2017年12月6日水曜日

日馬富士引退を残念がる倒錯した相撲ファン心理の根拠を探る

世の中を騒がせている日馬富士の暴行傷害事件。警察の書類送検も今週中とされ、起訴が濃厚だというのに、被害者よりも引退した加害者である日馬富士のほうに同情が集まる状況に変わりない。筆者には相撲ファンの心情がまったく理解できなかったのだが、彼らの心情の出どころについて、自分なりに見当がついたので、以下にまとめてみた。

逮捕されなければ「いいひと」

それはただただ、日馬富士が逮捕・拘留されなかったからではないかと。警察がむやみに人を逮捕拘留するのは危険であり、やってはいけないが、今回に限れば、日馬富士が逮捕されていれば、相撲ファン、日馬富士ファンの「引退残念」の勘違いはなかったはずと。

これまで、芸能人、スポーツ選手といった、いわゆる有名人の警察沙汰は珍しくなかった。だが、人々の記憶に残ったそれは薬物関連が大半であろう。薬物関連は証拠隠滅されやすいから、警察が被疑者を逮捕拘留することは当然の措置である。一方で今回のような暴行傷害事件では被疑者に逃亡の可能性がない限り、逮捕拘留しない。(だから今回、日馬富士を逮捕しなかった警察の措置は正しい。しかしながら筆者は敢えて、暴言を吐こうと思う。)


日馬富士が自由に街を闊歩している映像がテレビで放映されるその結果として、人々は日馬富士を被疑者と認識しない。その一方、薬物関連で逮捕拘留された酒井法子、清原和博、ASKAらについては、彼らが容疑者でありながら、すでに「犯罪者」だと認識する。ゆえに彼らに同情する人は少数にとどまる。暴行傷害と覚せい剤取締法違反を比較すれば、前者の方が重罪である。人々は逮捕拘留された者は犯罪者として断罪し、そうでない者には同情を寄せる。日馬富士の引退を残念だと平然と発言する。


テレビがつくりだす日馬富士擁護発言

テレビに出てくる相撲ファンの発言は、テレビ制作側の意図のもとに放映される。無作為に撮影され、放映されたものではない。相撲ファンのなかで、日馬富士の引退を当然だとする者の数と、それを残念がる者の数は統計化されていない。もちろん国民全体の受け止め方は世論調査を待つしかない。

テレビ局にとって相撲人気は捨てがたい。テレビ局は、日馬富士を批判する者の発言を抹殺し、引退残念発言が世間・巷の大勢だと思わせるため、日馬富士擁護発言を放映する。あたかも、それが国民の声のごとくに。

つまり、テレビは逮捕されない人はまだ「いいひと」だと視聴者に印象付け、加えて、日馬富士を擁護するファンの声を選んで放映することで、日馬富士を守りつつ相撲協会の暴力体質を隠蔽する。

テレビが「逮捕=犯罪者」とする、危険な印象操作

筆者は冒頭で、警察がむやみに人を逮捕拘留することは危険だと書いた。さらに、逮捕されただけでその人を犯人、罪人だと認識することも危険だと書いた。さて、このたびの日馬富士暴行傷害事件報道、とりわけテレビのそれを注視すると、日馬富士が「逮捕されないゆえに」、「日馬富士さん」と敬称付きで呼ばれていることがわかった。前出の清原ほか芸能人は、逮捕された時点で、「清原容疑者」と呼ばれた。

山城 博治沖縄平和運動センター議長
このことからわかるように、逮捕=犯人という印象付けを行っているのは実はテレビである。今日、安部政権下においてテレビによる印象操作、洗脳が強まっている。権力はテレビを使って、都合の悪い者を逮捕・長期拘留しようとする。たとえば。森友学園疑惑に関連して、逮捕、長期拘留されている籠池夫妻。彼らは疑惑の渦中にある安部首相夫妻にとって都合が悪い存在である。また、沖縄反基地闘争リーダー山城議長も運動の沈静化を狙った安倍政権により、逮捕・長期拘留されている。どちらも、危険な逮捕及び長期拘留である。

日馬富士暴行事件から見えてくるのは、相撲協会とテレビなどマスメディアの癒着であり、公益財団法人でありながら、隠蔽体質、暴力体質が改善されない相撲協会の姿であり、相撲界の闇であり、報道と人権の関係である。大げさと思うなかれ、このような状況を放置すれば、いずれ自分の首が絞められることになる。

2017年12月2日土曜日

忘年会

学生時代の友人との忘年会 @新潟の酒処 越州・新橋

いろいろとたいへんな年齢になりました。












2017年12月1日金曜日

呆れた相撲協会の「中間報告」ー日馬富士暴行事件ー

日馬富士暴行事件について、相撲協会から「中間報告」(以下「報告」という)が出た。その内容に客観性がない。協会は、被害者側からの聴取がないから「中間」という理屈のようだが、加害者に有利な情報を集めて、日馬富士の暴力はやむを得なかったという印象を一般に与える操作・意図がミエミエである。協会によるこのような印象操作こそ、貴乃花親方が最も恐れていたことだろう。

中間報告は相撲協会による「物語」

「報告」の根本的欠陥は、客観性に乏しいこと。たとえば、事件当日に被害者である貴ノ岩がとったとされる態度、行動についてはすべて、加害者側の一方的・主観的な供述を鵜呑みにしているように思える。別言すれば、日馬富士が暴行に及んだのは、態度の悪い貴ノ岩に対する躾・教育の度が過ぎたことによる、というストーリー性を帯びていることである。この協会側のストーリー性については、日馬富士の引退会見とみごとに同調している。日馬富士は引退会見で、“(態度の悪い)弟弟子(貴ノ岩)に対して、躾・礼儀を教えようとしてそれが度を越し暴行に及んだ”という意味の発言を繰り返していた。しかも会見において、貴ノ岩に対する謝罪は一言もなかった。

協会にとって都合の悪い事実は素通り

それだけではない。「報告」が素通りしている点として、事件のあった集まりが出身高校(鳥取城北高相撲部)の親睦だといわれながら、同校OB以外の出席者として、加害者の日馬富士、白鵬、鶴竜(モンゴル出身3横綱)が同席した理由について、明確にしていない点を挙げておきたい。同校OBは関脇の照ノ富士、被害者の貴ノ岩、石浦の3力士だけである。他の参加者である同校関係者とはどのような人々なのか、筆者には知る由もないが、高校相撲部の集まりに、モンゴル人横綱3力士が同席したのは、OB会にかこつけて、貴ノ岩に何ごとかを知らしめるため――特別な目的があったから――ではないのか。

白鵬、鶴竜、照ノ富士の現役三力士が日馬富士の暴行を止められなかった理由も明らかでない。暴行が一“瞬のできごと”であったとは、常識的に考えにくい。「報告」でも、日馬富士の暴行の手口について、最初は平手、さらにカラオケのリモコン、そして酒瓶(すべって凶行に至らなかったという)へと、エスカレートしている。「報告」では、日馬富士が酒瓶に手がかかったところで白鵬が止めた、としているのだから、酒瓶までは白鵬ほかが、日馬富士の暴力を容認していたことが手に取るようにわかる。

貴乃花親方の徹底抗戦で協会の思惑が瓦解

「日馬富士が、貴ノ岩の素行の悪さを糺し、礼を教えるために手をあげた」という協会の「報告」は繰り返すが、協会の作成した虚構の物語にすぎない。協会は、「日馬富士引退→関係者聴取終了→中間報告→書類送検→検察処分決定→危機管理委員会(最終)報告」をもって幕引きし、初場所(東京興行)を迎えたかったのだと思われる。ところが、貴乃花親方の徹底抗戦で、中間報告は不完全なものとなった。そこで焦って、加害者擁護の一方的「報告」を作文したように思える。

さらに、日馬富士の引退会見会場における、伊勢ケ浜親方及び日馬富士自身の、それこそ礼を失した態度・発言があり、千秋楽から理事会に至るまでの間の白鵬の首をかしげたくなる暴言がたびたびあり、(週刊誌による)白鵬共犯説、モンゴル会による八百長疑惑が噴出しはじめた。

協会側による、お抱え相撲記者等を使っての印象操作は逆効果となり、テレビの良識的コメンテーターからは協会批判が頻発している。協会お抱え相撲記者の摩訶不思議な協会擁護発言はむしろ、一般大衆の協会に対する不信を増幅するに至っている。

テレビは、ナイーブな相撲ファンの〝気持ち”よりも相撲界の〝暴力体質”を批判しろ

カルト的相撲ファン、国技・神事として相撲を神聖視する人々、娯楽として相撲を楽しみたい高齢者、格闘家として力士をリスペクトする格闘技ファン…がいてもいい。そうしたナイーブな相撲ファンが協会、日馬富士を信じ、貴乃花親方を批判するのも構わない。だが、そういう声を背景にして、そこに甘えて、メディアが暴力を許容するならば、おかしなことになる。メディア、とりわけ、テレビ及びスポーツ紙は、「日馬富士問題」で数字をあげている。この問題が長引き、人々が関心を失わないことが彼らの関心事であって、協会の暴力体質批判は二の次三の次ともいえる。

加えて、テレビ及びスポーツ紙は相撲が彼らにとってこれからも優良コンテンツであってほしい、と思っているはずである。だから、熱戦だとファンが信じた取組みが、実は、八百長だったと思われれば、相撲のコンテンツとしての価値は滅減する。相撲が――かつてテレビのドル箱でありながら、社会があれはショーだと悟った瞬間に凋落した――プロレスの歩んだ道を辿ってほしくないと思っているはずである。マスメディアの姿勢が、相撲界を甘やかし、ここまで腐敗させた主因なのである。

2017年11月29日水曜日

相撲協会とその周辺に巣食う時代遅れの愚者たち

横綱日馬富士暴行事件については、本日(11/29)日馬富士が引退届を提出したことでヤマを越えた。そもそも日馬富士は暴行の事実を認めているのだから、警察の捜査が進み、書類送検をして、それを受けた検察が起訴、不起訴を決める。それだけのことだ。日馬富士が引退したことで、不起訴となる可能性が高まったともいう。

バンザイ・ノーテンキ横綱

事件としては単純にみえる一方、昨日、事件現場となった飲食店で加害者・被害者と同席していた横綱白鵬が警察から、7時間を超える事情聴取を受けた。白鵬の聴取時間が加害者である日馬富士より長かったとは異常だが、白鵬に共同謀議の疑いがかかったと推察すれば、納得できる。日馬富士が貴ノ岩に一方的に暴行を加えたとき、同席していた白鵬が止められなかった理由はない。白鵬が日馬富士の暴行を容認したのではないか、という素朴な疑問が払しょくされていない。

暴行を容認した疑いがあることを知ってか知らずか、白鵬は千秋楽、自らの優勝表彰後に観客に万歳を求めた、観客もそれに応じた、相撲ジャーナリストの杉山某はTVのワイドショーで白鵬を称賛した。狂っているとしかいいようがない。

おバカなのか、それともおバカを装う、公益財団法人日本相撲協会評議員会議長

相撲協会の評議委員会議長である池坊何某は、日馬富士引退についてのコメントを求められて、「残念」を連発した。この人の発言はこれまでも常軌を逸していて、自分が務める公益財団法人の不祥事(暴力事件)について反省する言葉がない。事件を公にした被害者側(貴ノ岩、貴乃花親方)を責めるばかり。池坊何某は暴力事件を協会より先に警察に届けた貴乃花親方に瑕疵があるとして、理事失格だという。困ったものだ。なぜならば、相撲協会には「蒼国来事件」という忌まわしい過去をもっているからだ。この事件のあらましは、蒼国来という中国内モンゴル出身の力士に八百長の疑いがあるという情報(デマ)を信じた協会が、独自調査の結果、蒼国来を解雇処分した。これを不服とした蒼国来側が訴訟を起こし、結果、協会は敗訴、解雇を取り消した。つまり、相撲協会は「冤罪」で蒼国来を処分した過去をもっている。

巷間言われている相撲協会の「調査力」とはしょせんこの程度、とても信用・信頼できるものではない、とこのたびの被害者側(貴ノ岩・貴乃花親方)が思ったとしても不思議はない。協会に事件を上げれば、被害者にとって不利益になる確率は高くなる、と考えるのはむしろ当然、まずは警察と考えて何が悪いのだろうか。

なお余談だが、池坊評議員会議長は、過去(2011年)に財団法人『日本漢字能力検定協会』の理事長を途中解任されたという忌まわしい過去がある。

カルト的相撲ファンの元ロックバンドヴォーカル

池坊何某、カルト的相撲ファンのお化けタレント、杉山某も被害者である貴ノ岩が説明しないのがおかしい、という趣旨のコメントを連発する。このコメントも筆者には理解できない。このたびの事件を、異国で活躍する日本人アスリートに仮構して考えてみよう。ドイツでプレーする日本人サッカー選手は14名ほどいる。彼らがオフタイム、「日本人会」と称して食事や酒を飲むため集まったとしよう。その席上、日本人選手の中でもっとも知名度の高い兄貴分の香川真司(ドルトムント)が若手の浅野拓磨(シュツットガルト)に今回と同じような暴行を加えたとしよう。シュツットガルト側が被害届を警察に提出し、捜査段階だと仮定しよう。ドイツのマスメディアがこのような事件をどのように報道するのかは想像できないが、連日連夜、TVが当事者にコメント求めることはない――周辺の者がメディアに不確実情報を流すこともない――と確信する。粛々と警察が捜査し、起訴または不起訴が決まるものと思われるし、社会も粛々とそれを見届けるだろう。

この段階で、被害者である浅野がTVに出てきて事件について語ることは絶対にない。浅野が、香川から一方的に暴行を加えられた状況をTVで語ることはあり得ない。浅野は事件を理解できないし、肉体的と同時に、いやそれ以上に心的に傷を負っているはずだからだ。同郷(日本)の先輩がなぜ、自分に暴力を振るったのだろうかと。

内面の問題にとどまらない。警察が捜査をしている段階で自分が口を開けば、警察捜査にも影響する。事件について具体的にメディアに語ることは捜査妨害にもなる。ドイツの社会が浅野に対し、メディアに出てコメントしろ、と求めることがあるだろうか――筆者は、そのようなことはあり得ないと確信する。浅野がTVに出てきて、「香川にこんなふうに殴られました、そばにいた日本人選手はだれも止めませんでした・・・」と説明することがあるはずがない。

無責任横審委員長に相撲協会御用達「ジャーナリスト」

日本のTVがこの事件を連日取り上げるのは、視聴率が稼げるからだろう。前出のとおり、捜査段階では、被害者・加害者は立場上、表に出られない。協会(及び協会と利害を一致する関係者)は、“事件はなかった、穏便に済ませたかった”から、被害者不利のデマ情報を流しまくる。公益財団法人評議員会議長という公職にある者が、“巷の相撲ファン”なみのコメントで、協会への責任追及を回避させようと誘導する。横審とかいう老人会が自分たちの任命責任を棚に上げて、協会に「厳正な処分」を求める。

こうして見てみると、TVは相撲協会とその関係者に利用されていることがわかる。コメンテーターの中に一人として、相撲協会の暴力体質を批判する者がいないことがそのことの証明となる。だれもが、被害者(貴ノ岩)と加害者(日馬富士)がなにもなかったように、初場所に出場できることを願っているかのようなコメントが平然と電波にのって日本中(いやモンゴルまで)流されていくことをだれも止められない。その代表的存在が、元NHKの相撲中継アナウンサーで、現在「相撲ジャーナリスト」である杉山某であろう。

残念なのは、暴力事件発生の根源に目を向けない相撲協会及び相撲業界

相撲協会は暴力を追放しようと努力してきたという。だがそれこそ残念ながら、その努力は足りなかったのだ。実行犯の日馬富士はもちろんだが、相撲協会こそが責任をとるべきなのだ。評議委員会議長なのか、理事長なのか、日馬富士が所属する部屋の親方なのか、横審委員長なのか、そのすべてなのか――だがここでも誠に残念ながら、いまのところ、ここに挙げたうちのだれもが責任を感じているようには見受けられない。それこそ残念きわまりない

2017年11月22日水曜日

フランスからお客様



フランスからジャンさんとアンさん(兄妹)がわが家に。


2017年11月21日火曜日

国(内閣府)は相撲協会の公益財団法人認可を取消せ――日馬富士暴行事件

横綱日馬富士の暴行問題に係る報道が混迷している。マスメディアは暴行事件の事実関係を報道するというよりも、それをひたすらわかりにくくしようとしている。どこからか、この事件の本質追及を回避させるような圧力がかかり、それを受けたメディアが謀略に加担している――そのような構図が筆者の目に浮かぶ。

相撲界に残る暴力体質

事件の概要は、酒の席で日馬富士が貴ノ岩に暴行を働いたというもののようだ。いま現在のところ明確なのは、加害者は日馬富士で被害者は貴ノ岩ということ。

暴行はもちろん犯罪になるが、そのすべてが刑事事件になるとは限らない。被害の程度にもよるし、互いの事情もある。たとえばサラリーマンの酒の席の場合、それぞれの立場が働いて、謝罪で済ますことも多いし、ことと次第では示談となる。

本件が一般の暴行事案と異なるのは、それが相撲界で起こったということだ。相撲界では過去に深刻な暴力事件があった。それが是正されなかった。相撲界には暴力を肯定する体質が根強く残っているのではないかと。

マスメディアの報道が本質(相撲界の暴力的体質)を隠蔽

ここまでのところ、本件に係るマスメディアの報道は、▽医師の作成した診断書云々、▽ビール瓶ではなく素手だった云々、▽相撲協会と貴乃花親方との確執云々、▽事件のきっかけとなった貴ノ岩の言動云々・・・と、相撲界の暴力的体質を追求する姿勢は見られない。一見すると、事件の「真相」が追及されているようにみえるが、実際は、真相は藪の中にあるかのように仕向けている。事件が内包する本質的問題(=相撲界の暴力体質)追及を回避させようとする力が働いている。

大相撲はここのところ、人気沸騰中だという。マスメディア、とりわけテレビ、スポーツ新聞にしてみれば、相撲は大切なコンテンツの一つ。ここで相撲協会の怒りを買うような番組をつくれば、今後の取材も困難になる。人気力士のメディア出演も断られる・・・と考えているのかもしれない。そこでメディアは、この事件をあやふやにする情報を繰り返し、相撲界の暴力体質への批判をかわそうという戦略に出た。本件に関する憶測、推測、伝聞、虚偽情報を乱発し、本丸である相撲界の闇に至らせないように謀っている。その結果、前出のような不確実な情報がマスメディアにあふれ出し、相撲界の暴力体質追求はどこかに忘れ去られた。

あやふやな情報の出どころは、相撲協会の意を汲む「関係者」だろう。協会幹部はうかつな発言はできない。協会幹部に代わって、元力士、部屋付き親方、相撲解説者(元相撲記者等)らの出番となる。彼らが聞いたような噂をメディアに流し、煙幕が張られる。

相撲部屋制度が暴力的体質を醸成

相撲界の暴力体質はどこからくるのか。不祥事を重ねながら、なぜ是正できないのか。相撲界が暴力体質を一掃できない主因は、親方を頂点とする相撲部屋制度にある。

相撲に限らず、格闘技の場合、格闘家が一人で技を磨くことは不可能だ。それゆえ、MMAなら「チーム○○」、プロボクシングなら「△△ジム」、空手等では「××館、◇◇道場」に所属することになるが、こうした集団は相撲界の部屋とは根本的に異なる。格闘家がそこで集団生活することはほぼない。相撲以外の格闘家の所属先は練習をする場であって、その集団のトップ(ジムの社長、道場等の館長など)に人格的に支配されることはない。ランキングの低い格闘家はジムや道場に通って練習をし、練習が終わればアルバイトをして自分の生活の糧を得る。例外として、才能を認められた若き格闘家にはスポンサーがつき、スポンサーが生活を支えてくれる(という幸運に恵まれることも稀にある)。相撲以外の格闘家は下積み時代は実社会で働きながら、下積みから這い上がろうとする。一般の人と同様に、自力で社会経験を積む。

一方の力士は、相撲部屋に閉じ込められ、練習(稽古)、礼儀(上下関係)、生計に至るまで、すべてを管理される。相撲界では年端のいかない若者が新弟子として相撲部屋に入門し、相撲部屋という閉鎖空間で生活と稽古(練習)を続ける。実社会と隔離した特殊世界で、同じような経験をした兄弟子、同期、弟弟子としか接しない。そこで培われた特異な倫理観、世界観に支配されて年を重ねる。

相撲部屋を伝統的に支配する暴力はそうした生活環境を基盤にして、力士間に共有される。相撲協会は若い力士に研修を重ね教育を怠らないというが、研修で社会性が身につくはずがない。社会経験のない(少ない)若者に対して“社会とはこんなものです”と教育してなんになる。

相撲部屋の伝統とはすなわち儒教的封建遺制

相撲部屋の伝統とは、別言すれば、封建遺制だ。親方を頂点とする儒教的家族主義だ。それは次のように説明できる。

儒教的家族主義の特徴は、構造としての円錐型、同心円型に広がる権威主義的階層型秩序である。その権威の階層性を創りだすものは「文化」(儒教思想)の体得の度合いである。そして、秩序形成における非法制性と主体の重層性である。秩序形成に関する儒教の有名な言い回しとして「修身・斎家・治国・平天下」がある。そこには各人・家・国・世界とアクターを重層的にとらえ、法や制度の体系ではなく修養、教化による秩序形成がポイントになっている。(天児彗「中国の台頭と対外戦略」、天児彗他編『膨張する中国の対外関係』勁草書房)。

相撲界の部屋制度では、新弟子は一般社会の規範となる法体系ではなく、階層性、すなわち親方を頂点とした上下関係の上位者が得ている修養、教化による秩序形成に従属し、人格形成される。そこでは、番付の上の者や年上の者(円錐形の上位者)による暴力支配が修養、教化の安易な道具として使用される。

日馬富士(横綱という上位者)が貴ノ岩(幕内という下位者)に修養、教化として暴力をふるう余地が十二分にあった。暴行の発端は、テレビによると、酒席で上位者が話しているとき、下位者がスマホをいじったことだ、と報道されている。このことは、相撲界の儒教的体質を明確にあらわしている。しかるに、テレビのコメンテーターが、日馬富士が貴ノ岩に暴力(による教化)を施したことを暗黙裡に容認するような解説をしているのを聞いて、筆者は唖然とした。相撲界(伝統社会)だから仕方がない、といいたげなことに・・・

このたびの暴力事件がモンゴル出身力士の間で起こったことは偶然ではない。モンゴル出身者は、“日本に”というよりも“相撲界=相撲部屋”に順応しなければならなかった。その風習・慣習・不文律にいやがおうでも適応することを求められた。彼らは外国人である。だから、部屋に順応することは、相撲界で成功するための最低限の条件だった。その結果、モンゴル出身力士が純粋培養的に相撲部屋の悪しき風習を忠実に実行する者となり得た。

相撲の勝敗はまさにブラックボックス

相撲は近代スポーツとは異なり、大相撲一座の見世物興行的性格をもっている。プロレスに近いが、相撲の取組みの全てがプロレスのようなショー(八百長)ではないし、筋書きがあるわけでもない。相撲は極めて短い勝負だから、ヒールとハンサムが演じ合うようなストーリー性は成り立たない。

相撲の勝負では、互助、思いやり、忖度が幅を利かしている。たとえば、▽結婚した力士を(祝福して)優勝させる、▽スター性があって将来人気が出そうな力士を勝たせる、▽負け越しが決まる相手には負けてあげる……などなど。

最近では、久々に日本出身の新横綱となったKSが横綱初の場所となった2017年3月場所、13日目に寄り倒された際に左肩を負傷。休場の可能性も囁かれたが、左肩に大きなテーピングをして強行出場。14日目は一方的に寄り切られ、この時点で1敗で並んでいたTFに逆転を許してしまう。千秋楽、KSは左の二の腕が内出血で大きく黒ずむほどけがが悪化している中で、優勝争い単独トップのTFとの直接対決を迎える。優勝決定戦と合わせて二連勝することが必要なKSの優勝はほぼ無いと思われたが、本割で左への変化から最後は突き落としで勝利、決定戦に望みをつなぐ。引き続いての優勝決定戦ではあっさりともろ差しを許して土俵際まで押されたが、体を入れ替えての発逆転の小手投げが決まって勝利し、奇跡的な逆転優勝を決めるという信じがたい相撲があった。その後、そのKSは3場所休場し、休場明けの今場所(11月場所)も負けが続き休場した。あの「逆転・奇跡の優勝」とは何だったのか――その答えは、日本出身横綱に花を持たせるため忖度が働いた、という説明でいいと思う。

相撲の「忖度」を外部の者が明らかにするのは困難だ。だれでもがわかる無気力相撲をとれば別だが、一方が勝負所で少し力を抜いたり、足を滑らしたりしても、外部者が「忖度相撲」だと証明することはまず不可能だ。

その一方、力士は鍛錬された格闘家。常人とは比べることができないパワー、忍耐力をもっている。魅せる要素、タレント性もある。実力がなければ上には上がれない。横綱になるには大変な努力がいる。それはそうなのだが、相撲界は他の近代スポーツのように、実力だけで決る世界ではない。虚と実が混在している世界なのだ。

相撲協会は特異な公益法人

日本相撲協会は公益財団法人だ。しかも、公益法人でありながら、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している唯一の法人だ。日本国において、暴力体質を内在する興行集団に公益性があるのだろうか。そればかりではない。この暴力集団(相撲協会)に公益法人に求められる透明性があるのだろうか。相撲協会は、このたびの暴行事件について、公益法人として、国民の前にまっとうな説明をしただろうか。怪しげな情報を意図的に流布していないだろうか。

筆者は、相撲協会は始めから、公益法人としての要件を備えていなかったと思っている。このたびの事件の発生から、今日までの協会の動向をみれば、暴力体質が一掃されていないことも、透明性が確保されていないことも、火を見るより明らかではないか。

「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」によれば、公益法人の認定と監督は、独立した合議制機関の答申に基づいて内閣総理大臣又は都道府県知事の権限で行われる。協会の場合は国(内閣府)の認定で、内閣府には7人の民間人委員からなる公益認定等委員会が設置され、同委員会が協会を公益法人とした。ならば、国は速やかに相撲協会の公益財団法人認可を取り消すことが妥当だ、と筆者は思うのだが、いかがであろうか。

2017年11月17日金曜日

ハリルホジッチを支持する

サッカー日本代表による欧州遠征は0勝2敗で終わった。相手はブラジル(1-3)とベルギー(0-1)。どちらもFIFAランキング一桁台の強豪だ。スコアからすると、ベルギー戦は惜敗に見えるものの、実力差が点差以上であったことにだれも異論はないはず。ベルギーがフィニッシュの精度を欠いたことが、惜敗(最小失点差敗け)の主因だった。


「主力」不在が敗戦の主因ではない

この遠征結果をもって、ハリルホジッチの手腕を云々してもはじまらない。本田、香川、岡崎といった、いわゆる「主力」を呼ばなかったことが敗因であるわけがない。スポンサーの意向を汲んだ業界内評論家諸氏がハリルホジッチ批判を展開したところで、常識的なサッカーファンならばそれが無意味であることは学習済みだ。香川のスポンサーであり、日本サッカー協会のそれであるA社への忖度は、業界人には意味があろうが、サッカーファンには一切関係ない。

敗因は“実力差”に尽きる。業界内評論家諸氏はこれまで、“日本サッカーは世界レベル”ともちあげてきたものの、このたびの遠征のような試合をみれば、彼らの見解の嘘臭さが明らかになる。ハリルホジッチを批判してベンゲルだ、モウリーニョだ、チッチだ、岡田だ…と叫んでみても、結果は変わらない。

とはいえ、サッカーに限らず、スポーツでは結果(敗戦)がすべて。その責任は監督が負わなければならない。サッカーの監督の仕事の中で最も重要なのが“首を切られること”ともいう。「負け」の責任を選手が負おうとすれば、選手は一人もいなくなってしまうからだ。

実力の差なのだから、といって放置していいわけがない。実力差を認めたうえで、世界の強豪と渉りあうために必要なものは何か。それを追求すること――それが向上につながる。ブラジルと10回試合をして1つ勝つ秘策を練らなければなるまい。「マイアミの奇跡」(1996年アトランタオリンピック・男子サッカーグループリーグD組第1戦において、日本五輪代表がブラジル五輪代表を1対0で下した試合)を忘れてはいない。

日本のW杯の歴史が示すもの

ハリルホジッチは間違っているのだろうか。筆者は、彼がW杯で戦うための原則を心得ている、という意味で評価する。その原則とは、W杯に必要な戦力は、常に新しくなければならない、というものだ。

1998年フランス大会(岡田監督)を見てみよう。前回アメリカ大会はいわゆる「ドーハの悲劇」で予選敗退し、W杯出場を逃した。フランス大会では、それまで主力だった、カズ、北沢豪、ラモスらを代表から外し、GKに川口能活、DFに秋田豊・中西永輔の2ストッパーとスイーパーの井原正巳を起用。両WBは左が相馬直樹、右が名良橋晃。2ボランチの名波浩・山口素弘と司令塔の中田英寿がゲームを組み立て、FWは中山雅史と城彰二の2トップという布陣だった。中山は「ドーハの悲劇」のとき、控え選手だった。試合途中の交代メンバーにはFWの呂比須ワグナーやMFの平野孝が起用された。結果はグループ・リーグ勝点0の最下位で予選敗退。この大会はW杯初体験ということもあり、グループ・リーグ敗退は仕方がない面もある。

2002年日韓大会(トルシエ監督)のW杯は新戦力が躍動し、W杯で成功する方策の一つを示した大会だったといえる。日韓大会のメンバーは、シドニー五輪世代で25歳の中田英寿・松田直樹・宮本恒靖らを中心に据え、22歳の小野伸二・稲本潤一・中田浩二ら「黄金世代」とも呼ばれる1979年度生まれが5人を占めており、若手が多く起用された。長く代表から離れていた中山雅史・秋田豊の両ベテランをサプライズ選出する一方、国内有数のゲームメーカーである中村俊輔を選考外にした。エースストライカーとして期待されていた高原直泰は、4月にエコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)を発症し出場を断念している。23名中フランス大会経験者は8名いたが、活躍したのは若手だった。その結果、グループ・リーグを勝ち抜いてベスト16入りを果たした。自国開催のアドバンテージはあるものの、日本代表がもっとも輝いた大会だったことはまちがいない。

2006年ドイツ大会(ジーコ監督)はどうだったか。メンバーは4年前の日韓大会当時20歳代前半だった選手達が中心となり、平均年齢は27.4歳と、前回よりも2歳ほど増した。23名中11名が2大会連続してメンバー入りし、川口能活・楢崎正剛・小野伸二・中田英寿は3大会連続となった。前回落選した中村俊輔・高原直泰・中澤佑二らが初出場する一方、当確と見られた久保竜彦がコンディション不良により落選し、巻誠一郎がサプライズ選出された。DFレギュラー候補だった田中誠はドイツでの直前合宿中に負傷のため離脱し、休暇中だった茂庭照幸が緊急招集された。初戦はGKに川口能活。DFは坪井慶介・宮本恒靖・中澤佑二の3バック。右WBはレギュラーの加地亮がテストマッチで負傷し、初戦のみ駒野友一が先発。左WBは三都主アレサンドロ。中盤は2ボランチの中田英寿・福西崇史と、司令塔の中村俊輔。FWは高原直泰・柳沢敦の2トップという布陣だった。第2戦と第3戦は4バックへ変更し、MFの小笠原満男・稲本潤一、FWの玉田圭司・巻誠一郎らが先発起用された。結果はグループ・リーグ勝点1で予選敗退。

2010年南アフリカ大会(岡田監督)の主力メンバーは2004年アテネ五輪世代(29歳~27歳)と2008年北京五輪世代(24~22歳)が中心となった。上の年代の黄金世代に比べると国際大会での成績が見劣りするため、「谷間の世代」「谷底の世代」と冷評されていた。ワールドカップを経験している30歳以上の選手も7名おり、ゴールキーパーの川口能活と楢崎正剛は4大会連続選出となった。候補に挙げられていた石川直宏や香川真司が最終登録から漏れる一方、岡田ジャパンでの実績が少ない矢野貴章や、大怪我により半年間実戦から遠ざかっていた川口能活がサプライズ選出された。

フォーメーションは急ごしらえの4-3-3。DFラインの前(バイタルエリア)に3人目の守備的MF(アンカー)阿部勇樹を配置。GKは楢崎正剛に代わり、川島永嗣に。右DFは駒野友一が出場。右MFは中村俊輔に代わり松井大輔。FWは岡崎慎司に代わり本田圭佑(本来はトップ下)。キャプテンはベテラン中澤佑二(32歳)に替えて、長谷部誠(26歳)が新キャプテンに。ベテランW杯経験者が多く選出されたが、攻撃陣で輝いたのは本田圭佑、遠藤保仁であった。特筆すべきはDFの中沢祐二と闘莉王のCBコンビ。結果は、グループ・リーグを突破しベスト16入り。

2014年(ザッケローニ監督)のブラジル大会は、GK川島永嗣、DF吉田麻也、今野泰幸、長友佑都、内田篤人、MFに山口蛍、長谷部誠、FWに本田圭佑、岡崎慎司、大久保嘉人を主軸とし、攻撃陣では大迫勇也、中盤では遠藤保仁らが交代要員となった。新戦力の台頭はなく、本田に依存したチームで新鮮味はなかった。結果はグループ・リーグ勝点1で敗退。

新戦力の活躍がW杯勝利の絶対条件

W杯の流れを見ると、新しい戦力が台頭し、スターが生まれたときにはベスト16入りを果たしていることがわかる。日韓大会の小野伸二・稲本潤ら、南アフリカ大会の本田、遠藤といった具合だ。その反対に、前回大会の経験者を再招集して新戦力が台頭しない大会は予選敗退している。ジーコ監督、ザッケローニ監督のように、経験者、ベテランを尊重したクラブ型代表チームをビジョンとしたチームづくりは本大会でうまくいっていない。

筆者はハリルホジッチが予選から新戦力を試してきたことを評価する。このことは日本のサッカー風土、なかんずく「日本代表」の監督としては、かなりリスクが高い。前出のように、日本代表のスポンサーからの圧力があり、その意を受けた「サッカー評論家」が批判を繰り返すからだ。このたびのアジア予選オーストラリア戦(8月31日)がその典型だった。ハリルホジッチが本田、岡崎、香川を外し、井手口陽介、乾貴士、浅野拓磨を先発起用したとき、彼らは大反発したが、結果は新戦力が大活躍。井手口、浅野が得点してオーストラリアに完勝。W杯出場を決めた。

本田、香川、岡崎がロシア大会の主軸なら日本は予選敗退確実

ハリルホジッチの次の大仕事は、W杯ロシア大会出場選手の選定だ。選手登録までの間、各国のクラブでだれがどんな活躍をしているのか、そうでないかについてはわからない。ただ繰り返せば、2002年のトルシエは中村俊輔を外し、かつ、フランス大会の主軸を清算してーーまた、2010年の岡田は本田をFWで起用するという奇策に加え、楢橋(GK)、中村俊輔を外して新戦力である川島(GK)、松井を起用、さらに新キャプテンに長谷部を指名してーーいずれも予選リーグ突破に成功した。この大会で本田、長谷部、遠藤、川島が代表の顔となった。

仮にも2018年ロシア大会に本田、香川、岡崎がW杯代表メンバーに登録され、先発起用されるようならば、日本が勝つのは難しい。それは彼らがダメということを意味せず、ただ、新戦力が台頭しなかった、というにすぎない。

2017年11月5日日曜日

ビアパブ・イシイ、リニューアル・オープン

ビアパブイシイが移転(といってもわずか数十メートルだが)して、リニューアルオープン。

身内だけのパーティーがあったので、少しだけ参加した。

新しい店は二階建て。一階は厨房とオーダー受付専門のカウンター。立って飲むこともできるが椅子はない。

二階へは螺旋階段を上がる。

座る席が前より増えたので、落ち着いて飲んだり食べたりできる。



一階の厨房

二階の椅子席

シャンデリアがついた

螺旋階段


2017年11月4日土曜日

モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン

ファラオ・サンダーズの招待券が入ったから行こうと、知人から電話があった。

指定された恵比寿ガーデンプレイスに行くと、モントレー・ジャズ・フェスティバル開催中だと。

懐かしい名称だ。まだやっていたのだ。しかも日本で。

一万円以上もする入場券ということ。ありがたい。持つべきものは友達である。

ファラオ・サンダーズを生で聴くのはもちろん初めて。

印象としては、エンターテインメントを心得たアーチストなんだなと感じた。

アップテンポのブルース調の曲に合わせて老体に鞭打ちながら?踊ったり歌ったり聴衆とかけあったり、サービス精神が旺盛。

かなりイメージが変わった。

なお、高額なチケットだけど、来場者は若い。しかもマナーが悪い。

途中入場、途中退場が多数。目に余る。

我々の世代では、モダンジャズのライブ演奏というと、緊張して構えていたものだ。演奏途中で席を立つなんておよそ考えられない。




2017年11月3日金曜日

破壊工作で潰された日本型人民戦線

人民戦線といえば、1930年代、イギリス、フランス、スペインなどの西欧を中心に結成された、反ファシズム、反帝国主義、反戦主義を掲げた左派による統一戦線結成の運動の総称である。

解散直後についえた日本型人民戦線

2017年総選挙前の日本、「モリカケ問題」で追い詰められた安倍政権を打倒するため、来るべき総選挙に向け、日本共産党主導による日本型人民戦線(=市民共闘・野党連合)が結成されようとしていた。小選挙区制度において、各野党がばらばらで複数の候補者を立てれば、自民党・公明党の組織票に敗退することは明白だった。

日本型人民戦線結成がほぼ煮詰まりつつある状況下、ファシスト・アベによる突然の「国難解散」が宣言されたかと思うや否や、小池百合子による「希望の党」結党宣言があり、前原誠司(当時・民進党代表)により、〈同党解党→希望合流〉が表明された。このことは日本型人民戦線の集大成かと思う間もなく、小池の「排除」発言があり、民進党左派議員は小池新党(「希望の党」)への合流を阻まれた。ここで日本型人民戦線はついえた。

小池百合子の真の顔は極右

第一の問題は、「希望の党」とは何かである。先の東京都知事選(2016/4月)に立候補した小池百合子は、都政改革を掲げて大勝利した。続く都議会選(2017/2月)においても小池が率いる「都民ファースト」と呼ばれる地方政党が大勝利をおさめた。都民はここまで、小池について、ブラックボックス化した東京都及び都議会の改革者だと見做していた。

「改革」という表現はさまざまな意味を持っている。「構造改革」といえば、新自由主義者が信奉する市場万能論と同義である。その「改革」は、社会的セーフティーネットを廃止した弱者切り捨て政策を意味する。「改革」によって市民は守られよりも切り捨てられる。小池の「改革」は新自由主義者のそれであって、市民の生活の安定や福祉を重視するものではない。

都議選までの小池の躍進を支えたのは、マスメディアであった。昨年7月の都知事選の主な候補者は増田寛也(自民・公明推薦)及び鳥越俊太郎(民進・共産ほか推薦)の2人であった。ところが、小池百合子が立候補を表明するや否や、メディアは小池を増田・鳥越と並べて「主な三人の候補者」として扱った。そのときの小池は、無党派からの出馬だった。元自民党衆議院議員で防衛大臣経験者と、政治経験は豊かだが、それならば、他の立候補者の中の一人である山口敏夫も小池と変わらぬ政治キャリアをもっていた。彼は労働大臣経験者なのだから。ところが、山口は泡沫候補としてメディアから完全に無視された。ほんらいならば、無党派で日本の主な政党と関係のない小池も泡沫候補の一人であったはずなのだが、メディア、とりわけTVは、小池を増田・鳥越と並びで扱った。誠に不自然であった。ここで推測できるのは、小池はマスメディアから特別に扱われる存在であり、マスメディアは小池を支持したこと。もちろんマスメディアの背後にはファシスト・アベがいる。

小池の政治信条は反共、日米同盟堅持(対米追従)、改憲、軍事大国化、原発推進(表向きは原発の段階的廃止)、新自由主義(構造改革)であり、ファシスト・アベと変わらない。彼女も日本会議に属していて、日本の極右と親密な関係を築いている。ところが、マスメディアの報道ではそれらのことがらは伏せられ、旧主派と戦う「改革」の旗手とされた。都知事選では自民党東京トップの古老政治家が小池によって血祭りに上げられ、政界引退に追い込まれた。

小池、前原の茶番と野党共闘潰し

小池は仮面の「政治家」であり、かつ相手によって姿を変えるカメレオン。ファシスト・アベが突然、解散に打って出るに当たって、小池による「希望の党」の立ち上げは想定外だっただろうか。マスメディアは想定外だと報道したが、筆者はそれを疑っている。小池の新党立ち上げ、前原の民進党解党宣言は権力側が周到に練り上げた、日本型人民戦線破壊工作だった、と考えている。権力側の魂胆は、共産党主導による野党共闘を阻むことだったと。

当時民進党代表だった前原は同党右派の頭目であり、小池と同じように反共、日米同盟堅持、改憲などを政治信条とする。小池と前原が合意して民進党を解体し、同党左派を排除したのは当然のことであった。前原には共産党と共闘する意志は微塵もない。前原には、希望と民進が合体し強力な野党をつくりあげ、それに共産党、自由党、社民党等の野党が候補者調整をして小選挙区でファシスト・アベ(=自民党・公明党)と戦うシナリオは最初から頭になかった。

彼が同党代表に選出されたときには、民進党解党までは考えていなかったはずだ。だが、ファシスト・アベが解散を宣言したとき、どこからか、民進解党→希望合流のオファーがあったはずだ、と筆者は推測する。前原は自身の本心を表に出す絶好の機会が訪れた、と確信したにちがいない。前原にとって、民進党左派追放は長年未解決の政治課題であり、その追放は、彼にとって政治生命を賭けるに等しいアジェンダだった。

しかし、同党左派の追放の後、前原を受け入れる場所の確保が必要だった。小池の新党立ち上げは、前原にとって渡りに船だった。同時に、このシナリオこそ、日本型人民戦線破壊の権力側の陰謀であり、前原、小池はそのコマにすぎなかったのだが。

小池百合子は野党共闘切り崩しの切り札

前出のとおり、「エセ改革者」小池の役割は「野党共闘」の切り崩しである。その構図は都知事選ですでに成功していた。先の都知事選、野党サイドでは、共産党主導で自民・公明の候補者の対抗馬をだれにするか調整が進められていた。結果、共産がおす宇都宮健児が立候補を取り止め、鳥越俊太郎への候補者一本化が実現した。増田(自公)-鳥越(野党共闘)の一騎打ちとなれば、鳥越が勝利する可能性もなくはなかった。しかし、この対立の構造を吹っ飛ばしたのが小池の立候補であり、メディアの大宣伝であった。結果として、小池が増田と鳥越を大差で破ってしまったことは記憶に新しい。

権力側は、都知事選の構造をそっくり総選挙(小選挙区・比例代表制)に応用し、野党共闘の票を分散化させることに成功した。ただし、小池は投票前、自らの「排除発言」によって有権者からの信頼を失い、都知事選で小池に投票した層(都知事選で投票できなくとも小池に同調した層)の票を自民党と立憲民主党に奪われ敗退した。

小池の敗北はファシスト・アベに有利な展開をもたらせた。今回の総選挙では、都知事選と異なり、希望の党が自民票を奪うことがなかったからである。希望の党の当選者は民進党から合流した候補者が大半を占めた。その結果、野党勢力は民進党の解体、共産党の後退、希望の党の後退と――野党勢力は分散化し、民進党左派によって急きょ結党された立憲民主党の躍進のみにとどまった。その結果として、ファシスト・アベが率いる自民党が解散前の勢力を維持したのだ。

覚えているだろうか、解散前、モリカケ問題でファシスト・アベの支持率は加速度的に落下し、アベ政権は追い詰められていた。ところが、解散を機とした小池と前原の猿芝居によって野党は混乱し、それに乗じてファシスト・アベは、解散前の勢力を維持してしまったのだ。

小池・前原の行動は日本政治史における最大の汚点の一つ

2017年総選挙を機に生じた政治の混乱は、日本政治史における汚点の一つであり、最大級のそれであった。なぜならば、日本型人民戦線の破壊工作があからさまに、白昼堂々、小池百合子と前原誠司という反共政治家によって敢行されたから。前原は党首の立場にありながら、党員の前で臆面もなく嘘をつき仲間を裏切った。小池は「排除」という言辞により左派弾圧をなそうとして失敗し、自ら墓穴を掘った。通常、裏舞台でなされる「裏切り」と「排除」という破廉恥工作が、公衆の面前、メディアの前でなされたことは、日本政治史上初めてのことかもしれない。前原と小池はそのような意味で、日本政治史における最大級の汚点である。

リベラルとは何か

民進党左派から急きょ分離して誕生した立憲民主党は、ファシスト・アベと対決する新たな政治勢力として期待されている。同党は、日本では「リベラル派」と呼ばれるが、この呼称はまったく見当違いの誤用である。リベラリズムは自由主義と訳される。新自由主義(ネオリベラリズム)といえば、経済活動において、諸々の規制を嫌う者をいい、市場原理主義と同義である。理論的指導者として、アメリカ、シカゴ学派の経済学者、ミルトン・フリードマンが代表的存在である。

20世紀末、アメリカの歴史学者、フランシス・フクヤマは、その著書、『歴史の終わり』において、ネオリベラリズムが世界を領導すると説いた。フクヤマはソ連崩壊・東欧の自由化を目の当たりにして、ネオリベラリズムの正当性を確信した。彼はコジェーブによって単純化されたヘーゲル主義を援用しつつ、人間の本質は他者に優越しようとする欲動だと主張し、経済、文化等の領域における自由な競争が世界に平和と繁栄をもたらすと説いた。永遠に平和と繁栄が続く世界――ネオリベラリズムに律せられた世界において、歴史が終わると。(もちろん、フクシマの予言は外れ、世界はそうはならなかったのだが。)

自由主義であるリベラリズムがなぜ、日本においては中道左派をさし示す用語となったのか――筆者の直観では、中道左派がマルクス主義・共産主義と対立する思想として理解されたからだと思う。共産主義は――マルクス主義哲学がそうであるか否かは別として、現実に国家として成立したソ連社会をみれば――全体主義そのものだった。個人崇拝(スターリン)、自由の抑圧、体制批判者は強制収容所送り…そのようなソ連型共産主義と一線を画し、個人の自由を尊ぶ社会民主主義思想を日本ではリベラリズムと呼んだ。

冷戦時代の日本では、アメリカを中心とした西側に属することを望んだ政治勢力を保守と呼び、ソ連東欧に属することを望んだ勢力を革新と呼んだ。そして、その中間的政治勢力――自由を第一義とし、ソ連型社共産主義を嫌いながら、その中で社会主義的政策の実現を望む勢力――がリベラル(派)となった。確かに、ソ連型共産主義の特徴である全体主義を否定することは、自由を尊重することと同義であり、それをリベラリズムと呼んだことは間違いとは言えない。

今回躍進した立憲民主党は、<保守―革新>の冷戦型対立とは位相を異にする。西欧の社会民主主義に近い。ファシスト・アベの国家主義、アメリカ追従主義と対立する自由の尊重は確かにリベラル的ではあるが、前出のとおり、本来のリベラルとは政治的立場を異にする。立憲民主党を「リベラル派」とよぶのはストライクゾーンから外れる。適切な呼称の定着を望みたい。

日本共産党への疑念

一時、日本型人民戦線を領導しかけた「日本共産党」も不思議な政党である。筆者は前原、小池、ファシスト・アベらとは異なる視点から、日本共産党に疑念を抱いている。その第一は、日本共産党は「プロレタリア独裁」を本当に放棄したのかどうか。第二は、党内民主主義が確保されているかどうか――である。前者については、近年の同党の綱領改定において、「社会主義をめざす権力」と書き換えられているようだが、きわめて曖昧な表現である。

後者についても不透明なままで、同党最高権力者及び幹部がどのような経緯・方法で選出されているかが明らかでない。同党の規定では、中央委員会総会にて委員長が選出されるらしいが、中央委員による選挙によるものなのか、それとも互選なのか、わからないまま。中央委員とは何者なのか、党官僚の別名か。日本共産党はまずもって、共産党の名称を外し、プロレタリア独裁を明確に否定することで市民権を得る。

草の根保守に対抗するには「風」頼みではだめ

日本型人民戦線が権力側の破壊工作により頓挫した経緯について、ここまで長々と書いてきたが、しかし、日本型人民戦線に内在した脆弱性もあり、それがミエミエの権力側の工作によってかんたんに崩壊した点も指摘しておかなければなるまい。

選挙後、TVでは選挙運動中の立候補者のさまざまな映像が流された。そこから推察される有権者と投票者の関係は、左派が考えるような敗因の位相ではない。与党の若いイケメン候補者をうっとりした表情で見上げる保守層のご婦人方。立候補者というよりもアイドルを見る目に近い。別な映像もある。TVニュース等でみかける大臣経験者の候補者と親しげに会話する中年男性有権者の嬉々とした表情。普段は偉そうな態度で海外の政治家と渉りあっている政治家が、自分に頭を下げ握手を求めてくる。〇〇大臣と自分の距離は限りなく近い。いや、選挙中では自分の方が「上」なのだ。頼まれたからには、こいつに投票してやってもいい。この感情は、普段「偉い政治家」に対するときに比例して高まる。

メディアに登場する回数の多い与党議員のほうが有利なのだ。選挙に強いといわれる政治家に共通するのは、ジバン、カンバンなんとやらだが、それらは組織、知名度、実績(大臣経験、メディア露出…)と換言できる。二世、三世は地元の名士の一族でもある。広大な屋敷を有し、普段見かけることはない。だがTVではよく見ることができる。なにやら偉そうだ。首相と同等だ、外国の政治家とも懇意だ・・・父親が引退したとき、(多くは)その息子が地盤を引き継ぐ。父親は息子をよろしくとお願いする。有権者の選択肢にその親、息子が属する政党の政策の良し悪しはない。自民党総裁にして総理大臣がモリカケ問題で疑惑をもたれ、かつそれに対する適切な説明を怠っても、憲法違反の安保法制を強行採決しても、有権者に影響を及ぼさない。地域社会の閉ざされた関係(=親密度)が投票行動を決定する。それが日本の選挙なのだ。

立憲民主党が期待されている理由は、いまのところ、地域社会に根を持たず、浮遊する都市民衆がSNS等を通じて、同党の立ち位置に共鳴したからだろう。だがこの現象は、筆者の直観では、一過性にとどまる。同党が自民党(=「草の根保守」)と対抗するには、バーチャルではない、リアルな生活基盤において、地道に支持者をつかむ組織づくりに励む以外にない。

2017年10月25日水曜日

クライマックス・シリーズのバカらしさ

日本プロ野球(NPB)においては、クライマックス・シリーズ(CS)が昨日(24日)終了し、日本シリーズを残すのみとなった。日本シリーズ進出を決めたのはセリーグがDeNA(リーグ戦3位)、パリーグがソフトバンク(同首位)。DeNAの3位からの勝ち上がりはセリーグではCS制度発足以来、初めてのことらしい。


(一)リーグ戦14.5ゲーム差(3位)のチームに日本一を争う資格があるのか

短期戦を上手に闘ったDeNAを貶めるつもりはない。ラミレス監督の采配はみごとだったし、それにこたえて結果を出した選手の奮闘は称賛に値した。しかし、とは言え、リーグ戦3位の球団が日本シリーズに進出するのは、日本シリーズの価値を落とす。CSの数試合でペナントレース143試合の戦績が無に帰すのが忍びない。

セリーグのリーグ戦順位表を見直してみよう。

1広  島 .633 -
2阪  神 .561 10
3DeNA.529 14.5
4巨  人 .514 16.5
5中  日 .428 28.5
6ヤクルト.319 44

広島とDeNAのゲーム差はなんと14.5も離れていたのだ。筆者のCS制度批判はペナントレース首位の広島が負けたことによるものではない。ことあるごとに拙Blogで力説してきたことだ。

繰り返しになるが、日本のポストシーズンの欠陥構造をみておこう。NPBがCS制度を発足させたのは、MLBのポストシーズンを見倣ったもの。しかし、MLBには北米という広大な地域にア・リーグ、ナ・リーグ併せて30球団が加盟している。MLBの支配地域はアメリカだけでも人口で日本の3倍強、国土面積で25倍ある。それにカナダの一部を加えた広さである。だから地区という概念が成立し、地区優勝に意味が出てくる。地区優勝球団に勝率高位(ワイルドカード)を加えたプレイ・オフには必然性がある。

ところが日本のポストシーズンではペナントレース3位、2位、1位が自動的にプレイオフに進出する。その際、上位球団にホーム・アドバンテージがあり、ファイナルステージと呼ばれる3位―2位の勝者と1位が争う6試合で1勝のアドバンテージが首位チームに与えられる――という珍妙なシステムだ。ペナントレース優勝球団を重く見ての1勝のアドバンテージなのだろうが、この措置がCS制度の欠陥を浮き彫りにしている。ペナントレース優勝チームが2位や3位のチームと再度、戦わなければならない必然性がこれっぽっちも見いだせない。

それだけではない。日程も変則的だ。ペナントレース優勝の広島の優勝決定日は9月18日。広島がプレイオフで勝ち上がってきたDeNAと試合をしたのが10月18日。広島はペナントレース優勝からちょうど1月間、真剣勝負から遠ざかっていた。広島が公式戦を行うのは、ペナントレース終了が10月1日だから、17日間ぶり。かなりのブランクだ。その間の調整法はかなり難しい。一方のDeNAは阪神と泥んこ試合を経験し、しぶとく勝ち上がって勢いがついた。

パリーグの場合はほぼ同じ条件のソフトバンクが順当にCSを制したのだから、制度に欠陥はない、という主張もあるかもしれない。だが、短期戦における勝負は「わからない」のが原則。だから、客観的、総合的に実力を判断するシステムとして、リーグ戦(ペナントレース)が採用される。このシステムは野球に限らない。サッカー、バスケットボール、アメリカンフットボール・・・世界の多くのプロスポーツがリーグ戦で優勝を決めている。NPBはそのシステムを否定し、最優先としない。NPBがCS制度を優先する理由を筆者は理解できない。

日本のポストシーズンは、①日程的、②試合の組み立て、構成、③必然性――という側面において、欠陥だらけ。

日本の野球ファンがこのようなおかしな制度をなぜ、受け入れているのかがわからない。日本人は野球好きが多いから、なんでもかんでも盛り上がってしまうのかもしれないが、理屈に合わない「勝者」が日本一を争うことに違和感はないのか。

唯一、CS制度に必然性があるとしたら、ペナントレース2位の球団には最長で3試合、同じく首位球団には同6試合の興行収入が見込めることか。今回のCSファイナルステージ、ペナントレースで優勝した広島の選手が本気を出さなかったとは思わない。勝とうと思っても、心と身体がいうことをきかなかったのだと思う。調整の失敗、集中力の欠如、長期間のブランクによる試合勘の喪失・・・諸々の悪い条件がそろってしまった。だが、もしかしたら、広島の監督・コーチ・選手は、CSホーム開催を決めた時点で、球団に興行的貢献を果たしたと感じたかもしれない。そのような意識が勝負へのこだわりを薄めたかもしれない。

CS制度を廃止に追い込むには何が必要なのかといえば、答えは簡単。ファンがチケットを買わないこと。そうすれば、NPBとしても制度を廃止せざるを得なくなる。筆者としては、一刻も早く、くだらないポストシーズンを廃止してもらいたいと思っているのだが。

(二)筆者のペナントレース順位予想とその結果

筆者の開幕前の予想は、広島、中日、DeNA、読売、ヤクルト、阪神だったが、前出のとおり、広島、阪神、DeNA、読売、中日、ヤクルト となった。

首位、3位、4位は当たったが、阪神の最下位と中日の2位は大きく外してしまった。読売の4位がズバリ的中だったので、まずまずと思う。

パリーグの筆者予想は、ソフトバンク、日本ハム、楽天、ロッテ、西武、オリックスであったが、実際は、ソフトバンク、西 武、楽天、オリックス、日本ハム、ロッテ となった。首位、3位が当たったが、ロッテの最下位、しかも驚異的低勝率(,383)は予測できなかった。

オリックスは新外国人がよかったため、最下位を免れた。日ハムは大谷の故障でチームの軸がなくなり、下位に沈んだ。西武の2位は予想外。打撃陣がレベルアップしたこと、菊池の安定ぶり(防御率=1.97、16勝6敗)がみごと。エースがいるチームは上位にいける。

(三)黄昏の球界の盟主、読売巨人軍はどこにいく

最後に読売について触れておこう。チーム防御率(3.31)はリーグトップ。菅野(17勝5敗、防御率1.59/リーグトップ)、マイコラス14勝8敗(同2.39/同3位)、田口(13勝4敗、同3.01/同7位)と、10勝以上投手を3人も擁しながら、順位はBクラスの4位。3投手で27も貯金をつくりながら、チーム勝敗は72勝68敗と貯金は僅か4にとどまった。一方の打撃陣はチーム打率.249で阪神と並んで3位。打撃陣に問題があったことは明白だ。打撃10傑に入ったのはマギー(.315、2位)、坂本(.291、9位)の2選手にとどまった。

投手陣については、前出のとおり先発3本柱は確立したものの、6連戦日程で概ね4勝2敗を維持するには、先発でもう一人が頑張らないといけない(勝率.667)。先発四番手は複数投手合計で、最低貯金10近く稼がなければ優勝争いに加われない。山口俊(FA)、内海、大竹、桜井、宮国、高木勇、畠(新人)、吉川光(トレード)、今村らが先発4番手として期待されたが、期待外れだった。ただ、新人畠は後半頭角を現したので、来年は期待できる。

問題の打撃陣では、マギー以外は全員だめ。しかも、マギーは後半2塁手として出場し、村田との併用が果たせたが、二塁手で全試合出場はおそらく無理だろうから、来年も課題は残る。村田が退団したので、マギーを三塁にもどして二塁に新戦力を迎えるのか、あるいはマギー二塁、新戦力3塁でいくのかは、現段階では不透明なまま。

筆者は開幕前の順位予想で読売4位と予想し、当たった。その根拠は捕手、二塁にいい選手がいないことだった。マギーが後半戦二塁手として頑張ったが、打撃と守備のバランスシートでみると、若干黒字といったところ。加えて、動きの激しい二塁手として、フルシーズン出場は無理であろう。

捕手は後半、宇佐美の台頭で改善の兆しはあるが、時間がかかりそう。小林の打撃に改善が見られなかった今シーズン、投手・捕手が1~2割そこそこなので、野手7人攻撃。これではまるで迫力不足。

内野は村田の穴を埋めるべき若手内野手の台頭がまたれるが、これも拙Blogで強調してきたとおり、一軍半~二軍でクスぶっている若手・中堅(岡本、和田、山本、吉川、重信、立岡、辻、中井・・・)は速球に反応できない者ばかり。アマチュア時代、テクニックで高打率を上げた「スター選手」をドラフトで指名してきたツケがまわってきた。スカウト陣の眼力のなさ、球団の補強戦略の欠如が響いている。

最後になるが、高橋由伸の監督としての力量も問われる。監督に限らない。グループ競技におけるリーダーとしての適格性に欠けているように思える。良くいえば個人主義、悪くいえば利己主義――これではチーム(集団)は引っ張れない。

来年以降も課題山積の「読売巨人軍」であることにかわりない。

2017年10月22日日曜日

ブルガリア、ルーマニア旅行

10月6日から17日まで、ブルガリア、ルーマニアの観光に行っておりました。

これで昨年の秋から始まったバルカン半島めぐりは一区切りつきました。

リラの僧院(ブルガリア)

ペレシュ城(ルーマニア)

2017年9月10日日曜日

スーパー歌舞伎の衣装デザイン塗り絵

スーパー歌舞伎「新・三国志ーⅠ」の衣装デザインの塗り絵が発売されました。

この塗り絵は、同スーパー歌舞伎の舞台美術・衣装デザインを担当した毛利臣男さんのデザイン画。

作品としてすばらしいものです。






2017年9月6日水曜日

落日の本田圭佑

サッカーW杯アジア地区最終予選の最終試合、サウジアラビア―日本は、ホームのサウジアラビアが1-0で勝利し、ロシア行きを決めた。この試合、先のオーストラリア戦でロシア行きを決めていた日本にとっては消化試合、一方のサウジアラビアにとっては予選突破を決める大事な試合、両国のモチベーションの差が結果にあらわれた。

FWはオーストラリア戦から総入れ替え

日本の先発メンバーは次の通り
GK=川島永嗣
DF=昌子源、長友佑都、酒井宏樹、吉田麻也
MF=井手口陽介、柴崎岳、山口蛍、
FW=本田圭佑、原口元気、岡崎慎司
※交代=本田→浅野、岡崎→杉本、柴崎→久保

フォーメーションはオーストラリア戦と同じく4-3-3。最終ラインには選手の変更がなく、中盤はアンカーに前回の長谷部の代わりに山口が入り、前回の山口の位置に柴崎が入った。攻撃陣は右に本田、左に原口、ワントップに岡崎と、前回から総入れ替えとなった。

なお、控え選手は、長谷部、香川が試合前に帰国し、大迫がベンチ外となったため、オーストラリア戦ベンチ外だった杉本、武藤、高萩がベンチ入りした。

前半限定の本田が大ブレーキ

前半はサウジアラビアがとりわけ守備的で前に出ない作戦。日本に主導権があったはずだが、日本の攻撃も鋭さがない。最悪だったのが本田で、本田にボールが出るとスローダウンというかノッキングというか、日本の攻撃のテンポがとたんに悪くなる。本田が得意とするといわれるボールキープについても、たいして強くないサウジアラビアのディフェンスのプレッシャーでバランスを崩して奪われたり、転んだりする始末。原口が左サイドで守備攻撃を問わず豊富な運動量で献身的に動き回るのと好対照をみせた。そんなわけでチャンスが生まれず前半を終了。本田は前半で退いた(浅野に交代)。

不調の本田を見越していたハリルホジッチ

報道によると、ハリルホジッチ監督はいまの本田の状態が相当悪いことをオーストラリア戦以前につかんでいて、先発を見送ったとのこと。この試合も前半限定の起用だったという。もしかしたら、オーストラリア戦はベンチ外でもよかったのかもしれない。日本がリードされているような展開になったとき、最後の切り札として、彼を使うつもりだったのかもしれない。いずれにしても、監督は決戦(オーストラリア戦)で先発起用する意思はなかったようだ。

メキシコリーグで本田は使えるか

本田のいまの状態は、サウジアラビア戦における彼のパフォーマンスが示したとおり、きわめて悪い。メキシコに戻ってすぐ回復するとは思えない。筆者はメキシコリーグについて知識がないが、おそらく守備についてはサウジアラビア(アジア諸国)よりは厳しいだろう。

本田については彼の体調を含めて一時的に状態が悪いのか、それとも加齢による退潮傾向にあるのかを判断する材料がないが、筆者は後者だと考える。ミラン時代の長期にわたるベンチ要員(試合出場せず)から、気候的に厳しいメキシコへ。かの地の諸々の環境への順応不足、足のケガ…といったストレスがプレーに影響しないはずがない。

ストレスを抱えたまま試合出場に恵まれないと、さらに体力、運動能力は弱まる。本田の不調が続けば、本人の意志とかかわりなく、監督・コーチの見る目は厳しくなり、試合出場機会が激減する。いわゆるスポーツ選手が陥る負のスパイラルだ。

メキシコが本田最後の地か

メキシコに限らず、中南米のサッカー界は、高給とりの異邦人に厳しい目を向ける。一方、今回のW杯予選2試合で本田の商品価値は日本国内で著しく下がった。となると、日本の経済力が本田を媒介にしてパチューカに恩恵を与える機会も自ずと減少する。本田の広告塔としての価値が低下すれば、本田がメキシコで求められるのはプレーによる貢献だけ。今シーズンのメキシコは、まさに本田にとって正念場となった。

2017年9月4日月曜日

Daoさんから

ベトナムに帰省していたDaoさんと再会。

すてきなお土産をいただきました。

ありがとう。


2017年9月3日日曜日

「REN」(根津)

涼しくて静かな日曜日、

近くのCafe Bar「REN」にてモヒートなど


2017年9月1日金曜日

オシムからハリルホジッチへ――日本流サッカーの完成を

先発選手の選択がすべて

サッカー日本代表がオーストラリアに2-0で勝利し、W杯出場を決めた。

勝因はハリルホジッチの大胆な選手起用と、その起用にこたえた若手選手の活躍ということに集約できる。先発には本田も香川も岡崎もいなかった。

ということで、この試合の先発メンバーとフォーメーションを整理しておこう。

  • GK=川島永嗣(メッス)
  • DF=長友佑都(インテルミラノ)、吉田麻也(サウサンプトン)、酒井宏樹(マルセイユ)、昌子源(鹿島)
  • MF=長谷部誠(フランクフルト)、
  • 山口蛍(C大阪)、井手口陽介(G大阪)、
  • FW=浅野拓磨(シュツットガルト)、乾貴士(エイバル)、大迫勇也(ケルン)

フォーメーションは、4-3(1-2)-3(2-1)。アンカーに長谷部を入れ、インサイドハーフに山口、井手口を配した。後述するが、この形が勝因の一つとなった。前出のとおり、先発に本田、香川、岡崎がいない。筆者が故障明けでベンチ外と予想した大迫がワントップに入った。大迫は想像以上に回復していたようだ。

勝因は献身性と運動量

試合展開の詳細は割愛するが、ハリルホジッチの先発起用の肝は、コンディションが良く、90分間、走れる選手だった。先発選手の選択は、選手の近くにいる内部の者(監督・コーチ等)にしかわからない。ハリルホジッチはオーストラリアの攻撃を前線から封じる策を目指し、そのことが可能な選手を選択し結果成功した。

得点者は浅野と井手口。浅野の裏への飛び出し(スピード)、井手口のゴール前のねばり(運動量)――得点シーンは対照的な形ながら、2つのゴールの根底には献身性と運動量という共通点が見いだせる。

勝因を大雑把に表現すれば、前出のとおり献身性と運動量だ。それは得点場面に限らない。90分間、全局面で労を惜しまず、攻守にわたり走る続けたことと換言できる。乾もそれに邁進した。いまの本田及び香川にはそれができない、とハリルホジッチは考えた。ハリルホジッチのゲームプラン――攻撃的守備からゴールに結びつけるイメージ――の中に、彼らは入っていなかった。

筆者は前回拙Blogにおいて、ベンチ入り23名と先発11名を予想したが、間違った部分があるものの、選手を選ぶポイントは正しかったと確信している。

筆者の予想は、
DF=吉田、昌子(控え=植田、槙野)、SB=長友、酒井宏(酒井高、三浦)、MF=長谷部、山口、柴崎(井手口、香川、小林)、FW=久保、原口、岡崎(本田、乾、浅野)であった。実際には、MFでは柴崎の代わりに井手口が、FWは岡崎の代わりに筆者がベンチ外とした大迫が先発し、久保、原口の代わりに乾、浅野が先発した。

ベンチ外については、MF高萩、FWの大迫・杉本・武藤の4人と筆者は予想したが、前出のとおり大迫が先発であったものの、高萩、杉本、武藤の3人については的中し、DF植田がベンチ外であった。

道半ばだったオーストラリアの仕様変容

日本にとって幸運だった面がある。相手オーストラリアのプレースタイルの変容だ。同国は従来のロングボール、空中戦というイメージを変え、ポゼッション重視のパスサッカーに仕様を変更していた。同国は今年のコンフエデレーション杯で強豪を苦しめたため、仕様変更に自信を持ち始めていた。

しかし、オーストラリアの仕様変更は日本にとって結果が実証したように、好都合だった。同国の中盤に人数をかけた3-4-3のシステムは日本にとってプレスがかけやすい。日本の前線からの積極的守備により、オーストラリアの攻撃のスピードは失われた。

日本のゲームプランは、オーストラリアの仕様変容を見越して、スピードと運動量で相手を封ずることだった。同国がその裏をかいて、アンチフットボールに徹したら、日本のプレス作戦は空を切る。ボールキープせずにロングボールで前線の長身選手に当てられれば、プレスは空回りする。ロングボールの返りを拾われて決定的パスを出されることもあるし、予測しにくいこぼれ球に対応できず、ミスも出る。オーストラリアのフィジカルを生かした強いプレッシャーや接触プレーは、日本にとって脅威だった。ところが、ポゼッションサッカーではそうしたオーストラリアの強みを発揮しにくい。オーストラリアの仕様変更はこの試合時点では、それほど完成したものではなかったのだ。

新生日本代表の出初式

この試合の前、ハリルホジッチに対する批判が強かった。一つは国内組を起用しないことの批判であり、もう一つは、本田、香川等の「主力」といわれる選手を外すことに対する批判だった。前者については拙Blogで既に書いたので繰り返さない。

後者は広告塔である彼らを起用しないことに対する広告主(広告代理店)からの不満の表れということになる。広告主の圧力はハリルホジッチに限らず歴代の代表監督にかけられた。広告代理店は複数のメディアを使って、代表監督に圧力をかける。「この試合で勝てなければ監督更迭」という言説が協会関係者(幹部)の声として流される。実名のときもあれば、匿名のときもある。

代表監督の若手抜擢については、「経験がない」の一言で断罪し、「スター選手」で試合に臨むことを好む。その実は、広告塔を起用してくれ、なのだが。

プロなのだから、スポーツとはいえ利権が絡む。カネがすべての世の中だから、投資した者は回収を望む。回収を望む声とチームが強くなるプロセスとは一致しないこともある。ただいえるのは、この試合の前から、本田、香川は「過去の人」だったということ。広告主=広告代理店はそのことを予見できず、いまだ彼らの広告塔としての価値を疑わなかっただけなのだ。代理店も広告主も先を見る目がなかっただけなのだ。それを代表監督の力量のせいにしようとする。愚かなことだ。

日本流サッカーで世界と闘うしか道はない

日本は予選を勝ち抜いたとはいえ、W杯本大会において予選通過し、決勝リーグで勝ち進む実力を身に着けるには時間がなさすぎる。この先すぐに世界レベルのストライカーが輩出される予兆もない。だから本大会で負けてもいい――わけはない。

サラエヴォ(筆者撮影)
日本が本戦で勝利するためには、この試合のように、献身性と運動量で相手を上回るしか道はない。スター主義を排し、規律を重視し、チームプレーに徹する道だ。この道はかつて、あのオシム元日本代表監督が目指し、完成させようとした「日本サッカー」だった。FW浅野が示したアジリティー(俊敏性)を加えたほうがいいのだが、それもオシムは指摘していた。

モスタル(同上)
オシム(ボスニアヘルツェゴビナ・サラエヴォ出身)は道半ばで病に倒れたけれど、彼の志は同じ国の出身者、ハリルホジッチ(同・モスタル出身)に受け継がれた。余談だが、サラエヴォもモスタルも筆者が大好きな街(サラエヴォとモスタルはバルカン半島、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市で、至近距離に位置している)。新旧の代表監督の話から、いま、筆者の思いははるかバルカン半島に飛んでいる。