戦後日本とメキシコの美術交流を集成した「メキシコへのまなざし(Eyes on Mexico)」を鑑賞してきました。北浦和にある埼玉県立近代美術館にて、前期が3月23日まで、後期が3月25から5月11日までの開催。
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| 埼玉県立近代美術館 |
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ザ・バンド(THE BAND)のメンバー 、ガース・ハドソン(Garth Hudson)逝去の報が入った。ザ・バンド好きの親友J氏(以降、敬称略)からのDMだった。ガースの死をもって、メンバー5人(Robbie Robertson, Levon Helm, Richard Manuel, Garth Hudson, Rick Danko)が来世に旅立ってしまった。ご冥福を祈ります。〔註1〕ウーリッツア:ドイツのウーリッツァ社が1954年から1983年まで製造販売していた電子ピアノバンド・スコアに付されたものなので、演奏上の注意点が主に記述されている。その部分は省略し、各曲のコンセプトが記されている部分のみを転載した。このアルバムの多様性が理解しやすい。
〔註2〕パンニング:(panning)とは、ステレオやサラウンドなどの多チャンネルオーディオにおいて、音像定位を(多くは水平方向に)変化させる表現、またはその機能。単にパンとも呼ぶ。
〔註3〕レスリー:レスリー(スピーカー)は1940年にアメリカでドン・レスリー(Donald J. Leslie)によって開発されたロータリースピーカー。 内蔵の「ホーン」や「ローター」と呼ばれる音の出口を物理的に回転させることによってドップラー効果を生み、独特な揺らぎを伴ったサウンドを発生させる。
アメリカーナ(Americana)は、米国の音楽的精神を構成する共有された多様な伝統、特にフォーク、カントリー、ブルース、リズム・アンド・ブルース、ロックンロール、ゴスペル、その他の外部の影響から融合したサウンドの合流によって形成されたアメリカの音楽の混合物である。アメリカーナは、アメリカーナ音楽協会 (AMA)によって「カントリー、ルーツロック、フォーク、ゴスペル、ブルーグラスなど、アメリカのさまざまなアコースティックルーツ音楽スタイルの要素を取り入れた、現代の音楽であり、その結果、独特のルーツ指向のサウンドが生まれ、もとになったそれぞれのジャンルの純粋な形態とは別の世界に存在している。アコースティック楽器は頻繁に使用され重要だが、アメリカーナではフル・エレクトリックのバンドもしばしば使用される。
〔註4〕ポリバレント:サッカー用語で複数のポジションを守れるという意。サッカー元日本代表監督のイビチャ・オシムが口にしたことから、サッカー界に定着したが、本来は、化学における複数の性質を持った物質という意味。
〔註5〕一般には、1620年、ピルグリム・ファーザーズ(清教徒)がメイフラワー号に乗船してイギリス南西部プリマスから、北米の新天地、現在のマサチューセッツ州プリマスに渡ったのが最初の入植だとされが、そうではない。北米という移民国家の特性である文化多様性は他の文化領域に比べて、音楽において、より自由にかつ強く育まれた。音楽には言語の壁のような高い障壁がない。西洋音階の普遍性は、それに従わなかった地域の音楽とヨーロッパの音楽とのあいだの自由な融合を可能にした。民族楽器がギターやピアノに置き換えられ、自由に手軽に、影響を与えあった。また、楽譜が融合を加速した。
第2次世界大戦時に増加したアフリカ系アメリカ人の大移動がある。その流れを受けて1930年代から50年代にかけて、南部の州からシカゴへ多くのブルース・ミュージシャンが移住した。彼らは、故郷の南部のブルースを、北部の電気ブルースとして新たな息吹を吹き込んだ。彼らはライヴハウスを始め、マックスウェル・ストリートなどでも演奏を展開した。路上での演奏は、より大きな音の必要性をブルースマンに認識させ、これもシカゴ・ブルースがエレクトリック化、バンド化へ進んだ要因とも言われている。 (Wikipedia)ブルース音楽の電気化は、シカゴの騒がしい音楽酒場で始まったという説もある。酔っぱらった客同士の話し声がうるさくて音楽が聴こえなかったからだ。アコースティックギターで弾き語りされたブルースがエレクトリックギターの演奏に変わった。そしてより強い刺激が求められ、ブルースは激しいリズム(4ビート)に乗り、ロックの原型であるロックンロールの誕生につながった。1995年、筆者がシカゴでブルースを聴いた「ブルー・シカゴ(BLUE CHICAGO)」は大きなホールだった。もちろん、当時とそのときのホールが同じ大きさだと言い切るつもりはない。
(矢吹は)・・・ことレコードでの彼等の音楽=ロックの質の高さは、ただ最高としか言いようがない。むろん、この際用いる質という言葉には、音楽(とりわけ彼らは歌)の全ての領域が含まれているのは言うまでもない」と述べている。ここで重要なのは、矢吹は現在「アメリカーナ」と呼ばれている音楽のことではなく、「音楽の全ての領域が含まれている」と言っていることだ。つまり、ロックに限らず、クラシック、現代音楽、ジャズ、民族音楽あるいは声楽、器楽演奏…「音楽の全ての領域」と矢吹は言っている。〔中略〕矢吹を援用してザ・バンドのすばらしさを強調したうえで、池上は、アルバム『南十字星』の構成を以下のように分類する。同アルバムはLPレコード盤で発売されているからA面とB面に分かれる。曲名は以下のとおり。
矢吹は…「このザ・バンドに限っては、個人的嗜好などをはるかに越えた、ぼくの捉えるところのロックにおける最高峰のバンド、 つまりロックがその領域から外れることなく発展し続けた姿として、ここ数年來変わることなくぼくの心に重く存在し続けている。そしてロックの羅針盤の針は常にザ・バンドを示している」と。(本書P39)
ツイン・ドラムとベースとクラヴィネットのファンキーなリズムに乗せて、三人のヴォーカリスト(ドラマーのリヴォン・ヘルム、ベーシストのリック・ダンコ、ピアニストで時々ドラムも担当するリチャード・マニュエル)が入れ替わりリードをとったりコーラスしたりする背景にガース・ハドソンが演奏するオルガンとシンセサイザーが多層的に変幻自在の音を繰り広げる。聴いたこともない不思議な曲だ。聴きやすい曲なのにもかかわらず、とても複雑な演奏なので、何度聴いてもすべてを同時に聴きとることが難しい。
〔中略〕
「Jupiter Hollow」はザ・バンド自身の演奏で「来たるべきロック」を具体的に示すことができた唯一の曲である。ロックの象徴と言える楽器はエレクトリックギターだ。ところが、この「Jupiter Hollow」にはエレクトリックギターは入っていない。ギタリストのロビー・ロバートソンはパーカッシブでファンキーな音が特徴のクラヴィネットというキーボードを弾いている。シンセサイザーの音が全編に使われ、ドラムはブラシを使ってスネア・ドラム中心のシンプルな演奏で〔中略〕この曲を聴くと、まるでザ・バンドがYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の影響を受けているかのようだ。(本書P41~43)
註5:幼い時から讃美歌の演奏をしていたと言われている。カナダ、ウェスタンオンタリオ大学に入学し音楽理論と和声学を学ぶ。やがて従来の音楽に飽き足らなくなり、ラジオから流れてくるリズム・アンド・ブルースやロックンロールに興味を持つようになる。地元の小さなバンドに入って腕を磨き、1959年頃、ロニー・ホーキンスとバックバンドのホークスに出会う。この時は加入しなかったが、ガースの豊富な音楽の知識に惚れ込んだホークスの一員ロビー・ロバートソンやリヴォン・ヘルムの口利きで1961年、ホークスに加入する(リヴォンの証言では1960年の暮)。ガースは持ち前の音楽知識、キーボード奏者としての非凡な才能により、他のメンバーに多大な影響を与えた。(Wikipedia等)
A面1曲目の目の「Forbidden Fruit』は「ロックバンド」そのもの、これほどいわゆるロック的な表現をした曲は、それまでのザ・バンドにはないと。一方でB面1曲目の「Ring You Bell」のイントロはロックというよりもファンクだ。そしてB面2曲目の「It Makes No Difference」は失恋の歌。A面4曲目の「Acadian Driftwood」は、18世紀カナダのアカディア地方にいたフランス系入植者たちが、イギリスによって強制退去させられる悲哀を描く物語だ。では、ここでなぜロックに限らずポピュラー音楽でいちばん普通のいわゆる失恋のラブ・ソングを初めて演奏したのか。それは、この「It Makes No difference」が、いわゆる「ロック」の到達点となりうる普遍性を獲得した作品になったからだ。楽曲も演奏も歌も、これまでのザ・バンドで最高のものと言えるだろう。池上の言説に同意する。『南十字星』とは、ザ・バンドが解散を前に彼らの音楽の総決算と言い換えられる。メンバーひとり一人がロビー・ロバートソンがつくった曲に向けて、それぞれの思いの丈をぶつけた。ガース・ハドソンの場合は日進月歩する電気鍵盤楽器シンセサイザーの可能性を試行した。ロビーはガースの意図を理解し、エレクトリックギターを置き、クラヴィネットに専念した。
ぼくの考えでは、ここでいわゆる「ロック」は終わった、ということになる。そして、次の曲「Jupiter Hollow」はもはやいわゆる「ロック」ではなく、「来たるべきロック」だ。とすれば、オリジナル・アルバムのB面2曲目の It Makes No Difference」と3曲目の「Jupiter Hollow」の間の音楽が鳴っていない数秒間に「ロック」と「来たるべきロック」の分岐点があるということになる。(本書P44~45)
●デイヴィッド・ボウツ〔著〕 ●洋泉社 ●2800円+税
アメリカにおける完全なる自由思想であるリバータリアニズム(libertarianism)の入門書。本題に〝入門″とあるが専門書に近い。
リバータリアニズムとは、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治思想・政治哲学であり、経済的な自由を重視し、反福祉国家=小さな政府を目指す点において、現在の新自由主義と似ている。この思想を支持する立場をリバータリアンという。
著者のデイヴィッド・ボウツ(David Boaz/1953-2024)はアメリカのケイト―研究所副所長にしてリバータリアン運動の中心的人物の一人。著書に『レーガン時代をふりかえる』『麻薬非合法化がもたらす危機』『学校の自由化』などがある。
ボウツによる端的なリバータリアニズムの説明を以下に示す。
リバータリアンは、「各人の人生、自由そして所有財産に対する権利」つまり「政府が作られる以前から、人々が生れながらにして持っている権利」をその人のものだと主張する思想である。リバータリアンの考え方によれば、すべての人間関係は、自発的なものでなければならず、法律によって禁じられるべき唯一の行為は、他者に対して強制力を行使しようとすること、つまり、殺人、レイプ、略奪、誘拐、詐欺などの行為である。(本書P19)
ここで言われる、〈政府がつくられる以前に、人が生まれながらにもっている権利〉とは、端的にいえば、自然権であり、リバータリアニズムとは自然権を無条件に肯定するところから出発している。
ボウツはリバータリアニズムの基本概念(本書P40~)という章を設け、▽個人主義、▽個人の権利、▽自然な秩序、▽自発的な秩序、▽法の支配、▽制限された政府、▽自由市場、▽生産する美徳、▽利益の自然調和、▽平和――という項目を掲げて詳細に論じている。
ボウツがまとめたリバータリアニズムの基本概念は、ジョン・ロック、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、トマス・ジェファーソン、トマス・ペインの影響を受け、現代のリバータリアン哲学として発展した軌跡を説明したものとなっている。そこで論じられている基本概念を大雑把にまとめると以下のようになる。
先述のとおり、リバータリアニズムは、ネオリベラリズムと多くの点で共通する。個人が自由にすべてを選択し、自由市場がすべてを解決するから、政府はよけいな口出しをするな。自分が稼いだものはすべて自分が獲得する権利がある。だから、政府が不当に(税というかたちで)それを奪うことはできないのだと。
ボウツは、最初のリバータリアンは紀元前6世紀、道教を創始した老子だといい、老子の「法もしくは強制を用いることなく、人々が社会的秩序を保つことができるようにすべきだ」という一節を引用する。加えて、自由と人権についての考え方は西欧にかぎられたものではなく、全世界の拡がりを持つと説明する。次にボウツは、西洋思想の二大潮流であるギリシャ思想とユダヤ=キリスト教が人類の自由(freedom)の発展に貢献したという。
リバータリアニズムは、ふつうは、「自由市場を優先し、何よりも経済的自由を強く主張する思想だ」と考えられている。しかし、この思想の出発点は、宗教的寛容求める闘いのなかにこそ見られる。初期のキリスト教の信者たちは、ローマ帝国からの迫害に対抗するため、他人の信仰に対して寛容であることを問い詰めた宗教的理論を発達させた。その創始者は、タートウリアンである。この人物は、〔中略〕紀元200年頃に次のように書いている。「人間の権利の根本的なものは、自然から与えらえた権利である。すべての人間は、自分自身の信念に基づいてのみ信仰を持つ。一人の人間の信仰は、他の人々を傷つけることも、助けることもできない。また、一つの宗教が他の宗教に対して、信仰を強制することはできないし、信者たちの自由意志を引きずってゆくこともできない」と。すでにこの時期に、人間が自由であることは、基本的人権あるいは自然権として実現していたのである。
貿易が栄え、宗教上の教義解釈の変更が当然のこととなり、市民社会が成長したことは、それぞれの地域や共同体の内部に変化を求める原動力があったことを意味している。そして、この宗教的寛容や、多様な考え方を許す態度(puluralismu)、自分たちの政府の権力が制限されるべきだという考え方につながった。(本書P65~66)
ボウツは、ここで自身が率いるリバータリアニズムと新自由主義とのあいだを画する一線を引いた。自然権としての自由、寛容、基本的人権を認め、そこから導き出される信仰の自由と多元主義が政府の権力を制限することの根拠とする。引用の冒頭が新自由主義の核心だとするならば、リバータリアニズムのそれは、自然権としての自由を至高とする思想だといいたいのだ、と筆者は解釈する。
ボウツは以下、12~13世紀に起きたマグナ・カルタ〔註1〕、マグデブルグの法〔註2〕、聖トマス・アキナスと哲学者による王権の制限に関する神学上の議論、13世紀の大学者、ロジャー・ベーコンの「暴君を殺す権利」の擁護、また、16世紀、神学、自然法、経済学を押し進めたサランチャ学派〔註3〕などを挙げる。そして、ルネサンスと宗教改革をリバータリアニズムの源流の初期の段階の絶頂期とする。とりわけ後者をカトリック教会の独占支配を打ち破ったことで、偶然にもプロテスタント諸宗派がヨーロッパ中に広がることを助け、クエーカー教徒やバプティスト(洗礼派)といった宗派が後にリベラル思想を生んだと評価する。
註1:イギリスの土地貴族が国王ジョンと対立し、王が不当な干渉をしないよう大憲章(マグナカルタ)に署名させた。
註2:ドイツの都市マグデブルグで都市の国王からの自由と自治を強調した一連の法を定着させた。
註3:スペインのスコラ哲学の思想家集団
16世紀末になるとローマ教会は弱体化に伴い、国家(王政)に依存するようになり、絶対王政の発生を促した。君主は官僚制度を整備し、新しい課税を考え出し、常備軍を設置し、王権をより強めた。フランスのルイ14世、イギリスのスチュアート朝の王たちが絶対主義支配の確立を代表する。しかしイギリスでは、市民社会と議会の権威が大陸より強く、1649年にジェームス一世の息子チャールズ一世の斬首をもって、絶対主義王政の終わりを告げた。
17世紀、絶対王政はフランス、スペインに根を下ろしたが、オランダはスペイン帝国から独立し、宗教的寛容と自由な商業と制限された政府という理念の中心地となった。大思想家のひとりスピノザは、ユダヤ系であるがゆえにカトリックの絶対王政下のポルトガルで迫害を受け、オランダに逃れた難民だった。彼は《(オランダの大都市)アムステルダムは、商業的繁栄と、他の人々を自分と同じように尊重することによって、自由という果実を手にいれた。このヨーロッパで最も繫栄する都市にとって、すべての国の人々とすべての宗教が、偉大な調和のなかで共存し、隣人に不信の念を抱くことなく、自分の財産を信託するものである。どんな宗教も宗派も特別扱いされることがない。〔後略〕》と『神学と政治についての論文』のなかに記しているという。
続いてボウツは17世紀のイギリスに初期の自由思想の勃興をみる。まずは『失楽園』の著者ジョン・ミルトンの次の言説――「自由こそは徳(virtue)の最高の学校である。〔中略〕人間の誇り高さは、それが自由に選べる場合においてのみ意味をもつのである」、そして、チャールズ一世が斬首された王位空位時代――クロムウエル支配のレヴェラーズ(水平派)の自由思想である。レヴェラーズの指導者リチャード・オーバートンは、すべての個人は「自己決定の権利」を持っているのだ」「すべて人は、自分自身の権利の支配者なのであって、他の人々の支配者ではない」。
1689年に「名誉革命」が起きる。ジェームズ二世が王位継したイギリスは、再び王権強化の時代に戻る気配を見せた。そのとき英国議会がオランダにいたウイリアムとメアリーの即位を要請し、二人はその要請を受諾した――これが「名誉革命」の大筋である。ボウツは、名誉革命こそがリベラリズム(liberalism)の誕生だと力説する。そしてジョン・ロックが最初の真のリベラル(=リバータリアン)であり、現代政治学の父とみなされたという。 彼はロックの著作『市民政府論・第二篇』の主要部分を引用しつつ真のリベラルズム(リバータリアニズム)について解説する。
この思想は熱狂的に受け入れられた。ヨーロッパはまだ絶対王政の手中にあったが、スチュアート王朝の統治を経験したせいで、イギリス人はあらゆる政府の統治形態に疑い深くなっていた。そして彼らは当然、このロックやレベラーズたちの理念を、新大陸に向かう船に乗せて運び始めた。(本書P75)
ボウツは歴史を個の自由の探究として読み解く。個の自由を抑圧するのが政府だと。18世紀のヨーロッパにおける革命は最強の抑圧装置、絶対王政という強力な政府の打倒であったと。スペイン帝国から独立したオランダの繁栄、イギリスの名誉革命はボウツにとって、リベラル(=リバータリアン)が国を統治する新しい歴史の始まりと位置づけたのだが、フランス革命については、ひとこともふれていない。フランスに関しては啓蒙主義(enlightenmento)を代表するフランスの作家ヴォルテール(1694~1778)についてだけふれている。
啓蒙主義は、フランスの作家ヴォルテールがフランスの圧政から逃げて、イギリスに渡った1720年頃に始まったと言ってもよい。ヴォルテールはイギリスで宗教上の寛容、代議政治、そして繫栄する中産階級の人々を見た。彼は、イギリスでは商取り引きフランスよりもはるかに尊重されていることに気がついた。フランスでは、特権階級が商業を営む人たちを見下していたのだった。〔中略〕彼は『イギリス書簡』のなかで、株式取り引きついて次の有名なくだりを書いた。
《ロンドンの株式取引所に行ってみたまえ。数多くの法廷よりもずっと目を見はる場所である。そこでは、人類に貢献するために世界中の国々から集まってきた代理人たちを見ることになる。ユダヤ人がいるし、マホメット教徒がいる。キリスト教徒もいる、彼らは互いにまるで同じ宗教を信じているかのように商売している。
そこでは、ただ破産するような者たちだけが、彼らを指して不信仰者と呼ぶ。そこではプレスビテリアン(長老派。カルヴァン派の一派でスコットランドで広まった)が、アナバプティスト(再洗礼派)を信頼し、イギリス国教徒が、クエーカー教徒と約束を交わす。この平和で自由な集まりが終わると、ある者はシナゴーグ(ユダヤ教会)に行き、別のものは酒を飲みに行く。また、キリスト教会に行って神の霊感を待つ者もいれば、帽子を被ったままの者たちもいる。彼らはすべて満足している。(同書75~76)》
ボウツが上記のヴォルテールを引用した意図は、〝18世紀のリベラリズム(自由思想)”が経済的発展を促している実態を示すことを第一とするが、それに加えて、それ人種差別をしないこと、信仰の自由を受け入れていること――を伝えたかったためだと推測する。ボウツにおいては、〝18世紀のリベラリズム″とリバータリアニズムは同義語である。
ボウツがジョン・ロックと並んで真のリベラリズムの、あるいは今日のリバータリアニズムのもう一人の父(別の父は当然のことながらジョン・ロックである)と称賛するのがアダム・スミスである。ボウツはスミスの『国富論』を通じて、それがリバータリアン理論へのもっとも重要な貢献だという。
アダム・スミスによれば、自生的秩序とは「人間社会に起きる物事の秩序は自発的に生ずる」ということである。
たとえば、人々を他者と自由に交流させ、かつ彼らの自由と財産の権利を擁護したまえ。そうすれば、中央の統制がなくても秩序なるものが現れるだろう。市場経済は、自生的秩序の一つの形態である。何百人の、あるいは何千人の、あるいは今日では、何百万の人々が、毎日、いかにしてより多くの商品を生産するか、また、どうやってもっといい仕事に就くか、あるいは、どのようにして自分や家族のためにもっと多くの収入を稼ごうかとお思いをめぐらせながら、市場やビジネスの世界に入ってくる。彼らは中央の権威に指導されたわけでもないし、また蜂が蜜を作るために動くように、生物的な本能に導かれたわけでもない。けれども生産活動や取り引きをすことで、自分自身や他の人々のために、富を創り出すのである。(同書P81)
自生的秩序の具体的形態として市場に続いて、言語、法律、貨幣を挙げ、これらは人間たちの必要に応じて発生し、変化してきたものだという。 リベラリズム(リバータリアニズム)の基本原理は、アダム・スミスが自生的秩序の原理を組織立てたときに完成した。それはスミスが自著『国富論』を「自然で単純な自由のシステムを描写したのだ」と語ったように、人々が外部的干渉を受けないときに生じる資本主義の描写であり、近代経済学の基本原理でもある。 いつ、いかにして、自分自身の利益に基づいて人々が生産したり、取引をするのか、〝人々は「見えざる手」に導かれて、他の人々を益するのである″。
アメリカの独立記念日7月4日は、1776年のこの日にアメリカ独立宣言が公布されたことによる。しかし、宣言後も宗主国イギリスとの戦闘は続き、1783年、アメリカ独立戦争の講和条約(パリ条約)をもって、イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認したことになる。戦争は宣言後も7年続いたのである。過酷な独立のための戦争(武装闘争)をリードしたのは、急進的リべラル、トマス・ペインだった。
ペインは独立戦争へと導くため、政治パンフレット『コモン・センス』を著わし出版した。『コモン・センス』はイギリスに対する独立の要求だけでなく、自然権と人間の独立を正当化する理論を展開した。ボウツはペインについて、「急進的なリバータリアン理論を提供した」と評している。その根拠となるのが、ペインが打ち出した〈社会〉対〈政府〉という二項対立の概念である。「現実のこの社会は、私たちの必要から生み出される〉⇔〈政府は私たちの不道徳から生み出される〉。ペインは「政府は、たとえそれが最善の国家であるとしても、よくて必要悪である。そして国家が最悪の国家であれば、それは耐えがたいものとなる」という。
ボウツは、自由のための独立の戦いにあって『コモン・センス』と『諸国民の富』が果たした役割の重要性を強調するとともに、アメリカ独立宣言(トマス・ジェファソン起草)を「歴史上書かれたもののなかで、最高にすばらしいリバータリアン文書である」と絶賛する。そして、独立宣言の3つの要点として、①人々は権利を持つこと、②政府の目的はこの権利を擁護することにあること、③(もし政府が許される範囲を超え出るならば、人々には)政府を変革し、廃止する権利があること――と。
ボウツは、独立を達成したアメリカにおける急進的なリバータリアニズムの主要なテーマの第一は――バーナード・バイリン〔註4〕のエッセイから――権力は悪であり、およそ必要とされる場合には、必要悪としてのみである、という思想を人々に理解させることだったという。権力は限りなく腐敗する、権力をあらゆる方法で統御し、制限し、抑制しなければならないと。
リバータリアンはアメリカ社会のすみずみにいたるまで、権力の分立、権利章典、行政、立法、司法の制限、戦争を強要し行う権利の制約などを説いたことだろう。こうして、権力そのものを疑う、すなわち疑念が、アメリカ革命のイデオロギーの中心となり、永遠に続く遺産としてアメリカ国民に残されたのだという。
註4:Bernard Bailyn(1922~2020)は、アメリカの歴史学者。ハーバード大学名誉教授。アメリカ史、とくに植民地時代から独立革命までのアメリカ史専攻。ピューリッツァー賞歴史部門を2回受賞している(1968年と1987年)。1968年には、バンクロフト賞(コロンビア大学)も受賞した。1975年には全米図書賞を受賞。
第二は、市民権や政治政治の諸権利の拡張の要求にこたえることだった。独立戦争(アメリカ革命)後の社会には、権力から排除される人たち――奴隷、農奴、女性たち――が出現するようになった。1775年、世界最初の反奴隷協会(antiislavery society)がフィラデルフィアに設立され、その後1世紀もたたないうちに、西洋世界では奴隷制と農奴制が廃止された。奴隷法廃止法(1883)によって奴隷所有者たちが受ける「財産」損失の補償問題については、リバータリアンのベンジャミン・パールソン〔註5〕は「補償されねばならないのは、むしろ奴隷の方である」と力説したという。
女性の権利擁護の意識が目覚めた。1848年、最初の男女同権論者たちの集会が開かれ、自然権を要求し始めた。イギリスの学者ヘンリー・サムナー・メイン〔註6〕は「世界は身分社会から契約社会へ移行しつつある」といったという。
註5:Benjamin Parsons (1797–1855)は、奴隷制度廃止法前からの奴隷制度廃止論者。
註6:Sir Henry James Sumner Maine(1822~1888)は、イギリスの法学者・社会学者・政治評論家。イギリスにおける歴史法学の創始者とされている。
第三は、戦争廃絶への挑戦である。自由貿易は異なった世界の人たちを平和のうちに結びつける。自由貿易によって戦争の可能性は減る、というのが当時のリベラルの主張であったという。
ボウツは、自由を求めたイギリス名誉革命およびアメリカ独立革命の達成が世界(欧米)にもたらした結果(影響)を次のように列挙している。
リバータリアンが前出のとおり、奴隷制廃止運動を指導し、奴隷制を「人間の窃盗」と批判した。ウイリアム・ロイド・ギャリソン〔註7〕は「すべての人種を人間の支配から、あるいは奴隷状態にある自分から、また政府の野蛮な暴力から、解放することにある」と書いた。
ライサンダー・スプーナー〔註8〕は、自然権の議論から始めて、「憲法を含めていかなる契約をもってしても、誰も自分が持ついかなる自然権をも放棄することはできないと訴訟を起こしたばかりか、個人的に憲法を承認しなかった。フレデリック・ダグラスは奴隷制廃止論を自己所有権と自然権から組み立てた。
註7:William Lloyd Garrison(1805~1879)は、アメリカの奴隷制度廃止運動家であり、ジャーナリスト、社会改革者であった。急進的な奴隷制度廃止運動の新聞「リベレーター」の編集者として知られ、「アメリカ反奴隷制度協会」の創設者の一人である。
註8:Lysander Spooner(1808~1887)は、アメリカの個人主義的無政府主義者、政治哲学者、理神論者、奴隷制度廃止運動家、労働運動の支持者、法哲学者、および起業家である。アメリカ合衆国郵便局と競合するアメリカ文書郵便会社を設立したことでも知られる。この郵便会社はアメリカ合衆国政府によって事業からの撤退を強いられることになった。
アメリカ独立革命を理論的かつ実践的に支えたアメリカの政治家、思想家、運動家等は、総じて宗主国イギリスの名誉革命に影響を与えた古典派経済学者および自由主義イデオローグの影響を受けていた。イギリスから新大陸に向けて、自然権、自由主義、資本主義経済などが輸出されたのだ。宗主国イギリスは権力であり、自由な経済活動を阻害し、植民者が築いた富を税として奪う「政府」だと認識されたようだ。併せて自然権から、奴隷制の廃止、人種差別・宗教差別の否定という先駆的社会変革の思想が北米に根づいたかのように、ボウツの記述からうかがえる。
18世紀のリベラル(自由主義者)と今日のアメリカのリバータリアンとはイデオロギーにおいて異なるところがない。しかるに、後者は敢えて、リバータリアンと自称し、リベラルと一線を画している。その主因は19世紀の終わりにやってきたリベラリズムの衰退と、そのことに伴う変質があったからである。
第一次大戦後の1920年代のアメリカは「狂騒の20年代/ Roaring Twenties」と呼ばれる好景気を迎えるが、1930年代に入ると大恐慌が起き、フランクリン・ルーズベルトが行ったニューディール政策でその苦境を脱する。アメリカには計画経済が導入され、福祉国家になった。
1930年代には第二次世界大戦が勃発し、アメリカは欧州、東アジアに連合国の主軸として派兵し、日・独・伊のファシズム連合と対戦し1945年、日本帝国の降伏により、戦争は終結した。
この時代(1920~1940年代)はリベラルにとって暗黒の時代だった。「アメリカの知識人たちのあいだに大きな政府を求める熱狂が起きた(本書P97)」とボウツは書いている。また、『ニュー・リパブリック』誌の最初の編集長であるハーバード・クローリーの『アメリカ的生活の約束』から次の言説を引用している。「その約束は・・・経済の自由によってではなく、しっかりとした規律によって、また個人の欲望をたっぷりと満たすことによってではなく、個人の服従と大いなる自己否定によって達成されるのである」と。
ルーズベルトの政府が大恐慌と第二次世界大戦を明らかな大成功のうちに終わらせたことで、政府はどんな種類の問題でも解決できるのだ」という考えが人々の間に生じる原因となった。戦争が終わて25年が経つまでは、大衆は、現在の巨大国家に反対しようという気持ちになれなかった。(本書P98)
リベラルおよびリバータリアンにとっての暗黒時代のさなか、少数ではあるが、巨大化する政府を非難するジャーナリスト、思想家が現れるようになる。ボウツは、オーストリア学派の経済学者ルードヴィヒ・フォン・ミーゼス(1881~1973)をその筆頭に挙げる。彼の計画経済批判はフリードリッヒ・ハイエク、ウイリヘルム・ロエプケといった経済学の若き学徒に影響を及ぼし、「経済計画」批判がアメリカ経済学会に勃興する契機となる。
政治思想の領域では、H.L.メンケン(ジャーナリスト、文芸評論家)、アルバート・ジェイ・ノーク、ギャレット・ギャリート、ジョン.T.フリン、フェリックス・モーレーら〔註9〕がリバータリアンの立場から、アメリカ合衆国の将来に警鐘を鳴らした。
註9:
・ ヘンリー・ ルイス・ メンケン(enry Louis Mencken 1880~1956)。ジャーナリスト、エッセイスト、風刺作家、社会・文化評論家、アメリカ英語学者、ニーチェ崇拝者。組織化された宗教、有神論、検閲、ポピュリズム、代議制民主主義に反対。大恐慌の間、ニューディール政策を支持しなかった。第一次世界大戦と第二次大戦へのアメリカの参戦に反対した。・アルバート・ジェイ・ノック(Albert Jay Nock 1870~ 1945)は、20世紀初頭から中期にかけてのアメリカのリバータリアン作家、ネイション誌、フリーマン誌の編集者、教育理論家、ジョージスト、社会評論家。ニューディール政策に公然と反対し、現代のリバタリアン運動と保守運動を領導した。「リバータリアン」を自認した最初のアメリカ人の1人。著書に『余剰人の回想録』『我らの敵、国家』など。
・ギャレット・ギャリート(Garet Garrett 1878~1954)は、アメリカのジャーナリスト兼作家で、ニューディール政策と第二次世界大戦へのアメリカの関与に反対した。彼はオールド・ライト、リバータリアン、古典的自由主義者と見なされている。
・ジョン.トーマス.フリン(John Thomas Flynn 1882~1964)は、ルーズベルト大統領とアメリカの第二次世界大戦参戦に反対したアメリカ人ジャーナリスト。 ルーズベルト大統領に対する激しい反対から、後に真珠湾攻撃の事前情報陰謀説を唱えるようになった。
・フェリックス・マスケット・モーリー(Felix Muskett Morley (1894~1982)は、アメリカのジャーナリスト。ワシントン・ポスト在職中、ルーズベルトの介入主義外交政策と、ヒトラーとの戦いを批判する社説を掲載し解雇される。その後、ハバフォード大学の学長に就任。1944年にヒューマン・イベント誌の創刊編集者の1人となり、連邦政府の行き過ぎと外国介入主義に反対した。回想録『フォー・ザ・レコード』、『人民の力』、『自由と連邦主義』などがある。
第二次世界大戦とホロコースト真っ只中の1943年という暗黒の時代に、アメリカ合衆国史上最も強力な政府が、別の全体主義国家をうち負かすために、とある全体主義国家(ソビエト)と同盟を結んだ時、三人の注目すべき女性たちが、のちに、現代リバータリアン運動の誕生、と呼ばれるようになった書物を出版した。(本書P102)
3人の女性とは、ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder, 1867~1957)、イザベラ・パターソン(Isabel Paterson,1886~1961)、アイン・ランド(Ayn Rand,1905~1982)である。
ワイルダーの『大草原の小さな家』(1935年刊)は、アメリカの開拓時代を描いた児童小説で、1970年代後半から1980年代前半にかけてテレビドラマ化された。彼女はほかに、粗野なアメリカ人の個人主義の物語を書いたり、『自由の発見』と題する情熱溢れる歴史エッセイ集を出版したりした。
パターソンは小説家で、1943年、世界を発展させる原動力としての個人主義を擁護する『機械の神』〔註9〕を創作した。
アイン・ランドは共産主義ロシアからアメリカに逃れたロシア系アメリカ人で、1953年に『泉』〔註10〕を出版した。ボウツによると、『泉』は個人主義をテーマにした小説で、書評家たちから猛烈に非難されたが、この小説の真意が読者に伝わるにつれミリオンセラーになったと書いている。なおボウツは「彼女(ランド)の政治上の哲学はリバータリアンだが、すべてのリバータリアンが彼女の形而上学、倫理観、宗教観を共有したわけではなかった(本書P103)」と注釈をつけている。
註9:『機械の神』は、歴史に関する独自の理論を提示し、道徳的および政治的進歩の源泉としての個人主義を大胆に擁護している。1943 年に出版されたとき、イザベル・パターソンの著作は、個人の権利、限定された政府、経済的自由という、危機に瀕したアメリカの信念に新たな知的支援を提供した。今日の集団化された国家の危機は、パターソンにとって驚くべきことではなかっただろう。彼女は『機械の神』で、集団主義の失敗の理由を探っていた。彼女の著書は、現在世界を席巻している自由企業運動の先駆者に彼女を位置づけた。パターソンは、個人の創造的精神を歴史の原動力と見なし、神から与えられた個人の権利の尊重を、近代世界を生み出した膨大なエネルギーの放出の前提条件と見なしている。彼女は、資本主義制度を人間のエネルギーが機能する機械と見なし、政府は個人の自由を脅かす活動の力を遮断するためだけに適切に使用される装置と見なしている。パターソンは、教育、社会福祉、経済的苦境の原因など、現代生活における特定の問題に彼女の一般理論を適用している。彼女は、ほとんどの人々が長い間当然のこととみなしてきた政府の介入を含め、政府の最小限の適用を除くすべての適用を厳しく批判している。『機械の神』は、自由の性質、権力の使用、そして人類のよりよい発展の見通しに関する、世界中で続いている議論に対して、挑戦的な視点を提供している。スティーブン・コックスの『機械の神』の充実した序文は、パターソンの多彩な人生と仕事を包括的かつ啓発的に説明している。彼は『機械の神』を「理論だけでなく、狂詩曲、風刺、非難、詩的な物語」と表現している。パターソンの作品が今でも関連性があるのは、「集団主義の道徳的および実践的な失敗を暴露しているからだ。その失敗は、今ではほぼ普遍的に認められているが、まだ普遍的に理解されているにはほど遠いものだ」。この本は、アメリカの歴史、政治理論、文学を学ぶ学生にとって必読である。(GOOD READS/Website より)
註10:『泉』は『水源』とも訳されている。
(この小説の)主人公ハワード・ロークは、若い個人主義的な建築家である。彼は自分の芸術的・個人的なビジョンを犠牲にして世間に認められるよりも、無名のまま苦闘し続けることを選ぶ。本作品は、権威層が伝統崇拝に凝り固まる中、自身が最高と信じる建築(世間は「現代建築」と呼ぶ建築)を追求する主人公の闘いをめぐる物語である。主人公ロークに対する他の登場人物たちの関わり方を通じて、ランドが考える様々な人格類型が描き出される。
この作品で描かれる人格類型はすべて、ランドにとっての理想の人間像である自立・完全の人物ロークから、ランドが「セコハン人間」(second-handers)と呼ぶ人間像までの、様々な変化形である。ロークの前進を支援する人物、妨害する人物、あるいはその両方を行う人物など、様々なタイプの人物たちとロークの複雑な関係を描くことで、この小説は恋愛ドラマであると同時に思想書でもある作品になっている。ランドにとってロークは理想の人物の具現化であり、ロークの苦闘は、個人主義は集産主義に勝利するというランドの個人的信念を反映している。(Wikipediaより)
文学におけるリバータリアニズムの復興からやや遅れた1962年、経済学者ミルトン・フリードマンが『資本主義と自由』を出版した。同書はリバータリアン、ネオリベラルのバイブルのような存在となった。フリードマンはその中で、「政治的自由は、私有財産と経済的自由がなければ存在しえない」と論じた。ボウツは「・・・(フリードマンの)著作『選択の自由』をとおして、彼は過去の世代のなかで最も卓越したアメリカ人リバータリアンになった(本書P104」と書いている。
ボウツは次いで、マレー・ロスバード(1926~1995/アメリカ合衆国の経済学者、歴史学者、政治哲学者)を挙げ、彼を「現代のリバータリアン思想の理論構造を建設し、この理念を政治運動に活用するという両方の面で重要な役割を果たした」「リバータリアンたちは、ロスバードを政治経済理論を統合したマルクスになぞらえたり、不撓不屈の急進的運動を組織したレーニンになぞらえたりした」と讃えている。
続いて、ロバート・ノーズィック(1938~2002/ハーバード大学哲学者)である。1974年、彼は『アナーキー、国家、ユートピア』を出版した。ボウツは彼の結論部分を以下のとおり紹介している。
必要最小限の国家、即ち、暴力、窃盗ならびに詐欺、契約の強制、などに対し人々を擁護する機能をできるだけ狭く限定された国家こそが、正当化される。必要以上に大きな国家は、決まった事項のみを行うよう規制されないがために、個人の権利を侵害することになり、故に不正である。必要最小限の国家は、権利と同様、我々を鼓舞する。(本書P105)
そしてボウツは、《ノーズィックの著作は、ロスバードの『新しい自由のために』やランドの政治哲学に関するエッセイと並んで、現代リバータリアニズムの「最も重要な核心」と定義されている(本書P105 )》と結んでいる。
ここまでのボウツの記述を読むかぎり、〈18世紀のリベラリズム(自由主義)〉を原意として、〈現代のアメリカのリバータリアニズム〉と〈ネオリベラリズム〉に違いがないように思える。だから、ネオリベラルといえばいいと思うのだが、ボウツは、敢えてリバータリアンと自称し、リベラルと一線を画す。そこで参考までに、ウォーラーステインによるリベラリズムの定義を引用する。
リベラリズムは決して左翼の原則ではなかった。それはいつでも典型的な中道主義の原則であった。その主張者は自分たちの穏健さと賢明さと博愛とを確信していた。彼らは(保守主義的イデオロギーによって代表されると考えた)不公正な特権をもった旧態依然とした過去に対しても、(社会主義的あるいは急進主義的イデオロギーによって代表されると考えた)美徳または長所のいずれをも考慮しない無謀な平等にも、同時に対抗したのであった。リベラリズムはいつでも、政治舞台の他の勢力は二つの極端からなり、自分たちはその間にいると定義づけるよう努めてきた。(『アフター・リベラリズム 近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』P8)
ウオーラ―ステインのリベラリズムに対する見解は晦渋だが、ボウツは次のように断言する。
政治的社会は、我々を約束した平和と豊かさという新しい時代に導くことに失敗した。強制的な政府の失敗は、強制の度合いと、その約束の壮大さの度合いに比例して悲惨なものであった。ファシスト政府と共産主義者の政府は、市民社会を排除し、より大きな大義(コーズ)のなかに人々を包含することを目指したが、今では絶望的な失敗だとされている。人々に共同体と繁栄を約束したが、結局、貧困と不景気と憎しみをそして分裂(アトミズム)をもたらしたのである。〔中略〕
ファシズムと社会主義が政治の舞台からほとんど消えてしまたっため、21世紀における闘争は、リバータリアニズム対社会民主主義(ソシアル・デモクラット)になるだろう。社会民主主義は、いわば社会主義を薄めたものである。その主張は、市民社会の必要性や市場プロセスを認めるはずが、個人が行おうとする決定に対しては、常に、制限、管理、妨害を行うことを正当化する理由をあれこれ必ず持ち合わせている。社会民主主義は、合衆国では、しばしばリベラリズムと呼ばれるが、私はかつての個人主義を意味した、このリベラリズムという偉大なことばをけがしたくない。(本書P361/太字は筆者による)
ボウツによると、リベラリズムという言葉は、本来(原意)は18世紀の自由主義に基づく言葉であり、ネオリベラリズムもそうであるのだが、合衆国(だけに限らないと思うが)ではネオリベラリズムというと、〝新しいリベラリズム”すなわち〝新しい社会民主主義”と解される危険性がある、だから敢えて原意を避けてリバータリアニズムを用いたということになる。
整理すると以下のとおりであろう。リベラリズムとは、18世紀に絶対王政に抗って名誉革命、アメリカ独立革命を起こした思想であり、それを支持する者をリベラルという。ところが、後年、リベラリズムは、社会民主主義に変質した。よってリベラルも社会民主主義者に変質した。第二次大戦後、社会民主主義が行き詰まり、ネオリベラリズムが台頭する。しかし、ネオリベラル(新自由主義者)と称すると、新しい社会民主主義者と誤解される。そこで、ボウツらはリベラリズムという偉大なことばを汚したくないと考え、新自由主義をリバータリアニズムと改称し、自らをリバータリアンと名乗ることにした。
なお、日本語では「リベラリスト」という表現が一般化しているが、英語にはない。リベラリズムを信奉する者のことをリベラルという。なお、訳者副島隆彦の巻末「訳者あとがき」に次のような解説があり、参考になる。
リバータリアンたちは〔中略〕、必ずしもリバータリアンと自称したかったわけではない。ところが本来の本物のリベラリズム(自由主義)はもともと自分たちの旗であるのに、それを現代リベラル派に、僭称され乗っ取られて居座られてしまったので、仕方なくリバータリアンを名乗ったのである。リベラル Liberal とは少し違う、リバーティーン Libertine という言葉を仕方なく借用してこの30年間の間にリバータリアニズムを作った。このリバーティーンというのは、「惣領の甚六」というか、fopish spendthrift individual の意味で、遊び呆けている貴族のバカ息子、という意味である。こんな意に反する語を語源に持つ言葉を自分たちにあてはめるしかなかった一抹のもの悲しさが現在のアメリカの一大思想勢力に今なおつきまとう。(本書「訳者あとがき」P 396~397)
この数年で、ビッグテック企業の本拠地であるシリコンバレーでは、マスク氏に象徴される「テック右派(Tech Right)」の存在感が際立つようになっている。彼らは政府による規制や民主主義そのものを「無駄で非効率なもの」とみなし、技術による独裁的な統治を理想とする。「言論の自由」や「イノベーションと競争による米国経済の活性化の」を掲げるが、実のところはビッグテック・ポピュリズムである。この動きは、トランプ政権と実に相性がいい。(「偽情報・ディープフェイク もう一つの大統領選」内田聖子〔著〕/雑誌『地平』2025年1月号 P37)
テックライトは、ボウツがこれまで記述してきたリバータリアニズムをもう一段進化させた新リバータリアニズム、すなわちテック・リバータリアニズムとも呼ぶべき思想である。トランプ政権と彼らが共同して、どのような政治・社会・経済における政策を実行していくのか、予断を許さない。 〔完〕
●エドモンド・バーク〔著〕 ●PHP文庫 ●1430円(税込)
バークはフランス革命の全体像を省察したわけではない。パリに渡り現地の実態を見聞きしたわけでもない。イギリスに伝えられたかぎられた情報から、いわば直感的省察を加えたにすぎない。事実誤認も見受けられるという。それらをふまえたうえで、以下、バークの省察を検証してみる。
(1)古来の精神に立ち返る
新政府の樹立という発想は、われわれに嫌悪と恐怖を引き起こす。名誉革命の際も、また現在も、イギリス人は自分たちの権利や自由を「先祖から受け継いだもの」と見なしてきた。代々にわたって継承されてきたこの大樹に、異質な何かを接ぎ木しないよう、われわれは気をつけてきたのだ。わが国(イギリス)における政治改革は、つねに「古来の精神に立ち返る」という原則に従って行われてきた。将来行われる改革も、過去の事例を重んじ、手本とすることを願う。(P86)
自由や権利を「祖先から直系の子孫へと引き継がれる相続財産」として扱うことこそ、イギリス憲法の一貫した方針といえる。それはイギリス人であることこそ、イギリス憲法の一貫した方針と言える。それはイギリス人であることに由来する財産にほかならず、より一般的な人権や自然権とは関係していない。
〔中略〕王位も世襲なら、貴族の地位も世襲、下院や一般民衆がもつ特権や市民権や自由も、代々受け継がれたもの。
これは人間のあり方をめぐる深い思索のうえに定められた方針に思える。いや大自然のあり方にならったものとしたほうが、より的確であろう。自然とは理屈抜きに正しいと感じられるものであり、理性を超えた英知を宿しているのだ。
(P87~88)
(2)世襲が保守思想の基本
自由や権利は古来から受け継がれたもの、という世襲が保守思想の基本的立場であり、身分制も世襲(変えることができない)とする。・・・社会のどんな階層においても、善を重んずれば幸福が見つかることも理解されると思われる。 人間の平等とは、こういった道義性のなかに存在する。身分や階層そのものをなくせるなどというのは、途方もない大ウソにすぎない。こんなウソは、社会の下層で生きねばならない者たちに、間違った考えやむなしい期待を抱かせたあげく、社会的な格差への不満をつのらせるだけである。そしてあらゆる格差や不平等をなくすことは、どんな社会にも不可能なのだ。(P94)
(3) 身分制、格差、不平等をなくすことはできない
フランスの大法官は・・・あらゆる職業は名誉なもの、と麗々しく宣言した。〔後略〕(4)貴族・聖職者が国の繁栄を支える
しかし、あらゆるものに名誉を与えるとなっては、もう少し突っ込んだ意味合いが生じる。調髪師や獣脂ロウソク職人といった仕事は、誰がやろうと名誉なものではない。・・・もっと隷属的な仕事については言わずもがな。 そういった仕事に就いているからといっていって、国家から迫害を受けるいわれはない。だがこんな連中に(個人としてであれ集団としてであれ)政治を任せたら最後、国家はたいへんなことになる。平等主義に徹することで、フランス人は世間の偏見をくつがえしているつもりかもしれないが、じつは非常識に振る舞っているだけと言わねばならない。(P113)
フランス革命が生じたとき、ヨーロッパは全体として明らかに繁栄していた。伝統的な価値観や慣習が、この繁栄にどれだけ貢献していたかを具体的に計るのは難しい。けれども両者が無関係であるはずはない以上、伝統は社会にとって有益なものと見なして差し支えあるまい。
われわれの慣習、さらには文明は、さまざまな良い点を持ち合わせている。これを支えてきたのは貴族と聖職者であった。戦争や混乱のさなかにあっても、学問や文化が存続してきたのは、彼らの努力や庇護のおかげなのだ。経済を重視する政治家は、商業、交易、工業などにばかりこだわるが、これらにしたところで、貴族的精神や信仰心に多くを負っている可能性が高い。(P145)
バークの保守主義とはこういうことなのだ。身分制を固定的なものと考え、社会の上位者は永遠に上位であり続けられる社会が保守主義者にとってのあるべき社会なのだ。身分による差別、職業による差別、下層とされる人々に対する平然とした侮蔑を臆面もなく表明してはばからない。フランス革命を受け入れないイギリスの保守派知識人の社会観、人間観がよくわかる。
バークの保守主義はイギリスから大西洋を渡る船に乗って新大陸に流れ着く。北米にやってきた入植者は先住民を虐殺し排除したばかりか、労働力としてアフリカから奴隷として拉致してきたアフリカ系の人々への虐待と差別の正当化の論理として保守主義が一役買った。そればかりではない。イギリス人は今日まで続く人種の序列化を北米において構造化した。貴族のいない新大陸に、WASP(White, Angro-Saxon, Protestant)を最上位とし、その下位にイタリア系、アイルランド系、東欧系…アジア系、アラブ系、アフリカ系を階層化した。アメリカのいまなお続く保守主義は、バークのような保守主義者から受け継いできた結果である。アメリカは、新しいようで古い国なのである。
バークは本書終章で、国体というものの重要性をもちだし、以下のように宣言する。
イギリスにおける国家の基本的なあり方、つまり国体は、国民ひとり一人ひとりにとって、計り知れない財産と呼びうる。〔中略〕
既存の国体を保ち、不当な侵害から守るためには、真の愛国心や自由の精神、および自主独立の気概が欠かせない。わが同胞は誇りをもって「保守」の偉業を果し続けるだろう。(P377~378)
ことほどさように、本書は危険な言説で締めくくられている。日本の近現代史は、「保守」が軍国主義、国家主義、全体主義、帝国主義に変容する過程をまざまざと見せつけている。「保守」は唾棄すべき思想である。

自民党の「裏金事件」を争点とした総選挙が終わり、自公政権が過半数割れという結果で幕を閉じた。与党が後退したかわりに立憲民主、国民民主、れいわ新撰組が議席数を伸ばし、公明、維新、共産が議席を減らした。維新と並んで極右と思われる日本保守党、参政党がわずかながら議席数を獲得もしくは伸ばした。
《選挙結果は有権者の意識を反映する「忠実な鏡」ではない。むしろ、投票率や選挙戦略などの変数によって大きく左右されるというものである。(「極右の躍進は民意の反映か?」(菊池恵介〔著〕『地平』2024.8月号P38)》 さらに続けて、このことは政治学者や社会学者にとって明白である、とも菊池はいう。
〝選挙結果が有権者の意識を反映しない”とはどういうことかというと、今回のように自公維という保守勢力が議席を減らしたからといって、有権者が保守的政治意識から革新的政治意識に変異したことを意味しないということだ。
ではこのたびの変数とは投票率や選挙戦略だったのかといえば、投票率は近年の総選挙の数字と同様の低率で変化していない。選挙戦略については、野党の選挙戦略の課題とされる市民共闘は、相変わらず実現しないままだった。ただ唯一の例外として、インターネット(SNS動画)を駆使して若者を対象に「生活」に絞って訴求した選挙戦略が功を奏した国民民主党の躍進は認められる。この選挙戦略は、先の東京都知事選で地方都市の前首長の新人が大きく票を伸ばし得票数2位を獲得したことの延長線上にあり、選挙戦略が投票結果に反映した事例となる。
ただし、2024年時点では新しい戦略だが、他党が同様のツールを駆使するようになれば、戦略的効果はなくなってしまう。大阪を除く日本のほとんどの有権者の投票先決定要因は〈裏金事件〉だったと断言できる。
〈裏金事件〉に抱いた有権者の感情を筆者なりに解釈してみよう。有権者の意識は「保守」で変わっていないことが、別表からうかがえる。
【別表】比例代表 党派別得票数 前回対比
自民 1991万→1458万 -533万
立憲 1149万→1155万 +6万
国民 259万→616万 +357万
公明 711万→596万 -115万
維新 805万→509万 -296万
れいわ 221万→380万 +159万
共産 416万→336万 -80万
参政 なし →187万
保守 なし →114万
社民 101万 →93万 -8万
日本のマジョリティー有権者は自公に投票してきた。彼等・彼女等の意識は現状肯定すなわち保守だ。このたびの投票では、保守の意識を内的にとどめたまま、「裏金自民」に反旗を翻した。その情動はカネ・損得勘定への執着だ。釣り銭をちょろまかされたときの悔しさのような感情に近い。裏金議員は裏金で飲み食いしたかポケットに入れたにもかかわらず、所得税も払っていない。有権者の怒りが小選挙区で爆発した。そのルサンチマン、悔しさにも似た感情が「反自民」および自民にへばりつく「反公明」にむけられた。
別表から、与党(自公):野党(それ以外)を比較すると、与党2054:野党3390(総数5444)と野党の圧倒的勝利となる。次に、保守:革新という機軸で比較する。この場合の保守/革新という概念は、党綱領、現行憲法に対する姿勢、福祉、支持母体、外国人・在日にたいする見方等を包括して筆者が規定したもの。保守=自民・公明・維新、参政、保守党/2864〉:〈革新=立憲・国民・れいわ・共産・社民/2580〉となり、保守勢力が過半数(2722)を超えている。
国民民主を革新派に入れたのは支持母体が労働組合だからだけれど、党首の言動から推し量ると、保守に限りなく近い。かりに日本の総選挙制度を政党別比例代表制に一本化したとしたら、保守勢力が過半数をゆうに制していたことになる。
〈裏金事件〉を世に出したのは孤高の大学教授であり、立憲でも維新でもない。それを精力的に報道したのはマスメディアではなく、共産党の機関紙『赤旗』だった。にもかかわらず、共産党の比例票は減少した。このことは、日本のマジョリティー(有権者)の意識が選挙結果に反映されていない傍証となる。有権者は今回選挙の強力な変数である〈裏金事件〉のみに支配されたのだ。
今後の選挙では今回の〈裏金事件〉が変数となることはない。自民党も今後は、「ばれない裏金づくり」を工夫するかもしれないし、多くの有権者は、今回選挙でカタルシスを吐き出してしまった。「裏金事件」は終わった。
次の参院選(2025年7月)において予想される選挙結果は、保守と新興極右のさらなる党勢拡大だ。新自由主義の浸透の下、民営化、規制緩和、減税へと人々の関心が向かい、近年のフランスでは極右の台頭が顕著となった。前出の菊池は次のように書いている。《階層格差が拡大し、没落する中間層や底辺層の代弁者不在の空白を埋めるかのように、(フランスでは)極右が躍動するようになった。(前掲書P41)》
今回の選挙で、日本にもその兆候が顕在化した。極右の日本保守党、陰謀論の参政党、左派ポピュリズムれいわ新撰組、優生思想と高齢者排除を党首が公言した国民民主党の台頭だ。また今回後退したものの、維新が大阪の19選挙区すべての議席を独占したように、近畿圏で勢力を維持している。維新の政策は福祉予算削減、緊縮財政、財界と一体化した政策(たとえば万博やカジノ)推進という新自由主義そものであり、その傾向は続く。
極右およびポピュリズム政党が狙うのは、外国人排斥、差別主義、高齢者攻撃であり、減税(消費税撤廃)を含め、没落する中間層や底辺層の代弁者をよそおうことだ。
加えて、自民党内では、旧安部派が極右団体の支援の下、石破総裁の責任追及を激化し、石破おろしに決起する可能性を否定できない。次期参院選で自公が負ければ、自民党内の旧安部派が公明・維新・国民民主・日本保守・参政との大連立を画策する可能性もありえないわけではない。そうなれば、自民党内反安部派+立憲民主による中道右派連立が対抗軸として形成される可能性もある。そのとき、れいわ、共産、社民は、日本の政治舞台から大きく後退する。
開票結果を報じる新聞の第一面に踊る「自民惨敗」の見出しは真実を伝えていない。大きく議席数を伸ばした立憲だが、比例では自民500万票減、維新300万票減を奪い取れていない。立憲はなんと、わずか6万票増で終わっている。2020年結党の国民民主が350万票、参政・保守が合せて300万票獲得したが、共産・社民は合せて88万票失い、れいわは159万を奪ったに過ぎない。
日本人の政党支持に係る意識は不変であるが、このたびの総選挙では、「裏金事件」、ネット戦略という変数が小選挙区を主戦場として、その特異な制度が立憲に議席を与えたとみるべきだ。ゆえに注視すべきは、与党の過半数割れではなく、極右・左派ポピュリズム政党が確実に力を増したというところにある。〔完〕
NPB入りの厳しさは、メディアで報じられる指名および「指名漏れ」の選手だけでは実感しにくい。
NPB球団から指名を受けるには、社会人選手・独立リーグ選手を除く高校生・大学生にはプロ野球志望届の提出が義務付けられている。2024年は、高校生159人、大学生162人の計321人がプロ野球志望届を提出した。ということは、指名をうけなかった選手がおよそ200人いたことになる。もっとも、プロ野球志望届はだれでも提出可能なので、届出者すべてが職業野球を志しているとはかぎらないのだが、届を出さないで指名を待つ独立リーグ選手や社会人野球選手を含めると、実態上の「指名漏れ」はかなりの人数にのぼる。
NPBが間口を狭めて才能ある人材を埋もれさせているのか、逆に篩にかけ、高いレベルを維持しているのか――について即答することは不可能だとは思う。それでも筆者は、前者の可能性の方が高いと感じている。その根拠となるのが、ドラフト高順位指名選手が必ずしもレギュラーになるとは限らない現実を見るからだ。たとえば近年、育成枠指名でNPBに入団したした選手の活躍が目覚ましい現実に注目したい。ざっと挙げると、MLBメッツ所属の千賀滉大を筆頭に、甲斐拓也(ソフトバンク)、周東佑京(同)、大竹耕太郎(阪神)、宇田川優希(オリックス)、牧原大成(ソフトバンク)が思い浮かぶ。それに下位指名選手を加えるとどうなるだろうか。
ドラフト指名については、専門の球団専属スカウトが全国をとびまわり、アマチュア選手の才能を見極めた結果だから、その結果は尊重されるべきであり、文句をつける筋合いはない。指名した選手がレギュラーになるか埋もれてしまうかは、さまざまな条件の複合的結果だ。たとえば、ケガ、故障、性格なども関与する。
また、前出の話題をさらた「指名漏れ」選手の場合、各球団が、覚醒剤問題を起こした父親の影を意識した可能性を否定できない。彼がいわくつきの父親の長男でなかったならば、上位指名は難しくても下位指名はあったように思う。というのも、彼が野球を始めたのは大学生になってからで、中学ではバレーボール、高校ではアメリカンフットボールの選手という経歴をもっていることにある。大学から野球をはじめたにもかかわらず、大学野球界で老舗の東京六大学野球のレギュラーになっていることから、高度の野球センスと身体能力をもっていることが想像できる。彼がこの先、野球の道を進むのかどうかいまの段階では不明だが、NPBに入るにはもう少し時間を要することは確かである。
NPB入りを目指して10代のほとんどの時間を野球に打ち込んできた若者を「指名漏れ」というかたちで排除するのはいかにも残酷だ。「指名漏れ」となった選手が日本で野球を続ける道は、①国内独立リーグ入団、②社会人野球入り、③高校生なら大学進学または社会人野球入り――にかぎられる。①のみが職業野球であるが、待遇・環境はかなり厳しいという。①②を経てNPBから再指名を受けるには時間経過が必要となる。
くり返しになるが、NPBの12という球団数は、日本の野球競技人口および日本社会における野球への関心度からして少なすぎる。いますぐ球団数を増やすことは難しいとしても、MLBにおけるマイナーリーグに匹敵する下部リーグの組織化から着手し、たとえば上部リーグをB1、下部リーグをB2とカテゴライズし、サッカーJリーグに倣って、B1下位2チーム⇔B2上位2チームの入れ替え制度なども参考にして、長期計画によってB1(現在の一軍)の球団数増を図ってもらいたいものだ。
プロ野球選手を目指して青春を賭けた若者に門戸を広げたい。隠れた才能が発掘され開花し、大スターが生まれる可能性が高まることに期待したい。冒頭の写真のとおり、今年のドラフトで最も注目を集めた選手の名前は「夢斗」である。一日も早く、夢が広がるNPBになってほしい。〔完〕
27日まで台東区・谷中エリアにて実証実験中のグリーンスローモビリティ。小型バス(電気自動車)が同エリアを回遊するという。
谷中防災コミュニティセンター・日暮里駅・朝倉彫塑館・永久寺前で運転中だ(無料)。
坂の多い同地区なだけに、区民の新しい足となることが期待される。
なお、実施の時期などは未定とのこと。
NPB(日本野球機構)の観客動員数は確実に伸びている。日本はプロ野球ブームともいえる。その背景には、WBCにおける優勝(2023)、MLB(Major League Baseball)における大谷ほか日本人選手の活躍がある。しかしながら、NPBの好調の要因はいずれも外在的であって、NPB独自の努力とは言いがたい。なによりも、スター選手の不在だ。現在のNPB人気は一過性なのではないか。その理由を以下、述べていく。
MLBも観客動員数は増加傾向にある。だが日米を比較すると、両国のあいだには埋めがたい差異がある。日本では野球が人気ナンバーワンスポーツだが、米国では圧倒的にアメリカン・フットボールのほうが人気がある。野球の欠点は試合が時間制ではないため、試合時間が長いことだ。時間を売るTV(中継)にもなじまない。スポーツファン及びメディアは、試合時間が決まっているアメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケーになびいてしまう。
MLBは野球における営業面のマイナスを是正(試合時間短縮)するため、さまざまな制度及びルール変更を繰り返してきた。以下、それらについて大雑把に見ておこう。
2024シーズンから、①ピッチクロック(pitch clock)、②タイブレーク(tie break/ポストシーズンでは採用されない) 、③投手の牽制球回数制限――を導入した。①②については、米国ではMLBほか、マイナーリーグ、大学野球でも採用されている。②は国際大会でも採用されている。また、攻撃重視の観点から、2024年、盗塁数の増加および野手・走者の安全確保のため、塁ベースのサイズを大きくした。この措置は、先行して導入したコリジョンルールを一段高めたものだ。
MLBアメリカンリーグで1973年より採用されていたDH制度をナショナルリーグでも2022年から完全導入した。いかにも奇異なのが、NPBのセリーグだけがDH制度を採用しないことだ。国際試合で採用されているDH制度を頑なに導入しない理由がわからない。
試合システムの改革としては、かなり古い話だがレギュラーシーズンのほかにポストシーズンとして1969年にプレーオフ制度が導入された。プレーオフは漸次制度改良され、現在のワイルドカード・シリーズ、ディビジョン・シリーズ、リーグ・チャンピオンシリーズ、ワールド・シリーズの4シリーズ制に移行した。
MLBの球団数はアリ―グ15、ナリーグ15の合計30球団だが、ポストシーズンに参加するチームは12球団にのぼり、なんとNPBの全球団数と同数だ。
3シリーズとも勝ち上がり方式で、ワールド・シリーズまでの道筋を短期決戦型に仕上げた。この制度はサッカーで採用しているカップ戦に近い。長丁場のレギュラーシーズンとは異なった短期決戦をファンに楽しんでもらおうという仕掛けだ。NPBもMLBに倣って、クライマックスシリーズを創設したが、セパ両リーグの上位3チーム(といっても6チーム中の上位3チーム)という、なんとも緊張感を欠いた「ポストシーズン」になっている。
インターリーグ(NPBでは交流戦と呼ばれる)は1997年から開始され今日に至っている。NPBもMLBに倣って採用されたが、ワンカード(3試合)で終わってしまうため、筆者にはどうでもいい制度に思える。
MLBの改革について大雑把にまとめたが、NPBとの違いの根底には、商圏の違いにある。米国は日本の25倍の国土面積を有し、それに北米カナダ(トロント・ブルージエイズ)も商圏に含む。米国(MLB)のスケールを日本(NPB)が真似することは不可能である。人口も日本の約3倍だから、各地域が独立国のような様相を呈していて、各チームは郷土愛に支えられている。
NPBの強みはなんだろうか。まず、野球が日本社会全体から根強い支持を受けていることだ。少年野球→高校野球→大学野球→社会人野球と分厚い野球人口とそのファンが存在し、それにこたえる選手、指導者、支援者、スタッフが組織されていることだ。このことは最大の強みである。
しかし日本社会の特殊性がマイナスを生む。そのことを象徴するのが、〝だらだら試合”の横行だ。日本では試合時間が長いことがあまり問題視されない。その理由は、日本人が「間」を重視する国民性をもっているからだろう。不必要なタイムをかけることが、相手の気をそらす有効な手段だと認識されている。不必要な牽制球もそうだ。野球解説者が「打者の打ち気を逸らす絶妙なタイミングですね」と緩慢で無意味な投手の牽制球を称賛することは当たり前であり、中継アナウンサーも解説者に同意する。メディアが試合時間の短縮を阻害する〝だらだらプレー”をあたりまえというよりも、積極的に容認してきたのだ。
そればかりではない。日本野球に悪影響を与えているのが「甲子園」だ。短期決戦の甲子園野球は、選手の健康管理面、戦術(作戦)面において、未成年者プレーヤーが本来目指すべき野球を逸脱し、独自の甲子園野球スタイルを確立してしまった。犠牲バントの多用、エースと呼ばれる一人の投手の酷使などだ。変則の甲子園野球に適応するよう訓練された高校生をそこから解放することが、NPB改革の第一歩でもある。
NPBには延長12回で引分という制度がある。筆者にはまったく理解不能な順位決定基準だ。勝率によって順位が決まるため、勝ち数よりも引分数が多い方が順位が上にくる可能性がある。引分を認めるならば、勝率よりも勝点制度(勝利3、引分1、負け0)にすべきだ。
MLBでは引分がなかった。タイブレークが導入されるまでは延々とゲームが続き、日付が変わる試合もあった。勝負には勝ちと負けしかないというのがMLBの哲学だが、長時間の試合の非合理性が認識され、タイブレークが導入され、前出のとおり国際試合もMLBに倣った。しかるにNPBは引分・勝率のローカルルールが貫かれ、国際ルールからも離反した状態を続けている。筆者には、NPBの無頓着ぶりが理解できない。国際試合で勝つためには、タイブレークをより多く経験することが必須のはずだが。
「巨人人気」はこれまでNPB人気を支えてきたのだが、逆にそれがNPBの甘えを生み、近代化、革新の機運を阻んできように筆者には思える。いまでこそ希薄になってきたものの、「野球は巨人...」、「巨人...なんとか、卵焼き」という巨人中心主義が日本球界をながらく蝕んできた。 プロスポーツ存立の基本はホームのファンの支持にある。
NPBの甘えの構造を象徴するのが、「12球団」という不変の球団数の維持だ。球団のオーナー・チェンジは幾度もあったが、その数は増加しない。NPBとりわけセリーグ各球団は「巨人人気」にあやかって集客できた。だから、新規参入を阻害し、プロ野球マーケットを独占してきた。このことは、既得権益の維持とも換言できる。
毎年、新人100人が球界入りして、100人が首切りにあうという。だから、高いレベルが保持されるという見方もあるらしいが、筆者は、そうは思わない。チャンスに恵まれず、才能を眠らせたまま職業野球業界を離れた者も多いのではないか。そのことについては後述する。
日本の職業野球業界はNPB・12球団傘下の二軍と三軍(全球団ではない)があり、二軍はイースタン、ウエスタンの2リーグが活動している。イースタン、ウエスタンは現行12球団の下部組織であり、選手育成と一軍選手の調整の場としての機能を担っている。
12球団が職業野球人を1軍・2軍・3軍としてを丸抱えして、不要になったと判断した選手の首を斬るシステムだ。そのことはMLBとかわらないが、MLBはAAA、AA、Aの各リーグの独立性が強く、MLB球団の本拠地をもたない地域にプロ野球という娯楽を提供している。
なお、近年、日本球界に「独立リーグ」が誕生し、(1)四国アイランドリーグ(2005)、(2)ルートインBCリーグ(2007)、(3)さわかみ関西独立リーグ (2014)、(4)北海道ベースボールリーグ(2020)、(5)ヤマエグループ九州アジアリーグ(2021年)、(6)北海道フロンティアリーグ(2022)、(7)日本海リーグ(2023)の7リーグ、28球団が活動している。( )内は創設年。独立リーグの球団はどこも緊縮財政で経営状態は芳しくない。独立リーグの球団を母体としてNPBに参入できるチームをつくりあげるには、大企業のスポンサードを必要とする。
景気がそれほど良くない日本の経済環境下、NPBに参入したい事業者がいるのかどうかについて、筆者は取材していないのでわからないものの、近年、日本のスポーツ界はMLBの大谷翔平、女子やり投げの北口榛花、イタリア男子バレーボールの石川祐希、NBAの八村塁といった、世界の大舞台で活躍する選手を多数輩出するようになってきた。そのなかで野球はエンタメ産業のなかでの最有力コンテンツであることは確言できる。TVの情報番組で大谷翔平が登場する回数は尋常な数ではない。いまがプロ野球ビジネスを始める絶好のチャンスだと思える。野球人気の高い地方中核都市をホームとしてNPB球団を創設すれば、地域活性化にも資する。MLBの30チームには及ばないものの、サッカーJ1の20チームくらいの規模のリーグが維持できるはずだ。
前出のとおり、日本球界では球団数を増やせば選手の質が落ちる、という消極論が絶えない。 はたしてそうだろうか。MLBの発展は米国の地域開発の進展にシンクロしている。東海岸から中部に本拠地を置いていた球団が西海岸に移転すると同時に、移転した穴を新球団が埋め、さらにディープサウスの都市化とともに西南部に新球団が結成され、さらに北米カナダに至る。交通機関、とりわけ航空機網の充実がそれを支えた。
1940年代には黒人選手に門戸が開かれ、人種・国籍不問の下、中米・南米出身選手が活躍する場を得た。そしていまでは東アジア(日本・韓国等)にも門戸が開かれている。MLBで大活躍中の大谷翔平は、MLBの拡大方針に基づくスカウティングの成果の一つでもある。大谷効果により、日本の公営放送であるNHKはMLBに対して87億円の放映料を支払っている。
MLBは新しいスターを見いだすため、全世界にスカウト網を構築した。30球団はスターを求めて、激しい競争を強いられる。才能を見いだす眼力が求められると同時に、プレーヤーはスカウトの目に留まろうと努力をする。才能のある選手を獲得するため、30球団は給料を上げなければならなくなる。こうして球団と選手のあいだに好循環が形成されていく。かぎられた数の球団で選手の才能を潰すよりも、球団数を増やして活躍の場を広げるほうがスターを生みだす機会が増える。
NPB(日本の野球)人気は、いま現在をピークとして、ゆるやかな下降線をたどるのではないか、と筆者は予想する。その異変は、いま海の向こうで活躍する大谷翔平の変容がもたらすはずだ。彼が「二刀流」に復帰すれば、今年の打者「一刀流」ほどの活躍は望めない。投手としての勝ち星は一桁で終わり、本塁打、打点、盗塁、打率は2024年を大幅に下回るだろう。故障する確率も高まる。「二刀流」という〈話題性〉と〈投打の成績すなわちチーム貢献度〉がバランスしなくなった時点で、「大谷神話」は崩壊する。大谷翔平は「並み」もしくは「並以下」の投手であり、「並み」のDH(打者)にとどまる。そのとき、常勝を義務づけられたドジャースは大谷をどうするのか。
よしんば、大谷翔平がMLBで「二刀流」を貫けたとしても、彼の30歳という現在の年齢を考えると、彼の現役生活はこの先長くて10年に満たないのではないか。大谷翔平は100年に一度の選手であり、彼に代わる選手はしばらく出てこない。大谷の絶頂期の終わりとともに、前出のとおり、NPB(日本の野球)人気もゆるやかな下降線をたどる。下降を迎える時期はそれほど遠くない未来だろう。
野球人気の下降局面を耐えぬく方策は、地域密着の球団経営にある。スーパースターの出現という一過性に負うのではなく、しっかりとしたフィジビリティ・スタディ(feasibility study)に基づいた球団経営に徹することだ。そういう球団が20チーム集まってリーグを組めば、NPB人気は不動のものとなる。〔完〕
NPBパシフィックリーグは早々とソフトバンクが独走態勢を固め、すんなりと優勝を決めた。以下、日本ハム、ロッテ(CS出場権獲得)、楽天、オリックス、西武となった。筆者が本年3月26日に拙Blogで予想した順位は1.オリックス、 2. ソフトバンク、3. 楽天、4. ロッテ、 5. 西武、6. 日ハム だったから、まったく当たらなかった。
パリーグの2024シーズンで特筆すべきは以下の3点だ。第一が、2シーズン最下位だった日ハムの2位躍進、第二が、二連覇したオリックスの5位転落、第三が、最下位西武の悲惨な成績(勝率.350/2024/10/07現在)だ。今シーズン、西武球団は黒歴史を刻んでしまった。
まず、日ハムの2位躍進の主因を探りたいところだが、いまのところ筆者には考えが及ばない。わからない、謎のままだ。手元のありきたりのデータから探るならば、本塁打数111本はソフトバンクに次いでリーグ2位であること、チーム打率.245はリーグで3位であること、盗塁数91はリーグトップであること。一方、防御率.295は、ソフトバンク(2.53)、オリックス(2.82)に次ぐ3位であること――から、日ハムは盗塁数、本塁打数が多く、攻撃型のチームだったことがわかる。日ハム・新庄監督はスクイズ多用のイメージが強く、貧打で守備型のチームだと思っていたが、データからするとそうではなかった。なお、失策数75は、オリックスに次ぐ2位であるから、守備が特段上手いチームでもない。今季の日ハムは、バランスの取れたチームだったことだけは確かである。
開幕前、筆者は、優勝するのはオリックスかソフトバンクかで迷ったくらいだから、ソフトバンクの優勝は驚かない。しかし、オリックスが勝率5割を割り、5位に沈むとは思わなかった。
結果論になるが、オリックス凋落の要因はわかりやすい。絶対的エース山本がMLBに移籍し、投手陣の柱が抜けたことだ。若手投手陣が支柱を失い、精神的安定感を失い、昨年培った自信が揺らいでしまったと思われる。投手陣を引っ張るリーダー的投手が育っていなかった。加えて打撃陣も精彩を欠いた。主砲杉本が82試合の出場にとどまり、FAで広島から移籍した西川もパリーグの野球にフィットできなかった。
連覇は難しいといわれるくらいだから、三連覇はなお難しい。若手が多いオリックスだから、既存戦力が昨年から上乗せして戦力アップと単純に考えてはいけなかった。これは予想と結果の乖離という難題だ。既存戦力が順調にスキルアップすれば問題は生じないが、NPB球団が職業野球集団である以上、リーグ途中であっても、構想から外れた弱点をトレード、外国人などで補う努力を必要とする。フロントがなにもせず、すべて現場まかせならば、GMも球団社長も給料を返納すべきだ。
大敗西武の主因は内部の者でないとわからないのではないか。戦力、モチベーション、チーム内不和・・・なのか、それらが複合的にからみあったのか。選手、コーチ・監督、フロントすべてにかかわる問題なのだろう。NPBはセパ6チームと少ない構成だ。そのうちの一つが勝率.350となれば、リーグ戦の興味は失せる。
さて以下の記述は推察にすぎないが、昨シーズン、西武は「山川問題」でつまずき、その山川がソフトバンクで大活躍したという重い現実がある。以下、「山川問題」を大雑把に振り返ってみる。
事件は、2023年5月、山川が東京都内のホテルで当時20代の知人女性に対して性的な暴行を加えたとして、警視庁が強制わいせつ致傷の容疑で捜査を進めていることが文春オンラインより報じられたことで明るみに出た。
文春によると、警察は被害届を受理し、山川に事情聴取が行われたという。その直後、山川は強制性交等の容疑で警視庁により東京地検へ書類送検され、西武球団は謝罪のコメントを発表した。
同年8月、東京地検は山川を嫌疑不十分で不起訴処分とした。球団は、9月に無期限の出場停止処分を発表すると同時に、山川自身の「不起訴と判断されましたが、そもそもの主たる原因は、わたしがプロ野球選手という立場をわきまえずにした行動が招いたものであり、深く反省しています」というコメントを紹介した。
2023年、2024年に行われた西武ホールディングスの株主総会では、株主側から山川に関する質問が2年連続で行われた。西武側は回答の中で、「不法行為ということは今のところ考えていない」として、グループ全体が負った損害に対する賠償請求を行わないことを示唆したという。
2023年シーズンオフの10月5日、公式戦外の教育リーグであるみやざきフェニックス・リーグへの参加が発表され、同11日の同リーグの試合で5か月ぶりに実戦復帰を果たした。同23日には、4月に右足痛で登録抹消となった期間に「故障者特例措置」が適用されたことにより、国内FA権を取得しFA権を行使。この行使を受け、ソフトバンクが山川獲得に乗り出し、2023年12月19日、ソフトバンクへの入団が発表され、入団会見が行われ、山川は改めて、一連の不祥事について関係者や西武ファンに対する謝罪を行った。なお人的補償として甲斐野央が西武に移籍することとなった。ちなみに甲斐野の今シーズンの成績は、開幕一軍入りを果たすも、18試合登板で1敗5ホールド、防御率3.12。戦力にならなかった。(Wikipediaより抜粋)
真相は藪の中である。検察が不起訴処分とした背景が不明である。一般に被害者との間で示談が成立した場合、不起訴処分とするケースが多いというが。しかし、前出の文春によれば、「女性は膣内やその他下半身などから出血するけがを負って」いたという。文春の報道のとおりならば、性的暴行、傷害の加害者が不起訴処分というだけで大観衆の前で平然とプレーをするのはやはり異常事態である。
山川のFA宣言、ソフトバンクの獲得もおおいに疑問が残る。ソフトバンク側は獲得に際し十分な調査をしたというが、調査の実施主体、調査内容も非公開である。NPBも「山川問題」について調査委員会を立ち上げた様子はないし、スポーツメディア、マスメディアも不問に付した。いまになっては、「山川事件」はなかったことになっている。
西武というチームが歴史的負け数を記録した主因が「山川問題」に結びついているという証拠はもちろんない。ただ、西武の選手たちが複雑な気持ちを抱かないはずはないと推測できなくもない。「カネがあって野球がうまければ、なにがあっても許される」という風潮は究極のモラルハザードである。「山川問題」の幕引きは、NPBの統治能力の限界をみせた、と筆者は考えている。
西武およびオリックスの両球団は来季に向け、既存戦力の分析からはじめて、スカウティング(ドラフト・トレード)戦略を固める必要がある。球団社長、GMがリーダシップをとって来季のチーム編成の骨格を示さなければならない。選手として実績のある者を監督に迎え入れただけで、「手を打った」とする「現場丸投げ」の方策は時代遅れ。セリーグも含めて、NPBの近代化が望まれる。(次回は「これでいいのかNPB」)
NPBセントラルリーグ、読売ジャイアンツ(以下「巨人」)の優勝が決まった。以下の順位は、阪神・DeNA(CS出場権獲得)そして、広島、ヤクルト、中日である(2024/10/05現在)。筆者が本年3月26日に拙Blogで予想した順位は阪神(優勝)、 広島、 巨人、ヤクルト、DeNA、中日であったから、かなり外れた。
巨人のチーム別対戦成績を見ると、阪神=12勝12敗(1)、DeNA=16勝8敗(1)、広島=13勝 9敗(3)、ヤクルト=13勝12敗(0)、中日=15勝9敗(1)である。( )内は引分 。巨人の優勝は、DeNAと中日をカモにした結果ともいえる。この2チームがもうちょっとがんばってくれたなら、筆者の予想が外れなかった可能性もなくはない。
巨人のライバルが阪神、広島であることは容易に予想できたことだが、その阪神は序盤・中盤、打線の不振と拙守で星を落とした。終盤の追い上げも時すでに遅し。追い越せなかった。広島のBクラス落ちは想定外。終盤の大不振は日本球界の歴史に残るかもしれない。投打にわたって息切れした。
ライバル2チームに比べて、巨人はシーズン途中で有効な補強をした。悪い流れを変えたのは米国AAAからやってきたヘルナンデスだ。MLB経験はないが、なかなかの巧打者でNPBに短期間でフィットした。ケガで、優勝を決めるまでの試合に出場できなかったが、彼の貢献が巨人を優勝に導いたといえる。MVPに値する活躍だった。
一方の阪神は動かなかった。再契約した外国人(ミエセス、ノイジー)が不振で一軍出場すらかなわなかったにもかかわらず、既存戦力の台頭に期待したようだが、結果としては失敗に終わった。
広島は阪神よりも重傷だった。序盤に末抱が故障で出場できず、2024年に新たに契約した外国人2選手(マット・レイノルズ内野手/MLBレッズと、ジェイク・シャイナー内野手/AAAタコマ)がNPBにフィットしないまま退団した。広島は主力の西川がFA移籍で退団し戦力低下していたにもかかわらず、シーズン途中の補強を怠り、既存戦力の台頭に賭けたが、阪神同様失敗に終わった。
巨人は変わった。阿部新監督は、それまでの監督(原、高橋、原)の野球を捨てた。ヘルナンデスの補強はそのことの象徴でもある。狭い東京ドームに本拠地を構える巨人は、一貫してホームラン打者を揃えるチームづくりを行ってきたが、阿部はアスリートタイプで臨もうとしたようにみえた。このことは、開幕前の拙blogで詳述した。
(1)積極的に動いたフロント
序盤から中盤にかけて、阿部の構想は、梶谷が故障で長期欠場したことで崩壊しかけた。外野陣に大穴が空いたのだ。丸以外のレギュラーがいなくなった。読売球団はまず、国内トレードを試みたが結果がでなかった。最後の選択として、AAAの選手の獲得に乗り出し、前出のヘルナンデスに巡り合えたわけだ。それでも、LFの穴が埋まらず、内野手登録の新外国人モンテスで応急手当てをした。ヘルナンデス離脱以降は、モンテス、浅野、オコエが日替わりヒーローとなり勝星を重ねた。
(2)すぐれた体調管理
内野では、吉川(2B)の活躍も見逃せない。シーズンをとおして優勝に貢献した。天才的守備力とチャンスに強い打撃が巨人のピンチを幾度となく救った。彼の弱点は故障(腰痛持ちだと聞いたことがある)が多いことだったが、今シーズンはそれが出なかった。後述するが、菅野の復活もみごとである。本人たちのセルフコントロールの努力もあるし、また、コンディション担当コーチの功績かも知れない。
(3)円滑な一軍⇔二軍の交流
巨人は二軍との連携が円滑で、そのことが弱めの攻撃陣を救った。一軍で調子を落とした選手は二軍で調整させ、二軍で調子の良い選手が上がってきて活躍するというパターンを確立した。前出のとおり、二軍で賄いきれなければ、外国人選手を輸入するといった思い切った策が功を奏した。このシステムは球団-阿部監督-桑田二軍監督-各コーチ-スカウトを中心としたスタッフの有機的連携の結果だろう。球団レベルにおいて、阪神、広島を引き離した。
巨人優勝の一方の要因は投手力である。菅野が完全復活以上の働きをみせた。筆者は菅野限界説を唱えていたのだが、その予想は大外れだった。前出のとおり、彼の復活はコンデションを維持できたことだろう。持病の腰痛が発症せず、肘の故障もなかった。そのうえ、今シーズン序盤に話題となった飛ばない公式球といいたいところだが、圧倒的な投高打低現象の主因は、ストライクゾーンの変化ではないか。取材をしていないので筆者の主観にすぎないが、公式球の仕様というよりも、球審のストライクゾーンが低めに広がったことが大きいと思う。そのため、コントロールの良い大瀬良、菅野というベテランが復活したし、髙橋宏斗(中日)の防御率1.38は驚異的記録となっている。スプリット、チェンジアップといった落ちる球が全盛の時代、加えて低めに甘くなったストライクゾーンという条件がそろえば、投手力の良い巨人には好都合である。
巨人の優勝に文句をつける気はないが、2024年シーズンは、NPBセントラルリーグの実力低下を露見させた。阪神の淡白な球団運営、中日、ヤクルト、DeNAのやる気のなさ、強調すべきは広島球団の緊縮経営による終盤の絶望的凋落である。巨人を除く5球団からは、ペナントを必死で取りにいこうとする気迫・姿勢がうがえない。球団創設90年の読売に花をもたせたのか、と疑いたくもなる。(次回はパリーグ)