どちらも日本の近代建築黎明期に当たる建築物で、西欧建築のコピー作品だが、それなりに景観として調和している。
ところが、その間に奇妙な緑色の球形のガスタンクのような「建築物」が、
割り込むように建てられている。
芸大キャンパスの敷地であることは間違いないから、芸大が建てたのだろう。
筆者はその用途を知らない。
景観にそぐわないことは、一般国民にもわかる。
芸術?大学?
この学校の学長だれ?
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右が図書館 |
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左が黒田記念館 |
審査委員会はデザイン業界の伏魔殿 |
彼(布施健)は戦前、ゾルゲ事件の担当検事として有名でした。私(孫崎亨)はこの事件が1941年9月に発覚し、対米戦争の回避を模索していた近衛内閣が崩壊する一因となった裏には、米国の工作があったと考えています。ゾルゲと親交のあった尾崎秀実は上海でアグネス・スメドレーと親交を結びますが、このスメドレーは1941年に米国国内で、対日戦争の呼びかけを行っていました。
いずれにせよ、G2〔注〕のウィロビーはゾルゲ事件の報告書をまとめて陸軍省に送っていますから、ウィロビーと布施には密接な関係があります。さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆する下山事件(国鉄総裁轢死事件)の主任検事でもあります。そして田中角栄前首相が逮捕されたロッキード事件のときは検事総長でした。ゾルゲ事件といい、下山事件といい、ロッキード事件といい、いずれも闇の世界での米国の関与がささやかれている事件です。そのすべてに布施健は関わっています。
他にも東京地検特捜部のエリートのなかには、米国とのかかわりが深い人物がいます。
ロッキード事件で米国の嘱託尋問を担当した堀田力氏は、在米日本大使館で一等書記官として勤務していました。
また、元民主党代表の小沢一郎氏とその秘書たちを対象にした「小沢事件(当初、西松建設事件、のちに陸山会事件)を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も、在米日本大使館に一等書記官として勤務しています。(P85)
1948年2月、退陣を表明した片山首相は、後継に芦田を指名しました。しかしそれを吉田派が「政権のたらいまわしだ」と非難し、歩調をあわせるように読売新聞、朝日新聞が芦田首相の誕生に激しく反対します。(略)・・・こうした波乱のなか、1948年3月10日に成立した芦田内閣は、わずか3カ月後に大スキャンダルにまきこまれます。昭和電工事件です。(略)実はこの事件には、GHQが深く関与していました。ウィロビーは次のように書いています。「これ〔昭電事件〕を摘発したのは、主として他ならぬG2であった。被告日野原の陳述によれば、金品の贈賄は日本の政界ばかりでなく、占領軍にも及んでおり、GS(民生局)〔注〕が主な対象だった」(『知られざる日本占領』)(2)原発推進に暗躍した読売新聞(正力松太郎社主、柴田秀利GHQ担当記者)
民生局(GS)と参謀第2部(G2)は対立していました。これはマッカーサー自身が認めています。G2のウィロビーと吉田茂がきわめて近いことはすでにみてきたとおりです。
昭電事件とは、「G2(参謀第2部)-吉田茂―読売新聞・朝日新聞」対「GS(民生局)-芦田均-リベラル勢力」という戦いだったのです。(P77-78)
柴田氏は、1985年11月、自叙伝を出版しました。占領下から約40年間、米国との密接な関係を活かして、日本の政財界とさまざまな交流をもった人物でした。彼は自叙伝出版の翌年、10月にゴルフに招待されているといって米国に出かけ、11月にフロリダでゴルフ中に死んでいます。(P177)
…池田勇人(国務大臣、副首相級)、河野一郎(総務会長)、三木武夫(経済企画庁長官)という実力者たちが、そろって「同時大幅改訂」を主張したのでした。「同時大幅改訂」は、現実問題としては実現不可能な話でした。その一方、反安保闘争は学生運動を中心に国民的運動に発展する。6月15日には女子学生が警官隊との衝突で死亡する事件が起きた。その学生運動に資金援助をしたのが財界であり、CIAだったともいう。“岸政権つぶし”と“学生運動の激化”の関係について、著者(孫崎亨)は以下のように推論する。
では、なぜ池田勇人、河野一郎、三木武夫は「同時大幅改訂」を主張したのでしょうか。池田勇人は岸首相のあと、首相になっています。その後、彼は行政協定(新安保条約の締結以後は「地位協定」)を改定する動きをしたでしょうか。まったくしていません。したがって池田勇人が「同時大幅改訂」をのべたのは、難題をふっかけ、岸政権つぶしを意図していたからだと見ることができます。(P198)
ということだと思います。(P206)
- 岸首相の自主独立路線に危惧を持った米軍及びCIA関係者が、工作を行って岸政権を倒そうとした
- ところが岸の党内基盤および官界の掌握力は強く、政権内部から切り崩すという通常の手段が通じなかった
- そこで経済同友会などから資金提供をして、独裁国に対してよくもちいられる反政府デモの手法を使うことになった
- ところが6月15日のデモで女子東大生が死亡し、安保闘争が爆発的に盛り上がったため、岸首相の退陣の見通しが立ったこともあり、翌16日からデモを抑えこむ方向で動いた
朝日新聞の論説主幹、笠信太朗がこの宣言を書いた中心人物です。笠信太朗はつぎのような経歴の持ち主です。
①朝日新聞ヨーロッパ特派員としてドイツにわたる。1943年10月スイスへ移動、ベルンに滞在し、その地に滞在していたアメリカの情報機関のOSS(アメリカ戦略情報局、CIAの前身)の欧州総局長だったアレン・ダレス(安保闘争時のCIA長官で、ダレス国務長官の弟)と協力して、対米終戦工作を行う
②戦後は1948年2月に帰国。同年5月論説委員、同年12月東京本社論説主幹
米国が冷戦後、日本を「共産主義に対する防波堤」にしようというときに、東京にもどり、その年から1962年まで14年間、朝日新聞の論説主幹をつとめています。帰国当時は占領下で検閲もあります。米国との関係が密接でなければ、こうしたポストにはつけません。事実、CIA長官アレン・ダレスの伝記を書いた有馬哲夫・早稲田大学教授は、①のベルンで展開された対米終戦工作で日本人とアレン・ダレスのあいだで築かれたチャネルは、「のちにアレンがCIA副長官、次いで長官になったときに大きな役割をはたした」と書いています。(『アレン・ダレス』講談社)ここまでくれば、マスメディア(大新聞)の正体は明らかであり、彼らが米国の対日工作の主要な手段(世論誘導、政治家失脚)であることにだれも異論はないだろう。朝日も読売も変わりがないのである。
シャラーの『日米関係とは何だったのか』も見てみましょう。
「マッカーサー駐日大使は日本の新聞の主筆たちに対し、大統領の訪日に対する妨害は共産主義にとっての勝利であると見なすと警告した」
「(CIAは)友好的な、あるいはCIAの支配下にある報道機関に、安保反対者を批判させ、アメリカとの結び付きの重要性を強調させた」
「三大新聞では政治報道陣の異動により、池田や安全保障条約に対する批判が姿を消した。7月4日の毎日新聞は『アメリカの援助が日本経済を支える』という見出しで、『日本の奇跡的な戦後の復興を可能にした巨大なアメリカの援助を忘れない』とのべた」
これを見れば、朝日の笠信太朗など、各新聞の主筆や論説主幹たちが、マッカーサー駐日大使やCIAの意向をうけ、途中から安保反対者を批判する側にまわったと見てよいと思います。(P209-210)
・・・『幻想の奥浩平』(川口顕別稿)で書いたけど、中原素子はまったく恋心も、恋愛感情も、そういう対象としてすら奥のことを見てなかったんですよ。単に青山高校の社研の仲間というそれだけの付き合いで、まあ手ぐらい握らせたことはあるかもしれないけど、恋人としての、キスをしたこともたぶん無いだろうし、ましてセックスは無いわけですね。恋人関係を成立させるものは彼女の方にまったくないですよ。(P367)この証言を信じる限り、奥浩平にとっての中原素子はそれこそ幻想であり、2人の悲恋は、実際には成立していないことになる。遺稿集に頻繁に現れる〈中原素子〉という存在は、極論すれば奥浩平の創造であり想像のようなのだ。
・・・奧浩平には死にたいということがずうーとあって・・・例えばの話ですけど、・・・原口統三の『二十歳のエチュード』だとか藤村操の『巌頭之感』に感じた死への思い、高校時代に読んで、そういう思いというのが奥君にもあったのかなあ、と。(P364)奧浩平が『チボー家のジャック』『人知れず微笑まん』を愛読していたことも遺稿集から認められる。前者の小説の主人公、ジャック・チボーは、第一次世界大戦に反対するため、死を覚悟して飛行機に乗って反戦ビラを捲き、撃ち落とされる。この死に方は自死である。また、後者は、60年安保闘争において官憲により虐殺された樺美智子の遺稿集である。原口統三、藤村操、樺美智子、そしてフィックションではあるがジャック・チボー・・・彼らは「革命的ロマンチスト」の系列に属す。革命的というのは、マルクス主義者であることだけを意味しない。その列に奥浩平を加えることに筆者は違和を感じない。
そのままで一冊の本になるようなノートが奥浩平の遺書であった。母や父にも、同志たちにも言い残した言葉はない。60年から65年までの苦悩と苦闘が凝縮したノート。それが遺書である。そう思って「遺稿集」の書き出しを見ると「大浦圭子(注1)の母への手紙」には次のような「決意」が書かれている。「圭子さんの自殺を正しいと考えた時、僕はもっと以前に死んでいるべきだと思いました。もっと以前に死ぬべきだったとのにこれまで生きてきたからには一刻も早く死ぬべきだと思いました」川口顕の見立てについて、あれこれ付言する必要はなかろう。同時に巷間言われるように、中原素子が奧浩平にとって、不在の母の代替だったという仮説も成り立つかもしれない。いずれにしても、奧浩平の〈自死〉と〈母〉の不在とは、けして無関係なものでない。
(略)
奧浩平はそれから5年間生きた。そして、ノート=遺書のとおり自死を決行した。長い遺書の冒頭に、あたかも判決文のように「主文」があったのである。
しかし、「もっと以前に死ぬべきであった」とは何のことだろうか。最期の5年間を第二の人生とすれば、第一の人生に何があったのだろうか。ノートに書かれていない「もっと以前に」とは何であろう。饒舌な奥浩平がノートに書かなかったことがネガポジのように反転しながら、背後にある「死ぬべき」理由をさし示しているように、私には思えた。
(略)
奥のノート・・・は遺書であると同時に、「報告書」、「最良の息子」として生き抜いたレポートではないかと感じた。では、誰に読んでもらうために?
その答えは紳平氏(注2)の「まえがきにかえて」「あとがき」にある、と私は思った。
母との9歳からの別離、11年をへて家族の和解と合流の時をむかえて、浩平は母の郷里を訪ねた。東京から帰ってきての浩平は「ほとんど反応らしきものを見せようとせず……内心の衝撃を表さなかった」「よほどつらい気持ちを抱いたからだろう」。
私はここに二度目の決定的な、回復不能な「失恋」が隠されていると思う。しかし、母への思慕の情を募らせながら、「遺書」は恨みを残していない。「報告書」でありながら「どれだけ努力して美しくいきられるか」「どれだけ強くいきられるか」をやりきった浩平をみてください、やりきった浩平をほめてください、という悲歌が鳴り響いているように思うのだ。(P383~385)
本書の前編である『沈みゆく大国 アメリカ』の取材中、ニューヨークの貧困地域で出会った内科医のドン医師に、同じセリフを言われたことを思い出した。“素晴らしいもの”とは日本の国民皆保険制度のことであり、“それを狙っている連中”とはアメリカの強欲資本主義であり、それに手を貸す日本政府であり、アメリカ型資本主義に追随したい日本の大企業のこと。そして、“気をつけなければいけない”のは日本国民(生活者)だ。「だが実際、私たち日本人は、自分の住んでいる国や地域の制度について、どれだけ知っているのだろうか?」(P33)と、著者(堤未果)は危惧する。
〈気をつけてください。どんなに素晴らしいものを持っていても、その価値に気づかなければ隙を作ることになる。そしてそれを狙っている連中がいたら、簡単にかすめとられてしまう。この国でたくさんの者が、大切なものを、当たり前の暮らしを、合法的に奪われてしまったように〉(P33)
最速で高齢化する日本の行く末を、同じ高齢社会問題を抱える世界中がじっとみつめる経済成長という旗を振りながら、医療を「商品」にし、使い捨て市場となるのか。本書の結びにあるとおり、TPP、安保法制、新国立問題、アベノミックス・・・と、われわれのもとに横たわるさまざまな社会問題及び変化を、“普遍的な問い”として受け止め、態度決定することこそがわれわれ一人ひとりに求められている。
世界一素晴らしい皆保険制度と憲法25条の精神を全力で守り、胸をはって輸出してゆくのか。
それは単なる医療という一つの制度の話ではなく、人間にとって、いのちとは何か、どうやって向き合ってゆくのかという、普遍的な問いになるだろう。
「マネーゲーム」ではなく、私たち自身の手で選ぶのだ。(P212)
・・・広くみれば、新古典派ミクロ価格理論にも、社会主義の可能性を容認し擁護する一面を有していた一般的均衡学派や、生産手段の私有制にもとづく資本主義を前提しつつ、労働組合運動を許容して、社会民主主義による福祉国家を志向する一面を有するケンブリッジ学派の伝統を含んでいた。それにもかかわらず、いまや社会主義や社会民主主義に反対していたハイエク的なオーストリア学派の伝統のみが、狭く選びとられて「新自由主義」の理論的基礎とされた傾向が目につく。(P175)
・・・まず人間の欲望充足に直接役立つ低次財(消費財)について、同じ財を追加的にえてゆくと、その欲望充足に与える満足度(効用)は低下してゆくとする「限界効用逓減の法則」が前提とされた。その前提からまた、限られた予算制約(所得)のもとで、多様な消費財を選択してゆくと、最終的な支出単位について各財からえられる満足度としての「限界効用均等化の法則」が成り立つさいに、主観的満足度が最大化されるはずであるとみなされた。
経済主体としての各個人がそれぞれに有する財やサービスを手放して、市場で他の消費財と交換し入手してゆくさいの主観的満足度も、こうした限界効用の逓減と均等化の法則にしたがう。そのような個人としての経済主体の所有し供給する財やサービスと、それへの需要としての限界効用をめぐる選択行為をつうじ、消費財の相互交換比率ないし相対価格は体系的に決定される。
こうして消費財についての受給均衡的な価格体系が与えられれば、それらへの生産への貢献度に応じて、高次財(生産財)についても、相対価格が与えられ、帰属してゆく。これが生産財についての交換価値の帰属理論といわれた(P135-136)
・・・この学派が新古典派のなかで、とくにマルクス学派との対抗関係を重視し、方法論的個人主義により経済生活の社会的統御に反発する特徴をよく示している。(P139-140)
ハイエクは・・・競争をつうじ各個人主体が言語化されず一般化もされないような「暗黙知」を発見しつつ、新技術、新製品、さらには社会経済上の諸制度や組織を自生的に産みだす作用にあると、強調するようになった(D・ラヴォア(1985)西部忠(1996))。
それは、I・カーズナー(1930-)やラヴォアら、現代オーストリア学派といわれる一連の理論家たちが、市場を知識の発見、イノベーション(技術などの革新)の自主的創出過程とみなし、それによって、ソ連崩壊や新自由主義の意義を説く傾向に継承されている。(P144-145)
彼(ユング)が好んで占星術に言及したのは、この一連のいわゆるオカルトに対する興味からだけではない。魚座の時代に続く水瓶座の世紀こそ、この分裂した自我が統合されるものと彼は信じていた。
(略)
ユングは無意識の中にうごめく力の奇妙な結晶体が、人間の意識を揺り動かすエネルギーを発して、それが人々の運命をリードするという意味で、占星術における運命決定論を許容し認めていたが、新たな水瓶座を示すイメージは、全人格的な原人アントローポスが、壺の水を魚の口に注いでいるもので、この象徴的イメージは、ユングによれば、意識と無意識をつなぎ、内にも外にも開かれた全人が、ようやくこの世にあらわれてくる前兆と考えられた。
それはこれまでずっと隠されたものであったが、いわゆる無意識的なものや、その投影として現実の世界を覆う幻像のようなものではない。ユングが実在すると信じた人間の世界の外に存在するなにものかであり、同時に心の中心として、意識と無意識、光と闇、善と悪などの人間の心の動きのバランスをとるシーソーの支柱のようなものである。この支柱は決して人間の意識でとらえ、保持できるような性格のものではない。そういう意味で、真に隠されたものであり、無意識の投影としてのオカルトではなく、隠されたという意味を持つオカルトという言葉の真の意味においてオカルト的なものといえよう。(本書P20~21)
ユングにとって、さまざまな神秘的な事象は、ただ迷信的に信じられるものではなかったが、だからといって、これを見ないですませたり、否定したりすることはできなかった。さて、ユング再評価、過大評価の動きが日本にあり、同時に、近年、日本社会におけるニューエイジ思想の浸透は想像以上である。前出のとおり、検証を伴わない「縄文至上主義」もその一つ。オウム真理教事件の反省を踏まえ、地道なユング精読が求められる。本書は、ユング心理学の手頃な入門書であり、ユング盲信を阻む一助となろう。〔完〕
これを認めるとすれば、人間の頭の中で想像できる唯一のことは、自然の中には原因と結果との結合性以外に、もう一つ別の因子が存在し、それが諸事象のなかに表現され、それが我々にとって、意味としてあらわれるものと考えなければならない。これがユングの考えていた隠されたる神の実在であり、すべてを包括する因子の存在という仮定である。(本書P208)