2022年3月29日火曜日

『叛乱を解放する 体験と普遍史』

●長崎浩〔著〕 ●月曜社 ●3200円+税 

著者(長崎浩)は本題の〈普遍史〉について、‶ユダヤ・キリスト教の救済史、世界史を救済の歴史として歴史化することです。この救済をキリスト教ではなく革命と言えば、マルクスの歴史観になりますが、これを世界史の法則と言わないで「普遍史」という。(同書P234)”と定義づけている。〈普遍史〉とは史的唯物論のことだと換言できよう。

ユダヤ・キリスト教の教典ではユダヤ民族が幾多の苦難を乗り越えて、約束の地へたどりつく神話を指すのであり、この世から理想社会へと向かう革命運動をも意味する。理想の世界への道程は普遍宗教、マルクス主義、天皇制ファシズム、国家社会主義、ナチズム等のイデオロギーに基づき導かれる。個はイデオロギーに随伴して、それぞれの体験をその内面に刻む。 

ブント赤軍派、連合赤軍、日本赤軍への言及を欠いた新左翼論 

本書を一言でいえば、新左翼論である。著者(長崎浩)は、《「日本の新左翼とは何だったのか」、これが共同のテーマである。(P386)》、そして、《もし一九六八年の叛乱の経験が今の若い世代にもなんらかの教訓になるとすれば、あれは「世界革命」だったということです。(P235)》と自問自答している。 

60年安保闘争をもっとも激しく闘った第一次ブント(共産主義同盟)の創設から、「68年世界革命」に同伴した著者(長崎浩)が、その後の新左翼運動の混迷と消滅をも含めて「体験」として語ったというわけだが、最後まで読み切ったところで、意外な感じがした。何かが抜けていると。 

著者(長崎浩)は多くの犠牲者を出した革マル×中核の内ゲバ、すなわち‶革共同戦争″についてきわめて饒舌である一方、長崎の出自であるブントから派生したブント赤軍派、そしてさらにそれを母体として結成された連合赤軍及び日本赤軍についての論究がない。ブント赤軍派にはよど号ハイジャック(1970年3月末)があり、連合赤軍には山岳アジト・リンチ同志殺害(1971~1972年)、浅間山荘立てこもり銃撃戦(1972年2月)等があった。日本赤軍にはテルアビブ空港無差別銃撃(1972年5月)、クアラルンプール大使館占拠(1975年8月)、ダッカ空港ハイジャック(1977年9月)等があった。これらを新左翼運動と関連付けないならば、その理由づけを必要とする。筆者の感覚では、それらを取り上げない新左翼論はありえない。なぜならば、1969年のブント赤軍派の誕生とその派生こそが新左翼の完成形であり着地点であり、終着地点であり、消滅地点であったと思うからだ。いち読者として、おおいに不満が残った。 

ブント赤軍派と三島由紀夫 --死を賭して戦う

ブント赤軍派の登場は1969年9月、日比谷野外音楽堂にて行われた全国全共闘大会であった。そして同年11月、大菩薩峠における「軍事演習」において、官憲により参加者が逮捕され、赤軍派活動家の過半を失った。残った幹部と有志が1970年3月、日航機よど号をハイジャックし、北朝鮮にわたり、今日に至ている。 

当時の世情を象徴するもう一つの出来事が1970年11月に起きた、作家・三島由紀夫と盾の会による、自衛隊市ヶ谷駐屯地における自衛隊員へのクーデター蹶起の檄とその直後の三島、森田必勝の割腹自殺である。生前から三島は新左翼学生運動と接点があり、1969年5月、全共闘学生との討論会に参加している。 

著者(長崎浩)が本書にて言及している革共同両派による内ゲバは、早稲田大学等を舞台にして1960年代から開始されていたが、最初に死者を出したのは1970年8月、法政大学構内における中核派による革マル派活動家・海老原俊夫殺害が最初であった(P340)。この殺人は偶発的だった可能性が高いが、この〈死〉を契機として、両派の暴力は激烈化した。ブントを母体とした連合赤軍・日本赤軍、革共同両派(中核・革マル)、そして三島由紀夫はともに、「死を賭して」戦った。そして、その影響は新左翼において、死を辞さぬ決意主義への傾斜を加速させた。このような動きは、革命路線、革命哲学とはおよそ無縁な、ロマン主義的傾向だと筆者は考える。つまり、党派の方向性を決定したのは「本気度」だったのだと。 

連合赤軍が山岳アジトで行った粛清について、指導者の一人である永田洋子やそこにいた「兵士」たちの証言によると、粛清の動機は、「兵士」が化粧をしていたこと、言葉づかい、仕草といった些細な日常性にあったという。閉ざされた山岳アジトの中で彼らが競ったのは、革命運動に対する「本気度」だったと推測される。権力との直接的衝突がない山岳アジトにおいて、外見等が「本気度」のバロメーターになったのではないか。そればかりではない。反革命的とみなされた「兵士」を総括し、リンチを加えた「兵士」には、これまた決意が試されたのではないか。本気で友を総括する(死に至らしめる)ことが、「自己の共産主義化」 の証明だと自己は思いつめ、まわりの他者は追い詰めたのではないか。

新左翼街頭闘争の終焉 

筆者は、新左翼運動の挫折、敗北、社会からの離反を決定づけたのは、著者(長崎浩)の振り返りとは異なり、連合赤軍がかかわった仲間へのリンチ殺害による粛清だったと考える。

時系列的に振り返れば、新左翼党派の街頭闘争は、1969年4月の沖縄闘争で官憲に抑え込まれた、その一方、学園では全共闘運動が盛り上がり、スト、全学バリケード封鎖等が全国規模で戦われた。その余勢をかって新左翼は同年11月の佐藤訪米阻止闘争に注力したが、権力の厚い壁に阻まれた。この70年安保闘争不発により、新左翼運動は事実上、終止符を打っていた。その時点において、街頭闘争、そして著者(長崎浩)がいう中核派に代表される路線主義は破綻していた。

沖縄闘争の敗北を受けて、ブント赤軍派が他党派を凌駕すべく「軍事路線」「非合法」をその2か月後に前面に出し、ハイジャックを敢行した。そのことを嚆矢として、新左翼各派は競って、「東京戦争」、銃による武装、爆弾闘争、山岳アジト建設、都市ゲリラ戦、国際的革命根拠地づくり、アラブ革命派との連携・連帯・・・世界革命戦争という妄想が肥大化し、新左翼内に決意主義が横溢した。 ブントを母体とした赤軍派とその発展部隊は内部粛清を経て外に向かい、革共同両派は内に向かって死に向かう暴力を先鋭化させた。敢えて言えば、死は「選択肢ではない」にもかかわらず。

死んだ子の年を数えても仕方がないとはいうものの、新左翼党派に求められたのは、69年11月に路線主義・街頭闘争が決定的に行き詰まったところにおける出口戦略だった。出口を求めなかった結果、長期にわたる悲劇が起こり続けた。 新左翼とは何だったのか、という問いを求めるのならば、革共同戦争も重要だが、ブントを母体として発生した軍事路線というテーマを抜きにした「語り」はあり得ない。著者(長崎浩)がブントを出自としたが故にそこに焦点をあてなかったとしたら、本書こそ党派性そのものに彩られたと言わざるをえない。 

普遍史としてのスターリニズムとそこからの解放 

1968年の普遍史という観点からいえば、著者(長崎浩)は触れていないが、その最重要事項の一つに当時の学生大衆における、反スターリニズム体験があったのではないかと思う。 

日本における反スターリニズム運動の源流は1950年代中葉までさかのぼる。1956年のハンガリー動乱、同年になされたソ連フルシチョフによるスターリン批判などを契機として、絶対的権威を保っていた日本共産党(以下「日共」)及びソ連に対する批判が起こり始める。1957年1月、日本トロツキスト聯盟・第四インターナショナル日本支部が結成される。彼らはスターリンによって抹殺されたトロツキーの永続革命論を支持したため、日共により「トロツキスト」と呼ばれ、かつ第四の「ヨン」とトロツキストの「トロ」とを合わせて「ヨントロ」とも略称された。創設者として、太田竜、黒田寛一らがいた。ヨントロは同年12月に革命的共産主義同盟(革共同)と名称変更し、60年代、革命的マルクス主義派(革マル派)、全国委員会(中核派)、第四インターナショナル日本支部の3派に分裂した。

一方、著者(長崎浩)が創設にかかわったブント(共産主義者同盟)は革共同よりほぼ1年遅れで結成され、60年安保闘争の主役となったが、安保闘争の敗北とともにほぼ解党状態に陥った(そののち、60年代半ば第二次ブントとして復活した)。60年安保後におけるブントと革共同の相違点は、後者が「反スターリン主義」を前面に掲げたのに対し、前者はマルクス主義大衆運動に純化した路線をとったところにあった。なお、革共同は、60年安保闘争において勢力を温存した。

60年安保闘争後にできあがった新左翼の基礎 

国民的運動として盛り上がった安保闘争であったが同条約は自動延長され、もっとも過激に闘ったブント(第一次ブント)はほぼ壊滅的打撃を被った。反日共系のブントと革共同とでは、その敗北の総括をめぐって、差異が生じた。後者は安保闘争の敗北を真の前衛党不在として厳しく受け止めた。国民運動を指導した既成左翼(日共・社会党)をスターリン主義者として非難し、彼らの日和見主義が安保闘争を敗北に終わらせたと総括した。 一方の第一次ブントは前出のとおりほぼ壊滅状態にあり、「戦旗派」「プロレタリア通信派」「革命の通達派」の3派に分裂し、政治的機能を喪失していた。そこに揺さぶりをかけたのが革共同であった。揺さぶられた第一次ブントのうち、「戦旗派」と「プロレタリア通信派」の一部は革共同に移籍した(なお、「革命の通達派」はのちにブントマルクス主義戦線派を結成したが68年に消滅)。その結果、新左翼の主流はブントから革共同へ移行した。のちの日本の「68年革命」の隆盛、敗北、消滅の主因は、実はここに内在する、というのが著者(長崎浩)の見解である。

「68年革命」と反スターリン主義 

67年の10.8羽田闘争から開始された三派系全学連(中核派、社学同=ブント、社青同解放派)による街頭闘争から始まった新左翼運動を支えた学生大衆にとって、革共同が掲げた反スターリニズムは大発見だった。当時、日本経済は成長過程にあり、戦後の貧困は姿を消し、豊かさを実感しつつも、彼ら彼女らは急激に進む都市化・情報化、そして管理社会の締め付けに危機感を抱いた。その実感は〈疎外〉という概念に集約され、その根源として、世界が帝国主義とスターリン主義によって分割統治されているという事実を発見した。そこから生まれた新左翼共通の革命の標語が「全世界を獲得するために」であった。反スターリニズム、反日共は学生大衆の心情をとらえた。著者(長崎浩)が属したブントは、日本の「68年革命」において、学生大衆の心をその一点においてつかみ損ねた。 

前出のとおり、新左翼第一党だった第一次ブントが分裂し、一部が革共同に移籍し革共同は党勢を増した。著者(長崎浩)は60年安保闘争後、ブントから移籍した一派が中核派を結成し、もともとの革マル派と敵対した経緯に強く焦点をあてている。中核派とは、革共同(唯一の前衛党主義)とブント(大衆運動路線)のアマルガムであると何度も繰り返している。そしてそのアマルガムがもつ熱量が新左翼運動をリードしたのである。中核派は確かに、日本の「68年革命」のリーダーであった。街頭闘争における動員力、戦闘力、組織力、情報発信力において他党派を凌駕していた。

しかしながら、その出生の秘密である第一次ブントと革共同のアマルガムという中核派の資質が、あたかも、日本の新左翼運動沈没の主因のような書きぶりには納得できない。もちろん、中核派の誤謬が与えた影響ははなはだ大なのだが、学生大衆、社会全体に与えた衝撃度において、ブントを母体とした赤軍派、連合赤軍、日本赤軍のあり方を問わない理由はない。 

68年は世界革命ではない 

革共同、ブント、そして構造改革派からレーニン主義に転じた諸々の新左翼革命諸派が等しく67~68年における街頭闘争の「勝利」に陶酔し、69年に台頭した全共闘運動を叛乱だと錯覚し、同年11月に官憲により暴力的に敗北を屈したにもかかわらず、出口戦略を模索せず、内ゲバと無謀な軍事路線に固執したのが新左翼運動のすべてである。 

ついでに言っておくと、68年は世界革命ではない。『ポストモダンの共産主義-はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(スラヴォイ・ジジェク)から長いが引用しておこう。 68年はのちの新自由主義の発展を準備したのである。

(ポストモダン資本主義への)イデオロギーの移行は、1960年代の反乱(68年パリの5月革命からドイツの学生運動、アメリカのヒッピーに至るまで)の反動として起きた。60年代の抗議運動は、資本主義に対して、お決まりの社会・経済的搾取批判に新たな文明的な批判をつけ加えていた。日常生活における疎外、消費の商業化、「仮面をかぶって生きる」ことを強いられ、性的その他の抑圧にさらされた大衆社会のいかがわしさ、などだ。 

資本主義の新たな精神は、こうした1968年の平等主義かつ反ヒエラルキー的な文言を昂然と復活させ、法人資本主義と〈現実に存在する社会主義〉の両者に共通する抑圧的な社会組織というものに対して、勝利をおさめるリバタリアンの反乱として出現した。この新たな自由至上主義精神の典型例は、マイクロソフト社のビル・ゲイツやベン&ジュリー・アイスクリームの創業者たちといった、くだけた服装の「クール」な資本家に見ることができる。・・・(略)・・・1960年代の性の解放を生き延びたものは、寛容な快楽主義だった。それは超自我の庇護のもとに成り立つ支配的なイデオロギーにたやすく組み込まれていった。・・・(略)・・・今日の「非抑圧的」な快楽主義…の超自我性は、許された享楽がいかんせん義務的な享楽に転ずることにある。こうした純粋に自閉的な享楽(ドラッグその他の恍惚感をもたらす手立てによる)への欲求は、まさしく政治的な瞬間に生じた。すなわち、1968年の解放を目指した一連の動きの潜在力が、枯渇したときだ。

この1970年代半ばの時期に、残された唯一の道は、直接的で粗暴な「行為への移行」――〈現実界〉へおしやられることだった。・・・(そして、)おもに3つの形態がとられた。まず、過激な形での性的な享楽の探求、それから、左派の政治的テロリズム(ドイツ赤軍派、イタリアの赤い旅団など)。大衆が資本主義のイデオロギーの泥沼にどっぷりつかった時代には、もはや権威あるイデオロギー批判も有効ではなく、生の〈現実界〉の直接的暴力、つまり、「直接行動」に訴えるよりほかに大衆を目覚めさせる手段はないと考え、そこに賭けた。そして、最後に、精神的経験の〈現実界〉への志向(東洋の神秘主義)。これら三つに共通していたのは、直接〈現実界〉に触れる具体的な社会・政治的企てからの逃避だった。(P99~103) 

 ジジェクによれば、1968年に抗議行動を起こした新左派は、(日本の新左翼の場合は政治的に敗北したが、欧米においては、)まさに勝利の瞬間に敗北した。目前の敵は倒したものの、いっそう直接的な資本主義支配の新しい形態が出現したのである。「ポストモダン」資本主義においては市場が新たな範囲に、教育から刑務所、法と秩序などの国家の特権とされた領域にまで侵食した。社会関係を直接に生産すると称揚される「非物質的労働」(教育、セラピーなど)が、商品経済の内部で意味を持つことを忘れてはならない。これまで対象外とされていた新しい領域が商品化されつつある。日本の場合も同様に、新左翼の思想的傾向の多くが、新たなシステムや消費トレンドに包摂されていった。そのことを踏まえ、ジジェクは、マルクスの一連の概念の大幅な修正を試みる。マルクスは「一般知性」(知識と社会協働)の社会的側面を無視したので、「一般知性」自体が私有化される可能性まで予見できなかったのだ。この枠組みのなかでは古典的マルクス理論でいう搾取はもはや存在しえないから、直接の法的措置という非経済的手段によって搾取がおこなわれていることになる、と。

スラヴォイ・ジジェクが挙げた3つの形態、すなわち、①過激な形での性的な享楽の探求、②政治的テロリズム、③精神的経験の〈現実界〉への志向(東洋の神秘主義)ー-を日本の精神風土に当てはめてみると、②がブント赤軍派・連合赤軍・世界赤軍、爆弾闘争・革共同戦争(内ゲバ)等であり、③はほぼ四半世紀遅れて顕在化した、オウム真理教によるテロリズムとなった。1968年を「世界革命」と言うのならば、それは勝利の瞬間、敗北したのであり、それは1970年以降の「非抑圧的」な快楽主義という超自我性の直接行為へと向かってしまったのである。

[追記]

本文投稿後、偶然にも、長崎浩の小論「1970年 岐かれ道それぞれ」を読んだ。そこには次のように書かれている。 

小熊英二の『1968』には「1970年のパラダイム変換」と題した長い章が置かれている(下巻第14章)。ちょうどこの年を境にして新左翼の思考と行動の組み立て方が転換するというのである。メルクマールとして挙げられているのが、戦後民主主義と近代合理主義にたいする批判、マイノリティー差別、地域闘争、セクトの建軍路線とゲリラの爆弾闘争、そして内ゲバへの序曲である。パラダイムチェンジというより「日本の1968」が文字通りばらけたということだが、これらメルクマールが「1968」に関わった者たちにとって、それぞれの岐れ道になったのは確かだろう。(『1970年 端境期の時代』P61/鹿砦社編集部〔編〕) 

同小論において、本文において筆者が著者(長崎浩)に投げかけた疑問、すなわち、三島由紀夫の自決、新左翼各派の街頭闘争から本格的武装闘争への方針転換(建軍路線)、すなわちゲバ棒・ヘルメット・投石から、ゲリラ組織による爆弾闘争、赤軍派ハイジャック、連合赤軍による銃撃戦等についてふれているのだが、それはきわめて簡単である。もちろん、連合赤軍による同志リンチ殺害は無視されている。筆者が挙げた疑問に係らなかった事項は、華青闘による新左翼批判とそれに対する新左翼側の自己批判(マイノリティー差別への取組み)だけである。

長崎浩は、1970年以降の新左翼の動向に触れてはいるが、その内容は極めて希薄(紙数制限のためかどうかは不明)である。長崎にとっての1970年以降は、革共同の内ゲバを除けば、およそ新左翼とは無縁だとみなすかのような、そして長崎自身とは無縁な事象だというかのごとく、冷淡な書きぶりである。小熊英二の前掲書を書き写しただけにとどまっている。長崎浩の新左翼論は、草創期ブントと「1968年」の革共同、全共闘運動に偏りすぎていると言わざるを得ない。その理由が知りたいと改めて思う次第である。 

なお言うまでもなく、パラダイム変換というのは自然現象ではない。「1968年」の新左翼が情況変化に対応して戦術的に取り組む対象を広げざるを得なかったまでのことだ。新左翼の反体制運動は連続的に生成されたものであり、70年をもって線引きすることは正しくない。

日本のマルクス主義思想界において、スラヴォイ・ジジェクやアントニオ・ネグリらを輩出し損ねただけなのである。 

2022年3月28日月曜日

寺と桜

 経王寺



2022年3月26日土曜日

寛永寺桜

 





2022年3月25日金曜日

石垣の雪柳(日暮里駅南口付近)

石垣に根を張り、花を咲かせる雪柳



 

2022年3月23日水曜日

谷中霊園の桜

勝手に開花宣言



 

2022年3月22日火曜日

だれが描いたかこの壁画(谷中)

カフェの建物の壁に描かれている。


 

2022年3月20日日曜日

2022NPB順位予想(1)


  恒例の順位予想である。ここ数年、まったく当たっていない。とりわけ昨年は前年最下位球団がセパともにシーズン優勝を飾った。筆者の予想はともに最下位だったから、両球団に礼を失した。順位予想は難しい。 

延長12回制度復活

さて、2022シーズンにおいて特筆すべきは、第一に、延長12回制度の復活である。前シーズンのように9回打切りでは引分数が勝率に影響を与え、真の実力が反映しづらかった。今年は前年に比べ、選手層の厚さがより重要となる。第二に、今年に限らずここ1、2年のことであるが、コロナ感染者が与える影響である。感染者、濃厚接触者と特定されれば、出場できなくなる。出場停止期間に関するレギュレーションがいまのところわからいものの、少なくとも5日くらいは試合に出られなくなるのではないか。そうなれば、やはり選手層の厚さが重要となる。レギュラーとリザーブの差が小さい選手を豊富に揃えた球団が優位に立つ。そのような観点からして、セリーグでは読売、パリーグではソフトバンクが上位に来る確率は高い。 

セントラルリーグ 

今年は昨年以上の混戦が予想される。前出の通り、読売が優位にあることはまちがいないのだが、オープン戦では結果が出ていない。原監督が思い描く理想の先発メンバーを書いてみると、 

1.吉川(二) 

2.坂本(遊)

3.丸(中) 

4.岡本(三)

5.中田(一) 

6.ポランコ(右)

7.ウイラー(左) 

8.大城(捕) 

9.投手

実績十分、ビッグネーム揃いの重量打線である。相手投手は息が抜けない。失投はまちがいなく、オーバーフェンスだ。しかし、オープン戦の成績は岡本、中田以外は振るわなかった。しかも、吉川、岡本を除くと、若くない。ベビーフェイスで若い若いと思っていた坂本がなんと、30半ばである。激務の遊撃でシーズンフルに活躍できるのだろうか。丸も33歳だ。プロ野球選手の30代半ばは働き盛りという見方もあるだろうが、衰えの始まる年齢でもある。 

課題は新外国人のポランコ、丸の不振、確定できない一番打者の3点だ。ポランコはなみの外国人選手ではないという評判だが、日本の投手の配給、変化球に慣れていない。慣れるまで時間を要する。原監督が慣れるまで先発で起用し続けるのか、結果が出ないところで二軍調整にまわすのか。ポランコへの期待がマイナスになり、序盤で星を落とす可能性もある。 

丸の不振は彼の変則バッティングフォームにある。調整不足ではなく根本的な欠陥である。落差のある変化球に対応できない弱点が相手投手陣に浸透してしまった。 

一番の最適任者は松原だが、オープン戦でスランプに陥り、復活のきっかけをつかめないまま、開幕を迎えてしまった。坂本はそれなりの結果を出すだろうが、以前のような爆発力は失われている。中田は体重を増やしてオープン戦は活躍したけど、あの体形は「第二の清原」だろう。ウイラーは守備のマイナス、シーズン全試合は無理だから、それなりの出場で終わる。吉川は3番に起用したい選手なのだろうが、はっきりしない。つまり、岡本だけが昨シーズン並みの活躍が期待できるという状況にある。野手の若手・中堅はのきなみ伸び悩み状態。選手層が厚いと思っていたけど、その知名度・実績に比して、期待度は低い。若手への切り替えに失敗した球団であることはまちがいない。 

投手陣では、先発として菅野、メルセデス、新人の赤星が確定。山口、戸郷、高橋が開幕に間に合うかどうか不明。新人の山崎はスタミナ不足で起用法定まらず。 

ブルペンは中川、鍵谷、ビエイラが開幕間に合わず。ワンポイント左腕の高木は限界。抑えはデラロサ、セットアッパーが大勢、左の変則の大江、高梨が7回か。投手陣も今村、畠、鍬原、桜井、利根といった中堅が伸び悩み。こうしてみると、序盤戦、戦力は整わない。アンドリュー、シューメイカーの外国人と故障者が復帰するまで、戸田、堀田、直江といった未知数の若手を含めた総動員体制で戦うしかない。 

さて、本命の読売が危機にあるなか、他球団はどうなのかというと、これまた明るい材料はない。順位予想はきわめて難しい。混戦にあることはまちがいない。そのなかで下位が確定しそうなのが、貧打の中日、鈴木が抜けた広島、投手陣が弱く、ソトとオースチンが間に合わない横浜の3球団。上位は阪神、ヤクルト、読売でおさまる気配。阪神は藤波の復活がプラス材料。エイヤーで順位を書けば、 

1.阪神、2.ヤクルト、3.読売、4.広島、5.中日、6.横浜 

(次回はパリーグ) 

長明寺(谷中)の枝垂れ桜

 見事に咲き誇りました。



2022年3月18日金曜日

寓話「ヨーロッパの東の森で」

むかしむかし、ヨーロッパの東の森に、お調子者のキツネのゼレと凶暴なヒグマのプーが隣り合わせで暮らしていました。それをみた海の向こうの野生の王国の王様バイはゼレに向かって、「隣のプーの縄張りを荒らしてこいよ、なにかあったら助けてあげるから」といいました。バイの子分となっている森の仲間も「だいじょうぶ」とゼネをけしかけました。お調子者のゼネはその気になって、プーの隙を狙ってプーの縄張りで狩りをしたり、おいしい木の実を盗んでしまったり。

プーは最初のうちは我慢をしていましたが、ゼネの悪さが目に余るようになり、ゼネに一撃を食らわせました。ゼネはそれでも縄張りに侵入し続けたのです。もともと怒りっぽいプーは、ゼネを本気で攻撃しました。ゼネは海の向こうの王様バイや森の仲間に「プーをやっつけてくれ」と頼んだのですが、バイも森の仲間もプーと戦ってはくれません。彼らはあまった肉や木の実をゼネに恵んで、「ガンバレ、ゼネ」と声援するだけでした。プーの攻撃はますます激しさを増し、ゼネは全身血まみれになりました。みかねた、フクロウやハトが「喧嘩はそれくらいにしなさい」とプーをなだめようとしましたが、プーは聞きません。

しばらくするとプーは、昼間はゼネに傷を負わせ、夜になるとゼネと話し合うようになりました。いま(3月18日)はここ。さて、ゼネとプーは、この先どうなるのでしょうか。

①ゼネがプーに謝って和解し、森に平和が戻る、②ゼネはプーに食われてしまうまで戦い続ける、③バイとその仲間がゼネに加勢して、〔ヒグマ〕Vs〔ライオン・その子分・ゼネ〕が、この先、ずっと戦い続ける、④そのとき、この戦いを黙って見ていた東の森の巨大なトラがヒグマを助ける、つまり、人間の世界でいう第三次世界大戦が勃発する。⑤ライオンとヒグマがナゾの最終兵器をもちだし、世界は滅亡する。

賢明なよい子なら、①を選ぶにきまっているよね。 

2022年3月15日火曜日

谷中に春の花が

了俒寺の白木蓮と天王寺のオカメザクラ





写真展・木村伊兵衛『パリ残像』(目黒区美術館)

 大好きな写真家・木村伊兵衛の写真展。

いいね。






目黒

目黒区美術館の近く。

目黒川

大鳥神社

 

2022年3月4日金曜日

 マンボウ施行の中、Mr.Jとカラオケなど(千駄木「ジャンボ」にて)



ウクライナに平和を(谷中キッテ通り)


 

2022年2月25日金曜日

杭州、新疆の人たち

杭州のJさんファミリーに新疆のYさんが合流。
Jさんが得意の中華料理をふるまってくれた。



 

2022年2月18日金曜日

うんざり五輪

 


プーチン大統領はシドニー五輪選手団の壮行会で「スポーツでの勝利は100の政治スローガンよりも国民を団結させる」と述べているという。いまどき国民を団結させてやることといえば、戦争ぐらいしか思いつかない。 

専制政治家の五輪利用

スポーツは勝ち負け、すなわち白黒がはっきりしている。あいまいで混沌とした現実の社会現象よりは結果が頭に入りやすい。専制的政治家がポピュリズムによって支持を得るように。すなわち、スポーツが強い国はよい国、そして世界のなかで優越的な地位にいる国、あなたはその一員なんだよ、そして僕がその強い国のリーダーなんだよ、という展開にもっていく。自国の選手が五輪でメダルを取るということは、自国が強い国であり、運動音痴の人間でも、メダルをとった選手と一体化する。専制的政治家にとって、スポーツは都合の良いツールなのだ。

このことに最初に気づいたのは、20世紀、ナチスドイツだったのではないか。ナチスドイツは五輪を首都ベルリンで開催し、同時に、当時の先端的メディアであった映像を駆使して、自国のスポーツ選手の肉体美を強者、優越者、支配者として国民に提示した。アーリア民族という幻想の共同体をつくりあげる一助とした。そればかりではない。五輪が人種差別を促進した。五輪開催にあわせて、ベルリン(周辺部を含む)にいたロマは強制収容所に入れられた。五輪の直後からユダヤ人狩りが激しさを増した。なお、2020東京大会においても、都心のホームレスが公園等から排除された。

祝賀型資本主義と五輪ーーメディア産業が五輪開催を推進

五輪を契機とした祝賀型資本主義によって、経済の底上げ効果が期待されるようになった。競技場に代表されるハコモノ建設、道路整備、観光客目当てのホテル建設、競技場周辺における都市計画の規制緩和などなど、経済界が五輪景気に期待する。 

併せてメディア業界、とりわけテレビ業界は五輪中継及びその関連番組の視聴率が高いこと、及び、広告収入増の観点から、広告代理業者と結託して、五輪開催推進勢力となった。その結果、専制的国家とマスメディアは五輪推進において共同戦線を張るに至った。

アメリカの場合、全国3大ネットワークのうち、NBCしか五輪放映権をもっていないから、CBS、ABCのライブ中継はない。ところが日本の場合、五輪開催中、地上波の過半が特別編成で競技中継番組を流す。地上波、BSあわせて数局が五輪のライブ中継をし、加えて、ニュース番組、情報番組、特別番組、スポーツニュース番組などで五輪関連番組が放映される。五輪に興味がない人間はテレビを消す時間が長くなる。 ナショナリズムを高揚させたい政治家、そして、祝賀型資本主義で恩恵を受ける建設業者、不動産業者、メディア業者等のための五輪にはもう、うんざりだ。 

2022年2月15日火曜日

疑惑の人、阪神矢野監督、シーズン前に自ら退任を公表

2月中旬に差し掛かり、NPB(日本プロ野球)各球団のキャンプは佳境に入りつつある。紅白試合から他球団との練習試合も開催されている。しかしながら、各球団にコロナ感染者が続出し、順調な船出とはいかない。  

キャンプイン初日、阪神矢野監督、異例の今季限りでの退任を自ら公表

今年のキャンプで異例とも思えたのが、阪神タイガース矢野監督が、キャンプイン初日に自ら今シーズン限りでの退任を公表したことだ。指揮官が戦う前に退任を選手、ファンに公言するのは珍しい。筆者の記憶にはない。良いことか悪いことかと問われれば、もちろん、悪い。その理由は、指揮官は結果に責任を負うのであって、任期を自ら定めるものではないからだ。趣味で監督の仕事をやっているのならば、それもよかろう。しかしかりにも、阪神タイガースがシーズン途中、泥沼にはまって負け続けたときはどうなのか。そのときは辞めるしかあるまい。すなわち、プロの指揮官が自ら任期を限る意味はまったくない。辞める監督の指揮下でプレーする選手の気持ちも考えていない。この人の言動はとにかく軽すぎる。思慮に欠けるのだ。 

2021シーズン、阪神のサイン盗み疑惑発生

矢野監督は疑惑の渦中の人だ。昨シーズン、サイン盗みの疑いでヤクルト村上が抗議をした。2021年7月6日の出来事だった。村上の抗議に対して矢野は村上に対して、いかにも野卑な表現で否定した。コミッショナーもヤクルト側の抗議を無視して、事態はうやむやのままシーズンを終えた。しかし、阪神は抗議を受けたヤクルトに優勝をさらわれ、2位でペナントレースを終え、クライマックスシリーズでも3位の読売に負けてシーズンを終えている。 矢野が村上に謝罪したとは聞いていない。

物的証拠はないが状況的「証拠」はある

 サイン盗みがあったのかなかったのかは筆者にはわからない。ただ、「状況的証拠」はある。阪神の2021打撃成績を調べると、開幕から6月まで(すなわち抗議のあった7月前までの3・4月、5月、6月の71試合)の月間本塁打数合計は70本であったのに対し、7月から10月までの72試合における本塁打数合計は51本と大幅に減少している。勝率については、シーズン開始から7月6日までが45勝32敗3分、.584。それ以降は32勝28敗7分、.533とこれまた落としている。貯金(いわゆる価値と負けの差)は13から4とこれまた大幅減である。 阪神タイガースの成績は、ヤクルト村上が抗議を発した7月6日をもって下降したのである。

「驚異の新人」だった佐藤輝明の成績 

シーズン途中、新人王候補間違いなしと呼ばれた佐藤輝明の成績を見てみよう。前出と同じように、サイン盗みの抗議のあった7月以前とそれ以降の比較である。3月から6月までが278打席73安打、.262、7月から10月までが167打数、28安打、.168の低率である。本塁打数は19本から5本と大幅減となっている。

新人選手の成績であるから、他球団の投手が研究したことで成績が下がったという理屈は成り立つ。佐藤がサイン盗みをしたから成績が良かったと断言できるわけではない。その証拠がないのである。阪神タイガースも佐藤輝明も、裁判でいうところの推定無罪である。しかしながら、これだけは言えるのである--阪神タイガーズ、矢野監督、そして全選手がサイン盗みの疑惑を実績で払しょくできなかったと。

2022シーズン、阪神のみならず、全球団、フェアプレイに徹してほしい。 

2022年2月12日土曜日

『幻の村-哀史・満蒙開拓』

●手塚孝典〔著〕●早稲田新書 ●990円 

本書の章立ては以下のとおりである。 

第一章 沈黙の村
長野県河野村の満蒙開拓団の悲劇に係る記述。  

第二章 忘れられた少年たち
長野県山ノ内町の満蒙開拓青少年義勇軍の悲劇を伝える。数えで16~19歳の青少年たちが、敗戦間近、関東軍撤退後のソ連国境地帯の軍事的空白地帯に送り込まれ、侵攻してきたソ連軍に追われ、逃亡中及び収容所で非業の死を遂げた実態が示される。  

第三章 帰郷の果て
第四章 ふたつの祖国に生きる
ともに中国残留孤児問題への論及。開拓団家族はソ連軍の侵攻から逃亡する途中、せめて幼い子供だけは生き延びてほしいと、中国人に子供を預けた。戦後、その子供達が成人し、祖国日本への帰還を希望したのだが、帰還はそう簡単ではなかった。言葉、生活習慣、日本社会の排他性など、帰還した残留孤児たちの日本での生活は厳しかった。2002年に始まった、残留孤児による国家賠償請求訴訟の裁判では帰国した残留日本人の9割(2,211人)が原告となった。長野県では2004年、79人が原告となった。  

第五章 幻の村
第一章で登場した河野村において満蒙開拓を推進した当時の河野村村長・胡桃澤盛(くるみざわ・もり)の日記を中心にして、満蒙開拓がいかに推進されたかが詳細に示される。と同時に、戦後、自分が送り出した開拓団の悲惨な結果(73名が集団自決)を知らされた胡桃澤盛が自死を選択した経緯等が示される。 

日記

第五章の胡桃沢盛の日記を読むと、盛のそう長くない人生のなかに〈1930年代〉が凝縮されていることにはっとさせられる。と同時に、盛の歩んだ進路と日本帝国がアジア太平洋戦争に邁進した過程がぴたりと重なり合っていることに驚愕する。 21世紀に生きる「われわれ」は、彼の日記により、取り返しのつかない破綻、破滅、悲劇を同時代のように追体験する。満蒙開拓は、日本の近現代史を考える者に重い課題を突き付ける。

さて、長野県は全国中、満蒙開拓団を最も多く送り出した。

開拓民総数は27万人余り。うち長野県は3万3000人と全国一の多さで、さらにその4分の1の8400人が飯田・下伊那郡からであった。この地域から長野県の4分の1以上の渡満者が出ているのは特筆に値する。2013年4月、日本で唯一の「満蒙開拓」に特化した記念館が、長野県阿智村に開館している。(『論文「全国一の開拓民を送り出した長野県」 満蒙開拓平和記念館―戦争と自治体―/自治問題研究所)』 

当時、河野村がある長野県下伊那郡は全国で有数の生糸の生産地帯であった。ところが世界大恐慌の影響で対米輸出が大幅に減少し、同郡の農村の経済の疲弊が進んだ。そんな状況下、日本帝国政府が出した農村政策が皇国農村である。同閣議決定には満蒙開拓には一切触れていない。だが、よく読むと、そこに〈分村〉という二文字がある。 皇国農村という国策にそって、満蒙開拓移民はたくみに誘導され、かの地にわたっていったのである。 

胡桃澤盛の自死と日本の戦争の時代

敗戦から1年近くが経過した1946年、盛のもとに、盛が満州へ送り出した河野村開拓団の悲報が次々と届けられるようになる。そして盛は、同年、自ら命を絶った。日記の最後のページは破られていて、そこには遺書があったとみられているが、誰が破ったかもその行方もわからないという。だが、当時の新聞がそこにあった最後の言葉を伝えていた。 

胡桃澤盛の日記は、青春時代、大正デモクラシーを享受した長野の自由人が、1930年代、満州事変から始まった中国侵略戦争・アジア太平洋戦争へと進んでいく日本帝国の動きに同期していく過程を描きだしたものである。それは日本帝国の総力戦に向けた〈革新派〉の動きに、個が否応なくからめとられていく過程でもある。それを換言すれば、明治維新から始まった文明開化、すなわち、日本帝国の近代化の末路であり、日本浪曼派が嫌悪した日本型「近代」の終焉にほかならない。 

いまを生きるすべての日本人は、自由人がいとも簡単に、軍国ファシズムに従順なる者に変容してしまった事実を見定め、かつ、敗戦間近に村人を満蒙に移住させてしまう不条理を考え続ける必要がある。20世紀の戦争、すなわち総力戦とは、国民一人一人が加害者であり被害者であることを強いるものであったことを忘れてはいけない。 

あったことを記録するのが歴史の第一歩である。後年の者が「歴史戦」などとほざくのは論外である。歴史は修正されてはならない。胡桃澤盛の日記がそのことを如実に語っているではないか。

2022年1月11日火曜日

『人新生の「資本論」』

●斉藤幸平〔著〕 ●集英社新書 ●1200円+税

2019年新書大賞を受賞した話題の本である。最近、著者の斉藤幸平はマスメディアにしばしば登場するようになり、情況的発言も目に付くようになった。

危機論型革命論

本書を一口で評するならば、危機論型「マルクス主義」革命論ということになる。19世紀ドイツ、ベルンシュタインに批判された窮乏化論、20世紀日本、革命的共産主義者同盟革マル派に批判された岩田弘の世界資本主義危機論とほぼ同型である。本書の場合、経済危機が、気候変動・生態学的変化――地球環境危機に置き換えられているにすぎない。このまま資本主義を継続すれば、地球、そして人類が滅亡する、その素因は資本主義そのものにある、だから資本主義に代わる経済体制を目指さなければならないと。世界の終わり、終末を煽って世直しを訴える論法である。

マルクスの権威に依拠

もう一つ気になったのは、晩期マルクスに依拠して、持論を権威づけようとする傾向である。晩期マルクスがエコロジーや植民地に関心を示していたという「発見」については興味深いが、その「発見」を検証する能力は筆者にはない。だが、マルクスがその方向に舵を切らず、体系的論考を残さなかったのは歴史的事実であり、だから、どうしてそうなってしまったのか、という問いを設けることはできる。その解として、①マルクスにその時間が残されていなかったから、②マルクスが敢えて論の構築を放棄したから――という二通りの推論が考えつく。筆者は②だと思う。その理由は、マルクスにとって、革命主体はあくまでもプロレタリアでなければならなかったからである。地球環境危機の元凶がブルジョワであるという立論を前面に出せば、『資本論』の書き換えが必要となるし、奴隷的労働を強いられている植民地民衆と19世紀欧州のプロレタリアとを連帯させる思想的環の論理づけも必要となる。晩期マルクスがエコロジー等に関心を示していたのだから、地球環境危機を救うには人類が資本主義を捨てるしかない、そのことが正統的マルクス主義革命論なのだ、という方向づけはマルクスを介した「後だしジャンケン」で、勝ちを宣言するようなものだ。

繰り返すが、晩期マルクスがエコロジー及び植民地に関心を示していた文献の「発見」は、マルクス研究における偉業であるとしても、マルクス主義はマルクスが世に出した研究結果をもって評価すべきであり、世に出さなかった関心事は、マルクスの限界として抑えるべきである。そのような学問的態度が、「21世紀の〈共産主義〉」、「人新生の〈共産主義〉」であり、マルクスの遺志の継承のあるべき姿のように思う。

人新生という本題への疑問

筆者は、本題にある「人新生」という用語がなじまない。著者(斉藤幸平)は「人新生」について、《人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新生(Anthropocene)」と名付けた。(P4)》及び《「人新生」とは、資本主義が生みだした人工物、つまり負荷や矛盾が地球を覆った時代(P364)》という説明をしているにすぎない。浅学の筆者はやむなく、Wikipediaにて、その説明を読んでみた。

人新世(じんしんせい、ひとしんせい、英: Anthropocene)とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている、地質時代における現代を含む区分である。オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンらが2000年にAnthropocene(ギリシャ語に由来し、「人間の新たな時代」の意)を提唱し、国際地質科学連合で2009年に人新世作業部会が設置された。和訳名は人新世のほかに新人世(しんじんせい)や人類新世がある。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。
人新世という用語は、科学的な文脈で非公式に使用されており、正式な地質年代とするかについて議論が続いている。人新世の開始年代は様々な提案があり、12,000年前の農耕革命を始まりとするものから、1960年代以降という遅い時期を始まりとする意見まで幅がある。人新世の最も若い年代、特に第二次世界大戦後は社会経済や地球環境の変動が劇的に増加しており、この時期はグレート・アクセラレーション(大加速)と呼ばれる。

Wikipediaの説明を信じるならば、「人新生」という地質年代の開始については一万年以上の幅があり、科学的には正式には確定していない。

ヒトの歴史の始まりは、約20万~ 19万年前に ホモ・サピエンス(現在のヒト)がアフリカに出現し、約10万年前、その一部がアフリカを脱し、ユーラシア各地への移動を開始し、やがて世界各地に拡がったという説が最初だとされる。一つの類もしくは種が地球全体に分布できたということが、ヒトをして地球を制覇しえた素因である。そして有史時代が開始されたのである。

ヒトは地球に対してさまざまな働きかけをし、地球環境を毀損し続けて今日(こんにち)に至っている。ヒトによる非調和的狩猟採集、農耕、遊牧と移動手段としての馬の獲得、灌漑工事、ムラ、都市、クニ、帝国の誕生と階級の発生。地続きのユーラシアと、孤立した南北アメリカ及びオセアニアとのあいだの不均等発展、大航海時代(大帆船と海路の拡張)、植民地経営、搾取、モノカルチャー、奴隷売買、資源の掠奪。そして17~18世紀西欧における化石燃料(石炭を使用した蒸気機関の発明及び石油使用)によるエネルギー革命と、15世紀の印刷機の発明による情報化時代の到来もグレート・アクセラレーションの基礎をなした。18~19世紀の産業革命と資本主義経済の開始によって、地球環境の毀損の具合は決定的に悪化した。人新生の始まりはヒトの誕生か、農耕・遊牧の開始か、大航海時代か、産業革命(エネルギー革命)か・・・定かではないにもかかわらず、本題に〈人新生〉を付けてしまうということはきわめて乱暴な所作だと思える。本書の内容から本題に相応しいものとしては、〈晩期マルクスと脱成長コミュニズム〉くらいではないか。

本書キーワード、外部化(不可視化)

著者(斉藤幸平)の視点を整理してみる。第一の視点は、外部化(不可視化)である。現在の先進資本主義国家は、生態学的帝国主義によりグローバル・サウス(主に南の発展途上国)に資本主義的矛盾を外部化(不可視化)することによって、帝国主義的生活様式を維持しているというもの。この視点はウォーラースティンの「世界システム論」の援用により以下のように深化される。《ウォーラースティンの見立てでは、資本主義は「中核」と「周辺」で構成されている。グローバル・サウスという周辺部から廉価な労働力を搾取し、その生産物を買い叩くことで、中核部はより大きな利潤を上げてきた。労働力の「不等価交換」によって、先進国の「過剰発展」と周辺部の「過小発展」を引き起こしていると、ウォーラースティンは考えたのだった(P30)》。著者(斉藤幸平)はウォーラースティンの中核部と周辺部におけるギャップについて、それを資本主義の片側(人間の労働力)しか扱ってこなかったと批判し、もう一方の本質的側面として地球環境を挙げる。《資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけではなく、地球環境全体なのだ。資源、エネルギー、食料も先進国との「不等価交換」によってグローバル・サウスから奪われていくのである。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる掠奪の対象とみなす。このことが本書の基本的主張のひとつをなす(P32)》。

著者(斉藤幸平)の外部化(不可視化)という指摘は大変重要なキーワードである。外部化は、先進国によるグローバル・サウスを対象としたものだけではない。先進国、たとえば日本においては、沖縄という地域は内地から外部化されている。また、日本社会のなかでもエッセンシャルワーカーや派遣社員、在日の人々、外国人実習生らは外部化されている。

外部化はマスメディアが報道しないから起こるのではない。われわれ自身の内部が不都合な真実に目をつぶるのである。著者(斉藤幸平)は《「外部化社会」として先進国を糾弾するレーセニッヒによれば、・・・「どこか遠く」の人々や自然環境に負荷を転嫁し、その真の費用を不払いにすることこそが、私たちの豊かな生活の条件なのである(P33》と書いている。

ただ、外部化という重要な視点は、第1章~第3章まで一貫した流れとして読めるのだが、第4章〈「人新生」のマルクス〉を挟んで、第5章~第7章と非連続的である。そこをつなぐのが、第4章なのだろうけれど、違和感を覚える。その理由は前出の通り、晩期マルクスのエコロジーに対する関心の「発見」が、持論の権威付けになっているからである。

新自由主義と地球環境危機

地球環境危機を克服する方法論は概ね次の3つである。第一は、新自由主義を信奉する人々の立場で、市場がすべてを解決するという主張である。本書に登場するナオミ・クラインはトランプ前大統領を批判した書において次のように書いている。

新自由主義を信奉して経済を運営し、その価値観で社会をリードしたいトランプ政権にとって、地球温暖化に始まる地球環境問題は最大のネックである。トランプ政権が前出のとおり、化石燃料産業を代表とする面々により構成されていることは既にみた。地球温暖化対策としての二酸化炭素排出量規制は彼ら利益を損なうが故という面も否定できない。それもそうなのだが、「気候変動は現代の保守主義(新自由主義)が足場にするイデオロギーを粉々に打ち砕いてしまうのだ。気候危機が現実のものだと認めることは、新自由主義の終わりを認めることになる」(『Noでは足りない―トランプ・ショックに対処する方法』P98)

筋金入りの保守派が気候変動を否定するのは、気候変動対策によって脅威にさらされる莫大な富を守ろうとするだけではない。彼らは、それよりももっと大切なもの――新自由主義というイデオロギー・プロジェクト――を守ろうとしているのだ。すなわち、市場は常に正しく、規制は常に間違いで、民間は善であり公共は悪、公共サービスを支える税金は最悪だとする考え方である。(同書/P96)


新自由主義は市場原理主義とも言われる。市場がすべてを善に向けて解決するのだから、市場に公共(政府等)が関与すべきでないとする。かつて公害問題が発生した時代に「外部不経済」と呼ばれたものだ。先進国では、公害が市場原理によって解決されたと経験的に語られるかもしれないが、公害は発展途上国や国内の過疎地・僻地に「外部化」されたのであって、根本的解決に至ってはいない。先進国がいまのその過疎地・僻地で経験し、グローバル・サウスにおいてはすべての民衆が経験している公害問題こそ、地球環境危機の最たるものである。

第二は、本書にもあるように、暴走する資本主義を公的機関(政府、国際機関等)が統制、規制することにより、地球環境の決定的危機到来を遅らせ、新たな技術革新の登場をまち、いずれ科学技術の力でそれを克服しようという立場である。その具体的現れが、アメリカ民主党政権により息を吹き返した国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)及び京都議定書第11回締約国会合(COP/MOP11)である。

そして第三が、本書のとおり資本主義に代わる経済・社会・政治のシステムを構築する以外に道はないとする立場である。だが、地球環境危機を救うために自然エネルギーに漸次切り替えることはそうたやすくはない。大きく厚く高い壁となるのは本書では触れられていない軍事問題ではないか。自然エネルギーへの移行の途中で取り返しのつかない軍事的衝突があったとき、旧エネルギーである化石燃料を独占した勢力が圧倒的武力で地球を支配するというような、まるで映画『マッドマックス』が描いたようなデストピアの出現を許してしまう可能性もある。

革命主体の形成が最重要課題

けっきょく最後に行き着く先は、地球人全員がエコロジカル・マルキストとしての自覚を得るまで布教運動を続けるという「人間革命」の道か、それとも、かつてレーニンが立案・実行し、後継者であるスターリン、毛沢東、ポルポト、鄧小平、習近平らが実践したプロレタリア独裁ならぬエコロジカル・マルキシズム独裁を過渡的に強権的に実行し、エコロジーに敵対する勢力を殲滅するまで弾圧する道の2つである。この2つは20世紀、人類が歩んだ悲惨な道だった。

2021年12月31日金曜日

カラオケ納め

 ジェームスさんとカラオケ納め