東京オリンピック・エンブレムに係る盗作疑惑については、これをデザインした佐野研二郎に相次いで盗作疑惑が噴出したため、「佐野クロ説」が有力視しされてきた。管見の限りだが、日本人弁護士の数人が、佐野の著作権侵害を断言している。
佐野を追い込んだのはマスメディアではなくネットだった
本件は、▽その火付け役がネットユーザーであったこと(マスメディアは当初、オリンピック主管当局及び広告代理店に配慮して疑惑報道を控えた)、▽当事者(佐野)が、この期に及んでもシラを切り続けていること――の2点において、あの「STAP細胞」問題に酷似している。
佐野を厳しく追い込んだのは、マスメディアではなく、ネットユーザーだった。彼らが佐野の複数の過去作品における盗作を実証した。「STAP細胞」においても、小保方の不正を発見し、関連する情報を集約し、疑惑を追及したのはネットユーザーだった。
佐野の盗作「実績」は、いまのところ、①サントリーのキャンペーンのトートバッグにおける複数のデザインの盗作、②ローリングストーンズの公式Tシャツの盗作(ピレリ・ラグレーンのアルバムのジャケット裏の写真を反転)、③東山動植物園のシンボルマークの盗作(コスタリカ国立博物館のそれと酷似)――の3件が固いところだが、ほかにも何件か盗作を窺わせるような作品がある。
盗作をクライアントに納品した広告代理店の責任
佐野が盗作に及んだ情報ソースとして、写真共有SNSのピンタレストが浮上している。つまり、佐野はピンタレストに投稿された世界中のデザインソースをそのままコピーペーストするかあるいはアレンジして、自分のデザインとして広告代理店に納品し、代理店はクライアントからその代金を収納し、代理店手数料をピンはねしたうえで佐野にデザイン料を支払っていたことになる。浅学な筆者は佐野が高名なデザイナーであることを騒動が始まって初めて知ったのだが、それにしてもあくどい商法だ。佐野及び佐野を起用した大手広告代理店は詐欺にも等しい行為を働いていた。高名なデザイナーと大手広告代理店が共謀して高いデザイン料金を大企業からせしめていた。
マスメディアに散見される佐野への援護射撃
さて、この件に関する議論については混乱もある。佐野の盗作疑惑を和らげようとする間接的援護射撃だ。
(一)「デザインが悪い」説
代表的なものが、「佐野のデザインが凡庸でつまらない」という「デザインが悪い説」。この見解はマスメディアでは主流になっている。その特徴は言うまでもなく、佐野の盗作については追及せず、「デザインが悪いから引っ込めろ」と、佐野のデザイン能力及びこれを採用した組織委に対して強硬姿勢を見せる。一見すると筋が通っているかのようだが、盗作については触れない。つまり、盗作容認を代表する見解だ。
(二)偶然説
二番目は「偶然説」。“デザインというのは、デザイナーがこれまで見てきたものが頭に入っていて、それが盗作を意図しなくても自然に出てしまうことがある”だから本件も“著作権侵害に当たらない”という見解。もしくは、“単純な、たとえばアルファベット2文字程度の組合せならば、類似のものが出てきて当然”という見解。これらに共通すのは、“真似する意図がなかった場合、類似のものが出てきても真似された側は文句を言えない”という論理になる。つまり、盗作(と自ら言わない限り)すべてOKの暴論だ。
この暴論が通るならば、著作権保護は無意味化される。真似する意図がなかったと強弁すれば、模倣、二番煎じ、三番煎じ・・・がすべて許されることになる。もちろん偶然の一致がないことはない。人間のデザイン感覚は既存のあらゆる情報に規定されているから、その結果として、類似、近似のデザインが作成されることを否定しない。その場合どう処理したらいいのかと言えば、先のものを優先すべきなのだ。つまり、既にあるものに優先権が与えられるということ。本件の場合は、佐野が偶然ベルギーの劇場に近似したデザインを起こしたと仮定するならば、後発の佐野は、ベルギーのデザインの存在を知ったところで、自作を取下げればよかった。ただそれだけの話だ。
ところが佐野はこともあろうに類似を否定し、似ていないし、デザインに係るロジカル、哲学、発想が異なると強弁した。この問題をこじらせた発端だ。
デザインは外形(形、色)であって、その創作過程や考え方が云々されるものではない。たとえば、ある者が、Aを(先が尖っているから)上昇を示す形象とイメージした――と主張したとしよう。また別の者は、Aをものごとの始まり(アルファベットの最初の文字だから)をイメージしたと主張したとしよう。両者のAに関する考え方は全く異なるが、もちろん結果は同じでAはAだ。両者の考え方や発想は異なっていても、結果としてのデザインは同一なのだ。本件の場合は、ベルギーの劇場のシンボルマークがA、佐野の東京オリンピック・エンブレムはĀ程度。これを盗作と言う。盗作と言われないためには、佐野は後発として先人をリスペクトし、自己の作品にとどめ、公的に使用することを控えればよかった。それをしなかったのは、佐野が盗作したからだ。オリンピック組織委員、IOCという権威を利用して、ベルギー側を力でねじ伏せようと図った疑いがもたれる。
(三)佐野の「人格者説」
三番目の見解は、“佐野さんは盗作するようなデザイナーではない”というもの。佐野に盗作の事実が次々と発覚するに及んでまったく、通用しなくなったが、当初はこの説がまことしやかに囁かれた。この見解の是非については、論ずるまでもないので割愛する。
(四)審査委員責任論
四番目は、“コンペで佐野のデザインを採用した審査委員が悪い”という「審査委員責任論」。前出の(一)に近い。このたびの疑惑問題を発端にして、佐野と審査委員諸氏の相関図が作成された。それによると、審査委員と参加デザイナーがもちまわりでデザイン賞を獲得している実態が暴露された。オリンピック・エンブレムのコンペにもその構造が貫かれているという。いわば、日本のデザイン業界の癒着構造があからさまに暴露されたのである。
確かにそのとおりで、このたびの盗作疑惑には、選んだ側に咎が及ばないというわけにはいかない。盗作も問題だが、デザイン業界内部の閉じられた関係、すなわち仲間内の誉め合いについては、大いなる議論を必要とする。そこにはデザイン界における重鎮の権威化があり、有力とされるデザイナーの創作力の劣化があり、PCを駆使したコピペ問題がある。業界的には、大手広告代理店~有力デザイナーの系列化が進み、デザイナーの権威性、名前で商売を円滑に進めようとする広告代理店の営業姿勢(魂胆)が見え隠れする。
佐野の盗作疑惑に問題を絞りこめ
ただし、「審査委員責任論」は筆者からみれば、盗作問題の副次的効果、副次的産物のように思える。たとえて言うならば、本丸落城を目の前にしながら、まわりの雑魚を追い回すようなもの。雑魚にかまけて、追い詰めた大将を逃しかねない。つまり、本丸である佐野を落とせば、デザイン業界の腐敗(構造)も寄生虫も一掃できる。問題を佐野の盗作疑惑に絞り込み、引き続き、佐野が働いた盗作のサンプルを示し、かつ、佐野のまわり(職場=事務所)が盗作を常套的に行う環境であったことを示し、併せて、佐野がベルギーの劇場のシンボルマークを知り得る環境にあったことを示すことで、佐野の盗作=著作権侵害を実証する方向性が肝要だ。その方向性と事実の積み重ねが、佐野のオリンピック・エンブレムの盗作に係る状況証拠となり得る。それこそが、佐野の盗作を断罪する正義の遂行となる。
ベルギーの裁判所がどのような判断を示すかわからない。佐野に盗作の意図があったと、裁判所は判断しないかもしれない。だが、佐野の著作権侵害を裁判所が認めなかったとしても、ネットユーザーがこれまで行ってきた疑惑解明のための努力は無駄ではない。
2015年8月21日金曜日
2015年8月11日火曜日
東京五輪公式エンブレム盗作の根拠
2020年東京五輪の公式エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴの盗作であると、ベルギーのデザイナーから抗議が出された。JOC、大会組織委員会などは「問題ない」との見解を示したものの、劇場ロゴのデザイナー側は使用停止を求め、強硬な姿勢を取っている。このことを受け、制作者のアートディレクター、佐野研二郎(43)は、会見を開き、盗作を否定した。
佐野の会見のポイントは以下のとおり。
佐野の説明は説明になっていない。デザインのオリジナル性は、創作過程、創作方法、創作意図、デザイナーの哲学、精神性の説明で証明されるものではない。あくまでも、図案、図式等の最終形態(=作品)が似ているか似ていないか、見る者に誤認を与えるか与えないか――に尽きる。
商業デザインの場合、商標権登録により、先にデザインした側の権利が保護される。今回の場合、ベルギー側が商標権登録を行っていないようなので、商標権侵害の争いではなく、著作権の争いになる。著作権は、作品のオリジナル性の保護であるが、商標権登録という照合すべき客観的基準がないため、“シロ・クロ”の判定が難しい。著作権侵害を訴える側が、侵害したとする相手に盗用の事実性があったことを証明しなければならないからだ。今回の場合だと、佐野がベルギーのデザインを盗んだ事実性を証明する証拠を、ベルギー側が提出しなければならない。
本件の場合は、佐野に盗用の意図があったことは、容易に証明できる。その根拠の一つは、佐野自身が先の会見において、“ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。さらに決定的なのは、「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説した”ことに求められる。
佐野の発言は、結果として類似する可能性を予期しながら、テーマがちがえば類似は許される――という認識をもっていることを自ら認めたことになる。換言すれば、佐野は酷似する可能性を承知しながら、テーマ性の差異をもって著作権侵害を免れるという認識をもっていたことを図らずも吐露したわけである。
第二点目は、盗作したとされる側に、過去、他作品をしばしば盗作していた事実が認められるか否かに求められる。それが証明できれば、今回も盗作したと見做される可能性が高くなる。本件の場合、佐野がしばしば盗作をしていた事実はネット上の資料で確認できる。これだけでも、佐野が東京オリンピック・エンブレムを盗作したと見做されるのではないか。

この係争の結果について、弁護士・裁判官でもない筆者が断言できるはずもないが、作品が似てしまった以上、後発の者は先人をリスペクトすべきである。佐野に盗作の意志がよしんばなかったとしても、先人の創造性を尊重して、後発の自作を引っ込めることが筋である。そうでなければ、常套的に日本の意匠をパクる某国を日本が非難することができなくなる。日本もパクるじゃないかと――
なによりも、似ているものを似ていないと強弁する佐野の姿勢が筆者には理解できない。考え方が違えば、類似・模倣作品が横行してもいいのか。デザインは外見で情報・事物等を弁別することが第一の機能であり使命なのではないのか。そんなことは、デザイン創作のイロハのイ、当たり前ではないのか。創作においては、なによりもオリジナルが尊重されるべきではないのか。盗作を疑われるのは、なによりも、オリジナルが(先に)存在しているからではないのか。
会見において、「似ているものを似ていない」と強弁する佐野は、「ないものをある」と強弁し続けた、「STAP細胞」の小保方晴子の姿に、それこそ酷似しているではないか。
佐野の会見のポイントは以下のとおり。
- 東京の「T」を模した五輪エンブレムの図案を作るにあたり、「ディド」と「ボドニ」と呼ばれるフォント(書体)を参考にしたこと。
- 「力強さと繊細さが両立している書体で、このニュアンスを生かせないかと発想が始まった」とし、これに1964年東京大会のエンブレムをイメージさせる大きな円を組み合わせたのが、今回のデザインだとしたこと。
- ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。
- 「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説したこと。
- エンブレムを構成する丸や四角などの図形を組み合わせると、AからZまでのアルファベットや数字が表現できることを公表し、五輪関連グッズなどへの応用性の高さをアピールし、海外作品については全く知らないとしたこと。
- 「制作時に参考にしたことはありません」と断言したこと。
佐野の説明は説明になっていない。デザインのオリジナル性は、創作過程、創作方法、創作意図、デザイナーの哲学、精神性の説明で証明されるものではない。あくまでも、図案、図式等の最終形態(=作品)が似ているか似ていないか、見る者に誤認を与えるか与えないか――に尽きる。
商業デザインの場合、商標権登録により、先にデザインした側の権利が保護される。今回の場合、ベルギー側が商標権登録を行っていないようなので、商標権侵害の争いではなく、著作権の争いになる。著作権は、作品のオリジナル性の保護であるが、商標権登録という照合すべき客観的基準がないため、“シロ・クロ”の判定が難しい。著作権侵害を訴える側が、侵害したとする相手に盗用の事実性があったことを証明しなければならないからだ。今回の場合だと、佐野がベルギーのデザインを盗んだ事実性を証明する証拠を、ベルギー側が提出しなければならない。
本件の場合は、佐野に盗用の意図があったことは、容易に証明できる。その根拠の一つは、佐野自身が先の会見において、“ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。さらに決定的なのは、「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説した”ことに求められる。
佐野の発言は、結果として類似する可能性を予期しながら、テーマがちがえば類似は許される――という認識をもっていることを自ら認めたことになる。換言すれば、佐野は酷似する可能性を承知しながら、テーマ性の差異をもって著作権侵害を免れるという認識をもっていたことを図らずも吐露したわけである。
第二点目は、盗作したとされる側に、過去、他作品をしばしば盗作していた事実が認められるか否かに求められる。それが証明できれば、今回も盗作したと見做される可能性が高くなる。本件の場合、佐野がしばしば盗作をしていた事実はネット上の資料で確認できる。これだけでも、佐野が東京オリンピック・エンブレムを盗作したと見做されるのではないか。

この係争の結果について、弁護士・裁判官でもない筆者が断言できるはずもないが、作品が似てしまった以上、後発の者は先人をリスペクトすべきである。佐野に盗作の意志がよしんばなかったとしても、先人の創造性を尊重して、後発の自作を引っ込めることが筋である。そうでなければ、常套的に日本の意匠をパクる某国を日本が非難することができなくなる。日本もパクるじゃないかと――
なによりも、似ているものを似ていないと強弁する佐野の姿勢が筆者には理解できない。考え方が違えば、類似・模倣作品が横行してもいいのか。デザインは外見で情報・事物等を弁別することが第一の機能であり使命なのではないのか。そんなことは、デザイン創作のイロハのイ、当たり前ではないのか。創作においては、なによりもオリジナルが尊重されるべきではないのか。盗作を疑われるのは、なによりも、オリジナルが(先に)存在しているからではないのか。
会見において、「似ているものを似ていない」と強弁する佐野は、「ないものをある」と強弁し続けた、「STAP細胞」の小保方晴子の姿に、それこそ酷似しているではないか。
2015年8月10日月曜日
『奥浩平 青春の墓標』
●レッド・アーカイヴズ刊行会〔編集〕●社会評論社 ●2300円+税
本書第1部、『「青春の墓標」ある学生活動家の愛と死/奥浩平〔著〕』(以下、「遺稿集」と略記)については、筆者にとって再読に当たる。高校生のころ、2学年先に大学に入っていた兄の書棚にクロカン(黒田寛一)の著作物と並んでいた同書を手にした記憶がある。文芸春秋から1965年10月に刊行されたらしい。本書は、第2部に「奥浩平を読む」という時代考証的な内容を追加した構成になっている。
当時の若者に強い影響を与えた“青春の書”
高校時代の筆者は、遺稿集をほとんど理解していなかった。だが、奥浩平が都立高校生だったという筆者との共通点があり、親近感を感じたものだった。その一方で、高校時代から政治運動(60年安保闘争)に積極的に参加した奥浩平には違和感もあった。当時、筆者の高校にも、社研に巣食う反戦高協等の高校生活動家がいたが、筆者は毛嫌いしていた。
とは言え、読後から大学入学時まで、セイシュンノボヒョウ、オクコウヘイ、ナカハラモトコ、マルガクドウ、チュウカクハ、カクマルハ・・・といった固有名詞があたかも符牒のように記憶に留まり、内部で固化していったことを覚えている。そしてその反動のごとく、〈奥浩平〉と〈中原素子〉という一対の男女の存在だけはゆらゆらと幻想のように内部に漂い続けていた。
結局のところ、同書は、高校生だった筆者に、“大学に入ったらオクコウヘイのようになってもいいのかな”という漠然とした感覚を与えたことは確かである。換言すれば、大学に入ったら「学生活動家」になる――という漠然とした選択肢を植え付けたことになる。遺稿集は筆者を含めた奥浩平の死後の世代に対し、多大な影響を与えたことだけは間違いない。
再読後の感想――気恥ずかしさが第一に
再読し始めた時、不思議な感覚が筆者を捉えた。その第一は気恥ずかしさ。とっくの昔に廃棄したはずの自分の日記を読み返しているかのようないやな感覚である。
第二は驚き。遺稿集の中に初期マルクス(『経済学=哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』等)に係る論文やアジビラ等のボリュームが意外に多いこと。60年代、初期マルクスの再評価が世界中で起こったのだが、奥浩平はその時代にリアルタイムで立ち会いつつ、思想形成をしていたのだ。初読では、論文・アジビラについては、高校生で浅学の筆者の理解を超えていたため、読み飛ばしていたのだろう。
第三は、奥浩平と中原素子の関係が明確になったこと。初読のときの最大の疑問は、実際のところ中原素子は奥浩平のことをどう思っていたのかということだった。遺稿集はもちろん、奥浩平の一方的な(中原素子への)思いしか収録されていないし、管見の限りだが、刊行後に中原素子が奥浩平について発言していないはず。
奥は中原にとって、高校時代のただの友達
遺稿集に綴られた奥浩平の中原素子への思いだけを読む限りでは、高校時代から恋愛関係にあった2人であったが、奥浩平は横浜市大入学後革共同中核派に属し、中原素子は早稲田大学入学後、革マル派に属す。両派がイデオロギー的に対立し、暴力的に対峙するに及び、あたかも2人はロミオとジュリエットのごとく引き裂かれた、という悲恋物語が成立する余地はまだあったのである。つまり、奥浩平の自殺は、イデオロギー的対立により恋人との恋愛関係を清算せざるを得なくなり、苦悩の挙句自殺したのではないかと。
ところが、本書第2部「奥浩平を読む」に収録された、同時代人座談会「奧浩平の今」において、奥浩平と中原素子の2人をよく知る川口顕という人物が、奥と中原の関係について次のように証言している。
奧浩平と中原素子の関係を邪推するなら以下のとおりである。二人は高校時代(~1962)、互いに好意を感じ合う友人関係にあった。卒業後、中原素子は早大一文に進学(1962)し、奥は浪人(同年)する。このころの男女は成熟度に差異があり、女性の方が早熟である場合が多い。
奥浩平より1年早く大学に入った中原素子は、文字通り「高校時代」を卒業し、新しい世界に足を踏み入れていった。進歩的な中原素子がマルクス主義学生同盟山本派(=革マル派)のシンパになるのは必然であるが、同盟員になるほどではなかった。そのころ、早大一文は革マル派の暴力的な一元的支配下にあったからである。ただし、高校卒業後1年目ということで、二人は高校時代の延長で交際を続けてもいた。
1963年4月~、中原素子に一年遅れて大学(横浜市大)に進学した奥浩平は学生運動家として活動を始め、マル学同中核派に加盟する。この年の7月、マル学同の決定的分裂を象徴する、「7.2早大事件」が起きる。それまでも対立を内包していたマル学同だったが、この日、早稲田大学構内において、マル学同全国委員会(中核派)・社学同・社青同解放派の三派とマル学同山本派(革マル派)との間で暴力的闘争を展開するに至る。この事件を契機に、二人の関係は急激に冷え始めたように遺稿集からはうかがえる。
しかし、中原素子が奥浩平を「拒絶」しはじめたのが、マル学同の分裂・対立というイデオロギー的契機に求められるのかというと、どうもそうではないらしい。大学2年生の中原には奥浩平の高校時代と変わらぬ子供じみた態度、思考回路、言動に不満を覚えた可能性がある。観念的には、すなわち、マルクス関連の読書量の増大化に応じて、難解な哲学的、革命的言語を獲得した奥浩平ではあったが、それだけで中原素子(女性)が奥浩平(男性)になびくとは限らない。中原素子は奥浩平の幼さに辟易し、男として見切ったのではないか。奥浩平は中原素子の変節を、「早大事件」を契機とした、中原素子が革マル派に入れあげた結果だと勘違いしたのではないか。
奧浩平――革命的ロマン主義者の系譜
奥浩平はなぜ自殺したのか。このことに本書は貴重なヒントを与えてくれる。奥浩平の自殺について、前掲の座談会の出席者で奥浩平の学生運動の同志だった斉藤政明が次のように述べている。
奥の自殺と〈母〉の不在
最後に、筆者が「発見」した奥浩平の短い生涯を貫く最重要のテーマとして、「母の不在」の問題を挙げておく。この「発見」は筆者のオリジナルではなく、本書第2部に収録されている、『幻想の奥浩平(川口顕〔著〕)』で指摘されているもの。川口の「奥浩平論」は、奥を知るうえでかなり重要だと思われるので、相当の分量になるが書き抜いておく。
(注1)大浦圭子:
1960年に自殺した目黒区立第六中学校の下級生。圭子は美術の特異な才能に恵まれた早熟な少女だったという。圭子の死後、奥浩平はクリスチャンであるその母親としばしば、対話及び文通をした。奥浩平は圭子の死を契機として、教会に通い始めたという。
(注2)紳平氏:
本書第1部、『「青春の墓標」ある学生活動家の愛と死/奥浩平〔著〕』(以下、「遺稿集」と略記)については、筆者にとって再読に当たる。高校生のころ、2学年先に大学に入っていた兄の書棚にクロカン(黒田寛一)の著作物と並んでいた同書を手にした記憶がある。文芸春秋から1965年10月に刊行されたらしい。本書は、第2部に「奥浩平を読む」という時代考証的な内容を追加した構成になっている。
当時の若者に強い影響を与えた“青春の書”
高校時代の筆者は、遺稿集をほとんど理解していなかった。だが、奥浩平が都立高校生だったという筆者との共通点があり、親近感を感じたものだった。その一方で、高校時代から政治運動(60年安保闘争)に積極的に参加した奥浩平には違和感もあった。当時、筆者の高校にも、社研に巣食う反戦高協等の高校生活動家がいたが、筆者は毛嫌いしていた。
とは言え、読後から大学入学時まで、セイシュンノボヒョウ、オクコウヘイ、ナカハラモトコ、マルガクドウ、チュウカクハ、カクマルハ・・・といった固有名詞があたかも符牒のように記憶に留まり、内部で固化していったことを覚えている。そしてその反動のごとく、〈奥浩平〉と〈中原素子〉という一対の男女の存在だけはゆらゆらと幻想のように内部に漂い続けていた。
結局のところ、同書は、高校生だった筆者に、“大学に入ったらオクコウヘイのようになってもいいのかな”という漠然とした感覚を与えたことは確かである。換言すれば、大学に入ったら「学生活動家」になる――という漠然とした選択肢を植え付けたことになる。遺稿集は筆者を含めた奥浩平の死後の世代に対し、多大な影響を与えたことだけは間違いない。
再読後の感想――気恥ずかしさが第一に
再読し始めた時、不思議な感覚が筆者を捉えた。その第一は気恥ずかしさ。とっくの昔に廃棄したはずの自分の日記を読み返しているかのようないやな感覚である。
第二は驚き。遺稿集の中に初期マルクス(『経済学=哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』等)に係る論文やアジビラ等のボリュームが意外に多いこと。60年代、初期マルクスの再評価が世界中で起こったのだが、奥浩平はその時代にリアルタイムで立ち会いつつ、思想形成をしていたのだ。初読では、論文・アジビラについては、高校生で浅学の筆者の理解を超えていたため、読み飛ばしていたのだろう。
第三は、奥浩平と中原素子の関係が明確になったこと。初読のときの最大の疑問は、実際のところ中原素子は奥浩平のことをどう思っていたのかということだった。遺稿集はもちろん、奥浩平の一方的な(中原素子への)思いしか収録されていないし、管見の限りだが、刊行後に中原素子が奥浩平について発言していないはず。
奥は中原にとって、高校時代のただの友達
遺稿集に綴られた奥浩平の中原素子への思いだけを読む限りでは、高校時代から恋愛関係にあった2人であったが、奥浩平は横浜市大入学後革共同中核派に属し、中原素子は早稲田大学入学後、革マル派に属す。両派がイデオロギー的に対立し、暴力的に対峙するに及び、あたかも2人はロミオとジュリエットのごとく引き裂かれた、という悲恋物語が成立する余地はまだあったのである。つまり、奥浩平の自殺は、イデオロギー的対立により恋人との恋愛関係を清算せざるを得なくなり、苦悩の挙句自殺したのではないかと。
ところが、本書第2部「奥浩平を読む」に収録された、同時代人座談会「奧浩平の今」において、奥浩平と中原素子の2人をよく知る川口顕という人物が、奥と中原の関係について次のように証言している。
・・・『幻想の奥浩平』(川口顕別稿)で書いたけど、中原素子はまったく恋心も、恋愛感情も、そういう対象としてすら奥のことを見てなかったんですよ。単に青山高校の社研の仲間というそれだけの付き合いで、まあ手ぐらい握らせたことはあるかもしれないけど、恋人としての、キスをしたこともたぶん無いだろうし、ましてセックスは無いわけですね。恋人関係を成立させるものは彼女の方にまったくないですよ。(P367)この証言を信じる限り、奥浩平にとっての中原素子はそれこそ幻想であり、2人の悲恋は、実際には成立していないことになる。遺稿集に頻繁に現れる〈中原素子〉という存在は、極論すれば奥浩平の創造であり想像のようなのだ。
奧浩平と中原素子の関係を邪推するなら以下のとおりである。二人は高校時代(~1962)、互いに好意を感じ合う友人関係にあった。卒業後、中原素子は早大一文に進学(1962)し、奥は浪人(同年)する。このころの男女は成熟度に差異があり、女性の方が早熟である場合が多い。
奥浩平より1年早く大学に入った中原素子は、文字通り「高校時代」を卒業し、新しい世界に足を踏み入れていった。進歩的な中原素子がマルクス主義学生同盟山本派(=革マル派)のシンパになるのは必然であるが、同盟員になるほどではなかった。そのころ、早大一文は革マル派の暴力的な一元的支配下にあったからである。ただし、高校卒業後1年目ということで、二人は高校時代の延長で交際を続けてもいた。
1963年4月~、中原素子に一年遅れて大学(横浜市大)に進学した奥浩平は学生運動家として活動を始め、マル学同中核派に加盟する。この年の7月、マル学同の決定的分裂を象徴する、「7.2早大事件」が起きる。それまでも対立を内包していたマル学同だったが、この日、早稲田大学構内において、マル学同全国委員会(中核派)・社学同・社青同解放派の三派とマル学同山本派(革マル派)との間で暴力的闘争を展開するに至る。この事件を契機に、二人の関係は急激に冷え始めたように遺稿集からはうかがえる。
しかし、中原素子が奥浩平を「拒絶」しはじめたのが、マル学同の分裂・対立というイデオロギー的契機に求められるのかというと、どうもそうではないらしい。大学2年生の中原には奥浩平の高校時代と変わらぬ子供じみた態度、思考回路、言動に不満を覚えた可能性がある。観念的には、すなわち、マルクス関連の読書量の増大化に応じて、難解な哲学的、革命的言語を獲得した奥浩平ではあったが、それだけで中原素子(女性)が奥浩平(男性)になびくとは限らない。中原素子は奥浩平の幼さに辟易し、男として見切ったのではないか。奥浩平は中原素子の変節を、「早大事件」を契機とした、中原素子が革マル派に入れあげた結果だと勘違いしたのではないか。
奧浩平――革命的ロマン主義者の系譜
奥浩平はなぜ自殺したのか。このことに本書は貴重なヒントを与えてくれる。奥浩平の自殺について、前掲の座談会の出席者で奥浩平の学生運動の同志だった斉藤政明が次のように述べている。
・・・奧浩平には死にたいということがずうーとあって・・・例えばの話ですけど、・・・原口統三の『二十歳のエチュード』だとか藤村操の『巌頭之感』に感じた死への思い、高校時代に読んで、そういう思いというのが奥君にもあったのかなあ、と。(P364)奧浩平が『チボー家のジャック』『人知れず微笑まん』を愛読していたことも遺稿集から認められる。前者の小説の主人公、ジャック・チボーは、第一次世界大戦に反対するため、死を覚悟して飛行機に乗って反戦ビラを捲き、撃ち落とされる。この死に方は自死である。また、後者は、60年安保闘争において官憲により虐殺された樺美智子の遺稿集である。原口統三、藤村操、樺美智子、そしてフィックションではあるがジャック・チボー・・・彼らは「革命的ロマンチスト」の系列に属す。革命的というのは、マルクス主義者であることだけを意味しない。その列に奥浩平を加えることに筆者は違和を感じない。
奥の自殺と〈母〉の不在
最後に、筆者が「発見」した奥浩平の短い生涯を貫く最重要のテーマとして、「母の不在」の問題を挙げておく。この「発見」は筆者のオリジナルではなく、本書第2部に収録されている、『幻想の奥浩平(川口顕〔著〕)』で指摘されているもの。川口の「奥浩平論」は、奥を知るうえでかなり重要だと思われるので、相当の分量になるが書き抜いておく。
そのままで一冊の本になるようなノートが奥浩平の遺書であった。母や父にも、同志たちにも言い残した言葉はない。60年から65年までの苦悩と苦闘が凝縮したノート。それが遺書である。そう思って「遺稿集」の書き出しを見ると「大浦圭子(注1)の母への手紙」には次のような「決意」が書かれている。「圭子さんの自殺を正しいと考えた時、僕はもっと以前に死んでいるべきだと思いました。もっと以前に死ぬべきだったとのにこれまで生きてきたからには一刻も早く死ぬべきだと思いました」川口顕の見立てについて、あれこれ付言する必要はなかろう。同時に巷間言われるように、中原素子が奧浩平にとって、不在の母の代替だったという仮説も成り立つかもしれない。いずれにしても、奧浩平の〈自死〉と〈母〉の不在とは、けして無関係なものでない。
(略)
奧浩平はそれから5年間生きた。そして、ノート=遺書のとおり自死を決行した。長い遺書の冒頭に、あたかも判決文のように「主文」があったのである。
しかし、「もっと以前に死ぬべきであった」とは何のことだろうか。最期の5年間を第二の人生とすれば、第一の人生に何があったのだろうか。ノートに書かれていない「もっと以前に」とは何であろう。饒舌な奥浩平がノートに書かなかったことがネガポジのように反転しながら、背後にある「死ぬべき」理由をさし示しているように、私には思えた。
(略)
奥のノート・・・は遺書であると同時に、「報告書」、「最良の息子」として生き抜いたレポートではないかと感じた。では、誰に読んでもらうために?
その答えは紳平氏(注2)の「まえがきにかえて」「あとがき」にある、と私は思った。
母との9歳からの別離、11年をへて家族の和解と合流の時をむかえて、浩平は母の郷里を訪ねた。東京から帰ってきての浩平は「ほとんど反応らしきものを見せようとせず……内心の衝撃を表さなかった」「よほどつらい気持ちを抱いたからだろう」。
私はここに二度目の決定的な、回復不能な「失恋」が隠されていると思う。しかし、母への思慕の情を募らせながら、「遺書」は恨みを残していない。「報告書」でありながら「どれだけ努力して美しくいきられるか」「どれだけ強くいきられるか」をやりきった浩平をみてください、やりきった浩平をほめてください、という悲歌が鳴り響いているように思うのだ。(P383~385)
(注1)大浦圭子:
1960年に自殺した目黒区立第六中学校の下級生。圭子は美術の特異な才能に恵まれた早熟な少女だったという。圭子の死後、奥浩平はクリスチャンであるその母親としばしば、対話及び文通をした。奥浩平は圭子の死を契機として、教会に通い始めたという。
(注2)紳平氏:
浩平の長兄(奥紳平)で遺稿集の企画・編集を行った。
浩平には父母、姉と紳平を含めて2人の兄がいた。戦時中、埼玉の山村に疎開。戦後東京に引上げたが、浩平の父母は別居。姉と次兄と共に母の実家(茨城県那珂湊市)にて暮らすも、父母の正式離婚により、兄2人とともに父に引取られ東京で暮らす。その後、母が戻り一家団欒の生活が再開されるも、短期間のうちに破綻。浩平は父と二人暮らしをすることになる。奥浩平の短い人生に、母親の不在、再会、不在という複雑な家庭環境が影響を及ぼした可能性は否定できない。
2015年8月3日月曜日
誕生日(千駄木・トラットリアNOBI)
2015年8月1日土曜日
2015年7月28日火曜日
2015年7月26日日曜日
『沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉』
●堤未果 ●集英社新書 ●740円+税
副題〈逃げ切れ!日本の医療〉が示すように、本書は『沈みゆく大国アメリカ』の姉妹(後)編に当たる。前編では、アメリカ版国民皆保険「オバマケア」の本質を暴きつつ、同国の強欲資本主義、暴力的コーポラティズムの実体をリポートした。「オバマケア」のまやかし・欠陥、そして同法案が作成されたメカニズムの分析を通じて、アメリカの医療崩壊の実態が示された戦慄の書であった。
“国民皆保険”と謳われた「オバマケア」だが、実は医薬品業界、保険業界、ウオール街の利潤追求の具であり、それを実現させるのが業界と政界を結ぶ「回転ドア」といわれる構造だ。そこでは業界の便を図る法律が、業界が政府に送り込んだ官僚(米国は日本の公務員制度とは異なり、多くの場合辣腕弁護士である。)の手により作成される。法案の本質は美辞麗句で彩られた政治的スローガンによって隠蔽され、議会で承認される。法案成立後、すなわち業界が目的を達成した後、彼らは政府を離れ、高額のサラリーでグローバル企業に重役として就職する。
健康保険制度とは社会保障
本書(後編)はそれを受けて、日本の保険制度の破壊をめざして市場進出を狙うアメリカの政財一体化した進出戦略及びそれに同調する日本政府の動向を明らかにしている。著者(堤未果)は本書を通じて読者に注意を喚起し、何度も警鐘を鳴らす。加えて、あるべき医療体制の日本における成功事例、予防医療を具体的に挙げることにより、健康保険制度とは何か、社会保障とは何か、医療とは何か、福祉とは何か、国家とは何か、生命とは何か――について問う。健康保険制度とは社会保障なのだと。
このような本書の組み立てからすると、帯にある「あなたは盲腸手術に200万円払えますか?」という広告コピーはいただけない。日本の皆保険制度がアメリカの強欲資本主義とそれに手を貸す現政権に破壊されればそうなることは間違いないし、本を売るためにはショッキングな広告コピーが必要なことはわかる。だが著者(堤未果)の意図は、具体から普遍――「知らない、わからない」から「知る、否定する、概念化する」――への上向であるからだ。
「無知は弱さになる」
強欲資本主義が人々を欺く手口
アメリカの強欲資本主義とそれに追随したい日本政府・日本企業は、社会保障=セーフティーネットの破壊とその商品化を実現するため、どのような手を使ってくるのか――筆者(堤未果)によると、それは、▽アメリカからの直接的外圧(MOSS協議、日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話等)、▽国内的には、経済財政諮問会議(という超法規的執行機関)によるたとえば「戦略特区」、規制緩和(新薬スピード承認等)、▽TPP(環太平洋パートナーシップ)及びTiSA(新サービス貿易協定)といった国際協定――を挙げる。もちろん日本政府による「後期高齢者医療制度」に代表される直接的な社会福祉制度の破壊、切捨てもある。
強欲資本主義先進国のアメリカでは、法案を数千ページという膨大な文書に仕上げ(誰も読まない)、「本質」を隠蔽する手口が横行しているという。前出のオバマケアがその好例で、同法案は3000ページを超えていた。膨大な分量の文書の内部に、保険会社、医薬品業者が実際に儲けられる仕組みをこっそりしのばせておいて、「国民皆保険」「貧しい人にも手厚い保険制度」といった謳い文句だけを政治家に声高に叫ばせるという手口だ。日本でも安保法制が10件の法案を一本にまとめて国会審議され強行採決されたケースも、アメリカの手口に近いかもしれない。
人気の(医療)ウエブサイトを広告料等の投入で買収し、そこに提灯記事を書かせるもの、TVで人気の芸能人、コメディアンに支持を表明させるもの、連続TVドラマで“刷り込む”手口も一般化している。もちろん、アカデミズムを抱き込む手口は常套手段。専門家が推奨することで国民の「理解を深める」という建前だが、「専門家」は概ね政府の代弁者というわけだ。日本の場合、安保法制ではアカデミズムが率先して「違憲」を表明したわけで、アメリカに比べれば、日本のアカデミズムのほうが健全かもしれない。
“普遍的問い”として答えよ
憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
副題〈逃げ切れ!日本の医療〉が示すように、本書は『沈みゆく大国アメリカ』の姉妹(後)編に当たる。前編では、アメリカ版国民皆保険「オバマケア」の本質を暴きつつ、同国の強欲資本主義、暴力的コーポラティズムの実体をリポートした。「オバマケア」のまやかし・欠陥、そして同法案が作成されたメカニズムの分析を通じて、アメリカの医療崩壊の実態が示された戦慄の書であった。
“国民皆保険”と謳われた「オバマケア」だが、実は医薬品業界、保険業界、ウオール街の利潤追求の具であり、それを実現させるのが業界と政界を結ぶ「回転ドア」といわれる構造だ。そこでは業界の便を図る法律が、業界が政府に送り込んだ官僚(米国は日本の公務員制度とは異なり、多くの場合辣腕弁護士である。)の手により作成される。法案の本質は美辞麗句で彩られた政治的スローガンによって隠蔽され、議会で承認される。法案成立後、すなわち業界が目的を達成した後、彼らは政府を離れ、高額のサラリーでグローバル企業に重役として就職する。
健康保険制度とは社会保障
本書(後編)はそれを受けて、日本の保険制度の破壊をめざして市場進出を狙うアメリカの政財一体化した進出戦略及びそれに同調する日本政府の動向を明らかにしている。著者(堤未果)は本書を通じて読者に注意を喚起し、何度も警鐘を鳴らす。加えて、あるべき医療体制の日本における成功事例、予防医療を具体的に挙げることにより、健康保険制度とは何か、社会保障とは何か、医療とは何か、福祉とは何か、国家とは何か、生命とは何か――について問う。健康保険制度とは社会保障なのだと。
このような本書の組み立てからすると、帯にある「あなたは盲腸手術に200万円払えますか?」という広告コピーはいただけない。日本の皆保険制度がアメリカの強欲資本主義とそれに手を貸す現政権に破壊されればそうなることは間違いないし、本を売るためにはショッキングな広告コピーが必要なことはわかる。だが著者(堤未果)の意図は、具体から普遍――「知らない、わからない」から「知る、否定する、概念化する」――への上向であるからだ。
「無知は弱さになる」
本書の前編である『沈みゆく大国 アメリカ』の取材中、ニューヨークの貧困地域で出会った内科医のドン医師に、同じセリフを言われたことを思い出した。“素晴らしいもの”とは日本の国民皆保険制度のことであり、“それを狙っている連中”とはアメリカの強欲資本主義であり、それに手を貸す日本政府であり、アメリカ型資本主義に追随したい日本の大企業のこと。そして、“気をつけなければいけない”のは日本国民(生活者)だ。「だが実際、私たち日本人は、自分の住んでいる国や地域の制度について、どれだけ知っているのだろうか?」(P33)と、著者(堤未果)は危惧する。
〈気をつけてください。どんなに素晴らしいものを持っていても、その価値に気づかなければ隙を作ることになる。そしてそれを狙っている連中がいたら、簡単にかすめとられてしまう。この国でたくさんの者が、大切なものを、当たり前の暮らしを、合法的に奪われてしまったように〉(P33)
強欲資本主義が人々を欺く手口
アメリカの強欲資本主義とそれに追随したい日本政府・日本企業は、社会保障=セーフティーネットの破壊とその商品化を実現するため、どのような手を使ってくるのか――筆者(堤未果)によると、それは、▽アメリカからの直接的外圧(MOSS協議、日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話等)、▽国内的には、経済財政諮問会議(という超法規的執行機関)によるたとえば「戦略特区」、規制緩和(新薬スピード承認等)、▽TPP(環太平洋パートナーシップ)及びTiSA(新サービス貿易協定)といった国際協定――を挙げる。もちろん日本政府による「後期高齢者医療制度」に代表される直接的な社会福祉制度の破壊、切捨てもある。
強欲資本主義先進国のアメリカでは、法案を数千ページという膨大な文書に仕上げ(誰も読まない)、「本質」を隠蔽する手口が横行しているという。前出のオバマケアがその好例で、同法案は3000ページを超えていた。膨大な分量の文書の内部に、保険会社、医薬品業者が実際に儲けられる仕組みをこっそりしのばせておいて、「国民皆保険」「貧しい人にも手厚い保険制度」といった謳い文句だけを政治家に声高に叫ばせるという手口だ。日本でも安保法制が10件の法案を一本にまとめて国会審議され強行採決されたケースも、アメリカの手口に近いかもしれない。
人気の(医療)ウエブサイトを広告料等の投入で買収し、そこに提灯記事を書かせるもの、TVで人気の芸能人、コメディアンに支持を表明させるもの、連続TVドラマで“刷り込む”手口も一般化している。もちろん、アカデミズムを抱き込む手口は常套手段。専門家が推奨することで国民の「理解を深める」という建前だが、「専門家」は概ね政府の代弁者というわけだ。日本の場合、安保法制ではアカデミズムが率先して「違憲」を表明したわけで、アメリカに比べれば、日本のアカデミズムのほうが健全かもしれない。
“普遍的問い”として答えよ
最速で高齢化する日本の行く末を、同じ高齢社会問題を抱える世界中がじっとみつめる経済成長という旗を振りながら、医療を「商品」にし、使い捨て市場となるのか。本書の結びにあるとおり、TPP、安保法制、新国立問題、アベノミックス・・・と、われわれのもとに横たわるさまざまな社会問題及び変化を、“普遍的な問い”として受け止め、態度決定することこそがわれわれ一人ひとりに求められている。
世界一素晴らしい皆保険制度と憲法25条の精神を全力で守り、胸をはって輸出してゆくのか。
それは単なる医療という一つの制度の話ではなく、人間にとって、いのちとは何か、どうやって向き合ってゆくのかという、普遍的な問いになるだろう。
「マネーゲーム」ではなく、私たち自身の手で選ぶのだ。(P212)
憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
2015年7月22日水曜日
新国立問題、騒ぐだけではなく、責任追及がメディアの使命
安倍総理大臣が東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとなる新しい国立競技場(以下、「新国立」と略記)について、「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで計画を見直すと決断した」と述べ、計画を見直す方針を表明した。これにより、迷走を続けた「新国立」問題は、いちおうの決着がついた。
新国立問題は安保法制衆院強行採決のめくらまし
迷走の経緯等については既に多くの報道があるので、ここでは繰り返さない。予算を大幅に超える建設費問題、工事が周辺環境に与える、景観上、衛生上等の悪影響、デザインの良し悪し、建設後の景観及び周辺環境に与える悪影響、維持管理費問題…と、誰が見ても現在の計画は無謀であった。それが見直されるのだから万々歳なのだが、白紙見直しには政権側の謀略も隠されている。
政権が白紙化を発表した背景には、安保法制強行採決による支持率低下の波及への懸念があった、という説がある。筆者もその説に反対ではない。アベノミックスの悪影響により家計を圧迫されている生活者の立場からすれば、へんてこりんなデザインの競技場に無駄な税金を使われたくない、という情念が働いて当然である。「新国立」問題は、「安保法制憲法違反」、「国会強行採決」によって、「あれ、安倍政権、なんかへんだぞ」と感じ始めた大衆の「反安部意識」を増幅するに十分すぎる素材である。だれだってあの奇妙なデザインには嫌悪感を抱くし、そこに血税を注ぎ込むというのは納得がいかない。
そればかりではない。支持率低下防止というよりも、大衆が抱いた安保法制への関心を「新国立」問題に逸らす意図がうかがえた。「めくらまし」である。そのことを実証するように、新聞、TVは一斉に、「新国立」叩きを、堰を切ったように始めた。人々は安保法制に疑問を抱き、政府与党の強行採決に怒りを感じた。その怒りの矛先を「新国立」問題に向けさせるためだ。怒りが怒りを呼ぶのではなく、怒りを「安保法制問題」から「新国立」に振り替えようというのが、安倍政権の意図のようだ。
良心的建築家及び市民運動団体が「新国立」に異議を唱え始めたのは、いまから2年以上も前のことだった。そのとき、マスメディアは彼らの異議申し立てを無視し続けた。しかるに、この期に及んで、マスメディアが「安藤叩き」「森喜朗叩き」「JSC叩き」を足並みそろえて始めたことの裏側になにかがある――と、想像することは自然である。この事例から、日本のマスメディアが権力の走狗、大衆操作の具となり下がったことを確認できる。
ハディド案の「新国立」は女性性器
マスメディアは報じないが、このたび白紙化された「新国立」のデザインは、女性性器をモチーフにしたものである。このことは、SNS上では常識になっていた。空から見た「新国立」の完成予想図(パース)は、神宮の森(陰毛)に女陰がぽっかりと口を開けている風景である。国際コンペに臨んだイラク出身、英国在住の女性建築家、ザハ・ハディドはおそらく、落選覚悟で遊んだのだろう。それが異議異論なく、当選してしまったのだ。今回の混乱の発端はそこにある。
「新国立」のデザインに係る混乱ぶり
ハディド案決定の裏側――専門家は「アンビルト」をなぜ選んだのか
さて、「新国立」のデザイン決定に関与したメンバーは以下のとおり。
審査委員 11名 (役職は当時)
★の3名は、有識者会議メンバーでもある。
◎有識者審査委員
(施設建築)
委員長;安藤忠雄 ★建築WG座長(建築家)
委員 ;鈴木博之・建築計画・建築史(青山学院大学教授)
委員 ;岸井隆幸・都市計画(日本大学教授)
委員 ;内藤廣・建築計画・景観(前東京大学副長)
委員 ;安岡正人・環境・建築設備(東京大学名誉教授)
(スポーツ利用)
委員 ;小倉純二 ★スポーツWG座長(日本サッカー協会長)
(文化利用)
委員 ;都倉俊一 ★文化WG座長(日本音楽著作権協会長)
◎日本国以外の籍を有する建築家審査委員
委員 ;リチャード・ロジャース・イギリス(建築家)
委員 ;ノーマン・フォスター・イギリス(建築家)
◎主催者
委員 ;河野一郎(日本スポーツ振興センター理事長)
◎実現可能性を確認する専門アドバイザー
;和田章・建築構造※技術調査員と兼任
技術調査員
総括管理 - 和田章(東京工業大学) ※審査委員の専門アドバイザーと兼任
建築分野 - 【構造】三井和男(日本大学)
建築設備 - 【メカニカル】藤田聡(東京電機大学)、【空調】川瀬貴晴(千葉大学、建築設備技術者協会会長)、【音響】坂本慎一(東京大学)
施工・品質分野 - 野口貴文(東京大学)
都市計画分野 - 関口太一(都市計画設計研究所)
積算分野 - 木本健二(芝浦工業大学)
事業計画分野 - 東洋一(日本総合研究所)
建築法規分野 - 【防災計画】河野守(東京理科大学)
ハディド案をおしたのが、安藤忠雄と、戸倉俊一だったという。専門家である安藤が「このデザインは東京、日本の輝かしい未来を象徴する」と発言したかどうか知らないが、おそらくそのような表向きの趣旨に従ってデザインが決定されたはずだ。
不可解な専門家の沈黙
このメンバー表を見ると、委員、技術調査員、アドバイザーを含め、日本の建築学会、建築界における超一流の頭脳が集結しているではないか。彼らがなぜ、ハディドのデザインがかくも高額になることを予想できなかったのか。真剣に検討したのかどうかおおいに疑問が残る。
デザインの良し悪しには主観性による。安藤忠雄がいいというのならば、折れることも構わない。だが、建築の専門家ならば当初の予算設定に疑問をはさむ余地は十二分にあったはずだ。今回の白紙撤回により浪費された経費は、彼らが個人資産で負担すべきだ。安藤忠雄が決定機関の委員長として会見を開いたが、自らの責任を明らかにしなかったし、謝罪もしていない。メディアも責任追求しない。この無責任体制はなんなのか。
予算無限大はゼネコンからのキックバック目当てか?
それだけではない。迷走を続けた同案の建設費の見通しは、見積漏れが何か所もあることがわかっている。つまり、メディアに流れた1300億、3000億超、2520億という予算額もいい加減な数字だったということ。さらに建築技術的諸問題点、廃棄物処理問題(物流問題)、建設技術者・労働者、建設機材、同物流車両等に係る確保が難航することが、否、不可能であることもわかっている。まさに、ハディド案は、事実上アンビルト(ザハの別名が「アンビルトの女王」であることは有名。)の代物だったのだ。
エジプトのピラミッド等に代表される古代の建築物はそのスケールの大きさにより、現代人を圧倒する。現代人が、クレーン等の建設機材をもたない古代人がなぜあんな勇壮な建築物をつくりあげたのか不思議に思う。その答えの一つに、“古代には予算も工期もなかったから”というのがある。ハディド案もそれに近い。オリンピックなんだから、カネはいくらでもつぎ込める――というのが、同案を決定した委員たちの本音なのだろう。それが証拠に、組織委員会長の森喜朗は、「国がなんで2600億円くらいだせなかったのか」と、同案白紙決定に不満を漏らしている。同案が「森喜朗古墳」と揶揄される所以である。
安藤忠雄、森喜朗に代表される「新国立」関係者たちは、予算がかさめば、ゼネコンからのキックバックもそれだけ大きくなると踏んだのではないか。森は、「白紙、見直し」が決まった直後のインタビューにおいて、「もともとあのデザインは嫌いだった」と述べている。これが森の本音である。彼らにとって、デザインはどうでもよい。彼らの関心は、“高い施工費、高いキックバック”――選考に当たって彼らの頭のなかを支配していたのは、このこと以外になかったのではないか。
騒ぐだけでなく責任追及がメディアの使命
ハディド案を白紙撤回したことにより、およそ100億円が消えるという。この責任はだれが負うのだ。安倍政権は、「新国立」問題を安保法制強行採決のめくらましに使い、マスメディアはその片棒を担いでいる。ならば、安倍政権打倒を目指す大衆は、「新国立」の不祥事を徹底追及し、スキャンダル化し、責任者を追及し、関与者の悪事を暴くことで、安保法制強行採決と併せて、ダブルパンチとして浴びせるしかない。めくらましを逆手にとって、安倍政権に二重の苦痛を与えることだ。
新国立問題は安保法制衆院強行採決のめくらまし
迷走の経緯等については既に多くの報道があるので、ここでは繰り返さない。予算を大幅に超える建設費問題、工事が周辺環境に与える、景観上、衛生上等の悪影響、デザインの良し悪し、建設後の景観及び周辺環境に与える悪影響、維持管理費問題…と、誰が見ても現在の計画は無謀であった。それが見直されるのだから万々歳なのだが、白紙見直しには政権側の謀略も隠されている。
政権が白紙化を発表した背景には、安保法制強行採決による支持率低下の波及への懸念があった、という説がある。筆者もその説に反対ではない。アベノミックスの悪影響により家計を圧迫されている生活者の立場からすれば、へんてこりんなデザインの競技場に無駄な税金を使われたくない、という情念が働いて当然である。「新国立」問題は、「安保法制憲法違反」、「国会強行採決」によって、「あれ、安倍政権、なんかへんだぞ」と感じ始めた大衆の「反安部意識」を増幅するに十分すぎる素材である。だれだってあの奇妙なデザインには嫌悪感を抱くし、そこに血税を注ぎ込むというのは納得がいかない。
そればかりではない。支持率低下防止というよりも、大衆が抱いた安保法制への関心を「新国立」問題に逸らす意図がうかがえた。「めくらまし」である。そのことを実証するように、新聞、TVは一斉に、「新国立」叩きを、堰を切ったように始めた。人々は安保法制に疑問を抱き、政府与党の強行採決に怒りを感じた。その怒りの矛先を「新国立」問題に向けさせるためだ。怒りが怒りを呼ぶのではなく、怒りを「安保法制問題」から「新国立」に振り替えようというのが、安倍政権の意図のようだ。
良心的建築家及び市民運動団体が「新国立」に異議を唱え始めたのは、いまから2年以上も前のことだった。そのとき、マスメディアは彼らの異議申し立てを無視し続けた。しかるに、この期に及んで、マスメディアが「安藤叩き」「森喜朗叩き」「JSC叩き」を足並みそろえて始めたことの裏側になにかがある――と、想像することは自然である。この事例から、日本のマスメディアが権力の走狗、大衆操作の具となり下がったことを確認できる。
ハディド案の「新国立」は女性性器
マスメディアは報じないが、このたび白紙化された「新国立」のデザインは、女性性器をモチーフにしたものである。このことは、SNS上では常識になっていた。空から見た「新国立」の完成予想図(パース)は、神宮の森(陰毛)に女陰がぽっかりと口を開けている風景である。国際コンペに臨んだイラク出身、英国在住の女性建築家、ザハ・ハディドはおそらく、落選覚悟で遊んだのだろう。それが異議異論なく、当選してしまったのだ。今回の混乱の発端はそこにある。
「新国立」のデザインに係る混乱ぶり
- このたび白紙化されたデザインは2012年11月、建築家の安藤忠雄氏が委員長を務めた審査委員会が、建設費を1300億円とする想定のもと、前出のザハ・ハディドの作品を最優秀賞に選んだもの。
- そのことを受けて、建築家、環境保護市民団体等が同案に対する反対を表明し、反対運動を展開し始めた。
- ハディドのデザインを忠実に再現した場合、費用が想定の2倍を超える3000億円に上ることが分かり、去年5月にまとまった基本設計では、当初のデザインと比べ、延べ床面積を25%程度縮小するなどして1625億円まで費用を圧縮した。
- ところが、費用圧縮は不可能との検証結果が出て、結局費用が3000億円を超えるとともに、工期も間に合わないことが分かった。
- ハディドのデザインを換骨奪胎する修正案(開閉式の屋根の設置を、東京オリンピック・パラリンピックの終了後に先送りする等)が再提出され、2520億円になることが決まった。
- 安保法制衆院強行採決後、同修正案は白紙撤回となった。
ハディド案決定の裏側――専門家は「アンビルト」をなぜ選んだのか
さて、「新国立」のデザイン決定に関与したメンバーは以下のとおり。
審査委員 11名 (役職は当時)
★の3名は、有識者会議メンバーでもある。
◎有識者審査委員
(施設建築)
委員長;安藤忠雄 ★建築WG座長(建築家)
委員 ;鈴木博之・建築計画・建築史(青山学院大学教授)
委員 ;岸井隆幸・都市計画(日本大学教授)
委員 ;内藤廣・建築計画・景観(前東京大学副長)
委員 ;安岡正人・環境・建築設備(東京大学名誉教授)
(スポーツ利用)
委員 ;小倉純二 ★スポーツWG座長(日本サッカー協会長)
(文化利用)
委員 ;都倉俊一 ★文化WG座長(日本音楽著作権協会長)
◎日本国以外の籍を有する建築家審査委員
委員 ;リチャード・ロジャース・イギリス(建築家)
委員 ;ノーマン・フォスター・イギリス(建築家)
◎主催者
委員 ;河野一郎(日本スポーツ振興センター理事長)
◎実現可能性を確認する専門アドバイザー
;和田章・建築構造※技術調査員と兼任
技術調査員
総括管理 - 和田章(東京工業大学) ※審査委員の専門アドバイザーと兼任
建築分野 - 【構造】三井和男(日本大学)
建築設備 - 【メカニカル】藤田聡(東京電機大学)、【空調】川瀬貴晴(千葉大学、建築設備技術者協会会長)、【音響】坂本慎一(東京大学)
施工・品質分野 - 野口貴文(東京大学)
都市計画分野 - 関口太一(都市計画設計研究所)
積算分野 - 木本健二(芝浦工業大学)
事業計画分野 - 東洋一(日本総合研究所)
建築法規分野 - 【防災計画】河野守(東京理科大学)
ハディド案をおしたのが、安藤忠雄と、戸倉俊一だったという。専門家である安藤が「このデザインは東京、日本の輝かしい未来を象徴する」と発言したかどうか知らないが、おそらくそのような表向きの趣旨に従ってデザインが決定されたはずだ。
不可解な専門家の沈黙
このメンバー表を見ると、委員、技術調査員、アドバイザーを含め、日本の建築学会、建築界における超一流の頭脳が集結しているではないか。彼らがなぜ、ハディドのデザインがかくも高額になることを予想できなかったのか。真剣に検討したのかどうかおおいに疑問が残る。
デザインの良し悪しには主観性による。安藤忠雄がいいというのならば、折れることも構わない。だが、建築の専門家ならば当初の予算設定に疑問をはさむ余地は十二分にあったはずだ。今回の白紙撤回により浪費された経費は、彼らが個人資産で負担すべきだ。安藤忠雄が決定機関の委員長として会見を開いたが、自らの責任を明らかにしなかったし、謝罪もしていない。メディアも責任追求しない。この無責任体制はなんなのか。
予算無限大はゼネコンからのキックバック目当てか?
それだけではない。迷走を続けた同案の建設費の見通しは、見積漏れが何か所もあることがわかっている。つまり、メディアに流れた1300億、3000億超、2520億という予算額もいい加減な数字だったということ。さらに建築技術的諸問題点、廃棄物処理問題(物流問題)、建設技術者・労働者、建設機材、同物流車両等に係る確保が難航することが、否、不可能であることもわかっている。まさに、ハディド案は、事実上アンビルト(ザハの別名が「アンビルトの女王」であることは有名。)の代物だったのだ。
エジプトのピラミッド等に代表される古代の建築物はそのスケールの大きさにより、現代人を圧倒する。現代人が、クレーン等の建設機材をもたない古代人がなぜあんな勇壮な建築物をつくりあげたのか不思議に思う。その答えの一つに、“古代には予算も工期もなかったから”というのがある。ハディド案もそれに近い。オリンピックなんだから、カネはいくらでもつぎ込める――というのが、同案を決定した委員たちの本音なのだろう。それが証拠に、組織委員会長の森喜朗は、「国がなんで2600億円くらいだせなかったのか」と、同案白紙決定に不満を漏らしている。同案が「森喜朗古墳」と揶揄される所以である。
安藤忠雄、森喜朗に代表される「新国立」関係者たちは、予算がかさめば、ゼネコンからのキックバックもそれだけ大きくなると踏んだのではないか。森は、「白紙、見直し」が決まった直後のインタビューにおいて、「もともとあのデザインは嫌いだった」と述べている。これが森の本音である。彼らにとって、デザインはどうでもよい。彼らの関心は、“高い施工費、高いキックバック”――選考に当たって彼らの頭のなかを支配していたのは、このこと以外になかったのではないか。
騒ぐだけでなく責任追及がメディアの使命
ハディド案を白紙撤回したことにより、およそ100億円が消えるという。この責任はだれが負うのだ。安倍政権は、「新国立」問題を安保法制強行採決のめくらましに使い、マスメディアはその片棒を担いでいる。ならば、安倍政権打倒を目指す大衆は、「新国立」の不祥事を徹底追及し、スキャンダル化し、責任者を追及し、関与者の悪事を暴くことで、安保法制強行採決と併せて、ダブルパンチとして浴びせるしかない。めくらましを逆手にとって、安倍政権に二重の苦痛を与えることだ。
2015年7月15日水曜日
理想のボディより、強い体づくりを目指せ
健康ブームのなか、パーソナルトレーニングに特化したスポーツクラブR社が話題になっている。報道によると、このスポーツクラブの謳い文句は、入会金5万円、コース基本料金29万8千円(2か月・16回)で理想のボディを約束するというもの。
会員募集方法に特徴があり、有名人を起用したTVCMに集中して、年間70億円、販売管理費の約3割をそれに投入しているという。会員が受けられるサービスは、専属トレーナーによる筋トレ個人指導および食事指導である。
R社の指導方法はボディビルダーの調整法に近いかもしれない
R社の指導方法については、「ボディビルダーの大会前の調整と似ている」というネット上の指摘がある。筆者もその指摘に全面的に同意する。
ボディビルダーは大会出場から逆算して年間スケジュールを立てる。大会終了を起点として、その後のおよそ半年間は体を大きくする、いわゆるバルクアップに励む。バルクアップ期は体重増と並行して過酷なウエートトレーニングを重ね、体重増及び筋量増を目指す。この時期、例えば、65キロ以下クラスに出場すると定めた選手は75~80キロ程度まで体重をあげる。
バルクアップを終えると、体内の脂肪の除去にとりかかる。減量だ。減量期間は、炭水化物、糖類を極度に制限し、高タンパク質食材を摂取する。大会3月前くらいには、出場予定階級の体重制限を下回る見通しが立っていないといけない。
減量期において、もっとも難しいのが体重減に伴う筋量減の防止である。体重減とともにパワーは必然的に落ちる。たとえば、バルクアップ中ならば、ベンチプレス100キロを上げていた者でも、減量期には難しくなる。それを防止するのが、高蛋白質食材の大量摂取及び精神力である。バルクアップ期の重さを上げきれるか諦めるかで、体の仕上がり具合が変わってくる。
なお、ここではバルクアップ~減量の年2分割調整法を紹介したが、プチ増量、プチ減量を数回繰り返すような調整法もある。
筋トレにおいては、筋肉の形が鮮明に出るような特別なトレーニング方法、マシーン活用があり、ポージング(大会規定のポーズ及び選手オリジナルのフリー)の訓練も必要となる。また、専用サプリメントの摂取も大切である。こうして、大会直前に制限体重ぎりぎりに仕上げて、大会に臨む。大会入賞者の体脂肪率は概ね5%前後が一般的だ。
R社に入会する者は、筋トレの経験がないか、もしくは、それを休止していて、しかも体内脂肪比率(体脂肪率)の高い人だろう。そのような状態の者が入会後、筋トレ及び食事制限によるメニューを一気に実践にうつすことになる。ということは、R社の指導法は、一般人の体の状態をボディビルダーのバルクアップした状態にアナロジーし、そこから2か月間で減量を迫るものと考えていい。入会者は筋トレよりも、脂肪・糖質制限の食事制限により、体重を落とす。筋トレだけで脂肪を除去することはかなり難しい。体脂肪が高い者でも、もともと筋肉のある者なら、この食事制限により、筋肉の形が見え始め、体の外形的変化が認められるようになる。
体重減しても、筋量増は難しい
体重70キロの者が、R社の作成した筋トレメニューに従った場合、たとえばベンチプレス70キロの記録を、2か月後、体重65キロに落としたうえで、ベンチプレス80キロを記録できるのか、というと、おそらく、そうなっていない。体重減とともに脂肪が減り、筋肉の形が見えてきただけで、筋力アップにつながっていないと考えられるからだ。筋トレ経験の少ない人は、体重減とともに、パワーも減ずるのが一般的。つまり、体重減とともに筋量、筋パワーとも減少している可能性のほうが高い。
結論を言えば、R社のメニューに従った2か月間のトレーニング等では体脂肪は減少できても、筋量アップは見込めないだろう。
「理想のボディ」というのが謳い文句のようだが、人間の筋肉は、2カ月間ではそうそう強化できない。それができるのならば、だれもがボディビル大会で優勝できるし、パワーリフティング大会で勝てる。
トレーニングの目的は外形ではなく、強い体をつくること
筋トレ及び食事制限で理想のボディを手に入れようと努力することは大切なことだし、その試みを否定しない。ただし、どんなトレーニングでも、その目的は強い体をつくること。筋肉増とその強化が健康増進に直結することは医学的に証明済みなのだから、外形上の変化より、筋量増をメルクマールとしたトレーニング成果を追求したいものである。
「ローマは一日にしてならず」――筆者の経験では、強靭な体をつくるには、数年単位の筋トレの積み重ねが必要。たった、2か月で体の外形がある程度変わったくらいで、強い体づくりができたなんて、まちがっても思わないほうがいい。
会員募集方法に特徴があり、有名人を起用したTVCMに集中して、年間70億円、販売管理費の約3割をそれに投入しているという。会員が受けられるサービスは、専属トレーナーによる筋トレ個人指導および食事指導である。
R社の指導方法はボディビルダーの調整法に近いかもしれない
R社の指導方法については、「ボディビルダーの大会前の調整と似ている」というネット上の指摘がある。筆者もその指摘に全面的に同意する。
ボディビルダーは大会出場から逆算して年間スケジュールを立てる。大会終了を起点として、その後のおよそ半年間は体を大きくする、いわゆるバルクアップに励む。バルクアップ期は体重増と並行して過酷なウエートトレーニングを重ね、体重増及び筋量増を目指す。この時期、例えば、65キロ以下クラスに出場すると定めた選手は75~80キロ程度まで体重をあげる。
バルクアップを終えると、体内の脂肪の除去にとりかかる。減量だ。減量期間は、炭水化物、糖類を極度に制限し、高タンパク質食材を摂取する。大会3月前くらいには、出場予定階級の体重制限を下回る見通しが立っていないといけない。
減量期において、もっとも難しいのが体重減に伴う筋量減の防止である。体重減とともにパワーは必然的に落ちる。たとえば、バルクアップ中ならば、ベンチプレス100キロを上げていた者でも、減量期には難しくなる。それを防止するのが、高蛋白質食材の大量摂取及び精神力である。バルクアップ期の重さを上げきれるか諦めるかで、体の仕上がり具合が変わってくる。
なお、ここではバルクアップ~減量の年2分割調整法を紹介したが、プチ増量、プチ減量を数回繰り返すような調整法もある。
筋トレにおいては、筋肉の形が鮮明に出るような特別なトレーニング方法、マシーン活用があり、ポージング(大会規定のポーズ及び選手オリジナルのフリー)の訓練も必要となる。また、専用サプリメントの摂取も大切である。こうして、大会直前に制限体重ぎりぎりに仕上げて、大会に臨む。大会入賞者の体脂肪率は概ね5%前後が一般的だ。
R社に入会する者は、筋トレの経験がないか、もしくは、それを休止していて、しかも体内脂肪比率(体脂肪率)の高い人だろう。そのような状態の者が入会後、筋トレ及び食事制限によるメニューを一気に実践にうつすことになる。ということは、R社の指導法は、一般人の体の状態をボディビルダーのバルクアップした状態にアナロジーし、そこから2か月間で減量を迫るものと考えていい。入会者は筋トレよりも、脂肪・糖質制限の食事制限により、体重を落とす。筋トレだけで脂肪を除去することはかなり難しい。体脂肪が高い者でも、もともと筋肉のある者なら、この食事制限により、筋肉の形が見え始め、体の外形的変化が認められるようになる。
体重減しても、筋量増は難しい
体重70キロの者が、R社の作成した筋トレメニューに従った場合、たとえばベンチプレス70キロの記録を、2か月後、体重65キロに落としたうえで、ベンチプレス80キロを記録できるのか、というと、おそらく、そうなっていない。体重減とともに脂肪が減り、筋肉の形が見えてきただけで、筋力アップにつながっていないと考えられるからだ。筋トレ経験の少ない人は、体重減とともに、パワーも減ずるのが一般的。つまり、体重減とともに筋量、筋パワーとも減少している可能性のほうが高い。
結論を言えば、R社のメニューに従った2か月間のトレーニング等では体脂肪は減少できても、筋量アップは見込めないだろう。
「理想のボディ」というのが謳い文句のようだが、人間の筋肉は、2カ月間ではそうそう強化できない。それができるのならば、だれもがボディビル大会で優勝できるし、パワーリフティング大会で勝てる。
トレーニングの目的は外形ではなく、強い体をつくること
筋トレ及び食事制限で理想のボディを手に入れようと努力することは大切なことだし、その試みを否定しない。ただし、どんなトレーニングでも、その目的は強い体をつくること。筋肉増とその強化が健康増進に直結することは医学的に証明済みなのだから、外形上の変化より、筋量増をメルクマールとしたトレーニング成果を追求したいものである。
「ローマは一日にしてならず」――筆者の経験では、強靭な体をつくるには、数年単位の筋トレの積み重ねが必要。たった、2か月で体の外形がある程度変わったくらいで、強い体づくりができたなんて、まちがっても思わないほうがいい。
2015年7月12日日曜日
『経済学からなにを学ぶか』
●伊藤誠〔著〕 ●平凡社新書 ●880円+税
本書は副題「その500年の歩み」とあるように、重商主義から重農主義(ケネー)、古典派経済学(スミス、リカード)、歴史学派、制度学派、新古典派経済学、そしてマルクス主義経済といった経済学について、歴史的、網羅的に解説したもの。たいへんわかりやすく、「新自由主義」に対抗する社会主義再生の道筋を示そうとした書といえる。
「新自由主義」はオーストリア学派(限界効用学派)の一部を継承するもの
いまの日本社会を支配する経済倫理が「新自由主義」と呼ばれる経済学に依っていることは否定しょうがない。それはネオ・リベラリズム、市場原理主義、フリー・マーケット・システムと呼ばれることもある。
この潮流が形成されたのはそう古いことではない。ソ連の崩壊(1991)の直前、欧州を代表する社会民主主義国家イギリスのサッチャー政権(首相在任期間1979-1990)及びケインズ経済の本家本元アメリカのレーガン政権(大統領在任期間1981-1989)においてほぼ同時的に推し進められた。
本書においては、「新自由主義」は、社会主義、社会民主主義に徹底して反対したオーストリア学派(限界効用学派)の流れをくむ思想であり、新古典派の一部を継承するものだと位置づけている。
オーストリア学派(限界効用学派)はウィーン学派とも呼ばれ、ウィーン大学教授C・メンガー(1840ー1921)の著書『国民経済学原理』を発端とし、第二世代のE・フォン・ベーム=パヴェㇽク(1851ー1914)、フォン・ヴィーザー(1851ー1926)を経て、第三世代L・E・フォン・ミーゼス(1881ー1973)やF・A・フォン・ハイエク(1890ー1992)へと至る。この学派について本書は以下のように整理している。
ミクロ経済主体の選択行為における限界効用の役割を重視し価格理論を提示展開する「限界効用逓減の法則」や「帰属理論」からは、消費者主権の発想が認められるものの、今日の「新自由主義」とは直結しない。今日の流れを形成したのは、同学派第二世代のベーム=パヴェㇽクが1896年、限界効用学派の観点から、マルクス価値論及び剰余価値論への批判を行ったことからだ。これに続き、第三世代のミーゼスとハイエクが1920ー1930年代にソ連型集権的計画経済の合理的存立可能性をめぐり、社会主義経済計算論争をしかけた。
「新自由主義」とシカゴ学派
「新自由主義」の経済学は、「1973年以降の資本主義経済のインフレ恐慌、スタグフレーション(物価高騰をともなう不況)としての高失業とインフレの並存、ついで、高度情報技術による資本主義経済の再編過程に支配的潮流となった(P173)」という側面もある。だが、その最大の特徴の一つは、ケインズ経済に従って政策化された「ニューディール政策」に代表される国家による市場への関与を排除するところである。そのことは、ミルトン・フリードマン(1912-2006)の代表的著作『資本主義と自由』に詳しい。フリードマンの主張を大雑把に言えば、市場原理主義であり、経済、文化、社会における国家の排除であり、完全な自己責任主義となる。なお、フリードマンについては後述する。
アメリカ(シカゴ学派)による世界経済支配の完成
本書の導きから今日優勢な「新自由主義」が世界的に経済学及び経済倫理の主流となった根拠を推量すると、人々がソ連崩壊を契機として、自然発生的に社会主義経済を忌避し、「新自由主義」を選び取った結果のように思えなくもない。はたしてそうだろうか。
今日の「新自由主義」は、アメリカの世界経済支配戦略に基づき、周到に進められてきたものだ。アメリカはその経済支配が及ばなかった旧社会主義国家群(南米、ロシア、東欧、アジア)及び福祉政策を重視する西側諸国に対し、CIA等を使って政治的関与を深め、アメリカが主唱する「新自由主義」に基づく経済政策を支持する政権を誕生させてきた。
親米政権誕生後には、経済顧問団を当該国に送り込み、また、IMF等の国際金融機関により経済的支配を強めることにより、「新自由主義」を徹底した。
アメリカが送り込んだ経済顧問や、国際的金融機関の官僚たちはシカゴボーイズと呼ばれた。彼らは「新自由主義」の頭首でシカゴ大学教授ミルトン・フリードマンの下で経済学を学んだシカゴ学派の若き秀才たちだった。アメリカは、南米、アジア、旧社会主義圏、西側福祉国家を「新自由主義化」することに成功し、いまもって世界はその流れの中にある。
アメリカはそのことと並行して、自国における福祉国家的政策を切り捨て、ケインズ型マクロ経済学に基づく国家による市場への関与に係る制度・政策を一掃した。その経緯、詳細については、『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)に詳しい。
日本では、「ロン、ヤス」と呼びあったレーガン米国大統領と親密だった中曽根康弘政権(首相在任期間/1982-1987)の時代の国鉄、電電公社、専売公社の民営化達成を皮切りに、橋本龍太郎政権(首相在任期間/1996‐1998)の時代、「フリー、フェア、グローバル」を標語とした「日本版金融ビッグバン」と呼ばれた金融改革が実行され、続いて小泉純一郎政権(首相在任期間/2001‐2006)の時代の「構造改革」によって「新自由主義」経済政策が定着した。
こう振り返ってみると、「新自由主義」は経済学なのか、それとも資本主義を延命させるイデオロギーなのか――と、その判断に迷うことだろう。筆者はもちろん、後者だと確信しているが。
アメリカは、ソ連(社会主義経済)崩壊後の世界経済支配の経済原理として、「新自由主義」を掲げ実践してきた。その実践の対象は、第一に旧東側及びアジアであり、第二に自国(アメリカ)を含む先進資本主義諸国である。アメリカは前者に対して、剥き出しの資本主義である競争原理、市場原理の経済活動を強要し、労働者大衆が社会主義国家時代に既に享受していたセーフティーナットを簒奪した。後者においても、後期資本主義社会にビルトインされていた社会保障等の福祉制度、労働組合組織といった労働者大衆の既得権を、構造改革、規制緩和の名の下に簒奪していった。その結果が、今日の資本主義先進国における格差拡大、雇用問題、自然荒廃、福祉打切り等となって表れている。
その原動力となったのが、前出のアメリカ・シカゴ大学教授、ミルトン・フリードマンであり、彼の忠実なる学徒、シカゴボーイズである。今日の「新自由主義」をオーストリア学派から現実的に架橋したのは、シカゴ学派にほかならない。本書がシカゴ学派にまったく触れていないことに不満が残る。
本書は副題「その500年の歩み」とあるように、重商主義から重農主義(ケネー)、古典派経済学(スミス、リカード)、歴史学派、制度学派、新古典派経済学、そしてマルクス主義経済といった経済学について、歴史的、網羅的に解説したもの。たいへんわかりやすく、「新自由主義」に対抗する社会主義再生の道筋を示そうとした書といえる。
「新自由主義」はオーストリア学派(限界効用学派)の一部を継承するもの
いまの日本社会を支配する経済倫理が「新自由主義」と呼ばれる経済学に依っていることは否定しょうがない。それはネオ・リベラリズム、市場原理主義、フリー・マーケット・システムと呼ばれることもある。
この潮流が形成されたのはそう古いことではない。ソ連の崩壊(1991)の直前、欧州を代表する社会民主主義国家イギリスのサッチャー政権(首相在任期間1979-1990)及びケインズ経済の本家本元アメリカのレーガン政権(大統領在任期間1981-1989)においてほぼ同時的に推し進められた。
本書においては、「新自由主義」は、社会主義、社会民主主義に徹底して反対したオーストリア学派(限界効用学派)の流れをくむ思想であり、新古典派の一部を継承するものだと位置づけている。
・・・広くみれば、新古典派ミクロ価格理論にも、社会主義の可能性を容認し擁護する一面を有していた一般的均衡学派や、生産手段の私有制にもとづく資本主義を前提しつつ、労働組合運動を許容して、社会民主主義による福祉国家を志向する一面を有するケンブリッジ学派の伝統を含んでいた。それにもかかわらず、いまや社会主義や社会民主主義に反対していたハイエク的なオーストリア学派の伝統のみが、狭く選びとられて「新自由主義」の理論的基礎とされた傾向が目につく。(P175)
オーストリア学派(限界効用学派)はウィーン学派とも呼ばれ、ウィーン大学教授C・メンガー(1840ー1921)の著書『国民経済学原理』を発端とし、第二世代のE・フォン・ベーム=パヴェㇽク(1851ー1914)、フォン・ヴィーザー(1851ー1926)を経て、第三世代L・E・フォン・ミーゼス(1881ー1973)やF・A・フォン・ハイエク(1890ー1992)へと至る。この学派について本書は以下のように整理している。
・・・まず人間の欲望充足に直接役立つ低次財(消費財)について、同じ財を追加的にえてゆくと、その欲望充足に与える満足度(効用)は低下してゆくとする「限界効用逓減の法則」が前提とされた。その前提からまた、限られた予算制約(所得)のもとで、多様な消費財を選択してゆくと、最終的な支出単位について各財からえられる満足度としての「限界効用均等化の法則」が成り立つさいに、主観的満足度が最大化されるはずであるとみなされた。
経済主体としての各個人がそれぞれに有する財やサービスを手放して、市場で他の消費財と交換し入手してゆくさいの主観的満足度も、こうした限界効用の逓減と均等化の法則にしたがう。そのような個人としての経済主体の所有し供給する財やサービスと、それへの需要としての限界効用をめぐる選択行為をつうじ、消費財の相互交換比率ないし相対価格は体系的に決定される。
こうして消費財についての受給均衡的な価格体系が与えられれば、それらへの生産への貢献度に応じて、高次財(生産財)についても、相対価格が与えられ、帰属してゆく。これが生産財についての交換価値の帰属理論といわれた(P135-136)
ミクロ経済主体の選択行為における限界効用の役割を重視し価格理論を提示展開する「限界効用逓減の法則」や「帰属理論」からは、消費者主権の発想が認められるものの、今日の「新自由主義」とは直結しない。今日の流れを形成したのは、同学派第二世代のベーム=パヴェㇽクが1896年、限界効用学派の観点から、マルクス価値論及び剰余価値論への批判を行ったことからだ。これに続き、第三世代のミーゼスとハイエクが1920ー1930年代にソ連型集権的計画経済の合理的存立可能性をめぐり、社会主義経済計算論争をしかけた。
・・・この学派が新古典派のなかで、とくにマルクス学派との対抗関係を重視し、方法論的個人主義により経済生活の社会的統御に反発する特徴をよく示している。(P139-140)
ハイエクは・・・競争をつうじ各個人主体が言語化されず一般化もされないような「暗黙知」を発見しつつ、新技術、新製品、さらには社会経済上の諸制度や組織を自生的に産みだす作用にあると、強調するようになった(D・ラヴォア(1985)西部忠(1996))。
それは、I・カーズナー(1930-)やラヴォアら、現代オーストリア学派といわれる一連の理論家たちが、市場を知識の発見、イノベーション(技術などの革新)の自主的創出過程とみなし、それによって、ソ連崩壊や新自由主義の意義を説く傾向に継承されている。(P144-145)
「新自由主義」とシカゴ学派
「新自由主義」の経済学は、「1973年以降の資本主義経済のインフレ恐慌、スタグフレーション(物価高騰をともなう不況)としての高失業とインフレの並存、ついで、高度情報技術による資本主義経済の再編過程に支配的潮流となった(P173)」という側面もある。だが、その最大の特徴の一つは、ケインズ経済に従って政策化された「ニューディール政策」に代表される国家による市場への関与を排除するところである。そのことは、ミルトン・フリードマン(1912-2006)の代表的著作『資本主義と自由』に詳しい。フリードマンの主張を大雑把に言えば、市場原理主義であり、経済、文化、社会における国家の排除であり、完全な自己責任主義となる。なお、フリードマンについては後述する。
アメリカ(シカゴ学派)による世界経済支配の完成
本書の導きから今日優勢な「新自由主義」が世界的に経済学及び経済倫理の主流となった根拠を推量すると、人々がソ連崩壊を契機として、自然発生的に社会主義経済を忌避し、「新自由主義」を選び取った結果のように思えなくもない。はたしてそうだろうか。
今日の「新自由主義」は、アメリカの世界経済支配戦略に基づき、周到に進められてきたものだ。アメリカはその経済支配が及ばなかった旧社会主義国家群(南米、ロシア、東欧、アジア)及び福祉政策を重視する西側諸国に対し、CIA等を使って政治的関与を深め、アメリカが主唱する「新自由主義」に基づく経済政策を支持する政権を誕生させてきた。
親米政権誕生後には、経済顧問団を当該国に送り込み、また、IMF等の国際金融機関により経済的支配を強めることにより、「新自由主義」を徹底した。
アメリカが送り込んだ経済顧問や、国際的金融機関の官僚たちはシカゴボーイズと呼ばれた。彼らは「新自由主義」の頭首でシカゴ大学教授ミルトン・フリードマンの下で経済学を学んだシカゴ学派の若き秀才たちだった。アメリカは、南米、アジア、旧社会主義圏、西側福祉国家を「新自由主義化」することに成功し、いまもって世界はその流れの中にある。
アメリカはそのことと並行して、自国における福祉国家的政策を切り捨て、ケインズ型マクロ経済学に基づく国家による市場への関与に係る制度・政策を一掃した。その経緯、詳細については、『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)に詳しい。
日本では、「ロン、ヤス」と呼びあったレーガン米国大統領と親密だった中曽根康弘政権(首相在任期間/1982-1987)の時代の国鉄、電電公社、専売公社の民営化達成を皮切りに、橋本龍太郎政権(首相在任期間/1996‐1998)の時代、「フリー、フェア、グローバル」を標語とした「日本版金融ビッグバン」と呼ばれた金融改革が実行され、続いて小泉純一郎政権(首相在任期間/2001‐2006)の時代の「構造改革」によって「新自由主義」経済政策が定着した。
こう振り返ってみると、「新自由主義」は経済学なのか、それとも資本主義を延命させるイデオロギーなのか――と、その判断に迷うことだろう。筆者はもちろん、後者だと確信しているが。
アメリカは、ソ連(社会主義経済)崩壊後の世界経済支配の経済原理として、「新自由主義」を掲げ実践してきた。その実践の対象は、第一に旧東側及びアジアであり、第二に自国(アメリカ)を含む先進資本主義諸国である。アメリカは前者に対して、剥き出しの資本主義である競争原理、市場原理の経済活動を強要し、労働者大衆が社会主義国家時代に既に享受していたセーフティーナットを簒奪した。後者においても、後期資本主義社会にビルトインされていた社会保障等の福祉制度、労働組合組織といった労働者大衆の既得権を、構造改革、規制緩和の名の下に簒奪していった。その結果が、今日の資本主義先進国における格差拡大、雇用問題、自然荒廃、福祉打切り等となって表れている。
その原動力となったのが、前出のアメリカ・シカゴ大学教授、ミルトン・フリードマンであり、彼の忠実なる学徒、シカゴボーイズである。今日の「新自由主義」をオーストリア学派から現実的に架橋したのは、シカゴ学派にほかならない。本書がシカゴ学派にまったく触れていないことに不満が残る。
2015年7月1日水曜日
2015年6月17日水曜日
千駄木・ひょうたん池
2015年6月14日日曜日
『ユングとオカルト』
●秋山さと子 ●講談社現代新書 ●650円+税
本書は、“集合的無意識”の用語で知られる心理学者で精神科医、カール・グスタフ・ユング(1903-1955)のオカルトとの関わりを解説したもの。オカルトというと、現代日本では怪しげな迷信や似非宗教等の代名詞になっているが、本来は「隠されたもの」という意味である。
ユングは占星術、グノーシス主義、錬金術、ルネサンスのヘルメス学、カバラ等を研究し、人間の無意識の中に潜むと思われる、それら「隠されたもの」の関与を明らかにすることで、自らの心理学体系の構築を試みた。著者(秋山さと子)はユングの思想を簡潔に次のようにまとめている。
彼(ユング)が好んで占星術に言及したのは、この一連のいわゆるオカルトに対する興味からだけではない。魚座の時代に続く水瓶座の世紀こそ、この分裂した自我が統合されるものと彼は信じていた。
(略)
ユングは無意識の中にうごめく力の奇妙な結晶体が、人間の意識を揺り動かすエネルギーを発して、それが人々の運命をリードするという意味で、占星術における運命決定論を許容し認めていたが、新たな水瓶座を示すイメージは、全人格的な原人アントローポスが、壺の水を魚の口に注いでいるもので、この象徴的イメージは、ユングによれば、意識と無意識をつなぎ、内にも外にも開かれた全人が、ようやくこの世にあらわれてくる前兆と考えられた。
それはこれまでずっと隠されたものであったが、いわゆる無意識的なものや、その投影として現実の世界を覆う幻像のようなものではない。ユングが実在すると信じた人間の世界の外に存在するなにものかであり、同時に心の中心として、意識と無意識、光と闇、善と悪などの人間の心の動きのバランスをとるシーソーの支柱のようなものである。この支柱は決して人間の意識でとらえ、保持できるような性格のものではない。そういう意味で、真に隠されたものであり、無意識の投影としてのオカルトではなく、隠されたという意味を持つオカルトという言葉の真の意味においてオカルト的なものといえよう。(本書P20~21)
本書は、「隠されたもの」の思想的本源、グノーシス主義の解説から始まる。グノーシス主義とは何かについては、本書を参照してほしいのだが、それは巨大な構成力をもった宗教であり、思想であり、哲学であった。西暦紀元前後、東方において成立し、原始キリスト教と教義において微妙に対立しつつ、紀元2世紀ころにはギリシア、エジプト、シリア、ペルシア等のヘレニズム世界において隆盛を極めた。ところが、カトリック教会のヘゲモニー掌握に従い異端として退けられ、表舞台からの消滅を余儀なくされた。
グノーシス(ΓΝΩΣΙ)とは、単語的意味では、「認識」や「知識」を意味する古代ギリシア語の普通名詞。グノーシス主義の特徴を大雑把にまとめると、
日本においても、社会の行き詰まりや精神の荒廃した状況が訪れた昨今において、現代日本社会の起源を「弥生」に求め、それを超えるユートピアとして「縄文」を対置する傾向がみられる。いまの日本は弥生時代の社会制度や思想の延長上にあるからだめなのだ、だから、縄文時代に回帰せよ、と。
本書にもあるように、ヨーロッパにおいては、グノーシス主義は歴史の表舞台から消えたものの、錬金術やヘルメス学等に受け継がれ、ルネサンス期に再興する。その後、カバラ、占星術等と融合し、17世紀には薔薇十字団、フリーメイソンといった秘密結社を誕生させていく。この流れは、1799年、フリードリヒ・シュライアマハーの『宗教について』の刊行により大衆に浸透し始め、そのおよそ100年後(1888年)、ブラヴァツキーの『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』による神智学、シュタイナーの人智学、アリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。第二次大戦後は、ニューエイジ思想として米国に流入開花し、今日に至っている。
- 多くの場合、イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違うという教義をもつこと、
- 創造神の所産であるこの世界は唾棄すべき低質なものとしたこと、
- 人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれていること、
- 救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ること、
- グノーシス主義が信奉するのは、この世界の外、あるいはその上にあるいわば「上位世界」そしてそこに位置している「至高神」であること、
- 人間の霊魂も、もともとはこの上位世界、別名「プレーローマ」の出身であり、現在はこの世界に幽閉されている形になっていること、
- この世界から解放され、故郷である上位世界に戻ること、それがグノーシス主義者にとっての「救済」であること、
- こうした事情を人々に啓示するために上位世界から派遣されてきたのが救済者イエス・キリストであること、
- グノーシス主義における教義には神話によって記述されているものもあり、それらには寓話的、おとぎ話的なものもあること、
日本においても、社会の行き詰まりや精神の荒廃した状況が訪れた昨今において、現代日本社会の起源を「弥生」に求め、それを超えるユートピアとして「縄文」を対置する傾向がみられる。いまの日本は弥生時代の社会制度や思想の延長上にあるからだめなのだ、だから、縄文時代に回帰せよ、と。
本書にもあるように、ヨーロッパにおいては、グノーシス主義は歴史の表舞台から消えたものの、錬金術やヘルメス学等に受け継がれ、ルネサンス期に再興する。その後、カバラ、占星術等と融合し、17世紀には薔薇十字団、フリーメイソンといった秘密結社を誕生させていく。この流れは、1799年、フリードリヒ・シュライアマハーの『宗教について』の刊行により大衆に浸透し始め、そのおよそ100年後(1888年)、ブラヴァツキーの『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』による神智学、シュタイナーの人智学、アリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。第二次大戦後は、ニューエイジ思想として米国に流入開花し、今日に至っている。
ユングにとって、さまざまな神秘的な事象は、ただ迷信的に信じられるものではなかったが、だからといって、これを見ないですませたり、否定したりすることはできなかった。さて、ユング再評価、過大評価の動きが日本にあり、同時に、近年、日本社会におけるニューエイジ思想の浸透は想像以上である。前出のとおり、検証を伴わない「縄文至上主義」もその一つ。オウム真理教事件の反省を踏まえ、地道なユング精読が求められる。本書は、ユング心理学の手頃な入門書であり、ユング盲信を阻む一助となろう。〔完〕
これを認めるとすれば、人間の頭の中で想像できる唯一のことは、自然の中には原因と結果との結合性以外に、もう一つ別の因子が存在し、それが諸事象のなかに表現され、それが我々にとって、意味としてあらわれるものと考えなければならない。これがユングの考えていた隠されたる神の実在であり、すべてを包括する因子の存在という仮定である。(本書P208)
2015年6月10日水曜日
2015年6月3日水曜日
2015年6月1日月曜日
2015年5月31日日曜日
『宗教学』(ブックガイドシリーズ 基本の30冊)
●大田俊寛〔著〕 ●人文書院 ●1900円+税
広大な領域をもつ宗教学
宗教学が扱う範囲は広大である。その範囲を思いつくままに列挙すると、▽宗教の起源をあきらかにしようとする試み、▽特定の宗教の教義を解釈・深化しようとする試み(神学)、▽宗教を克服しようとする哲学的試み、▽宗教から社会の在り方を探ろうとする試み、▽特定の宗教を実体験することを通じて、その教義・秘儀を明らかにすると同時に、その信者の心的構造を明らかにしようとする試み…等々が思い浮かぶ。
西欧においては、キリスト教の成立から19世紀まで、彼らの思想哲学を極論すれば、神(宗教)との係わりに規定され展開されてきた。青年ヘーゲル派の登場によって、「神は人間がつくった」という命題がくだされながら、いまだ神は死んでいない。人間の誕生と同時に宗教が成立したと考えるならば、宗教(神)の否定が試みられてからわずか200年しか経過していないことになる。21世紀の今日といえども、世界はいまだ宗教の支配下にある。
今日なお絶大な影響力をもつ宗教
20世紀末には、冷戦後の世界(国際政治)を考える文明論として、世界をそれぞれの宗教を指標に区分し、それぞれが互いに衝突しあう情況にあると解釈する試みが提起され、多くの支持者を集めた。(『文明の衝突』/サミュエル・P・ハンチントン著/1996)。ハンチントンによると、世界で生起している(あるいはこれから生起する)紛争は、それぞれの文明の境界(フォルト・ライン)において、異なった文明同士が衝突する結果だという。その真偽は別として、21世紀の今日、現代人が被る宗教の影響力は衰えたとはいえない。
わが国では、1995年、新宗教の一つ、オウム真理教が猛毒サリンを使用した無差別テロを敢行し、死傷者6千人を超える事件を起こした。また今日、国際的事件の多くが一見すると宗教的な様相を呈していて、中東に根拠を置くIS(イスラミック・ステイト)と自称する暴力集団の動向が報じられない日はない。
そのような状況の中での本書の刊行である。宗教を問い考えることは、古めかしい教養主義ではない。また、前出のハンチントンのような粗雑な世界情勢理解(=間違った「宗教文明論」)に足元をすくわれないためにも、宗教について本源的に接近する必要性が高まっている。
オウム真理教をとらえなおす契機
“ブックガイドシリーズ”とあるように、本書の役割は宗教学を勉強するための基礎文献の紹介にある。30冊という冊数が多いのか少ないかはわからないが、著者(大田俊寛)の選定は概ね適正だと思われる。一方、先述した世界情勢からすれば、イスラム教関連が少ないという批判もあるかもしれない。なかんずく、スンニ派とシーア派との「対立」の根源について知りたいという要望のほうが今日的かもしれない。が、そうした要望は、個別の著作物を当たればいいことだろう。
それもそうなのだが、著者(大田俊寛)の宗教学の今日的展開は、オウム真理教の暴発を契機としている。そのことは、本書の帯に、“オウム真理教事件の蹉跌を越えて、宗教について体系的に思考するための30冊”とあることからもうかがいしれる。著者(大田俊寛)の立場は、その著書『オウム真理教の精神史 ロマン主義、全体主義、原理主義』のタイトル付けで明白なように、オウム真理教の爆発の根源をロマン主義、全体主義、原理主義から解き明かそうと努めていた。
それゆえ、本書においては、前半よりも後半=第5部「個人心理と宗教」、第6部「シャーマニズムの水脈」、第7部「人格改造による全体主義的コミューンの水脈」、第8部「新興宗教・カルトの問題」(合計15冊)の解説に熱が入っているような気もする。第5部から第8部までに収められている書名・著者は以下のとおり。
〔個人心理と宗教―5冊〕
・フリードリヒ・シュライアマハー『宗教について』(1799)
・ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(1901-1902)
・アンリ・エレンベルガー『無意識の発見』(1970)
・ラルフ・アリソン『「私」が私でない人たち』(1980)
・E・キュブラー・ロス『死ぬ瞬間』(1969)
〔シャーマニズムの水脈―3冊〕
・ミリチア・エリアーデ『シャーマニズム』(1951)
・I・M・ルイス『エクスタシーの人類学』(1971)
・上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(1990)
〔人格改造による全体主義的コミューンの水脈―3冊〕
・ハナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)
・チャールズ・リンドホルム『カリスマ』(1992)
・米本和広『洗脳の楽園』(1997)
〔新興宗教・カルトの問題―3冊〕
・横山茂雄『聖別された肉体』(1990)
・小川忠『原理主義とは何か』(2003)
・大田俊寛『オウム真理教の精神史』(2011)
※( )内は原著刊行年
シュライアマハーから始まったニューエイジ思想
一覧で明白なように、これらの書物は、シュライアマハーを除くと、現代に書かれた宗教論である。キリスト教から解放された世俗国家(国民国家)が立脚する合理主義が行き詰まりをみせた、ポストモダンといわれる今日の情況と宗教が分離できないことの証左でもある。逆にいうと、現代の宗教(カルトを含む)は、シュライアマハーを原基として奇妙な発展をみせた。著者(大田俊寛)は、シュライアマハーの宗教論を次のように要約する。
シュライアマハーは既存宗教(経典/聖書等、教会、宗教団体、理性が解説する自然宗教…)を全否定し、直観による宇宙との接触が真の宗教だとした。著者(大田俊寛)はシュライアマハーについてこう論ずる。
シュライアマハーから今日のニューエイジ思想・カルト的宗教に至る過程を大雑把に辿れば、その筆頭として、ブラヴァツキーが著した『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』を挙げなければなるまい。この書は1888年にドイツで刊行されたもので、19世紀半ばに発表されたダーウインの『進化論』を借用した、霊性進化(注;この言語は大田俊寛の造語)を基礎とした荒唐無稽の新宗教である。やがて神智学はシュタイナーにより発展的に継承され、人智学として成立を見る。さらにこの流れはアリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。
ニューエイジ思想の拡散と日本における成長
(一)オウム真理教と中沢新一
ドイツ敗戦により鎮圧されたはずの新宗教であったが、ドイツに戦勝したアメリカにおいて、それはニューエイジ思想として開花する。ニューエイジ思想は非常に広範囲な精神運動なので、明確に定義することはかなりむずかしいのだが、その特徴を列挙すると、▽反キリスト教を基本とすること、▽グル(導師、尊師、大師等ともいわれる)を頂点とした階層的コミューンを形成する場合が多いこと、▽教義に終末論を取り入れていること、▽グルは信者に修行を命じ、信者はシャーマン(グルが代行)による脱魂・憑依(イニシエーション)体験・神秘体験を通じ、あるいは、ヒンドゥー教・チベット仏教におけるヨーガ、日本仏教における禅等による瞑想を通じ、超自我的境地の獲得が目指されること、▽私有財産の否定・放棄、自然崇拝(エコロジー志向、自然農法の励行)、多神教優越主義、反機械文明、性の解放、家族制度の否定等の運動と一体化している場合も多い。
オウム真理教が隆盛を極めた1990年代、その信者の奇妙な修行の様子が、TVメディア等により幅広く報道されたことは記憶に新しい。その映像を思い出していただければ、ニューエイジ運動のおおよそのイメージはつかめるはずだ。つまり、オウム真理教も、ニューエイジ思想の日本への移入と密接に関連して、生成・発展・暴発したカルトの代表的存在であった。
日本のニューエイジ思想の流布に熱心だった宗教学者の一人が中沢新一である。著者(大田俊寛)は、当時、麻原彰晃を「本物の宗教家」として称揚した中沢新一、島田裕巳、山折哲雄らの宗教学者に対する批判をいまなお続けているが、とりわけ中沢については本書において、次のように論じている。
著者(大田俊寛)は本書においては、中沢、島田、山折らの批判を控えているが、中沢の『虹の階梯』の内容は、オウム真理教の尊師、麻原彰晃が信者に説いた内容とほぼ同じである。極論するならば、中沢新一と麻原彰晃は同一の宗教的実践を説いていたことになる。中沢はニューアカデミズム(ニューアカ)の新進思想家としてメディアを通じて彼の読者に向かって、また、麻原は彼を慕う信者たちに向かって、と、その対象は異なっていたけれど。このことから、1980年代~1990年代の日本の思想界・宗教界はニューエイジ思想を十分許容していたことがわかる。
(二)オウム真理教は「本物」だったのか
同じくオウム真理教を支持した山折哲雄の場合は、中沢新一とは位相が異なる。山折は1992年、雑誌における麻原との対談において、当時、熊本県などの地元民と軋轢があったオウム真理教が法廷闘争を行っているとき、「・・・宗教集団としては、最後まで世俗間の法律は無視するという手もあると思うのですよ」と、オウム真理教側への支持を明らかにした。
山折がオウム真理教に対して抱いたシンパシーは例外的なものではない。オウム真理教幹部だった上祐史浩、教団幹部・村井秀夫を殺害した徐史浩、司会役の鈴木邦夫による鼎談『終わらないオウム』(鹿砦社)において、鈴木は、オウム真理教を取り上げたTV番組『朝まで生テレビ!』について、次のように語っている。
鈴木 ・・・『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でやった「激論 宗教と若者」(91年)でのオウムと幸福の科学との対決とかもすごかったですね。あれでオウムはすばらしいと思った人たちもいたし、ぼくもそれを見てオウムは本物だと思いました。そのオウムに熱狂していく過程を知らずに今の結果だけを見れば、なんであんなバカらしいものにかぶれるのだろうと思うだけですよね。(『終わらないオウム』P102)
宗教は元来が革命的、反体制的
「オウムは本物だと思った」というのは、実に的をえた表現である。つまり何が本物なのかといえば、宗教がもつ非妥協性、否定性においてである。本書においては、村上重良が著した『ほんみち不敬事件 天皇制と対決した民衆宗教』が紹介されている。詳しくは本書を参照してほしいが、“ほんみち”とは、天皇を「唐人」と称して批判した、天理教原理派のこと。1925年に天理教から分派し、国家神道と厳しく対立したため、治安当局から弾圧を受けた。
今日の宗教は新旧を問わず、教義の過激性はともかく概ね体制内化していて、ビジネスに熱心なものが多い。しかし、宗教が現世の苦難からの救済を求める側面をもつ以上、苦難の元凶である体制の変革を目指すのは必然である。原始キリスト教は、当時支配者の宗教であったユダヤ教を批判・対立するところから出発しているし、西欧キリスト教における宗教改革は、それまで、カトリックの基盤をなしていた教会制度の抜本変革を求める運動であった。
現代においても、体制変革を目指した教団は数多い。1978年には、アメリカの宗教団体「人民寺院」がガイアナで信者の集団自殺事件を起こしたし、1993年には、同じくアメリカの宗教団体「ブランチ・ダビディアン」が治安当局と銃撃戦・火災事件を起こした挙句、信者多数が死亡している。
宗教が、現世よりも来世における幸福を期待する以上、生と死の区分は相対的である。自然崇拝が度を越せば、私有財産や現行の法制度を認めない教義が成立する余地は十分すぎるほどある。さらに、終末論的世界観が教義に備わっていれば、教団が最終戦争(ハルマゲドン)を準備し、実行に及ぶ可能性は高い。集団自殺、最終戦争、テロリズム等が信仰の名の下に実践される確率は低くない。
宗教指導者のカリスマ性は革命的エネルギーによって担保される。そして、そのエネルギーは信者以外にも感受され得る。当時、麻原をはじめとするオウム真理教幹部を、テレビ映像を通じて「本物」だと直感した鈴木邦夫や、オウム真理教を教団として認めた複数の宗教学者を責めることはできない。そのことが、教団の存在根拠なのであるのだから。
オウム真理教と宗教学者の責任
麻原を支持した宗教学者(前出の中沢新一、島田裕巳、山折哲雄ら)の非は、サリン事件後、自らがオウム真理教を容認した事実を封印したことにある。つまり、彼らは、麻原及びオウム真理教に対しシンパシーを表明しながら、事件後、そのことを「なかったこと」にしようと画策したか、沈黙した。つまり宗教学者として、オウム真理教を思想的に総括することを怠った。管見の限りだが、著者(大田俊寛)の批判に対し、中沢、島田、山折らは答えていない。
中沢、島田、山折らの宗教学者や鈴木のような政治団体指導者が、宗教家・麻原の本気度を認めたことは誤りでもなんでもない。「地下鉄サリン事件」を予期できなかったのは、宗教学者の責任ではない。日本の治安を預かる警察当局ですら、オウム真理教の体質を見誤り、その暴走を止められなかったではないか。そればかりか、「地下鉄サリン事件」の前にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」では、被害者宅の隣人を誤認逮捕するという失態を演じ、あやうく冤罪を犯しそうになったではないか。
宗教学の課題
日本の宗教学は、著者(大田俊寛)の登場によって、学問としての要件をようやく整えつつある、といっていいすぎではない。先述のとおり、それくらい、日本の宗教学は混迷状態にあった。しかも、今日の世界情勢は、宗教を外すことはできないものの、宗教対立に還元できるものでもない。宗教学が背負う課題は、とびぬけて大きい。
広大な領域をもつ宗教学
宗教学が扱う範囲は広大である。その範囲を思いつくままに列挙すると、▽宗教の起源をあきらかにしようとする試み、▽特定の宗教の教義を解釈・深化しようとする試み(神学)、▽宗教を克服しようとする哲学的試み、▽宗教から社会の在り方を探ろうとする試み、▽特定の宗教を実体験することを通じて、その教義・秘儀を明らかにすると同時に、その信者の心的構造を明らかにしようとする試み…等々が思い浮かぶ。
西欧においては、キリスト教の成立から19世紀まで、彼らの思想哲学を極論すれば、神(宗教)との係わりに規定され展開されてきた。青年ヘーゲル派の登場によって、「神は人間がつくった」という命題がくだされながら、いまだ神は死んでいない。人間の誕生と同時に宗教が成立したと考えるならば、宗教(神)の否定が試みられてからわずか200年しか経過していないことになる。21世紀の今日といえども、世界はいまだ宗教の支配下にある。
今日なお絶大な影響力をもつ宗教
20世紀末には、冷戦後の世界(国際政治)を考える文明論として、世界をそれぞれの宗教を指標に区分し、それぞれが互いに衝突しあう情況にあると解釈する試みが提起され、多くの支持者を集めた。(『文明の衝突』/サミュエル・P・ハンチントン著/1996)。ハンチントンによると、世界で生起している(あるいはこれから生起する)紛争は、それぞれの文明の境界(フォルト・ライン)において、異なった文明同士が衝突する結果だという。その真偽は別として、21世紀の今日、現代人が被る宗教の影響力は衰えたとはいえない。
わが国では、1995年、新宗教の一つ、オウム真理教が猛毒サリンを使用した無差別テロを敢行し、死傷者6千人を超える事件を起こした。また今日、国際的事件の多くが一見すると宗教的な様相を呈していて、中東に根拠を置くIS(イスラミック・ステイト)と自称する暴力集団の動向が報じられない日はない。
そのような状況の中での本書の刊行である。宗教を問い考えることは、古めかしい教養主義ではない。また、前出のハンチントンのような粗雑な世界情勢理解(=間違った「宗教文明論」)に足元をすくわれないためにも、宗教について本源的に接近する必要性が高まっている。
オウム真理教をとらえなおす契機
“ブックガイドシリーズ”とあるように、本書の役割は宗教学を勉強するための基礎文献の紹介にある。30冊という冊数が多いのか少ないかはわからないが、著者(大田俊寛)の選定は概ね適正だと思われる。一方、先述した世界情勢からすれば、イスラム教関連が少ないという批判もあるかもしれない。なかんずく、スンニ派とシーア派との「対立」の根源について知りたいという要望のほうが今日的かもしれない。が、そうした要望は、個別の著作物を当たればいいことだろう。
それもそうなのだが、著者(大田俊寛)の宗教学の今日的展開は、オウム真理教の暴発を契機としている。そのことは、本書の帯に、“オウム真理教事件の蹉跌を越えて、宗教について体系的に思考するための30冊”とあることからもうかがいしれる。著者(大田俊寛)の立場は、その著書『オウム真理教の精神史 ロマン主義、全体主義、原理主義』のタイトル付けで明白なように、オウム真理教の爆発の根源をロマン主義、全体主義、原理主義から解き明かそうと努めていた。
それゆえ、本書においては、前半よりも後半=第5部「個人心理と宗教」、第6部「シャーマニズムの水脈」、第7部「人格改造による全体主義的コミューンの水脈」、第8部「新興宗教・カルトの問題」(合計15冊)の解説に熱が入っているような気もする。第5部から第8部までに収められている書名・著者は以下のとおり。
〔個人心理と宗教―5冊〕
・フリードリヒ・シュライアマハー『宗教について』(1799)
・ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(1901-1902)
・アンリ・エレンベルガー『無意識の発見』(1970)
・ラルフ・アリソン『「私」が私でない人たち』(1980)
・E・キュブラー・ロス『死ぬ瞬間』(1969)
〔シャーマニズムの水脈―3冊〕
・ミリチア・エリアーデ『シャーマニズム』(1951)
・I・M・ルイス『エクスタシーの人類学』(1971)
・上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(1990)
〔人格改造による全体主義的コミューンの水脈―3冊〕
・ハナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)
・チャールズ・リンドホルム『カリスマ』(1992)
・米本和広『洗脳の楽園』(1997)
〔新興宗教・カルトの問題―3冊〕
・横山茂雄『聖別された肉体』(1990)
・小川忠『原理主義とは何か』(2003)
・大田俊寛『オウム真理教の精神史』(2011)
※( )内は原著刊行年
シュライアマハーから始まったニューエイジ思想
一覧で明白なように、これらの書物は、シュライアマハーを除くと、現代に書かれた宗教論である。キリスト教から解放された世俗国家(国民国家)が立脚する合理主義が行き詰まりをみせた、ポストモダンといわれる今日の情況と宗教が分離できないことの証左でもある。逆にいうと、現代の宗教(カルトを含む)は、シュライアマハーを原基として奇妙な発展をみせた。著者(大田俊寛)は、シュライアマハーの宗教論を次のように要約する。
敬虔な宗教感情を、ロマン主義の世界観によって洗練させることにより、旧来のキリスト教思想の超克を試みるだけではなく、「宗教を侮蔑する教養人」すなわち、近代の啓蒙主義者に対抗しようとした・・・(本書137P)
シュライアマハーは既存宗教(経典/聖書等、教会、宗教団体、理性が解説する自然宗教…)を全否定し、直観による宇宙との接触が真の宗教だとした。著者(大田俊寛)はシュライアマハーについてこう論ずる。
『宗教について』という著作は、魅力的な筆致によって広く人気を集めると同時に、フリードリッヒ・シェリングのロマン主義哲学、カール・グスタフ・ユングの宗教心理学等、後代の諸思想にも大きな影響を及ぼしていった。
(略)
しかしながら、同書の刊行から200年以上が経過し、その後の宗教状況を見てきたわれわれには、彼の思想を無反省に肯定することは難しい。というのは、彼の宗教論は、欧米のニューエイジ思想や日本の精神世界論、さらには数々の「カルト」的宗教運動の源流の一つとなったのではないかと考えられるからである。(本書P142)
シュライアマハーから今日のニューエイジ思想・カルト的宗教に至る過程を大雑把に辿れば、その筆頭として、ブラヴァツキーが著した『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』を挙げなければなるまい。この書は1888年にドイツで刊行されたもので、19世紀半ばに発表されたダーウインの『進化論』を借用した、霊性進化(注;この言語は大田俊寛の造語)を基礎とした荒唐無稽の新宗教である。やがて神智学はシュタイナーにより発展的に継承され、人智学として成立を見る。さらにこの流れはアリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。
ニューエイジ思想の拡散と日本における成長
(一)オウム真理教と中沢新一
ドイツ敗戦により鎮圧されたはずの新宗教であったが、ドイツに戦勝したアメリカにおいて、それはニューエイジ思想として開花する。ニューエイジ思想は非常に広範囲な精神運動なので、明確に定義することはかなりむずかしいのだが、その特徴を列挙すると、▽反キリスト教を基本とすること、▽グル(導師、尊師、大師等ともいわれる)を頂点とした階層的コミューンを形成する場合が多いこと、▽教義に終末論を取り入れていること、▽グルは信者に修行を命じ、信者はシャーマン(グルが代行)による脱魂・憑依(イニシエーション)体験・神秘体験を通じ、あるいは、ヒンドゥー教・チベット仏教におけるヨーガ、日本仏教における禅等による瞑想を通じ、超自我的境地の獲得が目指されること、▽私有財産の否定・放棄、自然崇拝(エコロジー志向、自然農法の励行)、多神教優越主義、反機械文明、性の解放、家族制度の否定等の運動と一体化している場合も多い。
オウム真理教が隆盛を極めた1990年代、その信者の奇妙な修行の様子が、TVメディア等により幅広く報道されたことは記憶に新しい。その映像を思い出していただければ、ニューエイジ運動のおおよそのイメージはつかめるはずだ。つまり、オウム真理教も、ニューエイジ思想の日本への移入と密接に関連して、生成・発展・暴発したカルトの代表的存在であった。
日本のニューエイジ思想の流布に熱心だった宗教学者の一人が中沢新一である。著者(大田俊寛)は、当時、麻原彰晃を「本物の宗教家」として称揚した中沢新一、島田裕巳、山折哲雄らの宗教学者に対する批判をいまなお続けているが、とりわけ中沢については本書において、次のように論じている。
チベット密教の修業を自ら実践した宗教学者の中沢新一は、81年に『虹の階梯』を公刊した。彼はこの書物で、「心の本性」に到達するためのチベット密教の段階的な瞑想法を概説し、特にその修業においては、グルへの絶対的な帰依が必要であることを強調した。また、「ポワ」と呼ばれる身体技法に習熟すると、自分の意識を体外に離脱させ、生死を超えた境地から世界を眺めることができるばかりか、生前のカルマに応じて次の転生に向かう死者の魂を、より高い世界に引き上げることさえ可能になると論じたのである。(本書P231)
著者(大田俊寛)は本書においては、中沢、島田、山折らの批判を控えているが、中沢の『虹の階梯』の内容は、オウム真理教の尊師、麻原彰晃が信者に説いた内容とほぼ同じである。極論するならば、中沢新一と麻原彰晃は同一の宗教的実践を説いていたことになる。中沢はニューアカデミズム(ニューアカ)の新進思想家としてメディアを通じて彼の読者に向かって、また、麻原は彼を慕う信者たちに向かって、と、その対象は異なっていたけれど。このことから、1980年代~1990年代の日本の思想界・宗教界はニューエイジ思想を十分許容していたことがわかる。
(二)オウム真理教は「本物」だったのか
同じくオウム真理教を支持した山折哲雄の場合は、中沢新一とは位相が異なる。山折は1992年、雑誌における麻原との対談において、当時、熊本県などの地元民と軋轢があったオウム真理教が法廷闘争を行っているとき、「・・・宗教集団としては、最後まで世俗間の法律は無視するという手もあると思うのですよ」と、オウム真理教側への支持を明らかにした。
山折がオウム真理教に対して抱いたシンパシーは例外的なものではない。オウム真理教幹部だった上祐史浩、教団幹部・村井秀夫を殺害した徐史浩、司会役の鈴木邦夫による鼎談『終わらないオウム』(鹿砦社)において、鈴木は、オウム真理教を取り上げたTV番組『朝まで生テレビ!』について、次のように語っている。
鈴木 ・・・『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でやった「激論 宗教と若者」(91年)でのオウムと幸福の科学との対決とかもすごかったですね。あれでオウムはすばらしいと思った人たちもいたし、ぼくもそれを見てオウムは本物だと思いました。そのオウムに熱狂していく過程を知らずに今の結果だけを見れば、なんであんなバカらしいものにかぶれるのだろうと思うだけですよね。(『終わらないオウム』P102)
宗教は元来が革命的、反体制的
今日の宗教は新旧を問わず、教義の過激性はともかく概ね体制内化していて、ビジネスに熱心なものが多い。しかし、宗教が現世の苦難からの救済を求める側面をもつ以上、苦難の元凶である体制の変革を目指すのは必然である。原始キリスト教は、当時支配者の宗教であったユダヤ教を批判・対立するところから出発しているし、西欧キリスト教における宗教改革は、それまで、カトリックの基盤をなしていた教会制度の抜本変革を求める運動であった。
現代においても、体制変革を目指した教団は数多い。1978年には、アメリカの宗教団体「人民寺院」がガイアナで信者の集団自殺事件を起こしたし、1993年には、同じくアメリカの宗教団体「ブランチ・ダビディアン」が治安当局と銃撃戦・火災事件を起こした挙句、信者多数が死亡している。
宗教が、現世よりも来世における幸福を期待する以上、生と死の区分は相対的である。自然崇拝が度を越せば、私有財産や現行の法制度を認めない教義が成立する余地は十分すぎるほどある。さらに、終末論的世界観が教義に備わっていれば、教団が最終戦争(ハルマゲドン)を準備し、実行に及ぶ可能性は高い。集団自殺、最終戦争、テロリズム等が信仰の名の下に実践される確率は低くない。
宗教指導者のカリスマ性は革命的エネルギーによって担保される。そして、そのエネルギーは信者以外にも感受され得る。当時、麻原をはじめとするオウム真理教幹部を、テレビ映像を通じて「本物」だと直感した鈴木邦夫や、オウム真理教を教団として認めた複数の宗教学者を責めることはできない。そのことが、教団の存在根拠なのであるのだから。
オウム真理教と宗教学者の責任
麻原を支持した宗教学者(前出の中沢新一、島田裕巳、山折哲雄ら)の非は、サリン事件後、自らがオウム真理教を容認した事実を封印したことにある。つまり、彼らは、麻原及びオウム真理教に対しシンパシーを表明しながら、事件後、そのことを「なかったこと」にしようと画策したか、沈黙した。つまり宗教学者として、オウム真理教を思想的に総括することを怠った。管見の限りだが、著者(大田俊寛)の批判に対し、中沢、島田、山折らは答えていない。
中沢、島田、山折らの宗教学者や鈴木のような政治団体指導者が、宗教家・麻原の本気度を認めたことは誤りでもなんでもない。「地下鉄サリン事件」を予期できなかったのは、宗教学者の責任ではない。日本の治安を預かる警察当局ですら、オウム真理教の体質を見誤り、その暴走を止められなかったではないか。そればかりか、「地下鉄サリン事件」の前にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」では、被害者宅の隣人を誤認逮捕するという失態を演じ、あやうく冤罪を犯しそうになったではないか。
宗教学の課題
日本の宗教学は、著者(大田俊寛)の登場によって、学問としての要件をようやく整えつつある、といっていいすぎではない。先述のとおり、それくらい、日本の宗教学は混迷状態にあった。しかも、今日の世界情勢は、宗教を外すことはできないものの、宗教対立に還元できるものでもない。宗教学が背負う課題は、とびぬけて大きい。
2015年5月27日水曜日
2015年5月17日日曜日
「お雇い外国人」の日本サッカー革命
日本代表監督のハリルホジッチが、ガラパゴス化したJリーグに変革をもたらそうとしている。代表監督がクラブの選手に助言・指導することは間違いではないが、欧州・南米等では起こりえない越権行為である。なぜこのようなことが生じたのかといえば、Jリーグ各クラブの指導者に指導能力がないから。
代表選手の高い体脂肪率に驚き
報道によると、ハリルホジッチが改善を指摘したのは、Jリーグの①選手のプレー・スピード(速いけど、プレー・スピードは速くない)、②球際(に強い選手がいない)、③代表選手の自信・勇気のなさ、④審判の判定(接触プレーのジャッジ)、⑤疲労回復の文化(がない)、⑥健康管理(体脂肪率が高すぎる)――についてだという。
なかで最も話題になったのが⑥体脂肪率で、ハリルホジッチは代表選手の体脂肪率の高さについて注意を促した。全選手の体脂肪率を赤(不適合)、黄(注意)、白(合格)で色分けし、8人が赤印となっていた。ワースト1位が興梠16.4%、同2位が太田15.2%、名前を挙げて注意を促したのが宇佐美の14.1%。海外組では川島、吉田も不適合だった。
まず、この数値に筆者は驚いた。筆者が通っているスポークラブの男性スタッフたちの体脂肪率は概ね10%を切っている(女性スタッフについては尋ねたことがない)。プロのサッカー選手の体脂肪率が15%近いというのは異常な高さ。Jリーグクラブの体調管理のいい加減さがうかがわれる。名前が挙がった選手たちは、そういわれてみればみなぽっちゃり体型で、アスリートというよりは裕福なシティボーイ風。体型から凄味が感じられない。クラブの指導者から体脂肪率管理などされたことがなかったのだろう。
ハリルホジッチのまっとうすぎるJリーグ批判
そればかりではない。前出のハリルホジッチが挙げた項目すべては、筆者の別のスポーツ専門コラムで何度も指摘したことに重なる。Jリーグ関係者はサッカーのプレー内容及び選手の質の向上を目指さずに人気回復策を探ろうとする。そういう思考方法がJリーグを停滞させてきた原因なのだ。Jリーグ関係者が行き着いた先は現行の前後期制度によるプレーオフ導入である。リーグをイベント化させて冠を付け、収入を上げようとする。目先の収入は上がるかもしれないが、プレーの質は向上しないから、エンターテインメントとしてはスペクタクル性が上がらず、人気は上がらない。大手広告代理店に頼る小手先「改革」ではすまないのだ。
Jリーグを引っ張る指導者の不在
その根底には、指導者の質の低さがある。宇佐美が所属するガンバ大阪の長谷川監督は、ハリルホジッチの体脂肪率公表について苦言を呈したというが、おかしな反応である。指導者としての質の低さを代表監督に指摘されて頭に来たのかもしれないが、指摘される前にきちんと選手を管理しろといいたい。
Jリーグの審判団は接触プレーのファウル基準を改めたそうだが、外国人にいわれなければ改めない体質が情けない。海外のリーグ戦の試合が毎日のようにTVに溢れている現代、それらを見て審判技術を自ら見直すのがプロの審判ではないか。ハリルホジッチに指摘されるまでは、自己流=日本流を貫こうとしていたのではないか。日本の審判技術は世界水準です、なんておだてる「サッカー評論家」が跋扈しているから、向上心もなくなるわけか。
世界との差を指摘しないメディア
考えてみれば、いまから数年前、ザッケローニが日本代表監督の時代、日本(代表)がW杯で優勝を狙うという大胆発言が主力選手からあり、それをまともに報道するメディアがあった。「自分たちのサッカー」という己惚れ発言が本気で取り上げられていた。もちろんそのときだっていまとかわらず、世界各国のリーグ戦、欧州CL、コパ・リベルタドーレス、ユーロ、南米選手権等々はTV中継されていた。日本サッカーのレベルがどのくらいなのか、万人が判断できる状況だった。にもかかわらず、日本のサッカー関係者、メディア、一部のサポーター等は、日本が世界の強豪と合い渉れると信じていたのだ。
日本サッカーを変えた「お雇い外国人」
W杯ブラジル大会の日本代表惨敗を境に、日本サッカーは名実ともに凋落傾向にある。だれもが世界との格差を思い知るようになった。そこにハリルホジッチの登場である。
日本サッカーをいい意味で変えた外国人といえば、クラマー、トルシエ、オシムが思い浮かぶ。そしてハリルホジッチが、彼らに次ぐ存在になろうとしている。4人の存在から明確なように、日本サッカーの危機は日本人指導者ではなく、外国人指導者によってもたらされるということだ。いまだ日本のサッカー界は明治時代と変わらず、「お雇い外国人」に教えを乞う状況にある。日本のサッカー選手は海外でもプレーできるまで成長したが、指導者はそこまでいっていない。
正当な批判を好まない「日本のサッカー村」
日本のサッカー指導者では、代表選手を束ねて体脂肪率について注意を促し、審判団の判定基準を糺し、プレーの質を改善するよう促すような発言ができない。自信がないのだ。ハリルホジッチのような発言をすれば、Jの各クラブの指導者、審判団、選手を結果的には貶めることになる。瑕疵を指摘すれば、指摘された側は傷つく、その結果、日本のサッカー村(サッカー業界)から村八分になる、メディアから叩かれる・・・そう考えると、おとなしくしていた方が…という結論に達するのかもしれない。正当な批判を許さない“なにか”が日本のサッカー村に蔓延している。それがガラパゴス化を生んでいる主因だろう。
「お雇い外国人」がガラパゴス化の流れを止める
日本サッカー界にあって、ハリルホジッチのような情熱を持った指導者を得たことは幸いだった。サッカー協会(JFA)の放った久々のヒットである。本来ならば、JFAやJリーグ幹部がやらなければいけないことを、「お雇い外国人」がやっているという寂しい情況であることは残念なのだが、だれかがやらなければガラパゴス化を防げない。
筆者がハリルホジッチに期待するのは、Jリーグ前後期制度の廃止である。日本の広告代理店主導から世界基準へ――サッカーを一日も早く正常化しなければならない。前後期制度の欠陥については、前期がおわったところでこれまた、万人が気づくであろう。
代表選手の高い体脂肪率に驚き
報道によると、ハリルホジッチが改善を指摘したのは、Jリーグの①選手のプレー・スピード(速いけど、プレー・スピードは速くない)、②球際(に強い選手がいない)、③代表選手の自信・勇気のなさ、④審判の判定(接触プレーのジャッジ)、⑤疲労回復の文化(がない)、⑥健康管理(体脂肪率が高すぎる)――についてだという。
なかで最も話題になったのが⑥体脂肪率で、ハリルホジッチは代表選手の体脂肪率の高さについて注意を促した。全選手の体脂肪率を赤(不適合)、黄(注意)、白(合格)で色分けし、8人が赤印となっていた。ワースト1位が興梠16.4%、同2位が太田15.2%、名前を挙げて注意を促したのが宇佐美の14.1%。海外組では川島、吉田も不適合だった。
まず、この数値に筆者は驚いた。筆者が通っているスポークラブの男性スタッフたちの体脂肪率は概ね10%を切っている(女性スタッフについては尋ねたことがない)。プロのサッカー選手の体脂肪率が15%近いというのは異常な高さ。Jリーグクラブの体調管理のいい加減さがうかがわれる。名前が挙がった選手たちは、そういわれてみればみなぽっちゃり体型で、アスリートというよりは裕福なシティボーイ風。体型から凄味が感じられない。クラブの指導者から体脂肪率管理などされたことがなかったのだろう。
ハリルホジッチのまっとうすぎるJリーグ批判
そればかりではない。前出のハリルホジッチが挙げた項目すべては、筆者の別のスポーツ専門コラムで何度も指摘したことに重なる。Jリーグ関係者はサッカーのプレー内容及び選手の質の向上を目指さずに人気回復策を探ろうとする。そういう思考方法がJリーグを停滞させてきた原因なのだ。Jリーグ関係者が行き着いた先は現行の前後期制度によるプレーオフ導入である。リーグをイベント化させて冠を付け、収入を上げようとする。目先の収入は上がるかもしれないが、プレーの質は向上しないから、エンターテインメントとしてはスペクタクル性が上がらず、人気は上がらない。大手広告代理店に頼る小手先「改革」ではすまないのだ。
Jリーグを引っ張る指導者の不在
その根底には、指導者の質の低さがある。宇佐美が所属するガンバ大阪の長谷川監督は、ハリルホジッチの体脂肪率公表について苦言を呈したというが、おかしな反応である。指導者としての質の低さを代表監督に指摘されて頭に来たのかもしれないが、指摘される前にきちんと選手を管理しろといいたい。
Jリーグの審判団は接触プレーのファウル基準を改めたそうだが、外国人にいわれなければ改めない体質が情けない。海外のリーグ戦の試合が毎日のようにTVに溢れている現代、それらを見て審判技術を自ら見直すのがプロの審判ではないか。ハリルホジッチに指摘されるまでは、自己流=日本流を貫こうとしていたのではないか。日本の審判技術は世界水準です、なんておだてる「サッカー評論家」が跋扈しているから、向上心もなくなるわけか。
世界との差を指摘しないメディア
考えてみれば、いまから数年前、ザッケローニが日本代表監督の時代、日本(代表)がW杯で優勝を狙うという大胆発言が主力選手からあり、それをまともに報道するメディアがあった。「自分たちのサッカー」という己惚れ発言が本気で取り上げられていた。もちろんそのときだっていまとかわらず、世界各国のリーグ戦、欧州CL、コパ・リベルタドーレス、ユーロ、南米選手権等々はTV中継されていた。日本サッカーのレベルがどのくらいなのか、万人が判断できる状況だった。にもかかわらず、日本のサッカー関係者、メディア、一部のサポーター等は、日本が世界の強豪と合い渉れると信じていたのだ。
日本サッカーを変えた「お雇い外国人」
W杯ブラジル大会の日本代表惨敗を境に、日本サッカーは名実ともに凋落傾向にある。だれもが世界との格差を思い知るようになった。そこにハリルホジッチの登場である。
日本サッカーをいい意味で変えた外国人といえば、クラマー、トルシエ、オシムが思い浮かぶ。そしてハリルホジッチが、彼らに次ぐ存在になろうとしている。4人の存在から明確なように、日本サッカーの危機は日本人指導者ではなく、外国人指導者によってもたらされるということだ。いまだ日本のサッカー界は明治時代と変わらず、「お雇い外国人」に教えを乞う状況にある。日本のサッカー選手は海外でもプレーできるまで成長したが、指導者はそこまでいっていない。
正当な批判を好まない「日本のサッカー村」
日本のサッカー指導者では、代表選手を束ねて体脂肪率について注意を促し、審判団の判定基準を糺し、プレーの質を改善するよう促すような発言ができない。自信がないのだ。ハリルホジッチのような発言をすれば、Jの各クラブの指導者、審判団、選手を結果的には貶めることになる。瑕疵を指摘すれば、指摘された側は傷つく、その結果、日本のサッカー村(サッカー業界)から村八分になる、メディアから叩かれる・・・そう考えると、おとなしくしていた方が…という結論に達するのかもしれない。正当な批判を許さない“なにか”が日本のサッカー村に蔓延している。それがガラパゴス化を生んでいる主因だろう。
「お雇い外国人」がガラパゴス化の流れを止める
日本サッカー界にあって、ハリルホジッチのような情熱を持った指導者を得たことは幸いだった。サッカー協会(JFA)の放った久々のヒットである。本来ならば、JFAやJリーグ幹部がやらなければいけないことを、「お雇い外国人」がやっているという寂しい情況であることは残念なのだが、だれかがやらなければガラパゴス化を防げない。
筆者がハリルホジッチに期待するのは、Jリーグ前後期制度の廃止である。日本の広告代理店主導から世界基準へ――サッカーを一日も早く正常化しなければならない。前後期制度の欠陥については、前期がおわったところでこれまた、万人が気づくであろう。
2015年5月10日日曜日
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