては、個人的な英雄ではなくて、政党であることになろう。すなわち、そのときどきの条件に応じて、さまざまな国民のさまざまな国内関係のもとにあって、新しい型の国家を創建しようと意図している(そしてこの目的のために合理的かつ歴史的に創設された)特定の党であることになろう。全体主義であると自己規定している体制のもとでは、王室が伝統的にはたしてきた機能が、実際上、この特定の党によってひきうけられていることに注意すべきである。(中略)およそ党というものはすべて、ある社会集団、それもただひとつの社会集団の表現である。しかしながら、それらの特定の党が、一定の具体的な条件のもとにあって、あるひとつの社会集団を代表するのは、ほかでもない、それらが自己の集団と他の諸集団とのあいだいの均衡と調停の機能を遂行し、みずからの代表する集団の発展が同盟諸集団の同意と援助、さらには断固として敵対的な諸集団の同意と援助さえをもとりつけつつ推進されるよう努めるかぎりにおいてである。「君臨するが統治しない」国王または共和国大統領という立憲主義の定式は、この調停者の機能を表現した定式である。それは王冠または大統領を「あらわに」しないでおこうという立憲主義的諸党の配慮なのであって、統治行為については国家元首には責任がなく、内閣に責任があるということにかんするもろもろの定式は、直接に統治している人物やその党がなんであれ、国家は一体であり、非統治者の同意のうえに成立しているという一般的保護原理を具体化したものなのだ。 
 全体主義的な党とともに、これらの定式は意味をうしなう。ひいては、これらの定式にそって機能していた諸制度の力も減退する。しかし、機能自体はその党によって体現されているのであって、その党は「国家」という抽象的な観念を称揚しようとし、さまざまな方策を講じて、「不偏不党の力」という機能が依然として有効に作動いているかのごとき印象をあたえようとこころみるであろう。(P279~280)  

〔現代の君主=党〕とは何か 

 党とはなにかとグラムシは自問自答し、次のように回答する。 

 組織および党ということを形式的な意味ではなくて広い意味に理解する限り、どんな社会においても、だれ一人として組織されていない者はなく、また党をもたない者もいないということは、他の機会に記しておいた。この多数の特殊的な社会(=組織または党)は、自然的という性格と契約的または意志的という性格の、二重の性格をもっている。そして、これらのうちの一つないし複数のものが相対的または絶対的に優位を占め、あるひとつの社会集団の残りの全住民に対するヘゲモニー装置(または倫理的社会)を構成するのであり、これが狭く強制的な政治装置という意味に理解された国家の基礎をなすのである。(P281) 

 グラムシは党が国家であるという立場に立つ。この場合の党とはもちろん、共産党である。グラムシが目指す党とは、《全体主義政治であり、それは(一)ある特定の党の成員が以前には多数の組織のうちにみいだしていた満足のすべてをこの党だけにみいだすようにすること、すなわち、これらの成員の外部の文化的組織に結びつけているあらゆる糸を断ち切ること。(二)他の組織をすべて破壊すること、またはその党がそれの唯一の規制者であるひとつの体系の中にそれらを組み入れれること。P282 》。
  これらの言説は、プロレタリア独裁を換言したものであろう。グラムシの党に対する無限の信頼は、20世紀における失敗をふまえるならば、21世紀のこんにち、肯ぜられことはないと思う。

グラムシは全体主義者なのか 

 本書編訳者の上村忠男は、巻末解説において次のように書いている。 

 ・・・グラムシは・・・文字どおり、一個の全体主義的な社会の構想者でもあり続けたということである。そして、この面こそは、グラムシをして典型的に20世紀の思想家たらしめている面にほかならないのである。
 20世紀という時代は、社会思想的には、なによりも全体主義、あるいは「全体国家」のうちに、幸福な社会の実現の夢を託そうとしたことで特記される時代であった。(P414)

  20世紀前期に成立した全体主義の起源は、▽WW1(ナポレオンの出現という説もある)において欧州各国が必然的に構築せざるをえなかった総力戦体制の経験、▽そこから平時においても戦時体制に国家システムを改変する必要から発生したファシズム=専軍国家群(イタリア、ドイツ、日本)の誕生、▽ロシア革命によってうまれたソ連の誕生ーーであろう。そしてWW2以降、ファシズム国家群の消滅と同時に、▽ソ連の影響力が強まる中、冷戦下で発生した社会主義国家群、▽自由主義国家群が社会民主主義政策を積極的に取り入れて形成された福祉国家群ーーが、世界各国の全体主義化を加速させた。
 しかし、20世紀後半におけるソ連崩壊、東欧の民主化によって、21世紀に入るや、社会主義国家はおおむね消滅し、一方の自由主義圏は新自由主義の台頭により、福祉政策をおろし、弱者切り捨て国家に変容しつつある。現代を帝国主義の時代の再来だと断言する思想家もいる。そんななか、グラムシの思想を振り返る意義はあるのだろうか。現代の君主たる党(=共産党)の失敗をふまえ、全体主義に陥らない新しい社会主義の構築を模索するために乗り越えるべき思想家のひとりと考えるほかないのかもしれない。 

永続革命か一国社会主義か 

 ロシア革命の成功ののち、革命政権内部において、以降の革命路線についての模索があったことが知られている。ひとつはトロツキーの永続革命であり、もうひとつはスターリンの一国社会主義建設であった。結果において、スターリンがトロツキーを国外に追い出し(1929)、刺客を使って亡命先のメキシコでトロツキーを殺害(1940)したことで決着した。トロツキーは殺害されるまで、亡命先で第四インターナショナル結成に向けて奔走していた。一方のスターリンは革命に貢献したボルシェヴィキ幹部を大量粛清し、権力基盤を固めていた。こうしてみると、グラムシが獄中で本書にある「ノート」を書き続けていたとき、トロツキーは存命であるばかりか、革命政権の中枢に残っていた時代なのである。
 グラムシは、Ⅲ章「 情勢または力関係の分析について」のなかで、「政治の分野における機動戦(および正面攻撃) から陣地戦への移行」と題して、路線問題について詳述している。革命後の政治について、軍事用語である機動戦(正面攻撃)と陣地戦をもちだし、革命の永続化を前者に、そして一国社会主義建設を後者にたとえたのである。そのなかで、陣地戦から攻囲戦における勝利か敗北かが国の存立を決定するに等しい最終局面であることを強調している。つまり、史上初めて社会主義革命をなしとげたソ連の存続、すなわち、一国社会主義建設の成功か否かが、ロシア革命以降における世界プロレタリア革命の成否を決すると理解したのである。

 政治の分野においても機動戦(および正面攻撃)から陣地戦への移行が生じたこと。これは、戦後期が提起したもっとも重要な、そして正しく解決することの至難な政治理論の問題であるように思われる。これはプロスティン(トロツキー)がもちだした諸問題(永続革命)とむすびついている。トロツキーは、それが敗北の原因でしかない時期における正面攻撃の政治理論家であるとみなすことができるのだ。政治の分野におけるこの移行が軍事の分野において生じた移行と結びついているのは、ただ間接的であるにすぎない。陣地戦は無数の住民大衆に莫大な犠牲を要求する。だから、未曾有のヘゲモニーの集中、ひいては、反対者にたいしてより公然と攻撃姿勢をとり、内部解体の「不可能性」を永続的に組織するような、いっそう「干渉主義」的な統治形態になる。政治的、行政的、等々のあらゆる種類の統制、支配的集団のヘゲモニーの「陣地」の強化。こういったことのいっさいは歴史的ー政治的情勢の絶頂段階にはいったことを示唆している。というのも、政治においては「陣地戦」は、ひとたび敗北すれば決定的な意味をもってしまうからである。政治においては、決定的でない陣地の獲得が問題になっているあいだは、したがってヘゲモニーと国家のすべての資力を動員しなくてもすんでいるあいだは、運動戦がつづけられる。しかしまた、なんらかの理由でこれらの陣地が価値をうしない、決定的な陣地だけが重要性をもつようになったとき、そのときには攻囲戦に移る。それは圧縮された困難な戦争であって、忍耐と創意工夫の並々ならぬ資質が要求される。政治においては、攻囲戦は、その外観にもかかわらず、相互的である。そして、優勢なほうが自分の全資力をはきださなければならないという事実ひとつをとってみても、それが敵についてどれほどの計算をしているかが明らかになるのである。(P195~196) 

 実践の哲学(=マルクス主義)にしたがえば、それはその創始者が定式化しているところでもよいし、しかしまたとくにその最近の偉大な理論家が精密化しているところからすれば、国際情勢はその国民的〔=一国的〕な側面においてはどのように考察されるべきか、という点である。現実には「国民的〔一国的〕」という関係は、あるひとつの「独自」かつ(ある意味では)唯一の結合の結果生じているものなのであって、この結合は、もしもそれを支配し指導しようとおもうならば、そうした独自性と唯一性において受けとめられ、とらえられなければならないのである。たしかに、発展の方向は国際主義にむかっているものの、出発点は「国民的(=一国的)」である。そして動きだす必要があるのは、この出発点からである。しかし、展望は国際的である。また、そうでしかありえない。
(略)
  ・・・多数派(=ボリシェヴィキ)運動の解釈者としてのレオーネ・ダヴィドヴィッチ(=トロツキー)とベッサリオーネ(=スターリン)のあいだの根本的不一致はあるようにおもわれる。国民主義〔=一国主義〕という非難は、問題の核心にかんするかぎり、不適切である。1902年から1917年までの多数派(=ボリシェビキ)の努力を研究してみれば、その独自性が、国際主義からあいまいで(悪い意味での)純粋にイデオロギー的な要素をあらいおとし、それに現実主義的な政治的内容をあたえようとしたことにあることがわかる。(中略)国際的性格の階級であっても、狭く国民的〔=一国的〕な性格をおびている社会階層(知識人)や、それどころかしばしば国民的ですらなく、個別主義的で地域主義的な階層(農民)をも指導していくものであるかぎりで、ある意味ではみずから国民化〔=一国化〕しなければならないのである。(P210~211)  

 上村の訳注によると、トロツキーは、ロシアのような後進資本主義国家における革命は、プロレタリアートの主導によるブルジョア民主主義革命をもってはじまり、そのまま中断することなく、社会主義革命へと連続していかざるをえないこと、また、その革命は先進資本主義国のプロレタリアートによる社会主義革命へと連続的に発展し、その援助をうけることを必要としていること。 一方のスターリンは、レーニンの『帝国主義論』にある帝国主義の不均等発展から、社会主義革命の勝利も、それぞれの帝国主義国の段階ごとに個別に可能にされていく、すなわち、一国革命を目指すべきだと主張したとされる。
 グラムシは必ずしもトロツキーを支持しているわけではない。スターリンの一国主義が現実的であり、西欧における反革命の勢いは侮れないとしている。しかし、スターリンがボリシェヴィキ古参幹部を次々と粛清していた事実が、獄中にあったグラムシの耳に入らなかったことを理解しなければならない。グラムシの一国化とスターリンが自らの独裁をめざした「一国化」とは全く次元が異なるのである。
 引用にもあるように、《たしかに、発展の方向は国際主義にむかっているものの、出発点は「国民的(=一国的)」である。そして動きだす必要があるのは、この出発点からである。しかし、展望は国際的である。また、そうでしかありえない。》と、グラムとシは強調しているのであるから。(下線は筆者による) (了) 

 

2022年5月24日火曜日

東京国立博物館

 琉球展のついでに、東京国立博物館の全館をざ~と見学。

庭園がきれい。

表慶館


オリエント館

法隆寺宝物館

本館

庭園茶室

同上

庭園 池

特別展「琉球」

 沖縄本土復帰50周年記念「琉球」を見てきました。