2016年10月19日水曜日

「谷根千」は死んだ?

谷根千の変貌ぶりが著しい。

かつての趣ある路地、住宅、飲食店が姿を消し、ハウスメーカーデザインの新築住宅やマンション等が建設されていく。

新しく開店した飲食店等は無国籍なメニュー、品ぞろえで、この地域にある必然性を感じない。

このような現象は、京都東山、鎌倉小町通り等で起きていた。

新しい繁華街が生まれ、古い個性的な町が死ぬ。

テレビの影響は大きい。

有名タレントを使った「散歩」番組では、彼らが「下町グルメ」とやらに舌鼓を打ち、店主と笑顔で会話する映像が制作され、お茶の間に届けられる。

自分もそのような体験をしてみたい、と思う視聴者の思いは理解できる。

そうして人々が「下町」に集まり、商業が活性化し、地域振興に結び付く。

経済的な恩恵が地域にもたらされる。

すべてが「ウイン、ウイン」、めでたし、めでたし、なのか・・・


写真と本文は関係ありません(2014年・谷中)



2016年10月16日日曜日

日本プロ野球2016シーズン総括(セリーグ)

日本プロ野球(NPB)はセリーグのポストシーズンが終了。広島がDeNAをくだして、日本シリーズ進出を決めた。

セの順位は筆者の予想をはるかに超えた結果に

セの2016シーズンの順位等を総括しておこう。

(1)広島、(2)読売、(3)DeNA、(4)ヤクルト、(5)阪神、(6)中日

優勝した広島と2位読売のゲーム差はなんと17.5。広島の独走、圧勝のシーズンであった。

筆者の開幕前の予想は、(1)読売、(2)ヤクルト、(3)阪神、(4)広島、(5)DeNA、(6)中日であったから、最下位の中日だけが当たっただけ。しかも、筆者は読売が断トツで1位と予想したのだから話にならない。

繰り返して書くが、筆者が読売独走を予想した根拠は、▽他の5球団が戦力を落としたこと、▽原が監督を辞め、新しい指揮官が任命されたこと、▽投打とも、圧倒的な戦力を維持していたこと――であった。2016シーズンの覇者広島であるが、エースの前田健太(マエケン)がMLBに移籍。昨年の覇者ヤクルトもクローザーのバーネットが退団。阪神はクローザーのオスンファン、強打者マートンが退団。読売のライバルたちがことごとく戦力をダウンしたと思われた。

しかも筆者の見立てでは、DeNA、中日は選手層が薄く、戦力的にみて下位に沈むはずだった。つまり、読売が維持している分厚い選手層が機能すれば、相対的に読売が独走すると考えたのだ。ところが、DeNAが3位に進出し、しかも、読売をポストシーズンでくだし、ファイナルに進出してしまった。これも予想外。

読売の敗因を探る

(一)打撃は昨年を上回る成績

読売のチーム成績をみてみよう。個人部門では、坂本が首位打者、投手では菅野が防御率トップ、澤村がセーブ数トップ、マシソンがホールドポイントでトップ。投打の個人成績のうち、4部門を読売の選手が取った。

打撃成績はチーム打率251でリーグ3位。昨年が243で最下位だったから、打撃は好調だったといえる。個人成績を見ると、打率(規定打数以上)では、坂本344(269)、村田302(236)、長野283(251)、規定打数以下では、阿部310(242)、亀井252(272)、橋本233(219)、立岡229(304)・・・【※(  )内は2015シーズン成績】となっていて、主軸の阿部、村田、坂本、長野が昨シーズンの成績を大きく上回った。昨年活躍した立岡が故障で試合に出られなかったというマイナス面はあるが、読売の主軸は、昨シーズンを上回る成績を残したのである。

(二)投手陣は悪化

チーム防御率を比較すると、昨年が2.78の1位。今年は3.45と下降してリーグ3位に終わった。個人成績では、先発投手陣の内海が9勝6敗、防御率3.94(2勝1敗、防御率5.01)、大竹6-6、3.55(3-4、3.21)、高木勇5-9、4.31(9-10、3.19)、ポレタ1-3、4.00(8-8、2.94)、マイコラス4-2、2.45(13-3、1.92)、菅野9-6、2.01(10-11、1.91)、田口10-10、2.72(3-5、2.71)。

リリーフ陣はマシソンが70試合登板、49ホールドポイント、防御率2.36、(63試合登板、31ホールドポイント、防御率2.62)、山口が63、20、4.88(60、33、2.73)、澤村が63、37セーブ、防御率2.66(60登板、36セーブ、防御率1.32)であった。

先発陣では外国人のマイコラス、ポレタ及び高木勇の3投手が戦力として機能しなかった。田口が成長したが、彼だけでは3投手の穴は埋められない。内海、大竹のベテランは成績を上げた。筆者は内海「限界説」を唱えていただけに、意外な結果であった。読売投手陣の問題点は、勝利の方程式の一角、山口の不調。ホールドポイントも下がったが、防御率が大きく悪化した。澤村も同様に防御率が悪化した。しかも、澤村は大事な試合におけるセーブ失敗が顕著で、読売が躍進できなかった最大の要因の一つだろう。

読売を圧倒した広島の投打

しかし、読売がペナントを制せなかった主因は、読売の内在的要因というよりも、それをはるかに上回った広島の戦力の充実に求められる。

前出のとおり、筆者のシーズン前予想としては、エース前田の移籍により、広島が戦力ダウンしたと考えた。つまり広島の若手投手陣及び打撃陣の成長の芽を発見することに失敗した。広島の若手の急成長を予想できなかった。今シーズンの結果は、広島の各選手の成長の反映であって、それ以外にない。

読売がFA制度に依拠した補強をすれば、読売の未来は閉ざされる。読売の若手・中堅の奮起が期待される。

2016年10月12日水曜日

サッカー日本代表、2010年南アフリカにタイムスリップ

サッカー、W杯ロシア大会アジア最終予選B組第4戦、FIFAランク56位の日本代表はアウエーで同45位オーストラリアと1-1で引き分けた。

日本、全員守備の超消極的サッカー

なんとも“イタイ”試合だった。日本は超守備的な戦術を90分持続させた。攻撃陣形は、本田がワントップ、Rsに小林、Lsに原口が入り、Oh(トップ下)に香川。ところが、彼らが終始、前線から徹底して守備に励んだ。Ohの香川が日本のゴール付近で相手攻撃陣の守備を務めるとは・・・おどろきの光景だった。

先制点はそんな日本が奪った。オーストラリアの右サイドが手薄になった瞬間をついて、日本のパス交換がうまく運び、原口がゴールを決めた。だが、日本の攻撃はこの場面のみといっていいくらい。先制点でヒーローとなるべき原口だったが、相手ボックス内でファウルを犯してPKを献上してしまう。原口については後述する。

 
できのわるいオーストラリア

さて、オーストラリア――前評判は高かったが、この試合のできは悪かった。前線から守備をする日本の攻撃陣に戸惑ったのかどうかしらないが、攻撃が単調。自陣に引きこもってブロックをつくる日本に対して、ボールを回してから、日本DFの背後を狙うパスか、あるいは、日本のブロックの直前に供給する速いパスでゴールに迫ろうかというもの。こうした時間帯がほぼ90分続いたのだから、緊張感のまるでない試合だった。

日本、10月のノルマ勝点4を確保

繰り返しになるが、拙Blogにおいて、今月のイラク戦(H)、オーストラリア戦(A)において日本が勝点4を上げられなければ代表監督更迭が望ましいと書いた。その結果として、ハリルホジッチ監督は合格点(勝点4)を死守した。アジア王者に対してアウエーで引分ならまずまずとなれば、ハリルホジッチの進退問題は進展しないのだろうか。

南アフリカからこの試合まで、日本は何をしてきたのか

それにしても、こんな消極的な日本代表の姿は、2010年W杯南アフリカ大会以来、久々だ。いまから6年前、発展途上の岡田ジャパン、世界の強豪がひしめくW杯本戦なのだから、なりふりかまわぬ岡田の消極策も許された。予選突破という結果も出した。しかし、その守備的戦いぶりの反省のうえ、ブラジル大会(2014)では攻撃的サッカーの完成を目指して、ザッケローニを招聘し(結果は惨敗)、そして、ロシア大会(2018)では、さらなる進化を遂げようとこの予選に臨んだはず。にもかかわらず、なんと、南アフリカに回帰してしまうとなれば、いったいぜんたい、この間、日本代表はどんな強化策を講じてきたのかが問われて当然だ。よしんば、アジア予選を突破してロシアに行ったとしても、結果については望めまい。

ハリル監督、試合のコンセプトと選手起用が極めてミスマッチ

そればかりではない。ハリルホジッチ監督の選手起用、采配、選手交代もわけがわからない。第一に、トップ下の香川を守備に使ってどうする。第二に、日本の「エース」と呼ばれる本田がまったくだめ。慣れないワントップだからという言い訳も通じない。「一対一」で簡単にボールを奪われるし、90分間、走れない。コンディション、試合勘、フィジカル面で本田は代表選手というより、サッカー選手として危機にある。このことも繰り返しになるが、ワントップが必要ならば、ワントップとして実戦で鍛えられた選手を代表に選ぶべきなのだ。

第三に、日本は右サイドの小林、右SBの槙野が2人で相手左サイドからの攻撃を封じる作戦に出た。この形がはまって、オーストラリアは得意の形を活かせなかった。もちろんその代償として、日本の攻撃も左サイドからに限定され、攻撃の選択肢が狭まった。結果、調子の悪いオーストラリに勝ち切れなかった。予選終了時、日本の勝点が足らなくなったとき、この試合の臆病な展開を後悔しても遅い。

原口が自身の思考、態度を改めない限り、日本の新たなリスクに

PKを与えた原口に苦言を呈しておく。原口のPKには伏線があった。PKの前、原口はタッチライン沿いでオーストラリア選手を押したプレーでファウルを取られたのだが、彼はそれに対して執拗に主審に抗議した。彼は正当なショルダーチャージだと主張しているようにTV画面からはうかがえた。ところがリプレーをみると、原口は上腕(肘とその先)をつかって相手を押しのけていた。主審は原口の抗議に対してイエローは出さなかったが、心証を害したことは確か。しかも、原口の抗議の表情は険しく、主審の技量のなさを軽蔑するようにさえみえた。おそらく、主審は原口が同じプレーを繰り返し、再び抗議をしたらイエローをだす腹積もりだっただろう。そして、原口は同じようなファウルをボックス内で犯した。主審にためらいはなかったはず。原口が前のプレーで何事もなかったようにファウルに従っていれば、PKはなかったかもしれない。

原口は最終予選、3試合連続得点をあげ、日本のポイントゲッターになったのだが、この試合ではゴールを帳消しにするPK献上だ。彼は90分間よく走り続け、決定力もある。だが、彼はハリルホジッチが口にするデュエル(決闘)の意味をはき違えている。闘志あふれるプレーと反則プレーはちがう。本当のデュエルは相手を潰さなければいけないものだが、サッカーはルールの下、体力、技術で相手に勝つスポーツだ。ルールを守らなければ罰がある。守備の基本をおろそかにしてはいけない。さらにいえば、審判の心証を汲む度量がなければ、一流選手にはなれない。

そもそも原口は態度に問題を抱える選手。Jリーグ時代、監督の交代にあからさまに抗議を示した“実績”もある。性格に問題がある選手なのだ。彼が今後、自身の思考、態度を改めないかぎり、彼の存在が日本代表にとって新たなリスクとなる可能性もある。

11月、ホームのサウジアラビア戦の日本代表監督はだれか

B組はサウジアラビアがUAEを破り、首位に立った(2位オーストラリア、3位日本、4位UAE)。しかも、日本を苦しめたUAEに3-0の圧勝だ。サウジアラビアをホームで迎える11月、この試合で日本が勝点3を上げられないと、同組3位で終わってしまう可能性が高まる。この試合をハリルホジッチで迎えるのか、その前に協会(JFA)が大鉈を振るうのか・・・今回の予選は楽しみが多い(笑)

2016年10月7日金曜日

サッカー日本代表の危機、ますます深まる

サッカー、W杯ロシア大会アジア最終予選B組第3戦、FIFAランク56位の日本代表が同123位のイラク代表に2-1で勝利した。決勝弾は後半アディショナルタイム。まさに薄氷を踏む勝利とはこのことだ。対戦相手は内戦で国家が溶解状態のイラクだ。彼らはホームでは試合ができない流離のチーム。その相手に日本がホームで辛勝なのだから、劇的な試合結果に酔っている場合ではない。日本代表の危機はより深まったように筆者には思える。

筆者は5日の拙Blogにおいて、今月のイラク戦(H)、オーストラリア戦(A)において日本が勝点4を上げられなければ代表監督更迭が望ましいと書いた。筆者の基準に従えば、結果的には次の試合引分以上でノルマ達成だから、ハリルホジッチの首は切らなくてもいい。ハリルの首は薄皮一枚でつながる可能性は高まった。

ベンチの香川はもちろん、先発の本田、岡崎も貢献度ゼロ

試合内容は悪かった。日本の「エース」と呼ばれるFW(Rs)本田がまったくだめ。「一対一」で簡単にボールを奪われる、走れない、決定機を外す。コンディション、試合勘、フィジカル面で彼は代表に相応しくない。日本代表の「10番」、香川(MF)も最後までベンチ。状態は相当悪いのだろう。岡崎(CFW)も得点に絡まずじまい。ポストプレーを確実にこなしていたという評価もあろうが、シュートシーンが皆無に等しいのだから、ワントップとしては失格だ。

先制点は、オフサイド気味。判定については不利も有利もあるのだから、得点は得点だけど、ちょっとどうなのかなと思うところ。決勝点はパワープレーの結果生じたもの。長身DFの吉田麻也が前線に残り、彼が粘った結果生じた決勝点だ。パワープレーも戦術のうちだから否定はしない。ならば、ハイボールを取り入れた攻撃パターンを選択肢とした取り入れた選手選考をすべきだろう。この試合結果が、長身CFを代表に呼ぶ必要性を実証した。

試合に出ていない選手は使えない

前出の拙Blogにおいて、日本代表危機報道の具体的要素をアンバンドリングしておいた。それを再掲すると、▽「海外組」が試合に出場していないこと、▽それに代わる新戦力(Jリーグ選手)の台頭がないこと、▽ハリルホジッチの戦術が選手に浸透していないこと――であった。

この試合に限れば、「海外組」については香川、本田、岡崎の3選手がダメで、清武、原口、吉田麻也が合格。「国内組」では山口蛍が合格となるのだろうが、相手は先述のとおりイラクだ。彼らはいろいろと困難な状況を乗り越えて日本にやってきたチーム。同情すべき相手なのであって、ホームの日本がねじ伏せなければいけない。にもかかわらず、内容は五分五分、「一対一」で負けているようではどうにもならない。

こんなサッカーなら、世界との差広がるばかり

戦術面については、日本が速攻で相手を崩した場面が相当数あったとは思えない。ジーコジャパン、岡田ジャパン、ザックジャパンがアジアの代表チームと戦ってきた試合内容とほぼ等しい。FIFAランキング100位以下の相手ならば、日本のポゼッションサッカーが通じるということだ。

このことは日本にとって喜ばしい反面、日本が世界の潮流から大いに遅れてしまう要因となっている。このレベルで辛勝ならば、アジアでもスピードとフィジカルで日本を上回るオーストラリアやイラン、さらに、ソンフンミン(イングランドプレミア、スパーズ所属)擁する韓国に劣る。

ホームのサウジアラビア戦がまさに正念場

イラン、韓国とは組が違って幸いだが、11月には同組のサウジアラビアとの対戦が控えている。アジアにおける日本の立ち位置は、オーストラリア、イラン、韓国、UAEに次ぐ5番手くらいが妥当なところ。筆者は別のコラムにおいて、最終予選、日本はB組3位と予想したのだが、とにかく、サウジアラビアが日本の前に立ちはだかるようなことがあれば、筆者の予想は的中する。日本が3位に沈めば、A組3位とのプレーオフ。それに勝てば、北中米のどこかの国との大陸間最終プレーオフが待っている。そこまで混沌としてしまったら、W杯予選の結果に係る予想は、いまの段階では不可能というもの。とにかく日本はオーストラリア戦を引分以上で終わり、当面の敵、11月のサウジアラビア戦に全力を傾け勝利しなければならなくなった。

2016年10月6日木曜日

今月2試合勝ち点4以下ならハリル解任


明日(6日)、W杯ロシア大会最終予選イラク戦を前にして、日本のマスメディアはサッカー日本代表に対する報道姿勢を転換したようだ。ハリルホジッチ監督解任論、海外組批判、国内組不安・・・と、ロシア大会出場は絶望的なような論調になってきた。いままで、本田だ、香川だ、岡崎だ、清武だ――と騒いでいたメディアが、ようやく彼らの力量に疑問を持ち始めたのだ。この転換について筆者は「良い傾向」だと考える。遅きに失した感はあるが、海外組の実態を日本のメディアがようやく理解するようになったからだ。筆者はすでにそのことを力説しておいた。

結論をいえば、ホームのイラク戦、アウエーのオーストラリア戦で勝ち点4以下ならば、日本はロシアに行けない可能性が高く、もちろん、ハリルホジッチを解任すべきだ。年内(11月)のサウジアラビア戦を基点として、2017年からの予選後半を新監督に託したほうが日本サッカー界にとって、悪くない経験を積むことになる。

日本のマスメディアの危機報道の内実

日本のマスメディアの危機論の要旨は、第一に、「海外組」が試合に出場していないこと、第二に、それに代わる新戦力(Jリーグ選手)の台頭がないこと、第三に、ハリルホジッチの戦術が選手に浸透していないこと――等となろう。ハリルホジッチがこれまで新戦力を試してこなかった、と批判する声も圧倒的に多い。

あれあれ、これまで「海外組」を称賛し、W杯優勝も夢ではないかのように日本代表への賛辞を書きまくっていたのはどこのだれだったっけ――といいたくもなる。日本のメディアに自己検証、反省、内省、自己批判を求めても無駄だから、これ以上の批判はやめる。この期に及んで、日本のメディアを非難しても、日本代表が強くなるはずもない。

2017年に向けて「代表再構築」必要

いまさらながらの危機であるが、これを打開する道はあるのか、もはや手遅れなのか――もちろん、今月(10月)の2試合及び11月の1試合(予選前半)に限れば手遅れだけれど、それ以降(2017年3月以降の5試合の予選後半)に向けてならば、新生日本代表をつくりあげる時間はある。監督が新戦力として、広く人材を求める気があるのならば、という条件付きではあるが。

それ以外の条件としては、アジア予選を勝ち切る戦術を探求するという謙虚な姿勢を示すこと。換言すれば、対戦相手によって戦い方を変えること。日本はこれまで「自分たちのサッカー」をすれば勝てると妄信してきた。とりわけアジア相手ならば、自由自在に攻撃サッカーで勝ち切れると、自分たちの力を過信してきた。

ハリルホジッチは、速攻を旨として代表選手を選考してきたのだが、UAE戦、タイ戦では、その方針が戦い方に反映されていない。むしろ、そのことにより、日本が中盤でミスを多発し、相手に攻められる場面も散見した。つまり、ハリルの指針がマイナスに作用していた。

日本がアジア予選を勝ち抜くには、むしろボールポゼッションを高め、相手にボールを簡単に渡さない攻撃を選択するほうがいい。あるいは、相手DFの陣容次第では、サイドから高いボールを使って、(CFの頭に)合わせる攻撃があってもいい。

戦術の幅を広げて、選手選考を見直せば、停滞した現状を打開できる。ハリルホジッチの選手選考基準は、速い攻撃ができる出場機会のない「海外組」と、彼らより実力が劣る「国内組」の混成部隊という構成に限定されてしまった。その結果、同タイプの選手ばかりが招集され、攻撃が単純で相手に読まれがちであった。戦術転換を伴わない、海外組か国内組かという不毛な択一は、現状を打開しない。

アジアで勝つには、高いCFの存在が重要なのである。かつ、それにむけて、海外で試合に出場していながら、代表に招集されない選手に目を向ける必要も出てくる。

これまでハリルホジッチは海外視察と称して、しばしば日本を離れているのだが、結果として、彼の視察は結果に反映されていない。TVの仕事を兼ねたり、バカンスを楽しんでいたりではなかったのか。そんな視点からしても、今月の2試合を最後にハリルホジッチの監督更迭は必至だろう。

2016年10月5日水曜日

スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴビナ旅行

9月21日から30日まで、旧ユーゴスラビア4か国を観光してきた。

4か国といっても、モンテネグロ、ボスニアは小国中の小国。

バスで2~3時間走れば検問所にたどりつく。

日本人に対する検問は緩いから、国境を越える時間はそんなにかからない。

率直な感想として、いいところ。

自然豊かで、街も清潔。

しかも、カトリック、正教会、ユダヤ教、イスラム教が混在していて、

それぞれの地域性が街並みなどに反映されている。

ヨーロッパ、スラブ、トルコあたりをまわってきた感がある。

ブレット湖(スロベニア)

ポストイナ鍾乳洞(スロベニア)

プリトヴィツェ湖群国立公園(クロアチア)

トロギール(クロアチア)
ドゥブロヴニク(クロアチア)

コトル(モンテネグロ)

首都サラエボ・バシャルシア地区(ボスニアヘルツェゴビナ)

2016年9月20日火曜日

変貌する谷根千

ここのところ谷根千の飲食店において、移転、閉店等の動きが目立っている。

慣れ親しんだ通りの風景が変わり、馴染みの店がなくなっていくのは淋しい限り。

なくなった店の後には新しい店が開店するのだろうが、谷根千にふさわしくない業種だとがっかり。

財産を失ったような気分になる。

この写真と本文は関係ありません。



2016年9月10日土曜日

猫は箱が好き

宅配便を開けて中の荷物をとりだして放置しておくと、

猫が必ず中に入っている。

うずくまって様子を窺っている。

隠れたつもりなのかな。


2016年9月9日金曜日

タイ戦、「勝利の方程式」はこの先通用せず

W杯アジア最終予選第2戦目、日本はアウエーでタイに2-0で勝った。初戦、UAEにホームで黒星発進した日本であったが、タイから勝ち点3を奪い、星を五分に戻した。

ハリルの選手起用(ボランチ、左サイド、ワントップ)が成功?

先発メンバーは以下のとおり。

GK西川周作(浦和レッズ)、DF酒井宏樹(マルセイユ/フランス)、吉田麻也(サウサンプトン/イングランド)、森重真人(FC東京)、酒井高徳(ハンブルガーSV/ドイツ)、MF長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)、山口蛍(セレッソ大阪)、香川真司(ドルトムント/ドイツ)、本田圭佑(ミラン/イタリア)、原口元気(ヘルタ)、FW浅野拓磨(シュツットガルド/ドイツ)

ワントップ(Cf)には、岡崎に代え浅野を起用。左サイド(Ls)に原口、ボランチ(Dm)には、UAE戦、不完全燃焼に終わった大島に代えてJ2の山口を入れた。原口と浅野がゴールを奪い、山口の守備力が光ったわけだから、ハリルの選手起用は結果的に成功した。

しかし試合後のハリルホジッチ監督のコメントは、「2人ともゴールというのは偶然だと思うが、それにしてもよい雰囲気をもたらしてくれた」というもの。このコメントからうかがえるのは、勝利をもたらした2得点とも、意図した結果ではないということを図らずも吐露したように聞こえる。監督が代役2人の殊勲者を絶賛していない。監督自身、勝つには勝ったが、チームは本調子でない、と思っている。

攻撃陣形のバランスを崩し続ける本田

この試合のあと、日本のネットにおいて、「本田、長谷部が戦犯」という記事が目に留まった。また、日本の攻撃の主軸といわれる、本田、香川、岡崎に対する辛口のコメントが散見された。それらの批判は大手メディアにではなく、ネットのサッカー専門サイトに掲載されたものだが、それらを再掲載したポータルサイトもあった。ようやく、本田、香川、長谷部ら海外組批判のタブーが破られつつあるのか。筆者はこうした傾向を歓迎する。

辛口コメンテーターの某氏が指摘しているように、アジア予選のスタート2試合の日本の状態は悪かった。日本の攻撃のかたちを見ると、Rsの本田が中央に入り込む形が多くなり、サイド攻撃の機会が減っている。窮地の日本を救ったともいえるタイ戦の先取点は、前出のとおり本田が中央に入り込んでそれにつられてタイのDFが真ん中によったため、日本の右サイドががら空きになり、右Ssbの酒井宏がフリーでクロスを打つことができた結果。そのクロスがゴール前をスルーしてLsの原口がほぼフリーとなり頭で決めることができた。

この得点シーンについて、Rsb酒井宏の好判断と評価するか、得点者、Ls原口の決定力というべきか・・・まあ、何といおうとすべてが結果論。それがゴールというものだ。野球でいえば、ホームランを打った打者を褒めるのか、失投した投手、サインを出した捕手を責めるのか・・・というのと同じようなもの。

クロスを放った酒井宏、ゴールを決めた原口を評価しつつも、筆者はこの得点は日本代表の狙いではないと確信する。なぜならば、ある程度のレベルのチームのDF陣ならば、Rsbの前のスペースを自由に使わせるような守備はしない。タイのように、まったくのフリースペースをつくらせることはない。タイのDF陣が本田につられたのだから、本田が囮になったというべきだろうが、それはけがの功名というやつだ。

本田がRsを「職場放棄」し続けるため、日本は相手ゴール前中央にCfの浅野、Om(トップ下)の香川、本田の3人が塊となり、チャンスをつくれない時間が続いた。ただ、救いは、とにかく日本が先取点をとれたこと、タイのチャージが甘く、日本が自由にボールを奪えたこと――タイは日本にとって与しやすい相手だったこと――だ。先取点がとれずに時間が経過したら、日本はタイとスコアレスドローを演じたかもしれない。

この試合、その本田及び香川が決定機を外したため、日本はさらに試合を難しくした。救いは山口はじめ(本田と香川を除いた)各選手が、積極的に守備をしたこと。繰り返すが、タイは体格で日本を下回り、しかも、フィジカルが弱い。日本の圧力に抗しきれなかったことが救いだった。

日本は後半30分、長谷部のロングパスに浅野が反応して裏に飛び出し、ゴールを決めた。この得点は、Cfがその仕事をまっとうした結果である。敢えてシニカルに表現するならば、後半、極端に足が止まった本田がゴール前にいなかったから、浅野が自由にプレーできたともいえなくはない。それくらい、本田のポジショニング、ランニング、判断、フィニッシュの精度は悪かった。

香川、2試合とも不調、不発

本田に負けず劣らず、香川も悪かった。決定機を外したことももちろんだが、彼はOmとして機能していなかった。コンディションの問題なのか、ドルトムントで活躍していた香川の姿とは全く別人のようである。

海外組は下り坂か?

かくして、攻撃陣の軸といわれる、▽本田がUAE戦、タイ戦を通じて攻撃陣のバランスを崩し続け、▽香川も2試合とも生気がみられず、不調かつ不発、▽岡崎はUAE戦で不調、タイ戦がベンチ。▽その岡崎の代わりにタイ戦でCfに入った浅野が得点を上げ、▽同じく、本田の反対側のポジション(Ls)の原口が貴重な先取点を上げた。守備陣では、キャプテン長谷部にミスがめだつありさま。最終予選の2試合を通じて、日本代表の海外組、主軸といわれる選手たちが年齢的、体力的に下り坂に来たことの前兆とみられなくもない。

タイ戦の「勝利の方程式」はこの先、通用しない

タイ代表は成長著しいチームだが、日本代表にはやりやすい相手だ。日本代表をダウンサイジングした感じ。だから、日本がセカンドボールを支配できたし、相手ゾーンでボールを奪えた。

しかし、このような試合展開が残り7試合=オーストラリア(A・H)、イラク(H・A)、サウジアラビア(H・A)、もちろんUAE(A)との対戦でできるはずもない。欧州リーグが進展する来月以降、海外組といわれる本田、香川、岡崎、清武、長谷部らが調子を上げられだろうか。

筆者は、本田が最も難しい存在だと思っている。彼が16-17シーズン、ACミランで出場機会を得ることは難しいと感じているからだ。代表戦以外の公式戦に1年以上出場しない選手を主力と表現できない。試合勘、フィジカル等が劣化することは間違いない。本田に代わる選手はいるのだろうか。国内組の台頭は期待できるのか。この期に及んで新戦力をテストすることは困難であるし、さらに、日本の救世主が彗星のごとく出現するとも考えにくい。この先のアジア最終予選の各試合は、日本代表及びそのサポーターにとって、苦難の連続となりそうだ。

2016年9月4日日曜日

サッカー日本代表、その現状と構造的危機の到来


日本がホームでUAEに1-2で負けた。筆者は別のBlogにおいて(2016.04.22)、この試合は引分けだと予想したのだが、それどころではなかった。もっとも、浅野の「幻のゴール」を得点と見做せば、筆者の見立てはあながち間違いともいえない。

試合内容、監督采配、戦略・戦術等における敗因追及は、前出の拙コラムで行ったので、ここではやらない。また、日本がロシアに行けるのかどうかも扱わない。本稿では、日本代表の長期停滞傾向――構造的危機について、詳しく論ずる。

代表のクラブチーム化(UAE)が日本に必要か否か

もちろん答えは否である。日本のスタメンは――

GK西川周作(浦和レッズ)、DF酒井宏樹(マルセイユ/フランス)、吉田麻也(サウサンプトン/イングランド)、森重真人(FC東京)、酒井高徳(ハンブルガーSV/ドイツ)、MF長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)、大島僚太(川崎フロンターレ)、香川真司(ドルトムント/ドイツ)、本田圭佑(ミラン/イタリア)、清武弘嗣(セビージャ/スペイン)、FW岡崎慎司(レスター/イングランド)

先発メンバーを見る限り、海外組と呼ばれる欧州クラブに属している選手が8人を占めていて、一見すると国内組が過半のUAEをはるかに凌ぐと思えて不思議はない。UAEのサッカー事情についてはわからないものの、メディア報道によると、国内リーグの待遇がいいことから、優秀な選手は海外に出ないという。UAEについてTV映像からうかがえるのは、アラブの産油国の特徴として、アフリカ系の選手が含まれていて、体格面では日本を上回っていること。そんな選手が2カ月近くの合宿をはって初戦に臨んできた。加えて、UAEは若い年代から固定メンバーで戦ってきているといわれ、“代表というよりもクラブチームのようだ”という評価もある。先のアジア杯で日本に勝った要因として、UAEの結束力、チームワーク、コンビネーション、コンディショニングにあった面を否定できない。

UAEのような代表チームのつくり方は、かつての日本が歩んだ道そのものだった。02年日韓大会(トルシエ監督)、06年ドイツ大会(ジーコ監督)では、そのような代表チームをつくって、日韓大会ではホームという利も作用して、16強入りを果たした。ところがドイツ大会では予選で敗退。チームワークやコンビネーションだけでは勝てない現実を思い知らされたものだった。

以降、日本選手の海外移籍が活発化し、代表選手構成は海外組主体に移行した。海外移籍が代表入りの重要な指標ともなった。その反面、選手を保有するクラブの都合が優先され、日本がUAEのように長期間にわたって代表合宿することは不可能となった。海外組はせいぜい3~4日間で代表チームに融合しなければならなくなった。

日本はもはや、02~06の過去に戻ることはできない。世界のプロサッカー市場が欧州4強リーグ(ドイツ、イングランド、スペイン、イタリア)を中心にして各国を動かしている以上、日本のサッカーも同調せざるを得ない。このような傾向はどの国にも強いられている現実であって、それが代表チームの宿命だともいえる。それがサッカーのグローバルスタンダードだとも換言できる。代表選手は、欧州~日本の長期移動を強いられる。それも今大会にまったことではない。日本代表がグローバルスタンダードに組み込まれてはや10年が経過した。ややこしい条件を克服する最善手段が関係者に求められている。

代表の4つの危機

代表チーム運営の変遷を云々するのはこれくらいにして、本論に入ろう。筆者は日本代表の危機について、①若手タレントの不在、②海外組への誤解と幻想(メディアの批判精神の欠如)、③センターフォワード(CF)の不在、④日本開催代表試合の陥穽――という四つの視点で考察する。そして、日本代表再構築に果たすべきセクターとして、選手以外のセクターとして、協会、メディア、サポーターの3つを挙げ、それぞれのセクターが代表再構築に果たすべき役割を提示する。

若いタレントが出てこない――日本のフィジカルエリートは相変わらず野球界へ

日本代表の弱体化の第一の要因は、新しい才能の台頭がみられないことだ。いまのJリーグにおいて、世間が騒ぐほどの「才能」の存在が認められるだろうか。クラブユース、高校、大学を見渡しても見当たらない。ハリルジャパンに招集されるJリーグの若手選手は同じようなタイプの選手ばかり。しかも、センターフォワード(CF)の逸材が現れない。

その一方で日本プロ野球界では若手選手の大型化が進み、パワーアップ、スピードアップが順調に進捗している。日本のフィジカルエリートはサッカーではなく、野球に集中している実態は変わっていない。スポーツの質が異なるから、体格面の比較は愚かかもしれないが、ダルビッシュ有、田中将大、岩隈久志、前田健太、大谷翔平、菅野智之、筒香嘉智、山田哲人、柳田悠岐・・・といったプロ野球選手のうち、一人でもいいからサッカー界に進んでいてくれたなら、サッカー日本代表の姿もおおいに変わっていたはずだと残念に思うばかり。

才能のある選手が払底し、代表に限らずリーグが衰退化する現象は日本だけではない。前出の欧州4強リーグのなかで、イタリアが弱体化傾向にある。

「海外組」という幻想

海外組代表選手に対する幻想とは、彼らに対する評価の在り方という意味だ。このことは、日本のスポーツメディアに責任があるのだが、メディア批判は後述するとして、実態を見ておこう。

前出のUAE日本代表における攻撃陣の先発メンバーの所属クラブにおける成績を見てみよう。日本のエースと呼ばれる本田圭佑のセリエAの昨シーズン(15-16)の得点はわずか1。(30/38=38試合中30試合出場)。以下、ドイツの香川真司が9得点(29/34)、同じく清武弘嗣が5得点(32/34)、イングランドの岡崎慎司が5得点(36/38)。一番得点を上げている香川でも、1試合当たりの得点はおよそ0.3である。つまり、海外組といわれる攻撃的選手はポイントゲッターではない。

ちなみに、岡崎が所属するレスター(イングランドプレミア)のチーム得点王はジェイミー・ヴァーディーの24得点(36/38)。15-16シーズンのプレミア得点王はハリー・ケーン(23才・トットナム所属)。彼は38試合出場で25得点。1試合平均0.65の高率で、プレミアならシーズン20点超えがポイントゲッターのメルクマールとなる。余談だが、ケーンは23才だから日本なら五輪世代と呼ばれる。欧州リーグでは23歳は若手ではない。

本田が所属するACミランのチーム得点王はカルロス・バッカで18得点(38/38)。イタリアセリエAの得点王は、ゴンサロ・イグアイン(ナポリ)。35試合に出場して36得点だから、1試合平均1点超。まさに「点取屋」だ。

シーズン1得点の本田に得点を期待するのは愚か

日本のスポーツメディアは本田圭佑に何を期待しているのだろうか。昨シーズン、わずか1得点の窓際選手に代表戦で得点を期待するなんて見当違いもはなはだしい。岡崎もしかり。香川に得点を期待してもいいが、セリエAの得点王の四分の一の選手だ。過分な期待はしないほうがいい。

とはいえ、岡崎、本田、香川・・・らがダメな選手だというわけではない。彼らは所属チームにおいて、それなりの貢献があるから契約を継続していられる。岡崎の場合は、ヴァーディーの得点機会を助ける役割を全うしている。本田の場合は、おそらくマーケティング上の貢献だろうが。

大雑把な譬えをすれば、海外組は野球の打線でいえば1番、2番あたりを任せられる野手なのだろう。チームバッティングや犠打が得意で、得点機会を増やす。守備は鉄壁。真面目でミスはしない。そんな選手が代表として集まってチームをつくったとしたら、どうなるのだろうか。相手にしてみれば怖くない。決定機にバントなのだから(笑)。日本代表に必要なのは、強打のポイントゲッター、強いCFだ。

日本代表におけるCFの系譜

日本代表の選手選考において、いわゆるCF不在は恒常的なものなのか、というとそうでもない。フランス大会では中山雅史、日韓大会では鈴木隆之、ドイツ大会では高原直泰、ドーハの悲劇(フランス大会最終予選)に遡れば、アジアの大砲・高木琢也がいた。れっきとしたCF専門職が存在感を示していたのだ。

岡田の奇策――本田ワントップの成功体験

日本代表がCFを不在にして、「トップレス」(笑)になったのは、W杯南アフリカ大会だった。ジーコの失敗からバトンを渡されたオシムは、「代表の日本化」という困難な課題に取り組んだ。それでもCFに高原直泰、前田遼一、巻誠一郎を起用していた。前田、巻は国内組だが、ワントップ(CF)のフォーメーションは維持されたのだ。

オシムが病で倒れた後を受けた岡田武史は、W杯南アフリカ大会予選(カメルーン戦、オランダ戦、デンマーク戦)、そしてベスト8をかけたパラグアイ戦の計4試合に本田をワントップに起用した。それまでの強化試合では、岡崎らのワントップが試行されていたのだが、本戦になっての直前変更だ。

南アフリカ大会の日本は超守備的チームだった。岡田の守備重視を支えたのが、闘莉王、中沢祐二のCBであって、ベスト16入りの原動力は、ワントップの本田よりもDFの二人だと筆者は思っている。

ザックジャパンでは大迫勇也、大久保嘉人といったCFが起用されたが、本戦は予選敗退という結果に終わっている。さて、ハリルジャパンだが、彼は岡崎を信頼し、二番手に武藤嘉紀。終盤の切り札に浅野拓麿に期待しているように思えるが、筆者はこの3人をCFとして適正をもっているとは評価しない。

CF不在は日本に限られていない。先のW杯開催国、ブラジルもCF不在に泣いた。けっきょく国内得点王のフレッジがCFに起用されたが、本戦6試合で1得点と振るわなかった。王国のブラジルでもこうした現象は避けられない周期で訪れるようだ。

なぜ、CFの専門職を招集しないのか

日本のワントップが、レスターのCF・ヴァーディーのシャドーである岡崎に務まるのか。経験のない武藤や浅野でいいのか。日本人でCFをこなせる選手はいないのか。

そこでJリーグを見ることにする。外国人を除いたワントップの選手は、大久保嘉人(川崎)、興梠慎三(浦和)、佐藤寿人(広島)、金崎夢生(鹿島)、長沢毅(G大阪)、伊藤翔(横浜)、豊田陽平(鳥栖)、前田遼一(F東京)、指宿洋史(新潟)、野田隆之介(名古屋)、大槻周平(湘南)、金森健志(福岡)だろうか。セカンドトップの選手も含まれているのでCFと厳密にはいえないかもしれないが。

このなかで日本代表に推薦できる選手がいるだろうか。実績からみれば、豊田、佐藤、興梠、前田、金崎の5選手だろう(※金崎は素行不良により代表落選となった)が、いずれも代表経験がありながら、結果が伴わず定着しなかった。歴代の代表監督がCF(ワントップ専門選手)を招集しなくなって久しい。

海外組では、ハーフナーマイクが昨シーズンのオランダリーグADOデンハーグで16得点(31/34)をあげている。結論をいえば、日本代表のCFとして最も適性の高いと思われる選手は、ハーフナーということになる。だが、ハリルが彼を代表に招集する気配はない。ハーフナーが代表に呼ばれない理由も定かではない。

しかし、ハーフナーが日本代表を救うという立論も成り立たない。日本代表が高く強いCFを中心としたチームづくりをこれまでしてこなかったから。アジア最終予選が始まったこの時期にハーフナーを招集して、練習を開始しても間に合わない。ハリルホジッチ監督の2年間は、筆者には時間の浪費に思える。所属チームでシーズン1得点の本田と心中しようというのだから、前任者(ザッケローニ)の二の舞である。ザックを上回る成績は望めまい。

日本開催の代表試合は興行にすぎない

本田や岡崎は、代表試合で得点している、という反論が上がるだろう。だが、日本で開催される代表試合(親善試合、強化試合)はごく少数の例外を除いて、いわゆる「咬ませ犬」相手の興行にすぎない。相手はナショナルチームを僭称するものの、主力は招集されていない二軍、三軍だ。所属クラブにしてみれば、国際Aマッチデーといっても、主力をシーズン中に遠い極東まで派遣するリスクはおかせない。日本の強化のためには、相手国に出向かなければ、せいぜい調整試合で終わってしまう。二軍、三軍で、しかもコンディションが整わない相手に対して6人交代可能のレギュレーションならホームの日本代表はいくらでも得点できる。

日本サッカー界はいますぐ、代表の現状を否定せよ

日本サッカー協会が資金繰りのために代表試合を組む必要を否定しない。重要なのは、代表試合を正しく評価する目であり、その目とは、スポーツメディア及びサポーターのこととなる。代表の国内興行で日本が勝てば大喜び、W杯に優勝しそうな報道となり、本田や香川はヒーローになった。メディアもサポーターも、シーズン1得点の本田に得点を期待する。そんな見当違いをだれも糺さない。間違ったメディアの報道及び無意味なサポーターの熱狂が日本サッカー界、代表選手を狂わせ、長期的に見て大いなるマイナスとなって今日まで作用している。最終予選初戦、ホーム黒星発進は彼らを覚醒させるに十分なショックである。この敗戦を無駄にしてはいけない。

とはいえ、日本代表がこのたびのアジア最終予選を突破するかどうかは神のみぞ知る。よしんば突破してロシアに行けたら、UAEからうけた屈辱も忘れ去れるだろう。しかし、その次の日本代表はもっと困難な状態に陥っているはずだ。W杯出場を絶たれれば、日本の代表ブームは終焉する。

日本サッカー界がいまの代表のあり方を否定的に総括し、有効な方策を打ち出すことを期待してやまない。

2016年9月1日木曜日

2016年8月17日水曜日

『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』

●矢部宏治〔著〕 ●集英社インターナショナル ●1200円+税

「アーミテージ・レポート」と安保法制

本書を読み始めてすぐに頭をよぎったのが、2012年8月に発表された「第3次アーミテージ・レポート」だった。このレポートはジャパン・ハンドラー(米国の対日政策に大きな影響力をもつ知日派知識人)として知られる、アーミテージ(Richard L. Armitage)、ナイ( Joseph S. Nye)によってまとめられたもの。発表時は、3.11発生からそんなに時間はたっていない。

震災直後、日本のマスメディアが米軍による支援活動「トモダチ作戦」を大々的に報道していた。同レポートはこの作戦をとりあげ、日米の今後の在り方を象徴する「作戦」と称賛していた。同作戦が被災地にどれほどの支援になったかはわからないが、ともかく、米軍のPR臭を強く感じたことを覚えている。

同レポートの柱は以下のとおり。
(1)原発推進
(2)日韓関係の安定化
(3)TPP推進
(4)日本の集団的防衛の禁止に関する改変

同レポート発表後、日本政府(安倍政権)はこれらの柱に基づき、関連諸政策を策定、推進、法制化した。前出のとおり、日本が大震災にみまわれた直後、米軍は「トモダチ作戦」を展開して日米の「絆」をPRしたように見えたのだが、それが日本の安保法制(集団的自衛権行使容認)の露払い的示威行動だったことを知った。日本が危ないときは米国が助け、米国が危ないときは日本が助けると。「トモダチ作戦」は日本国民に対する印象操作だった可能性もある。

それだけではない。同レポート発表後の日本政府の対応は奇異なものがあった。とりわけ安保法制は憲法改正にかかわる大問題。憲法改正は時間がかかるし、民意に反する。しかしながら安倍政権はそれを解釈改憲で押しきった。大多数の憲法学者が「違憲」と発言しながら、あっというまに法制化してしまったのだ。

米軍に日本が従属する法的根拠とシステム

いったいなぜ、ジャパン・ハンドラーとよばれる民間人(元軍人と国際政治学者)になるレポートが日本政府の政策を決定づけてしまうのか、日本政府と彼らの関係はどのようなものなのか。もしかしたら、日米間には、米国(軍)主導で日本の政策を決定できるシステムがあるのではないか。その決定システムは、両国政府間において法的に担保されているのではないか。

本書は筆者が抱いていた素朴な疑問に極めて適正に答えてくれた。前作『日本はなぜ、「基地と原発」を止められないのか』(以下「前作」と略記)につぐ労作だ。読後、毒が回って無力感にとらわれる。日本(人)にとって、日米間の絶望的なシステムの存在を知り、虚脱感にさいなまれる。戦後70年余り、日本は米国(軍)に完全に隷属し、コントロールされてきたことがわかる。1945年の日本の敗戦時から今日まで、米軍主導のシステムが日本の深部にしっかりとビルトインされていたのだ。

朝鮮戦争と米国の対日政策の大転換

日本の無条件降伏後のいわゆる米国による戦後処理は、朝鮮戦争(1950-53)前と後で、大転換をとげた。〈1945-49〉までは日本の武装解除及び戦争犯罪人追及、平和国家への改変に力点が置かれた。GHQは、東京裁判(1946-48)、天皇の人間宣言(1946)、平和憲法(1947施行)等の施策を矢継ぎ早に実行し、日本を二度と戦争ができない国にするための大改造が試みられた。

ところが、冷戦の深刻化と朝鮮半島の緊張化を契機として、GHQは対日姿勢を180度転換する。朝鮮戦争勃発とともに、それまでの「日本平和国家構想」を放棄し、日本を戦争の兵站拠点として位置づけるとともに、日本人の警察予備隊7万5千人を急きょ徴兵する。警察予備隊創設の目的は、朝鮮に派兵して空になった米軍基地の防衛だ。そればかりか、海上保安庁職員を8千人増員し、海上保安庁掃海艇部隊が朝鮮における米軍の軍事行動に友軍として参加したという(本書P203)。日本国憲法は施行後わずか3年にして、その実効性を喪失した。

日本はサンフランシスコ講和条約(1951年調印)によって、連合軍の占領が終了し、主権を回復したと、日本の教科書にはある。ところが、講和条約と抱き合わせで、日米安保条約、日米行政協定が締結され、かつ、日米の首脳及び行政官どうしによる密約によって、米国(軍)は日本にある米軍基地の永年自由使用権を手に入れるとともに、のちに警察予備隊から軍隊と化した自衛隊の指揮権も確保したという。在日(=極東)米軍の利権の貫徹だ。この間の日米間の交渉過程等については、本書に詳しい。

米軍の意思を日本で実現するシステム=日米合同委員会

ここで再び安保法制だ。集団的自衛権の行使容認とは、米軍の戦争に自衛隊が米軍の指揮の下、参戦すること。もちろん、日本にある米軍基地は米軍が放棄しない限り永遠に日本には戻らない。その最先端に位置するのが沖縄――普天間であり辺野古であり高江…だ。

米軍の意思を日本政府が無条件で受け入れるための、日本国民にとって絶望的な「システム」とは、著者が前書でもふれていた、「日米合同委員会」。同委員会の米側の出席者は、米側代表=在日米軍司令部副司令官、代表代理=在日米大使館公使。以下出席者=在日米軍司令部第五部長、同陸軍司令部参謀長、同空軍司令部副司令官、同海軍司令部参謀長、同海兵隊基地司令部参謀長。日本側の出席者は、日本側代表=外務省北米局長、代表代理=法務省大臣官房長。以下出席者=農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官。そして、その下に35ある部会で構成されている。(詳細は本書33P)

著者はこう指摘する――
…おかしいですよね。どんな国でも外務官僚が協議するのは、相手国の外務官僚のはずです。そして外務官僚どうしが合意した内容は、もちろん軍の司令官の行動を規制する。これが「シビリアン・コントロール」と呼ばれる民主主義国家の大原則なはずです。(略)
この日米合同委員会というシステムがきわめて異常なのは、日本の超エリート官僚が、アメリカの外務官僚や大使館員ではなく、在日米軍のエリート軍人と直接協議するシステムになっているとところなのです(P36-37)

これが「日本の実像」なのか。おそらく安保法制は、軍の利益を代表するジャパン・ハンドラーの手によって、「アーミテージ・レポート」という風船が上げられ(世に出て)、日米合同委員会において、米軍と日本の行政機関の専門家の手によって、日本の法体系の中に落とし込まれ(法制化され)、安倍政権によって閣議決定され、国会を通過したのではないか。

安保法制は米軍のためのもの

安保法制はいまから66年前、米軍の要請により、在日米軍基地防衛のために警察予備隊が創設されたごとく、米軍の戦争遂行の兵力の穴埋めのためだ。米軍の「テロとの戦い」は泥沼化している。この戦いに必要な武器、兵員、物資を米軍単独では賄いきれない状況にある。そこで自衛隊だ。自衛隊は世界的に見て、米軍の指揮権が可能で、かつ、強力な軍隊の一つ。その存在は韓国軍に次ぐ。しかも前出のとおり、他国の軍隊でありながら、米国(軍)が法的にも軍事的にも、ほぼ完璧にコントロールできる。

日本国憲法を真剣に問わなければ、米軍従属が続くだけ

日本国民の総意として、憲法9条2項を改正することが現実的だというのならば、それもあり得る。自衛のための武力保持を現憲法に加筆するという選択もあるかもしれない。そのことと引き換えに、在日米軍基地、横田空域、米軍関連施設の返還という選択肢も外交課題となろう。

だが、米軍の戦争継続のために憲法の空洞・空文化が加速し、自衛隊が米軍の指揮下で戦争をすることは耐えられない。それは、ローマ帝国に征服された被支配民が、ローマの軍人となって、ローマの新たな征服に駆り出される姿と同じもの。ローマ帝国=米国(軍)の戦争に追随するのか、新しい道を選ぶのか――いよいよ、国民一人一人が選択しなければならなくなった。

2016年8月12日金曜日

『21世紀の戦争と平和 きみが知るべき日米関係の真実』

●孫崎享〔著〕 ●徳間書店(Yahoo!ブックストア)●1400円+税

冷戦後、米国が準備した「新しい戦争の時代」

冷戦後、世界はどう変わったのか――という基本的認識から、いまの世界と日本を考える必要がある。冷戦が終わり、いわゆる共産主義勢力が退場したのだから、世界平和の時代が到来した――わけではない。米国は冷戦終結後、すなわち平和な時代が構築できるという選択肢をもちながらそれを手放し、冷戦に代わる「新たな戦争の時代」の準備にとりかかった。

「悪の枢軸」「自由と民主主義を守る戦い」「テロとの戦い」・・・美辞麗句に彩られた米国が掲げた戦争スローガン。日本はその流れに徐々に巻き込まれ、いまや日本は、“戦争のできる国”にまでその姿を変えてしまった。米国とそれに追随する日本国内の勢力にとって、いまはその総仕上げの段階にある。本書はそれに抗す小石ほどの投擲にすぎないかもしれないがしかし、その流れを止める可能性を秘めている。その意味で、本書は国際情勢、日米関係、防衛問題等を考えるうえで必読の書だといえる。理由は後述する。

今日、米国の戦争に巻き込まれてゆく日本(人)の姿形は、いまから75年ほど前、米国との無謀な戦争(アジア太平洋戦争)に突入したころの姿形に近い。米国により操作された国際情勢分析、それを受け入れて訳知り顔でTV解説する日本人の御用学者、自称ジャーナリストら。彼らにかかれば、ナイーブ(うぶ)な日本国民の洗脳は難しいことではない。日本が集団的自衛権行使容認を合憲として立法化したのは、米国の働きかけを受け入れた、それら日本国内の諸勢力の骨折りの結果でもある。

「米国の核の傘、米軍の抑止力=平和」という思考停止

日本の防衛に係る言説は、原発安全神話に酷似している。原発は事故を起こさないという思考停止と、米国の核の傘、米軍の抑止力により日本は守られているという思考停止。両者は相似形をなしている。敗戦から70年余り、日本国憲法、日米関係、日本の外交防衛問題、核武装等の最重要課題については、日本ではまともに議論することが避けられてきた。なぜか。それにふれれば、ふれたほうが選挙に負けるからだ。本年(2016)行われた参議院選挙においても与党は改憲を視野に入れながら、アベノミックス(経済)を選挙の争点に絞ってそれを避け、マスメディアも追及を避けた。しかし日米間の秘密裏の合意に基づき、内外のメディア、アカデミズム、シンクタンク…らが流す情報により、日本はじょじょに姿を変えつつある。

神話にしたまま触れなければ波風が起きない。日本の外交防衛は米国の指示どおり。憲法改正はしないで解釈改憲すればいい。それが与党の唯一の「戦略」であり、野党もそれに対抗できない。原発は3.11によって、その神話が崩壊したものの、政府とマスメディアが共同でそれを“なかったこと”にしようと謀っている。歴史修正主義。9条が代表するた日本人の反戦・平和主義はいま、日本人の意識から消去させられようとしている。

米国人の防衛意識と強迫観念

『レッドドーン』(原題:Red Dawn/2012年公開/ダン・ブラッドリー監督/カール・エルスワール脚色)という米国映画がある。この映画は1984年公開された『若き勇者たち(原題:Red Dawn)』のリメークだ。アメリカが共産主義国(北朝鮮)に突如占領される。占領軍に抵抗するため、海兵隊を除隊して故郷に帰っていた兄をリーダーにして、若い兄弟とその友人たちが占領者に抵抗ゲリラ戦を展開するという荒唐無稽の物語。

なぜこんなB級映画が2度も映画化されたのか。それはそのときの米国の情況に求められる。最初の映画化は1980年代初頭、レーガン政権下の冷戦末期、83年にはレーガンが「悪の帝国発言」を行っている。同年には大韓航空機撃墜事件を筆頭に、凶悪なテロ事件が多発していた。そしてリメーク公開された2012年といえば、第二次イラク戦争が終わったばかりのころ。その前前年、オバマ大統領がイラク戦争終結を宣言している。

どちらも米国にとってきな臭い、戦争が身近な情況において、同映画は公開されている。筋書きは、前出のとおり米国本土が敵対する共産主義勢力に突如、侵略されるというもの。そこに、米国人の強迫観念が滲んでいるように思える。米国人には、いつかだれかに侵略されるという恐怖が潜在しているように感じる。

米国はいうまでもなく、大西洋を渡ってきたヨーロッパ移民が開拓した国。彼らは先住民にとって侵略者であり、その一方、英国との独立戦争では敵(英国軍)は大西洋を越えてやってきた。侵略者でありながら、侵略される側でもあった米国人の原体験は、“いずれ侵略される”という恐怖となって、米国人に潜在しているのではないか。「やられる前にやれ」となる。いま米国国内で多発している警官による黒人無差別射殺事件の原因の説明にも、彼らが潜在的恐怖からいまだ解放されていないという理由づけが有効かもしれない。

米国の安全保障の地勢的要諦

米国における安全保障の地勢的要諦を大雑把に見ておこう。防衛ラインは、(1)米国東=北大西洋、(2)同西=(米国にとっての)西太平洋、南は、(3)メキシコ国境、(4)キューバを臨むフロリダ湾、(5)北=ロシアと接するベーリング海、(6)米国の中東地域の飛び地=イスラエル周囲=エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、サウジアラビアであり、この地域がもっとも不安定。

(1)の防衛体制はNATO。冷戦時代はソ連圏と対峙。現在はロシアに代わっている。(2)は中国、北朝鮮の西進を阻む目的で、韓国、日本、東南アジア諸国が中国北朝鮮に対する「蓋」の役割を担っている。75年前、日本の西進により、米国はハワイ真珠湾を攻撃された経験を持っている。(3)(4)はキューバ革命(1953-1959)以降、ゲバラによる革命輸出と、南中米に社会主義政権国家が誕生した1970年代が米国にとって最も不安定な時期となっていた。米国はゲバラを殺害し、CIAを使って軍事クーデターを起こし、親米(軍事)政権を樹立させ、安定化を図った。

日米関係と中国

さて、日米関係である。日米関係はいうまでもなく、米国における(2)の防衛ラインに属す。米国の脅威は、中国-日本の親密な関係構築にある。最悪のシナリオは日中が共同で米国と敵対し、戦争になること。だがそうはならない。その説明については本書に詳しい。

米国にとって現実的な脅威とは、日本~中国・北朝鮮が互いに敵対せず、安定すること。そうなれば、日本、韓国、台湾はもとより、北東アジア、東南アジアが安定し、米軍は存在意義を失う。その結果、米国の武器輸出は漸次低減する。米国にとって日本に親中国政権ができることは、なにがなんでも避けたいところ。いま現在、日中間における尖閣列島を巡る緊張は、日本がそれまで中国と合意していた「棚上げ」を無視して国有化を図ったことに起因する。このことの詳細も本書にある。それだけではない。日本の政治家のなかで中国と親和的関係を築いた者の多くが、「政治とカネ」等のスキャンダルで失脚している。

2度のイラク戦争は米国による侵略戦争

第一次及び第二次イラク戦争については、米国によるイラク侵攻の正当性がなかったことが今日わかっている。しかし、日本では前者における130億ドルの資金協力の評価すら正確でなく、後者における自衛隊イラク派兵の是非すら論じられることがない。それどころか、米国側による戦闘協力の要請に従おうとしている。それが、集団的自衛権行使容認の経験的根拠にすらなっている。その経緯についても本書に詳しい。

日本の外交防衛路線はすべからく米国の指示に基づく

本書が提供する日米の関係に関する情報を読み通したうえで総じていえるのは、戦後の日本の外交防衛路線は、すべからく米国の要請(命令?圧力?)に従っているという事実。敗戦(1945)による武装解除、以降(1947~)、開始された再軍備、日米安全保障条約締結、基地提供、地位協定、米国製武器輸入、原発建設、イラク派兵、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認(安保法制)に至るまで、日本は米国(軍)に引っ張られてきた、という事実が確認できる。

「1%」のための戦争

日本のみならず世界中を紛争の渦に巻き込む米国(軍)の原動力はなにかといえば、米国における“産軍共同体”の存在。世界中が平和になって戦争がなくなってしまえば、米国(軍)の経済は立ち行かなくなる。米国の軍需産業がだめになるだけではなく、金融、商業、運輸、IT…すべてがだめになる。とはいっても、それは米国が特別でなくなるだけのこと。もっといえば、米国の“1%”がだめになるにすぎないのだが――

本書は著者(孫崎享)の専門とする外交防衛に特化した日米関係の書。だが現実には、経済、メディア、文化、学界等々の各分野において、米国による日本への圧力が認められるはずだ。だから、日本国内の米国追従者の動向にも目を光らせておく必要がある。彼らは米国の指示に忠実に反応しているはずだから。

テレビに代表されるマスメディアは、既に米国とそれに従属する側の手にある。それだけに、心配なのが著者(孫崎享)の身辺だ。日米関係のタブーに触れた者に多くの不審死が出ていること。そうでなくとも、万一孫崎に何か起きた後、彼の仕事を引き継ぐ勇気ある人材はいるのだろうか。

2016年8月10日水曜日

8月の猫

しばらく猫の写真を上げていなかった。

結論をいえば、相変わらず2匹とも元気。

ときどき喧嘩もするが、仲は悪くない。

写真を撮ろうとしても、なかなかツーショットの機会がない。

この日はタイミングがよかった。




2016年8月7日日曜日

『政府は必ず嘘をつく 増補版』

●堤未果〔著〕 ●角川新書(Yahoo!ブックストア) ●800円+税

政府の嘘が常態化する今日の状況

政府が嘘をつくことはいまに始まったことではない。たとえば、1940年代の日本。アジア太平洋戦争末期、日本軍の敗色が濃厚となった時点においても、日本帝国軍の戦勝報道が「大本営発表」の下、続けられていた。当時の日本国民は(TVはなかったものの)、大新聞、ラジオ、雑誌、ニュース映像による偽の「戦勝シーン」を見聞きすることによって、戦争勝利を確信していた。都合の悪い事実を隠したい政府、その政府に屈服し従属するメディア、信じたいものを信じる国民――という三者の構造的関係は、戦争から70年以上が経過した今日の日本において変化ない。

いや、変化ないどころか、状況はより深刻度を増している。今日の政府の嘘は、戦時、非常時下におけるものではない。言論の自由、表現の自由、基本的人権が憲法によって保障され、ジャーナリストが自由に取材、執筆することができるはずの世の中において、マスメディアから出てくる情報が、政府によって“検閲済”なものばかりか、隠蔽、操作されることが常態化しているという意味において、より深刻化している。国民は先の戦時下から何も学ばず、マスメディアは「大本営発表」を教訓とせず、戦後70年余りにわたり、政府の嘘を許容し続けている。

そればかりではない。政府による嘘の技術向上、巧妙さ、その連続性と増大という傾向は、政府が国民にとって不利益な体制の構築を着々と準備している予兆だと換言できる。本書は、政府~マスメディアが共同して国民に情報を隠すことの危うさを読者(=国民)に伝えなければという強い使命感に貫かれている。その意味において、著者(堤未果)は、まことに稀有なジャーナリストの一人だといえよう。

世界規模で常態化する嘘

政府の嘘はもちろん、日本に限定されていない。情報隠蔽、情報操作をモデル化したのはナチスドイツかもしれないが、米国によって、より緻密に方法化されたと思われる。前出の日本が負けた戦争の末期、広島、長崎に投下された原子爆弾二発も米国政府の嘘に依っている。当時、米軍幹部は原爆投下がなくとも日本は無条件降伏すると確信していたという。ところが原爆を投下したいトルーマン大統領(当時)らは、“上陸作戦が敢行されれば、多数の米軍兵士が犠牲になる”という嘘情報を流し、原爆投下を正当化した。その結果、広島、長崎の一般市民が大量虐殺された。

今日のアラブ世界の危機的状況も嘘が招いた

9.11をはさんで二度にわたった対イラク戦争、アフガン侵攻、リビア侵攻、シリア内戦、エジプト政変等にアメリカが関わっていたことは明白だ。介入の表向きの看板は「反独裁」「自由と民主主義を守る」「対テロ戦争」といったもの。イラクが保有しているはずの大量殺戮兵器は第二次イラク戦争後、存在しなかったことが判明した。米国のイラク侵攻は「嘘」を大義として敢行されたのだが、そのことを咎める国際世論は存在しないに等しい。日本はイラクに自衛隊を派遣したのだが、それが米国の嘘によるものだったことの反省・検証を促す政治勢力も日本に存在しないに等しい。

リビアの指導者・カダフィ大佐については、「アラブの狂犬」「非情な独裁者」というレッテルが米国及びその追随勢力によって貼られた。「リビア国民に対し非情な弾圧を行っている」というのも彼らのでっち上げ。カダフィは豊富な地下資源を背景にして、国内的には国民にやさしい福祉国家をつくりあげるとともに、対外的には大量に保有していた金を原資に、アフリカ・アラブ統一通貨「ディナ」の発行を計画していたことがわかっている。ドル・ユーロの価値低下をおそれた西側が、カダフィ暗殺を企てた。シリアのアサド大統領もカダフィの場合に酷似している。

エジプトでは「アラブの春」の直後、ムスリム同胞団主導のムルシー政権が成立したが、米国に支援された軍部中心のクーデターがおこり、シーシー政権が成立。そのとき、米国は「ムスリム同胞団はテロ組織支援政党だ」というキャンペーンをはった。シーシー政権によってムスリム同胞団はいまなお、弾圧を受けている。

イラク、シリア、リビア、エジプトといった、アラブの安定国家が米国等によって侵略される背景には、アラブをアメリカ化したいイスラエル・アメリカ両国の思惑が働いている。その第一は、イスラエルの安全保障。アラブ各国が安定して成長を続けることはイスラエルにとって最大の危機の到来という認識。アラブ各国が崩壊し、国力を低下すればするだけ、イスラエルの安全が高まると。

戦争は米国の主力産業

その第二は米国の戦争願望。戦争こそが米国の経済成長戦略だからだ。武器輸出はもちろんだが、産軍複合体による開発武器の実験場、戦争の民営化、セキュリティーシステムの販売(イスラエルの輸出主力商品はセキュリティーシステムである)…内戦状態のアラブ各国において、死の商人が暗躍する。その副産物がテロ集団ISであることに異論はあるまい。

原発報道は嘘のかたまり

最近の日本政府による積極的な嘘といえば、原発事故に係るもの。事故前は原発の「安全神話」という嘘が報道され、事故直後(菅政権)から終息宣言(野田政権)までの事故の実態についての嘘は、民主党政権下においてだった。以降、今日までの嘘は自公アベ政権によるもの。最近では、アベの「アンダーコントロール」が耳から離れない。「原子力村」は国家(行政)・産業・メディア・学界が複合化したコーポラティズムの典型にほかならない。

TPPは情報隠蔽

経済分野ではTPP。その内容はもちろん、交渉過程まで一切、情報開示されていない。著者(堤未果)が繰り返し警鐘を発するISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項。Investor State Dispute Settlement)や医療・保険(国民健康保険)分野において予想されるリスクについて、日本のマスメディアは政府の嘘しか報道しない。

こうした傾向は日本だけではない。先進国の新聞・テレビ等、いわゆるマスコミはすべからく、投資会社やメディア事業者に買収されている。“ジャーナリズム”は既に死後である。日本のマスメディアは新聞社系に系列化されているが、株主構成をみると外資が過半を占めるという。日本のマスメディアは自らを「ジャーナリズム」、その従事者を「ジャーナリスト」と僭称するが、これも立派な嘘。彼らはメディア事業者、メディア事業従業者にすぎない。彼らが流す「情報」は政府及びスポンサーの主意に沿っているものばかり。

嘘の根源はコーポラティズム

著者(堤未果)は政府の嘘が常態化する主因をコーポラティズムに求める。コーポラティズムとは大企業(グローバル企業)が政府と一体化して、企業利益を追求するシステム(体制)のことだ。政府の政策は国民のためと謳われながら、実は企業の利益追求を手段化したものという具合だ。

近年の日本におけるわかりやすい事例は、国民総背番号制(マイナンバー)だろう。マイナンバーが立法化される前、マスメディアは海外先進国では当たり前――といった報道をしたが、海外では事故続きで、どこも行き詰まり状態だという。マイナンバーはだれのためかといえば、大手の通信事業者、ソフトウエア会社、プロバイダー等のIT企業だ。政府は彼らに対し、予算(税金)から莫大な事業費を支払ったばかりか、ほぼ永遠にかつ定期的に維持費、運営費、メンテナンス費用を支払い続ける。国民がマイナンバーから受ける恩恵はいまのところ皆無に近いし、将来的にないに等しいだろう。

TPPはアメリカ政府を使ったグローバル企業による市場開拓であり、グローバル企業がより自由に企業活動を展開するため、各国に具備された法律、規制等を無効化することが目的だ。たとえば、日本の地方自治体が地元産業に助成する制度をもっていたとしよう。TPP加盟国は、日本の地方自治体が行う助成制度について、フェアトレードを阻害するとクレームをつけることができる。TPPが発効すれば、助成を受けてなんとかやっている日本の地場産業、中小企業、農業等は壊滅する。

国家はどうあるべきかが重要

その背景には、新自由主義があり市場原理主義がある。ただ、剥き出しの新自由主義をいま現在、瀬戸際で阻んでいるのも国家にほかならない。資本主義国家群がロシア革命以降誕生した社会主義国家群(スターリン主義国家群もしくは阻害された労働者国家群)に対抗するため、労働者を保護し、市場の無秩序を経済政策でコントロールしようとした遺産(社会民主主義)が、西欧、日本にはまだ残っているからだ。福祉国家という概念もその一つだ。それらを規制緩和という名目で一掃しようと図るのが構造改革主義。構造改革を掲げる政治集団には注意を要する。

国家の支援を受けて世界中に吹き荒れるコーポラティズムの暴力から国民を守ることができるのは、実は自国政府(=国家)しかない。国家をどうするのかについては、国民が決めなければいけない。そのためには国家を制御する憲法をどうするかを考えなければいけない。

日本版『デモクラシー・ナウ!』を立ち上げよ

政府は嘘をつく。しかも政府の嘘は、メディアを媒介にして国民に伝えられる。ならば、国民が信頼できる新しいメディアをつくりあげることが急務となる。たとえば筆者の数少ない情報からえられるイメージとしては、米国で立ち上げられた、『デモクラシー・ナウ!』(Democracy Now!)のようなものだ。著者(堤未果)はエイミー・グッドマンになれるだろうか。


2016年8月5日金曜日

テレビが当選させた都知事、小池百合子

東京都知事選が終わった。投票日の午前中、筆者はあるSNSのダイレクトにおいて、仕事を一緒にしたことのあるZ子ちゃんとメッセージ交換をしていた。Z子が「今日は都知事選ですよ!」と話題を振ってきた。以下、そのやりとり。

筆者:Z子ちゃんは都民じゃないでしょう。これから鳥越さんに投票してきます
Z子:そう、神奈川県民なので。鳥越さんなんですね!!
筆者:もちろんですよ。参考までに、Z子ちゃんがまだ都民だったとしたら、だれにしますか?マック赤坂?
Z子:笑 マック赤坂 私は小池さんかな~

Z子は最近結婚して、東京から神奈川に転居したばかり。政治に興味のない、サーフィン好きのアラフォー女性。彼女の「小池さんかな」という呟きに、筆者は鳥越当選の最後の望みを絶たれたようにすら感じた。やっぱりだめか、と。

その予感はあっという間に現実となる。筆者の願望叶わず、鳥越は落選。超右派(改憲・軍事オタク)の小池百合子が当選した。改めて得票結果を見てみよう。小池百合子=2,912,628票、増田寛也=1,793,453票、鳥越俊太郎=1,346,103票、上杉隆=179,631票(以下略)。小池の圧勝だ。

立候補者を巡る混乱?

都知事選の経緯を簡単に振り返ってみよう。あの舛添前知事の騒動のあと、自民党・公明党は人気のあるジャニタレの父で元総務省の役人トップを候補者と目論んだが断られた。有力な代替候補がみつからないうちに小池が自公の公認を得ずに立候補を表明。慌てたように見えた自公はとりあえず増田を公認候補とし、保守分裂の様相を呈した。

一方の野党共闘(民進・共産等)は、先に立候補を表明していた宇都宮健児を下ろし、土壇場で自ら立候補を表明した鳥越俊太郎の推薦を決めた。

保守分裂、野党共闘は候補者の一本化に成功――この状況を受けて、筆者は都知事選における野党共闘の勝利を確信した。

テレビと小池

「東京都知事」については、ここのところ格好のテレビコンテンツとなり、猪瀬辞任騒動、舛添騒動と、朝から晩まで都知事関連報道がなされるのが定番となった。すっかりアベ政権のポチとなったテレビ局が自由に取材放映できる数少ない政治的題材。国政とは関係ないため、比較的自由に扱える。製作コストは安価だし視聴率も悪くない。視聴者側も都知事選ともなれば各候補者の品定め――と、お茶の間のかっこうな暇つぶしだ。

しかし、テレビ局というのはそれほど頭が悪いわけではない。都知事選の報道には巧妙な罠が仕掛けられている。前出のとおり、小池はいわゆる先出し立候補表明。思い付きではない。舛添辞任を見越して、都知事選にむけて準備をしていたと思われる。

自民党・公明党は前出のとおり、総務省の役人に断られた時点で、この選挙を諦めていたと推測できる。野党連合も候補者選びに難儀し、準備不足のまま鳥越に決まった。「後出し」有利という風評を流したのはテレビであり、野党連合もそれを信じた感がある。

小池当選はテレビの誘導の結果

このたびの都知事選は、テレビ局が小池当選に向けて暗躍した結果である。都知事選立候補者は、小池、増田、鳥越を含めて全部で21名いた。増田及び鳥越は政党の推薦者であるから有力な候補者であるという理屈はとおる。ところが小池は表向き、組織の支援を受けないと自ら表明していた。小池は元防衛大臣だから有力候補者として増田と鳥越と同格だという論理は成立しない。テレビ局が報道に値する候補者として増田、鳥越、小池を選び、3人に報道を集中させた根拠は理論的には存在しない。各テレビ局が恣意的にこの3人を「有力候補者」として選んだにすぎない。政党推薦なしの候補者は小池だけではない。小池の候補者としての格付けは、今回得票数4位(179,631)に終わった上杉隆と同程度。にもかかわらず、上杉に関するテレビ報道は皆無に近かった。小池を有力候補者の一人に加えたのはテレビなのである。

それだけではない。極めて興味深い分析がある。小池百合子のテレビ露出時間が他の候補者に比べて圧倒的に長いというデータ(「テレビ放映時間から見る都知事選」)である。小池が立候補表明を他の2人より早く行ったから露出時間が長かったという事実を考慮しても、小池がテレビによって、立候補者21名のなかで特別扱いを受けていたことが明らかだ。

三択の罠

三択から何を選ぶか――消費者が3ランクに格付けされた商品を選択するパターンである。「赤・白・ピンク」なら「ピンク」、「松竹梅」なら「竹」、「上中下」なら「中」、が選ばれる。政党色を嫌う東京人の過半は、冴えない風体の増田(白)及びオールドレフトの鳥越(赤)を嫌って、ピンクの小池を選択する。与党の増田(松または上)、野党の鳥越(梅または下)にも嫌気を感じ、推薦なしの竹または中(=小池)を選ぶ。

テレビに細断された情報の「かけら」

テレビが増田・鳥越・小池の3者を恣意的に選択し、報道を3人に集中した結果、イメージとして優れていたのは残念ながら小池だった。そのことを的確に評したのが、次のツイート。

@C4Dbeginner: 小池百合子候補は高齢世代からは穏健なリベラルに見え、ネット世代からは石原的な強硬派に見え、女性からは高学歴キャリア女性の象徴に見え、都議会に反発 する人には小泉的改革者に見える。無知や無関心ではなく、メディアに細断された「情報のかけら」の集合が生む鵺(ぬえ)のような怪物だと思う。

では小池の政治家としての本質はどのようなものなのか。金子勝のツイートが的確だろう。

masaru_kaneko: 【首都の死3】軍事オタクの核武装論者で移民排斥の新自由主義者の小池百合子氏が勝った。これから首都でトランプやボリス・ジョンソン並みのワイドショー型扇動政治が始まるだろう。だが、アベノミクスは日本経済と社会を破壊していく。

孫崎亨は小池を「アメリカがつくった政治家」だと評した。アメリカも小池の当選を喜んでいるとも。




地上戦の戦闘員

小池はメディア(主にテレビ)の援助を得て、いわゆる空中戦で他候補を圧倒した。では地上戦ではどんな戦いが展開されたのだろうか。小池の選挙戦の深層については報道がないからわからない。筆者も取材していない。だからここから先は推測になる。小池の選挙戦を支えたのはおそらく日本会議のメンバーではなかろうか。街頭への動員、シンボルカラーのグリーンの着装、選挙運動員の派遣、資金の捻出については、それこそブラックボックスである。政党推薦のない小池がその個人資産で賄ったとは思えない。

都民無党派層の傾向

今回の都知事選は1999年の選挙とまったく同じというわけではないが、保守が統一候補を絞り切れなかったという意味で共通していた。99年の当選者は石原慎太郎で推薦政党なし。石原の得票数は1,664,558、民主が推薦した鳩山邦夫が2位で石原の半分強の851,130、3位が推薦政党なしの舛添要一(836,104)、自公推薦の明石康は690,308で自公惨敗となった。今回と重なるのは、自公が明石、民主が鳩山、政党推薦なしが石原及び舛添で4名が有力候補者として注目された点。結果も今回の小池と同様、無党派の石原が圧勝した。ちなみに石原と舛添を足すとおよそ250万票で、小池の獲得票に近づく。

99年の自公の明石候補が今回の増田候補に、同じく民主の鳩山が今回の鳥越に、同じく石原が今回の小池に該当する。99年は無党派どうしの舛添と石原が票を食いあったため、石原得票数は今回の小池に遠く及ばなかったが、政党推薦なしが圧勝するパターンは99年に既に確立されていたのだ。今回は舛添のような「不純分子」が立候補しなかったため、表向き政党推薦なしの小池が圧勝という形をとった。今回の自公推薦の増田はタマとして最悪で、99年の明石と似たタイプ。鳩山と鳥越はタイプ的に異なるが、野党推薦で勝てるパワーはともになかったことが共通項。石原と小池はよく似た者同士で、無党派層の厚い支持を受ける要素を具備していた。

全政治過程における野党の怠慢

建前としての無党派(候補)が、実態と異なることはよくあること。だからといって、テレビがつくりだしたイメージに簡単に騙されてしまう都民は愚かだと嘆いてみても始まらない。都民の皮膚感覚的投票行動を都会人の軽薄さと侮蔑することもできない。有権者がどうだこうだ、と嘆いてみても得るものはない。「劇場型」「先出し後出し」「知名度」とマスメディアが流した都知事選のイメージにたやすく便乗しようとした野党側にすべての責任がある。

野党連合は、たとえばこのたびの主戦場である東京都において、戦後71年間、いったいどれだけの確固たる支持者を獲得し得ていたのか。民進党は、頼みの連合ですら反原発を踏み絵にして、鳥越支持の一本化を取り付けられなかったし、共産党も、党員数及びそのシンパ数は一貫して減少もしくは横ばいである。特定秘密保護法、原発、安保法制、TPP、改憲・・・と、政権を追い込む政治課題が山積していながら、しかも、甘利問題はじめ自公側にオウンゴールがありながら、勝ちきれない。相変わらずの「風」だのみ、若者団体「SEALDs(シールズ)」に尻を叩かれるありさまだ。経済危機がやってきて、プロレタリアートが一斉蜂起する夢を彼らは見続ける気なのか。党が「風」や「劇場」という自然発生性に拝跪したままならば、政権奪取(変革)は永遠にやってこない。「野党」が強い党をつくるために努力するしかないのだ。

2016年7月13日水曜日

鳥越俊太郎を支持する

役者がそろった都知事選

ジャーナリストの鳥越俊太郎が東京都知事への立候補を正式に表明した。ご承知のとおり、舛添要一辞任後の同選挙の立候補者については混迷を極めていた。保守陣営(自民公明)からは自民党国会議員の小池百合子が自公の推薦を受けずに出馬を表明、与党側はこれを公認せず、原発推進派の元建設官僚・増田寛也を公認した。

一方、反自公陣営からは宇都宮健児が出馬を表明していたのだが、そこに、先述のとおり鳥越が宇都宮をかぶせるようにして出馬を表明、それを受けて、参院選から継続中の野党共闘の流れを受け、民進・共産等が鳥越を急きょ公認した。

結局のところ、与野党双方がそれぞれ2名の候補者を出すという異例の展開で選挙戦を迎える。その間、タレントの石田純一、古賀茂明が「反与党的立場」から出馬を表明しながら、すぐ撤回するというハプニングもあった。

反安部の流れを持続し実現せよ

鳥越の出馬については批判がある。その第一は国政を地方自治に持ち込むなというもの。第二は健康状態。第三は都政に無知、政策がない云々。これらの批判は筆者から見れば、批判に値しない。なぜならば、鳥越の出馬は「東京都知事」の地位に限定されていないからだ。鳥越の危機感は参院選与党(安倍政権=自公)勝利にある。安倍政権が準備しているのは、憲法改正、安保法制の強化、福祉切捨て、格差拡大、対米追従の日本だ。先の参院選の結果は、国民がそのことに無自覚なまま、安倍を容認したことになる。

鳥越の危機感は筆者のそれ。参院選前、野党も“安倍にそこまでは”という自覚の下、やっと一人区における野党共闘を実現させた。そして都知事選、この期に及んで、都知事選を東京の自治に限定する都知事候補は政治センスがなさすぎる。それほどまでに「地方自治」にこだわるのならば、都知事ではなく区議会選挙にでも出馬したほうがいい。野党共闘は、最重要選挙区である沖縄、福島で与党候補に勝利した。流れをつかみかけた野党陣営が都知事選においても共闘を継続するのは政治における常道といえる。鳥越公認を野合だとか、政策協定がないと批判するのは、ある種の原理主義。流れを渡せば、都民、国民が損をするのだから。

宇都宮陣営が仕掛ける野党共闘妨害工作

宇都宮健児が頑なに鳥越批判を繰り返し、野党共闘の流れに水をさしている。宇都宮の出馬によって喜んでいるのは、分裂選挙を余儀なくされ、二流のタマである増田を擁立した自公だ。鳥越VS〈小池・増田〉ならば、増田に勝ち目はない。ところが、野党側も分裂してくれたので、増田に勝ち目が出てきた。宇都宮は猪瀬辞任後の都知事選においても細川護熙の出馬に与せず、舛添の勝利に間接的に貢献した。そして宇都宮は再び、自公のアシストを繰り返した。

がん患者に希望を与える鳥越出馬

次に鳥越の健康問題である。筆者は、鳥越が「がん患者だから政治がダメというのはおかしい」という意味の発言をした。筆者は鳥越の言葉に共感する。がん患者は病気に苦しむと同時に、社会の差別にも苦しんでいるという。鳥越ががんを乗り越え、しかも、余命を都政改革、反安部政治のために燃焼させようというのならば、それこそが多くのがん患者の励みとなろう。それをロマン主義と笑うのは勝手だが、筆者は鳥越にエールを送りたいし、勝ってもらいたいと願っている。

政治家選びに重要なのは候補者の人間性、感性の見極め

出馬表明のさい、鳥越は具体的に政策を語らなかったとの批判がある。だが待てよ、先の参院選において、一国の首相すら、政策を語らなかったではないか。安倍が語ったのは「アベノミクスの推進」だけではなかったか。しかも、そのアベノミックスだってなんの成果も上がっていない。大事な年金を損失させ、格差を拡大し、自らが公約した消費税率のアップすら取下げたではないか。沖縄出身でありながら、基地問題を語らなかったタレント候補はどうなのだ(彼女は当選したらしいが)。

政治家に必要なのは、実態のない言葉(政策らしきウソ)ではない。有権者が見抜かなければならないのは、候補者のもつ人間性、感性、センス、たとえば弱者に対する配慮などだと思う。その配慮とは、「福祉重視」「待機児童の解消」「特養老人ホームの増築」「公営住宅建設」という政策の具体性(言葉)とは異なる次元のものだ。投票行動の構造的分析は困難かもしれないが、有権者が、立候補者が弱者に真に寄り添っているか否かを見極め、そのことを投票の指標とするならば、日本はちがった国家になっていたように思う。

※拙Blog投稿後の夜、宇都宮陣営が都知事選立候補の取下げを表明。同陣営による野党共闘妨害工作は終焉した。

2016年7月7日木曜日

神楽坂~東京大神宮

神楽坂

にぎやかですな。

地下鉄の駅を出るとすぐにあるイベント&物販スペース




クラフトビールが飲めるパブ

東京大神宮~七夕祭り開催中(縁結びの御利益があるとか)
偶然通りかかった東京大神宮



2016年7月4日月曜日

母の日・父の日など

5月(母の日)、6月(父の日)、7月(家内の誕生日)、8月(小生のそれ)と、行事が続くので娘夫婦がそれらをまとめて一回にして祝ってくれた。

車で高尾山のふもとまでいって、ケーブルカーで山頂付近へ。

そこから徒歩で山頂を目指そうとしたしたところ雷雨。

ケーブルカーの駅舎に避難して登頂を諦めた。

下山後、「うかい竹亭」にて晩御飯。

ホタル観賞のイベント付きである。










2016年7月3日日曜日

NICOがやってきてから5年

白猫のNICOが拙宅に来てから5年がたった。

先にサビのZAZIEがきたのち、家内が血眼になって2匹目を連れてきた。

理由はわからない。

ZAZIEがメスでNICOがオス。

バランス感覚か?

2匹とものちに手術を受けた。

来た当時は数日物陰に隠れていたのだが、次第に慣れ、いまでは超甘えん坊になってしまった。